平時にあって、戦争は続いている

 最近(この十年ほど)、国会中継を見ることはまずありません。見ていると腹が立つということもありますが、すべてが「儀式」になり下がっていて、どこにも緊張感がないという、この議論の空虚さに耐えられなくなったからです。昨日は、久しぶりに「国会中継」を見てしまいましたが、その30分の時間がぼくには耐えられなかった。見るに耐え(られ)ずという意味です。内容浅薄なら、薄っぺらいけれどもそれらしい「議論の欠片(かけら)」があるのでしょう。しかし内容空虚であれば、まことに聞くも虚(むな)しいという気分に襲われるだけです。「スパイ防止法」などといういかがわしい法案を導くための「国家情報会議設置法案」の審議入りがありましたが、国会のこんなに酷い為体(ていたらく)では、先が思いやられる、いや明日でさえ危ないという気がします。どこかの学級会の風景の方がまだましという、感想をぼくは持つ。(いつでもカンニングペーパーが横から入れられる、こんなおかしな「八百長芝居(rigged play)」はおそらく、ここ以外では滅多に見られないでしょう)

 (ヘッダー写真:「国会前で、改憲やホルムズ海峡への自衛隊派遣に反対を訴える人たち=2026年3月25日午後8時11分、東京都千代田区、筋野健太撮影」朝日新聞・2026年3月31日 7時30分) 

 現下「ホルムズ海峡」の主導権をめぐり、米・イ間で「不毛な攻防」が続いていますが、それを横にして、この国の化石燃料問題に関する政府答弁は「石油備蓄があるから大丈夫」というばかり、どれだけの根拠があるともいわず、とにかく来年までの「調達のめど」はついたというだけ。実に真剣味がない、ある意味では不誠実・不真面目そのものです。早い話が、2月28日のアメリカ・イスラエル両国によるイランへの軍事攻撃開始以来、一隻のタンカーもペルシャ湾経由で日本の港に入っていないにもかかわらず「だいじょうぶだあ!」とは、まるで故志村けんさん譲りのバカ殿ぶりです。

 昨日の問答を聴いていて、野党側も、実は「スパイ防止法」に賛成なのだと勘繰ってしまうほどの能天気ぶりでした。質問する側は「まさか個人情報を恣意的に集めないでしょうね」と尋ね、「一般的には市民の情報を集めることは想定しえない」と首相は答える(誤魔化す)。現に、「でも」参加者の顔写真や身元調査を公安庁はやっているにもかかわらず、です。ぼくであえ、何度もやられてきました。「そんなことはいたしません」とは口が裂けても言わない、「想定しがたい」ことはいつだって「あり得ます」ということでしょ、その意図を知ってか知らずか、質問者は問題を素通りしてしまう。「仲間」は責められないということだったか。議員諸君は「国が敗れても」、議員でありさえすればいいと考えているようです。

 これを何問答というのでしょうか。「頓珍漢問答」でしかないと、ぼくは断じたいですね。政府に反対するという理由で市民がデモに参加しても「プライバシーの侵害はないでしょうね」と訊かれて「一般市民というだけで、デモ参加者が調査の対象になるとは、一般的には想定しがたい」という。この「蒟蒻(こんにゃく)」問答にもならない「眼晦(くら)まし問答」を真に受けて、メディアは「市民は調査の対象外」と、何を血迷っているのか、平気で書く。「よいしょ」「提灯持ち」「褌(ふんどし)担ぎ」そのもので、新聞よ、そんなことでいいのかと、記事を読みながら反吐が出そうになるし、腹の底からの非難も生まれる。「(一般論ですが、と断りつつ)それだけの理由で、…とは想定しがたい」と詐術を多用する(常習犯)首相。個人の権利である「表現の自由」を、時と場合では「取り締まる」「踏みにじる」と公言・広言しているんですぜ。驚くばかりの「憲法違反」答弁を引き出しておきながら、「安心しました、ただ今の総理の御答弁で」と礼を言う始末。阿保かいな、とぼくは独語する。どこと戦争を始めるための準備か、ぼくには見当もつかないが、国力が著しく衰退する中、「戦争序曲」ばかりがが鳴り響いている。虚しく、悲しく、寂しいね。

 以下は、読んでの通り。新聞記者(井上靖氏)の「意気地」の表出、その記憶を新たにする。「一寸の虫に五分の魂」と、精一杯の「肺腑の言」を記した井上靖さんの「思想」を、「いまさらのように新たにする」コラム「有明抄」氏の「思想」でもあります。新聞・テレビが死命を制せられているただ今現在、虫の息ではあっても、なお「新聞は死なず」というメッセージを訴え続けてくれる新聞人はいないのだろうか。きっといるんですがね。(左写真:2026年4月8日、国会議事堂(衆議院)の向かい側でデモが行われた・時事通信社)

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 <蟋蟀(こおろぎ)は鳴き続けたり嵐の夜>

(「悠々のこの句作が世に出た1935(昭和10)年は、31(昭和6)年の満州事変、32年の五・一五事件、33年の国際連盟脱退と続く、きなくさい時代の真っただ中です。翌36年には二・二六事件が起き、破滅的な戦争への道を突き進みます。/もし今が再び<嵐の夜>であるならば、私たちの新聞は<蟋蟀>のように鳴き続けなければなりません。それは新聞にとって権利の行使ではなく、義務の履行です」澤藤統一郎の憲法日記・https://article9.jp/wordpress/?p=13309)(澤藤さんは東京弁護士会所属の弁護士。1943年生まれ)

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 「旧聞」ですが。八十年を隔てて、新聞人が、かすかに響き合っている風情をぼくは感じていました。〈われわれは今日も明日も筆をとる〉、八十年後の記者氏は、果たして何のために筆を執るというのでしょうか。「戦争」に向き合うだけでは足りない、それは歴史が教えているのですから。とにかく、「歴史から学ぶ」、この作業を怠ってきたから、こんなに不遜で、しかも国民をいささかも顧みない政府・政治家が生まれてしまったのです。もう間に合わないではなく、まだまだ間に合うのです、その気になれば。

【有明抄】今日も明日も 『敦煌』などで知られる作家井上靖は、若いころ新聞記者だった。京都での取材を終えて支局に立ち寄ると、慌ただしい様子で同僚が教えてくれた。「あす重大発表があるそうです」。昭和20(1945)年8月14日のことである◆翌日正午、「玉音放送」は流れた。井上はその所感を記事にまとめた。「この記事を書くために俺は新聞社に入って来たんだ」。そう言って書き上げた原稿を紙面編集のデスクに渡したという。「もう、これでいい」。これ以上のものを書くことがあるとは思えない、と◆玉音放送から80年目のきょう、本紙は当時の紙面をもとに特集を編んだ。戦争遂行に加担した新聞の責任を苦くかみしめつつ、井上と同じく万感胸に迫る思いで記事をつづった、名も知らぬ先輩たちの姿を想像してみる◆「8月15日」は敗戦を国民に伝えた日には違いないが、決して戦争の終わりではなかった。旧満州(中国東北部)や千島列島ではソ連軍の侵攻が続き、逃げ惑う人びとにとって苦難の始まりにすぎなかった。空襲被害の救済や戦争孤児、兵士の心の傷…。さまざまな爪痕が戦後なお放置された◆いまを生きる私たちが向き合い、語り継ぐべき歴史はまだある。玉音放送のあくる日、トップを飾った井上の記事は国家再建を誓い、こう結ばれている。〈われわれは今日も明日も筆をとる〉(桑)(佐賀新聞・2025/08/15)

● 井上靖(いのうえやすし)[生]1907.5.6. 北海道,旭川 [没]1991.1.29. 東京=小説家。金沢の第四高等学校理科,九州大学法文学部 (中退) を経て 1936年京都大学哲学科卒業。京大在学中,戯曲『明治の月』 (1935) が新橋演舞場で上演され,時代小説『流転 (るてん) 』 (36) で千葉亀雄賞を受けた。しかし卒業後大阪毎日新聞社に入社して筆を絶ったが,第2次世界大戦後芥川賞を受けた『闘牛』 (49) ,『猟銃』 (49) で復帰,文名を確立した。勝負師的な行動家の激しい情熱と,それに伴う内面の虚無という鮮かな対照を個性的な人間像とともに描く『黯 (くろ) い潮』 (50) ,『黒い蝶』 (55) ,『氷壁』 (56~57) などを書き,物語作家としての才能を示した。その後歴史小説に新生面を開き,『風林火山』 (53~54) など日本の戦国ものを経て,鑑真 (がんじん) 来朝に取材した『天平の甍 (いらか) 』をはじめ,『楼蘭』 (58) ,『敦煌 (とんこう) 』 (59) ,『蒼き狼』 (63) ,『風濤』 (63) など茫洋とした歴史的時間を再現する大陸ものへと発展を示した。『孔子』 (89) が遺作となった。 59年日本芸術院賞受賞。 64年芸術院会員。 76年文化勲章受章。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 「戦争反対の声も上げられなくなる」監視社会招くスパイ防止法と国家情報会議に反対 国会前ペンライト行動 政府のインテリジェンス(情報の収集・分析)の司令塔となる「国家情報会議」創設法案や、スパイ防止法制定に反対する複数の市民団体が17日夜、国会前で「4・17議員会館前ペンライト行動」を開き、多くの人たちがペンライトを振りながら成立阻止を訴えた。/秘密保護法対策弁護団などが呼びかけた。2月に続いて2回目。主催者によると、約3500人が参加した。/弁護士の海渡雄一さんは、創設法案などについて「今も政府の政策に疑問を発信すると交流サイト(SNS)で『スパイか』と言われてしまうが、(法案が成立すれば)公権力が攻撃し、表現の自由が侵害される」と指摘。「戦争に反対と言うことも『スパイだ』とレッテルを貼って黙らせる制度を完成させようとしている」と警鐘を鳴らした。(↷)

 立憲民主党の千葉県松戸市議の岡本優子さんは「ここで私たちがひるめば、戦争反対の声を上げられない監視社会になってしまう。今、皆さんが掲げているペンライトもノーという表現の一つだが、この表現の自由もなくなってしまうかもしれない」と訴えた。/色とりどりのペンライトを手に、ウサギの仮面や電飾で光るよろい兜(かぶと)などで装いを凝らした参加者たちは、音楽に合わせて「市民監視の法律いらない」「自由を縛る法律いらない」などとコールを繰り返した。(高山晶一)(東京新聞・2026年4月17日 21時47分)

 高市首相「普通の市民、想定せず」 国家情報会議創設法案で 高市早苗首相は17日の衆院内閣委員会で、インテリジェンス(情報収集・分析)の司令塔機能を担う「国家情報会議」創設法案を巡り、「政府の政策に反対するデモや集会に参加していることのみを理由として、『普通の市民』が調査対象になることは想定し難い」と述べた。中道改革連合の長妻昭氏への答弁。/長妻氏は各省庁に情報提供を求める権限が与えられる「国家情報局」などが、政権の都合に合わせて政治利用される危険性を指摘。首相は「スキャンダルについて、マスコミや野党の追及をかわす目的だけで情報活動を行うことは現在も想定していないし、今後も行わない」と強調した。/法案は首相を議長とする国家情報会議を創設するほか、内閣官房の内閣情報調査室を国家情報局に格上げする。「スパイ防止」を目的とした新たな調査権限などは盛り込まれず、政府・与党は法案成立後に防止のあり方などについて検討を進める方針だ。/与党は22日の内閣委で法案を採決した後、23日の本会議で衆院を通過させる構え。野党は個人情報やプライバシーの保護、政治的中立性などに関する配慮を定める付帯決議を求めている。【田中裕之、原諒馬】

「中道改革連合の長妻昭議員は17日、衆議院内閣委員会で審議されている「国家情報局」設置法案を巡り、高市早苗首相に、情報収集に伴う人権侵害の懸念について質した。/長妻氏は「強い法律には副作用もつきものだ」と指摘し、「人権侵害やインテリジェンスの政治化が非常に心配される」と述べた。その上で、政府の政策に反対するデモ参加者に対する顔写真や職業の調査について「こういう情報活動はしてはいけない」として見解を求めた。/高市首相は「政府の政策に反対するデモそのものが情報活動の関心の対象となることは、一般的には想定し難い」と答弁し、「参加しているということのみを理由として、普通の市民の方が調査の対象になることも想定しがたい」と説明した。一方で「デモが過激化し危害が及ぶ事態に発展するかどうか」といった観点から関心を持つ可能性には言及した。(毎日新聞・2026年4月17日)(「⁂ 高市首相「デモ参加だけで調査対象は想定し難い」 国家情報局設置法案で質疑(①https://www.youtube.com/watch?v=XwaCctUoKLQ)(②https://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=56184&media_type=

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G2の馴れ合い?盾と矛の覇権争い?

【夕歩道】「今年の十大リスク」という年初の外電記事を思い出した。米国の著名な国際政治学者イアン・ブレマー氏らが毎年発表しているもので、2025年の第1のリスクは「Gゼロの国際社会」だと。
 サミットは50年前、日米欧6カ国で始まり、翌年からカナダも入ってG7に。その後、ロシアを迎えて一時G8となったが、14年の一方的なクリミア併合を許さず、ロシアを除外して再びG7に。
 「G6+1」と心配された第1次トランプ政権期を経て、返り咲きの今回は初日で早退に及び、G7としての首脳宣言も首脳声明もなし。なるほど「Gゼロ」か。ほくそ笑んでいるのは誰だろう。(中日新聞・2025/06/18)

 「G7」という互いに「脛に傷もつ」諸国会議は、何ら得るところなく終わった。いや成果はあった、「G7」は無用のお飾り(張り子)だという現実を自他に明らかにしたから。アメリカ第一を標榜するのは「自分を再び偉大に」と狼煙を上げ続けているT大統領ご本人。「イスラエルvsイラン戦争」の行方を左右するのは自分だけだと自らの政治力を誇示。実はこの戦争「表向き当事国」、実際には米・露の代理戦争の顛末は誰でも知っている。つまるところ、世界は「無法者G2」が取り仕切っていると錯覚しているのだ。その「自分はG1」と自認しているそれぞれが、自分こそが「第一だ」と自惚れなのか、錯乱なのか、世界のすべてを尻目に「世界の富(領地)」の山分けを狙っているのだが、その実、「自分こそ一番」という、歴史的錯誤を膨らませているのが実態だろう。大も小もなく、世界がこんなに複雑に絡み合い、互いが身動き取れない関係を結んでいる現在、はたして「覇権主義」を貫徹しても成算はあるのだろうか。一難去ってまた一難だな。

 国威を発揚するという「原始自己主義」は、何時までも残るだろうが、それだけで世界諸国は動くとは考えられない。一国覇権主義は成り立つはずもないけれど、集団的覇権主義もなおさら見込みはないと知るべきだろう。国家という怪奇な存在が世界各地を徘徊しだしてどれくらいの時間が流れたか。そして今、国家は「幻想」であり、「虚構」だというリアリズムがはっきりと芽生えてきたのだ。国という、ひたすら図体のデカさだけを他に誇示するような「見せ掛け」国家主義はもはや通用しないのが現実。剥き出しの自己顕示だけで、何事かが動くなどということはあり得ないのだ。一時の「強権」は、遂には終わりのない「混沌」に突き進むほかないのだと知らねばなるまい。歴史を知り、歴史から学べば、誰だって(どの国だって)謙虚にならなければならないんだがな。

 世界の各地で噴火が起こり、それに煽られて新たな火種が燃え出そうとしている、そんな不穏な情勢にあって、ほんの数日間、どこかで集まって「宴会」をしながら「世界平和」を語るなどという呑気さがたまらなく愚かに思われる。まるで、問題山積の学校の「級長会」みたいなもので、任期終了となれば、お次と交代。その程度のものなら、お気業な会議などない方がましだし、要らぬ気遣いをしなくて済むから、ぼくたちも気は楽だ。死に物狂いの「戦争終結」活動も、終わってみれば、またぞろ「あの戦争が懐かしい」という馬鹿さが首をもたげてくる、それが政治家になりたがる連中の「国家は自分」だと錯誤する大きな理由のひとつだ。「朕は国家なり(L’État, c’est moi.)」という認知機能崩壊の政治家が多すぎる。ある種の人々にとって、「国家は獲物」であると同時に「それは魔物なんだ」ということ。(ぼくは、年来久しくの「アナーキー」です)

 社説:G7サミット 米頼みで空洞化、直視を
 国際社会が築き上げてきた秩序に背を向けるトランプ米大統領の身勝手さが、目に余る。
 開幕した先進7カ国首脳会議(G7サミット)で、2期目に入って初めて出席したトランプ氏が、初日で切り上げて帰国した。
 サミット2日目は、イスラエルとイランとの交戦で緊迫化する中東情勢が優先課題だっただけに、議論を避けたと見られても仕方あるまい。トランプ氏は停戦への働きかけより、先制攻撃をしたイスラエルを支える言動が際立つ。ウクライナのゼレンスキー大統領との首脳会談も見送りになった。
 日米首脳会談は開かれたが、関税交渉で合意に至らなかった。
 深まる米国との溝を踏まえ、議長国のカナダはG7の共通目標を示す「首脳宣言」は見送り、個別課題ごとに共同声明を作る方針という。G7を先導してきた大国のトップ不在では、事実上、会議自体が空洞化するに等しい。
 発足から半世紀を迎えたG7サミットは、世界の分断を象徴する事態に向き合わねばならない。(以下略)(京都新聞・2026/06/18)

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剛毅朴訥、仁に近し

 ぼくは長年の「ながら族」で、本を読むときも原稿(駄文)を書く時も、きっと音楽を流している。「~しながら」聞く音楽。その昔はほとんどクラシックだったが、ここにきて、もっと気軽に聞けるポップス、あるいはジャズが多くなっています。もちろん、聞くともなく聞くのが心地いいからであって、声楽などは最もよくない。言葉を追いかけてしまうからです。いわば「BGM」に相応しい音楽ということを盛んに考えている。

 今ではステレオ装置で音楽を聴くことはなくなった。もっぱらパソコン内蔵のプレーヤーと外付けスピーカをで聴いている。いまもこの駄文を書いている前方のスピーカーからクラシックでもよく演奏される「人気曲(ポピュラー)」、例えばパッヘルベルの「カノン」やヴィヴァルディの「四季」など、さまざまな演奏家のものをリストにしたプログラムから適当に流しています。五時間でも十時間でも流し続けられるので、とても便利に使っている。住んでいるのが「長柄町(ながらまち)」だから、文字通りに、身も心も「ながら族」というわけ。

 ぼくの場合、何事かに集中するという時、一心不乱・無我夢中ということはまずありません。うんと若いころは、昼過ぎに読書を始めて、気が付いたら周囲が暗くなっていたということは何度もあった。若かったから集中力が続いたということもあろうし、読書に飢えていた時代でもあったからでした。拙い原稿も徹夜で書いたこともしばしば。無駄でしたね。それが、この年齢になると、寝食を忘れて夢中になるということは、まずないと断言できる。それだけの心身の持続力がないからです。当たり前と言えば当り前。だから神経や視力が疲れすぎないように、気分をそらすために「ながら族」になっているという面もありますでしょうね。

 今流れているのは一昨年6月に亡くなった、アメリカの作曲家兼ピアニスト、ジョージ・ウィンストンの「ディセンバー」です(彼はギターもハーモニカもよくした)。レコードだったら、盤が擦り切れるほどというくらいに、繰り返し聴いたものでした。彼の「田舎性」というか「朴訥さ」がとても気に入っていた。彼のピアノは決して流麗とも颯爽とも違う。なんとも朴訥、無骨、それがぼくにはこの上なく心地がいいのです。まるで農夫の手指のようです。彼はモンタナ州で育った。

 本日の駄文のテーマは決まっているのですが、なかなかそれに触れたくないので、もたもたしています。朴訥や素朴とはおよそ趣が異なる、上辺だけの、見せ掛けのパフォーマンスの悪質性・悪意性について、ということです。いやな時代だからこそ、単純で素朴な物事に身をあずけたい気もする。昨日の長崎新聞「水や空」の「お茶を濁す」について。 これを別の表現で言い当てるなら「巧言令色、鮮ナシ仁」(「論語―学而」にある)、「剛毅朴訥、仁に近し」(「論語‐子路」中の「子曰、剛毅朴訥近仁」 )でしょうか。同じ「人間の質」「品性」を裏と表からみとろうとしている。「仁」が人間性の核になることが最も望まれた時代もありました、遥かの遥かの昔でしたが。

(⁂ 「仁」というのは「思いやり。いつくしみ。なさけ。特に、儒教における最高徳目で、他人と親しみ、思いやりの心をもって共生 (きょうせい) を実現しようとする実践倫理」(デジタル大辞泉)

 「茶を濁す」とは、茶の作法を知りもしないで、その礼法を「知ったふりして」、適当にごまかす風儀。それだけではないと思うのですが、要するに自他を誤魔化し、結果的には世間を欺くことになる。そこで愚考一番。世間を胡麻化そうという御仁や紳士淑女が叢生(そうせい)しているのは事実です。でも、その出現が一向に止まないのはどうしてか。おそらく世間の方が胡麻化されたがっているからではないかと、ぼくは愚かにも考える。騙そうとするものと騙されてやれという両者の「阿吽の呼吸」、それが今日の社会の危機の要因であることは間違いないところ。

 「水や空」氏も触れていますが、米大統領は「まず平和賞が欲しい」と、前回の就任段階から懇望している。あの政敵の「オバマ」が貰って、どうして自分には来ないのかと、それこそ悔しがっているのです。平和賞受賞のきっかけはごろごろ転がっている。「ガザ」「ウクライナ」「移民」等々、どれ一つでもそれなりの進展があれば、「晴れて受賞」となるはずと、それを目当てに彼は動いているのですから、始末に悪いというばかりです。呉れてやりなさいな。

【水や空】お茶を濁す 谷川俊太郎さんに〈禁酒禁煙せぬことを誓う〉で始まる、ややひねくれた詩がある。〈人だかりあればのぞきこみ/美談は泣きながら疑うことを誓う〉(「年頭の誓い」)。▲ご当人は朗報、美談、良い話を届けたつもりだろう。トランプ米大統領が、米中ロ3カ国での核軍縮の協議に意欲を示したという▲ほかの2カ国がそんな話にたやすく乗るわけがない、と邪険にする米メディアもある。「夜も眠れないほどノーベル平和賞が欲しい」トランプ氏が受けを狙っただけだ、と▲疑うしかない美談、良い話ではある。眉唾と思いつつもしかし、大統領が「非核化が可能か確かめたい」と発言したのは銘記すべきだろう▲何かにつけて「前のめり」が際立つ人だが、こちらはどうか。核兵器禁止条約の締約国会議に日本は与党議員を派遣し、オブザーバー参加をまたも見送るという▲国民にはいくらか前進したように見せたい。ただし、条約参加に反対する米国の機嫌は損ねたくない。「お茶を濁す」の一語しか浮かんでこない▲谷川さんの詩の続きは〈誓いを破って悔いぬことを誓う〉と、さらにひねくれる。トランプ氏の胸の内と思えなくもないが、この国はと言えば「誓い」よりも米国の「顔色うかがい」を重んじる。十年一日(いちじつ)のごとく。いや、戦後八十年一日のごとく。(徹)(長崎新聞・2025/01/28)

 閑話 「澆季溷濁(ぎょうきこんだく)」とか「濁流滾滾(だくりゅうこんこん)」などという死語を使いたくなるご時世が続いています。

 「思いやりなどの人らしい感情が薄くなり、善悪や正邪の基準がおかしくなって、世の中が乱れること。『澆季』はこの世の終わりのような、道徳や人情が乱れた世の中のこと。『溷濁』は濁るや、汚れるということ」(四字熟語辞典オンライン)「「濁流滾滾(だくりゅうこんこん)」とは「勢いよく濁った水が流れる様子。『滾滾』は水がいつまでも激しく流れ続ける様子を言い表す言葉」(同上)

 如何でしょう。現実の世の中は、東西南北、いずれの地においても「濁された」ままの水が滔々と、あるいは滾滾と流れるままに任せています。そこに「流れに掉さす」のが政治だといえば、悪い冗談、いや瓢箪から駒みたいな話です。「流れに棹をさして水の勢いに乗るように、物事が思いどおりに進行する。誤って、時流・大勢に逆らう意に用いることがある」(デジタル大辞泉)

 「[補説]文化庁が発表した「国語に関する世論調査」で、「その発言は流れに棹さすものだ」を、「傾向に乗って、ある事柄の勢いを増すような行為をする」と「傾向に逆らって、ある事柄の勢いを失わせるような行為をする」の、どちらの意味だと思うかを尋ねたところ、次のような結果が出た。(左図表)(国立国語研究所)ここに「言語の誤用」に関する大問題があります。それに対して、学校教育はいかに貢献しているか(流れに掉さしているのかもしれない)。

 閑話休題 核問題をなんとか現状から一歩でも、一寸でも動かせたら「ノーベル平和賞」なんでしょうか。「核兵器禁止条約の締約国会議」に、体裁だけを繕うために、オブザーバーを参加させんとする劣島政府。何を見て政治をしているのか。「核抑止力」などという寝言を、目を開けたまま言っていながら、恬として恥じないのはどんな蛙なのだろうか。まるで、パンツをはいたままで小便を垂れるという気色の悪さがあります。いずれにしても、核保有国の面々、それに付かず離れず身を寄せているタツノオトシゴ国の政治家たち、どれもこれもが「核を玩具(おもちゃ)」に、あるいは「核を弄んでいる」という謗(そし)りは受けるだろうけれど、これまた恥じるところがないのだ。

 何が何でも欲しい人に差し上げるのも「世の平和」のためにはいいでしょう。授けたらどうでしょう。米大統領にノベール平和賞をぜひ。そうなれば、まさに「不世出(前代未聞)の大統領」でしょう。刑務所も平和所授賞も。その昔、この劣島国に「泣く子と地頭には勝てぬ」という世評がありました。「聞き分けのない子や横暴な地頭とは、道理で争っても勝ち目はない。道理の通じない相手には、黙って従うしかない」(デジタル大辞泉)。T 大統領、その「地頭並み」か、いやそれ以下の傍若無人ぶり。恥知らずとは、こういうのを言うのかもしれない。それを煽る取り巻きがいるから、この国も焼きは回っているだろう。その後には金正恩もプーチンもネタニヤフも、どうせなら、一括して授けたらどうか。「平和」なんて、彼らにすれば「容易いもの」なんですよ、きっと。

(参考文献 トランプ大統領をノーベル平和賞候補に推薦-ノルウェーの右派議員 トランプ米大統領がノーベル平和賞の候補になった。朝鮮半島の非核化に取り組む合意を北朝鮮から引き出した功績が理由。/ノルウェーの与党で右派の進歩党の議員2人が推薦した。国営のNRK放送が報じた。今年の受賞に向けた候補指名の期限は1月だったため、トランプ氏は来年の候補となる。今年の候補にも名を連ねているかどうかは不明。/ノーベル平和賞は政治家や学者、研究者らが受賞し得る。ノルウェーのノーべル賞委員会には例年、数百人が候補として推薦される。過去にはロシアのプーチン大統領やキューバのカストロ議長が候補に挙がったこともある。今年の候補者は過去最高の330人。(以下略)(Bloomberg・2018年6月14日)(https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2018-06-13/PA9MEBSYF01T01

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「果報は寝て待て」というけれど、…

 ただ今午前7時。室温26.5℃、湿度79%。小雨が降ったりやんだり。

 ずいぶん昔の記憶です。小学校時代、何年生だったかは忘れましたが、「クラス新聞(便り」」というものがあった。おそらく担任教師が手作りで出していたと思う。今日でも、「学級だより」とか「学級通信」という手法で、子どもたちにというよりは親に読んでもらいたいと、熱心に出している教師もいるでしょう。今の時代、いろいろな方法がありますので、かなりの普及ぶりが想定されます。もちろん、発刊対象の単位は学級とかクラスというのですから、大きな話題や学校外のことはさておいて、担当クラスのことごと(出来事や問題点など)が書かれているに違いない。(この「学級新聞」的なものがさらに進化して生まれたのが,戦時中に興隆期を迎えた「綴り方教育」というものでした)

 本日の高知新聞のコラム「小社会」を一読、高知新聞そのものに懐かしさを覚えたと同時に、地域新聞、地元新聞というものの「あり方」や「現実の問題」についていくつかのことを考えさせられました。もうかなり前のことになりますが、一夕、親しく高知新聞の記者と現地で飲んで話すという機会に恵まれました。つかず離れず、ぼくはかなり以前から当該新聞には関心を寄せていたから、なおさら、本日のコラムが切実さをもって迫ってきたというわけです。

 「ニュース砂漠」、とても気になる現象ではないでしょうか。もちろん、この「ニュース(情報)枯渇」が引き起こす砂漠化は、この社会のいたるところで生じているはずです。時に「町から書店が消える」という話題が、深刻な問題として報道されることがあります。無書店市町村は年とともに増加しています。もちろん、情報や知識は書物や新聞からしか入るものではないのは分かりきっています。でも、この現代にあっても、誰もがネットを通じて情報を得ているとは限らない。ともすると、誰も彼もがスマホやパソコンを使ってネットにアクセスしているとみなす向きが圧倒的に多いことでしょう。逆に、スマホやパソコンを利用しない人間は、それこそ「時代おくれ」「社会の敗残者」の如くに扱われるという現実(人々)もある。情報から遮断されている存在に「社会的弱者」というレッテルを張って、事足れりというのでしょうか。

【小社会】高知も砂漠に? 米国の地方紙を何社か訪ねたことがある。かの国には市や郡ごとに地元紙があり、記者たちはインクのにおいが漂う小さな社屋で懸命に地域のニュースを発信していた。日刊や週刊などを合わせた数は2004年時点で8891紙に上った。▶しかし、社会のデジタル化と新型コロナによる広告減などで大半が経営難に。米大学の調査によると、22年までに3割が廃刊に追い込まれ、記者やカメラマンは6割も減った。▶その結果、住民が地元の報道に触れることがほとんどできない「ニュース砂漠」が広がった。メディアの監視が弱まると、地方行政や議会は緩み、腐敗する。地元紙が廃刊になった米西部の市では、市幹部が議会と結託して給料を大統領の2倍に引き上げていた。▶日本も危うい。全国の新聞・通信社の記者は過去20年で24%減。県内でも特に全国紙の記者が減り、新聞によっては高知の記事が載らない日が増えた。▶先日の黒潮町長選では性加害問題で辞職した前職が返り咲いた。被害女性と和解できていない前職の再挑戦をどう考えるべきか。正面から取り上げたメディアは本紙だけだった。▶小4男児が亡くなった高知市のプール事故もそうだ。遺族に寄り添いつつ市当局の対応を問い続けているのは本紙のみ。そんな中、市長与党の市議は「一部の行き過ぎた報道に不信を抱く」と議会で言い放った。足元で砂漠化が始まっているのか。踏ん張らねば。(高知新聞・2024/10/05)

 「情報の空白」問題を「新聞消滅地域」に限定して考えてみます。ここでいわれる「新聞」とはおそらく「宅配新聞」、あるいは「購読新聞」を指しているのでしょう。宅配以外でも、駅やコンビニなどで購入することもできますから、要するに「読むべき新聞そのもの」が消滅しているという話でしょう。ぼくが住んでいる地域(町)は、人口が6247人(本年10月1日現在)、世帯数は2944世帯。平均同居者数2.12人。(この十年で、ほぼ1300人が減少したことになります)間違いなしに、近未来には消滅する自治体であることは確実。この町には「タウン誌(町内報)」が発行されていますが、拙宅には届かない。折り込みで配布するので、新聞購読者に限るということでしょうか。ぼくは新聞を取っていないので無配達。(それに反して、納期が遅れるとやんやの催促便が来ます。「無駄使いは止めろ」といつもうために、役場に行きます)

 だから、この自治体の情報にはまったく通じていません。時に、地方紙で扱われている地元ニュースをネットでみることはあります。しかし詳細はカヤの外。一年前ほどから、ごく近くで「産業廃棄物最終処分場」の建設工事が始まりました。おそらく、町議会で長年議論されてきたのでしょうが、現場で工事が始まる段階でようやく知るというお粗末ぶり。大掛かりな工事で、何年かかるか、どういう施設なのか、そんな事柄にもまったく通じていないのですから、一住民としては、その資格を、ぼくは問われると思う。「タウン誌」の戸別配達を希望しても、色よい返事はない。というわけで、ぼくは、まさに「情報砂漠」「ニュース砂漠」のただなかに住んでいます。文字通り「砂上の陋屋」ではあります。

 コラム「小社会」では高知の砂漠現象の齎す「弊害」状況について書かれています。少し長い引用を。

 「先日の黒潮町長選では性加害問題で辞職した前職が返り咲いた。被害女性と和解できていない前職の再挑戦をどう考えるべきか。正面から取り上げたメディアは本紙だけだった。▶小4男児が亡くなった高知市のプール事故もそうだ。遺族に寄り添いつつ市当局の対応を問い続けているのは本紙のみ。そんな中、市長与党の市議は『一部の行き過ぎた報道に不信を抱く』と議会で言い放った。足元で砂漠化が始まっているのか。踏ん張らねば」と。「砂漠化が始まっているのか」ではなく、すっかり砂漠になったということですよ、コラム氏さん。高知新聞にしてこうですから、他紙は推して知るべし、と言えば叱られるか。地域新聞は地元に密着しているがゆえに、当局や有力者(広費収入源)の意向には逆らえない道理で、ぼくの知るだけでもいくつもの自治体で同じような「新聞と報道対象の癒着」「馴れ合い」が生じています。そのいちいちを取り上げようとすると、そんなの嫌だと、ぼくのへそ曲がり根性が反対をします。

 ほとほと、この社会はダメになった、堕落しきった、腐敗の極みだと、言えばきりがないほどに、社会悪の横行、道義の頽廃は尽きるところがないようです。それもこれも、あるべき地方新聞がなくなったからというのではない。もちろん全国紙とか大手紙という「看板倒れ新聞」の落日がかかる事態を招いているというのでもない。一言で申すなら、なるべくしてなった、そういうことです。今般、予想に反してだったか、石破某が総理大臣に押し立てられた。見識や経験を買われたという、彼の人望がモノを言ったのでないこと言うまでもありません。地位をかけて争った高市某が当選していた方がよかったのかもしれない。その心は「あの東洋の小国は、それほどに右翼・極右が跳梁していたのか」と他国から総スカンを喰らうはずだったし、その方が、日本崩壊の完了は早かったかと思われるからです。

 このところ、いたずらにアメリカ大統領選挙の報道を、現地メディアを通じてみています。そして、あれっと思ったのは「大手メディアが事実を正しく報じていない」というメディア批判が頻繁に叫ばれることでした。「選挙で負けた」という事実に砂をかけて、権力の地位にしがみつこうと、あらゆる手段を使って選挙結果を歪めようとした元大統領、三十数件の犯罪事実で起訴され、有罪判決も出ている元大統領が、あろうことか、再び、公党の候補者に祭り上げられたという事実に、ぼくは肝を潰したのでした。これがアメリカの政治の現実なのだと、民主政治の目指すところ、はるかに遠いことに嘆息しきりだった。こんな出鱈目を許したのは彼の国の政治であり、報道であり、指導者や一般選挙民の関心の薄さだったでしょうか。誰が悪いというのではないかもしれぬが、少なくとも「メディア」は政治や権力への健全な批判力を研ぎ澄まさなければ、たちまちにして権力の軍門に降る、結果は見ての通りということになろう。そして、あろうことか、その元職の再選が実現可能視されているのだ。

 他国の問題については、事情もよくわからないところがあるので事の断定はできません。しかし、それでもなお、メディアの復元力と批判力の旺盛さに、ぼくは一縷の望みがあるという思いを強く持つ。残念だけれど、わが社会には「復元力」も「批判力」もすっかり「鈍麻」「摩滅」してしまったという実感がある。「ニュース砂漠」「情報砂漠」は、新聞やテレビ等、メディアが伝えるべきことを伝えず、書くべきことを書かないところから生じる社会現象でしょう。「伝えるべき」、「書くべき」とは「ありのままの事実」を伝え、書くということです。起こっている事実を正確に伝え書く、その役割を怠り失えば、メディアは権力の「手先」「便所の紙」でしかなくなるのです。まるで「不夜城」のような、煌々とした明かりに照らし出されている「砂上の楼閣」、それが各地にみられる「砂漠化」の現実の姿だというほかない。それに抗して、何か、回復や復元の道があるとは、ぼくにはとても思われません。

 「一粒の麦死なずば、ただ一つにてあらん。 もし死なば、多くの実を結ぶべし」という。

 勤め人時代、ぼくは勤務先の大学の著しい頽廃に対して、いつも広言していました。「堕ちろ、堕ちろ」と。中途半端に生き延びると、一層困難な状況で死(破滅」を迎えるからだと、顰蹙を買いながら、嘲笑を浴びながら言い続けていました。この国もまた、同じ事態にありますね。「堕ちろ、堕ちろ」、と叫ぶしかないようです。「果報は寝て待て」ですけれど、「知るべき事実」は向こうから、ひとりでにやってはこないのです。寝てる場合か。

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「したたか」ではなく「禁じ手」だ

【小社会】したたか これも里の5月の光景だろう。「テッペンカケタカ」―。ホトトギスのさえずりが聞こえるようになった。昼間の歌もよいが、真夜中の響きも渋い。◆日本人が古くから親しんできた鳥で、万葉集などにも詠まれている。ただし習性はかなりしたたかなようだ。ウグイスを欺いて托卵(たくらん)し、ひなも育ててもらう。ひなはウグイスより先にふ化して、ウグイスの卵を巣の外へ。結果、親ウグイスの給餌を独占する。◆初夏、托卵のために日本にやって来る渡り鳥でもある。さすがに印象がよくないと判断したのだろう。かつて岡山県が県の鳥に指定したが、キジに差し替えた逸話まである。◆ウグイスには托卵は迷惑だとしても、あくまで自然界の定め。生物たちにはむしろ、こちらの方が驚きかもしれない。ニジマスからキングサーモンを繰り返し産ませることに、東京海洋大の研究チームが成功した。◆キングサーモンは一生に一度しか産卵しないが、生殖幹細胞をニジマスに移植すると、ニジマスがサーモンの卵や精子を毎年作るようになるらしい。トビがタカを生むということか。◆魚を効率的に養殖できる画期的な技術ではある。本紙に「地球環境の急変で苦しい状態にある魚を守るためにも重要な技術だ」との意見も載っていた。ただ、自然界のルールを超えて進む科学技術には複雑な思いもする。ホトトギスの思いはきっとこうだろう。「人間のしたたかさには負けるよ」(高知新聞・2024/05/27)(左上写真・生まれたばかりのニジマスに生殖幹細胞を移植する様子)(東京海洋大提供)

 (ヘッダー写真は和歌山県東牟婁郡串本町の紀伊大島にあるクロマグロの飼育生けす)(写真提供:近畿大学)https://project.nikkeibp.co.jp/mirakoto/atcl/food/h_vol91/

 「知らぬが仏ばかりなり」という。あるいは〈Ignorance is bliss.〉とでもいうか。知れば腹も立つが、知らないのだから、まるで仏のように穏やかでいられるというのだろう。もちろん、自分自身を「仏」に擬(なぞら)えるのは適切ではないし、まして、今どき「養殖」魚介類だ、「遺伝子組み換え」食品だと目くじらたてていては夜も日も明けないでしょう。野菜や果物は、それこそ、どれだけの品物(品種・種苗)が遺伝子組換えで生産されているか。クローン技術に関してはあまり話題にならないのは、それが採用されなくなったからではなく、その逆に至るところでクローン技術の応用が日常茶飯事になったからでしょう。

 ニジマスからキングサーモンを無尽蔵に、このニュースにぼくは驚かなかった。他の領域や分野で当たり前に行われていたことがニジマスに採用されただけという「陳腐さ」さえ感じました。早速、「ふるさと納税」の「返礼品」になっている始末。毎日の暮らしに欠かせない調味料や食材などの、その殆どが遺伝子工学の応用によって大量生産されています。厳密に「食の安全性」確保などということは、現実には不可能だというほかありません。飼育飼料や肥料はいうまでもなく、消毒薬や殺虫剤などの大量使用については、ほとんどが黙認されている状況です。そんなこと言ったって、「養殖」は大昔から行われてきたのだから、いまさら非難がましいことは言うべきではないという理屈が幅を利かせているのかも知れない。

 このような「生産技術」の応用は、この島だけの問題ではなく、世界規模で拡大・拡散している。それゆえに、一国や一地域が厳しい規制を敷いたところで、他国や他地域にはその効力が及ばないし、まして今や貿易や通商圏は世界の隅々にまで広げられています。一例として原発問題を考えてみます。ある地域に設置されている原子力発電所に「事故」が起こったとき、それがどんなに厳しい基準で認められていたとしても、それとは無関係に、被害は一地域を超えて、拡散し、永続します。遺伝子操作や遺伝子工学には厳格な指針が設けられているので、食料としても安心ですと、政府や当局がお墨付きを与えたところで、事故や被害者が発生すれば、だれもそれを止めることはできない。「これは危険です」と宣言して何かを始める人間はいないでしょう。「危険かどうか、それ不明だ」けれど、まず始めてみよう。権威の太鼓判ももらっているし、いつでもどこでも相撲取りか行司かがわからない人間がことを裁いているのです。あるいは「マッチポンプ」と言うべきか。

 ぼくは、これまでに十分すぎるほど「危険な食材」を摂取してきました。一品だけなら、しかも少量なら大丈夫と言われつつ、積年の弊害が一体どこに、どんな形で発生するか、起こってみなければわからないのです。時間が経てば、因果関係も曖昧にされる。ことは「キングサーモン」だけではない。それに代表される、営利主義と利権が絡まって、食の安全性が危殆に瀕しているのであり、それが多方面に広がれば、またまた「公害」の発生ということになります。農業が、気候や地勢に規制された「カルチャー(文化)」だった時代、それが今や、地域差や気候帯の差異を超越した「工業(文明・civilization)」に変貌しているのです。漁業も例外ではありません。漁獲を確保するために船を遠くまで運ぶ必要はなく、もはや陸地に設けられた工場内で「新たな漁業」が進められています。ニジマスからキングサーモンへと誇らかに謳う技術の進化は「高級なサケ類の養殖の効率化や、希少種の保護にもつながると期待される」「短期間で安定的な養殖が可能になる」、この「利点」(かどうかは疑わしい)は誰のものでしょうか。

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 (以下、参考資料)                                                              ● ニジマス代理親がサケ出産 東京海洋大、生殖細胞移植で成功 東京海洋大の研究チームが、一生に一度しか産卵しないキングサーモンの「生殖幹細胞」をニジマスに移植し、成長したニジマスからキングサーモンを繰り返し産ませることに成功した。高級なサケ類の養殖の効率化や、希少種の保護にもつながると期待される。/キングサーモンの精巣から、卵や精子に分化する生殖幹細胞を取り出し、生まれたばかりのニジマスに移植。ニジマスは1~2年で成熟すると、キングサーモンの遺伝子を持つ卵や精子を毎年作るようになった。/キングサーモンは成熟に3~7年かかり、産卵や放精は一生に一度だ。小型のニジマスを代理親にすれば毎年繁殖できるため、短期間で安定的な養殖が可能になる。(東京新聞・2024/05/25)(共同通信)

● 遺伝子操作 (いでんしそうさ)gene manipulation/広義には,生物の遺伝子およびその組合せを人為的に変化させること。最も古い形は,植物の栽培と動物の家畜化である。これは,自然集団から有用な形質を持つ個体または集団を選ぶことであったが,それによって集団の遺伝子構成が変化しただけでなく,育種が可能になり,以後の人為交雑への道が開けたのである。現代に至って,放射線や種々の化学物質が突然変異を誘起することが明らかになり,これらの変異原を用いた突然変異育種も行われるようになった。/遺伝子の実体がDNAであることが判明してからは,DNAを媒介にした分子育種も部分的には可能になっている。これが狭義の遺伝子操作で,遺伝子工学gene engineeringと同義である。この場合,DNAの供与体と受容体が同一種でなくともよく,いわゆる分子雑種が容易に形成できる。遺伝子操作は本来は無方向的である突然変異に方向性を与える技術であるとも言える。今のところは細菌や下等菌類が受容体として用いられているが,高等生物への応用も試みられつつある。しかし,それによって生じる生物が人間社会を含めた,生態系としての自然に与える影響が不明なので,この技術の応用には十分な注意を払う必要がある。(改訂新版世界大百科事典)

● 遺伝子工学【いでんしこうがく】=遺伝子操作技術を用いる生物学の1部門。主として組換えDNAとDNAクローニングの手法が用いられる。組換えDNAは1970年代に入ってDNA分子の塩基配列を切断する制限酵素(エンドヌクレアーゼ)が発見,単離されるとともに急速に発展した。1974年米国の研究者らは,エンドヌクレアーゼを用いてカエルのリボソームDNAとあるバクテリアの細胞質内遺伝子のDNAを切断し,両方のDNA断片をつないで〈組換えDNA〉を作り,これを大腸菌に感染させたところ,両者のDNAを細胞質にもった大腸菌ができた。また,1977年には化学的に合成した哺乳(ほにゅう)類のホルモンの遺伝子を大腸菌の細胞質遺伝因子に結合させ,大腸菌内でタンパク質合成を行わせ,ホルモンの生産に成功した。こうした遺伝子操作実験の成功から,遺伝性疾患の患者の遺伝子を組み換えて治療に役立てたり,高等生物のDNAを細菌内で増殖させ,自然では得がたい物質を多量に産生させることが可能になった。特定の遺伝子DNAのみを取り出して大腸菌内で増殖させると,単一のDNAを大量に得ることができる。これがDNAクローニングで,生物学・医学で広く応用されている。遺伝子工学には有害生物を生みだす潜在的な危険性があり,1973年米国のライフ・サイエンス部会はこの種の研究の自己規制と安全確認までの研究の一時停止を提唱したが,その後,遺伝子工学の研究,開発は全世界的に進展している。(百科事典マイペディア)

● 養殖【ようしょく】(aquiculture・raising culture)= 水産生物を飼養して,人工的に繁殖させること。水産生物の繁殖を自然の環境内で,技術的あるいは法令,規則などにより助長し,数量の増加を行うことは増殖と呼び,また漁獲された水産生物を区画された水面に飼養し,市場価格の上昇時に販売することは蓄養と呼んで区別する。養殖は内水面養殖(淡水)と海面養殖に大別。前者には池中養殖(コイ,ニジマス,アユ,ウグイ,ウナギ,キンギョ,各種熱帯魚,スッポン,ウシガエル),水田養殖(コイ,ドジョウ),粗放な溜池(ためいけ),干潟池,河川での養殖(コイ,ボラ,フナ)がある。後者には陸上の養殖池や廃止塩田を用いた池中養殖(クロダイ,ボラ,スズキ,クルマエビ),海面を堤防や網で仕切った区画養殖(ブリ,マダイ,トラフグ),筏(いかだ)や縄を用いた垂下式養殖(カキ,アコヤガイ,ホヤ,ワカメ,カイメン),網やそだ【ひび】建による養殖(ノリ,カキ),干潟や浅海面を利用した地撒(じまき)式養殖(カキ,アサリ,ハマグリ,サルボオ,ホタテガイ)がある。池中養殖では流水式,半流水式もある。ふつう,産卵,稚魚または幼生の育成,食用魚介の養成などは別々の場所で行われることが多く,成長は放養密度,投餌量,水温など環境条件により影響される。養殖業は日本において最も発達している。(百科事典マイペディア)

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 「商魂たくましい」といって感心していていいのかどうか。「山梨県水産技術センターが長年かけて開発した山梨県オリジナルの魚です」この「技術の勝利」と言ってみたくなるような成果は、決して第一次産業の分野に留まらないでしょう。いずれ、来たるべき日には「山梨県オリジナルのヒト」が生まれる・生み出されるに違いない。ニホンウナギの減少(少子化)は「養殖ウナギ」に取って代わられてくるでしょう。その更新はもう始まっています。この「少子化」阻止の決め手となる技術が、どこかで誰かが密かに(いや、堂々とか)実験室で行われていないとは言えないのではないですか。「こんな時代だから、それもしょうがない」とでも言っておきますか。山梨オリジナルの「富士の介」がニジマス✖キングサーモンから誕生するというのは「吉報」だとする向きがあります。そして「富士の介(デザイナーベビー)」は、魚であるとは限らなくなる時代にぼくたちは突入しているのでしょう。

【天に選ばれし、名水の地 富士吉田】
富士の麓の富士山湧水かけ流しで伸び伸び育ちました。
【富士の介とは・・・】
◆マス類で最高級とされるキングサーモンと山梨県で生産量ナンバーワンのニジマスを交配し誕生!
◇山梨県水産技術センターが長年かけて開発した山梨県オリジナルの魚です。
【美味しさの秘密】
◆【富士の介】はきめ細かい身質、ほどよくのった上質な脂、豊かなうま味が特徴の美味しい魚です。
◇キングサーモンの鮮やかな赤身でありながら、サーモン独特の臭みを感じない魚です。
◆うま味成分が、ニジマスに比べて約1.6倍!
【注意事項/その他】※沖縄(本島除く)および離島へのお届けはできません。
(山梨県養殖漁業協同組合:https://www.nashiyousyoku.net/fujinosuke.html#gsc.tab=0)

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