「足立区滅びる」発言を議事録から削除へ LGBTで問題発言の自民区議が申し出
白石正輝区議(足立区議会ホームページから) LGBTなど性的少数者を巡り、東京都足立区の白石正輝区議(79)=自民=が、同性愛が広がれば足立区が滅びる、との趣旨の発言をし批判を浴びている問題で、足立区議会は19日、白石氏から発言の一部を取り消す申し出書が提出されたことを公表した。20日の本会議で許可されれば、「足立区は滅んでしまう」などの白石区議の発言が議事録から削除される見通し。区議会ホームページの動画からも関係部分は削除されるという。(以下略)(東京新聞:2020年10月19日 16時12分)
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これで一件落着なんですか。区議さんや区議会はさらに過ちを重ねたようです。「そんなつもりで言ったのではない。もし傷ついた方がおられたら、お詫びします」というのが「嘘謝罪・偽謝罪・戯謝罪」の基本形(定番)です。謝罪でも何でもない。「前科一犯さ」くらいの舐めた姿勢の表れですね。この区議はどうなんですか。他人の発言に目くじらを立てるなと言われそうですが、目くじら(「目尻。目角 (めかど) 。また、怒った目つき。」デジタル大辞泉)を立ててなんかいない、むしろ嘆いているんです。十一回当選の議員さん。
差別発言をした、それは間違いだと指摘された。ならば「申し訳ない、そのことに無知だった。勉強して出直します。お許しください」とどうして言えないのかね。沽券にかかわるなら、そんなもの捨ててしまった方がいい。「沽券(こけん)などという古い言葉を出しましたが、無用・役立たずの古証文のことです。(「人の値うち。体面。品位」もともとは「土地・山林・家屋などの売り渡しの証文。沽却状。沽券状。(沽は売るという意味)」(デジタル大辞泉)

どうして「発言取り消し」になったのか。議会の常套方法によって、件の議員氏は説得されたのでしょうが、ぼくはそんなことには興味がない。問題は「議事録から削除」という始末の仕方です。これは改竄じゃないですか。歴史の偽造だといいたい。ある議員がこんな愚かな発言をした、世間で問題となったが、議会としては放置しておけないから取り消しました、というのでしょうか。起こった事実が「消える・消される」ことになる、これこそが悪質だとぼくは言いたのです。あったことをなかったことにして、一件落着か。
いたるところで、こんな不始末がくりかえされてきましたし、これからもくりかえされるでしょう。どうしてまちいの事実を残さないのか、まちがった事実を消せば、間違ったことも消えるという作為・錯覚が働きます。「二度としません、過ちは」と言いつつ、二度三度と同じ過ちを犯してきたでしょう、多くの人が(ぼくも含めて)。今回の議員さんや議会も同じことを言うのですが、二度ではなく「三度も四度もまちがえる」と言ったに等しい。政治家の「食言」が止むことがないのも事情は同じです。まちがったと微塵も思っていないからです。なにも政治家だけに限らない、人間は何時でもこんなまちがいや過ちをくりかえしてきました。そう思ってもいないのに「まちがえる」という、それは集団・社会の側の問題でもあるのです。

まちがいを肝に銘じるというなら、それを消去しないことです。記憶にとどめておく必要があります。歴史に「過ち」が記録されていなければ、それを学ぶ理由はなくなります。英雄伝や痛快談、野蛮劇だけが残るほかないからです。歴史を学ぶ理由は、単純です。自分(たち)が「過ち」をくりかえさないためです。学ぶのは試験のためなんかではない。「前車の轍・前轍」という言い方があります。轍は「わだち」「通りすぎた車輪の跡」です。「途轍」「途轍もない」という言い方もあります。「道筋」「道理」です。(面倒だからやめにしますが)歴史は「轍」「前轍」なんだといいたいんですね。同じ失敗をしないためにそれを学ぶ、それがお手本となり、自らを矯(た)める、そのために歴史の学習があるんじゃないですか。歴史はクイズではありません。
発言を消去すれば、それを言った人も聞いた人も「言われたこと」がなかったと思い込む。言ったことは消されているのですから。おそらくこの方々は同じ失敗を重ねても恥じるところがないでしょう。これをして、なんと「誠意」のない連中だといいたくなります。大事なのは「誠意」「誠実」です。沽券だのバッジなんかどうでもいい。その根っ子が忘れられているのは、「歴史から学ぶ」ことを怠ったからだ。



水俣の海は埋め立てられて、今では公園になっています。歴史を抹殺する手法として「埋める」というのは象徴的です。先年亡くなられた女性作家は『沖縄の骨』という本を書かれ、あらゆる地のしたには「骨」があると書かれていました。その骨の上で、ぼくたちは「束の間の繁栄」だかを享楽しているのでしょうか。歴史は「地層」でもあります。深く学べば学ぶほど、ぼくたちは多くの「過去」から何かを学ぶことができるのです。昨日の出来事を隠して、さて、僕たちはなにを「歴史」として残しうるのでしょうか。(上の左二枚は現●K記者の友人が現地取材により、ぼくに送ってくれたものです)
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蛇足(が多いですね) 亡くなった、八代目桂文楽さん。通称「黒門町(の師匠)」にいくつものエピソードがありますが、ぼくはこれにもっとも打たれました。最晩年のことです。他者からの引用で申し訳ありません、このくだりはつらくて、自分では書けないのです。
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「そして、運命の日、昭和46年8月31日を迎えるのだ。/ この時のことは、『対談落語芸談2』(川戸貞吉編)に詳しい。川戸は学生時代から文楽に可愛がられていたが、文楽が専属となっていたTBSに入社し、落語番組の制作に深く関わるようになっていた。この日も中継のため会場の国立小劇場に来ていた。楽屋に挨拶に行くと、いつもは明るく会話に興じている文楽が、この日は無言で鏡を見つめている。ただならぬ気配に、川戸は声を掛けることもできず、そのまま中継車に戻り、「黒門町、今日は様子がおかしいぞ。念のためマイクのレベルを上げておいてくれ。」と指示を出した。/ 文楽の出番は2番目。演目は『大仏餅』。『大仏餅』というのは、文楽にとって、体調の悪い時や客が合わない時に演じる、いわば安全パイのネタだった。しかも前日の東横落語会にもかけている。その『大仏餅』の主人公、神谷幸右衛門の名前が出てこない。文楽は突如しばらくの間沈黙し、静かにこう言った。「申し訳ございません。台詞を忘れてしまいました。」そして、声を張って「もう一度勉強し直して参ります。」と言って高座を下りていった。

高座のそでで出迎えるマネージャーの出口一雄に、文楽は「三代目ンなっちゃった。」と呟いた。三代目というのは、三代目柳家小さん。夏目漱石が激賞したこの名人も晩年は呆けてしまい、噺が堂々巡りをして途中で幕を下ろされるといった悲惨なエピソードを残している。文楽はこの三代目の晩年を知っており、常々「三代目にはなりたくない。」と言っていた。そう言ってはいたが、いずれ自分も三代目のようになるのではないか、という不安を文楽は抱いていた。不器用な文楽は、やがて来るであろうその日に備え、客に詫びる口上を練習してさえいたのだ。(しかし、この日の朝は、その稽古をしていなかった。前日つつがなく演じた『大仏餅』を、まさかしくじるとは思っていなかったのであろう。)
文楽の言葉に出口は男泣きに泣いた。これが、名人文楽の最後の高座となった(http://densukedenden.blogspot.com/2011/03/blog-post_26.html)
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足立区議の話と何の関係があるんですか、と詰問されるでしょうが、ぼくは答えない。文楽さんの無念や悲しみを感じて、この逸話を思い出すたびに、「人の誠意」というものを思わないわけにはいかなくなるのです。この話は、ぼくの後輩で、先年亡くなった友人からじかに聞きました。彼はこの寄席(会場)にいた。ぼくが涙をこらえられなくなるのは、「もう一度勉強し直して参ります」と高座を降りたことより、その日のあることを恐れて(確信してだ)、毎日セリフ(口上)をくりかえし練習していたということです。「名人」の最晩年の「無観客」の寄席でした。
自分には誠実に、他人には誠意をもって。過ちは人の常ですよ。それにどう向き合うか。向き合えるか。
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