算数も国語も、意志の訓練なんだ

 つねに学校の訓練を意志の訓練として提示することが大切である。〈意欲をもてば〉やさしく、〈意欲がないなら〉不可能であるようにだ。この種の学業にともなう困難は、唯一つだけのはずだ。それは言い訳についてである。あなたがたは、私は知らない、という。だが答えられねばならないのだ。答えられないのは、あなたがたが意欲をもたないということなのだ。

 〈賞〉の観念が、〈罰〉にとってかわるだろう。(罰は自発的なものだ。)(アラン)

 「道徳」、あるいは「道徳教育」というテーマについて

 この問題を考えるといつでも「学校とはなんだろう?」という疑問・疑念に遭遇します。それほど、ぼくが身をもって体験してきた「道徳」というものと学校で通用している「道徳」とはいちじるしくかけ離れているという意味です。全体に、学校というところは子どもを管理したり操縦したりしたがるものです。いろいろと巧言令色は多様多彩であっても、結局、子どもは「言われたことを聞くべし」「素直で従順であるべし」ということしかねらっていないんだと思います。きれい事を言うその口で、子どもは自由になどさせるとろくなことをしないと断定しているんですからね。二枚、三枚舌だね。

 アクセルを踏みながらブレーキもかけているという、車の機能を根っこから壊すような操作をしている、そんなふざけているしバカげてもいる「教育」を学校は標榜してきました。右に向きながら左にも顔を向けろという、無理難題をふっかける。バカも休み休みにしろ(言え)と、言いたくなります。(昨日、かみさんと車で出かけている際に、方々の学校から「子どもたちが下校」してきました。くそ暑いのに「ご苦労さん」と言葉をかけたほどです。気温が三十度を越えたら、休校にすればいいね。二月末の全校一斉休校はまったく無意味でした。余計なことをしてくれたおかげで、子どもたちはしなくてもいい苦労をしているし、それに伴って親もひどい苦心をさせられたんですから)

 もっとも、そんなことはけっして子どもに対してだけの話ではなく、教師にしても「素直で従順である」ことがなによりも求められているでしょ。学校という組織・制度は人間を監視や処罰の対象としてしかみていないんですね。そんな装置(学校)にあって、「道徳教育」がどの程度の代物かは想像がつこうというものです。悲しいかな、学校には「人間の教育」はなくて、ただ命令に従順であることをひたすら追求する「調教・飼育」があるばかりだといえば、そんなことあるものかと目をむく人がいるかもしれませんけど。どうぞ、むくだけ向いて、ひっくり返ってくれよと、いいたいね。

 「干渉教育」(あるいは「脅迫教育」)という言葉が明治の初期に使われました。(言葉は使われなくなっても、その体質は今も続いている)この言葉で思い出すのは新政府の文部卿を勤めた土佐藩士の河野敏鎌(とがま)(1844~1895)(左下写真)です。明治天皇の巡幸に先立っての地方教育状況に関する報告書「地方学事視察につき上書」(明治13年) に見えます。(「脅迫教育」といったのは森有礼でした。これに関してはいつか触れます)

《 且つ夫れ教の義たる、先覚者の後覚者を開誘するにある以上は、恰も父母の児童を訓ゆると一般なり。父母の児童を訓ゆるは緊束を要す。則ち教育の義、固と干渉の旨を含有せりとす。且つ夫れ普通教育にして政府の干渉すること無ければ、則ち教員たる者教育の順次を誤まり、自己の癖する所に随て子弟を誘導し、未だ人間普通の徳義を弁ぜらるの児子に高尚の理論を教え、史学に托して政論を説き、甚だしきは世変に処するの術を講ずるものあるの徴を現ずるに至る 》 

 「干渉教育」は文明国の証だとも述べています。これがいわゆる「道徳教育」にかぶさるんでしょうか。(余話ですが、河野は安井息軒に学んで、尊皇攘夷に奔走。維新後は江藤新平(肥前)に引き立てられて新政府に参画。ところが、佐賀の乱を起こした江藤を極刑(きょうしゅ【梟首】)に処するという、理不尽かつ凄腕の政治家でした。好きな人ではありません)(ぼくは江藤(右写真)はかなり好きな人物でした、いまでも)(何年前になるか、ぼくは調べ物をするために土佐に出かけた折に、河野の関係した場にも行きました。その際には、林有造=宿毛出身の自由民権運動家やその他、明治新政府の主だった人士の旧蹟を訪ねたことがありました。吉田茂、さらには小野梓など)

 教育は国家の管轄に属し、その干渉を受けるのは当然とする考え方(イデオロギー)はいまでも健全です。いつでもどこにでも、かまいたがる(干渉したくなる)ものだし、そうすることはいいことだと錯覚か、あるいは自覚か知らないが、そういう手合いは尽きない。「道徳教育」などという怪しい言葉を使うより、いっそのことなら「干渉教育」といったほうが誤解がなくていいくらいのものです。小学三年生のときだったか、「前へ進め」とか、「右に倣え」と命令されて、反対のしぐさをして教師に殴られたことがありました。そのことは決してそれは忘れたことがありません(つまらんことですが)。教師の貌も忘れない。「馬鹿たれ」、「無能め」と心底思いました。力のない教師ほど、暴言・暴力を使いたがるんだと確信しました。ぼくに言わせれば、「宿題」も立派な暴力です。(出会った教師の大半はじつに「不勉強」だったといえますね。その半分はぼくの責任でもあるんだが)

 それにしても、人間を塊(日本人・国民)や集団としか見ない(見ることのできない)教育観(イデオロギー)ってなんだろうね。塊として生きてるんじゃないのにさ。

〇註ー斬罪に処せられた人の首を木にかけてさらすこと。さらし首。竿首(カンシユ)。獄門。(広辞苑)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。