面子、生き恥、卑怯という言葉の…

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<中隊長は開口一番「なんで逃げ帰ったんだ。皆が死んだのだから、おまえも死ね」と言う。体は疲れてフラフラだったが、一日の休養もくれない。それ以来、中隊長も軍隊も理解できなくなり、同時に激しい怒りがこみ上げてきた。>
これは、「水木しげるのラバウル戦記」(ちくま文庫)に書かれた、漫画家の水木しげるさんの回想だ。2015年に93歳で亡くなった水木さんは、太平洋戦争の最前線であるニューブリテン島のジャングルで、九死に一生を得た経験がある。ゲリラの襲撃で所属部隊が水木さんを残して全滅、命からがら生還したのだ。当時22歳だった。しかし、上官は生還を喜ばず、むしろ戦死しなかったことを責めた。水木さんの強烈な戦争体験を、著書から振り返ろう。(HUFFPOST/2020年08月15日)

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 水木さんは、2010年6月26日にNHKで放送された「証言記録 兵士たちの戦争」の中で、以下のように憤りを隠さなかった。 「そこは文字通り全滅でわたしだけ生きて帰った。一人。一人生きて帰った大事な人をね、死ねっていうわけですよ。困りますよね。死ねっていうわけです。なんで一人生きたからって死ねって言われるのかって思いました」

■「ちっぽけなことにこだわり、死が美化された」

 水木さんはその後、マラリヤに感染。42度の高熱を出して療養中に敵機の爆撃で左腕に重傷を負う。化膿して命の危険があったため、麻酔がない状態で左腕の切断手術を受ける。(上図の印はラバウル)

 野戦病院で過ごした後、1945年8月15日を迎え、まもなく敗戦を知らされた。兵士の間では落胆と虚脱感が広がったが、「水木サンの幸福論」の中で水木さんは「生き延びた!」と思ったと振り返っている。そして多くの戦友の死を見てきた経験から以下のように続けた。

<大勢が死んでいった。祖国のために勇敢に散った人もいるが、無謀な命令による死も少なくなかった。この陣地を死守しろとか、あの丘を攻略しろとか、大局から見るとちっぽけなことにこだわり、死が美化された。面子(メンツ)、生き恥、卑怯という言葉のために多くの兵士たちが死んだ。>

 もし、上官の言う通り、バイエンで水木さんが戦死していたら、『ゲゲゲの鬼太郎』も『悪魔くん』も『河童の三平』も、この世に生まれなかった。水木さんが玉砕を選ばず、命を大事に持ち帰ったことで、戦後日本のマンガ文化は大きく花開いたのだ。(安藤健二

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 水木さんは、帝国軍隊の中では「二等兵」という最下級兵でした。連日のように上等兵(古兵)の鉄拳制裁を受けたといいます。「ぼくに忍耐ということを教えてくれたものがあるとすれば、この古兵たちだろう。どんな理不尽なことをされても、だまっていなければいけないのだ」ぼくは「兵隊ヤクザ」という増村監督、勝新太郎主演の映画をよく観た。あり得ないほど痛快の極北を行く兵隊が主人公だったからだ。カツシンは好きじゃなかったけれど、陸軍を虚仮にする新平大宮貴三郎には絶大のシンパシーを感じたりしました。軍隊に特別の嫌悪感を持っていたのではありません。第一に集団中心主義というか、そんな偏った素長には体が反発したのです。以来、ぼくは集団ときくと反吐が出そうになります。集団のために個人があるというのは、滑稽を通り越して、ぼくには信じられない観念だった。集団から自分を引き離す、そんな訓練ばかりをしていました。

 このような言語道断の暴力をほしいままにしていた上等兵は「むりへんにゲンコツ」と書くなどといわれもしました。軍記物、戦争物などといわれる作品はさまざまなカテゴリーで無数に残されています。ぼくはこれまでにかなりの作品を読んできたと思いますが、果たして記録されたものの百分の一はおろか、千分の一も読んではいないでしょう。その数少ない作品群の中でも水木さんのものは凄惨なだけではなく、いたわりや救われる部分も必ず記録されているという意味で、稀有なものだといえるでしょう。(大岡昇平さんや野間宏さんなど、ほんとに身を挺して(変な言い方ですが)読む耽りました。戦争経験は皆無ですが、その不条理への嫌悪感だけは許しがたいものとして、ぼくの心中に確たるものとして、現存しているのです)

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