うちは新型芸大、わては旧式芸大?

「主張の正当性が認められた結果」 「京都芸術大学」変更問題、瓜生山学園がコメント

 京都造形芸術大から校名変更した「京都芸術大学」(京都市左京区)を運営する学校法人瓜生山学園に対し、京都市立芸術大(西京区)(写真右)が名称の使用差し止めを求めた訴訟の判決で、大阪地裁が27日、市立芸大側の訴えを退けたことを受け、瓜生山学園は「主張の正当性が認められた結果」とするコメントを発表した。

 コメントでは、「適正な手続きを踏んだうえで、文部科学省へ正式な届け出をし、名称を変更した」とし、「これからも日本の芸術文化の発展に寄与できるよう、尽力していく」としている。(京都新聞・2020年8月27日)

***********

 コラム 凡語:マネしないで(同上・2020年8月31日 16:00)

 芸術の世界で混同しやすい名前というと、多くの人が思い出すのは画家のマネとモネだろう。マネがモネに「まねしないで」と言ったとか言わなかったとか▼マネの方が少し先輩だが、パリで同時期に活躍し、実際にトラブルもあったと伝わる。まだ無名だったモネが展覧会に出した絵がマネの作品と間違えられ、マネが称賛されてしまい…▼2人とも本名だから似ていても仕方ない。だが、こちらは裁判となり、略称も絡んでさらに話はややこしい。京都市立芸術大と、京都造形芸術大から改名した京都芸術大である▼先日の判決で、大阪地裁は「京都芸術大」の使用を認めた。だが法律上はともかく、単純に紛らわしいかどうかという点では、地元としては考えるまでもないような気もする▼改名は開学30周年を前に造形だけでなく幅広い芸術の教育、研究をアピールするためという。それでも実際に紛らわしければ、まねをしたようにも思われかねない。大事なのは中身であり、互いに切磋琢磨(せっさたくま)して京都の芸術を盛り上げるよう願うばかりだ▼マネは最初はモネをよく思わなかったそうだが、やがて実力を認め、亡くなるまで交流を続けたといわれる。今回の問題もいつか円満に解決し、笑い話のようになる日は来ないだろうか。芸術の秋を前にそう思った。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

 ときたま京都新聞を覗きます。「覗き」が趣味ではないけれど、どないなってるんやろうかと、少しは気になりますんで。昨年から係争が続いていた校名変更問題、裁判にかけるような問題でっか、とよそ者には思われますが、当事者には、それも「芸術大学」となれば、仇や疎かにはできないんでしょうね。で、変更が認められたというのです。訴えた方(市立芸大)はどうするんでしょうか。市長さんも変更には不服だったようで、裁判の結果に納得されたのかどうか。(略称は「京都芸大」だそうで、双子のようでいいね)

 やっぱりどうでもいいことだと、ぼくには見えてきます。要は中味じゃないですか、と。この島には芸術大学や音楽大学や美術大学はいくつもありますが、それぞれが独自の歴史と伝統(電灯)を持っていますから、それをさらに育てていけばいいんじゃないですか。いつだったか、兄貴の息子が名称変更した学校の教員をしていると聞いたように記憶している。だから、どうというわけでもありませんが。人でも企業でも、あるいはその他でも「紛らわしい」のがいくつもあります。(本物・偽物か)もとからあった方が正当・正統かというと、どうもそうでもなさそうです。

 京都で思い出しましたが、「八つ橋」という菓子の「本家・創業年争い」が以前にありました、決着がついたのかどうか。大学の名称変更問題とほぼ同時期に地裁の判決は出たようですが、その後は? あまりうまい菓子だとは思いませんでしたが、老舗が老舗と争う図というのはなんだかね。本家争い、創業年の争い、校名争い、…と種は尽きませんんが当事者にとっては、くりかえしますが、死活問題なんですね。「功名のさきがけ」というのもあります。京都というのは、どうやら争いの多いとこらしいね。これはおれが先や、いやわての方が先や、と少しも譲らない。いかにも「都臭い(いけず)」ですな。ぼくは、そんなミヤコが嫌いで逃げ出しました。ぼくの好きな「ミヤコ」は「蝶々」さんだけでしたな。ホントに好きどした。はるみさんもいたが、今は昔の物語。

__________________________________

投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。