注意深い人間になるための教育を

 『いのちの和』(駒草出版)。とても懐かしい本に出会った、しかも二日続きの「いじめ問題」を綴ろうというさなかに。江口季好(すえよし)(1925-2014)さんは、児童詩教育の第一人者。ぼくはこの人にお会いしたことはなかったが、ある時期、江口さんの編著を出していた出版社にしばしば通い、大いに江口さんの話を伺っていたし、何度かすれ違ってもいました。ぼくもこのK出版社から数冊の拙い本を出してもらっていた。およそ十年ぶりで江口さんに再会したように思いました。この「命」と題された詩もよく記憶しています。

 かなり前から、ぼくは平静な気持ちで「ペットショップ」の前を通ることができなくなった人間です。時々出かけるホームセンターにもペットショップがある。その都度、この犬や猫たちをなんとかしたいと思うばかりで、何もできないままで家に帰る。「赤柴入荷」「黒柴値下げ」「決算大セール」などと、まるで野菜や果物の投げ売りのような商売が横行している。いくつかの国では「ペットショップ」は廃止、あるいはペット売買は禁止という法的規制がかけられています。ぼくも何年も、そのような方向にこの劣島が進むことを願っている。何よりも「ペット」という受け止め方がよくないでしょう。この表現は「愛玩」というか、「玩弄」というか、「弄ぶ」というニュアンスが含まれているのではないですか。もちろん、この一事だけを取り上げて、事足れりとするのではありません。いのちの問題は犬・猫だけに限らない広がりを持っています。

【産経抄】「思いやり」という本物の花を ペットショップで目にした光景だろうか。<十六万の犬が/一万安くなり/十五万/十万の犬が/五万に>。小学6年の女の子による詩の書き出しで、『命』の題がある。こう続く。<クリスマスの日に/犬の命は/安くなる>。▼子供の詩文集『いのちの和』(駒草出版)に収められている。大人が頭を抱える難題を、鋭い感度で、それも平易な語り口で捉えている。尖(とが)った言葉が一つもなく、それでいて読み手の胸に刺さる。大人顔負けの詩想の表現には驚きを禁じ得ない。▼抑えの効いた筆の運びで針を包み、批評の詩をつづることもできる。子供の言葉と心は、大人が思う以上に育っているのだろう。悲しいかな、世の中には大人びた子供もいれば、大人になりきれない大人もいる。大人未満の人が教壇に立てば、しわ寄せを受けるのは子供である。▼「わたしは死ねばいいのに」。ノートにそうつづった女子児童に対し、担任教諭が「花マル」を付けて返した。奈良市内の公立小学校で昨年6月に起きた問題である。女児は3年生の2学期から1年以上、男子児童からいじめを受けていたという。▼教諭は「君ならできる」と英語で書き添えてもいた。何を学べばそのような指導になるのか理解に苦しむ。調査には「励ますつもりで」と釈明したと聞く。「子供じみた言い訳」となじるのは、子供たちに失礼か。一握りとはいえ、教壇には〝大人の免許〟を返すべき人もいる。▼人は暴力でなくても深く傷つく。女の子にとっては経験する必要のない痛みだったろう。願わくは「反面教師」という悪(あ)しき鏡を砕き、いつか理想の自画像を描いてほしいとも思う。心ない花マルを養分に「思いやり」という本物の花を咲かせてほしい、と。(産經新聞・2023 /12/13)

 産経新聞のコラム「産経抄」は、いのちの尊さに思いを馳せる子どもの感性・感受性の鋭敏さと、それを表現する静かな佇まいの中に示される、いのちの尊重、いのちに対する尊厳、それをして「子供の言葉と心は、大人が思う以上に育っているのだろう」と評価しています。子どもと大人の対比、たしかにその一面は熟考に値しますが、誰だって「子どもから大人になる」のですから、子どもに比べて大人は、という「紋切り型」は、主旨はわかるものの、果たしてそれで十分かとなると大きな疑問が残ります。「子どもから」出発して、「子どもの部分」を残しながら、「大人への」領域に入ろうとするのが、人間です。子どもの部分を決して切り捨ててはいないのが大人です。大人には「子ども」が宿っている。それを忘れると、とんでもなことになるのです。

 いつも言うことで、代わり映えはしませんが、「子どもの中の大人」と「大人の中の子ども」の問題を考える方が、ぼくには大事です。ぼくは若い頃から「早く大人になれ」と誰彼なしに言われ続けてきました。「何時まで青臭いことを言ってるんだ」とも。そんなふうに、ぼくを幼く、いや低く見ている「大人」に対して、ぼくは軽侮の年を育てることしかしなかった。「そんなことは嫌なことですよ」と、内心で思い続けていた。口外したこともあった。今でも何人か、ぼくに「忠告」してくれた先輩のことを覚えています。おそらく年齢は一回りほどは違っていたでしょう。彼らはその後、沢山の本を書き、博士になり、「日本✖✖学会」の会長になり、勤務大学の名誉教授になり、国家から勲章をもらった(そうだ)。(叙勲の話は同僚から聞いた)そういうことが「大人になる」ことだったとするのだが、他者に評価を求める生き方など、ぼくは死ぬほど嫌だった。

 問題は「大人と子ども」という対比にあるのではなく、子どもであれ、大人であれ、一人の人間として「なにか欠けていないか」、あるいは「自分を偉く見せようとしていないか」、「正直であるよりも、卑屈にも他人の評価を期待していないか」、そんな生き方を(自分に対して)全否定する態度を、ぼくは次第に強くするようになったのです。昨日も書きましたが、この「花マル」先生を責めるだけで、問題は見えてこないでしょう。なんという未熟な教師と非難しても「傷つけられた子どもの心」は癒やされないのです。「大人未満の人が教壇に立てば、しわ寄せを受けるのは子供である」と言う指摘は間違いではないと思います。間違いがないのはいいことですが、それだけで終わっていいはずもないのです。長期間にわたって「イジメ」を受けていた子どもに、誰も気が付かなかったという「迂闊」「等閑視」をぼくは疑う。それをして「意識的「不注意」とでも言っておきます。「見て見ぬふりをする」という、実に醜悪な生き方が蔓延しているのではないでしょうか。

 この教師も「イジメ」を知っていたでしょう。もちろん学校当局も教育委員会も。放っておけば、やがて消えるとでも念じていたか。関係するものは、ほとんどが「見て見ぬふり」の姿勢を保持していたのです。イジメを続けていた男子児童の中に、自らの攻撃性にブレーキをかける必要を感じたものはいなかったのか。と。今から言っても詮ないこと。でもこの子どもたちの攻撃性の表出に歯止めがかからないままだったという、その「自制心のなさ」「野放しの不注意」をこそ、学校当局は問題にしなければならない、ならなかったのではないですか。

 「女児は3年生の2学期から1年以上、男子児童からいじめを受けていたという。▼教諭は『君ならできる』と英語で書き添えてもいた。何を学べばそのような指導になるのか理解に苦しむ。調査には「励ますつもりで」と釈明したと聞く。『子供じみた言い訳』となじるのは、子供たちに失礼か。一握りとはいえ、教壇には〝大人の免許〟を返すべき人もいる」

 「何を学べばそのような指導になるのか」とコラム氏は疑問・不信を呈しています。この教師はおそらく、先輩教師の指導や教育委員会作成のマニュアルに従ったのではなかったか。「励ますつもり」といえば許されるという認識があったし、この「イジメ」が、教委も含めて一年近くも放置されていたという事実がそれを示しています。教師は大人で、児童は幼稚という、なんの役にもたたない常識(尺度)が罷り通っている集団だったことは間違いないでしょう。一人の子どもが執拗な「いじめ」を受けているのを、誰一人止めようとしない集団の姿は、まさにこの社会のいたるところで見られる現実です。「見て見ぬふり」「余計な節介はしない」「触らぬ神に祟(たた)りなし」「自分には関係ないこと」、このような「嫌な流儀」は大人にも子どもにも共通しているのです。「自分さえよければ」という利己主義は、子どもにもあるし、大人にもある、つまりは誰にだって、人間ならそんな「エゴイズム」に齧(かぶ)れているのでしょう。そこを「矯める」仕事こそが学校教育のよくなしうる仕事であって、点取教育・偏差値偏重教育は「イジメ促進教育」だと、どうして関係者は気が付かないか。ぼくには笑うべきことだけれど、そんな学校の餌食になる子どもが後を絶たないのだから、苦悶が止まらなのです。

 奈良県の一つの小学校に起こった「イジメ事件」は、どこの学校でも起こりうるということを明らかにしています。そこには紛れもない、現実社会に蔓延(はびこ)っている「優勝劣敗」を核とする「価値観」に毒されている、ぼくたちの「現在」がある。願わくば、この「毒素」をこそ除去する「解毒教育」が何よりも望まれるのではないですか。もっと単純化して言うなら、「私よ、注意深い人間になれ !」「Pay attention !」と、自らに言い続けられる人間をこそ、です。よく考えることができる人は「思慮深い」人のこと。他者の気持ちを慮(おもんぱかれ)れる人間のことです。thoughfulという語意に「思いやるのある」「やさしい」という注目すべきニュアンスがあります。深く考えられる人間になりたいね。

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(続報) 「自殺ほのめかしたノートに”花マル” 女児語ったいじめの実態…調査は9か月放置 「花丸を頼まれた」と担任主張、女児は「言ってない」「学校側が『いじめ重大事態』と認定したのは、両親が訴え始めてから約9か月たった後だった。奈良市の小学校で起きたいじめ問題。放置されたいじめの実態や学校の対応について、被害児童がカメラの前で初めて明かした」MBSNEWS・23/12/09 07:00:https://www.mbs.jp/news/feature/scoop/article/2023/12/098017.shtml]

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dogen3

▶この国には「政治」はなく、「政局」ばかり。議会制民主主義の筋をいうなら、現に政権交替がなされて当然の事態にあるとみられるが、弱小を含めた各政党は頽廃の現実を大肯定、かつ心底からの保守頑迷固陋主義派。大同団結といかぬのは「党利党略」が何よりの根本義だとされる故。何が悲しくて「政治」を志し、「政治家」を名乗るかよ。世界の笑いものになるのではない、定見のない「八方美人」には、誰も振り向かないという事実に気がつかないのだ。(2025/04/02)