緊急事態はどこにあるのか

 いま現在、アメリカには強烈な順応主義がはびこっています。九月十一日の攻撃の成功に、人びとは驚愕し、衝撃を受け、怯えています。最初の反応は結束すること(列を引き締める[close ranks]いう軍隊用語を想起させる)、そして愛国心の再認。あたかも、あの攻撃により、愛国心に自信がもてなくなったかのように。国じゅうが国旗に覆われています。アパートや家の窓から国旗が垂れ、店やレストランの表に国旗が掲げられ、クレーンやトラックにも、カーラジオのアンテナにも国旗がたなびいています。アメリカの伝統的な暇つぶしだった大統領(それが誰であれ)の揶揄も、愛国心にもとると決めつけられるようになりました。

 何人かのジャーナリストが新聞や雑誌から解雇され、ごく穏やかな批判的見解(攻撃当日のブッシュの謎の失踪に疑問を投げかける、など)を授業で述べただけで、公に譴責を受けた大学教師もいました。検閲のなかでももっとも重大にして効果のある自己検閲がそこここで行われています。討論を展開すれば意見の相違と同一視され、さらに意見の相違は忠誠心がないものと決めつけられます。この新たな、先の見えない緊急事態では、従来のさまざまな自由の保障は「贅沢」かもしれない、という思いがひろがっています。世論調査によると、ブッシュの「人気度」は九十パーセントを超えそうですが、旧ソ連型の独裁体制の指導者たちの支持率にほぼ近い数字です。(スーザン・ソンタグ『この時代に想う テロへの眼差し』木幡和枝訳、NTT出版刊、2002年 In Our Time, In this Moment) 

9.11後のアメリカの恐怖を感じさせる「順応主義」についてのソンタグ(Susan Sontag 1933-2004)の発言です。

 アメリカのことはともかく、こちら側でも「愛国心」の押し売りが始まっています。「お国のために命を投げ出すことができる人間を作る」そんな教育をするためにこそ、教育基本法を改正するんだといわぬばかりです。二十年前の話です。

 おりしも、この島では教育基本法「改正」問題が論議を呼んでいました。(2006年12月、ABE内閣(一次)時に改正)

 《自民党と公明党は全面改正の「基本法」案分の調整を進めています。「国を愛する心」の表現は、自民が「伝統文化を尊重し、郷土と国を愛し、国際社会の平和と発展に寄与する態度の涵養」とした。一方の公明は、自民の「郷土と国を愛し」の部分を「郷土と国を大切にし」とする案まで譲歩した》(朝日新聞・04/06/10)

貴重な読書経験をしました

 ゴミみたいな話ですね、「愛する」と「大切にする」とにどんなちがいがあるんですか。汚く言えば、「目くそ鼻くそ」。どっちにしても、どうあってもこの文句(「愛国心」といわれるもの)を「基本法」に書き加えたいというのですね。

 この島の「指導者」は米国の後塵を拝するのを国是(正確には島是)にしてきたし、いまはもっと後塵を吸引すらしているのです。「感染」もまた政治なんだ。ブッシュジュニアに尾を振った総理がいました。

 そして、今現在の状況です。ソンダク指摘するところの「体制順応主義」がはびこっているのは彼の国、彼の地だけではない。ほぼあらゆる問題について、わたしたちの社会(島)でも、多くの人はじつに従順です。異論を唱えながらも、従順なんだな。「この受け身の姿勢は、リベラルな資本主義と消費社会の勝利の当然の結果なのかもしれません」(ソンタグ)

 そういえば、アメリカには二大政党があるといわれているけど、「この二大政党はじつは同一の党の二派」なんですね。イギリスもご同様。この島のいくたびかの総選挙で、「二大政党の時代、政権交代の可能な政党政治」がさけばれましたが、なんのことはない、同一政党の二つの派閥にすぎなかったというわけ。それは今に至ってじつに明らかですね。

 現下の「コロナ禍」問題では、何を血迷ったかといいたいほどに、「要人」どもは人民を煽りに煽っています。敷島の東西南北、まことに危機意識過同調強制のオンパレードです。この問題が発生した当座、心配はいらない、大事なのは「正しく恐れる」なのだとしたり顔でノタマッテいたお歴々が形相も凄まじく「緊急事態宣言を」、「バカ殿、決断なされ」と。ロックダウンだのオーバーシュートだのと騒ぎに騒いでいるうからやからの胸の内こそが「緊急事態」じゃないか。「正しく」でも「正しくなくても」でもかまわない、恐れる必要はない。恐れるべきは、この機に便乗して人民の心や情緒を蹂躙する輩の赦しがたい姦計なんだ。誠実を装う不誠実が横行している。 

 いよいよ異論も討論も許されない雰囲気が劣島に充満しかかっています。「大本営」発表を露疑わないという、この愚愚愚。旧来式のme-tooism(右に倣えば、怖くないね)という無責任な風潮を断ち切れるか。一人ひとりが自主性かつ自守性を奪われないようにしたい。都都逸には「毒」があるんですね。でも高熱も咳も伴いませんし、肺炎なんぞにはまず無関係ですね。いいとこrは、精神の気概を保ち、かつ伸ばしてくれる点です。

 嫌なお方の親切よりも 好いたお方の無理が良い

 野暮で渡れる世間じゃないが 粋で暮らせる世でもない

投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)