老いてなお浮雲の愁いおお五月

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 昨夜来の雨が降り続いています。時には雨脚も強く、とても肌寒い日となりそうです。

 本日は五月朔日、「メーデー(May Day)」の日、Rainy May Day でもあります。近年は、5月1日に「メーデー」を実施しない組合がとても多くなりました。なかなか、参加者の都合がつかないのかもしれません。「高度経済成長」時代(1955~1973頃)を経験したものには、組織内組合の存在は一面では頼もしくもあったでしょう。企業・会社ごとに組合があり、そこへの加入は随意であったり、全員加入であったり。よく言われる「終身雇用」「年功序列」「組織内組合」は、経済成長期の企業にとっては不可欠の労働環境維持のための要素でもありました。ぼくは、40代で、ある地区の連合組織(加入者総数は一万人を超えていたように記憶している)の(名ばかりの)代表をさせられた関係もあって、何度かメーデーには参加行進しました。当時から、すでに「連合組織は分劣」しており、政党支持別の行進や集会が年中行事となっていた。これは「原水爆反対・禁止運動」も同じようでしたね。今日では、5月1日の当日に「行進」や「全体集会」を開くとは限らくなり、また、時には政権与党(首相)も一方の集会に参加、挨拶するという、日本社会の「政経連携」の変貌ぶりもみせています。「イデオロギー時代」の様変わり、あるいは終焉ということでしょう。また、近年は組織への加入者(組織率)も急減しており、日本社会の変貌の一面を見せているともいえそうです。

◎ メーデー(May day)= 労働者の国際的祝日である5月1日。発祥の地はアメリカで,1884年アメリカ全土の労働組合,各種団体が8時間労働制の要求を掲げ,毎年5月1日にゼネストを決行することを決定し,86年その第1回行動を起したことに始る。第2インターナショナルは 89年の創立大会においてこれを記念し,毎年5月1日をもって8時間労働制の制定獲得に向けた国際的闘争日とし,90年には第1回国際メーデーがヨーロッパ,アメリカの各工業都市で開催された。こうしてメーデーは,その後各国で毎年行われるようになった。日本では 1920 (大正9) 年の第1回から 35年まで続いたが,政府の禁止にあって中断,第2次世界大戦後の 46年に復活し,大規模なものとなった。 52年講和発効直後のメーデーは,政府が皇居前広場の使用を禁止,一部デモ隊が広場へ行進して警官隊と衝突しメーデー事件を引起した。今日では闘争日というよりも,労働者の祝祭日として定着している。(ブリタニカ国際大百科事典)

 ともかく「風薫る五月」、あるいは「新緑の季節」などなど、初夏を思わせる陽気に誘われて人々の気分も解放された感があるのでしょうか。「五月」を含んだ熟語も、他の月よりは目につくのも、それまでの人々の重々しい気分が癒される季節ということも手伝っているのでしょう。五月雨(さみだれ)、五月躑躅(さつきつつじ)、五月鯉(さつきごい)等々、限りなく自然に向かって心が広がる様子が感じられるのです。付近の家々には「屋根より高い鯉のぼり」が空高く泳いでおり、その近くには躑躅(つつじ)や皐月(さつき)、あるいはその他の季節の花々が一斉に咲き出しています。初夏を思わせる季節に、俳人は、腕ならぬ能力・創作力を振るって、作句に勤しまれてきました。無量の秀句、名句がありますが、ぼくの好みを言わせてもらえれば、今回はほんの一、二句に限られます。挙げればきりもないので。

 ここでは、ほんの数句のみを。まずは、遥かの昔の「江戸」「東京」の情緒を屋並み(甍・いらか)に乗せて詠んだ、ぼくの好きな一句です。「深川や低き家並のさつき空」(荷風) これまでにも何度か、荷風さんは、この駄文録でも紹介していますが、荷風の作品は、なかなかに興味がありますね。その生き方の流儀も独特の「こだわり」「斜面」を持っていた文人・学者であった人。今でいう「都会の仙人」風の、意固地を貫き通したような生涯でしたね。この句は、案に相違して、とても「素直」ではないでしょうか。何かいいことがあったのかもしれません、荷風さん。

 次いで、表題句に揚げておいた伊藤信吉さんの「老いてなお浮雲の愁いおお五月」、今の年代のぼくにもピタリと符合する心持ちではないかと思ってみたりしています。この句は逝去二年前、つまるところは93歳の折の作だという。驚嘆すべき「浮雲の愁い」でしたね。この「愁い」は「悲しみ」と素直に受け止めたい。「浮雲」は、文字通り「空に浮かぶ雲」であり、「 定まる気配のない頼りなさ」を指すとするなら、俳人・詩人はさらに何かを求めて歩かれようとしていたと想像されます。この年齢にして、なお「浮雲のような、定まることのない悲しみ」に伊藤さんは襲われておられたが、なにも心配するな、「おお五月」と自らをも鼓舞されているかに見えるからです。伊藤さんは前橋の人で、萩原朔太郎に師事、とても波乱に富んだ人生を生きられた人としてぼくには忘れられない存在でした。                               

 (⁂ 伊藤信吉の詩「語り継ぐ八月」戦争考:土取利行(朗読・演奏))(https://www.youtube.com/watch?v=QOud4OTO8vo

◎ 伊藤信吉(いとうしんきち)(1906―2002)= 評論家、詩人。群馬県生まれ。高等小学校卒業。同郷の詩人萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)の知遇を得て生涯の師とする。初めアナキズムの影響を強く受けたが、のちマルクス主義に移りナップ系の代表詩人となった。階級意識を叙情的に歌い上げた詩集『故郷(こきょう)』(1933)を刊行。1932年(昭和7)の検挙後、長く詩作から遠ざかり、文芸評論、詩論、詩研究など多方面に活躍。1976年、70歳で第2詩集『上州』を刊行。評論集『島崎藤村の文学』(1936)、『現代詩の鑑賞』上下(1952、1954)、『高村光太郎』(1958)、『ユートピア紀行』(1974)、『天下末年』(1977)、『風や天』(1979)、『監獄裏の詩人たち』(1996)、『老世紀界隈で』(2001)ほか多数の著書がある。萩原朔太郎の研究でも知られ、全集の編集に数度携わった。(日本大百科全書ニッポニカ)

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 この時期、長い冬の間にも休まず芽吹きや開花を準備してきた花々・木々がそれぞれの表情をすっかり見せてくれる季節でもあります。どんな植物が好きと訊かれても、一概には言えません。それほどに多くの植物が万緑(ばんりょく)のもと、開花・結実を示してくれる。これこそ「文化(カルチャー)」と叫びたくなるような一瞬ですね、ぼくには。ここでいう「文化(culture)」とは耕筰であり、栽培であり、自然環境への人間の働きかけ(世話や手入れなど)を指しています。野菜の種を蒔いて、いろいろな手間を加えて、「収穫」を得るという、一連の作業こそが、「文化」の原義でした。ぼくは「教育は文化だ」と叫び続けていたのも、一人の人間の成長(生育)(修養)が、多くの他者の働きかけによってなされる「栽培」行為によく似ているからだという思いでした。「きゅうり」の種をまいて「なすび」の実を収穫することはできないし、リンゴの樹を切って「机」や「椅子」に作り替えることは「文化」の名で呼べる行為ではないでしょう。それぞれの素質(qualities)が実を結ぶことであって、文化(素質)の方向は定められているのです。人間にも変わらないところがありませんか。

 この季節、何か好きな花や木を選べと言われれば、大袈裟でなく、ぼくは立ち往生しますね。「みんな好き」というほかありません。そしてそれでなお、何が、特にいいかと詰問されると、ぼくはおもむろに「ハナミズキ」というばかりです。「くれなゐの影淡くゆれ花水木」( 小島花枝作)当地に越して来た時、ぼくはささやかな「耕作」(「植木」)をしました。小さな「苗木」を購入して、植木屋さんになったのでした。その中で、どうしても植えたかったのが「ハナミズキ(花水木」)だった。転居前住まいの狭い庭には、それこそ満員電車のような込み入った状態で、花木を植栽していましたので、今度は失敗しないようにと、植木の選定から始めました。そしてなぜだったか、「ハナミズキ」を選ばなかったのが、今頃になって残念という気になるのです。それでも、近くの雑木林や他人の庭などで「花影」を見かけるだけで、その姿にぼくは見惚れてしまう。

⁂ 一青窈 – ハナミズキhttps://www.youtube.com/watch?v=TngUo1gDNOg&list=RDTngUo1gDNOg&start_radio=1

《「一青窈(ヒトトヨウ)『ハナミズキ』 他者の幸せ、祈りが昇華 きっかけは9.11 「ハナミズキ」は、13(2001)年に米中枢同時テロが発生したとき、現地に住む男性の友人と彼の恋人の幸せを願い、作詞した。この友人は、一青が慶応大学環境情報学部に在籍中、同じアカペラサークルに所属していた。/「友人が巻き込まれた米中枢同時テロは身近な戦いだ、と感じられました。(世界貿易センタービルのタワーが崩壊していく)衝撃的な映像を見て約20分で歌詞を書きました」。きっかけは「友人と友人の好きな人の幸せを願う気持ち」だったが、「自分以外の他者の幸せを祈る気持ちが連鎖していけば、憎悪による戦争の鎖が断ちきれるのでは、と思って書き上げました」。/今年は米国から日本への「ハナミズキ寄贈100周年」。この機にカバー曲の制作を決めた。この曲に込められた他者の幸せを願う気持ちは「母の子供に対する無償の愛の目線に似ている」とも指摘する。自身は「ラジオで音楽を聴きながら料理を作ってくれた母から『無償の愛』を感じて育ちました。歌謡曲を好きになったのは母のおかげ」とほほ笑む。その母は、一青が高校生のときに他界。台湾人の父も一青が小学生のときに死去した。一青は今秋、出産予定で、もうすぐ母になる」(後略)》(産経新聞・2015/7/24 11:18》

 全くの個人的関心から、彼女の曲を聞き出しました。「一青(ひとと)」は、ぼくの生まれた能登中島の一地名でした。そこに足を運んだことはありませんが、隣組という気やすい思いで、この「ハナミズキ」に引き寄せられた次第。彼女の母親はこの「一青」出身の人だったという。そして、より大事なことで、この「ハナミズキ」には「歴史(9.11の惨禍)」がはっきりと刻印されている、その意味でぼくは本当によく聴いていました。(これを書いている今も、曲は、狭い部屋の「天井を押し上げるように」流れています)

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 (ヘッダー写真は「【ロンドン共同】正体不明の芸樹家バンクシーは4月30日までに、ロンドン中心部に新作の大型彫像を設置した。右手に旗を持って歩くスーツ姿の人がかたどられ、はためいた旗で顔全体が覆われているように見える。どのようなメッセージかは不明。バンクシーは壁面に絵を描くことが多く、彫像作品は珍しい。/トラファルガー広場とバッキンガム宮殿の間に設置され、30日午後には多くの人が見物に集まった。首相官邸にも近く、議会の方向を向いている。/バンクシーは30日、インスタグラムに彫像の動画を投稿。英メディアによると、バンクシーは2004年にロダンの「考える人」に似せた彫像を設置したことがあったが、すぐに盗まれた」(ゲッティ=共同))(共同通信・2026年05月01日 03時42分)

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