
本日から6月(水無月)。はや一年の半分に手が届きました。毎日毎夜、物価高騰だ、イラン侵攻だ、円安だ、株高だなどと、ある意味では自分で如何とも仕方のない事柄に振り回され、その挙句になけなしの生活費が日々刻々値打ちを下げている始末。こんな筈ではなかったというつもりもなく、いかなることも起こるだろうと腹をくくって生きている覚悟(というほどのものではない)。それでも、なにくれとなく、言わないつもりの「愚痴(complaints)」が零(こぼ)れそうになります。弱いものですね。
あれこれとやらない理由を重ねて先延ばしにしていた庭の手入れ。昨日は暑いさなかに、どんな風の吹き回しか、2~3時間、除草と剪定とで、本当に久しぶりに汗をかきました。その荒れ具合は前から気になっていた。垣根の樹木は驚くほど伸びているし、枝がやたらにあちこちに重なり合って絡んでいました。満天星(どうだん)の剪定は何年ぶりでしょうか。余りにも高く、幅広に伸びているので、思い切り剪定したが、作業はまだ半分ほどは残っています。梅雨入り前に何とか手入れをと頭では考えていたものの、ヴァーチャル剪定では小枝一本切り落とせないんですね。もう間もなく梅雨入りかと思いきや、その先鞭をつけようとでもするような按配で台風六号が、来週半ばに劣島を縦断しそうな雰囲気です。ここまでは昨日の話。

今朝、2時過ぎに廊下で何やら音がする、その気配で起き出した。。暗闇で事情が分からない。やがて連れ合いの唸り声が聞こえてきた。たぶん、トイレに行こうとしてだろうか、トイレ前の廊下で倒れていた。おなか辺りを触って「ああ、痛い」と唸っている。冷や汗も出ているという。一瞬、「119番か」と思ったが、いましばらく様子を見ようと、そのまま廊下に横になっていた。頭(脳内血管)をやられたのでも、心臓発作でもなさそうと判断。しばらく経過を見たうえで、抱きかかえて「ベッド」に運んだ。体重が何キロ(たぶん50㌔余り)あるか知らないが、とてもではないが抱き上げられなかった。ぼく自身も老衰が著しいと、飛んだおまけがついてしまった。ともかく、様子を見ながら、ぼくは猫の世話もしなければならず、3時からつい先ほどまで(午前4時)、何とか落ち着いて眠っているようだ。さて、この後、どうするるか。多分、急性の腹膜炎か腸の不具合か、ぼくの直感では「胆石」、いや、たぶん「腎臓結石」ですね、これは息がつまるほど痛いし苦しいのだ。直ちに、命に別状はないとされるものです。なによりも早くに病院(診察)に行かねばならないと思案しているところ。彼女はこの災いには前歴があったのを思い出した。

昨日は、久しぶりの庭作業で、改めて隅々まで眺めました。見渡す限り「ドクダミ(蕺)」の野原です。ある時期まではドクダミは、その名前からして好きになれない草でしたが、いやいや、好き嫌いを言うものではないと思いなおして、時々、じっくりと眺めることを繰り返しているうちに、やや好ましく思えてきたのですから、不思議なものですね。それにしても、こんなに「ドクダミの苑」と化したのは初めて。それだけ、小生が庭作業を怠っている証拠でもあり、そのもとは「異常な高温続き」と「顕著な老衰」によると思うと、なんだか寂しくなりそうですね。連れ合いが廊下で倒れて唸っている際にも、いくつかの猫たちが心配そうに近寄り、顔を覗き込んでいました。お前さんが「自分勝手に衰えた」というのは自由だけれど、「この猫たちをどうするんだ」ということも、もちろん以前から気になりだしているのです。まだしばらくは、自分の足で立って歩いて、我が頭脳で物事を判断せねばならぬだろうと、老人流に、無理をしないで明け暮れを重ねるばかりと、腹を据えている。(本当は、ドクダミに関して駄弁ろうかと思っていたのですが、それはまた別の機会に)
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◎ ドクダミ(どくだみ / 蕺)[学] Houttuynia cordata Thunb.=ドクダミ科(APG分類:ドクダミ科)の多年草。特有の臭気がある。地下茎は白く、横走する。高さ20~50センチメートル。葉は互生し、心臓形または広卵形、裏面は紫色を帯びる。托葉(たくよう)は下部が葉柄と合着して鞘(しょう)状となる。花序は穂状で頂生し、基部には白色で花弁状の大きな包葉が4枚あり、全体が一つの花のようにみえる。他の包葉は線形で小さい。花は小さく、両性で花被(かひ)を欠く。雄しべは3本、花糸の下部は子房と合着する。雌しべは3枚の心皮からなり合生し、花柱は3本。子房の上端は果実期に裂開する。種子は多数。庭隅や木陰などの湿地に群生し、日本全土、および東南アジアからヒマラヤにかけて広く分布する。1属1種。包葉が多数あり全体が八重咲きの花に見えるものをヤエドクダミ(ヤエノドクダミ)といい、観賞用に栽培される。(↷)

薬用=日本では全草を十薬(じゅうやく)、重薬(じゅうやく)ともよび(中国では蕺菜(じゅうさい)、魚腥草(ぎょせいそう))、利尿、解熱、排膿(はいのう)、解毒の作用があるため、腫(は)れ物、高血圧症、肺壊疽(えそ)、肺結核、感冒、蓄膿症、痔(じ)、便秘などの治療に用いる。約0.005%含まれている精油には抗菌性、抗カビ性がある。また、ドクダミがもつ特異な臭(にお)いはデカノイルアセトアルデヒド、ラウルアルデヒドによる。なお、十薬の名は、ドクダミでウマを飼育すると、10種の薬に相当する効果があることから生まれたという。(日本大百科全書ニッポニカ)
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月替わりの印に、あらかじめ考えていたのは「折節の移り変はるこそ」ということでした。季節の境目がなくなり、四季の折々が消えてしまったような今日、いつものように兼好氏に立ち戻ろうとしていたのでした。これもまた、日を改めてと思い直し、今日は深入りしません。それにしても、兼好さんは70歳くらいで一期を終えたとされますから、ぼくは彼より十歳以上も年長さんだと考えると、実に妙な気がします。新聞もテレビもラジオもない時代、日常の段取りはいかようにして付けていたのでしょうか。
「青葉に成り行くまで、万(よろづ)にただ、心をのみぞ悩ます」と述べているが、いったい何が悩みの種だったのでしょうか。立身出世だった、あるいは「恋愛」だったか。というのは「下種の勘繰り」かもしれません。「六月の頃、あやしき(貧しい・粗末な)家に、ドクダミの満艦飾が目に迫り、蚊取り線香を焚くのもまた「哀れなり」と、兼好さんに倣って言ってみたくなる。

折節の移り変はるこそ、物毎にあはれなれ。
「物哀れは秋こそ勝れ」と、人毎に言ふめれど、それも然る物にて、今一際、心浮き立つ物は、春の気色にこそあめれ。鳥の声などもの、殊の外に春めきて、長閑(のどやか)なる日影に、根の草萌え出づる頃より、やや春深く、霞み渡りて、花も漸(やうや)う気色(けしき)立つ程こそ有れ、折しも雨・風、心慌ただしく散り過ぎぬ。青葉に成り行くまで、万(よろづ)にただ、心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそ負へれ、猶、梅の匂ひにぞ、古(いにしへ)の事も立ち返り、恋しう思ひ出でらるる。山吹の清げに、藤の覚束(おぼつか)無き様したる、すべて、思ひ捨て難(がた)き事、多し。
「灌仏の頃、祭の頃、若葉の、梢涼しげに茂りゆく程こそ、世の哀れも、人の恋しさも増され」と、人の仰(おほ)せられしこそ、げに然る物なれ。五月(さつき)、菖蒲(あやめ)葺く頃、早苗取る頃、水鶏(くいな)の叩くなど、心細からぬかは。六月(みなづき)の頃、あやしき家に、夕顔の白く見えて、蚊遣火(かやりび)ふすぶるも、哀れなり。六月祓(みなづきばらえ)、また、をかし。(「徒然草 第十九段」)
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というわけで、現内閣と政権与党、加えて翼賛政党や右へ倣(なら)えへのメディア界隈の現状を見るに、頓(とみ)に、この国の崩壊過程が、節穴のごとき我が目にも明らかになりましたので、この問題を少しばかりと、本日は主題替えをした次第です。常日頃何かと報道機関などにも批判や非難を遠慮しないのも、「あのとき、君はなにをしていたのだ」と、後に自らの不甲斐なさを嘆きたくないからでした。きっかけは、京都のD高等学校の沖縄修学旅行の際の「平和学習」問題を槍玉にあげた、文科大臣の「是正勧告」の発出にありました。ある歴史家に言わせれば(言わせなくとも)、昭和前期が戦争の連続という、とんでもない「時代」になったのは、マスメディが時の権力に対していうべきことを言わなかった、それに歩調を合わせて国民も沈黙(暗黙)の賛同・賛意を与えたからだったといわれた。まことにその通り。
政権の座にある首相自身が「激しく腐敗している」と、どうしてメディアは指摘しないのか。この国の政治の頭目(とうもく・ずもく)が腐っているのですから、後は推して知るべし。汚い手段を駆使して権力を盗んだとさえ言いたいような、そんな不穏当な人間の、悪漢に勝る振る舞いをなぜ指摘・糾弾しないのでしょうか。一私立高校の事件と事故を「奇貨」として、沖縄の現政権反対せ力を叩き、ここぞとばかりに権力は嵩(かさ)にかかって、国体(国柄)を前面に突き出してきました。令和版「治安維持法」が生み出される前夜ではないかとさえぼくは見ている。本日は、その問題指摘の第一段階です。
とても珍しいことですが、文科省のD高等学校に対する「教育基本法違法認定」をめぐって、多くの地方紙が問題の所在を指摘しています。おそらく、この文科省の「不当介入」が「蟻の一穴」となるのではと、ぼくは危惧している。敗戦後のこの国の体制は脆(もろ)くもあり(特に七年に及ぶ「占領時代」は特に)、他人・他国任せでもあったことは事実でしょう。だからここに「蟻の一穴」を持ち出すのは不当だという気もしますが、何とか憲法の平和主義原則を守って、苦心惨憺(くしんさんたん)してここまで来たという思いがぼくにはありますので、あえて「蟻の一穴」と言った次第です。「千丈の堤も蟻の一穴より崩れる=千丈もある堅固な堤も、小さなアリの穴がもとでくずれることもある。小さな誤りやわずかな油断がもとで、大事をひきおこしたり失敗したりすることがあるというたとえ」(ことわざを知る辞典)もう方々で、小さな「穴」が崩れているという現実があります。権力覆う某、籠を黙って見過ごし国民があるので粗油かといえば、「天から唾」が落ちてくるでしょう。

以下に、この問題に関する各紙の【社説】に類する記事をいくつか紹介しておきます。どうして、この「平和学習」を踏みにじろうとするのか。「辺野古基地建設」(完成することは見込まれていない。米軍でさえ、それを望んでいないのだ)に反対する「勢力」を潰したいのに、それらしい大義名分がないからの「蟻の一穴」だったことは明らかです。多分、「辺野古埋め立て」は終わりのない「公共事業」ですね。
【社説】「教育の萎縮が懸念される」(北海道新聞・2026/05/26)(https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1316387/) 【社説】「平和学習の萎縮、招かないか」(中國新聞・2026/05/29】(https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/838518) 【社説】「辺野古での学習 文科省の違法認定を憂慮」(西日本新聞・2026/05/30)(https://www.nishinippon.co.jp/item/1498100/) 【社説】「辺野古平和学習 違法認定 踏み込み過ぎだ」(徳島新聞・2026/05/30)(https://www.topics.or.jp/articles/-/1438386)
(参考までに東京新聞の「ぎろんの森」二題も)

〈ぎろんの森〉「茶色の朝」迎えぬために
政府のインテリジェンス(情報の収集・分析)機能の司令塔を担う国家情報会議の創設法が成立しました。同会議は首相を議長とし、内閣情報調査室を格上げした国家情報局が警察や自衛隊などの情報集約権限を持つ内容です。/しかし、国会審議では政府側から現行法で対応困難な事例は示されず、情報・治安機関が市民への監視を強める懸念は残されたままです。
東京新聞は28日社説「国家情報会議 市民の監視強まる懸念」で「収集される情報範囲に制限はなく、活動に対する民主的な統制も欠ける。権力の乱用を許さない市民による監視を強めなければならない」と訴えました。/見過ごせないのは、これが「スパイ防止法」制定の第一歩であり、高市早苗政権が今後、国外で諜報(ちょうほう)活動を行う対外情報庁と情報要員育成機関の新設に向けた検討を加速させる方針だということです。/自民党は、日本の国旗を損壊する行為を処罰する国旗損壊罪を新設する法案も検討しています。高市氏は「国論を二分する政策」の実現を急いで進めている印象です。
社説で以前、フランス作家の寓話(ぐうわ)「茶色の朝」を紹介したことがあります。仏大統領選で極右政党が台頭した2002年にベストセラーとなり、邦訳(大月書店、藤本一勇訳)も出版されています。あらすじを紹介します。
「茶色党」が「茶色」以外の犬猫を飼うことを禁じる特措法を定めます。批判した新聞は廃刊になりますが、主人公は茶色に守られた生活に安心を覚えるようになります。/しかし、茶色以外の犬猫を「前に」飼っていたことも犯罪に。友人が連行され、主人公は最初の特措法から警戒すべきだったと眠れぬ夜を過ごし、陽(ひ)がまだ昇らぬ朝早く、ドアを強くたたく音が…。
この寓話から読み取るべきは、危うい兆候があっても、不自由を感じないからといって見過ごし、声を上げずにいると、自由な言論はやがて封殺され、全体主義の台頭を許すということです。茶色はナチスを想起させます。ナチス台頭もユダヤ人虐殺も深刻化したのは、危険な兆候を見過ごしたことが始まりです。
東京新聞は政権の危うい兆候を見逃さず、社説や報道で問題点を指摘し続けます。自由のない「茶色の朝」を迎えないためにも。 (と)(東京新聞・2026/05/30)
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おそらく、現政権は、この国を「先祖返り」させたいと心底思っているのでしょう。その先祖は、まさか神武天皇の時代(神話)ではないことは確か。ありていに言えば、「大日本帝国憲法」体制時代、への帰属です。明治半ば頃。以来、この百五十年は、開国早々から「他国侵略」と「戦争」に明け暮れていた時代でした。なぜだか、その「戦争時代」に帰りたいというのですから、不穏当も甚だしいというべきでしょう。ぼくは、しばしば駄文で書いているように「食料自給率」はどれくらいあるのか、石油をはじめとする資源は自前で調達できるのか。「仮想敵国」と想定している国との貿易(輸出入)は他国をしのいでいる現状に照らして、そんな国と「一戦を交える」というのは「狂気の沙汰(utter madness)」というほかありません。その際、この国の経済はどうなるんですか。丸裸で、「戦争できる国」にしようという、その軽薄な根性をこそ、メディは批判すべきでしょう。「大政翼賛会」というのは表向きであって、その内実は「自己主張」の固まり連中の「付和雷同」だとぼくは見る。「挙国一致(そんなことはあり得ない話ですが)」という歴史的事実を知らないものばかりではないでしょうか。(右写真は「2020年12月に100歳の誕生日を迎え、今も現役で制作を続けている洋画家の野見山暁治さん」=東京都練馬区で:木口慎子撮影)

<ぎろんの森>戦争の臭いがしたら、戻れ 岸田政権が防衛装備品の輸出拡大に向けた協議を本格化させています。自民党は殺傷能力のある武器の輸出解禁を目指しています。実現すれば昨年来の敵基地攻撃能力の保有や防衛予算倍増に続く安全保障政策の抜本的転換です。 東京新聞は六月二十九日社説「殺傷武器の輸出 『禁止』原則を守り抜け」で「武器輸出は現行憲法の下、厳しく制限してきた経緯がある」「軍事偏重が憲法の平和主義や専守防衛に合致するとは思えない。殺傷武器の輸出は国際紛争を助長しかねず、民生支援に徹してきた平和国家の歩みに対する国際的な信頼も失いかねない」と主張しました。 読者から「知らぬ間に日本が戦争できる国にさせられていくのではないかと近ごろ感じる。防衛費を増やすことも未来の子どもたちのことを本気で考えているようには思えない」「武器輸出は戦後日本の歩みの大転換で、世界の国々からまた軍国主義の復活かと恐れられかねない。一切の武器の輸出に反対する」との意見が届いています。/私たち論説室はこうした思いをしっかり受け止め、読者の皆さんとともに平和国家としての歩みの大切さを訴え続けたいと考えています。 戦争のきな臭さが増す中、洋画家の野見山暁治(のみやまぎょうじ)さん=写真=が百二歳で亡くなりました。晩年まで画業を重ねる一方、出征した自らの経験を踏まえ戦没した画学生の作品調査、収集に努め、作家の窪島誠一郎(くぼしませいいちろう)さんが戦没画学生の作品を展示する「無言館」を長野県上田市に開くきっかけになりました。 集団的自衛権の行使を可能にする安保関連法が施行された二〇一六年三月の社説で紹介した窪島さんの言葉がよみがえり、胸を離れません。/「日本は一センチでも戦争に近寄ってはいけない国だ。角を曲がって戦争の臭いがしたら、戻ってこなければいけない。このままほっておけば『無言館』がもう一つ増える時代がやってくる」/安保関連法施行から七年。無言館を増やさないためにも平和憲法という原点に戻らなければならないと、東京新聞は主張し続けます。(と)(東京新聞・2023年7月1日)
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野見山暁治さん死去 戦没画学生の遺作に光、美術界を先導 102歳 抽象性の高い伸びやかな画風で戦後の美術界を先導し、戦没画学生の遺作に光を当てたことでも知られる文化勲章受章者の画家、野見山暁治(のみやま・ぎょうじ)さんが22日、心不全のため福岡市の病院で死去した。102歳だった。葬儀は近親者で営んだ。後日、東京と福岡でお別れの会を開く予定。/福岡県の炭鉱地帯、嘉穂郡穂波村(現飯塚市)で生まれた。1943年に東京美術学校(現東京芸術大)油画科を繰り上げ卒業し、中国東北部へ出征。病気で内地送還され、終戦を迎えた。/戦後、自由美術家協会に参加(64年退会)。52年に渡仏し、64年までパリなどで制作した。58年に「岩上の人」で具象画家の登竜門だった第2回安井賞を受賞。渡仏中に水墨画など東洋の美への関心をもち、風景などをもとに、色と形が溶け合うような抽象性の高い画風へと変化した。/帰国後、自宅のある東京のほか、福岡の海沿いにアトリエをもち、空や海、風など、うつろう自然と向き合って制作を続けた。東京国立近代美術館など、各地の美術館で大規模個展が何度も開かれた。(↷)

戦争体験から、戦没画学生の遺族を回って遺作を集めた画集「祈りの画集 戦没画学生の記録」(共著)を77年に刊行。その遺作を展示する美術館「無言館」(長野県上田市)の設立に、作家の窪島誠一郎さんとともに尽力した。 /東京芸術大教授などとして多くの後進を育てた。東京芸大名誉教授。00年に文化功労者、14年に文化勲章。/日本エッセイスト・クラブ賞の「四百字のデッサン」(78年)や自伝的エッセー「いつも日」(05年)などを出し、名文家としても知られた。/体調を崩し、今月8日から入院していた。(朝日新聞・2023年6月26日)(右写真「「無言館」第2展示館の起工式を終えた野見山暁治さん(右)と窪島誠一郎さん(左)=2007年、長野県上田市:朝日新聞・2023/06/26)
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