早苗とる手もとや昔しのぶ摺

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 新しい年度が始まりました。本日はエープリルフール(「四月馬鹿」)という、実にへんてこな慣習(歴史)を持つ特異日であります。ぼくは関心を持ったことはないけれど、いずれ、舶来の、それこそ長い歴史を持った習俗が本邦に輸入され、表面だけをなぞってこの社会に盛り込まれた「悪習」だったかもしれないとぼくは愚考している。この日だけは「嘘をついてもいい日」といわれるが(どうしてか、ぼくにはよくわからない)、何のことなのか、多くの人にとっては「毎日が四月一日」というわけで、その代表格は政治家でしょう。時も所も選ばず嘘をつく、実に見上げた「根性(たぬき)」だというほかありません。しかし、西洋下りの悪習ですから、なかなか地に着いた風はない、わかってみれば実に興ざめのものがほとんどだという感想しかぼくは持たないのです。

 ぼくが長年勤めていた学校の「入学式」は、明けても暮れてもというか、おそらく「開学」以来、四月一日挙行(虚構)だったでしょう。この日に、大きな会場で「新入生」を集めて、歴々が「祝辞」やら「挨拶」やら説教やらを語るのですが、日付が悪いですよね、とぼくはたった一人で、嘲笑っていた気がします。まず、そんな「儀式」には参加する気がしなかったから、後日配布される「挨拶集」で知って、よくも「嘘八百」を、とつくづく嘆かわしく思ったことでした。たぶん、世間に申し訳が立ちませんけれど、ぼくには愛校心も愛国心もないのか、あったとしたら、他人とはおそよかけ離れたものだったと思う。ひたすら、既成の体制に無条件降伏するのではなく、可笑しいことはおかしい、ダメなところはダメと、いつだって「批判」することを旨とするのですから、大方に受け入れられるとは思われませんでしたし、今ならなおさら、という感がします。

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◎ エープリル・フール(April fool)= 西洋では4月1日を万愚節All Fool’s Dayといい,この日にさまざまの軽いいたずらやまことしやかな〈うそ〉で他人をかついだり,むだ足をふませたりする風習がある。その日にだまされた人を四月ばかApril foolというので,一般にこの日を「四月ばかの日」「April Fool’s Day」とも呼んでいる。その起源について最も一般的な説は次のようである。すなわち,昔の新年は現行の暦の3月25日で,それから4月1日まで春分の祭りがひろくおこなわれ,その最後の日には贈物を交換するならわしであった。ところがフランスでは1564年にシャルル9世が新しい暦法を採用して,新年を現行の1月1日に改めたが,それが末端までとどかず,やはり4月1日が新年の祭りの最終日と考えられてその日贈物がかわされ,なかには新年のかわったことをよろこばぬ人々が,4月1日に昔の正月をしのび,でたらめな贈物をしたり新年の宴会のまねをしてふざけたのがおこりで,それがヨーロッパ各国にひろがったとみられている。/イギリスでは4月1日を祭る風習は古くからおこなわれていたが,それが万愚節になったのは17世紀の初めで,フランスから伝わったといわれる。さらに東洋起源説もあり,それによるとインドでは春分に仏教の説法がおこなわれ,それは3月31日に終わったが,信者はその説教の期間がすぎると修行のかいなくもとのもくあみにもどるので,3月31日を揶揄節(やゆせつ)とよんで,人を無用な使いに走らせておもしろがったのが起源といわれる。古い記録をみても,この日に他人をだますのに〈むなしい使い〉にだしたり,〈むだ歩き〉させたりした例が多い。キリストが4月初めにアンナス(祭司の長)からカヤパ(祭司の長)のところに,カヤパからピラト(ユダヤの総督)に,ピラトからヘロデ王に,ヘロデ王からふたたびピラトにもどされたので,そのキリスト受難の故事を記念して,他人をむだに歩かせるようになったとの説もある。/なおフランスでは四月ばかをポアソン・ダブリルPoisson d’avrilと呼んでいるが,これは〈4月の魚〉という意味でサバ(マクローmaquereau)をさしている。サバは4月になるとたくさん釣られ食料にされるので,4月1日にだまされる人を4月の魚というとする説や,4月になると太陽がうお座をはなれるので,それが起源だとの説もある。またマクローには誘拐者との意味もあり,4月は人をだます誘拐者が多い月であるから,その名がうまれたともいわれている。(改訂新版 世界大百科事典)

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 四月は旧称で「卯月(うづき)」という。体や心のどこかが「ひそかに痛む」、つまりは「疼(うず)く」季節だからという珍説があるのかどうか、その昔は「五月病」などといいましたけれど、近年では、一か月も早まって「四月病」と名称変更されたそうです。もちろん、「卯月」の由来は、そんな病的な臭い・匂いを持ってできたものではなく、まずは、この時期に咲くであろう「植物」、それが「卯木・空木(うつぎ)」なので、「卯の花の月」と呼びならわされてきたからだとされれます。そうかもしれないし、そうでないかもしれません。いずれにしても、ぼくは「卯の花」「空木・卯木」は大好きな樹木です。近所の空き地に、かなり古い「空木」があり、季節になると真っ白い小さな花をたくさん咲かせている。それをまた趣味人は「おから(豆乳や豆腐を作る際に出る大豆の縛り滓)」の煮物にたとえて「卯の花」などと洒落たともいわれる。

◎ 卯月(うづき)=陰暦4月の異称。この月になると卯の花が盛りになるので「卯の花月」といったのが、詰まって「卯月」となったとか、「う月」は「植月(うつき)」の意で、イネの種を植える月の意をもつ、というなどの説がある。この月より季節は夏に入り、衣更(ころもがえ)をした。また、この月の8日を「卯月八日」といって、この日には近くの高い山に登り、花を摘んで仏前に供えたりする行事があった。この日はまた釈迦(しゃか)の誕生日でもあり、灌仏会(かんぶつえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、花祭などといって、誕生仏を洗浴する儀式が行われ、甘茶などを仏像にかける風がある。参詣(さんけい)者はこの甘茶をもらって飲んだり、これで墨をすって、「千早振る卯月八日は吉日よかみさけ虫をせいばいぞする」と紙に書き、便所や台所に貼(は)って虫除(よ)けとする俗信があった。(日本百科大全書ニッポニカ)

うつ‐ぎ【▽空木/×卯木】=アジサイ科の落葉低木。山野に自生。幹の内部は中空で、よく分枝する。葉は卵形でとがり、縁に細かいぎざぎざがある。初夏、白い5弁花が群れ咲く。生け垣にしたり、木釘(きくぎ)や楊枝ようじを作る。うのはな。かきみぐさ。(デジタル大辞泉)◎ うつ‐ぎ【空木・卯木】〘 名詞 〙=① ( 茎が中空であるところから名づけられたという ) ユキノシタ科の落葉低木。各地の山野にふつうに生える。高さ一・五~三メートル。初夏、鐘形の白い五弁の花が円錐に集まって咲く。茎は中空。樹皮は淡褐色でうろこ状にはがれる。葉は対生し、先がとがった長卵形で、へりに浅い鋸歯(きょし)があり、裏には星状毛がある。実は球形でかたい。枝葉は煎じて黄疸(おうだん)の薬、せきの薬とする。材質はかたく、木釘とし、生垣や庭木としてもよく植えられる。卯月に咲くことから「うのはな」ともいう。かきみぐさ。ゆきみぐさ。(精選版日本国語大辞典) (ヘッダー写真も)

 この樹木を、「うつろぎ」「うつおぎ」とも呼んで、長く親しんできました。とても種類が多い木で、それぞれが鮮やかな葉と花を持つ。拙宅にも植えてあったはずですが、いつの間にか、姿が消えてしまいました。それとは対照的な、鮮やかな黄色の「レンギョウ」が今を盛りに咲いています。

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 「春は名のみの」と口ずさんだのは、つい先ごろ、今はすっかり装いも改まって「卯の花の匂う垣根に」と様変わりです。家のわきの竹林からはごくたまにしか聞こえてこない鶯(うぐいす)の声。深いところで、自然環境の壊れていく様相が感得できるのは、なんとも寂しい限りです。

 (この駄文を書いているのは4月1日、午前2時過ぎ。昨夜は早くに床に入ったので、猫に起こされ、1時過ぎにはパソコンの前にいます。先ほどから、庭先がやや異様な感じ(音)がしますので、覗いてみると、「アライグマ」のお出まし。おそらく毎晩のように拙宅の庭にやってきて、外の猫にやる「食餌」の器をひっくり返している。また、そのあとでは、猫の「水飲み用」にしている器をカランコロンと音をさせて、どこかへ運ぼうとしていました。タヌキ、アライグマ、キョン、イノシシ、そして蛇たち等々、先住民というのかもしれませんが、入れ代わり立ち代わり入り込んでは悪戯をしています。後から住みついたのは人間の方だという、自己認識だけは失いたくないと思っている)

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 新旧「田植え」考 早いところではすでに「田植え」が始まっているころでしょうか。小生の住んでいる地域ではおそらく「大型連休中」に早苗(玉苗とも)を植える作業が始まるようです。その昔の「田植え風景」を、少しばかりとはいえ、経験しているものとしては、今日の機械化は、驚異的な迅速さで、しかもきわめて少人数で行われるので、驚きを通り越して、ぼくが幼児期に見ていたものは別物の作業に思われてくる。農業を営む人にとって、「田植え」はそれこそ、一年を通して、最も重要な農作業で、それに纏(まつ)わるさまざまな行事が神妙に行われていたものでした。今はそれを語る場でもないので、そのことについてはここで止めます。

 「田植え」を愚考しようとして、どういうわけですか、にわかに「奥の細道」に心が向かってしまいましたので、そのくだりを少しばかりのぞいてみます。福島の豪商に旬日宿泊して、さて出立。「あさか沼」と「しのぶの里」のくだりです。以下に原文を。それにしても、およそ百年前までの「日本の田植え」は、それは見物(みもの)でしたね。ぼくは、能登半島の田舎で、本当に驚くほどの「田植え風景」を見たものでした。小学校に入る前から数年間でしたが、そして自分も実際に田んぼに入り、苗を運んだりしながら、「結(ゆい)」という共同労働の凄さを目に焼き付けていました。それを見て、後年になって、日本は別名(美称)、「豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちいほあきのみずほのくに)」だと知るようになった時の深い感動は今も僕の心身に残り続けています。この駄文の後半に出てきますが、その「瑞穂の国」が中国からは「倭の国」「倭国」と呼ばれたことに対する、ある種の反発がこの美称を生んだともいえるでしょう。

あさか沼 等窮(とうきゆう)が宅(たく)を出(いで)て五里斗(ばかり)、檜皮(ひわだ)の宿(しゆく)を離れてあさか山有あり。路(みち)より近し。此(この)あたり沼多(おほ)し。かつみ刈(か)る比(ころ)もやゝ近うなれば、いづれの草を花かつみとは云(い)ふぞと、人々に尋侍(たづねは)べれども、更(さら)に知人(しるひと)なし。沼を尋(たづ)ね、人にとひ、かつみ/\と尋(たづ)ねありきて、日は山の端(は)にかゝりぬ。二本松より右にきれて、黒塚の岩屋一見(いつけん)し、福嶋に宿(やど)る。
しのぶの里 あくればしのぶもぢ摺(ずり)の石を尋て忍(しのぶ)のさとに行く。遙か山陰の小里に、二石半(なかば)土に埋(うづも)れてあり。里の童の來たりて教へける。「昔は此の山の上に侍りしを、往來(ゆきき)の人の麥草(むぎくさ)をあらして此の石を試侍(こころみはべ)るをにくみて、此の谷につき落せば、石の面(おもて)下(した)ざまにふしたり」と云いふ。さもあるべき事にや。

早苗とる手もとや昔しのぶ摺 (「おくのほそ道」岩波文庫 青空文庫参照)

(「等躬の家を辞して二十キロほど、日和田の宿駅を少し行ったところに安積山がある。街道筋からはすぐの場所。この付近は沼が多い。今が「かつみ」を刈る季節に近いと思われたので、どの草を「かつみ」と言うのかと土地の人々に尋ねてみたが、これを知る人は皆無。「かつみかつみ」と聞き歩いて、ついに日は山の端にかかってしまった。二本松より右に曲がって黒塚の岩屋を見て、福島に投宿した。/翌日は、「みちのくのしのぶもぢずり誰ゆへにみだれんとおもふ我ならなくに」なる源融の歌で名高いもじ摺の石を訪ねて、忍ぶの里に行った。市街から遥かはなれた山かげの集落に半分土に埋もれたもじ摺石がある。村の子供たちがきて言うには、「昔、この石さ、山の上にあったんだけっども、もじ摺を試そうという人だちさぁやってきてぇ、麦を踏んづけっからあ、この谷底に落っこどしたら、石っこさひっくりけえって、面さ下になったんだでば」と言う。そんなことがあるのかとあきれかえって、 早苗とる手もとや昔しのぶ摺」)  

(「奥の細道」山梨大学:https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuno10.htm

相楽等躬(さがら-とうきゅう)(1638-1715)= 江戸時代前期-中期の俳人。寛永15年生まれ。陸奥(むつ)須賀川(福島県)の人。江戸の石田未得,岸本調和にまなぶ。元禄(げんろく)2年「おくのほそ道」の旅の途中の松尾芭蕉(ばしょう)を数日泊めてもてなした。晩年は内藤露沾(ろせん)と親交があった。正徳(しょうとく)5年11月19日死去。78歳。通称は伊左衛門。別号に乍憚,乍単斎,藤躬。編著に「伊達衣」など。(デジタル版日本人名大辞典+Plus)

信夫文字摺石(しのぶもじずりいし)= 福島市街地の北東部、山口地区の文知摺観音(もちずりかんのん)境内にある石。長さ3メートル、高さ2.5メートルの巨石である。平安時代に狩衣(かりぎぬ)に用いられた毛地摺(もちずり)絹をすった石といわれる。左大臣源融(みなもとのとおる)の「みちのくのしのぶもぢずりたれゆゑに乱れむと思ふわれならなくに」(『古今集』14)の歌は山口の長者の娘虎女への思慕が込められているという。江戸時代に福島藩主堀田正虎(ほったまさとら)、明治初期に信夫郡長が石の周辺を整備した。付近には多くの句碑・歌碑がある。福島駅からバスの便がある。(日本大百科全書ニッポニカ)

(*しのぶ-ずり 【忍摺り・信夫摺り】=「摺(す)り衣(ごろも)」の一種。石の上に布を置き、「忍草(しのぶぐさ)」の葉・茎を摺(す)りつけて乱れた模様を出したものという。一説に、陸奥(むつ)の国の信夫(しのぶ)郡(=今の福島市一帯)に産する織物の模様ともいう。「忍(しのぶ)」「忍綟摺(しのぶもぢず)り」とも。(WEBLIO 古語辞典)     

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 再び、みたび、「夏は来ぬ」愚考 不思議でも何でもないのでしょうが、毎年同じような時期になると、同じ気分になり、それに付着してきた「唱歌」などが懐かしく思い出されます。この駄文収録を書き始めて、7年が経過していますが、ほぼ同じ、この初夏の時期に、ぼくは「夏は来ぬ」を口にする。もう何度、くだらない与太話を駄弁ってきたことか。だからくどくどとは述べませんが、ただ一言、この「夏は来ぬ」の原曲にあった2番の「さみだれのそそぐ山田に 賤(しず)の女が 裳裾ぬらして」とある部分をいつのことでしたか、「早乙女が」と替えられたことについて、早くからぼくは疑問を持ってきました。

 何んということもなからうに、時代に合わなくなった言葉、それも問題視されるようなことばならなおさら、時代に合わせるのが当然で、どこに問題があるんですかといわれるかもしれない。(太古の昔から、稲作が始まって以来、須らく「田植え」は女性のやるべき作業でした。それも実に神聖な仕事だったのですから、その女性が、実は「卑しい存在、汚れた存在」と、男性側からみられてきたという事実の地面に大きな陥穽(落とし穴)があったことになるでしょう。いかに唱歌の元居なった佐佐木さんの和歌を示しておきます。ぼくには「さみだれの 注ぐ山田に 賎《しず》の女《め》が」と詠んだものが、後年に「さみだれの 注ぐ山田に 早乙女が」と変更された事実以上に、歌の本意はどうなっていたのかと、とても気になるのです。どいう言葉に替えても歌の意味は変わらないといわれるのかどうか。

 本歌 さみだれの 注ぐ山田に 賎《しず》の女《め》が 裳裾ぬらして 玉苗植うる(佐佐木信綱)

 この「賤の女」が「早乙女」に替えられたのは、ある説によると昭和17年、作詞者(佐佐木さん)が自ら変更されたとあります。もっと調べる必要があるでしょうが、これだけでも十分にぼくの疑問を晴らすには足ります。芭蕉の俳句でも、しばしば言い換え(変更)が見られるのは周知の事実です。作者自身ではなく赤の他人が勝手に変更するとすれば、それは何かと問題になるでしょう。でも、誰かかが勝手に変えてしまって、誰も何も言わないままで当たり前に歌われ続けてきた「唱歌」「童謡」もあります。著作権の侵害となるのはもちろんですが、ぼくにはもっと微妙な問題が深く潜在し続けるであろうという疑惑は残り続けているのです。

 佐佐木さんが無際限の語彙の中から「賤の女」を選んだという事情には深い仔細があったと思われます。それをまた「早乙女」に変更した理由にも深い背景・事情があったことでしょう。他人の容喙(ようかい)(横から口出しすること)すべき事柄ではないといわれるかもしれません。ぼくが指摘したかったことは他でもありません。「賤の女」と「早乙女」は、佐佐木さんの中では同じ意味を持っていなかったか、そうでなければ、本歌で歌われた歌心が一変してしまうのではないですか、と。差別語だから言い換えただけなら、差別感情は残ったままでしょうし、そうじゃなく、まったく改めたのだといわれるなら、「当該表現」を変えるだけでは済まないのではないかと思うのです。

◎ 早乙女 (さおとめ)=田植に,苗を本田に植える仕事をする女性をいう。ウエメ(植女),ソウトメ,ショトメなどともいう。本来は,田植に際して田の神を祭る特定の女性を指したものと考えられる。かつては田主(たあるじ)の家族の若い女性を家早乙女,内早乙女などと呼びこれにあてたらしい。相互扶助を目的としたゆい組の女性だけを早乙女と呼ぶ例もある。いずれも敬称として用いられている。田植に女性の労働が重んじられたこともあり,しだいに田植に参加する女性すべてを早乙女と呼ぶようになったと思われる。早乙女の服装は晴着の一つで,土地によっても異なるが普段着とは別に紺の単衣(ひとえ)に赤だすき,白手拭に新しい菅笠を着けるなどの例が一般的である。(↙)

 早乙女の服装は田の神を祭る一種の祭装束でもある。ゆいや田植組の機能が衰えるなど作業組織が変化してくると新たに日雇いや村外からの出稼ぎ労働に頼ることが余儀なくされる。田植の賃金は他の仕事と異なり男女とも同額とされ,自分の村の田植の前後に出稼ぎをする風習が生まれた。山梨県南都留郡には村の娘は早乙女にならず,毎年静岡県から入ってくるのを待ち,そのための早乙女宿もあった。瀬戸内海の島々からは,中国,四国の各地に出かけ,新潟県からは長野,山形県下へも雇われて出かけた。また山形県庄内地方から秋田県由利地方へ出かけるものは〈しょとめしょとめ〉と触れて歩いたという。(改定新版世界大百科事典)(左写真は現代の「早乙女」)

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 作家の井上ひさしさんが、ある裁判の法廷だったかで「差別語狩り」の風潮に異論を出されていたのを思い出します。「めくら」はいけないけれど「目の不自由なひと」なら大丈夫なんですか、「バカはいけない」けれど、「頭の不自由な方」ならO.K.なんですか。言い換えただけで、「差別感情」は残ったままだとすると、どうなんですかね、と。もっと過激な発言もありました。「茶太例裁判」の時だったか、何でもかんでも「猥褻(わいせつ)」などと裁判長や検事はいうけれど、「性交」は猥褻であって、でも「セイコー」(時計メーカー)はそうではないというのでしょうが、私にとっては、むしろ時計…同じように云々、と。その当時、テレビの民放では提示時刻にきっと「セイ〇社の時計が何時をお知らせします」とCMを兼ねて、告げていたものです。井上さんはそれを持ち出して「実に猥褻じゃ」といわれたんです。

 ぼく自身、偏見や差別から解放されているとはとても思われません。実にあぶなっかしい人間です。いや、ぼくには多くの「偏見」があることを隠しさえしない。偏見があることによって、ぼく自身の取るべき方向が決まってくるとすら言いたいのです。偏見にまみれているからこそ、ぼくの中の葛藤がいつだって小さくないという自覚というか、意識を持ち続けられるのです。偏見上等というのではなく、こんな狭い社会に生きていれば、本人の知らないうちに、いつだって「偏見」はぼくの「心中・思考中」に入り混み、それを防ぎきれないでしょう。ぼくなどは、そのようなたくさんの,偏向した言語や言葉使いを、そうと知らないままで受け入れてきたと思う。その多くは「学校教育」によるものだったはず。「鬼畜米英」などその典型です。ぼくたちの中に「韓国・朝鮮」、あるいは「中国」に対する穏やかならざる感情が蟠(わだかま)っているのは、その紛れもない証拠でしょう。社会集団の中で生きるというのは、そのような一面を持っているのです。

 佐佐木さんが明治の段階で「田植えする女性」を「賤の女」と譬(たと)えたのは、あるいは江戸期以来の身分制の明らかな名残(残存)だったかもしれないし、だとすると、「卑しい女性(=女性は卑しい)」の仕事として「田植え」を見ていたという事実は消せないことになるはずです。それを「早乙女(さおとめ)」という美称らしい言葉に変更したところで、古い体質は残ったままだったとするなら、どうですかとぼくは愚考するのです。どこをどうひっくり返したところで「賤」が「早乙女」になる必然性はなかったからです。「賤」には「せん」「ぜん」という音読みに加えて、「あや(しい)」「いや(しい)」「いや(しめる)」「しず(倭)」「やす(い)」という訓読みがあります。「いやしい。値段い。身分い。下品らわしい」「いやしいこと。いやしい」「いやしむ。さげすむ。見下げる。見捨てる」「自分のことを謙遜していうことば」(漢字辞典オンライン)、どうも一方向の意味内容に傾いています。

 「倭」という感じを使いました。「イ」「ウ」、そして「やまと」と読んでいます。「倭国」は「わこく」であり、「倭人」は「わじん」です。古くから「日本」をさしてつかわrていました。「魏志倭人伝」はその嚆矢(こうし)でしょうか。さらに言うなら、「倭」は「しず」であり、「賤」に重なる意味を持たせられていたはずです。註かが名付けた「倭」=「日本」でした。

 こういう意味を負わされた語を「早乙女(さおとめ)」に変えるという言語感覚に、ぼくは賛成できないということは述べておきたいですね。「手で田植えを行う若い女性」、つまりは「田植え女」であり、それがやがて「若い女性。少女」一般へと解説されていきますがそう使い分けたところで、、「賤の女」とどう違うのかは、それだけでは判然としないようにぼくには思われるのです。理屈じみた駄言はここまでにします。(学校唱歌には、詳しい説明もなく、原曲とは正反対の変更が加えられてるものがたくさんあります)(まるで、軍歌が平和の歌になるように。というのはどう考えても理屈に合わないでしょう)

『夏は来ぬ』(なつはきぬ)は、佐佐木信綱作詞、小山作之助作曲の日本の唱歌である。1900年、小山作之助編『新撰国民唱歌 第二集』(三木楽器店、明治33年6月)にて発表された。/1940年ごろ、NHKラジオの歌謡番組で繰り返し放送され、広く歌われるようになった。第二次大戦後に国定音楽教科書に掲載されたが、歌詞は1番と5番のみであった。/2007年に日本の歌百選に選出されている。2015年3月14日に開業した北陸新幹線の上越妙高駅で発車メロディとして使用されている。(Wikipedia)

(⁂夏は来ぬ~NHK東京放送児童合唱団https://www.youtube.com/watch?v=UZQFbSaWzzg&list=RDUZQFbSaWzzg&start_radio=1)(⁂夏は来ぬhttps://www.youtube.com/watch?v=XQm1qk53suc&list=RDXQm1qk53suc&start_radio=1

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