わが葉月世を疎めども故はなし

2026年8月
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 いろいろなことを思い、また、思わされながら、ぼくは「時という鑢(やすり)」にかけられれて、ここまで生きてきました。ぼく自身の勝手な判断からすると、生きれば生きるほど、自分が歪(いびつ)になっていくという変形性感覚が深くなってきたように思われます。気は弱いほうだったのが、いつとは知れずに「負けず嫌い」の塊(かたまり)のようになっていった気がします。一言でいうなら、「お前は意固地なんだ」ということでしょうか。誰彼と競争するという生き方の流儀は、ぼくのどこをたたいても見られないといえます。人生は「勝負事」であるものかという思いは強烈に育ってきたのはどうしてでしょうか。だから、勝負に徹する競技(ゲーム)にさえも、あまりにも「勝利至上」が見えてくると、実に興ざめをしてしまうのです。

 折々のことば(3691・鷲田清一)

 どの石がどの石を丸くしたのかもわからない中で……ゴツゴツした石は次第になめらかな石へと変わっていくのである。

 (向谷地生良〈むかいやちいくよし〉)

     ◇

 人生という途切れのない苦労の連続を不器用なままに生き、“人格障がい系”の病を得た人は、「擦(こす)れあい」という経験の乏しさによって、大人になっても角ばった「岩のかけら」のまま生きるほかなかった人だと、ソーシャルワーカーは言う。だから回復にも「擦れあい」と、それを保障する場が必要だと。『べてるな人びと』第1集から。(朝日新聞・2026年7月31日)
 折々のことば(3690・鷲田清一)

 どんなに弱かろうが変だろうが、歪(ゆが)んでいようが……そのことによって見捨てられるわけではないという感覚です

 (ある女性)

     ◇

 自分が制御不能になるという危機を抜けられたのは、自分がちゃんと尊重されている感じを得たからだと彼女は言う。蔑(さげす)まれも見捨てられもせずに、対等に、まじめにとりあってもらえたこと。人をほんとうに支えるのは人である。精神障がい者らの地域活動拠点「べてるの家」の代表を務める向谷地生良(むかいやちいくよし)の『べてるな人びと』第1集から。(朝日新聞・2026年7月30日)

 朝日新聞に連載されている「折々のことば」、その昨日と一昨日の「二日分」に、ぼくは甚(いた)く胸を打たれました。その理由はよくわからないけれど、たぶん「大人になっても角ばった『岩のかけら』のままに生きるほかなかった」という自己認識がぼくにもあったからだと思い至ったからでしょう。二十五を過ぎて、ある学校に勤め出しても、ぼく自身の中に違和感は消えないどころか、ますます大きくなっていったことを今更のように想起している。ある時期に出会った同僚(宗教思想家)から「君がここにいるなんて、まさに奇跡だよ」といわれて、相当にショックを受けた。「その通り」だったことに「図星を突かれた」からでした。自分でも、ここは自分の居場所ではないという感覚はいつも強烈にあった。だから、それを「奇跡だ」と自分でいうつもりはなかったし、その反対に、「疎(うと)まれている」という気分は激しいものだったように感じていた。

 だから、どうだというのではなかったが、Tさんがいった「奇跡だよ」という言葉は、彼の意図は「ここは君などのいるところではないぞ」というものだったでしょうが、ぼくは勝手にそれを曲げて受け取り、大いなる励みとしたし(いてやろうじゃないか)、反対に多くの同僚たちには「ぼくという存在」は迷惑至極だったろうと思いつつ、勤務していました。職場は「世間」であり「常識」だったということですが、ぼくはそれを心底から忌み嫌っていたのですから、「歪(いびつ)」というほかないような時間を、長期に及んで過ごしていたことになります。前言したように「生きれば生きるほど、自分が歪(いびつ)になっていくという変形性感覚が深くなってきたように思われます」というのは、ぼくの人生について廻った。

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 表題句として掲げた「わが葉月世を疎めども故はなし」には、なんともいえぬ共感のようなものが沸くのです。作者の日野草城さんには、どこかで少しばかり触れています。なかなかの「硬骨」の人だったと思う。何しろ、師の高浜虚子に爆弾を投げつけたような姿勢を隠さなかった人でしたから。ここにも、「歪(いびつ)な人」がいるという感じがしましたね。彼の遺した「人知れぬ花いとなめる茗荷かな」という句にも、ぼくは惹かれます。「茗荷(みょうが)」の句といえば、「茗荷食(は)み亡き友の癖思い出す」という辻井喬という詩人を思い出します。わずかに二度ばかりお会いしただけですが、およそ「経済界の人」らしからぬ誠実さを感じたのは、ぼくの間違い(錯覚)だったでしょうか。

◎ 日野草城(ひのそうじょう)(1901―1956)= 俳人。東京生まれ。1917年(大正6)高浜虚子(きょし)の句に接して句作を始め、18年8月『ホトトギス』雑詠入選、24年『ホトトギス』課題句選者に、29年(昭和4)『ホトトギス』同人になる。この間第三高等学校、京都帝国大学法学部を卒業、27年には句集『花氷(はなごおり)』を刊行した。35年『旗艦(きかん)』創刊、新興俳句運動の最左翼にたち、俳句近代化を図り、翌年『ホトトギス』同人を除名された。新興俳句弾圧の嵐(あらし)のなかで41年『旗艦』指導者の地位を去る。戦災、戦後の苦労を経て49年(昭和24)『青玄(せいげん)』創刊。病苦のなかで清明な句をつくった。句集に『青芝』(1932)、『昨日の花』(1935)、『人生の午後』(1953)、『銀』(1956)など。代表句「高熱の鶴(つる)青空に漂(ただよ)へり」「見えぬ眼(め)の方の眼鏡の玉も拭(ふ)く」など。(日本大百科全書ニッポニカ)

◎ 辻井喬【つじいたかし】(1927-2013)= 財界人,詩人,小説家。本名堤清二。東京生れ。東大経済学部卒。在学中に日本共産党に入党,左翼運動を展開したが,のち離れる。同人誌《近代説話》などに詩を発表,詩集《異邦人》(1961年)で室生犀星賞を受賞した。一方,父の急逝で西武グループの流通部門を受け継ぎ,セゾングループを育成,堤清二は財界の知的リーダーとなる。小説《いつもと同じ春》(1983年)で平林たい子賞,小説《虹の岬》(1994年)で谷崎潤一郎賞受賞。2007年芸術院会員。代表作に《風の生涯》上下(2000年,新潮社),《父の肖像》(2004年,新潮社),《辻井喬詩集》正続(1967年,1995年,思潮社),《辻井喬コレクション》全8巻(2004年完結,河出書房新社)などがある。2012年文化功労者。(百科事典マイペディア)

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