
駄文の山を築き始めてから三年三ヶ月余が経過しました。いずれ機会を見つけて、もう少しまともな短文を書こうかと考えてはいたものです。しかし、自らの分際、あるいは能力に相談すれば、かくの如きはしたない、締まりのない雑文、駄文以上のものが出てくる気遣いはないと、まあ、開き直った格好で、書き捨ての、あまり整理のされていない文章(にもなっていないと、自分も思う)をいじっているという無作法を続けてきました。ぼくは想定したのではありませんが、それ相応の「読み手」がいてくださり、望外の幸運と感謝するばかりです。(右のアーカイブを見ていて気がついた、「駄文が1500も、かよ」に驚く。「塵も積もれば山となる」はたしからしいけれど、はたして、その使い道はあるのか)
駄文の山は高くなりこそすれ、そこからの見晴らしはまったく展望もなにもないものであることをお詫びする次第です。生まれた時代が悪かったのか、それとも、生まれた自分が悪かったのか。あるいは、その両方だったかもしれないですね。これまでに直接間接に教えを受けた先輩後輩は数限りありません。そのどなたにも、ぼくは「及びがたし」という姿勢を持ってきました。いろいろな思いを込めて言うのですけれども、「参りました」と。このブログまがいを始める切っ掛けは後輩の一言でした。「もう少し、学校や教育についてこれまで以上に深く考察してほしい」という無理な注文だった。もちろん、ぼくにできるはずもなく、注文は受けましたが、およそ頼まれたものとは異なった「劣悪商品」を提示し続けてきたと、申し訳ない気がしております。

「及びがたし」と言いました。並入る政治家連の言動を見ていて、とてもではないが、ぼくにはあのような「厚顔さ」「向こう見ず」、極めつけの「不誠実」は、少なくともあの人たちほどには持ち合わせていないと、まずは脱帽してしまう。それに取って代わろうという根性がないんですね。でも、彼や彼女に政治そのものを「無条件で委譲」したつもりはないのですから、大小さまざまな選挙にはきっと出かけて「一票」の権利を行使してきました。なんとも歯がゆいというか、どうしようもない「諦念」に襲われれつつ、投票所に出かけてきました。一人では出ない智慧も「三人寄れば文殊の智慧」といいます。しかるに、百人二百人と議員諸氏が集まると、一変して「烏合の衆」に豹変するんですね。あるいは「付和雷同」と言い換えてもいいでしょう。そのさまを見て「衆寡敵せず」というのは適切ではないでしょう。
ここに民主主義という言葉を使う必要もないのですけれども、大事なのは、ささやかであっても、まず持論(自論)を持つことです。拙くても「持論」「自論」が何よりです。それが多数意見になることもあれば、少数意見であり続けることもあります。ぼくは小さい頃から、なんにでも「同調」することが嫌いでした。だから、誰かとは違う考え(意見・異見)を求めてきたともいえます。それがよかったか悪かったか、結論は出ていません。自分の頭で考えたという感覚は失いたくなかったんですね。

気がつけば、いつも「少数異見」の側に自らを置いていた。民主主義の政治は「多数決」であることは事実でしょう。でなければ、問題解決へのの糸口が開かれないからです。たしかに「51対49」で物事は決まります。さりながら、直ちに決められた「政策(51人の多数意見が正しく、49人の少数意見が正しくないという)」の正当性を意味しない。さしあたりは「この方法・内容」でことに当たりましょうという程度、です。もちろん「朝令暮改」は感心しないが、「衆寡敵せず」で、無理無体なでたらめが通るということもある。さらにその弊害が進めば、多数派を維持できたら、何をしても文句あるかという「独裁」に走ります。残念だけれど、この島の政治家連の「視野狭窄」に付き合っていたら、身がもたないというばかりです。絶え間ない「検証」「見当)にこそ、民主主義の存在根拠(価値)があるんですね。
この地に移住して十年目を送っています。多くの友人たちに、身に合わぬ「晴耕雨読」でもするのかとか、「余生」「老後」は悠々自適だねと、揶揄され皮肉られた。ぼく自身、「老後」も「余生」もない生活を暮らしています。いや「齷齪している」というべきでしょう。それでも、勤め人時代とはまた違った意味で、「和して同じず」を実践している気になっている。他者とは仲良くしたい、仲良くはする、けれども簡単には同調なんかしない、と。だが、世間では「同じて和さず」を繰り返しているようです。

僻陬(へきすう)の地で「高みの見物」を決め込んでいるのではない。もっと単純化して言うなら「一寸の虫にも五分の魂」という「毛虫」のような生き方を願っていると言っておきます。毛虫には申し訳ないが、大願も懇願もしてこなかったという意味です。身の程知らずは、ぼくには恥ずべき所業ではあるのです。さらに言葉を加えれば「理非曲直を明らかにする」ということでもあります。毛虫には毛虫の「正義」があるだろう、ぼくにだって「自己流の正しさの感覚」はあるんですよ、ということ。こんな姿勢を、清濁併せ呑みつつ、融通無碍に貫き通せれば、もって瞑すべし。「四角い豆腐も、切りようで丸くなる」といったのは六代目の圓生さん(1900~1979)でした。(彼は「四角い世間を丸く生き」たいと願ったが、どうもそうはいかなかった人生だったように、ぼくは思う)名人の「生き方」に、やや憧れにも似た感情を抱いていました。浪花生まれの人でしたが、「粋」をこそ命としていた人のようでもあったと思う。

目を開けながら、まるで寝言を言っている。「人権尊重」「水平への憧れ」といえば、寝言と同義とされた時代から、ぼくたちは、いったいどこまで歩いたか。何歩も進んでいないようでもあり、一気に後戻りすることだって、一度や二度ではなかった。「三歩進んで二歩下がる」なら、御の字ですね。よく優劣相拮抗するような場合に、「一進一退(ups and downs」という。平衡が保たれているとも受け止められます。でも「三歩進んで二歩退く」なら、少しは前に行っているとも考えられます。要するに、人生の「上達」というのは地上一ミリの範囲の事柄です。「行きつ戻りつ」、それもまた人生。まるで「川の流れのように」ですね。(2023/05/06)
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