喜びの深きとき憂いいよいよ深く、…

 

 【南風録】かれこれ40年ほど前のことになる。「君たちの門出に大好きな小説を贈ろう」。中学を卒業する日、担任はそう切り出し「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた」で始まる夏目漱石の「草枕」を暗唱した。◆「智(ち)に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」と続く。コロナ下で2学期を迎え、対策に苦労する教育現場を見ながら担任から贈られた言葉の意味をかみしめた。◆ 10代以下にも感染が広がり一斉休校を求める声がある。とはいえ、やみくもに子どもの在宅期間を長引かせれば、共働き世帯をはじめ、困る家庭が少なくない。各自治体で対応が異なるのは、簡単には正解を出せない難しさがあるからだろう。◆ 甑島を除く薩摩川内市の小中学校は、あす新学期がスタートする。今週は給食までの午前授業となる。授業は5分ずつ短縮し、うがいや手洗いの時間に充てるという。◆ 市内には複式学級があれば、教室の後ろまで机を詰め込む学校もある。児童の少ない学校で時差登校にすると、安全が守れるか心配だという声が上がる。それぞれの学校が事情に合わせて智を働かせ、角が立たないように知恵を絞った。◆ 「草枕」の暗唱は「住みにくいと悟った時、詩が生れて、画(え)が出来る」までだった。コロナの苦労はしばらく続く。それを乗り越えて、新たな教育の姿が描けるのなら救われる。(南日本新聞・2021/09/05)

 中学卒業当日に「草枕」を読んでくれて、旅立ちへの餞(はなむけ)としたという、おそらく鹿児島の先生だったのでしょう。なんとも「粋」じゃないですか。ぼくにはそのような教師はいなかったと思う。あるいはすっかり忘れてしまったのかもしれない。いや、そんな洒落た教師がいるはずはないと言っておきます。中学校卒業式も高校入学式も、さっぱり記憶から抜け落ちているのです。(ぼくは、今もって、「式」というものが好きにはなれない。好き嫌いの問題ではなさそうですけれど、できるなら、「式」には参加したくないのです。この傾向は生来のものです)それにしても、「草枕」とは、当時の中学生は意識が高かったんでしょうね。コラム氏は、ぼくより二十ほどの年齢差(ぼくが年上です)がありますし、そのぼくはかなりの晩稲(おくて)でしたから、基準にはなりませんが、それにしても、かなり高踏作品ですよ、この小説は。いまはどうですか。この駄文を書こうとして、「草枕」を読みだしましたが、なかなかのもので、千九百六年の発表で、漱石は当時、四十歳くらいでした。(右は、初出誌『新小説 明治39年9月号』)

 この小説自体が、漱石にしてからが背伸びをして書いた風がありますから、相当にひねった思想というか人生観が横溢しています。だから、これを餞別に送った先生は「 君たちの門出に大好きな小説を贈ろう 」と言ったそうですが、もちろん「大好き」だったのは先生でしたろう。背伸びをするのは悪いことではなく、むしろ、そのようにして人は自分を高めようとするのかもしれないのです。重ねて、粋な教師でしたね。それを覚えているコラム氏も、なかなかの好事家です。

 懐かしい地名が出てきました「甑島」、「こしきじま」と言います。この地名に関しても忘れられない思い出がありますが、それはまた別の機会に。この駄文・雑文録は、ぼくの「記憶力低下防止」のための「自主トレ」ですから、いろいろな記憶が順不同に出てきます。それを今のぼく自身の関心に結びつけて、なにがしかを語るという寸法です。「自主トレ」をいつまで続けるつもりかという「声」が四方から聞こえてきそうです。何、行方定めぬ明け暮れです。人生自体が常に「自主トレ」の連続であり、くり返しではなかったでしょうか。

 九月も、すでに一週間が経過しました。それぞれの夏休みを終えて、登校する子どもたち、あるいはさらに休校が続く子どもたちと、今もなお、新型コロナウィルスに翻弄されている劣島の現実です。昨年の三月末には、何の権限があってか、突然「全国一斉休校」という、法律違反を犯してまでも、勝手な宣言を出したバカがいました。どうしてそれを、だれも諫めなかったのか、今もって不可解です。政治が教育に介入してはならないという「教育基本法」の根幹に触れることを白昼堂々とやってのけて、効果たるや皆無でした。今夏もオリンピック・パラリンピックに児童生徒を強制参加させようという行政の長たちの、目に余る「教育委員会法」(通称)への違反行為が行われました。それを知ってか知らずか、子どもたちを、自分の政治的利権の「ダシ」に使って、平然としているのが、都知事であり、県知事でした。

 「コロナの苦労はしばらく続く。それを乗り越えて、新たな教育の姿が描けるのなら救われる」というのは、コラム氏です。言っては何ですが、いかにも「甘ちゃん」ですね。いずこのコラム氏(新聞社社員)も、おしなべて権力に対して「優しい」ですね。厳しい、まともな批判も非難もしないで、権力者が人民の望むところをかなえてくれることを、じっと待っておられる。まるで「百年河清を俟つ」という寛容さであり、従順さです。ぼくが毎日ネットで目にする「コラム」の、ほぼすべてに共通する、柔らかい、腑抜けた姿勢です。これこそが「体制との付き合い方」なんでしょうか。ぼくが記者だったら、「三日も続かない」と、かならず言われるし、そうなるに違いありません。

 さて、漱石先生は言っています。「住みにくい世の中」に住むことが長くなるにつれ、「住む甲斐ある世と知った」と述べ、さらになにがしかを悟ったというんですね。漱石流の処世術の開陳が認められます。それが「非人情」ということでした。

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 「世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日はこう思うている。――喜びの深きとき憂いいよいよ深く、楽しみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片かたづけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖えれば寝ねる間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足たらぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……」(漱石「草枕」青空文庫版)

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 熊本県玉名の温泉宿を舞台にした作品で、なかなかに凝った筋書きです。(この地にある、県立玉名高校に、ぼくは出かけたことがあります)一人の画家が、女性や人間、男・女(夫婦)、あるいは戦争(日露戦争)、さらには日本の西洋化・近代文明化などを扱って、漱石の人生観や世界観が余すところなく出ているともいえる作品です。一貫したテーマは「非人情」だと言われます。漱石は「高踏派」「高等遊民」などという表現も多用した作家です。(「世間一般の義理・人情を超越して、それにわずらわされないこと。また、そのさま。夏目漱石が説いたもの。超俗。」:精選版日本国語大辞典)

 これもなかなかに難しい話で、先にも言いましたが、この小説が大好きだった先生が、卒業していく生徒たちに餞に読んで聞かせたというのは、いかにも「文学趣向」に溢れた教師だったと、またも言いたくなります。「俗塵に塗(まみ)れるな」ということだったか。あるいは「人情に溺(おぼ)れてはいけないよ」という忠告だったか。それにしても、「粋」「洒落」だなあとぼくは思うし、こんな先生は、今どきはまず見られません。完全な「絶滅種」になりましたよ。子どもを人間として、受け止めてくれる教師(大人)は、まったく見られなくなりました。「大人(おとな・たいじん))喪失の時代は長く続いています。

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 【筆洗】八月三十一日をめぐる思い出はどなたにもあるだろう。地域にもよるが、夏休み最後の日である。よみがえってくるのは楽しい思い出よりも、終わっていない宿題に右往左往した苦い記憶の方か▼作家の向田邦子さん。小学三年の夏休みの最後の日、家族旅行からの帰りの車中で九九を覚える宿題を済ませていないことを思い出して、泣いた。車の中で父親が教えてくれる九九を泣きじゃくりながら、覚えたそうだ▼作家の安岡章太郎さんの思い出は小学五年。三十一日の夜、やっていない宿題を母親に見つかった。徹夜で片付けたそうだが、でたらめな数字や問題とは関連のない文句を思いつくままに書き連ねて提出した。なぜか先生に叱られなかったそうだ▼やるべきことをやっていない。もう間に合わないかも。子ども時分はこの世の終わりのような気分にもなったが、今、振り返れば、笑い話にもなる▼宿題の件ばかりではない。行きたくない学校や会いたくない同級生のことを思い煩い、憂うつになっている子どもが心配である▼子どもが浮かぬ顔をしていれば声を掛け、話を聞いてやりたい。子どもには深刻な問題も大人が聞けば、何か解決の糸口が見つかることもあるだろう。真剣に耳を傾ける大人の姿に子どもの心も少しは落ち着くかもしれない。話をしよう。われわれ大人は八月三十一日に泣いたOBとOGである。(東京新聞・2021年8月31日)

 人並みに、ぼくは十二回の「夏休み」を経験しました。小学校から高校までの「夏休み」、そのどれ一つとして、まったく記憶から消えています。おそらく、何事もなく、いいことも悪いこともなく、もっとはっきり言えば、「大過なく」「なんとなく」終わったから、何も記憶に残らなかったに違いない。ラジオ体操に駆り出された記憶は切れ切れにありますが、少しは残っているのは、その行き帰りに、近所にあった植木林に入って「カブトムシ」などを獲りに行ったからでしょう。大学にも夏休みはありましたが、まったくどうして過ごしたか、ほとんど覚えていない。一年生の夏休み、知り合いだった田舎のお寺へ「たった一人の合宿」に出かけたことだけはよく覚えています。当時、生意気にも晩酌とやらを嗜(たしな)むという悪癖があり、お寺の奥さんがお燗を付けてくださった。それをいい加減の量を飲んで、深夜に中庭の池に落ちかけて(正確に言うと、大きな踏み石の角で)、しこたま腰骨だっかを打ち付けた。一瞬、死ぬかな、と嫌な予感がよぎったが、翌朝は何事もなく起床して、無事だった。夏休みの想い出は「九九の宿題」でも「安岡流」でもなかった。おそらく、宿題なんて「歯牙にもかけていなかった」に違いありません。

 「やるべきことをやっていない。もう間に合わないかも。子ども時分はこの世の終わりのような気分にもなったが、今、振り返れば、笑い話にもなる」とコラム氏は言われますが、どうでしょうか。宿題は、怠け者の教師が出すもの、ぼくはそのように見ていました。だから、そんな教師には付き合いたくないということだったかもしれない。「宿題なんて、教師・学校のイヤガラセ」、そう思っていました。いまなら「パワハラ」なんだと。学校で「追いつめられる」ということが、ぼくになかったのは、あるいは幸運だったのかもしれない。そんな破廉恥は考えられなかった。「餌食になる」ことを、じゅうぶんに規制(警戒)していたんですね。繰りかえしていうように、ぼくには「学校と心中」することは考えられなかったし、教師に褒められ、同級生に「頭がいいね」と言われることには関心を払わなかった。勉強ができないと言われても、一向に平気だった。その当時は分かりませんでしたが、つまりは「価値観」がちがっていたんですね。学校は「行くところ」ではあっても、「何かを学ぶ」場所ではなかった。必要に迫られて、自分で学ぶということを実践しようとしていたのでしょう。「自学自習」であり「自問自答」、これがぼくの方法でした。

 「行きたくない学校や会いたくない同級生のことを思い煩い、憂うつになっている子どもが心配である」のはその通りでしょうが、さてどうしたものか。「学校にいくべき」という脅迫観念があるなら、それが消えるまで「夏休み」「冬休み」を続けなさいな、とぼくだったら言うし、そのように言った子どももいました。その前に(知末に悪いのは親、たいていはそういうことでしょう。だから、親とも戦わなければならない。行きたくなれば行く、話したい子がいれば行く、いい先生だな、という教師がいたら、話を聞くだけでもいいから行ったらどうですか。せいぜいがその程度しか、ぼくには言えない。ある先輩教師が言っていました、「いい先生というのは、(子どもが)何処にいても、(先生に)手紙を書きたくなる先生なんだ」と。確かにそうだなと、ぼくは強く合点しました。好きになった人に手紙(いまなら、電話か)を書きたくなるような感覚でしょう。そんな教師になれるといいな、といつも願っていた。 「先生どうしているかな、夕ご飯食べているかなあ」と、どこかで思っている子どもはきっといるんですね。(その反対の教師も、もちろんいますよね、記憶したくない教師)

 「子どもが浮かぬ顔をしていれば声を掛け、話を聞いてやりたい。子どもには深刻な問題も大人が聞けば、何か解決の糸口が見つかることもあるだろう。真剣に耳を傾ける大人の姿に子どもの心も少しは落ち着くかもしれない。話をしよう」と。どうぞ、そうなさってください。子どもを励ますことが出来るといいですね。でももっと大事なのは、子ども自身が「自分を励ます」ことができるようになる、そのために大人が付き合うんでしょ。自分で自分を励ますことが出来る人、それは「哲学者」ですね、ぼくに言わせれば。大人だから、何かを教えるというのはよくないな。第一、教えられませんから。なんだって、本人が納得することから始まるんですね。

 「われわれ大人は八月三十一日に泣いたOBとOGである」 、こういう「紋切り型」の「決めつけ」は、どうですか。文相記述の技術なら、それは考えものですな。第一、ぼくは泣かなかったさ。そんな「泣き虫」じゃなかった人(OG.OB.)は、世に五万といるんじゃないですか。(率直に言います。「筆洗」もつまらなくなりました)

〇 夏休みは世界的に広く実施されており、その目的は国によって異なる。おもな目的は、夏季の暑熱の回避となるが、伝統的な慣習の存在(盆行事など)等が目的となることもある。つまり、夏休みは、高温多湿な時期に、児童・生徒を正規の授業から解放し、その心身に休養を与えるために設けられている。したがって教職員にとっては勤務を要しない休日ではない。つまり、法律や条例等に夏季休業日を教員の休日とするという規定はない。児童・生徒に対する授業を行わない休業日といえども教員は勤務に服さなければならない。(ニッポニカ)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。