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ぼくの青春時代というものがあるとするなら、二十歳からの十年ほどだったかもしれません。一応は大学生になっていましたが、つまらない授業(大半がそうだったと、自分のことを棚に上げながら言っておきます)にはあからさまな嫌悪を示したし、よからぬ読書に時間を浪費し、聞きかじり始めた洋楽(クラッシック)などを手当たり次第に探し回っていました。つまらない話になりますので省きますが、この間、ぼくはピアノのグールド、バッハはリヒターで、それが日常生活の大半でした。リヒターには惹かれましたね。彼が来日した(多分、二回だったか)演奏会はなにを置いても出かけました。69年だったかの来日の折りに、ぼくは日生劇場(日比谷)に出かけ、「ロ短調ミサ曲」に聴き惚れました。レコードでなじみだったソリストにも感心しました。(後年、まったくの偶然でしたが、渋谷の耳鼻科の医院でエルンスト・ヘフリガーに遭遇し、驚嘆したことがありました。多分、つたない言葉でお礼を言った記憶があります)その後の来日では目白の教会(関口のカテドラル)でオルガンを聴きました。終了後ぼくの前を行き過ぎたリヒターを見て驚愕しました。演奏中は姿が見えませんでしたが、その彼の衰えようといったらなかった。彼はもう長くないとぼくは直感しました。その二年後、1981年にリヒターが亡くなった時、たまたまドイツにいた友人にミュンヘンまで赴いてお花を捧げてほしいと依頼したこともありました。


リヒターを聴かなければ、夜も日も明けぬというでたらめな生活でした。大学を中退して音楽大学に入ろうかと狂っていた時期でもありました。その狂気は、やがてある事情で沙汰止みになりましたが。彼の音楽(演奏)のどこがいいのかなどといえば、素人のくせしてと、我ながら恥ずかしくなりますが、まず音が新鮮であり、リズムは明快、まるで生きた音楽を前にしているような気にさせられたのでした。言い方はまずいのですが、これは稀有な事柄です。今もたまには聞きますが、ぼくの耳が衰えたのか、雑音が溢れているせいか、音がいのちをもっているようには聴こえてきません。ぼくの衰えでもあり、時代の変化に西洋音楽が符合しなくなったといえるかもしれません。ぼくは「その中」では育たなかったのです。文化というか、生活に根付いていなかった音楽だったといえるでしょうか。でも若いころから狂気をはらんで聴き狂った音楽は、たしかにぼくという偏った人間を作った大事な要素でもあったことは疑わないのです。

グールド(1932-1982)とリヒター(1926-1981)、並び立つはずのない音楽家に、ぼくは感謝しています。
秋立つか四方の海から響く音(郷司)
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「生前のカール・リヒターは絶えず働き通しでした。かのマルティン・ルターは、1546年2月16日にアイスレーベンで最後の文章を書き上げましたが、それが発見されたのは、彼の死〔同年2月18日〕の2日後のことでした。10日ほど前、リヒターは彼がいつも持ち歩いている紙片を私に見せてくれました。それは、ルターが書いた(前述の)ラテン語の文章で、ドイツ語に訳すとこんな具合になります。『ヴェルギリウスの牧歌を理解しようと思うなら、5年間は羊飼いをしなくてはならない。農作をうたったヴェルギリウスの詩を理解しようと思うなら、やはり5年間は農夫を体験しなくてはならない。キケロの書簡を完全に理解しようとするなら、20年間は国の政治に携わらなくてはならない。聖書を十分に理解しようとするなら、100年間は、預言者、バプテスマのヨハネ、キリスト、そして使徒たちとともに、教会を指導していかなくてはならない。それでもあなたは、自分を神の代理だなどと思ってはならない。そうではなく、額(ぬか)づいて祈るべきだ。私たちは、言ってみれば物乞いなのだから。』カール・リヒターは、このルターの文章についてこう言いました。『生きている限り、私は音楽を学び、音楽を自分に叩き込まなくてはならない。ただ単に暗譜するとか、芸術的に演奏できるようになればいいというのではなく、文字通り完全に。』カール・リヒターは、そんな生き方をした人でした。これほどの精神をもった人がかつて存在し、これからも良き模範であり続けるのは、私たちにとってこの上ない励みになります」(フルート奏者のオーレル・ニコレの葬儀における「追悼の辞」(1981年2月20日・ミュンヘン、聖マルコ教会)(Wikipedia)
ニコレもよく聴きました、彼の奏でる音色はランパルや他の人のようにキンキンしておらず、じつに渋いものでした。本当によく聴いた演奏家です。なんでもいいのですが、一曲をと聞かれたら、Mozartのフルート四重奏曲ですか。こんなフルートはめったに耳にしませんでした。リヒターと同年生まれだったかもしれませんが、彼は長寿でした。彼らが活躍したころは、古典音楽の「盛時・黄金時代」であったかもしれません。生き合わせた仕合わせです。
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