日本の生活圏に同化埋没し…

「在日」を生きる

(毎日新聞・2019/07/01)

 祖国の置かれている状態を、よんどころなくひっかぶって生きつつも、なお、祖国の実情実態を一つの視野に収めうる立地条件を生きると言うことは、裏を返せば、本国の五千万同胞をね、打って返しうる存在体でもありうるだろうという思いがあるのですね。在日朝鮮人は、立場が違うからとか、思想、信条、政見が違うからといって、〝在日〟という一つのところを変えるわけにはいかない生存基盤を分け合って生きているわけです。いやがおうでも、一つところを同じく生きねばならない実情、実存を生きているという事実、この動かざる現実を積極的な意味と価値に転換しうるだけの意識がたくわえられていくならば…。

 ところが、一方で、在日世代の圧倒的多数を占めるようになった在日三世、四世たち、この世代たちのほとんどが、実に八四パーセント近くが日本の学校に行っているのですけれど、十三万八千といわれる就学児童、学生のなかで、十一万あまりが日本の学校で学んでいるのですから、「民族性を失わずに・・・」という期待は、生育の下地のところで崩れていっているのですね。日本への傾斜は加速度を加えて、ここ七、八年前までなら、年四千名前後の帰化者であったものが、いまでは五、六千名になっているほど、〝朝鮮からの脱落〟は年を追ってつよまっているのです。そして、おそるべきことには、これはある日本の朝鮮研究者から聞いた話ですが、法務省のマル秘資料にですね、在日朝鮮人の趨勢を二十五年と踏んでいる数字が出ているというのですね。二十五年たてば、在日朝鮮人はみな日本人に吸収されるものとして、ちゃんと計算がはじかれてあるというんです。(中略)

金 …いつのまにか在日朝鮮人のことを、「在日韓国・朝鮮人」という併称でもって呼びならわされていることも合わせて、在日朝鮮人の存在自体に対する軽視をかい間見る思いですね。

 このこと自体、わたしは在日朝鮮人の存在を侵害するものだと思っていますけど、つまり、こういうふうに言われるようになった直接の契機は、一九六五年韓日会談の締結なんですけどね。韓日条約締結によって、在日朝鮮人の在留条件が永住権申請、取得という条項でもって規制されるようになってしまいますね。永住権を申請するためには、自動的に韓国籍を取得しなくちゃならない。これは在日朝鮮人への、陰険きわまりない国籍条項の強要を秘めていた。それで一夜にして、在日朝鮮人の勢力分布は入れ替わってしまった。いまはもう五分の四が〝韓国〟籍と見られています。朝鮮総連の現役活動家だって、韓国籍を内密に取っている人が少なくない。そういうご時勢なんですね。これ自体が擬態を生きている。〝在日生きる〟とはけっしてそんな従属の生ではない。(中略) 

金 思い起こすだにいまいましいことですが、在日朝鮮人の趨勢をそれほど左右するようになった韓日条約の締結にあたってですね、当の在日朝鮮人の心情とか意思がはかられたことはまったくもってなかった!(中略)

 在日朝鮮人七十万という存在体はね、八十年前もいまも、祖国の恩典も庇護も受けたことのない集団なんですよ。その集団がね、一朝にして韓日条約の規制を受けて、いきおい韓国国民に糾合されちゃって、韓国の法権力の規制を受けるようなことはね、在日朝鮮人七十万の存在をほんとにきびしく見る立場からするならば、これは不当・不合理きわまりないことなんです。なんらの救済も庇護もうけたことのない「本国」の片方から、徐勝兄弟の青春に見るような無残な仕打ちを受けるいわれは、在日のわたしたちにはない!正当な関係からするなら、それはまったくもって逆のことなのだ。わたしたちの悲痛きわまりない思いが祖国にぶつかるべきことであって、祖国の権勢がそのわたしたしたちにかぶさる―法的にね―かぶさることじゃないと思う。(中略)

金 …多少とも在日朝鮮人のありかたに思いをはせるものからしますとね、わたしたち在日朝鮮人にとっていちばん、いま、苦悶に近く大きい問題は、在日世代三世、四世のですね、日本の生活圏に同化埋没していくことなんですよ。(中略)

 これはまあ「風化」という言いかたもありますけど、わたしは「風化」というのはむしろ変わらなくて、原型がこり固まってしまうのが風化なんで、そういう言いかたはしませんけど。むしろ溶解と言うべきじゃないでしょうか、溶解…。(中略)

 そういうことが、いちばんわたしたちの苦悶なんですね。わたしたちはまだ一つに帰一してもないのにね、その道程なかばに至らずして、もしくはなかばを実は超えているのかもしれないけど、人生後半のだな、わがだいじな意識体、存在自体がね、溶解してしまうことがいたたまれないんです。(中略)

 そういった人たちにとってはね、市民的権利というのは、溶解するのにものすごく好都合なわけ。(以下略)

 「在日を生きる」と題された対談の初出は、雑誌『朝鮮人』(一八号、一九八〇年四月)。(左写真は済州島)

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 ぼくが尊敬してやまないのは、金時鐘さんの上に述べられている「生の条件」の一貫性の故でした。氏はいまも奈良に住まわれて、九十一歳の春から夏を送られています。生涯をかけて「在日のはざま」をえぐり続けてこられた、金さんの健康を祈るや切です。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと 下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです