「ヨイショ、ヨイショ」と悪魔の声が

(20/10/12)

 【癒着】日刊ゲンダイが菅総理と内閣記者会の異常な関係性により開催されている「グループインタビュー(記者会見のつもり?)」の実状を暴露!「記者が別室で傍聴」「撮影は禁止」

 菅首相の”えせ会見”に仏特派員も激怒「あり得ない閉鎖性」

 今回はインタビューの申し込み順から、朝日、毎日、時事通信が選ばれた。/ 傍聴希望を申請。あみだくじの結果、本紙は当選した。/ 別室で傍聴できる定員は40人。雑誌、外国メディア、フリーなどのメディア向けの10席は埋まったが、内閣記者会の常駐社の30席は10席ほどが空いていた。/ 空席が出るのは傍聴して理解できた。「傍聴部屋の撮影は禁止」「ニュースの配信は終了後」と規制だらけ。映像はなく、天井の2つのスピーカーから菅の声が流れてくる。校内放送で教頭の話を聞かされているようだ。

 インタビューはわずか30分で終了。仏紙「リベラシオン」と「ラジオ・フランス」の特派員・カリン西村氏は傍聴を終え、うんざり顔である。話を聞いた。/「質問者をわずか3社の記者だけに限定し、他は傍聴部屋で映像すら見せない。国のトップがこのような閉鎖的な“会見”をするのは、あり得ない。私は20年以上、記者をしていますが、見たことも聞いたこともありません。政府側から、オープンな会見ではなく、こういう対応になっている理由の説明もない。しかも、今日の3人の記者はそのことを質問しませんでした。代表して質問しているのですから、まず1問目で、これから始まる異常な“会見”についてただすべきでしょう」

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 上の二枚の写真。これまでは「写真の余白」などといって、写し取られた背後や後景にまつわる無駄話をして「自主トレの楽しみ」にしていましたが、今回は暢気に遊んでいる場合じゃない、こいつは本気で狂っていると寒々としてきました。余白ではなく、写真そのものから「卑屈と傲慢」の同居した人間の質に隠された闇の部分が見え透いています。一番上の写真の左右にいる「マスクをしたお稚児さん」「提灯持ち」、いわゆる大新聞社の記者諸氏だそう。いったい何をしているのか。まるで「太刀持ち」と「露払い」染みていますが、それは奥に鎮座している「横綱」の土俵入りのお飾りの如くですね。

 いったい、どこからこんなグロテスクな発想が生まれたのか。きっと「任命除去」を犯した無知のなせる業。側用人が糸を引いて上座に鎮座させて、哄笑だか馬鹿笑いしている声が聞こえてきそうです。取り巻きの忠言を認めない、もちろん忠言などしない。諫言などはご禁制・ご法度。まるで太平洋を隔てた隣国のボスと子分の相似形です。「珍奇」「珍無類」というほかないですね。みずから「人前に出せる顔(人間)」ないことを白状している、情けないとも恥ずかしいとも感じない「外面柔和風」で「内面男夜叉」じゃないでしょうか。これを支持する人が七割、悪い冗談を通り越して、異島の話にしたいのですが、まがうかたなく、この劣島の現在であります。いったいこの御仁は、どこを見て、何を考えて、そこにいるのか。

 (つまらない逸話か。第十代横綱照國萬蔵さん(1919 – 1977)は、秋田出身。PMと同郷同町内ですから、あるいはその誼(よしみ)で、山っ気を起こして「土俵入り」をしたつもりで、記者諸氏を従えたんですな)(右上は千代の富士の土俵入り、太刀持ちは相撲協会、八角(横綱・北勝海・ほくとうみ)現理事長)(永田町場所でも、「ヨイショ、ヨイショ」の掛け声が、ねえ。狂気乱舞です)(こんな「珍百景」のような現場に遭遇するとは、長生きはしてみるものだ、と言いたくないですな)

 今度のPMも「嘘と誤魔化し」「偏見と脅迫」のモザイクづくりです。政治政策は「パッチワーク」(哲学なし)学術会議問題の彼の発言はまず、嘘から始まっている。そんなこと(学術)に、ほとんど興味も関心もないことだけははっきりしています。「先代嘘つき」と瓜二つ。同衾の中でした。権力の座に就くこと、就いていること、手放したくないことだけに懸命なんだ。くわえて、「責任転嫁」です。「責任は俺がとる」「君がまちがえたが、それは俺の責任だ」というのがまともな大人、上に立つ人間の「責任転嫁」「責任の取り方」だと、ぼくは考えています。

 「除去」された六名は知らないと、「九十九名」しか見ていないと「白を切る」という醜悪な場面も、先代にそっくり、どうしてこうも人品の下卑たのしかPMにならないのか。すべてとは言わないが、大方の政治家は「何とか顕示欲」だけが一人前さ。なってはいけないヤツがなるのもまた、民主主義の暮れ方、あるいは夜明け前の光景・後景なんですかな。いったい、何が正体を現すのか。鬼か蛇か。

 好きで駄文を書いているわけではありません。こん「手合い」につきあっていると、肝心の「自主トレ」の効果はすべてご破算になってしまう。秋空の回復を願い、「自主トレ」の順調なるを祈るのみです。(右は梅原龍三郎「北京秋天」二十歳頃に観て、直ちに梅原ファンになった作品)

  富士秋天墓は小さく死は易し(草田男)

  「狂と呼び、痴と喚 (よ) ぶ。敢て管せず」(坪内逍遥「当世書生気質」)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。