味を見て塩を振る。パセリを散らし…

キノコとソーセージのパスタ(京都新聞・2020年11月3日 6:00)
 
<日曜日のごちそう 森下美津子>

【材料】(2人分)*好みのパスタ    乾麺150g

*キノコのペースト    大さじ2~3 *:パセリ    1~2本(みじん切り)

*レモン    1/4個 *ソーセージ    2~4本

**塩    適量 *オリーブオイル    適量

【作り方】(1)パスタを塩ゆでする。(2)フライパンにオリーブオイルを温めソーセージを焼く。別皿に取る。キノコのペースト、パスタのゆで汁おたま2杯を温め、パスタを絡める。味を見て塩を振る。パセリを散らし全体に絡めて器に盛る。ソーセージとレモンを添える。

【ワンポイント】パセリの代わりに好みのハーブを使ってもよいでしょう。

◆森下美津子 もりした・みつこ 静岡県浜松市生まれ。インテリアデザインの仕事を経て料理家に転身。2003年から京都市内で、パンや料理の教室「日曜日のごちそう」を主宰、ジャムや焼き菓子制作も手掛ける。右京区在住。http://dimanche.cocotte.jp

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 料理(というほどのものではありませんけど)、自分でつくることがあります。好きというほどでもないが、面倒を厭わないでよく包丁を持つ方でしょう。食事後の洗い物などは一手に引き受けていますよ。これは大好きで、気分転換には最良の作業だ。相当に長い間、ある職業についていたんですが、定年(停年・諦念)の少し前に辞めました。一つ所に長居しすぎたという感じを強くいだいていたのです。毎日のように満員の地下鉄に一時間、途中下車もあまりしないで、うんざりするほど通勤しましたし、仕事はたくさんの人の前で話すことがほとんどでしたから、人見知りする人間としては適職じゃなかったという思いも強くありました。(通勤時間は往路は一時間余でしたが、帰りはまちまち、翌朝になることもしばしばでした)

 とにかく人混みを避けたいと、離職する前からひそかに「出家」というか「家出」を思い描いて、宿探しをしていたのです。当然に、かみさんはついてこないなという直感はありましたから、さっさとぼくは一人で転居し、今の陋屋に住み着いたというわけです。「房総半島のど真ん中」という触れ込みで町の宣伝をしている地域でした。「住めば都」ではありません。住んでも田舎、それがちょっとした山の中の生活です。この付近を明治二十四年だったか、正岡子規が歩いたという記録が子規の文章で記録されています。菜の花畑で「用を足した」という程度です。何句だったか詠まれています。周囲十キロにはコンビニが一軒だけ。ばくはコンビニ嫌いですから、それなりに生活用品の調達は不便。 

 一人住まいが五年以上続き、昨年三月にかみさんがやってきました。たがいに歳も取り、かみさんの病院通いも続いていたので、田舎は嫌だと寝言を言っていましたが、同居するようになった次第です。それまでの五年間、ぼくは自炊です。洗濯掃除を含めて、「自分のことは自分で」主義でしたから、まあ、苦労もなく淡々と(「粛々と」ではなく、ぼくはこの語を使う人間を嫌います。理由はいずれ)、明け暮れにいそしんでいたということもできます。炊事洗濯庭掃除、これらは実に健康、それも精神の健康には格好の常備薬です。いつでも「集中」できて、「世迷いごとからの解放」ができ、心身をすっきりとさせてくれるのです。まあ「救心」「休心」のようでもありますね。この快感を他人に奪われたくないと、いつも考えていました。

 辺鄙なところに来た理由は、頼まれた本を出版するための原稿書きがあったからです。三冊ほどが予定されていましたが、住みだし始めて、こんなところに来てまで「原稿書き(原稿打ち)かよ」と、出版社との約束を反故にして、人海からの逃避を完成しようとしたのです。「不義理よ 今夜もありがとう」などというふざけたことを言いながら、ここで暮らして七年目間近です。

 料理と言えなくもないのですが、何かといろいろと作ります。かみさんが来てからは、彼女にほとんど夕食の準備は任せております。その方が何かと好都合ですからね。今のところ、食材は毎日買い出しに行きます。十キロも離れた商店街(スーパ―)まで。と、こんなことを書いていても仕方がないのでこれで終わり。あまりいいニュースもうわさもありそうにないので、趣向を変えて「レシピ」です。ぼくは原稿を書く時と同じように、あまりレシピ(文献)などに頼らない。適当、いい加減に「勘を頼りに」物事を進める方です。 本日は「日曜日」ではありませんけれど、その気分で、森下さんのお世話になろうという仕掛けです。うまくいくかどうか。(その前に、朝食の用意です。山の神は爆睡中。ただ今、7:00AM)

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。