是小判たつた一晩居てくれろ

 昨日の昼過ぎに(拙宅は固定)電話で呼ばれて、久しぶりに年下の女人とお会いしました。「年下の男の子」は「キャンディーズ」でしたが、ぼくにもたくさんの「年下の女の子」の友人はいます。(下は三歳くらいから、数知れず)年齢にこだわらず、ぼくは暇があれば誰彼となくつきあってきました。後期高齢者になった今も、声がかかれば、家に来てもらったり、近くの駅まで会いに行くことにしています。昨日会ったのは、何年も前に四、五年付き合っていた方でした。数年ぶりの邂逅でしたが、なんといまは都の公立学校の教師をされていました。時節柄、なにかと大変な仕事ですが、ぼくは、学校の教師、と聞いただけで偉いなあと感心することにしています。その「感心」にはいろいろな意味が込められています。ちょっとばかり羨ましいという気持ちと、ぼくにはとてもなれない仕事だという尊敬の念(それは「いまどき、その職に携わるとは、勇気があるなあ」というものでもあります)と、それが入り混じって少しばかり複雑な気持ちになるのです。

 彼女は就職二年目だということでしたが、若しこれからしばらくこの仕事をつづけられるなら、初めの五年くらいがとても大事な時期だと思う。いくつかの理由がありますが、ここでは詳細は省きます。どういうわけだか、ぼくはに学校教師の友だちが多かったし、いまでもたくさんの人と交際(?)しています。この島の学校教育の歴史や教職の現実を、それなりに知っているつもりでいますから、教職が楽しい仕事、やりがいのある職業だと信じていながら、いざやってみると、どうしようもない垢や埃にまみれた職業のように思えても来ます。若い人にはなってほしくない職業でもあるといいたい時もあるのです。(要するに、教師は「公務員」であることは確かですが、それになりきってはダメだといいたいね。まず、真っ先に「人」であることですよ) 

 数年ぶりで逢ったので、積もる話があるみたいに、ぼくはつまらないことを駄弁りました。若いころ、学校を卒業して、ふるさとの山の学校の教師にでもなろうと考えていたのでしたが、紅灯の巷のような、これに近い岡場所で難破して、だらだらと都会の一隅で逼塞する羽目になったのでした。だから、彼女が中学校の教師になっていると聞くだけで、ぼくの見果てぬ夢を、白昼に見る如く、まるで自分の事のように身を乗り出してしまうのです。(これはたくさんあるぼくの悪癖の一つです)

 学校教育の歴史の中で見るべきものはほとんどなく、「権力による暴力的支配」の惨憺たる腐敗史でしかない中で、何人も何十人もの尊敬おく能わざる教師たちの仕事ぶりに、ぼくは前を見て、しっかりと自分の脚で歩くことの大切さを教えられてきました。先達(せんだつ)は、文字通り、導きの糸のように、迷える羊を何とか歩かせてくれたという感謝の気持ちを失わないで生きてきたと、今でも断言できそうです。

 友人として、彼女に何か気の利いたことを伝えられないのはぼくの無能のゆえであることは、その通りです。今も昔も、教師の置かれた状況はよくはないし、むしろ年々悪化しているのは素人目にもわかる。ぼくは自分にも言い聞かせてきたことがあります。ほかでもない「現場主義」です。大工さんにみられるように、どんな職人にも自らの本領を発揮すべきは「現場」であり、職業の成功も失敗もそこ以外にない、そんな「現場(教室)」を教師もまた、心行くまで大事にしてほしい、たったそれだけの事を言いたくなったのでした。雑用も多いし、教委や管理職のお節介も煩わしい、加えて、モンスターだか怪獣だかに等しい、一部の親たちの「イチャモン」もくそ五月蠅い。そんなものに、いちいち応接していては「現場(教室)」がおろそかになるだけだし、それをいいことに「現場」で手を抜くことにしかならない。

 そんな雑音には「耳栓(ミュートボタン)」をしっかりと抑えることです。どんな職業でも、要領(コツ)を得るには時間がかかる、いや時間をかけなければ「習熟」も「成熟」もない。長い長い修練の果てに、少しでも「成果」が得られれば、望外の喜びだとぼくは考えてきました。教職のもっともいいところは、自分自身が子どもにそそのかされて成長できるという事実です。それがなければ、ただただ、しんどいばかりの仕事だというほかありません。「もの言えぬ公務員」にはなりたくありませんね。自分をさ立てる人は、よく他人をも育てられるのです。

 だらだら喋っているうちに時間ばかりが過ぎていました。駅まで送るつもりで車を走らせたのですが、「時代遅れ」のぼくとしては、まず経験できないような「スマホ」での「電話面接」を彼女は設定してくれたのでした。画面には、昔別れて、それ以来逢っていなかった二人の女性が映りだしました。懐かしいというより、元気で立派にお母さんをしていたり、OLさんだったりしているという、今の姿を見せていただいたことに、感謝したくなりました。こちらはひたすら馬齢を重ねて、もう先がありません。いろいろと書きたいことがあるのですが、ここまでに。(その前に、ラインの場に行く前に、ぼくはFさんと「橘神社」(茂原市)に出かけたのですが、そのことも後日に)

 最初に駅前でお会いした人にちなんで、ぼくはある新聞の「コラム」の記事を書こうとしていたのですが、つい横道に入り込んで抜けられなくなった。一人のときは無口ですが、誰かが相手だと、無口が有口になり、自分でも驚嘆するほどです。このメカニズムはどうなっているんですか。

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【越山若水】「誹風柳多留(はいふうやなぎだる)」は江戸時代の川柳集で、庶民の暮らしや人間模様が生き生きと詠まれている。250年の歳月を経ても物の見方や感じ方は変わらず、面白さがじんわりとこみ上げる▼「江戸者の生(うま)れそこなひ金をため」。江戸っ子は宵越しの金は持たない―とばかり、小金に執着する田舎者を軽蔑した。さらにこんな鼻持ちならない句も。「むく鳥も毎年来ると江戸雀(すずめ)」。地方出身者が年を重ねるごとに江戸の世情に詳しくなる様子をからかった

▼この「むく鳥」こそ、農閑期に信濃(長野県)や越後(新潟県)などからやって来る出稼ぎ労働者の総称。寒くなると群れをなして人里に現れ、やかましく鳴くムクドリになぞらえた。本来は里山の広葉樹や竹藪(やぶ)に生息し、植物の種子や虫の幼虫などを餌にしている▼しかし近ごろは都市に適応し、街路樹やビルをねぐらに集団で生活。大量の糞(ふん)と甲高い鳴き声が汚染・騒音の二重被害となり住民は閉口している。ちなみに大群で群れるのは餌を効率的に手に入れ、地上のキツネや上空のタカなどの捕食者から身を守る戦略だという▼町に進出し幅を利かせるあまり、今やすっかり嫌われ者。「椋鳥(むくどり)と人に呼ばるる寒さかな」。小林一茶が信濃から江戸に向かう道中に詠んだ一句。ムクドリも同じ心境だと思うが、できれば山のねぐらにお引き取り願いたい。それで全て丸く収まる。(福井新聞・202011/21)

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 「誹風柳多留」は、ぼくの「枕」のようなものです。長い間、なにかと愛読してきました。江戸の先達は「粋」だったんですね。「肩で風切る」「五月の鯉の吹き流し」などどいいましたが、嫌味が残らない、さっそうとした誹風が気に入ってしまったのです。人口に膾炙したものがたくさんあります。その内のいくつかを。(平凡なものばかりですが)

 子を持ってやうやう親のばかが知れ  孝行のしたい時分に親はなし  

 孝行のしたい時分は我も耄(ぼ)け  役人の子はにぎにぎをよく覚え

 寝て居ても団扇のうごく親心  泣き泣きもよい方をとるかたみわけ

 子が出来て川の字形(なり)に寝る夫婦   是(これ)小判たつた一晩居てくれろ

”””””””””””

 江戸街中に移住(タイムスリップ)したいというのではありません。そこもまた「世間」であり、息苦しさもあったはずです。でもそれを笑いのめしたり、茶化したり、あるいは虚仮にして生きるだけのしぶとさもあったのではないですか。ぼくたちの時代に欠けているのは「笑い」であり、「風流」であり、「洒落」であると、ぼくは痛感しています。何事も「真面目」にすぎます。これは学校教育の弊害ですね。教師は自分に似た「真面目っ子」を贔屓にします。でも「真面目」というのは、よく考えると怖いんですぜ。まじめに他人を貶める、辱める。挙句には、まじめに人を殺めたりする。「真面目」には遊びも余裕も入り込む余地がないからです。

 だからこそ、政治も教育も「洒落」や「軽妙洒脱」な生き方の流儀を貫けば、今少し笑いや喜びも増そうというものです。「笑う」というのは、余裕の証であり、ゆとりのなせる業です。ゆとりを失うと、深刻(真面目というより、生真面目になる)な面持ちになり、それがだんだんとひきつって、遊び心を失って自暴自棄に走り出すのでしょう。(昔、お付き合いしていただいた「年下の女性」たちの幸運を祈るや切です。どなたも新型コロナやインフルエンザに罹患しないこと、それこそは今の世の幸運(good luck)なんですね)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。