民主主義を求め続けて

 新聞社に通報してから十数日も経ってから、隣組の組長のかみさんに呼び止められた。

「あんただってねえ、選挙違反を投書なんかしたのは。今日十何人もの人が警察に呼ばれたんだけど、まだみんな帰ってきていないから、帰ってきたらみんなしてお礼にゆくそうだから―」

「お礼? お礼にきてもらう理由もないし、かえって迷惑しますから結こうです」

「あんたも学生なんだから、他人を罪におとしてよろこんでいることが良いことか悪いことかくらいはわかるでしょう。自分の住んでいる村の恥をかかせてさあ…。」

「自分が住んでいる村だからこそ抗議したんです。自分の住んでいる村がこんな不正を行っているということは、ほんとうに悲しむべきことではないんですか。」

「そんなことをいったって、違反のおきたのは上野村だけではないのに。」

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 その後、さつきとその一家は嵐に襲われることになる。いわゆる「村八分」が始まったのです。

 《正しいと思って行ったことに対する報酬は重すぎた。村人の感情がこんなにも古く、時代の逆流がこれ程に激しいとは予期しなかったし、今もって結論しかねる。信念はどんな理由によっても曲げられてはならぬ、偽ってはならぬと固く信じて来たつもりだったし、今後も信じ続けたい。信念を装わずに生きることさえ不可能だとしたら ― 時がくるまで一生の間カムフラージュしつづけて米をかまなければならないのか》

 (「石川少女の村八分事件は、単に彼女が村八分になったという問題にとどまらず、日本じゅういたるところに見出せる問題、即ち、社会のしくみ、不正や矛盾を黙って見すごさない者、草の根にあって目を覚まして、「これは不正だ」と発言する者が直面する人権の危機を照らし出した。日本弁護士連合会人権擁護委員会も特別委員会を設け、十名の委員を現地へ派遣している」(武田清子編『人権の思想』・『戦後日本思想体系2』筑摩書房刊)

 《あれからすでに五ヶ月がながれました。白眼視の中に苦しんだのは田植の季節だったのに、もはや黄色の稲が波うつ季節となりました。善良すぎる近所のひとたちはたれにも気がねなく話してくれるようになりました。だがしかし完全にわたしのやったことをみとめてくれる人ばかりではありません。しかしわたしはあせるまいと思います。過去何十年何百年の年月、ただ働かねば生きられなかった百姓のおじさん・おばさんには、選挙違反なぞということで罪にとわれるのはあまりにもかわいそうすぎるという考え方がぬけきらないのです。

 選挙がどんなに大切なのか、三百円もらって売渡してしまった権利が、働けど働けど生活の楽にならないひとびととはくらべものにならないオエラ方の利欲のために利用されているのだということ。そういうオエライ方々は金もうけのために働くひとびとの生命を犠牲にする戦争さえおっぱじめるのだということ。生命をうばわれるのはおばさんの息子であり、わたしたちなのだということを、わたしは、わたしをとりまく多くのひとびととともに考えなければならないのです。

 そういう組織化された社会的な努力をわたしも多くのひとびとともにしなければ、わたしを含める多くのひとびとの幸せはけっしてやって来ないのです。

 やがてわたしのやった行為も、わたしのまわりの農民のひとびとに理解してもらえる日もくるでしょう。そのときこそ、わたしたちがいっしょになって、私たちの不幸に対決できる日であり、新しい歩みのために力をあわせられる日であることを信じて、わたしはこれからも努力してゆく決意をかたくしています》 (石川さつき「真実のともしび」『村八分の記』所収)

 今から七十年近くも前の、山村に起こった「村騒動」、「村八分」事件。その発端は一人の高校生のまっすぐな信条でした。貧しい農村の「無教養な農民」たちは、村の顔役のいいなりに不正選挙に荷担した。それを黙って見すごしにできない石川さつきという高校二年生でした。

 《わたしは、じぶんがしたことは、たいへん小さなことにすぎなかったと思っています。えらいことをしたとか、たいへんなことをしたとかいって、ほめられたり叱られたりするわけは、すこしもないと、思っています。

 それだのに、たいへんほめられたり、たいへん叱られたりしました。

東京新聞(15/01/09)

 どうか、日本じゅうにかぞえきれないほどある、こういうことを、みつめていただきたいと思います。どうか、かぞえきれないほどの、こういうことを、黙って見すごさないでいただきたいと思います。

 不正を見ても、黙っているのが、村を愛することであったり、お国を愛することであったりすることだけは、やめていただきたいと思います。

 わたしは、思いがけない社会の波に、もみくちゃにされて、悲しがったり、さびしがったり、はげまされてうれしかったり、いろいろなことを教えられました》(前掲書「まえがき」より)

 学校教育は一人の「石川さつき」をよく育てることができるか。いまもそれが問われているのです。

 そして、今現在、この島社会の方々で「街恥部」が頻々と起こっています。「外出自粛」の強要はなお続いています。異国では「マスクしていない」と注意された方が相手を射殺したというニュースがありました。どうしても例外を許したくない気分が充満しています。「おれはこんなに我慢しているのに」「なんでお前たちは」というだみ声の大合唱です。この状況は「珍奇な校則」をこれ見よがしに破る「不良どもに」対して、優等生たちがいだく感情とそっくり。「ぼくたちは守っているのに」「なんであの人たちが破るのを見逃すんですか、先生」と矛先は教師に向かう。このとき、教師(行政・政府)はどうするのでしょう。(この項、つづく)

*むら‐はちぶ【村八分】 の解説 江戸時代以降、村落で行われた私的制裁。村のおきてに従わない者に対し、村民全体が申し合わせて、その家と絶交すること。「はちぶ」については、火事と葬式の二つを例外とするところからとも、また「はずす」「はねのける」などと同義の語からともいう。 仲間はずれにすること。(デジタル大辞泉)

投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)