
【南風録】漁師が舟で川をさかのぼっていたところ、桃の花が咲き誇る林に迷い込んだ。林の奥の洞窟を抜けると、人々が豊かで平和に暮らす別天地があった。▼4世紀頃の中国の詩人・陶淵明が著した物語である。理想郷を「桃源郷」と呼ぶ由来となったことで知られる。この話が象徴するように、中国では昔から桃には「不老長寿」や「魔よけ」といった不思議な力があると信じられてきた。▼“信仰”は今でも根強いと聞く。昨年末、中国で新型コロナが感染爆発した際に、桃の缶詰が店頭から消えた一因だったらしい。中国ほどではないが、日本でも行事の中に息づく。▼きょうは女の子の健やかな成長を願う桃の節句。その名のいわれは、花が咲き始める頃という以上に、桃の力で「邪気をはらう」風習が中国から伝わって定着したためだそうだ。ひな人形とともに飾れば、家の中が一段と華やぐ。▼残念ながら梅や桜に比べて印象が薄い。開花期が近く見分けもつきにくいせいだろうか。一般的には梅の花びらの先は丸く、桃はとがり、桜には切れ込みが入る。フラワーパークかごしまの古園郁郎栽培管理総括監に教わった。▼陶淵明の物語で、漁師が訪れた村に住むのは、戦乱の世を逃れてきた民の子孫たちだった。世界では今なお戦火が絶えない。暗い洞窟の先に、明るい光を見つけたい。全ての人が桃源郷にたどり着ける日が来るよう願う。(南日本新聞・2023/03/03)(ヘッダーは「帰去来辞」詹仲和筆(明時代)・九州博物館蔵)

毎日、見るともなく目を動かしていると、思わぬ「目の徳」に恵まれます。本日は三月三日。数ある重陽の節句のうち「桃の節句」です。あまり縁もない習わしでしたが、かすかな記憶が消え残っていて、毛氈を敷いた芝の上かどこかで「うれしいひなまつり」が流れている。もう六十年も七十年も前の一コマです。駄弁りたいのは「桃の節句」に因む「桃」であり、桃からの連想での「桃源郷(とうげんきょう)」であり、その作者の陶淵明について、です。淵明には、一体何年ぶりに相まみえることになるのか。四世紀後半から五世紀にかけて生きた詩人。彼の「帰去来辞」について、拙なる思いの幾ばくかを考えてみたくなったのです。「桃源郷」とは「理想郷」であり「ユートピア」、「有難境」です。あるはずのない、架空の地であり、願うことこの上ない別天地。この「別乾坤」をおおらかに謳ったのが陶淵明の「桃花源記」。桃の花の妖艶な雰囲気が蔓延する理想郷。そこにはたくさんの「桃太郎」が住んでいたかもしれません。一体それはどんな場所でしょうか。

(余談ですが、この三月三日は「桃の節句」であり、桃の花が楽しまれ、愛でられるという。桃の実や花には生薬の効き目があり、ことに女性特有の症状に覿面(てきめん)だとされる。下衆の勘繰りですが、この「桃源郷」にはきれいなお姉さんたちがさぞ賑やかにくつろいでいることでしょう。それはまた、浦島太郎の「竜宮城」もかくあるやと思わせるばかりであったかもしれません。タイやヒラメの舞い踊り、乙姫様の接遇に現を抜かしているうちに、太郎さんは帰るのを忘れるほどだった。二度と再び、浦島太郎さんは竜宮城へ行くことはなく、土産の玉手箱をけると「あっという間におじいさん」になったという。どちらが先か後か。浦島さんと淵明さんの描き出した世界は、人間の争いの絶えない世界とはまったく趣を異にしていたことでしょう。「月日の経つのも夢のうち」と謳ったのは浦島さんでした。時間は桁違いに早く過ぎゆく場所でした。
以下、まことに勝手放題に「帰去来辞」を引き出してみます。あえて断りはしませんけれど、先学の読み方を大いに参考にしています。驚くべきか、官途につくこと一年未満、職を辞して帰郷を果たしたのは、なんと陶淵明、三十歳の頃と言います。「帰去来辞」に描かれた田園生活は、五世紀初頭。その身の振り方の決然たる姿を見て、ぼくは中国という国の「歴史の深み」を感じさせられています。この島の五世紀は、大和政権の土台ができつつある時代だったでしょう。それゆえに、ここに、一人の陶淵明がいなかったということはできませんが、いさぎよく官職を辞し、自適の生活に入るという、若干三十歳の青年を想像することは、ぼくにはとてもできそうにない「芸当」です。なお、大意は、下に引いた辞書の説明において簡潔にまとめられているので、それに譲ります。(「帰去来辞(ききょらいのじ)(Gui-qu-lai ci)」しかし、陶淵明は、名うての「虚構の詩人」でもあったとされてきました。

時は今、春の訪れが「帰郷」を盛んに促す。官に仕え、自分を殺して生きて何になろう。済んだことは取り返しもつかないが、先のことはなんとかなる。余計な道に迷い込んだが、まだ自分は若い。引き返すには十分に若い。農民たちは春たけなわの訪れを告げる。西に農作業が待っているのだ。木々は盛んに延び、泉からは水がほとばしる。万物は時を得、自らの人生の行く先を知る。自分の人生も残りわずか。残る人生を意のままに生きようとしないか。なぜ、意に沿わぬ生き方を願うのか。自然のままに身を任せ、齷齪しないことだ。「富貴非吾願、帝郷不可期」富貴何するものぞ。帝都には自らの覚悟が活かせるものはなにもない。ひたすら土を耕し、詩を作ろう。

明るく未来を照らす、人生の覚悟を求めるのに、春のうららかさはもってこいであると思われます。桜ではなく、桃の花咲く「桃源郷」、なかなかお目にかかれない。ほんの数度、列車の車窓から眺めたばかりです。あれは甲斐の国だったか。つい先程、ぼくはいつもどおり散歩に出かけ、いささか手の入りすぎた「梅源郷」を歩いていました。そこへ、角刈りあんちゃんが犬の散歩に来ていた。小型犬だったが、リードを着けないで放し飼いにしていた。それを近くで不審そうに見ていたおじさんが「リードはつけろ」と注意すると、あんちゃんは怒りだし、物騒な雰囲気になりました。「桃源郷」は「あるはずのない理想郷」なんですね。喧嘩にはなりませんでしたが、犬の首輪にリードを繋ぐ繋がないで、大人たちが喧嘩です。「県の条例にもあるだろっ」「それがどうした」と、売り言葉に買い言葉だった。嫌なものを見たと、気分治しに回り道をしてしまった。そのせいかどうか、歩数は予定をオーバー、1万3千歩だった。得をしたのか、「草臥(くたびれ)」たのか。
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帰去来辞
帰去来兮。田園将蕪、胡不帰。(帰りなんいざ。田園将に蕪(あ)れんとす、胡(なん)ぞ帰らざる)
既自以心爲形役、奚惆悵而独悲。(既に自ら心を以て形の役と爲なす、奚ぞ惆悵(ちうちやう)として独り悲しまん)
悟已往之不諌、知来者之可追。(已往の諌められざるを悟り、来者の追ふ可きを知る)
実迷途其未遠、覺今是而昨非。(実に途に迷ふこと其れ未だ遠からずして、今の是にして昨の非なるを覺る)(中略)

農人告余以春及。将有事於西疇。(農人余に告ぐるに春の及べるを以てし、将に西疇(せいちう)に事有らんと)
或命巾車、或棹孤舟。(或いは巾車に命じ、或いは孤舟に棹をさす)
既窈窕以尋壑、亦崎嶇而経丘。(既に窈窕(えうてう)として以て壑(たに)を尋ね、亦崎嶇(きく)として 丘を経(ふ))
木欣欣以向栄、泉涓涓而始流。(木は欣欣として以て栄に向かひ、泉は涓涓として始めて流る)
善万物之得時、感吾生之行休。(万物の時を得たるを善しとし、吾が生の行休するを感ず)
已矣乎。寓形宇内復幾時。(已んぬるかな、形を宇内に寓する復た幾時ぞ)
曷不委心任去留、胡爲遑遑欲何之。(曷ぞ心を委ね去留に任せず、胡爲れぞ遑遑(くわうくわう)として何に之かんと欲する)
富貴非吾願、帝郷不可期。(富貴は吾が願ひに非ず、帝郷は期す可からず。)
懐良辰以孤往、或植杖而耘耔。(良辰を懐ひて以て孤り往き、或は杖を植(た)てて耘耔(うんし)す)
登東皋以舒嘯、臨清流而賦詩。(東皋(とうかう)に登りて以て嘯(せう)を舒(の)べ、清流に臨みて詩を賦す)
聊乗化以帰尽、楽夫天命復奚疑。(聊か化に乗じて以て尽くるに帰せん。夫の天命を楽しみて復た奚をか疑はん)(とても長いもので、その一部だけを出してみました。いずれ、略したところを含めて、全編を提示してみたい)
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● 桃源郷(とうげんきょう)=世俗を離れた仙郷、別天地。理想郷、ユートピアと同意で、武陵桃源ともいう。中国、東晋(とうしん)の太元年中(376~396)武陵の漁師が舟で川をさかのぼってモモの花が咲きにおう林に迷い込み、林の尽きる水源の奥の洞窟(どうくつ)を抜け出ると、そこには秦(しん)の戦乱を避けてこの地に隠れ住んだ人々が、漢・魏(ぎ)・晋(しん)と数百年にわたって世の中の推移も知らず、平和な別天地での生活を営んでいた、と記す陶淵明(えんめい)の『桃花源記』による。(ニッポニカ)
● とうかげんき〔タウクワゲンキ〕【桃花源記】=中国の伝奇小説。東晋の陶淵明作。桃の花の林に迷い込んだ武陵ぶりょうの漁師が、外の世界と隔絶した平和で豊かな村を見つけるが、もう一度行こうとして果たせなかった物語。「桃源郷」の語のもととなった。(デジタル大辞泉)
● 陶淵明(とうえんめい)(Tao Yuan-ming)[生]興寧3(365) [没]元嘉4(427)=中国,六朝時代の東晋末~南朝宋初の詩人。潯陽 (じんよう) 柴桑 (江西省星子県) の人。名は潜。一説に名が淵明,字を元亮ともいう。諡は靖節。東晋初の名将陶侃 (とうかん) の曾孫とされるが確かではない。下級貴族の出身で,生活のため 29歳頃から数回官途についたが,肌に合わず,義煕1 (405) 年彭沢 (ほうたく) 県令をわずか 80日で辞し,『帰去来辞』にその気持を託して故郷に帰り,田園で農耕生活をおくった。あまり技巧を用いない平淡な詩風は,当時は軽視されたが,唐以後は六朝最大の詩人として名が高くなった。『五柳先生伝』『桃花源記』など散文にもすぐれ,また志怪小説集『捜神後記』の作者にも擬せられている。日本でも最も愛読されている中国詩人の一人。(ブリタニカ国際大百科事典)

● 帰去来辞(ききょらいのじ)(Gui-qu-lai ci)=中国,東晋末~宋初の詩人陶淵明の散文作品。義煕1 (405) 年成立。官位を捨て故郷の田園に帰る心境を述べる。4段に分れ,それぞれ異なる脚韻をふむ。第1段は官吏生活をやめ田園に帰る心境を精神の解放として述べ,第2段はなつかしい故郷の家に帰り着き,わが子に迎えられた喜び,第3段は世俗への絶縁宣言をこめた田園生活の楽しさを,第4段は自然の摂理のままに終りの日まで生の道を歩もうという気持をうたいあげている。天下国家に対する志と世俗の塵に合わぬ性格との矛盾に苦しんだ作者が,苦悩の末に隠遁の道を選んだ心の屈折を,楚辞の体にならいながら,高い格調で表現している。陶淵明の代表作であると同時に,六朝散文文学の最高傑作の一つとして,後世に与えた影響は大きい。(ブリタニカ国際大百科事典)
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