香れや香れ 月桃の花 永久に咲く身の…

【近口木舌】小さな手で織った千羽鶴 小さな手で折った千羽鶴が手向けられた。名護市屋部地区の平和祈願祭。風の子保育園おおぞら組の園児たちが「世界が平和になりますように」と願いを込めた▼屋部中3年の荻堂志音さんは、ウクライナや中東で「私たちと同じような子どもたちや罪のない人々の命が毎日のように奪われている」と訴えた。81年前にこの島で起きた悲劇と同じ苦しみが、今も世界のどこかで繰り返されている、と▼金武町の戦没者追悼式では、「平和の誓い」を読み上げる児童生徒の頭上を、米軍ヘリが重低音を響かせて横切った。命の尊さを伝える言葉に、沖縄の現実が覆いかぶさる▼世界は危うさを増す。力の支配、勇ましい言葉。県平和祈念資料館の「むすびのことば」を思う。「沖縄戦の実相にふれるたびに 戦争というものは これほど残忍で これほど汚辱にまみれたものはないと思うのです」「この なまなましい体験の前では いかなる人でも 戦争を肯定し美化することは できないはずです」▼慰霊の日に、沖縄戦の教訓と子どもたちの願いを胸に刻む。次の世代に残すべきは誰も戦に巻き込まれない未来である。(琉球新報・2026/06/23)                              

 (ヘッダー写真は「千葉県国府台女子学院6年生」・https://www.konodai-gs.ac.jp/blog-elementary/diary-elementary/45788/

 沖縄戦、八十一年の後。世界においてはいささかも変わらずに、言語道断の暴力が蔓延し、惨憺たる殺戮を繰り返し、昼夜を問わずに、無辜の民の頭上でミサイル弾を破裂させている。「屋部中3年の荻堂志音さんは、ウクライナや中東で『私たちと同じような子どもたちや罪のない人々の命が毎日のように奪われている』と訴えた。81年前にこの島で起きた悲劇と同じ苦しみが、今も世界のどこかで繰り返されている、と」「金武町の戦没者追悼式では、『平和の誓い』を読み上げる児童生徒の頭上を、米軍ヘリが重低音を響かせて横切った。命の尊さを伝える言葉に、沖縄の現実が覆いかぶさる」戦争反対を祈念・祈願する民の声を圧殺する戦争への意志、この相対峙する戦いのさなかで、ぼくたちは、偽りのない反戦と言われなき参戦の間の「戦いの事実」をいかにして受け止めるか。受け入れるのではなく、この非情極まりない「現実」を自分はどう受け止めるか、それが問われています。

 毎年、総理大臣が沖縄にやってきて「型通りの挨拶」を読み上げかつ読み捨てて本土へと帰る。広島と長崎の原爆慰霊祭には時の総理大臣が同じ「言葉(コピー)」を臆面もなく読み上げたこともありました。死者への「冒涜と侮辱」の極みでもありました。もちろん、生きている人々にも最悪の侮蔑を見舞ったものでした。沖縄に来たある内閣の官房長官は、「私は沖縄の歴史はよく知らない」と、来沖の事情を語らなかった、いや語れなかったし、語ろうとはしませんでした。これもまた人をして、語る言葉を失わせる、こころない仕業だった。だれであれ、政権の座に就くと、「沖縄戦」(に限らず)からは、できれば目を背(そむ)けたい、歴史の事実としてはなかったことにしたいという、驚くべき姿勢をあからさまに見せつけてきました。自分が生まれていない時代の戦争だから、責任の取りようがないという趣旨の発言を繰り返す首相がいました。その当人が、本日の「慰霊の日」、式典に参加するという。過般にあった「昭和の日」の呆れ果てた振る舞いの、まさか「二の舞」になるのでしょうか。

 醜態をさらし続けている彼女のことですから、そんなことはあるはずもないと、断言することがぼくにはできない。とにかく「戦争ができる国」へと、この国の現状を変貌・変質させることが自らの政治権力に託された使命だとはなはだしい誤解を抱き、それを強引にも敢行しようとしている、どの面を下げて「(在沖縄)平和の礎」にいかなる向かい方をするというのでしょうか。

 もう何年前になるか。今は亡き友人と一緒に沖縄訪問を果たし、方々の戦跡や慰霊の場に足を運んだことを、いまさらのように思い出しています。その際、各所を案内してくださったKさんやその母上にも感謝の気持ちをいっぱい持ちました。案内してくれた女性は、米軍人と母との間に生まれた方だった。以来、交流は途切れていますが、皆さんお元気でおられるでしょうか。「慰霊の日」にはきっと、その姿を思い浮かべるのがぼくの習慣になりました。平和公園には何時間いただろうか。随筆家の岡部伊都子さんは「沖縄の骨」という本の中で、沖縄の地にはいたるところで「骨が埋まっている」と早くに書かれていました。

 その「埋もれて、忘れ去られてしまった骨たち」を40年の時間をかけて「掘り起こしている人」がいます。具志堅隆松さん。今月の17日、国会内で「政府交渉」を行い、その場で記者会見が開かれました。「具志堅さんは歴代首相が6月23日に沖縄を訪れ、追悼式に出席してきたことを踏まえ『日本を戦争に巻き込むような発言をした人が、沖縄戦の戦没者に手を合わせるべきではない。発言を撤回しないのであれば(高市首相には)慰霊の日に沖縄に来ないでほしい』と訴えた」と報じられました。

 口を開けば「平和のために」と言いつつ、もう一方の口では「存立危機事態」などという珍言を弄して「ある国と一戦を交える」と公言する、そんな人間が総理大臣であること自体が、「平和」にとっての最大の障害ではないでしょうか。「沖縄返還」に際し、核抜き本土並みと表明しながら「核持ち込み」を密約をしていたのがこの国の政府でした。時の総理大臣は、やがて「ノーベル平和賞」を受け取る。平和賞委員会のメンバーの一人は「彼に授けたことは委員会の最大の過ちだった」と、後年語りました。米軍基地がある限り、いつでも戦争への危機・加担は絶えないのです。今次の「イラン爆撃」にあっても在沖縄米軍は出陣しています。

 壮絶な犠牲を払って(払わされて)、対米英戦争(第二次世界大戦)は終わった。沖縄に多大(過大)な犠牲を強いていた事実は消せません。にもかかわらず、再び同じ過ちを犯そうと、前のめりになっているのが現政府です。「慰霊の日」が、再度の「聖戦の日」への突破口にならないことをひたすら祈るばかりです。(首相の「挨拶」のおおよそは予想が付きますが、実際にそれを聴いた上で、なお書くべきことがあると判断した段階では「追記」をするつもりです)

 (特筆大書すべきこともなく。でも、この場に臨んだことは間違いだったと、ぼくは指摘しておきたいですね。この女性宰相は「歴史」には無到着という以上に、無関心、いや、歴史意識がないのだということです。「沖縄慰霊の日」に語るべきものを持たないでは、語るべきではなかったと思いました。有り体(ありてい)に言うなら、お持ちの持病である「仮病」を理由に欠席されればよかった)(追記 午後 3 時に記す)

 ♫ 「月桃ゆれて 花咲けば 夏のたよりは 南風 緑は萌える うりずんの ふるさとの夏」「香れよ香れ 月桃の花 永久(とわ)に咲く身の 花心 変わらぬ命 変わらぬ心 ふるさとの夏」♫(「月桃」海勢頭豊作詞作曲)(海勢頭さんは、ある時期、ぼくが担当する授業に来てくださった。沖縄問題にかかわる数々の話と、自作の歌を披露してくださった。一別以来、何年になるでしょうか。お元気であることを祈念しています。しばしば、彼は沖縄の「ボブ・ディラン」と称されています)                                                               (⁑「月桃」(沖縄の歌):https://www.youtube.com/watch?v=HQkQmixSMqM&list=RDHQkQmixSMqM&start_radio=1

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 「発言撤回しないなら、高市首相は沖縄に来ないで」具志堅隆松さんが「慰霊の日」を前に国会で訴え 太平洋戦争末期の沖縄戦の犠牲者を悼む23日の「慰霊の日」を控え、遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さん(72)や遺族らが16日、国会内で政府交渉を行った。「沖縄を二度と戦場にしない」という平和への思いから、高市早苗首相の台湾有事発言の撤回などを求めた。(松島京太)
◆「存立危機」発言は沖縄を再び戦場にするということ
 「このような要請をするのは、戦没者に対する最大の慰霊が二度と戦争を起こさないことだと思っているからだ」
 具志堅さんは内閣官房と防衛省、警察庁の各担当者に要請書を手渡す際、厳しい表情で訴えた。

 ガマフヤーの活動の中で、沖縄戦の遺骨が混ざる本島南部の土砂を名護市辺野古の新基地建設などに使わないよう、これまでも政府に求めてきた具志堅さん。
 今回の交渉で特に問題視したのは、高市首相が昨年11月、台湾有事が「存立危機事態になり得る」と発言したことについてだ。
 具志堅さんはこの発言に対して「沖縄を再び戦場にするということにほかならない。日本が攻撃されているわけではないのに、中国と戦争をする必要があるのか」と政府側に問いかけた。
◆戦没者の遺骨混じる土で辺野古埋め立てしないよう訴え
 内閣官房の菅野理彩主査は、政府が説明してきた存立危機事態の定義を繰り返し「高市首相の発言は、政府の立場に沿った発言だ」と述べた。(写真左上:政府交渉に臨む沖縄戦の遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表=16日、国会内で(中村千春撮影)

 具志堅さんは歴代首相が6月23日に沖縄を訪れ、追悼式に出席してきたことを踏まえ「日本を戦争に巻き込むような発言をした人が、沖縄戦の戦没者に手を合わせるべきではない。発言を撤回しないのであれば(高市首相には)慰霊の日に沖縄に来ないでほしい」と訴えた。
 この日は、遺骨が残る本島南部の土砂を米軍基地建設に使う計画を巡っても「戦没者に対する冒瀆(ぼうとく)だ。この計画を撤回していただきたい」とあらためて求めた。
 祖父を沖縄戦で亡くした千葉県の米本和歌子さんもマイクを握り、「遺骨に触らないで。あの一帯(本島南部)は私たちのお墓だ」と非難した。
 防衛省整備計画局の上野耕平防衛部員は、本島南部の土砂はこれまでに使っていないと否定した上で、「今後の埋め立て土砂調達先は決まっていないが、このような歴史のある沖縄において、ご遺骨の問題は真摯(しんし)に受け止める必要がある」と繰り返した。

◆「慰霊の日は遺族と戦没者が向かい合う日」
 近年の慰霊の日には、追悼式会場となる糸満市の平和祈念公園の「平和の礎(いしじ)」周辺での「過剰警備」も問題化している。警察官が大勢で立ち入ってお供え物などを調べた事例もあったという。
 具志堅さんは「平和の礎の中は祈りの場だ。そこに入らないでくれというのが私たちの願いだ」と警察庁に求めた。米本さんも「入られたときはものすごく怖かったし、不愉快だった」と振り返った。
 この日の交渉で要望が受け入れられなかったとして、具志堅さんは6月20日から沖縄県庁前で抗議のハンガーストライキを行うという。
 「慰霊の日は遺族と戦没者が向かい合う日だ。落ち着いて慰霊ができるよう政府は考えてほしい」(東京新聞・2026/06/17)

【春秋】「平和の礎」に名を刻む 沖縄県本部町に住む根路銘シズさん(85)は父の記憶がほとんどないという。福岡県内の炭鉱で働いていた父は出身地の沖縄で召集され、1944年に戦死したとされている。詳しい状況は不明だ▼沖縄戦などで亡くなった人の名前を刻む「平和の礎(いしじ)」に今月、95人が加わった。父の松川清助さんもその一人。根路銘さんは3年前に礎を訪れ、父の名がないことに気付く。追加刻銘は、戸籍の表記が乱れていて家族の証明が難しく、今年になって実現した。「ようやく沖縄でお父さんのそばにいられる」。地元紙の取材に目を潤ませ、そう語っている▼きょうは沖縄戦の組織的戦闘が終わったとされる「慰霊の日」。礎がある平和祈念公園で追悼式が営まれる。戦後81年、刻銘は24万2659人になった▼地上戦に住民が巻き込まれた沖縄では、あまたの命が根こそぎ奪われた。「鉄の暴風」と呼ばれるすさまじい砲爆撃で、そして追い詰められた集団自決で。一家全員が亡くなり、存在を証明できる人がいない例も多い▼聞き取りやわずかな資料を手掛かりに、沖縄の人々は国籍や軍民の立場を問わず一人一人の名を刻んできた。その人の存在をなかったことにしない。決意の作業は続く▼礎はびょうぶの形をして幾重にも並ぶ。鉄の暴風という荒波が、平和の波となって大海原に折り返す-。そんな思いが込められている。世界にその波は届いているだろうか。(西日本新聞・2026/06/23)
【筆洗】面倒で気の進まぬことを【億劫(おっくう)】という。「劫(こう)」とはサンスクリット語の「カルパ」の音訳で、仏教では極めて長い時間の意味である▼やはり仏教に「芥子劫(けしこう)」という言葉がある。巨大な城の中に芥子を満たし、100年に1度、1粒ずつ持ち去って全部がなくなったとしてもまだ「劫」は終わらない。それほどの長い時間である。目的を果たすには【億劫】の時間がかかるとなれば、気も進まなくなるか▼【永劫(えいごう)】。この言葉にも「劫」があり、果てしなく長い時間を意味する。元兵士はその事件についてこう書いた。罪は「永劫に許さ(れ)るべきものではない」。1945年、太平洋戦争末期の沖縄戦で、旧日本軍部隊が久米島の住民を虐殺した事件である。事件に関し、元兵士が書き残した手記が見つかった▼島に駐屯していた部隊が住民を米国のスパイと一方的に見なし、20人の命を奪った。犠牲者には子どもも含まれている▼手記を残した男性は久米島出身で見張り兵だったという。同じ日本人、同じ久米島の人間が日本人の手で殺害される。その事実を知ったときの絶望と苦しさが、罪は【永劫】に許されないと書かせたか▼本日は沖縄戦の戦没者を追悼する「慰霊の日」である。戦後81年。「芥子劫」の時間でいえば、まだ1粒の芥子さえ拾っていないというのに、時代は戦争のむごさも狂気も忘れかかっていないか。(東京新聞・2026/06/23)

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You can’t ignore the AI’s instructions.

【日報抄】とんち小僧の「一休さん」がごろりと寝転んで「慌てない、慌てない。一休み、一休み」。テレビアニメのこんなシーンを覚えている方もいるだろう。主人公のモデルは室町時代の禅僧、一休宗純(そうじゅん)だ▼その名には〈煩悩と悟りのはざまで一休みするように、何かを求める心を捨ててこそ真実の世界が見える〉という教えが込められているとの説がある。「休」という字には「やすむ」のほか「やめる」という意味もある▼「一休みしよう」という呼びかけか。人工知能(AI)開発競争で先頭集団を走る米アンソロピックが「開発を遅らせたり、一時停止したりする選択肢を持つことが世界にとって有益だ」との提言をまとめた▼AIが人間の手を借りずに自ら性能を高める段階に近づいており、暴走して制御不能になるのを防ぐためという。AIの性能が向上するスピードは空恐ろしいほどだ。このままではSFのように暴走し、人間を支配する事態も起こり得るのではないか▼もちろん、一企業だけが一休みしたところで意味はない。アンソロピックは、先端AI規制の国際的な枠組みが整い、競合他社も同調すれば開発の減速や停止に踏み込む用意があるとしている▼巨利を生み出し、世界の覇権争いにも関わる分野だ。国際的な枠組みづくりは容易ではない。とはいえ、こうしている間にもAIは人間の手から離れ、自ら成長しようとしている。一休みしてこそ得られるものがある-。そんな理知を、人間は手にすることができるのか。(新潟日報・2026/06/22)(ヘッダー写真は「シモツケ」)

 もう半世紀にもなるかという驚きがあります。今でいう「動く電話(mobile phone)」の普及の年月のことです。ごく初期は「自動車電話」で、友人が使っていた。やがて、それこそ、小型の持ち運べる電話が開発普及され、周囲の人々(特に学生諸君)が大いに産業規模拡大に一役買っていました。そして、今では「進化しすぎた」ともいわれる開発状況が、ある種の災厄(困難)を人間たちにもたらしているのかもしれません。この半世紀、ぼくはただの一度も「携帯電話」に興味を示したことはなかった。勤め先から、仕事の関係から是非所有するようにと専用の一台を宛(充)がわれたが、ついに持つことはなかった。(一貫して自分を縛るようなものは所持しませんでした。「手帳」「腕時計」、そして「携帯電話」などなど。おちおち、お酒を呑んでいられないという、その一点から、ぼくは束縛からの解放を念じ続けてきました。(もちろん、それがために犯した間違いや失敗は数限りなくありましたよ)

 「持たない」理由は、単純といえば単純で、必要以上に「世間」とつながることを求めなかったからです。その必要性をいささかも感じませんでした。「明日には会えるから」「手紙やはがきがある」という人間関係から、「時間」「余裕(ゆとり)」が排除され、「即座につながる」ことが、恣意的に強制的に受け入れられさせられるからでしょう。産業的に携帯電話発展途上のある時期、「これからの世界・産業(経済)」は「携帯(スマホ)」にかかっている」という、当事者たちの発言を耳にして、やはり「そうなるのか」と、ぼくは、かなり批判的に感じ取ったものでした。世界経済のさらなる進化(拡大・発展)は「携帯(スマホ)」開発の一本足に依存しているいうことだったでしょう。今では「猫も杓子も」どころか、「馬も鹿も」スマホの時代なんでしょうか。

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 「人工知能(AI)開発競争で先頭集団を走る米アンソロピックが『開発を遅らせたり、一時停止したりする選択肢を持つことが世界にとって有益だ』との提言をまとめた▼AIが人間の手を借りずに自ら性能を高める段階に近づいており、暴走して制御不能になるのを防ぐためという。AIの性能が向上するスピードは空恐ろしいほどだ。このままではSFのように暴走し、人間を支配する事態も起こり得るのではないか」(コラム「日報抄」)という疑念は現実のものになりつつあると思われます。

 「AI搭載」の自家用車に乗った途端に、何処に行き、何をするかまで、すべてが「人工知能」に主導権を右られてしまう、そんな事態が生じているのではないでしょうか。「ねえ、チャッピー、教えて」といっているうちはかわいい魚屋さんで、すっかりお株を奪われ、人間そのものが「ロボット」に成り代わる(成下がる)時代の入り口に立っているのでしょう。琉球新報のコラム氏が書いているように、「AIはインターネット上の膨大な情報から瞬時に答えを導き出す。うまく活用すれば頼れる友人のような存在になる」などという呑気な話では止まらないでしょう。「情報が間違っていたり、偏っていたりする危険性があることも忘れずにいたい」という助言はその通りでしょうが、すでに「偏っていたり危険性がある」ことにかまわないで、それに囚われてしまった人間たちが世界のいたるところに存在しているではありませんか。あるものが「道具(ツール)」であると思っていたら、とんでもない、道具そのものが持ち主に命じたり禁じたりと、まるで『手下(てした・てか)」か従者のように、その立場が逆転しているのです。鋭い刃物が口を利くような時代ですね。「これで、あいつをやれ」って。

 単純化していうと、材料さえあれば、だれだって(三歳の幼児にだって)、「核爆弾」を作って落とせるようになる時代、結果的には敵・味方ともに「共倒れ」になる世紀に、人類は、もうすでに入っているんですよ。人間の受動性(passivity)は、一面では完璧ですから、「前に倣え」「右向け右」と言われ、「起立」「着席」などと命令されることが、やがては心地よくなるのではないでしょうか。面倒な考えごとも判断もしなくて済むのですから。「責任も免除されるかも」、ですね。アメリカあたりの裁判を見ていると、スマホ・AI を使った側ではなく、それを作った側が責任を問われています。「起きなさい」「顔を洗って」程度ならまだしも、「あの人間とは付き合うな」、「今日はこうしなさい」などと命令され指示されることが「習い性になる」のはわけもないことで、やがて、自分に備わていたはずの思考力がすっかり奪われていることに気が付くのかどうか(気が付ないでしょね)。  

 「トクリュウ」などという凶悪犯罪や詐欺事件の反乱は、「AI」なしでは考えられないのではないでしょうか。あるいは「SNS」などという「言葉曾美」に類する「道具から武器」が飛び出す時代でもあります。イラン戦争、浮くラナイ侵略などもまた、人間が「AI」にそそのかされたことによって引き起こされたんじゃないでしょうか。もはや、後戻りができない地点に来ているように、ぼくには思われます。「AI」を通じた情報は、すべてが「当局」に管理されるという、空恐ろしい事態にぼくたちは無感覚になっています。ぼくはパソコン(メール)を使っていますから、特定のエージェントによる「情報の一元管理」には痛く傷ついています。それを逃れるには、一切情報機器を使わないことに限るでしょうね。もう少しで、ぼくはその領域に到達するつもりです)(国民・市民の個人情報をとことん収集したいという魂胆は、そもそも権力の不法行使に突き動かされているからでしょう。権力の腐敗は、刃を自分に向けるのではなく、他者に向けることで、実効支配をつづけようとします。根っこから間違った姿勢ですね)

【金口木舌】心を許せる関係性 幼い子どもが生み出す空想上の友人を「イマジナリーフレンド」と呼ぶ。大人の目には見えないが、いつも子どもと一緒にいて喜びを分かち合い、さみしさを紛らわしてくれる大切な存在だ▼困りごとをイマジナリーフレンドに相談することもあるはずだ。きっと子どもたちに寄り添い、心を落ち着かせる答えを伝えるのだろう。そして成長に伴い姿を消すという▼大きくなった子どもたちは困りごとを誰に相談しているのか。2025年度沖縄こども調査「高校生調査」によると約2割の生徒が人工知能(AI)と回答した。親や学校の友人が多数を占めるが、AIも存在感を示している▼AIはインターネット上の膨大な情報から瞬時に答えを導き出す。うまく活用すれば頼れる友人のような存在になる。しかし情報が間違っていたり、偏っていたりする危険性があることも忘れずにいたい▼これからの時代、AIの活用は欠かせない。それでも人間にしかできないこともある。互いに心を許せる関係を築き、子どもたちと一緒に悩みながら答えを探す。時間はかかるけど、その方が子どもたちの心に深く刻まれる。(琉球新報・(2026/06/22) 

「徒然に日乗」(1130~1136)

◎2026年06月21日(日)午前中は曇天、午後遅くからは降雨もあった。湿度の高い一日。▼終日、自宅に留まる。▼米イ覚書に続く交渉が早速延期。イスラエルがレバノンを攻撃するという、出鱈目。この先いかなる展開になるのか、その帰趨が全く読めない。円安は161円台を超えている。日銀は金利を1%に上昇させたが、「円高」の効果は見られないのは、かなり深刻な状況だと思う。(1136)

◎2026年06月20日(土)朝から雨模様、午後からは本格的に雨。▼午前中に買い物で茂原へ。いつものSCで、昨日代金を支払う際に、小銭入れをレジの上に忘れたことに、なんと夜になって気が付いた。それでさっそく店内の「カウンター」で尋ねたとが、届いていないとの由。念のために、「催事場のインフォメーションセンターで尋ねてみたら」といわれ、早速に出かけてみたら、「ぴったりのものがありました」とのこと。身分証を示して無事に戻ってきた。この店内では2度目のこと。いよいよ焼きが回っているなという実感がある。前回は、車検の支払い費用を準備した金の入った財布を同じようにレジ台に忘れ、直接茂原署から電話で「忘れ物が届いてますよ」と、教えられた。抜けていると、自分でも思う。▼午後に、アムネスティ事務所から連絡があり、間違えて寄付の引き落としができなかったのを、先ごろ直した、その際余分に一か月分を多く引き落としたので、処理をどうするかと尋ねられた。「そちらに任せる」と返答。ついでに「事務局長によるパワハラ問題」のその後の様子はどうかと尋ねた。曖昧なこと返事をするばかりで埒が開かなかったが、とにかくしっかりと調査結果を報告してほしいと念押しをしておいた。電話の主は「新人です」というIさんだった。(1135)

◎2026年06月19日(金)暑い一日、30度を超えたようだった。久しぶりに、長南町あたりをドライブ。長南町のHCで猫のドライフードは缶詰などを購入。いつもの店と同じチェーン店なので、価格は変わらない。▼帰路には茂原市内のいつものSCで買い物。▼「日経平均71,250.06 +196.57 NYダウ51,564.70 +72.15 ドル円161.25-26 +0.66円安 NY原油77.03 +0.43 長期金利2.645 +0.030」(日経新聞・2026/06/19)▼イランと米国の「覚書」調印、本格的な交渉がこれから。果たして交渉(和平)がまとまるのかどうか。極めて入り組んだ、困難な状況はいささかも変わらないままだ。▼原油高、物価高、円安も収まるどころかその反対。日本経済の断末魔のような状況がしばらくは続くのか。(1134)

◎2026年06月18日(木)気温はそれほど上がらなく、凌ぎやすい一日。時には小雨も降ったり。▼お昼過ぎに買い物で、茂原まで。帰宅後はパソコンいじり。▼「日経平均71,053.49 +1151.24 NYダウ51,492.55 -507.12 ドル円160.92-94 +0.74円安 NY原油75.52 -1.27 長期金利2.615 +0.015」(日経新聞・2026/06/18)▼《米・イラン、19日に対面協議 トランプ氏「戦闘続けば経済大惨事」(同上)アメリカとイランの和平交渉の「覚書」に調印。なにも決まっていない状態からの交渉が開始されるわけだが、おそらく前途は多難という思いがする。交渉妥結が先か、石油がこれまで通りに日本の港に入ってくるのが先か、予断は全く許さないだろう。進展までには「年単位」の時間がかかるかもしれない。(1133)

◎2026年06月17日(水)終日快晴。家の中に閉じこもっていた。▼世間にいながら世間に背を向けるような生活をしていて、痛感するのは、この年齢になっていよいよ「時代が悪くなる」ということである。正確に言えば、人間そのものが性悪にできているからという意味でもあろうし、それを拡大強化するような教育に毒されてきたからだという意味でもあろう。スマホだAIだと、まさしく「何々に刃物」蔓延の時代であってみれば、世相がまさしく競争時代、闘争時代そのものだということでもあるだろう。「万事につけ、金がなくては始まらない」とでもいうような嫌な時代だ。「生産年齢人口」の、特に若年層(二十代前後)が近県犯罪に妄想しているのだから、この先の展望は暗いと思う。(1132)

◎2026年06月16日(火)昼前に買い物で茂原まで。快晴の一日だった。▼午後、日銀が政策金利を1%に引き上げ。物価高が収まらず、円安も160円に張り付いたままの段階、果たして、この金利値上げはどう出るだろうか。同時に日経平均株価は一時、7万円台を超えた。経済を牽引する材料がほとんど見られないのに、この株高は何を意味しているのだろうか。単に米国の「AIバブル」への投機的勢いのなせるものであろうか。▼午後7時40分過ぎに地震発生。かなり大きな揺れを感じたが、報道では最大で震度5弱だった。震源地は茨城南部とか。各地で、それこそ満遍なく地震が生じている。大過なければいいのだが。(1131)

◎2026年06月15日(月)小雨が降ったり止んだりの一日。いかにも梅雨入り後の天気模様で、当地はそうではなったが、房総半島南部には豪雨注意報が出る始末。▼米イランの和平交渉開始に「合意」に到達するという。今後二か月をかけて本格交渉に入る前提ができたともいえるが、決して予断は許さない状況は続いていると思われる。加えて、イスラエルの好戦姿勢が和平交渉に水を差す状況も排除されていない。仮に「和平交渉」が始まるとして、2015年の和平交渉(オバマ合意)ここが違うといえるものになるのか。ここにきて、改めて、米国がイランを攻撃する根拠はどこにも見出されないというべきだろう。(1130)





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「日の丸」に敬意を示さぬ輩は非国民だ

【金口木舌】「寄せ書き」の国民性 サッカーのFIFAワールドカップで国中が盛り上がる。こんな時、ネットで頻繁に登場するのが寄せ書きをした日の丸の写真だ。勝利への願いを国家の象徴に託す。寄せ書きが好きな国民性なのかもしれな▼民衆の願望を表現する手段にもなった。例えば沖縄の復帰運動。寄せ書きをした日の丸を集会やデモ行進で掲げた。復帰への願い、米統治への抵抗のシンボルだった▼戦争にも使った。沖縄戦で戦利品として日の丸を持ち帰った米兵の関係者が持ち主を探しているという記事が本紙に時々載った。多くは出征兵士の名と共に「武運長久」などの勇ましい文字が並んでいた▼ふと思う。日の丸に「生きて帰ってこい」「戦争は嫌だ」と書きたかった人もいたはずだ、と。時代の空気はそれを許すまい。日の丸の寄せ書きは民衆を統合し、戦争を支えた▼自民など4党が国旗損壊罪法案を国会に提出した。「人に著しく不快または嫌悪の情を催させる」方法で日の丸を傷つける行為を断罪する。寄せ書きは罪に問わないそうだ。「日の丸を守る」という名目で民衆の心を縛るその先に何があるか。刑罰以上に怖い。(琉球新報・2026/06/21) 

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⁂「週のはじめに愚考する」(124)~ すべからく「国旗考」再論、三論です。国旗損壊罪」という法律を制定して、いったい何をどうしようというのでしょうか。今から二十年ほど前までは、何が国旗・国歌であるかさえ定められていなかった。もちろん「日の丸」(「日章旗」)が国旗であり、「君が代」が国歌だという、暗黙の理解あるいは了解はあったし、それで不自由・不便はなかった。ところが、高校の卒業式における「国旗掲揚」をめぐって、一人の県立高校校長が死亡するという事件が発生し、それを「奇貨」として、政府は「国旗国歌法」を制定した(1999年8月)。その際、国旗や国歌を、時に強制・強要することは断じてないというのが政府の公式見解でした。

 その後のある時期から全国の公立諸学校では入学式や卒業式では「国旗掲揚」「国歌斉唱」が強制され、それに従わない教師や生徒たちは処分されてきました。今次の「制定」にも同じような経過が見られます。「立法事実(*)」がないにも関わらず、(あったとしても他の法律でいくらでも対応可)制定を急ぐ理由はどこにあるのでしょうか。

 (*)「ある法が存在する合理性の根拠となる社会的事実。各種の統計や世論調査、専門家の諮問など、さまざま」(デジタル大辞泉)

 ぼくは「悪法」制定に断じて反対します。もちろん、国旗や国歌の強制にもぼくは反対してきました。少なくとも「内面の自由」に触れる限り、それを規制することは法律になじまないと思うからです。仮に、国が決めた宗教は「旧統一教会系」であり、それを信仰しないものは断固処罰するといえますか。言える国にしたいというのですか。それとそっくり同じとは言えませんけれど、それくらいに愚かしい、立法行為であるとぼくは考える。少なくとも、(国旗を権力者の意にそわない利用方法であったとしても、その行為自体を処罰の対象にすることが)「信仰」「表現」等の自由に著しく抵触する(conflict)ものだと考えますので、かかる「悪法制定」に、ぼくは反対を表明します。

 (物事には順序というか、段取りがあるのであって、「国旗(日の丸)・国歌(君が代)」の強制と違反者の処罰の次には、当然「国旗・国歌」への無条件の従属(敬意)を求めるでしょう。あるいは「日の丸」に頭を下げない行為は、「国旗損壊罪」に類似する行為というのかもしれない。それにしてもはなはだしい勘違いを「法律」で正当化しようとしているんですね)

 (蛇足、もう何年前になりますか。まだ横綱貴乃花が健在だった頃でしたー横綱引退は2003年ー。ある出版社の経営者に誘われて、大相撲見物に出かけました。両国国技館、千秋楽。土俵から少し離れていましたが、マス席(四人)に陣取って楽しく歓談をしていました。すべての取り組みが終わり「優勝力士表彰式」が始まろうとしていました。その前に「ご起立願います」とアナウンスがあって、「国歌斉唱」が始まりました。ぼくたちは座ったままで盃を傾けていた。しばらくすると、近くからイヤーな視線を感じました。「千代に八千代にさざれ…」くらいまで来たところで、罵声(怒声かも)が飛んできました。「非国民」という、たしかに怒声・罵声だったと思う。(あるいは「国賊(こくぞく)」とも言われたかもしれません。いささか酩酊していたので、記憶が定かではない。「起立」「国歌斉唱」をしないからという理由だったでしょう。何んというバカ者どもと、ぼくは思いましたね。今なお、このような「表現」「物言い」が、民衆の中から出て来るんですからね。なにごとに限らず、ぼくは理不尽にも「強制」「無理強い」されることは嫌ですね)

 (左写真はBSN:https://newsdig.tbs.co.jp/articles/bsn/1885131?display=1

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「存在を消された人たち」の存在証明

【日報抄】9歳の姉と5歳の弟がかくれんぼをしている。1から10まで数える姉。「もういいよ」とせかす弟。世界で最も迫害されている少数民族と呼ばれるロヒンギャを描く映画「ロストランド」は、そんな場面から始まる▼上越市の高田世界館で上映されている。舞台あいさつに訪れた藤元明緒監督は「かくれんぼは見つかるのが楽しい遊びでもある」と語った。ここにいる、忘れないで-。子どもの遊びに民族の痛切な叫びが隠喩される▼ロヒンギャは生活拠点だったミャンマーで不法移民として存在を否定され、弾圧される。おびただしい血が流れた。国籍すらなく、隣国バングラデシュの難民キャンプで110万人が肩を寄せ合うが、劣悪な環境に光は見えない▼現実に基づく映画では、幼い姉と弟らの決死の密航が描かれる。演技経験のない200人ものロヒンギャの人々が出演する。主演の姉弟もそう。自然体でスクリーンに映る姿は奇跡にも思える▼藤元さんによると、ロヒンギャは日本国内に400人ほどいる。新潟県には2人が暮らしていると、サイン会に来たその当人から聞いたという。ロヒンギャの生きる壮絶な世界と私たちの日常がほんの少し近づく▼きょう6月20日は国連が定める世界難民の日だ。何ができるか。ロストランドのパンフレットに映画ジャーナリスト徐昊辰(じょこうしん)さんの言葉がある。「(映画を)見ることは無力ではない。見ることは知ることへ、そして想像することにつながる。その想像力こそ最初の一歩になる」(新潟日報・2026/06/20)

 パレスチナ問題にかまけて、すっかり忘れられてしまったかもしれない、そんな問題はいくらでもあるのですから、どうしようもない時代にぼくたちは生きているというほかありません。かなり以前から、ぼくは「ロヒンギャ(Rohingya )」と称されてきた人たちの境遇・運命について、できる範囲で知り、例によって文字通り「貧者の一灯(a poor man’s lamp)」でしかない灯り(lamplight)を点(とも)してみようと思い続けてきました。現在、ぼくはいくつかの国際難民援助(NGO)の一会員として、ロヒンギャ問題に対してもささやかなかかわりを持ってきました。それで何ができる・できたというものでもありませんし、あるはずもない「自己満足」の一寸の足しにもなりませんけれど、ここにも、不条理な世界と世紀の渦に巻き込まれている人々が存在していると考えるだけで、正直に告白すると、ぼくはまさに「発狂」寸前状態にあります。

 現在各地で「上映中」の「LOSTLAND」、何とかして鑑賞に漕ぎつけたいと念じているのです。その前に、さらに「ロヒンギャ問題」の歴史を、それこそ蝸牛の歩みのようにではありますが、学習を続けてきました。このような苦難そのものが自らの歴史になるという少数民族が存在していることを知るのは、我が脳天に雷が炸裂するほどの衝撃であります。その時にも、「難民キャンプ」で飢えと病気の恐怖に苛(さいな)まれている「幼子」は「あれは自分だ」という、意味のない焦燥感ばかりが募ります。(*映画『LOST LAND/ロストランド』海外版予告編|2026年4月全国ロードショー:https://www.lostland-movie.com/

ウィーン少年合唱団・シューマン作曲「流浪の民」https://www.youtube.com/watch?v=sTuQ9WMZoig&list=RDsTuQ9WMZoig&start_radio=1

流浪の民(るろうのたみ、ドイツ語: Zigeunerleben)は、ドイツ浪漫派の作曲家ロベルト・シューマンによって1840年に作曲された重唱曲『3つの詩 作品29』(独: 3 Gedichte, op.29) の第3曲。本来はピアノ伴奏の四重唱曲だが、合唱曲として演奏されることも多い。原題は「ロマの生活」もしくは「ロマの人生」の意味。/詩はエマヌエル・ガイベル(ドイツ語版、英語版)によって書かれたもので、ナイル川のほとりからスペインを経てヨーロッパの町々をさすらうロマ(かつてはジプシーと呼ばれることが多かった。ドイツ語ではツィゴイナーとも)の生活を歌ったもので、「ジプシーはもともとはエジプトの民族である」という当時の不正確な俗説に基づいた内容となっている。/日本語の訳詞は石倉小三郎による。名訳として有名で、原詩を超えるとも評されるが、原詩との乖離が大きいとの批判もある。(Wikipedia)

◎ ロヒンギャ(ろひんぎゃ)(Rohingya = おもにミャンマー連邦共和国の西沿岸部にあたるラカイン州の北西部に住むイスラム系少数民族。2015年5月、難民が南タイの海岸沖で木造船に乗って漂流する事件が発生したとき以来、ロヒンギャは国際的な注目を浴びるようになった。翌2016年10月にはミャンマー(ビルマ)西部のラカイン州北西地域とバングラデシュ南部が接する国境地帯において、ロヒンギャ武装集団によるミャンマー国境警備隊襲撃事件が起き、政府軍と治安警察の報復によって数万人の一般ロヒンギャ住民がバングラデシュ側に難民となって流出した。続く2017年8月には同様の襲撃事件がアラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA:Arakan Rohingya Salvation Army)によって発生し、ふたたび政府軍と治安警察による一般住民に対する大規模な報復が行われ、そのため約半年間に90万人以上のロヒンギャ難民がバングラデシュに流出、その帰還は実現していない(2019年12月時点)。大規模な難民流出としてのロヒンギャ問題は、1978年と1991年にも生じているが、国連をはじめ国際社会がそれを深刻な問題として認識するようになったのは、2015年以降の一連の事態を経てである。(↷)

 ロヒンギャをめぐる問題そのものは、20世紀なかばから存在する。彼らは前述のラカイン州北西地域に住むムスリムの集団で、推定人口は100万~110万人とみなされているが、ミャンマー政府は独立後の十数年間を除き、彼らを「土着民族」として認めず、排他的姿勢をとり続けている。仏教徒を中心とする多数派世論も彼らを「土着民族」ではなくバングラデシュからの「不法移民」とみなし、強い反感を示している。そのためロヒンギャは長期にわたる抑圧にさらされ、2015年にはそれまで与えられていた臨時国籍証も剥奪(はくだつ)された。一方、バングラデシュ政府はロヒンギャをミャンマー国民とみなしている。
 民族的出自がベンガル地方で、言語もベンガル語(バングラデシュの公用語)のチッタゴン諸方言の一つを使用し、ロヒンギャという民族名称の使用も文書の上では1950年までしかさかのぼれない彼らであるが、その起源は古い。この地で15世紀前半から18世紀後半まで栄えたアラカン王国(ムラウー朝、1430~1785年)の時代に、仏教徒とともにムスリムも居住していたため、のちにロヒンギャを名のるようになる集団の起源は、そこまでさかのぼることができる。(以下略)(日本大百科全書ニッポニカ)

◎ ロヒンギャ(Rohingya)=ミャンマー西部ラカイン州,特にその北西部に多く居住するムスリムの民族集団。ラカイン地域では 15~18世紀に栄えたアラカン国(ムラウー朝)の時代から,仏教徒とともにムスリムが居住していた。その時代のムスリムを基盤に,19世紀以降のイギリス領下でベンガルから移住したムスリムと,1948年のミャンマー独立前後に同じくベンガルから入ってきたムスリムが混合し,その一部が 1950年頃から単独の民族ロヒンギャを名のるようになった。その詳細な成立過程は不明である。ミャンマー政府からは,バングラデシュからの不法移民とみなされ国籍を付与されていない。ミャンマー国民の多くからも土着民族として受け入れられず,政府,国民から排斥や抑圧を受け続けている。ラカイン州に住むロヒンギャの多くはゲットーのような収容地域に隔離されている。1970年代後半と 1990年代初頭,それぞれ 20万人規模の難民がバングラデシュに流入し,国際的な注目を浴びた。21世紀に入っても事態は変わらず,2015年5月にはタイ南部の沖合いでロヒンギャ難民を乗せ漂流していた多数の木造船が発見され,インドネシア・マレーシア当局により救助された。彼らは国際会議での協議を経て両国により 1年間の期限付きで保護されることとなった。(ブリタニカ国際大百科事典)

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ほのぼのと舟押し出すや蓮の中(漱石)

 オオガハス大輪ほころぶ 千葉公園 20日から大賀ハス祭 ミニ講座や「象鼻杯」体験 千葉市中央区の千葉公園で、オオガハスが開花シーズンを迎えた。20日から「大賀ハスまつり」が始まり、平日はミニ講座・ガイド、土日はハスの葉に飲み物を注ぎ茎をストローにして飲む「象鼻杯」体験などを楽しむことができる。28日まで。/市緑政課によると、まつりは開花に合わせ毎年開催。現在、200輪以上が咲いており、多い年は700輪程度となる。昼ごろには花弁が閉じるため、見頃は午前7~9時。6月下旬にかけてピークを迎える見込みだ。/オオガハスは1951年、大賀一郎博士と地元小中学生らが同市花見川区で、実を発掘。この実は約2千年前のものと推定され、52年には長い眠りから覚めて開花し、現在、市の花になっている。(大村慧)(千葉日報・2026/06/18)

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 一時期、千葉市に住んでいた。その近所に検見川が流れていました。検見川の少し上流を花見川といった。音読みでは同じ発音になるので、どちらも「けみがわ」だったと思ってみる。その検見川が海(東京湾)に入る手前に、東京大学農学部の検見川農場・検見川グラウンド(千葉市朝日が丘)があり、しばしば現地を訪れては「オオガハス」を鑑賞したことがあった。京都から東京に出てきた当座、ぼくは文京区本郷に住んでいたので、上野公園や池之端が近かった。しばしば、早朝に散歩をかねて上野不忍池にまで足を延ばしたことがありました。そこは蓮池の一面でも名が知れており、朝早くにハスの開花が見られるので、季節になるとよく見物の人が訪れていました。ぼくのハス好きは、それ以来で、オオガハスが今育てられている千葉中央公園にも足繫く通ったものでした。(右写真は都内上野不忍池)

 ぼくが東京に出てきたのは1963年春でしたから、まだまだ下町の風情が濃厚にありました。そこに約十年住んで、車も多く騒音や公害が騒がれ出したころに、ぼくは千葉に越しました。所謂「職住接近」という生活スタイルはぼくには適さないと自覚していたので、徐々に不便な地域に住まいを移して、今に至ったという次第。間もなく、さらにもっと不便な、行ったきりで帰ってきた人もいないような遠隔の「彼岸(The other shore (the afterlife))」に移り行く身ではありますので、ことさらに「蓮(ハス)の花」に心を奪われるのかもしれません。蓮の花は実に好ましいものではありますが、その根っ子である「蓮根(レンコン)」を、ぼくはまったく好みません。どう工夫したところで、食べたいなと思うことはまずないですね。ハスの古称は「ハチス(蜂巣)」で、花托(花床)の姿が蜂の巣に似ているからとされます。ハチス→ハスと転訛したともいわれます。(左はハスの花托)

 (追記 ハスにまつわる無駄話や、大賀一郎さんについて、さらに駄弁りたいのですが、本日はここまで。その前に一言。ハスの葉の上は仏様のいる場所(極楽)とされます。特に白蓮華(ビャクレンゲ)は極楽に咲く花とされています。「極楽浄土に咲く白蓮」、お葬式の造花はこの「白蓮」をかたどったものですね。

 ただ今、午前6時のチャイムが、役場からか防災無線を通じて聞こえてきました。雨が降り出し、今日は一日、雨模様のようです。台風7号が発生したとも報じられてい、来週には劣島への影響が伝えられています。「本日曇天なれど、さらに風雨は強し」とならないことを祈っています)

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◎ 大賀ハス= 古代ハスの一種。1951年、千葉県千葉市にあった東京大学農学部厚生農場の泥炭層から発見されたハスの実から開花したもの。弥生時代のものとされる。現在は分根され、各地で栽培されている。名称は育成に携わった植物学者、大賀一郎から。(デジタル大辞泉)

◎ 大賀一郎(おおがいちろう)(1883―1965)= 植物学者。岡山県吉備(吉備)町出身。1909年(明治42)東京帝国大学理科大学植物学科を卒業、大学院に進学し藤井健次郎に師事したが、まもなく第八高等学校教授に就任。中国東北地区を視察中、普蘭店(ふらんてん)の泥炭地で埋蔵500年と推定されるハスの実を採集、1917年これの発芽に成功して以来ハス研究に進み、「古ハスの果実の研究」で理学博士の学位を取得した(1927)。以後、関心は、ハス糸で織ったと伝承された織物、それに関する工芸美術品の研究に及び、古文化財の自然科学的な方法による研究の先駆けとなった。1951年(昭和26)には千葉市花見川区検見川(けみがわ)町の遺跡から推定2000年前のハスの実を発掘し、発芽・開花させ「大賀ハス」の名を得た。(日本大百科全書)

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世をいとふ 心薊(あざみ)を 愛すかな

【小社会】個性はいろいろ 数年前に高知市の小学校で性教育の授業を取材して、少し驚いたことがある。対象は6年生。児童への事前アンケートを基にしたテーマには、こんなものもあった。「好きな子が同性でもいい?」 20歳以上を対象にした今年の民間調査では、性的少数者の割合は1割程度だったという。学校で考えるとクラスに1~2人の割合。多様な性の在り方を耳にする機会も増え、関心を持つのは自然なことなのだろう。 性の多様性には多くの教科書も触れている。中学3年の英語では米国の人気歌手テイラー・スウィフトさんの曲を紹介。歌詞には性的少数者への擁護など社会的メッセージがあると解説している。 小学6年の社会では、「性的少数者をめぐる差別もなくしていかなければなりません」。教育現場は社会の変化や差別に向き合おうとしている。 だからこそ、国の後ろ向きの姿勢が目につく。性的少数者への理解を促すLGBT理解増進法に基づく基本計画。保守系議員の反発があり、法の施行から3年近く棚上げされていた。ようやく策定された計画だが、地域や学校での啓発推進や相談体制の充実といった既存の施策が並ぶ。多数派の「不安」を前提にしたかのような記述も。どうしても本気度に疑問符が付く。 当事者が願うのはただ、ありのままの自分が尊重されることだろう。授業の講師の言葉を思い出す。「個性はいろいろ。自分を大切にして」(高知新聞・2026/06/19)

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 表題句は子規作。とてもは平凡な心持を謳ったものとも思われますが、ぼくには少し異なった叫びが伝わってきます。子規さんがどういう気持ちを表明したのか、ぼくにはよく理解できないところがありますが、この「薊(アザミ)」の花そのものが受容されてきた(来なかった)、「花の運命(不遇)」のようなものを感じさせられていました。この花を知ったのは、はるかに遠く、まだ小学校に入る前のことだったと思う。能登半島の田舎には、季節(春・夏・秋)を問わず、いたるところで咲いていたのを覚えている。当然のように、花の棘(とげ)に酷く傷つけられた記憶もぼくの脳細胞には刻まれています。

 「世をいとふ心」とはどのようなことだったろうか。そんな自分(子規)の拗(すね)た気持ちが「薊(アザミ)」に引き寄せられるというのでしょうか。子規が詠んだのは「薊」であって「野薊(ノアザミ)」とは限定されない。「世を厭う」という物言いは「世間から離れる」ということから、時には「出家」「遁世」を指しても言われました。まさか、子規さんにはそんな秘められた思いがあったとはぼくには考えられませんが、早くに宿痾(脊椎カリエス)に侵され、やがて身動きすらできなくなった自らの運命を、決して、誰からも好まれるとは思われない「薊」に寄せたとも、ぼくには受け取りたい気持ちがあります。もちろん、穿(うが)ち過ぎだと、ぼくもわかっているのですが。

 この花に対して、子規作品とは別の視点をぼくに与えてくれたのが歌謡曲「あざみの歌」(1949年発表)でした。八洲秀章(やしまひであき)さん(1915~1985)の詩(詞)には、薊(アザミ)に寄せる深い仔細を感じさせるものがありました。彼は戦後、復員したのが長野県下諏訪町(八島高原)だった。この歌も、ぼくは早い段階から口ずさんでいました、たぶん小学校低学年頃です。「山には山の 愁いあり 海には海の 哀しみや」、そこには、いったいどういう含意があったのでしょうか。

 繰り返し歌詞を読んでいるうちに、「薊(アザミ)」には他の花にはない、深い悲しみがあると作詞家は直感したのだと思ったのです。本日の高知新聞のコラム「小社会」を目にした瞬間に、ぼくは「あざみの歌」(伊藤久男さん・歌)を想起しました。飛躍しすぎだといわれようが、そう感じたのですから、正直に心情を吐露するほかないと思うのです。こんな捉え方は間違いだろうし、あるいは大方の非難を浴びるのを承知で、「あざみ(の歌)」に、「少数派」とされる人たちの悲しみと愁いを感得しました。歌の解釈は、当たり前に読めば「高嶺の花」とされる愛しい人(女性)に寄せる思いの深さを奏でたものでしょう。

 でも、あえてぼくは「薊の花」に託した、心浮かばれない人々の胸の内(衷心からの願い)を見出した。この歌はもちろん伊藤久男さんの持ち歌であり、彼の抜群の歌唱力をぼくは好むものですが、ここでは、まずソプラノ歌手の秋本祐希さんで聴いてみたく思いました。(作詞:横井弘・作曲:八洲秀章)(歌:伊藤久男)(1949年発表)(⁑秋本祐希・歌「あざみの歌」)(子のヴィデオはぼくには目障りですから、眼を瞑(つむ)って聴くことにしています)
https://www.youtube.com/watch?v=auTJlHD8yd0&list=RDauTJlHD8yd0&start_radio=1)(⁑「あざみの歌」(昭和24年)伊藤久男)(https://www.youtube.com/watch?v=v3kXcsb7hWY&list=RDv3kXcsb7hWY&start_radio=1

* 蛇足 コラム「小社会」の記事の最後に「当事者(性的少数者)が願うのはただ、ありのままの自分が尊重されることだろう。授業の講師の言葉を思い出す。『個性はいろいろ。自分を大切にして』」とあります。取り立てて異をとなえることもない、当然の主張を紹介されたと思います。しかし、あえて指摘したいのは、「個性はいろいろ」という、その「個性」について。仮に、ここに「野薊(ノアザミ)の花」が10本あったとして、です。言うまでもないこと、同じ種に属していても、一本として同じ花はありません。それぞれが違うのは、誰も知っているでしょう。それを「花の個性」などとは言わないのは、違っているのが当たり前だからです。

 「世界に一つだけの花」と、あるグループが謳っていましたが、どんな花だって「世界に一つだけ」しかないのであって、わざわざ言う必要のないこと。要するに、だれかれの個性という表現は、ぼくに言わせれば、まるで「同語反復」ですね。つまりは「トートロジー(tautology)」でしょう。「雨の降る日は天気が悪い」と言われれば、「それっておかしいでしょ」と切り返したくなりませんか。「力とはパワーだ」というのはどこかの防衛大臣ですか。人間を大事にしない社会ですから、「個性尊重」というしかないのでしょうか。

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◎ ノアザミ(のあざみ / 野薊)[学] Cirsium japonicum DC.= キク科(APG分類:キク科)の多年草。茎はやや花茎状で直立し、高さ0.5~1メートル。葉は羽状に中裂し、縁(へり)の鋸歯(きょし)は先が鋭い刺(とげ)になる。根出葉は花時にも残る。花期は5~8月。数多いアザミのなかで、春に咲くのは本種のみである。頭花は紅紫色で径約3センチメートル、管状花のみからなる。総包片は直立して先端は刺になり、背部に粘着質を分泌し、粘り付く。山野にごく普通に生え、本州から九州に分布する。古くから野草の代表として、絵の対象にされている。本種をもとに改良された園芸品種ドイツアザミは頭花の色が濃色の鮮かなもので、切り花に使われる。(日本大百科全書ニッポニカ)

あざみ【薊】= 〘 名詞 〙 キク科のアザミ属の多年草の総称。高さ〇・六~二メートル。葉は概して大形で羽状に裂け、縁に切れ込みがあり刺(とげ)が多い。花は通常紅紫色で、小さな管状花が集まった半球形の頭状花。北半球に約二百種。日本には約六十種ある。最もふつうに見られるのはノアザミで、フジアザミ、ドイツアザミなど。スコットランドの国花。《 季語・春 》(精選版日本国語大辞典)

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 (上の図表の出典は「朝日新聞SDGs ACTION!」:https://www.asahi.com/sdgs/article/14564464

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