
青空に映える…「旅するチョウ」アサギマダラ、今年も高知に 香美市の香北自然公園で優雅に舞う 「旅するチョウ」と呼ばれるアサギマダラが、今年も香美市香北町美良布の「香北の自然公園」にやってきた。優雅に舞う姿を訪れた人たちが楽しんでいる。/アサギマダラは、春から夏にかけて本州を北上し、秋に南下する大型のチョウ。飛来地として知られる同公園でも毎年、コバノフジバカマが見頃を迎えるこの時期に集まってくる。/今年は市香北支所が今月上旬から飛来を確認。16日は2匹がひらりと舞ったり、花に止まって羽を休めたり。初めて見に来たという高知市の会社員、福元美智子さん(54)は「茶色と薄い水色の取り合わせが大好き。青空に映えそう」と喜んでいた。/例年、飛来は今月下旬がピーク。午前10時から昼過ぎにかけて見られることが多いという。(田村萌奈)(ヘッダー写真「コバノフジバカマで羽を休めるアサギマダラ(香美市の香北の自然公園)」も)(高知新聞・2026/10/17)
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

ぼくが生まれた能登半島の中島という土地にいたのは昭和28年ころまでだったと思う。この辺りの記憶は不確かなまま。しかし、そこで過ごした十年近くの歳月は、ぼくに「自然愛好」の気質をとても深く養ってくれたと思う。もちろん、それは「戦争」による、ある種の「疎開」だったわけで、何もなければぼくは京都で育っていたと思う。今では七尾市に編入された「中島・熊木村」は一面が田んぼと低い山があるばかりで、暇があれば、ぼくは山に遊び、平野で遊んだ。ご多分に漏れず、蜻蛉や蝶々、それに蝉や蟲など、数えられないほどの昆虫に接していた。
これはある時期から、ぼくの中に芽生えた空想だが、あるいはその当時、ぼくは「アサギマダラ」を眼にしていたのではなったか、と。当時は、昆虫に関する知識も全く持たず、目の前を飛び回る虫たちを追いかけ、カブトムシやクワガタなどの昆をがまるで遊び友達のようにしてもてあそんでいたでしょう。もちろん、川魚も手で取り竿で釣ることを覚えていた。

京都に移住しても、相変わらずの「野生児」「自然人」だったと思う。学校は就学期に間に合わせるだけの存在で、ほとんどは近所の丘や山に登り続けていた。もちろん昆虫にも関心は示していたでしょうが、それを捕獲してどうこうしようという気はなかった。見て楽しむ、ただそれだけ。もし、ぼくにいささかの関心が昆虫類にあったならば、この「幻の旅する蝶々」に魅入られたかもしれないと、今でも振り返って残念に思うばかりです。しかし、現在地の房総半島の僻陬の地にもさまざま昆虫たちがいる。思わない時に「赤とんぼ」に出会ってうれしくなったり、アゲハやモンキチョウ、モンシロチョウの飛来を飽かずに眺めていたりするのですから、ぼくの中には「自分は昆虫だ」というほのかな意識がまだ残っているのかもしれません。
「旅する蝶々」も、この数年は各地へ飛来する個体数が大きく減少しているといいます。考えられる理由のひとつに「夏季の超高温」が挙げられています。熱中症で死亡する人が出るような事態です。何年もしないうちに、この蝶の劣島への「旅」が見られなくなるのではないかという心配もあります。あらゆる最近・卯ウィルス類や昆虫類もいなくなった環境で、人間が健康に・安全に暮らしていけるのでしょうか。今から半世紀以上も前にアメリカの海洋生物学者が「沈黙の春」という一冊の本を発表し、大きな問題を世界に投げかけました。それは「殺虫剤(DDT」」による想像を超えた被害の拡大に警鐘を鳴らしたものでした。当時から、事態が好転してきたとはとても思われないこの世紀、「沈黙の春夏秋冬」にならない保証はどこにもないのではと、余計な心配もしている。
+++++++++++++

◎ アサギマダラ(あさぎまだら / 浅黄斑蝶)(chestnut tiger)[学] Parantica sita= 昆虫綱鱗翅(りんし)目マダラチョウ科に属するチョウ。日本では北海道から沖縄諸島に至る全土に発見される。北海道、東北地方などの寒冷地では、例外的な場合を除いて夏に少数の個体が発見されるのみであるが、これはより南方地域からの移動個体、あるいは移動個体による一時的な発生と考えられる。西南日本では夏季に山の頂上に群飛することが多い。日本以外では朝鮮半島、台湾、中国から西北ヒマラヤにわたって分布する。はねの開張は90~100ミリメートル程度で大形。雌雄の色彩や斑紋(はんもん)は同様であるが、雄では後ろばねの後方に表裏ともに黒斑状をなす光沢のない性標があり、これによって雌雄は容易に見分けられる。西南日本では5月ごろから11月ごろまで成虫の飛翔(ひしょう)をみるが、奄美(あまみ)諸島や沖縄諸島では冬を挟んで秋から春にかけて多く、夏季にはほとんどその姿をみない。飛び方は緩く、各種の草花に集まる。幼虫の食草はカモメズル、キジョラン、サクラランなどのガガイモ科植物である。アサギマダラは九州以北の日本本土に土着する唯一のマダラチョウ科の代表であるが、吐噶喇(とから)列島以南の南西諸島にはさらにリュウキュウアサギマダラ、カバマダラ、スジグロカバマダラ、オオゴマダラの4種の土着種がある。なお、マダラチョウ科のチョウは東南アジア地域より迷チョウとして日本に飛来するものが多く、現在まで日本、とくに南西諸島で発見されたものはマルバネルリマダラなど17種にのぼる。(日本大百科全書(ニッポニカ)
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

⁂「週のはじめに愚考する」(141)~ 世界のマーケット状況を見ていると、金融危機や経済破綻(危機)がどこからともなく、同時進行的にやってきそうな雲行きです。そして、この国では、あってなきがごとき「政治」の怠慢と無作為で、日々の暮らしに庶民は痛めつけられています。いわゆる「インフレ増税」で、円安や物価高に対して、むしろ積極的にそれを促すようなふざけた政治政策をとっているのです。財源もないのに「減税」をぶち上げる、どこからその財源を都合するのかと不信を投げかければ「ご心配には及ばない」と、年初に言い、この十月にも同じセリフをくりかえす、一貫した張ったりと不真面目さ。そして、ある与党の幹部は、これから「財源探しに懸命に努力する」といっている始末。政治の無作為(不作為)といいますが、ここまでひどいとなると、これはまさに「政治不在」です。
【日報抄】国会議員1期目の34歳は、怖いもの知らずだったのかもしれない。1995年3月の衆議院外務委員会で、高市早苗議員は日本の戦争責任を巡る反省について語った。「少なくとも私自身は当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもない」▼首相となった今、同じことは言うまいが、終戦の日に反省や不戦の言葉は口にしなかった。国や組織を代表する者の責任を思う。直接の当事者ではないという論理は通用しないだろう▼2022年の工場火災で6人の死者を出した三幸製菓の元幹部が在宅起訴された。起訴を受け、事故後に外部から迎えられた現社長が遺族を訪ね、改めて謝罪した。癒えない悲しみに触れ、災禍を繰り返さぬという誓いを固めたと信じたい▼多くの従業員を抱える企業としての責任の重みが問われる裁判になる。6人の命を奪ったのは失火だが、三幸製菓の工場では火災が相次いでいた。19年から20年にかけ、本紙が記事化しただけで3件の工場火災があった▼火災が連続した後、今回被告となった当時の最高経営責任者が本紙インタビューに答えていた。「安全対策を徹底して見直した。安全を第一に生産体制の整備に努めていく」。さらに「従業員を大切にする」とも▼その1年7カ月後に取り返しのつかない火災が起きた。何と空疎な言葉の羅列だったか。それを責めたいわけではない。人それぞれ負うべき責任を生易しく考えてはならないのだと、かみしめる。(新潟日報・2026/10/18)

「触らぬ神に祟(たた)りなし」という。本当でしょうか。いや、それはどういうことなのでしょうか。「物事にかかわりあわなければ、災いをこうむることもない。やっかいな相手にはよけいな口出しや手出しをしないほうがよいというたとえ」(ことわざを知る辞典)同じような表現に「触り三百」「雉も鳴かずば打たれまい」などがありますね。ここで言いたいことは、素人が「政治に口出しするものではない」ということについて、一言、物申すだけの話です。今般の農水大臣」の「更迭」に際して、首相は「任命責任を重く受け止めている」と何度も軽々しく発言していました。「重く受け止める」と、軽く言い放つ、無神経ですよ。
この御仁は、いったいだれのために「政治」をしているつもりなんでしょうか。どう見ても、国民全体の奉仕者という感覚・意識は皆無でしょう。「国や組織を代表する者の責任を思う。直接の当事者ではないという論理は通用しないだろう」(「日報抄」)と、コラム氏は、その驚くべき首相の無思慮を指摘しています。一昨日の国会審議で、三十年前の「少なくとも私自身は、(戦争の)当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております」という発言を問われた。「今も同じか」と訊かれ、「戦後70年の安倍談話の通り、未来の世代に責任を負わせてはならない思いだ」と答弁しました。この国に「戦争責任はない」という趣旨で「戦争の惨禍を、二度と繰り返させない」(「終戦記念日」本年8月15日)という「詭弁」を発したのが現首相でした。

誰に向けての「詭弁(sophistry)」だったでしょうか。まるで「ミーちゃんハーちゃん」の域を一寸も出ていない、謬論だったとぼくは断言します。朝鮮半島を侵略支配(植民地化)したのも、中国の領土だった地域に「満州国」を興したのもこの国でした。「戦前のファシズム国家」日本は、「戦後の日本」とは違うとでも言いたのでしょうか。(真顔)でこんな主張をする、驚くべき能天気たちが至る所に存在しています。たぶん、当たり前の感覚があれば、奈良時代の「大化の改新(645年(皇極天皇4年))」以降、どう呼ばれようが、この国は一貫して「日本」だった。この総理大臣は昨年11月7日の衆議院予算委員会の「台湾有事発言」の際に「中国北京政府が云々」と発言していました。いかなる歴史認識か、訊くまでもなく、無知を曝したものだったと思う。(詳細は省略)《・北京政府(北洋政府)時期: 1913年 〜 1928年)(・国民党政府(国民政府)時期: 1925年(広州で発足)〜 1948年(その後は台湾)》
歴史認識「反省なんかしておりません」 過去の発言問われた首相は… 「反省なんかしておりません」――。先の戦争についての高市早苗首相の過去の発言をめぐり、16日の参院予算委員会で立憲民主党の辻元清美氏が問いただした。植民地支配と侵略への反省とおわびを盛り込んだ戦後50年の村山談話についても、認識が問われた。
約30年前の1995年、新人議員だった高市氏は衆院外務委員会で「少なくとも私自身は、(戦争の)当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております」と発言した。
辻元氏はこの発言を取り上げ、「考えは変わったか」と質問。首相は「日々、成長している」と答えた。どう変わったのかと問われると「戦後70年の安倍談話の通り、未来の世代に責任を負わせてはならない思いだ」と語った。
村山談話についての認識も問われた。首相は2005年、月刊誌「正論」で村山談話について「この不見識な見解をこのまま放置するならば、『犯罪国家の国民』として子孫を縛りつけることになる」と批判。さらに党政調会長だった13年、「侵略という文言を入れているのはしっくりきていない」と否定的な考えを示していた。
この日、辻元氏から村山談話を継承するかと問われ、首相は「歴代内閣の立場は今後も揺るぎない。村山談話も当然含まれる」と語った。(朝日新聞・2026/10/17)

《首相は2005年、月刊誌「正論」で村山談話について「この不見識な見解をこのまま放置するならば、『犯罪国家の国民』として子孫を縛りつけることになる」と批判。さらに党政調会長だった13年、「侵略という文言を入れているのはしっくりきていない」と否定的な考えを示していた。》(上掲・朝日新聞)このような「昔の発言」をどうこう言われても、「私の二十年前の発言には責任を取れない」とでもいうのでしょうか。更迭された大臣が「一議員時代の発言には、ここ(大臣の立場》でコメントはできない」という、虚仮の一念のような「愚論」を繰り返したが、それと同日の段。「(虚仮とは)思慮の浅いこと。愚かなこと。また、その人」(デジタル大辞泉)一晩寝たのだから、前日の「言動」には「責任」は取れないと、どの口が言うのだろうか。「歴史」に対する無知・無感覚・無神経が、どれほど恐ろしいか、日を見るより明らかです。「過去」についての意識を持たない人間と、ぼくたちはいかに付き合うか、その困難ささを痛感するのです。もっというなら、「約束」できない人間の無責任さにどんな態度がとれるのでしょうか。(いうも愚かですが、一人の非政治的人間の政治的発言です。致し方なく「発言している」と弁解めきますが)

「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(村山内閣総理大臣談話)
先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。(平成7年8月15日)
⁂ 怪誕不経(かいたんふけい)=「奇怪なでたらめ。(「誕」は嘘の意)」(デジタル大辞泉)つまりは出鱈目で、常軌を逸すること ⁂ 詭計多端(きけいたたん)= 「人をだまし、おとしいれようとする計略。偽計」(デジタル大辞泉)人をだます計略をたくさんもっていること
IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII






























