今こそ、この戦争を撮って世界に…

 世界の多くの地域では、オイルショックやナフサ不足で、活計(たずき」の算段に心を奪われている隙に、いささかの間断もなく、日夜急襲する爆裂弾で、ガザは消滅寸前の地獄を経験させられています。アメリカとイスラエルが結託してイランを侵略するという許されざる「平時暴力」は、世界の耳目を「石油」問題に引き付けるための手段だったと後に悔やまれるのだろうか。多分、イスラエルとアメリカの悪鬼軍団は「ガザ住民の皆殺し(ホロコースト)」を図っている。イランの核保有は断じて許さず、イスラエルとアメリカは核保有をわが物にしているのです。そして、この極東の島国の権力者もまた、米イの悪魔どもと手を結んでもいるのだ。25歳で虐殺された若い女性カメラマンの記録。イラン人監督のセピデ・ファルシさんが作られた映画「手に魂を込め、歩いてみれば」が完成した段階でも、ぼくは、この問題に触れました。今なお、ガザでは「皆殺し」が続いているのだと、心から訴えたいという衝動に駆られています。ガザでは毎日のように「人間が殺されている」のです。人は殺戮されるために生まれてきたのではないことを、世界の「人間たち」に向かって証明したい。

【明窓】ガザのためにできる一歩 まず、われわれは苦しんだ人間の前で、歴史の前で絶句することだ。ひとたび絶句して語り始めた言葉と、頭で知った言葉では、意味の力がまるで違う。どこかに書いてあることをなぞるだけでは伝わらない。心から出た言葉は心に届く-。/ 公開中の映画『手に魂を込め、歩いてみれば』を見て、批評家・若松英輔さんの言葉を思い出した。作品はイスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの攻撃が続く中、イラン出身の監督がパレスチナ人の若き写真家ファトマ・ハッスーナさんと1年にわたって重ねたビデオ通話を記録したものだ。
 はじけるような笑顔の背後で、荒廃した街に爆撃の煙が上がる。封鎖による深刻な飢えにも見舞われる中、彼女はシャッターを切り続け、破壊された街に生きる人々の色と現実を写し取った。作中に差し込まれる一枚一枚が訴える力は強い。
 2025年4月16日、25歳の命は空爆で奪われた。ガザでは攻撃開始から7万2千人以上が死亡したとされ、昨秋の停戦後も攻撃が続く。/出雲市内で先日あった上映会では、監督と交流を続ける配給会社の代表が「出発点は知ること。知って誰かに伝えることは行動になる。声は決して無力ではない」と語った。上映会を企画した市内の雑貨店「フェアトレードfuku-mimi」が14日までハッスーナさんの写真展を開催中だ。ガザから遠く離れた私たちにもできる一歩がある。(衣)(山陰中央新報・2026/06/01)

「今こそ、この戦争を撮って
世界に見てもらわなければ。
他に誰がやるの?」—— ファトマ・ハッスーナ

■ 映画『手に魂を込め、歩いてみれば』 廃墟のガザで撮影を続けるフォトジャーナリストと、彼女を見守るイラン人監督との1年にわたるビデオ通話で紡がれた比類なきドキュメンタリー。空爆や飢餓、不安にさらされながらも、街の光景や人々の力強さを写真に収め続けたファトマ・ファッスーナ。監督が「彼女は太陽のような存在」と称賛したファトマはしかし、カンヌ映画祭での上映が決まった直後の2025年4月16日、家族とともに空爆で命を奪われます。残された彼女の映像と言葉は、今も「声をあげることの意味」を私たちに問いかけています。12月5日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー。

登場人物:セピデ・ファルシ、ファトマ・ハッスーナ
監督:セピデ・ファルシ
プロデューサー:ジャヴァド・ジャヴァエリー
製作:Reves d‘Eau Productions、24images Production
配給:ユナイテッドピープル
2025年/フランス・パレスチナ・イラン/113分(https://www.unicef.or.jp/news/2026/0004.html

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⁑ガザのフォトジャーナリスト、イスラエルの空爆で死亡 生前に「反響呼ぶ死」望む(CNN) パレスチナ自治区ガザ地区での紛争を1年半現地取材していた戦争ジャーナリスト、ファティマ・ハスナ氏が、イスラエル軍による今週の空爆で家族7人と共に死亡した。/「もし死ぬのなら、反響を呼ぶ死を望む。緊急ニュースで流れたくないし、ただの人数で表されたくもない」。ハスナ氏は昨年8月、インスタグラムへの投稿にそう書き込んでいた。さらに「その死を世界中が耳にして欲しい。影響が何年にもわたって続き、イメージとしていつまでも残って欲しい。時間にも空間にも埋もれることなく」と付け加えた。/イラン出身の映画監督セピデ・ファルシ氏は、ハスナ氏を取り上げた新たなドキュメンタリーを制作していた。作品は来月のカンヌ国際映画祭で上映される予定。/ハスナ氏の訃報(ふほう)を受けてファルシ氏は18日、ハスナ氏と自身が写った写真をSNSで共有した。写真の中のハスナ氏は満面の笑みを浮かべている。ファルシ氏は写真に「私が最後に彼女に抱いたイメージは笑顔。今日も頭から離れない」とのメッセージを添えた。

ガザ保健省は18日、CNNの取材に答え、ハスナ氏の両親が16日の空爆を生き延びたと明かした。しかし両親は共に重傷を負っており、現在は集中治療室に入っているという。/現地の監視団体「パレスチナ人ジャーナリスト保護センター(PJPC)」は、ハスナ氏を追悼。当該の空爆はガザ市内にある同氏の自宅を標的にしたとの認識を示した。こうした攻撃はジャーナリストに対する「犯罪」であり国際法違反と非難した上で、ハスナ氏によるこれまでの力強い写真報道は、戦闘が人々にもたらす苦しみに光を当てたと称賛した。(左上写真「イラン人映画監督セピデ・ファルシ氏が共有した笑顔のハスナ氏(中央)の写真」Sepideh Farsi)(右写真は映画監督・ゼビデ・ファルシさん)

イスラエル国防軍(IDF)は16日、空爆についてイスラム組織ハマスの「テロリスト」を標的にしたと説明。複数の措置を講じ、民間人に危害が及ぶリスクを最小限にしていたと主張した。IDFは当該のテロリストがIDF兵士とイスラエル市民に対するテロ攻撃を計画、遂行していたと声明で述べたが、詳細は明らかにしなかった。/ハスナ氏が写真を投稿していたインスタグラムとフェイスブックのフォロワーは3万5000人を超える。写真はガザで日常生活を送る困難や、イスラエルの空爆を受けながら生きる脅威を題材としている。/PJPCによれば、2023年10月7日のハマスの奇襲以降、ガザ地区で死亡したジャーナリストの数は212人となった。これは前例のない数字だと、多くのジャーナリスト団体が指摘する。/PJPCは国際社会に対し、すぐに調査を開始してジャーナリストの死亡に関与した人々の責任を問うよう求めている。(CNN:https://www.cnn.co.jp/world/35232024.html

「もし私が死ぬなら、響き渡る死を望む。」4月16日でファトマ・ハッスーナの死から1年」https://unitedpeople.jp/put/blog/archives/338

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 半世紀以上も前に何度か通った、堀切菖蒲園。懐かしさのあまりに、写真に見惚れてしまいました。大学生だった青年は、今ではすっかり老人になり切りましたよ。花はいいですね。花とおじさん、おばさんと花と。花には何でもよく似合う。ガザにもたくさんの花々が咲き誇りますように。

 「少しずつ色が違うのが素晴らしい」葛飾・堀切菖蒲園で紫やピンク、白などのハナショウブが来園客を癒やし ハナショウブの名所で知られる東京都葛飾区の堀切菖蒲(しょうぶ)園で、約200種6000株が見頃を迎えた。1日は日差しが照り付ける中、多くの人が日傘や帽子で暑さを避けながら、紫やピンク、白などのハナショウブを楽しんだ。/江東区から友人と訪れた稲増淳子さん(74)は、「暑くて驚いたけど、来て良かった。たくさんの種類があって、少しずつ色が違うのが素晴らしい」と喜んだ。管理事務所によると現在は八分咲きで、今週いっぱい楽しめる。予想される台風については、水路の水を抜くなどの対策を考えているという。/ 同園と都立水元公園では14日まで「葛飾菖蒲まつり」を開催中。堀切菖蒲園では5、6両日にライトアップなどが行われる。ともに入場無料》(久野千恵子)(東京新聞・2026/06/01)(ヘッダー写真も)

 都内に住んでいたころ(昭和38年春~昭和47年夏)、何度か通ったのが堀切菖蒲園。京成電車で上野から30分もかからなかったか。この近辺には向島の百花園もあったので、頻繁に足を延ばしては、一服の清涼剤としていました。徒歩圏では六義園や古河邸(バラが主でした)、小石川(礫川)公園(菖蒲園もあった)、文京区の江戸川公園などなど。それこそ四季折々で植物の旬を楽しむことができました。我が拙庭にも、アヤメ(菖蒲)が幾株か、つい先だってまで花の盛りを見せていました。なかなかに色鮮やかな花をつけてくれますね。今思い出しましたが、明治神宮にも「花菖蒲」が育っていました。ここにも何度か足を踏み入れました。都内のいずれの公園も、広大な土地は望めなくなりました。堀切菖蒲園も、狭隘といっていいような園内に、それこそ人混みができるような雰囲気では、おそよ「花菖蒲」に相応しくない気もします。

 (しばしば、ショウブ(菖蒲)・ハナショウブ(花菖蒲)・アヤメ(菖蒲・纐纈)・カキツバタ(燕子花・杜若)などの区別がわかりにくいとされます。いろいろと解説が施されていますが、何よりも自分で育ててみるのが最も確実に、それぞれの区別がつきます。大まかに言っておくと、乾いた土地、湿った土地、水のあるところで、それぞれ成長するという違いがあります。あるいは、花の模様や色による区別もあるでしょう。昔から、いろいろと取り違えられてきた経過もあり、とにかく自分で触れてみることが最も大事でしょうね。昨日は「ドクダミ」、本日は「ハナショウブ」、花の色は移りにけりなゐたずらに…。

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なにがなんでも 勝たねばならぬ

 「何が何でも勝たねばならぬ」と、この女性はいつの時代にも人を出し抜いていたでしょう。坂田三吉が「吹けば飛ぶよな将棋の駒」に命を懸けたのは事実でしたが、嘘の通用しない世界の出来事。この女性宰相は、そんなものは歯牙にもかけなかったと思う。なにがなんでも勝たねばという心意気は、そこだけをとってみれば心地いいし、時には美しくも勇敢にも見られるでしょう。しかし、この宰相はどうでしたか。ぼくは、かなりは早くから知っていましたが、好かない御仁という印象は消え去らなかった。いわば「口八丁手八丁」というのではなく、あえて放言するとするなら「嘘八百(a whole pack [all sortsof lies)」「嘘も方便(A lie can be a necessary evil.)」という主義ではななかったでしょうか。「あれこれとうそを並べたてて言うこと。まったく、うそばかりであること。はっぴゃく」(精選版日本国語大辞典)そんな世界があるんですね。

 今、火が付きかかっている「相手候補、他党候補への中傷動画」拡散問題。だんだんに追い詰められている状況を見ていると、これまでの彼女のウソがばれた時の「弁明」「釈明」を思い起こします。実にこの手の術に長(た)けているのがわかります。「図星」を指されても、「馬脚」を現しても、白を切るのです。この人の身体・根性は「弁解・言い訳・弁明・申し訳・言い開き・申し開き・言い逃れ・言い抜け・逃げ口上・遁辞・陳弁・断る・言い分・言いぐさ・言い条」で出来上がっているというべきで、いうならば「お見事」と降参すべきところか。これがお笑いや、お芝居なら「結構毛だらけ、猫灰だらけ」なんでしょうが、はたせるかな、小なりと雖も、一国の宰相です。

 京都新聞のコラム氏は品がいいのでしょうか、煮え切らないのでしょうか。あるいは大人(紳士)というべきか。「当代の最高権力者は、世間に問うてきた施策や信条に後ろめたさがあるのだろうか。高市早苗首相は日記のごとく、公式ホームページで20年以上書き続けたコラムを2月に全て削除してしまった」、要するに、あの手この手の「御用済み(の嘘)」ということだったでしょう。だが、悲しいかな、情報時代の情報機器の仕組みには疎かった。消去してしまったから、もう大丈夫ではないのですね。今回の「誹謗中傷動画」も然(しか)り。記録はすべて消しました。だからもう大丈夫なんですか。パソコンにドリルを突き刺した議員がいました。

【梵語】日記が伝える歴史 平安の世、藤原道長が詠んだ一首はよく知られる。<この世をばわが世とぞ思う望月の 欠けたることもなしと思へば>。権勢の絶頂に開いた宴で和歌を唱和したと、「御堂関白記」につづった▼現存する世界最古の自筆日記といわれ、政務の日々に、源氏物語を育んだ宮廷サロン、病へのおびえ、仏への帰依も記す。史実に加え、摂関期の文化や思想がにじむ▼道長は破却を望むも伝世され、ユネスコの世界記憶遺産に登録された。日記は多くの公家、近現代の政治家も書き残し、日本史を編む重要史料とされる▼当代の最高権力者は、世間に問うてきた施策や信条に後ろめたさがあるのだろうか。高市早苗首相は日記のごとく、公式ホームページで20年以上書き続けたコラムを2月に全て削除してしまった▼SNSで代用できるというが、過去のアーカイブとして併存することはできたろう。自らも昨秋に国会で「あえて政治家の歩みや進歩を見てもらう」として、撤回した主張を含め載せているとしていたのに▼ネットではコラムが復元され、衆院選での「消費減税は悲願」は読み取れないとの分析が示される。他にも平和主義を掲げた憲法前文を「おめでたい一文」と吐き捨てた国会発言の映像も残る。欠けたる記録ならば、自らの口で説明してはどうか。(京都新聞・2026/05/31)

 この人は心底からの「歴史嫌い」「歴史音痴」なんですね。詰まりは「過去を消し去りたい」というばかり。過去を有しない人でしょう。あるのは「今」だけ、「自分」だけ。そして、その信条は「なにがなんでも勝たねばならぬ(I must win no matter what.)」ですから、手段も行儀もなんのその、です。一日居座れば、一日この国は滅び近づくんですね。だから、「最後までやりなはれ」という気はぼくにはありませんが、ね。「嘘つきは泥棒の始まり(Lying is the beginning of theft.)」司馬遼太郎さんが居合わせていたなら、令和版の「国取り物語」「くの一忍法(「新梟の城」)」を書いたことでしょう。下卑た作品になったことは請け合いますよ。因みに、司馬さんの母方の出は奈良の竹ノ内街道沿いだっただそうです。

 まだ、首相は追い込まれたとは思っていない(いたい)でしょうか。相当に焦っていると、その物言いや表情からありありとわかる、ぼくにはそう見えますが。おそらく「あの手この手の思案を胸に」あくなき闘志を滾(たぎ)らせているのでしょう。この先の醜態は断じて見たくないですね。これまでさんざんに、自分を偉く見せてきたでしょう、もう充分ですやん。潔く辞めなはれ。

(ヘッダー写真はPlantia:https://www.hyponex.co.jp/plantia/plantia-16423/

 王将
(詞・西条八十 曲・船村徹)

吹けば飛ぶような将棋の駒に
かけた命を笑わば笑え
うまれ浪花の 八百八橋
月も知ってる 俺らの意気地

あの手この手の思案を胸に
やぶれ長屋で今年も暮れた
愚痴も言わずに 女房の小春
つくる笑顔が いじらしい

明日は東京に 出て行くからは
なにがなんでも 勝たねばならぬ
空に灯がつく 通天閣に
おれの闘志が また燃える(1961年発表)

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「徒然に日乗」(1109~1115)

◎2026年05月31日(日)快晴。はじめは公道両側の除草をして終わるつもりだったが、ついはずみで庭の植え込みの剪定に取り掛かってしまった。午前中2~3時間はかかったろうか。満天星躑躅(どうだんつつじ)を数年ぶりで選定したが、まだ作業の半分が残ってしまった。明日以降に。さらにった。紅カナメモチ一本。これも虫食いにあって弱っていたが、故俊はずいぶんと持ち直し、ずいぶんと樹勢が出てきていたので、思い切り剪定。さらに、進めたかったが、かなりの高温と陽ざしに恐れをなして、作業は中断。▼来週の半ばあたりには、台風6号が当地付近を襲うという予報が出ている。いまのところ、劣島近海の海水温がそれほどの高温になっていないので、大きく勢力が発達する危険性はなさそうだが、何が起ころかわからないのも気象状況。大過なく過ぎることを祈るばかり。(1115)

◎2026年05月30日(土)終日晴天。各地で真夏日が続出している。世界規模では欧州、ことにフランスでは歴史的な猛暑に襲われている。劣島でも、この先の猛暑が思いやられる。▼報道によると、ナフサ不足に発する物価高騰が目白押しで、ものみな高騰する時代をいかにして凌ぐことができるだろうか、大きな課題だ。▼台風6号が、気象庁予想では3~4日ころに関西から関東に進路を取るという。梅雨入り前の最初の直撃になるかどうか。今から気を揉む。(1114)

◎2026年05月29日(金)蒸し暑い、梅雨時のような天気具合。30℃には届かなかったが、それでも湿度(室内)は70%近くまで上がっていた。珍しく、朝シャワーを浴びたほど。本日も終日自宅内に。▼「日経平均66,329.50 +1636.38 NYダウ50,668.97 +24.69 ドル円159.21-23 -0.25円高NY原油87.54 -1.36 長期金利2.655 -0.040」(日経新聞・2026/05/29)(1113)

◎2026年05月28日(木)本日も終日自宅内に。このところの肩などの痛みはやや治まった感がある。完全に痛みがなくなっているのではないが、これまでとは違う感覚だ。このまま大過のないことを願うばかり。もう一週間もすれば関東地方も「梅雨入り」だろうか。それまでに庭の手入れをと思っていたが、どうも無理のようだ。仕方なし。(1112)

◎2026年05月27日(水)曇り空の一日。終日自宅に留まる。▼「政府のインテリジェンス(情報活動)機能強化に向けた「国家情報会議」創設法が27日の参院本会議で成立し、「スパイ対策」が本格化する見通しとなった。国会前で「市民監視が強まる」などとプライバシーや思想の自由の侵害を懸念する抗議活動が連日開かれるなど、不安も広がっている」(共同通信・2026/05/27)この後には「スパイ防止法」が続く。自分の事務所の情報管理すらできない首相が何をする気でいるのか、狂っているな。▼ドル円159.33-34 +0.14円安 NY原油91.31 -2.58 長期金利2.685 -0.035(日経新聞・2026/05/27)(1111)

◎2026年05月26日(火)終日快晴。午前中に茂原まで買い物。▼庭の除草作業をしなければと思いながら、とても作業に取り掛かる元気がない。右肩周辺の痛みが、少しは和らいだかどうか、はっきりとは分からない。痛みをはっきりと感じ出して、本日で三日目か四日目。もう少し様子を見たい。▼現首相事務所のスキャンダルにやや方向の変化が出てきたと感じる。新聞の論調も、石油(ナフサ)不足問題の捉え方がこれまでとは異なるように思われるのだ。この先、はたして醜聞や虚言をどこまで掘り下げるようになるだろうか。ある歴史家に言わせると「昭和が戦争の時代」に堕していったのは、マスメディアが変節し、言うべきことを言わなくなり、それに同調するように、国民も沈黙を貫いたからだという。まさにそういう事態が現実に生まれているのだ。(1110)

◎2026年05月25日(月)昨日とは打って変わり、終日快晴。▼右肩周辺の痛みが続く。鎮痛消炎発布剤を使いだしているが、まだ痛みは残る。肩こりなのかどうか、よくわからないところがある。▼昼前に茂原まで買い物に。帰路、猫のドライフードをいつも通りにコメリにて購入。(1109)

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生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめる…  

【日報抄】2100年、県人口が100万人に-。ピンとこなければ、こんな想像をしてみたらどうか。今日生まれた子どもが70代になり、今の新潟市と長岡市を足した人口がそっくり消えてスカスカの新潟県で暮らしている姿を▼県は昨年、将来の人口ビジョンを公表した。100万人はあくまで目標値に過ぎない。今のままだと60万人まで落ち込むという▼本県の推計人口は5月1日現在で204万9175人。戦後右肩上がりに増え、ピーク時は250万人手前まで膨れた。それが今や戦時中の1940年の人口に戻ってしまった▼知事選の真っ最中に候補者が集会を開くというので新発田市の米倉小学校を訪ねた。市の中心部から車で20分。立派な校舎前の旧会津街道には見事な松並木があり、宿場町の面影が残っていた。学校が閉校していることは現地で知った▼さらに山手の赤谷小は2015年に閉校し、米倉小と統合した。米倉小も3年後に143年の歴史に幕を下ろし、町場に近い学校と統合した。集会に来ていた高齢女性がつぶやいた言葉が耳に残る。「どんどん子どもがいねなってね」。集落の保育園は今春閉園した。きれいな旧園舎だけが残る▼「スマートシュリンク」という言葉がある。賢く縮むを意味し、公共施設の統廃合を検討する上で注目される考え方だという。縮みゆくのは不可避でも効率一辺倒では困る。全県を見渡してなるべく多くの共感を得られるかじ取り役は誰がふさわしいか。まずは投票所へと足を運びたい。(新潟日報・2026/05/31)

⁂「週のはじめに愚考する」(121)~ 本日、ざっと通覧しただけで、およそ五紙が、地域における「人口減」問題を扱っていました。その多くは「高校」「大学」の定員割れの現実に苦悩するというものでした。いちいちは取り上げませんが、「今頃になってどうして」、そんな思いがぼくにはあります。いつも言うことで、「人口減少」は三十年以上も前から分かっていたこと。それは「東京一極集中」とは無関係ではないこともよく知られていました。だから、政治や行政がそれに向けて手を打ってこなかったということもできますが、「人口減少」の因子である出生数減と自然死の増加は、いわば「自然現象」ですから、それ自体を防ぐ手立てはまずありません。

 今も台風6号が日本劣島を急襲する勢いと予想されています。台風に備えて様々な暴風対策を講じることは当然でしょう。でも、台風の発生そのものを封じることは(現段階では)不可能とされています。人口減少対策は確かに求められますものの、減少そのものを食い止めることはできません。減少以上の出産増を強いる政治的方策をとるなら問題は生まれていません。それを、今のこの社会に採用しますか、できますか。5年間で約310万人の減少といいますから、年間平均では62万人減となる計算です。ただし、昨年(2025年)の出生数 70万899755人・死亡数 160万5654人の割合で見れば、の減少になる。899755人の純減となります。日本の人口は直ちに消滅するはずもありません。しかし、これまで通りの社会体制を維持していくことは困難になるのは避けられないのです。

 前回の調査から五年間で約309万人以上の人口減です。増加したのは東京と沖縄のみ。そして、年々、単年度の人口減幅は増大しています。「少子高齢化」という現象は、それこそ右肩上がりで拡大しています。少子化の荒波を受けるのは社会全体です。しかしそれを最も顕著に、しかも痛烈な災難として受けるのは「学校経営」であることは言うまでもありません。このところ、各地で伝統や歴史のある学校(多くは私立学校)の閉鎖情報が飛び交っています。

 まずは「短期大学」が少子化の直撃を受けた。次いで女子大学。あるいは地方都市における私立学校等々、この数年で多くの学校が生徒・学生募集を停止するに至っています。「短期大学」の延命策は四年制大学に形態を変えることでしたが、ぼくの知る限り、それで成功したところは極めて少数でしかありません。あるいは女子大学で社会的評価を受けていたところも店員割れで、「男女共学」化を図って、うまく軌道修正できたという話はあまり聞きません。短大や女子大という看板で社会的評価を得ていたところが宗旨替えをしたといって、直ちに評価が上がるというものではないことを示しているでしょう。

 日本全体が縮小しているのですから、どこかが人口を増やせば、どこかが一層人口減少を加速させる事態を招くという「悪循環」に陥っているのです。「人口増加率は東京が1.4%、沖縄は0.1%」、「減少率は秋田の8.1%が最も高く、39道府県で減少幅が拡大した」「市町村別では、全体の90.6%に当たる1558自治体で人口が減った」繰り返しになるのをいとわないでいうと、人口減少の主因は「出生者数」の現象であり、自然死者数の増大です。それは一面では自然現象とみるべきです。

 結婚を選ばない、結婚をしても子どもを望まない、子どもを求めるけれども最低数で終わり、そのような人生の選択が行われているとみるべきで、この状況を上向き(出生数増)にベクトルを向けるのは容易ではないでしょう。一時的には状況が好転することはあっても、この社会が経験してきた戦後のような人口も経済も「右肩上がり」は望めないと考えた方がいいと、ぼくは判断しています。

 残された手法はあるのか。すべてに過激なほどの威勢のいい新聞の【社説】を引用しておきます。現内閣・首相の応援団を自認しているにもかかわらず、ほとんど何も展望がないことを、その新聞であえも明かしています。ある時期に、将来の成長を期して、たくさんの植樹をした。半世紀たって、それぞれが一定の規模に成長した段階で、その成長の速度は鈍り、衰勢堅調になる、これは当たり前の自然現象でしょう。命あるものの宿命で、一種の生命過程の成長・衰弱曲線とみられるものですから、坂道を上り切れば、峠でじっと留まることはできません。次々に坂道を下る羽目になります。これは紛れもなく「自然の歩み」です。これを反転させることも中断させることも不可能でしょう。

 「日本劣島を強く豊かに」とリーダーは喚(わめ)いていますが、喚けば喚くほど、木魂が虚しく響きます。産経新聞の「主張」に目を移してほしい。「高市早苗政権や与野党はもっと危機感を持たねばならない。少子化の速度を緩やかにして時間を稼ぎ、人口減でも移民国家にならずに、社会機能を維持し、豊かさを実感できる国にすることが必要だ。/高市首相は少子化と人口減について『わが国の活力を蝕(むしば)んでいく』と述べ、総合的な戦略を策定する考えを示してきた。人口目標や将来の国家像を具体的に示してほしい」と、いかにも展望がなさそうです。この衰退しきった国の勢いをさらに懸命に「蝕んでいる」のは誰ですか、教えてほしい。

【主張】国勢調査 人口減の加速に危機感を 総務省が令和7年国勢調査の速報値を公表した。昨年10月1日時点の外国人を含む日本の総人口は1億2305万人で、2年の前回調査から309万7千人減った。減少率は2・5%だった。/初めて人口が減った平成27年の前々回から3回連続の減少である。減り幅は過去最大だ。前回の減少率0・7%と比べると急速に人口減が進んでいることが分かる。/総務省は少子高齢化が進み、死亡数が出生数を上回る「自然減」が拡大したことが要因とみている。/政府が令和5年12月に少子化対策を盛り込んだ「こども未来戦略」を策定してから約2年半が経(た)つ。高市早苗政権や与野党はもっと危機感を持たねばならない。少子化の速度を緩やかにして時間を稼ぎ、人口減でも移民国家にならずに、社会機能を維持し、豊かさを実感できる国にすることが必要だ。/高市首相は少子化と人口減について「わが国の活力を蝕(むしば)んでいく」と述べ、総合的な戦略を策定する考えを示してきた。人口目標や将来の国家像を具体的に示してほしい。

都道府県別では人口が増えたのは東京都と沖縄県のみで、45道府県で減った。このうち埼玉、千葉は大正9年の調査開始以来初めて、神奈川、愛知は戦後初めて人口が減った。/首都圏(東京、埼玉、千葉、神奈川)の人口は3698万6千人に増え、総人口に占める割合が初めて3割を超えた。だが、その一方で人口減の波は都市部にも及び始めているといえよう。この現実から目をそらしてはならない。

少子化対策で政府が最も注力すべきは若年層の所得向上だ。結婚して子供を産み育てる人を増やすには、経済的不安の解消が欠かせない。/今後も現役世代(生産年齢人口)は減少し、人手不足に拍車がかかる。地方の過疎化が進み、税収減で地方財政が悪化すれば、行政サービスの提供も難しくなる。インフラ老朽化への対応も急がれる。交通機関が衰退する懸念もある。/人口減でも社会が機能するように、政府や自治体は住宅や公共施設などを集約させる「集住」にもっと力を入れるべきだ。企業や行政は、AI(人工知能)の活用による業務の効率化も加速させたい。(産経新聞・2026/05/31)

 少子高齢化は少なくとも戦後の歩みの、一つの帰結のようなものです。いろいろな側面を十分に考慮しなければなりませんが、この傾向を止めることはできないし、まして「逆転」など考えるも愚か。問題を大局でとらえる必要があります。でも微細なところで、捉え返す視点も必要でしょう。マクロとミクロ、です。早くに「限界集落」と目された地域でも直ちに「消滅」するものではありません。時間の遅速はあるけれど、消えるまでには一定の時間があるのは「寿命」と同じ。小さな地域同士を合併させて延命を図っても、時間の問題です。詰まりは集団にも寿命があるということです。

  人生は「生まれ・病み・老い・死す」、社会(集団)もまた。現下の喫緊の問題にふさわしくありませんが、以下、親鸞さんとチャーリーさんの「箴言」です。ご参考までに。


  生死(しょうじ)の苦海(くかい)ほとりなし
  ひさしくしづめる
  われらをば
  弥陀弘誓(みだぐぜい)のふねのみぞ
  のせてかならずわたしける 
(親鸞『高僧(こうそう)和讃(7)』)

 A day without laughter is a day wasted.> < Life is a tragedy when seen in close-up,  but a comedy in long-shot.(Sir Charles Spencer Chaplin(1889~1977)(右写真はチャップリン氏)

 過去最大309万人減 総人口1億2304万人―国勢調査 総務省は29日、2025年国勢調査の速報値を発表した。同年10月1日時点で外国人を含む日本の人口は1億2304万9524人で、20年の前回調査から309万6575人減少。1920年の調査開始以来初めて減少に転じた15年調査から3回連続のマイナスで、減少幅は最大。減少率も前回の0.7%から2.5%へと大幅に伸びた。/ 総務省は、死者数が出生数を上回る「自然減」の拡大が影響したとみている。
 都道府県別では、東京、沖縄を除く45道府県で人口が減少。埼玉、千葉は調査開始以来初めて、神奈川、愛知は戦後初めてマイナスに転じた。東京一極集中に歯止めがかかっていない一方で、都市部でも人口減少が進んでいる実態が明らかになった。
 人口は、最多の東京が1424万6219人、次いで神奈川919万3657人、大阪876万4578人など。上位8都府県で全国の5割以上を占めた。最も少ないのは鳥取で52万3732人だった。
 人口増加率は東京が1.4%、沖縄は0.1%で、いずれも増加幅は前回から縮小した。減少率は秋田の8.1%が最も高く、39道府県で減少幅が拡大した。/市町村別では、全体の90.6%に当たる1558自治体で人口が減った。減少幅が1割以上だった市町村は27.7%に上り、前回の14.3%から拡大した。
 男女別に見ると、男性が5977万8826人で、女性が6327万698人。国連の推計によると、日本の人口は世界12位で、前回調査の11位から後退した。/単身世帯の増加により、世帯数は2.3%増の5712万4507世帯。1世帯当たりの人数は2.15人と過去最少を更新した。(時事通信・2026/05/29)

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ごみを見れば人が分かる

【日報抄】ごみ清掃員として働くお笑い芸人の滝沢秀一さんは東京出身だと公表しているが、生まれは本県なのだと著書で明かす。その著書には現場でごみと向き合う日々をつづる▼可燃ごみから飛び出した包丁には驚いたという。中身が残るスプレー缶がタオルに包まれ、可燃ごみに入っていたときは悲しくなった。ごみ集積所にそのままポイ捨てする人や、勝手に集積所を作ってしまう人にはあきれる▼一方で、ばらばらだと危ない竹串をまとめて空の牛乳パックに入れる配慮や、清掃員が運びやすいようにごみ袋を連結する工夫に感謝する。「ごみを見れば人が分かる」が持論で、ごみの分別をしない会社は6年以内につぶれる、という独自の法則も見いだした▼きょう5月30日は数字の語呂で「ごみゼロの日」だ。滝沢さんはごみの減量を促す発信に力を注ぐ。膨大な手間と税金を費やすごみの焼却は、お金の焼却と同じだと思うようになったという。国内の最終処分場が、あと25年足らずで寿命を迎えるという試算にも危機感を抱く▼本県の2024年度のごみ総排出量は、ピークの07年度より44%減った。人口減少やごみの有料化などが理由とみられるが、雑紙(ざつがみ)やプラスチックの分別を徹底すればまだまだ減量できそうだ▼ごみは取りあえず目の前からなくせばいい、あとは誰かがなんとかする…わけはない。稚拙な幻想だ。ごみの捨て方を考えるよりも、まずは本当に必要なもの、欲しいものを選び、しっかり使い切る。では、きょうから。(新潟日報・2026/05/30) 

 ただ今、ナフサ不足で劣島全体が「てんやわんや」の渦中に入り込む寸前でしょうか。とても深刻な状況がしばらくは続くだろうという予想を、素人ながら、ぼくは持っています。それはまた、この先の資源エネルギーの需給関係の逼迫(ひっぱく)はわれわれの日常生活の「当たり前」を一変することになるかもしれないと、半分は期待、半分は不安、そんな中途半端な気分に引き裂かれています。期待の部分は、消費者としての言い分です。毎日毎日の食料品購入に伴って、驚くべき量の入れ物(トレー)包装紙類の蓄積(ごみ化)があります。ぼくは、自分でも割とこまめにゴミの分別をする方だと思っている。台所にも3個の入れ物を用意してあらかじめ分別しています。それほど丁寧というわけでもありませんが、ビン・カン・ペットボトルや、生ごみ・燃えるゴミ、トレイなどの容器類、さらに紙類などなど、これをいちいち分けて袋に入れています。

 (右上写真は長生郡市広域連合の環境衛生センター ごみ処理場(焼却場、不燃、粗大処理)。左下は「新最終処分場整備事業」(本年11月完成予定~この新規の「ごみ処理場」は拙宅から約2.5㌔離れた地に建設中。どこかに造らなければ「地域住民の生活」が滞ることになります。特別に建設反対運動があったとは聞かないですね)

 いま、このゴミ袋(100均で買うナイロン製)もやや不足気味で、現状がさらに続くと、たちまちのうちにごみ処理がパニックになりそうです。当地では、可燃性のゴミは週に3回ゴミ処分車による回収に回します。月に一度は、生ごみ以外のビン・缶類等の回収日。加えて、いわゆる「粗大ごみ類」の処分、多くの場合には直接ごみ処分場に持ち込みます(有料)。また、拙宅では草木の剪定や除草などが頻繁に行われ、その大半は自家製焼却炉で焼却処分している。その中には大量の段ボール類もあります。現在のナフサ不足が、直ちに解消されないどころか、簡単に入手困難な事態が生じれば、生活の一部に大きな変化(支障も)を起こすでしょう。簡単に言えば、「家庭ごみ」が画期的に減少するかもしれない、そんな期待を持っているのです。不安の方は、これまで通りに、使い放題・棄て放題の生活が続行することに対する不満、環境への負荷問題の悪化への不安です。

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 「ごみ清掃員として働くお笑い芸人の滝沢秀一さん」、実はご本人の言い分では本業が「清掃員」で、芸人活動はほとんどないという。「可燃ごみから飛び出した包丁には驚いたという。中身が残るスプレー缶がタオルに包まれ、可燃ごみに入っていたときは悲しくなった。ごみ集積所にそのままポイ捨てする人や、勝手に集積所を作ってしまう人にはあきれる▼一方で、ばらばらだと危ない竹串をまとめて空の牛乳パックに入れる配慮や、清掃員が運びやすいようにごみ袋を連結する工夫に感謝する」という生の証言を、ぼくも、今は亡き先輩から聞いたことが何度もありました。彼は大学教員でしたが、ある時ゴミ収集車に乗って、ゴミ回収に参加した経験がありました。その時の「経験談」を聴いて、ぼくはいたく打たれた。内容は滝沢さんの指摘されるようなことでしたが、それにしても、「塵(ゴミ)」ひとつまともに扱えない「住民」がどこにも腐るほどいるのに、ぼくは何度肝をつぶしたことか。

 今住んでいるのは山の中の辺鄙なところですから、県道を通って車でやってきては、窓から「家庭ごみ」その他を放棄する輩が後を絶たないのを日常的にみています。たばこの吸い殻を捨てるのはまだかわいい方、中にはベッドやマットレス、あるいは家電製品を林の中に捨てていくものもたくさんいます。「犬」や「猫」を捨てるのは、こういう連中かもしれません。たかが「塵(ごみ)じゃないか」というなかれ。今のままでは「国内の最終処分場が、あと25年足らずで寿命を迎えるという試算にも危機感を抱く」というのはコラム氏。自分だけがよければ、「後は野となれ山となれ」というのでしょうか。

この言葉の由来は、江戸時代に近松門左衛門によって著された浄瑠璃の作品である『冥土の飛脚』である。この作品では、主人公である飛脚問屋が客から盗んだ金で遊女を身請して、暮らしていた町から逃げようとする場面があった。そこでの台詞に「あとは野となれ大和路や」というのがあったのだが、それが「あとは野となれ山となれ」に変わって現在に至るのである。(Wikipedia)

 「栄耀栄華も人の金、果は砂場をうち過ぎて、あとは野となれやまとぢゃ、足にまかせて」(出典:浄瑠璃・冥途の飛脚)(1711頃)

 ゴミ問題に限らず、いたるところで「冥途の飛脚」が充満しているともいえる今日の社会の実相。「飛脚」といえば、今の「現金輸送係」でしょう。それこそ、この飛脚紛いが、あちこちに潜んでいるこの時代、「ゴミの投棄」などに目くじら立てなさんと非難されそうですが、何でもかんでも「ゴミ扱い」して、その結果、収集車や処理場では大きな災難を蒙っているの事実です。電池やスプレー缶のずさんな管理が思わない多額の税金の出費を余儀なくしているのです。

 本日は5月30日、要するに「ゴミゼロの日」という次第。ナフサ不足の行方が、この社会(いや地球上)のゴミ問題に一石を投じているとみるべきでしょう。現状維持や現状回復を図るのではなく、この後の、問題解消への新しい一歩を標すきっかけとなることをひたすら願うものです。

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(参考 東京23区が、家庭ごみ収集の有料化に向けた検討を始めたことがわかった。全国の自治体の7割が実施済みで、処分場を抱える東京都も後押しする。ごみ袋1リットル当たり1円を想定し、およそ10年後の2037年度以降、全区で一斉導入する案が軸となるが、統一地方選を来年に控え、コスト増や住民の反発を懸念する区の間では慎重論も根強い。(大塚美智子、仲條賢太、五十川由夏)(↷)

 1リットル当たり1円で1割削減 17日朝、東京都新宿区百人町のごみ集積所に収集車が到着し、山のように積み上がったごみ袋の回収が始まった。一帯は外国人住民が多く暮らし、アジアなど外国料理を出すレストランや民泊施設も点在する。/この日は可燃ごみの収集日だが、缶やペットボトルが混入した袋も。区歌舞伎町清掃センターの統括技能長、兵藤尚武さん(53)は「分別が不十分だと量も増えてしまう。多言語で案内もしているが、なかなか理解してもらえない」とため息をつく。/各区が回収するごみは年間約160万トン(2024年度)。工場で焼却するなどし、東京湾にある都の処分場に埋め立てられる。処分場はおよそ半世紀で満杯になる見通しで、小池百合子知事は1月、「有料化の意義や効果を提示しながら、資源循環に資する施策をともに進めていければ」と区側に呼びかけた。/23区長で作る特別区長会は、他自治体の事例を参考に指定ごみ袋の料金を1リットル当たり1円にすれば、排出量は約1割減ると試算した。葛飾区の青木克徳区長は2月の記者会見で「一つの手段として非常に効果的。検討を積極的に進めるべきだ」と述べた。(以下略)(ヘッダー写真「集積所でごみを回収する作業員たち」(3月17日、東京都新宿区で))(読売新聞・2026/03/23)

戦いは「玉砕」、戦死者は「軍神」。

【春秋】現実を覆い隠す言葉とは 83年前、1943年5月29日の夜。北太平洋のアッツ島で米軍に包囲された日本軍の守備隊は最後の突撃に出て全滅した。大本営はこれを「全員玉砕せるものと認む」と発表した。これが、太平洋戦争で大本営が「玉砕」の言葉を使った始まりだった。敗勢の現実を覆い隠しながら、終戦まで幾度も使われた▼玉砕とは、玉が美しく砕けるように名誉や忠義を重んじ、潔く死ぬこと。中国の故事が由来である▼画家の藤田嗣治は軍の依頼でこの戦闘を描いた。敵味方が入り乱れ、泥と血の中に折り重なる陰惨な絵「アッツ島玉砕」だ。この年の9月に国民総力決戦美術展で公開されると熱狂的な支持を集めた。観客は絵の前のさい銭箱に小銭を投じ、傍らに直立する藤田はお辞儀を返したという▼戦いは「玉砕」、戦死者は「軍神」。事実を美化した言葉が報道や絵、文学、歌とあらゆるジャンルのメディアに広がり、追悼とあだ討ちのムードを生み出す。民衆は「一億玉砕」に染まった▼言葉の力が現実を塗り替えてしまうのは、戦時中に限った話ではないだろう。今年4月、政府は殺傷能力のある武器の輸出解禁に踏み切った。武器輸出は「防衛装備品の移転」と、刃を隠すように言い換えられ、首相は「平和国家の基本理念は堅持する」と語った。この国の形は今、大きく変わりつつある▼玉砕の戦争画に熱狂し、列をなした人々は私自身の姿かもしれない。(西日本新聞・2026/05/29)

 この「アッツ島玉砕」を何度か見た記憶があります。戦時中、従軍画家として「戦争画」を描いた画家はたくさんいました。しかし、この「アッツ島玉砕」は、戦地に赴いて描いたものではなく、画家の想像から生まれた作品でした。「これくらいの絵なら、想像でいくらでも描ける」と画家はどこかで語っていました。

 戦後、日本からフランスへの移住を決めて、再び故国には戻らなかった。

 何冊かの戦時画家の画集を見ているうちに、キーボードを叩くのが嫌になりました。

 一例として、ある時期まで、ぼくは宮本三郎さん(1905~1974)は好きな画家の一人としてよく見ていましたが、この戦争画との関連で、その後はほとんど見ることがなくなりました。他に小磯良平氏(1903~1988)、中村研一(1895~1976)、向井潤吉(1901~1995)の諸氏。同じように、戦時中の行動(画業)を伏せれば、それぞれに優れた画家として戦後社会に伍していた人々です。文学畑でも錚々たる面々が「戦時をくぐり戦後を生きられた」人として、ぼくは記憶に留めています。国家の側に立ち、戦争を支持するという意味はどういうもん岡、それを篤と考えてしまうんですね。この問題も、どこかで、元気なうちに丁寧にたどってみたいと思っています。

 作家や評論家においても同じような経過をたどり、その人たちの作品は積極的に見たり読んだりできなくなりました。もちろん、ぼく自身の偏見であり狭量なのですが、なかなかに、戦時中の発言や行動、あるいは作品を不問に付して、その芸術性を語ることはぼくにはできなかった。藤田氏の展覧会には数回足を運んだことがあります。想像のなかでこの「地獄図」を描いたことを藤田さんは隠さなかったどころか、それを誇りにさえしていた節があります。この絵の前で、ぼくは自身の感情を始末できないのです。

 一つの証言のような発言が残されています。画家の野見山暁治さんが語っている。「なかでも藤田嗣治の絵は一段と迫力があった。凍てついた島で玉砕した日本兵と、死んだアメリカ兵との共に青白い顔。死体の動かないその手の先に生えているかぼそい草々。あるいは南方での、哀れな現地女のうずくまった姿態と、それを救うために近づいている逆光の日本兵。ところがおかしなことに、この絵の迫力は、本人のそうした姿勢とはウラハラに、戦争がすべてを奪って死の世界へ引きずり込むようなまさしく反戦的な雰囲気を醸し出していた」(「四百字のデッサン」)

◎ 野見山暁治(のみやま-ぎょうじ)1920-2023= 昭和後期-平成時代の洋画家。大正9年12月17日生まれ。昭和23年自由美術家協会展で協会賞。27年フランスにわたり,椎名其二(そのじ)の影響をうける。33年「岩上の人」が安井賞。39年帰国。47-56年母校東京芸大の教授。平成4年芸術選奨。12年文化功労者。心象風景を独特の有機的形態でえがく。戦没画学生慰霊美術館「無言館」の開設・運営につくしたとして信濃デッサン館館主窪島誠一郎とともに17年菊池寛賞。26年文化勲章。福岡県出身。随筆に「四百字のデッサン」(昭和53年日本エッセイスト・クラブ賞)など。(デジタル版日本人名大事典+Plus) (*野見山暁治「四百字のデッサン」河出書房、1978刊)

◎ 藤田嗣治(ふじたつぐはる)[生]1886.11.27. 東京,東京 没]1968.1.29. スイス,チューリヒ=フランス国籍の洋画家。のちに軍医総監になった藤田嗣章のニ男。1905年東京美術学校に入学し黒田清輝,和田英作に学ぶ。1910年に同校を卒業,1913年渡仏。パブロ・ピカソ,アメデオ・モジリアニらを知り,エコール・ド・パリの一員として認められ 1917年に個展を開催。1919年サロン・ドートンヌに出品した 6点全部が入選し同会会員に推され,精妙な陶器の肌を思わせる白い絵具のマチエールと,的確なデッサン力をもった流麗な線描による表現は高く評価された。一方,国内では 1922年以降帝展(→官展)に出品し,1924年帝展審査員,1934年二科会会員となり,1941年帝国芸術院(→日本美術院)会員になるが 1955年に辞任。その間 1929,1933年に帰国したものの三たび渡仏。1940年戦争のため帰国し,第2次世界大戦中は多くの戦争記録画を描いた。1949年日本画壇と決別して渡仏,1955年にフランス国籍を取得し,1959年にはカトリックの洗礼を受けてレオナール・フジタ Léonard Foujita(正式には Léonard Tsuguharu Foujita)となった。1966年ランスのノートル・ダム・ド・ラ・ペ礼拝堂(フジタ礼拝堂)の建物を設計し,キリスト伝の壁画,ステンドグラスを描いたが,まもなく病没。主要作品に『パリ風景』(1918,東京国立近代美術館),『五人の裸婦』(1923,同),『舞踏会の前』(1925,大原美術館),『ドルドーニュの家』(1940,アーティゾン美術館),『私の夢』(1947,新潟県立近代美術館)などがある。(ブリタニカ国際大百科事典)(この稿、未完)

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手を空にのばせば我も五月の木

 もう五月も終わり近くです。「いろいろなことがあり皐月末」(無骨)、ですね。春は曙(あけぼの)がことのほか趣があって、「夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、 ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし」と書くのは清少納言(康保3年頃〈966年頃〉 – 万寿2年頃〈1025年頃〉)。千年の後の今はどうか。春も夏もあったものかは。降れば土砂降り、晴れれば日照り、昼と夜の境もないくらいに、煌々と灯りがともり、そのエネルギーがまるで限界がないほどに乱用される始末。まさに天変地異野人際のうち続く世界にぼくたちは住んでいます。住んでいるというのではなく、それこそ、身を粉に出んばかりに「齷齪・偓促(あくせく)」しているんですね。

 「齷」は「あく・こせつ(く)」、こせこせするという。「齪」は「さく・せく・しゅく・つつし(む)です。「偓促」の「偓」は「あく・かか(わる)」で、物事にこだわる、こせこせするの意。「促」は「そく・うなが(す)」で、その意は「せかせる」「せわしい」という。日がな一日、何もしないで息だけをしているつもりでも、何かに急き立てられ、こせこせしている自分を見て、可哀想になります。身の置き所はどこにあるのか。

 少し前に「ハナミズキ」という歌(一青窈さんの作詞作曲)を紹介したことがあります。「空を押し上げて 手を伸ばす君 五月のこと」このイントロ部分が妙に聞きたくなって、自分でも驚いている。

 きっかけはプロ野球チームの監督起こした娘への暴行事件を知ったこと。その報道を知った瞬間に、この曲がぼくの中に流れたのでした。今では全く興味を失ったプロ野球ですが、この「家庭内暴力」には驚きました。それをとやかく論じる資格がぼくにあるとは思いません。でも、と思う。つくづく思うのです。京都南丹市の児童殺害事件は「本当のお父さんでもないのに」と息子に詰(はじ)られたて「カッとなって」(つまりは「キレた」挙句)の殺害だったとされます。今回は有名なプロ野球チームの監督が「娘に盾突かれて(悪態をつかれて)」、カッとなって暴行に奔ったというのです。いかなる理由があれ、「暴力はいけない」と世の訳知りたちは言います。「そうかい?」とぼくは思う。いかなることがあっても戦争はダメだ、と言われる。なにを言ってるんだと思う。「正当防衛」というものが認められなければ人間社会は終わる。単に強いものだけがノサバルことによって、です。

 他人の家庭のことはぼくにはわからない。だからそれをとやかく言えた義理ではないと思っています。「いま父から暴力を受けている」「どうしたらいいか、教えて、チャッピー」と、「18歳の長女が対話型の生成人工知能(AI)『チャットGPT』に相談し、その答えに沿って児童相談所へ通報、警察が動いた」と報じられていました。ぼくも驚いた一人だったかもしれません。とっさの瞬間に、「チャッピー」に尋ねるという習慣が出来上がっているのでしょうか。母親や、妹もいたと思うのですが、とにかく「チャッピー」だったとするなら、多くの家庭では「スマホの中のカウンセラー」「スマホこそが友達」、それが救いの神のようになっているんですかね。

【梵語】チャッピーのお言葉 長女への暴行容疑で逮捕、釈放、監督辞任と、立て続けに目を引くニュース速報が流れた。プロ野球巨人の阿部慎之助監督である。同じか、それ以上に多くの人を驚かせたのは、18歳の長女が対話型の生成人工知能(AI)「チャットGPT」に相談し、その答えに沿って児童相談所へ通報、警察が動いたことではないか▼まだ分からないこともあり、今回の件はいったん置くとして、若者らが「チャッピー」と呼ぶAIが、話し相手として相当に浸透しているのは間違いない▼民間の調査で、小中生の約半分は「死にたい」「消えたい」気持ちの相談先にAIを選んでいた。18歳から29歳に「AIを人間に例えたら」と問うたところ、社会人は「カウンセラー」、学生は「友達」との答えが最多だったという▼AIは蓄積した対話のデータを基に、利用者に合った即答を示すため、自分を理解してくれていると感じやすいらしい▼ただ、その心地よさに依存し、生身の人を避けるといった弊害も言われる。米国ではAIに没頭して誘導され、自死や親の殺害に至ったとされる事件が続く▼環境学者の枝広淳子さんは、簡単に結論を出さず「わからなさの中にとどまり続ける能力」が、人間の成長や新たな発想につながると説く。確かにチャッピーにはないだろう。(京都新聞・2026/05/27)

 緊急避難的に児童相談所に、当の本人から連絡が入ったら、当然のように「警察」につながるのは規則があるからでしょう。まして、「暴行の進行形」だった場合はなおさらに緊急に連絡がつけられるのは、児相の果たすべき義務の履行だったでしょう。問題は、どうして「チャッピーに」助けを求めたのかという点にあるのかもしれません。ぼくはスマホを持たないし、パソコンを使って駄文を作っているだけの人間です。そのパソコンにも最近は、あの手この手を駆使して「AI」が登場し、「いつでも、どんなことでも相談に乗りますぜ」と、しきりに誘いを掛けたりします。詳細は調べていないので無理解のままですが「Geminiに相談」とうバナーがいつの間にかアドレスバーに張り付いている。「チャットを開始」とか何とか。以前にも書いたと思いますが、いずれAIが今以上にパソコンに入り込んでしまうと、(ぼくにとって)極めて不都合になります。そうなれば、ぼくはパソコン使用そのものを止めることを決めています。たぶん、今はもう「カウントダウン」に入っている段階です。

 要するに、ことほど左様に、まるで勝手にパソコンが操作されているのではないかと思うことがしばしばです。京都新聞の【梵語】の結論は陳腐である以上に、何を言ってるんですかという半端なものだったとぼくには思われました。「環境学者の枝広淳子さんは、簡単に結論を出さず「わからなさの中にとどまり続ける能力」が、人間の成長や新たな発想につながると説く」と、いかにも専門家そのものの「卓説」を紹介している。それはその通りで、「急(せ)いては事を仕損じる」ということもある。でも、この暴力進行形の渦中にある人間(長女)からすれば、「簡単に結論を出さす」「わからなさのなかにとどまり続ける能力」ってどんな能力ですか?、と聞き返したくなります。まさか、「殴られ続けなさい」というのではないでしょ。だったら、その能力はいかにして育つのでしょうか。育てられるのでしょうか。

 「怒りと怒り」がぶつかっている、まさに「情念」の争いです。そんな緊急時に悠長なことは言っておられません。ぼくはいつだって、「握っている拳を開け」といってきました。拳を全開したままでは、人間は怒れないのだ。これは哲学や道徳の問題ではなく、生理学の問題です。口を開いたままで「i:」という発音をしてみようと想定してごらん、きっとそれは「e:」という発音に近くなり、唇は閉じられそうになるはず。必要な行動がとれる体勢というものがあるのです。「腹を立てたままで、怒っている自分とは和解はできない」んですね。ぼくは自分でも呆れるほど「短気(quick temper)」です。あるいは「瞬間湯沸かし(instant water heater)」と同定されても仕方がない人間と、欠点の強さを自覚しています。そんなぼくでも、「握った拳を開く」ことぐらいはできそうで、その訓練をかなりしてきたと思う。「怒りの情念からの解放」、これこそが、ぼくには何よりも大切な生きる術(すべ)でしたから。

 この監督にはいくつもの不幸(不運)が重なっていました。チームが負け続けていたこと(4連敗中)。選手が思うように働いてくれない運の悪さ。翌日からは「両リーグの交流戦」だから、心機一転の「家庭内飲酒」でしたが、これもよくなかった。そしてその悶々の中での「娘たちの喧嘩」が隣で発生していた。拳を開けない監督は「カーッとなって」どなったら、予想外に、娘から「逆襲」を受けた。(敬遠のサインで)打者を塁に出せと指示したのに、あろうことか相手バッターに「ホームラン」を打たれてしまったという場面。酒が入っていたし、「高めに外せ」と言っていただろうと、キャッチャーに文句を言ったら、逆に言い返された(反抗された)。事の顛末は、終わってみれば「お粗末くん」の限りです。

 怒りに襲われたままにしておくと、「辞める必要のなかった監督を投げ出す羽目になる」という教訓は残りました。「握っている腰を開こう」、そして「五月の青空を見上げ」ようか。「君と好きな人が 百年続きますように」(「ハナミズキ)」

(余話ながら 「チャッピー」は今のところは純然たる辞書(「答えてくれる」電子辞書)、つまりは「TOOL」でしょう。しかし、AIのもう一面が「AGENT」、行為の主体であるという実態です。むしろ、こちらの方がはるかにすごい勢いで開発されています。一般の家庭にも入る時期は遠くないでしょう。今回の「DV」は、父親対長女の「情念同士」の戦いでしたが、やがて、そこにAIが加勢する時期が来るかもしれません)

(*表題句は飯田晴さん。昭和29年(1954)千葉生まれ、千葉県八千代市在住)

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