ぼくらの旗は こじき旗だ …暮しの旗だ

【素粒子】旗といえば、編集者・花森安治の詩「見よぼくら一銭五厘の旗」を思い出す。戦争はとうに終わって民主主義の世になったはずなのに、気がつけばまた、ものを言わない社会に戻っていた。「こんどこそ ぼくら どうしても 言いたいことを はっきり言うのだ」♭ 国旗損壊罪で愛国心を育てる、とまで侮られても大きな反発はない。暮らしに関係ないと思うからか。ただ、ものが言えない空気が広がれば、暮らしに困っても政治に訴えようがなくなる。「ぼくらは ぼくらの旗を立てる」。私たちの譲れない旗とは何だろうか。(朝日新聞・2026/07/15)                                                            (今からでも遅くない、ぜひ「アサヒにハタヲタテテクダサ」「ホシイゲンロンノハタヲタテホシイ」一読者の願いだ)

「一銭五厘の旗」花森安治 (2,530円(税込) B5判340ページ/ISBN978-4-7660-0026-9)       「この本の題の「一銭五厘の旗」とは庶民の旗、ぼろ布をつぎはぎした旗なのである。この本の全部に、その「一銭五厘の旗」を振りかざした著者の正義感があふれている。正義感ということばは正確ではないかもしれない。しかし、それに代わる適当な言葉が見つからない。よこしまなもの、横暴なもの、私腹をこやすもの、けじめのつかないもの、そういう庶民の安らかな暮らしをかき乱すものすべてに対する著者の怒りとでもいったらいいだろうか。(刊行当時の「毎日新聞」書評より)/『暮しの手帖』の基礎を築いた初代編集長・花森安治の思いが詰まった自選集、今なお輝きを放ちます。1972年(第23回)読売文学賞随筆・紀行賞受賞作」

「ぼくらの旗は こじき旗だ
ぼろ布端布はぎれをつなぎ合せた
暮しの旗だ
」  

 「一銭五厘の旗」は、『暮しの手帖』創刊編集長の花森安治が、1970年(2世紀8号)に発表した「見よぼくら一銭五厘の旗」という文章に由来します(※銭、正しくは旁のみ)。/ 戦時中、満州に出征した花森は、上官から「貴様らの代わりは一銭五厘(当時の葉書一枚の値段)で来る」と罵られました。権力者の利益のために庶民が犠牲になる構図は、戦後25年を経ても変わっていないと誌上で訴え、錆びついてしまった民主主義を組み立て直そうと、暮しの手帖社の屋上に、端布を縫い合わせた「一銭五厘の旗」を掲げました。(「戦争を考える」『暮しの⼿帖』5世紀 37号・(2025年7⽉25⽇発売)

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 「暮らしの手帳」は健在ですか。ぼくには小さな因縁のある「雑誌」であり「雑誌社」でしたし、今でもそう思っています。花森さんは、当り前に自分であることをいささかも装わなかった人。誰が言ったか、「偉い人は目立つことはないよ」と喝破したのですが、どうやら花森さんはそういう人だったかも。目立ち過ぎたのは、時代・社会が未熟だったからであったかもしれない。

 (ヘッダー写真:大橋鎭子と花森安治「まじめに自分の暮しを考えてみるひとなら、誰だって、もう少し愉しく、もう少し美しく暮したいと思うに違いありません。より良いもの、より美しいものを求めるための切ないほどの工夫、それを私たちは、正しい意味の、おしゃれだと言いたいのです」花森安治)(「花森安治のデザイン」 新美術情報2017)

◎ 花森安治(はなもりやすじ)= [生]1911.10.25. 兵庫,神戸 [没]1978.1.14. 東京 ジャーナリスト,編集者,装丁家。1935年東京帝国大学文学部美学科卒業。第2次世界大戦中は大政翼賛会宣伝部に所属。「欲しがりません,勝つまでは」のスローガンを公募作から選ぶ。戦後,1948年に大橋鎮子とともに婦人家庭雑誌『暮しの手帖』を創刊。独自の商品テストによって,消費者の保護,育成を編集方針の根幹に掲げる。ビタミンCの含有をめぐる「ポッカレモン」の不当表示の告発,石油ストーブの消火法をめぐる消防庁との「水かけ論争」などは,出版史上に残る。雑誌に他社の広告を載せると,その雑誌の自立性が失われるという信念から,自社の出版物以外の広告を載せない方針を貫いた。1956年菊池寛賞受賞。著書に『一戔五厘の旗』(1971)がある。(ブリタニカ国際大百科事典)

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栄耀栄華も人の金、…あとは野となれ大和路ゃ

【日報抄】ドイツの男子サッカー1部リーグ、ウニオン・ベルリンの監督に今春、マリールイーズ・エタさんが就いた。シーズン中の交代ながら、欧州5大リーグ初の女性監督となった▼負け越していたチームで残り5試合だけの指揮だったとはいえ、2勝2敗1分けの成績を残した。伝統ある欧州のサッカー界に風穴を開ける抜てきだったといえる▼その欧州では、多くの王室が男女を問わない長子優先の王位継承制を採る。1980年ごろから、男女平等や王室維持の観点から法改正が相次いだ。オランダもベルギーも現在、王女が継承順1位となっている▼日本では時計の針が止まっているのだろうか。皇室典範の改正案が参院できょう審議入りするが、皇位の「男系男子」継承の存続を強くにじませる内容だ。2年前に国連の女性差別撤廃委員会が皇位を男子に限る日本の皇室典範は改正すべきだと勧告したが、日本政府は抗議し、拠出金拒否の対抗措置を取った経緯もある▼人口減少に直面する国内各地で「女性に選ばれるまち」を目指しジェンダーギャップの解消などが掲げられる。ただ、多くは少子化対策の文脈で語られがちだ。「子どもを産んでほしいだけという思惑が透けて見える」と女性側の不信感も聞こえる▼戦時中、女性は労働力を補うために動員され、戦後は再び家庭や補助的役割に押し戻された。女性を「男性を補う駒」としてしか見ないような風潮が根強く残る。未来を担う若い世代の目にこの国はどう映っているだろう。(新潟日報・2026/07/15)

 このところ二度三度と「後は野となれ山となれ」という、一種の捨て台詞を使っています。「勝手にしやがれ、後はどうなとなるがいい」という、まさに「開き直った」見苦しい、あきれ果てた態度というべきでしょう。このセリフの源は浄瑠璃「冥途の飛脚」中の「栄耀栄華も人の金、果は砂場をうち過ぎて、あとは野となれやまとぢゃ、足にまかせて」にあるとされます。飛脚問屋の忠兵衛がタイマイの金を盗んで遊女梅川と逃避行。その際に吐いたのが「あとは野となれ大和路や」でした。(ぼくはこの浄瑠璃は何度か文楽のテレビ番組で鑑賞したものでした)

 今、永田町では令和版「冥途の飛脚」が上演されています。舞台も終幕近く、齢八十数歳の「亀谷忠兵衛(A副総裁に擬せられる)」と、奈良出の遊女「梅川(T総裁に瓜二つとも)」の、文字通りの「道行き」が終幕を迎えているのです。幕間には、すったもんだのさまざまな「出入り」がありましたが、いよいよ令和版「冥途の…」は佳境に入り、大団円となる予定。(*「(道行き) 浄瑠璃や歌舞伎で、主として男女が連れ立って旅行などををする場面。また、その所作。駆け落ちや心中などの場合が多い。」デジタル大辞泉)

 この後は、「冥途」(「仏語。死者の霊魂の行く世界。あの世。地獄・餓鬼・畜生の三悪道をいう。冥界。黄泉。よみじ」同前)に移り、まさに「黄泉(よみ)の国」の場面へと展開します。そこは、おどろおどろしい「ヨモツシコメ(別名サナとも)」もいる異郷の世界。機会を改めて語ることがあるかもしれません。まずはその前段階で、永田町劇場「冥途の飛脚」をご笑覧くだされ。(ただ今、7月15日、午前8時。室温28.7℃、湿度79%。パソコン部屋には冷房機(エアコン)なし。やがて、「高温注意」の警告音がパソコンから鳴り出す予定。大事になる前に、「これにて、本日の打ち止め」)(写真右は「島根県松江市東出雲町にある黄泉比良坂(よもつひらさか)」です)

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◎ めいどのひきゃく【冥途の飛脚】 浄瑠璃。世話物。三巻。近松門左衛門作。正徳元年(一七一一)頃、大坂竹本座初演。大坂の飛脚問屋亀屋の養子忠兵衛は遊女梅川になじみ、金に困っていることを友人八右衛門に暴露されて逆上、公金三百両に手をつけて、梅川とともに郷里新口(にのくち)村に逃げ、実父に別れを告げるが、捕らえられる。近松の代表作の一つ。八右衛門を敵役にした改作がしばしば上演される。梅川忠兵衛。梅忠。(精選版日本国語大辞典)

あと【後】 は 野(の)となれ山(やま)となれ=[初出の実例]「栄耀栄華も人の金、果は砂場をうち過ぎて、あとは野となれやまとぢゃ、足にまかせて」(出典:浄瑠璃・冥途の飛脚(1711頃)中)(当面のことさえ済めば、その先のことや、その結果はどうなってもかまわない)(精選版日本国語大辞典)

◎ 冥途の飛脚 (めいどのひきゃく)= 人形浄瑠璃。世話物。3巻。近松門左衛門作。1711年(正徳1)3月《新いろは物語》の切浄瑠璃として初演されたという(《外題年鑑》)が確証はない。ただ,同年の初秋以前に,大坂竹本座で初演されたものと推定されている。実説の詳細も不明であるが,世間の評判となった事件らしく,浄瑠璃にも歌舞伎にも先行作がある。大和新口(にのくち)村の百姓孫右衛門の子忠兵衛は,訳あって大坂の飛脚宿亀屋の養子となり,商才を発揮していた。しかし,新町槌屋の遊女梅川になじみ,遊興費にも事欠く有様。その梅川に身請け話が持ち上がり,忠兵衛は向うを張って梅川を請け出そうとする。金に困った忠兵衛は,友人丹波屋八右衛門のもとに届けられた為替金五十両を着服,手付けに当てる。事情を知った八右衛門は,忠兵衛の行く末を案じ,廓に行って一切を語り,彼を寄せつけぬようにと頼む。それを立ち聞きした忠兵衛は立腹し,男の面目を立て,梅川の無念を晴らそうと,懐中していたお屋敷の為替金三百両の封を切って八右衛門にたたきつけ,梅川を請け出して新口村に落ちて行く。2人は孫右衛門によそながら別れを告げて逃げ延びようとするが,捕らえられる。本作以後,《けいせい恋飛脚》や,それを歌舞伎化した《恋飛脚大和往来(こいびきやくやまとおうらい)》(〈こいのたよりやまとおうらい〉とも。通称《梅川忠兵衛》《封印切》《新口村》。1796年1月大坂角の芝居)などの改作が現れたが,いずれも八右衛門を敵役として強調しているため,一途ではあるが破滅的な忠兵衛の愛を描く原作の焦点はぼけてしまっている。(改定新版世界大百科事典)

◎ 冥途の飛脚(めいどのひきゃく)= 浄瑠璃義太夫(じょうるりぎだゆう)節。世話物。三段。近松門左衛門作。1711年(正徳1)大坂・竹本座初演。当時実在した飛脚屋の為替(かわせ)金拐帯事件に基づく「梅川(うめがわ)忠兵衛」の情話を脚色したもの。大坂・淡路町の飛脚問屋亀屋(かめや)の養子忠兵衛は、新町槌屋(つちや)の遊女梅川となじみを重ね金に窮し、友人の丹波屋八右衛門(たんばやはちえもん)に借金50両を融通してもらう。八右衛門は忠兵衛の将来を案じ、新町の揚屋で遊女たちに一件を披露し、廓(くるわ)から彼を遠ざけようとする。しかし、偶然廓に来て立ち聞きした忠兵衛は、かっとなり侍屋敷に届けるべき為替金の封印を切って、50両を八右衛門にたたきつけ、残りの金で梅川を身請けする。忠兵衛は梅川とともに故郷新口村(にのくちむら)へ落ち延び、実父孫右衛門によそながら対面し、裏道から逃げようとしたが途中で捕らえられる。激情型の忠兵衛と可憐(かれん)な遊女梅川との情愛を細やかに描いた名作。改作には浄瑠璃に紀海音(きのかいおん)の『傾城三度笠(けいせいさんどがさ)』、菅(すが)専助らの『けいせい恋飛脚(こいびきゃく)』、歌舞伎(かぶき)に『恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい)』などがあり、舞台ではもっぱら改作の「封印切」「新口村」が演じられていたが、最近は近松の文学性尊重の立場から、原作どおりに上演されることも少なくない。(日本大百科全書ニッポニカ)

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淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて

 どうでもいいことのように思われてくるのですから、ぼくも、いよいよ焼きが回ったなあと、漫(そぞ)ろ悲嘆に暮れかかってしまう。永田町の政治と言えば聞こえはいいが、何のことはない、誰彼かまわずに暴力沙汰に及ぶ、そんな荒廃した永田町立政治学校の中で、特別に破綻をきたしている国会(教室)の「目も当てられない学級崩壊」状況を連日にわたって見せつけられています。この学級を抑えているつもりになっているのが、媚を売り、やたらに威張るだけが得意芸の、無能無恥な「女番長(Female Gang Leader)」とくれば、それを裏から操っているつもりの、老い先長くない「権力爺さん(Power-hungry)」も睨みを利かせるという、醜悪な国家略奪一味の「大和・夏の陣」です。

 この老人のたっての祈願が「男系男子の天皇(継承)」とやら。なんだか「方丈記」が描く「御所(神御一人)」と切り結ぶ「平氏一族」の徒な政略に似て来るから奇怪至極です。「やくざ紛(まが)い」に「ハングレ集団」が徒党を組んでいるという日には、「鬼に金棒(引き)」で、どこまで墜ちる「政道」ぞ、というほかありません。「金棒引き」とは「 うわさなどを大げさに触れ回る人」(デジタル大辞泉)を言う。大方のメディアもまた、御用新聞・御用聞きテレビですね。「世界は日の出を待っている」談ではなく、「世界は倭(やまと)を嘲笑(あざわら)ってる」んですな、あんなに程度の低い、しかも人倫においても酷い国だったか、これでは、「昔(日米戦争時)といささかも変わってないじゃん」と言っているようです。

 永田町で生じている「国会毀損劇場」は「白昼夢」ではなく、昨日、今日と実際に生じている「リアルポリティック」であると気が付けば、まことに嘆かわしいとばかりも言っておれないのです。暑さと高湿度で、もう卒倒寸前。お家の一大事なのに、「家の跡取りをどうする」「家を出ている、誰それに養子を迎える」などと、悠長な皇室談義です。石油は高騰の上に、輸入量が不足することは誰もがわかっていること。円安は物価高を齎(もたら)し、国の借金が嵩(かさ)みに嵩んでいるから、長期金利(10年物の国債金利)は3%目前。政府はここにきて、年金機構の財産に手を付けようと、禁じ手破りに乗り出したよう。《「令和のPKO」急浮上 GPIFで国債買い支え論、市場は疑問視》と日経新聞(2026/07/13)が報じる。背に腹は代えられぬというのかどうか。おそらく、もはや手遅れの感が強いのだが、いってみれば「お家騒動」にうつつを抜かしているのですから、お目出度い「神話の国」ですな。

 本日、小生の俎板(まないた)に載せたのが(昨日付の朝日新聞のコラム)「素粒子」です。「素粒子」が新聞本体の「アキレス腱」ではないかという世評もあるほどに、老化著しい本体にあって、一人気を吐いている風情があります。一人気を吐けば吐くほど、本体が気息奄々となるという珍現象。末期の修羅ですね。❶「ジェンダーはジェンダー」でしかない、建前の議論さ。「男尊女卑」こそがこの島国の麗しい伝統だと男議員も女議員もこぞって言い立てるのは、「天皇」という存在を尊敬も尊重もしていない、あからさまな証拠。あるいは「人間」ではないとまで思っているのかも。その昔に、「女は子どもを産む機械」との賜った与党議員がいた。今だって、ね。❷党派的対立を抜きにしたら、全体主義、だからO代表は本音を語ったにすぎませんが、語るに落ちるとはこのこと。「全体」の一部に「ナリタヤ」という醜態の一場面。この「中道」は政治の外道であって、消滅直前の足掻(あが)きすら見せられないのだ。❸誰が言う、「安倍氏は戦う政治家」だったと、か。小心で、内弁慶の「売り家 と 唐様で書く 三代目」でしかなかったと、ぼくは断じるよ。弱い者いじめを十八番にしていただけの小物でしたね。悪事を重ねて、最後は逃げたではないか。この「史上最長政権」首相に懸想をしたのが、現首相だったが、元首相、本音のところは、「袖にしたかった」そうです。

 と、「素粒子」ごときに悪態をついても始まりません。現行「皇室典範」は、何処まで行っても「男尊女卑」が背骨。背骨を脱したら、皇室の権威も伝統もなくなるというようですから、背骨付きでやらせればいいとぼくは考えている。「後は野となれ、山となれ」ですね。ここにきて、ぼくは「方丈記」の冒頭が自然に口をついて出てきます。「淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)」は消えたり現れたり。しかし、どこまで流れようが、「泡沫(うたかた)(ほうまつ)」は「あわ」「あぶく」でしかないではないか。やがて、その泡沫さえもが、潰える運命にあるのです。

 図らずも、この国は「神話」を、今もなお持ち出す、絶滅危惧国家です。「万世一系、2680年、126代」にわたって、連綿と続く、世界に稀なる「天皇統治」国家だという触れ込みは、百五十年前にも持て囃され、今も「永田町」では「伝家の宝刀」視されている「神話仕立て」なんですよ。こんな物珍しい「物語(ミュートス)」を背広でネクタイのあんちゃんやスーツ姿に真珠のネックレスの姐さんたちが、真顔で口にするのですから、手に負えない頽廃の極北にあるというべきでしょうね。

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◎ 天孫降臨【てんそんこうりん】=天皇家の由来と古代国家の起源に関する神話。6―7世紀の成立とされる。記紀によれば,天照大神が孫の瓊瓊杵(ににぎ)尊に神宝(三種の神器)を与え,天壌無窮の神勅を発し,天児屋(あめのこやね)命などの神々を供に高天原から日向(ひむか)の高千穂峰に降臨させたという。天皇家の絶対的神聖化を意図する神話で,天壌無窮の神勅は敗戦まで日本の国体の基礎をなすものとされていた。(百科事典マイペディア)(⇧写真は宮崎・高千穂神社)

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◎ 方丈記(ほうじょうき)= 鎌倉初期の随筆。一巻。鴨長明(かものちょうめい)作。1212年(建暦2)3月成立。書名は長明が晩年に居住した日野の方丈(一丈司法、すなわち約3.3メートル四方)の草庵(そうあん)にちなんだもの。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という無常観を表白する流麗な文章に始まり、五つの大きな災厄がまず記述される。京都の3分の1を焼き尽くした安元(あんげん)3年(1177)の大火、治承(じしょう)4年(1180)の旋風、同年、平清盛(きよもり)によって突如強行された福原(現在の神戸市付近)への遷都、養和(ようわ)年間(1181~82)の大飢饉(ききん)、元暦(げんりゃく)2年(1185)の大地震と打ち続く大きな災厄の前にあえなく崩壊していく平安京の光景が迫力ある筆致で描かれる。そして「すべて世の中のありにくく、我が身と栖(すみか)とのはかなくあだなるさま、またかくのごとし」と、この世の無常と、人の命のはかなさが強い語調で結論づけられる。続いて長明に訪れた「折り折りのたがひめ(不遇)」のため、50歳ころ出家、60歳に及び日野に方丈の庵(いおり)を構えるに至った経過が述べられる。庵の周辺は仏道の修養、管絃(かんげん)の修練には好適の地で、そこは長明に世俗の煩わしさから解放された安息を初めて与えた地であり、「仮の庵(いほり)のみのどけくしておそれなし」と賞揚される。しかし、末尾に至り、閑寂な草庵に執着する自らを突然否定し、「不請(ふしゃう)の阿弥陀仏(あみだぶつ)(人に請(こ)われなくとも救済の手を差し伸べてくれる阿弥陀仏の御名の意か)」を唱えて終わる。(↷)

 前半でこの世の無常を認識し、後半において草庵の閑居を賞美、かつ末尾ではそれらを否定するという一編の構成はきわめて緊密である。漢文訓読調を混ぜた和漢混交文は力強く、論旨を明快なものとしている。とりわけ五大災厄の描写は緊張した文体で、的確、リアルできわめて印象的である。慶滋保胤(よししげのやすたね)の『池亭記(ちていき)』(982成立)などを倣ったものと考えられるが、『平家物語』(13世紀後半成立か)をはじめ、後の中世文学に大きな影響を与えており、『徒然草(つれづれぐさ)』(1331ころ成立か)と並んで、中世の隠者文学の代表である。大福光寺本は鴨長明の自筆かといわれる写本で、その価値は高い。五大災厄の部分を欠く「略本方丈記」といわれるものもあり、長明の自作とも後人の偽作ともいわれ、定説をみない。(日本大百科全書ニッポニカ)

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「強い日本経済」という虚言専一

【新生面】四万六千日 縁日と聞けば、屋台が出る夜店や催しを思い浮かべる人も多かろう。本来の意味は「神仏と縁を結ぶ特別な日」。東京・浅草の浅草寺は7月10日を1年のうちで最大の功徳を得られる縁日と位置付けている▼この日の参拝は江戸時代に定着した。「われ先に訪れたい」という人で前日9日もにぎわった。両日に開かれる「ほおずき市」は今も変わらぬ夏の風物詩。朱色が鮮やかなホオズキの露店が並び、風鈴の涼やかな音色も心地よい▼両日は「四万六千日[しまんろくせんにち]」とも呼ばれている。年に換算すれば人間の寿命の限界とされる126年。1日お参りするだけで一生分の御利益が得られるというから、何と太っ腹なことか▼こちらも気前の良い話である。政府が2040年度までに官民で370兆円超を投資する成長戦略を打ち出した。人工知能(AI)や半導体、航空・宇宙、造船など成長が期待できる17分野に重点投資して「強い日本経済」を目指すという。だが、総花的な印象は否めない。メリハリのない過度な支出は財政不安を招き、一層の円安や長期金利の上昇につながりはしないか▼政府が直接関わる産業支援には苦い記憶がつきまとう。電機大手の半導体事業を統合したエルピーダメモリは経営破綻。「日の丸液晶」のジャパンディスプレイは債務超過に陥り、官民ファンドのクールジャパン機構も多額の損失に苦しむ▼ここは一つ、浅草寺の観音様から頂く四万六千日の功徳に願を掛けてみたい。今度こそ政府が、かじ取りを間違えませんように。(熊本日日新聞・2026/07/10)

 善男善女、倹(つま)しく生きて、時には善根を積む、そのうちにお天道様のお目にとまり、思わぬ「功徳(神仏の恵み)」に恵まれないとも限らない、そんな素朴かつ誠実な生き方が信じられた時代が長く続いたと思いたいですね。三日前の熊日新聞コラム「新生面」の主題は「縁日」について、でした。夏のみぎり、各地各所で縁日が開かれ、それこそ、普段にみられない賑わいだったでしょう。何度か、ぼくも縁日に連れられて言った記憶がありますが、不思議なことに、東京に住んで以来、ただの一度もでかけたことがありません。上野や下谷、あるいは浅草の縁日は、ことさら知られていましたが、人混みが嫌いな質で、いささかもそこに足を向けようとはしませんでした。もちろん、近所の人々が、浴衣がけで縁日に出かけて、「縁起物」の「朝顔」や「酸漿(ほおずき)」を買ってきたのを見せてもらった記憶だけははっきりと残っています。

(*「縁日」=「ある神仏に特定の由緒ある日。この日に参詣(さんけい)すれば特に御利益があると信じられている。毎月の、5日は水天宮、18日は観世音、28日は不動尊など。有縁(うえん)の日。結縁(けちえん)の日」(デジタル大辞泉)

 「東京・浅草の浅草寺は7月10日を1年のうちで最大の功徳を得られる縁日と位置付けている▼この日の参拝は江戸時代に定着した。『われ先に訪れたい』という人で前日9日もにぎわった。両日に開かれる『ほおずき市』は今も変わらぬ夏の風物詩。朱色が鮮やかなホオズキの露店が並び、風鈴の涼やかな音色も心地よい』とあります。事に7月10日は最大の功徳日とされ、別名「四万六千日」とも称された。その日にお参りすれば、なんと「126年分」の御利益があるとされたものでした。いずれ、お寺さんの商魂のなせる業というべきで、それこそ「善男善女」は言うまでもなく、「悪男悪女」も、いそいそと馳せ参じるのは今に変わらぬ「夏の風物」となっていたのでしょうか。

 ここで止めておけば「功徳」もあるのでしょうが、やはりコラム氏の悲しさか、どうしても「政府批判」をひとくさり。

 「政府が直接関わる産業支援には苦い記憶がつきまとう。電機大手の半導体事業を統合したエルピーダメモリは経営破綻。『日の丸液晶』のジャパンディスプレイは債務超過に陥り、官民ファンドのクールジャパン機構も多額の損失に苦しむ」とコラム氏。官民共同で事業を起こし経済を成長させるというのは表向き。その核心は「公共事業」という名の「公金横流し」システムですね。「強い経済」とか「日本劣島を強く豊かに」と叫ぶたびに、「赤字国債」を含めた公金が民間に流れるという「功徳」の積み重ねだったでしょう。「何とかミクス」はその絡繰りの詐称でしたな。

 加えて、「皇室典範」改正の強硬。先日の国会審議で「どうして女系・女性天皇は駄目なんですか」と問われて、担当大臣は答弁に窮していました。恥さらしそのものだったと思う。「男尊女卑」が「本邦天皇制の稀有な伝統」「正当性の根拠」なのだと、なぜ答えなかったんでしょう。さらに「126代、2680年続く、万世一系」ということを、世界に誇るべき、我が国の特質であると声高に述べはしますが、どこからが史実で、どこまでが神話なのか、その境目を曖昧にしたままでの、「天皇制の価値」を世界に誇ろという醜悪な態度は見ていても美しくないですね。「古事記」や「日本書紀」を少しでもお読みになれば、天皇制が「天照神」と、「天孫降臨」から始まる「神話」「物語」だという読解が成り立つと、国語国文科の卒業生であった官房長官だったらわかろうというもの。美しい表現では「神話」、ありていに言えば「空想・作り話」、それが天皇制のイロハのイじゃないですか。

◎ 神武天皇(じんむてんのう、正字体:神󠄀武、庚午年1月1日[1] – 神武天皇76年3月11日[2])は、日本の初代天皇(在位:神武天皇元年1月1日 – 神武天皇76年3月11日[2])とされる人物。日本神話(『古事記』・『日本書紀』(記紀))における神話・伝説上の人物とされることが多いが、確定していない。/諱は彦火火出見(ひこほほでみ)、あるいは狭野(さの、さぬ)。『日本書紀』記載の名称は神日本磐余彦天皇(かみやまといわあれひこのすめらみこと)。/天照大御神の五世孫であり、高御産巣日神の五世の外孫と『古事記』『日本書紀』に記述されている。奈良盆地一帯の指導者長髄彦らを滅ぼして一帯を征服(神武東征)。奠都した畝傍橿原宮(現在の奈良県橿原市)にて即位して日本国を建国したと言われる。(Wikipedia)

◎ 『皇統譜』に基づくかぎり、歴代天皇は、初代神武天皇から今上徳仁まで、126代が挙げられる。この126代のうち、第37代斉明天皇は第35代皇極天皇の、第48代称徳天皇は第46代孝謙天皇の、それぞれ重祚(一度譲位した天皇が再び位に就くこと、再祚)であるため、総数は124人となっている。/ただし、南北朝時代に、北朝(京都)で即位した天皇のうち、後小松天皇を除く光厳天皇、光明天皇、崇光天皇、後光厳天皇、及び後円融天皇の5代、5人は、明治時代に歴代天皇から除外されたため、この126代の天皇には数えられないものの、宮中祭祀等においては天皇として扱われる。このため、現在に至る天皇の総数は129人と数えられることもある。/また、皇統譜以外にも様々な皇室の系譜が過去に作成されており、様々な歴代天皇の数え方があった。例えば、後小松上皇の命令で編纂され、明治以前の一般的な皇室の系譜となった『本朝皇胤紹運録』では、後醍醐天皇を除く南朝天皇を天皇と認めずに北朝天皇を歴代天皇に数え、弘文天皇および仲恭天皇を歴代に数えず、神功皇后を歴代に数えている/なお、「天皇」(てんのう(てんわう)、すめらみこと、すめろき)という名称は、7世紀後半に在位した第40代天武天皇の頃に、それまでの「大王」(おおきみ)に代わって用いられ始めたと考えられている。また冷泉天皇(在位967年 – 969年)以後、光格天皇(在位1779年 – 1817年)の時に諡号が復活するまで、安徳天皇と後醍醐天皇を例外として、天皇号は生前も崩御後も正式には用いられなかった。例えば後水尾天皇や明正天皇は崩御後「後水尾院」「明正院」と呼ばれ、これらを一律に「後水尾天皇」「明正天皇」とすべて置き換えたのは明治維新後のことである。(同前)

◎ 皇統譜= 皇統譜(こうとうふ)とは、天皇および皇族の身分に関する事項を記載する帳簿。形式等は、皇室典範および皇統譜令(昭和22年政令第1号)に定められる。/天皇・皇后に関する事項を扱う大統譜(たいとうふ)、その他の皇族に関する事項を扱う皇族譜(こうぞくふ)の2種があり、皇室の身分関係(家族関係)、そして、皇統を公証する。一般国民の戸籍簿に相当する。/なお、皇統とは、皇位継承が代々なされてきた系統のことである。天皇・皇族(臣籍や民間から入内した后妃を除く)は、系図を辿れば神武天皇を経て 皇孫である瓊瓊杵尊(ニニギ)を通じ、皇祖神の天照皇大神まで遡る事が出来る。(同前)

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「四万六千日・ほおずき市(しまんろくせんにち)7月9日・10日」~ 平安時代頃より、観世音菩薩の縁日には毎月18日があてられてきたが、室町時代末期(16世紀半ば)頃から、「功徳日」といわれる縁日が設けられるようになった。功徳日とは、その日に参拝すると、100日、1,000日分などの功徳が得られるという特別な日を指す。功徳日は寺社によって異なるが、現在、浅草寺では月に1度、年に12回の功徳日を設けている。このうち7月10日は最大のもので、46,000日分の功徳があるとされることから、特に「四万六千日」と呼ばれる。この数の由来は諸説あり、米の一升が米粒46,000粒にあたり、一升と一生をかけたともいわれるが、定かではない。46,000日はおよそ126年に相当し、人の寿命の限界ともいえるため、「一生分の功徳が得られる縁日」である。
 四万六千日の縁日の参拝は江戸時代には定着し、われ先に参拝しようという気持ちから、前日9日から境内は参拝者で賑わうようになった。このため、9日、10日の両日が縁日とされ、現在に至る。(↷)


 四万六千日にともなうほおずき市の起源は、明和年間(1764〜72)とされる。四万六千日の縁日は浅草寺にならって他の寺社でも行なわれるようになり、芝の愛宕神社では四万六千日の縁日にほおずきの市が立った。「ほおずきの実を水で鵜呑み(丸飲み)すれば、大人は癪(なかなか治らない持病)を切り、子供は虫気(腹の中にいると考えられた虫による腹痛など)を去る」という民間信仰があり、ほおずきを求める人で賑わったそうである。その愛宕神社のほおずき市の影響を受け、四万六千日の大本である浅草寺にもほおずき市が立った。ちょうどお盆の季節でもあり、ほおずきを盆棚飾りに用いる方も多い。
 かつては、四万六千日の縁日に赤とうもろこしを売る屋台もあった。これは赤とうもろこしが落雷除けのお守りになる由の民間信仰により、文化年間(1804〜18)頃に境内で売られるようになったという。ところが明治初年(1868)頃、不作によって赤とうもろこしが出回らないことがあった。これに困ったご信徒が浅草寺に雷除けのお守りを求めた縁から、浅草寺では竹串に挟んだ三角形の守護札を授与するようになった。これが今も四万六千日に授与されている雷除札である。
 9日・10日の両日、いなせな恰好の売り子たちが声をあげてほおずきを売り、境内は朝から晩まで参拝者で埋まる。観世音菩薩の功徳に感謝して参拝し、ほおずき市を散策して江戸情緒を味わいたい。(浅草観音・浅草寺:https://www.senso-ji.jp/annual_event/13.html)(ヘッダー写真「歌川広重・江戸高名会亭尽「柳ばし夜景」奥には万八楼がみえる」・https://asakusa-bashi.tokyo/hunatoku/

(⁑桂文楽「船徳」(1956年):https://www.youtube.com/watch?v=jsSJ2qBOPAs)今どき落語といっても、とんと弾まないのではないでしょうか。寄席の数も減り続けているし、有望な落語家が数多輩出しているとも思われません。ぼくは、昭和38年東京に出てきて以来、何よりも「落語」に足元を掬われました。以来、60数年、来る日も来る日も落語を聞き続けてきました。もちろん、歩いて通える上野「鈴本」にも足繁く通いました。ま当時は若手株の談志や三平の話を聞いたり、圓生のくすぐりに大笑いをしたものです。その段階ではすでに物故者となっていた志ん生や文楽など、昭和の名人上手は、録音などで浴びるように聴きまくったものです。本日は、「船徳(ふなとく)」。暑い盛りに浅草お参りの段ですが、その前段階での落とし噺です。京都にいた時代にも「四万六千日」という言葉をきいたし、そのときはおそらく7月の何日かに愛宕山に上ってお参りすると、一生分の御利益があるということだったと記憶しています。それにしても、落語を聞いて、日常とは隔絶された別世界に入り浸ることも全くできなくなった時代、世知辛い世相に心塞がる思いがします)

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「徒然に日乗」(1151~1157)

◎2026年07月12日(日)日差しはなかったが、高温多湿状態が終日続いた。午後5時現在、室内温度28.7℃、湿度77%。風もなく、座っているだけで、じっとりとしてくる。拙宅では、滅多にエアコンは点けない(年間に1~2度あるかどうか)。幸いなことに「寝苦しくて睡眠不足」ということもまずありえない。それだけが僻地居住の取り柄というべきか。▼「イランがホルムズ「封鎖」 船舶損傷、米も攻撃【カイロ、ワシントン時事】イランの精鋭軍事組織「革命防衛隊」は、原油輸送の要衝ホルムズ海峡で「無許可の航路」を通航しようとした船舶を攻撃し、海峡を封鎖したと主張した。同隊に近いタスニム通信が12日伝えた。米軍によれば、キプロス船籍のコンテナ船が被害に遭い火災が発生。米軍はこれを受け、8日以来のイラン攻撃に踏み切った」(時事通信・2026/07/12)まだまだ、石油の安定供給は見通せないままだ。(1157)

◎2026年07月11日(土)本格的暑さが始まったか。一気に高温の坩堝に叩き込まれた感がある、日本劣島。▼お昼前に茂原まで買い物。▼帰宅後、燃やせるゴミの焼却を始める。驚くほどの分量が毎週吐き出されるので、自作の焼却炉には大助かり。それにしても、猛烈な暑さだ。水分補強は必須だし、作業は無理をしないで、頻繁に休憩を取ることが何より。「1太宰府福岡39.3℃15:28 2日田大分38.3℃15:08 3久留米福38.1℃15:22」(WN・2026/07/11)(1156)

◎2026年07月10日(金)とても蒸し暑い一日。▼午前中に茂原まで買い物。▼最終盤の国会で、「皇室典範」改正法案が衆議院を通過。この「法案」で「象徴天皇制」が維持できるのだろうか。それにしても、国会もまた破壊されている。(1155)

◎2026年07月09日(木)高温多湿でうんざりするような一日だった。本格的な「高温」時代に突入した感がある。▼ベネズエラの地震被害者は3800人超との報道あり。さらに増えるのは確実だと思う。まだ不明の人が3万以上といわれる。「日経平均67,743.85 +924.80 NYダウ52,348.39 -576.76 ドル円162.45-47 +0.24円安 NY原油74.00 +0.48 長期金利2.875 +0.010」(日経新聞・2026/07/09)(1154)

◎2026年07月08日(水)暑い一日だった。「梅雨の狭間」というのだろうか。▼お昼前に、久しぶりに自宅から長柄役場横を過ぎて長南町に入り、少しドライブを楽しんだ。ついこの前に終わったばかりと思っていた稲の生長が驚くばかりに早く、街道筋の両側は一面が緑なす水田で埋められている。昨年の「コメ騒動」が一転して、今は値下がりが著しいのはどうしたことか。まさに「濡れ手で粟」ならぬ「米」で、一獲千金を狙った商売人が慾をかいて大慌てしている、そんな図が方々で見られるのだ。いつも通りに茂原のスーパーで買い物をして帰宅。▼「日経平均66,819.05 -1437.91 NYダウ52,925.15 -130.76 ドル円162.47-48 +0.51円安 NY原油73.48 +3.04 長期金利2.865 +0.025」(日経新聞・2026/07/08)(1153)

◎2026年07月07日(火)劣島南海上に居座る梅雨前線と台風9号の影響で、すっきりしない天気が続き、九州北部などには今なお「線状降水帯」が猛威を振るっている。この先、沖縄本島や石垣島を直撃するコースをたどっている台風9号の行方に注意している。▼「日経平均68,256.96 -1480.73 NYダウ53,055.91 +155.84 ドル円161.88-90 -0.28円高 NY原油69.30 +0.75 長期金利2.845 +0.015」(日経新聞・2026/07/07)(1152)

◎2026年07月06日(月)静かに「日本(国債)売り」が続いていると思う。もちろん、株高については外国投資家の思惑もあって、こちらは「日本買い」である。一進一退の「綱渡り」(マネーゲーム)が行われているのである。「日経平均69,737.69 -6.38 NYダウ52,900.07 +594.83 ドル円162.35-36 +1.58円安 NY原油68.28 -0.41 長期金利2.830 +0.060」(日経新聞・2026/07/06)(1151)

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再び、「後は野となれ山となれ」だな

【金口木舌】首相のいう「静謐」とは 皇室典範改正案が10日に審議入りしたかと思ったら、その日のうちに衆院本会議で可決、参院送りとなった。高市内閣の暴走列車に、国会が同乗しているかのよう。まともに審議したのだろうか▼男系男子の皇位継承にこだわる高市早苗首相は国会で「静(せい)謐(ひつ)な環境の下で議論を進め、結論を得るよう期待している」と呼びかける。「早(は)よ通せ」が本音だろう。ここはじっくり構えたい。参院では時間をかけ、堂々と審議すべし▼過去にも「静謐な環境」の連呼を聞いた。教科書検定で沖縄戦における「集団自決」(強制集団死)の記述をゆがめた2007年のこと。専門的で中立な教科書検定は「静謐な環境」での審議が必要というのが文部科学省の言い分▼記述回復を求める訴えに苦慮したのだろう。しかし、混乱の元をたどれば官邸が教科書記述に難癖を付けたことに行き着く。「静謐な環境」を壊したのは官邸のほう。今回もそうだ▼辞書によると、「謐」には「しずか」に加え「つつしむ」の字義もあるそうだ。慎みをもって、慎重に物事を進める態度は高市内閣に最も欠けている。「謐」の一字をお返ししよう。(琉球新報・2026/07/12)

⁂「週のはじめに愚考する」(127)~ 一昨日の委員会審議の中で、与党議員だったと思いますが、「静謐な環境で」という箇所で、二回までも「せいひんな」と棒読みしていました。つまり、こんなバカな議員を盾にして、「何が何でも決めねばならぬ」ということだったと思う。この「皇室典範」改正問題では官房長官が担当大臣だとして、総理大臣は背後に控えていたのは、どうしてだろうか。自民党大会での「演説」で、「126代にわたって、『男系』で皇統が継承されてきたという世界でも比類がない歴史的事実こそが、天皇の権威と正統性の源だと考えております」と、「事実」であると、誰も証明できない「空論」を「天皇の権威と正当性」の根拠にしている。お粗末限りないというほかない。天皇制は「お伽(とぎ)話(fairy tale)」では、断じてありません。

(ヘッダー写真「令和初の新年一般参賀で、手を振られる天皇陛下と皇后さまと皇族方(2日午前、皇居で)=稲垣政則撮影」読売新聞・2020/01/02)

 この首相は、「天皇制」は大賛成でしょうが、「今上(きんじょう)天皇」は好きではないらしいし、ましてや、その長子である「愛子内親王」(敬宮・としのみや)は好かれてはいないようです。象徴天皇制を云々しつつ、強引に禁じ手とされてきた「養子縁組」をしてまで、「男系男子」を天皇に据えるという、非合理な画策を弄しているのです。「自民党としては、『皇族には認められていない養子縁組を可能とし、皇統に属する男系男子を皇族とする』案を第一優先として、国会における議論を主導してまいります。そして、迅速に『立法府の総意』がとりまとめられる。そのように努め、静謐な環境で『皇室典範』の改正を行うことを目指します」と、嘘八百を並べ立てて、その恣意的な、誤った方向性を選択するという政策判断を訴えていました。

 詳細は喋りたくありませんが、この「36親等から38親等」と遠く離れすぎている元皇族の男性を養子とし、その子を天皇の後継者にするという「謀略」は、衆議院議長とその親玉であるA副総裁の間でそれなりに謀られていたいたことがわかります。(ある情報によれば、すでに旧皇族の内の「どなた」が「寬仁親王妃信子」家の養子に入るかも決定されているという)「天皇」の政治利用を図り、それで、いったい何を望んでいるのでしょうか。

*《宮内庁の緒方禎己次長は(7月)10日の衆院議院運営委員会で、皇室典範改正案に盛り込まれた「旧11宮家の男系男子の養子縁組」に関し、1947年に皇籍離脱した旧11宮家の皇族男子と天皇陛下には「36親等から38親等の隔たりがある」と明らかにした。共産党の塩川鉄也氏への答弁》(毎日新聞・2026/07/10)

◎ しん‐とう【親等】= 〘 名詞 〙 親族関係の遠近を示す単位。親子の関係を一親等とし、祖父母・孫は二親等となる。傍系親族傍系親族の場合は、同じ先祖までたどるので、兄弟姉妹は二親等、いとこは四親等となる。(精選版日本国語大辞典)

 仮にこの「皇室典範」が政府の目論見通りに改定されれば、少なくとも現憲法に規定されている「象徴天皇制」は終焉を迎えます。あくまでも、「戦前・戦中」時代の時の権力者の手駒としての「玉(ぎょく)」として動かされることは必至でしょう。(繰り返し述べる気はありません)ぼくは「天皇制」の存続は望んでいません。しかし、深く日本国民に受け入れられている現行制度が続く限りは容認するものです。現段階ではここまでしか述べたくありません。時には「お家断絶」(いわゆる跡取りなし状態)、止むなしということです。(拙宅には二人の子ども(女性)がいますが、一人は既婚、もう一人は未婚。このままでは、文字通りに我が家の跡取りは無です。それでいいのではないですか)

 「万世一系(unbroken imperial line)」は「神話(myth)」に類します。男系一統が126代・2600年余も続いたという「神話」、あるいは「寓話(Ffable)」、それを事実と、誰が証明しますか。また女系は駄目だと、どうしていえるのでしょうか。「初代の神武天皇から126代にわたり、様々な過程を経ながらただ一度の例外もなく、男系で継承されてきた。世界に唯一無二の伝統と重みを謙虚に受け止める必要がある」(K自民党政調会長談)と真面目に話す、マジかよ、と言うばかり。「成立の起源が神話に遡(さかのぼ)る」というのは、どういうことですかな。「事実であるとする、その根拠が虚構」だというのですから、話になりません。そんな怪しい「万世一系」を誇るのが「天皇制」なんですか。「皇室と皇族」に対する、もっと真面目な敬愛の念をもたれたらどうか。ぼくは天皇制反対の立場に立っていますが、こと天皇や天皇家の人々への敬愛の念は等しく堅持しているつもりです。

 「嘘で始まる天皇制」をでっちあげる限り、この国は浮かばれないでしょうね、だから「あとは野となれ山となれ」という悪口を吐き出すほか仕方がないように思っているのです。そして、またまた、一から出直しですね(We have to start all over again.)。

 第93回党大会 高市早苗総裁演説 《(前略)さて、立党以来、自由民主党は「保守政党」としての歩みを続けてきました。保守主義における重要な態度は、良き伝統と秩序を保持した上で、進歩・変革を実現させていくことだと考えます。日本の歴史を貫く支柱が天皇です。私たち日本人は、天皇とともに歴史を紡いできました。/現在も、国民統合の象徴であられる天皇陛下及び皇室は、多くの国民の皆様からの敬慕を受けています。他方で、現行制度の下では皇族数の減少が避けがたいことを踏まえますと、皇族数の確保を図ることが喫緊の課題であり、「皇室典範の改正」が急がれます。その際、126代にわたって、「男系」で皇統が継承されてきたという世界でも比類がない歴史的事実こそが、天皇の権威と正統性の源だと考えております。/自民党としては、「皇族には認められていない養子縁組を可能とし、皇統に属する男系男子を皇族とする」案を第一優先として、国会における議論を主導してまいります。そして、迅速に「立法府の総意」がとりまとめられる。そのように努め、静謐な環境で『皇室典範』の改正を行うことを目指します。(後略)》(第93回党大会 高市早苗総裁演説・2026年4月12日)(https://www.jimin.jp/news/press/212972.html

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アトハノトナレヤマトナレ

 国会は国権の最高機関であるといわれているらしいし、その「立法府」は、時に首相や誰やらの「都合」で開いたり閉じたりする、まるで手前勝手な「自動ドア」のような仕組みになっているらしい。ぼくもいつの間にか、反射(反社)神経が鈍麻してきて、自分では大丈夫だと思いつつも、泥沼にはまり込んだり、小石に躓いたりすることが多くなりました。そう、まるで魔が差したように「国会審議」視聴に時間を割いてしまっているのです。不発弾化した「地雷」を踏んだような、お風呂の中で「おなら」をしたような、なんともこそばゆい感覚を通り越して、自然に、怒りよりも涙が出るような仕儀に至っています。こんな国に誰がした、ってね。本当にボケたもんだなあ、と我ながら悲しくなります。

 先日(07/06)、参議院の決算委員会中継を、何を血迷ったか見てしまった。冒頭に政権与党のやくざ議員でもあるN委員長が、驚くべき荒唐無稽な「国債発行論」「日銀(政府の)子会社論」「借金(国債発行)無限可能論」を開陳していました。見てはいけない、聞いてはいけないものに鉢合わせをしてしまった。この国ではどんなに馬鹿な国会議員たちが偉ぶっているか、小学生が聞いても呆れる「借金=資本論」を京都選出の税理士議員が滔々と述べ始めました。その昔、ぼくは京都に住み、たった一度だけだったが、N議員と同じ場で講演をして、実に嫌な気分にさせられたことを今回も思い出しました。彼は「自分は偉い、誰よりも偉い」という証明不能の話をいかにも「さもありなん」と述べる悪癖の持ち主。

 国の借金である「国債」は無際限に発行できる。どんなに借金が増えても国債発行(借り換え)で帳消しにできる(借換債)し、その国債は企業や個人投資家が買うので、その財布(資産)は豊かになり、国にはその分の税収が入るという。どんな経済学・インチキ財政学か知らないが、出鱈目(でたらめ)の限りを開陳している、その演説中にも「長期金利」は上がり(一時3%超えも)、円安は加速し(一時163円超えも)、と外国の投資家たちは、わけのわからない亡者に付き合えないと自己資金を確保し出したのでした。いったい何処で勉強したのか(たぶんS大学卒、琵琶湖のある県です)、埒もない狂った話を委員長として披瀝し、あろうことか、これもまた嘘吐きが真珠で飾っている首相に「賛意」を求めたのです。政治も政治家も終わっているというほかない事態です。国の借金は「国債発行」で帳消し(チャラ)にできるなら、どうして国債の金利が一気に上がるんですか。円安がさらに激しくなって「日本売り」が加速するのは、国の借金残高が膨らんで、返済の当てもない、つまりは国家財政の破綻が近いと読むからでしょう。

 こんなところでいっても無意味ですが、それでも言っておく。国会の議席を占める政党の数は実にたくさんありますが、要は「与党」が圧倒的多数を占めているということ。看板は「野党」かと思わせながら、やることなすこと、まさに「与党(権力者界隈の住人)然」、そんな偽物ばかりです。だから、どんな嘘吐き首相でも脱税裏金議員でも、いっぱしの口を利くのでしょう。なにが「重要法案」かなどわかりもしないで、贔屓筋の支持をつなぎとめることなら、どんなことだってし遂げてみせるという、そして「あとは野となれ山となれ」というばかりの無責任、不誠実です。いうまでもありませんが「贔屓筋」とは「旧統一教会」という似非宗教(カルト)団体や『日本会議」を名乗る右翼集合体等々のライトウィングです。

 「皇室典範」改正法案が衆議院で可決されました。参議院でも可決される見通しという。以前にもどこかで触れましたが、現首相は「石橋湛山」を出汁(だし)に使っているようです。その湛山氏は息子を戦死させた父親でもあり、「靖国神社」廃止論者。また、首相は天皇制絶対支持論者だそうですが、昭和天皇以降の歴代が靖国参拝を「拒絶」されている事実(A級戦犯郷氏を理由とされる)を知っていて、恒例の祭祀・例大祭には「参拝」してきたし、今もなお、参拝の意志を隠さない。権力奪取のために偽装した、自分の俄か仕込みの教条のため、また苦心の末に入手した「首相の地位」を固守するためには多くの国家主義的教条の持ち主たちの支持を得たいがために、たったそれだけで、「似非右翼」「俄か国家主義者」を偽っているんですね。「参議院で皇室典範」改正法が提案通りに可決された、その時を以て、「象徴天皇制」が潰えた日と、後に、歴史事実として後世は知らされことになるでしょう。あくまでも「堕ちろ、墜ちろ」と、ぼくは唱えている。

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旧統一教会の韓鶴子総裁に懲役13年求刑 政界への金品提供巡り 政界に不正な金品を贈ったとして政治資金法違反罪などで起訴された世界平和統一家庭連合(旧統一教会)総裁の韓鶴子(ハン・ハクチャ)被告(83)の論告求刑公判が10日、ソウル中央地裁で開かれた。特別検察は懲役13年を求刑した。韓国メディアが伝えた。 韓被告は最終弁論で「私は金で権力をむさぼることはしない」と訴えた。弁護側は無罪を主張し、結審した。判決は8月31日。(以下略)(毎日新聞・2026/07/10)

(ヘッダー写真は「I Love いしがき2月20日 ·朝日新聞2026年2月19日付に載った中村和史さんの投稿 「『心はどこにある?』と問われて」 の切り抜きコピーです」を借用させていただきました)

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