「人と作品」という、それは何を指すのか

 広河隆一氏の写真展が中止 性加害への謝罪なし 抗議の動き受け決定 那覇市民ギャラリー

 フォトジャーナリストの広河隆一氏(78)が5日から計画していた写真展は1日、中止が決まった。広河氏が性加害を謝罪しないまま活動を再開することに抗議の動きが広がり、会場の那覇市民ギャラリーが中止を申し入れた。/ 美底清順館長は1日、広河氏と面会して方針を伝えた。取材に対して「商業施設内にあり、ギャラリーの他の利用者もいる。混乱が生じる恐れがある」と説明した。広河氏も中止を受け入れた、との認識を示した。/ 広河氏は長期間にわたり、複数の女性に対して性暴力やパワーハラスメントの加害をしたことが有識者による検証委員会で認定された。今回の写真展は加害が報道された2018年末以来3年半ぶりで、ロシアに侵攻されているウクライナの現状がテーマだった。(沖縄タイムス・2022年7月1日 18:42)

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 広河氏の「性暴力」事件が発覚した段階においても、沖縄の糸満市だったかが「写真展」開催を決定し、その姿勢を批判されて、開催が取りやめになったことがありました。その時の、反対する側の理由は「広河氏は、自らの犯した性暴力事件の被害者に対して、真摯な謝罪をしていない」というものであり、主催者はその批判を受け入れて中止したという経緯がありました。今回も同じ沖縄の、場所は那覇市でしたが、反対理由は「真面目に謝罪していない」「犯した事件を認めていない」という同じ理由だったし、主催者側は、何かと御託・理屈を並べているが、糸満市の時と同様に「軽率」「軽薄」な行為だったと、中止を決めたのでした。両市以外でも、沖縄では、他にも同様のケースがありました。どうして行政は「批判されたから、やむを得ず中止」という、同じようなプロセスを取るのでしょうか。おそらく、自治体には独自の判断能力がなく、誰かに決めてもらって、批判や反対の声が小さければ、あるいはなければ「開催」という段取りだったのでしょう。どこを見て、政治や行政をしているんですか。

 展示されるべき「作品」が何であり、それは誰が創造したのか、このことに関して行政は、一体どれだけの見識・関心を持っていたのか、大いに疑わしい。それ以上に問題だと思われるのは、写真展を開催しよう(したい)という側の意図です。「性暴力」を犯した高名な「写真家」であっても、本人は事実を否定しているし、開催を持ちかければ行政は受けるに違いない、いったん「開催」が決定されて、実際に展示された暁には「禊(みそぎ)」は済んだという、浅はかな魂胆ではなかったか。まるで、どこかの島の、腐った「政治家連中」の屁理屈のようですな。あるいは開催を持ちかけた側も、それを受け入れた側も、「性暴力」に対して、ほとんど無関心だったのかもしれません。残念ながら、むしろこちらの懼(おそ)れが強いと、ぼくは見ています。「合意によるもの」と、本人も言っているのだから、あれは「男女関係」なんだから、「民事不介入」などというふざけた姿勢を持っていたのかもしれない。

 個人的に、広河氏に対する非難や批判を言うのではありません。彼とはまったく利害関係はないし、個人的なつながりも、さいわいにして、ありませんから、あくまでもごく当たり前の平凡な人間の感覚・感情として、この問題にどういう態度が取れるか、それだけです。広河氏の「性暴力」はまだ未解明の部分があり、すべてが明らかになっていません(それは、裁判においても明らかにされない部分は残ります)。ぼくが考えたいのは、一人の人間の職業(公的な部分)と、あくまでもプライベートな部分(私生活)との関係です。この「公・私」が明確にされていれば、ことはそれほど混乱はしないでしょうが、自らの仕事上の地位や力を利用(悪用)して、「性暴力」に及んだのではないか、広河氏自身も、あいまいなままで「それ(暴力)を認知した」かの発言があります。ぼくはこの部分についても、いかなる材料も持っていないので、これ以上のことは言えない。真相は「藪の中」ではないとも思われますが。

 今回の件で、被害者が告発をしなければ、この問題は「なかったこと」になっていました。にもかかわらず、広河氏はさらに「優れた写真」を生み出し、社会的に大きく受け入れられたことでしょう。あるいは「文化勲章」「国民栄誉賞」などという「ご褒美」を受賞されるということになったかもしれない。(実に笑うべき、あるいは深刻に嘆くべき事態になったでしょう)彼が亡くなった段階で(悪い冗談ですが)、ようやくにして「被害者」が名乗り出て、こんな「性暴力」があったと告発し、おおいに彼に対する非難や批判がなされたところで、当の本人はいないとなれば、さて、事態はどうなるのか。このような事例は、この国においては、昔もあったし、最近もあった。その問題の根はいまだに引きずっているのではないでしょうか。(いい事例ではなさそうですが、「従軍慰安婦」問題、「強制連行」問題、「徴用工」問題などなど)

 責任の所在は明らかだとしても、その責任を背負うべき当人がいなければ、「性暴力」事件の存在がうやむやにされてしまいます。国家と個人の違いはありますが、事件の類似性は疑いようもありません。植民地支配にかかわる「戦争犯罪」に類することは、時の政府や軍部がやったことだから、現政府には関係がない、責任を問われてもそれに応じようがないというとしたら、その「言い逃れ」は通用するでしょうか。国家・政府が消滅するまでは、否でも応でも「連綿と継続」しているのですから、どの段階であれ、国家犯罪が明らかにされたなら、それを認めるのは「明らかにされたときの政府」であることは否定できません。(下の写真・記事は朝日新聞・2018/01/15)

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 個人の場合はどうでしょうか。ぼくが言えるのは、「加害者と被害者の関係」の外にいる人間として、何をどこまで言いうるのかということです。もちろん、少なくとも今回の事例では、広河氏は被害者(現段階では十七名とされます)に対して、誠実に応じるべきであり、誠意をもって「暴力の咎(とが)」を認めるべきでしょう。それは問題解決への、最初の糸口でしかありません。しかし、みていると、広河氏はその糸口にさえ立っていないようです。むしろ、告発を受けたことで、逆に自分は「被害者」だといわぬばかりの詭弁を弄している。無責任であり、不誠実だというほかないようです。この人が世のため他人のために善なる仕事をなさるという、その志(こころざし)や如何に、そんな疑問は残り続けるでしょう。

 この広河氏が創造した「作品群」に対して、ぼくたちはどう向き合うことになるのでしょうか。あるいはできるのでしょうか。眼前の「戦争告発写真」を、おそらく虚心に見入ることはできないでしょう。彼は人間的には許せないことをしたけれど(それはどれだけ償っても償われるものではないようです)、これらの作品は「卓越」している、だから、人間の間違った部分から切り離して「作品の価値」を見るべきだとでもいうのでしょうか。それで「免罪符」になるのかどうか。これまでの歴史において、このようなケースはいくらでもあったと思われます。真相が明らかにならないままのもの(ケース)、当事者が亡き後に状況が明らかになったもの(ケース)、あるいは今も活躍していて、その作品は称賛の的である、というような場合(ケース)はいくらでもあります。いちいちの事例は掲げない。その「賞賛の的」が、「批判の的」になっても、作品は残り続けるのか(称賛され続けるのか)どうか、それはわからないし、ぼくには、それはどうでもいいことのようにも思われてきます。

 「人と作品」といいます。人間は悪いけれども作品は優れている、あるいは反対に、人間としては素晴らしいが作品は平凡に過ぎる、そんことはいくらでも、どこにでもあるでしょう。ぼくなら「素晴らしい人間の、平凡な作品」を受け入れたいと思っている。作品の良さを左右するのは、どこまで行っても作者の「人間の質」ではないでしょうか。作品を通して人間を観察し、人間を通じて作品を理解するということができるなら、まず人間の「姿勢」「態度」をこそ、ぼくは評価(判断)したいですね。広河氏の場合、果たしてこれまで通りに彼の残した写真(作品)を見ることができないとしたら、それは見る側に問題があったからでしょうか。どんな人間であれ、作られたもの 写真や文学あるいは音楽や映画など、それらの創造活動が優れているなら、一向にかまわないという立場もあるでしょう。しかし、ぼくはそう言う立場に立つ気のない人間です。

 たくさんの映画作品を残して評価の高かった映画監督(東京五輪の記録映画も作った)がいましたが、彼の、主として映画女優に対する「性暴力」を知った段階で、彼の作品は一切認められなくなった(観ることさえできなかったのだ)し、こんな高名で破廉恥な「芸術家」は腐るほどいます。作家などにも嫌になるほどいました。もう駄目ですね、わかった以上は、作品は平気では読めなくなりました。もちろん、このような反応はぼくだけの話ですから、これを誰彼に強制しようという気持ちは毛頭ありません。

 広河氏が今後どうされるか、ぼくの関心の外であり、「お好きなように」というほかありません。でも、二度と「性暴力」だけはしないでほしい。しかし、このような事態があったからには、「戦争を告発する」姿勢も、「弱者の側に立つ」根拠も、それで?と、ぼくは思うばかりです。自らの「獣性」と言おうか「暴力性」の発露が、異性に「牙をむいて突進する」ということに、彼はどこまで向き合えているのか、向き合おうとしているのか、ぼくは「今でも大いに疑問である」とだけ言っておきます。

● 参照記事=広河隆一氏の「性暴力」を認定 性行為要求、ヌード撮影……7人の女性による核心証言 「週刊文春」編集部(2019/12/27(https://bunshun.jp/articles/-/22842)

 こんなものは、例によって、無責任報道に走る「週刊誌」の記事じゃないかという向きもあるでしょうが、今の劣島では最も優れたジャーナリズムの一つ(ある部分においては)といえるんじゃないかと、ぼくは考えることがあります。全国紙や地方紙の、どこが、このような「性暴力被害者の告発の声や言」を集めることができているのでしょうか。もちろん週刊誌には、かなりひどい(捏造や誤報の類)記事もかなりあるでしょう。「名誉棄損」で敗訴したケースも相当数あります。今から三十年以上前、ぼくは一週間で三~四誌の週刊誌を購読していました。俗悪とか、悪趣味とか物好きとか、何かと愚弄されながらも、そこにはある種の「真実らしさ」「的を射た指摘」があり、「判官びいき」や「勧善懲悪」的な姿勢もあったと、大いに気を強くしたことがありました。

 今では新聞やテレビが、大々的に「高名な報道写真家、凶悪な性暴力」などという記事やニュースを、まともに報道するでしょうか。せいぜいが「週刊誌報道によると、…」が関の山でしょうね。ぼくは新聞もテレビも遠ざけていますから実態はわかりませんが、テレビは、いまだに吉本興業的なマンネリのどぶ(溝)にハマっているんじゃないですか。新聞はどうか、ほとんど「旧聞」に堕しているという感想しか持てなくなりました。今日の永田町の数ある野党と同じで、一見「与党」を批判している風を装っているけれども、実態は「一党」がいくつかに偽装分党しているばかりで、すべて「与党」なんですな、たった一つの「政党」を除いては。ぼくの見立てです。かくして、限りなくこの島は「黄昏テイク」ようです。

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 貧幸でも清貧でも、まず地についた生活を

 【有明抄】「貧幸」に戻れるか かなり刺激的な提言である。脚本家の倉本聰さんが「老人よ、電気を消して『貧幸』に戻ろう!」(文藝春秋6月号)と呼びかけた。地球環境の危機を前にして、しびれを切らしたように、貧しい時代を経験した高齢者に行動を促している◆貧幸とは「貧しいけれど幸せ」。現役世代はきょうの経済、あすの景気ばかりを考え、一向に眠りから覚めない。ならば壮年は放っておき、地球環境の改善を老後の、最後の仕事にしようと、87歳の倉本さんは賛同者を募る◆少し歩けばテレビのボタンは押せるのに、歩くエネルギーを節約しようとリモコンを発明した。そうしたサボりを「便利」と呼び、代替エネルギーを使ってきたと指摘する。中には現実的には難しいと感じる内容もあるが、承知の上での提言だろう◆早くも梅雨明け、猛暑日のニュースが届く。冷房利用の増加などが見込まれ、東京電力管内では全国初の「電力需給逼迫(ひっぱく)注意報」が出された。テレビは「スタジオの照明を少し落として放送しています」とお断りのコメント。夏本番はこれからで、熱中症に気をつけながらの節電生活になりそうだ◆倉本さんは右往左往する社会をしかめっ面で見ているかもしれない。持て余すほどの「便利」を根本から見つめ直せ、と。貧幸の時代に戻れるかは分からないが、重い問いかけである。(知)(佐賀新聞・2022/06/30)

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 目の前に一冊の本がある。「清貧の思想」(草思社刊)。今から三十年前に出ています。著者は作家の中野孝次さん。年齢的には倉本さんほどではありませんが、七十四歳の時の出版でした。何度か読みましたが、内容はさまざまな生き方を求めた西行や兼好、光悦や芭蕉、あるいは池大雅や良寛などの、その「清貧に生きた人生」をたどりながら、自らの生き方を改めて問い直そうではないかという、そんなことが書かれています。感銘を受けたとか、独特の視点だというのではなく、取り上げられた時代社会に生きるというのは、当たり前に「清貧の思想」を実践することであったし、それで何の不思議もなかったというばかりです。(ヘッダーは、・ヘンリー=ソロー自作の家があったウォールデン湖の風景)

 「いま地球の環境保護とかエコロジーとか、シンプル・ライフということがしきりに言われだしているが、そんなことはわれわれの文化の伝統から言えば当り前の、あまりにも当然すぎて言うまでもない自明の理であった、という思いがわたしにはあった。かれらはだれに言われるよりも先に自然との共存の中に生きて来たのである。大量生産=大量消費社会の出現や、資源の浪費は、別の文明の原理がもたらした結果だ。その文明によって現在の地球破壊が起ったのなら、それに対する新しいあるべき文明社会の原理は、われわれの先祖の作り上げたこの文化ーー清貧の思想ーーの中から生まれるだろう、という思いさえわたしにはあった」(同書)

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● 中野孝次 なかの-こうじ 1925-2004=昭和後期-平成時代のドイツ文学者,小説家。大正14年1月1日生まれ。昭和39年から56年まで国学院大教授。51年「ブリューゲルへの旅」で日本エッセイスト・クラブ賞,54年小説「麦熟るる日に」で平林たい子文学賞,63年エッセイ「ハラスのいた日々」で新田次郎文学賞。平成4年簡素な生活を説いた「清貧の思想」が世の共感をよびベストセラーとなる。12年小説「暗殺者」で芸術選奨,16年「風の良寛」「ローマの哲人セネカの言葉」などで芸術院恩賜賞。現代ドイツ文学の翻訳や現代文学評論もある。平成16年7月16日死去。79歳。千葉県出身。東大卒。(デジタル版日本人名大辞典+Plus)

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 以上の部分を書いたところで、所用があって出かけました。ホントは、本日の駄文を書き終えたかったのですが、かみさんの調子も悪く(熱中症まがい)、そちらにも気を取られてしまって書ききれなかった。野暮用とは、どこかで触れましたが、「免許更新」のための「認知機能検査」と高齢者講習などのためで、約三時間かかって、今しがた戻ったところです(午後一時過ぎ)。認知機能検査についても、いろいろといいたいことはありますが、詰まらないのでやめておきます。また視力や視野の検査など、それに実車による検査がくわわって、それで約三時間。今回が二度目の「認知機能検査」「高齢者講習」でした。経験者からすると、日本社会(その正体は警察か、公安委員会か)は、老人から免許証を取り上げるためのさまざまな「嫌がらせ」をしてきましたが、さらにそれがエスカレートして、いよいよ、「老人は車に乗るな(運転するな)!社会」の到来ですね。どこに住むか、それがまったく問われないで(問うたところで処置なしですが)、とにかく一定の年齢以上は車社会から「脱落」か「脱却」しろといわぬばかりの、実に嫌な風潮の蔓延を感じます。細かいことは省きますが、老人には何かと国家財政上の負担が過大であるから「あまり長生きするな」ということでしょう。「少子高齢化社会」と言い出されたのは、もう三十年も四十年も前のこと、その時は、いいこと半分(高齢化)、よくないのが半分(少子化)で、両方を勘定すると長生きは世のため後代(後世)のためにならぬということがはっきりとしてきたのです。

 ここまでは序論ですが、あまりにも暑さがひどすぎるので、端折ります。そして今は故人の中野さんと、健在高齢者の倉本さんの「一家言」です。何事にも、いっぱしの論を持っている、あるいは批判的言辞を隠さない面々を「一家言ある御仁」というのでしょ。「その人独特の意見や主張。また、ひとかどの見識のある意見」(デジタル大辞泉)というらしい。お二人に共通しているのが、社会の現実や実相に対していかにも賢そうな批判であり、提言ですが、果たしてどうか。文明社会のメリットを謳歌しつつ、今なら、さしずめ「便利(コンビニエンス)」をもとにして成り立っている社会の表面に、昔の名前で顔を出すような雰囲気で「清貧」だとか「貧幸」などということをおっしゃるのです。それに異論などはないが、賛成するからではなく、そんなことははじめから分かっている人は実践済みだし、そんなことを意に介さない連中には「糠に釘」という始末であるということ。

 「清貧の思想」がベストセラーになるという現象を、ぼくは実際にその中で見ていましたが、それは「清貧の生き方」をしたい、しようという人が想定外に多かったからではありません。「西行や兼好、光悦や芭蕉、あるいは池大雅や良寛」たちを、今の文明化(便利な)社会に持ってきて、どうだこんな風に生きた人がいたんだぞという、我が邦の歴史の一面を評価しただけだったのですが、それがあまりにも自然に密着し、環境の恩恵によって生きていることに、そこからあまりにも離れすぎた現代風の人間たちが驚いただけではなかったか。

 「少し歩けばテレビのボタンは押せるのに、歩くエネルギーを節約しようとリモコンを発明した。そうしたサボりを『便利』と呼び、代替エネルギーを使ってきたと指摘する」倉本さんは、その「サボリ」に乗っかって大流行・大拡大してきたテレビで仕事をされた人でしょう。都会文明のあまりにも土から遊離した虚しさに反旗を翻して「北の国から」を生み出し、それが受けたのは、都会の視聴者に、ではなかったでしょうか。それをいいとか悪いといっているのではなく、「便利」という桎梏、あるいは「鎖」につながれて生きるのが都市での生活だという、もっとも根っこの部分には「批判の矢」は届いていないのです。それは批判はできるけれど、そこからの離脱は、生きるという現実からの「敗北」を意味するからでしょう。

 ぼくは携帯もスマホも持ったことがない。それがなければ成り立たない現代社会生活で、それを持たないことは、その「現実生活」からの離脱・追放を意味するでしょう。だから、ぼくは、半分以上も「離脱」「脱落」「追放」を余儀なくされて生きているのです。携帯なんかなくても生きていけるという時もあったでしょうが、身分証明のために「携帯番号」がなければ何かと不便、という以上に、生活に支障をきたすのです。ぼくはそれを見越して生きている。車は便利だ、しかしそれ以上にそれがなければ日常生活に障害が生まれているのです。それにもかかわらず、(老人にとってだけは)脱車社会だとかなんとか言って、年寄りから「足」を奪っておいて、社会は正常に機能するんでしょうかな。今は節電節電と、誰だか知らないが大合唱している、その半面でエアコンは控えめにといっていた矢先、何ともえげつない酷暑に見舞われ、熱中症に恐れをなしてか、「適度に冷房を」と言い出す始末。ばかばかしいので開いた口が塞がらない。「節電」を言うのなら、終日営業のコンビニや、自販機などをどうして問題にしないのか。省エネ、節電といっておいて、「電力不足に見舞われたから、やっぱり原発の稼働」という話で、これも馬鹿に付ける薬はないというばかりです。

 江戸時代に戻るのでもなく、鎌倉や室町に帰れるのではなく、今を生きるしかないではないか。つまり、「今に(を)生きる」というのは「便利の連鎖」につながれるほかないということであり、それを拒否すれば、埒外の存在とされるということです。ここにも「同調圧力」「過同調」なるものが認められるし、そこから外れることは「外れサル」よろしく、孤独に苛(さいな)まれて死んでいくほかないのです。

 「老人よ、電気を消して『貧幸』に戻ろう!」と倉本さんは言う。よろしい、まずご当人から実践されているのでしょうね。「清貧の思想」というのは、この島の「誇りうる文化」と中野さんは言われた。その通り、しかし室町や江戸にとどまらない選択をこの島の住民たち(先祖たち)はせざるを得なかったのだし、それを「生活の進歩」と理解したからこそ、焚火から蝋燭、蝋燭からランプ、ランプから電気へとエネルギーの源を求め続けてきたのでしょう。なぜ「老人よ、電気を消して」というのか。若者や壮年はいいのかと、減らず口を叩きたくなります。

 大いに「酷熱」で脳細胞を犯されていますので、言いたい放題となるのです。それは昨日の広河氏の「三百代言」に怒りが収まらない余波かもしれない、彼はぼくと同年代です。あるいは同じ大学だった(かもしれぬ)。社会に対しては可能な限りで「崇高な理念」を掲げて、さっそうと報道・戦争カメラマン・ジャーナリストを誇示していた。大言なる壮挙だったともいえます。それでは、告発された行為そのものもまた、「崇高な理念」と、なぜ公言しなかったのか。実に不思議とするところ。実態が暴露(告発)された途端に、「空言・虚言」を繰り出したのでした。潔くないし、第一恥ずかしいこと限りないではないか。「やったことを認める」ことが、そんなに沽券にかかわるのか、と惰弱で怠け者のぼくは言いたい気もします。

 輝かしい仕事の陰に「疚しい秘め事」があったとするなら、それが公然となるや「謹慎」「社会的抹殺を受けた存在」と、ぼくに言わせれば「開き直り」ですね。その高名なジャーナリストを持ち上げ、提灯を持つ面々(男女を問わず)が五万といます。中にはぼくの知り合いもいます。それはともかく、「清貧」「貧幸」の勧めは結構ですが、もっと大事なのは、「誠意」や「誠実」という人間の付き合いの「調味料」みたいなものが、今の時代の「便利の連鎖」(これにつながれることは、ある種の苦悩を経験することでもある)から消え去っていることです。「人情砂漠」という言葉があるかどうか、ともかく「人所」を持つだけ野暮だし損だといわぬばかりの非人情の社会です。そのことをこそ、ぼくたちは心し・恥じなければならないのではないでしょうか。

 ぼくの家にもエアコンはあるが、夏場にはつけたことはない。「節電」のためではなく、要らないからです。当たり前に三十度は越えています。暑いのは、いやになるほど暑い、猫もくたばっています。しかし幸いにして、日が陰ると風が出て、涼しくなる。夜は布団をかけないと寒いくらいです。ここだけは、兼好や西行の時代さながらですね。しかし、人情紙風船という言葉は、彼らの時代にはなかったでしょうね。吹けば飛ぶような「紙風船」で人間の世界は成り立っている、実に弱弱しいこと限りなし、です。

 コンビニとか便利というのは、今では、受け身生活の連鎖の要(かなめ)(環)になっています。「便利だ」「好都合」といっているうちに、それがなければ、たちまちに生活に支障をきたす。まるで都市ガスや水道水や電気のようなもので、それがなければ、そもそも都市生活は成り立ちませんし、地方だって事情は変わらないでしょう。とするなら「電気を消して、幸せになろう!」といって、果たしてどこで暮らせばいいのですか。あるいは、まずは「北の国」からと、倉本さんは言いますかな。電気もない、ガスもない、水道だってありゃしない、おらーこんな村いやだ、と言って否かを飛び出した、東北の「おっさん」がいましたね。あるのがいいのか、ないのがいいのか、さて。

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 言うこととやることが違う時、どっちを見るか

 「女性としてつらい」 “性暴力”判明のフォトジャーナリスト 沖縄の写真展に抗議相次ぐ

 性暴力加害が判明しているフォトジャーナリストの広河隆一氏(78)が7月5日から写真展を開くことが明らかになり、会場の那覇市民ギャラリーに抗議の電話が相次いでいる。ギャラリー側は広河氏と対応を協議したい考えを示している。/ 写真展に関する電話は6月29日午後6時までに9件あった。「女性としてつらい」「開催は絶対に許さない」「反省が見られないのに活動再開を認めるのはどうか」などの批判や、開催の事実確認があった。/美底清順館長は取材に対し、展示作品自体が公序良俗に反しない限り通常は利用を許可しており「特別扱いしたわけではない」と説明。抗議の動きを受けて「広河氏に連絡し、協議することも含めて対応したい」と述べた。/抗議の電話をした「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の高里鈴代共同代表は「写真撮影と同時並行で性暴力を重ねてきたことが分かっている人物。写真展の開催は、全ての被害者を傷つける」と批判した。(編集委員・阿部岳)(沖縄タイムス・2022年6月30日 )(ヘッダーは:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/96260?page=6)

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 本日は何か涼しくなるようなテーマがないかと、昨日からいろいろと探りを入れていました。沖縄ならさぞかし、と沖縄タイムスをみて、「私のウクライナ」写真展開催に対する抗議の記事に遭遇しました。非難の的である広河隆一氏に関してはささやかな因縁もあり、早い段階から注目していたし、彼の作品も、それなりに観てきたのでした。ある時期から、いろいろと「噂話」も耳にし、それはホントかと疑念を持ったことは事実でした。ちょうどそのころ、高名なジャーナリスト(ルポライター)とかかわる一女性と知遇を得た。というか、「この女性をどうにかしてくれ、付きまとわれて困っている」という先輩ジャーナリストの言い分もあってのことで、ばかな役回りを買って出たという塩梅でした。以後、彼女とは何度かあった(話を聞きました)。ぼくの話がうまくいったかどうかわかりませんが、それ以降、彼女のつきまといはなくなったと聞いています。激しい時は、どこで講演会(集会)をやろうが、かならず先に待ち伏せしていたとも聞いた。実際に、二人の間に何があったか、ぼくには関心がなかったから、話はそれで済んだと思っていたところ、昨年、広河氏(から見れば)の「醜聞」が大々的に報道された。こういうことをやりながら仕事をしていたのか、仕事をしながら、こういうことを繰り返してきたのか。いったい、どっちが仕事なんだ、と訊きたいね。

 よく知っていた報道(戦場)カメラマンだったが、その「醜聞」は確かだろうとぼくは直感したのでした。詳しいことは省きますが、当初訴えられた「内容」を彼は全否定したし、あろうことか、「相手も喜んでいた」などというたぐいの言辞も漏らしていたとされます。伊藤詩織さんのケースでも、訴えられた側の男は「全否定」「合意」などと言っていたが、裁判では伊藤さんの訴えが認められています。ぼくはきれいごとを言う人間ではないし、他人の問題を、これ見よがしに非難や批判をしようとは思わない。しかし、「言っていること」と「やっていること」が背反していれば、それは悔しいけれど、やっていることは認められないこともないけれど、人間として「信が置けない」と、ぼくは考えているのです。「男と女の関係」「男女の情交」などといいますが、どんな関係であれ、嘘を言い募り、相手をさらに辱めることになるなら、それは何をおいても、まず人間として認められないのではないか。人間である以上、いろいろと間違いや過ちを犯します。ぼくなども、その繰り返しだったと白状しておきます。しかし、自分がやってしまったことを「なかったこと」にはしたことはないといえる。つまりそのことに関しては「嘘はつかない」ということを「掟」のようにして生きてきたといえるからです。

 自分の間違いや過誤を棚に上げて、広河氏を糾弾するのではないのです。彼が、報道された段階で話したことが「弁解」ではなく「虚言」であったということに関して、まことに残念としか言えないし、自分がしたことを「反省し」「謝罪し」たから、活動を再開しますという、その厚顔さに、ぼくは「人間を舐めている」「不真面目そのもの」男の顔つきを見るのです。謝罪したふりをして、二、三年謹慎した格好を取れば、あとは好き放題(無罪放免)と考えているなら、度し難い悪漢だと思います。優れたカメラマンだったとしても、それは別の問題であり、誠意とか誠実というものが無ければ、人として欠けていると、はっきりというべきでしょう。仕事がよければ、すべて免罪という、そんな「世界」にぼくは住みたくないな。

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 以下に、この問題に関して、同じ写真家でもある長倉洋海氏の記事が出ていました。アフガンその他のすぐれた作品に大いに啓発された人間として、ぼくはこの問題に関してまっとうな、いや当たり前の発言をされているのに大いに首肯したのです。広河氏は、侮辱した女性ばかりでなく、取材の対象になった人々まで裏切ったのではないかという長倉氏の指摘は正鵠を得たものと、ぼくな真正面から受け止めています。

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 広河隆一氏“性暴力”に写真家が直言 「カメラの前に立った人々の思いを踏みにじった」 ~フォトジャーナリストを目指す人へ~ (長倉洋海)

 今回、広河隆一氏が引き起こした一連の問題について、写真で伝えることを仕事としている者として感じたことを記したい。/ 昨年末に週刊誌「週刊文春」で7人の女性が広河氏を告発した。その記事内容に「そんなひどいことをしていたのか」と驚愕した。ただ、そのことについてコメントを求められることもなかったし、自分からしようとも思わなかった。その、ほぼ1カ月後の1月末、同じ週刊誌で別の女性からの告発記事が発表された。広河氏が海外取材に女性を連れていき2週間にわたる性的虐待を加えていたという内容だった。そのあまりのおぞましい内容がにわかには信じがたかったが、広河氏と彼の弁護士からいまだに反論がないということは、内容がほぼ真実だと判断していいだろう。

自らのゆがんだ欲望に負けたのか 当初は氏の資質の問題と考えていたが、事件は広がりを見せ、ジャーナリストとは何なのか、雑誌編集部や編集長はどうあるべきなのかということも含めて、私たちも問いを突きつけられている。世間では、フォトジャーナリスト、あるいはジャーナリストは表では正義を叫びながら、その裏で何をやっているかわからないという目も向けられているように感じる。/ ただ、この事件によって、「フォトジャーナリストを目指したい、そのような仕事をしたい」と願っている人たちがフォトジャーナリズムの世界に不信感を持ったり、将来への不安を覚え、道を閉ざしてしまうことのないように念じている。/ 最初に言いたいのは、氏の行為は多くの人を傷つけたが、そればかりか、パレスチナやチェルノブイリ、福島などの地で、「この地の問題に光を当ててほしい」と願い、彼のカメラの前に立った人々の思いを踏みにじってもいる。さらには、「大手メディアが伝えない真実を伝える」という姿勢に共鳴し「DAYS JAPAN」の購読・寄付を続けた人々、そして、実際にフォトジャーナリズムに触れてみたいと集ってきた人々の思いをも裏切った。(以下略)(アエラ・2019/02/12)(https://dot.asahi.com/dot/2019020800082.html?page=1)

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 どんないいことを言ったり書いたりしても、やっていることがその反対だったら、その人をぼくは信じられない。世間(他人)を騙せるなら(他人に知られなければ)、それでいいじゃないかという人もいるかもしれない。ぼくたちは、ほとんどの場合、他人を知るのは書かれた本を読んだり、話された内容を知ってからでしょう。だから本や話に「真実味」があれば、この人は「いい人」だと簡単に判断してしまうかもしれない。でももし、その当人が何かのきっかけで、やっていることが、それとは正反対だったとしたら、その段階で「これはアカン」となるのではないか。ぼくはいつでも、他人を騙すのは難しくはないけれど、自分を騙すのはかなり難しいと考えてきた人間です。でも、それはぼくだけであって、他者は、いとも簡単に自己を偽れるのかもしれない。なんだか淋しいというか悲しいことですが。

 広河氏が「謝罪」して、直後に(間を置かず)活動開始というのはどうでしょう。彼は自分のしたことをその程度の「つまずき」ぐらいにしか認めていないからかもしれない。つまりは「人の噂も七十五日」とね。あるいは「謝罪してほしい」「謹慎しろ」「反省しなさい」と、あちこちから言われたから、自分なりにそうした(ふりをした)だけで、心底、自身の犯した行為を受け止めていない、たぶんにその懼(おそ)れが強いと、ぼくは勝手に判断している。だから、広河氏は許せないとか、何にしても彼にも生活があるとかいうのではなく、人生の途次で、大きく傷つけられた「被害者」の痛みや苦しみを知れば、もっと違った「再生の道」があったのではないでしょうか。自分がしたことを「矮小化」というんですか、まちがって肘が当たったという程度の捉え方だったかもしれません。「痛かったとしたら、御免なさい」ねと、済ましてしまう。生まれ変わる覚悟など、そんなことを期待しているから、君はダメなんだと、誰かに言われているような気がしています。「ダメ」で結構、でも自分を偽らず、もちろん他者にも気を配りながら、ささやかな生活を送っていきたいと願うばかりです。

 一人を殺せば、殺人犯として断罪される。 しかし何千、何万の殺戮を敢行すると、その人は「英雄」「名宰相」となるという。ホントかね、ぼくはそんなものは断じて認められないですね。一人や二人の女性を犯せば、「性的加害者」、あるいは「性犯罪者」となるだろうが、たくさんの「凌辱された女性」を生みだすなら、その人は「名カメラマン」となるんですか。繰り返します。「アホか」と言いたい。人間は間違いを犯す、しかもなん度でも。でもそのたびに、自らを生まれ変わらせるという「覚悟」「態度」がなければ、それは失敗や過ちではなく、それ自体が、当人の生活になっているんですね。女性を「凌辱」しておきながら、いい作品を生むというのは、何なんですか。この問題については、さらにていねいに言わなければならないことがありすぎますので、稿を改めて。(本日も「酷暑」に見舞われています。ネコも人間も、生きとし生きるものは)

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 信州信濃の蕎麦よりもわたしゃあんたの側がいい

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 長野市戸隠といえば…ソバ 一面に白い花満開 「今年はいいよ」と太鼓判

 長野市戸隠地区で特産のソバの花が見頃を迎えている。戸隠連峰を望む同市戸隠豊岡の農業木村輝松(てるまつ)さん(87)の畑では28日、白い小さな花が満開に。戸隠観光協会によると、地区全体で例年より少し早く見頃を迎えており、あと1週間ほどは楽しめそうだという。/ 木村さんは約1・4ヘクタールの畑で30年以上前からソバを栽培。5月上旬に種をまき、10日ほど前に花が咲き始めた。霜が降りず、生育は順調といい、「例年より大きく育っていて、おいしいそばができると思う。今年はいいよ」と表情をほころばせた。/ 7月下旬ごろに収穫する予定。8月にもう一度、ソバの種をまく計画という。(上の写真は戸隠連峰を望む畑でソバの様子を確かめる木村さん=28日)(信濃毎日新聞・2022/06/29)

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 近所にも蕎麦畑があり、季節ごとに「白い花」を咲かせています。近年では、同じ町内の、よく繁盛する店の蕎麦畑もつくられ、何とも爽快な眺めであります。どうでもいいことです、どいうわけだか、ぼくは蕎麦が大好きで、若いころから盛んに食べてきました。そのほとんどは「ざる蕎麦」か「盛り蕎麦」で、もちろん「小半(こなから)」(半分の半分。1升の4分の1。2合5勺)が付いていました。今ではこんな言葉は使いませんが、「こなから」(「小半」)とは、さらに、少量のお酒という意味もありますから、ぼくはたいてい一合の酒を「蕎麦の友」としていた。店によっては「菊正」だったり、「白雪」だったりしましたが、そのお酒は美味しいものでしたね。蕎麦が主なのか、酒が主なのかわからない「昼飯」でした。やがて、どの店も昼食時はこみだしたので、その後はあっさり「昼飯(昼蕎麦)」はすっかりやめてしまいました。もう半世紀も前のことになりました。

 昼の「小半つき蕎麦」に代わって(以来、ぼくは昼食を食べない人間になった)、夕方五時ころからの「飲み屋」通い。およそ三十年ほど、ほとんど同じ店でした。飲みだしたら時間を気にしないという出鱈目ぶりで、最終電車はしょっちゅうだったし、時には乗り遅れて困ったこともしばしばでした。それはともかく、蕎麦は、その素朴な味(なかなか一筋縄ではいかない)がよろしいいですね。近年、日本産蕎麦粉は希少価値があり、なかなか手に入りません。蕎麦店でも、大半は外国産だとされています。美味しければ、どこだっていいのですが、ぼくはやはり信州の「更科もの」をよく食していました。今はもうなくなったかもしれませんが、銀座の交差点わきの「更科(さらしな)本店」にもよく行きました。当然のように「小半」付きでしたね。当時は、あちこちの店でも、少量の梅酒が付いていたように記憶しています。

 信濃産の一茶の「蕎麦句」をいくつか。

・そば所とひとはいふ也赤蜻蛉                                                                                                       ・瘦山にぱっと咲けりそばの花                                                                                                      ・更しなの蕎麦の主や小夜砧                                                                                                       ・そば花は山に隠れて後の月                                                                                                       ・そばの花咲くや仏と二人前(いずれも一茶作)

 コロナ禍騒動以来、ぼくはほとんど外でものを食べることをしなくなりました。マスクや消毒もうるさいことでしたが、テーブルにアクリル板を立てて、無言で食べるという「苦行」には耐えられなかったからです。今でも、同じことをしているのかどうか。かみさんと行っても、「衝立」を隔て、黙って食べるという、そんな馬鹿なことがもう長い間続いているのです。家でも衝立(アクリル板)を立てて食事をしている人がいるのかどうか。当たり前の日常・風景、それが失われることに、ぼくはいたく抵抗を覚えるのです。

 外食をやめたので、蕎麦はもっぱら市販品(出来合いで、茹でるのみの)です。何国産と言われるのも嫌ですから、あまり気にしないで、国産と書かれた品物を「そうだよ」とみなして買うのです。家で「ざる」や「盛り」にして、「アクリル板」もなく、ゆっくりとかみさんと食べています。「これは旨い!」というものには、まだ行き当たりませんが、そのうちにきっと、と思いながら、今を盛りの蕎麦の花を見ている。

 若いころ、学生さんの中には家ではだれも、一滴も酒を飲まないという話を聞いて驚いたことがあります。酒もなくて、どうして飯が食えるのかなどと、不埒なことを言ったりしたことでしたが、さて、自分が酒を止めてしまうと、やはり美味しいい「蕎麦」を探しますね、酒の有無には無関係でした。

 (つい二時間ほど前)十時半ころ、長野の飯田に住んでいる後輩(女性)から電話がありました。「会社に行けなくなった」という。ご当人は「うつ病」だと自認しているし、それを補強する心療内科の医者もいる。一か月ほど前にあった電話で、久しぶりで「うつの声」を聴いた。ぼくは専門家ではありませんから、何も言いませんが、ちょっと気になったのは「自分は自己肯定感が低い人間だから」とかなんとかいったのです。「えっ、それホント」という気がしました。プライドというか自尊心というか、世にいう「自己肯定感」(あるいは「自己正当化」かも)が、必要以上に強すぎるから、何かあると「落ち込むんじゃないですか」と、ぼくは答えました。ほとんどはそうであって、そのうえで、「この自分をどうして認めてくれないの?」という「世間」の冷たさ・低評価に、孤独感や孤立感が、ご当人の中に住みかを見つけてしまったんですね。(いのちあるものは、人間を含めて、まず「自己肯定感」は強いと、ぼくは考えている。自分を守り、自分を突き出すことは、いのちを賭けてのことではないでしょうか。もう少し書きたいのですが、猛暑のせいで、本日は中止。植木に水をやり、と殊勝なことを考えている)

 「会社に行く、行かない」は個人の問題であっても、会社には仕事をする同僚がいますから、少しでもその「仲間」への配慮があれば、少しは違った反応があるのかもしれぬと、結論にならない物言いをして電話を切りました。電話なら何時でもどうぞ、ぼくは暇だから「出られるときは出る」と、今後の電話の受け取り了解の信号を出しながら、この瞬間・状況を乗り越えてくれるといいなあ、とつくづく思っている次第です。安っぽい化学アルコールやタバコなどにひっかかっていないで、本場の「蕎麦」を粉から作って、ゆっくりと食べるといいのに。

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 災害はいつでもどこでも間を置かず、です

 【水や空】夏へのリハーサルを 昨年夏の本紙「ジュニア俳壇」に中学3年生の爽やかな一句が載った。〈梅雨晴れ間洗濯物が笑ってる〉。部屋干しが続いた洗濯物が、久しぶりの晴天の下でひらひらと、まるで笑ってるみたい。そんな一句だろう▲梅雨晴れ間の空は格別に明るいが、季節にまつわる事典によれば、梅雨の中休みには2通りある。「アンコール型」は大陸からの高気圧が列島を覆い、5月の青空が舞い戻る▲もう一つは、南からの亜熱帯高気圧がいっとき強まり、炎天となる「リハーサル型」。夏の“予行練習”のあと、また梅雨空に戻る-はずだが、今年はリハーサル抜きのまま、夏のぶっつけ本番が相次いでいる。きのう、九州南部などで梅雨明けしたとみられる▲中でも関東甲信は、少なくともここ70年のうちで最も早い。梅雨の晴れ間ならば人も洗濯物も笑顔になるが、これではしかめっ面ばかりだろう▲連日、全国で6月としては異例の暑さとなり、熱中症で搬送される人も後を絶たない。この欄の右の週間天気も、お日さまのマークが目立つ▲今時分、熱中症になりやすいのは、体が暑さに十分慣れていないからだという。軽い運動で汗をかく。水分をしっかり取る。必要なければマスクを外す…。天はリハーサル抜きでも、人の体を慣らす“リハーサル”はどうぞ抜かりなく。(徹)(長崎新聞・2022/06/28)(ヘッダー写真は「ウクライナ中部クレメンチュクの商業施設で、作業に当たる救急隊。同国非常事態庁提供」(2022年6月27日撮影、公開)。(c)AFP PHOTO / (Ukraine’s State Emergency Service / str)

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 ぼくは昔から「天候・天気」には神経を使っていました。関心を持って眺めていた。遊び場が、木浦あら屋外に限られていたという事情もあった。明日は晴れるかどうか、台風の進路はどうなってゆくのか。あるいは大雨というけれど、どの程度の雨量になるのかなどなど、それこそ、履物を遠くに飛ばしては「占い」をさかんにやっていたようでした。要するに、その日の天気に、実に素直に従っていたということでしょう。これは誰から聞いたことなのか、まったく忘れてしまったが、「天気に文句(不平)を言わないこと」という教えが、ぼくには小さいころから意識の中に残り続けていたというわけで、それだけ、先人たちの知恵として、時には自然現象に対して「謀反(むほん)」は起こせないという表現でもあったでしょう。

 初めて「台風」の強烈な洗礼を受けたのは、昭和三十四年九月の「伊勢湾台風」でした。建てたばかりの家が吹き飛ばされるのではないかと、心底から肝をつぶした。幸いに京都は、それほど大きな被害はなかったが、三重や愛知は筆舌に尽くしがたい被害を被った。「地震・雷・火事・親父」と、怖いもの「ベスト(ワーストか)フォー」が語られてきましたが、今も生き残っているのは何でしょうか。親父なんて、とっくに自然消滅というか、絶滅種になったようです。この段階、この「四傑(嫌われ者?)」がもてはやされた時期では、「台風」が入っていなかったのは、何十年とか百年単位の事象であり、現象だったからでしょうか。それにしても「伊勢湾台風」の規模はものすごいものがありました。凄さ・怖さという点では、地震の比ではなかったと、今でもぼくは考えています。(下の写真は毎日新聞から)

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 さて、「梅雨明け」ということです。ぼくは毎日のように気圧配置(天気)図を眺めているのですが(これもかなり長い習慣になりました)、群馬の伊勢崎で四十度を超えたというニュースを見る前に、もう「真夏」であると勝手に判断していました。その通りでしたね。別にどうということはないのですが、こうなると、電力使用量や飲料・農業用水のことが心配になります。数年前から、拙宅でも「太陽光パネル」を設置するかどうか、少しは考えているのですが、そこまでするほどのことか、停電なら、それも仕方がないなどと暢気に構えています。電気製品頼りの生活に「警鐘乱打」ということですが、いっかなそれを気にも留めない風潮が、福島の原発事故以降も改まっていないのは、度し難い「習慣病」「国民病」(もちろん、自分も含めて)というほかありません。

 気象庁に「宣言」などされる筋のものではないのですから、明けようが明けなかろうが何でもないといえばいえますが、不思議なもので、まるで「真夏の使者」よろしく、「梅雨が来られました」「梅雨が出て行かれました」と、言う方も聞く方も、これまた習慣病ではないでしょうか。その習慣病の見立てによれば、「梅雨明け」はしたが、やがて「戻り梅雨」が来るというのです。どうしても「梅雨」にこだわりたいのも理解はできますが、それどころか、異常高温と、海水温度の高まりによる「台風」の連発が気になるところです。「集中豪雨」と強風暴風の連続パンチで、劣島は、これまでに何度痛めつけられてきたか。それでもなお、その生活の姿勢や態度を改め(られ)ないのは、こんな「生き方」しかできないからということなのでしょう。あるいは、この生き方が「ベスト?」というのかしら。

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 庭の草刈りや植木の剪定をやる予定でいるのですが、家の外には五分と出ていられないような「猛暑」です(昨日は、隣町は36.8度だったそうです)。また、水やりも欠かせない、これは夕方、日が落ちてからということになりそうです。それにしても、今年もすごい「熱すぎる夏(酷暑)」になっていますね。昨日は都内で二百人ほどの方が「熱中症」で搬送されたとか。一方で「節電」をやかましく言いながら、他方では「適度に冷房(エアコン)を」と、理解しずらい方針を、政府は出しています。家の内外にかかわらず、「熱中症」になる時代に、ぼくたちは生活しなければならないのです。日傘はおろか、今では「小型扇風機」をかざして歩く人も多く見受けられます。やがて「エアコン」を背負っての歩行時代が、いやもう来ているのかも。 

 一方では「最高温度地域競争」なのかどうか。日本一だ、関東一だと騒いでいるのは、どこの誰でしょうか。インドでは五十度を記録し、異常な数の被害者が路上に横になっている報道がありました。アメリカでは「酷熱(死)の谷」だとか、何とも異常高温地滞が話題になっている。世界の各地では「山火事」が頻発し、ウクラナイではミサイルが飛び交う。なんとも疎ましい「2022の夏」です。こんなときに「マスクしなければだめ」とは、狂気の沙汰ですね。最近まで「コロナ」と言えば、この人だった、その方の姿が見えませんが、感染したのではないでしょうね。「熱中症にも、感染症にもかからない、そういう人にわたしはなりたい」と自らに言い聞かせつつ、命に恵まれた方々の「ご健勝を」、僻陬の山中から願っています。(下の写真は「2022年6月18日/スペイン、北西部カスティーリャ・イ・レオン州郊外」(Emilio Fraile/Europa Press)

HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

・草むらも酷暑の夜勤もみな苛立ち (金子兜太)                               ・蓋あけし如く極暑の来りけり( 星野立子)                                  ・怖いほどおほばこ伸びぬ極暑来 (森川暁水)

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