「くすぶる薪 焚きて釜かけ 嫁の身は…」

 新聞記者人生29年もいまだ「これを上回る表現書けない」 驚嘆の一文遺した人に戦争が強いた悲しみ (八幡一男

 新聞記者を29年間務めてきて、いまだに「これを上回る表現は書けない」と思う一文がある。作家や名記者の文章ではない。私の祖母が終戦直後、疎開先で詠んだ短歌だ。
 〈くすぶる薪(まき) 焚(た)きて釜かけ 嫁の身は 田面(たも)の薄氷(うすらひ) 踏みつ涙す〉
 海軍士官と結婚した祖母は、広島県呉市に住んでいた。空襲が激化していた1945年6月、子どもたちを連れて鳥取県へ。夫方の親族を頼った。/親族が歓迎したとは思えない。終戦直前には四女が3歳で急逝している。食糧難が続く戦後の2月、追い詰められた心境を歌に込めた。/祖父はのちに復員したが、戦争で多くの部下を失い、苦悩した。
〈病み籠(こも)る夫へ沈丁(じんちょう)一枝切る〉
 私はおばあちゃんっ子で、近所ということもあり、幼い頃は毎日のように遊びに行った。祖母は、子どもをかたどった人形を和紙でよく作っていた。/傘寿の記念で作られた人形の写真集に、祖母が短文を寄せている。/〈わが子達の幼なかった頃、戦争でとてもつらいくらしをしていたことのいろいろを思いおこし、かわいらしく着飾ることもいっしょに遊んでやることも無く、まして季節の行事を楽しむゆとりなど全く持てなかったことを悔みつつ、この平和がいついつまでも続きますようにと〉
 ひざに座る幼い私に祖母は戦争を語らなかった。なぜ人形を作り続けたのか。やっと分かった。/祖母は22年前、94歳で他界した。戦争が人にどれだけの悲しみを強いるのか、手元に遺る人形を見るたびに、考え込む。(京都新聞・2026/09/05)

 小学校の高学年時代、ぼくは毎日のように「ごはん」を薪で炊く役目を果たしていました。おふくろに言われて買い物に出かけ、帰ってきて米を研いで「竈(かまど)」に火を入れて炊いていた時期があった。家族はそれぞれが仕事をしていたので、役目が回ってきただけだったが、それを嫌だとは思ったこともなかった。やがて、「電気釜」が普及するようになってからは「飯炊き」からは解放されましたが、その代わりに「風呂焚き」が与えられた。こちらは薪ではなく、多くは石炭だったと思う、これも嫌いではなかった。風呂の脇野を加減しながら、その時には「文庫本」などを読んでいたと思う。中学生になったばかりの頃でした。こんな「家事」まがいは少しも嫌ではなかった。掃除も洗濯もほとんど自分でする癖がついてしまったのだ。洗濯機や掃除機の普及は、こんな面倒なs業からもぼくを解放してくれたのだった。

 上の記事に書かれている記者氏の「祖母」はたぶん、1910年ころのお生まれだと思われます。とすると、ぼくの親父とほぼ同年(父は1911年生まれ)でした。改めて、父親の成人時代を想像してみる。たぶん、父は戦争にはいかなかった。その理由は聞いたことがなかった。招集されても当然の年齢だったのに、ぼくには不思議だった。このことに限らず、彼は自分のことはほとんど話さなかった。聞くまでもなく…、そんな思いでぼくは親を見ていた。おふくろもあまり過去を語らなかった。今から見れば奇妙な両親だったと思うが、自分は自分のやることに目いっぱいで、そんなことに関心がわかなかったのかもしれません。まあ、今どきとは異なって、親子関係は、存外「淡泊」が受け入れられていたのかもしれません。誰に聞いたか、父の弟は「戦死」したという。

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 対米英戦争ではどれほどの犠牲者が出たのだろうか。日本人の戦死者は310万人ともいわれ、そのうちの約4分1が民間人だった。兵士の死は230万人で、そのうちの6割が「餓死(starvation)」だという記録を知って、ぼくは驚愕したものでした。当たり前の食料も備えなくて「戦争」に駆り立て、招集する、これが「国」のすることでした。軍事・軍属の戦死者には国家は「賠償」をしたが、爆撃その他で、犠牲になった民間人は放置されたままでした。つい先ごろ、民間人犠牲者にも「補償を」という長く続けられている裁判の結果がいくつも出ました。ところが、国家が起こした「戦争」犠牲者の不幸を「国家機関(裁判所)」が裁くのだから、さもありなんですね。「戦争では国民みんなが、何かしら被害に遭った。憲法はその被害の救済を想定していない。だから、みんなで我慢すべきだ」という「戦争被害受任論」という決まり文句で、この問題を切り捨ててきました。(【そもそも解説】「『戦争被害受忍論』とは 民間人補償を阻んできた壁」:朝日新聞・2025年5月9日)(https://www.asahi.com/articles/AST584FSGT58UTIL006M.html

 「多くの判決が「戦争被害受忍(じゅにん)論」を理由に請求を退けてきた。「国の存亡にかかわる非常事態にあって、戦争の犠牲や損害は国民が等しく受忍しなければならない。これに対する補償は憲法が全く予想していない」との論理で、つまり「戦争という非常事態だからみな我慢しなさい」というものだ」「実は、例外がいくつもある。軍人・軍属やその遺族には、講和条約発効(1952年)の直後に恩給や遺族年金が復活。これまで総額60兆円以上が給付されてきた。民間人でも、軍需工場の従業員や原爆被爆者らには救済する仕組みがある。だが、空襲や沖縄戦などでの民間人被害者で、補償を長年求めながら認められていない例が多い」「東京大空襲の民間被害者が国を提訴した訴訟では、2012年に東京高裁が原告敗訴の判決を出しつつ、「原告らが旧軍人軍属との間に不公平を感じ、一般戦争被害者にも救済や援護を与えるのが国の責務とする主張は理解できる」と指摘した。1980年代以降の判決では「受忍論」だけでなく、補償のための立法は国会の裁量で判断すべきだとする「立法裁量論」にも言及するようになっている」(朝日新聞・同上)

 「戦争犠牲者」問題を無視(棚上げして)、国家は当たり前の顏で国民に何かと強いることを今もなお続けています。早くから、ぼくは「国家」というものを信用しない人間になったのは、今考えても不思議です。誰に教えられたのでもなく、反国家主義などという教条(イデオロギー)に被(かぶ)れたのでもありませんが、いつしか、いわば「アナーキスト」になっていたとも言えます。国民の一人としての「義務」は果たす。でもその「義務」が想定外の狂気に満ちたものであるなら、きっと反対する。それだけのものです。

 国家という機関・機構を使って「権力者」が何かと指図するのですが、そこに危険な兆候(人権蹂躙)があれば、断固として反対する。「権力、我において何おかあらんや」今日ただ今の、ぼくの「鼓腹撃壌」であります。(有老人、含哺鼓腹、撃壌而歌曰、「日出而作、日入而息。鑿井而飲、耕田食。帝力何有於我哉」:「鼓腹撃壌」「十八史略」所収)まっとうに政治がおこなわれていれば、自分は日の出とともに働き、日の入りと同時に休む。井戸を掘って飲み、田を耕して食す。そうであるなら、「王の権力など、自分に何の関係がある者か」という状況に、いささかもそぐわなければ、さて、この老人は、どうするか。それは現実のぼくの立ち場ではないか)

 上掲の「記事」戻ります。記者氏の祖母君は紙人形を作ることに精を出していたという。「〈わが子達の幼なかった頃、戦争でとてもつらいくらしをしていたことのいろいろを思いおこし、かわいらしく着飾ることもいっしょに遊んでやることも無く、まして季節の行事を楽しむゆとりなど全く持てなかったことを悔みつつ、この平和がいついつまでも続きますようにと〉、このような言葉を残されている。政治家は言うまでもなく、敗戦時もまた、ほとんどの国民は国家のいうがままに働き、戦後復興に身を捧げてきたと思う。「戦争」はむごいし、無意味でもあるでしょう。「戦争の大義」など、どこを探してもあるはずもない。名分のない戦争を仕掛けられた側には「正当防衛」という道が許されるでしょうから、もし、どこかの国が理不尽にも侵略行為をしなければ、おのずからに「戦端は開かれぬ」ということになります。現下の戦争当事国の振る舞いを見ていると、已むに已まれず戦争に傾いたというのではなく、権力者の欲望・保身だけが、その多くの理由を占めていると、ぼくなどには見える。

 不幸なことだが、この島国の愚かしい為政者は「戦争をしたがっている」風を見せている。いたずらに勇ましい言辞を吐き、さも戦端を交えるかのように、ある特定国を刺激している。でも、現実の戦争になるなどと、誰もが思っていないのに。憲法を変え、軍備を整え、兵隊を増強して、さて「どこと戦争をするのですか」と訊かれて、答えに窮するのではないでしょうか。友好国と勝手に思い込んでいる国からは「袖にされかかっている」のに、気が付かない。「戦争が個々人にどれだけの悲しみを強いるのか、手元に遺る人形を見るたびに、考え込む」と,記者は書く、一記者のいだくような、当たり前(尋常)の感情を持たないままで人間になろうとしている政治家を見ると、ぼくは、この国の行く末には「暗雲」だけが立ち込めているように思われるのです。その昔、一人の作家は「坂の上の雲」を追いかける、若い国人の情熱を、深い同情を以て「小説」に描いたことがありました。でも坂を上りつめれば、下らなければなりません。今、ぼくたちは、ある種の「戦前」にあります。「坂の下の泥濘(ぬかるみ)」をどこまで歩けばいいのでしょうか。

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自分の脳で考える力を、自分で育てる

【新生面】AI先生 日本史を担当する50代の高校教師がいる。鎌倉幕府が成立した年を生徒に問われて「1192年」と即答。現在の解釈は「いいくに」以前の「1185年」説が有力と知らず、そんなのあるんだと開き直った▼28年ぶりに復活したテレビドラマ『GTO』の一場面。反町隆史さん演じる鬼塚英吉は教え子に心寄せる「グレート・ティーチャー」のまま、知識の更新は遅れ気味らしい。東大を目指す秀才に「自分より知能が低い人間に教わりたくない」となじられた。生成人工知能(AI)で学ぶほうが効率的とも▼確かに「AI先生」の進化は著しい。タブレット端末さえあれば、何を尋ねても答えてくれる。次期学習指導要領案が教育への活用を初めて記したのも、知識と情報を集める能力の高さゆえ▼国立青少年教育振興機構が昨年実施した調査で、生成AIを「よく利用する」と答えた高校生は53%に上った。前年の19%から加速度的な浸透ぶりだ。その目的は「学習のサポート」が最も多く、宿題を代行させた生徒もいる。正解までもらってはサポートの範囲を超えてしまう▼だからこそ、AI活用に教師の力は欠かせない。生徒の習熟度に応じてテストの問題を作らせたり、英会話の相手をさせたりして、学力アップに役立てたい。AI情報の真偽を確かめ、自ら答えを見つける意義も説かないと▼知識を授ける役割をAIに少々譲っても、生徒のやる気をかき立てるのが理想の教師像なのでは。AIに「グレート・ティーチャー」は務まらない。(熊本日日新聞・2026/09/04)

◎ 『GTO』(ジーティーオー)は、藤沢とおるによる日本の漫画。『週刊少年マガジン』(講談社)において、1997年2号から2002年9号まで連載された。(中略)/1998年に反町隆史主演でドラマ化され、最終話は35.7%の高視聴率を記録した。本作のヒットにより本誌の発行部数も増加し、同年1998年には同誌の最高部数となる445万部を達成した。1999年から2000年にかけてはフジテレビでアニメ版が放送された。2014年12月時点で累計発行部数は5000万部を記録している。(Wikipedia)

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 今から二十年以上も前に、担当授業で書いてもらっていた学生のレポートに「GTO」という記号が何度も出てきました。ぼくはテレビを見ない人間でしたから、それがどんな番組かも知らないままで、ある夏休みに、いわゆる「教師物」特集といった趣で、いろいろな番組を再放送したことがありました。その中の一つが「GTO」だった。学校や教師、あるいは授業を主題にした映画は何本も作られたし、テレビでも放映されてきました。でも、ぼくにはまったく興味がわかなかった。あくまでもテレビ・映画の作品という枠でしか見られないものだし、どれもこれも、「教育」を理想化したり、教師を戯画化したものだったように思うのです。偶然に見ることはあったが、続きを見たいとは思いませんでした。その理由は、現実の「学校教育」はテレビや映画の「画面(Entertainment)」とは無関係に、良いも悪いも含めて営まれてきたからです。

 テレビや映画作品として優れたものもあったでしょう。人波に多くの作品を観ましたが、悲しいかな、ぼくは、「これぞ教育」などという作品は見たことはない。もう何十年も昔、小学校校長の営む「学校経営」がとても世間的に評価され、その学校への見物が絶えないということがありました。その「学校教育」の素晴らしさを映像に記録するために、およそ一年がかりで学校現場にスタッフが入り込み、「芽をふく子ども」(1962年)として公開されましたが、当時のS校長は、「教育・授業をわからない人間が作るとこうなるのだ」と、作品を酷評したものでした。まして「ドラマ」の中で教師を主人公にしたところで、教育や授業の核心に触れるものではなく、役者の演技・芝居が評価されるのは当然で、学校教育の当否は問題にはされないのです。

 さて、その「GTO」が再放映されるという前宣伝がすごかったようだ。そしてなんと文科省は、このテレビ映画放映とタイアップして、「教師不足」の現状に波風を立てたいというのでしょうか。完全に終わっていますね、教育行政は。いったい、文科省は何を考えている(企んでいる)のでしょうか。どんどん、暴走族上がりの「GTO」を教育現場に入れたいというのでしょうか。このような堕落しきった官庁が、明治以来一貫して「義務(強制)教育」(優劣教育)を徹底し推進してきたのではなかったか、という思いがぼくには強くあるのです。

 テレビドラマ『GTO』とのタイアップを行います! 令和8年6月19日

文部科学省は、令和8年7月20日(月曜日)放送開始予定のカンテレ・フジテレビ系連続ドラマ『GTO』とのタイアップを行います。
テレビドラマ『GTO』について
テレビドラマ『GTO』は、1998年夏に放送された、元暴走族の教師・鬼塚英吉が従来の教師像を覆す型破りなスタイルで、生徒や学校の問題に体当たりでぶつかっていく学園ドラマです。そんな伝説の教師GTO(グレート・ティーチャー・オニヅカ)が、約28年の時を経て、連続ドラマで復活し、令和8年7月20日(月曜日)夜10時から、カンテレ・フジテレビ系にて放送が開始されます。
タイアップポスターの配布について
『GTO』とのタイアップの一環として、以下のポスターを作成し、全国の高校・大学等に配布することといたしました。教師として教え子と向き合う、 鬼塚英吉の生き様を投影したビジュアルに、「あなたに出会うのを、待っている生徒がいる。」というキャッチコピーを加えています。
文部科学省では、全国の教師のみなさまを応援するため、HPやSNSなどの媒体を通じて、教師に関する情報を広く発信していきます。(文科省:https://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/mext_01644.html)

「『教職員全員がグレート・ティーチャー』と松本文科相 復活の「GTO」と文科省がコラ ボ松本洋平文部科学相は19日の閣議後記者会見で、7月20日から放送が始まるテレビドラマ「GTO」(フジ系、毎週月曜午後10時)とのタイアップを発表。第1弾として制作したポスターを公開した。/ポスターは学生に教員への関心を持ってもらうため全国の高校と大学に配布予定だといい、松本氏は「生徒一人一人に向き合う教師像を踏まえ、教職の魅力を伝えたい。(反町隆史さんが演じる主役の)鬼塚先生だけでなく、現場で頑張る教職員全員がグレート・ティーチャーだと思う」と述べた。/文科省によると、タイアップの第2弾、3弾もドラマを制作する関西テレビと協議しているという。企画内容が固まり次第、順次発表する予定。」(左写真は「テレビドラマ『GTO』とのタイアップを発表する松本洋平文科相。第一弾としてポスターを制作した」=6月19日午前9時20分、東京都千代田区(大森貴弘撮影)(産經新聞・2026/06/19)

 口にするのもいやらしい、このM文科大臣は議員会館で「不倫」をしていたと週刊誌で暴露され、事実と認めたうえで、それでも「居直り」「居座り」を続けている「不道徳」な人間です。たぶん、文科省は「GTO」とコラボして、「鬼塚」をして「教育勅語」の神髄を生徒たちに植え込みたいのでしょうか。その昔「ヤンキー先生」という、不良上りが紆余曲折を経て文科副大臣に任用され、いっぱしの「国風教育」の風を吹かせていました。現内閣は、神代の昔からの神話(物語)を「歴史的事実」と吹聴し・茶化していますので、テレビドラマの「主人公」が文科省(学校教育行政)の救い主になり、気息奄々の学校教育を見事に「再生」させることを夢想しているのかもしれません。

 いよいよ、各々方、学校教育には不信の念を、あるいはいささかの距離を保って付き合った(付き合わない)方がよろしいのではないですか。「私」を壊されないために、です。(写真右上は、「教育勅語」の効能や有効性を空る現官房長官、元防衛大臣・K氏。)

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「考えない葦」のように人間は考える

 決して好き好んでいたわけではなかったが、それでも、なにかと「原稿」を書く羽目になりました。もう半世紀以上も、そんな不本意な、やっつけ仕事みたいなことを続けてきました。もちろん、当初は「万年筆」で書いていた。この時の感触は今も残っている。書いては消し、書いては消し、校正を担当する人に疎まれたほどでした。何度見ても、どこか気に入らなくなり、表現を変えたくなる。これはぼくの性分かもしれないと思ったほど。つまりは決断できない、優柔不断という意味です。やがて、時代の趨勢はワープロ時代に突入し、書いた原稿もメールで提出するということになりました。この、長閑な機器時代も一瞬で終わり、やがてパソコン全盛時代に入り、万年筆で原稿を書き、ワープロで文を生み出す時代から、ワード文書で「文章を作る」、つまりは「キーボードを打つ(打鍵)」というスタイル(方式)になりました。

・思考力の不可避の衰弱

 おそらく、かれこれ四十年以上も「打鍵作業」が「文章を書く」という意味を持って久しくなります。もともと、ぼくは原稿書きが好きではない、むしろ嫌いでした。その傾向は今に変わりません。依頼されて書くことを約束して途中で放棄した仕事も相当にありました。呆れたことに、若いころには「作家」「小説家」なるようなことを思い描いたこともあるし、愚作をいくつか書いたこともある。しかし、これで生活の糧を得るとなると、たぶん、ぼくには不可能だと思う気持ちも出てきて、ついに「給料生活」という易きについたという実感がぼくには残っています。

 ペンで文を作った時代からワードという文書アプリを下敷きに、パソコンを使って文章を作成する時代になって、最も変わったのは何だったかと、ぼくはしばしば考え込んでしまいます。「原稿を書く」という本来の仕事から、その半分以上を器械(パソコン)に頼るようになって、偉そうな物言いになりますが、言葉を紡ぐという「粒粒辛苦」「彫琢」「推敲」などという、本来の文章を作る機微がなくなったという感じがぼくには強く残り続けています。「ものを考える」という際の「考える(勘える)」の語義は「かむかふ」「かむがふ」、人であれ物であれ、それ(対象)に立ち向かうことを示していました。文章を作る作業なら、それは「ことば」に相向かうということを意味していたと思います。

 もちろん、持ちあわせの、自分が知っている限りの言葉をつなぎ合わせても、文章はできます(書けます)。でもときには曖昧な表現がしばしば出てきて、その都度「辞書を引く」という作業が入ります。これもまた、「ものを書く」という作業の不可欠の一部になっていました。今だって、そうですけれど、その大半は、器械が「言葉の意味」を瞬時に教えてくれる。ネットには、ごまんといわれるほど、さまざまな辞書類が蔵されて(溢れて)いるのです。それやこれやを勘案すると、文章を書く作業は格段の簡略化を経て、逆に「言葉」や「文章」の綾とか含意というものが著しく浅薄・空虚になったという気もしています。「考える」という苦しみや楽しみが失われたのです。

 要するに、ワープロで文書を作るとは言うものの、その半分以上は器械任せであって、みずからが「考える」「勘える」という不可欠の作業(プロセス)が相当に失ったままでいることに気づかされます。思考力・考察力の急激な減退は、結局は中途半端な「生煮え」状態を生むでしょう。そこに、「AI」が入り込んでくるのですから、いよいよ、人間からは自前の考える力は奪われ、弱体化するということになる、これがぼくたちの現実に生じている、もろもろの不可解現象(事件や事故も含む)の原因でもあるでしょう。

 これを要約すると、もともと不足がちだったぼくの「思考力」が、ネット時代に足元どころか、脳力まで攫(浚)(さら)われて、さらに貧弱になったということです。物を考えるという、根本の働きが器械を使うことによって、知らないうちに、いや気づいていたのですが、衰弱していたという意味です。これまで徒歩(かち)で果たしていた仕事を自動車を使うことに変えた結果、著しく足腰の衰えが目立つことになるだけではないでしょう。歩行する際に触れ合うことができた景色・人情までもが、それこそ高速度で移動するために「一変」してしまったということでもあります。ものを観る働き(視力・着眼力)もまた、著しく失われたしょう。

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 ここまでが「前書き」です。本題は毎日新聞のコラム「余録」に関わっています。「人間は考える葦である」という一文。パスカルは、これをワープロ文書を使って生み出したのではありません。脳内の言語操作能力と直結している手・指を用いて、あるいはペンで書いたでしょう。さらに付加すると、「パンセ」は一冊の本にするように計画されて書かれたものではなく、彼の死後に発見されたも「断簡」を集めて順序良く並べて、一冊にしたとされています。「肺腑の言」を消失から守った、彼の妹の功績は大であったというべきです。

(ヘッダー写真は「東北最大の河川・北上川の河口域に、約15キロメートルにわたって広がる日本有数のヨシ群生地。環境省が選定した「残したい日本の音風景100選」の一つです」石巻市:https://www.city.ishinomaki.lg.jp/cont/10250000/-map/001/kitakamigawayoshihara.html

◎ パンセ(ぱんせ・Pensées)= パスカルの遺稿集。『瞑想(めいそう)録』の訳名もある。パスカルの死後、1670年に『宗教その他若干の主題についてのパスカル氏の思想(パンセ)』Pensées de M.Pascal sur la religion et sur quelques autres sujetsと題された初版が刊行された。遺(のこ)された断章の多くは執筆予定の『キリスト教弁証論』の覚え書きであり、断章の配列をめぐって多数の版が現れた。もっとも広く読まれてきたのはブランシュビック版(1897)であるが、現在では第一写本を優先するラフュマ版(1951)の系列が、パスカル研究の標準的刊本として認められている。『キリスト教弁証論』はキリスト教の真理性を証明し、人々を信仰へと導くことを目的としている。パスカルはこれを人間学的考察と神学的考察の二部構成で考えた。まず、無限と無の中間者である人間が、悲惨と偉大の矛盾的存在として示される。人間の悲惨は、真理や正義に対する無力や、宇宙における取るに足らぬ位置から明らかである。だが、人間は「考える葦(あし)」でもある。そこに人間の偉大と尊厳がある。人間は自分の悲惨を知るゆえに偉大であるが、悲惨を意識することで人間は救われはしない。悲惨な存在であることを忘れるために人間は気晴らしを求めるのである。(↷)

 こうした人間存在を前にしては、エピクテトスやモンテーニュなどの哲学者も無力である。彼らはいずれも人間の一面しかみていず、悲惨と偉大という二重性から生じる不幸を解消できない。人間の救済には、哲学のような人間学的次元から神学的次元へ進まなければならない。「人間は無限に人間を超えている」のである。こうして宗教の考察に向かったパスカルは、人間の矛盾を解き、悲惨から脱する道がキリスト教によって示されていることを明らかにしようとした。無力な理性を退け、心を尽くして神を探し求めよ、とパスカルはいう。それによって初めて、身体と精神の秩序を超えて、キリストを介して生ける神との深い内的関係が確保される「愛」の秩序へと飛躍することが可能となる、と説くのである。(日本大百科全書(ニッポニカ))

◎ パスカル(Pscal、Blaise)= フランスの数学者,物理学者,宗教思想家。16歳で《円錐曲線論》を著し,パスカルの原理を明らかにした。また,簡単な計算機の作製,トリチェリの真空についての実験などを行った。思想的には,演繹(えんえき)に基づく抽象的な〈幾何学の精神〉に対して,直観的な〈繊細の精神〉を主張。1654年11月23日,決定的回心をして,ポール・ロアイヤル修道院の客員となり,ジャンセニスムの代表的神学者として,理性に対する心情の論理から信仰を弁護。人間は無と無限,無価値と高貴,卑小と偉大のような矛盾的側面をもつが,そのような二面性を知らせるのがキリスト教であるとした。その透徹した人間分析と宗教思想は,現代実存主義をはじめ,フランスの文芸・思想に大きな影響を与えた。著書《パンセ》(遺稿),《プロバンシャル》など。1623-62。(百科事典マイペディア)

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【余録】「人間は一本の葦(あし)にすぎない。自然のうちで最もか弱いもの、しかしそれは考える葦だ」(「パンセ」塩川徹也訳、岩波文庫)。17世紀の仏哲学者、パスカルの有名な言葉である▲自然界では弱者にすぎない人間が考えることで生存を続け、繁栄してきた。天才科学者でもあった賢人は「だからよく考えるように努めよう」と訴えた▲人工知能(AI)と共に生きる時代にも「考える葦」であり続けられるか。人類の新しい課題かもしれない。「生成AIを使うと勉強の効率は上がるが知識の定着は劣る」。ブラジルや中国の調査で同様の結果が出た。「考える努力を怠ったから」という仮説が唱えられている▲そんなAI時代の教育をどうするか。各国で模索が進む。お隣の中国は今春「AIプラス教育」行動計画を発表した。AI人材の育成が最大の目標らしい。文部科学省も次期学習指導要領にAIへの対応を全面的に反映させるという▲中学校には新教科「情報・技術」が導入される。人材育成の重要性を踏まえたものだろう。授業のAI活用も進める。教育現場の労働環境の改善につながればいいが、教える側の負担も増える。日進月歩の技術に遅れずに授業の質を保つのは容易ではあるまい▲それでもコピペを排し、情報の真偽を判断する思考力を養うなど各教科でAIにふりまわされない活用を重視しているのは心強い。パスカルは「私たちの尊厳の根拠はすべて考えることのうちにある」と記した。やはり「考える葦」でありたい。(毎日新聞・2026/09/02)

 「自然界では弱者にすぎない人間が考えることで生存を続け、繁栄してきた。天才科学者でもあった賢人は『だからよく考えるように努めよう』」(「余録」)と、パスカルは訴えたとコラム氏は言います。このパスカルの「箴言」については何度か、この駄文録でも触れています。「考える葦」とは、物を考えないであろう「葦」のように、大雨や大風にひとたまりもない、きわめて虚弱な「葦」である、その「葦」と同じくらいに「弱い人間」であることを忘れないように。パスカルはそういったのでしょう。考える力を深めていけば、ついには「葦でなくなる」「人間を、やがて人間の限界を超える」というのは、不正・邪悪な考えであって、どこまでも「弱い葦」である分際で「考える」、それが「人間」というものの条件だといった。2に2を足すと 4になるというのは幾何学の領域であって、人間の精神は繊細(弱い)であるのだから、考えを深めれば答えが見つかるということはないのだと、パスカルは直言したのです。合理的に考えることは可能だが、人間の生活(人生)は合理的にはいかないのです。

 間違いなく、器械・機械の使用は「人間力」を削ぐ(殺ぐ)。これは避けられないでしょう。だから、自動車に毎日乗りながら、足腰も衰えさせないということは無理な話。AI」と共生することはできましょう。でも、AIがでしゃばる分、人間の持ち前の能力は消える。それを知ってか知らずか、人間はわざわざ自分をさらに卑小なものにするのに時間とお金を費やしているのです。

 犬や猫は考えるかもしれない。でも水辺に揺れる「葦」は、おそらく思考しません。その思考しない、弱い存在である「葦」のような分際であることを忘れないで「考える」というのはどういうことか。コラム氏は肝心の「的」を外しているのではありませんか。考えれば考えるほど、人間ではなくなって、獣になるのもまた、人間です。苦心惨憺、刻苦勉励に勤めて獲得した平和、と思った瞬間、人間という狂気を持つ存在は戦争をはじめ、人を殺める。それこそが人間です。「私たちの尊厳の根拠はすべて考えることのうちにある」といったパスカルの「言葉」は、彼が書き残した以上に、深い仔細があったということです。結論ではありませんが、ぼくは断言できます、「考える」というのは「迷う」、「疑う」ということ」でもあるのです。それ以上でも以下でもないようです。

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合従連衡は「右・左」と組む数合わせ

【斜面】本当の危機を案じる 「責任ある積極財政」ならぬ「責任ある中道改革勢力」という言葉を目にしたのは昨年9月。惨敗した参院選の総括で公明党が掲げた。高市早苗氏が自民党の総裁に就くと連立を解消し、衆院選を前に立憲民主党と中道改革連合を結成◆「反高市自民」の結集は構図としては分かりやすかったものの、組織票を当て込んだ皮算用は高市氏の人気を前に外れ、大敗を喫する。当時の野田佳彦共同代表は「中道の種火はともった」と強がったけれど、敗戦は双方に不満と不信の火を付けていた◆結党から約7カ月。事実上の分裂に至った。自民党と長く与党を組んだ公明と、与党と対峙(たいじ)した立民の垣根はやはり高い。安保や原発といった基本政策から異なっていた。結果だけを見れば高市総裁誕生による離合集散がもたらしたのは立憲民主という塊の解体だったともいえる◆中道の四分五裂は1強の自民をさらに勢いづかせるだろう。「リベラル政党には力がない」というイメージも広がるのではないか。結党の試みが浅はかだったと冷笑するのは簡単だが、行政府を監視、けん制する立法府の役割を思えば、とても笑えない◆中道分裂後の臨時国会はどうなるだろうか。ここで野党議員には、「責任」という言葉と与党に投じられなかった票の意味をかみしめてもらいたい。大局観を欠いて反目しあい、右往左往する醜態はお断りだ。多党が多弱のままでは、議会政治は力を失って民主主義が本当の危機を迎える。(信濃毎日新聞・2026/09/02)

 日本発の金融危機が始まっている、その瞬間に、いったい「中道」の連中は何をしようとしているのでしょうか。アメリカ主導の「円の防衛(それはドル防衛でもあるが)」も強力なマーケットにはほとんど意味をなさないばかりか、日本国債やアメリカ国債が投げ売りされる始末。気の遠くなる赤字国債の山を横目に、さらに膨大な特別国債(赤字国債)に依存しきった次年度予算の概算要求が、何んと144兆円になろうかという。さらにこの先「青天井」は必至というのだから、金の亡者でなくとも、目をむき、牙をむくでしょう。総理大臣も財務大臣も、あるいは官僚も、この国を亡ぼすために、その地位に恋々としている思わざるを得ません。一国の破綻では済まないのに。

 財務省の抵抗勢力は首相や財務大臣の「臭い」鼻息に一蹴され、あちこちに飛ばされ、散らばってしまう事態にあって、現内閣が世界の投資家から総スカンを食っているというのに、日本のメディアは何ひとつ盾突けないという、信じられないほどのテイタラクです。日本の長期金利は3%を超え、対ドル円は160円を突破している。ぼくは経済問題の素人であることを隠していません。そんな人間が昨秋以来の「安倍のミックス」なる大間違いの財政政策を継承し、案の定、国家経済を破綻に導いてきたにもかかわらず、それを取り上げ批判を試みるマスメディアがどこを探しても見られなかったという事実こそ、この国が「完全沈没」を余儀なくされていることを示していたのです。

 昨日、「中道改革連合」なる政党?を含めた「(仲間内」三党党首会談」の模様を垣間見たが、見るに堪えませんでした。中道代表のO氏が就任した際、ぼくは、この御仁はだめ、まず優柔不断で、右顧左眄が超得意。結局は自分を売ることに政治的魅力を感じ、生命をかけているだけの愚物、偽物と断じました。まさに彼は「蕎麦屋の釜」だともいった、その子ことは「いう(湯)だけ」と。その通りでしたね。彼は財務省出身の元官僚。その心根がどこにあるかわかるじゃないか。彼の親分格のN元首相もまた、いつだって「政権界隈」の住人だ。松下政経塾出身で、現首相と兄妹の関係を誇示さえしていた人物。要するに、「野党」の魂を権力に売り渡すために存在しているような議員だったのだ。「蛇の道は蛇」という。「じゃのみちはへび = 同類のすることは、その方面の者にはすぐわかるというたとえ」(デジタル大辞泉)つまり、身は「野党」でも、心は「与党」などと言う不謹慎な政治姿勢で、あれこれ言ってほしくないね。

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◎ がっしょう‐れんこう〔‐レンカウ〕【合従連衡】読み方:がっしょうれんこう《「合従」は、秦に対抗するために他の6国が連合すること、「連衡」は、秦が他の6国とそれぞれ同盟を結ぶこと》合従の策と連衡の策。転じて、その時々の状況に応じていくつかの勢力が結び合うこと。また、そのかけひき。《「合従」は、秦に対抗するために他の6国が連合すること、「連衡」は、秦が他の6国とそれぞれ同盟を結ぶこと》合従の策と連衡の策。転じて、その時々の状況に応じていくつかの勢力が結び合うこと。また、そのかけひき。(デジタル大辞泉)

◎ 呉越同舟ごえつどうしゅう〕= 《「孫子」九地から》仲の悪い者どうしが同じ所に居合わせたり、行動を共にしたりすること。また、敵対していてもいざというときには共通の困難や利害のために協力し合うこと」(デジタル大辞泉)

【小社会】健全な野党 1941年5月、ドイツ軍の爆撃で英国下院の議場が大破した。宰相チャーチルは再建に向け、建築と人間の関係をこう演説している。「われわれが建物を形作り、その後、建物がわれわれを形作る」
 再建を機に、他国のように議場を半円形にしてはどうかという声も上がったという。しかし、チャーチルは伝統的な長方形にこだわった。与野党が向き合って座り、激しい論戦を展開する。時には鋭いやじの応酬にもなる。
 「いまこの議場で国家の命運を決する重大問題を討議しているという緊迫した雰囲気が醸し出されてくる」(河合秀和著「チャーチル」)。下院は戦後、ほぼ元通りに復旧された。チャーチルが国会の論議、野党の存在意義を重視していた証左かもしれない。
 近年は崩壊もいわれるが、英国の二大政党制を日本は長く手本にしてきた。その理想も随分遠くなった。巨大与党の「数の力」を背景に強引な国会運営が目立つ高市政権。それを許している要因に多弱の野党がある。
 また多弱に拍車がかかるのか。衆院の野党第1党、中道改革連合の分裂が確定的になった。国会はこの先、「緊迫した雰囲気」を醸し出せるのかどうか。野党勢には巨大与党のチェック機能、有権者の選択肢の再生に重い責任があることも忘れてほしくない。
 英国といえば、高市首相が憧れるサッチャー元首相にもこんな言葉が残る。「民主政治に必要なのは健全な野党だ」(高知新聞・2026/09/02)

 【小社会】というコラムが書いています。「英国の二大政党制を日本は長く手本にしてきた。その理想も随分遠くなった。巨大与党の『数の力』を背景に強引な国会運営が目立つ高市政権。それを許している要因に多弱の野党がある」と。「野党勢には巨大与党のチェック機能、有権者の選択肢の再生に重い責任があることも忘れてほしくない」と、もっともらしいことを言います。それが新聞の役目だとでもいうように、ですよ。現内閣の勢いなど、あるいはほんの一瞬の「旋毛風(つむじかぜ)」、「熱帯低気圧」だと、ぼくは見ている。間を置かず「温帯低気圧」になる運命。五年も十年も続くとは考えられないし、というものの、その内実は、まるで軟(やわ)な「ガラスの器」じゃあないですか。盤石の強さは何処にも、誰にもない。頼るべきは、この国の現在・将来を誤りなきものにする「政治哲学」と実行力だけです。保守だ反動だというのもいいけれど、それはある種の遊芸・政治談議みたいなもの、そんな怪しい政治家どもの手玉に取られてたまりませんよ。分裂するのも時の企み。くっつくのも時の勢い。

 一面でも二面でも政治政党は「合従連衡」が常であるし、あるいはのべつに「呉越同舟」を繰り返しています。「昨日の友は今日の敵」、「敵の敵は仲間」、そんな離合集散を重ねて今日に至っている。これが日本の政治の姿だったが、だんだんに薄汚れ、スケールは小型化、まるで尋常小学校の「学級会」みたいなものに成り下がりました。それもこれも、ぼくの見立てでは、明治以来の「学校教育」のもたらした「一台帰結・成果」だったと思っている。自らが考え、他者の立場に思いを及ぼす、そんな余計なことを考えないで、ひたすら「今だけ・金だけ・自分だけ」を最優先にしてきた「優勢主義教育」にこそ、今日の国家退廃の最大の原因・理由があったのです。現職国会議員の「学歴」「学校歴」を一瞥すれば、ぼくの暴論は、まさに正論だと気が付くはずです。ここまでくると、「君は小学校しか出ていないのに、どうしてそんなに馬鹿なんだ」と、同窓生と久しぶりに会って、相手に放った上田庄三郎という元小学校訓導の「名言」を思い出してしまう。もちろん、大学出であってもかしこい人はいるでしょうが、国会議員の中には、たくさんはいそうにもないようにぼくには見えてしまう。

 【小社会】氏はコラムの最後に付け足しのように、サッチャー元英国首相の言葉を紹介している。「民主政治に必要なのは健全な野党だ」、と。まさか、この国をして民主主義の国とでも言いたいのでしょうか。暴力的な権力とその与党に必要なのは、それらに負けない「不健全な野党」だというのはどうでしょう。この国の現実の姿ですよ。でも大事なのは、こんな暴力ばかりを武器にする邪道政治は続くものではないと、ぼくは断言します。船の底に穴が開いているし、さらに穴をあけようとする「仲間」たちもいるのですから。「健全な野党」というのは紙の上(頭の中)の話かな。

 その昔、ぼくが大学生のころには「井戸塀代議士」などと呼ばれる政治家がいました。「政治家が政治や選挙に自己の財産をつぎ込んで貧しくなり、井戸と塀しか残らないということ。『―代議士』」(デジタル大辞泉)今でも、ぼくは何人でも、その名前を挙げることはできます。時代は変わって、今では「世襲議員」が政界を圧倒・睥睨(へいげい)しています。この輩を称して、ぼくは「井戸端議員」と呼ぶ。中身は言わない。

 【素粒子】

 分裂して増えていくのが細胞。分裂したら縮んでいくのが政党。
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 足し算をしても増えないどころか大きく減った。ましてや割り算をしても増えるとは考えにくい。
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 左派色を薄めなければ支持は広がらないと言われてきた。薄めたら支持ではなく空洞が広がった。
      ♭
 国民の多くが疑問に思った皇室典範改正に賛成した。真ん中を取りに行く政党には見えなかった。
      ♭
 3党に必要なものは新しい戦い方なのか。新しい考え方なのか。(朝日新聞・2026/09/01)

(ヘッダー写真は「2007年9月1日、ポーランドのラドム(Radom)で開催された航空ショーで、空中で接触し空中分解するアクロバット機」)(c)AFP/REPORTER/DAREK REDOS)

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「備えあれども憂いは残る」だね

【小社会】移ろう「防災の日」
 喉元過ぎればなんとやら。人は忘れる生き物だ。それにあらがう術(すべ)の一つが「○○の日」などと暦に栞(しおり)を挟むこと。そういえば昨日の本紙にキウイの全面広告が載った。きょうが「キウイの日(9月(きゅう)1日(いち))」だったから?
 9・1が喚起する最大の記憶はやはり、10万人超の犠牲者が出た103年前の関東大震災だろう。政府は1960年、この日を「防災の日」と定めた。
 ただ、国民の災害認識の変遷をたどった「災後の記憶史」(水出幸輝著)によれば、当時重視されたのは台風だった。制定のきっかけは前年に甚大な被害が出た伊勢湾台風。9・1になったのは震災の存在もあるが、台風の厄日とされる「二百十日」も根拠になった。
 むしろ関東大震災は当時、「忘れられた災害」だったという。在京大手紙では軽視する記述が目立ち、在阪ではローカル災害と捉えられた。それが今のような扱いになったのは、防災の日に毎年、記憶が再構築されたから。
 「記念日」効果の典型ともいえるが、対照的に伊勢湾台風は風化が進んだ。同著は、防災の日の役目は時代で異なり、それが「社会の災害に対する意識の変化」を映す、とする。(高知新聞・2026/09/01)(ヘッダー写真も「暮れる夏 ススキ輝く 高知県津野町の天狗高原」同新聞・2026/08/31)

 日本社会はいろいろな面で、末期症状を迎えているような、それを証明するような状況、惨状が続きますが、それでもいつかは季節も「移ろう」もので、本日が9月1日だからというのではなくても、昨日今日の天気の具合を見ていると、確かにあの猛々しかった猛夏も、ややしおらしくなったといいたくなるほどに、肌寒いくらいの陽気でした。もちろん、廻る廻る時代は廻る、です。人間でいうなら、「喜怒哀楽」という当たり前の情念が、それこそ寄せてはかえす海原の波濤のごとくに、止まるところがないようです。言うまでもなく、「関東大震災」の記憶も感触もない人間ですが、「防災の日」設定のきっかけになった「伊勢湾台風」は、験のいいものではなかったが、はっきりと心身にその傷跡は刻まれています。

 前年だったかに、小さな土地に小さな家を新築し、初めて「我が家」で一家がそろって生活を始めたばかりでした、その記念の「祝砲」だったか、「呪い」だっか。猛烈な勢力の台風が京都嵯峨の拙宅を襲ったのでした。ぼくや兄貴などは、家が壊れる、吹き飛ばされるのではないかと青くなったし、おふくろは風呂場に入り込んで「呪文」を唱えていた。そんな中にあっても親父は普段の生活通りに呑んで呑んで、鼾(いびき)をかいていた。台風一過というものを、目の当たりにした初めての経験だったと思う。幸いに、家は壊れず、普段の生活も崩れはしなかったと覚えていますが、各地の災害の傷痕を見るにつけ、「危険」「脅威」というものの本体・本性を観たような気がしました。

◎ 伊勢湾台風(いせわんたいふう)= 1959年(昭和34)の台風第15号のこと。当時、第二次世界大戦後最大の被害をもたらした。9月21日にマリアナ諸島の東海上で発生し、22日9時から23日9時までの24時間で実に91ヘクトパスカルも中心気圧が下がるなど、急速に発達した。最低気圧895ヘクトパスカルまで発達したこの超大型の強い台風は、その後もあまり衰えることなく北上、26日18時過ぎに潮岬(しおのみさき)付近に上陸したときでも、中心気圧925ヘクトパスカル、最大風速50メートル、25メートル以上の暴風半径は250キロメートルという勢力を保っていた。このため紀伊半島や東海地方では、最大風速30メートル以上の暴風となった。台風はその後、速い速度で本州を縦断し、富山湾から日本海へ抜け、東北地方北部に再上陸した。東海道沿岸にあった前線は台風の影響を受けて活発化し、九州を除くほとんど全国で大雨となり、とくに紀伊半島では、総降水量が800ミリメートルを超えた。(↷)

 この台風は伊勢湾に高潮を引き起こし、名古屋港で3.45メートルという観測史上最高水位の気象潮を観測している。全国の死者・行方不明者5098人のうち、伊勢湾沿岸の愛知・三重両県で4562人を占めた。桑名市と名古屋市南部などは、泥海と化し、数日間は交通や通信網が完全に麻痺(まひ)状態となった。海面すれすれの低地に都市が発展していった社会的条件が、被害を甚大なものにしていった典型的な例である。伊勢湾台風をきっかけとして、国土および国民の生命財産を災害から守るため、総合的、計画的な防災行政の整備と推進を目的とした災害対策基本法が1961年に制定された。(日本大百科全書(ニッポニカ))

 この当時、ぼくはまだ中学生だったと思う。9月21日が、この台風の発生日というのは縁起がいいものではなく、あるいはぼく自身の「第2の誕生」(実際に、天災が人間の生活を破壊することを知った、その契機となった日でした)だったかもしれません。以来、「防災」は無用であるとは思わないけれど、どんなに頑丈に家を作ったところで、壊れる時は壊れるという「諦念の本領」というものを持ったものでした。これは地震についても同じです。震度7でも大丈夫というのは、ある種の「観念論」「身の程知らず」であって、「砂上の楼閣」ではありませんけれど、地面自体が大きく揺れるのですから、その上にいかに堅牢な建物を作ろうと、どこまで行っても「泥濘(ぬかるみ)に立つ家」であることを避けることはできないのです。

 十五歳になるかならないで、ぼくは長明さんの「方丈記」の示すところの「奥義」を教えられました。

 「不知、生れ死ぬる人、 いづかたより来りて、いづかたへか去る。又不知、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主とすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つ事なし

 わずかばかりの土地建物に拘泥せず、世に名を成すという恥ずかしいことも経験したくないし、まして、1ミリでも他社に優れていたいという人生観を持つことができなくなったことは、ぼくにこの上ない幸いでした。そのうえで、もし余力があるならば、少しでも助けを求めている人の力になれればという思いで生きてきたのではなかったか。思いは深まり広がりはしましたが、ぼく自身のできることは年年歳歳、小さく小さく萎(しぼ)むばかりです。

 それでもなお、「意気軒高」といいたいところですが、やはりぼくには「吉田兼好」が、あるいは長命・長寿を願うはずもなく、どこまで行っても「鴨長明」流であることを免れません。それでいいのだ、と、またまた、その意を強くしている。無事に生きながらえても、いつか滅ぶのが運命です。そうであるなら、健康で長生きは「世の常」であり、ぼくには勿怪の幸いだ、と実証したいものです。命は有限であることが、あるいは、生きるものにとっては「最良の倫理」なのかもしれないと痛感している。

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It never rains but it pours.

【小社会】向かう先
 先週末、香川を訪れ、友人の車に乗り込むや、話題になったのが渇水と豪雨だった。「なぜこうも極端に違うんだろう。遠く離れているわけでもないのに」と友人。その通りだろう。 
 香川県民の水がめ、早明浦ダムが渇水に陥る一方、北陸地方は連日、大雨に悩まされている。今夏は千葉でも豪雨禍があり、西日本ではほかにも水不足が相次いだ。 
 天候が年々、極端になってはいないだろうか。国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)が、温暖化に伴い異常気象の頻度や強度が増すと予測したのは2022年。大雨や干ばつのほか、山火事や高温の一層の深刻化も指摘していた。 
 現実はそれを裏付けつつある。ネパールと中国の国境付近で発生した大規模な土石流災害も、温暖化の影響が取り沙汰されている。山岳氷河の崩落が引き金になったとみられ、穏やかな川は濁流と化し、国境の施設や集落を一気にのみ込んだ。
 それでも世界は戦争を続け、軍備拡張を競う。限りある知恵や資源を向ける先はほかにあるはずだが。 
 先人はここまで災害が多発する未来を想像していなかったにしても、人の愚かさが変わらないことは見抜いていたようだ。「一方には自然の災害があり、一方ではお互が愛し合う事もなく一人一人が勝手に暮らしているこんな世の中は全く地獄も同然と云(い)っても好(よ)いのだ」。鴨長明の「方丈記」を、作家の佐藤春夫はそう訳している。(高知新聞・2026/08/31)

 「降れば土砂降り」という。このところの異常豪雨は、まさに天井に穴が開いたがごとく、降れば土砂降りどころの騒ぎではなさそうです。また、「晴れれば酷暑」ともいいたくなるような灼熱の地獄です。石牟礼道子さんは「天の病む」と言われた。天と地が、人間の無際限の欲望の犠牲になったようなもの。水俣と福島をつなぐ、人間の業(ごう)の深さがもたらす、天地を狂わす営みを前に、一人の記録文学者の「表現」は「近代国家群の崩壊の端緒として」苦悩の中で紡がれたのだが、ほとんど無視されてきたという思いは、ぼくのような無知・無識の人間にも痛いほど身に染みてわかるのです。

・鬼女ひとりいて後むき彼岸花(石牟礼道子)
・向きあえば仏もわれもひとりかな(同上)

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「徒然に日乗」(1200~1206)

◎2026/08/30(日)「令和8年夏の『財政敗戦』 高市首相を待ち受ける金利急騰の剣が峰 食料品の8%の消費税率を引き下げる法案が秋の臨時国会で審議され、成立すれば来年4月から2年間1%に引き下げられる。10兆円の財源はまだ手当てできず、市場では財政悪化やインフレを懸念する金利上昇が続く。高市早苗政権は「財政敗戦」に陥るかどうかの岐路に立っている。/『国民会議は昭和16年の総力戦研究所のようなもの。減税財源や将来の増税の実現性に疑問が出たのに誰も首相を止められなかった』(以下略)」(日経新聞・2026/08/30)▼アメリカの財務長官が日本の財政金融を管理しているがごとく。円の自立はとっくに失われている。そして、かの国の財務長官の「神通力」も昔日の比ではなく、枯れてしまったやようだ。彼は「辣腕」を誇った投資家として世界から恐れられていたのだった。(1206)

◎2026/08/29(土)昨日から一転、終日曇天、ときには降雨も。劣島各地も不安定な天気模様だった。▼ネパールの豪雨による雪崩、崖崩れ、土砂災害等、惨劇を極めている。死者・不明者は三千名を超えるもいう。▼昨日の続きで、ネット接続にやや時間を取られたが、何んとか接辞できた。少し、本体をいじっただけだったのに、OS部分の変更や修正が必要となる。ただちに、これまで同様に使いこなせるとはいかないようで、しばらくは馴致する時間がいりそうだ。▼「ウォーシュ氏発言で日本の金利『上昇』・円「162円に下落」 市場関係者 米連邦準備理事会(FRB)のウォーシュ議長は28日の講演で、金融引き締めに含みを持たせる発言をした。日本の市場関係者からは、米金利の上昇を通じて日本の金利には上昇圧力、円安の進行が続くとの見方が聞かれた。/同日の米債券市場で米金利は幅広い年限で上昇(債券価格は下落)した。特に2年債など金融政策を反映しやすい年限での上昇が目立った」(日経新聞・2026/08/29)日米同時「金融危機」発生も「夢」ではない状況だ。なけなしの日本円は「紙屑」とは、戦後の再現のようで、ますます現実味が出てきた。(1205)

◎2026/08/28(金)パソコン修理完了で、大阪のS氏から、午前中に宅配便が届いた。さっそく、必要な部品を購入するために茂原まで。帰宅後に接続を試みたが、なにがおかしいのか、ネットがつながらない。日中の室温が32℃ 近くもあったので、本日は作業を中断、明日にまわす。▼「日経平均66,405.56 +273.58 NYダウ53,569.44 +105.56 ドル円159.66-68 +0.31円安 NY原油83.12 -0.41 長期金利2.920 +0.030」「7〜8月の円買い介入、総額15兆円 過去最大も市場なお円安圧力 財務省は7〜8月に総額15兆3993億円の円買い・ドル売り介入を実施したと発表した。米国との協調介入で円安の是正を図ったが、円相場は足元で1ドル=159円台で推移する。円高への相場のトレンド変化はみられない。介入は「時間稼ぎ」との見方が多い。/財務省が28日に7月30日〜8月26日の為替介入実績を発表した。円買いとして4〜5月の11.7兆円を上回り、過去最大となった」(日経新聞・2026/08/28)▼「協調介入」というと聞こえはいいが、要末うに円安防止のためになけなしの外貨を15兆円余も、いわばど溝(ぶに)捨てたも同然。この「外為基金」は国民の資産なのだ。さらに、溝に金は捨てられ、最後は国全体が溝の中に。(1204)

◎2026/08/27(木)強烈な暑さだった。いまにも雨が降りそうな気象状況だったが、夜まで雨はなかった。劣島各地では、酷暑あり、豪雨ありで、地球上各地ではまさしく「天変地異」の展示場のごとくだった。午後、ネット番組で一つの「対談」というか、「鼎談」なるものを観た。出演は佐高信氏と落合恵子氏。かなり前から、落合恵子さんは「病気療養中」だとの話だったが、とても元気で、一安心。佐高氏には、何年も前になるが、小生が担当していたる授業にき来てもらったことがある。お二人にお会いしたのは、もう二十年以上も前になるだろうか。(1203)

◎2026/08/26(水)「平均66,262.16 +405.73 NYダウ53,577.40 +160.24 ドル円159.05-07 -0.39円高 NY原油80.26 -2.10 長期金利2.885 -0.005」▼「ICC赤根所長『日本政府は法の支配守る努力を』 米制裁後も訴追継続 日経 【ブリュッセル=辻隆史】国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長は26日、日本記者クラブを通じてオンラインで記者会見した。トランプ米政権に制裁対象に指定されたことについて「正義は常にその対極にあるものに優越する。信念を貫く」と語った。/赤根氏は制裁を『法の支配の危機として捉えてほしい』と指摘した。ICCが無くなれば『力の支配が法の支配を駆逐していく過程に入ってしまう』と危機感を示した。日本国内でも『強い国に従っていればよい』という空気がはびこる危険があると説いた。/制裁後も職員の士気は高いと説明したうえで『これからも問題なく(訴追の)手続きを進める』と述べた。『制裁を受ける理由はない。ICCは決して負けない』とも強調した。(以下略)」(日経新聞・2026/08/26)▼茹だるような暑さが続いている。本日も福岡県内では40℃超を記録している。どこまで続くのか、この酷暑。沖縄奄美地方では台風う18号の洗礼を受けている。まだ劣島近海には台風の卯がつづいてい発生しているのだが。(1202)


◎2026/08/25(火)
「日経平均65,856.43 +328.34 NYダウ53,417.16 +140.15 ドル円159.45-47 +0.30円安 NY原油84.60 -0.41 長期金利2.890 +0.010」(日経・2026/08/25)▼「再び1ドル=160円の節目が迫る。日米円買い協調介入は市場を驚かせたが、政府の思惑通りに円高は進まなかった。逆に、日本の需給環境の変化を背景に実需の円売りがじわり強まっている。市場では実需マネー主導で歴史的な円安が進んだ2022年秋の記憶がちらつき始めた。/次の注目点は日銀の金融政策決定会合だが、市場はすでに秋の利上げを織り込み済みだ。よほどの演出を講じない限り、市場への反応は限定的となりそうだ…」(同上)▼円安、つまりは日本国債の投げ売りは「どうにも止まらない」勢いを示している。当然のことだが、物価高騰はさらに進む。「物価高騰維持せ策」が「責任ある積極財政」というのだ。日銀の金利あげ」が神通力を持たないのは、米国自体が「ドル売り」を迫られているからだ。日本政府の「悪意ある財政運営」は、次年度の「概算要求は130兆円超え」というのだから、開いた口が塞がらない。この先、ますます「物価高」を呼び込もうとしているのだから、破天荒の経済・財政運営を世界に知らしめしているのだ。国家財政破綻は目前に迫っている。(1201)

◎2026/08/24(月)例によって、円安、長期金利上昇・下降の推移をみると。「日経平均65,528.09 -488.27 NYダウ53,277.01 +517.80 ドル円159.21-23 +0.39円安 NY原油85.37 -1.69 長期金利2.880 +0.005」▼「与野党議員でつくる『人権外交を超党派で考える議員連盟』は24日、米政権が国際刑事裁判所(ICC)の所長らを制裁対象に指定したことを巡る日本政府の対応について『諸国と比べて段違いに弱い』と批判する声明をまとめた。/高市早苗首相が「残念」と述べたことには『感想であり意思ではない』と断じ、抗議と即時撤回要求を表明するよう求めた」(日経新聞・2026/08/24)▼「『オバケに会ったことはないが、ゴキブリに会って叫び声を上げていた』」高市早苗首相は22日、自身のX(旧ツイッター)で、首相公邸での暮らしぶりの一端を明かした。官邸に隣接する公邸は『二・二六事件』などの舞台になった過去があり、幽霊が出るとのうわさが絶えない」(時事通信・2026/08/22)官邸全体が無能・無粋で、国民の多くは窒息しそう。政治・政策ではなく「ゴキブリ」「アイロンかけ」という茶飯の披歴に及ぶ、この官邸の「下﨟(げろう)」「ゴーストライター」たちは(誰が書いたのかな)は、「ここにいてはいけない輩ですよ」(1200)

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