【小社会】忘れてならない人
太平洋戦争に関係して忘れてはならない人たちがいる。思い返す人はそれぞれで違うかもしれないが、10年前の9月18日、101歳で亡くなった杉山千佐子さんもその一人だ。
軍需工場があった名古屋市は繰り返し米軍の空襲を受けた。1945年3月24日、防空壕(ごう)が爆風でつぶれて生き埋めとなる。大けがをして左目を失明した。
当時29歳。傷痕を見て「死にたい」と思った。しかし、信仰心や友人の励ましで「生きよう」と考え直した。戦後、旧軍人や軍属らには国から補償が出た。民間人には被爆者らを除いて何もなかった。
「こんな不公平なことが…」。戦災傷害者の組織を一人でつくり、救済法制定の活動を始めた。50代のことだ。賛同する国会議員らが何度も法案を提出したものの廃案となる。
45年7月4日の高知では大空襲の後、電車通りを西へと進む長い長い列ができた。家財道具を積んだ荷車を引く人、汚れた服を着て疲れた表情の親子…。けがをして、家族を亡くした人もいただろう。当時見た人からそんな話を聞いた。
戦時中、同じような光景が全国各地であった。だが、空襲被害者の正確な数はいまだに分からない。詳しい調査を国がしていないからだ。ドイツやフランスは軍人、民間人の区別なく補償してきた。何という違いか。日本政府は「戦後最も厳しい安全保障環境」と強調して、防衛費の増額を目指す。ただ、やるべきことはもっとある。(高知新聞・2026/09/25)
【産経抄】足元も空も不安、千葉・印旛沼が決壊 ナウマンゾウの化石は日本各地で見つかっている。同じ1頭の骨や歯がそろっているケースは、さほど多くない。千葉県では昭和41年に、印旛沼の水路開削工事の現場からほぼ完全な形で発掘された。約3万年前の化石だという。▼それにまつわる物語が何とも切ない。「水浴びにでも来て沼に落ち込んだものと考えられます」。印西市のウェブサイトには、そんな解説がある。印旛沼はもともと、広い内海の一部だったとみられている。干拓事業により、いまの北沼と西沼に分かれたのは戦後のことである。▼沼の周辺は、その北側を流れる利根川の水かさが大雨で増す度に、水害に泣かされてきた。享保、天明、天保。江戸中期から後期にかけて行われた3度の治水事業は、膨らむ工費や幕閣の失脚などが災いし、いずれも頓挫した。哀史といってよい。▼そんな地勢を踏まえ、雨続きの8月以降は沼の水を排水ポンプで利根川などへ流し続けていたと聞く。にもかかわらず、台風25号のもたらした大雨により沼の堤防が決壊した。近隣の佐倉市など広範囲に及んだ浸水は、もはや経験則では防ぎ切れない災害の現実を物語っている。▼命を守る行動に移るタイミングは、ここ数年で2拍も3拍も早まった感がある。異変のにおいをかいでからでは遅い。自分はどんな街に住んでいるのか。ハザードマップはむろん、地歴や災害史まで頭に入れることも、わが身を救う護符になろう。▼<日本中安全地帯ないと知る>玉井仁子。きのうの本紙「テーマ川柳」に、そんな一句があった。足元も不安なら頭上も不安、至る所が頼りなく見えてならない。標本となったかのナウマンゾウも、節度をなくした空を複雑な思いで見上げているのではないか。(産經新聞・2026/09/25)

日本中に張り巡らされているのでしょうか。「日本列島を、強く豊かに。」という看板。これを昨年10月の党総裁選のキャッチフレーズとして、さらに本年2月の衆議院選挙の党の「公約」としてそれこそ、何百何千と幟(のぼり)やポスター、あるいはテレビコマーシャルとして訴え続けてきたことは周知の事実です。過去十年の間に生じた自然災害等を一瞥するなら、確かに、「この国を、強く豊かに」しなければならなというのは、ぼくにもわかります。政治家の仕事は国民の生命(健康)と財産(安全)を死守することにあるのですから、そのためにどれほどの「税金投入」がなされようとも、結果を得られれば、納税者(ぼくを含めて)は納得するのではないでしょうか。

今夏は、ことさらに豪雨(台風も含む)によってこの劣島は痛めつけられています。その被害の状況や犠牲者の数もかなりなものになっています。そのような悲惨な災厄を目の当たりにすると、「日本列島を強く、豊かに。」というのは選挙目当ての「スローガン」だったということは明白でしょう。「ガセ」だった。さらに言うなら、「強く豊かに」と絶叫している足元で、この島社会は天変地異に見舞われ放題であることには、無関心だということです、この政治家たちの姿勢は。「それ(自然・人為災害)はそれ、これ(選挙公約)はこれ」と、まさに絵にかいたような「口から出まかせ」としかぼくには聞こえない。

つい数日前には、千葉県を豪雨が襲い、各地・各所で大きな被害が発生していますが、中でも特筆に値するのは「印旛沼の堤防決壊」ではなかったでしょうか。印旛沼の干拓は江戸時代から大掛かりに行われてきましたが、今なおその完成形をみないとも言えます。未曾有の集中豪雨だったから、堤防が決壊したのは仕方がないともいえますが、何百年という時間をかけて、鋭意「干拓」を進めてきた揚げ句の「堤防決壊」「沼水氾濫」という現実をどう見ればいいのでしょうか。ぼくは1985年から30年ほど、佐倉市に住んでいましたので、この印旛沼には何度となく出かけたものでした。そのために、干拓の歴史の後を追っかけたり、現在の沼の自然や干拓によって生まれた水田地帯もしばしば歩いてみたものでした。今回の「堤防決壊と氾濫」の状況をテレビ報道等で見るにつけ、どれだけ万全を期しても、これで安全ということはないものだということを見せつけられています。

もちろん自然による大災害の発生を一内閣や一政党の責任にするつもりではありませんし、誰であれ、責任の取りようもないというのが実際でしょう。しかし、劣島の成り立ちからして、いつ何時「大自然災害」が起こっても不思議ではないという環境条件下にある以上、文字通り「日本列等を、強く豊かに。」は当たり前の政治課題であるはずです。しかし、国土強靭化といい、災害に強い国造りといい、その上での「日本列島を、強く豊かに。」を、いつでも声高に公言(広言)するのは実はある種の戦略というか作戦というか、自党や自分の作る政府・内閣に有効な選挙公約であり、あるいは、結果的には特定の企業を利するための「政治戦略」だったというほかないようにも、ぼくには思われます。必要以上に国家の強大化を論うのは、実際にはそうではないという自覚が働いているからなのでしょうか。それとも、国家は強くあるべきだが、国民のことは構っていられないという趣旨なのでしょうか。この傾向は、特に現内閣に著しいようにも見える。国家が大事、国民は無視、そんな性悪な性格をこの国は持ち続けてきたともいえるでしょう。

(いわづもがなのこと すべての新聞テレビ等の掲載写真を調べたわけではありません。しかし、そのほとんどが、日米会談の場面を示すのに、左に示した写真(ロイター提供)を使っていました(「国連総会に合わせて会談した高市早苗首相(左)とトランプ米大統領。9月22日、米ニューヨークで撮影」(2026年 ロイター/Kylie Cooper))。
この事実は何を示しているのでしょうか。同行記者撮影の写真ではなく、一外国通信社のカメラマンが切り取った「日(米)首脳」の写真です。この写真を見た瞬間に、ぼくは「ルパン三世」の「峰不二子」を想起しました。テレビアニメでの印象でしたが、この「女盗賊」には強烈なイメージを植え付けられていました。とにかく、この「女首相」をあの手この手で推し活するのが、部下の何よりの仕事というわけ。かくして、あっちを見てもこっちを見ても「色気づいた年増女の写真」ばかりだから、「彼女は本当に一所懸命だ」と勘違いするんですね。それが後方の狙いだという意味です。この「首脳会談」の動画を観れば、どんなに恥ずかしい「姿態(痴態)」をこの首相は世界に晒しているかがだれにもわかると思うのですが。
同業他社が挙って「同じ写真」を掲載しているという意味は、たぶん、この写真を決定版として「使うこと」という、サル筋からの「お達し(Directive・/ Instruction)」があってのことでしょう。サル筋は言うまでもありません。無能で恥さらしの「総理」を必死で「盛り立てる」のが主命の機関(機構)です。つまりは「猿回し(Monkey performance)」のサル遣いですね。峰不二子は、あるいは悪党サルだというのが作者のモンキーパンチ氏(本名は加藤一彦・1937~201)の意図したことだったと思う。(ある時期には佐倉市(印旛沼の近く)に居住され、ぼくも佐倉市在住当時は、よく市の広報活動などで知るところでした)

「LUPIN the Third -峰不二子という女-日本のテレビアニメ。放映は日本テレビ系列(2012年4月~6月)。制作:トムス・エンタテインメント。「ルパン三世」シリーズのテレビ放送40周年記念作品。同シリーズの登場人物・峰不二子を主人公にしたもの。(デジタル大辞泉プラス)峰不二子について(アニメ版)「誰もが見とれるグラマーな美女だが、自分の欲望に忠実な悪女で、目的のためならためらいなく他人を裏切る。TVシリーズでは、ルパンが苦労して手に入れた宝をルパンの隙を突いて奪い去るシーンが多いが、その後不二子に災いが振りかかったり、不二子は宝を入手できずに終わったことも多い。ルパン一味では五ェ門と同じように単独行動または別行動することが多く、劇場版もしくはテレビスペシャルでは途中でルパンと合流しているケースが多い。また、ときどき政府機関や各国政財界の大物から特別な依頼を受けることがある」(Wikipedia)
【小社会】忘れてならない人
太平洋戦争に関係して忘れてはならない人たちがいる。思い返す人はそれぞれで違うかもしれないが、10年前の9月18日、101歳で亡くなった杉山千佐子さんもその一人だ。
軍需工場があった名古屋市は繰り返し米軍の空襲を受けた。1945年3月24日、防空壕(ごう)が爆風でつぶれて生き埋めとなる。大けがをして左目を失明した。
当時29歳。傷痕を見て「死にたい」と思った。しかし、信仰心や友人の励ましで「生きよう」と考え直した。戦後、旧軍人や軍属らには国から補償が出た。民間人には被爆者らを除いて何もなかった。
「こんな不公平なことが…」。戦災傷害者の組織を一人でつくり、救済法制定の活動を始めた。50代のことだ。賛同する国会議員らが何度も法案を提出したものの廃案となる。
45年7月4日の高知では大空襲の後、電車通りを西へと進む長い長い列ができた。家財道具を積んだ荷車を引く人、汚れた服を着て疲れた表情の親子…。けがをして、家族を亡くした人もいただろう。当時見た人からそんな話を聞いた。
戦時中、同じような光景が全国各地であった。だが、空襲被害者の正確な数はいまだに分からない。詳しい調査を国がしていないからだ。ドイツやフランスは軍人、民間人の区別なく補償してきた。何という違いか。日本政府は「戦後最も厳しい安全保障環境」と強調して、防衛費の増額を目指す。ただ、やるべきことはもっとある。(高知新聞・2026/09/25)

戦争犠牲者への国家賠償に、国による違いがあるのは当然といえば当然、しかし、頼みもしない戦争を始めて、多くの民衆が被った犠牲には「国は頬かむり」というのはいかにも惨(むご)いことでしょう。杉山千佐子さん(左写真・中國新聞)一人ではない、無辜の民の被った犠牲に対して、国家は一顧だにしないのが、この国の「習い性」なのでしょうか。ぼくは、生来といいたくなるのですが、「国家必要悪」という考え方を持ち続けてきました。もっと言うなら「無政府主義」で行きたいと。人間が集団をつくり、それをなんとか維持して生活を守るためには、何らかの持続的機構・組織は必要でしょう。それを「国」といってもいいし「政府」といってもよろしい。しかし、それは国民(成員)の安全と財産を守るための装置なのだというならまだしも、その装置や機関が「口を持ち」「権力を持つ」段階になるとどうなるか。いわゆる「権力の悪用・濫用」は不可避となるでしょう。この国の歴史を眺めれば瞭然とします。
国を強くし、国民の生活を守るという「デマカセ」を広言する政治や政治家にはほとほと愛想が尽きています。一日も早い退場を願うばかりです。
(ヘッダー写真は「印旛沼の堤防が決壊して冠水した農地(23日、千葉県成田市で)=宇野美咲撮影」読売新聞。・2026/09/23)(下の写真は「印旛沼の堤防が決壊し、冠水した一帯=千葉県成田市で2026年9月24日午前10時51分、本社ヘリから」毎日新聞・2026/09/24)

◎ 印旛沼干拓(いんばぬまかんたく)= 印旛沼干拓(いんばぬまかんたく)= 千葉県北部の印旛沼は,利根川水系の旧支谷を土砂が堰き止めてW字型の沼になったもので,沼面標高1m,最深1.8m,干拓前の面積21.3km2。江戸時代に干拓工事が3度(享保・天明・天保)試みられたがいずれも失敗。維新後にも計画があったが,着手されなかった。1946年(昭和21)国営事業として干拓工事が開始され,途中で工業用水確保のために北部・西部の二つの調整池が設けられて,69年に13.9km2の干拓地がうまれた。沼水は印旛沼放水路(新川(しんかわ)・花見川)から東京湾に排水される。(山川 日本史小辞典 改訂新版)
◎ 印旛(いんば)= 千葉県北部、印旛郡にあった旧村名(印旛村(むら))。現在は印西市(いんざいし)の南東部を占める地域。印旛沼の低地と下総(しもうさ)台地に広がる。1955年(昭和30)六合(ろくごう)村と宗像(むなかた)村が合併して印旛村となる。印旛沼に面する土地の意から命名。2010年(平成22)、本埜村(もとのむら)とともに印西市に編入。交通は鉄道、道路ともに幹線から外れて不便であったが、1969年(昭和44)以来、千葉ニュータウンの建設が行われ、2000年(平成12)には北総開発鉄道(2004年北総鉄道と改称)の延長敷設である都市基盤整備公団鉄道(2004年千葉ニュータウン鉄道と改称)が村の北西部の若萩(わかはぎ)まで進み、印旛村地区初の鉄道駅「印旛日本医大駅」が開業した。また、同鉄道沿いに整備された国道464号も通じる。中世千葉氏の支配を経て江戸時代には一部が佐倉藩堀田氏の所領となった。近世、印旛沼の干拓が進められたが、1969年水資源開発公団(現、水資源機構)によって干拓が完成し、沼は二分された。農村地帯で米が中心的産物である。県立印旛手賀自然公園に含まれ、釣り客が多い。

印旛沼氾濫500ヘクタール浸水か 国交省、緊急復旧を支援 堤防決壊 台風25号 台風25号の記録的な大雨により北印旛沼(北沼)の堤防が決壊した氾濫で、推定の浸水範囲が約500ヘクタール(22日午後4時時点)に上ることが23日、分かった。千葉県などが明らかにした。国土交通省関東地方整備局は23日、堤防の復旧に向けて緊急災害対策派遣隊「TEC-FORCE」を派遣し、県などと現地の状況を確認した。
県と独立行政法人水資源機構によると、成田市船形干拓の堤防約100メートルが決壊した。北沼に流れ込む同市下方の農業排水路でも、堤防の決壊が確認されている。両岸の計約100メートルが被害に遭ったとみられる。栄町の長門川でも堤防が決壊した。/3カ所で発生した堤防決壊により、北沼東側の成田市と栄町で大規模な浸水被害が出ている。約500ヘクタールの浸水範囲は水資源機構がドローンを使い推定した。けが人は確認されていない。/北沼は水路で西印旛沼(西沼)とつながっている。22日午前4時半に西沼の臼井地点で、水資源機構が管理を始めた1968年以降で最高となる5・04メートルの水位を観測した。水資源機構は水位を低下させるため、二つの沼の水を排水する作業を続けている。/TEC-FORCEの派遣は、県が22日に要請していた。派遣隊は一般社団法人日本建設業連合会と緊急復旧を技術的に支援する。船形干拓の決壊は規模が大きいため、工事監督を含めて後押しする。今後、工事日程などを検討する。(千葉日報・2026/09/24)(上の写真も)
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