賛否両論のある「チャットGPT(Generative Pre-trained Transformer)」。公開されてから半年も経たない段階で議論百出です。これに似たプログラムはいたるところですでに使われている。この AI の「凄さ」「怖さ」は、似て非なる他のものとは桁が違うようです。ぼくは「人工知能」に興味を持っていないし、それが世の中に蔓延るのも好まない人間です。しかし、好みの問題ではなく、広範に、かつ深く浸透していくのが「進化現象(renovation)」です。ぼくは便利を何よりも優先したような生活(生き方)を選ぼうとはしないままで、八十年近くまで生きてきました。だから、携帯電話が流行りだした頃から、見向きもしないで今に至っています。「便利(convenience)」は「不便(inconvenience)」を排除することから生まれます。排除は除去を意味しません。一時的に不便を抑制・抑圧しているに過ぎない、いわば、不便を、押入れかどこかに隠しているだけなんですね。
不便と便利は諸刃の剣のようで、両者は背中合わせであり、どちらか片一方だけを所有(利用)することは出来ない相談です。限りなく便利な時代は、恐ろしく不便な時代でもあるのです。オール電化住宅は「便利」がワンセットで家になっているものでしょう。でも、電源に不都合が生じると、不便極まりない箱でしかないものになる。ぼくたちの依拠し、必要としている便利は、そんなものです。あえて言えば、「砂上の楼閣(House of Cards on the Sand)」みたいなもので、なにも起こらなければ結構だし、一旦なにかが起これば、ご破産になるような代物でもある。
昨日の午後から、今朝まで、どれだけ聞いているか。一人の女性ピアニストの street piano 演奏です。場所はさまざまで、茨城や奈良などの駅に置かれているピアノを弾いていることもありました。何度か耳にし目にしていたが、ゆっくりと立ち止まって聴いたことがなかった、すっかりはまってしまった感があります。おそらくは、小さい頃からピアノを弾いていたと思われますが、なにかのきっかけで、クラシックは止めて、もっぱら JPops や歌謡曲などがメインになったのでしょうか。詳しいことはわからないが、プロの弾き手と見受けます。何枚かの CD も出されていたり、リサイタル・ライブ(?)もやられているようです。奈良県の出身で、なにかがしたくて、親元を飛び出したと言われている。現在は埼玉県所沢近辺が拠点のようで、所沢駅のピアノをよく引かれているように思われます。
street piano は欧米でも盛んに行われている。決して見下した表現ではなく「大道芸」の一種だろう。戦前までは各地で「門付芸人」と言われて、盲目の三味線語りがおられた。有名なのは「瞽女(ごぜ)」でした。あるいは、高橋竹山さんなどは典型でした。何度か、彼のライブに出かけて心を打たれた。東北や北陸に多く見られたもので、今も亡くなった友人がこれらの記録を残すために何枚かのレコードにまとめて、世に出したことがあります。大道芸、あるいは吟遊詩人(a wandering minstrel)ならぬ、放浪ピアニスト、そんな感じがすると、ぼくはとても嬉しくなる。その昔、しばしばクラシックの「演奏会」に出かけていました。いかにも上品ぶった装いで、なんとも堅苦しいものがほとんどでした。音楽は文字通り「喜怒哀楽」の表現の一つで、それが「裃(かみしも)」をつけて演じ、聴くものになっていた。ぼくにはそぐわないものだったという気がしていた。今でももちろんクラッシクは廃れてはいないのでしょうが、ぼく流に言うなら、すべてとは言わないが、多くは「博物館所蔵品」の如きものではないですか。演奏会そのものが、遠くない将来に「歌舞伎」のような「無形文化財」として保存されることによって生き残れないのではないかと愚考しています。(歌舞伎だって、ことの始まりは、京都三条の鴨川堤で、出雲の阿国が待ったと言われている。遊芸の根っこになったものだったろう。文化・芸術(文芸)の解放が出発点にあった。それが、時の権力と結びつくことで囲われれものになっていたのです。庶民の芸、庶人の文化だったものですから、それが時代を遥かに隔てて、街中や駅中に生まれても、一向に違和感はない。
そこへ行くと、ストリート・ピアノは、今日あまり見かけなくなった「流しのギター弾き」のようなものでもあるのではないか。ぼくの後輩に、作曲も演奏も歌唱もやる音楽家の K 君がいます。今でもどこかで路上ライブをしているのか、あるいはぼくが知らないが、その筋では名が売れた音楽家になっているのか。ある時、彼は、ぼくのところに来て、「ビッグになりたい」と言われた。名が売れるのは「交通事故に遭うみたいなもの」「それは、危険ですよ」といったことがあった。彼は納得しなかったが、今でも、ぼくはそう思っている。名を売る、名が売れるというのは、「名は商品(売り買いの交換品)である」ということ、商品はいずれ消耗品として消えゆく運命にある。それでもという覚悟に反対する理由を、ぼくは持たない。言いたかったのは、いつしか自分の存念が通らなくなり、やがては不本意を託(かこ)つことになるかもしれないという「老婆心」ならぬ「老爺心」の発する言でした。
教室(教育実践の場)と同じで、そこに学び合う経験が生まれれば、どこであっても、そこが「教室(meeting room)」です。同じように、ピアノが置かれていて、それを弾く人がいれば、そこが演奏会場。それをどんなふうに聴こうが、それは聴き手の好みです。上にも書いた「ビッグになる」「名が売れる」というのは、行き(生き)方が狭められるということであり、言い換えれば、自由を剥奪されることになるんでしょうね。ぼくには「籠の鳥の自由」はいらなかった、とどこかで「ストピ」をしているかもしれない、若い友人の K 君(→)に、いまからでも届けたい、余計な一言です。もうかれこれ十年ですかね、彼と一別以来。「いいしょう」(井伊翔子?)さんの演奏がこれからも、いまと同じような気持ちで聴きたいし、聴けるといいですね。ここにも「人生の流儀」のひとつがあります。コバケンさんにも、どこか(ネットであれ)でお目にかかれるような予感がしています。多彩に音楽を(囚われ状態から)解放するための、多くの「吟(弾)遊詩人たち」のご健闘を祈ります。