降れば土砂降り、晴れれば酷暑の候

【速報】千葉県内にレベル5大雨特別警報・土砂災害特別警報 直ちに身の安全の確保を 線状降水帯直前予測も 「危険度が急激に高まるおそれ」 気象庁 
気象庁は13日午後10時40分時点で、千葉県内に、「レベル5大雨特別警報」と「レベル5土砂災害特別警報」を発表している。災害がすでに発生している可能性が極めて高い状況であり、直ちに身の安全を確保するよう呼びかけている。
また、気象庁は午後10時48分に線状降水帯直前予測を発表。北西部、北東部、南部では、今後3時間以内に線状降水帯が発生し、非常に激しい雨が同じ場所で降り続く可能性が高まっているとし「命に危険が及ぶ災害発生の危険度が急激に高まるおそれがある」としている。
千葉県内の警報・注意報は以下の通り(午後10時40分更新)
▼レベル5大雨特別警報
千葉市、市原市、佐倉市、四街道市、八街市、印西市、白井市、市川市、船橋市、松戸市、習志野市、柏市、八千代市、我孫子市、鎌ケ谷市、茂原市、東金市、大網白里市、長柄町(以下省略)(千葉日報・2026/08/13)

 (ヘッダー写真:「冠水した道路では複数の車が立ち往生する中、水につかりながら歩く人たちの姿があった=2026年8月13日午後9時16分、千葉県市川市、柴田悠貴撮影」朝日新聞・2026/08/13)

 人の何倍も天気予報が気になる人間だと思っている。今に始まったことではない。小さいころからの習性のようなもの。一昨日から降り続いていた雨は、昨日は終日にわたって、まさに「豪雨」だった。案の定、夕方には県内各地で複数回(全25回とも)の「線状降水帯」の発生が報告された。浸水や崖崩れも出たし、犠牲者(水没車内での)も出たほどの、激しさだった。当地に越してきた直後、土地の大工さんに頼んで物置を改造して「書庫」を作ってもらった。まさにガラクタのような蔵書が収まり(入りきらない書物等は無数に出ましたが)、一安心した直後に猛烈な豪雨に襲われた。そして、なんと、書庫内の床上(コンクリート)まで浸水したのだ。幸いに書籍は無事だったが、水が引くまでに何日かを要しました。(左写真は市川市内、13日午後。千葉日報・同上))

 今回の集中豪雨で書庫内浸水、といやな記憶がよみがえったが、まだ書庫に入っていない。どうなっているかやや気にはなるが、水に浸かったのなら、それも仕方がないし、そうでなければ、勿怪の幸いと思っています。それとは別に、午後の八時ころだったか、かみさんに「この音は何だろう?」と訊かれた。台所の一か所で「ポトリ、ポトリ」という音がしている。雨漏りだと直感しました。天井部分をよく見ると、「天窓」が作られている、その直下部からの雨漏りらしいのがわかった。窓枠と瓦屋根の重なる(つながる)部分をコーティングしていたのが経年劣化で、隙間ができたか。どうもそこからのようだった。幸いにして、大したこともなく、雨が止めば、漏水も止まっている。(追記 ただ今、午後1時。書庫に入ったが、案の定、でした。浸水を防ぐ手立てを怠っていたのだから。乾くのを待って、少し手入れをしよう)

 それにしても、降れば土砂降り、晴れれば酷暑と、まるで他人事のように言っていたが、その当人が雨に打たれたのでした。もちろん、熊本地震の激甚さの比などではまったくない、まるで蚊に刺されたようなもの、それほどに熊本県内各被災地の窮状・災厄を思えば、大雨に降られたと口にするのも憚(はばか)られます。しかし、今回の集中豪雨で、県内では何人かの犠牲者も出ているのですから、「災害」だったのは事実。いつも出掛けるHCは大雨が降れば、店内に水が入ってくる、今回は大丈夫だったか、そちらも心配。近辺のいくつかの河川は、氾濫常習で、これまた、大いに気にかかります。県内の被害状況の全体もまだわからないが、またまた、台風17号が発生し、劣島方面を伺っているという。そんなにいつも伺わなくてもいいのにと思う。早い段階(6月頃)から、今年は「台風の当たり年」だといっていたが、その、いやな予測通りになった。まだまだ、先は長い、と気を揉んでも仕方がないのですがね。

 本日は、以下のコラムに触発されて駄文を書こうとしていましたが、早くに、次回回しと決めました。大雨のさなかでしたからね。一旦豪雨が止んでみれば、快晴一番、いかにも熱くなるぞお、と言わぬばかりの日差しがまぶしく厳しい。「庭の千草」ならぬ「庭の雑草」に関しては日を改めて、蛮声を張り上げるつもりです。「千草」というのは「➀いろいろの草。多くの草。やちくさ。➁露草のこと」(デジタル大辞泉)で、唱歌の原曲はアイルランドの詩人トマス・ムーア(1779―1852)が作った「夏の最後のバラ」だとされます。

【斜面】夏の草刈り 松本出身の歌人、窪田空穂がこんな歌を残している。〈雲よむかし初めてここの野に立ちて草刈りし人にかくも照りしか〉。東京から帰省したある夏の日。澄んだ空に浮かぶ白雲に託して、遠い昔の開拓者の労苦に思いをはせたという◆夏草はぐんぐん伸びる。民家の敷地周りや田んぼのあぜ、土手は、刈っても刈っても、たびたび手を入れなければ追いつかない。歌が詠まれた明治時代と違って今は刈り払い機があるから作業はずっと楽になったはずだが、炎天下、どっと汗が噴き出す◆長野市内の集落で作業を手伝った。手を休めて一息つくと、やぶに埋もれゆく棚田と空き家が目に入る。これでは鹿やイノシシ、熊だって里に下りてくるわけだと納得してしまう。「もったいないよな」。代々、ここで暮らす住民が、緑にのまれる開墾の跡を見やってつぶやいた◆人口減にはあらがいようもない。ただ、山や里は人間が生きる上で欠かせない水と空気、食料を育む場だ。自然に囲まれて子育てしたいと移り住む若手もいる。できる範囲だけでも、少しずつ「ずく」を持ち寄り、楽しく手入れする妙案はないだろうか◆そう思って本紙記事を探してみたら、ボランティアや事業で草刈りを応援する試みが各地にあると知った。会員制で畑や空き家を住民が管理したり、自治体が外部の協力者を募って集落の共同作業を手伝ったり。動物を近づけさせないよう高校生が刈り払いを担う例もある。とても心強い。(信濃毎日新聞・2026/08/14)

(⁑「庭の千草」 歌・関屋敏子https://www.youtube.com/watch?v=qZADqU9GfkQ&list=RDqZADqU9GfkQ&start_radio=1)(小学校唱歌、作曲は里見 元歌はアイルランド民謡。(1884年発刊)

◎ 関屋敏子(せきやとしこ)(1904―1941)= ソプラノ歌手。東京生まれ。祖父はフランス貴族ジャンドル将軍で、15世市村羽左衛門(うざえもん)は母の兄にあたる。幼時、三浦環(たまき)に師事し、東京音楽学校中退後は、歌をアドルフォ・サルコリ、作曲を小松耕輔(こうすけ)に師事。27年(昭和2)ミラノに留学、スカラ座の試験に合格し、プリマドンナとして各地を巡り、29年に帰国。翌年、山田耕筰(こうさく)指揮・演出の『椿姫(つばきひめ)』に藤原義江(よしえ)と共演し、天性の美貌(びぼう)と美声で名声を博した。以後、欧米はじめ日本、アジア各地で精力的に演奏活動を行うかたわら、オペラ『お夏狂乱』、歌曲『野いばら』『浜唄(はまうた)』などを作曲した。37年柳生(やぎゅう)五郎子爵と結婚したが4年で協議離婚。オペラ『巴御前(ともえごぜん)』の作曲を未完のまま、昭和16年11月23日睡眠薬自殺を遂げた。(日本大百科全書ニッポニカ)

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強がりはよせヨと笑われて 淋しいと答えて泣きたいの

 【近事片々】
 「首相と面会はできるが、発言はできない」。長崎の被爆体験者、またも沈黙を強いられる。
      ◇
 長年の苦しみを直接訴える貴重な機会。許されたのは握手のみとは。
      ◇
 皆が「全部が全部、ありがたい」はずもない。発生から2週間余。酷暑の中、断水続く避難所生活を思う。
      ◇
 大地震すらプロパガンダに利用する醜悪さ。さながら「プロモーションビデオ」の視察動画にげんなり。
      ◇
 為政者のいびつな自己愛が招く不信。中東の防衛協定にみる「米国離れ」の必然。(毎日新聞・2026/08/12)

 慰霊・鎮魂の月間でもある八月も、いよいよ第四コーナーを回るところに差し掛かり、最後の直線に向かいつつあります。先月末の熊本地震の余震や余波はいまだ、方々にその災厄の後も影も残しつつ、さしもの「酷暑」も一服加減ですが、そうなることを願うばかり。しかし、それに負けずとも劣らない「台風」シーズンの佳境をも迎えつつあります。こころならずも、被害に遭われた方々に、深甚のお見舞いの挨拶を申し上げます。「海の日」があれば「山の日」があるのも道理で、昨日は、その「山の日」だったそうです。四十前くらいの元気盛んな頃に、各地の山に出かけたことを今更のように思い出したりしている次第です。海の事故も山の事故も、年とともに増加しているように思われるのはなぜでしょうか。毎日の生活と同様に、ぼくはいつだって、どんな場合でも「無理をしない」ことを心に刻んで生きてきました。海でも山でも、気を許すと、一瞬のうちに状況が一変します。何事においても無理をしないこと、それは大事なことですね。(右写真は東京新聞・2025/08/15)

 「近事片々」は毎日新聞のコラムで、これまたぼくの愛読コラムの一つ。いつも思うのですが、コラムで書けて、どうして紙面中心部で書けないのか、そんなことを常々訝(いぶか)しく思っている。首相の「無礼」には驚かないが、よくもこんな「非礼」「非道」ができるものと、ひたすら呆れかつ嘆くばかりですね。この人はまともではないという部分だけが赤々と輝いている。「為政者のいびつな自己愛が招く不信」で済む話ではないでしょう。国の経済を壊し、人民の生活を破壊し、それでも足りずに、東南アジア諸国をはじめとする、世界の国々を金融危機に陥れかねない状況を招いているのに、今なお、多くの有権者が「奈良の女」を支持するというのは、反社勢力が国を拉致したに等しいと思う。

【素粒子】
 海峡が開放されれば核合意なしでも勝利宣言して手を引きたい。それが大統領の思惑と米紙報道。戦前に時を戻すのが勝利ならば、戦争しなければよかったのでは。
      ♭
 勝ったことにすれば戦争をやめられる。何なら戦う前に勝ったといえば戦わずにすむ。ネタニヤフ氏やプーチン氏にも教えてあげては。世界に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけだというし。
      ♭
 記憶の風化を憂えるどころか、日々新たな憂いが積み重なる夏。日本にも皇紀なんか持ち出して戦前を思い出させる政治家がいて。(朝日新聞・2026/08/12)

 「素粒子」は米国大統領を揶揄し弄(いじ)っているのかもしれませんが、その大統領に「日本の首相は、私のファンだ(追っかけ)」と言わしめているだけでなく、ある筋(WH)の情報によると「彼女は気持ち悪い」と、大統領は言っているそうです。やることなすことは国辱者的であり、売国奴的ですね。日本で販売される「テスラ」がバカ売れしているという。その購入者にとんでもない補助金を約束したらしい。一台5百数十万円の購入に、およそ二百万円の補助金(国と地方自治体から)の付加だと、驚くべきプレゼントを大統領に差し出した。「一ファン」といわれる、揺るぎない証拠。貢物で歓心を買う、それが「外交」かい?

 「記憶の風化を憂えるどころか、日々新たな憂いが積み重なる夏。日本にも皇紀なんか持ち出して戦前を思い出させる政治家がいて」と、言葉を失うばかりの政治家連の「時代錯誤」どころではなく、時代への無感覚であり、こんな日本をだれがまともに評価するものかと思う。「熊本」「広島」「長崎」行脚で、彼女は何をまき散らしてきたのか。❶有言実行、❷有言不実行、➌無言実行、❹無言不実行という。首相は何番目か。あるいは、❶「言行一致」、❷「言行不一致」、➌「知徳合一」、❹「知徳不合一」なら、どれに当たるか。いずれも❷に相当する人だとぼくは思うが、どうでしょうか。総理の資格どころか、「人間の条件(human conditions)」にも欠けていると思うばかり。やがて、米国政権はこの首相を見限ることは間違いありませんね。(左写真は産経新聞:2025/08/14)

 「Tokyo、テスラ・モデル3が世界最安 都の補助で『294万円』 東京都が電気自動車(EV)購入時の補助額を引き上げた。上限は100万円から130万円となり、国のEV補助金と同額になった。国の制度との併用によって都民は最大260万円の補助を受けられる。米テスラの「モデル3」の実質価格は300万円を切り、世界の主要都市で最安となる。割安感が強まったことでEV普及を後押しする可能性がある」(日経新聞・2026/07/07)

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  高市首相、終戦の日の靖国参拝見送りへ 中韓の反発も考慮か

高市早苗首相は15日の終戦の日に合わせた靖国神社(東京・九段北)への参拝を見送る調整に入った。複数の政府・与党関係者が明らかにした。良好な関係にある韓国や、関係が冷え込む中国などと外交問題に発展するのを避ける必要があると判断したとみられる。
 首相は就任前、閣僚や自民党幹部を務めていた時期を含めて終戦の日などに靖国神社を参拝してきた。一方、首相就任直前だった昨年10月の秋季例大祭と今年4月の春季例大祭は参拝を見送った。/首相周辺は「最後は本人の気持ち次第だが、今はまだ参拝する時ではないだろう」と語った。【遠藤修平】(毎日新聞・2026/08/12)

 この問題に限らず、どうして「自分」で語らないのかと。勇ましい言葉を乱発はするが、いざ問い詰められると、隠れてしまう。人生「一人芝居」、いや「猿芝居」と端役に悟り、嘘に嘘を重ねて生きてきたまぎれもない「なれの果て」でしょうか。いずれ、米国もこの「首相」を見限るはず。放置しておけば「自国」が危なくなるのがわかっているから。「中韓との関係云々」といいますが、外交のなんであるかにも無知である人間が、隣国との関係をおもんぱかってなど、ありえない話。さる強力な「同盟国」の指令や指図あっての「中止」「見送り」だとするなら、本当に「英霊に誠をささげる」というのも真っ赤な嘘だったということ。「靖国神社」の「政治利用」ですね。許しがたい「不信心者」ではないでしょうか。

 高市氏「首相就いても靖国参拝」/やめれば「相手がつけ上がる」 
 自民党の高市早苗政調会長は19日、東京都内で講演し、自身が首相に就いた場合も靖国神社参拝を継続する意向を改めて示した。「日本国のトップになるようなことがあったら、ずっと参拝を続けたい。強い思いだ」と述べた。昨年9月の党総裁選でも同様の考えを表明していた。/首相参拝により想定される中韓両国などの反発を巡っては「途中で参拝をやめるといった中途半端なことをするから、相手がつけ上がる」と指摘。「淡々と続ければ、だんだん周りもあほらしくなり、文句を言わないのではないか」と語った。(四国新聞・2022/02/19)(写真右上:昨年(2021年)4月、春季例大祭に合わせ靖国神社を参拝した高市前総務相=東京・九段北)

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 強がりはよせヨ

強がりはよせヨと笑ってよ
移り気な性質(たち)よと 答えたら
それならば唇かみしめて
なぜ目をそらすかと 問いつめて

いつからこんなふうになったのか
子供のようには戻れない
強がりはよせヨと笑われて
淋しいと答えて 泣きたいの
(以下略)
(作詞・作曲 中島みゆき)研ナオコ・歌(1976年)

(⁑「強がりはよせヨ」研ナオコ・歌)https://www.youtube.com/watch?v=OAtH0M3Ho8o&list=RDOAtH0M3Ho8o&start_radio=1

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人の了見(料簡)になり切らないと

 【小社会】残暑 
 猛暑のせいか、いまひとつ生育が芳しくなかった庭の野菜が数日来、急に元気になってきた。暑さがほんの少し和らいだからだろう。◮セミの声も変わってきた。日中はクマゼミがまだにぎやかだが、夕方になるとツクツクボウシが鳴く。夜はコオロギも。夏も終わりの始まりか。昔なら寂しさも感じたが、温暖化が叫ばれるいまは何だかほっとする。◮ただし〈鳴きはじめたる法師蝉(ぜみ)も熱の中〉野見山朱鳥(あすか)。油断はできない。高知市はきのう、全国で最も高い気温37・2度を記録し、5日ぶりの猛暑日となった。8月9~12日のよさこい祭り期間中の気温としても過去最高だった。◮踊り子も観客の皆さんも厳しい残暑に悩まされたことだろう。後夜祭や全国大会があるきょうは、気温に加え、上陸した台風15号の動きも気になるところだ。異例の「逆走」コース。本州を西へ、西へと進んでいる。◮台風は通常、太平洋高気圧の縁に沿って北上する。日本付近に達すると偏西風の影響を受けて東向きに変わるが、ことしは状況が違うらしい。逆走も夏台風特有の「迷走」の一種なら、空にはまだ夏の気配が濃いのかもしれない。◮もう一つ。気象庁が「高温に関する早期天候情報」を発表した。8月後半は全国的に平年に比べ著しい高温になる見込みという。ツクツクボウシの声もこう聞き取る時代かもしれない。〈蝉はみな残暑残暑と鳴きゐ(い)たり〉高澤良一。引き続き警戒を。(高知新聞・2026/08/12)

 昨日は台風15号の劣島接近の報道を聴きながら、午後いっぱい、故柳家小三治さん(1939~2021)の「噺」「語り」をネットの映像でも観続けていました。ぼくが好き好んで寄席に出かけたり、残された記録で観たりする落語家は、今では一人もいなくなりました。実に寂しいことですね。そんな中で、その人の若いころから、身を入れて聴いてこなかったが、ご当人が60歳を過ぎたころから、がぜん面白くなった、味が出てきたというか、そんな「噺家(はなしか)」として、ぼくは小三治さんを熱心に聴き出しました。もちろん、残念なことには寄席に行く機会がなかったのは残念至極でしたが、その穴埋めのつもりでネット上の記録を散々に漁(あさ)りまくってきました。

 ぼくの勝手な当て推量ですが、彼は、言うなれば、関西落語の桂枝雀さん(1934~1999)に、落語に対する、あるいは落語家としての生き方そのものが瓜二つだったといえば言いすぎでしょうが、よく似ていたと思う。もちろん、ぼくが「瓜二つ」というのは、あくまでも勝手な推察です。でも、その根っこには「人間性」「芸に向かう姿勢」における「生真面目さ」がどんなときにも醗酵していたいた、そんな矛盾した人が醸し出す「面白さ」だったかもしれません。人間が真面目というのは、もちろん誉め言葉として言うのですが、その真面目な人間が「笑いの世界」で生きるとなると、ぼくには想像すらできない苦しみがあったというほかありません。年齢とともに二人の「落語」に対する距離感は隔たりを大きくしていったといえそうですが、それでも、まじめ人間が「笑い話」と格闘(葛藤)する、その真剣な勝負のなかから生まれた味わいが、二人にあったと思う。でも、そのその出方は全く異なっていたでしょう。(それにしても、枝雀さんの「真面目さ」は恐いものだったと思いました)

 小三治さんが、まだ二つ目のころだったか、師匠のこさん(五代目)さんに稽古をつけてもらったことがあった。こさん師匠は弟子を放任していたというか、放し飼いにしておき、細かいことは一切言わない人だったらしい。これは、その芸風でもわかりますね。小三治さんが話し終わると、たった一言「おめえの噺は面白くねえな」と、真顔で言って、その場からいなくなったという。これには相当に困ったと、小三治さんは何度も述懐しています。「でしょうね」と、ぼくはその師匠の言い草にも、弟子の困惑にも、共通していたものを感じていました。「真面目」ということについて、何かを言うつもりはありません。こさんさんは「不真面目」で、小三治さんが「真面目」というのではない。「真面目」の出方、表し方が根っこから違っていただけ。そんな風にぼくには感じられました。いろいろなことを思いながら、何時間か(午後いっぱい)、亡き小三治さんの話(噺)を聴いていました。

 もう一つ、これは昔から、とても気になっていたことでしたが、「そうだったか」とわが意を得たようにうれしくなったことがありました。こさん一門の兄弟子に立川談志さん(1936~2011)がいました。小三治さんよりも数年先輩格だった。昨日、「再確認」したことでしたが、以前にも、どこかで耳にしていたはずなのに、記憶に残ってませんでした。兄弟子の談志さんは、小三治さんのことをどう言っていたか、ぼくは全く知らない。「真面目臭くって、話がとんと面白くねえ」と、こさん師匠と同じような評価だった気もします。一方、弟弟子の小三治さんは、兄弟子をどう見ていたか、ぼくには興味がありました。

 それについて、ある「高座」での、話のついでのような話ぶりで、「あの人こそ、『これぞ落語というものをもっている』というべき、「輝ける星のような存在だった」と。「あるべき落語はこうでなければ」、そして「それを体現する噺家」になるような人だったとも。でも、そうはならなかったのは、返す返すも残念だといわれていたかどうか。ぼくは若いころ、談志さんを高座で何度か「経験」したが、好きになれなかった。落語家にしては「利口者」すぎたと思った。古くて狭い、「時代からおいて行かれた小宇宙」である落語界に生きるには、談志さんは「奔放」すぎた。あるいは世界が狭すぎたということだったろう。だからついに、その狭い落語界の天井に風穴を開けて、突き抜けてしまった、ぼくにはそんな思いがしていたものでしたから、小三治さんの評価に、「やはりそうだったか」と納得はしたが、違和感も残りました。

 談志さんがいなくなった落語界で、小三治さんは「わが意を得たように」活動された、その結果が「人間国宝」だったというのでしょうが、これにもぼくは驚いたし、彼自身も驚嘆したでしょう。真面目過ぎる落語家の行きつく果てが「人間国宝」「従5位」だったというのも、小三治さんらしいことだったか。皮肉な話だと思う。古今亭志ん生さんが、ある時に「お直し」という艶話(「女郎買い」)で「文部大臣賞」受賞に巡り合い、「文部大臣さんも粋ですなあ」と漏らしていたのを聞いたことがある。今なら、「共産党の元委員長」が文化勲章受章、それぐらいのインパクトがある話だった気がします。貰う落語家も、授ける役人も、どこか「落語的」ではないでしょ、ね。

 亡くなるまで高座に昇りつめていた小三治さん。その姿は、痛々しいものがあったと、ぼくは、まともには見ていられなかった。半日かけて、小三治さんの「噺」を聴いて、「真面目は恐い」とつくづく感じた次第でした。書きたいことは腐るほどありますが、お跡がよろしいようで。彼のことを思い出すと、いつだって、師匠から言われたとかいう「人の了見になれ」という、その「教え」を思い出します。「落語」の極意でしょうか。

 (⁑出囃子「二上りかっこ」 柳家小三治 )(https://www.youtube.com/watch?v=XV3hOjz2-1I

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◎ 立川談志【たてかわだんし】= 落語家。東京都文京区出身。本名松岡克由。1952年16歳で五代目柳家こさんに入門,63年立川談志(七代目だが本人は五代目を自称)を襲名し真打ちに昇進した。TV,ラジオのバラエティ番組などで軽妙,才気煥発なギャグと毒舌で人気を博したが,落語家としては,江戸・古典落語の正統な後継者を任じ,古典を現代的な感覚で演じることに終生執念を燃やした。83年,真打昇進試験制度をめぐって師匠の小さんと対立,落語協会を脱退して落語立川流を創設して自ら家元称した。1971年より参議院議員を1期努めている。得意演目は「芝浜」「野晒し」「首提灯」「蜘蛛駕籠」など。(1936~2011)(百科事典マイペディア)

◎ 柳家小三治(10世)『やなぎやこさんじ[じっせい])[生]1939.12.17. 東京,東京 [没]2021.10.7. 東京= 落語家。本名郡山剛蔵。東京都立青山高等学校卒業。学生時代にラジオ『しろうと寄席』で 15週勝ち抜き。1959年,5世柳家こさんに入門し,前座名は柳家小たけ。1963年二つ目に昇進し,柳家さん治と改名。1969年真打ちに昇進し,10世柳家小三治を襲名。古典落語の本格派として邁進,国立劇場で行なわれる『落語研究会』のレギュラーに抜擢される。その間,『お好み演芸会』(日本放送協会 NHK)の大喜利司会などテレビでも活躍。1981年芸術選奨文部大臣新人賞,2004年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2005年紫綬褒章受章。2014年重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。2009年ドキュメンタリー映画『小三治』が公開される。2010~14年落語協会会長就任。得意ネタは『芝浜』『死神』『野ざらし』『大山詣り』『小言念仏』『二人旅』『金明竹』など多数。『ドリアン騒動』など,落語の導入部にこだわりのあれこれを語るマクラ(枕)も魅力。著書『ま・く・ら』(1998),『落語家論』(2001)など。(ブリタニカ国際大百科事典)

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◎ 残暑(ざんしょ)= 暦のうえで秋になっても残る暑さ。立秋後の暑さをいう。残暑は稲作にとって望ましい天候である。この反対は早冷で、不作の一つの原因となる。陰暦の7月の異名を「餞暑(せんしょ)」というが、その意味はやはり残暑である。秋の季語。(日本大百科全書ニッポニカ)

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「慰霊の日々」は消化試合ではない

【国原譜】
 原爆が投下された広島と長崎で平和祈年式典が営まれ、次は15日の終戦記念日だ。8月は戦争について考えさせられる時でもある。
 長崎市長が「長崎を最後の被爆地に」と訴えていたが、今の世界情勢を見ていると、本当に大丈夫と言えるのか。ロシアによるウクライナ侵攻から4年半近くがたつ。
 今年は米国とイスラエルがイランを攻撃して、いまだに解決していない。緊迫している中東情勢とともに、極東のわが国の周辺も中国や北朝鮮の動きが懸念されている。
 いずれも核兵器を持った国々だ。先の平和式典に臨んだ高市首相は「非核三原則を堅持している」とあいさつしたが、将来に向けての明言は避けた。
 戦後81年の今年は、戦前のような空気が漂っているようにも見える。防衛問題が声高に叫ばれるし、そのことに違和感どころか、「日本は大丈夫か」の声が大きい。
 靖国参拝を続けてきた高市首相が、総理になってから一度も参拝できていない。中国など周辺国との関係を見ているからだろうが、今まで主張してきたことができないことに、忸怩(じくじ)たる思いだろう。(治)(奈良新聞・2026/08/11)

 ❶あえて、本日も奈良新聞を取り上げました。この「慰霊の日々」に、いったい総理大臣を輩出しているご当地新聞は何を騙(語)るか。いわば、これはぼくの「悪趣味」みたいなものといわれそうですが、当地新聞は何を書くか、ぼくにはあらかじめわかっています。多くを期待して、というのではなく、相も変わらない「提灯持ち」新聞で押し通すのであろうと。どこの新聞でも「唯一の戦争被爆国」とはいうけれど、その原爆を投下した国がどこなのかをはっきりと断言しないものが少なくなかった、その理由は何だろうか。現首相も、「81年前の朝、一発の原子爆弾によって、広島の日常は一瞬にして断ち切られ…」(8月6日、広島で)「81年前の今日、長崎の地に投下された一発の原子爆弾により、多くの方々の貴い命が失われました」(8月9日、長崎で)とあるごとく、まるで天から自然に原子爆弾が降ってきたとでも言いたそうにしている、その書きぶりは、きっと、もはや・すでに「報道統制」が暗黙の裡に、あらかたのメディア筋にできあがっているのでしょう。そして奈良新聞の「国原譜」の言いたかったことは、最後に出てきます。

 「靖国参拝を続けてきた高市首相が、総理になってから一度も参拝できていない。中国など周辺国との関係を見ているからだろうが、今まで主張してきたことができないことに、忸怩(じくじ)たる思いだろう」と、その心中を思いやって(思い図って)いる始末。今の時期の彼女の心中からすれば、「靖国は参拝する」であろうとぼくは見る。でも、行きたくても行けないという事情もあって、さて、どうしますか。彼女は「靖国オタク」ではないと見ています。「参拝」することのほうが政治家としての立場を有利にするという、「靖国への慰霊」を政治利用しているだけのこと。歴代の多くの首相に倣っているだけのことです。その意味は、「昭和天皇」は靖国参拝を、ある時期から辞めました。はっきりとした理由があったからです。それに反して、歴代首相の多くは「参拝の可否(有無)」決断は、自らの政治的立場上の有利不利を考えてのことだった。とするなら、最も許しがたい、「死者」の政治利用だったことは明らかではないでしょうか。

(*「昭和天皇が1988年に、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)について強い不快感を示し、「だから私はあれ以来(註1985年)参拝はしていない」などと語っていたとされるメモが、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)の手帳に残されていたことが分かった。昭和天皇は78年にA級戦犯が合祀されて以降参拝しなかったが、その理由はこれまで明らかになっていなかった。間接的なメモとはいえ、昭和天皇の合祀についての考えが公になったことで、今後のA級戦犯分祀論議や首相の靖国参拝問題などに影響を与えそうだ。/メモは、日本経済新聞社が遺族から入手し、20日の同紙朝刊で報じるとともに、同日写真で公開した」)(「昭和天皇の靖国参拝取りやめ、A級戦犯合祀が理由」日経新聞・2014/09/09)

 現首相が「参拝するか、しないか」、それはご当人にしかわからない性格のものであろうし、それを他人が予断することは、ぼく自身も避けたいと思っています。でも、強いて余計なことを言うのですが、彼女は「参拝する」と思う。でなければ、彼女の政治姿勢が「張りぼて(見かけだけのものや人、の意)」だったことが内外に明らかにされるでしょう。どちらにしても「犠牲者(御霊)の政治利用」であることに変わりはないのですが。

【夕歩道】
 9日の長崎市「原爆の日」平和祈念式典のあいさつを忘れまい。「今、地球上に存在する核弾頭は1万2千発以上。なぜ、これほど残酷な兵器に固執する国があるのでしょうか」と鈴木史朗市長。
 グテレス国連事務総長は「世界の軍事費は急増し、2025年に2兆9千億ドルに達しました。そして核兵器によるどう喝が横行しています」。8年前、氏は事務総長で初めて長崎の式に出席した。
 被爆者認定の不条理がいまだ残ると問うたのは平田研知事。「なぜ、広島で黒い雨に遭った方々が被爆者として認められ、長崎で同じ事情にあった方々が認められないのでしょうか」。戦後81年。(中日新聞・2026/08/10)

 ❷ 今なお、被爆者と被爆体験者という、長崎に特有の政治判断が、同じ「原爆被爆犠牲者」をいたずらに苦しめています。いわば「二重の被害者」としているのです。二重基準を設けた背景についてはここでは詳細は述べません。その方々の「救済」を政府はどうするか。いくつもの裁判はまだ続いています。あらゆる問題にどのように対応することが、自らの政治活動に有利か不利か。多くの政治家の判断基準はここにしかないのであって、この基準において、現首相は人後に落ちないどころか、図抜けている(「八方美人」?)とも思われます。「『被爆体験者』の皆様に対しましても、被爆者の方々と同等の医療費助成を、着実に実施してまいります」(「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典挨拶」2026/08/09』)

◎ 被爆体験者(ひばくたいけんしゃ)= 1945年(昭和20)の長崎への原子爆弾投下時に、爆心地から半径12キロメートル圏内にいながら、国が定めた被爆区域(爆心地から南北に約12キロメートル圏内、東西に約7キロメートル圏内の楕円形状)外にいた人たち。原則として被爆者とは認定されず、被爆者健康手帳を交付されない。被爆体験者は「放射線による直接的な身体への健康被害はない」とされており、健康状態に応じて被爆者に給付される健康管理手当、介護手当、葬祭料などの援護施策は受けられない。ようやく2002年度(平成14)になって、年に1回、健康診断のみで精密検査は対象外という「第二種健康診断受診者証」が発行されるようになった。この受診者証をもち、さらに健康診断の結果、被爆体験による特定精神疾患にかかっているとされた人にのみ、「被爆体験者精神医療受給者証」が交付され、被爆者と同等に、ほとんどの疾病の医療費(自己負担分)が無料となった。/なお、同じ被爆地の広島では、国が定めた被爆区域外で、原子爆弾投下直後に広島と長崎に降った、放射性物質を含む雨(いわゆる「黒い雨」)を浴びるなどした人は被爆者に認定(国の上告断念により2021年の広島高等裁判所判決が確定)されており、被爆体験者制度は設けられていない。/長崎の被爆後の施策をめぐっては、2000年代初頭から、「被爆者」との援護措置の差が大きいとして、「被爆体験者」から救済を求める声が後を絶たず、2007年以降、相次いで被爆者健康手帳の交付(被爆者認定)を求めて訴えが起こされた。2019年の最高裁判所判決で被爆体験者(原告)の敗訴が確定したものの、その後、一部被爆体験者が再提訴し、係争が続いている。ただし、前述のように2002年から長崎被爆体験者支援事業が開始され、「被爆体験者精神医療受給者証」をもつ人には被爆者並みに医療費が給付されるようにはなっている。(↷)

 もうひとつの被爆地である広島では、2021年に「黒い雨」訴訟で原告勝訴が確定したため、翌2022年4月には、黒い雨にあい、かつ、「11種類の障害(代表的な疾病:再生不良性貧血、肝硬変、悪性新生物、甲状腺(せん)機能低下症など)」のいずれかにかかっているという二つの要件を満たす人には被爆者健康手帳が交付されることになった。/一方、長崎では2023年4月から、「被爆体験者精神医療受給者証」をもつ人に限って、胃がん、肝臓がんなど7種のがんに対して医療費の助成が始まり、また、長崎県外に転出しても継続して援助が受けられるようになった。さらに、長崎地方裁判所は2024年9月に、被爆当時に長崎市の東側でも、「黒い雨」による被害があったとして原告の一部を被爆者と認め、手帳を交付するよう命じた。国はこの判決を受け入れず控訴したが、同年12月には被爆体験による特定精神疾患の要件を撤廃し、「11種の障害」のいずれかを伴う疾病にかかっている被爆体験者については、被爆者と同等の医療費給付が受けられるようにした。しかし、長崎では、すべての被爆体験者を被爆者と認定するよう求めており、被爆体験者訴訟は解決には至っていない。2024年(令和6)3月末時点で被爆体験者は約6300人。(日本大百科全書ニッポニカ)

【凡語】赤い夾竹桃 夏空の青に、花盛りの夾竹桃(きょうちくとう)が映える。81年前の朝も、<真っ赤だ>と長崎医科大(現長崎大)の永井隆博士は書きとめた。ただ<血の色に咲いて>とも添えた▼直後の原爆さく裂で<現在が吹き飛ばされたばかりでなく、過去も滅ぼされ、未来も壊された>。重傷を負いながら救護に当たるも、子らの行く末を案じつつ6年後に力尽きた▼残虐な放射線はおびただしい命を奪い、生をつないだ被爆者を苦しめ続けた。長崎を最後の戦争被爆地に-の願いを踏みにじり、大国は核兵器使用の脅しを強め、廃絶の願いを遠のかせている▼むごさを誰より知る日本でも、国是とする「非核三原則」の見直しを探る政権が生まれた。高市早苗首相は被爆地広島に立ち、今後も堅持するか「予断は差し控える」と言葉を濁した▼中国、北朝鮮など核保有国に囲まれた「地政学上の現実的対応」だと、核による抑止論が与党内で声高だ。ちょっと待って。核を向け返せば惨事を防げるのか。相手を上回ろうと軍拡を競い、先に攻撃される疑心暗鬼や過誤から戦端が開かれてきたことは、幾多の史実が証明している▼前広島県知事の湯崎英彦さんは「脅威を取り除く廃絶こそ現実主義」と訴え続ける。焦土でいち早く花開き、希望をもたらした夾竹桃を三たび焼いてはなるまい。(京都新聞・2026/08/09)

➌ 「(核兵器の)むごさを誰より知る日本でも、国是とする『非核三原則』の見直しを探る政権が生まれた。高市早苗首相は被爆地広島に立ち、今後も堅持するか「予断は差し控える」と言葉を濁した▼中国、北朝鮮など核保有国に囲まれた『地政学上の現実的対応』だと、核による抑止論が与党内で声高だ」(「梵語」)という姿勢を隠さない。さらに加えると、「我が国は、『非核三原則』を堅持しており、『長崎を最後の被爆地に』という誓いの下、『唯一の戦争被爆国』の使命として、『核兵器のない世界』の実現に向けた現実的かつ実践的な取組を推進しています)(長崎での「挨拶」で、8月9日)今は「…堅持しており」、今は「…取り組みを推進しています」と言ってのける厚顔さです。(左図は中国新聞・2026/01/10)

 広島における「記者会見」では「非核三原則について『政府としては政策上の方針として堅持している』と述べた。(「国是」ではないということ?)年末に予定する国家安全保障戦略など安保関連3文書の改定で非核三原則を見直すかどうかを問われ、『年末に向けて検討を進めている。書きぶりなどについて予断するということは差し控える』と述べるにとどめた」(毎日新聞・2026/08/06)

 この後、8月15日が巡ってきます。「日本劣島を強く豊かに」と戦い進めている首相陣営にとって、帰趨はすでに決していると思われます。「象徴天皇」「慰霊天皇」は、強い国家の形成には有害・無益な存在だからといわぬばかりに、「今上天皇」にあからさまな敵意を持っているのでしょうか。「今上」を「きんじょう」と読むのが習いでしょうが、それをあえて、「こんじょう」と読む「総理大臣」とは何でしょうか。「無知なだけでしょうか」「いいえ、無能かも」

 (右は昨年の「全国戦没者追悼式」日本武道館にて・2025/08/15)

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夕空晴れて秋風吹く 月影落ちて鈴虫鳴く

【天風録】生きていてよかったという日 母親に抱えられて登壇した女性は長崎の被爆者を代表して呼びかけた。「世界の皆さん、どうぞ私を写してください。そして二度と私をつくらないでください」。1956年8月に長崎で開かれ、日本被団協が結成された第2回原水爆禁止世界大会でのことだ▲渡辺千恵子さんは16歳で被爆し下半身不随となった。その身をさらし訴える姿は被爆者を勇気づけ、証言活動を後押しした。自ら亡くなる直前まで続けた▲長崎市の鈴木史朗市長がきのうの平和宣言で「長崎を最後の被爆地に」と改めて誓った。聞きながら、渡辺さんが最も力を込めた一節に思いを巡らせた。「私たちが本当に心から、生きていてよかったという日を一日も早く実現できますよう、お願いいたします」▲生きていてよかったという日はきっと核兵器が廃絶された日だろう。現実は遠のくばかり。核兵器は今や、大国によるむき出しの暴力の源だ。製造や核実験は新たなヒバクシャを生み続けている。被爆国の首相は廃絶を「理想」と棚上げにしたがる▲きょう結成70年の被団協は高齢化で存続の岐路に立つ。核廃絶は今を生きる一人一人の問題である。渡辺さんも「みんなの力で」と望んでいた。(中國新聞・2026/08/10)

 昨日付の北海道新聞コラム「卓上四季」にも渡辺さんの、同じ「経験」が記述されています。文字通りに、身命を賭して「反原爆」に生きられた人でした。その渡辺さんが亡くなられて、三十三年。被爆者は次々に亡くなられていく。やがて、全滅する。

権力者は、それを一日千秋の想いで待っているのでしょうか。

◎ 渡辺千恵子= 1928年に長崎県長崎市銅座町に生まれる。16歳の時、学徒動員で働いていた三菱電機製作所 本工場(長崎市平戸小屋町、現:長崎市丸尾町で被爆し、崩れた建物の下敷きになって脊椎を骨折、下半身不随になった。1955年に「長崎原爆乙女の会」の結成に参加し、それ以降、被爆者運動、原水爆禁止運動を行う。1956年8月9日、長崎市で開かれた「第2回原水爆禁止世界大会」において、被爆時の体験をスピーチした。その時の草稿は今も残されている。このスピーチで注目を集めた彼女は、国内だけでなく米ニューヨークでなど海外でも活躍を見せた。1982(昭和57)年第2回国連軍縮特別総会では、「核兵器は人間そのものを否定する」と述べた。1993年3月13日に死去(享年64)。なお、渡辺の半生を表現した合唱組曲として「平和の旅へ」がある。

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 理由もなく、「故郷の空」が口をついて出てきました。頭の中で、メロディが流れます。ぼくにとって、「故郷」とはどこだか、そんなことを考えるいとまもなく八十を過ぎてしまいました。大きく言えば「日本」という島邦でしょうか。小さく言えば、いくつもぼくには故郷があるといえそうです。そしてその「故郷」に広がっていた空は、たった一つ、世界に広がる、たった一つしかない空だったと思うだけで、こんな人間でも粛然とします。

 本日付の長崎新聞コラム「水や空」には、大事な指摘が述べられていました。コラムのタイトルの「水や空」について、かなり前に長崎新聞社の方から伺ったことがありましたが、今から思っても「水や空」は象徴的だったと思いますね。故郷の空、古里の水という意味で。「『81年間、十字架を背負って生きてきた私の記憶は、ただの昔話なのでしょうか』と嘆いた。被爆者の訴えが『今この時』と切り離された、昔語りにされていないか。そんな怒りの表明だった」と時代と社会を射貫くような本村さんの一撃に、ぼくは再び、慄然とさせられたのでした。

【水や空】八十年一日 56年前に出版された「日本原爆詩集」(太平出版社)には広島、長崎の被爆者の作品219編が収められている。被爆10年の頃に書かれた、長崎原爆の詩が何編かある▲詩人の風木雲太郎(かざきくもたろう)さんは「私の故郷は長崎です」という詩で〈疼(うず)き痛む悲しみは/十年を一日にふくらませて/ふる里の空をまっ暗に蔽(おお)う〉と、人々の悲しみが今も空を暗くするのだと書いた▲〈父よ/あれから十年です/僕は大きくなり/母は老いてきました〉。荒木博美さんは「父よ」と題する一編を残した。〈あの時と同じような/放射能は今も度々/僕達の心をすかして通るのです〉…▲焦土にはやがて青草が茂ったが、心の風景は十年一日(いちじつ)、何も変わらない。二つの詩はそうつづっている▲きのう、長崎の平和祈念式典で被爆者代表の本村チヨ子さん(87)は、世界で争いが絶えず「81年間、十字架を背負って生きてきた私の記憶は、ただの昔話なのでしょうか」と嘆いた。被爆者の訴えが「今この時」と切り離された、昔語りにされていないか。そんな怒りの表明だった▲十年一日どころか、八十一年一日のごとくよみがえる記憶を昔話にしていいはずなどない。風木さんに倣えば「八十一年を一日にふくらませる」のは、原爆を知る人と知らない人と、皆で成す営みにほかなるまい。(徹)(長崎新聞・2026/08/10)
「故郷の空」

夕空晴れて あきかぜふき
つきかげ落ちて 鈴虫なく
おもえば遠し 故郷の空
ああわが父母 いかにおわす

すみゆく水に 秋萩たれ
玉なす露は すすきにみつ
おもえば似たり 故郷の野辺
ああわが兄弟 たれと遊ぶ

⁑唱歌「故郷の空」)(https://www.youtube.com/watch?v=ep_Ob4t99wg&list=RDep_Ob4t99wg&start_radio=1

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「徒然に日乗」(1179~1186)


◎2026/08/09(日)長崎原爆投下の日、八十一年目だ。広島との「記念(祈念)日」についての対比(差異)が、一面では鮮やかに見て取れる思う。首相の「挨拶」も、その後の記者会見も、驚くほどぞんざいで、「本当に原爆投下」(被爆者」に関心がないのだということを感してしまった。実に「不人情な(heartlessness)」人間であると思う。「下等極まりない(Utterly inferior)」といいたくもなる。一刻も早く消え(辞め)て欲しい、というのが本音だ。(1185)

◎2026/08/08(土)高温多湿の一日。台風(13号・15号)の行方が気になる。▼本日は、日本市場は休業だが、他国市場は開いている。円相場は昨日の158円半ばよりは高くなったが、まだまだ危険水域にある。とにかく「責任ある積極財政」という有害な亡国政策を転換すべきであり、何よりも日銀は「金利」を上げるべきであろう。「日経平均 65,606.71 -76.55 NYダウ54,036.93 +151.83 ドル円157.81-83 -0.05円高 NY原油77.08 -0.21 長期金利2.785 +0.025」同じ新聞で。「高市早苗政権は2027年4月から2年間限定で実施する食料品の消費税減税を巡り、年5兆円規模の財源を探る。過去の政権にも期限付きの減税が先行し、財源論が後追いになった例がある。「見切り発車」は国民の不信を招き、政権基盤が揺らぐリスクがある。」(日経新聞・2026/08/08)▼「円」の運命をアメリカに握られている現状を、いかにして克服できるか。経済運営においても「主体性」を失っているのだ。▼(1184)

◎2026/08/07(金)珍しく雨が降る。強くはなかったが、それなりの湿り具合だった。台風15号、あるいは13号の影響か。▼「日経平均65,606.71 -76.55 NYダウ53,885.10 -464.02 ドル円158.40-41 +0.54円安 NY原油77.75 +0.46 長期金利2.795 +0.035」(日経新聞・2026/08/07)日米協調為替介入の効果があったのか。さらなる「介入」がささやかれているが、根本は日本が根本的に今の財政政策(インフレ頼み)変更がなければ、日本初のこの「危機状況」は去らない。ということは、つまるところ、現内閣(つまりは首相)が退陣するほかに方途はあるかという問題だろう。(1183)

◎2026/08/06(木)本日は「広島原爆投下記念の日」、そのニュースをネット見たが、年年歳歳、激しく「形骸化」「管制化」がすすんでいると思うばかり。いったい、だれがこの「記念式典」を主宰しているのか。「唯一の被爆国」という決まり文句(常套句)を使うのを止めたらどうか。小さな子どもたちに「誓いの言葉」を言わせるのを止めたらどうか。被災者や、その遺族の方たち、および、核廃絶を心底から念じている人々たちが中心になってやってはどうか。原水爆反対運動の「初心」を、今一度とり戻すべきだろう。「核問題」が政治や政治家の嬲(なぶ)りものにされている現実に、ぼくは居た堪れない感情を覚えるのだ。(1182)

◎2026/08/05(水)まだ体調はかんばしくない。衰えたものだと思う。少し早めに床に入る。(1181)

◎2026/08/04(火)「日経平均63,957.53 +202.63 NYダウ53,178.41 +693.38 ドル円157.57-58 +0.81円安 NY原油79.52 -0.82
長期金利2.855 +0.035」(日経新聞・2026/08/04)「7月30日から始まった政府・日銀の円買いの為替介入は、市場推計によると12兆〜13兆円規模だった。過去最高の2024年を上回る介入で歴史的な円安に歯止めがかかるのか。為替を取り巻くマクロ経済の構造や投資家の行動がカギを握る。/政府・日銀は7月30日と31日に介入に踏み切った。2日間で計11兆〜12兆円規模とされる。8月3日も実施したとの見方がある。今年は4月下旬から5月下旬にも約11兆7000億…」(同上)▼本日、夕刻、拙宅に来ることになっていた大阪のS君に対して、昼過ぎに電話をして、「体調不良で、申し訳ないけれど、故障したOSは貴君宅に送っることにしたいが、それでいいか」と訊ねる。昨日、短時間だったが庭作業をしたのが、堪えているのかもしれない。頭痛がして、立ち上がるとふらふらするので、暫時「床に就く」状態だった。老残の惨状だ。(1180)

◎2026/08/03(月)「日経平均63,754.90 -607.12 NYダウ52,485.03 +276.97 ドル円156.78-79 -3.42円高 NY原油79.24 -5.43 長期金利2.820 +0.025」(日経新聞)▼「日米両政府が28年ぶりに協調して円買いの為替介入に動いた。歴史的な円安に対抗し、一致して行動した意味は大きい。米国の協力は円安が日本の長期金利の上昇と連鎖し、世界の市場が混乱するという危機感の裏返しだろう。/問われるのは日本政府・日銀の政策対応だ。円安の背景にはインフレや財政悪化の不安がある。政府はまず財政支出を巡る節度を確立し、/日銀は利上げの出遅れ懸念を払拭する必要がある。(後略)(同上)▼ただいま現在の「日本発の危機」は、それがどういうもので、なぜそうなるのかを、現下の首相たちがいささかも理解していなところにある。「責任ある積極的財政運営」などというインフレ政策を止めないかというのが、米国の言い分。それでもなお突撃していこうとしているのが「当局」という、極めて危険極まる「お目出たい政府」と、金融当局の合体という不幸。「それに異を唱える人物出てこい。(1179)

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歴史を蔑如する為政者が、ここにいる

 * お断り。今週の「徒然に日乗」は別掲とします。これは「徒然に日乗」(1179~1185)の「起承転結」の「起」に当たります。「承転結」は、本日午前中には。いずれ後程に。(山埜)

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