
【近口木舌】小さな手で織った千羽鶴 小さな手で折った千羽鶴が手向けられた。名護市屋部地区の平和祈願祭。風の子保育園おおぞら組の園児たちが「世界が平和になりますように」と願いを込めた▼屋部中3年の荻堂志音さんは、ウクライナや中東で「私たちと同じような子どもたちや罪のない人々の命が毎日のように奪われている」と訴えた。81年前にこの島で起きた悲劇と同じ苦しみが、今も世界のどこかで繰り返されている、と▼金武町の戦没者追悼式では、「平和の誓い」を読み上げる児童生徒の頭上を、米軍ヘリが重低音を響かせて横切った。命の尊さを伝える言葉に、沖縄の現実が覆いかぶさる▼世界は危うさを増す。力の支配、勇ましい言葉。県平和祈念資料館の「むすびのことば」を思う。「沖縄戦の実相にふれるたびに 戦争というものは これほど残忍で これほど汚辱にまみれたものはないと思うのです」「この なまなましい体験の前では いかなる人でも 戦争を肯定し美化することは できないはずです」▼慰霊の日に、沖縄戦の教訓と子どもたちの願いを胸に刻む。次の世代に残すべきは誰も戦に巻き込まれない未来である。(琉球新報・2026/06/23)
(ヘッダー写真は「千葉県国府台女子学院6年生」・https://www.konodai-gs.ac.jp/blog-elementary/diary-elementary/45788/)

沖縄戦、八十一年の後。世界においてはいささかも変わらずに、言語道断の暴力が蔓延し、惨憺たる殺戮を繰り返し、昼夜を問わずに、無辜の民の頭上でミサイル弾を破裂させている。「屋部中3年の荻堂志音さんは、ウクライナや中東で『私たちと同じような子どもたちや罪のない人々の命が毎日のように奪われている』と訴えた。81年前にこの島で起きた悲劇と同じ苦しみが、今も世界のどこかで繰り返されている、と」「金武町の戦没者追悼式では、『平和の誓い』を読み上げる児童生徒の頭上を、米軍ヘリが重低音を響かせて横切った。命の尊さを伝える言葉に、沖縄の現実が覆いかぶさる」戦争反対を祈念・祈願する民の声を圧殺する戦争への意志、この相対峙する戦いのさなかで、ぼくたちは、偽りのない反戦と言われなき参戦の間の「戦いの事実」をいかにして受け止めるか。受け入れるのではなく、この非情極まりない「現実」を自分はどう受け止めるか、それが問われています。
毎年、総理大臣が沖縄にやってきて「型通りの挨拶」を読み上げかつ読み捨てて本土へと帰る。広島と長崎の原爆慰霊祭には時の総理大臣が同じ「言葉(コピー)」を臆面もなく読み上げたこともありました。死者への「冒涜と侮辱」の極みでもありました。もちろん、生きている人々にも最悪の侮蔑を見舞ったものでした。沖縄に来たある内閣の官房長官は、「私は沖縄の歴史はよく知らない」と、来沖の事情を語らなかった、いや語れなかったし、語ろうとはしませんでした。これもまた人をして、語る言葉を失わせる、こころない仕業だった。だれであれ、政権の座に就くと、「沖縄戦」(に限らず)からは、できれば目を背(そむ)けたい、歴史の事実としてはなかったことにしたいという、驚くべき姿勢をあからさまに見せつけてきました。自分が生まれていない時代の戦争だから、責任の取りようがないという趣旨の発言を繰り返す首相がいました。その当人が、本日の「慰霊の日」、式典に参加するという。過般にあった「昭和の日」の呆れ果てた振る舞いの、まさか「二の舞」になるのでしょうか。

醜態をさらし続けている彼女のことですから、そんなことはあるはずもないと、断言することがぼくにはできない。とにかく「戦争ができる国」へと、この国の現状を変貌・変質させることが自らの政治権力に託された使命だとはなはだしい誤解を抱き、それを強引にも敢行しようとしている、どの面を下げて「(在沖縄)平和の礎」にいかなる向かい方をするというのでしょうか。

もう何年前になるか。今は亡き友人と一緒に沖縄訪問を果たし、方々の戦跡や慰霊の場に足を運んだことを、いまさらのように思い出しています。その際、各所を案内してくださったKさんやその母上にも感謝の気持ちをいっぱい持ちました。案内してくれた女性は、米軍人と母との間に生まれた方だった。以来、交流は途切れていますが、皆さんお元気でおられるでしょうか。「慰霊の日」にはきっと、その姿を思い浮かべるのがぼくの習慣になりました。平和公園には何時間いただろうか。随筆家の岡部伊都子さんは「沖縄の骨」という本の中で、沖縄の地にはいたるところで「骨が埋まっている」と早くに書かれていました。
その「埋もれて、忘れ去られてしまった骨たち」を40年の時間をかけて「掘り起こしている人」がいます。具志堅隆松さん。今月の17日、国会内で「政府交渉」を行い、その場で記者会見が開かれました。「具志堅さんは歴代首相が6月23日に沖縄を訪れ、追悼式に出席してきたことを踏まえ『日本を戦争に巻き込むような発言をした人が、沖縄戦の戦没者に手を合わせるべきではない。発言を撤回しないのであれば(高市首相には)慰霊の日に沖縄に来ないでほしい』と訴えた」と報じられました。

口を開けば「平和のために」と言いつつ、もう一方の口では「存立危機事態」などという珍言を弄して「ある国と一戦を交える」と公言する、そんな人間が総理大臣であること自体が、「平和」にとっての最大の障害ではないでしょうか。「沖縄返還」に際し、核抜き本土並みと表明しながら「核持ち込み」を密約をしていたのがこの国の政府でした。時の総理大臣は、やがて「ノーベル平和賞」を受け取る。平和賞委員会のメンバーの一人は「彼に授けたことは委員会の最大の過ちだった」と、後年語りました。米軍基地がある限り、いつでも戦争への危機・加担は絶えないのです。今次の「イラン爆撃」にあっても在沖縄米軍は出陣しています。
壮絶な犠牲を払って(払わされて)、対米英戦争(第二次世界大戦)は終わった。沖縄に多大(過大)な犠牲を強いていた事実は消せません。にもかかわらず、再び同じ過ちを犯そうと、前のめりになっているのが現政府です。「慰霊の日」が、再度の「聖戦の日」への突破口にならないことをひたすら祈るばかりです。(首相の「挨拶」のおおよそは予想が付きますが、実際にそれを聴いた上で、なお書くべきことがあると判断した段階では「追記」をするつもりです)
(特筆大書すべきこともなく。でも、この場に臨んだことは間違いだったと、ぼくは指摘しておきたいですね。この女性宰相は「歴史」には無到着という以上に、無関心、いや、歴史意識がないのだということです。「沖縄慰霊の日」に語るべきものを持たないでは、語るべきではなかったと思いました。有り体(ありてい)に言うなら、お持ちの持病である「仮病」を理由に欠席されればよかった)(追記 午後 3 時に記す)

♫ 「月桃ゆれて 花咲けば 夏のたよりは 南風 緑は萌える うりずんの ふるさとの夏」「香れよ香れ 月桃の花 永久(とわ)に咲く身の 花心 変わらぬ命 変わらぬ心 ふるさとの夏」♫(「月桃」海勢頭豊作詞作曲)(海勢頭さんは、ある時期、ぼくが担当する授業に来てくださった。沖縄問題にかかわる数々の話と、自作の歌を披露してくださった。一別以来、何年になるでしょうか。お元気であることを祈念しています。しばしば、彼は沖縄の「ボブ・ディラン」と称されています) (⁑「月桃」(沖縄の歌):https://www.youtube.com/watch?v=HQkQmixSMqM&list=RDHQkQmixSMqM&start_radio=1)
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「発言撤回しないなら、高市首相は沖縄に来ないで」具志堅隆松さんが「慰霊の日」を前に国会で訴え 太平洋戦争末期の沖縄戦の犠牲者を悼む23日の「慰霊の日」を控え、遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さん(72)や遺族らが16日、国会内で政府交渉を行った。「沖縄を二度と戦場にしない」という平和への思いから、高市早苗首相の台湾有事発言の撤回などを求めた。(松島京太)
◆「存立危機」発言は沖縄を再び戦場にするということ
「このような要請をするのは、戦没者に対する最大の慰霊が二度と戦争を起こさないことだと思っているからだ」
具志堅さんは内閣官房と防衛省、警察庁の各担当者に要請書を手渡す際、厳しい表情で訴えた。

ガマフヤーの活動の中で、沖縄戦の遺骨が混ざる本島南部の土砂を名護市辺野古の新基地建設などに使わないよう、これまでも政府に求めてきた具志堅さん。
今回の交渉で特に問題視したのは、高市首相が昨年11月、台湾有事が「存立危機事態になり得る」と発言したことについてだ。
具志堅さんはこの発言に対して「沖縄を再び戦場にするということにほかならない。日本が攻撃されているわけではないのに、中国と戦争をする必要があるのか」と政府側に問いかけた。
◆戦没者の遺骨混じる土で辺野古埋め立てしないよう訴え
内閣官房の菅野理彩主査は、政府が説明してきた存立危機事態の定義を繰り返し「高市首相の発言は、政府の立場に沿った発言だ」と述べた。(写真左上:政府交渉に臨む沖縄戦の遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表=16日、国会内で(中村千春撮影)

具志堅さんは歴代首相が6月23日に沖縄を訪れ、追悼式に出席してきたことを踏まえ「日本を戦争に巻き込むような発言をした人が、沖縄戦の戦没者に手を合わせるべきではない。発言を撤回しないのであれば(高市首相には)慰霊の日に沖縄に来ないでほしい」と訴えた。
この日は、遺骨が残る本島南部の土砂を米軍基地建設に使う計画を巡っても「戦没者に対する冒瀆(ぼうとく)だ。この計画を撤回していただきたい」とあらためて求めた。
祖父を沖縄戦で亡くした千葉県の米本和歌子さんもマイクを握り、「遺骨に触らないで。あの一帯(本島南部)は私たちのお墓だ」と非難した。
防衛省整備計画局の上野耕平防衛部員は、本島南部の土砂はこれまでに使っていないと否定した上で、「今後の埋め立て土砂調達先は決まっていないが、このような歴史のある沖縄において、ご遺骨の問題は真摯(しんし)に受け止める必要がある」と繰り返した。

◆「慰霊の日は遺族と戦没者が向かい合う日」
近年の慰霊の日には、追悼式会場となる糸満市の平和祈念公園の「平和の礎(いしじ)」周辺での「過剰警備」も問題化している。警察官が大勢で立ち入ってお供え物などを調べた事例もあったという。
具志堅さんは「平和の礎の中は祈りの場だ。そこに入らないでくれというのが私たちの願いだ」と警察庁に求めた。米本さんも「入られたときはものすごく怖かったし、不愉快だった」と振り返った。
この日の交渉で要望が受け入れられなかったとして、具志堅さんは6月20日から沖縄県庁前で抗議のハンガーストライキを行うという。
「慰霊の日は遺族と戦没者が向かい合う日だ。落ち着いて慰霊ができるよう政府は考えてほしい」(東京新聞・2026/06/17)

【春秋】「平和の礎」に名を刻む 沖縄県本部町に住む根路銘シズさん(85)は父の記憶がほとんどないという。福岡県内の炭鉱で働いていた父は出身地の沖縄で召集され、1944年に戦死したとされている。詳しい状況は不明だ▼沖縄戦などで亡くなった人の名前を刻む「平和の礎(いしじ)」に今月、95人が加わった。父の松川清助さんもその一人。根路銘さんは3年前に礎を訪れ、父の名がないことに気付く。追加刻銘は、戸籍の表記が乱れていて家族の証明が難しく、今年になって実現した。「ようやく沖縄でお父さんのそばにいられる」。地元紙の取材に目を潤ませ、そう語っている▼きょうは沖縄戦の組織的戦闘が終わったとされる「慰霊の日」。礎がある平和祈念公園で追悼式が営まれる。戦後81年、刻銘は24万2659人になった▼地上戦に住民が巻き込まれた沖縄では、あまたの命が根こそぎ奪われた。「鉄の暴風」と呼ばれるすさまじい砲爆撃で、そして追い詰められた集団自決で。一家全員が亡くなり、存在を証明できる人がいない例も多い▼聞き取りやわずかな資料を手掛かりに、沖縄の人々は国籍や軍民の立場を問わず一人一人の名を刻んできた。その人の存在をなかったことにしない。決意の作業は続く▼礎はびょうぶの形をして幾重にも並ぶ。鉄の暴風という荒波が、平和の波となって大海原に折り返す-。そんな思いが込められている。世界にその波は届いているだろうか。(西日本新聞・2026/06/23)
【筆洗】面倒で気の進まぬことを【億劫(おっくう)】という。「劫(こう)」とはサンスクリット語の「カルパ」の音訳で、仏教では極めて長い時間の意味である▼やはり仏教に「芥子劫(けしこう)」という言葉がある。巨大な城の中に芥子を満たし、100年に1度、1粒ずつ持ち去って全部がなくなったとしてもまだ「劫」は終わらない。それほどの長い時間である。目的を果たすには【億劫】の時間がかかるとなれば、気も進まなくなるか▼【永劫(えいごう)】。この言葉にも「劫」があり、果てしなく長い時間を意味する。元兵士はその事件についてこう書いた。罪は「永劫に許さ(れ)るべきものではない」。1945年、太平洋戦争末期の沖縄戦で、旧日本軍部隊が久米島の住民を虐殺した事件である。事件に関し、元兵士が書き残した手記が見つかった▼島に駐屯していた部隊が住民を米国のスパイと一方的に見なし、20人の命を奪った。犠牲者には子どもも含まれている▼手記を残した男性は久米島出身で見張り兵だったという。同じ日本人、同じ久米島の人間が日本人の手で殺害される。その事実を知ったときの絶望と苦しさが、罪は【永劫】に許されないと書かせたか▼本日は沖縄戦の戦没者を追悼する「慰霊の日」である。戦後81年。「芥子劫」の時間でいえば、まだ1粒の芥子さえ拾っていないというのに、時代は戦争のむごさも狂気も忘れかかっていないか。(東京新聞・2026/06/23)
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