長閑さに思いもうけぬ夏の闇(無骨)

 この一か月以上、バンクシーの新たな「彫像」の出現にぼくは神経を奪われていました。深い理由などなんにもありません。いかにもバンクシーらしい表現の仕方を今度もまた見せてくれた、そんな率直な感想しかわかなかった。新聞記事で「像」見た瞬間に、咄嗟に浮かんだのは、自らの掲げた「旗」で前が見えなくなって、まさに奈落に向かって「墜落寸前(もう一歩)」の人物」だということです。「人物」はどこの誰でもいいでしょう。あえて言うなら「政治家」、それも権力行使者です。どこの国であっても構わない「我が国ファースト(一番)」と旗を掲げたはいいが、それに眼が晦(くら)まされて、墜落寸前です。次の瞬間には真っ逆さまに落ちているはず。

 この国の首相を「稀にみる権勢欲旺盛な無能者」(「天は二物を与えず」)とみてきました「この劣島を強く豊かに」(ぼくには意味不明です)「世界の真ん中で咲き誇れ」(あり得ない夢想です)と、高らかに「嬌声」を発しながら、軽薄にも大時代の狼煙(のろし)を上げ続け、また、その首相の任にあるにしては、無類の無能者を「圧倒的な数(これまた無思慮な)の支持者」が背中を押し続けているという、実に目にはしたくない(ぼくにとって)風景を見せられています。多くの虚報・誤報が正しければ(言語矛盾です)、この国には「救世主(女神)が出現」した、幸運かつ麗しくも豊かな国(国柄・国体)であります。しかし、すべての虚報が「真実」であろうとも、現実は現実、いくつもの犯罪を疑われる行為を身に纏(まと)いつつ、それを隠蔽するのに躍起になって、国民の前に堂々と姿を現せないで逃げ回っている、その卑屈な仕草・振る舞いは滑稽であり悲愴でもあります。外では媚態、うちでは「弁慶」という、典型的な弱虫です。それを、なぜだか必死に防衛擁護する「親衛隊(SS)」、それがマスメディアなんですね。そんな宰相を持った国民も同様に「滑稽であり悲愴」であることは間違いありません。

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バンクシー、ロンドン中心部の新作彫像は自分の作品だと認める オーレリア・フォスター(ロンドン)  世界的な覆面芸術家バンクシーは4月30日、ロンドン中心部に前日、突如として登場した大きい像が自分の作品だと認めた。バンクシーのサインが台座に刻まれたこの像は、スーツ姿の男が大きな旗を掲げている姿のもので、手に持った旗で顔が完全に覆い隠され、前へ歩こうとして台座を踏み外している様子が描かれている。/像がいきなり設置されたセント・ジェイムズ地区のウォータールー・プレイスは、帝国主義や軍事的優位を称えるために1800年代に設計された。バンクシーは今回の像を、国王エドワード7世やフローレンス・ナイチンゲール、クリミア戦争記念碑などの像の近くに置いた。/バンクシーの代理人はBBCに対し、像が設置されたのは29日早朝のことだと明らかにした。その後、バンクシー本人が30日午後、自分のインスタグラムの自分のアカウントに動画を投稿した。(中略) 

 BBCのポッドキャストシリーズ「バンクシー・ストーリー」を作ったジェイムズ・ピーク氏は今回の像について、「胸を張って威張り散らす権力者が、旗によって完全に視界を遮られ、そのために台座から足を踏み外そうとしているという、見事な批評が表現されている」と指摘。「一瞬が、完全に切り取られている。一般的な彫像では実際見られないものだ」とも述べた。/バンクシーが「またしても見事なクーデターを成し遂げた(中略)ここに置いたという配置の妙が、圧倒的だ」ともピーク氏は評した。/「いったいどうやって、こんなことができたのか分からない。これほど警備の厳しい場所に、どうやって荷台の低いトラックを乗り入れて、巨大な樹脂製の像を設置できたのか」/設置場所についてピーク氏は、「イギリスには、征服を繰り返した帝国主義的な過去がある。そのことを、私たちは直視しないとならない。バンクシーが心底忌み嫌う過激なナショナリズムも、その一部だ」と話し、「(バンクシーの)作品は、その一つ一つが社会運動だ」とも述べた。

 インスタグラムではバンクシーの投稿に対し、「皆が忘れた頃に現れて、誰にも気づかれずにフルパワーで到着するのが大好きだ」というコメントが書き込まれた。別のユーザーは「長年のバンクシー・コレクターとして、今回の作品は本当に響く。巨大なモニュメントのようなエネルギーがありつつ、その意図は残酷なほどシンプルだ。自分の旗のせいで何も見えなくなったスーツ姿の男。まさにバンクシーだ。最初は静かだが、一度見たら忘れられない」と書いた。》 

 (❶ヘッダー写真「この像が4月29日、ロンドン中心部ウォータールー・プレイスの台座に登場した」)(❷左上写真「台座に刻まれたバンクシーの署名」)(❸右斜め上写真「長年の歴史を持つ会員制社交クラブ『アシーニアム・クラブ』の建物の前に、バンクシーの像は置かれた。修繕中の建物の前面には金色の女神アテナの像が置かれている」)(❹右写真「像の写真に大勢が集まり次々と写真を撮った。(04月30日、ロンドン)」)(いずれもBBC・2026/05/01より)(https://www.bbc.com/japanese/articles/c8e8lzeg4y3o) (英語記事 Banksy confirms he’s behind statue in central London)                          

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 永田町、あるいは霞が関の大通りの真ん中に「嬌態」を演じる権力者の姿態(「虚像」)を晒す、そんな「疾走する芸術家」はただの一人も存在はしません。この国の現実は「平和」「長閑(のどか)」、あるいは、毎日が「小春日和」とでもいうほかない、べた凪(なぎ)の状態です。どんな緊急事態が突発しても、「大丈夫だあ」「我が国は神の国です」「神州不滅」といえば治まる、それこそ未曽有のおめでたい国なのでしょうか。今のこの時代に「天皇親政」を祈願するという、ぼくには想像すらできない、時代錯誤を地で行く首相たち。その多くは「付和雷同」であって、いささかでも事変もどきがあれば、支持者であることを即座に捨て去る輩ばかり。まさに、首相人気は「紙風船」なんですな。

 「私は、日本(ニッポン)と日本人(ニッポンジン)の底力を信じてやみません。日本(ニッポン)の誇るべき国柄(クニガラ)を、未来を担う次の世代へとしっかりと引き継いでいく。私たちには、その大きな責任があります。今日この日を、昭和の時代を顧み、わが国の伝統や歴史の重みをかみしめながら、将来に思いを致す機会としたいと思います」(「昭和100年記念式典」首相式辞より)(註 何を根拠に、かかる「作文」を書くだけでなく、国民に向かって読み上げるのでしょうか。まるで「紙芝居」風の心ない技です。山埜記)

(*「国柄」は「国体」と同義とされます。「国体(こくたい、旧字体: 國體)とは、国家の状態、国柄のこと。または、国のあり方、国家の根本体制のこと。あるいは主権の所在によって区別される国家の形態のこと。国体という語は、必ずしも一定の意味を持たないが、国体明徴運動後の1938年当時においては、万世一系の天皇が日本にに君臨し、天皇の君徳が天壌無窮に四海を覆い、臣民も天皇の事業を協賛し、義は君臣であれども情は親子のごとく、忠孝一致によって国家の進運を扶持する、日本独自の事実を意味したという。/国体論は、幕末に水戸学によって打ち立てられ、明治憲法と教育勅語により定式化された。国体は、天皇が永久に統治権を総攬する日本独自の国柄という意味をもち、不可侵のものとして国民に畏怖された」(Wikipedia)

 現行憲法を改正し、大日本帝国憲法時代に「グレードダウン(Japn Is Back.)」(回帰・後退:regression)させたいというのが現首相の宿願であることを隠さない、「おめでたさ」です。おそらく、そうなれば、国民の多くは(あまり賢くなさそうでもありますが)、「下駄の雪」よろしく、唯々諾々と「尻馬に乗る」とはぼくには思われない。「ごっこ遊び」をする民衆の姿を見ていると、「下駄の雪になるものか、なってたまるか」という伸びやかな「覚悟」ができつつある、そう考えられてきます。「主権在民」を否定するような総理大臣、そんな人物が崇(あが)める「国体(天皇制)」主義をこそ克服し、大なる犠牲を強いられてなお、孜々営々(ししえいえい)と今日の「民主国家」を作り上げるべく務めてきたのが、無辜無量の民衆(国民)ではなかったでしょうか。(そんなことはあり得ないでしょうけれど、もしも、ひょっとしたら、この「首相」、自分は国における「第一人者(国王)」だとみなしている節があるから、困ってしまうのです。過日の「昭和100年記念式典」における振る舞いは、怖いものなしの傍若無人ぶりでした。その批判の際に、「不敬(disrespect)」という語を使ったように、ぼくには考えられない「主催者」ぶりでありました)

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 本日は、早くに、以下のような3本の「コラム」について駄弁ろうかと思っていたのですが、バンクシーの「風刺」、いや「批判」精神がぼくを使嗾(しそう)し、そんなことでいいんですかい、と唆(そそのか)し続けたという次第です。「天に神はいまし、すべて事もなく(God’s in his heaven, all’s right with the world)」(ブラウニング)、「赤毛のアン」は今どこにいるのでしょうか。

【三山春秋】▼1万年前、ただの野生の草に過ぎなかったが、ほんの数千年のうちに世界中で生育した。生存と繁殖という進化の基準に照らすと歴史上で指折りの成功を収めた―▼『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ著)は、人間が狩猟から農耕に移行後、朝から晩まで手がかかる小麦の世話に明け暮れるようになったと分析。人間が小麦を栽培化したのではなく、小麦が人間を家畜化したと喝破している▼われわれは小麦に支配されているのか。確かにそんな気もする。うどん、おきりこみに焼きまんじゅう―。粉もの文化の中で育ってきた県民の皆さんの中にもうなずかれる方がいるのでは▼きょうは「コナモンの日」。日常食べてきた麺類に対し、個人的に焼きまんじゅうはハレの日の食べ物のイメージがある。子どもの頃、いつもより多めの小遣いを握りしめ向かった地域のお祭り。屋台からの甘く香ばしい匂いは、にぎわう様子とともに脳裏に刻まれている▼先日前橋で行われた焼きまんじゅうフェスで、そんな昔の記憶がよみがえった。みそだれの香り漂う会場では、各店のブースの前に長蛇の列。やはり焼きまんじゅうには非日常、祭りの風景がよく似合う▼とあらためて感じていたところ、普段使いのセブン―イレブンで販売が始まった。早速食べてみた。確かに焼きまんじゅうだ。手軽に食べられて便利だが、はて、ハレとケの境界はいずこへ…。(上毛新聞・2026/05/07)

 このような「コナモンの日」を茶化すつもりは毛頭ありません。平和であればこその一幕ですから、大いにこの状況を堅持すべきだとさえ考えている。「子どもの頃、いつもより多めの小遣いを握りしめ向かった地域のお祭り。屋台からの甘く香ばしい匂いは、にぎわう様子とともに脳裏に刻まれている」 「みそだれの香り漂う会場では、各店のブースの前に長蛇の列。やはり焼きまんじゅうには非日常、祭りの風景がよく似合う▼とあらためて感じていたところ、普段使いのセブン―イレブンで販売が始まった。早速食べてみた。確かに焼きまんじゅうだ。手軽に食べられて便利だが、はて、ハレとケの境界はいずこへ…。」(「三山春秋」)

【いばらき春秋】1カ月ぶりに帰った実家は見る影もなく草が茂っていた。シルバー人材センターに剪定(せんてい)を頼み、桜の頃までは整った庭だったはずだが、植物の生命力には恐れ入る。里山の新緑は目に優しいが、足元の雑草の勢いは目に痛い▼「私もやるわ」と連れ合いが草刈り機を手に取った。県北の山あいに2台のエンジン音がこだまする。ふと見上げれば、1羽のツバメがひらりと宙を舞い、キジの鳴き声が汽笛のように響き渡った▼ひと仕事終えても、まだ汗が噴き出すほどではない。次回の草刈りは梅雨前後か。その頃には爽やかな空気は雲散霧消し、不快な汗にまみれる過酷な作業になるだろう▼祝日がこの時期に集中したのは戦後の法改正による。1951年ごろ、映画業界が宣伝に用いた「ゴールデンウイーク」の呼称が定着した。週休2日制などの普及を経て、今や大型連休は国民の習慣となった▼しかし、近年の気候変動が連休の価値を変えつつある。40度以上の「酷暑日」が現実となる今、初夏の連休こそが、屋外で健やかに動ける「黄金」の時季として輝きを増しているのではないか▼八十八夜を過ぎ、奥久慈では茶摘みが始まる。頬をなでる風がすがすがしいうちに、新茶の香りを求めて足を延ばしたい。(山)(茨城新聞・2026/05/07)

 ぼくにとっては、除草作業は毎年数回に及ぶ年中行事と化しているので、コラム氏の「里山の新緑は目に優しいが、足元の雑草の勢いは目に痛い」という気持ちに同情を禁じえません。除草すれば、その出番を待っていた、次の草類が勢い込んで生えてきてくれます。「除草」は草類と人間との「土地獲得」競争であるでしょう。農薬を使わないなら、なおのこと、この競争は休めない。怯(ひる)んだら負けですね。そして「県北の山あいに2台のエンジン音がこだまする。ふと見上げれば、1羽のツバメがひらりと宙を舞い、キジの鳴き声が汽笛のように響き渡った▼ひと仕事終えても、まだ汗が噴き出すほどではない。次回の草刈りは梅雨前後か」(「いばらき春秋」)とは、いかにも甘いですね。一週間もすれば、青々と新しい草が、コラム氏をお迎えしてくれるはずです。

【日報抄】〈地を這(は)っても 帰らなければならぬ 杖(つえ)をついても 帰らなければならぬ〉。福島県浪江町は2011年の福島第1原発事故で全町避難を強いられた。町内の一角に、この詩を彫り込んだ碑が立つ▼言葉の主は地元で長く詩人として活動してきた根本昌幸さん。ご当地ソングや幼稚園の園歌の作詞を手掛けたこともある。避難生活が続く中、生まれ故郷に何としても戻るという強い決意を記した▼「望郷」という言葉だけでは言い尽くせない、血を吐くような思いが伝わってくる。原発事故がもたらした理不尽への怒りと悲しみが消えることはなかったようだ。町内では一部地域で帰還が認められるようになったが、根本さんは戻ることなく21年に74歳で世を去った▼過去の作品を広く集めた「全詩集」が先ごろ出版された。事故が起きる前は昆虫をテーマにした詩集を出したこともある。地元の自然や風土、人に温かな視線を向けた作品が目立つ。そんなふるさとを、あの事故が奪い去った▼新潟県にも、浪江町を含めた福島県から多くの人々が避難した。事故直後のピーク時には、9千人余りに上った。ことし3月末時点でも、約1700人がふるさとへの思いを抱えながら、本県に身を寄せている▼根本さんの碑の下には、生前の免許証が埋められた。「みうらひろこ」の筆名で詩人として活動する妻の洋子(ひろこ)さんは言う。「風に乗ってでも帰って来られるように…。そんな思いを込めたんです」。風は詩人の魂を運んでくれるだろうか。(新潟日報・2026/05/07)

 十五年たっても、ではありません。時がたつほどに、失ったものの「かけがえのなさ」を知らされるのです。原子力発電を「国策」として、なりふり構わずに設置を進めてきた国家というものが、どれほど国民の犠牲をいとわないか、それをここでも嫌というほど見せつけられているのです。許しがたい「暴力」ですし、その暴力の主体に企業はすり寄って、「国家の一部でござい」とふんぞり返っている。それを前後左右から擁護してきたのもまた、政治や行政であった。「『望郷』という言葉だけでは言い尽くせない、血を吐くような思いが伝わってくる。原発事故がもたらした理不尽への怒りと悲しみが消えることはなかったようだ。町内では一部地域で帰還が認められるようになったが、根本さんは戻ることなく21年に74歳で世を去った」(「日報抄」)無念の犠牲を強いられた方々に、「合掌」です。

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「地の塩・世の光」は何の隠喩か

 俗(ことわざ)に「笛吹けど踊らず」といいます。これは由緒正しい来歴を持っている「ことわざ」だそうですね。「誘いをかけておだてようとも、相手は少しも乗ってこない」ということを意味する。出所は『新約聖書』(「マタイにより福音書」「ルカによる福音書」など)で、その「山上の垂訓(The Sermon on the Mount)」に「地の塩 世の光」という一節があります。

 13「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。14あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。15また、明かりをともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。16そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためである。」(マタイ福音書5章13~16)

 ぼくはキリスト教徒でもなく、仏教徒でもありませんから、このような訓言を持ち出して「垂訓」「説教」を語ろうとは思いません。思いもよらないと言っておきます。ところが、どういうわけですか、若いころから「地の塩 世の光」という言葉は知っていました。教会で知ったことでもなく、実際にこの「垂訓」を身をもって行っているさなかに亡くなられた人を知ったからでした。

 この人についてもどこかで触れています。自らは「地を這うような」赤貧の生活をしていたにもかかわらず、千葉県下のある駅頭に「地の塩」と書かれた小さな箱と、自らがしたためた聖書の言葉だったでしょうか、その文書と、わずかばかりの「お金」を入れておくような善行を何年も続けておられるという、そんな新聞記事を偶然に目にしことがありました。気づいてその場所に行く間もなく、その方が亡くなられたという報道が同じ新聞に出ていました。少しづつ調べる中で、容易ならざる「人となり」を知ることになり、ぼくは深く感動した。その後の生活の節目節目に、その男性(作家だったと思う)の行いぶりが、格好良く言うなら「地の塩」「世の光」になって、ぼくを救ってくださったと思うようになったのでした。間違えているかもしれません。しかしだれかが「世のため、人のためにという、少しばかりの「奉仕」の心持を持つようになれば、…。

◎ 江口榛一(エグチ シンイチ)= 昭和期の詩人 生年大正3(1914)年3月24日 没年昭和54(1979)年4月18日 出生地大分県耶馬渓 本名江口 新一 学歴〔年〕明治大学文芸科〔昭和12年〕卒 経歴大学卒業後渡満し、新聞記者をする。その間の昭和15年に歌集「三寒集」を刊行。復員後は赤坂書店に勤務しながら、詩作をする。一時期共産党に入党、30年には受洗する。31年無償の精神で助けあう“地の塩の箱運動”を提唱し、機関誌「地の塩の箱」を発行したが、資金繰りが行きづまったことなども原因となって54年自殺した。著書に、自作少年詩解説「あかつきの星」、ルポルタージュ「地の塩の箱」、詩集「荒野への招待」、歌集「故山雪」、エッセイ「幸福論ノート」「地の塩の箱―ある幸福論」や、全集(全4巻 武蔵野書房)などがある。(20世紀日本人名事典)

 「地の塩」も「世の光」も、あって当然。誰もその恩恵に感謝することはないのです。無くなった後で気がついても遅いということでしょう。もちろん、キリストの教えでもありますから、信仰者に向かって言われた言葉です。部外者には「救いなし」がキリスト教会の規則でもありますから、ぼくはこれを「話半分」に聞くものです。多くの学校、特に女子学校には、この「垂訓」が「教学の趣旨」になっているところはとても多いのです。さもありなん、ですね。教育の成果を得て、「地の塩・世の光」となってほしいという願い、祈りが込められているようにも思うのです。その、ほんの一例です。(右は小原国芳氏の筆になる書)(ぼくは小原さんとは面識はなかったが、学園関係者にはたくさんの先輩後輩がいました。火彼の教育の仕事には「きよほうへん」はあったと思う。当然ですね。、次の卒業堯生への「餞(はなむけ)の言葉」、とても大仰な物言いですが、言っていることは間違いではなかったと思う)

 小原國芳は昭和31年3月の大学の卒業式で、卒業生に向けて次のように語り、送り出しました。

 社会人の第一歩である。ホントの人生修行の始まりである。「世の光」、「地の塩」となってくれ。玉川っ子の使命を忘れるな。「人生の最も苦しい いやな 辛い 損な場面を 真先に微笑を以って担当してくれ」。
 微笑をもってだ。勇敢なる第二里行者であってくれ。「得るものは失い、失うものは得る」だ。学校で、農場で、会社で、家庭で・・・・・・謙遜に大胆に、純一で雄々しく。「鳩の如くすなおに、蛇の如くさとく」。「よき木は実によって知らる」。至るところで、よき玉川っ子であってくれ。たのむ。  (玉川学園機関誌『全人』昭和31年3月号)

 仏教徒でもない人間ですが、この「一隅を照らす これ即国寶(こくほう)なり」も、いつでもぼくの胸中深くにありました。「「伝教大師最澄さまが嵯峨天皇に宛てた書物に、『一隅を照らす。これすなわち国宝なり』という有名な一文があります。“一隅を照らす”とは、自らが光となり周囲を照らすという意味。すなわち、与えられたその場所で全力を出し切って、必要とされる人間になりなさいということです」(Discover Japan)(https://discoverjapan-web.com/article/73981) 

                                               (左写真「国宝 天台法華宗年分(部分)最澄筆 年代:平安時代(9世紀) 所蔵:延暦寺(滋賀)」)

国宝とは何物ぞ、 
宝とは道心なり。
道心ある者を名づけて国宝と為す。
故に古人いわく、
径寸十枚、これ国宝にあらず。
一隅を照らす、これ則ち国宝なり。

 符合していますね。「地の塩」「世の光」「国の寶」…。取り立てて偉い人になるのでもなく、多く評判を得るのでもなく、その場その場を汚さない、美しくする、明るく照らすような、そんなことなら、誰だってできると思わせてはくれませんか。どんな人でも「今日一日、嘘をつかない」「この瞬間だけはやさしくしていたい」という、まことにささやかな願いや約束を、自分にする、つまりは「注意深い人間であろうとする」という意味です。なにか、自分を支えるものがあるといいのでしょうね。それを世間では信仰というのか、信念というのか。もちろん、学校の教師だからではなく、一人の人間、人間の一人としてそうでありたい、そんなささやかな思いを日々重ねていくことの必要性を感じている人間が、一人でも教室にあって、子どもたち時間を過ごしてほしいというのが、ぼくの心からの望みです。

 * 蛇足 JR駅の緑の窓口で「『のぞみ』はありますか」と駅員に尋ねたら、「『のぞみ』はありませんが、『ひかり』ならあります」と駅員が答えた、臨床心理学者の河合速雄さんジョークのように、この経験を語っているが、とても感動したという、そんな逸話を「教師」や「教師志望者」に贈りたいですね)「これしか」とか「あれ以外は」とかいう「空間」の塞(ふさ)ぎ方は、とても息苦しいですね。やる方(教師?)もやられる方(生徒?)も、ですね。

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◎ 映画「地の塩」= 亜鉛鉱山労働組合の闘争を通し、真実を描く。54年カルロビ・バリ映画祭グランプリ・最優秀女優演技賞、55年フランス映画アカデミー最優秀作品賞受賞作品。製作はポール・ジャリコ、製作補はソニア・ダール、アドルフォ・バレラ、監督は「完全犯罪(1936)」の故ハーバード・J・ビーバーマン、脚本はマイケル・ウィルソン、音楽はソル・カプランが各々担当。出演はロザウラ・レブェルタス、ファン・シャコン、ウィル・ギアなど。(1954年製作/アメリカ 原題または英題:Salt of the Earth 配給:映画「地の塩」全国普及委員会 劇場公開日:1977年2月6日)(映画.com)(https://eiga.com/movie/62238/

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「2023年度(2022年度実施)公立学校教員採用選考試験で、小学校教員の競争率(採用倍率)が2.3倍と過去最低を更新したことが2023年12月25日、文部科学省の調査結果より明らかになった。全体の競争率も6年連続で下がり3.4倍と過去最低を更新した」(文部科学省・2023/12/26》(https://reseed.resemom.jp/article/2023/12/26/7870.html

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⁂ 参考資料❶ 《教員採用試験、大学3年時の「前倒し受験」に賛否 広島では好評だけど… 教員採用試験の1次の筆記試験に大学3年時から挑む学生が増えている。中国地方では広島、山口、岡山の3県が2024年度以降、「前倒し受験」を順次認め、「チャンスが増える」と学生に好評だ。教員のなり手確保につながる一方、「大学のカリキュラムに影響を及ぼしかねない」と島根、鳥取両県は否定的で、対応が分かれている。/教員採用試験は大学4年時に受けるのが一般的だが、企業などの採用活動が早まる中、文部科学省が23年に3年時からの試験は志願者確保に有益との方向性を提示。24年度までに48の都道府県や政令市に広がった。合格すれば4年時の1次試験が免除となり、不合格でも経験を翌年の試験に生かせるといったメリットがある。/広島県教委は「チャレンジ受験」として24年度に導入。初年度は634人(全体の18・3%)、25年度は929人(同24・7%)が志願し、合格者は320人から1・5倍の490人に増えた。/岡山県教委でも24年度に343人、25年度に427人が志願し、合格者は189人から212人に伸びた。山口県教委は25年度に初めて実施し、志願者186人、合格者133人だった。

 広島市中区で4日にあった26年度試験の説明会に参加した広島市立大4年の沖谷ひよりさん(21)は、25年度に1次試験に合格し、今年8月の2次の面接などに備える。「4年生で筆記も面接もとなると不安が大きい。3年時に受験できてありがたかった。2次までじっくり準備ができる」と意欲を高める。/広島県教委教職員課の愛甲昌弘係長は「大学訪問などでチャレンジ受験の周知を進めた。あくまで1次の受験機会を増やすもので、大学側もチャンスが2回あると積極的に勧めてくれている」と手応えを口にする。/一方、島根、鳥取両県は「大学のカリキュラムとの両立は学生にとって負担」「大学教育をゆがめたくない」として3年時の受験を認めていない。/鳥取県教委教育人材開発課の亀井修平課長は「講義や教育実習だけでなく、ボランティアやアルバイト、旅行などを通じて視野を広げ、自身の適性や資質を見極める大事な時期。いろいろな経験を積み、人間性や創造性を高めてほしい」としている。(松本大典)》(中國新聞・2026/05/05)

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 ⁂ 参考資料❷  大学3年生「前倒し選考」、通過率は83% 東京の教員採用試験で
 東京都教育委員会は、7月に実施した教員採用試験で、一部科目を大学3年生から受験できる「前倒し選考」の通過者が、前年度比1.4倍の2600人に上ったと発表した。通過率は同11ポイント増の83.0%だった。教員のなり手不足が深刻化するなか、都教委の担当者は「選考に一定のニーズがある」とみる。/都教委は2023年度実施の試験から、1次選考のうち「教職教養」「専門教養」を3年生でも受験できる選考を導入。通過者は、翌年は論文や面接など残りの試験のみを受ける。/都教委の採用試験は1次選考が7月で、例年、4年生は試験準備と教育実習が重なっていた。そこで、受験生の負担を軽くするため、一部科目の前倒しを導入した。(↷)


 今年度の前倒し選考では、大学3年生や大学院1年生ら3133人が受験。通過者数は、小学校で1032人(通過率94.1%)、中高で1167人(同72.8%)、特別支援学校で107人(同96.4%)だった。通過できなかった受験生は来年、再受験できる。/教員採用試験の受験倍率は、全国的に低下傾向だ。23年度実施の都の教員採用選考でも、小中高、特別支援学校を合わせた倍率は1.6倍で、初めて2倍を切った。/志願者減に歯止めをかけるため、都教委は前倒し選考のほかにも、様々な取り組みをしている。特になり手不足が深刻な小学校については、今年度から、教員志望の大学生らに現場を1日体験してもらうプログラムを始める。昨年度は教員採用試験合格者を対象に実施したが、「実際の学校現場を見ることで、志望を固めてもらう」(担当者)ため、広く門戸を開いた。(朝日新聞・2024/08/13)

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子どもが解放される日でないと、ね

 本日は「こどもの日」です。もっと正確にいうと、「男の子の成長を祝う日(行事)」だった。詳しいことは申しません。詳しく話すと、事は面倒な展開になるからです。当然ながら、この国(邦)における「男尊女卑(male domination of women・subjection of women)」という「醇風美俗(じゅんぷうびぞく」に至ってしまうからです。「すなおで人情の厚い、美しいい風俗・風習」(デジタル大辞泉)とある、どういう意味でしょうか。この国の「麗しき伝統」という際に、しばしばこの「醇風美俗」という冠詞が使われてきました。「男尊女卑」が「麗しき伝統」などというと、大いに反感・非難を買うかもしれません。しかし、事実として「端午の節句」(「こどもの日」)がその前歴を踏襲したものであるとすれば、それ(男尊女卑)を無視することはできない、というばかり。もちろん、当節は「こどもの日」は男女の別なく、すべからく子どもの健やかな成長を祈るべく、社会の側でも暖かくその生育を願い、かつ祈りましょうというのが建前になっています。

 (ヘッダー写真は「にいがた観光ナビ」:https://niigata-kankou.or.jp/feature/carp_streamer/top#sec-paragraph-6

 「こどもの日」は、そんな「男児」を産んだ「母に感謝する日」でもあったということもまた忘れるべきではないでしょう。それはまっすぐに「家族・家督(家父長)制度」「夫婦同姓制度」問題につながっているでしょう。早速、面倒な話になりかけています。「こどもの日」は「端午の節句」でもあるのだから、「桃の節句」(雛(ひな)祭り)をも「女児の日」として国民の祝日にすべきという意見が根強くあるのも事実です。「端午の節句」(「こどもの日」)には、その昔は男の子のいる家では「鯉幟(こいのぼり)」を掲げて祝ったものです。なぜ「鯉」なのか。下に「鯉の滝登り」として辞書の解説(説明)を出しておきました。要するに「人の栄達、立身出世のたとえ(登竜門をくぐる)」を具体的に投影したもので、それが「男児の節句」に結びつけられた理由でしょう。

 左に掲げた唱歌「鯉のぼり」(『尋常小学唱歌』第五学年用:文部省・大正二年(1913年)の歌詞を見るとお分かりになるでしょう、これは「男の子の歌」だということが。特に2番3番です。「開ける広き其の口に 舟をも呑まん様見えて ゆたかに振るう尾鰭には 物に動ぜぬ姿あり」「百瀬の滝を登りなば 忽ち竜になりぬべき わが身に似よや男子と 空に躍るや鯉のぼり」~ 立身出世を期待された「男児」を励ますかのように、鯉のぼりは「わが身に似よや」と、男児を鼓舞さえしています。こんな稗史(はいし=庶民史)を詳らかにしていけば、「男尊女卑」という歴史の印画紙から、はっきりと本来の映像が浮かび上がってきませんか。

 (余計なことです。どうして「鯉のぼり」をこのように仰山(ぎょうさん)に上げるのでしょうか。好き嫌いでいえば、ライトアップを含めて、ぼくは大嫌いですね。「大人・商売人」の「愚かな発想」だと思います)(もちろん、都会では、簡単に「鯉のぼり」は上げられなくなったのはわかりますが、それにしてもなんでもかんでも「行事・見世物・観光」にしてしまって、それで「どうだ、見事だろう」などと収まっているのを見ると情けなくもなる。そして、鯉のぼりもお祭りも盆踊りも、「集団主義」という一点では共通していますね)

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◎ 法務省選択的夫婦べつうじ制度とは、夫婦が望む場合には、結婚後も夫婦がそれぞれ結婚前の氏を称することを認める制度です。なお、この制度は一般に「選択的夫婦別姓制度」と呼ばれることがありますが、民法等の法律では、「姓」や「名字」のことを「うじ」と呼んでいることから、法務省では「選択的夫婦別氏制度」と呼んでいます。
 現在の民法のもとでは、結婚に際して、男性又は女性のいずれか一方が、必ず氏を改めなければなりません。そして、現実には、男性の氏を選び、女性が氏を改める例が圧倒的多数です。ところが、女性の社会進出等に伴い、改氏による職業生活上や日常生活上の不便・不利益、アイデンティティの喪失など様々な不便・不利益が指摘されてきたことなどを背景に、選択的夫婦別氏制度の導入を求める意見があります。/法務省としては、選択的夫婦別氏制度の導入は、婚姻制度や家族の在り方と関係する重要な問題ですので、国民の理解のもとに進められるべきものと考えています。(「選択的夫婦別氏制度」について」https://www.moj.go.jp/MINJI/minji36.html

【春秋】好天の印象が強い黄金週間にしては珍しく不安定な天気だったが、きょう「こどもの日」は大丈夫そう。ほぼ全国的に行楽日和の青空の下悠然と泳ぐ色とりどりのこいのぼりが楽しみだ。「やねよりたかい こいのぼり――」と口ずさみつつ歌詞を改めて調べて驚いた。▼「お母さん」がいない。登場するのは大きな真鯉(まごい)の「お父さん」と小さい緋鯉(ひごい)の「こどもたち」だけ。武運長久を願った端午の節句がもとだから、不思議はないか。だがこの日はさらに遡れば、田植え前に豊作を祈り女性が小屋に籠もって宴会をする「女祭り」の日だったという(合田道人著「歳時記を唄った童謡の謎」)。▼そんな来歴との関係は不明ながら、法律上の定義では「こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日」らしい。1948年の制定だから「我ら戦争に敗れたあとに/一千万人の赤んぼが生れた/だから海はまつ青で/空はだからまつ青だ」と、三好達治が詠んだようにベビーブームが始まっていた。それから78年……。▼1年に生まれるこどもの数は約70万人まで減少した。時代の変化を映し、最近のこいのぼりは黒鯉の下の赤鯉をお母さんに見立てるのが普通になった。田植えだろうと、会社勤めだろうと、子育てだろうと、国の舵(かじ)取りだろうと、性差なく担当する時代だ。赤=女性、はアンコンシャスバイアスなどと目くじらは立てまい。(日本経済新聞・2026/05/05)

 こういう「コラム」を読むと、「君たち呑気に過ぎるよ」「どこの国の生まれだ」と、小言の一つ二つも記者さんに言いたくなります。手に負えないほどの「不勉強」が新聞記者をしているとなると、もう終わりですね。唱歌というものの役割は「国威」「国柄」の推奨・慫慂でした。「この国に生まれてよかった」「天王陛下の御ために尽くします」という「臣民」の育成に大いなる貢献を果たすものとして採用されたのでした。「忠君愛国」「滅私奉公」の精神の涵養のために、唱歌もまた「教育」における大きな働きを期待されていた時代、それが明治以降続いてきました。

 この「こいのぼり」が唱歌として発表されたのは1933(昭和8)年でした。たぶん、この国が内外において、「もっとも凶暴な時節」だったのではないでしょうか。

 《国際的孤立、言論弾圧、メディアの熱狂 国際連盟総会が、満州を占領している日本軍の撤退を求める勧告案を可決したのを受け、日本は国際連盟脱退を通告した。松岡洋右全権はジュネーブから日本に向け「我が決意」と題して短波で中継放送した。国際社会から孤立する日本。ヒトラーが政権を握ったドイツも、国際連盟脱退を表明した。/東京などでは軍民一体となった防空演習が行われ、ラジオは防空週間の特別編成で中継や講演を放送した。一方「関東防空大演習を嗤(わら)う」という新聞記事が問題となった。文部省が京大教授の辞職を求めた「滝川事件」、そしてプロレタリア文学の作家・小林多喜二の虐殺と、思想や言論の自由は圧迫されていく。/「非常時」の掛け声が高まる中、盆踊りの『東京音頭』が大ヒット、レコード100万枚以上が売れた。甲子園の中等野球準決勝、中京商業対明石中学戦は延長25回、4時間55分の熱戦をたった一人のアナウンサーが実況、全国を沸かせた。(以下略)》(NHKアーカイブス・放送100年史:https://www.nhk.or.jp/archives/history/year/1933/

松岡洋右【まつおかようすけ】= 外交官,政治家。山口県生れ。米国オレゴン州立大学卒。外務省に入った。1921年外務省を辞し,満鉄理事。1927年同副総裁。1929年政友会代議士となり,1931年の第59議会では幣原外交を批判。1933年国際連盟総会首席全権として出席,連盟の満州国批判決議に抗議して退場,連盟脱退の英雄となる。1937年満鉄総裁となり,軍部と結び,1940年外相として日独伊三国同盟を締結,1941年日ソ中立条約を締結。日米交渉に反対。A級戦犯に指定されたが病死。(百科事典マイペディア)

 (⁂ 東京音頭 ~学校フォークダンス 中学校・高等学校編 DVDより~(日本フォークダンス連盟):https://www.youtube.com/watch?v=PsoWRV3j25o&list=RDPsoWRV3j25o&start_radio=1

 (「東京音頭」の学校教育への導入に関して、ぼくの感覚からすれば、いまだに、マジで「こんなことを学校はやってるんですか」という気分です。これもまた、ある種の「軍歌」だとぼくは考えている。言葉とか、歌などが「旗になる」ということはいつだってあるし、権力者は特にそのことを求めるでしょう。「旗のもとに集まる」「旗の下で一つになる」という意味では、それは「ファシズム」のヴァリエーションの一種であるとぼくは考えている。「(伊)fascismo」「(英) fascism」、「(独) Faschismus」)は、いずれも「結束主義」とも言います。「ファッショ(伊)」とは「束(たば)」、「集団」、「結束」、「団結」などを指す。よく使われる表現では「集団主義」とか「全体主義」というものですが、学校という場所では、ことのほか「集団主義」が求められるのは理由のないことでありません)

 今日は、劣島のあちこちで「お祭り」が大流行していますね。でも今どきの祭りは、単なる行事・見世物・観光であって、本来の趣旨からいうなら、驚くほど堕落・頽廃してしまっています。(もちろん、「堕落・頽廃」することで、かえって、いい面も生まれたことは認めますよ)「まつる」は「祀る」であり「祭る」だった。それが「祀り」「祭(り)」となった。その意とするところは「1 儀式をととのえて神霊をなぐさめ、また、祈願する。「先祖のみ霊(たま)を―・る」「死者を―・る」2 神としてあがめ、一定の場所に安置する。「菅原道真を―・ってある神社」3 上位にすえて尊ぶ。」(デジタル大辞泉)でした。祭祀(さいし)とは、今だって「神や祖先を祭ること」です。それ以外に何を意味しますか。

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◎ こどもの日= 5月5日。「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことを趣旨とした国民の祝日。1948年(昭和23)制定。この日から11日まで児童福祉週間が行われる。古来、男児の節供とされる端午(たんご)の節供にあたるため、女児の桃の節供・雛祭(ひなまつり)の3月3日も祝日にすべきだという主張が一部では出されている。(日本大百科全書ニッポニカ )

◎ こい【鯉】 の 滝登(たきのぼ)り= ① (「後漢書‐党錮伝・李膺」の「以二声名一自高、士有レ被二其容接一者、名為二登龍門一」、およびその注の「三秦記曰、河津一名龍門、水険不レ通、魚鼈之属、莫レ能レ上、江海大魚薄二集龍門下一数千、不レ得レ上、上則為レ龍也」による語。黄河の急流にある龍門という滝を登ろうと、多くの魚が試みたが、わずかなものだけが登り、龍に化すことができたという故事から ) 鯉が滝を登ること。[初出の実例]「山をこしらへまして、夫へ滝を落しまして、鯉の滝上りを致す所を致しませう」(出典:虎寛本狂言・鬮罪人(室町末‐近世初))② 人の栄達、立身出世のたとえ。→登龍門。[初出の実例]「なかとの君を、こいのたきのほりと出ぬれ共」(出典:評判記・吉原人たばね(1680頃)ながと)③ 長方形の木箱の一面に滝の図を描き、中央に一筋の穴をあけ、その穴から練物の鯉が上下するように仕掛けた玩具。(精選版日本国語大辞典)

◎ 端午の節句(五月節句)= 5月5日の節供。端午の節供,重五 (ちょうご) ともいう。端午は端五とも書くように,端 (はじめ) すなわち月初めの午 (うま) の日または5日を意味する。この節供行事は,もとは中国より輸入されたものであるが,日本においては,中国のそれとは異なる要素をもって定着している。元来5月は,正月,9月とともに日本では重要な月と考えられており,田植月であることから物忌が行われ,女が家にこもって神を祀ることから女の家などと呼ばれる風習を生んだ。家の軒にしょうぶを挿す風習も物忌の印として行われたものである。菖蒲兜 (あやめかぶと) は,宮中において5月5日に菖蒲鬘 (あやめかずら) の髪飾りをする風習があったところから生じたもので,のちには紙でつくられるようになった。この菖蒲兜の前立てに人形を飾ったことから武者人形が生れた。(↷)

(↻)鯉幟 (こいのぼり) については,その起源は明らかではないが,神を招くための招代 (おぎしろ) であったと思われる。またちまきは,汨羅 (べきら) の川に身を投じた楚の屈原の霊を弔うため,5月5日にこれをつくって水に投じたという中国の風習が伝来したものである。この日は古来男児の成長を祝う日となっており,特に男児誕生後の初めての節供は初節供と称して祝膳を設け,人形,幟などを贈って祝う。 1948年「国民の祝日に関する法律」により「こどもの日」として祝日の一日に定められた。(ブリタニカ国際大百科事典)

❶ 鯉のぼり(いらかの波の…)・https://www.youtube.com/watch?v=ORO9_KMVy44)                                (❷ 鯉のぼり・https://www.youtube.com/watch?v=N2u7gdbPieU&list=RDN2u7gdbPieU&start_radio=1)                                          (❸ 背くらべ https://www.youtube.com/watch?v=VIp4aJtZFZg&list=RDVIp4aJtZFZg&start_radio=1

 (❷(「やねよりたかい こいのぼり」)の登場に関しては、これまでの駄文のどこかで述べておきました。

「こいのぼり・近藤宮子=こいのぼり』は童謡、唱歌。作詞は近藤宮子、作曲は不明。1993年までは近藤は作詞者として認められなかったため、近藤が1999年まで存命だったにもかかわらず歌詞の著作権は既に消滅している。概要 1931年(昭和6年)12月に刊行された『エホンショウカ ハルノマキ』が初出。長年著作権者は日本教育音楽協会とされていたが、著作権が切れる1982年(昭和57年)に日本教育音楽協会の元会長の小川浩平に作詞者を変更した。近藤はこの曲を含めた6曲が自分が作詞した曲であると訴え、裁判を起こして勝訴し、作詞者が再び変更された。/この歌詞では真鯉を父親、緋鯉を子どもとしている。鯉のぼりは明治時代後半から大正時代にかけて真鯉(黒い鯉)と緋鯉(赤い鯉)の二匹を一対であげるようになったが、武家発祥の行事であったこともあり真鯉と緋鯉は父と子(男児)を表していたとされる。第二次大戦後、昭和30年代後半には小さい青鯉が加えられるようになり、家族観の変化なども相まって鯉のぼりの構成は緋鯉(赤い鯉)が母親、青鯉が子どもと再定義されるようになった。(以下略)」(Wikipedia)

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SNSの向こうで誰かが傷ついている

(承前) 「SNSの向こうで誰かが傷ついている ココロない言葉は、言った人も傷つけていく なくそう。SNSの誹謗中傷」と、SNSによる他者への誹謗中傷に注意を喚起しているのが「政府広報」(正式には「内閣府大臣官房政府広報室 内閣府法人番号 2000012010019 〒100-8914 東京都千代田区永田町1-6-1 電話番号 03-5253-2111(代表))です。

 その意図は以下の通り。「政府広報は、政府の重要施策について、その背景、必要性、内容などを広く国民に知っていただき、これらの施策に対する国民の理解と協力を得ることを目的としています。/広報活動では、新聞やテレビ、ラジオ、インターネットなどの各種媒体を活用するとともに、政府広報室が運営する公式のウェブサイトである政府広報オンラインなどを通じて、国民生活に関わりの深いテーマを幅広く広報しています。また、海外に向け我が国に対する正しい理解と協力を得るため、英語や中国語など外国語による海外広報を行っています」(内閣府:https://www8.cao.go.jp/intro/kouhou/

 先日、週刊文春が「高市陣営が対立候補への“中傷動画”を投稿していた《総裁選の期間中に…小泉氏に「無能」、林氏に「アウト」》」などの動画を多数配信していたと報じた。本年2月の総選挙時にも、政敵候補者に同じような「中傷動画」を多数配信していたと報じています。主にかかわっていたのが、公設第一秘書だとされる。今のところ、事の真偽は定かではありませんけれど、首相本人の「私は無関係」という、お得意のコメントが出たともいわれる。これはTiKTOKによるショート動画だから、政府広報のコードには引っかからないとでもいうのでしょうか。「北斗星」の記事内容と、高市疑惑は無関係ではありません。それどころか、きっと当人は、AIにもろもろの対敵作戦、国民をごまかす策略の伺いを立てているのではないですか。アメリカの大統領も、そんな手合いだとぼくは思っている。ということは「同病相憐れむ」なのか、「肝胆相照らす」の方なのか。

【北斗星】小学3年生に進級した40年ほど前、父の転勤で県外から県南部に転校した。その年の学芸会の演劇は、勉強や親から頼まれた家の手伝いを児童が面倒くさがっていると、宇宙人の組織が代わりにやってくれるという筋書き。宇宙人のリーダー役を担当した▼宇宙人は紛糾する学級会にも現れ、「どこかで遊んでいてください」と児童に退出を促す。物語が進むにつれ、住民の主体性を奪って地球を侵略する宇宙人の企てがあらわになる。最終的に児童は自ら行動する大切さを考えるという結末を迎える▼配役を決めたのは担任だった。出ずっぱりの役で台本とせりふを覚えるのに難儀したが、多くの同級生と関わりを持って学校に溶け込めるようにとの意図があったのだろうと今は感謝している▼現代なら劇中の宇宙人のように物事を代行してくれるのは人工知能(AI)になるのではないか。検索をかければ、瞬く間に欲しい情報が示される。関連産業はさらなる成長が見込まれるとし、日経平均株価の6万円突破の立役者となった▼AIは悩み事の相談相手としても存在感を持ち始めた。10代女性では半数以上が人間関係などを尋ねているとの調査結果が発表された▼光が強いと影も濃い。米国では8人が死傷した昨年4月の銃乱射事件でAIが実行犯に助言した疑いがあるとし、当局が開発元の捜査に着手した。犯罪の後押しすらしてしまうとは。便利さと危うさは背中合わせ。闇に取り込まれないよう用心したい。(秋田魁新報・2026/05/04)

 この首相は「記者会見」を疎んじているのか、懼れているのか、まじめに行おうという姿勢が見られません。これまでにも多くの「疑惑」「不祥事」に遭遇したにもかかわらず、ほとんどが会見を逃げ通して、国民の知る権利を蹂躙してきました。自分の言いたいことだけは「SNS」で喋りまくります。それも多くはお得意の「虚言」ではありますが。今回も逃げ切るというか、「有耶無耶(うやむや)」のままで誤魔化そうとする姿勢はありありです。

 何一つ「真偽」が明らかにされないでここまで来ました。この問題、「サナエトークン」「政治献金」及び「政敵中傷動画」問題も、これまで同様に逃げ切れると踏んでいるのでしょう。故元首相と瓜二つの「卑怯千万」な態度だと思うほかありません。「行動や考えなどが、非常にずるくていやしいこと。「卑怯」はずるくて心がいやしいこと。「千万」は程度がこの上ないこと。」(四字熟語辞典オンライン)

 彼女一人が「芝居」をしているのではなく、官僚、内閣府、その他もろもろの「うからやから」がサポートしている上での厚顔無恥の振る舞いです。その影響が外交や経済政策にまで及んでいるとしたら。もう破局ですね。国を壊した首相と、後生に評価されるでしょう。

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「徒然に日乗」(1081~1087)

◎2026年05月03日(日)憲法記念日。僻地に住んでいる以上、街中でどんなことが起こっているかを知ることは間接的にならざるを得ない。瞬間的に目にするテレビニュースやネット情報、あるいはユーチューブで確かめる以外は知る方法がない。その情報・報道の信義の見極めもなかなかの作業だろう。本日都内の公園で「憲法記念集会」が行われ、相当数の集まりがあったという。憲法改正に前のめりになっている「政権党」に対抗するには、暮らしや人権を徹底して守るという姿勢を崩さない多くの市民の意思表示が不可欠だろう。もちろん、いずれの日にか、憲法は改正されるだろうが、どこをどう変えられるか関して無関心であってはならないということだ。日本が第二次世界大戦に敗戦した結果、いわば「負けとっと」、「勝ち取った」のではなく、「負け摂った」のが日本国憲法だったという歴史を忘れないことが肝要だと思う。(1087)

◎2026年05月02日(土)昨夜からの雨はやんで、日差しも強い一日だった。お昼過ぎに、敷地の方々に溜まっている落ち葉などを掃いていた。そのついでに裏庭の伸びている草を刈ろうと、一歩足を踏み入れた瞬間、窓際に巨大に孟宗竹が軒下まで伸び切っていたのに気が付いた。この2~3日間のこと。近寄ってよく見ると先端は軒下に貼ってあるボードを突き抜けて、軒の内部にめり込んでいた。驚いて、のこぎりを持ち出し、切り倒した。こんな失敗は初めてのことだった。何日か、雨が続いていたりして、裏庭に回ることはなかったが、たったの一日か二日の出来事だった。破損した石膏ボード穴を段ボールで応急修理しておいた。いずれ本格的に直さなければと思っている。今年のタケノコの季節は終わったようだが、何本も敷地内のあちこちに伸び切っているのを、昨日も5本ほど切り倒したばかり。庭の除草も今のうちに片づけておきたい。▼首相陣営のどうにも驚く「中傷動画」の乱発。「総裁選」「総選挙」において、いわば「政敵」と目される何人もの政治家への中傷動画が、多数拡散されていたことが判明。「週刊文春」の報道だった。これに対して、この先、いかなる展開が見られるのか。一切が「不問に付す」ということになるのだろうか。カタストロフィ(catastrophe)がいよいよ迫ってきている実感がある。(1086)

◎2026年05月01日(金)昨夜からの雨が続き、朝からも強い雨が降る。5月1日、メーデーの日でもある。その内実は昔日の面影をほとんど失っているように思う。「労働」そのものが尊重されない時代になって、どれくらい経つだろうか。▼お昼前に買い物で茂原まで。雨天のせいもあってか、店内は閑散としていた。▼文春が高市陣営の「政敵中傷動画」問題を報道。とんでもない事態が潜行していたのだが、それを知らなかったのは自分だけだったのか。ネットをよく見ていなかったから、見のがしていたのだったか。政敵を倒すためには手段を択ばず、効果があろうがなかろうが、「中傷」するだけするという、ある意味では「ファシズム」の手法が現職首相陣営によってなされていたのは、驚天動地。それにしても「汚い手を使う」のは、まともな感覚の人間のできることではないだろう。即刻辞職、様々な犯罪にかかわっていたという容疑で「逮捕」されてしかるべきだろう。(1085)

◎2026年04月30日(木)4月最後の日。ときどき雨が降ったりして、とても肌寒い一日だった。終日自宅に。▼円安が一気に更新、160円台後半に。政府大蔵省は「為替介入をにおわせ」た、ために156円台に戻す。長期金利は2.5%越え。あい変わらずの物価高騰は、石油輸入の滞りとも合わさって、さらに高騰するだろう。いよいよ「経済的ショック」がやってくる気配は濃厚だ。そのホルムズ海峡封鎖問題は、開放のめどが立たないどころか、鳴り物入りの「和平協定」交渉がどこかへ消え去ってしまったようだ。「泥沼」の長期化だろう。(1084)

◎2026年04月29日(水)「昭和の日」にちなんだ「昭和100年記念式典」、要は政府主催の「カラオケ大会」が武道館で開かれたということ。「日本という国の終焉」を宣言したに等しい「最低記念式典」だったと思う《今年が昭和元年から満100年を迎えたことを記念し、政府は「昭和の日」の29日、「昭和100年記念式典」を東京都千代田区の日本武道館で開催した。天皇、皇后両陛下が出席されたほか、高市首相や衆参両院の議長ら三権の長、衆参の国会議員や各界代表ら約5600人が参加した。/式典委員長を務めた首相は式辞で、昭和について「戦争、終戦、復興、高度経済成長といった未曽有の変革を経験した時代だった」と振り返り、「日本の誇るべき国柄を、未来を担う次の世代へとしっかりと引き継いでいく」と強調した。/会場では、海上自衛隊東京音楽隊が、昭和を彩る名曲として、坂本九さんの「上を向いて歩こう」や、イルカさんの「なごり雪」、中島みゆきさんの「時代」など計6曲の演奏、歌唱を披露した。》(読売新聞・2026/04/29)何のための「式典」だったか。どうして、自衛官が国歌を謳うのか。酷いものだったなあ。(1083)

◎2026年04月28日(火)終日自宅に。午前中、3~40分ばかり、新しい刈払い機の試用。小型・軽量でやや心もとなかったが、ゆっくりと進めれば、それなりに効果はある機械だと思う。(1082)

◎2026年04月27日(月)昨夜からの雨が明け方まで降り続いていた。午前中には止み、日差しもあった。▼午前中に、買い物で茂原まで。ほとんど毎日でかけるが、そのたびに物の値段の高いのに驚くばかり。この先も、たぶん物価は高騰するだろう。生活物資のほとんどすべての分野で「石油由来製品」でないものがないくらいに「石油漬け」になってしまったのだから、当然の報いともいうべきだろう。▼アメリカとイラクの「和平交渉」は宙に浮いたままで、時間を喰っている。イスラエルの存在が相当に大きいのであって、アメリカはイスラエルの代理者でしかないのだから、【三者、三竦(すく)み】では、ことが上首尾で運ぶはずもない。▼岩手、福島、新潟の三県で発生している山火事はなお延焼中。雨も降らないで、さらに被害は増えるだろうか。(1081)

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人はパンのみにて生くるにあらず

 数日前、ある新聞に「なるほどなあ」という記事が出ていました。禁煙効果は、都会よりは田舎、つまりは緑の多い環境の方が成功率は高いという、海外の研究の報告でした。さもありなんと思いました。ぼくは二十歳頃からおよそ半世紀、喫煙と禁煙を繰り返していました。固い決意をもって「タバコは止めた」というのではなく、吸いたくないから吸わない、吸いたくなったからまた喫煙という具合でした。当地に越してきて間もなしに、ぼくはタバコを止めていました。「今日から禁煙だ」と決意したわけではなく、気が付いたら吸わなくなっていた、以来十数年。そんなことでしたから、新聞記事の「緑の多い環境の方が禁煙効果は云々」に、思い当たったという次第です。タバコも止めたのだから、ついでに酒も止そうかと思い立って、即日飲まなくなった。以来両方とは全く無縁になりました。友人はまあ信用していないようですが。今から考えでも、生活環境の影響は大だったと思う。

 本日が「みどりの日」だという、その制定の経緯などほとんど忘却していました。もともとは「天皇誕生日」、それが二十年近く行方定まらなかったというのも不思議な話で、まあ「国民の祝日」に関する法律など、ある意味では時の世情や政府の思い付きで決められる傾向は強かったでしょうから、「天皇誕生日」が「みどりの日」になろうが、「海の日」「山の日」になろうが、ぼくにはあまり関心もなかったのであり、多くの人にとっては「休日(祝日)」が増えるのか、というくらいの関心は湧くのかもしれません。「さて、きょうは制定から38回目、5月に移行後20回目のみどりの日。いま、私たちと自然の関係はどうだろうか」というコラム氏の問題提起です。「山火事にクマ被害。温暖化や災害…。考えさせられる現象が多い。大型連休は自然に親しみ、自然を考える絶好の機会だ」と当たり障りのない意見を述べておられるが、山林面積が8割に及ぼうかという土佐の高知の新聞として、ぼくには物足りないどころか、さらに「みどり」県としての「正論」を主張をしてもらいたいと願うばかりです。

【小社会】みどりの日 5月4日が祝日「みどりの日」となったのは2007年だった。それ以前は単に「国民の休日」とされ、この年、ようやく祝日らしい位置付けになったように感じられる。▼みどりの日の制定自体は1989年。当初は4月29日だった。もともと「天皇誕生日」として定着していた日だが、昭和天皇が崩御。昭和天皇が植物に造詣が深く、新緑の季節でもあったことから、祝日として残したまま、みどりの日に変更された。▼祝日法には「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」日とある。制定当時、官房長官を務めていた小渕恵三元首相は新設に当たり、国会で思いを込めた答弁をしている。▼「国民生活は物質的にはほぼ満足し得る水準に達したものと考えられるが、これからは、これまでにも増して心の潤いやゆとりといった心の豊かさを涵養(かんよう)することが求められる」。だから自然を愛そう、と。▼「みどり」とあるが、植物だけでなく野生動物も含めた自然と考えるべきだろう。さて、きょうは制定から38回目、5月に移行後20回目のみどりの日。いま、私たちと自然の関係はどうだろうか。▼山火事にクマ被害。温暖化や災害…。考えさせられる現象が多い。大型連休は自然に親しみ、自然を考える絶好の機会だ。天候はいまひとつだが、雨が降るたびに緑は濃くなる。カエルの声も響く。そんな季節の確認作業も過ごし方の一つではないだろうか。(高知新聞・2026/05/04) 

 これまでの生涯で、ぼくは約十年ばかり「マンション」というコンクリートで囲われた住まいで生活した経験があります。それに関して「能書き」を垂れるほどの知見は持ち合わせておりませんが、一言でいうなら、「住まいは木造、それも平屋に限るね」という話になるでしょう。理由は単純です。人間という生き物もまた、自然環境の産物であり、それを超えることはできないだろうという、一種の宿命論に他ならない、その程度の意見です。コンクリートと木造のどちらがいいか、「価格」や「工法」その他を抜きにして考えれば、どうでしょう、やはり木造なんじゃないですか。タワマンだの「摩天楼」などという「喧伝」は不動産界隈の言い分であって、それも電気やガスがいつだって滞りなく供給されるという前提に立っての話。地震多発劣島に住む限りは、その条件を抜きにした構造物は論外だとも思ってきました。以下のコラム「滴一滴」は、木造のいいことづくめの感がありますが、まんざら虚偽でもないはずで、「プレハブだった建物を木造に建て替えたら、人手不足が解消した」という。「風が吹けば桶屋が儲かる」という説です。

 ぼくは教育の歴史や原理を、人並み以下でしたが、半世紀にわたり愚考し実践してきたものです。その拙(つた)ない経験から導き出せるものはあまりありそうにないのですが、たった一つ、学校教育の「一元化(注入主義・点数重視・教主生従など)」の大本は、学校建築の一元化によるところ大であるという結論でした。荒れる学校・いじめの蔓延もまた、コンクリート校舎の産物ではなかったかという与太話です。ぼくも人並みに(とは言えないものでした)小中高大と就学期間を過ごしましたが、小学校を除いて、後はほとんどがコンクリート校舎(教室)だったように思う。「滴一滴」の記述に偽りがあろうとは思われません。「倉敷市で1棟が木造化された事例を見た岡山市が2018年度着工以降の計41棟を木造化し、好評を得ている」という具体例に記述が及んでいるのですから、今度は「学校に生じる諸問題」のいくらかを、コンクリート校舎と木造校舎で比較されるとどうでしょう。大した差がないという結果が出たところで、問題ではないでしょう。もちろん、都会と田舎の比較も大事でしょうね。

【滴一滴】建物の木造化で人手不足が解消 プレハブだった建物を木造に建て替えたら、人手不足が解消したー。訪れた学童保育施設でこんな話を耳にした。名古屋市緑区のあおぞら学童保育クラブだ。2階建ての建物は、柱や壁、はり、棚などにあふれんばかりに木が使われ、ぬくもりが伝わってくる▼6年前に木造化されると、冬は極寒だった室内が暖かく、エアコンが効かない夏の猛暑も改善された。残響がひどく大声になっていたイライラも減り、子どもの笑顔が増えたという▼効果は指導員の採用にも及ぶ。人手不足の中でも遠方を含めて応募がすぐに来るようになった。快適さは子どもたちだけでなく、働く環境としても大切だと気付かされる▼取り組みを推進したのが一般社団法人・森と子ども未来会議だ。愛知県内外の建物の木造化により、木の伐採・植樹といった循環による林業や森林の再生を目指す▼岡山県で木造化を働きかけている県学童保育連絡協議会も未来会議と連携して、勉強会などを開催している。県内の学童保育施設では、倉敷市で1棟が木造化された事例を見た岡山市が2018年度着工以降の計41棟を木造化し、好評を得ている▼森林は県の面積の7割近くを占め、戦後に植林された木々が成長して伐採期を迎えた。きょうはみどりの日。山で出番を待つ木々の活用を暮らしの中でさらに進めていきたい。(山陽新聞・2026/05/04)

 もちろん、事は学校建築だけではないでしょう。公共の建物や個人の住宅にしても同じような問題を抱えている。面積の7割近くが山林であり、その山林が荒れるに任せているような現状に鑑みて、国レベルで、あるいは自治体が率先して、木造建築の効用を体験する時期ではないでしょうか。ものみな石油由来の製品に囲まれ、その多くが海外からの輸入に頼っている国の現状は、きわめて心細い展望しか描けません。円安や物価高騰は一時的な現象かもしれませんけれど、少子高齢化の現状に想いを寄せれば、何よりも「足元から」ということになりはしませんか。「灯台下暗し(The darkest place is under the candlestick.)」といいます。各地で発生している「熊問題」、まるで蛇蝎の如く嫌われている熊を思うと、それは、あるいは、特定の人間たちなのではないかと錯覚しそうです。都会に屹立する高層マンション、約70㎡、新築、一戸の値段が1憶7千万円もするという。貧乏性ですから、一例をあげて計算します。1億7千万円の一戸を、年収8百万円の人が買ったとして、年収をすべて返済に充てるだけで(利息は計算しないで)、約22年かかります。食べなくても、人は生きていけるんですか。<Man does not live by bread alone.>生きる支え(目標があれば)、パンはなくとも生きていきていけるということ、マジですか?

 この国の衰退の大きな理由の一つに、ぼくは「一極集中」「極度の都市化」だと、多くの人の意見に同じです。どうして、専門家や政治家が、この問題にまじめに取り組まないのか。つまるところ、衰退を早めるための政治にまっすぐに奔走しているようにしか思われないのです。いまさら、そのことをどうこう言っても始まりません。「衰退の速度が高速化する」方向を選んだのは、誰ですかという問題でもありますね。木材が豊富にあり、新鮮な空気が充満している山間地が「過疎地」と呼ばれ、「限界集落」などと揶揄されているうちはまだしも、高度に都市化が進んで、ゆっくりと安心して、一息ももつけないコンクリートの中で齷齪(あくせく)するのも、結局は個々人の自由な判断なのでしょうか、政治・行政は、この風潮に手を染めていないんですか、そんなことを愚考しているうちに、「みどりの日」が始まりました。(今週も、先週同様に、拉致もないことに付き合っているうちに「前口上」の駄文が長くなりました。「堕落日記」は別口で、お昼頃までに掲載しておきます。ただ今、午前十時過ぎ)

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参考資料)《自然の中、親子で成長 多治見「森のようちえん」にスミセイ未来賞 多治見市の一般社団法人「MORIWARA(モリワラ)」が運営し、自然育児をうたう保育団体「森のわらべ多治見園」が、住友生命による子育て支援活動を表彰する「未来を強くする子育てプロジェクト」でスミセイ未来賞を受賞した。自然の中で子どもたちの感情を育むとともに、母親が子育ての喜びを実感できる環境づくりに重きを置いている。 (吉田英悟)/浅井智子園長(56)=同市滝呂町=が2008年に前身となる「お散歩会」を始めて、翌年から正式に年少から年長の認可外保育施設「森のようちえん」を開園した。園舎を持たず、多治見市近隣の里山や緑地公園、キャンプ場などで活動。自然の中で四季を感じながら感性を育んでいく保育に取り組んできた。20年からは同市滝呂町のオリベフットサルパーク内の施設の一部を園舎としている。(以下略)(写真「森の中で笑顔で遊ぶ園児たち=多治見市内で」)(中日新聞・2025/03/15)

 「わたしたちは、多治見の豊かな自然の恵みを存分に堪能しながら、自然との触れ合いの中で本物の体験を重ね、センス オブ ワンダーの感性を磨いていきます」「わたしたち森のわらべは、母と子の笑顔があふれる社会作りを通して世界平和に貢献していきます。一般社団法人MORIWARA 自然育児 森のわらべ多治見園」(HP:https://morinowarabe.org/

 (蛇足 この小さな「森のようちえん」の、ささやかながらも、サポーターの一員に、ぼくは加えてもらっています)

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憲法は、みなさんのつくったものです

【新生】「世界の世話やき」 「時は来た」と、先月の自民党大会で高市早苗首相が、憲法改正に意欲を示した。大会で発表された党の新ビジョンでは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」との憲法前文の前提が、ロシアによるウクライナ侵攻で崩れたことを必要性の理由に挙げている▼この前文に対して高市氏は、2000年の衆院憲法調査会でも「この非常におめでたい一文を真っ先に変えたい」と主張していた▼憲法の基軸にある国際協調による平和主義について、熊本市出身の山室信一・京都大名誉教授は幕末以来の日本の思想家にも源流があるとしている。『憲法9条の思想水脈』(朝日新聞出版)でその筆頭に挙げているのが、熊本藩士で「明治維新の陰の指南役」と称された横井小楠だ▼小楠は日本の使命として、「世界の世話やきにならなければならない。一発で一万も二万も戦死するというような事は必ず止めさせなければ」と、大量破壊兵器による現代の戦争を予見したような言葉を残している▼その平和主義のパートナーとして米国を挙げ、「一和協同して、然[しか]る後に各国を説き、遂[つい]に四海の戦争を止めん」とも訴えていた▼高市氏は3月の日米首脳会談で「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけ」と持ち上げて、「私は諸外国に働きかけて、しっかりと応援したい」と述べた。これは「平和を愛するトランプ大統領の公正と信義に信頼して」、「世界の世話やき」を果たすことを表明した言葉だったのか、どうか。きょうは憲法記念日。(熊本日日新聞・2026/05/03)

 ⁂「週のはじめに愚考する」(117)~ 現行「日本国憲法」を目の敵にするような人間が首相を務めるというのは、笑えない「冗談」、ではすまない、ウルトラジョークだと思う。本日は「憲法記念日」です。これまでにも、この駄文録では何度も触れてきた「憲法」に関して、いろいろなことが語られてきましたが、要は「政治権力」の越権行為や逸脱・暴走を戒めるための最高法規です。だから、だれかれの区別なく、「国民」たるものには憲法順守が求めらてきました。 

 熊日新聞コラム「新生」の中に現首相の発言が出てきます。 「『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』と、この非常におめでたい一文を、もし改憲の機会があれば真っ先に変えようと思っている」(「高市議員(2000年9月 衆院・憲法調査会))「憲法前文」を嘲笑(あざわら)う人が「首相」であるという、嘲笑えない「現実」に、ぼくたちは、その日を生きています。強烈な「自家撞着(self-contradiction)」(「自己矛盾」)のようなものを感じないでしょうか。

(蛇足 コラムの中で横井小楠のことが書かれています。熊本という同郷の誼(よしみ)だということでしょうが、ぼくは小楠からたくさんのことを学んだ。時代の状況を考えれば、この劣島という狭い世界を衝く抜けて、世界視野の「政論(「有道論」)」を持っていた人として、まことに稀有の存在だったと思う。若いころに「小楠論」を書いたこともある。忘れてはいけない人物でしたね。機会を見つけて、駄文を綴りたいと、長く思い続けている)

横井小楠(よこいしょうなん)(1809―1869)= 幕末維新期の思想家、政治家。熊本藩士。名は時存(ときあり)、小楠は号。藩校時習館に学んで朱子学的教養を身につけ、実学にも関心を寄せた。1839年(天保10)江戸に遊学、佐藤一斎(さとういっさい)、藤田東湖(ふじたとうこ)らと交渉をもったが、過失あり帰藩逼塞(ひっそく)を命ぜられた。ペリー来航時攘夷(じょうい)論を唱えたが、その後世界地理書『海国図志』(ブリッジマン著、魏源編集)を読んで開国通商による富国強兵論を主張するに至った。1858年(安政5)福井藩主松平慶永(まつだいらよしなが)の招聘(しょうへい)を受け藩校明道館で講学、ついで江戸へ行き、政事総裁職となった慶永の補佐にあたり、開国貿易、殖産興業、海軍強化策などを説いた。1862年(文久2)刺客に襲われた際の挙動が士道に背くとして藩から帰国を命ぜられ、知行(ちぎょう)没収、士籍剥奪(はくだつ)の処分を受け蟄居(ちっきょ)。明治政権成立後、徴士、参与、制度局判事となり、岩倉具視(いわくらともみ)の信任を受けたが、病気のためたいした活動はできなかった。しかも洋風化の中心としてキリスト教を広めるとみた旧攘夷(じょうい)派のため暗殺される。彼は外国語に通じなかったがよく西洋文物を理解し、勝海舟(かつかいしゅう)、坂本龍馬(さかもとりょうま)らを敬服させたが、その教養の根底には政治と学問とを連続したものとみなす朱子学の理念が強く流れていたといわれる。(日本大百科事典(ニッポニカ)

 「独立した主権国家の国民としてのプライドにかけて『日本の心と言葉を持った憲法』へと書き直すべきだと思っている」「まず、前文には、目指すべき国家像を書き込む。『国家はどうあるべきか』『国民はどうあるべきか』を冒頭に示すのだ」「日本国は自衛の為の戦力(国防軍)を持てる」「日本国民は、国防の義務を負う。有事の際(中略)私権の一部制限に協力する」(「高市氏の論文(2004年))などと、とても勇ましい憲法改正論を展開している。(【報道特集】・TBS・2026年5月2日(土))(https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/2640528?display=1)「日本の心と言葉を持った憲法」とは、『日本列島を強く豊かに』とかいう、やたらに国家だけを強調する、観念過剰憲法だというのですか。「主権国家」とは「徒(いたずら)に米国尊重、迎合至上主義」を言うのでしょうか。

 そして、今や総理大臣になったのだから、まさに「時は来た(The time has come.)」と叫んだ次第で、何の違和感もないというところでしょうが、さて、どうしたものか。この人は、その場その場で「向こう受けする言辞」を吐き出してきただけであり、ある意味では「腰が軽い(軽躁な)」「口も軽い(出任せ)」というほかない振る舞いに満ちている人だと、ぼくは見てきました。「憲法」と雖(いえど)も、それこそ「不磨の大典(「明治憲法」の美称とされた表現)」などではありません。それゆえ、修正すべきところが出てくるのは避けられない。ぼくもいくつかの条文の見直しは必要だと考えているものです。何年も前に国会に呼ばれて憲法調査会だったかで発言した際にも「改正条項」に触れたことがありました。(左写真は「あんたのバラード」???)

 しかし、「憲法前文」を「この非常におめでたい一文」、これこそ真っ先に抹消したいというほどの、まさしく「憲法蔑視」「前文敵視」を隠さない人間は、「首相」になるべきではなかったのではないでしょうか。「独立した主権国家の国民としてのプライド」という「まともな矜持」を今も、当時も持っている・いたというのでしょうか。米国随従は誰の目にも明らか、だからこそ、その「独立」の第一歩を標(しる》すべき立場にあるにもかかわらず、さらに「盲従」の歩を進めているという自覚(反省)もないのですから、何をか況(いわん)や、です。(右写真では国旗と自民党(ロゴ)が並べられているけれども、自衛官は「自民党」に向かって国歌を歌唱しているんですね。「ファッショ」を誇示しているのでしょうか)

《自民党は12日、高市早苗首相(党総裁)の就任後としては初めてとなる党大会を都内のホテルで開いた。首相は「日本人の手による自主的な憲法改正は党是だ。時は来た」と主張。「改正の発議にめどが立った状態で来年の党大会を迎えたい」と語り、国会での改憲議論を加速するべきだとの認識を示した。具体的な改憲項目は言及しなかった。/首相は改憲について、「議論のための議論であってはならない。国民の負託に応えるためには、決断のための議論を行うべきだ」と述べた。改憲の発議には衆参両院で3分の2の賛成が必要で、自民は衆院で単独で3分の2を超えるが、参院では半数に満たない。与党内での議論はまとまっておらず、野党からの賛同のめどは立っていない。期限に言及することで、首相は党内外の動きを促す狙いがある。》(朝日新聞・2026/04/12)

 「右へ右へと、草木も靡(なび)く」(異説「佐渡情話」)

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 ここで、一人の「芸人」を紹介しておきたい。「松本ヒロ」さん。鹿児島出身の「芸人」(「誰もが言えないこと、言いたくても言えないこと」をいうのが「芸人」だと、故立川談志氏に言われての「芸人」人生だという)。もう一つの勲章は、あまりにもキワドイ政治ネタの速射砲なので、テレビ界が敬遠、いまや「テレビで会えない芸人」という称号で、番を張っています。彼の出し物(特異・得意演目)「憲法くん」は、よく演じられる「一人芸」であり、ぼくはこれまで何度聴いたことか。現首相との比較を云々したいのではありません。「憲法」とはなんであるかという、「基本の基」を笑いながら教えられるという意味で、まれな「芸人」の秀逸な「芸」だと、ぼくはいつも感心しながら笑ってきた、。いや、笑いながら感心してきたものです。

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笑い、闘志と希望生む 松元ヒロさん 連載企画「憲法 マイストーリー」第1回 「こんにちは、憲法くんです」「憲法くんは、個人の自由が奪われないように、国を治める人たちが自分勝手な政治を行わないように、歯止めをかけているのです」/コメディアンの松元ヒロさん(1952年生まれ)による、この一人芝居「憲法くん」は20年続いてきた。7分間で憲法の制定過程や役割を説き、前文を全て朗読する。作家の故井上ひさしさんは「感動した。あらゆるところでやってほしい」と語った。/2017年も月に2~3回は演じたが、こんなせりふを加えている。「変なうわさを耳にしたんですけど、本当ですか。私がリストラされるかもしれないという話」 ▽焼け跡から  自民党が9条など改憲4項目の論点とりまとめを公表する前日の17年12月19日夜。松元さんは東京・池袋にある東京芸術劇場プレイハウスのステージに立った。834の客席はほぼ満員で、その多くが40代以上だ。(中略)》

 《「直近の時事ネタをテンポよく続けた後は、母校鹿児島実業高のネタに。松元さんは駅伝選手として活躍した。「当時、高校には二つのグループがあったんですよ。グラウンドを走るグループと非行に走るグループ」/大笑いの客に「憲法くん」が絵本となり、出版されたことを伝える。/「本には焼け跡の絵があります。二つの原爆を落とされ、(第2次大戦で)310万の日本人が死にました。アジアでは2千万人です。こんな戦争が二度とあってはならないからできたんですよ、日本国憲法は」/「押し付けられたという人がいるけど、マグナカルタや米独立宣言、フランス人権宣言などのいいところを集めたんですよ。例えば、ご祝儀は押し付けられたからいらないと言う人がいますか。日本独自の憲法がほしいなんて、了見が狭いよ。『日本会議』は『地球会議』になりなさい」と畳み掛ける。1時間50分、笑いを取り続けた。(後略)》(共同通信・2018年10月18日 14時44分)(https://www.47news.jp/2881381.html) 

 (⁂ 松元ヒロさん「憲法くん」ダイジェストhttps://www.youtube.com/watch?v=Pw8kAKmOODc

 (ヘッダー写真「東京芸術劇場プレイハウスのステージに立つ松元ヒロさん」)(2017年12月19日:撮影・稲葉拓哉)

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(参考文献: 「文部省 あたらしい憲法の話」

《これまであった憲法は、明治二十二年にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、國民にあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本國民がじぶんでつくったもので、日本國民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。この國民ぜんたいの意見を知るために、昭和二十一年四月十日に総選挙が行われ、あたらしい國民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。それで、あたらしい憲法は、國民ぜんたいでつくったということになるのです。
 みなさんも日本國民のひとりです。そうすれば、この憲法は、みなさんのつくったものです。みなさんは、じぶんでつくったものを、大事になさるでしょう。こんどの憲法は、みなさんをふくめた國民ぜんたいのつくったものであり、國でいちばん大事な規則であるとするならば、みなさんは、國民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません。そのためには、まずこの憲法に、どういうことが書いてあるかを、はっきりと知らなければなりません。(↷)

挿絵2


 みなさんが、何かゲームのために規則のようなものをきめるときに、みんないっしょに書いてしまっては、わかりにくいでしょう。國の規則もそれと同じで、一つ一つ事柄にしたがって分けて書き、それに番号をつけて、第何條、第何條というように順々に記します。こんどの憲法は、第一條から第百三條まであります。そうしてそのほかに、前書が、いちばんはじめにつけてあります。これを「前文」といいます。
 この前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。この前文というものは、二つのはたらきをするのです。その一つは、みなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとするときに、手びきになることです。つまりこんどの憲法は、この前文に記されたような考えからできたものですから、前文にある考えと、ちがったふうに考えてはならないということです。もう一つのはたらきは、これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。(↷)

 それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。いちばん大事な考えが三つあります。それは、「民主主義」と「國際平和主義」と「主権在民主義」です。「主義」という言葉をつかうと、なんだかむずかしくきこえますけれども、少しもむずかしく考えることはありません。主義というのは、正しいと思う、もののやりかたのことです。それでみなさんは、この三つのことを知らなければなりません。まず「民主主義」からおはなししましょう。》(1947(昭和22)年8月2日文部省検査済)

◎ あたらしい憲法のはなし=旧文部省が1947年8月に発行した社会科教科書。同年5月3日に施行された憲法の基本原則である国民主権、基本的人権の尊重、平和主義などについて解説している。文体はですます調で挿絵が多用され「天皇陛下」や「地方自治」といった章もある。当時のものはB6に近いサイズで53ページ。童話屋(東京)が2001年に復刊した本は、今も年間2万~3万部売れているという。(共同通信ニュース用語解説

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