人間性破壊の特異点が生じているかも

⁂「週のはじめに愚考する」(120)~ 「AI はツール(tool)ではなく、行為主体(agent)である」という 駄文を二日前に綴ったたばかり。人間自身が問題(事態)を判断するのではなく、それを「AI」という人工物に委ねられているという原理は普遍性を持っています。駄文を綴った際に、ドラえもんや鉄腕アトムは「善意のロボット」として生み出されているので、残酷なことや悲惨な結末を産むことがないのは予測できたと書きました。どちらも、人間性の及ばないところにその力を発揮し、戦争や自然災害などの災厄を免れることができる選択をする、その方途を明示するように「善意のロボット」は働いていたのではなかったか、それが駄文の趣旨でした。

 本日の西日本新聞のコラム「春秋」は、熊本大学の学生の一人が「AIはのび太にとってのドラえもん」と指摘していたと書かれていた。我が意を得たというのか、「善意の助っと」は、誰にとっても歓迎される存在ですから、たとえ漫画と雖も、大いに読者や視聴者から歓迎されるのは当然だったでしょう。「のび太君は事あるごとにドラえもんを頼り、無理難題を丸投げする。ドラえもんは『困ったやつだなあ』と嘆息しながら『ひみつ道具』を取り出し、解決の手助けを試みる」そこには人間と人型ロボットの間の「友情」というものが明らかに感じられていたでしょう。

 (ヘッダー写真は「藤子・F・不二雄大全集 ドラえもん (20) コミック – 2012/9/25」)

【新生面】AIとドラえもん 「AIは、のび太にとってのドラえもん」。熊本大でジャーナリズム論を学んでいる学生の一人が、今の若者たちと生成人工知能(AI)の関係をこのように解説してくれた▼勉強のこと、友達とのこと、やらかしてしまった大失敗のこと…。のび太君は事あるごとにドラえもんを頼り、無理難題を丸投げする。ドラえもんは「困ったやつだなあ」と嘆息しながら「ひみつ道具」を取り出し、解決の手助けを試みる▼けれど、なかなか成功しない。うまくいったように見えても、すぐに「ひみつ道具のおかげ」であることが露呈し、さらなる窮地に陥る、というのがお決まりのストーリーだ▼今の若者たちは生成AIとどんな関係を築いているのだろう。内閣府の調査によれば、生成AIを使っている人の23%、10代女性では52%が「悩み相談」を目的に挙げている。人間関係などへの助言を「信頼している」との回答は全体で38%、10代女性では63%に上った▼昼夜を問わず困り事に対応し、秘密も守ってくれる。生成AIは確かに便利で心強い存在だ。ただ、心地よい関係に依存しすぎると、生身の人と話をするのが面倒になってしまいそう。生成AIの助言を参考にしながら、人まねではない、後悔しない決断をできるかも気になる▼生成AIは全ての世代の人々にとって必須の道具になっていくに違いない。とはいえ、それと引き換えに人として大切な何かを失っては元も子もない。ひょっとしたら、のび太君とドラえもんはそう伝えているのかも。(西日本新聞・2026/05/24)

 鉄腕アトムにしてもそうでした。人間社会、ひいては人類の危機に、果敢に挑戦する「平和のヒーロー」という印象がとても強かったと思う。その人型ロボットのエネルギー源が「核物質(ウラン)」であったのと比べて、今日の人型ロボットは「レアメタル」だという違いはあるでしょう。その違いは、決定的なものだったかどうか、ぼくには断定はできませんが、無奇物(鉱物)から有機物(動体)を生じるという点ではいささかの差異もないと思います。

 ドラえもん(1969年登場)も鉄腕アトム(1951年誕生)も、同時代の存在として、ぼくはよく理解し、歩調をそろえて、並走していたとは言い難く、あまり優れた読者・視聴者ではなかったことを白状しておきます。今日においても、ぼくは一度として携帯もスマホも所持したことはなく、寿命が尽きるまでに一度だけでいいから「バーコード」を読み取ってみたいという、まるでおサルさんのような希望を持っている人間です。適例かどうか、にわかに判別はできませんが、小学生が戦争ゲームで敵側にミサイルや核爆弾を発射する、そんな考えたくないような未来社会が、ぼくたちの生活圏で「口を開いて」始まっているというようにも考えられます。

 一人の人間の中に、より多くの善意に基づく要素と、反対に悪意に向かいがちな傾向とがあって、確かに、そのような二種類の人間がいると、ぼくたちは考えたくなります。人間の作るロボットですから、その二種類の傾向(要素)の強弱はきっと作品(ロボット)に反映されるでしょうし、最初から意図をもって作られれば、はっきりとした「殺意」や「嫌悪」を示す行動をとるロボットも生まれてくるでしょう。ドラえもんや鉄腕アトムの「作者」たちは「人間愛」(人類愛)「闘争ではなく友愛」により強い親和性を持っていた人だったから、それを鑑賞する側も安心しておられたのではなかっかと思う。

「生成AIは全ての世代の人々にとって必須の道具になっていくに違いない。とはいえ、それと引き換えに人として大切な何かを失っては元も子もない。ひょっとしたら、のび太君とドラえもんはそう伝えているのかも」(「春秋」)というコラム氏の指摘は間違ってはいないでしょう。しかし、今、ぼくたちの社会見に見られる「AI技術搭載品」は、あくまでも「道具(tool)」であって、それ以上でも以下でもないから、事は面倒ではないとも言えます。「機械に頼るのではなく、最終的には自分で考え判断する力を持たなくちゃだめだよ」と、コラム氏は、アトムやドラえもんになり代わって言われたのかもしれません。。

 今日の課題となっているような、「人工知能」以降の開発課題、問題発掘等、それを考えるには、この駄文はふさわしくない。要は生成AIの人間化を進めるのは、そこに「道徳性」、あるいは「責任性」というものを想定しなければならないのでしょうが、まだまだ現状では十分ではない。ある人に言わせると、人工知能は、2029年にAIに凌駕されると言われている。(この先を論じると際限がなくなりそうですので、今回はここまでに)

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 (蛇足 携帯電話が話題になりだした時期(1980年代後半)、持ち運びができる電話ということで、とても受け入れられたことをぼくは記憶している。もちろん、その段階で、ぼくには不要な機器だという判断があったし、それが今に至っても続いているのです。簡単に言うと、あくまでも通信(通話)の道具(手段)であるという認識でした。機械(道具)は便利で効率が高いから普及するのでしょう。洗濯板で汚れを落としていた時期から、一転して電気洗濯機が作られるとたちまちのうちに普及しました。なによりも重労働からの解放が認められたからでしょう。自動車もそうでした。

 しかし、スマートフォンが流通するようになった段階では、明らかにベクトルは変わってきました。通信の手段ではなく、それを超越した発展可能性を持っていることがわかっていたからでした。自動車がスマートフォンを搭載するとどうなるか、たぶん開発者は、それを予想しながら未来図を描いていたと思う。自動運転はもちろんのこと、空を飛行する車も考えられていた。それ以上に、スマホに乗せられる「AI」の進化によって、人間自身が人工知能に動かされる、命令されるなどという人間の受動性が明らかになり始めた段階で、事態は局面(フェーズ)を変えたのでしょう。 

 これからもぼくはスマホは持たないでしょうから、シンギュラリティ―(singularity)問題はぼくには起こりません。それが社会の大きなテーマになる頃には、ぼくはとっくに消滅しています。

 人型ロボットをこよなく愛する人型人間が生まれていることは現代社会のまぎれもない現象です。もはや「AI」なしの生活が考えられなくなっているという事実はいたるところに見られます。人間行動のかなりな部分が、生成AIにそそのかされて、あるいは導かれて行われているという傾向も否定できないでしょう。それは人間性の進歩というか、人間性の伸長という問題ではなく、その反対に人間性の略奪、人間能力の抑止・抑圧に働くことは、一面では否定できないように思われます。「鉄腕アトム」や「ドラえもん」に熱を挙げていた、素朴な人間および人間性にぼくたちは郷愁を覚えるはずでしょうが、やがて、その時機はもう過ぎ去ってしまったという悔しさを覚えることになるはずです。

 極小の「ナノボット」が人間に移植される時代が来ると期待されているのでしょうか。人間の知性と人工知能が仲良くできればいいけれど、うまくいかないことの蓋然性は高いという主張もあります。ここまでくると、ぼくの興味も理解力も超えてしまいますので、その隘路(あいろ)には踏み入らないいつもりです。人間がロボットに額ずく時代、そんな環境には住みたくない、というより、今だって十分に「人間のロボット化」が進んでいるし、人間でなくなった「衝動(の塊)」が、さまざまな問題行動をとっているからです。衝動という表現を「本能」と言い換えてもいいでしょう。人間性を破壊する「本能」というものもあるというのは矛盾した考えですが、自分で自分を殺すのもまた人間ですから、ぼくたちの中にはすでに、人間性を破壊する「シンギュラリティ(特異点)」が動き出しているんだという認識に似たようなものは、ぼくにはあります。

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◎ 技術的特異点(ぎじゅつてきとくいてん)technological singularity = 人工知能に代表される技術 technologyのもつ知能が,自己再生産によって指数関数的に高度化するという収穫加速の法則に基づいて人間の知能を抜き去り,超知能が出現する時点をさす。アメリカ合衆国のコンピュータ科学者であり発明家のレイモンド・カーツワイルが提唱した 2045年頃に技術的特異点が出現するという説から,そもそも,そのようなことはありえないという説まで,幅広い意見がある。1980年代に数学者で SF作家のバーナー・ビンジが数学に由来する特異点という概念で技術の未来について論じ始め,1993年には “Whole Earth Review”誌で “Technical Singularity”という表現を使った。(↷)

 その後,カーツワイルが 2005年に公刊した書籍『シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき』The Singularity Is Near: When Humans Transcend Biologyによって世界に広まった。近いうちに技術的特異点がやってくると考える人たちは,出現後の人類のあり方について議論を展開した。そのうちの一つに,マインドアップローディングという操作により,人間が自分の意識を脳からコンピュータに移し,超知能のなかに統合することで不老不死を得られるのか,という議論があった。この議論から,マインドアップローディングされたあとも同じ自分であるという意識を持続できるかといった議論や,テクノロジー社会に生まれたわれわれはすでに人工物と融合したサイボーグの一種なのではないか,といった議論も派生した。(ブリタニカ国際大百科事典)

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Enjoying the feast on the eve of collapse.

  過去最多の6党参加「党首討論」は駆け足質疑に終始…導入時には想定外だった「1強多弱」で制度にきしみが
 
 今国会で初めて開かれた20日の党首討論では、過去最多の野党6党首が高市早苗首相と論戦を交わした。ただ、多党化の影響でそれぞれの持ち時間は3~12分にとどまる駆け足の質疑。二大政党のリーダー同士が政権担当能力を競い合う場という、制度導入当初の意味合いは薄れているのが実情だ。(近藤統義、川田篤志)
◆玉木代表は対決色を封印、小川代表は…
 「ガソリンの暫定税率廃止を一緒にやってきた仲間だ。重く受け止める」
 国民民主党の玉木雄一郎代表からガソリン価格を抑制する補助金政策の「出口戦略」を問われ、首相は与党議員への答弁のような前向きな姿勢を示した。
 玉木氏も首相の答弁に「大きな方向性は合致している」と賛同したり、19日の日韓首脳会談を「素晴らしい外交成果だ」と持ち上げたりするなど、対決色を封印した。
 対照的だったのが、首相と中道改革連合の小川淳也代表のやりとり。中東情勢の緊迫化を受けた2026年度補正予算案の検討指示の遅れを追及する小川氏に対し、首相は「早くから対応の可能性もあると腹に留めていた」と反論。国会審議で補正予算の編成を否定したことを指摘されても、「私の表現ぶりが『現時点では』『今すぐ直ちに』『今日の時点では』と変わっていったのはお気付きだと思う」と突っぱねた。
◆45分を6分割…最長でも持ち時間は
 一方、両党首が「表面的なやりとりにとどまってしまう」(玉木氏)、「議論の深まりは不十分」(小川氏)と持ち時間の短さを嘆いたことは共通している。
 党首討論は与野党の申し合わせに基づき、1回当たり45分を議席数に応じて割り振る仕組みだが、2月の衆院選で「衆院または参院で所属議員10人以上」という参加要件を満たす野党が6党まで拡大。細分化した野党の勢力差も大きくないため、最長の国民民主で12分しか与えられなかった。
 英国議会のクエスチョンタイム(QT)をモデルに、日本の国会で党首討論が始まったのは2000年。英国に倣って、政権交代可能な二大政党が次の国政選挙をにらみ、骨太の政策論議を展開する場とうたわれ、当初は自民党と民主党の党首が対峙(たいじ)し、一定の役割を果たしていた。
 導入時には想定していなかった与野党の「1強多弱」で、制度にきしみが生じている面はある。
 持ち時間が9分だった立憲民主党の水岡俊一代表は記者団に「多党時代なので時間を延ばす対応があるべきだ」と訴えた。(東京新聞・2026/05/21)

 「過去最多の6党参加」「党首討論」と各紙は報道していましたが、ぼくに言わせれば、間違いなしに「過去最低の(6党参加の)党首討論」でした。幾つか理由はありますが、まじめに考えることすら腹立たしいし、反吐が出る。「党首討論」と看板を掲げていたが、質問項目は事前通知。そして答弁も事前に提示されていたのではないですか。国会の代表質問と質疑に倣ったか。「馴れ合い(Collusion)」という、おそろしい八百長。<Collusion>にはいくつもの含意がありますが、「共謀・結託・馴れ合い・内通・内応」等々、間違いなしに国を破産させる営みでしたね。これを「討論」というのですか。質す内容も、質された問いの答えも、お互いが事前に知りながら、無駄な芝居をやること自体が、不真面目に過ぎますよ。

 首相は直前まで韓国遊山。事前に質問に対する答弁はできているのですから、それを読み上げだけだから、ばかばかしいにもほどがあります。「過去最低の6党」に割り当てられた持ち時間は話にならないものでした。3分や5分で何を質し、何を引き出すつもりだったのでしょうか。見るに堪えず、聞くに堪えず。ここまでひどいとは?、いや、いや、思った通りの有象無象でしたね。ぼくはもっと愚劣だと見込んでいますからね。とにかく、一日も早い辞職(退陣)を願うばかり。酷さ比べをするつもりはないけれど、これほど首相の座を汚し続ける国会議員がいたでしょうか。に言の欠陥が見え透いているにもかかわらず、それにお追従する「党首」も、まことにお似合いの不出来ぞろい。恥ずかしい限りですね。

 さらに、最も肝心なことは現首相には大きな「疑惑」がいくつもかけられていて、それに対してまともに、一度として反論もしなければ、説明をもしない、にもかかわらず、それを問い質さないというのは、事前に「約束」ができていたのではないか。「J 党総裁選挙」「衆議院議員選挙」のいずれにも首相の腹心が他候補を中傷誹謗する動画を民間人を介して依頼し、それを選挙期間中ネットを通じて拡散させていたと報じられた。その真偽についてすら反応しないのは、「三十六計、逃げるにしかず」というやつでしょう。検察も警察も動かないんですか。ならば、ぼくが告発しても、と考えているくらいですよ。やり方が、姑息の上に、汚い。それに対して一片の「釈明」もしない、あるいは、だれも求めないのはどうしてか。その釈明会見を求めない野党とは何ですか。この首相はあらぬことを国会で答弁して「中国に喧嘩を売った状態」で、そこからいろいろな不利益を蒙っている。いわば。自らの誤った答弁で国益を大きく損なっているのに、双方がそれに一切言及しないのはどうしてか。

 ぼくはかなり前から、今日の国会には野党という勢力は存在しない、ほとんどが「与党」だといい続けてきました。「与野党」というのは悪い冗談。質疑応答を笑顔を交えて、話し合うという弛緩状態にこそ、国会の今日の実態があったと思う。はっきりとさせなければいけない。この首相は「首相の任」に堪えられないことは明々白々です。総理大臣の正当性(legitimacy)が明らかに疑われているのに、それになぜ目をつむるのか、ぼくには国辱ものというほかに言葉がない。

 つまり、国民はまるで問題にされていないというのです。間違いなしに「国難」が始まっているのに、この不祥事ともいうべき「党首討論」のでたらめさ。討論会開始直前、総理は破顔一笑で「二日酔いで」とふざけていた。首相失格の御仁を前にして、各党首は「おべんちゃら」「愛想」の羅列と合唱。日本国議会、ここに極まれり、でした。一刻も早く、首相を筆頭に、各位退任してください。経済財政破綻も始まっているし、日本投げ売りの火ぶたも切られました。今次の国会党首討論会。一言するなら「国難を前に、それを娯楽の材料にしているのだ(They are using national crisis as material for entertainment.)」国会政党の党首たちは「破綻」前夜の宴を楽しんでいるのだ。(Enjoying the feast on the eve of collapse.)彼らの酔態というか、醜態というべきか、見てはならないものを見せつけられた。当方には、そんなに出鱈目(でたらめ)な生き方をしてきたつもりはないのですがね。とんだ災難でした、終点直前で、さ。

 (こんな為体・テイタラクを見るために長く生きているのではないのに、「多辱の花粉」は向こうから当方に降りかかってくるんだ)

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(⁂ Patti Page – “It’s a Sin to Tell a Lie” https://www.youtube.com/watch?v=5Mye4fFrazE&list=RD5Mye4fFrazE&start_radio=1


[Verse 1]
Be sure it's true when you say, "I love you"
It's a sin to tell a lie
Millions of hearts have been broken
Just because these words were spoken
I love you, yes, I do, I love you
If you break my heart I'll die
So be sure that it's true when you say, "I love you"
It's a sin to tell a lie

[Instrumental Break]

[Verse 2]
I love you, yes, I do, I love you
If you break my heart I'll die
So be sure that it's true when you say, "I love you"
It's a sin to tell a lie

[Outro]
It's a sin to tell a lie

("It's a Sin to Tell a Lie" is a 1936 popular song written by Billy Mayhew.)
* マーケットの状況 日経平均 63,339.07 +1654.93  NYダウ 50,579.70 +294.04  ドル円 159.17-19 +0.15円安  NY原油 97.00 +0.65  長期金利 2.760 ±0.000 (日経新聞・2026/05/22)

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AIはツールではなく、行為主体である

【小社会】AI面接 いまの学生の就職活動は、5月末までに内定を得るのが一つの目安だそうだ。その通りの動きだろう。来春の卒業予定者の内定率が4月末時点で、既に70%を大きく超えていることが先日、民間調査で明らかになった。◆ちょうどわが子も就活中。早期化に伴い、学生もより多くの企業に挑戦するようになっているという。売り手市場ゆえだが、はたから見ていると、それを可能にする理由が他にもあるのに気付く。人工知能(AI)の普及。◆学生側は志望企業に自己PRなどを記入した「エントリーシート」を提出する。それを素早く、簡単に作文してくれる便利なAIがある。加えて、企業側もAIを使ってさばけるようになった。◆特に大企業ともなると、応募者は毎年、数千人に上る。AIが書類選考し、最初の面接も「AI面接官」という事例が増えているらしい。「聞き忘れもなく、(人より)公平な評価ができる」。導入企業の人事担当者の感想が以前、本紙に載っていた。◆ただし、最終面接は人が担当。個性や持ち味を加味し、最後は人の責任で選ぶ。それでも、わが子から「あすはAI面接」と聞くと、機械に選別されるようで複雑な気分になる。◆今月は内定を得る学生が一段と増えそうだ。AIで応募書類を作り、AIに評価されて社会に出る。時代の変化を理解しつつも釈然としないのはアナログ世代だからだろうか。それこそAIに尋ねてみたい。(高知新聞・2026/05/22)

 昨日はアメリカのある大学では、試験中に「AI」装着の機器などを駆使してカンニングをする学生が多すぎるので、これまでの慣習(試験監督者を試験中には置かなかった)を改め、不正防止のために試験監督を設けるという「ルール」を導入したという問題に関して愚考を述べました(「人間性が『AI』に蚕食される時代です」)。同じようなAI利用問題は、現段階では民事裁判に限定されているが、「AI機器」を用いているというし、医療では「AI診察」を導入しているという具合に、あらゆる部門で人工知能(生成AI)使用の現実があり、その是非をめぐって喧(かまびす)しい議論が戦わされています。

 本日は、すでにかなりの企業が採用している「AI面接」を高知新聞のコラム「小社会」が取り上げていました。「来春の卒業予定者の内定率が4月末時点で、既に70%を大きく超えていることが先日、民間調査で明らかになった」という。今も昔も、この社会における大学(他国もそうでしょうが)は、創設当初から完全な「就職予備門(Job hunting preparatory school)」でしたから、この事態そのものにぼくは驚きませんが、大学教育の「空洞化」はますますひどくなっているのだという実感を強くします。まだ在職中、いわゆる企業と大学との間に結ばれた「就職協定」なるものがあって、学生の会社訪問は4年生の6月を俟って開始・解禁するという約束だったが、そんなものはあって、ないも同然。当時でも3年生の春から就職活動(就活)が始まっていました。ぼくは一回だけでしたが、この「就職協定」遵守を申し入れるために経団連だったかに赴いたことがりました。規則や協定は破るためにあるというのが、この社会の風潮でしょうか。

 その企業における「AI面接」の採用問題です。幾つかの実例を見ましたが、人間がやるのと基本は同じであるのは当然で、AIだから、特別の趣向があるわけでもないでしょう。民減がやっていた面接をAIが代わりにするというだけのこと。これまではたくさんの応募者を「分単位」で区切り、あるいは集団面接で捌(さば)くなど、いろいろと苦労しながら、企業は人材を選別・確保してきました。この「AI面接」の利点は、何時でも何処でも学生が面接日時を設定できる(らしい)、限られた面接時間でも、上限はかなり長くなっている、結果もネットを通して報告されるなど、従来よりも面接処理方法が、企業にも学生にも「効率的」「機能的」になったとされています。

 何のことはない、これまで企業人が行っていた面接をAIが行うのですから、極端に言えば、いささかも変わらないではないかということでしょう。これを少し別の表現でいうなら、「企業人のAI化」が進んでしまって、逆に、これからは「AIの人間(擬人)化」が進行しているということです。このAI面接を導入して何年にもなる企業も数多く見られますので、これまでの人間面接者とは「特段の差異」はなさそうだということのようです。詰まりは、こんなことは「機械化」できる仕事だったということですね。これはAI利用方法の問題です。

 話が横道にそれます。もう何年も、毎日のように新聞コラムを読んでいて、時々、これは人間(記者)ではなく「AI」が書いたのだろうと思いたくなるものが、かなり増えてきました。具体例を提示しましょうか。このコラムは「AI記者」が書きましたと、言いたくなるものが本日もありました。それをとやかく言う筋合いは、ぼくにはない。人間が書いているものとばかり、読む方が勝手に思い込んでいるだけで、実は、こんなことは早くからやられていたのかもしれません。といってしまえば、叱られそうですが、実際はどうでしょうか。人間かAIか、よくわからないという事態が、静かに進行していると考えれば、驚きもしませんけれど、別の角度から見れば、ゾッとしますよね。

 適例ではありませんが、ぼくは大学入学試験で「マークシート」が導入される際の騒動を思い起こしています。これまで通りに人間がやるのとは違って、機械化にかけるための処方が求められますから、入試問題そのものの性質が変わるという意見があった。でも、これまでもほぼすべてが〇✖(選択)式の問題でしたから、何の差し障りもなく移行し、その便利さから抜け出せなくて、今もマークシートは有力な入試問題の対策の主流にあります。繰り返します、人間の仕事を機械(AI)が肩代わりしているのです。スコップを使って穴を掘っていたのは、今では重機を用いて短時間で効率よく大仲を掘るのに似ています。便利・効率化が何よりという人間の欲求が生み出した機械化による効果です。

 それと同じようには論じられないのが「人工知能」「生成AI」、そして「AGI(汎用人工知能)」「ASI(人工超知能)」の開発と普及の問題です。人間は長い時間をかけて機械・機器と共生してきました。その歴史にはいくつかの「画期(innovation)」があったのです。一例では、アルビン・トフラー氏(Alvin Toffler(1928~2016)という文明史家が説いた「第三の波」「未来の衝撃」などにおける技術革新の切り開く社会像の提示などがありました。

 今日では、歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)(1976~ )氏に代表的に見られるAI革命の未知の部分(実はこれこそがAI革命の核心であるのです)を鋭く突く何冊かの著作で、AIは便利な面(道具性・効率性)ばかりが強調されるけれども、実は、これまでに誰も経験したことのない未知の世界を生み出す力を有しているという指摘です。「トランプのような者はこれまでにもいたけれど、AIは一度も存在しなかった」という指摘には多くの示唆(暗示)が含まれています。ぼくたちはこれまでに経験してこなかった、人類史上の危険な淵に差し掛かっているともいわれます。

 AIはツールではなく、「行為主体」であるということ <AI is an agent of action.>(ハラリ)

 「AI革命」は始まったばかりという印象をぼくは持ちます。「功罪相半ばする」するという受け止め方が多くあるようですが、どうでしょうか。長距離を歩くことは重労働に類することでしたが、自動車や飛行機の搭乗を、それを驚異的に革新してくれました。今、その自動車や飛行機といった機械(agent)が、自らの意志で何事かを企むとしたらどうでしょうか。ぼくの直感からすれば、「パンドラの箱」が、「AI」という画期的な「発明」によって開け放たれた状態であるとも思われます。箱の中には「希望」は、たぶん残されていないかもしれないのです。ロボットやクレーンのような機械仕掛けの「働き手」だけが「AI」の道ではないでしょう。つまり、この社会で問題にされているのは、今までは主として「ツール」としての「AI」の側面であって、それは「AI」そのものの本質を無視していることにほかなりません。詳しくは述べられませんが、「AI」それ自体が「行為主体(agent)」であるという問題に直面するとどうなるか。この社会でもその問題はすでに発生しているのですが。

 早い話が、鉄腕アトムやドラえもんが、ぼくたちの日常生活で、家族の一員として、あるいは隣人のように、友人のように存在して活動する場面を想像できるでしょうか。彼等は「善意のロボット」だから、よかったものの、もしこれがそうでなかったら、ぼくたちはどうするのでしょうか。手に負えない、始末に困る「人型ロボット」がまさに、各所で誕生しかかっているのですね。<AI is an agent of action.>という意味は、そういうことも指すでしょうね。(未完)

●参考資料 *ユヴァル・ノア・ハラリが情報の未来をアップデートhttps://www.youtube.com/watch?v=Q6ePTCg1mSs

◎ 鉄腕アトム(てつわんあとむ)= 漫画家、手塚治虫(てづかおさむ)の代表作。21世紀を舞台に少年ロボットであるアトムが活躍するSFヒーロー漫画。1951~1952年(昭和26~27)に月刊誌「少年」(光文社)に連載された『アトム大使』を前身に、以後『鉄腕アトム』の名前で雑誌やテレビなどに登場し人気を博した。日本では1963年にテレビアニメ化され、その後、世界20か国以上で放映されている。/主人公アトムは、2003年4月7日に科学省長官・天馬(てんま)博士によって、交通事故で死んだひとり息子にそっくりのロボットとして作り出された。後にロボットサーカスに売られるが、新しい科学省長官であるお茶の水博士に救われ、原子融合システムによる10万馬力(のちに100万馬力になる)と七つの威力を使って悪に立ち向かっていく(日本大百科全書ニッポニカ)。

◎ ドラえもん(どらえもん)=漫画家、藤子不二雄(ふじこふじお)の代表作。主人公は22世紀につくられたネコ型ロボット「ドラえもん」。誕生日は2112年9月3日。野比(のび)のび太の孫の孫にあたるセワシの依頼で、タイムマシンに乗って20世紀ののび太のもとにやってくる。その派遣理由は、先祖にあたるのび太のドジにより、膨大な借金が残り子孫が大迷惑しているため、のび太の運命を変えるためである。そのほかの登場人物はのび太、その両親、同級生のしずか、ジャイアン、スネ夫、それにドラえもんの妹ドラミなど。/小学館の学習雑誌『よいこ』『幼稚園』『小学一年生』~『小学四年生』の6誌に1970年(昭和45)1月号より同時連載され人気を得る。1973年より連載が全学年別学習雑誌に拡大。この年、日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。1974年より単行本『ドラえもん』が刊行され、翌年100万部を突破。1977年には「ドラえもん」を中心にして『コロコロコミック』が創刊された。(同上)

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人間性が「AI」に蚕食される時代です

【筆洗】米国の名門、プリンストン大学が1893年から続けてきた「ルール」を見直すそうだ。ルールとは試験中、監督官は試験会場から退出すること▼「見張り番」がいなければ、学生のカンニングが予想されるが、それでも、学生に任せるというのが当時の判断で、不正があれば目撃した学生が大学に知らせるという仕組みだった▼学生の名誉を重んじたルールだったが、今回、それを改め、監督官を配置することにした最大の理由はやはりカンニングの横行である。電子機器やAIなどを使用した最近の不正行為は巧妙で近くにいる学生も気づけず、ズルに走る学生が増えてしまったという。名誉も伝統ももはや歯止めにはならぬのか▼こちらの試験不正にもため息が出る。近畿大学の入試を巡る替え玉受験に驚かれた方は多いだろう。塾講師だった人物が教え子に成り済まし、入試の合否にかかわる英検2級の試験を受けていた▼替え玉発覚を逃れるためか、入試の出願時、大学にはこの人物と教え子の顔を合成したような写真が提出されていたという。結局、不正は発覚し、合格は取り消されたが、こんな手まで使うとは▼不正をしてでも「サクラサク」を手にしたい。そんな了見違いに今は最新技術なども手を貸してしまう。巧妙化する試験不正に対してはズルを見抜く高度な「見張り番」に立っていてもらう必要がありそうだ。(東京新聞・2026/05/21)

 もう三十年ほどになるでしょうか。まだ勤め人をしていた学校で、「大学(の役割)は終わりました」という意味のことを常々語っていました。まるで自分の首を絞めるような、あるいは天に唾するような振る舞いだったと当時も思っていました。幾つかの理由がありました。もちろん、一方的に学生の側に問題があるとはとらえていなかったので、なかなかに評判は悪かったと思う。なによりも、普段の授業(当時は(今も)「講義」といっていたと思う)が壊れていたということ。一クラスに300人も500人も学生がいるような、そんなところでまともな「授業」ができるはずもないという、ぼくの常識が破裂したのでした。もちろん、学生に責任があるというのではなく、あくまでも経営責任が問われるべき筋のものだったから、ぼくは機会あるごとに、是正を図ることを理事会に提案していたが、「梨(なし)の礫(つぶて)」どころか、かえって「嘲笑の的」になっていました。(左写真は、某大学の「大教室」です。正しくは「劇場」ですね。「授業」ではな、何かしらのパーフォーマンスの場です)

 その当時、年間授業回数は30回が定められていたが、前期後期併せて、20回を超えればなかなか真面目な教員だという評判が立ったほど。とにかく「休講」が著しく多かったことにぼくは学生時代も、教師の末端に位置するようになってからも、驚き続けていました。普段の授業では教室が閑散としているのに、(定期)試験になると「超満員」というのも、呆れてものが言えないほどの酷さでしたね。大学入学早々に、最も驚いたのは授業出席を「代筆」「代返」などで済ませる学生が数多くいたこと、とんでもないところに来たものだという、ぼくの驚愕はその後も一貫して続きましたよ。状況を変えるための苦労もしないわけではありませんでしたが、あまりにも数が多すぎて、それこそ「多勢に無勢」で、ついには、ぼくだけは堕落の道に入らないようにと、一人で心掛けようという、半端な仕儀に至ったのでした。頼まれても「代筆」「代返」は受け付けない、もちろんぼくからも頼まない。それも友人関係は続きましたよ。教師になってからは、なんとか授業を休まないように、それがぼくのささやかな覚悟みたいなものでした。

 教師紛(まが)いを四十年超も続けたのは返す返すもぼくの優柔不断というか、怠慢だったと思います。でも、その怠慢な勤務の中で一貫していたのは、当たり前の正解は一つというような「試験(テスト)」をしない、暗記したものを再生するような、そんな記憶力本位のテストはまずしないということでした。ある課題を出して、それに関してレポートを教室で書いてもらう、そのことを徹底しました。与えられた課題について「レポートを書く」、時間切れになった時は、後日追加のレポートを受け付けるということを伝えていました。なかなかにうまくは運ばなかったが、その段階における自分の「持ち合わせの知識」が材料(元手)でしたから、それなりの「レポート」が出てきたと思います。半期(十五回の授業)だけで4~5回は「教場レポート」を書いてもらった。読む方は大変で、レポートの枚数はB5用紙で万単位でしたから、それこそ「評価」の提出時期は寝るいとまもなかった。ぼくは、これを「夏の祭典」「春の祭典」(ストラヴィンスキー)と自虐的に楽しんだ(苦しんだ)ものでした。

 やはり三十年ほど前になるでしょうか、ある雑誌に依頼されて「大学 冬の時代」というタイトルで拙論を書いたことがあります。幾つかのデータを使った陳腐なものでしたが、この先「日本の大学に、再び春はやってこない」というぼくの予測みたいなものでした。18歳人口が急激に減るという物理的な原因もあったでしょうが、要するに「大学の義務(強制)教育化」現象が発生していたというのが、ぼくがもっとも重く見た理由でした。大学進学の明確な理由も動機もないのに「みんなが行くから」という強制された意識が学生に蔓延していたと思う。そんな大量の学生を前にして教員たちは「君たちは大人」というだけで、さぼる口実を作っていたにすぎなかったが、強いられた進学者意識と、授業は余技(余事)で、研究者意識に身をやつした教員、この両者の絶妙な友愛精神で「大学は解体」状況に向かっていたのでしょう。何人かの友人たちと共著で「大学解体新書」のようなものを出版した時期でもありました。(大学を特別扱いするのではなく、強制されて学ぶなら、小・中・高といっしょじゃないですかというだけの話でした)

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 さて、「米国の名門、プリンストン大学が1893年から続けてきた『ルール』を見直すそうだ」というコラム「筆洗」の扱う問題にたどり着いたでしょうか。一世紀以上も続いた「ルール」、たぶん、この大学に限らず。欧米の制度を模倣したに過ぎなかった日本の大学でも、同じような「学生像」「大学像」を持っていたはずです。それが「幻想」であったとしても、「真理の殿堂(Temple of Truth)」とか「学問の府(Institute of learning)」などと、何処を叩けば、そんな「誇り(埃)」が出るかと思われた大学では、「麗しい錯覚」が幅を利かせたていたのでしょう。でも、ここにきて、「万事休す」となった感があります。従来型の教育(授業)が通用しない時代に入っているということ。

 教育(学校教育も含めて)で最も大切な事柄は「自制心」「自己管理」などという当たり前に過ぎる「感情」を自らの裡に育てることに助力するというのです。いつでもいうことですが、算数の計算問題が適切な教材になるのは、子どもが「自らを注意深い」人間にするのに役立つからです。他人より成績がいいことを評価するするなら、それは「自制心」や「注意深さ」を養いための試練(練習)ではなく、他人に勝つための競争心を植え付けるだけ。カンニングをしてでも、いい点数(成績)を取りたいというのは欲望(衝動)(情念)であって、それは怒りなどと同じように極めて強い支配力を発揮します。米国の「名問大学」が、今頃になって「試験には試験監督を」というのは、いかにも「時代遅れ」ではないでしょうか。カンニングなどという「ズル」は、はるか以前にも(いつだって)見られていても、当局は目をつむっていたのだと思う。そこが「名門」の看板の欺瞞(看板倒れ)だったかもしれない。でも、「AI」機器などの異常な進化に直面して、綺麗ごとを言っておられないということだったと思う。

 「電子機器やAIなどを使用した最近の不正行為は巧妙で近くにいる学生も気づけず、ズルに走る学生が増えてしまったという。名誉も伝統ももはや歯止めにはならぬのか」というコラム氏の書きぶりも、ぼくは腑に落ちません。ズルがいつでも通用する制度や仕組みを放置していた結果の騒ぎだったでしょう。広く、アメリカ社会の混沌や頽廃状況を見れば、名門大学だけは「カヤの外」というのはあるはずもないことだったでしょう。 

 「こちらの試験不正にもため息が出る。近畿大学の入試を巡る替え玉受験に驚かれた方は多いだろう」という日本の不正事件です。これに論評を加えることはしません。予備校(トライ?)の講師が受験生本人に「内緒」でできる悪だくみでもないでしょう。事件の発覚は「受験生の親が写真がおかしい」というのでわかったという。親をほめるべきか、本人をとっちめるべきか、あるいは予備校の教師を責めるべきか。この手の有象無象が「学生」をしているのが大学なんだよ、といえば張り倒されるかもしれないですね。

 (蛇足 18歳人口の急減も大学を直撃しています。「大学冬の時代」端緒でした。それ以上に深刻なのは「自分で学びたい」とか「自分で考える力」を育てたいと思わない学生が大学では瀰漫している事態です。これを毎日のように見ていて(経験して)、「大学は終わりましたね(The role of universities is over.)」と、ぼくはいろいろな場で言っただけでした、三十年ほども前に。小中高の教育が機能不全を起こしたがために、大学教育機能は頓挫したのですが、今度は逆に、大学が安易に卒業証書(diploma)を出すがために、それ以下の学校教育も堕落したんですね。ぼくは、幸か不幸か、そのすべての頽廃・堕落の現場を経験してきました、教師としても、児童・生徒・学生としても)(大学生が「試験でカンニングを」するというのを咎(とが)めたところで、それはなくなるんでしょうか。もちろん、大学生に限らずに言えるでしょうが、「試験にカンニング」は「コーヒーにミルク」みたいなもので、まあ相性がいいというのかもしれません。それを認めるのではなく、そんな小さな(?)不正は認めないのを当たり前の態度として学校は持つべきだと思う。でもそんなことに気を取られている隙に、「AI」は人間のいくつかの能力を無効化してしまい、その代替として「人工知能」が場を占めるということが発生しているんですよ。つまり、人間性の「AI」による「蚕食」(「蚕が桑の葉を食うように、他の領域を片端からだんだんと侵していくこと」デジタル大辞泉)が始まっている時代だという、そんな認識は持つべきですね)

*参考資料 「2025年にプリンストン大学の学生を対象に実施された調査では、約30%の学生が不正行為を認めた。同調査では、不正行為の増加にもかかわらず、「名誉委員会に呼び出された事例に大きな増加は見られなかった」としている。/試験・進級委員会を含むプリンストン大学の運営側は、4月に全会一致で試験監督の導入を決めた。これは、1893年に同大学の名誉制度が導入されて以来、最大の変更となる。当時その制度は、まさに試験監督を廃止するために導入された。学生は今後も名誉規範を守り、試験中に違反していないことを誓約するよう求められる。/プリンストン大学のほかにも、学生によるAI利用を受けて大きな変更を進める学校がある。2024年には、デューク大学が入試の一環としてエッセイに数値評価を付けることをやめた。デューク大学の学部入学担当事務局長であるChristoph Guttentag氏は、エッセイはかつて志願者をより深く理解する手段だったが、AIの台頭によって、大学側はもはやエッセイが受験者本人を正確に反映しているとはみなせなくなったと指摘した。同大学は引き続き、カリキュラムの難易度や課外活動、試験の成績など、ほかの項目には数値評価を付けている」(CENT Japan「名門プリンストン大学が133年守り続けた伝統を廃止、AIカンニング横行で」2026年05月18日 09時50分

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プリンストン大学(プリンストンだいがく、英語: Princeton University)は、ニュージャージー州プリンストンに本部を置くアメリカ合衆国の私立大学。1746年創立。/アイビー・リーグの一校に数えられる名門校で、特に物理学・数学の分野で歴史的な研究が数多く行われている。/多額の寄付とその投資運用によって長く財政的に安定しており、2023年時点の大学基金額は340億ドル(約5兆3000億円)に達する。/2019年12月時点で2人のアメリカ合衆国大統領、68人のノーベル賞受賞者、15人のフィールズ賞受賞者、5人のアーベル賞受賞者、13人のチューリング賞受賞者、209人のローズ奨学生、126人のマーシャル奨学生(英語版)を輩出している。/2024年時点の学部合格率は4.0%、1年間の学費(教材費・生活費など含まず)は約5万9000ドル(約920万円)と発表されている。(以下略)(Wikipedia)

◎ 大学冬の時代(だいがくふゆのじだい)= 若年人口減少に伴って大学経営環境が厳しくなる時代を比喩的に表現した言葉。18歳人口の減少期を目前にひかえた1980年代末頃から大学関係者やマスメディア等で使用され始め,普及した。しかし18歳人口のピークであった1992年を過ぎても進学者数の増加は止まらず,進学率も上昇し続けた。大学数も増え,1992年以降の10年間で150校近い大学が新設されている。冬の時代との予測とは裏腹に,1990年代は高度経済成長期に次ぐ戦後第2の大学拡大期となった。しかし2000年前後より進学者数の増加が頭打ちとなり,それに伴い定員充足率が悪化する大学が私立大学を中心に増加してきた。さらに2010年頃からは進学率の伸びも止まり,微減傾向を見せ始めている。学生募集を停止する大学もいくつか現れてきた。このように,大学冬の時代は21世紀に入って本格的に到来しつつある。(大学事典)

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住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて…

 佐藤愛子さんが先月29日に亡くなられた。各紙のコラムではいくつもの「愛子評伝」、あるいは「人間愛子」といった趣の記事が出ました。よく読まれていた作家だったことがわかります。本日は、その中から2編を。作家・佐藤愛子評を、ぼくは書くのではありません。それにふさわしい人がたくさんおられます。驚くべきなのか、なんと102歳の「大往生」だったという感想を持つのみでした。ずいぶん昔から、ぼくは「命永ければ辱(はじ」多し(壽則多辱)」とばかりに、それ相応の年齢になれば「世間」を捨てるつもりで生きてきました(できる限り世間とは没交渉で生きる)。「年齢」に関係なく「恥多し」というのは、つまりいつまで経っても「世間体」「体面」に囚われているからであろうという思いがありましたから。

 要するに、自分は世間からどう見られるか、どのように映るかを、まるで鏡に映る自分の姿を見るがごとくに、四六時中、気にするのです。ネット時代は、その傾向を加速させているのかもしれません。それは、恰(あたか)も「世間に対する体裁や見栄」、あるいは「世間向けの誇りや矜持」といってもいいでしょう、一言でいうなら「他者の評価」がものすごく気にかかるんですね。これはもはや「衝動(impulse)」です。とても「世間」が気になるということです。「世間」がなければ「自分」がないというように、です。

【春秋】損得ばかりの世を憂えた「怒りの愛子」 ものを書く母の姿が機関車に見えた。コークス代わりに自分の生体エネルギーを火室にくべてF1レース並みにかっとばす。娘の杉山響子さんは、そんな母が認知症になり、記憶が失われていく姿を愛情を込めてつづった。娘の著書「憤怒の人 母・佐藤愛子のカケラ」が書店に平積みされる中で、母は102歳の大往生を遂げた▼作家の次女として大阪に生まれ、2度目の結婚では夫の借金に苦しんだ。離婚への日々を書いた私小説「戦いすんで日が暮れて」で直木賞を受賞した▼卒寿のエッセー集「九十歳。何がめでたい」は思いがけないミリオンセラーに。これでおしまいと言いつつ98歳、101歳と、タイトルに年齢を掲げた著書が並び続けた。その姿に励まされた読者も多いだろう▼東日本大震災の翌年、瀬戸内寂聴さんとの対談を取材した。旧知の2人の毒舌たっぷりな放談の中で、戦時中の思い出を語る言葉は重かった▼ガチガチの軍国少女は、ラブレターを渡してきた大学生に「この非常時に何をやってるんですか!」と手紙を投げつけた。戦争で一番つらかったのは「希望がなくなっていったこと」だった▼日本人は価値観も感性も大きく変質してしまった。精神性と物質主義がせめて半分ずつあってほしいけれど、損か得かばっかりなのよね-。いまの世の中を、こんなふうに憂えていた。「怒りの愛子」が大正から令和を駆け抜けていった。(西日本新聞・2026/05/17)

 誰でも彼でも、「命長ければ恥多し」ということにならないのは、佐藤愛子さんの生き方を見れば判然とするでしょう。反対に「命短くても恥多し」もまた、枚挙に遑(いとま)なし、です。もちろん、佐藤さんが102歳の生涯を生きられたという事実は尊敬に値はします。でも、それは外から見た人の観察であって、ご当人はどう思われていたか、家人はどうみていたか。「娘の杉山響子さんは、そんな母が認知症になり、記憶が失われていく姿を愛情を込めてつづった」(「春秋」)未読ですから、余計なことは言わないつもり。でも、それはそれで、ご当人はつらいことだったかもしれませんね。年齢に関係なく、人生とは誰にとっても「重荷(heavy burden)」なんですよね。

【水や空】佐藤愛子さん 刀や刃物を作る「焼き入れ」の過程で鋼を加熱しすぎると硬度や切れ味が落ちてしまう。年長者らの衰えを言う「焼きが回る」はそこから来た言葉だ▲○○さんもすっかり焼きが回った…。もし身の周りでそんな会話を聞いたら、○○に入る名前を聞き漏らしたことにほっとするだろうか、それとも「誰の話をしてたの」と聞かずにはいられないだろうか。そんな年齢になった▲昨日、訃報が伝えられた作家の佐藤愛子さんはそうした評とは無縁の人だった。誰かの発言が日々“炎上”を繰り返す昨今の世相をこう語ったことがある。「ひと言で言えば『いちいちうるせえな』、これに尽きますよ」。抜群の切れ味だ▲事業に失敗した元夫の借金を肩代わりしたことが旺盛な執筆活動の原動力の一つだったことが広く知られている。会社の負債を社長の妻が背負う筋合いはない。「無知だったんですね」と振り返りながらこう明かしている。逃げたくなかったんです▲本紙のデータベースを探すと、佐藤さんの人柄や著作に言及した「声」欄への投稿がいくつも見つかる。伸びやかな老いのロールモデルとして愛された102年の生涯▲「作家人生なんて、書いて、流れて、そして消えていくものだと思っています」-。流れも消えもしないたくさんの言葉が遺った。(智)(長崎新聞・2026/05/16)

 「水や空」では「焼きが回る」という語で「年貢の納め時」というものを書かれていて、老齢というものに対する、一つの印象を与えられましたが、佐藤愛子さんは「焼きが回る」どころの話ではなかったと、「大往生」を寿・壽(ことほ)がれておられます。「誰かの発言が日々“炎上”を繰り返す昨今の世相」に向かって、「ひと言で言えば『いちいちうるせえな』、これに尽きますよ」と。世の中に生きていて、それなりに年齢を重ねていけば、「世間体」とか「体面」というものがうるさく自分を取り巻く、時には、あえて世間体に染まりたいという人も出てくる始末。佐藤さん(に限らず)は「憤怒の人」「怒りの愛子」などと呼ばれていたらしい。ぼくも何度か、威勢のいい啖呵を聴いたものでした。その怒りは彼女の経験が言わせた部分がほとんどだったでしょう。身を粉にして働いて生きている・生きてきたという実感(feeling)がものを言ったのですね。

 「コラム「水や空」さんは、次のように結んでいます。「作家人生なんて、書いて、流れて、そして消えていくものだと思っています」と作家は語るけれど、「流れも消えもしないたくさんの言葉が遺った」と。でも、やはり、それもまた、しばしの間のことで、やがて「書いて、流れて、そして消えていくもの」だという作家の本能、あるいは直感をそのままのものとして、ぼくは受け止めたいですね。(参考までに。「本の話 佐藤愛子100歳“ぼけていく私”「余計なことを考えないで生きていると、なかなか死にません」)(https://books.bunshun.jp/articles/-/8776

 「* 焼きが回る  焼き入れの際の火が行き渡りすぎて、かえって刃物の切れ味が悪くなる」「 頭の働きや腕前が落ちる。年をとるなどして能力が鈍る」(デジタル大辞泉)

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このことはしばしば駄弁っています。「老齢者の一言」でした。あれは何歳くらいだったか、おふくろが九十歳を過ぎたころに、帰京するたびに「うち(自分)は長生きしすぎた」という言葉をぼくは聞きました。彼女は100歳で亡くなりましたが、最晩年の5年ほどは療養施設に入っていたので、頻繁に会うことができませんでした。それでも入所早々は意識も記憶もまだ確かでした。たびたび会えなかったのは残念だったが、「長生きしすぎた」という独語のように語った言葉は、今もぼくは胸の内で反芻しています。佐藤愛子さんの「語り」をいくつも聴いていて、たぶん、おふくろはこういうことが言いたかったのか、と思い当たる気がしました。単刀直入の表現をすると、次のような様子なんでしょうね。「情けない生活をしています。朝起きて、顔を洗って、トーストとサラダを食べると、あとはもう、することがないんです」(「本の話」上掲) 

 ぼく自身も、もうそろそろ、老齢の佳境に入っているのかな、「どうでもいい生活」に浸っている、そんな実感がありますね。

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 化野(あだしの)の露、消ゆる時無く、鳥辺山の煙(けぶり)立ちさらでのみ、住み果(は)つる慣(なら)ひならば、いかに、物の哀(あは)れも無からん。世は、定め無きこそ、いみじけれ。
 命ある物を見るに、人ばかり久しきは無し。蜉蝣(かげろふ)の夕べを待ち、夏の蝉の春・秋を知らぬも有るぞかし。つくづくと一年(ひととせ)を暮らす程だにも、こよなう長閑(のどけ)しや。飽かず惜しと思はば、千年(ちとせ)を過(すぐ)すとも、一夜(ひとよ)の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世に、醜き姿を待ち得て、何かはせん。命永ければ辱(はじ)多し。永くとも、四十(よそじ)に足らぬ程にて死なんこそ、目安かるべけれ。
 その程過ぎぬれば、容貌(かたち)を恥づる心も無く、人に出で交(まじ)らはん事を思ひ、夕べの陽(ひ)に子孫を愛して、栄(さか)ゆく末を見んまでの命を有らまし、ひたすら世を貪(むさぼ)る心のみ深く、物の哀れも知らず成りゆくなん、浅ましき。(「徒然草 第七段」)

 長生きということについて、これまでにも何度か引用してきたのは「徒然草 第七段」です。全文は上に引いた通り。「化野(あだしの)」「鳥辺山(とりべやま)」は、今では京都の2大墓所となっていますが、平安や鎌倉時代には「風葬」「鳥葬」の習慣があったかと思われる地域でした。今日、化野には「化野念仏寺」があり、小学生のころに何度かその前を通ったことがあります。見るからに陰々欝々という印象が今でも残っています。鬱蒼(うっそう)とした樹木に覆われて、暗く湿気が多分にあるような、そんあお寺だった。それがどうしたことでしょう、嵯峨の観光の穴場になっているというのですから、商売っ気というものは「げに恐ろしや」です。

 「世は、定め無きこそ、いみじけれ」と、人間の寿命あることを兼好さんは大肯定してます。この時、彼はいくつだったでしょうか。たぶん50を出たところだったか。「つくづくと一年を暮らす程だにも、こよなう長閑しや」とも。生き物のなかでは人間の寿命は長い方だ、でも「飽かず惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ」

 そして「住み果てぬ世に、醜き姿を待ち得て、何かはせん。命永ければ辱多し」と書く。いつまでも生きながらえることはできないのだから、生き恥を晒すようなことは止めた方がいいと兼好さん。「命永ければ辱(はじ)多し」、この言葉の出典は「荘子 天地(第十二)」であります。兼好さんの引用した部分では、実はもっと大事な文章が後に続いているです。いまそれを「荘子(原文)」によって引いておきます。

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 「荘子‐天地(第十二)」の一節です。「多男子則多懼、富則多事、寿則多辱、是三者非以養一レ徳也」 

 中国の伝説の「聖人」の尭が、まだ即位する前、ある地方に出かけて、その地の役人から声を掛けられた。「聖人が来られた。聖人にお祈りを捧げよう」「多くの若い男が授かるように」「たくさんの富が与えられますように」、そして「長寿に恵まれますように」と祈ろうとしたが、若い尭はその悉(ことごと)くを断りました(故辭)。「多男子則多懼,富則多事,壽則多辱。是三者,非所以養德也」子どもが多ければ煩わしい、富がふんだんにあればことが起こる。そして「壽則多辱」といった祈りも断ったのでした。「非所以養德也」これらは「徳」を養うようなものではないのだと。兼好はこの「壽(長命)(長生き)則(すなわち)多辱(辱多し」のところだけを引用したと思われます。

 もちろん、あくまでも推測ですが、聖人でも君子でもない、平凡な人間は、長く生きていれば、それだけ恥をかくことも多くなる」とだけ言いたかったのでしょう。しかし「荘子」に出て来る役人は、尭に対して、強い調子でなじります。誰だって、この「三者」を願うではないか。後に「聖人」と崇(あが)められるようになろうかという人士に対して、「始也我以汝爲聖人邪,今然君子也」はじめ、あなたを「聖人」と見ましたが、どうもそれは間違いで「あなたは君子」ですね。ここで聖人論をする遑(いとま)はありません。聖人ではなく君子だという理由は、政治家の天稟の違いを指して言うのでしょう。真の政治家(聖人=道を行う人)であるなら、長生きしても恥じるところなどないではないか。自分にやましい心がなければ、何の恥じるところがありますか。と。おそらく、これはとても大事(面倒)なことを指摘しているんですね。その証拠に、君は聖人ではないと断言されたのでした。そして「封人去之」、役人は立ち去った。尭は後を追って「教えてください(請問)」と頼んだが、役人はきっぱりと「退已!」「立ち去りなさい」と。

 どんな人も、長く生きれば恥が多いということにはならないのは当然。しかし兼好さんは、同時代人の多くを見ていて「壽則多辱」、命長ければ恥・辱(はじ)多しという実例に遭遇していたのでしょうか。だから「聖人」「君子」でない限り、やはり「壽則多辱(長生きは辱多し)ということになるのでしょう。ぼくなどはその典型で、長生きするまでもなく「辱多し」という人生を歩いていたのでした。

蛇足 というわけで、新たなカテゴリーに「壽則多辱」なる看板を掲げ、自他に認められる、長生きの恥さらしに該当するかもしれぬもろもろの現象(出来事・行為など)を、まあ、ゆっくりと語りたいと思った次第です。「壽」とは長生きのことです。なんだか無条件に「めでたい」と思われがちですけれども、さてどうでしょうか。長生きしていて、見なくてもいいことを見せつけられ、聞かなくてもいいことが耳に入るというのは、決しておめでたいものではありません。老化するというのは、それまでできていたことができなくなることですね、その自覚というか認識は、ぼくにも多分にあります。でも、わかっていてもできないことがいくらでもあるでしょう。どのような生き方が「見事」か、ぼくにはわかりません。他人に迷惑を掛けないように、静かに、ゆっくりと息をして、それがいつか途切れるといいですね。それでも久野修さんが言われていたように「腹が立って、ボケていられんよ」ということがまだしばらくは続くか)(右上写真は京都亀岡の「老ノ坂峠」付近)

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《堯觀乎華,華封人曰:「嘻,聖人!請祝聖人,使聖人壽!」堯曰:「辭。」「使聖人富!」堯曰:「辭。」「使聖人多男子!」堯曰:「辭。」封人曰:「壽、富、多男子,人之所欲也。汝獨不欲,何邪?」堯曰:「多男子則多懼,富則多事,壽則多辱。是三者,非所以養德也,故辭。」封人曰:「始也我以汝爲聖人邪,今然君子也。天生萬民,必授之職。多男子而授之職,則何懼之有!富而使人分之,則何事之有!夫聖人,鶉居而鷇食,鳥行而无彰;天下有道,則與物皆昌;天下无道,則脩德就閒;千歲厭世,去而上僊;乘彼白雲,至于帝鄉;三患莫至,身常无殃,則何辱之有!」封人去之。堯隨之,曰:「請問。」封人曰:「退已!」》(「荘子・天地第十二」)(Wikipedia)

(大意)
 堯が華に出かけたとき、華の役人が言った。「嬉しい、聖人だ。聖人を祝福させてください。聖人が長生きしますように」。堯は「断る」と応じた。「聖人が富に恵まれますように」と言うと、堯は「断る」と応じた。「聖人に男子が多く生まれますように」にも、「断る」と応じた。役人は「長寿、富、多くの男子は、人が欲することなのに、なぜですか」と言うのに対し、堯は「男子が多いと心配も多く、富があれば多事になり、長生きすると辱めも多い。この三者は徳を養うものではないので、断る」と答えた。(↷)

 役人は「はじめ、私はあなたを聖人だと思ったのですが、今伺うと君子ですね。世に生まれる万民には、必ず天職が与えられます。男子が多くても、職は得られますから、心配はいりません。富は人々に分けて使えば、何ということもありません。聖人は鶉のように居場所を定めず、ひな鳥のように食べ、飛び回って足跡を残しません。天下に道があれば、すなわち皆うまくゆき、天下に道が無ければ、自分を弁えて静かに過ごし、千年経ってこの生が嫌になったら、世を去って天高く上り、白雲に乗って帝の世界に行きます。三つの憂いもなく、自分の身に害悪が無いなら、何の辱めがあるでしょうか」と言って去ろうとした。堯は後を追い、「伺いたいことがあります」と言ったが、役人は「もう帰れ」と言った。(同上)

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麥爛熟太陽は火の一輪車

【有明抄】麦の秋 季節はいま麦の秋。万緑の中に、黄金色の穂がまぶしく風にそよぐ。よく熟れた麦のにおいにむせ返るよう。あちこちで刈り取りが進み、遠く野焼きの煙も見える◆佐賀平野でこうした風景が見られるようになったのは、コメとの二毛作が本格化した昭和40(1965)年以降のこと。古くから麦作りが盛んだった、よその地域ではこの時季1週間ばかり「農繁休暇」があったという。俳人の坪内稔典さんが思い出を書いていた◆昭和30年前後だろうか。坪内さんが育った四国の村では、小中学生は家の手伝いにかり出された。〈麦を刈っているとどっと汗がふきだしたが、それがなんだかうれしかった。一人前に働く誇りをそんな汗に感じたのだろうか〉。機械化以前の穀倉地帯では家々が総出で鎌を握ったのだろう◆このところ真夏並みの暑さが続いている。農作業でふきだす汗は、手伝いの子どもとは比べものにならない。長い夏を乗り切るには、運動や水分補給で体を暑さに慣らす「暑熱順化」が大事とされる。日本気象協会が各地で取り組むタイミングを示した「暑熱順化前線」によれば、県内は4月下旬から心がけが必要らしい◆農村からかつてのにぎわいは去り、麦刈りの鎌ひとつ満足に扱えない私たちは、汗のかき方まで忘れそうになっている。〈新しき道のさびしき麦の秋〉上田五千石。(桑)(佐賀新聞・2026/05/19)(ヘッダー写真は「麦秋の佐賀平野、黄金色に 佐賀市川副町で刈り取り最盛期」佐賀新聞・2023/05/18 07:00)

 迂闊だったと思います、ずいぶん遅くまで「麦の秋」「麦秋」という、この穀物に似つかわしい表現(言葉)を知りませんでした。大学を卒業してから、やっと知ったと思う。それも、友人に誘われて飲みに行ったスナックで、だった。その瞬間、「えっ、それってどういうこと」という驚きがありました。今もあるかどうか知りませんが、大学近くの飲み屋街にあった呑み屋の「店名」でした。もう半世紀以上も前のことです。どうしてこの言葉を知らなかったのか、もちろんぼくの不勉強の祟(たた)りだったと思うけれど、それ以前にはよく知られた、同名の映画を見ていたはずなのに、少しも記憶に残っていなかったのでしょう。後年、しばしばテレビで放映されたのはおそらく2000年代前後だったかもしれません。ぼくはそれを見た記憶はあるが、内容はほとんど覚えていないし、まして「麦秋」というタイトルの意味などは考えたことはありませんでした。職場近くの、その「スナック 麦秋」に二度三度と通った記憶はありませんから、ぼくには合わなかったのでしょう。その店で「麦酒」を呑んだかどうかも覚えていません。

 「麦」については、田植えや稲刈りと同様に、麦踏みなどの経験がありましたから、よく馴染んでいました。また、中学校時代、弁当持参だったが、その弁当に「麦飯」を入れていたのを、友人が「お前のご飯は黒いけど、それなんでや」と聞かれた。友人は「麦飯」を知らなかったのだ。米だけのご飯よりも栄養価の面で、麦飯がいいのだということではなく、単に米を節約するだけのために麦を混ぜていたのだと思う。戦後しばらくしてから、当時の大蔵大臣が「貧乏人は麦飯を食え」と発言して、大いに顰蹙(ひんにゅく)を買っていました。それで「麦飯」とはいうのはあまり「気分」のいいものではないということはわかっていたのでした。

 今日、この国はほとんどの麦は輸入に依存しています。現住地に越してきた当座、付近の畑にはわずかではあったが、「麦」が植えられていました。しかし、今ではそれがすっかり姿を消してしまったのを見るにつけ、なぜだろうかという疑問だけが膨らむばかりです。おそらく現在の小麦の輸入量は9割以上を占めているかもしれない。コメ離れが進み、ついで小麦の輸入が滞れば、この国の食糧事情はどういう影響を受けるのでしょうか。食料自給率が4割を切り、何でも輸入に依存する風潮をこそ、「食糧安保」を言うなら、もっと真面目に「政治」は考える必要があるでしょう。

 戦後しばらくたってからの大蔵大臣は 「貧乏人は麦飯を食え」と放言したのではなく、貧富の差を縮めるように政治は運営されるべきで、「いまは所得の少ない人が多く麦を食べ、所得の多い人が米を多く食べている」だから、そういう方向(米を多く食べる)に政治は運営されるべきだと大蔵大臣は発言したといわれます。この国の政治・経済は大本は「自給自足」を放棄して、より多くは外国産に頼る方向に走ってきました、現在は、かろうじて「米作」だけが国産で賄っているわけですが、政治の判断ミスで「米不足」状態を来し、驚くべき高いコメを食わされる羽目になったばかり。「豊葦原之瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」と美称されてきたこの劣島はまた、「麦秋(wheat harvest)」「麦の秋」という初夏の景色も、昔からこの島の風物として大切に維持されてきたのです。

・麦秋や教師毎時に手を洗ふ(堀内薫) (問❶ いつ頃(時代)の作でしょうか。季節は初夏ですが、いつ頃の初夏か。問❷ どうして「教師毎時に手を洗ふ」のか。なぞかけのような俳句、とてもいいですね。堀内薫さん「生年明治36(1903)年12月1日 没年平成8(1996)年8月11日 出生地奈良県奈良市 別名旧号=小花 学歴〔年〕京都帝国大学国文学科卒 経歴戦前「京大俳句」にて平畑静塔の指導を受ける。昭和23年「天狼」「七曜」の発行と共に入会、山口誓子・橋本多佳子に師事。31年「天狼」同人。38年より「七曜」主宰。同年俳人協会入会、のち評議員。甲子園大教授もつとめた。著書に「多元俳句一元俳句」「俳句初学覚書」など」(Wikipedia》

 表題句「麥爛熟太陽は火の一輪車」加藤かけい(1900~1983)作。「名古屋市生。名古屋商業学校卒。少年のころから俳句に興味を持ち、1916年に大須賀乙字に師事。翌年の乙字の没後高浜虚子に師事。1927年、兄の加藤霞村とともに名古屋ホトトギス会を結成。1931年、「ホトトギス」を離れ水原秋桜子の「馬酔木」同人。1948年、「馬酔木」を辞し山口誓子の「天狼」同人。1951年、「環礁」を創刊、のち主宰。代表句「からたちの花より白き月出づる」他。中部俳壇を主導した。門下に小川双々子などがいる」(Wikipedia)

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◎ 麦秋(ばくしゅう)とは、麦の穂が実り、収穫期を迎えた初夏の頃の季節のこと。麦が熟し、麦にとっての収穫の「秋」であることから、名づけられた季節。雨が少なく、乾燥した季節ではあるが、すぐ梅雨が始まるので、二毛作の農家にとって麦秋は短い。七十二候では、二十四節気のうち「小満」の末候を「麦秋至」としている。「むぎあき」又は「麦の秋」とも読み、夏の季語の一つとなっている。(Wikipedia)

◎ 映画「麦秋」(「麦秋』(ばくしゅう)は、小津安二郎監督による1951年・松竹大船撮影所製作の日本映画。日本では同年10月3日に公開された。なお、本編でのタイトル表示は旧字体の『麥秋』。タイトルの「麦秋」とは、麦の収穫期で季節的には初夏に当たる時期を指す」(Wikipedia) 

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*参考記事❶ 《全国有数の麦産地である佐賀市南部の魅力を伝えるイベント「麦秋カフェ」が9、10の両日、佐賀空港北側の麦畑(同市川副町犬井道)で開かれる。実りの時期を迎えた佐賀平野で、とれたて野菜や加工品などが並ぶマルシェでの買い物を楽しめるほか、地元食材を使ったハンバーガーやアイスを味わえる。/初夏の風物詩「麦秋」を観光資源にしようと、毎年開催している。麦畑に映えるフォトスポットを設置し、麦の写真で知られる「麦グラファー」平野はじめさんの作品展示もある。/予約なしで楽しめる麦秋カフェ&マルシェは午前10時~午後4時まで。清掃協力金として中学生以上500円が必要。/麦畑の真ん中に用意したパラソル付きテーブル席で食事と音楽を楽しむ予約制の「プレミアム麦秋カフェ」は午前の部(午前10時から正午)と午後の部(午後2時~同4時)。中学生以上3千円、小学生2千円で、麦の種類などを学びながら巡る麦畑ミニツアーや麦刈り体験も楽しめる。/問い合わせはまちづくり団体「さがのぎ」江島政樹代表、電話090(7923)0107。(川﨑久美子)》(佐賀新聞・2026/05/02)

*参考記事❷麦の刈り取り始まる 千葉県野田市 県内最大の麦の産地である千葉県野田市で18日、大麦(六条大麦)の刈り取りが始まった。収穫された麦は、乾燥された後に農協に出荷し、麦茶に加工されて夏場の人々の喉を潤す。  昨年11月上旬に種をまき、4月上旬~中旬にかけて穂を出した。収穫時点で高さ80~90㌢に育ち、風が吹くたびに穂がゆらゆらと揺れる。のどかな麦畑の中をコンバインが小気味よい機械音を響かせながら、外側から反時計回りに回りながら刈り取っていった。【撮影・石川宏】2026年5月18日公開》(毎日新聞)(https://video.mainichi.jp/detail/video/6395922104112

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