
一昨日の「駄文」で、ぼくは「先国後民」と題して、現首相には観念上の「天皇制」はあっても、現に同席している、生身の天皇夫妻にはいささかの礼節心も持っていないという趣旨のことを述べました。煩瑣をいとわず、駄文を再録します。ご寛恕のほどを。今の時代、一国の舵取りをたった一人の「宰相」に委ねることはありそうにもないでしょうが、就任半年、それ以前の言動をも重ねてみれば、彼女に任せて大丈夫と、とても言えた義理ではないように考えられます。繰り返して述べているように、何よりも「惻隠の情」に著しく欠けている、いかなる躊躇(ためら)いもなく「嘘を吐く」、間違いを指摘されて、憎んだり恨んだりすることはあっても、「訂正」することには激しく抵抗する、そんな性情の人間が、誤りない国政運営の要路にあること自体に、大きな危険性が伴うのは目に見えていました。(右写真は(「首相主催の昭和100年カラオケ武道館大会」で今にもマイクを握りかねない。右横に天皇ご夫妻が着席されている)首相:毎日新聞・2026/04/29)
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《私は、日本と日本人の底力を信じてやみません。日本の誇るべき国柄を、未来を担う次の世代へとしっかりと引き継いでいく」と空々しく・白々しく語る(騙る)。「昭和は、戦争、終戦、復興、高度経済成長といった、未曽有(みぞう)の変革を経験した時代でした」というのが、彼女(首相)の「昭和100年」観でした。満州事変以来の「十五年戦争」で、国内外に二千数百万人の犠牲者が出たことには一語も触れません。(それにしても、あの「気味の悪い微笑(媚笑)」、とても背筋が寒くなった。醜悪だと思う)近隣諸国がこの「式辞」を知れば、どう思うでしょうか。この人は歴史を観念として、あるいは「物語(作り話)」としてしか理解できない稀有な人物なのだと思う。これが日本(二ホン)の総理大臣だというのですから、この国は「ちんけ」な、つまらぬ国とみられても致し方ないでしょう》ぼくはこれを「国家」があって、「民衆」「国民」が不在の、教条的・観念的「国家主義」だと断じてきました。

《はっきり言って、時代が時代ならば、生身の「天皇」を前にしては、きっと『不敬罪』に当たる振る舞いと非難されたはずです。(『不敬罪』とは『天皇および皇族・神宮・皇陵に対して不敬の行為をする罪。昭和22年(1947)刑法改正で廃止』・デジタル大辞泉)」(中略)/もちろん「式典」ですから、内容はいりませんとはいかない、ひたすら「厳粛」であればいいというものでもないでしょう。でも、昨日は「厳粛」の雰囲気など、どこに吹く風か、というほどの不始末・不首尾な「式典」でした。まさに「首相主催の昭和カラオケ大会」だった。恥ずかしいという感覚も観念も持ち合わせていない御仁だと、改めて確認した次第。この連中に付き合わされた天皇ご夫妻の「ご感想」を賜りたいものですね。「最高」と言われるか、「最低」と言われるか。「別に~」とスルーされるか。》
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ぼくの願いが通じたのでしょうか。宮内庁は「記念式典」の翌日(4月29日)に「両陛下の『式典』への感想」を公開された。「過去の歴史から謙虚に学び、深い反省とともに平和を守るために必要なことを考え、将来へとつなげる努力を続けることが大切との思いで式典に臨まれた」と、いまさらのように述べられたという「感想」を公表した意図は何だったでしょうか。「『激動と復興の昭和時代』を改めて振り返り、『戦中戦後に人々が味わった悲惨な体験や苦労を後の世代に伝えていくこと』を大切に思ったという」、言わずもがなの「感想」を、改めて出されたのです。その真意はどこにあったか。難しいことは抜きにして、「首相主催のカラオケ大会」に呼び出されて、このまま黙ってはおられないという「内心の吐露」だったでしょうか。「昭和100年を蔑(ないがし)ろにした」首相たちへの怒りだったか。当日、宮内庁は、「今回の式典で天皇陛下の『お言葉』がなかったことについて、宮内庁は『政府の考え方に基づいた』(黒田武一郎長官)としている」と報じられていました。何月何日にどこそこで「記念式典を催すので、ご臨席を賜り、しかも、終了まで着席・沈黙していて下さい」とでもいうような申し入れを内閣はしていたのでしょうか。

ぼくは「天皇制」に対しては、物心がついて以来、賛成していません。今でも反対です。理由は単純。「法の下の平等(equality under the law)」に反すると考えているからです。とは言いながら、現存の「天皇」の存在は、当たり前のことですが、敬意をもって認める・受け入れるものです。「制度」に反対するのと、その「制度」が法的に存在するのは、現実にはいくらでも起こりえます。その「象徴天皇」の果たされる「役割」の大きさを思えば、まさしく恣意的と思われるような天皇の政治的利用(式典への「お言葉」なしの参加・隣席)など厳に慎むべきだと考えている。いずれの日にか、現行の制度は廃止(憲法改正)されることを願っている。
それはそれ、ともかく天皇制(直系男子のみ)維持派でもある首相の、当日の振る舞いは目に余るものがあったと、ぼくのような人間でさえ思ったほどに「はしたない」「品のない」「無礼な」ものだったと、誰かがはっきりというべきではなかったか。「メディア」の名に値する報道機関は、残念なことですけれど、この社会にはまず存在していない。ほとんどが政権の「軍門」に下ってしまっているのです。だからこそなおさらに、式典当日に、「この連中(首相・衆参議長)に付き合わされた天皇ご夫妻の『ご感想』を賜りたいものですね」とぼくは書きました。
日本国憲法第14条
1.すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2.華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3.栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
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註❶「君よ憤怒の皮を渉れ」(きみよふんぬのかわをわたれ)は1974年発行の西村寿行の小説。またそれを原作として大映・永田プロが製作し、1976年(昭和51年)2月11日に松竹系で封切り公開された日本映画は『君よ憤怒の河を渉れ』(きみよふんどのかわをわたれ)と漢字表記は同じだが異なる振り仮名である。註❷『怒りの葡萄』(いかりのぶどう、英語: The Grapes of Wrath)は、アメリカ合衆国の作家ジョン・スタインベックによる小説である。初版は1939年。1930年代末に発生した干ばつと砂嵐を契機とした農業の機械化を進める資本家たちと、土地を追われカリフォルニアに移っていった貧困農民層との軋轢闘争を素材とした小説で、1930年代のアメリカ文学を代表する作品として評価されている。この小説により、スタインベックは1940年にピューリッツァー賞を受賞した。後のノーベル文学賞受賞(1962年)も、主に本作を受賞理由としている。/発表翌年の1940年にはジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演により映画化され、ニューヨーク映画批評家協会賞の作品賞、監督賞、またアカデミー賞の監督賞、助演女優賞(ジェーン・ダーウェル)を受賞している。

註➌『阿修羅のごとく』(あしゅらのごとく)は、向田邦子脚本のテレビドラマ。1979年1月13日 – 27日に『土曜ドラマ (NHK)』枠の向田邦子シリーズとして3話、続編の4話を1980年1月19日 – 2月9日に同枠で放送され、脚本は文庫本として出版された。家族でちゃぶ台を囲み、庭先で白菜を漬け、日常のひとコマにちらっと覗く人間模様を「阿修羅」とし、「嫉妬」や「男と女」に投影しながら、ホームコメディとして描いた作品。註➍「怒りの日」はイギリス軍に妻子を殺されたアイルランド人の孤独な報復戦を描くAIP(American International Pictures)創立20周年記念作品。製作はサミュエル・Z・アーコフ、監督はドン・シャープ、脚本はジョン・ゲイ、原案はリチャード・ジョンソン、撮影はアーネスト・スチュワード、音楽はジョン・スコットが各々担当。出演はロッド・スタイガー、リー・レミック、リチャード・ジョンソン、トレヴァー・ハワードなど。1975年製作/103分/アメリカ 原題または英題:Hennessy 配給:東宝東和 劇場公開日:1975年10月25日(いずれもWikipedia)
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とんでもない人間が、何の因果か、首相の座を占めている。この国の現在や将来を考えれば、その辞職・辞任は一刻の猶予もないと思っている矢先に、週刊誌の報道が、それもとんでもない首相陣営のおどろくべき「姦計(vicious plot)」とその「敢行(execution)」報道が出てきました。それに関する論評はしませんが、このまま放置しておけば、間違いなく「国も民も」共倒れになることは避けられないでしょう。「私には関係ありません」と、公設秘書がかかわったとされる事案に首相は「白(しら)」を切り、嘘をつくでしょう。そして、どんなことが起ころうが、「権力」だけは握っていたいという、常軌を逸した「首相」の宿願は、ここぞとばかりに、あろうことか「独裁権力」を手に入れようとしているのです。もはや、これまでの不行跡は、間違いなく「犯罪者」の範疇にあるとも言えそうです。

今が「ファシズム(fascism)」なのか、あるいは「全体主義」になっていくのか、それは、はっきり言ってあり得ないことと、ぼくは考える。けれども、首相周辺に生まれつつある、大小さまざまな「親衛隊(SS)」の芽を早期に摘んでおかねば、やがては行くところまで行くでしょう。何度でも指摘しておきたい。ネット時代は、たった一人で数百人分の「フェイク」「非難中傷」を発信することが可能です。現首相が所属政党の「総裁選」で勝ったのも、総選挙で「圧倒的議席数」を獲得できたのも、今から思えば、その多くは「架空の動員力」と、その「訴求力」のなせる業だったということになります。彼女一味の「陥穽(trap)」に多くの有権者はまんまと「一杯食わされた」のだった。 (ファシズム= 極右の国家主義的、全体主義的政治形態。自由主義・共産主義に反対し、独裁的な指導者や暴力による政治の謳歌などを特徴とする。(デジタル大辞泉)
憲法を踏みにじり、法律を曲げ、さらには「人倫」にまで汚い手をのばし、嘘に嘘を塗り固める、そんな「総理大臣」を、この時代、この国に認めていいのですか。まさに、これこそ「国難(national crisis)」ではないですか。何度でも声に出して言いたい。稀にみる「魔性の女(femme fatale)」(その女を裏で動かしているであろう存在を含めて)に、わが身・わが心を預けるわけにはいかないのですよ。
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《両陛下「深い反省と平和守る努力大切」 昭和100年式典で感想 宮内庁は30日、政府主催の「昭和100年記念式典」に出席された天皇、皇后両陛下について「過去の歴史から謙虚に学び、深い反省とともに平和を守るために必要なことを考え、将来へとつなげる努力を続けることが大切との思いで式典に臨まれた」と明らかにした。/式典は昭和天皇の誕生日にあたる29日、日本武道館で開かれた。国会議員や各界功労者ら約5600人が出席。高市早苗首相があいさつしたが、天皇陛下のおことばはなかった。/宮内庁によると、式典に出席した両陛下は「激動と復興の昭和時代」を改めて振り返り、「戦中戦後に人々が味わった悲惨な体験や苦労を後の世代に伝えていくこと」を大切に思ったという。【柿崎誠】(毎日新聞・2026/4/30 18:19:最終更新 4/30 21:56)(右写真「昭和100年記念式典に参列された天皇、皇后両陛下=東京都千代田区の日本武道館で2026年4月29日午後2時21分(代表撮影)》

《両陛下、昭和100年式典に出席 東京 天皇、皇后両陛下は29日、東京都千代田区の日本武道館で行われた政府主催の昭和100年記念式典に出席された。 式では高市早苗首相ら三権の長があいさつ。続いて海上自衛隊東京音楽隊が「上を向いて歩こう」「なごり雪」「Get Wild」など昭和の名曲計6曲を演奏・歌唱し、両陛下は笑顔で拍手を送った。 1968年10月の明治100年記念式典も日本武道館で開催され、昭和天皇と香淳皇后が出席。昭和天皇は「わが国が近代国家として目覚ましい発展を遂げ、本日の記念式典を迎えたことは、誠に喜びに堪えません」などと述べた。/今回の式典で天皇陛下の「お言葉」がなかったことについて、宮内庁は「政府の考え方に基づいた」(黒田武一郎長官)としている。》(右写真《「昭和100年記念式典」で海上自衛隊東京音楽隊による演奏と歌唱が終わり、拍手される天皇、皇后両陛下=29日午後、東京都千代田区の日本武道館(代表撮影)》(時事通信・2026/04/29)
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