君よ憤怒の河を渉れ(永田町界隈)

 一昨日の「駄文」で、ぼくは「先国後民」と題して、現首相には観念上の「天皇制」はあっても、現に同席している、生身の天皇夫妻にはいささかの礼節心も持っていないという趣旨のことを述べました。煩瑣をいとわず、駄文を再録します。ご寛恕のほどを。今の時代、一国の舵取りをたった一人の「宰相」に委ねることはありそうにもないでしょうが、就任半年、それ以前の言動をも重ねてみれば、彼女に任せて大丈夫と、とても言えた義理ではないように考えられます。繰り返して述べているように、何よりも「惻隠の情」に著しく欠けている、いかなる躊躇(ためら)いもなく「嘘を吐く」、間違いを指摘されて、憎んだり恨んだりすることはあっても、「訂正」することには激しく抵抗する、そんな性情の人間が、誤りない国政運営の要路にあること自体に、大きな危険性が伴うのは目に見えていました。(右写真は(「首相主催の昭和100年カラオケ武道館大会」で今にもマイクを握りかねない。右横に天皇ご夫妻が着席されている)首相:毎日新聞・2026/04/29)

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 《私は、日本と日本人の底力を信じてやみません。日本の誇るべき国柄を、未来を担う次の世代へとしっかりと引き継いでいく」と空々しく・白々しく語る(騙る)。「昭和は、戦争、終戦、復興、高度経済成長といった、未曽有(みぞう)の変革を経験した時代でした」というのが、彼女(首相)の「昭和100年」観でした。満州事変以来の「十五年戦争」で、国内外に二千数百万人の犠牲者が出たことには一語も触れません。(それにしても、あの「気味の悪い微笑(媚笑)」、とても背筋が寒くなった。醜悪だと思う)近隣諸国がこの「式辞」を知れば、どう思うでしょうか。この人は歴史を観念として、あるいは「物語(作り話)」としてしか理解できない稀有な人物なのだと思う。これが日本(二ホン)の総理大臣だというのですから、この国は「ちんけ」な、つまらぬ国とみられても致し方ないでしょう》ぼくはこれを「国家」があって、「民衆」「国民」が不在の、教条的・観念的「国家主義」だと断じてきました。

《はっきり言って、時代が時代ならば、生身の「天皇」を前にしては、きっと『不敬罪』に当たる振る舞いと非難されたはずです。(『不敬罪』とは『天皇および皇族・神宮・皇陵に対して不敬の行為をする罪。昭和22年(1947)刑法改正で廃止』・デジタル大辞泉)」(中略)/もちろん「式典」ですから、内容はいりませんとはいかない、ひたすら「厳粛」であればいいというものでもないでしょう。でも、昨日は「厳粛」の雰囲気など、どこに吹く風か、というほどの不始末・不首尾な「式典」でした。まさに「首相主催の昭和カラオケ大会」だった。恥ずかしいという感覚も観念も持ち合わせていない御仁だと、改めて確認した次第。この連中に付き合わされた天皇ご夫妻の「ご感想」を賜りたいものですね。「最高」と言われるか、「最低」と言われるか。「別に~」とスルーされるか。》

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 ぼくの願いが通じたのでしょうか。宮内庁は「記念式典」の翌日(4月29日)に「両陛下の『式典』への感想」を公開された。「過去の歴史から謙虚に学び、深い反省とともに平和を守るために必要なことを考え、将来へとつなげる努力を続けることが大切との思いで式典に臨まれた」と、いまさらのように述べられたという「感想」を公表した意図は何だったでしょうか。「『激動と復興の昭和時代』を改めて振り返り、『戦中戦後に人々が味わった悲惨な体験や苦労を後の世代に伝えていくこと』を大切に思ったという」、言わずもがなの「感想」を、改めて出されたのです。その真意はどこにあったか。難しいことは抜きにして、「首相主催のカラオケ大会」に呼び出されて、このまま黙ってはおられないという「内心の吐露」だったでしょうか。「昭和100年を蔑(ないがし)ろにした」首相たちへの怒りだったか。当日、宮内庁は、「今回の式典で天皇陛下の『お言葉』がなかったことについて、宮内庁は『政府の考え方に基づいた』(黒田武一郎長官)としている」と報じられていました。何月何日にどこそこで「記念式典を催すので、ご臨席を賜り、しかも、終了まで着席・沈黙していて下さい」とでもいうような申し入れを内閣はしていたのでしょうか。

 ぼくは「天皇制」に対しては、物心がついて以来、賛成していません。今でも反対です。理由は単純。「法の下の平等(equality under the law)」に反すると考えているからです。とは言いながら、現存の「天皇」の存在は、当たり前のことですが、敬意をもって認める・受け入れるものです。「制度」に反対するのと、その「制度」が法的に存在するのは、現実にはいくらでも起こりえます。その「象徴天皇」の果たされる「役割」の大きさを思えば、まさしく恣意的と思われるような天皇の政治的利用(式典への「お言葉」なしの参加・隣席)など厳に慎むべきだと考えている。いずれの日にか、現行の制度は廃止(憲法改正)されることを願っている。

 それはそれ、ともかく天皇制(直系男子のみ)維持派でもある首相の、当日の振る舞いは目に余るものがあったと、ぼくのような人間でさえ思ったほどに「はしたない」「品のない」「無礼な」ものだったと、誰かがはっきりというべきではなかったか。「メディア」の名に値する報道機関は、残念なことですけれど、この社会にはまず存在していない。ほとんどが政権の「軍門」に下ってしまっているのです。だからこそなおさらに、式典当日に、「この連中(首相・衆参議長)に付き合わされた天皇ご夫妻の『ご感想』を賜りたいものですね」とぼくは書きました。

日本国憲法第14条
1.すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2.華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3.栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

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註❶「君よ憤怒の皮を渉れ」(きみよふんぬのかわをわたれ)は1974年発行の西村寿行の小説。またそれを原作として大映・永田プロが製作し、1976年(昭和51年)2月11日に松竹系で封切り公開された日本映画は『君よ憤怒の河を渉れ』(きみよふんどのかわをわたれ)と漢字表記は同じだが異なる振り仮名である。註❷『怒りの葡萄』(いかりのぶどう、英語: The Grapes of Wrath)は、アメリカ合衆国の作家ジョン・スタインベックによる小説である。初版は1939年。1930年代末に発生した干ばつと砂嵐を契機とした農業の機械化を進める資本家たちと、土地を追われカリフォルニアに移っていった貧困農民層との軋轢闘争を素材とした小説で、1930年代のアメリカ文学を代表する作品として評価されている。この小説により、スタインベックは1940年にピューリッツァー賞を受賞した。後のノーベル文学賞受賞(1962年)も、主に本作を受賞理由としている。/発表翌年の1940年にはジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演により映画化され、ニューヨーク映画批評家協会賞の作品賞、監督賞、またアカデミー賞の監督賞、助演女優賞(ジェーン・ダーウェル)を受賞している。  

註➌『阿修羅のごとく』(あしゅらのごとく)は、向田邦子脚本のテレビドラマ。1979年1月13日 – 27日に『土曜ドラマ (NHK)』枠の向田邦子シリーズとして3話、続編の4話を1980年1月19日 – 2月9日に同枠で放送され、脚本は文庫本として出版された。家族でちゃぶ台を囲み、庭先で白菜を漬け、日常のひとコマにちらっと覗く人間模様を「阿修羅」とし、「嫉妬」や「男と女」に投影しながら、ホームコメディとして描いた作品。註➍「怒りの日」はイギリス軍に妻子を殺されたアイルランド人の孤独な報復戦を描くAIP(American International Pictures)創立20周年記念作品。製作はサミュエル・Z・アーコフ、監督はドン・シャープ、脚本はジョン・ゲイ、原案はリチャード・ジョンソン、撮影はアーネスト・スチュワード、音楽はジョン・スコットが各々担当。出演はロッド・スタイガー、リー・レミック、リチャード・ジョンソン、トレヴァー・ハワードなど。1975年製作/103分/アメリカ 原題または英題:Hennessy 配給:東宝東和 劇場公開日:1975年10月25日(いずれもWikipedia

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 とんでもない人間が、何の因果か、首相の座を占めている。この国の現在や将来を考えれば、その辞職・辞任は一刻の猶予もないと思っている矢先に、週刊誌の報道が、それもとんでもない首相陣営のおどろくべき「姦計(vicious plot)」とその「敢行(execution)」報道が出てきました。それに関する論評はしませんが、このまま放置しておけば、間違いなく「国も民も」共倒れになることは避けられないでしょう。「私には関係ありません」と、公設秘書がかかわったとされる事案に首相は「白(しら)」を切り、嘘をつくでしょう。そして、どんなことが起ころうが、「権力」だけは握っていたいという、常軌を逸した「首相」の宿願は、ここぞとばかりに、あろうことか「独裁権力」を手に入れようとしているのです。もはや、これまでの不行跡は、間違いなく「犯罪者」の範疇にあるとも言えそうです。

 今が「ファシズム(fascism)」なのか、あるいは「全体主義」になっていくのか、それは、はっきり言ってあり得ないことと、ぼくは考える。けれども、首相周辺に生まれつつある、大小さまざまな「親衛隊(SS)」の芽を早期に摘んでおかねば、やがては行くところまで行くでしょう。何度でも指摘しておきたい。ネット時代は、たった一人で数百人分の「フェイク」「非難中傷」を発信することが可能です。現首相が所属政党の「総裁選」で勝ったのも、総選挙で「圧倒的議席数」を獲得できたのも、今から思えば、その多くは「架空の動員力」と、その「訴求力」のなせる業だったということになります。彼女一味の「陥穽(trap)」に多くの有権者はまんまと「一杯食わされた」のだった。 (ファシズム= 極右の国家主義的、全体主義的政治形態。自由主義・共産主義に反対し、独裁的な指導者や暴力による政治の謳歌などを特徴とする。(デジタル大辞泉)

 憲法を踏みにじり、法律を曲げ、さらには「人倫」にまで汚い手をのばし、嘘に嘘を塗り固める、そんな「総理大臣」を、この時代、この国に認めていいのですか。まさに、これこそ「国難(national crisis)」ではないですか。何度でも声に出して言いたい。稀にみる「魔性の女(femme fatale)」(その女を裏で動かしているであろう存在を含めて)に、わが身・わが心を預けるわけにはいかないのですよ。

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両陛下「深い反省と平和守る努力大切」 昭和100年式典で感想 宮内庁は30日、政府主催の「昭和100年記念式典」に出席された天皇、皇后両陛下について「過去の歴史から謙虚に学び、深い反省とともに平和を守るために必要なことを考え、将来へとつなげる努力を続けることが大切との思いで式典に臨まれた」と明らかにした。/式典は昭和天皇の誕生日にあたる29日、日本武道館で開かれた。国会議員や各界功労者ら約5600人が出席。高市早苗首相があいさつしたが、天皇陛下のおことばはなかった。/宮内庁によると、式典に出席した両陛下は「激動と復興の昭和時代」を改めて振り返り、「戦中戦後に人々が味わった悲惨な体験や苦労を後の世代に伝えていくこと」を大切に思ったという。【柿崎誠】(毎日新聞・2026/4/30 18:19:最終更新 4/30 21:56)(右写真「昭和100年記念式典に参列された天皇、皇后両陛下=東京都千代田区の日本武道館で2026年4月29日午後2時21分(代表撮影)》 

両陛下、昭和100年式典に出席 東京 天皇、皇后両陛下は29日、東京都千代田区の日本武道館で行われた政府主催の昭和100年記念式典に出席された。 式では高市早苗首相ら三権の長があいさつ。続いて海上自衛隊東京音楽隊が「上を向いて歩こう」「なごり雪」「Get Wild」など昭和の名曲計6曲を演奏・歌唱し、両陛下は笑顔で拍手を送った。  1968年10月の明治100年記念式典も日本武道館で開催され、昭和天皇と香淳皇后が出席。昭和天皇は「わが国が近代国家として目覚ましい発展を遂げ、本日の記念式典を迎えたことは、誠に喜びに堪えません」などと述べた。/今回の式典で天皇陛下の「お言葉」がなかったことについて、宮内庁は「政府の考え方に基づいた」(黒田武一郎長官)としている。》(右写真《「昭和100年記念式典」で海上自衛隊東京音楽隊による演奏と歌唱が終わり、拍手される天皇、皇后両陛下=29日午後、東京都千代田区の日本武道館(代表撮影)》(時事通信・2026/04/29)

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「国家」は「人民」を歯牙にもかけぬ

【卓上四季】水俣病が教えること 前の日まで元気だった5歳の女の子。翌朝、茶碗(ちゃわん)を持ったりする日常動作が不可能になった。2歳の妹も同じ。やがて激しいけいれんを起こし、ことばを失い、手足の指が変形した…▼似た症状の患者が、熊本・水俣のチッソ水俣工場付属病院を次々と受診する。驚いた医師は保健所に報告した。「原因不明の脳疾患患者が多発している」。水俣病の公式確認は70年前のきょうだった▼患者は不知火(しらぬい)海の豊かな魚介類を食べていた。母親のおなかにいた胎児も発症し、深刻な健康被害が広がる。原因はチッソが海に流した工場排水。メチル水銀で汚染された海の幸が人々をむしばんだ▼チッソや国は対策を怠り、被害を放置した。人の命や尊厳はないがしろにされ、いわれなき差別や偏見が苦難を深めた▼米映画「MINAMATA」(2020年)は、報道写真家ユージン・スミスの軌跡を通して被害の実態を描く。「数も知れぬ命を犠牲にしてなにが文明か、高度成長か。美しい海が死の海にされた」。真田広之さんが演じた患者の告発である。経済最優先の思想が公害を生んだ▼被害者の救済は道半ばだ。潜在患者は20万人に達するとも指摘されるが、実態解明は不十分なままである。さまざまな公害による被害が世界で後を絶たぬなか、水俣病の教訓はいまも過去のものとなっていない。(北海道新聞・2026/05/01)
【筆洗】水俣病で父を亡くした故・川本輝夫さんは患者の救済運動を率いた「闘士」。原因企業チッソの本社に仲間と乗り込み補償を求めた際、カミソリを社長に示し、一緒に指を切って血書を作ろうと迫った▼長時間の交渉で社長は具合が悪くなり担架に横たわったが、川本さんは「俺たちゃ、鬼か」と言いながら泣いて訴え続けた▼「わからんじゃろ、俺が泣くのが。うちんおやじは69歳で死んだ。精神病院の保護室で死んだぞ。しみじみ泣いたよ、俺は。そげな苦しみがわかるか」。病で意味不明のことを口走るようになった親を隔離された場所でみとった悲しみ。涙は、横たわる社長の顔に落ちたという▼患者発生が病院から保健所に報告され、水俣病が公式に確認されてから今日で70年。海への排水で汚染された魚を食べた人がかかったが、水俣病認定を求め多くの人が今も裁判で闘う。なお未解決の公害病である▼原因は工場排水に含まれるメチル水銀と国が認めたのは、病気の公式確認から12年後。究明の初動が適切だったらもっと早く、多くの人を救えただろうに。成長を優先し、企業に物を言わず、醜い現実から目を背けようとした社会の罪深さを思う▼記録映画作家に水俣病が起きた原因は何だと思うかと問われた川本さんは「人間の奢(おご)りじゃろうと思う」と答えたという。人も企業も謙虚であれという悲痛な叫びである。(東京新聞・2026/05/01)
【日報抄】山や川であれ地域であれ、固有の名前は指し示すものが何であるかを定義する大切なものだ。そのものとして存在する証しといえる。選択的夫婦別姓の制度を求める価値観に重なる▼阿賀野川流域で発生した公害病をなぜ新潟水俣病と呼ぶのか。「新潟病」あるいは「阿賀野病」などと言わないのか。一説としてその理由を聞いたことがある▼新潟水俣病は、熊本の水俣湾周辺での水俣病発見から9年後に公式確認された。工場排水で汚染された魚介類を介した同様の水銀中毒でありながら、10年近くを経ても再発を防ぐ措置が取られなかった。その不作為を厳然と示すため、繰り返された水俣病だと強調する意図があったという▼きょうで熊本での公式発見から70年になる。新潟水俣病にとってもまさに地続きの鎮魂の日である。怨念の日である。適切な対応を怠った国と原因企業の責任の重さに、思いを致すべき日である▼熊本での水俣病確認後に、国は原因企業と同種の工場で排水調査をしていたことが明らかになっている。調査は本県での発生以前だったが、結果は長らく秘せられていた。新潟の原因企業は調査対象ですらなかった。熊本での目を覆う被害を前に、国は緻密で確固たる安全対策を指揮する必要があった▼個人の幸福より国の経済発展を優先したかのような当時の実態は、過去のものとは言い切れない。国家としての力強さや豊かさを語りがちな現在の政治の下で、市井の一人一人の尊厳があまねく大切にされているか。(新潟日報・2026/05/01)
【春秋】ある官僚の後悔と自責 <最終解決なお遠く><認定、救済いまだ求め><進む記憶の風化>。紙面には毎年、同じような言葉が刻まれてきた。5月1日、水俣病の公式確認から70年を迎えた▼チッソの有毒廃水が原因と知りつつ、国や県の役人は命より経済成長を優先し、なすべき行動を取らなかった。公式確認50年の年、彼らを訪ね歩いた。連絡がついても取材を断られ続ける中、経済企画庁の元官僚に会えた▼公式確認から3年後の1959年。役人は皆、原因は工場廃水と知っていた。排水停止を主張したが、出向元の通産省に一蹴され、毒は流れ続けた。「そういう時代だった。腹が据わってりゃ辞めて訴えればよかったんだ」。都内の邸宅で82歳の元官僚は涙を拭った。後悔と自責。その4カ月後に他界した▼自分がもっとこうしておけば、強く主張していれば-。人として良心に向き合い、過去の記憶にさいなまれ、亡くなっていった役人やチッソ関係者もいただろう。戦後最悪の公害は彼らの人生も変えた▼不知火海沿岸の実態調査を求める声に、国は背を向け続けてきた。何が水俣病なのか、どこにどれだけ被害者がいるのか。全容はつかめていない▼悔いた元官僚は「もうあんなことにはならないだろう」とも話した。そうだろうか。経済や組織の論理に小さな声が置き去りにされる構図は、70年を経てどれほど変わっただろう。水俣病が投げかける問いは今も重い。(西日本新聞・2026/05/01)
【有明抄】ミナマタ 4年前、熊本市の熊本日日新聞社で開かれていた写真展を見た。水俣病をテーマに写真家9人が刻んだ記録である。まだ若かった患者たちを、40年近い歳月を経て再び同じ場所でとらえたポートレートが胸に残った◆撮影した石川武志さんは、水俣病を世界に発信した米国の写真家ユージン・スミスの助手として、昭和46(1971)年から3年間、水俣市に滞在した。サポート役に徹する石川さんにスミスは言った。「なぜ撮らないんだ。自分ならどう撮るか考えながらアシスタントしろ」と◆取材を終えたスミス夫妻が帰国したあと、石川さんは「私も水俣の写真を撮っていました」とばかりに自作を世に問うことに、長い間ためらいがあったという。2008年に水俣を再訪した石川さんは患者たちの「その後」にカメラを向けた。本人も環境も変化したが、「水俣病は続いている」とのメッセージを込めて◆写真展に添えられた、そんな石川さんの思いにふれながら「時の流れ」とは何か考えこむ。水俣病の公式確認から、きょうで70年。どこかにひずみを押しつけて手にした豊かさを「成長」と呼ぶのなら、地球温暖化も産廃も核のごみも、「ミナマタ」はかたちを変えて続いている◆「なぜ撮らないんだ」。ひとりの写真家に向けられた言葉は、見て見ぬふりをする社会への重い問いにも思える。(桑)(佐賀新聞・2026/05/01)

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「先国後民」イデオロギーの羅列

 昨日は「昭和の日」だったそうです。昔もそうでしたが、ぼくには休日も週日もなかった。土曜・日曜日ではなく、所謂「休日」「祭日」を確かめないで学校に出かけたことが何度かある。勤め人時代がそうでしたから、隠退生活に入ってからは、それでも、曜日や日時の感覚はまだありますが、いわば「毎日が日曜日」のようでもありますから、今日やらねばならない仕事などあるはずもなく、それこそ、日常の明け暮れは「日の出から日没まで」という単位で回転しているようなものです。

 今は「大型連休」の最中だという。ぼくにはかかわりのないこと、いつも通りに早朝(午前2時、3時)に起きて、日がな一日、猫と戯れるだけとは言わないが、ようやく息をしているだけ、そんな生活を重ねているのです。昨日も、夕方にネットを見て、「本日は昭和の日」と気が付いたほどで、「昭和100年記念式典」なる、陳腐・旧套というほかないような「儀式」をネットで見てしまいました。見る(聞く)のも苦痛でしたが、それこそ我慢して首相の「式辞」を見聞しました。想像を絶する酷さで、まるで災害級だった、ぼくには。内容浅薄などといっていられないほどの空無だったと思う。(全文は官邸のHPに出ています》もともと、彼女は「歴史音痴」というのか、歴史嫌いというべきか、自身の過去からすらも学んでこなかったと思われるような、まれにみる人物です。これもどこかで駄弁ったが、この人は、きっと「日米戦争」があったなどとは思いもよらないで生きてきた、「迂闊の人」なのでしょう。観念上で「政治」をしたつもりになっているんですね。こんな手合いが「権力」を持つと、実に乱暴に行使するに決まっている。包丁を持つと振り回すような。

 「私は、日本と日本人の底力を信じてやみません。日本の誇るべき国柄を、未来を担う次の世代へとしっかりと引き継いでいく」と空々しく・白々しく語る(騙る)。「昭和は、戦争、終戦、復興、高度経済成長といった、未曽有(みぞう)の変革を経験した時代でした」というのが、彼女の「昭和100年」観でした。満州事変以来の「十五年戦争」で、国内外に二千数百万人の犠牲者が出たことには一語も触れません。(それにしても、あの「気味の悪い微笑(媚笑)」、とても背筋が寒くなった。醜悪だと思う)近隣諸国がこの「式辞」を知れば、どう思うでしょうか。この人は歴史を観念として、あるいは「物語(作り話)」としてしか理解できない稀有な人物なのだと思う。これが日本(二ホン)の総理大臣だというのですから、この国は「ちんけ」な、つまらぬ国とみられても致し方ないでしょう。

 はっきり言って、時代が時代ならば、生身の「天皇」を前にしては、きっと「不敬罪」に当たる振る舞いと非難されたはずです。(「不敬罪」とは「天皇および皇族・神宮・皇陵に対して不敬の行為をする罪。昭和22年(1947)刑法改正で廃止」・デジタル大辞泉) (「親米右翼」でありつつ、「天皇」に対する不敬行為を働くとは、どういうことだろうか)そんな人物が「国旗損壊罪」を云々するんですから、首相が総裁をしている政党もまた、政党の体をなしていないんじゃないでしょうか。

 「ちんけ」とは「[名・形動]《さいころばくちで「ちん」が一を意味するところから》劣っていること。最低であること。また、そのさま。「―なやつ」》(デジタル大辞泉)もちろん「式典」ですから、内容はいりませんとはいかない、ひたすら「厳粛」であればいいというものでもないでしょう。でも、昨日は「厳粛」の雰囲気など、どこに吹く風か、というほどの不始末・不首尾な「式典」でした。まさに「首相主催の昭和カラオケ大会」だった。恥ずかしいという感覚も観念も持ち合わせていない御仁だと、改めて確認した次第。この連中に付き合わされた天皇ご夫妻の「ご感想」を賜りたいものですね。「最高」と言われるか、「最低」と言われるか。「別に~」とスルーされるか。

 「国あって、民なし」という、まるで「戦時」みたいな「国柄」そのものでしたね、首相の「式辞」は。                                                  *「国柄=国家の成り立ち。国の状態。(デジタル大辞泉)

 「式辞」を含めて、式典を台無しにした「衆・参議長」と「首相」たちの能天気ぶり、「昭和100年」が泣くというもので、まさに聞きしに勝る「劣悪さ」だったし、不真面目極まるものだったことは、琉球新報の「社説」が適切かつ的を外さない批判で指摘されている通りだと思う。「日本国(にっぽんこく)」は何よりも強くなければならぬ、そのためには「日本人(にほんじん)」はまるで眼中にないと思わせるような主張で、首相には「観念のお化け」が憑依しているようでもありましたね。(*「憑依=霊などがのりうつること」(デジタル大辞泉)(右写真は四万十川の風景)

 (ヘッダー写真:「広島市民奉迎式場で市民の歓迎に帽子を振って応える昭和天皇。右奥に「原爆ドーム」が見える=1947年12月7日」論座・https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019021800006.html

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 どうしてもここでぼくが触れたかったのは、「式典」の不首尾などではありません。高知新聞の「小社会」というコラムの記事にある「千代さん」のことでした。文字通りに、「ここに人(人生)あり」「ここに歴史あり」というほかないものだったと、ぼくは、このコラムを読めたことを感謝しているのです。極めてまれではあっても、このような「コラム」に出逢うと、うれしくなって、また読もうという気になりますね。余計なことは言わないでおく、繰り返し読まれることをお勧めしたい。

 いかなる人の「人生」も、そのほとんどは「栄耀栄華」に溢れるものでもなければ、絢爛かつ名誉に恵まれるものでないのは、どなたも承知の通りです。他者に知られるところ少なく、あるいは苦しいことばかりと嘆きたくなることも多い、驚くほど地味な生活のくり返し、そんなものでしょう。だからこそ、ささやかな仕合わせや喜びに恵まれて、また、元気に生きていこうかという「ハリ」も出るのでしょう。

 ぼくには、人が日々を額に汗して生きる「人生」というものが「千代さん」のように、偶然を必然にしてしまう、いかなる状況をも肯定する、そんな生き方に表れるのだなあ、と深く心を動かされました。派手でもなく、他人からちやほやされるのでもなく、しかし、どこにいても兄弟姉妹5人で暮らしていくことができる「世間」「地域」「人情」が、きっとあったということ、それは大変な巡りあわせだったでしょう。おそらく、人生を嘆き、あるいは否定したくなることもあったかもしれません。しかし「渡る世間は鬼ばかり」ではないと思えばこそ、「幸せやったよ」と口にすることができたのだと思います。

【小社会】メダルの輝き 昭和前期生まれの半生を聞いてみたい。近しい人でも案外知らないものだ。筆者もお一人訪ねた。幡多地方に暮らす千代さん。生まれは高知市。親の名も顔も知らずに育つ、なぞだらけの人生。◆昭和27年の本紙に「千代ちゃん」の記事がある。当時4歳。当時の介良村で、きょうだい5人だけで暮らしていた。戦地帰りの父は肺病で他界、重病の母も家の床で死ぬ。中学生の兄らが新聞配達で稼ぎ、雑炊でしのぐ。写真も目を引く報道は反響を呼び、きょうだいは高知市の親戚の元へ。ただ千代ちゃんだけは、県西部にもらわれた。◆続報に「千代ちゃんに春の喜び」とある。が、実はそうでもなかった。引き取り手の家を転々とした。桶(おけ)に閉じ込められた記憶もある。◆名字は4回変わった。4番目の家で、優しい育ての両親と出会う。山岳信仰の寺のご住職だった。「千代が15歳になったら捜しちゃる、兄ちゃんたちを」と約束した父は、本当に自力で捜し当てた。人里離れた山房で、兄、姉と再会を果たす。「私は、わんわん泣いた」。◆高知市に出て働き、姉と暮らし、幡多に戻って結婚。子供3人に恵まれた。「幸せやったよ」と千代さん。「でも20歳の次男を、交通事故で亡くした」。語ると涙をこぼす。◆生涯を捧(ささ)げたのは、美容師の仕事。働きづめで、過疎地の暮らしも支えた。きょうは「昭和の日」。昭和から今も使うはさみは研磨を重ね、メダルのような輝きだ。(高知新聞・2026/04/29)

 このコラムは最近読んだ中でも、少し言いすぎ、誉めすぎですが、「秀逸」だったと思う。記者の筆力という以上に「千代さん」の人生に対する思いの深さ・真摯さが、読む人間を捉えてはなさない、そんな牽引(けんいん)力があったと、ぼくは読んでいて、実感したのです。繰り返し読んでは、そのたびに、頭が深く下がってしまう。おそらく、まだご健在なのでしょう。ぼくより三~四歳ほどお若い人でしょう。こんな人生をこそ、ぼくは求めていたのだ、とつくずく思い当たっている。

 人はいかなる人生を歩むのか、あらかじめわかるものではないでしょう。 「千代さん」は「名字は4回変わった」とあります。4番目の家では、おそらく「地獄に仏」だったでしょうか。引き取られたのはお寺の住職の家だったという。「捨てる神あれば拾う神あり」とも言いますが、そこまで生きながらえて、けっして「人生を投げなかった」、彼女の強さはどこから生まれるのでしょうか。「千代が15歳になったら捜しちゃる、兄ちゃんたちを」といった住職。そして実際に別離の淵にあった兄たちとの再会がが果たせたというのです。ここに、ぼくは人が人に出逢う、その典型的な一例を見る思いがします。「千代さん」のことを指すのではないと断ったうえで、ぼくは「名もなく、貧しく、美しく」という「生き方の流儀」に、いまさらのように教えられ、かつは憧れてもいるのです。

 「泪より少し冷たきヒヤシンス」~ どこかで触れた「疾走する悲しみ」(モーツアルトの音楽を評した音楽学者・アインシュタインの言葉)を、ぼくは想起しながらこの部分を書いています。悲しみという情念は、しかし、いつだって疾走しているようで、泣いて溜まるか、泣いてばかりいて溜まるかと言わぬばかりに、人を振るい立たせてもくれるのでしょう。「千代さん」の生き方の流儀を思いつつ、理由もなく、ヒヤシンスの清楚を感じてしまいました。(夏井いつきさんの句は、思いのほか大きな力深い影響力を持ったんですね。作者冥利に尽きるのではないかと思うよ同時に、それほどの句の力を引き出される読者がいることの幸運を思うべきですね)

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 《両陛下、昭和100年式典に出席 東京 天皇、皇后両陛下は29日、東京都千代田区の日本武道館で行われた政府主催の昭和100年記念式典に出席された。 式では高市早苗首相ら三権の長があいさつ。続いて海上自衛隊東京音楽隊が「上を向いて歩こう」「なごり雪」「Get Wild」など昭和の名曲計6曲を演奏・歌唱し、両陛下は笑顔で拍手を送った。  1968年10月の明治100年記念式典も日本武道館で開催され、昭和天皇と香淳皇后が出席。昭和天皇は「わが国が近代国家として目覚ましい発展を遂げ、本日の記念式典を迎えたことは、誠に喜びに堪えません」などと述べた。  今回の式典で天皇陛下の「お言葉」がなかったことについて、宮内庁は「政府の考え方に基づいた」(黒田武一郎長官)としている。》(右写真《「昭和100年記念式典」で海上自衛隊東京音楽隊による演奏と歌唱が終わり、拍手される天皇、皇后両陛下=29日午後、東京都千代田区の日本武道館(代表撮影)》(時事通信・2026/04/29)

(参考資料)
<社説>昭和100年式典 過去学ばねば未来描けぬ 政府は昭和改元100年にあわせて「昭和100年記念式典」を開催した。高市早苗首相は「激動の昭和」を乗り越えてきた先人に学び、挑戦によって未来を切り開く姿勢を国民に求めた。
 物価高や不安定な世界情勢の中で希望を見いだそうと鼓舞する意図が伝わるが、激動の起因となった昭和前半の「戦争の20年」に対する政府の見解はうかがえない。国民を戦禍に導き、アジア太平洋の国々に苦難を強いたことへの反省が欠落しているのだ。何のための式典だったのか。過去に学ぶ姿勢がなければ未来を描くこともできないことを知るべきである
 なぜ「昭和100年」なのか。1926年12月、天皇の代替わりに伴い、元号が昭和に改まった。昭和天皇の誕生日に天皇皇后両陛下を招いて式典を開き、昭和の歌謡曲を流して歴史を回顧した。首相あいさつも含め、式典は皇室の存在と分かち難い内容となった。昭和史と天皇制の関わりも改めて問われよう。
 昭和は64年で平成に改元した。前半3分の1は戦争の年月だった。1931年の満州事変に始まり、37年の盧溝橋事件を機に中国戦線が拡大、41年の対米英開戦で太平洋戦争へと突き進んでいった。
 高市氏はあいさつで、昭和を「戦争、終戦、復興、高度経済成長といった未(み)曾(ぞ)有(う)の変革を経験した時代」と振り返った。その上で「先の大戦の後、昭和天皇は全国各地を巡幸され、戦没者、戦争犠牲者のご遺族をいたわり、戦後復興にいそしむ国民を励ました」と述べた。
 これらの発言からは軍の暴走を許し、国を挙げて戦争にのめり込んだことの歴史的認識は希薄だ。過去の過ちを忘却し、歴史を肯定的に印象づける姿勢に固執するならば、再び国を誤った方向に導きかねない。
 過去の栄光を言い並べ、「誇り」と「挑戦」を強調し、ある種の「強さ」への憧(どう)憬(けい)を国民に促すような態度は、武力に象徴される「強さ」への依存に結びつく。それが安保関連3文書の改定や殺傷武器輸出の解禁、憲法改正につながっていないか。
 高市氏は「世界から頼りにされる日本」であることを希求した。ならば、アジア太平洋諸国に対する加害の歴史を直視すべきだ。そうでなければ他国の信頼は得られまい。
 昭和27年に当たる1952年のサンフランシスコ講和条約発効で日本は独立を回復した。政府は2013年に「主権回復」を祝う式典を挙行したが、同条約で切り離され米統治下に置かれた沖縄や奄美、小笠原への視点がないと沖縄から強い反発が起きた。
 今回の記念式典でも沖縄を米統治に委ねたことへの言及がない。分断の歴史を強いることで高度経済成長を成し遂げてきた「昭和」の歴史の裏面から目を背けてよいのか。歴史を見つめ、真摯に学ぶ姿勢を強く求めたい。(琉球新報・2026/04/30)                                                                      
(参考資料) 
令和8年4月29日、天皇皇后両陛下御臨席の下、高市総理は、都内で開催された昭和100年記念式典に出席しました。
 総理は、式辞で次のように述べました。
「本日、天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、各界多数の方々の御参列を得て、『昭和100年記念式典』を挙行いたしますことは、誠に喜びにたえません。本日の式典に、御協力をいただいた関係者の皆様、御参加をくださいました皆様に、心より御礼を申し上げます。
 私は、日本と日本人の底力を信じてやみません。日本の誇るべき国柄を、未来を担う次の世代へとしっかりと引き継いでいく。私たちには、その大きな責任があります。今日この日を、昭和の時代を顧み、我が国の伝統や歴史の重みを噛みしめながら、将来に思いを致す機会としたいと思います。
 昭和は、戦争、終戦、復興、高度経済成長といった、未曽有(みぞう)の変革を経験した時代でした。先の大戦の後、昭和天皇は、全国各地を巡幸され、戦没者・戦争犠牲者の御遺族をいたわり、戦後復興に勤しむ国民の皆様を励まされました。
 日本人は歯を食いしばって働きました。『もはや戦後ではない』、1956年。先人たちは、終戦から僅か10年で、日本経済を再び立ち上がらせました。その後、果敢な挑戦により、我が国の経済規模は世界2位にまで駆け上がっていきます。
 『霧は晴れ 国連の塔は 輝きて 高くかかげし 日の丸の旗』、同じ年、日本は国連に加盟します。重光葵(まもる)外務大臣は、ニューヨークで高らかに詠い上げています。国際社会への復帰は、日本の悲願でした。その年、イタリア・コルティナで、スキーの猪谷(いがや)千春選手が、冬季五輪で日本人初のメダルを獲得します。日本人がいない米国の大学に留学し、スキーと勉学の両立に励んだ上での快挙でした。日本中が歓喜に沸きました。
 今日より明日はよくなる。70年前の昭和の日本には、希望が、確かにありました。
 令和の現在、日本と世界は大きな変化を迎えています。日本においては、静かな有事とも言うべき少子化・人口減少の進行、長期にわたるデフレから一転しての物価高、潜在成長率の低迷、戦後最も厳しく複雑な安全保障環境。そして、世界を見渡せば、国家間の競争が激化・複雑化・常態化し、私たちが慣れ親しんできた自由で開かれた安定的な国際秩序は大きく揺らぎ、政治・経済の不確実性が高まっています。  
今こそ、激動の昭和を生き、先の大戦や幾多の災害を乗り越え、希望を紡ぎ出した先人たちに学び、私たちも果敢に挑戦していく必要があるのではないでしょうか。
 全国各地で、昭和100年関連行事が実施されています。昭和の躍動や体験を発掘し、次世代に伝承していく取組や、昭和の挑戦を振り返り、未来を切り拓(ひら)いていくための企画展示などが展開されています。これらが、特に、若い世代の方々に先人たちの叡智(えいち)や努力を知り、これからの挑戦のきっかけとなることを願っています。挑戦しない国に未来はありません。守るだけの政治に「希望」は生まれません。
 本日の式典には、ボーイスカウトやガールスカウトで活動している青少年、世界青年の船や東南アジア青年の船に参加した青年など、次代を担う若者たちが参列しています。今年初めて投票してくださった18歳の若者も、生まれたばかりの赤ちゃんも、その多くが、22世紀を迎えることができるでしょう。その時に、日本が安全で豊かであるように。『インド太平洋の輝く灯台』として、自由と民主主義の国として、世界から頼りにされる日本であるように。若者たちが、日本に生まれたことに誇りを感じ、『未来は明るい』と自信を持って言える。そうした国を創り上げていく。『日本列島を、強く豊かに。』日本に希望を生み出していくことを、改めてここに決意いたします。」

令和8年4月29日
内閣総理大臣 高市 早苗  (https://www.kantei.go.jp/jp/105/actions/202604/29showa100shikiten.html)

 (首相は「日本(にっぽん)」を連呼されていた。まるで選挙演説のように。それを聞きながら(見ながら)、この人の意識の中には、少なくとも八十年を過ぎた、敗戦後の「日本(にほん)」は存在していないことをぼくは確信しました。「大日本帝国(ダイニッポンテイコク)」こそが、彼女の「幻想の故郷」であって、それは紛れもなく「観念の化け物」なのだと。ぼくは、少なくとも「物語(造られた歴史)」の中の「大日本臣民(国民」」でありたくないと、とても強く実感したのです)

* だいにっぽん‐ていこく【大日本帝国】旧憲法での日本の正式な国号。だいにほんていこく。[初出の実例]「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」(出典:大日本帝国憲法(明治二二年)(1889)一条))(精選版日本国語大辞典)

* ばんせい‐いっけい【万世一系】=〘 名詞 〙 天子の血統が永遠にわたって、かわらず続くこと。(同上)

てんのう‐せいテンワウ【天皇制】=〘 名詞 〙 天皇が君主となっている統治体制。特に大日本帝国憲法下の政治体制をいう。また、現憲法下における国の象徴としての天皇の制度を天皇制と呼ぶこともある。(同上)

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安息・Rest in peace・Ruhe in Frieden

 【夕歩道】
 米従軍カメラマンだったジョー・オダネルさんに「焼き場に立つ少年」というすさまじい一枚がある。81年前、被爆後の死体が焼かれている長崎。10歳ぐらいの子の口を固く結んだ直立不動の姿。
 「小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には二歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた」(「トランクの中の日本」)。弟は眠るような姿で死んでいた。
 核兵器廃絶を願った前ローマ教皇は9年前、「戦争がもたらすもの」として少年の写真を世界に広めるよう指示した。オダネルさんも広島・長崎の放射線の後遺症に苦しんだ。もう核兵器やめろ。(中日新聞・2026/04/28)

 ぼくはこの「焼き場に立つ少年」の写真をいつどこで見たか、悲しいかな記憶が曖昧になっています。今では教科書で見たという人もたくさんいますが、ぼくの小・中学校時代、この写真は公表されていません。いずれ新聞か写真集で見たのだと思う。それはともかく、見た瞬間から、この映像がぼくの眼底にというか、脳裏にというか、焼き付いてしまいました。戦争に関する記録写真でも同じように記憶に焼き付いてしまった写真は、それほどたくさんありません。だから、この少年の写真は、ぼくにとっては、まさに生涯にわたって影響され続けるものとなったのでしょう。近寄りがたい、神々しいとさえいうべき雰囲気(不謹慎な表現を許されたい)が、ありありと写真の中に漂っていました。ぼくは言葉を失っていました。今も変わらない。慄然とするのです。

 (ヘッダー写真はNHK番組放送から)

 ぼくは戦争を無条件で憎むし、戦死者を深く悼むものです。いかなる理由があろうと、戦争を仕掛ける、他国を侵略するなどという蛮行・暴力にはそれを容認する余地は一ミリもない。にもかかわらず、「大儀「聖戦」などといって戦争を始める。少なくともこの国は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」(日本国憲法前文)と世界に宣言(約束)したのです。「時代が変わった」からという一言で、戦争準備に躍起になる政府をだれが選んだかと問われれば、「我々です」というほかないような、恥ずべき事態にぼくたちは直面している。時の総理大臣一人が、どれだけの権限を持っていようとも、国そのものが戦争に加担する、戦争を招き寄せる、ましてや、どこかの国と戦争を始めることなどありえないでしょう。不埒な、かつ不逞な野望や野心を持った権力者を支える多数の「愚民」「暴民」がいればこそです。だからこそ、戦争の道を歩き出そうという気配に対して、ぼくたちは無神経ではいられない。「世界への裏切り」を働くことがないように、ぼくたちは自らにも「約束」したのではないでしょうか。これは「他国の戦争」に向けても同じことでしょう。アメリカが理不尽にも他国に攻撃を加え、他国を侵略する、その戦闘行為は「断じて認められない」と、この国の首脳・要人は、はっきりと批判・忠告すべきではないでしょうか。

 今なお、いたるところで「戦火」は上り、「戦禍」が重ねられている。いかなる理由をもってしても、「暴力」「殺戮」が許されるはずもありません。いささかでも「戦争に身を寄せる」気質の人には、決定的に「歴史」に対する無知があるとぼくは、思い続けてきました。たった一枚の写真、たった一行の詩文が、ぼくたちに「戦争」のなんであるかを間違いなく教えてくれるのです。ぼくには、そのたった一枚が「焼き場に立つ少年」だったといってもいい。あるいは「にんげんをかえせ」と叫んだ峠三吉さん(1917~1953)の詩だった。あるいは「産ましめんかな 己が命捨つとも」と呻吟した栗原貞子さん(1913~2005)の詩だった。ぼくはよく学んだ人間ではなく、それどころか、無知の上にも怠惰な、過ち多い人生を歩き続けてきた、不真面目に近い人間、しかも今では、一介の不良年寄りでしかありません。それでも、「戦争は断じて認められない」という「非常線(cordon)」はいつだって張っているのです。

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またぞろ「戦争準備報国会」「大政翼賛会」もどきの「国策捏造会議」が!

(心ならずも人生を斫断(しゃくだん)された無辜・無量の犠牲者への謀反ではないだろうか、有識者諸君よ)

*令和8年4月27日、高市総理は、総理大臣官邸で第1回総合的な国力から安全保障を考える有識者会議を開催しました。会議では、我が国を取り巻く安全保障環境の変化と「総合的な国力」の重要性について議論が行われました。 総理は、本日の議論を踏まえ、次のように述べました。/「ありがとうございます。第1回の総合的な国力から安全保障を考える有識者会議を開催いたしましたところ、全ての構成員の皆様に御出席をいただき、多様な視点からの御意見を多々、賜りました。心から感謝を申し上げます。
 私たちは、今やこれまでとは全く違う国際情勢の真っただ中にあると考えております。冷戦後の比較的安定した国際秩序はもう過去のものとなりました。地政学的な国家間競争が激化しています。インド太平洋では、中国・北朝鮮の軍事力の増強、中国・ロシア、そして、ロシア・北朝鮮の連携強化がみられます。また、ウクライナや中東での紛争は長期化し世界中に影響を与えています。また、AI(人工知能)や量子技術など、技術の革新的進歩が安全保障の決定的要因となっています。
 こうした中で、我が国の平和と独立を守り抜いていくためには、防衛力の抜本的強化を主体的に進めていかなければなりません。そして、外交力と防衛力を、経済力、技術力、情報力、人材力と有機的に連携させて、日本の総合的な国力を徹底的に強くしていくことが大事だと考えております。(中略)/ 世界が激動の時代を迎え、日本が多くの困難な課題に直面する中でのこの度の三文書の改定は、国家の命運を左右する重要な取組でございます。(後略)」(官邸・https://www.kantei.go.jp/jp/105/actions/202604/27sougouanzenhosyou.html

 上に引用した首相の「挨拶」の中で「我が国の平和と独立を守り抜いていくためには」という、しらじらしい表現があります。我が国は「独立している」のか、アメリカに対して、イエスやノーが言えるんですか。言ってきたんですか。属国根性丸出しの「恥ずかしい対米追従」外交をしていて、開いた口が塞がりませんね。弱い人間ほど「力」を誇示したがるという、まさしく、あなたはその「典型」ではないですか、この権力者は。アメリカの「イラン攻撃」に、たった一言でも、「米国は間違いを犯している。力による現状変更は絶認められない」と、言ったらどうですか。天に向かって言うばかり(空砲を撃つのは誰だってできる)では何の突っ張りにもならない。

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(参考資料)「焼き場に立つ少年」血にじむ唇 米写真家の被爆地記録 原爆投下後の長崎で、亡くなった幼子を背負う「焼き場に立つ少年」。撮影した米国の従軍カメラマン、故ジョー・オダネルさんの妻が夫の生涯をたどり、長崎原爆の日の9日に著書が出版された。「投下した側」でありながら、投下は過ちと訴え続けた足跡を写真と共に追っている。/オダネルさんは被爆後の広島、長崎などで、私用カメラを使って約300枚を撮影。フィルムは封印していたが、1989年に反核の思いが込められた彫刻像を見たのを機に、「核戦争を繰り返さないことにつながるなら」と写真展を開いた。原爆正当化論が根強い米国で批判に耐え、2007年、8月9日に85歳で亡くなるまで各地で写真展を開き、戦争反対を訴えた。(左写真「焼き場に立つ少年。幼子の亡きがらを火葬にする順番を、歯を食いしばって待つ様子をとらえた」(1945年、長崎、ジョー・オダネルさん撮影、坂井貴美子さん提供))

 本は「神様のファインダー 元米従軍カメラマンの遺産」。掲載されている被爆地の写真で、著名な「焼き場に立つ少年」について、幼子を火葬にする少年の様子をオダネルさんはこう記す。/「炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいる」「少年があまりきつくかみ締めているため、血は流れることもなくただ少年の下唇に赤くにじんでいました」 /妻で米在住の坂井貴美子さん(56)が2年ほど前に出版社の打診を受け、オダネルさんの遺志を尊重して、応じた。坂井さんは取材に対し、「人間の存在の原点を、占領者としてではなく同じ人間としてカメラに収めている」と表現。そして核廃絶へのメッセージとして、こう語った。「ただ『忘れない』ということが大切と思う」。/A5判192ページ。いのちのことば社(03・5341・6920)刊。(宮崎園子)(朝日新聞・2017年8月9日 18時37)(左と右上の写真はいずれも朝日新聞・2017年8月9日に掲載)

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⁂ ジョーオダネル(Joseph Roger O’Donnell)(1922~2007)= オダネルは1922年、米国ペンシルベニア州ジョンズタウンに生まれた。高校卒業後はアメリカ海兵隊に入隊し、そこで従軍カメラマンとしての教育を受けたが、 前線に送られることなく第二次世界大戦の終結を迎えた 。/教育課程を終えると、まず太平洋戦争による日本の空爆被害を記録する任務に就き、1945年8月に長崎市から10マイル(16キロメートル)ほどの地点に入った。当時、マッカーサー陸軍元帥やワシントンの首脳部は、原爆投下によって壊滅していた広島や長崎への報道機関のアクセスを制限しており、許可なく日本の民間人を写すことや、軍の業務用カメラ以外を使用することも禁じられていた。(↷)

しかしオダネルは軍命に背き、持参していたプライベートカメラで被爆者たちの姿を撮影したのである。 こうして遺されたのが、後に大きな反響を呼ぶ「焼き場に立つ少年」をはじめとした写真群であった。このあとオダネルは広島にも立ち寄った。日本の侵略を批判しつつも、被爆者を写すうちに日本人への憎しみは哀れみに変わっていったという。原爆被害の記録を続けたが、これらの写真の存在が軍部に知られた場合、いつ破棄させられてもおかしくなかったため、オダネルは被爆地でのことを一切口外せず、7カ月の任務を終えて未現像のネガ300枚ほどを密かにアメリカに持ち帰った。/オダネルは戦後ワシントン州に移り、写真スタジオを経営した時期もあったが、まもなく中央情報局に採用され、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンの4代のアメリカ大統領に仕えた。この期間にオダネルは、朝鮮戦争をめぐるトルーマンとマッカーサーとの会談や、ケネディ政権下でのピッグス湾事件など、数多くの歴史的瞬間に立ち会っている。(以下略)(Wikipedia)(左上写真はオダネル氏の妻、坂井貴美子さん。上記に引用の朝日新聞より)

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ゴミ袋不足は「炭鉱のカナリア」だ。

【北から南から】店頭から消えた指定ごみ袋 空いた棚の向こう側に中東情勢
 記事が出れば、明日には売り切れると分かっていた。記者とて生活者だ。迷いがなかったと言えば、うそになる。それでも手は伸ばさなかった。指定ごみ袋を前に、小さな記者倫理は守れたのかもしれない。
 宮城県大崎市などで、自治体が指定するごみ袋が手に入りにくくなっている。中東情勢の緊迫化に伴うナフサ価格の上昇や供給不安が背景にある。大崎地域広域行政事務組合は、市販の透明・半透明袋でも出せると決めた。
 本紙もルール緩和を伝えたが、売り場の動きは発表直後、変わらなかった。「なくなる」はすぐに広がっても、「代替案」が伝わるには時間がかかる。
 2年前、指定ごみ袋の値上げを機に買いだめが広がったという。棚から消えた記憶が、呼び覚まされたのだろう。売り場では、指定袋が真っ先になくなった。冷静に考えれば、より安い選択肢はあるのだが…。
 加美町の女性(88)は売り切れと聞き、大崎市古川まで来た。燃やせるごみ用は棚になく、帰ろうとしていた。透明袋でも出せると伝え、売り場に案内した。
 慣れ親しんだ習慣を変えるのは、そう簡単ではない。ごみ袋の棚を確かめる癖が付いた。いつもの場所に、いつもの袋があるかどうか。すっぽりと空いた棚の向こうに、中東がある。
(大崎総局・山崎敦)(河北新報・2026/04/27)

(ヘッダー写真「ナフサ不足でごみ袋を指定外もOKに 行政によぎる2年前のトラウマ 大崎市内のスーパーでは指定ごみ袋の棚が空になっていた=2026年4月19日午後4時52分、宮城県大崎市、手代木慶撮影」朝日新聞・2026/04/18)

 * たんこう‐の‐カナリア〔タンクワウ‐〕【炭鉱のカナリア】=《canary in a coal mine》= 危険の前兆を示すもののたとえ。金融市場で、株価急落の前兆となる現象など。[補説]かつて、有毒ガスの存在を確かめるために、炭鉱の坑道にカナリアの入ったかごを持ち込んだ習慣に由来する。カナリアは人間よりも早く有毒ガスの影響を受けるので、それを見て避難することができた。(デジタル大辞泉)

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 いよいよやってきたかというのが実感です。日本列島全体が、ついに危険な「酸欠状態」に立ち至ったという先ぶれであろうと思われます。各地方自治体指定のゴミ袋が品薄状態だという。幾つかの自治体では品薄どころか品物が売り切れ状態で、このままでは大変と、従来の指定されているものでなくても、中身が確認できる袋なら「大丈夫」という通知を出しているところもあります。小生が住んでいる地域でも、店によっては売り切れ状態のところが出ているようです。当初から、こういうことになるだろうという予測を持っているので、ぼくはいささかも慌てないでいます。「痩せ我慢」でもある。少しばかり「買い溜め」しても、石油輸入問題が長引けばどういうことになるか。腐るほど「トイレットペーパーを買い溜め」して天井裏にしまっておいて、天井が抜けたという話もあったほど。第一次・二次のオイルショック時、ぼくは各種品不足騒ぎをゆくりなく経験したものですから、いざとなれば、なんとでもする・しなければならぬという気分で、少しも騒がなかったことだけは覚えています。

 もう何十年も前、民俗学の柳田国男さんの本を読んでいて、感心したことがある。柳田さんに、ではなく、名もない庶民の言動に柳田さんがいたく感心していたのを読んで、ぼくは感心したのです。神奈川県下での出来事で、多くの人がにわか雨にあって、それぞれが慌てて走り去って行く中を、悠々と騒ぎもしないで歩いている人がいる。もちろん雨に濡れながら、です。「なぜ、急がないのですか」と誰かが訊いたら、「先も降っとる」と言って、悠然と立ち去って行ったという。濡れると大変とばかりに奔ったところで、帰路は長く、雨は降り続くというのだ。柳田さんがなぜ「大したものだ、この知恵は」と感心したのか、読んだ際にはよくわからなかったが、その後、「なるほど、そういうことだったか」と、ほとほと感心したことでした。今回は、「どれくらい先まで降っているか」、ですね。一年、いや二年?

 もう一つ、柳田さんが感心した話。これも神奈川県下のある地域の出来事。海岸近くの栗林では、近くの住民が、他人の土地に無断で入ってきて、落ちている栗の実を拾っていたそうです。「無断でとってはダメでしょう」と誰かが注意したら、一人の女性は平然と「生では食べられんから」と答えたそうです。なっている栗(実)をもいでとるならいざ知らず、熟して墜ちたんだから、それを取るのは問題ないし、誰だって生は嫌でしょう、という「頓智」だったんでしょうか。

 今次の物価高騰問題において、いくら高くても、指定された袋を使わないで、家庭ごみを出すのは憚られる。その指定回収袋に品不足が生じているとなると、我先にと焦るのは当たり前にも思われますが、買い占め・買い溜めに奔るというのもどうですかね、ぼくなどはそんな風に考えている。自分さえよければ、という「利己主義」など、普段は隠されていても、こういう緊急時には、各自の「根性」がむき出しになるのでしょう。致し方なしという部分も、当然にありますけど。ある自治体では市販のもので、透明ないし半透明なら使用可としたとあります。こうなると、自治体の指定袋をたくさん買った人はきっと文句を言うはずです。買い溜めた分を「元の値段で買い取れ」と、ね。また、市販の品でも構わないというなら、どうして「指定」しているんですかかという疑問も出てきますね。要するに、ルールを守れない人が多すぎるということがまずありそうですね。

 これは今回起こったことではなく、以前から疑問に感じていたことですが、各自治体で「指定袋」の値段がまちまちなことです。たぶん、拙宅のある地域で指定されているごみ袋は、県下で最も高価な部類に入ると、常々思っていたところでした。ざっと調べると、それこそ全国まちまち、無料から有料、有料でもピンからキリまで。それだけの差が出る理由(背景)があるのでしょうけれど、今回のナフサ不足を期に、少しは考えてもらいたいところです。

 拙宅は夫婦と猫二十人ほどの家族。生ごみ(燃やせるゴミ)の量はそれほどでもありません。回収日は週に3回ありますが、おそらく、ゴミ出しは週に1~2回がほとんど。30㍑用のゴミ袋は10枚で500円。一枚当たり50円。ごく当たり前のナイロン製のごみ袋。とても高いと思いつつ、仕方なく使っている。月にすれば5~6枚使うから、大体300円前後です。大家族となるとなかなか大変。不燃ゴミにビンカン類用もあります。それにしても、当地のゴミ袋の値段、千葉県内でも最も高いし、全国的に見比べてもダントツという印象を持ちます。それ以外に、ぼくは時には、直接ゴミ焼却場に持ち込む(キロ単位で有料)ことがあります。

 昨年はコメ不足が起こったということでしたが、何のことはない、流通業者が「出し惜しみ(秘匿)」をしていただけのこと。5㌔2000円台で買えたものが5千円、6千円もするという悪辣な商売人たちのずるい商売だったようです。今頃になって、倉庫に保管(隠匿?)しておいたものを出さざるを得ない羽目に。そして消費者は、「これだけ安くなると嬉しい」と、一年ほど前のもとの値段の倍で買わされても「喜ぶ」のですから、あまりにも賢くないですね。もちろん、いろいろなところに行政・政府が介在・介入しているのですから、こんな状況が生み出されるのも、必要適切な政治の「不在(absence)・不作為(inaction)」ということにもなります。

 今騒がれているのは、有料ゴミ袋問題ではなく、あらゆる製品・商品が「石油」抜きでは考えられないような生産・流通・販売の仕組みになっていることと、石油無産出という非産油国の悲哀という問題です。石油は100%輸入に依存しています。ホルムズ海峡問題が落ち着かなければ、日本経済は立ち上がれないほどの打撃を受けるでしょう。これに対して政府は何をしているか、してきたか。一方で「大丈夫だあ!」と放言しつつ、もう一方では、ひたすら「国力増強」「軍事国家化」にシャカリキです。勇ましいことを言って、「腹が減っては戦ができぬ」というのは、戦国時代の話ではないんですのに。「強い国家」にというキャッチフレーズ、何とかならなんでしょうか。

 第二次世界大戦に至った一番の理由は「石油不足」でした。化石燃料を自給・自足できない国情・国勢を打開するために、敵国に石油の輸出を頼りながらの「開戦」という、考えられない愚かな「日米戦争」でした。事、化石燃料に関しては当時といささかも事情に変化がないにもかかわらず、現政権党は「戦闘準備」に躍起になっています。燃料がなければ、何事も始まらないというのに、いったい、大量の武器をそろえ、軍事国家を急造して、いったいどこの国と戦う準備をしているんですか。リュウマチ病みだとかいうアマゾネス首相、誰に向かって「私は強いのだ」というところを見せようというのか。文字通り、松根油と竹槍をもって、正体不明(もちろん、はっきりと決めているのだが、「中国だ」とは公言しないだけ。はっきりといえばいいじゃないですか)の敵国と戦うというのらしい。悲しくなるほどに愚・愚・愚ですね。

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 安保3文書改定、高市首相「国家の命運を左右する」…有識者会議の初会合で防衛産業強化など呼びかけ 政府は27日、国家安全保障戦略など安保3文書の年内改定に向け、取るべき方向性を検討する「総合的な国力から安全保障を考える有識者会議」の初会合を首相官邸で開いた。高市首相は、日本の平和を守るために「総合的な国力を徹底的に強くしていくことが大事だ」と訴え、「新しい戦い方」への備えや先端技術の活用、防衛産業の基盤強化などの議論を呼びかけた。有識者からは総力を結集する重要性を指摘する意見が相次いだ。

 首相は「総合的な国力」について「外交力と防衛力を、経済力、技術力、情報力、人材力と有機的に連携させる」ものだと説明した。2022年以来となる3文書改定は「国家の命運を左右する」と語った。

 3文書は、安保政策の指針となる国家安保戦略、自衛隊の能力などに関する国家防衛戦略、整備する防衛体制や必要な金額を示す防衛力整備計画からなる。国家安保戦略はおおむね10年間の指針とする想定だが、政府は国際情勢の激変を受け、前倒しでの改定を決めた。有識者会議は秋頃をめどに報告書をまとめる。政府は有識者会議と与党での議論を反映し、年末までに新たな文書を策定する。(以下略)(読売新聞・2026/04/27)

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 (蛇足です。エルビスが歌ったこの曲を聴いていて、なんだか「日本の首相」が必死に「Can’t Help Falling in Love」と叫び倒している景色が見えてきます。たとえ誰が反対しようが、「私は戦争(暴力)を好きにならずにはいられない(I can’t help but love war (violence).)」と。彼女はロックだろうから、この「バラード」も、とにかくロック調でやっているのだ。騒々しいよ。(* ❶Elvis Presley – Can’t Help Falling In Love (Official Audio):https://www.youtube.com/watch?v=vGJTaP6anOU&list=RDvGJTaP6anOU&start_radio=1)(* ❷Can’t Help Falling in Love – Lucy Thomas – (Official Music Video):https://www.youtube.com/watch?v=0siyVtIxu4M&list=RD0siyVtIxu4M&start_radio=1

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Take my hand 
Take my whole life, too 
For I can’t help Falling in love with you 
For I can’t help Falling in love with you

(どいうきっかけだったか、ぼくはこの曲が使われた映画「ブルーハワイ」を京都で見ています。1961年公開。中三だったか、高一だったか。映画の中身はほとんどわからなかったね。もちろん、ハワイに憧れることもなかった)

 (蛇足の蛇足です。「だ‐そく【蛇足】読み方:だそく《昔、中国の楚(そ)の国で、蛇の絵をはやく描く競争をした時、最初に描き上げた者がつい足まで描いてしまったために負けたという「戦国策」斉策上の故事から》付け加える必要のないもの。無用の長物」デジタル大辞泉)(’an unnecessary addition‘ in English)

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夕暮は著莪の花のみ美しく(高木晴子) 

(承前)本日は「哲学の日」ですと、茨城新聞(「いばらき春秋」)は書かれていました。なぜそうなのかといえば、「無知の知」で知られる哲学者のアリストテレスが死んだ日でもあるからだ、と。それを目にして、ぼくは新聞社の営業開始を待って、問い合わせの電話をしました。つい先ほど、新聞社の方と話をし、ぶしつけに電話をした理由を述べ終わったところです(午前9時15分頃)。「無知の知」を話題にされるコラム氏が「ソクラテスとアリストテレス」を間違えるという、まるで上出来の「ジョーク」を読ませてもらったようなコラムの記事に、実は新聞社でもだれも気が付かなかった、ネット掲載から5時間も経って。ということは、ぼく以外は真面目に読んでいないということですかな。間違いに気づいていても、誰もそれを指摘しないということなのですか。どれほどの読者がいるのか。およそ考えられないミステークだと思うのですが、当該機者以外は、誰も編集・掲載に加わらなかったということなんですね。庵ビリーバブル、です。

 直接、担当者(当人)に間違いを指摘するのは控えました。当たり前でしょう。ぼくにはいかなる心算(しんさん・つもり)もありません。多くが認めている事実(といっていいでしょう)を間違えていたのなら、それを訂正すべき。人名を間違えていただけというなら、それまでです、しかし、新聞のコラムニストが、その程度の認識では読者が泣くでしょうと、お伝えしました。電話を受けてもらった方は、丁寧にぼくの問い合わせの趣旨を汲んでくださったと思う。「無知の知をいったアリス…。」とぼくが「コラム」を読みかけると、即座に理解されました。「ソクラテスでしたね」と。担当記者の、とても恥ずかしい間違いが何時間も訂正されないで、新聞社の間違いのままであったとなれば、もっと問題が大きくなるでしょう。訂正で済むのか、あるいは工夫をされて記事(コラム)を修正してくださるといいですね、と電話を切りました。言うまでもないことで、人間には間違いというか、不注意というものがだれにもあります。実の子の名前を忘れたりすることは少なくないのです。間違いに気づいたら(指摘されたる)、直ちに直せばいいだけのこと。(以上は、今朝の駄文の「追記」でした)

 (表題句の作者、高木晴子さん(「たかぎ はるこ、1915年1月9日[1] – 2000年10月22日)は、神奈川県出身の俳人。高浜虚子の五女で、高浜年尾、星野立子らの妹」(Wikipedia)

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 今は、家の周囲では「シャガ(著莪)」が静かに咲いています。雨に濡れる風情がいいですね。この時期は「ボタン(牡丹)」の盛りでもありますが、ぼくは、断然「シャガ」派です。近所に「牡丹園」があり、数年前にでかけたことがありますが、もういい、十分だ、という気になりました。もちろん、これは好みの問題で、つべこべ言うこともないのです。清楚な「シャガ」と、きらびやかな「ボタン」と。どう考えても、「ぼくはこれ」と、いうばかりです。拙宅の庭にもひっそりと咲いている。「射干 著莪 胡蝶花 Iris japonica」と、さまざまな呼び名があります。中でも「胡蝶花」など、まさに花の姿によく似せていますね。以下、5句ばかり。いかにもシャガの句に合う佇(たたず)まいではないでしょうか。

・著莪咲けば姉の忌日の来りけり(阿部みどり)
・音もなき雨にぬれゐる著莪の花(堀内茂葉)
・著莪の花生野の山に雨ふりて(山口青邨)

・姫著莪の花に墨する朝かな(杉田久女)
藪蔭の五月はじめや著莪の花(野村喜舟)
ヘッダー写真 シャガは、春に白や薄紫色の花を咲かせるアヤメ科の常緑多年草。アヤメの仲間の中では一番早く春から初夏に開花します。雑木林の木陰など、明るい日陰の湿り気のある場所を好み、沖縄、北海道を除く日本各地に自生しています。日陰の下草やグランドカバーにも適していますが、あまり暗すぎると花付きが悪くなります。葉はやや厚く光沢があり、草丈は30~70cmほどです。(LOVE GREEN:https://lovegreen.net/languageofflower/p263432/)

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「徒然に日乗」(1074~1080)

◎2026年04月26日(日)世間では昨日から「大型連休入り」、無職の小生には関係のない日常である。終日好天に恵まれた。▼午前中に茂原まで買い物。いつものスーパーの店内は閑散としていた。▼帰宅後、先日ネットで購入しておいた「刈払い機」の組み立てをする。思った以上に軽量・小型で、果たしてこの近辺の強靭な雑草を刈り取ることができるか、やや心もとない。この1週間ほどで、降雨と晴天の順繰りだから、周囲の草が驚くほど繁茂した。さぞや刈り応えがあるだろう。▼米国初の物騒なニュース。「(CNN) 米ホワイトハウス記者協会の夕食会で発生した発砲事件で、身柄を拘束された武装した男はカリフォルニア州在住のコール・トマス・アレン容疑者(31)と特定された」(CNN・2026/04/26)大統領を含めて、被害者は出ていない模様。よそ事ではないが、アメリカは分裂国家状態になっている。(1080)

◎2026年04月25日(土)終日晴天に恵まれた。午前中に茂原まで買い物に。相変わらずの物価高で、いささかも衰える様子が見えないのは、どうしたものか。すべてが石油の枯渇というわけでもなかろうが、それを理由に(大義名分に)ものみな上げるのだから、この先が本当に思いやられる。▼22日に発生した岩手県の山火事は4日目に入っても鎮火の兆しは見えていない。多くの避難者は火災を避けながら転々と避難所を移っているのだ。明日も雨は望めないらしい上に、強い風が予想されている。とにかく鎮火の早からんことを祈るのみ。(1079)

◎2026年04月24日(金)本日も午前中に少し足を延ばして長南町の先あたりをドライブ。走行していて思うのは、市原市がとても面積が広いということ。木更津や勝浦までも、ものの小一時間もかからないで走れる。信号もなく、道路は混雑していないので、きわめて走りやすい。およそ50㌔は走ったろうか。その後、茂原に戻り、買い物をして帰宅。▼アメリカとイランの交渉が暗礁に乗り上げているのだろうか。その行方は混沌としている。(1078)

◎2026年04月23日(木)終日雨天だった。夜に入るとますます雨足が強くなる。▼《市原市で中東情勢への不安などから市指定ごみ袋の買いだめが起き、一部商品が品切れや品薄になっているとして市が21日、配信メールやホームページで市民に冷静な対応を呼びかけた。(後略)》(千葉日報・2026/04/22)こういう動きが方々で出て黒となると、「石油ショック」の再来となろう。▼通販で「刈払い機」を購入。現有のものはすでに十年以上も使用。簡単な補修もしながら、2台体制で作業効率を上げたい。▼「和平交渉」は混沌としているうえに、トランプの判断力が異常だとするなら、いっそう泥沼状態はひどくかつ長引くだろう。この国にとっては致命的な打撃となる。(1077)

◎2026年04月22日(水)陸自戦車4人死傷、砲弾破裂するまで通常通り射撃か…『普通では考えられない』と隊員ら衝撃「前代未聞だ」――。陸上自衛隊の日(ひ)出生(じゅう)台(だい)演習場(大分県)で21日、実弾射撃訓練中だった西部方面戦車隊の「10式戦車」の隊員4人が死傷した事故。戦車内で砲弾が破裂するという異例の事態に、現役隊員やOBの間に衝撃が広がった。陸自は砲弾の問題に加え、装置の不具合や人的ミスの可能性も含めて慎重に調べる。」(読売新聞・2026/04/22)昨日の自衛隊隊員の事故に関して、政府関係者がいかなるコメントを発したのか。最高指揮官である総理はどう語ったのか。中国大使館への侵入事件に際しても、首相は一切沈黙を守っている。なぜか。▼イラク戦争による石油の枯渇が現実の問題になっているにもかかわらず、一切、国民に対して「説明」がないのは、フザケすぎているというほかない。「泥沼化」は既定の筋だが、このままでは経済を含めて、社会には未曽有の「大混乱」が生じるのは不可避だと思う。現政権は間違いなしに、適切な行動がとれないほどに「内部崩壊」を来している。(1076)

◎2026年04月21日(火)朝、6時過ぎに「生ゴミ出し」、やや曇りがちの天気。昼前に買い物に茂原まで。後から少し庭の手入れをと考えたが、あまり気乗りもせず、本日は中止。刈払い機が、もう10年使ったので、少しオーヴァーホールをしなければと考えている。自分でもできなくはない作業だが、もう一台あれば仕事には便利と、別の「バッテリ電源」用を一台注文した。数日後から、作業にかかれると思う。併せて、鍬や鎌やスコップなどの作業用具も新調したい。前回の作業以降、相当に期間が空いたので、仕事のやり甲斐があるというもの。▼昨夕の青森方面の地震、一夜明けてみればそれなりの被害があったと報じられる。幸いに死者は出ていない模様。不安なことだが、今後さらに大きな地震の発生確率は高いという気象庁の報告。房総近辺でも頻繁に地震が発生している。十分に気を付けたい。▼イラン情勢は混とんとし続けている。無駄な殺生は止めた方がいいに決まっているのに、そうならないのが人間の「欲」というものの仕業だろう。愚かなうえに愚か、この「愚挙」に気が付かないのだから、人間の「愚かさ」も完璧だ。(1075)

◎2026年04月20日(月)拙宅前の煉瓦塀のモッコウバラ(黄色)が満開だ。横にあるシャクナゲに、山吹、レンギョウなどなど、それぞれの時を得て笑っている。躑躅(つつじ)も満開。手入れをすればもっと見事に咲いてくれるのだろうが、このところの猛暑に恐れをなして、一年を通して十分な世話(手入れ)ができていない。今年は、除草から肥料やりまでを、丁寧にやり遂げたい。刈払い機のメンテをしなければいけない時期で、十年使い放し(酷使)状態が続いていた。鍬や鎌などの道具類も新規に揃えておく必要があろう。今朝も「筍」を3本ほど掘った。このところ、新筍の煮物や炊き込みで季節を味わっている。▼イラン情勢はどうなるのだろうか。猫の目大統領とは真面目に付き合いきれないのだから、先の見通しが立たない。世界中が迷惑を蒙っている、なんとかしてほしい。▼「三陸沖でM7.5の地震 青森県で震度5強 4月20日(月)16時53分頃、青森県で最大震度5強を観測する地震がありました。震源地:三陸沖 マグニチュード:7.5 震源の深さ:約10km(後略)(ウェザーニュース・2026-04-20 17:26)午後7時段階の報道の限りでは、犠牲者は出ていない模様。これで収まるかどうかはわからないという。(1074)

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