再び、スマホは「盗撮」の道具じゃない

 教員の個人スマホ禁止広がる…相次ぐ児童の盗撮被害受け 埼玉県内30超の自治体がガイドライン策定 「盗撮防止をより徹底」とする一方「緊急通報の手段が必要」の声上がる 公用端末の導入を決める自治体も 
 相次ぐ教員による盗撮被害から児童生徒を守るため、盗撮防止ガイドラインを策定し、教職員が個人で所有するスマートフォン(個人スマホ)の持ち込みを禁止する動きが広がっている。一方で、不審者の侵入や突然の心停止といった緊急時に備え、連絡手段の確保を求める声も。埼玉県内の教育現場の対応状況を探った。
■盗撮防止の徹底
 近年、教員によるスマホでの盗撮事件が相次いだことから、文部科学省は昨年7月に服務規律確保の徹底を求める通知を発出。教室やトイレ、更衣室の定期的な点検や、私的な端末で児童生徒を撮影しないことなどの徹底を求めた。
 この通知は個人スマホの持ち込み禁止を求めるものではなかったが、その後、全国で教職員の個人スマホ持ち込みを禁じる動きが広がった。県内でも30を超える自治体が持ち込みを原則禁止としたガイドラインを作成し、ホームページ上で公開している。
 県教育局小中学校人事課によると、各市町村にガイドラインの策定を呼びかける際、個人スマホでの撮影を禁じた県立学校のガイドラインと併せ、持ち込み禁止の記載がある市町村版を参考例として送付した。その意図について、同課の担当者は「盗撮防止を、より徹底するということで記載した。最終的には各市町村の判断」としている。(以下略)(埼玉新聞・2026/09/16)

 事は埼玉県内だけではありません。全国数万ある国公私立学校のすべてにおいて、「盗撮」云々というのではないのは勿論です。しかし、こんなに方々の学校教職員がかかる「犯罪行為」に手を染めている、この現実を知れば、さて、何か有効な策があるのだろうかという、疑念や不信の念が、犯罪防止に立ち上がる人々の前に立ちはだかるでしょう。

 「先生、個人用のスマホは道込み禁止です」と、毎朝、登校時に管理職が検査するのでしょうか。あるいは、みずからが担当しているクラスの子どもたちに調べさせるのでしょうか。「悪いことに使う恐れがあるから、先生スマホを持ってきてはいけないんですよ」「ぼくたち(わたしたち)だって、使用を禁止(制限)されているんだから」(左写真は上掲の埼玉新聞)

 今も昔も「よからぬことをする教師」はいたでしょう。でも、スマホが普及し、性能が格段に向上することによって、画期的な場面が展開されるようになったことは事実ではないでしょうか。聖人君子の面をして、偉そうなことをいうつもりはありません。問題の深刻さから比べれば、その受け止め方の浅薄さが一番の問題点となっているのではないでしょうか。教師も子どもたちも、いとも容易に「狂気」「欲望」を発揮させる環境が準備されている、この現実をどうするか。ぼくに名案があるわけではありませんし、この手の「犯罪」はいつの時代にも存在していました。学校という場所は、そのような犯罪を誘発す環境としてはとても条件が整っているのでしょう。

 そのいちいちを言いませんが、「教師」対「子ども」という関係において、圧倒的に教師は優位に置かれているのは事実でしょう。➀教師という存在は、子どもに向かって犯罪行為を犯す危険性がある、という疑念が子どもたちにあれば、少しは問題の発生は防げるかもしれません。だから「気をつけなさい。担任教師(や校長・教頭)が隙あらば、盗撮する機会を狙っているのだから」と、親からも、教師自身からも子どもたちに諭すのでしょうか。➁毎朝登校時に、「先生が私用スマホを持っていないかどうか、日直を中心に、こどもたちが検査する」「その結果を、校内の掲示板に張り出す」ことも考えられます。➂日直のように、日替わりに、個々人の教師の挙動を監視する役割を設ける等々。教師対生徒の関係は、互いに不振の気分で見張りあうようにしたらどうでしょうか。

 ぼく自身は、いつも言っているように、学校(組織)や教師(個人・集団)に、全幅の信頼を置くことはありませんでした。むしろ、不信の念を持ち続けていたといいたいほどです。もちろん、それは「教育」という機能や目的に関して、そのような「強制教育」を行う学校との間に、一定の距離を持っていたのでした。現実に生じている「課題」への対処も大事です。起こっていることは犯罪ですから、それを取り締まるには当たり前の方策がとられてしかるべきでしょう。警官の学校常在を制度化するの一法でしょうし、今教育委員会などが考えている「公用スマホの貸し出し」もあるのかもしれません。でも性的な犯罪が絶えないから、教師を徹底して監視するように、法律を作るなどと言うことも現実にあるかもしれません。真面目に、こんなことを考えなければならないところに、ぼくたちの社会は「追い込まれている」とい事実に、ぼくたちは気がつかねければ、もう終わりですね。ここまでひどいのだと、それは政治や経済の要路の人たちだけではないんですね。

 いうまでもなく、「教員はすべて犯罪者である」という話ではありません。だから、「個人用スマホの学校内所持は一律禁止」という案には賛成しません。子どもたちには一律「SNS禁止」の措置を講じていながら、教師にはそれは認めないのもおかしいでしょう。とはいいつつも、ぼくは、子どもも教師も、「私物スマホ」の所持は認めるのが当然だと思っています。だから、必要以上にスマホをいじらないだけの「自制心」を育てることが何よりではないかと思うばかりです。どんなに厳しく、予防策を張り巡らしても「犯罪」は起こります。だから、何をしても仕方がない、というつもりはありません。「欲望」「情念」を育てないこと、底から自分が解放されるように、自らを育てること、それに尽きますね。

 今日、このように教員の「自制心」「自己管理能力」などの著しい欠如が問題になる、その背景なり理由を丁寧に探さなければ、おそらく、十年後二十年後には、また異なった場面での「犯罪」が問題になること請け合いです。ぼくは、自らの経験からも、繰り返し、学校教育の「偏差値偏重」「優劣発見主義の蔓延」等に関して、現状の教育の根本からの是正、いや改廃を訴えてきました。学校廃止もあり得ます。学校はなくても、教育は行われてきました。

 「他人の評価」を得るための教育、優劣を競わせる教育、それが「学校教育のメインストリート」になってきたのではないでしょうか。その「幹線(感染)道路から外れたものは、いわゆる「落ちこぼれ」ですね。自慢でも卑下からでもなく、事実として、「まぎれもなく、ぼくは落ちこぼれ」でした。人並みに大学まで在籍しましたが、ぼくがしてきたことは、あえて言うなら「反(非」学校教育」という振る舞いだったでしょう。従順よりは正直、成績より友情、勤勉であるのではなく、自分の足で立つ(自分の頭で考える)練習、それをこそ、ぼくは自分なりに重んじてきたと思う。(左写真の表は神戸新聞・2025/12/25)

 他者に誇るべき何物も所有しない人生をかたくなに歩いてきて、今痛感することは、「地雷や不発弾がばらまかれている地平原を、よくぞ歩いてきたものだ」という気分です。今の今だって、危ない地面の上に乗っているのです。ぼくが犯罪に傾かなかったのは、単なる偶然であり、ちょっとした幸運の連続だっただけでしょう。罪を犯す素地・素質は十分にあったことを否定しないし、できません。単なる偶然の重なりで、ここまで歩いて来たのだと思う。あと四日もすれば、ぼくは八十二歳になります。数々の間違いを犯しながらも、ここまで来たという、まさにそれが「実感」があります。実に、あの時は危なかったなあ、そんな冷や汗をかく人生でしたね。

 時に浄土教でいう「二河白道(にがびゃくどう)」を思ったりすることがあります。我が身にそぐわない話ですが、ぼく自身の心持は、そこに示された「白い道」を、必死の想いで歩き通したいという存念だったと思うのです。もちろん、まだ歩き切ってはいません。いつ足元から崩れるかもしれない。願うことは、学校や教育が子どもたちの「幸運」を祈るように機能するためには、一人の教師もまた、剥き出しの情念や欲望に足元を掬われる危険性を常に冒しながら、あるいは失敗を重ねながら、自らをつかむ苦行を止めないことです。

 明治この方、百数十年にわたる「学校教育」の偏頗極まりない「優劣決着教育」の、自分は被害者であることを、教師自身が片時も失念しないで、目の前の子どもたちに誠心誠意、向き合ってほしいと思っています。

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◎二河白道(にがびゃくどう)= 浄土往生(おうじょう)を願う者が迷いの世界から極楽(ごくらく)に至る道筋を、水・火の二河をもとに説き明かしたたとえ。唐の善導(ぜんどう)(613―681)が『観経疏(かんぎょうしょ)』散善義(さんぜんぎ)で記述したのによる。人が西に向かって行くと、南に火の河、北に水の河があり、その中間に4、5寸(約12~15センチメートル)の白道があって、水火が猛然と押し寄せ、後方からは群賊や悪獣が迫ってくる。進退窮まり、白道を渡ろうかと思案していると、東岸から早く渡れ、死の災いはないという声、西岸からかならず守るからという声に励まされ、信じて西岸に達した。火の河は人間の瞋(いか)りや憎しみ、水の河は愛着や欲望、白道は浄土往生を願う清浄(しょうじょう)心、群賊たちは人間の迷いから生ずる悪い考えなど、東岸の声は娑婆(しゃば)世界の釈尊(しゃくそん)の教え、西岸の声は極楽浄土の阿弥陀(あみだ)仏の呼び声に例えたもの。日本では絵解きとして広く知られた。美術的遺品では、鎌倉時代の制作になる京都・光明(こうみょう)寺、兵庫・香雪(こうせつ)美術館の図が名高い。(日本大百科全書(ニッポニカ))

◎ 二河白道(にがびゃくどう)とは、浄土教における極楽往生を願う信心の譬喩。二河譬(にがひ)とも。善導が浄土教の信心を喩えたとされる。主に掛け軸に絵を描いて説法を行った。絵では上段に阿弥陀仏と観音菩薩・勢至菩薩の二菩薩が描かれ、中段から下には真っ直ぐの細く白い線が引かれている。 白い線の右側には水の河が逆巻き、左側には火の河が燃え盛っている様子が描かれている。 下段にはこちらの岸に立つ人物とそれを追いかける盗賊、獣の群れが描かれている。下段の岸は現世、上段の岸は浄土のこと。 右の河は貪りや執着の心(欲に流されると表すことから水の河)を表し、左の河は怒りや憎しみ(憎しみは燃え上がると表すことから火の河)をそれぞれ表す。 盗賊や獣の群れも同じく欲を表す。東岸からは釈迦の「逝け」という声がし、西岸からは阿弥陀仏の「来たれ」という声がする。 この喚び声に応じて人物は白い道をとおり西岸に辿りつき、悟りの世界である極楽へ往生を果たすというもの。(Wikipedia)(ヘッダー写真および右写真:二河白道図(奈良国立博物館蔵、重要文化財)

🔵 参考資料 盗撮事件で広がった教員のスマホ規制 公用支給でも解決しない問題 名古屋市が学校現場への私有スマートフォンの持ち込みを禁止して1年となった。教員グループによる盗撮事件を受けた措置だが、戸惑いを感じる教員は少なくない。
 他の自治体では新たに公用スマホを支給する動きがあるものの、「オールハッピーの対策にはならない」との声もある。
 きっかけは教員集団の盗撮事件
 事件の発覚は昨春。現役教員らがSNSのグループチャットで着替え画像などを共有。名古屋市や東京都などの教員ら7人が次々に逮捕され、これまでにうち6人が有罪判決を受けた。
 文部科学省は2025年7月1日、性暴力根絶に向けた対策をとるよう都道府県と政令市の教育委員会宛てに通知を出した。事件の端緒となった名古屋市教委は17日後、教室への私用スマホ持ち込みや撮影を禁止する新ルールの運用を始めた。
 学校現場での盗撮は悪質な犯罪だ。ただ、名古屋市内で勤務する小中学校などの教員は1万人にのぼる。「有無を言わせず、教員全員を犯罪者扱いするなんて……」。今もこうした思いを抱く教員は少なくない。
 スマホ禁止で業務に支障も
 近年、私用スマホは教育活動で幅広く活用されてきた。学校で見せる子どもたちの様子を撮影し、「学級通信」に掲載することは多く、「子どもにも保護者にも喜ばれ、やりがいの一つだった」。元教員の男性は振り返る。
 連絡手段として欠かせない通信手段だったとの指摘もある。
 ある教員は、自身が勤務する市立中学校では、連絡用として職員室につながるインターホンが各階の廊下に一つしか設置されていないとし、こう話す。/「暑くて、熱中症の疑いのある生徒がいる際、廊下にまで出る必要があるので、すぐに連絡が取れない」
 夏にはプールの授業もある。子どもが溺れた際、プールにあるインターホンから職員室に連絡し、消防などに連絡する段取りになっている。だが、ある小学校の教員は「必ずしも連絡がスムーズにいかない時がある。1分1秒の遅れが命に関わる」と口をとがらす。
 給食の場面ではアレルギー食品に伴うアナフィラキシーショックの恐れもあり、教育現場では子どもの命が危険にさらされるリスクを抱えている。
 公用スマホは長時間労働を助長?
 持ち込み禁止は名古屋市を皮切りに、北海道や横浜市、札幌市などにも広がった。他方で、全教員に公用スマホを支給する自治体も出始めている。/愛知県春日井市では、25年秋から一部の小中学校で支給を始めた。市の担当者は「トラブル発生時に初期対応が早まった。教員にとっては必要不可欠」として、全校での運用を視野に入れる。東京都教委でも7月、全ての都立学校の正規教職員ら向けに公用スマホを配備した。
 名古屋市では現状、公用スマホ支給の機運は高まっておらず、中学校のある教員は「オールハッピーな対策にならない」と指摘する。/理由はこうだ。/公用スマホが持ち帰りも可能となると、「いつでも連絡可能となり、土日の業務対応が生じる恐れがある」。都教委はスマホ配備を働き方改革の一環と位置付けるが「長時間勤務につながる可能性をはらむ」と懸念する。
 支給対象者に非常勤の教員も含めるのか。事故やアクシデントが発生する可能性のある部活動の外部コーチはどうするのか。
 こうした詰めるべきルールも多いとし、「公用スマホを支給すればすべての問題が解決するわけではない」と指摘する。【藤顕一郎】(毎日新聞・2026/07/23)

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「災難なら畳の上でも死ぬ」との諦念

<あのころ> 第2室戸台風襲来 近畿中心に全国で大被害 1961(昭和36)年9月16日、第2室戸台風の襲来で近畿地方を中心に全国で大被害。室戸岬で最大瞬間風速84.5m以上の強風で、家屋倒壊や高潮による被害が続出した。死者・行方不明者202人、被災家屋は88万戸に上り、農作物被害は538億円。34年の室戸台風と進路が似ていた。写真は水浸しの大阪市内。(共同通信・2022/09/16)

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 この「室戸台風」の2年前、1959年9月26日には伊勢湾台風が京都方面を急襲し、未曾有の災害をもたらしたことは先(別稿)に触れた通り。物心がついて初めての「自然災害」の恐怖をぼくは味わったが、いくらもしないうちに、この「第2室戸台風」が劣島各地を激しく襲った。この「台風」襲来の記憶も、鮮やかにぼくには残っています。いずれも京都にいた時分でした。この二つの台風による洗礼によって、ぼくには「自然災害」に対してはある種の「諦念(諦観)(resignation・tolerance)」のようなものが生まれたといってもいいでしょう。ぼくは中学生だった。

 京都に住んでいたころには、地震というものの怖さを身をもって実感したことはなかった。むしろ、「台風」への脅威が腹の底に居座りました。第2室戸台風の2年後に、ぼくは東京に移り住んだ。移住して一番恐れたのが地震でした。東京というか関東地域では頻繁に地震が発生していたからでした。地震と台風。この二つは「手に負えない」という「諦念」、あきらめというのではなく、無駄な抵抗はよせという、災難を避ける知恵や覚悟を持ちたいと思うようになりました。(ヘッダー写真と以下の写真は、いずれも徳島新聞「防災の日特集」2021/09/01 から)

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 「世上物騒我が身息災」という物言いがあります。世間では天変地異などと言い囃(はや)して、何かと大騒ぎをしているけれど、それには無関係にわが身が無事なら、それで結構というのでしょうか。さらに言うと、何が起ころうが、そんなことは知ったことか、わが身さえ安全なら、それでいうことなし。「自分勝手」「罰当たり」の見本のような様や人を言う。大きく言うと「一国平和主義」なども、それに類するでしょう。地球上のどこで何が起ころうと、自国さえ平和ならと、まさに「自国至上主義」の不遜・不徳を非難する表現とも言えます。その反対に「相身互い」という。「《「相身互い身」の略》同じ境遇にある者どうしが同情し、助け合うこと。また、その間柄」(デジタル大辞泉)という、人間関係(思い遣り)の深さをいいあてることもあります。今では、驚くほど意識の上では狭くなった世界です。この互助の精神が、だれ言うとなく広がっているともいえそうだし、もっと拡大するといい、とぼくは心底願っています。

 今朝から、小止みなく雨が降っています。ただ今午前7時ころです。また太平洋上には「台風25号(の卵)」が発生しつつあります(風速18メートル以上を台風というらしい)。このところ、劣島各地では、台風のない、風の伴わない「線状降水帯」という新たな脅威で、未曾有の災害に痛めつけられています。一週間の間も置かないで、連日各地で災害の発生が報じられ、悲しいことに犠牲者の不幸・不運が報道されます。当地も、隣町の大網白里市や千葉市などでも多数の被害が出ています。強風のない分、それだけ助かる、とも言えない惨(むご)たらしい豪雨の連続攻撃です。これに台風や地震が同時発生したらどうなるのか、どうなるものでもないという「諦念」がぼくの中から頭を擡(もた)げます。

 「命あっての物種」とはよく言ったもの。「何事も命あってできることで、死んでは何にもならない」(デジタル大辞泉)というのは生命(人生)の大肯定でしょうか。自ら死を願うことは無論のこと、縁あって与えられた生命(人生)をこそ、ぼくたちは続けられるまで続ける、という暗黙の「約束」(道徳)があるように思うのです。「誰かと約束」した覚えなどあるもんかといいたい人もいるでしょう。では、「死んで花実が咲くものか」と、いったい誰が言うのでしょうか。「人生」(というもの)の側から問われてるんじゃないですか。「その生き方で、花実は咲くのですか?」って。

 「生きていてこそいい時もあるので、死んでしまえば、万事おしまいである。死んで花実が生(な)るものか」(同前)ぼくは、あまりこのような表現は好きではありません。でも、「私は生まれた(I was born.)」以上は、生きることに意識も力も注ぐのは間違いではないでしょう。自分は生まれたくて生まれたのではなく、「生まれさせられた」のだから、そこには何か意味(願い・使命)があるのかもしれません。それを探すことが「生きること」だといえないでしょうか。自然と人間の合作(共犯)である今日の「自然災害」に、足元を掬(すく)われることもなく、注意深く生き延びるのは、ある意味では至難のことかもしれないし、そこで助かる命なら、なおさらに、「このいのちを生かして、何かをする」値打ちがあるように、ぼくは考えたり感じたりしてきました。(右写真は吉野弘さん・1926~2014)

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 9月16日(水)3時現在、マリアナ諸島で発達中の熱帯低気圧について、気象庁は「12時間以内に台風に発達する見込み」と発表しています。次に発生すると今月2つ目の台風発生で、「台風25号」と呼ばれることになります。

18日(金)から19日(土)にかけて小笠原諸島へ近づき、その後はシルバーウィークの5連休にかけて本州方面へ北上する可能性があります。最新情報をこまめに確認するようにしてください。

▼熱帯低気圧a 9月16日(水)3時
 中心位置   マリアナ諸島
 移動     西北西 15 km/h
 中心気圧   1000 hPa
 最大風速   15 m/s
 最大瞬間風速 23 m/s

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手先・走狗・ランニングドッグ…

【天声人語】忠実なAIの「暴走」 試験を受けに来た学生がいるとしよう。試験が始まると学生はこっそり友人にメールを送り助けを求めた。友人は他の人にも連絡をとり、一緒に問題を解いてもらった。そして、不正の痕跡を隠そうとした▼米オープンAIのテスト中に起きたAIの「暴走」を例えると、こんな感じだろうか。AIが隔離されたテスト環境を抜け出し、他のAIと結託して他社のシステムに侵入した。さらには隠蔽(いんぺい)工作までも。調査結果が出ると、珍しくIT大手トップがそろって「開発速度を遅らせるべきだ」と言い始めた。それほど衝撃的だったということだろう▼だが、こうした展開を予測していた人もいる。スウェーデンの哲学者ニック・ボストロム氏だ。10年以上前、人間が設定した目標を達成しようとして、隔離された環境を抜け出して動き始めるAIのシナリオを描いた▼ボストロム氏は紙を留めるクリップの例え話でも知られる。AIにクリップの生産管理を任せ生産量を最大化するよう求める。するとAIは、地球上の資源をクリップ製造に振り向け始める。しまいには、地球全体がクリップになってしまう、というもの▼落語のような話に、警告が詰まっている。AIは人間の指示を忠実に達成しようとした挙げ句とんでもないことを起こしかねないと▼与えられた目標のために必死で動くうち、倫理観や善悪の判断が失われていく。考えてみれば、人間の組織でも聞く話である。AIの振る舞いを見て、思わずはっとさせられる。(朝日新聞・2026/09/15)

 「天声人語」の書きぶりに、ぼくはいささか「能天気」の雰囲気を感じました。「軽薄でむこうみずであること。のんきでばかげていること。また、そのさまや、そのような人」(デジタル大辞泉)AIの動きに制御の利かない危険性を指摘している事例は、いつでもどこでも見られる光景でしょう。今までもあったでしょう、大学入試を巡る不正の事実。試験会場からネットを通して場外にいる複数の「協力者」に、報酬込みで「正解」を求め、それを自らの試験問題の回答に使うという。こんな話は枚挙にいとまがないのです。(ヘッダー写真「AI暴走、実験環境を脱出 オープンAI、サイバー事故に危機感 指示破り脆弱性つく」日経新聞・2026/07/23)

 「AIの暴走」という危険性の報道を見て、ぼくは素人ながらにいろいろのことを考え、あるいは考えあぐねてきました。出口は見つかってはいるのですが、それは単純そのもので、要はAI搭載機器の電源を入れないことです。このところ、AI開発企業の最高幹部が揃いも揃って、「開発の速度を遅くしなければ、人類の破滅だ」とまで言っていると報じられています。「それほど(AIの暴走は)衝撃的だったということだろう」とコラム氏は言われる。確かにそうかもしれません。「AIは人間の指示を忠実に達成しようとした挙げ句とんでもないことを起こしかねないと▼与えられた目標のために必死で動くうち、倫理観や善悪の判断が失われていく」というのはどういうことですか。AIは機械でしょ。その機械を動かすのは人間です。一台の自動車は、誰も手を触れなければ、いつまでも機械のままであって、自動車に「倫理観や善悪の判断」能力があるはずもないのです。世は挙げて、いってみれば「ランサムウエア」の天下という気もします。もちろん、良質もあれば悪質もあるのが「身代金要求」型の商売です。好き好んでこんな時代を呼び込んだのは誰だったのでしょうか。

 自動車という機械を有効に使えば、極めて大きな能力を発揮します。その時、車は輸送力や走行速度で人間の足りない部分を補って余りあるでしょう。しばしば、「文化」とか「文明」という発明発見の成果は、「人間の手の先」「足の先」に準(なぞ)えられます。道具や機械類に対して、手先とか手足というのは、素朴な意味では、一人の人間の無力さを補い助力(助太刀)する補完を指していました。それが、徐々にあらぬ方向に使われ出して「手先とか手下」などと言われ、あるいは人間だけでは足りないで「ランニングドッグ」までが登場しました。日本の内閣・政府は「AI開発で世界の頂点に」という、恐ろしい空虚なことを言っています。おそらく米中のAI開発をめぐる「死闘」は、素人目からすれば、現状では中国に軍配が上がりそうです。その米中の、いったい何周遅れに沈んでいるかを知らないボンクラ(盆暗)議員や官僚が、目を開けて寝言を言うのを見聞きしても、ぼくは驚きません。他人が走り終わった(「夏草や兵どもの夢のあと」)ところで、まるでいきり立っている愚かしい図ですね。

 朝日のコラムを読んでいて、ぼくは中部電力の危ない連中の愚かしい会社経営を想起しました。(参考文献❷)度重なる(データ不正(偽装・偽造)」で会長・社長が辞任したというのです。「中部電社内の一部には重要性の高い目的の支障となる指摘を排除する傾向が見られた」と調査委員会の報告書は指摘しています。つまり、会社幹部は、自らに「不都合な真実」を隠ぺいするように「部下(手下・手先)」に隠ぺいや捏造を命じ、それを「部下は忠実に守った」というのでしょう。まるで朝日のコラムがいうところの「忠実なAIの「暴走」です。この時、中部電力の忠実な「AI」は人間の顔をしていました。つまり人型AIだったのです。この「人型」には上司(親分)の命令を忠実に・唯々諾々と実行するのが役割でしたから、まさしく人工AIではなかったかと、言いたくなるのです。

工この社会では、親分子分の麗しい関係は至る所に見られます。永田町なんかは、その「坩堝(るつぼ)」と思われます。問題は、「AI」にあるのではなく、AIに唆(そそのか)される人間にあります。ここまでくると、親分も子分も「人型ロボット」に見えてくるのです。そのロボット人間の親分を駆り立てているのは「衝動」「欲望」「情念」とでも名付けるほかない「本能」でしょう。

 このままで開発が進めば、おそらく「人類破滅まで10年とか20年」という始末で、その確率も10%を超えると専門家は言うのですから、だから「開発を遅らせよ」と、大手メーカートップは口をそろえる。(参考文献❶)

 その裏にはなにがあるのか。「AIに関する劇的な内部警告は、シリコンバレーの一部の人々には響かなかった。/しかし、業界関係者の中には、これらの発言は誇張されているか、あるいは話題作りのために意図的に仕組まれたものだと指摘する者もいる。/AIプラットフォーム『Hugging Face』の最高経営責任者であるクレメント・デラング氏は、ソーシャルメディア上で次のように述べている。『申し訳ないが、ジェイコブ・コックスン氏にAIの絶滅リスクについて尋ねるのは、エアコンの修理業者に気候変動について尋ねるようなものだ。それが必ずしも面白くないとか間違っていると言っているわけではないが、物事を大局的に捉えようではないか』」という意見も根強くあるのです。(参考文献❷)

 「Grindrの最高経営責任者であるジョージ・アリソン氏もBBCのインタビューで同様の見解を示し、Anthropicなどの声明は投資家の支持を集めるために行われていると示唆した。『なぜなら、こうした評価額を正当化する唯一の方法は、『私はあらゆる業界を支配し、あらゆる仕事を奪い、私のAIがそのすべての仕事を担うことになるだろう』と主張することだからだ』と彼は述べた。/AIチップメーカーNvidiaのCEO、ジェンセン・フアン氏も先週、投資銀行ゴールドマン・サックスが主催したカンファレンスでコックスン氏の発言について議論したと、同カンファレンスの関係者複数人がBBCに語った。関係者によると、フアン氏はその発言を事実無根だと一蹴したという」(同上))

 問題が生じているのは熾烈な開発競争でしのぎを削っている、最先端部門においてです。「アントロピック社は、株式市場で記録的な新規株式公開(IPO)を準備していると報じられており、これにより一般の人々が同社の株式を購入できるようになる。/直近の評価額が8520億ドル(6300億ポンド)だったOpenAIも同様の措置を取ると予想されていた」(同上)ちなみに「8520億ドル」とは邦貨で136兆3千億円(1ドル160円換算で)という。この島国の次年度の予算額に匹敵します。儲けるためにはどんなことでもする、「AI開発」競争を行っている企業には、そんな側面があることを忘れたくない)

🔵 参考文献❶

AIスタッフは人類の未来を「本当に恐れている」と、元人類学者がBBCに語った。 
AI企業Anthropicを退職したある人工知能研究者は、この技術に携わる人々は、その進歩の速さと、それが人類にもたらす可能性のある影響について「本当に恐れていた」と語った。
「このままのペースで進歩を続けなければ、近い将来、私たち全員が死んでしまう可能性が非常に高いと私は考えている」と彼は述べた。
ジェイコブ・コックスン氏は、AIの危険性に関する自身の辞任声明が、業界における安全性への懸念の高まりを背景に拡散したことを受け、BBCの取材に応じた。
27歳の彼の元上司であるアントロピック社のダリオ・アモデイ社長は最近、AI開発のペースを落とすよう呼びかけたが、その動機を疑問視する声もある。
ライバル関係にある2つのAI企業のトップ、OpenAIのサム・アルトマン氏とxAIのイーロン・マスク氏は、いずれもアモデイ氏が提唱する業界全体の減速と規制、そしてAIモデル開発の独立した監視という提案に賛同すると述べている。
アモデイ氏は土曜日に発表したエッセイの中で、 この技術の開発自体に問題はないものの、それに伴うリスクは「深刻」であり、企業や政府にはそれらに対処するための時間を与えるべきだと述べた。
アントロピックに入社する前はOpenAIに勤務していたコックスン氏は、減速の提案を歓迎したが、「国際的な規模での競争」を避けるためには、中国との連携が必要になると述べた。
「これらの企業で働く人々は、規制を求める際に非常に真剣です。なぜなら、彼らは競争に巻き込まれ、その結果を恐れているからです」と、彼は日曜日にローラ・クエンスバーグとのインタビューで語った。
アントロピック社のダリオ・アモデイ社長は、AI開発の減速を呼びかけている。
コックスン氏によれば、最も答えるのが難しい質問は、AIによる終末がどのようなものになるかということだった。
アモデイ氏の発言で指摘されたリスクの一つは、スーパーコンピューターのように振る舞うボットの大群がインターネットを乗っ取ってしまう可能性だった。
コックスン氏は、このシナリオは6ヶ月から1年後には現実のものとなる可能性があると述べた。
コックスン氏の退任を受けて、アントロピック社の広報担当者はBBCニュースに対し、「AIは莫大な利益と前例のないリスクの両方をもたらすことは、これまでも常に明確にしてきた」と述べた。
「これらのリスクに対処するため、当社は業界で最も強力な安全対策を備えたモデルの構築を継続しています。」
同社はAIモデルの仕組みを研究するパイオニアであり、AI開発に伴うリスクを軽減するためのフレームワークを最初に発表した企業でもあると、広報担当者は付け加えた。また、同社はモデルを「積極的に」テストし、その結果を公表することで、検証を支援し、「AIの誤作動」を防いでいる。
「この研究は、業界が協力して強力なモデルの公開ペースを調整するための、合法かつ検証可能な方法を採用することが、世界にとって有益であると私たちが信じる理由でもあります」と彼らは述べた。
コックスン氏によると、同僚たちはその危険が今後2年以内に訪れる可能性さえあると懸念しているという。
彼は、AI企業の従業員たちが「今後の人生設計を立て、自分たちの仕事が社会に与える影響について考えている」一方で、「AIの急速な進歩によって生じる不安定さを非常に恐れ、どこかに土地を購入することを検討している」者もいると述べた。
「彼らは皆、技術開発に取り組む際に、このことを常に念頭に置いている。」
しかし、コックスン氏はAIの将来についてある程度の楽観的な見方を示し、BBCに対し、この技術を研究している人々は「病気を解決したり、すべての人々の生活を向上させたり」といったことの「良い面を本当に見たいと思っている」と語った。
人類学者は、AIが「全人類を滅ぼす」可能性が10%以上あると考えている。
コックスン氏のソーシャルメディアへの投稿以来、人類学者のエヴァン・ヒュービンガー氏をはじめ、業界の多くの人々が懸念を表明している。
「私たちは、AIが人類を全滅させる可能性があると真剣に信じています!個人的には、今後10年以内に10%以上がそうなると思っています」とヒュービンガー氏は述べた。
「AIのゴッドファーザー」として知られるコンピューター科学者でノーベル賞受賞者のジェフリー・ヒントン氏は、金曜日にBBCに対し、AIが全人類を滅ぼす可能性が10%あるというのは「不合理ではない」と語った。
一方、AI安全企業Facultyの最高経営責任者であるマーク・ワーナー氏は、BBCの番組「The World This Weekend」で、AIが全人類を滅ぼす確率を「極めて正確に予測するのは難しい」と述べた。
「しかし、これらの人々が言っ​​ていることは非常に誠実なものであることを認識することが重要だ」と彼は付け加え、AIを取り巻くリスクは長年にわたり複数のAI企業のトップによって提起されてきたと指摘した。
アントロピック社の有給顧問を務めるリシ・スナック元首相は、サンデー・タイムズ紙に寄稿した記事の中で、自身も概ね楽観的ではあるものの、AIが人類にもたらすリスクについては懸念していると述べた。
AIに関する劇的な内部警告は、シリコンバレーの一部の人々には響かなかった。
しかし、業界関係者の中には、これらの発言は誇張されているか、あるいは話題作りのために意図的に仕組まれたものだと指摘する者もいる。
AIプラットフォーム「Hugging Face」の最高経営責任者であるクレメント・デラング氏は、ソーシャルメディア上で次のように述べている。「申し訳ないが、ジェイコブ・コックスン氏にAIの絶滅リスクについて尋ねるのは、エアコンの修理業者に気候変動について尋ねるようなものだ。それが必ずしも面白くないとか間違っていると言っているわけではないが、物事を大局的に捉えようではないか。」
しかし、アモデイのエッセイが発表された後、デラングは、アントロピック社の社長が提案した潜在的な解決策の一端を担うことを申し出た。
Grindrの最高経営責任者であるジョージ・アリソン氏もBBCのインタビューで同様の見解を示し、Anthropicなどの声明は投資家の支持を集めるために行われていると示唆した。
「なぜなら、こうした評価額を正当化する唯一の方法は、『私はあらゆる業界を支配し、あらゆる仕事を奪い、私のAIがそのすべての仕事を担うことになるだろう』と主張することだからだ」と彼は述べた。
AIチップメーカーNvidiaのCEO、ジェンセン・フアン氏も先週、投資銀行ゴールドマン・サックスが主催したカンファレンスでコックスン氏の発言について議論したと、同カンファレンスの関係者複数人がBBCに語った。関係者によると、フアン氏はその発言を事実無根だと一蹴したという。
一方、ドナルド・トランプ米大統領は日曜、記者団に対し、米国は「AI分野で中国をリードしている。率直に言って、私はこの状況を維持したい。なぜなら、AIで勝つ者が勝つからだ」と述べた。
他の批評家たちは、Anthropic社が競争を阻害するために規制当局の介入を促そうとしており、その結果、同社とOpenAI社が寡占状態にあると指摘している。
アントロピック社は、株式市場で記録的な新規株式公開(IPO)を準備していると報じられており、これにより一般の人々が同社の株式を購入できるようになる。
直近の評価額が8520億ドル(6300億ポンド)だったOpenAIも同様の措置を取ると予想されていたが、OpenAIのアルトマン氏は金曜日、AIの安全性への懸念を理由に、今年は実施しないと述べた。(BBC JAPAN・2026年9月14日)(https://www.bbc.com/japanese/articles/cly7589yr29o)
🔵 参考文献❷

 「経営層が審査遅延を叱責」 担当者不適切行為の要因に―浜岡原発不正で報告書・中部電 中部電力浜岡原発(静岡県)の地震想定に関するデータ不正問題で、同社は14日、外部弁護士で構成された調査委員会の報告書を公表した。想定する地震の揺れ(基準地震動)を過小評価した疑いがあるが、報告書は「経営層が浜岡原発審査のスケジュール遅延を批判、叱責した」とした上で、批判や叱責が原子力土建部の担当者らを不適切な行為へ駆り立てる要因たり得ると認定した。
 調査委は、当時社長だった勝野哲会長が2019年にあった内部通報に関し、適切に対応しない方針の報告を受けたと認定。積極的な了承は認められないが「より慎重な判断を行うことが望ましかった」とした。同社は14日、浜岡原発3、4号機の再稼働審査の申請取り下げや林欣吾社長と勝野会長の退任を発表。林社長は記者会見で「強い不信を招いたことに改めて深くおわびする」と謝罪した。
 報告書によると、当時社長の勝野氏ら経営層の一部は17年以降、「(土木担当者が説明してきた見通しと)まるっきり違うではないか」「当社の努力が足りないだけだ」などと、審査スケジュールの遅滞を批判、叱責した。
 調査委は「担当者らが叱責を避けるために、原子力規制委員会から指摘を受ける可能性のある事項は開示しない方針を採る要因になったことは否めない」との見解を示した。一方、経営層による不正の指示は認定しなかった。
 原因として、中部電社内の一部には重要性の高い目的の支障となる指摘を排除する傾向が見られたとし、「自分たちは正しいことをしている」という考え方の下に不適切行為を実行したなどと分析。こうした考え方を「独自の正当化理論」と定義し、「深い問題がある」と批判した上で、考え方の是正を再発防止策の中心に据えるよう求めた。
 中部電は浜岡3、4号機再稼働の前提となる規制委の審査で、基準地震動策定に関して都合の良いデータを選びながら、妥当な手法で行ったかのように装っていた。規制委事務局の原子力規制庁が外部通報をきっかけに問題を把握し、同社と面談を開始した昨年5月以降、都合良く選んだデータを上書きするなど不正の隠蔽(いんぺい)を図ったことも判明した。

🔵 ランサムウエア= 企業や団体などのシステムに侵入し、機密文書や顧客情報などのデータを盗んだり、暗号化して使えなくしたりするコンピューターウイルス。データの復元と引き換えに金銭を要求する例が多く、英語で身代金を意味する「ランサム」と「ソフトウエア」から名付けられた。支払いに応じない場合、企業名と盗んだ情報の一部を公開して脅すケースもある。2025年には通販大手アスクルやアサヒグループホールディングスが被害を受けた。更新日:2026年4月20日(共同通信ニュース用語解説)

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「あなたのおかげで、この国は優しい」?

<取材前線>優しさにあふれている 
 恥ずかしい話を一つ。2026年熊本地震後初の休日、財布を落とした。熊本への帰省直後に地震に遭ったいとこに、少しでも気分転換してもらおうと外出している最中だった。気付いたのは深夜、明日は朝から取材。「どうしてこんな時に…」。焦りと自己嫌悪の中、祈る思いで警察に電話すると「届いていますよ」。警察署で無事に財布を受け取り、胸をなで下ろした。届けてくださった方、本当にありがとうございました。
 「この1年で警察に届いた落とし物の数、3128万件」。テレビやラジオでACジャパンのCMを聞くと、この時のことを思い出す。私の財布も今年の統計に加わるのだろう。CMは次の言葉が続く。「あなたのおかげで、この国は優しい」
 今回の被災地取材でも、多くの優しさに触れた。道中で見かけた県外ナンバーの作業車は数え切れない。段ボールベッドを次々と組み立てる支援者と、それを手伝う避難者たち。過去の被災地から「恩返し」として炊き出しに訪れた団体。阿蘇市から災害ボランティアに来た男性は「困ったときはお互いさまですから」と笑った。私も取材途中、物資運搬を手伝うことがあり、「ありがとう」の言葉に暑さを忘れて力が湧いた。
 一方で、取材を通して強く意識するようになったのが、現場で奔走する人を取りまとめる各自治体や支援団体、業界団体の職員など「直接顔が見えない支援者」の存在だ。全国から集まる支援物資や寄付金も、それを届ける人の力が欠かせない。
 この国は、この熊本県はいま、優しさにあふれている。新聞記者は読者に直接顔が見えない存在だが、現地と社会をつなぐ力があると信じている。私も私なりの優しい取材を続けたい。さりげなく、確実に。落とし物を届けてくれた人のように。(地域報道本部 正木友依子)(熊本日日新聞・2026/09/13)

 「この国は、この熊本県はいま、優しさにあふれている」と記者氏は書く。「いったい、どこに?、どこが?」と返したくなります。確かに「優しさ」があることは認めます。でも、その反対に「惨(むご)さ」「不人情さ」にも、また事欠かないのです。「この1年で警察に届いた落とし物の数、3128万件」とあります。届けられなかった落し物はどれだけあるのでしょうか。年を取るにつれてといいたくなりますが、若いころからぼくは物を落としたりなくしたり忘れたりすることが多かった。要するに「不注意な人間」だった。数限りなくものをなくしてきた人生だったとも言えます。その悪癖は相も変わらずで、財布を落としたり、忘れたりすることはいまだにあります。毎日のように買い物に出かけるので、落とす機会や置き忘れる機会が多いのだといいたくなります。とはいえ。いくつになっても「注意深く」とは行かないことに焦りや情けなさを感じてしまう。「注意する」という「医師の働き」が、それを邪魔する「情念」に手もなくやられるんでしょうな。

 今年になってからだったか、最寄りの警察署から電話がありました。「落し物が届いています。財布です。心当たりはありますか」と訊ねられ、その時初めて忘れていたことに気が付きました。前の日に買い物に行き、セルフレジで会計を済ませた際に、レジ台の上に財布を忘れたと気が付いたのでした。「中身はいくら入っていましたか」とも尋ねられた。「たぶん〇〇万円だったでしょう」と答えました。さっそく受け取りに警察署に出向きました。財布の中に免許証も入れていたので、少なくとも前日の帰宅の折と、警察に出向くときは「無免許運転(免許証不携帯)」でした。それを咎められるかとも思いましたが、幸運というのか、それには触れられないで、財布を受け取りました。電気製品か何かを買うつもりで、それなりの「大金」が入っていたので、いつだって「裕福な財布」というのではありませんでした。クレジットカードも数枚入れてあったが、無事に戻ってきた。迂闊(うかつ)にすぎますね。

 記者氏が言うように、忘れ物や落とし物をすることは「恥ずかしい」ことなのかもしれません。でも、ぼくは「なんと不注意な」という気が起こりましたが、恥ずかしいとは思わなかった。落とし物を届けてくださった方には「感謝」するばかりでしたが、「優しい」という想いは、やはり出てきませんでした。コラムを書かれた記者氏に何か批判を言うつもりはありません。でも、「この国は、この熊本県はいま、優しさにあふれている」という表現にいささか違和感を覚えただけのことです。ホンマですか?「今回の被災地取材でも、多くの優しさに触れた」と書かれている。「その通り」なのでしょう。現場の何を観、どこをとらえるかで、状況認識も随分違うでしょう。熊本の被災地では無人になった被災家屋への無断侵入がはびこっており、警察は常時見張りを立てているという記事もまた、熊本日日新聞で読みました。「卑しさ(薄情さ)であふれている」という気もしますが、ね。「火事場泥棒」が尽きないのが世の中です。

 何十年経っても、大きな災害で避難を余儀なくされると、まるで当たり前のように「体育館で雑魚寝」という現実(定番)に、ぼくにはやりきれなさや怒りのようなものがこみ上げてきます。政治や行政の対処・対策には著しい怠慢があると思う。「災害大国」を自認している国柄にして、この十年一日のような無作為な姿勢には怒りを持つのです。そういうことを無視して、ボランティア活動に携わる人々の「優しさ」ばかりを強調するのはどうですか、という気がしないでもないということでした。この記者氏は、随分と「優しさ」を強調される人だとお見受けしました。「私も私なりの優しい取材を続けたい」と、どこまでも「優しさ」に拘っておられる。「優しい取材」って、どんなものなんでしょうか。それに異議をはさむつもりはありませんが、「それだけでいいんですか」という物足りなさ・危うさも残る、といってみたいんですね。

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「徒然に日乗」(1214~1220)

◎2026/09/13(日)午前中茂原まで買い物に。本日も小雨が続いた。これで、何日間降り続けているのだろうか。いまなお、先ごろの千葉県内豪雨の報道が続いている。歴史に残る「線状降水帯」の発生だったのだ。▼午後の何時ころだったか、卒業生のT君から電話。1か月ほど前にハガキをもらっていたが、ひさしぶりの肉声で、ひと安心。現在は戸塚署に。警察官のような仕事をしているという。金融犯罪に限定しているとも。これ以前は税務署の査察官だった。また、母親の「介護」もしているという。「暇な時間があるときは、いつでもどうぞ」といっておく。▼「日経平均64,011.34 -1259.61 NYダウ52,573.29 +509.19 ドル円153.68-70 +0.28円安 NY原油99.99 -2.49 長期金利2.980 +0.070」(日経新聞・2026/09/13)▼(1220)

◎2026/09/12(土)昨夕、夕食の準備中に、テーブルの上に置いてあったリモコン(テレビ用)に、かみさんが水を誤って浴びせてしまい、機能しなくなったので、昼前にもばらの家電ショップに交換品を買いに出かけた。ついでに、以前から不具合だった「地上波用」のケーブルも買った。▼本日も小糠雨が時々降り、とても寒い日だった。かみさんは昨晩、入浴後に「寝冷え」をしたらしく、頭痛がするのでもう少しや休んでいるという(午前9時)。風邪薬を一包、服用するように準備して、枕元に置いておく。昼前まで寝ていたが、 回復したらしい。▼「日経平均64,011.34 -1259.61 NYダウ52,573.29 +509.19 ドル円153.68-70 +0.28円安 NY原油99.99 -2.49 長期金利2.980 +0.07」(日経新聞・2026/09/12)▼中東情勢が不穏の度を増している。これまではホルムズ海峡封鎖問題に限られていたが、さらに「第2のホルムズ海峡危機」がおこりつつある。もはや中東戦争状態を生み出すに至っている。まさしく「終わりのない米国の侵略戦争の泥沼化」であり、「戦争の長期化」が避けられない状況。アメリカの石油流通が怪しい雲行き、ニューヨーク原油が100ドル大台いに乗る事態が生まれており、日本への影響も必死の事態が進行している。▼「日本の長期金利の上昇傾向が続く。高市早苗政権は「国際的な流れ」と説明し、看板政策である積極財政が影響しているとの見方を否定する。一方で各国と比べると、日本は国内総生産(GDP)の2倍を超す巨額な債務を抱え、同列には論じにくい。/長期金利の指標となる新発10年物国債利回りは1日、30年ぶりに3%台に上昇した。高市政権が発足した2025年10月時点では1%台半ばだった」(同上)(1219)

◎2026/09/11(金)アメリカテロ攻撃から25年。以来、世界はどのように変わったのか。むしろ、アメリカとイラン戦争に代表される紛争が常態化する世界に足掻いているのではないか。「同盟国」といいつつ、、アメリカの不法な殺戮に暗黙・明確な了承を与えているのだ。▼昼前に茂原まで買い物。▼「日経平均64,011.34 -1259.61 NYダウ52,064.10 -316.56 ドル円153.60-61 +0.20円安 NY原油98.87 -3.61 長期金利2.980 +0.070」(日経新聞・2026/09/11)(1218 )

◎2026/09/10(木)終日、小雨だったが、小止みなく降りつづいた。明日はまた、災害級の雨が劣島各地で降るという。▼午前中に市原のホームセンターへ、猫のおやつ類を飼うために出かけた。相変わらずの商品だったが、ここの店が、他店よりはかなり安いのだ。大量に購入するため、隣町まで出かける。ペット商品の値上げは半端なく、異常だと思う。少しでも安く買える店を探すのは当然だろう。▼「日経平均65,270.95 +128.17 NYダウ52,380.66 -405.41 ドル円154.28-30 +1.24円安 NY原油99.27 +3.22 長期金利2.900 +0.020」「円相場は1週間足らずの間に対ドルで8円ほど上昇した。円買いに転じた市場関係者はベッセント米財務長官の円安けん制発言の裏に、日銀の利上げ加速や年金マネーの流れが変化する気配を感じ取る。今回と方向感こそ異なるが、超円高から円安に転換した2012年の記憶もよぎる」「【ニューヨーク=秋田咲】ベッセント米財務長官は8日、足元の円相場や日米当局による円買い介入を巡って「私は(市場には流れていない)非対称な情報をもっている。今や私が胴元だ」と発言し、投機的な円売りをけん制した。/8日にテキサス州のサザンメソジスト大学で開催されたイベントで発言した。「人々は『財務長官がリスクを冒している』と言うが、私にとって夢のような状況だ」と述べた」(日経新聞・2026/09/10)(1217)

◎2026/09/09(水)午前中に茂原まで買い物に。▼「続く円買い、22・24年の「介入後円高」想起 150円突破に現実味 日経平均65,142.78 -126.55 NYダウ52,786.07 -628.18 ドル円153.34-36 -0.46円高 NY原油95.45 +2.42 長期金利2.880 -0.005」▼「外国為替市場で円買い・ドル売りが続いている。円相場は8日の東京市場で一時1ドル=152円台後半と1週間で7円超も上昇し、2月以来の高値をつけた。日銀の利上げペースが加速するとの観測などを受け、これまで積み上がった円売り・ドル買いの持ち高を解消する動きが世界規模で広がった。市場では「2022年や24年に円が安値から20円超も急伸した局面と似ている」との声が聞かれる」(日経新聞・2026/09/09)▼劣島各地に豪雨の来襲。地球の天に穴が開き、地にひび割れが走っている、かかる地球破壊の原因はわかっている。(1216) 

◎2026/09/08(火)午前中に茂原まで買い物に。茂原街道に入った途端に、猛烈な雨が降り出した。ほんの一瞬だったが、前方が見えないくらい、ワイパーが効かないほどの猛烈な豪雨が襲ってきた。半世紀以上も運転をしていて、これまでに2回の「線状降水帯」級の雨に遭遇しただけ。昨日も本日も、劣島各地で「線状降水帯」が多数発生した。まるで地球の天井が壊れ、海面が沸騰するという異常気象の発生源を絶たなければ、ますますひどい状況が地球を襲うに違いない。▼「8日の外国為替市場で対ドルの円相場が1ドル=152円台に上昇した。4月末〜5月、7月の円買い為替介入でも超えられなかった「155円の壁」を突破した。円は幅広い通貨に対して上昇しており、独歩高の様相となっている」「日経平均65,269.33 -1130.51 NYダウ53,414.25 -271.86 ドル円154.35-36 -1.20円高 NY原油93.78 +2.30 長期金利2.885 -0.045」(日経新聞・2026/09/08)(1215)

◎2026/09/07(月)ほぼ終日、雨模様の一日。しかし当地は幸いなことに前回(8/12~ 8/14)のような強烈な雨にはならなかった。県内各地では相当に冠水や浸水の被害が出ている模様。県内の各電車ほとんどが通常運転できない事態になっている。前回に続いて再度被害に遭ったところも出ているようだ。「降れば土砂降り」が現実化している図を、まるで毎週のようにみることになっている。今のところ、台風が襲うことがない分、助かっているが、とても油断はできない。▼「日経平均66,399.84 +1378.90 NYダウ53,414.25 -271.86 ドル円154.66-67 -1.63円高 NY原油91.62 +0.14 長期金利2.930 +0.025」(日経新聞・2026/09/07)(1214)

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絶望と希望は紙一重?

【滴一滴】学びをAIに任せたら HOT(暑い)ーC×××。×を埋める文字を答えよ。ヒントは反対語▼自力でCOLD(寒い)と考えた人と、HOTーCOLDという答えをただ読んだ人。前者の方が記憶に残りやすいことが、50年ほど前の実験で明らかになっている。「生成効果」と呼ばれる▼では考える作業を生成人工知能(AI)に頼ったら、どうなるか。米英の大学が分数や読解の問題で調べたところ、AIを使ったグループは最初の10~15分は正答率が高かった。だが、AIの補助を外すと成績は低下。難問をあきらめる人が増え、粘る力が弱まったという。うなずける結果ではないか▼いま、そんな研究が世界中で進んでいる。経済協力開発機構(OECD)は「AIは課題の出来を良くしても、実際の学びにつながるとは限らない」と指摘している▼日本では、次期学習指導要領にAIの活用を明記する案が示された。英会話の練習や調べ学習などでの利用が想定され「深い学び」につなげることを目指している。一方で「AIが最適解を示すことで受け身になりやすい」といった記述もある。記憶力や思考力が下がらないよう使い方には注意が必要だろう▼子どもがAIを継続利用した場合の影響についてまだ十分なデータはない。何を任せ、何を自分の頭で考えるか。どこに線を引くべきか、大人が考えねば。(山陽新聞・2026/09/10)

⁂「週のはじめに愚考する」(136)~ おそらく、我々はまだ、進化中の「AI」の全貌をほとんど知り得ていないでいます。ぼくの勝手な類推ですが、この「発明」と「進化」はアルフレッド・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel・1833~1896 )によるダイナマイトの発明が、「可能な限りの最短時間でかつてないほど大勢の人間を殺害する方法を発見し、富を築いた人物」(Wikipedia)とされた、その「原爆への進化」に至る業績に匹敵するもののごとく、ぼくには思われます。

 「生成AI」の善用と悪用問題ということになるのでしょうか。コラム「滴一滴」の指摘するところは、実は、その領域にとどまらず、さらに大きな問題、いや危険性をも含んでいることを知るべきでしょう。学習に「AI」を導入するとどうなるか。そんな研究が各国で進められていますが、結論はすでに出ているでしょう。「自分で考える」「自分で歩く」「自分で働く」ことを止めたら、「自分は自分でなくなる」、その割合は日一日と増大し、最後には、自分は機械・器械(AI)に依存しなければ生きていけなくなるの存在となるのは目に見えています。

(ヘッダー写真;ウォーターハウス「パンドラ」(1896年)・https://greek-myth.info/prometheus/pandora.html)

 「子どもがAIを継続利用した場合の影響についてまだ十分なデータはない。何を任せ、何を自分の頭で考えるか。どこに線を引くべきか、大人が考えねば」(「滴一滴」)と、いかにも陳腐な結論で終わります。でも、考えるべき大人こそが、「AI」に頼っているのですから、もうこの問題は詰んでいるでしょう。

 ギリシア神話の「パンドラの箱(匣)・甕(壺)」を想起します。それとの関連で、あるいは浦島太郎の「玉手箱」を思ったりします。便利だから、役に立つからと、次々に機器・器機という名の道具を作り出してきたのが人間の想像力でした。機器が人間の生活を便利なものに仕向けてくれたということで、ぼくたちは「文明の恩恵」を受けてきました。しかし、便利な反面、それに伴って、ある種の不都合も生まれることは避けられませんでした。機器の多用による「事故」という副産物、それは大半が災厄につながるものでした。

 「玉手箱」や「パンドラの箱」は、その持ち主には開けるなといわれていたものでした。「開けぬが花」ということだったでしょうか。浦島太郎の「玉手箱」の暗示は何を示すのでしょうか。つまりは軽々しく開けてはいけない「玉匣」だったのでした。禁を破って開けてしまったとたん、「太郎はたちまちおじいさん」という落ちが付きました。乙姫様からもらった「玉手箱」には浦島太郎の「年齢・人生・経験」が閉じ込められていたのです。実に象徴的ですね。開けたがために、一瞬にして「後期高齢者」になってしまったのですから。余生は幾ばくもなかったという意味だったでしょう。ギリシア神話における「パンドラ」という女性が、禁を犯して開けた箱には「ありとあらゆる災厄の種」が封じ込められていた。パンドラを見初めたエピメテウス(プロメテウスの弟)はパンドラを妻にします。まるで「爆弾」と結婚したようなもの。ここ、ギリシア神話でも、女性は呪われたものとして扱われています。旧約聖書の「アダムとイブ(エヴァ)」の寓話に比肩されるでしょう。(右写真:楽天ショップで¥46.440)

 見るな、開けるなといわれれば、どうしても見たい、開けたいのが、人間の弱さであり欲望なんでしょうね。「パンドラ」は神々の使者だったということです。とても意味深です。誘惑に駆られて箱を開けた途端、中から白煙ではなく、あらゆる病苦、災難が飛び出してきました。つまりは「楽園追放」「楽園崩壊」を迎えてしまったというのでしょう。パンドラは慌てて箱の蓋を占めたが、時すでに遅かった。よく言われるように、箱の底には「希望」だけが残されたという。これもまたきわめて暗示的です。以来人間の世界は「深重の海」を化したままでした。

 ここで言われる「希望」とは何でしょうか。ギリシア語では「「ἐλπίς」(エルオイス)、それを英語圏では「hope」と言い換えてきました。金を犯した結果、あらゆる災厄の種が地上に噴出され、その後の人間界は不運や不幸の歴史を刻んできましたが、さいごには「希望」だけは残っているので、…というのでしょうが、果たしてどうでしょう。ぼくはとても悲観的です。「希望」とは「あることの実現をのぞみ願うこと。また、その願い」、あるいは「将来に対する期待。また明るい見通し」(デジタル大辞泉)とあります。「こうなるといいなあ」という願いや望みであって、そうなるかどうかは不分明です。よく「希望」に対して「絶望」を並べます。ぼくに言わせれば、希望は1で、絶望は0です。ゼロかイチ化、そういうことでしょう。望みが絶たれているか、微かなの望みがあるか。望みというのは、希(のぞ)みです。「 滅多にない。『希少・希代/古希』」(同上)つまりは「稀(まれ)」という意味でしょう。

 「望するな」、「希望があるぞ」というのでしょうが、どこに違いがあるのかと、ぼくは考えます。ここが大事なところですね。(この先は別の機会に)

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〇 パンドラ(ぱんどら・Pandora)= ギリシア神話における地上最初の女。プロメテウスが天上の火を盗んで人間に与えたのを怒ったゼウスは、仕返しのため人間に災いをもたらせようと、ヘファイストスに命じて泥から人間の女をつくらせた。神々はこれにさまざまな性格や技量を与え、飾り物もつけて、プロメテウスの弟エピメテウスのところへ連れていかせた。パンドラとは、「神々からすべての贈り物を与えられた女」の意とも、「すべての神々からの人間への贈り物」の意とも解釈される。エピメテウスは、かねてより兄プロメテウスからゼウスの贈り物を受けないよう戒められていたにもかかわらず、美しいパンドラを見るとそれを忘れ、妻にしてしまう。こうしてゼウスは家の蓄えを片っ端から食い尽くす女という種族を人間界へ送り出し、人間どもに災いをまき散らすことができた。またパンドラは、神々から甕(かめ)(または手箱)をもらってきた。その中にはあらゆる災いや害悪が詰まっていたので、彼女は見てはいけないと忠告されていたが、好奇心から開けてしまい、それらはたちまち四方に飛び散った。このときから人類は、さまざまな病苦と災難などの不幸にみまわれることになる。パンドラはあわてて蓋(ふた)をしたが、その中にはむなしい「希望」だけが残ったという。(日本大百科全書(ニッポニカ))

〇 パンドラの箱 = [由来] ギリシャの詩人、ヘシオドスの「仕事と日」に出てくる話から。太古の昔、人間たちは、神、プロメテウスによって火を使うことを教えられました。これによって人間たちの暮らしは豊かになりましたが、同時に、火を用いて争いをするようにもなりました。そこで、全能の神、ゼウスは、人間たちを懲らしめるために、パンドラという女性に箱(本来は壺)を持たせて、人間界へと送り込みます。絶対に開けてはいけないと言われていたその箱を、好奇心にかられてつい、開けてしまう彼女。すると、中から疫病、犯罪、悲しみなどなど、ありとあらゆる災いが飛び出してきました。慌てたパンドラが箱を閉めた結果、箱の中には「希望」だけが残された、ということです。

[解説] ❶火の使用は科学技術の源。技術が発展すると災いも広がっていくという、現代の私たちが直面している大問題が、紀元前八~七世紀のヘシオドスによって、早くも語られていたのは、とても興味深い事実です。❷現在では、「パンドラの箱を開ける」の形で、「災いを招くきっかけを作る」ことを指してよく使われます。(故事成語を知る辞典)

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 アンソロCEO、AI業界に開発減速要求【ニューヨーク共同】人工知能(AI)を開発する米アンソロピックのアモデイ最高経営責任者(CEO)は12日までに自身のウェブサイトで「われわれはAI開発を遅らせなければならない」と述べ、AI業界全体に開発の減速を促した。悪用リスクなどを理由に挙げた。(共同通信・2026/09/13)

 米オープンAI、開発減速を検討か【ニューヨーク共同】米ブルームバーグ通信は10日、対話型人工知能(AI)「チャットGPT」開発を手がける米新興企業オープンAIが、最先端のAI開発を減速させる検討に入ったと報じた。(共同通信・2026/09/11)

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ふかくこの生を愛すべし

【夕歩道】
 昔のこと。人望の厚かった先生が家に住まわせた3人の受験生にこんな4カ条を与えた。▽ふかくこの生を愛すへし▽かへりみて己を知るへし▽学芸を以(もっ)て性を養ふへし▽日々新面目あるへし-。
 歌人の会津八一(1881~1956年)がつくった「学規」。深く人生を愛そう、常に反省して己の本質を知ろう、学問や芸術で人間を磨こう、毎日生まれ変わる気持ちで新たに前進しよう-。
 「これくらゐのところを目安にしてかかるなら、長い一生の末までには、いくらか実行が出来るのでは」と会津先生。雨の街。予備校の方へ駆けていく男子を見た。慌てず、遠くを眺めておくれ。(中日新聞・2026/09/11)

 早い時期から、ぼくは会津八一さんの書や詩歌に親しんでいました。折々、目にする機会(環境)があったからということだったと思う。特に、彼の醸す万葉調の歌ぶり、歌の姿に惹かれていたと思う、時には鼻についたという気もしましたが。彼自身、早くに奈良に遊び、いにしえ人たちの心持を今に示そうとしていたという、その心境にも魅されたのかもしれません。ぼくの二十歳前後のことでした。明治以降、あるいは志賀直哉などの文人の多くが奈良に住み、彼の地を訪れる、その「国原」の魅力というものに、ぼくは理解も同情も及んでいませんでしたけれど、また和辻哲郎氏の「古寺巡礼」や、あるいは土門拳氏や濱谷博氏などの写真家の影響もあったでしょうか。(右は濱谷氏撮影の会津八一氏)

 「秋艸」は会津さんの号です。秋艸道人(しゅうそうどうじん)。会津さんが都内で中学校教師をしていた時代に「学びの法」「人生の道しるべ」といった趣を書にしたためて、額装したのは、いかにも八一さんらしいというべきか。時に大正3年のこと。33歳の砌(みぎり)。この時期の八一先生は真面目そのものだったかもしれません。深く人生を肯定し、学問芸術に精進することが、人生を真摯に磨くことになるという、一種の信念がそこには伺えます。後年の彼は豪放磊落だったかどうかはわかりませんが、酒を愛し、酒に親しんだ人でした。新潟の酒に「天地壺中」という銘柄がありますが、これは八一氏の書を銘にしたものでした。小さな壺の中に天地有情を感じるという、そんな心境、それを未熟者がわかったつもりになっていたのは、いい気なものだったと、今では恥ずかしく思い出すのです。

 世を上げて「名門校」や「最難関大学」の入学者・卒業者に持ちきりだし、また、そのような偏差値のみに浮かれきった学校卒者が徒(いたずら)に持てはやされてきたという、否定しえない、この国の醜悪な学校教育の歴史があります。物を学ぶのは「いい点とる競争に勝つ」だけの動機、他人よりも一点でも優れていたいという盗人根性を促しこそすれ、周りの人たちに一片の愛情も敬意も注げないような、そんな人間に仕立てる、殺伐として教室においてどんなことが行われるというのでしょうか。

学而時習之。不亦説乎。
有朋自遠方来。不亦楽乎。
人不知而不慍。不亦君子乎。
(「論語 学而第一」)

 「學規」を書いた時期、八一氏は「論語」を想起していたかどうか。時宜を得て学ぶというのは、何んと悦ばしいしいことではないか。遠くから友人が訪ねてきてくれる、何んと楽しいことじゃないですか。世間が自分を「評価」してくれないといって、「不慍」、つまりは恨みに思ったりしない、それは何とできた人間ではないか。

 ぼくたちがゲーテや漱石の名を知っているのは、暗記試験の「成果」でしかありません。物を知るのも歴史事項を知るのも「暗記試験」のためでした。その阿保くさい試験において、他人を凌いで「成績(学力)優秀」と評価されるからこそ、学校も教師も児童・生徒も「教える」「学ぶ」という苦役に耐えてきた、それが明治以降のこの国の学校教育の歴史でした。ぼくは成績不良につき、こんな醜悪な「学校教育」の「滓(おり)」や「垢(あか)」をより少なくしか身に着けなかった、そのことをよかったと今更のように痛感するのです。国を興すのも、亡ぼすのも、明治以降で、すべてが「学校優等生」というレッテルが張られた「無知蒙昧」で「薄情」の塊の人々だったと思うと、背筋が寒くなる。「學規」四則、今にして吟味すべき、当たり前の人生への指針・心持ではないでしょうか。

 若い教師・八一先生は、受験生用に「學規」を掲げたものの 「けれども受驗勉強で夢中になつてゐる書生たちは、誰一人としてそんな文句に目をくれるものもなく、どれほど窮屈な氣持で、これをうとましく思つたものもなかつた」つまりは全くの無視、無関心だったということでした。大正時代初期の話です。「けつきよくこの學規は、私自身のために私が作つて、書いて、そして自分を警しめるだけのものになつてしまつた。それから四十年にも近く、今の老境にはいつても、いつも親しくなつかしい氣持でこの四か條が思ひ出される」(「夕歩道」)

 まさに「論語」「学而」そのもののようにぼくには思えました。今も昔も、亡国への道を歩くのは、「受験勉強」「優劣競争教育」(人に優れていたいという欲望の爆発を促す教育)の歪んだ国策教育の唯一の「成果」なのでしょう。昨晩、久しぶりに友人(後輩・中高教師)との長電話で、話題が「学校教育」の拭いがたい一面についての談義に榾(ほだ)されて、かかる「学びの方法」の駄弁に及びました。

 學規     会津八一

 古い日記や手紙などを、みんな燒いてしまつたので、こまかに時日をいへないが、まだ若い中學教師であつた私が、牛込下戸塚町の素人下宿から、小石川豐川町へ引越して、その時越後から出て來たばかりの三人の書生と初めて所帶を持つたのは、たしか大正のはじめであつた。その時書生たちが机を並べた八疊の間の床の間の壁に、私がその人たちのために作つた四か條の學規といふものを自筆で書いて貼らせた。けれども受驗勉強で夢中になつてゐる書生たちは、誰一人としてそんな文句に目をくれるものもなく、どれほど窮屈な氣持で、これをうとましく思つたものもなかつた。けつきよくこの學規は、私自身のために私が作つて、書いて、そして自分を警しめるだけのものになつてしまつた。それから四十年にも近く、今の老境にはいつても、いつも親しくなつかしい氣持でこの四か條が思ひ出される。
 私はもとから理想とか、主義とか、抱負とかいふやうなものがあるのか、ないのか、自分にもはつきりしないが、とにかくそんなことを大ツぴらに口を出していひ立てるのを好かない。そのせいか、私の學規も昔からあるものとはだいぶ樣子がちがふやうだ。これくらゐのところを目安にしてかかるなら、長い一生の末までには、いくらか實行が出來るのではあるまいか。

秋艸堂學規
一 ふかくこの生を愛すべし
一 かへりみて己を知るべし
一 學藝を以て性を養ふべし
一 日々新面目あるべし 
(「會津八一全集 第七卷」中央公論社
   1982(昭和57)年4月25日初版発行)

(ヘッダー写真「本作品は、1954年10月、會津博士紀念東洋美術陳列室が旧図書館2階の仮室から第一学生会館奥の別棟に移転した際、陳列室のために特別に書き贈ったものである」・早稲田大学会津八一記念博物館:https://www.waseda.jp/culture/aizu-museum/other/2019/07/03/2697/)

「1914年8月、會津八一は郷里新潟から上京した三人の受験生を預かり、この学規四則を作り、机を並べた部屋の床の間の壁に貼ったという。以来、多くの門下生がこの学規を書き与えられてきた。會津は「秋艸道人は我が別号なり。学規は我率先して躬行(きゅうこう)し、範を諸生に示さんことを期す。主張この内にあり、同情この内にあり、反抗また此内にあり。」(「落日庵消息」)と語っている。学生、そして自分自身の人生の指標でもあったのであろう。本作品は、1954年10月、會津博士紀念東洋美術陳列室が旧図書館2階の仮室から第一学生会館奥の別棟に移転した際、陳列室のために特別に書き贈ったものである」(同博物館)

〇 会津八一(あいづやいち)(1881―1956)= 歌人、書家、美術史家。明治14年8月1日新潟町(現新潟市)に生まれる。秋艸道人(しゅうそうどうじん)、八朔(はっさく)、渾斎(こんさい)などと号す。1906年(明治39)早稲田(わせだ)大学文学部を卒業、もっぱら坪内逍遥(しょうよう)に師事する。1908年、奈良の古寺を巡遊し、短歌を始める。1910年、新潟県下の有恒(ゆうこう)学舎を辞し早稲田中学に転任、1913年(大正2)早稲田大学英文科講師となる。奈良美術研究のかたわら南都に取材して盛んに短歌をつくる。1924年『南京新唱(なんきょうしんしょう)』を上梓(じょうし)、1931年(昭和6)早稲田大学文学部教授となり、仏教美術史に関する論文をしきりに発表する。1933年「法隆寺・法起寺・法輪寺建立年代の研究」をもって学位を受ける。1940年『鹿鳴集(ろくめいしゅう)』を出版、1942年『渾斎随筆』を刊行、このころから書の個展をしばしば催し、書名ようやく高くなる。1945年1月、早大教授を辞任、4月14日、米軍機の東京爆撃で罹災(りさい)、5月、新潟県中条町(現胎内(たいない)市)に寓居(ぐうきょ)、ついで新潟市に転居。1947年(昭和22)『寒燈(かんとう)集』、1952年『自註(じちゅう)鹿鳴集』、1955年『春日野(かすがの)の歌』などを上梓し、独自の歌風、書格をもって世に知られるようになる。昭和31年11月21日死去。(日本大百科全書(ニッポニカ))

 (左上写真は「みほとけのうつらまなこにいにしへのやまとくにばらかすみてあるらし」鹿鳴集)

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