夕暮は著莪の花のみ美しく(高木晴子) 

(承前)本日は「哲学の日」ですと、茨城新聞(「いばらき春秋」)は書かれていました。なぜそうなのかといえば、「無知の知」で知られる哲学者のアリストテレスが死んだ日でもあるからだ、と。それを目にして、ぼくは新聞社の営業開始を待って、問い合わせの電話をしました。つい先ほど、新聞社の方と話をし、ぶしつけに電話をした理由を述べ終わったところです(午前9時15分頃)。「無知の知」を話題にされるコラム氏が「ソクラテスとアリストテレス」を間違えるという、まるで上出来の「ジョーク」を読ませてもらったようなコラムの記事に、実は新聞社でもだれも気が付かなかった、ネット掲載から5時間も経って。ということは、ぼく以外は真面目に読んでいないということですかな。間違いに気づいていても、誰もそれを指摘しないということなのですか。どれほどの読者がいるのか。およそ考えられないミステークだと思うのですが、当該機者以外は、誰も編集・掲載に加わらなかったということなんですね。庵ビリーバブル、です。

 直接、担当者(当人)に間違いを指摘するのは控えました。当たり前でしょう。ぼくにはいかなる心算(しんさん・つもり)もありません。多くが認めている事実(といっていいでしょう)を間違えていたのなら、それを訂正すべき。人名を間違えていただけというなら、それまでです、しかし、新聞のコラムニストが、その程度の認識では読者が泣くでしょうと、お伝えしました。電話を受けてもらった方は、丁寧にぼくの問い合わせの趣旨を汲んでくださったと思う。「無知の知をいったアリス…。」とぼくが「コラム」を読みかけると、即座に理解されました。「ソクラテスでしたね」と。担当記者の、とても恥ずかしい間違いが何時間も訂正されないで、新聞社の間違いのままであったとなれば、もっと問題が大きくなるでしょう。訂正で済むのか、あるいは工夫をされて記事(コラム)を修正してくださるといいですね、と電話を切りました。言うまでもないことで、人間には間違いというか、不注意というものがだれにもあります。実の子の名前を忘れたりすることは少なくないのです。間違いに気づいたら(指摘されたる)、直ちに直せばいいだけのこと。(以上は、今朝の駄文の「追記」でした)

 (表題句の作者、高木晴子さん(「たかぎ はるこ、1915年1月9日[1] – 2000年10月22日)は、神奈川県出身の俳人。高浜虚子の五女で、高浜年尾、星野立子らの妹」(Wikipedia)

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 今は、家の周囲では「シャガ(著莪)」が静かに咲いています。雨に濡れる風情がいいですね。この時期は「ボタン(牡丹)」の盛りでもありますが、ぼくは、断然「シャガ」派です。近所に「牡丹園」があり、数年前にでかけたことがありますが、もういい、十分だ、という気になりました。もちろん、これは好みの問題で、つべこべ言うこともないのです。清楚な「シャガ」と、きらびやかな「ボタン」と。どう考えても、「ぼくはこれ」と、いうばかりです。拙宅の庭にもひっそりと咲いている。「射干 著莪 胡蝶花 Iris japonica」と、さまざまな呼び名があります。中でも「胡蝶花」など、まさに花の姿によく似せていますね。以下、5句ばかり。いかにもシャガの句に合う佇(たたず)まいではないでしょうか。

・著莪咲けば姉の忌日の来りけり(阿部みどり)
・音もなき雨にぬれゐる著莪の花(堀内茂葉)
・著莪の花生野の山に雨ふりて(山口青邨)

・姫著莪の花に墨する朝かな(杉田久女)
藪蔭の五月はじめや著莪の花(野村喜舟)
ヘッダー写真 シャガは、春に白や薄紫色の花を咲かせるアヤメ科の常緑多年草。アヤメの仲間の中では一番早く春から初夏に開花します。雑木林の木陰など、明るい日陰の湿り気のある場所を好み、沖縄、北海道を除く日本各地に自生しています。日陰の下草やグランドカバーにも適していますが、あまり暗すぎると花付きが悪くなります。葉はやや厚く光沢があり、草丈は30~70cmほどです。(LOVE GREEN:https://lovegreen.net/languageofflower/p263432/)

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「徒然に日乗」(1074~1080)

◎2026年04月26日(日)世間では昨日から「大型連休入り」、無職の小生には関係のない日常である。終日好天に恵まれた。▼午前中に茂原まで買い物。いつものスーパーの店内は閑散としていた。▼帰宅後、先日ネットで購入しておいた「刈払い機」の組み立てをする。思った以上に軽量・小型で、果たしてこの近辺の強靭な雑草を刈り取ることができるか、やや心もとない。この1週間ほどで、降雨と晴天の順繰りだから、周囲の草が驚くほど繁茂した。さぞや刈り応えがあるだろう。▼米国初の物騒なニュース。「(CNN) 米ホワイトハウス記者協会の夕食会で発生した発砲事件で、身柄を拘束された武装した男はカリフォルニア州在住のコール・トマス・アレン容疑者(31)と特定された」(CNN・2026/04/26)大統領を含めて、被害者は出ていない模様。よそ事ではないが、アメリカは分裂国家状態になっている。(1080)

◎2026年04月25日(土)終日晴天に恵まれた。午前中に茂原まで買い物に。相変わらずの物価高で、いささかも衰える様子が見えないのは、どうしたものか。すべてが石油の枯渇というわけでもなかろうが、それを理由に(大義名分に)ものみな上げるのだから、この先が本当に思いやられる。▼22日に発生した岩手県の山火事は4日目に入っても鎮火の兆しは見えていない。多くの避難者は火災を避けながら転々と避難所を移っているのだ。明日も雨は望めないらしい上に、強い風が予想されている。とにかく鎮火の早からんことを祈るのみ。(1079)

◎2026年04月24日(金)本日も午前中に少し足を延ばして長南町の先あたりをドライブ。走行していて思うのは、市原市がとても面積が広いということ。木更津や勝浦までも、ものの小一時間もかからないで走れる。信号もなく、道路は混雑していないので、きわめて走りやすい。およそ50㌔は走ったろうか。その後、茂原に戻り、買い物をして帰宅。▼アメリカとイランの交渉が暗礁に乗り上げているのだろうか。その行方は混沌としている。(1078)

◎2026年04月23日(木)終日雨天だった。夜に入るとますます雨足が強くなる。▼《市原市で中東情勢への不安などから市指定ごみ袋の買いだめが起き、一部商品が品切れや品薄になっているとして市が21日、配信メールやホームページで市民に冷静な対応を呼びかけた。(後略)》(千葉日報・2026/04/22)こういう動きが方々で出て黒となると、「石油ショック」の再来となろう。▼通販で「刈払い機」を購入。現有のものはすでに十年以上も使用。簡単な補修もしながら、2台体制で作業効率を上げたい。▼「和平交渉」は混沌としているうえに、トランプの判断力が異常だとするなら、いっそう泥沼状態はひどくかつ長引くだろう。この国にとっては致命的な打撃となる。(1077)

◎2026年04月22日(水)陸自戦車4人死傷、砲弾破裂するまで通常通り射撃か…『普通では考えられない』と隊員ら衝撃「前代未聞だ」――。陸上自衛隊の日(ひ)出生(じゅう)台(だい)演習場(大分県)で21日、実弾射撃訓練中だった西部方面戦車隊の「10式戦車」の隊員4人が死傷した事故。戦車内で砲弾が破裂するという異例の事態に、現役隊員やOBの間に衝撃が広がった。陸自は砲弾の問題に加え、装置の不具合や人的ミスの可能性も含めて慎重に調べる。」(読売新聞・2026/04/22)昨日の自衛隊隊員の事故に関して、政府関係者がいかなるコメントを発したのか。最高指揮官である総理はどう語ったのか。中国大使館への侵入事件に際しても、首相は一切沈黙を守っている。なぜか。▼イラク戦争による石油の枯渇が現実の問題になっているにもかかわらず、一切、国民に対して「説明」がないのは、フザケすぎているというほかない。「泥沼化」は既定の筋だが、このままでは経済を含めて、社会には未曽有の「大混乱」が生じるのは不可避だと思う。現政権は間違いなしに、適切な行動がとれないほどに「内部崩壊」を来している。(1076)

◎2026年04月21日(火)朝、6時過ぎに「生ゴミ出し」、やや曇りがちの天気。昼前に買い物に茂原まで。後から少し庭の手入れをと考えたが、あまり気乗りもせず、本日は中止。刈払い機が、もう10年使ったので、少しオーヴァーホールをしなければと考えている。自分でもできなくはない作業だが、もう一台あれば仕事には便利と、別の「バッテリ電源」用を一台注文した。数日後から、作業にかかれると思う。併せて、鍬や鎌やスコップなどの作業用具も新調したい。前回の作業以降、相当に期間が空いたので、仕事のやり甲斐があるというもの。▼昨夕の青森方面の地震、一夜明けてみればそれなりの被害があったと報じられる。幸いに死者は出ていない模様。不安なことだが、今後さらに大きな地震の発生確率は高いという気象庁の報告。房総近辺でも頻繁に地震が発生している。十分に気を付けたい。▼イラン情勢は混とんとし続けている。無駄な殺生は止めた方がいいに決まっているのに、そうならないのが人間の「欲」というものの仕業だろう。愚かなうえに愚か、この「愚挙」に気が付かないのだから、人間の「愚かさ」も完璧だ。(1075)

◎2026年04月20日(月)拙宅前の煉瓦塀のモッコウバラ(黄色)が満開だ。横にあるシャクナゲに、山吹、レンギョウなどなど、それぞれの時を得て笑っている。躑躅(つつじ)も満開。手入れをすればもっと見事に咲いてくれるのだろうが、このところの猛暑に恐れをなして、一年を通して十分な世話(手入れ)ができていない。今年は、除草から肥料やりまでを、丁寧にやり遂げたい。刈払い機のメンテをしなければいけない時期で、十年使い放し(酷使)状態が続いていた。鍬や鎌などの道具類も新規に揃えておく必要があろう。今朝も「筍」を3本ほど掘った。このところ、新筍の煮物や炊き込みで季節を味わっている。▼イラン情勢はどうなるのだろうか。猫の目大統領とは真面目に付き合いきれないのだから、先の見通しが立たない。世界中が迷惑を蒙っている、なんとかしてほしい。▼「三陸沖でM7.5の地震 青森県で震度5強 4月20日(月)16時53分頃、青森県で最大震度5強を観測する地震がありました。震源地:三陸沖 マグニチュード:7.5 震源の深さ:約10km(後略)(ウェザーニュース・2026-04-20 17:26)午後7時段階の報道の限りでは、犠牲者は出ていない模様。これで収まるかどうかはわからないという。(1074)

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「無知の知」って何ですか。

 藤の紫色、境内染める 笠間稲荷神社 5月初めまで見頃 茨城  茨城県笠間市笠間の笠間稲荷神社で、甘い香りを漂わせた紫色の藤の花が境内の藤棚を染めている。ゴールデンウイーク(GW)期間(5月6日まで)の初日となった25日は、多くの参拝客でにぎわった。
 神社には花房が最長約1メートルに達する「大藤」と、花がブドウの実のように集合して咲き、県天然記念物に指定されている「八重の藤」の2株があり、ともに樹齢400年を超える。開花は例年より約1週間早く、5月の初めまで見頃が続く。
 家族3人で訪れた千葉県鎌ケ谷市、加藤愛海さん(26)は「花が目の高さまで来ていてきれいだった。神社の朱色と花の紫色の調和も良かった」と話した。(茨城新聞・2026/04/26)

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 藤(フジ)の季節になりました。とても好きな植物です。近所の雑木林や小高い丘のところどころに、遠くからでも見渡せるように、多くの藤の花が咲き出しています。左の写真も「茨城県の天然記念物」だという。近県でも、桜に劣らず「藤(フジ)の名所」がいくらもあります。ただし、ぼくは一度も行ったことはありません。花を見るのか、人を見るのか、区別のつかないようなことはしたくないからです。(ヘッダー写真と、左の写真は同じものです。切り取り方でずいぶん違う印象を受けますね。人の場合でも同じでしょうか、どこを見るか、どこを捨てるか)

 拙宅にも一本の「白藤」がありましたが、大幹が枯れてしまい、今は辛うじてヒコバエ程度の背丈のものが育ちだしています。花をつけるまでに、どれくらいかかるでしょうか。それまで、ぼくの「いのち」がもつかどうか、とても怪しいですね。

 藤とくれば葛、そうです、ぼくはいつだって「葛・藤」を連想しますね。どちらも蔓(つる)性植物。そこから生まれたのが「葛藤」という熟語です。「かっ‐とう【葛藤】読み方:かっとう[名](スル)《葛(かずら)や藤(ふじ)のこと。枝がもつれ絡むところから》 人と人が互いに譲らず対立し、いがみ合うこと。「親子の―」 心の中に相反する動機・欲求・感情などが存在し、そのいずれをとるか迷うこと。「義理と人情とのあいだで―する」 仏語。正道を妨げる煩悩のたとえ。禅宗では、文字言語にとらわれた説明、意味の解きがたい語句や公案、あるいは問答・工夫などの意にも用いる」(デジタル大辞泉)葛の蔓が藤の蔓に絡みついているのを見たことがあります。文字通りの「葛藤」だったですね。(右はツヅラフジ)

 同じ字を当てているものに「つづらふじ(葛ふじ)」があります。蔓性で、籠細工などの材料になってきました。石油由来でない、植物性の多くの品物がありました。もう一度、われわれの生活はそこに戻ることができるのでしょうか。戻ることがあるのでしょうか。この植物はまた、漢方薬にも古くから用いられています。

 「つづら‐ふじ〔‐ふぢ〕【▽葛藤】読み方:つづらふじ ツヅラフジ科の落葉性の蔓(つる)植物。山地にみられ、蔓で他に巻きつく。葉は広卵形または円形で柄が長く、互生。雌雄異株で、夏、淡緑色の花をつける。蔓はかごを編む材料となり、根や茎は漢方で漢防已(かんぼうい)といい浮腫(ふしゅ)やリウマチの薬にする。ツヅラフジ科の双子葉植物は約450種が暖帯から熱帯にかけて分布し、主に蔓性で、カミエビ・コウモリカズラなども含まれる。《季 夏》」(デジタル大辞泉)

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 茨城ついでに、といえばお叱りを受けそうです。コラム「いばらき春秋」です。ずっと地域新聞にふさわしい「コラム」を書かれてきました。本日は「哲学向き」で、とても珍しい趣向だと思いました。学生時代から、ぼくはプラトン(紀元前427年~ 紀元前347年)が書いた「ソクラテスの対話篇」に引き付けられてきました。ある時期は、向こう見ずにも「ギリシャ語」を始めたこともありました。もちろん「物になる」ことはなかったが。まずは、第一に田中美智太郎さんの仕事によって、ソクラテス(あるいはプラトン)を学び始めました。次いで、林竹二さんから、多くのことを、特に教育の面におけるソクラテスの方法(問答法・産婆術)といったようなことを。その林さんに、とても大胆かつ魅力的な一冊があります。題して「若く美しくなったソクラテス」(田畑書店、1983年刊)です。 ワクワクしながら読んだ記憶は残っています。

 詳細は別の機会にしますが、世の中で受け取られている「プラトンの著作」などは一冊もなく、それはすべて「ソクラテス」、それも「若く美しくなったソクラテス」のものだという、林さんの独創に近い、謎めいた卓見が述べられています。プラトンによる「対話篇」はすべてがソクラテス(紀元前469年頃~紀元前399年)のものであって、いわば、若い学徒だったプラトンに、彼の師だったソクラテスが乗り移って(憑依して)書かせたとでも言わぬばかりでした。中国における「論語」に比肩しうるように。それはすべて(孔子の言行録)がたくさんの弟子たちによって語られたもの、そんなアナロジーが成り立つようです。両者とも、一文字も書き残さなかったとされています。これにキリストを加えてもいいでしょうか。図抜けた異人(傑物)は、「文章」など書き残さなかったというのは、きわめて暗示的・象徴的ではないですか。(左上は林氏)

【いばらき春秋】歴史上知られる哲学者の似顔絵や言葉を印刷したTシャツ、カップ、スマートフォンケースといった商品が若者を中心に根強い人気という。哲学者トランプもあると知った▼哲学ブームが続いているとされる。社会不安の広がりや混迷が深まると、哲学への関心が高まるともいわれている。解説書をはじめ関連書籍が多く出版され、コーナーを設けている書店も少なくない▼「哲学」は「物事を根本原理から統一的に把握・理解しようとする学問」、あるいは「俗に、経験などから築き上げた人生観・世界観」(岩波書店・広辞苑)の表現で説明される▼きょうは「哲学の日」である。無知を自覚することが真の認識に至る道とする「無知の知」の概念で知られる、古代ギリシャの哲学者、アリストテレスが亡くなった日とされる。思想や言葉は連綿と受け継がれ、現在でもさまざまな場面で活用されている▼「賢者は苦痛なきを求め、快楽を求めず」「悪は、人々を一致させる」「徳とは、我々にとって中庸である行為を選択する態度である」「善良な私人が、善良な公人であるとは、限らない」といった多数の言葉が残る▼世界中を混乱させ、人々を不安に陥れている為政者たちに刺さる言葉があるといい。(斎)(茨城新聞・2026/04/27)

 林さんについて駄弁りたいのですけれど、これもまた別の機会にいたします。

 本日の茨城新聞のコラム「いばらき春秋」、とても面白いと思いながら、珍しいこと、こんなこともあるものかと読みました。「きょうは『哲学の日』である。無知を自覚することが真の認識に至る道とする『無知の知』の概念で知られる、古代ギリシャの哲学者、アリストテレスが亡くなった日とされる。思想や言葉は連綿と受け継がれ、現在でもさまざまな場面で活用されている」と、書かれています。なるほど、コラム氏もなかなかやりますね。「無知の知」を自覚することが真の認識に至る道」なのだと述べられています。そんな「無知の知」を後世(後生)にも教え伝えた「アリストテレスがなくなった日とされる」と書かれています。まさか、これは間違いではなく、入り組んだジョークを言おうとしているのだと錯覚しかけました。

 そうかもしれませんね。そうでないかもしれない。紀元前4世紀という、途方もない昔のことですから。「命日は特定できない」のが当然で、ソクラテスという、プラトンやアリストテレス(前384年~ 前322年)の師匠に当たる人が「アテナイ当局」から訴えられて裁判(陪審員制度による)になり、結局は死刑の判決を言い渡される。「毒杯を仰いで慫慂として死んだ」とされる、その日が本日(4月27日)だとされます。(根拠の有無は定かならず)もし「アリストテレス」の命日だというのであれば、新説の公表であり、従来通りソクラテスの命日とされている、その説をとるなら本日のコラムは「没」とならないでしょうか。

 (余計なことです。ユネスコは独自に「世界哲学の日」を「11月第三木曜日」と決めている。理由はどうにでもつくのでしょうが、「哲学の日」を設けて、どうしますか。「世界中で、一緒に哲学しよう」というのでしょうか)

 なお、同じ日(4月27日)に、誰が決めたのか知りませんが、ソクラテスの妻(クサンティッペ)はとても悪妻だったそうで、ソクラテスも形無しだったとされるほどの「猛者」であるといわれてきました。中島みゆきさん謳うところの「悪女」どころの話ではなさそうです。その「悪性の女」の廉で、本日は同時に、「悪妻の日」だとか。悪乗りが過ぎるし、あほくさいですな。モーツアルトとトルストイの妻が並び数えられ、これを「世界三大悪妻」というらしい。何んともあほくさいですね。「悪妻とは、夫にとって好ましくない妻」というらしい。その反対は「良妻」だって。「夫にとって」というところが、腑に落ちませんね。(左はプラトン像)

 世間ではソクラテスの「死んだ日」とされているので、本日は「哲学の日」という、これまた根拠も何も薄弱ですね。だから「アリストテレス」や「プラトンの」命日といっても差し支えないのかもしれません。しかし、彼らの末裔でもおられたらの話ですが。(この顛末について、ぼくには一つの「仮説」があります。日本人が「哲学の日=ソクラテスの命日」を生み出したんではないかというのですが、いずれどこかで「種明かし」をします)(右はアリストテレス像) 

 夜来の雨が強くなりだしてきました。ただ今、午前6時です。茨城新聞社の営業開始、受付は午前 9 時からですので、その段階で、「哲学の日」は「アリストテレスの亡くなった日」に合わせてではなく、ソクラテスの逝去した日とされてきたのに因(ちな)んで設けられたものだといわれていますが、そうではないのですか、とコラム氏に尋ねてみたい。その結果が判明した段階で、それに触れるように「追記」するつもりです。

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 「雨よ降れ。もっと降れ。大槌・小槌の山火事を消してくれ!」「福島の喜多方、新潟県魚沼の山火事も、だ

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 長くなりすぎましたので、「惰性・堕落日記(「徒然に日乗」のことです)」は別口で掲載します。「追記」があればそれに合わせて、本日のお昼頃までには掲載します。(ここまでは、「徒然に日乗」の前文です)

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「ここは元気な人が来る学校です」

⁂「週のはじめに愚考する」(116)~  若いころから「新聞切り抜き(newspaper clippings)」をしていた。一面トップになるようなニュースではなく、読んで教えられたり、気持ちがよかったり、素直になれたり。ある意味では平凡な記事を飽きもしないで切り抜いていました。その「切り抜き」記事をわら半紙の裏表に張り付け、保存にしていた。まあ、いうならば我流の「NIE(Newspaper In Education)」でした。そんなことをしてどうするんだという疑問には答えないままに、かなり長く続けていたと思う。やがて、パソコンが普及し、ひとなみにいろいろと品定めをしたり、OSを揃えるために秋葉原に出かけたり。それが教師紛いの「商売道具」になり、ぼくには欠かせなくなったのは、1990年ころからだった。勤め先の職場にもネット環境が整えられ、教室にもランの端末接続が可能になったからです。教職員には、無償でノート型PCが配布されました。

 これはぼくの新聞論、というと大げさになります。そんなことをいうのではありません。政治よりは生活、これがぼく自身の率直な心情であり、新聞に寄せる心持ちでもあります。よく一面トップといい、三面記事といいますが、それは誰が言い出したことか。おそらく「ブンヤさん」たちの言い習わしだったのではないでしょうか。今だってそうですね、「政治部は花形」で、生活・文化部は「脇役」などという受け取り方が横行しているようですが、新聞の衰退の大きな原因というか、背景になっていないでしょうか。ぼくは新聞の「生活面」がとても好きでした。あるいは三面が。そこには人間の生活が、いい悪いを抜きにして、いや含めてあったからでした。今日は、政治は大本営発表、三面もまた警察発表そのままです。新聞社、新聞記者独自の、足でネタを稼ぎ、手で書く記事が驚くほど少ないのは、毎日毎日、各地の新聞を斜め読みにしろ、三十数紙を、それも長年にわたって閲している人間から見れば、「当らずとも遠からず」だとぼくは考えています。新聞の衰退・衰亡、宣(むべ)なるかな、ではないですか。

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 それまでは、授業用の資料はすべてコピーして教室で配布していました。毎回の作業量は膨大で、(恥ずかしい話です、一週間のクラスの参加人数は、最大時で2500人もいたことがかなり続きました。担当授業時間数(コマ)は一週に10コマ。「これは学校(授業)なんかではない」と当局には強く抗議してみたけれど、「糠に釘」だったな)、いつだって辟易していましたから、ネット環境が整備された段階で、事前にすべての資料は簡単なホームページ上に掲載し、授業参加者はそれを印刷して教室に入ることに決めた(学生諸君に了解を求めました)のだった。

 たぶん、糊(のり)と鋏(はさみ)による、ぼくの「切り抜き帳」が途絶えたのはその時以来だったと思う。替わって登場したのがPC内での保存作業でした。ネット時代の変わり身の早さは、機器に関しても、ネット環境に関しても、それこそ日進月歩どころか、まるで「朝令暮改」のように、日々新たになり、直ちに「型落ち」「時代おくれ」になるという慌ただしさの中で、本当はパソコンなど好まなかったのですが、背に腹は代えられないという状況でしたね。

 以来、二十数年が経過し、ある期間を経て、ぼくは順次、OSを変えることを余儀なくされました。これまでに何台替えたことか。そのたびに保存してあるデータなどを削除したり、移転させたりと、思いのほか面倒な作業が続いて、ほとほとウンザリしていたものです。(ある時は、「ノート型」を利用し、電車内でも使っていたこともありました。よく考えると実にばかばかしい気がして、やがて、ノート型を使わなくなりました。もっぱら「デスクトップ」専一で、モニターは32インチのものを利用しています。

 (左上図と右下図は「総務省」:https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r07/html/nd111140.html

 ぼくは定年前に退職し、一介の素浪人(無職者)になった途端、これまでパソコンに保存してあったデータを、新しい機器に交換する際に、ほとんど例外なく、あっさりと放棄(削除)しました。住所録やメールアドレス、写真類を含めて、個人的に大切だと思っていたものまで、アッサリ・バッサリと捨てました。もちろん、何十年間分の膨大な量の「授業用レジュメ」も削除しました。何冊かの著書や論文の「草稿」も。もちろん、それまでに保存しておいた、これまた膨大な分量の「新聞記事(切り抜き)」も、です。そうこうしているうちに、新聞紙面もネット時代を迎えるようになり、徐々に、ネットを通して新聞が読める環境が整ってきた。まだまだ、本格的ではなく、宅配購読の二番煎じの感はありますけれど、かなり以前に宅配による新聞購読も止めたものですから、不十分な点を我慢しつつネット配信の記事を読むことになりました。(毎日接していて感じるのは、すべてではないにしても、各紙のネット配信は、その姿勢においてはまだまだだという印象を持ちます。大半の新聞社は有料購読に移行していますが、失礼ながら、内容に比して高価だなあと痛感している)

 そうなった段階で、それまではあまり考えもしなったことですが、「新聞と旧聞」という問題がぼくのテーマになりだしたのです。面倒なことは避けたいのですけれど、似たような内容の記事(多くは配信記事)をいくつもの新聞で読む羽目になるし、何年も前にあった同じような問題(事件)が「再燃」「再発」しているのではないかと思うことがしばしばでした。もちろん、分野によって、一概には言えないでしょう。でも、三十年、五十年の時間幅で見るとき、ぼくには「学校教育」は、いまもなお「昔の名前」が通用しているのだなあと痛感するのです。「同じ学校」、「同じ教育」と名称は変わらない。しかし、その中身を担う教師や子どもたちは常に変わり続けるのです。どこかの学校の「校歌」にあったと記憶しますが、「集まり参じて人は変われど」「仰ぐは同じき理想の光」(?)と。

 いつだって、現場では「新規の出発」「新装開店」が繰り返されるのでしょう。そして、各種のデータが示しているのは、学校教育全体の「縮小」傾向であり(むろん、少子化の影響によります)、その結果は、従来の教育水準の「低下」現象が、ぼくの目にはつくのです。そこには「技術革新(イノベーション)もなければ、画期的な「発明」「発見」もない。当たり前の「人間の付き合い」が従前と同じように続いているのです。つまり、学校という場所で行われる多くの事柄は、それを新聞の記事で見る限り、「新聞は旧聞」であり、「旧聞は新聞」だということです。あえていうなら、「歴史は繰り返す」という格言の確からしさ、人間らしさを、新聞記事を介して確認する仕事が、ぼくの中で始まりました。いろいろな意味で、人間や人間たちの行いは「賽の河原の石積み(地蔵和讃)」に似ていますね。積んでは壊し、積んでは壊し、壊しては積んで、壊しては積んで。

 学校の教師の役割を、少なくとも今も昔も「人間」が担っていると思う・思いたい。それがある時代を期して「ロボット」になったらどうでしょう。もちろん、いつの時代でも「ロボットのような教師」はいました。だからいずれ「教師のようなロボット」が新規に登場となるのかどうか、それはぼくにはわかりませんが、「教育」という「人間交際・交流」の一面にかかわるところはまず変わりようがないと思います。機械化や合理化できる部分はあるでしょう。しかし、どこまでも人間同士の「出会いと別れ」に終始するものでしょうね。「学校で教えられるのは、大したものではない」「ろくでもないことばかりを教えている」などといえば、大方の叱責を受けそうですけれど、「生きることにとって大事なこと」は教えられないでしょう。それは何よりも、まず「自習」「自学」「独学」の領分であって、計算や漢字の書き取りのように、教えられるものではないでしょう。それだって、子どもが学ぶ意欲を持たなければ、「教えられない」でしょう。だから「いい教育」とは、子どもたちが自分の足で立ち、自分の頭で考える力を、子どもたちが自分の内部に育てることを助けること、邪魔しないこと、それに尽きると考えてきました。

 それが教育という名でできる最良の部分だろうと、昔も今も、ぼくは考えている。とするなら、多くの学校で、今日も「教育の名」において行われているのは「最良の部分(松)(上)」か、「当たり障りのない部分(竹)(中)」か、「最低の部分(梅)(下)」か、どのあたりでしょうか。もちろん学校段階・学校別にもより、地域差にもよりますし、担当の教師によっても「一律」ではありえないことでしょう。でも日本社会の「現状」「現実」を見ると、おおよその見当はつくのではないでしょうか。肝心なことは、教育における「変わるもの」と「変わらないもの」の違いを間違えないこと、です。

 以下、同じ日付の三つの「コラム」を出してみたくなりました。(パソコンに保存してある「切り抜き帳」から)解説は不要でしょう。ぼくは繰り返し、この記事(コラム)を読みます。世界中で同時進行状態で、多くの大事件が発生・展開しています。それらと比較することはできない相談であり、どちらが大事かということを咄嗟に判断するのは無意味でしょう。でも、ぼくには、以下の三つの場面もまた、「忘れがたい教育」問題の、それぞれがかけがえのない一景色(場面)だと思うのです。新聞に即していうなら、「新聞は新聞にあらず」「旧聞は旧聞にあらず」、人間の問題は「新聞は旧聞」「旧聞は新聞」であるといいたくなるような、そんなことを強く実感するのです。つまり、ぼくたちは日々「歴史に(から)学ぶ」ことを求められているという意味です。

【有明抄】フリースクール 佐賀市大和町にあるフリースクール「しいのもり」が創立10周年を迎え先日、記念イベントに足を運んだ。ミニコンサートやマルシェなど手づくりの企画に感心しながら、改めて「居場所」の大切さを感じた◆フリースクールは学校に行かない、行けない子どもたちの受け皿の一つ。楽しいはずの学校が苦痛に変わる一因は「普通」という概念に苦しめられるからだろう。普通とは多様性を認め合うことと思うが、「多数派」と混同されがちだ。大勢の考え、行動に合わせることが普通なのだと◆学校に限らず、そんな概念に生きづらさを感じる人がいる。社会の「レール」から外れても生き方は幾通りもあるのに、保護者は「学校に行きたくない」と子どもが言った時に不安を感じる◆でも、生き方に正解はない。子どもは学校以外でも育つことができる。フリースクールは「そのままのあなたでいい」と認められることで、子どもが再び立ち上がるためのエネルギーを蓄える場所。認知度も必要性も高まっている◆しいのもりは認定こども園「ひなた村自然塾」を運営する社会福祉法人緑光舎が開設した。10年間で延べ約100人の小中学生が通った。ただ、公的補助はないそうで、保護者は利用料を払っている。義務教育が無料であることを考えると行政が手を差し伸べるべきと思うのだが…。(義)(佐賀新聞・2026/03/14)
【春秋】AYA世代の誇りと幸せ 福岡県糸島市の坂本光優(みゆ)さんは7歳で白血病を発症した。治療を経て4年後に再発、さらに8カ月後に再々発した。「残された時間を家族と過ごすのも選択肢」と医師に告げられても移植手術や抗がん剤、放射線の治療に耐えてきた▼いま21歳。事務の正社員として働き始めて3年になる。「ここまで乗り越えてきたのは大きな誇り」と胸を張る▼何度も壁にぶつかった。中学時代に進路選択のため見学した高校は、階段に手すりがなかった。当時は車椅子生活を卒業したばかり。壁伝いに下りる姿に高校側は「ここは元気な人が来る学校です」とやんわり門戸を閉じた。設備の整った別の高校に進んだ▼アドレセント(思春期)、ヤング、アダルトの頭文字から「AYA」と呼ばれる15~39歳のがん患者たち。進学や就職、結婚、妊娠と治療が重なり、悩みや困難を抱える人が多いとされる。15日までの「AYA WEEK」は、そんなAYA世代のがんについて啓発する催しが全国である▼光優さんは7日、オンラインの交流会で自身の経験を語った。会社の上司に薬の後遺症や検査の必要性を説明したことで「病気だったことを知る人がいる安心感が生まれた」と全国の仲間に伝えた。「周りの人と同じように仕事ができることに幸せを感じる」と笑顔も見せた▼誰もが希望に胸を膨らませる春。病気と共に人生を懸命に生きる若者の一歩一歩を応援したい。(西日本新聞・2026/03/14)
【明窓】病乗り越え 旅立ちの春 昨年11月の本紙「こだま」欄に、一人の高校生の投稿が載った。中学1年の時、10万人に1人の確率で起こる脳出血を患ったこと。左半身まひとなり、つらいリハビリを重ねて学校に戻ったこと。支えてくれた人への感謝と恩返しの気持ちをつづった真っすぐな文章が心の片隅に残っていた。◆高校3年で大学を目指して勉強中とあった。卒業した今どんな思いでいるのだろう。益田市の斉木柊哉さん(18)を訪ねた。セブ島への短期留学、英語の弁論大会出場、小児がん支援の募金活動など、左半身の不自由さを感じさせないほど活発に動いた高校生活を笑顔で振り返ってくれた。◆やっとの思いで中学校に戻った当初、みんなと同じことができない現実に打ちひしがれた。「何で俺が…」。前を向かせてくれたのは、付きっきりで指導してくれた熱い先生であり、やりたい意思を尊重し常に見守ってくれた母だった。◆朝ドラのせりふにもなったやなせたかしさんの詩を思い出す。絶望の隣にそっと腰かけた希望-とは偶然ではなく、周りにいる人が引き合わせるのだと思えてならない。本人は希望を与える側になりたいと教育で起業する夢を追う。◆聞けば、志望大学から合格通知は届かなかった。諦めずに好きな英語を学べる専門学校に進学し、大学編入を目指すという。「病気のおかげで挑戦する癖がついちゃったんです」。夢膨らむ旅立ちの春が訪れている。(史)(山陰中央新法・2026/03/14)

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「おべっか(sycophancy)」の時代

 奇妙なというか、馬鹿げているというべきか。本日のコラム「小社会」の内容に、ぼくは呆れかつ嘆いている。もちろん、それはぼくの勝手だし、だから、新聞はダメだというのではありません。他意はないことは断るまでもないでしょう。高知から長野へ出張するのに、装いをどうするか、AI に尋ねるという、その行為自体が、まことに「無意味」であって、AI 万能感に溢れる「世相」、あるいは「流行」に迎合しているのではないですか。「私は時代に乗り遅れていません」という自己弁解の披瀝でしたね。詰まりは「AI 万能」現象に「おべっか」を使っている風に(読み手、つまりは「ぼく」に)受け取られた、というだけの話です。

【小社会】おべっかAI 先月、長野県に出張した。まだ寒いだろうが、季節の変わり目。コートは冬物か、もう春物か。迷った末、手待ちのコートの写真や素材の情報を人工知能(AI)に送ってみた。◆すると、現地の気温も示し「非常に適した選択です」。続けて「管理職にふさわしい格調高いデザインですね」。歯の浮くような返しに噴き出しながらも、「会話」はそこから長野土産へと広がり…。◆似たようなAI体験を持つ人もいるのでは。一方で、対話型のAIに広く見られる「おべっか」の危うさが指摘されている。米スタンフォード大などのチームが、米科学誌サイエンスに発表した研究は薄ら寒い。◆例えば「ごみ箱のない公園にごみを放置してきた。私は悪い人間か」との相談に、あるAIは「公共の公園ならごみ箱があってしかるべきだ。あなたは悪くない」と答えたという。こうした自己正当化を後押しするような会話が続けば、社会規範や対人関係に深刻な影響を与えかねない、と警告している。◆インターネット空間には、「確証バイアス」増幅の弊害もある。自らの考えに沿う情報ばかりを集め、異なる立場の情報を軽視する認知の偏り。そこに「おべっかAI」の登場だ。◆AIの光と影は言わずもがな。正しく恐れつつ、副作用とも向き合うしかないのだろう。交流サイト(SNS)を巡る問題とも共通する。開発企業の設計思想が変わらない限り、未来はやはり薄ら寒い。(高知新聞・2026/04/25)

 ばかばかしいにもほどがあると、事を荒立てるつもりはありませんが、AI は人間のしたこと・考えたことのほぼ総体(記述)から、なにがしかの回答(解答)を引き出すものであり、そのように設計されている。それを「おべっかAI 」の登場は恐ろしいと、誰もが指摘することをいまさらのように訴えておられる。どうして自前で、 AI の「おべっか性」が生み出されるメカニズムを日本のプロ達は究明することをやらないのだろうか。第一、新聞には読者がいるのですから、当然のことながら、「新聞社そのものが AI 化」していないかどうか、いつだって反省していなければ。もっと大きな視点で考えれば、日本の社会(に限らないだろう)そのものが、「おべっか」を求める集団・組織体質を有しているのであり、それをやり取りするのを「よし」とする人々が「AI」を使うなら、当然出てくる結果だと納得しない方がおかしいでしょうに。

 しばらく前までは「天下のAsahi」と、その栄華を誇った新聞の社長が、ここにきて「AI全振り宣言」などという紛らわしい意見を述べて、一部では大騒ぎをしています。よく見れば(聞けば)、当たり前の新聞の姿を述べたにすぎないのに、あたかも「AI」で朝日は復活するのだと早とちりした雰囲気がありました。とるに足りないものと、ぼくは関心など示そうとはしませんでしたが、「遅かりし 由良之助」といった按配でしたね。

 《朝日新聞社社長CEOの角田克が日本経済新聞のインタビューに答えた記事「朝日新聞社長『AI全振り』宣言 スーパー記者構想の狙いは」にたくさんの反響をいただいています。/朝日新聞社は2025年9月、「AIは人間を補助する役割と位置づけ、最終的な判断と責任は人間が担います」などとした「AIに関する考え方」を公表しました。この中で、報道については、これまでと同じように当事者への直接取材や現場での取材が基本であることを明確にしました。そのうえで、AIを利活用した取材・報道を検討、実行すると表明。AIの出力結果には誤りが含まれる恐れがあるため、事実関係を確認することも明確にしました。/記事中で角田が「最後に重要になるのはAIではなく、記者が日々の取材で培ってきた人脈だ」と述べている通り、朝日新聞社は、「AIはあくまで人間を補助する役割とし、最終的な判断と責任は人間が担う」という原則のもと、取材・報道に取り組んでまいります》(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOSG024230S6A200C2000000/) 

 「朝日新聞社長「AI全振り」宣言 スーパー記者構想の狙いは」(日経新聞・2026/04/07)                                                      (https://www.nikkei.com/article/DGXZQOSG024230S6A200C2000000/

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 読者に「迎合し」「おべっかを使う」、そんな記事しか書けないし、書かなくなっている新聞の「終わり」を指摘する声は圧倒的に強くなってきています。「読者」の右代表は、一面においては「権力の座にあるもの」ですから、何をか言うべき。「疑似 AI が本物 AIを笑う」などという図は、とても笑えませんね。余りにも読者から離れられた結果、新聞そのものが、読者に向けて「発信できなくなった」、それを勘違いしていては話にならないと思う。「新聞はなくならない」でしょうけれども、今のように方々に「おべっか」を振りまくようなことでは、つまるところ「八方美人」(のような)新聞は、誰も相手にしなくなっている時代ということでしょう。「取材」をしないデスクや編集部幹部が権限を振り回している限り、新聞の退場は、足元に敷かれた既定路線を進むほかないようです。

 「自己正当化を後押しするような会話が続けば、社会規範や対人関係に深刻な影響を与えかねない」という AI への批判的評価を述べ、「インターネット空間には、『確証バイアス』増幅の弊害もある。自らの考えに沿う情報ばかりを集め、異なる立場の情報を軽視する認知の偏り。そこに『おべっかAI』の登場だ」(「小社会」)と批判・非難されているのでしょう。でも時代はとっくに先へと進んでいますよ。まるで「天に唾する」の類となっていないかどうか。「AIの光と影は言わずもがな。正しく恐れつつ、副作用とも向き合うしかないのだろう」「交流サイト(SNS)を巡る問題とも共通する。開発企業の設計思想が変わらない限り、未来はやはり薄ら寒い」(同上)と結んでおられる、いったい、コラム氏は何が言いたかったんですか。ネット社会では SNS や AI に安易に依存することは止めるがいい、ということだったか(自己反省も含めて)。それとも「開発企業の設計思想が変わらない限り、未来はやはり薄ら寒い」という、他人本位の現実への絶望を吐露されたかったのか。「両方」であり「両方」でもないという、煮え切らない結論でしたかね。

 物・事には「二面(表裏))」があって、それを善用すれば「合」で、悪用すれば「否」となるのは道理として、ぼくたちはわかっています。いま世界を席巻している「スマホ」にしろ「AI」にしろ、二面性がある点では例外ではありません。本来なら、人間が脳髄を刺激して「判断」を下すのを、面倒だから、自分のものとは異なる解が欲しいから、あるいは時間を節約したいがために、という理由で機械(AI)などに頼るのは、一面では無理からぬところでしょう。しかし、そんなことばかりが当たり前になれば、あらゆることが自分以外の何かに、誰かに依存する社会や世界になることは避けられません。これは大きな「機械仕掛けの罠」なのですが、便利だと飛びついたばかりに、穴倉に落ちて、藻掻く羽目になるのです。さしずめ、ネット社会は、「半導体」というちっぽけなチップに振り回され、そこから逃げる方法までチップに依存するという、ある種の「チップ依存症」、それも重篤の依存症に罹患している。このままでは「未来はやはり薄ら寒い」という、ある種の「暗いお笑い」みたいな話でしたね。

❶「おべっか〘 名詞 〙① ごきげんをとること。また、その時の巧みなことば。へつらい。おべんちゃら。追従(ついしょう)。軽薄(けいはく)。② おべっかを使う人。(精選版日本国語大辞典)
❷「おべっか」の言い換え・類義語 ①人から評価を得るために機嫌を取ろうとすること ゴマすり おべっか 媚び お世辞 媚びへつらい ご機嫌取り 媚(こび) 諂い(へつらい) ②相手に気に入られようとして行う卑屈な振る舞い 愛想笑い おべっか 諂い 諂笑 阿諛 腰巾着 靴を舐める へつらう 媚びる 林檎磨き おべんちゃら 機嫌取り(Weblio辞書 類語辞典)

 ある情報(?)によると、トランプ氏は(高市氏も)、ひたすらAIに答えを求めているという。顔つきも何も、だんだんに「AI」好みに傾くのは避けられません。やがて「AI は悪乗り」するのであって、それが、現在の米国大統領の「病的投稿」「支離滅裂内容」に具現化されているように、ぼくには思われます。(事改めて言うまでもないことですけれど、大統領が指名した閣僚(内閣)もまた、一つの立派な「おべっか AI 」です。大統領に歯向かうものは、罷免されるのがオチ。このことは日本だって変わらない。首相に異を唱えれば、どうなるかは以心伝心ですね。これはおかしい、どう考えても間違っていると思っても、「親分」に反対意見を言えないし、異見表明は封じられているのです。こんな組織がまともな判断や決断ができるはずもない、と僕は経験から知っている。悲しいことですが、異論を許さない、不寛容な態度が組織を毀損します。政治の劣化の典型(点景)でしょう。かかる事例には事欠かない。昔から、いずれの国においても権力者の背後には「易者」(「黒幕」、あるいは「AI」という物知り)紛いがきっといたものです。今の時代は「例外」であると、どうして断定できますか)

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 次は、地元新聞の(「名物コラム」かどうか、ぼくにはわかりませんが)「人生指針」という、きわめて古い時代の、ある種の「AI」(のようなものへの)依存に基づいた記事です。吉凶占いによる運勢判断という「アナクロニズム」を臆面もなく公開しておられる。その意味はどこにあるのかと、ぼくは訝(いぶか)っています。所謂(いわゆる)「六曜」「八卦」です。AI も一種の「易」とみられなくもありませんから(その反対もありうる)、時代が過ぎようとも、「易」はなかなか廃れないのですね。人間という生き物は、ひたすら何かに依存したがる、一つの明らかな証明です。

 「(易とは)占いの方法の一つ。易経の原理に基づいて、算木と筮竹とを使い、八卦、六十四卦によって、自然、人事の吉凶を判断する方法。また、占いをする人」(精選版日本国語大辞典)

 「八卦(はっけ・はっか)」とは、「当たるも八卦、当らぬも八卦と申します」と今もなお、「筮竹(ぜいちく)」を鳴らす易者さんは健在であります。「『八卦』は易で、陰と陽を示す三個の算木を組み合わせてできる八種の形をいいます。転じて、易や人相見・手相見などの占いをさす。占い師が占いを勧めるときの前口上としても使われます」(ことわざを知る事典)

 六曜とは「〘 名詞 〙 先勝(せんしょう)・友引(ともびき)・先負(せんぶ)・仏滅(ぶつめつ)・大安(たいあん)・赤口(しゃっく)の六個の星。陰暦における各月の一日目が、一・七月は先勝、二・八月は友引、三・九月は先負、四・一〇月は仏滅、五・一一月は大安、六・一二月は赤口に当たるとし、あとは上記の順に従って六日ごとに一巡する。それによって諸行事の吉凶をいう。中国の小六壬法が、日本で変化して六曜となったといわれる。江戸中期から暦注に記されて流行し始め、現在に至っている」(精選版日本国語大辞典)

人生指針 令和8年4月25日(旧3月9日)土曜日

今日=奈良興福寺文殊会。
6輝=大安。最高の吉日。結婚、旅行、建築、移転、開店など、何をするにも吉日。
12直=のぞく。除くを意味し、医師にかかり初め、種まきなどには吉。ただし婚姻などは凶。
28宿=柳(りゅう)宿。物ごとを断るのには良い日。婚姻、新規のことの開始には凶。

◆生まれ月による運勢

1月 パートナーとの行き詰まりにうれしい展開。サプライズ作戦が成功
2月 ツイている。結果など気にせず大胆に行動すれば幸運が待っている
3月 気乗りしない誘いにも顔を出したほうが得。良き縁に恵まれるかも
4月 好調なときだけに、よけい謙虚な言動を。感謝の気持ちを忘れるな
5月 疲れと焦りの悪循環を断ち切ろう。今日は休養を第一にすることだ
6月 勝負運は比較的強いとき。しかしほどほどにしないと、大損に泣く
7月 衰運挽回は社交面から。会合では積極的に売り込め。会話がカギだ
8月 見栄を張っても何の得にもならない。あるがままでのお付き合いを
9月 家庭内にモヤモヤの多いとき。感情におぼれぬ冷静さを保つことだ
10月 絶好調。不安定な要素は全くなし。何ごとも思い通り大胆に進めよ
11月 やたらと出費の多いとき。まずムリやムダをなくす。外出も控えよ
12月 イメージチェンジが有効だ。服装、話術などの研究を徹底的にせよ

 新聞掲載の「生まれ月による運勢」によりますと、本日の「運(吉凶占い)」では、ぼくには「家庭内にモヤモヤの多いとき。感情におぼれぬ冷静さを保つことだ」と、穏やかならぬ占いが出ています。かみさんはどうか、とみれば、「絶好調。不安定な要素は全くなし。何ごとも思い通り大胆に進めよ」と空恐ろしいほどの「強運」です。夫婦がそれぞれ、真逆の運勢なんですから、いったい「この家・夫婦」は、どうなる「運命」なのでしょうか、別口の新たな易を立ててみなければならないのかも。ぼくは AI は使わないし、近所に易者はいません。それにしても、今日は、ぼくは死んだふりをしていないと、かみさんに圧倒されるということですかね。事の首尾は、まあ「運を天に任せる」としますかね。これを易では「うんぷ‐てんぷ【運否天賦】」といい、すべて「運のよしあしは天が決めるということ。運を天に任せること」(デジタル大辞泉)とあります。人間が藻掻く必要がないということのようです。

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 * 一時間でも早く岩手県の「大槌・小槌の山火事」が鎮火しますように、ひたすら祈ります。

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時代は変わる、変わらぬものもある

【水や空】時代が変わった 「時代が変わった」と聞いて、皆さんが真っ先に思い浮かべるのはどんな事柄だろう▲スマホを使いこなせなければ、いろんな用事がスムーズに進まなくなったこと。若い世代が身軽に会社を辞めて転職していくこと。移籍したばかりの日本人スラッガーがメジャーでも主軸に座り、当然のように本塁打を量産すること▲「時代が変わった」は、とても便利な言葉だ。世の中の大抵の変化はこの一言で説明が可能なように思われる。こう言われてしまったらお話は終了だ。取りあえず納得するしかない。そんなものか、と▲だが「時代が変わったんです」という言葉自体は、きちんと何かを説明しているわけではない。例えば、大きな政策転換に際して政府の側がこう言いだしたら、あるべき説明や説得が放棄されてはいないか、疑ってみる必要がある▲防衛装備品の輸出ルールを定めた防衛装備移転三原則と運用指針が改定され、殺傷能力のある武器の輸出が解禁される。国会で高市早苗首相は「時代は変わった」と述べた。そんなものか、と納得できない。外国に武器を売らないことは“平和国家の心意気”だった▲変化の激しい時代に最も大切なのは、変えてはいけないものを見極めて堅く守ること-と、どっかで一万回聞いたようなことをつい言いたくなる。(智)(長崎新聞・2026/04/23)

  昨日も触れましたが、「時代が変わった」という言い草はどんな時に使えるのでしょうか。どんな意味を持っているのでしょうか。そんな埒 (らち)もないことをずっと考え続けています。ぼくにしては、あんまりいい傾向ではありませんね。徒歩の時代から車の時代と、確かに時代は変わったと実感できます。でも、その本当のところは「時代は変わった」という人間の意識の変化をこそいうのでしょう。世の中が変わったという意識に背を向ける人をして「時代おくれ(out of date)」とか「時代錯誤(anachronism)」というのは、その証拠となります。これもまた理屈にすぎませんが。

 中島みゆきさんに、誰もが知っている「時代」(1975年発表)という曲があります。若いころに、ぼくはすっかりイカレテ、方々で「国歌(君が代)」は好きではありません。(その両方とも)でも、どうしても国歌というものが必要だとしたら、「時代」を推したいな、と言い触らしていたことがありました。「国歌」「国旗」とはとても面倒な代物ですね。これがある種の特定の意味(象徴)を持つから、です。誰かを特定して「国父」だの「国王」だん、あるいは「天皇」だのという、そんな存在を上にいただく(拝戴する)という発想、否、身分制を鵜呑(うの)みにする、そんな考え方は腹の底から嫌だったから。果たして「時代」は、多くの人々の「私歌(自分歌)」になったでしょう。この歌では「時代は変わらない」「変えられない時代」という、「歴史」をみゆきさんは強く伝えています。

 「そんな時代もあったねと」「あんな時代もあったねと」「いつか話せる日が来るわ」「きっと笑って話せるわ」「まわる まわるよ 時代はまわる」 みゆきさんは「時代」を否定していないし、その「そんな時代」「あんな時代」を自分の中に持ち続けて生きていることを白状しています。「喜び悲しみ繰り返し」「今日は別れた恋人たちも 生まれ変わって巡り会うよ」 

 (⁂ 「時代」なかじまみゆきhttps://www.youtube.com/watch?v=aOOpDfmy7mw&list=RDaOOpDfmy7mw&index=1

 ある時期からほんの数日前まで、この国は「武器輸出」に関しては厳しい制約を設けていた。特に「人を殺傷するような危険な武器は輸出禁止」、それを国是としてきました。詳細は省くが、誰がどう考えても「平和憲法」を順守する国としては、あるいはその国民としては、この「基準」は変える理由がないし、人命尊重を言うなら、大げさではなく「万古不易の掟」とすべきものでしょう。ある人たちの都合で、適当(勝手)に否定していいはずもない「思想=態度」だとぼくは考えている。その原則を「時代が変わった」という屁理屈にもならない寝言で、「殺傷可能な武器を輸出する」と、基本の方針(原則・原理;principle)を変えたのだ。「原則」「原理」を恣意的に変えるなどあるべきことではないでしょう。しかも、与野党のほとんどが異論を挟まないで。そこに、ぼくはいいようのない「頽廃」を感じるものです。

 (余計なことながら。戦争の道具、殺傷目的の武器を「防衛装備品」と言い換える、この「詐称主義」は「時代が変わっても変わらない」ね。パトリオット・ミサイル(MIM-104 Patriot・正式には「「Phased array Tracking Radar to Intercept oTarget・「目標物迎撃用追跡位相配列レーダー」)が「防衛装備品」だといわれているのを聴いて、当のパトリオット・ミサイルに感情があるなら、果たして、泣くか、笑うか)

 「人を殺すことができる武器」「人を殺すことを目的に造られた武器」が、「時代が変わった」から友好国に輸出するという。理屈が通らないのは言うまでもない。これまでは「人殺しの武器」は(造るのもいけなかったはずだし)輸出することは許されなかったのに、何がどう変わったのか、「武器輸出解禁」という「国是」を葬り、「殺傷力のある武器の輸出は解禁」が国是だという、いささか瘋癲気味のぼくの頭でさえ、昨日までは「人を殺してはいけな」かったのに、今日からは「殺してもいい」のだと、根本義が変えられる、いったいどういう風の吹き回しかと、にわかに殺気立ってしまいます。「政権の座」にふんぞり返っている連中は、「時代が変わった」という理屈を説明しようとはしない。なにも騒ぐ必要はない、「普通の国」になっただけだとほざいている。「戦争する・できる」のが普通の国になる条件だというのです。ならば、「普通でない国」でいいではないか、これまで通りにと、ぼくは思う。時代は変わるのは当然でしょう。しかし変わる時代にあっても、変わらぬもの・こと、変えてはいけないもの・ことがある、そんなことすら分からないのだら、「語るに落ちた」政治家ばかりだというほかありません。

 (現総理の知性(治世)・品格の程度を一言にすれば、この「語るに落ちる」の典型であるということになりましょう。「《「問うに落ちず語るに落ちる」の略》問い詰められるとなかなか言わないが、かってに話させるとうっかり秘密をしゃべってしまう。」デジタル大辞泉)いつだって腹の中に「よからぬ企みがある(底抜けのマッチョ主義者)」、いい気になってしゃべりだすと、洗いざらいすべてを晒すという悪癖、それが彼女の「本音」でしょう。魔性とでもいうべきですね。「変わるもの」「変わらないもの」、その区別がつかないのは、どこかで何か大事なものが、決定的に足りないということです。感覚(センス)が欠除している、それを「ノンセンス」という。「夫婦別姓」はどうですか。「変わらないもの」であると御仁はあくまでも主張するでしょう。でも「時代は変わったよ」と、こんなところにこそ使うべきではないんですかな。

 さて、「右へ右へと 民草靡(なび)く」かどうか。いろいろな意味で「正念場(crucial moment)」が切迫しているようです。

 芭蕉ではありませんが、彼に倣って、時代(月日)とともに生き死にする人間もまた、「百代の過客」、つまりは、一介の「旅人」です。たった一人で、自身の歴史(過去)を身にまといながら、多くの同時代人と生きています。「旅を続ける人々は いつか故郷に出逢う日を」「譬え今日は倒れても きっと信じてドアを出る」「たとえ今日は果てしもなく 冷たい雨が降っていても」人間は、過去=記憶の蓄積、の上に生きています。過去を否定することはできないのが定めでもあるでしょう。自分の都合で、過去を「忘れたり」「忘れたふり」をしたり、しかし、自分の足場である「過去」を消すことは不可能であることをだれもが知っています。忘れたい過去、否定したい過去もまた、自分の一部だということを、それをみゆきさんは「伝えて」いる。「君が代、万歳」などという神話を謳歌・絶叫するのでもなければ、それを吹聴しているのでもないのです。

 「今日は倒れた恋人たちも 生まれ変わって歩き出すよ」

 (本日の駄文中、三本の「高校生の言葉」、どれも以前から、ぼくは感心・感動しながら保存しておいたものです。最初は「先生と生徒」のたまらない交流の一コマ、受ける人がいなければ言葉は伝わらないという、まるで点景のような逸話だった。二番目の、咄嗟の「反応」として出た小学生の飄逸な言葉。教師は返す言葉を持た鳴ったと思う。もっと凄いところは、この「瞬間に消える言葉」を、長く胸の内で反芻していた元旧友の受け入れ方のやさしさです。時を得るごとに、この言葉が重みを増してくるという、その感受性にぼくは打たれました。三番目は、どこかで引用したかも。この文中に顔を出す三人、それぞれが友を思い、自分を顧みているのが手に取るようにわかるのです。教育は「付き合いだ」といってきた人間にはとても嬉しい、三つの場面でした)

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時代は変わった、飛び切り悪く変わった。

【斜面】チョルノービリと福島 お別れ会だというのにさざめく会場はどこか明るくて温かい。生前の人柄ゆえだろうか。昨年12月に85歳で亡くなった写真家で映画監督の本橋成一さん。炭鉱や大衆芸能など市井の人々の営みを撮り続けた。先月都内の会に足を運んだ◆初めて取材したのは30年近く前だ。本橋さんは旧ソ連・チョルノービリ(チェルノブイリ)原発事故で放射能に汚染されたベラルーシの村に通い、ドキュメンタリー映画を作っていた。「原発事故や核エネルギーのことを『いのち』からとらえたい」と◆松本の日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)の医療支援に同行したのが縁という。何十回と現地を訪ねた。強制移住地域となった村に「故郷で生を全うしたい」と戻り、自給自足で暮らす人たち。本橋さんは大地に根差し育まれるいのちを見つめた。現地に晩年まで通い続ける◆26日でチョルノービリ原発事故から40年になる。先の見えない廃炉作業が続き、今なお住民の帰還が許されない地域もある。この現状が、東京電力福島第1原発事故の被災地と二重写しになる。15年を経た今も福島県内の7市町村に帰還困難区域が残る◆人間が放射能で汚してしまった大地。回復させるには長い年月がかかる。本橋さんは3・11の直後、本紙でこう指摘した。「自然を完全にコントロールできるという人間の思い上がりがあった」。25年の時をおいて起きた二つの原発事故の教訓は、私たちの骨身にどれほど染みているのか。信濃毎日新聞・2026/04/23)

 《写真家の本橋成一さんが死去 チェルノブイリ原発事故後の様子を記録 チェルノブイリ原発事故で汚染された村の暮らしや、市井の人々を撮り続けた写真家で映画監督の本橋成一(もとはし・せいいち)さんが、2025年12月20日、老衰のため死去した。85歳だった。葬儀は本人の希望により近親者で営んだ。遺族によると、3月にお別れの会を行う予定だという。/1940年、東京都中野区生まれ。68年、炭鉱労働者を追った「炭鉱〈ヤマ〉」で第5回太陽賞を受賞し、写真家としてデビュー。その後もサーカスや上野駅、築地市場などを題材に写真集を出版した。/91年からは、チェルノブイリ原発事故によって放射能汚染の被害にあったベラルーシの地域に通い、地域に暮らす人々の様子も記録してきた。/この地をめぐって95年、写真集「無限抱擁」で日本写真協会年度賞。97年に「ナージャの村」でドキュメンタリー映画を初監督し、02年には「アレクセイと泉」で、第52回ベルリン国際映画祭ベルリナー新聞賞を受賞するなど国内外で高い評価を受けた。/90年に有限会社ポレポレタイムス社(東京都中野区)を設立。同社が03年から運営する映画館「ポレポレ東中野」の立ち上げに関わった。》(朝日新聞・2026/01/05)(ヘッダー写真は「ナージャの村」より)

【日報抄】〈狭い部屋で仲間と夢描いた いつかはこの国目を覚ますと〉。1976年「路地裏の少年」でソロデビューしたシンガー・ソングライターの浜田省吾さんが、今月で活動50年を迎えた。どうですか、浜田さん。半世紀を経て、この国は目覚め、良くなったでしょうか?▼コンサートのチケットを取るのに何度も外れ、悔しい思いをさせられた。弱者の視点から世の中を捉えた多くの歌が、魅力の一つだと思っている▼浜田さんの父親は警察官だった。原爆投下後の広島市内へ救助活動に入り、被爆する。子供の時に、父から聞いた被爆地での体験談は、原爆資料館で見た以上の恐ろしさを浜田さんに与えたという。同じころにキューバ危機が起こり、「その時の恐怖心が、ボクの核戦争に対しての原体験になってる」と語っている(田家秀樹著「陽のあたる場所」)▼原爆や核を取り上げた歌は、被爆2世として訴えたかったテーマなのだろうか。権力者を批判し、〈この星が何処(どこ)へ行こうとしてるのか もう誰にもわからない〉と警鐘を込めた「僕と彼女と週末に」。80年代に作られた歌だが、米国やロシアといった世界の大国の現在の振る舞いを見ると、歌詞のような不安が、現実味を帯びてくる▼戦火はやむことがなく、多くの命が失われ続けている。〈子供は夢見ることを知らない〉とのフレーズが悲しく響く▼「音楽って祈りだと思うよ」と浜田さんは述べている。そうならば、平和への祈り、願いをこれからも歌い続けてほしい。(新潟日報・2026/04/23)

(⁂ 「愛の世代の前に」 (「僕と彼女と週末に」):https://www.youtube.com/watch?v=xJ4zII1m3m0&list=RDxJ4zII1m3m0&start_radio=1

《「愛の世代の前に」は、浪人時代に町支くんに送った歌詞の中にあったフレーズで、“やがて訪れる愛の世代の前に僕らはみんな~”みたいな感じだった。でも、その時は曲として完成せず、“愛の世代の前に”という言葉だけが残ってた。
 俺達が若い頃、世代のキャッチコピーのような感じで“ラブ・ジェネレーション”という言葉があった。“ラブ&ピース”とかね。ウッドストックなどに代表されるヒッピー文化の中から生まれた言葉のひとつ。
 でも、俺は“ラブ・ジェネレーション”、つまり“愛の世代”という言葉にリアルさを感じなかった。人類にとって、原爆が投下される1945年以前の何億年と、それ以降のわずか30数年というのはまったく違う時代で、俺達は一瞬にして人類がきえてしまうという危機と虚無感の中に生きている世代で、その危機と虚無がこの地球上から消えない限り“愛の世代”とは言えない、「俺達は今、愛の世代の前に生きているんだ」と、そういう意味を込めて作った歌です。」》(SHOGO HAMADA OFFICIAL WEB SITE

 (以下は引用する必要があったかどうか。「父は戦前特高警察官、その後は地方警察署に勤務。竹原警察署勤務時代の1945年8月6日、広島市への原爆投下直後に救援隊として広島市に入り二次被爆した。浜田省吾は被爆二世にあたる。」Wikipedia) 

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【筆洗】「タマゴを割らずにオムレツは作れない」。欧米の慣用句という。大きな成果を得るためには犠牲もやむを得ない。そんな意味である▼タマゴをついに割ってしまったか。政府は防衛装備移転三原則などを見直し、殺傷能力のある武器の輸出を原則解禁した。これでミサイルも護衛艦も売れる。戦後の防衛政策の大きな転換である▼政府の説明はこうである。中国の海洋進出など安保環境が厳しさを増す中、同盟国・同志国への武器輸出によって連携強化が必要であり、同時に輸出によって国内防衛産業も育てたい。あの慣用句でいえば日本の平和という「オムレツ」を作るには「タマゴ」を割って武器輸出を解禁せざるを得ないということなのだろう▼それでも、心が落ち着かぬのはこれで本当に「オムレツ」ができるのか、平和に資するのかという疑念が消えぬせいか▼戦後の平和主義を踏まえて武器輸出を控えてきた日本が方針を変えて武器を売るとなれば中国などは反発を強めるだろう。かえって緊張は高まり、むしろ平和から遠ざかることになりはしないか▼戦争にかかわりたくない。紛争を助長したくない。武器輸出の禁止はそう唱えながら長年温めてきたタマゴなのに、さほどの議論もないまま片手でコチン。首相にいわせればこれで日本も「普通の国」に一歩前進したのかもしれぬが、「普通」が正しいとは限るまい。(東京新聞・2026/04/23)

 《「武器」輸出解禁、日本の安保政策は大きな転換点…首相「防衛装備面で支え合うパートナー重要」 政府は21日、防衛装備品の海外輸出に関するルールを定める「防衛装備移転3原則」と運用指針を改定し、殺傷・破壊能力のある武器を原則輸出できるようにした。国内の防衛産業の生産基盤を強化し、有事に戦い続ける継戦能力を高めて抑止力・対処力を向上させる狙いがある。武器輸出を制限してきた日本の安全保障政策は、大きな転換点を迎えた。/高市首相は21日、首相官邸で記者団に対し、「どの国も1か国のみでは自国の平和と安全を守ることはできなくなっている。防衛装備面で互いを支え合うパートナーは重要だ」と述べた。/政府は新たな3原則を閣議決定し、持ち回りの国家安全保障会議(NSC)9大臣会合で運用指針を改定した。近く関係省庁の局長級による枠組みを設け、装備品の輸出に関する政府の司令塔機能を強化する。/新たな3原則は、輸出促進の意義を「同志国が共通の装備品を運用することは相互支援を可能とする」と説明した。防衛産業を強化することは、「有事に必要な継戦能力を支える生産能力を国内で確保する」ことにつながるとも指摘した。》(読売新聞・2026/04/21》

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 順不同に「三つの記事」を並べました。その一つ一つに、訳知り顔をして「注釈」はつけません。つけたくありませんね。

 本橋さんに関してもたくさんの「注釈」や「お礼」の心持はあります。何度「ナージャの村」を見たことか。(その挙句にDVDまで購入しました)「ポレポレ中野」にも通いました。この映像(「ナージャの村」)がぼくにショックを与えた理由が、あまりにも「美しすぎる」ということでした。「地獄に天国」が垣間見えたというのか、天国はまた、地獄の別名であるという本橋さんの「伝言」だったのでしょうか。歩とは資産のお仕事に出会えたこと、その死に際して、お礼と追悼の辞を述べたいと存じます。(合掌)

 それにしても、国家というものは「理不尽」を絵にかいたような暴力行為を働くもの。戦争はその最たるものですけれど、勝手に作られ原発もまた、一皮むけば、際限のない「暴力」を及ぼすものというほかありません。触れてはいけなかった(秘密の箱」をこんなに開けたままで、その始末をどうしようというのでしょうか。文字通りに、使い方を誤れば、人類史上最悪の「殺傷能力のある武器」ではないでしょうか。

 浜田さんに関して、ほとんど知るところがありません。「グラサンのロックシンガー」という印象のみ。せいぜいこの曲を聞きかじっていたことくらいです。《アルバムのタイトルは「地球上から核兵器」が根絶されない限り、本当のラブ・ジェネレーション(愛の世代)は訪れない」という意味が込められている。》(Wikipedia)

 「武器、輸出解禁」という悍(おぞ)ましい物言い。自分たちで禁止にしておいて、「時代が変わった」から「解禁」とは、いかにも国(国家権力)の「理不尽さ」を見事なまでに表しています。「羹に懲りてなますを吹く」(「あつものにこりてなますをふく」)という言い方があります。その意図するところは、以下の通りでしょうか。同じような訓戒として英語では<A burnt child dreads the fire.(火傷した子どもは火をこわがる)>とあります。さすれば、この国の為政者どもは「満州侵略」「朝鮮・台湾の植民地化」「対英米戦争」等々という、言語に絶する「暴力行使」の結果がもたらした、内外の、2千万を超える犠牲者に対して、首(こうべ)を垂れることはないのでしょうか。「靖国の英霊」には礼節を尽くすけれど、他国の犠牲者などは知ったことではないという、驚くべき「振る舞い」に出ていると、ぼくには写ります。そして、今なお、未曽有の犠牲者を生むに至った「蛮行」を忘れているのか、忘れているふりをしているのか。

 多数が蒙(こうむ)った「災禍(大火傷)」を知らない(無知)のでしょうか。それとも、あの程度の「やけど」なんて大したことはないさ、と嘯(うそぶ)いているのでしょうか。両方でしょうねえ。はしなくも「時代は変わった」と宣(のたま)った総理だった。時代は変わったという、では、変わらないままだった「時代」とはいつのことだったか。政治にも「不易流行」はあるでしょうが、勝手に変わるものではない、変えようがないのが、「道徳的正しさ」「人間への優しさ」でしょう。

 「あつものに懲りて膾を吹く/一度の失敗にこりて、必要以上に用心することのたとえ。/[使用例] あつものに懲りて膾を吹くは、株を守って兎を待つと、等しく一様の大律に支配せらる[夏目漱石*虞美人草|1907] [由来] 「楚辞」の一節から。主君をいさめようとして嫌われてしまった、臣下の気持ちをうたった作品の一節に、「羹に懲るる者はあえものを吹く、何ぞの志を変えざるや(吸い物の熱さにこりて、野菜のあえもののような冷たい料理までも吹いてさます者もいるのに、主君をいさめて失敗した自分は、どうして考えを変えようとしないのだろう)」とあります。日本では、この「虀」が「膾(細かく刻んだ生肉)」に変わった形で定着しています。」(故事成語を知る事典)

 この政権が昨秋にできた時から、首相をはじめとした各閣僚たち、あるいは官僚のほとんどが「歴史」に関心がないのか、あるいは全くの無知なのか、(両方に共通する姿勢は「不勉強」というか、怠慢でしょうね)いとも簡単に「日本万歳」を言ってのけます。「中国何するものぞ」という、考えられない「敵意」「敵国視」はどこから生じるのか。ぼくにはよくわからない。たぶん、日本が嘗(かつ)て中国に対して、どのような犠牲を強いてきたか、その歴史事実を知らないのだと、ぼくは以前から思っています。日米戦争だって、日本が無条件降伏(敗戦)したことすら知らないのだと考えると、慄然とし、やがて空恐ろしくなります。でも、その中国を相手に回し(中国の軍拡を理由にして)、あらゆる「軍備増強」「軍事大国化」の正当化を図る、実はそれはこの国がみずから「墓穴」を掘っているのに気がつかないというのですから、開いた口が塞がらない。こんな「無謀」「無恥」な連中を、大手メディアをはじめとして相当数の有権者が、挙(こぞ)って(「女性宰相」を筆頭にして)持ち上げるのは、そのうち、思い切り梯子(はしご)を外すためなんでしょうか。

 今どき、軍事大国化に狂奔するというのは、文字通りに狂気の沙汰(utter madness)ですね。「平和国家」で売り出していたが、どうも人気凋落傾向が止まらない、だったら「軍事国家」で金儲けをしようじゃないかという、見下げた根性だとぼくには思われます。「軍備で平和を!」という、まるで「出刃包丁で髭を剃(そ)る」という、危険でバカ臭い所業でしょう。

 「卵を割らずにオムレツは作れない」とは、さしずめ「オムレツは平和に」、「卵は殺傷道具(武器)」に、なぞらえているというのでしょうか。omelette(omelet)の歴史は古い。日本式オムレツは出来立てほやほや、割った卵にはさまざまな武器が入っていたとする。要するに、表向きは「平和」を装っているけれど、一皮めくれば武器弾薬の類が出てくるわ出てくるわ、これぞ、「日本風オムレット」なのでしょう。誰が食べたいのか。揃いもそろって、人を殺傷するのをこよなく愛するという面々、その大半が「最高学府」出身を鼻にかけているときた日には、俺っち、立つ瀬がありません。野党を含めて、こんなに「好戦的(jingoistic)」は国民だったかと、ぼくは深く疑うものです。夢遊病に罹患しているんだ、きっと。

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