生みの親より育ての親、いのちを育む心

 コラム凡語:蓮田さんの問い

先日亡くなった熊本市の慈恵病院理事長、蓮田太二さんが「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を始めた当時のことを自著「ゆりかごにそっと」に書いている▼さまざまな理由で親が育てられない乳幼児を匿名でも受け入れる。そんな構想を公表すると激しい非難を浴び、「子捨てを助長する」「母親は苦しくても育てるのが当たり前」といった電話が鳴りやまなかったそうだ▼運用開始から今年3月末までの約13年間に預けられた赤ちゃんは155人。今も賛否は分かれるが、予期せぬ妊娠をした女性が孤立出産し、赤ちゃんを遺棄する例が後を絶たない社会の現実がある。無責任と非難するだけでは命を救えないのも確かだろう▼慈恵病院は、妊婦が病院の担当者以外に身元を明かさずに出産できる「内密出産制度」も始めた。自宅などでの危険な孤立出産を防ぐためだ。子どもは特別養子縁組などに託され、成長後に出自を知ることができる▼だがドイツなどに比べると取り組みを支える法整備が進んでいない。全都道府県に1カ所は必要と蓮田さんが言ったゆりかごも、追随施設がないままだ▼全国からの電話相談は年間6千件を超える。捨てられる命をどう救い、社会で育てる仕組みを作るか。実践を通じて、大きな問いかけを続けた人だった。(京都新聞・2020/10/30 16:00 )

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 慈恵病院院長・蓮田太二氏死去 「こうのとりのゆりかご」創設

 親が育てられない赤ちゃんを匿名で預かる国内唯一の施設「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を創設した慈恵病院(熊本市)の理事長兼院長、産婦人科医の蓮田太二(はすだ・たいじ)氏が25日午前11時37分、急性心筋梗塞のため熊本市の病院で死去した。84歳。台湾生まれ。自宅は熊本市西区。葬儀・告別式は近親者で行う。

 熊本大医学部を卒業後、慈恵病院の前身である琵琶崎聖母慈恵病院に着任。1978年に慈恵病院を設立して理事長に就任し、2011年から院長を兼務していた。熊本県内で新生児の遺棄事件が相次いだことなどから、07年5月に「ゆりかご」を全国で初めて開設。20年3月末までに155人が預けられた。/ 父は、同人誌「文藝(ぶんげい)文化」で発行兼編集人を務め、三島由紀夫の作品を世に送り出した国文学者の蓮田善明。(西日本新聞2020/10/26)

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 熊本出身の若い学生が「こうのとりのゆりかご」について、熱心に語ってくれたことがあります。今から十年近く前になるでしょうか。その後、彼女は蓮田病院に赴き、蓮田院長や田尻看護部長から詳細に「赤ちゃんポスト」の創設意図や現状、さらにはこの先の課題などを聞き取り、それを浩瀚な論文にまとめた。ぼくは、それを読みながら、なぜこの問題が大きな課題を抱えているのか、行政の介入(施策の実施)がはかばかしくいかないのはなぜかなどさまざまな視野から考えても足りない、容易ならざる社会問題であることを再認識したのでした。また若い女性が大きな関心を持っていたことに喜びを感じたのも事実でした。

 それまでにも児童養護施設や養護施設出身者への援助、児童虐待への取り組みなど、ささやかすぎるけれどもその志を果たしたいと念じてきたのでした。いまも微力ながらの「貧者の一灯」はかすかな炎をぼくの胸中ではともしつづけています。「捨て子」「子殺し」「間引き」など、この島における幼児や児童の悲しすぎる運命についてはたくさんの資料文献が残されています。それなりにぼくは読んできました。悲惨で悲運な幼児や児童を皆無にすることは不可能に思えてきますが、だからこそ、蓮田院長のような具体的な取り組みが何よりも尊重される必要があるのでしょう。犠牲の心を持たなければならない、それを必要とする奉仕でしょう。

 「あかちゃんポスト」については、創設以来、延々と批判や非難が続いていると伺っています。でも、非難や中傷から赤ちゃんの「いのち」はただの一人も救われないのは明らかです。この問題は、政治の真ん中に据えられることはまずないのであって、善意の志によって細々と手が差し伸べてられるばかりであり、その手からいまもなお、零れ落ちる「いのち」があるのです。二十世紀は「児童の世紀」と言ったのはエレン・ケイ(左写真)でしたが、二十一世紀もまた「子どもの世紀」であり続けなければならない。

●エレン・ケイ(Ellen Karolina Sofia Key)1849 – 1926 スウェーデンの思想家,教育家。スモーランド州生まれ。名門の生まれで、開明的な政治家である父の影響を受けて育つ。スウェーデンの経済構造の急激な変化のなかで、婦人と子供の生活に関心を持ち、教育論、結婚論、婦人運動論を展開。主著児童世紀」(1900年)は各国語に翻訳され、児童中心主義思想や新教育運動のバイブル的存在となる。母性を重視した「恋愛と結婚」(’03年)は日本の女性運動家、平塚らいてう等に大きな影響を与える。(20世紀西洋人名事典

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 「赤ちゃんポスト」という言葉が先行していますが、私どものネーミングは初めから「こうのとりのゆりかご」でした。そして将来は「ゆりかご」の要らない社会を目指しています。
 今はただ「ゆりかご」を縁にして巣立っていく子供達が幸せであるようにと願ってやみません。そして、沢山の人々の善意と希望を集めて巣立っていく子供たちが、きっと日本の未来を支える力強くたくましい人材に育ってくれることを信じています。
 皆さん、この子供達を私たちの社会の子としてあたたかく受け入れ、育てていこうではありませんか。(「“こうのとりゆりかご”をつくった慈恵病院 蓮田 太二 院長のインタビュー」 2007年12月13日)(http://spdy.jp/news/s7451/)

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(今回は別のテーマを用意していたのですが、気になり続けていたこの問題に触れました。霜月の朔日、ますます寒くなる朝に、子どもたちの「元気と勇気」を奮い立たせるような贈り物(天恵にも似たプレゼントがあったらなあ)があることを祈るばかりですし、親しくつきあっていた何人もの若い人たちが「福祉の現場」で懸命に尽力されている姿を、老いぼれ応援団員として支えられるかどうか、自らを危ぶみながら、わずかばかりの心を届けたいと、朝に祈る)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。