「余得にあずかる」、それは稀有なことだ

 百人一首の選者である藤(ふじ)原(わらの)定家(さだいえ)の日記「明月記」は、超新星爆発をはじめ世界的にも貴重な天文記録があることで知られる。その定家は治承4(1180)年9月に、京で巨大な火球を目撃して記録している▲「夜半ばのころ、天中に光り物が現れた。大きさは、鞠(まり)のほどか。色は燃えるようで、躍るように南西から北東へ飛び、しばらくすると炉を打ち破ったように破裂した。火は空中に散って消えたが、もしや大流星か。驚き怪しんだ」▲先日の未明、東海から近畿、四国の広い範囲で映像にとらえられた火球とよく似た描写である。今回の火球は燃え上がって破裂した瞬間に空全体を明るく照らし出した。専門家によれば、満月と同じ程度の明るさだったと推定される▲振り返れば、今年7月には関東や東海で大火球が目撃された後、千葉県習志野(ならしの)市などで火球のものと思われる隕石(いんせき)の破片が発見された。火球の目撃と隕石本体の発見が同時になされたのは国内初というから、今年は火球の当たり年か▲習志野隕石もそうだが、隕石はその多くが太陽系誕生当時の様子を伝えるタイムカプセルだといわれる。そういえば、この6日未明には「はやぶさ2」が太陽系の成り立ちを伝える小惑星の砂を地球に送り届ける予定にもなっている▲目前のコロナ禍に追われる今年だが、空気の冷たく澄んだ夜には視線を遠く星空に放ってはどうだろうか。私たちはどこから来てどこへ行くのか。次々にやってくる「宇宙からの便り」がそう考えさせてくれる。(毎日新聞・2020/12/02)

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 ときどき、気が向いたら「余録」氏を引きあいに出してはなにかと文句を言い募ったり、なるほど「そうだったか」と納得させられることがあります。これは、変わらない生活の中の「余録」だといえるかもしれません。何気なしに使っている「余録」という語、改めて考えるほどのものでもありませんが、はて、どんな意味があるのかと、「字引き」にカーソルを合わせます。これぞ「辞書」という見本のような説明があります。「「余得」に同じ。「余禄の多い仕事」」というのは毎度世話になっているデジタル大辞泉。では「余得」とはと尋ねると、「余分の利得余禄。「余得にあずかる」「給料以外に余得がある」」とあります。何ですか、これ。

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 じゃあ、毎日新聞の「名物コラム」は、どんな語として使われてきたのですか。ぼくにはよくわからない。「余分の利得」からの「余得」では同語反復で、たんに略しただけでしょ。(ある辞書で「右」を引いたら「左」でないこととありました。これで金をとって売ってるんですからね)このコラムは「新聞代」以上に得をしたというので「余録」なのか。あるいは余り(残り)ものに福があるという「余録」なのか。大辞泉は言っています、「人が取り残したものや最後に残ったものの中には、意外によいものがある。」と。こんなところでしょうか。「意外によいもの」というのはめったにないといえますね。だから「余録を授かる」「余得にあずから」というんでしょうか。まるで「神頼み」です。

 つまらぬ詮索は横において、さて「明月記」です。奇遇と言えばそうですが、ぼくはこの「コラム」を見逃して脇で「定家」を書こうとして「前置き」を記したのが昨日です。新聞記者でも編集者でもありませんから、単なる偶然と、ひとりほくそ笑むという程度の事でした。「空気の冷たく澄んだ夜には視線を遠く星空に放ってはどうだろうか。私たちはどこから来てどこへ行くのか。次々にやってくる「宇宙からの便り」がそう考えさせてくれる。」というコラム氏の思索へのいざないが、あるいは読者にとっても「余録」なのかもしれないですね。本年はコロナばかりではない、たしかに「隕石」の当たり年のようなめぐり合わせです。

 しばらく前には「火星が地球に接近します」という「国立天文台」発の記事も出ていました。

(夜空で赤く輝く火星は、地球の一つ外側を公転している惑星です。火星は直径が地球の半分ほどしかなく、地球から遠い位置にあるときには、望遠鏡を使っても表面の様子をなかなか観察することができません。しかし、火星はおよそ2年2カ月ごとに地球に接近し、観察の好機を迎えます。その観望の好機が2020年の秋に訪れます。2020年の秋は、赤く輝く火星に注目しましょう。)

 《 今回の火星と地球の最接近は、2020年10月6日に起こります。このときの火星と地球の間の距離は約6207万キロメートル。最接近の頃の火星はマイナス2.6等の明るさで輝き、視直径は約22.6秒角です。/ 2018年の最接近の際には、地球と火星は約5759万キロメートルまで接近するいわゆる「大接近」となり、大きな話題になりました。2018年の最接近には及ばないものの、今回の最接近時の火星の視直径は20秒角を超え、明るさもマイナス2等を超え、見ごたえは十分です。/「最接近」と聞くと、その日にちや時刻ばかりを気にしてしまいがちです。しかし、火星は2020年9月上旬から11月初旬までマイナス2等以上の明るさを保ち、観察しやすい時期が長く続きます》(https://www.nao.ac.jp/astro/feature/mars2020/)

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 「見上げてごらん 夜の星を」と謳ったのは坂本九さん。悪乗りしているのが「N@K」という政府広報(みたいな)テレビです。「NHKでは、この冬「#見上げてごらん」をキャッチフレーズに新型コロナウイルスと向き合う人、新しい生活の中で頑張る人を応援します。コロナ禍に負けず気持ちが上向きになる写真を大募集!「希望」「感謝」「しあわせ」を感じる写真を、エピソードとともにお寄せください。」(https://www.nhk.or.jp/shutoken/yokohama/miagetegoran/)

 他人の「フン✖シ」で相撲を取るの類で、自分は何をしているんですか。もっと、知恵と金をだなさなけりゃ。「みなさまの…」が泣きますよ、いやもうとっくに泣いています。

 さらに、時節柄「歳末助け合い募金」です。「「NHK歳末たすけあい」は、共同募金会を通じて、国内の福祉施設やコロナ禍で不安を抱える方など、支援を必要とする方々のために役立てられます。「NHK海外たすけあい」は、日本赤十字社を通じて、世界各地の紛争や自然災害、感染症などに苦しむ人々のために役立てられます。」(https://www.nhk.or.jp/event/tasukeai/)と、これも恒例行事です。「みなさまの…」はこのように言いますが、それ以上に、他人に求めるばかりではなく、なぜ「自分から寄付」しないのかと、何時も疑問に思い、不信をいだいています。きっと「俺たちの…」というのが本音でしょ。ぼくはテレビを見ないけど、かみさんがファン(しょうもない)で、「見物代」を払っているから、文句の一つも言いたくなるのです。

 ここでぼくには驚愕するような妄想が浮かびました。募金します、寄付します、というのは「庶民」だとすると、じゃ「みなさまの…」はどういう役回りですか、まさかD通みたいに「中抜き」なんか、と。(「みなさまの」会社も新聞社Aも「仮の本業」は不振でも、「別の本業」(不動産業)は盛業だそうです)

 つまらない寝言(ではないかもしれない)をいっているうちに、「定家」が消えてしまいました。火の玉になって、何かに衝突したか、あるいは「鎌倉の世」に飛び散ったか。ぼくは、これから「定家の破片」を見つけなければならないようです。

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)