Democracy Dies in Darkness

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 春秋 「民主主義は暗闇の中で死ぬ」。米紙ワシントン・ポストが1面題字下に掲げているスローガンだ。事実に基づいた米映画「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」(30日公開)を見れば、その意味がよく分かる▼ベトナム戦争のさなか、ポスト紙などが国防総省の最高機密文書を入手する。そこには、戦争に関して政府が何度も国民や議会に虚偽の報告をした事実が記されていた▼政府は「国家の安全を脅かす」として新聞記事の差し止めを求め、なりふり構わぬ圧力をかけてきた。記者たちは、勝てないと知りながら若者を戦場に送った歴代政権への怒りや、報道の自由を守る使命感から、偽りを暴く決意を固める…▼民主国家では、国民に負託された権力がいかに行使されたかは公文書に記録され、適切に開示されねばならない。権力に都合の悪いことは闇に葬られるならば、それは民主主義の死を意味する。真実を闇から白日の下に引きずり出すのが報道の責務だ▼それにしても、絶妙のタイミングでの映画公開である。米国では都合の悪い報道を「うそニュース」と呼ぶ大統領がやりたい放題。日本では国民の知る権利のよりどころである公文書を官僚が改ざん。むしろこちらの方がたちが悪いか▼言論封殺やうそには徹底的な取材で対抗するしかない。映画の中に私たちが胸に刻むべき言葉が。「報道の自由を守る方法はただ一つ、報道することだ」=2018/03/22付 西日本新聞朝刊=

 ワシントンポスト紙がこのスローガンを掲げたのは2017年2月の事でした。以来、今もなお掲示されてきています。この間の経緯にはいろんなことがあったのですが、それは省略します。経営母体は代わり、現在はアマゾンのベゾフ氏がオーナーである。もちろん、この標語はポスト紙の歴史上初めての事だったとされており、なぜそれが掲げられるようになったかについても、いろいろな観測がなされました。ポスト紙と言えば「ウォーターゲート事件」で時の大統領と対峙し、遂には辞任にまで追い込んだことがよく知られています。あるいは、今回の大統領選挙においては、現職大統領がWP紙を「フェイク新聞」と攻撃したことが特筆されました。この標語が掲げられたのは、現大統領の就任一か月後の事だった。

  新聞の現在、それは太平洋を隔てた両国において、似ている部分もあるし、異なるところもあるのは当然ですが、概して新聞が相対的な力を失っているのは否定できそうにありません。しかし「権力」にニジリ寄るという退廃はどちらにもあるのでしょうが、ぼくは、この島社会の新聞の罪はとてつもなく深いと感じています。誤報ではなく、虚報を堂々と掲載する新聞が大きな顔をしていられるのはどうしてでしょうか。新聞の再生は民主主義の再生と軌を一にしています。ということは「民主主義の死」は「新聞の死」と同義であるということですし、どちらかの甦りは一方だけでなし得ないのは言うまでもありません。

 新聞のない政府と政府のない新聞、どちらを選ぶかという選択をこの社会は迫られてこなかった。さらに言えば、そもそも政府も新聞も存在したことはなかったのではないか、そんな恐ろしいことまでぼくは考えてしまうのです。批判の許されない「政治」は、やがて自壊する運命にあるのですが、政治そのものに、その運命を自覚する(認識する)感覚はない。敵を警戒するにも、その「敵」が存在しないのですから、それほど面倒な事態はないことになるのです。ぼくたちの社会はその道を歩んでいるのでしょうか。視界が開けないままで、この島はきっと絶壁を「進一歩」、その清児輪にいるようにぼくは見ているのです。

 「民主主義は暗闇で死ぬ」という以上に、この島では白昼堂々と、陽光の下で死んでいく(いる)のでしょうか。

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