猫の子のちょつと押える木の葉かな(一茶)

【小社会】柿と立冬 柿というのは不思議と引かれる果物である。先日も梨を目当てに高知市内の直販所を訪れたら、袋入りのつややかな柿がずらりと並んでいて、気付くと2袋も買い求めていた。▲甘さや食感の魅力はもちろん、秋の深まりを感じさせる、あの色に誘われる。加えて、たくさんの実りが、穏やかに年の瀬に向かう世の中を物語っているかのようで、手に取ってしまう。▲日本人にとって柿は古くから身近な果物であり、物語や俳句などにも登場してきた。専門家によると、中国や朝鮮半島などでも栽培されているが、もともとは渋柿ばかりだったらしい。甘柿は「もっぱら日本において生まれ、発達した」(今井敬潤著「柿」)というから、日本人の柿へのこだわりようが分かる。▲僧侶で作家の今東光が随筆に書き残している。故郷の青森でリンゴがたわわに実った光景より、岩手の中尊寺近くで「渋柿を枝いっぱいにつけて捨て置かれている風景の方に感銘を受けるのは何故(なぜ)だろうか」と。やはり柿には日本人の心をつかむ何かがあるのだろう。▲直販所の帰り道に、民家の庭に実が一つだけ残された柿の木を見つけた。来年もよく実るようにと願いを込めて残した「木守柿(きもりがき)」に違いない。これも平和の光景である。〈富士見ゆる村の寧(やす)しや木守柿〉角川源義。▲柿は秋の季語だが、晩秋を過ぎても残される木守柿は冬の季語に当たるとか。きょうは立冬。暦はもう冬を迎えた。◆11月7日のこよみ。旧暦の10月14日に当たります。きのえ ね 六白 大安。日の出は6時30分、日の入りは17時09分。月の出は16時30分、月の入りは4時57分、月齢は12.7です。潮は大潮で、満潮は高知港標準で5時11分、潮位181センチと、17時05分、潮位187センチです。干潮は11時06分、潮位62センチと、23時27分、潮位23センチです。(高知新聞・2022/11/07)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

 柿の木の記憶はずいぶん古い。田舎(能登)の風景の一要素となっている感があります。どんな家の入口(庭先)にも植えられていたと思う。また、その木に登って、柿をもいだこともはっきりと覚えています。庭先になっている柿の実を食べたことはもちろんですが、「干し柿」もまた大好物だった。甘いものがふんだんになく、砂糖などはまだ高価なものだったから、ことさらに干し柿の「甘さ」は、ぼくの記憶に刷り込まれているのでしょう。何れにしろ、柿はこの社会の大切な栄養源として重宝されてきた。その栄養素を列記したくなるほど豊富であり、またいろいろな病気の予防にも鳴る、じつに身近な健康食品でした。「渋柿や渋そのままの甘さかな」と、半世紀前に、ぼくは一人の神父さんから、この句を聞いた。よく耳にしますが、作者不詳、まるで法隆寺のようではありませんか。いまでも、浄土真宗などでは盛んに「お説教」の種にされている。

 コラム氏の記事で引用されている「富士見ゆる村の寧(やす)しや木守柿」の作者は、どこかで触れていますが、角川書店の創業者で、五輪で問題になった歴彦さんの父親です。富山出身でした。この句の「木守柿」は今でもあちこちに見られます。一説にはカラスやヒヨドリなどの食用に残しているとも言われます。風情がありますね。つい先程(十一時頃、税金を取られに、わざわざ役場まで行った。街道筋の街路樹は珍しく、とりどりに「紅葉」「黄葉」していました。柿の木を見回したのですが、走行中でもあり、見つけられませんでした)ぼくの脳細胞のファイルにはたくさんの満開(?)の柿の木と木守柿の風景がストックされています。これを解凍できればいいのですが、まだそこまで、開発は進んでいないのが残念。でも、「秘すれば花」というように、自分ひとりの記憶のアルバムに貼はられているのも、なんだか「冬至」にふさわしい気もします。

 冬至といえば、「冬至湯(ゆず湯)」です。わが庭には、柿の木はないが、柚子の木があります。古木でありながら、毎年たくさんの実(百個どころではない)をつける。どうしてだか、これまで一度も、この柚子を使って沸かした「ゆず湯」に入ったことがありません。本日は、心がけを入れ替えて、たくさんの柚子を入れて「ゆったり」したくなりました。庭は殺風景で、この数年来、いい柿の木を植えようと算段はしているのです。しかし、なかなかお気に入りが見つからないまま年月が過ぎている。「桃栗三年柿八年、柚子の大馬鹿十三年」と実をつけるまでの年月を謳った(囃した)ものですが、栗も柿もないのが寂しいと、つくづく感じるのですから、この島の田舎風景に欠かせない樹木に思いが寄せられるのは、やはりぼくの「記憶の誕生地」(能登中島)に縁(ゆかり)があるからでしょうか。(左上は「(筆柿の)木守柿」)  

● きもり‐がき【木守柿】=来年もよく実るようにとのまじないで、木の先端に一つ二つ取り残しておく柿の実。こもりがき。きまもりがき。《 冬》(デジタル大辞泉)                                                                                                                                          

● ゆず‐ゆ【×柚湯】1冬至の日、ユズの実を入れて沸かす風呂。ひび・あかぎれを治し、また、風邪の予防になるという。冬至湯。《 冬》「―すや(きず)を加へし胸抱いて/波今日郷」 ユズを砂糖煮にし、その香りのついた砂糖湯を熱湯で薄めた飲み物。(デジタル大辞泉)  

・雨音やひとりの柚子湯愉しめば (安田 晃子) ・存念やこの身大事と柚子湯して (宇多喜代子)  

・柚子湯出てまた人の世のひとりなり (梅澤よ志子) ・古びゆくいのち柚子湯に沈めをり (杉山 岳陽)                   

(毎日新聞 2016/12/21 11:28)

_________________________________________

投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。どこまでも、躓き通しのままに生きている。(2023/05/24)