男と女の世界はいま…

 …ひとが男であるか、それとも女であるかということは、人が雄性であるか、それとも雌性であるかということとは、まったく別のことなのである。ジェンダーとは、いうなれば、ひとが四角形であるか円であるかのどちらかを意味するようなものであるが、これとちがって性役割というのは、他の種々な役割がその上に作られる土台に似ている。たとえば人によっては、自分の皮膚が、あたかも女性用または男性用の下着として選べるものであるかのように、それを身体につけて、外皮と可塑性をそなえた自分自身を皮下に感じる人がいる。また人によっては、自分の性役割を、両親からジェンダー不在の性の衝動を押しつけられたコルセットのようなものとみなす。これこそ、自分たちがユニフォームやドレスをその上に重ねて、それを変えたり、時として捨てたりすることのできる土台にほかならないというわけだ。ヴァナキュラーなものとして、ひとは生まれ、そして育って、男となり女となる。これにたいし性役割は、後天的に獲得されたものである。〈割り当てられた〉性役割や教えられた母語にたいして、ひとは親や社会を非難することはできるけれども、ヴァナキュラーな話しことばやジェンダーについては、文句をいうすべはなにもないのである。(イリイチ『ジェンダー 男と女の世界』)

(*vernacular 【@】バーナキュラー、【変化】《複》vernaculars.【形】(言語が)自国の、自国語の、その土地特有の、自国語で表された[書かれた]、現地語で表された[書かれた]【名】土地の言葉、方言 1.その土地特有の,(言語が)自国の,自国語(現地語)で表された, 2.母国語(one’s native language))

 ジェンダー論は、一時の勢いを失ったように見えますが、時にはかなり活発に、あるいは異常に興奮した雰囲気の中で議論されることもあるようです。イリイチの本は1982年に書かれたもので、このテーマに関しては比較的早い段階の登場でした。そんなことよりも、彼がとらえようとした「ジェンダー」が独特の理解に基づいているということのほうが、ぼくにとっては興味を引くところです。カギになるのは「ヴァナキュラー」という概念ですね。

 通常は「生物学的性別・性差」をセックス(sex)とするのに対して、社会的・文化的な脈絡のなかで「作られた性別・性差」をジェンダー(gender)と理解しています。それ自体はとりたててどうということのない話で、問題はその先にあることになります。ジェンダー論もけっして一筋縄ではいかないようです。

 刊行時にも大いに誤解され、あるいは批判されたイリイチの『ジェンダー』をいま改めて読みなおすのはいかがでしょうか。けっして無意味じゃないどころか、むしろ人間の社会史・生活史において「男と女」はどのような関係を結んできたのか、これからいかなる関係を結ぶことになるのかを再考するいい機会だと思うほどです。

 「ジェンダーとは実体=実在的なものである。この概念は、経済的中性者としてのセックスには当てはまらない。中性者の視座からすると、性(セックス)は、二次的な一属性、一個人の特性、人間的存在の形容的=非実在的特性、である」

 「たいていの人は、性役割を変更のしにくいものと考えている。だから女性は、自分たちが性役割を抑圧的なかたちで押しつけられているものと心得ている。だがそれを好もうと好むまいと、ある性役割をもつということはーそれが受けいれられたものであれ強制されたものであれー、あるジェンダーに所属するということ以外の何かを意味するのである」(同上)

 さらに腰を据えて、このジェンダー論を考察する必要がありますが、残念ながら、ぼくには少しばかり時間が足りません。この季節は「タケノコ」の収穫?期で、老齢にはなかなか骨折りです。すでに何日かはそれに充てたりしたのですが、まだまだ残されています。つまりは竹藪の整理をしておかなければ後で大変な目に合うというのです。また、雨が降る、やたらに成長する。少しでも手間を省くと雑草のなかに拙宅は囲まれて、あるいは埋まってしまう。という具合で、時には「竹取の翁」であり、また時には「草刈りマサオ」の役割がぼくに課せられます。これは「ジェンダー」か、男だからしなければと、思われているのか。

*https://japan.unwomen.org/ja/news-and-events/news/2018/9/definition-gender

「ジェンダー(Gender):ジェンダーとは、男性・女性であることに基づき定められた社会的属性や機会、女性と男性、女児と男児の間における関係性、さらに女性間、男性間における相互関係を意味します。こういった社会的属性や機会、関係性は社会的に構築され、社会化される過程(socialization process)において学習されるものです。これらは時代や背景に特有であり、変化しうるものです。

また、ジェンダーは一定の背景において女性・または男性として期待され、許容され、評価されることを決定します。殆どの社会では、課せられる責任や負うべき活動、資金・資源へのアクセスと支配、意思決定の機会において、女性と男性の間に違いや不平等が存在します。ジェンダーはより広範な社会・文化的背景の一部でもあります。社会・文化を分析する上で(ジェンダー以外の)他の重要な基準として、階級や人種、貧困レベル、民族や年齢などがあります」(UNWOMEN 日本事務所の HPより)

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dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。