ぼくだけは / ぜったいにしなない / なぜならば

  【正平調】〈ぼくは/しぬかもしれない〉。12歳で自死した少年は手帳に詩を残していた。〈でもぼくはしねない/いやしなないんだ/ぼくだけは/ぜったいにしなない…〉。詩はそう続いていく◆早世の人、岡真史(まさふみ)さんの詩集「ぼくは12歳」に収められている。解釈はさまざまだろうが、「ぼくはしなない」と題された詩を何度も読み返し胸に聞こえてきたのは、僕はもっと生きたい、という心の声だった◆45年前に出版された詩集には母の手記もある。夢に出てきたわが子を思いきり抱きしめ、問うたそうだ。「何がそんなに辛(つら)かったの? パパにも、ママにも言えなかったの?」。息子は笑うばかりだったという◆415という数字が辛く、重い。2020年度に自殺した小中高生の命の数である。文部科学省の調査で前年度より98人も増えた。過去最多の数字の向こうに、どれだけの苦悩と周囲の慟哭(どうこく)があったか知れない◆背景にコロナ禍が挙げられる。ささくれ立つ大人社会の息苦しさに多感な心がまいったのか。休校で居場所を失い、孤立を深めたのか。確実に言えることはただ一つ、みんな生きたかった、そのことに違いない◆子どもたちの命を守るために社会はあり、政治がある。国の未来を語る選挙戦だからこそ、その策を問う。(神戸新聞・2021/10/20)

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 「生の肯定」を無条件にぼくたちは認めているように、「死を否定」する傾向は多くの人々に共通してみられることだろうか。しかし、どんなに「生を肯定」していても、寿命が尽きる(これは、何をもってそういうのか、簡単ではありません)と死ぬし、尽きなくても「死」を選ぶことがあります。「自殺」とか「自死」という表現で言われるのがそれです。ぼくは、何かの根拠があって「「自殺はいけない」ということはできないし、「生まれたからには、可能な限りで生きていく」という程度のことしか言えません。若い頃に、「生きていても仕方がないでしょう」「人生に意味なんかありますか」と問われて、返答に窮したことをありありと覚えています。白昼堂々と「問われた」にしては、いかにも情けないことしか言えませんでした。あるいは、まことに不用意・迂闊であったということでしょう。無防備で立ち往生したという格好だったから。

 人生に意味を求めるのは間違いではない。でもその「意味」を深く考えると、じつは途中で消えていくような感覚に襲われるのも事実です。なぜなら、生まれてくるという決定や選択に、当事者は関与していません。「生んでくれと、頼んだ覚えはない」と、しばしばいうのはその通りです。あるいは、こんな時代や社会に「どうか、生んでくれるな」という権利もなかった。「生命与奪の権」というものは、生まれてくる当事者には与えられていないのです。そもそも「生まれる」という過程、あるいは「わたしは生まれた」というのは<to be born><I was born>ですから、受け身です。自分が「自分を生むこと」はできない。だから、「生を与えられた」からには、「与えられた生(貰った命)」を粗末にしないという理屈は、一応は通ります。

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 そもそも、人生に意味があるかどうか、そのような問いに明らかな答えはないと、ぼくは考えています。「生まれた」から「生きるのだ」というのは、同語反復で、何かを言っているのではないでしょう。岡真史君の「ぼくはしなない」は、それを言っているように、ぼくには読めた。「死ぬかもしれない」というのは「自殺するかも」ではなく、「何か(病気や事故など)の理由で、あるいは寿命が来て、死ぬことはあるだろう」というのだ。でも、自分からは「死を選ぶことはしない」「ぼくは じぶんじしんだから」というのは、「ぼく」という存在だけは「ぜったいにしなない」という、ぼくはいつまでも(永遠に)ぼくなんだということでしょう。「ぼくは滅びない」ということ、肉体ではない「ぼく(という精神)」。言葉の遊びではないつもりです。「ぼく」は「じぶんじしん」というものと一体になっている。

 これは、真史さんの「詩」の解釈でも説明でもない。ぼくの、一種の、偏向した「直観」にしかすぎません。この詩集が公刊された時にも、どれだけ「ぼくはしなない」を読んだか。それで分かったことは何だったか。変な言い方ですが、病気や事故やその他の理由で、外から死がもたらされるかもしれない。しかし「生きているぼくは、死なない」ということでした。「何がそんなに辛(つら)かったの? パパにも、ママにも言えなかったの?」と、夢の中で母は問いただすが、答えない。「笑うばかりだった」と。「苦しいから、つらいから死ぬ」ということはありますでしょう。多くはそのような理由で「死を選ぶ」とも言われます。ぼくにはそうであるともそうでないとも、どちらとも言えません。「死もまた、その人の人生」なんだろうというばかりです。他人の解釈を許さないものが、そこにはあります。

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  人それぞれの「生と死」がある。「生と死」というけれど、それは二つの事柄ではなく、一つの全体(「人生」と言い、「生涯」という)を、見る角度によって言い表わしたものに付けられた、二つの異なった名称だと思う。それを前から見ると、「生」と言い、後ろから見ると「死」と言ってみるように。「生死一如」が実態です。ぼくたちは「生」は大事だけども、それに比べて「死」はできるだけ遠ざけたいと考えているようにも見える。本当にそうだろうか。生と死は一枚の紙の「表裏」のようなものです。だから、いつだって、「裏」を返せば、別の面を見ることはできる。でも、ひたすら「表(片面)」しか見ようとしないのです。何かの折に、「裏」にも自分があることを知る。「裏」があることを知って、はじめて自分がつかめるということかもしれません。それが「ぼくじしん」です。

 つまらないことを言っていると、自分でも気が付いています。少し角度を変えてみましょう。

 後生大事という。それはどういうことだろうか。「後生の安楽をいちずに願うこと。 物事を大切にすること。(デジタル大辞典)また、生きているうちが華とか、命あっての物種とも言います。「命があって初めて何事もなし得る、命がなくなればおしまいだの意。命は物種」(精選版日本国語大辞典)生きていることが大事で、死んだらお終いという感覚は、誰にも実感としてある。<You will gain nothing if you die.>「生きていてこそいい時もあるので、死んでしまえば、万事おしまいである。死んで花実が生(な)るものか」(デジタル大辞泉)ここで言われている「いい時もある」とか「花実」とは、それはいったい何かと問われると、答えに窮するのです。「おいしいものが食える」「人から評価される」「楽しい人生が送れる」「有名になれる」「勲章がもらえる」などというけれど、すべては、他人任せです、自分はそれに対して受け身。そんなものが「いい時」であり、「花実」なんですか、と逆に問い返される始末です。そのすべてを否定してもなお、何が残るか。

 「生きる価値」とか「生きる意味」というのは、「人生」に備わっているのかどうか。生まれたときに「価値や意味」が加えられているのか。価値や意味は、何処にあるのか、誰が決めるのか。ある人の人生には価値があり、別の人の生き方には価値がないとでもいうのでしょうか。あの人の「生き方」には価値があるというけれど、あんな人生なんて無意味だともいうけれど、それは好みで言われるだけでしょ。ぼくたちが「いい悪い」という限界とか範囲を超えて、なお残るものがあるか、あるとすれば、それが「意味・価値」ですが、それはぼくたちの手には届かないものかもしれない。

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● 高史明 (コ-サミョン)1932- =昭和後期-平成時代の小説家。昭和7年1月17日山口県生まれ。在日朝鮮人2世。15歳の時から各種の仕事につく。日本共産党にはいるが,のち民族問題のために離党。昭和46年この時の葛藤(かっとう)を「夜がときの歩みを暗くするとき」にえがく。50年自伝的エッセイ「生きることの意味」で日本児童文学者協会賞。本名は金天三(キム-チヨンサム)。著作はほかに「歎異抄のこころ」など(デジタル版日本人名大辞典+Plus)

● 岡 百合子(おか ゆりこ)=朝鮮史研究会会員1931年東京都生まれ。お茶の水女子大学史学科卒業。1954年から86年まで、東京都の公立中学と高校の社会科教師をつとめる。夫は作家の高史明氏。歴史教育者協議会会員。著書に『中・高校生のための朝鮮・韓国の歴史』(平凡社ライブラリー)、『白い道をゆく旅―私の戦後史』(人文書院)、『いのちの行方』(高史明氏共著、径書房)、『市民がつくる日本・コリア交流の歴史』(共編著、高麗博物館)など多数。また、『アンジャリ』第4号に「朝鮮史と日本史を貫くもの」(親鸞仏教センター)を執筆いただいている。(親鸞仏教センターHPから:http://www.shinran-bc.higashihonganji.or.jp/report/report02_bn18.html)

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 ことばが通用しない、ことばが空回りするような、そんな「試練」(trial・challenge・test)ということ。ことばで動かすことが出来ない状況というものがあります。「やってみる」という経験の尊重。あまり大きなことではない。しかも小さな子どもにも大事な問題だと、ぼくは考えている。例えば「自転車に乗る」「泳げるようになる」「逆上がりができる」などというものは、ことばで教えることは不可能ではないけれど、じゅうぶんに成功することはむずかしいでしょう。あるいはもっと初歩の段階で、「自分の足で歩く」「言葉を話す」これを身に得るには、実際に子どもが身体を使って「練習する」しか方法はないのです。これを「体得」と言いますね。あるは「体で覚える」です。ぼくは、常々不審にも思いはがゆい思いをしているのは、殆んどの学校における大半の授業は、本を読んで覚える、先生の板書っしたものを写して覚える。あるいは出された問題用紙に答えを書く、そんな試験もほとんど「暗記」が前提になっています。覚えていなければ、通用しない世界が学校です。「学習」「自習」「練習」などと、一応は言います。でもそのほとんどでは「暗記」「覚える」が要求されるばかりです。いったいどんな場面で、こどもたちは「考える働き」を訓練するんですか。

 体得・感得・習得・会得・修得・獲得・味読などなど、いずれも身をもっておのれのものにするということを表わしています。このような経験がとみに欠如しているのが「学校教育」ではないでしょうか。おなじような意味合いで、習熟・成熟・熟達・熟練など、いずれも時間の長さに比例するかのようにある種の技を自分のものにすることを意味しています。このような体験が、どういうわけか、学校ではいちじるしく欠けています。子どもが打ち込むことができるもの、それに打ち込む経験が子どもを成長させてくれる、なぜこういうプログラムが生まれないのでしょうか。できない理由は腐るほどあるのでしょうが、逆に言えば、現実には、じつに安易に「授業」「教授」というものが受け入れられているかがわかるのです。

 子どもが「自死する」理由は、さまざまであり、どれ一つとして同じものがないでしょう。おそらくそうです。だから、子どもが死なないための方法も、一人一人の子どもに向きあ合うことからしか生まれてこないかもしれません。子どもはひとりで生きているわけではありませんから、親や家庭の問題も大きくかかわってきます。しかし子ども自身が「生きている」という感覚が「難しいけれど、愉しい」「できるようになったら、もっとできるようになりたい」と自らの成長を内面からも実感できるような、そんな体験や経験を通して得られるように、ぼくたちはひとりひとりの子どもの前に、そのことを可能にする課題を提示しなければならないでしょう。「確実に言えることはただ一つ、みんな生きたかった、そのことに違いない」というコラム氏の言やよし。確かにその通り、ぼくも同感します。だから政治が、ではなく、だから大人がでもなく、一人の子どもの存在の確かさを、我(子ども自身)も人(教師もクラスの仲間も、親たちも)も感得できる、そんな教育をこそ、子どもだけのためにではなく、親も教師も含めて作り上げるために、なすべきことが手つかずで放置されてきたんじゃないですか。

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 上の文章は、真史君と同年だった、12歳の六年生の作文「僕の夢」と題されたものです。これだけ早い時期から「打ち込める」ものがあるというのは、今では貴重なものであり、それだけしあわせな時間を送っているとも言えます。「僕の夢は一流のプロ野球選手になること」だと、言いきっています。それが単なる夢ではなかったことは多くの方が知っているとおりです。「巨人の星」がここにいます。この星はひとりで輝けるようになったのではありません。しかも、誰もが「一流になれる」のではない。言うまでもなく「野球」ばかりに焦点が当てられるのもおかしい。どんなものにしろ、この「夢」を持つ、育てる、自分で獲得する、その修業・訓練・練習が学校教育に欠けているにもかかわらず、一人を育てるのにどうしても必要な方法です。自得(体得・修得・会得)する、なにかを見出すための学校教育を、ぼくは待望するのです。そのためには、「読んで覚えて終わり」「聞いて覚えて終わり」「写して覚えて終わり」という、味もそっけもない教室は壊さなければならないんじゃないですか。

 一流はいい、二流もいい、三流だっていいさ。でも、誰とも比べられない、自分流もいいものだと納得できる、そんな時間を子どもが過ごすためプログラムを、子どもたちそれぞれに準備したいな。その作業場になるのが教室だ。椅子も机も取っ払って、教室が作業場(play room)になる、そんな時間が少しはあってもいいでしょう。ぼくは現場を離れてしまいましたが、この窮状を切歯扼腕して(じつは「切歯」の「歯」は義歯ではありますが)、地団駄踏んで、終日、凝視しているのです。「弱い者を虐(いじ)めるのは恥ずかしいし、情けないこと」、「勇気のある、強い人は助けを求めている人に手を貸す」、これが人生の価値や意味の一つなんだ、ということを実践して欲しいね。点取り競争も、たまにはいいけど、もっと楽しいこと、それは「人の役に立つことをする」ことなんだ、という実践が授業時間割のなかにあってもいいね。いや、ないとおかしい。生きているということは「競争」なんかとは無縁のもの、それよりももっと大事な「つながり」を他者と結ぶことなんだ。一言でいえば、誰かと仲良くなれることなんだよ。

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 上の駄文を書いたとき、どうしようかと躊躇していたことがありました。今でも決断ができていません。そのことに関しては、この駄文集録のある個所で触れています。書きそびれるような柄でもないし、ここで誤解を招かない程度に書いてみます。真意が伝わることを願いながら。

 人は、自分の胸の中に「一通の遺書」を隠しもちながら生きている、ぼくは、自身をも含めてそのように考えてきました。もちろん、それはくり返し書き直されることもあるでしょう。あるいは、自分は遺書を書いたことを忘れている人もいるかもしれない。「遺書」などと、なんとも穏やかではありません。思い半ばで、無念の糸を引く人は、きっと「遺書」を書いています。この「遺書」は誰かに見られたり、読まれたりすることを想定していません。だから、それを偶然読んだり見たりすることはあっても、それを想定して書いた「遺書」ではないのです。別の表現で言うと、それは「覚悟」であったり、「無念」「悔悟」であったり、「お別れ」「お礼」であったり、それぞれの表情(印象)を持っているでしょう。つい最近、M市で「いじめ」からの「自死」をとげた小6生は「(わたしは)お前らのおもちゃじゃない」と書き残していたと報道されました。その際にも、ぼくは「この覚悟」あるいは「啖呵」は、誰かに聞かせるために書き残したのではなく、自らに当てた「宣言」であり「覚悟」の「遺書」だったと、言いました。何を奇怪なことをと訝られるでしょう。でも、それはぼくの正直な告白でもあります。もっと自分に対して「覚悟」を突き付けるようにしていれば、あるいは、死は近づいてこなかったかも知れないとも思う。

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 「ぼくは12歳」は、岡君が自分に当てた「遺書(ぼくはうちゅう人だ)」だったと、公刊された当時にも感じましたし、今読んでもその思いに変わりはありません。だから、こんなことをいうのは気が重いのですが、遺書を公表するという「慣習」あるいは「習慣」に、ぼくはいたたまれなくなるほど切なくなる。もちろん、これはぼくひとりの気持ちですから、それをとやかく、誰かに言い当てるというつもりはないのです。胸の中に隠し持った「遺書」(秘密)を背負って、人は生きているのではないか、ただそれだけを言いたかった。自分にさえ明らかにしようもない、「謎」を、しかし、いつでも胸の中に持ちながら、人は生きているのだ。しかし、いつかほんの一瞬「魔が差す」ことがあるのだと思う。その時、現実とつながっていた「意識」が切れるのかもしれない。

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)