生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめる…  

【日報抄】2100年、県人口が100万人に-。ピンとこなければ、こんな想像をしてみたらどうか。今日生まれた子どもが70代になり、今の新潟市と長岡市を足した人口がそっくり消えてスカスカの新潟県で暮らしている姿を▼県は昨年、将来の人口ビジョンを公表した。100万人はあくまで目標値に過ぎない。今のままだと60万人まで落ち込むという▼本県の推計人口は5月1日現在で204万9175人。戦後右肩上がりに増え、ピーク時は250万人手前まで膨れた。それが今や戦時中の1940年の人口に戻ってしまった▼知事選の真っ最中に候補者が集会を開くというので新発田市の米倉小学校を訪ねた。市の中心部から車で20分。立派な校舎前の旧会津街道には見事な松並木があり、宿場町の面影が残っていた。学校が閉校していることは現地で知った▼さらに山手の赤谷小は2015年に閉校し、米倉小と統合した。米倉小も3年後に143年の歴史に幕を下ろし、町場に近い学校と統合した。集会に来ていた高齢女性がつぶやいた言葉が耳に残る。「どんどん子どもがいねなってね」。集落の保育園は今春閉園した。きれいな旧園舎だけが残る▼「スマートシュリンク」という言葉がある。賢く縮むを意味し、公共施設の統廃合を検討する上で注目される考え方だという。縮みゆくのは不可避でも効率一辺倒では困る。全県を見渡してなるべく多くの共感を得られるかじ取り役は誰がふさわしいか。まずは投票所へと足を運びたい。(新潟日報・2026/05/31)

⁂「週のはじめに愚考する」(121)~ 本日、ざっと通覧しただけで、およそ五紙が、地域における「人口減」問題を扱っていました。その多くは「高校」「大学」の定員割れの現実に苦悩するというものでした。いちいちは取り上げませんが、「今頃になってどうして」、そんな思いがぼくにはあります。いつも言うことで、「人口減少」は三十年以上も前から分かっていたこと。それは「東京一極集中」とは無関係ではないこともよく知られていました。だから、政治や行政がそれに向けて手を打ってこなかったということもできますが、「人口減少」の因子である出生数減と自然死の増加は、いわば「自然現象」ですから、それ自体を防ぐ手立てはまずありません。

 今も台風6号が日本劣島を急襲する勢いと予想されています。台風に備えて様々な暴風対策を講じることは当然でしょう。でも、台風の発生そのものを封じることは(現段階では)不可能とされています。人口減少対策は確かに求められますものの、減少そのものを食い止めることはできません。減少以上の出産増を強いる政治的方策をとるなら問題は生まれていません。それを、今のこの社会に採用しますか、できますか。5年間で約310万人の減少といいますから、年間平均では62万人減となる計算です。ただし、昨年(2025年)の出生数 70万899755人・死亡数 160万5654人の割合で見れば、の減少になる。899755人の純減となります。日本の人口は直ちに消滅するはずもありません。しかし、これまで通りの社会体制を維持していくことは困難になるのは避けられないのです。

 前回の調査から五年間で約309万人以上の人口減です。増加したのは東京と沖縄のみ。そして、年々、単年度の人口減幅は増大しています。「少子高齢化」という現象は、それこそ右肩上がりで拡大しています。少子化の荒波を受けるのは社会全体です。しかしそれを最も顕著に、しかも痛烈な災難として受けるのは「学校経営」であることは言うまでもありません。このところ、各地で伝統や歴史のある学校(多くは私立学校)の閉鎖情報が飛び交っています。

 まずは「短期大学」が少子化の直撃を受けた。次いで女子大学。あるいは地方都市における私立学校等々、この数年で多くの学校が生徒・学生募集を停止するに至っています。「短期大学」の延命策は四年制大学に形態を変えることでしたが、ぼくの知る限り、それで成功したところは極めて少数でしかありません。あるいは女子大学で社会的評価を受けていたところも店員割れで、「男女共学」化を図って、うまく軌道修正できたという話はあまり聞きません。短大や女子大という看板で社会的評価を得ていたところが宗旨替えをしたといって、直ちに評価が上がるというものではないことを示しているでしょう。

 日本全体が縮小しているのですから、どこかが人口を増やせば、どこかが一層人口減少を加速させる事態を招くという「悪循環」に陥っているのです。「人口増加率は東京が1.4%、沖縄は0.1%」、「減少率は秋田の8.1%が最も高く、39道府県で減少幅が拡大した」「市町村別では、全体の90.6%に当たる1558自治体で人口が減った」繰り返しになるのをいとわないでいうと、人口減少の主因は「出生者数」の現象であり、自然死者数の増大です。それは一面では自然現象とみるべきです。

 結婚を選ばない、結婚をしても子どもを望まない、子どもを求めるけれども最低数で終わり、そのような人生の選択が行われているとみるべきで、この状況を上向き(出生数増)にベクトルを向けるのは容易ではないでしょう。一時的には状況が好転することはあっても、この社会が経験してきた戦後のような人口も経済も「右肩上がり」は望めないと考えた方がいいと、ぼくは判断しています。

 残された手法はあるのか。すべてに過激なほどの威勢のいい新聞の【社説】を引用しておきます。現内閣・首相の応援団を自認しているにもかかわらず、ほとんど何も展望がないことを、その新聞であえも明かしています。ある時期に、将来の成長を期して、たくさんの植樹をした。半世紀たって、それぞれが一定の規模に成長した段階で、その成長の速度は鈍り、衰勢堅調になる、これは当たり前の自然現象でしょう。命あるものの宿命で、一種の生命過程の成長・衰弱曲線とみられるものですから、坂道を上り切れば、峠でじっと留まることはできません。次々に坂道を下る羽目になります。これは紛れもなく「自然の歩み」です。これを反転させることも中断させることも不可能でしょう。

 「日本劣島を強く豊かに」とリーダーは喚(わめ)いていますが、喚けば喚くほど、木魂が虚しく響きます。産経新聞の「主張」に目を移してほしい。「高市早苗政権や与野党はもっと危機感を持たねばならない。少子化の速度を緩やかにして時間を稼ぎ、人口減でも移民国家にならずに、社会機能を維持し、豊かさを実感できる国にすることが必要だ。/高市首相は少子化と人口減について『わが国の活力を蝕(むしば)んでいく』と述べ、総合的な戦略を策定する考えを示してきた。人口目標や将来の国家像を具体的に示してほしい」と、いかにも展望がなさそうです。この衰退しきった国の勢いをさらに懸命に「蝕んでいる」のは誰ですか、教えてほしい。

【主張】国勢調査 人口減の加速に危機感を 総務省が令和7年国勢調査の速報値を公表した。昨年10月1日時点の外国人を含む日本の総人口は1億2305万人で、2年の前回調査から309万7千人減った。減少率は2・5%だった。/初めて人口が減った平成27年の前々回から3回連続の減少である。減り幅は過去最大だ。前回の減少率0・7%と比べると急速に人口減が進んでいることが分かる。/総務省は少子高齢化が進み、死亡数が出生数を上回る「自然減」が拡大したことが要因とみている。/政府が令和5年12月に少子化対策を盛り込んだ「こども未来戦略」を策定してから約2年半が経(た)つ。高市早苗政権や与野党はもっと危機感を持たねばならない。少子化の速度を緩やかにして時間を稼ぎ、人口減でも移民国家にならずに、社会機能を維持し、豊かさを実感できる国にすることが必要だ。/高市首相は少子化と人口減について「わが国の活力を蝕(むしば)んでいく」と述べ、総合的な戦略を策定する考えを示してきた。人口目標や将来の国家像を具体的に示してほしい。

都道府県別では人口が増えたのは東京都と沖縄県のみで、45道府県で減った。このうち埼玉、千葉は大正9年の調査開始以来初めて、神奈川、愛知は戦後初めて人口が減った。/首都圏(東京、埼玉、千葉、神奈川)の人口は3698万6千人に増え、総人口に占める割合が初めて3割を超えた。だが、その一方で人口減の波は都市部にも及び始めているといえよう。この現実から目をそらしてはならない。

少子化対策で政府が最も注力すべきは若年層の所得向上だ。結婚して子供を産み育てる人を増やすには、経済的不安の解消が欠かせない。/今後も現役世代(生産年齢人口)は減少し、人手不足に拍車がかかる。地方の過疎化が進み、税収減で地方財政が悪化すれば、行政サービスの提供も難しくなる。インフラ老朽化への対応も急がれる。交通機関が衰退する懸念もある。/人口減でも社会が機能するように、政府や自治体は住宅や公共施設などを集約させる「集住」にもっと力を入れるべきだ。企業や行政は、AI(人工知能)の活用による業務の効率化も加速させたい。(産経新聞・2026/05/31)

 少子高齢化は少なくとも戦後の歩みの、一つの帰結のようなものです。いろいろな側面を十分に考慮しなければなりませんが、この傾向を止めることはできないし、まして「逆転」など考えるも愚か。問題を大局でとらえる必要があります。でも微細なところで、捉え返す視点も必要でしょう。マクロとミクロ、です。早くに「限界集落」と目された地域でも直ちに「消滅」するものではありません。時間の遅速はあるけれど、消えるまでには一定の時間があるのは「寿命」と同じ。小さな地域同士を合併させて延命を図っても、時間の問題です。詰まりは集団にも寿命があるということです。

  人生は「生まれ・病み・老い・死す」、社会(集団)もまた。現下の喫緊の問題にふさわしくありませんが、以下、親鸞さんとチャーリーさんの「箴言」です。ご参考までに。


  生死(しょうじ)の苦海(くかい)ほとりなし
  ひさしくしづめる
  われらをば
  弥陀弘誓(みだぐぜい)のふねのみぞ
  のせてかならずわたしける 
(親鸞『高僧(こうそう)和讃(7)』)

 A day without laughter is a day wasted.> < Life is a tragedy when seen in close-up,  but a comedy in long-shot.(Sir Charles Spencer Chaplin(1889~1977)(右写真はチャップリン氏)

 過去最大309万人減 総人口1億2304万人―国勢調査 総務省は29日、2025年国勢調査の速報値を発表した。同年10月1日時点で外国人を含む日本の人口は1億2304万9524人で、20年の前回調査から309万6575人減少。1920年の調査開始以来初めて減少に転じた15年調査から3回連続のマイナスで、減少幅は最大。減少率も前回の0.7%から2.5%へと大幅に伸びた。/ 総務省は、死者数が出生数を上回る「自然減」の拡大が影響したとみている。
 都道府県別では、東京、沖縄を除く45道府県で人口が減少。埼玉、千葉は調査開始以来初めて、神奈川、愛知は戦後初めてマイナスに転じた。東京一極集中に歯止めがかかっていない一方で、都市部でも人口減少が進んでいる実態が明らかになった。
 人口は、最多の東京が1424万6219人、次いで神奈川919万3657人、大阪876万4578人など。上位8都府県で全国の5割以上を占めた。最も少ないのは鳥取で52万3732人だった。
 人口増加率は東京が1.4%、沖縄は0.1%で、いずれも増加幅は前回から縮小した。減少率は秋田の8.1%が最も高く、39道府県で減少幅が拡大した。/市町村別では、全体の90.6%に当たる1558自治体で人口が減った。減少幅が1割以上だった市町村は27.7%に上り、前回の14.3%から拡大した。
 男女別に見ると、男性が5977万8826人で、女性が6327万698人。国連の推計によると、日本の人口は世界12位で、前回調査の11位から後退した。/単身世帯の増加により、世帯数は2.3%増の5712万4507世帯。1世帯当たりの人数は2.15人と過去最少を更新した。(時事通信・2026/05/29)

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ごみを見れば人が分かる

【日報抄】ごみ清掃員として働くお笑い芸人の滝沢秀一さんは東京出身だと公表しているが、生まれは本県なのだと著書で明かす。その著書には現場でごみと向き合う日々をつづる▼可燃ごみから飛び出した包丁には驚いたという。中身が残るスプレー缶がタオルに包まれ、可燃ごみに入っていたときは悲しくなった。ごみ集積所にそのままポイ捨てする人や、勝手に集積所を作ってしまう人にはあきれる▼一方で、ばらばらだと危ない竹串をまとめて空の牛乳パックに入れる配慮や、清掃員が運びやすいようにごみ袋を連結する工夫に感謝する。「ごみを見れば人が分かる」が持論で、ごみの分別をしない会社は6年以内につぶれる、という独自の法則も見いだした▼きょう5月30日は数字の語呂で「ごみゼロの日」だ。滝沢さんはごみの減量を促す発信に力を注ぐ。膨大な手間と税金を費やすごみの焼却は、お金の焼却と同じだと思うようになったという。国内の最終処分場が、あと25年足らずで寿命を迎えるという試算にも危機感を抱く▼本県の2024年度のごみ総排出量は、ピークの07年度より44%減った。人口減少やごみの有料化などが理由とみられるが、雑紙(ざつがみ)やプラスチックの分別を徹底すればまだまだ減量できそうだ▼ごみは取りあえず目の前からなくせばいい、あとは誰かがなんとかする…わけはない。稚拙な幻想だ。ごみの捨て方を考えるよりも、まずは本当に必要なもの、欲しいものを選び、しっかり使い切る。では、きょうから。(新潟日報・2026/05/30) 

 ただ今、ナフサ不足で劣島全体が「てんやわんや」の渦中に入り込む寸前でしょうか。とても深刻な状況がしばらくは続くだろうという予想を、素人ながら、ぼくは持っています。それはまた、この先の資源エネルギーの需給関係の逼迫(ひっぱく)はわれわれの日常生活の「当たり前」を一変することになるかもしれないと、半分は期待、半分は不安、そんな中途半端な気分に引き裂かれています。期待の部分は、消費者としての言い分です。毎日毎日の食料品購入に伴って、驚くべき量の入れ物(トレー)包装紙類の蓄積(ごみ化)があります。ぼくは、自分でも割とこまめにゴミの分別をする方だと思っている。台所にも3個の入れ物を用意してあらかじめ分別しています。それほど丁寧というわけでもありませんが、ビン・カン・ペットボトルや、生ごみ・燃えるゴミ、トレイなどの容器類、さらに紙類などなど、これをいちいち分けて袋に入れています。

 (右上写真は長生郡市広域連合の環境衛生センター ごみ処理場(焼却場、不燃、粗大処理)。左下は「新最終処分場整備事業」(本年11月完成予定~この新規の「ごみ処理場」は拙宅から約2.5㌔離れた地に建設中。どこかに造らなければ「地域住民の生活」が滞ることになります。特別に建設反対運動があったとは聞かないですね)

 いま、このゴミ袋(100均で買うナイロン製)もやや不足気味で、現状がさらに続くと、たちまちのうちにごみ処理がパニックになりそうです。当地では、可燃性のゴミは週に3回ゴミ処分車による回収に回します。月に一度は、生ごみ以外のビン・缶類等の回収日。加えて、いわゆる「粗大ごみ類」の処分、多くの場合には直接ごみ処分場に持ち込みます(有料)。また、拙宅では草木の剪定や除草などが頻繁に行われ、その大半は自家製焼却炉で焼却処分している。その中には大量の段ボール類もあります。現在のナフサ不足が、直ちに解消されないどころか、簡単に入手困難な事態が生じれば、生活の一部に大きな変化(支障も)を起こすでしょう。簡単に言えば、「家庭ごみ」が画期的に減少するかもしれない、そんな期待を持っているのです。不安の方は、これまで通りに、使い放題・棄て放題の生活が続行することに対する不満、環境への負荷問題の悪化への不安です。

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 「ごみ清掃員として働くお笑い芸人の滝沢秀一さん」、実はご本人の言い分では本業が「清掃員」で、芸人活動はほとんどないという。「可燃ごみから飛び出した包丁には驚いたという。中身が残るスプレー缶がタオルに包まれ、可燃ごみに入っていたときは悲しくなった。ごみ集積所にそのままポイ捨てする人や、勝手に集積所を作ってしまう人にはあきれる▼一方で、ばらばらだと危ない竹串をまとめて空の牛乳パックに入れる配慮や、清掃員が運びやすいようにごみ袋を連結する工夫に感謝する」という生の証言を、ぼくも、今は亡き先輩から聞いたことが何度もありました。彼は大学教員でしたが、ある時ゴミ収集車に乗って、ゴミ回収に参加した経験がありました。その時の「経験談」を聴いて、ぼくはいたく打たれた。内容は滝沢さんの指摘されるようなことでしたが、それにしても、「塵(ゴミ)」ひとつまともに扱えない「住民」がどこにも腐るほどいるのに、ぼくは何度肝をつぶしたことか。

 今住んでいるのは山の中の辺鄙なところですから、県道を通って車でやってきては、窓から「家庭ごみ」その他を放棄する輩が後を絶たないのを日常的にみています。たばこの吸い殻を捨てるのはまだかわいい方、中にはベッドやマットレス、あるいは家電製品を林の中に捨てていくものもたくさんいます。「犬」や「猫」を捨てるのは、こういう連中かもしれません。たかが「塵(ごみ)じゃないか」というなかれ。今のままでは「国内の最終処分場が、あと25年足らずで寿命を迎えるという試算にも危機感を抱く」というのはコラム氏。自分だけがよければ、「後は野となれ山となれ」というのでしょうか。

この言葉の由来は、江戸時代に近松門左衛門によって著された浄瑠璃の作品である『冥土の飛脚』である。この作品では、主人公である飛脚問屋が客から盗んだ金で遊女を身請して、暮らしていた町から逃げようとする場面があった。そこでの台詞に「あとは野となれ大和路や」というのがあったのだが、それが「あとは野となれ山となれ」に変わって現在に至るのである。(Wikipedia)

 「栄耀栄華も人の金、果は砂場をうち過ぎて、あとは野となれやまとぢゃ、足にまかせて」(出典:浄瑠璃・冥途の飛脚)(1711頃)

 ゴミ問題に限らず、いたるところで「冥途の飛脚」が充満しているともいえる今日の社会の実相。「飛脚」といえば、今の「現金輸送係」でしょう。それこそ、この飛脚紛いが、あちこちに潜んでいるこの時代、「ゴミの投棄」などに目くじら立てなさんと非難されそうですが、何でもかんでも「ゴミ扱い」して、その結果、収集車や処理場では大きな災難を蒙っているの事実です。電池やスプレー缶のずさんな管理が思わない多額の税金の出費を余儀なくしているのです。

 本日は5月30日、要するに「ゴミゼロの日」という次第。ナフサ不足の行方が、この社会(いや地球上)のゴミ問題に一石を投じているとみるべきでしょう。現状維持や現状回復を図るのではなく、この後の、問題解消への新しい一歩を標すきっかけとなることをひたすら願うものです。

 (「ゴミ処分場」建設反対とか、「火葬場は持って来るな」とか、どんな人にも不可欠な機能を持った施設」建設の反対運動がよく起こります。自分の家の傍はダメ、他所なら結構という、飛び切りのNot In My Back Yard(NMBY・ニンビー)派がいます。これは健全な社会なのかどうかは一考を要する。もっと凄いのは、早くに山を削って、家を建てたり買ったりした「先人」たち、なのに、その後の開発には、「間小湯破壊は許さない」と大反対という阿保草運動も、ぼくはつぶさに見てきました。一理はあるのでしょうが、三理がないのがすこぶる多い。これを、どういったらいいのでしょうか)

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(参考 東京23区が、家庭ごみ収集の有料化に向けた検討を始めたことがわかった。全国の自治体の7割が実施済みで、処分場を抱える東京都も後押しする。ごみ袋1リットル当たり1円を想定し、およそ10年後の2037年度以降、全区で一斉導入する案が軸となるが、統一地方選を来年に控え、コスト増や住民の反発を懸念する区の間では慎重論も根強い。(大塚美智子、仲條賢太、五十川由夏)(↷)

 1リットル当たり1円で1割削減 17日朝、東京都新宿区百人町のごみ集積所に収集車が到着し、山のように積み上がったごみ袋の回収が始まった。一帯は外国人住民が多く暮らし、アジアなど外国料理を出すレストランや民泊施設も点在する。/この日は可燃ごみの収集日だが、缶やペットボトルが混入した袋も。区歌舞伎町清掃センターの統括技能長、兵藤尚武さん(53)は「分別が不十分だと量も増えてしまう。多言語で案内もしているが、なかなか理解してもらえない」とため息をつく。/各区が回収するごみは年間約160万トン(2024年度)。工場で焼却するなどし、東京湾にある都の処分場に埋め立てられる。処分場はおよそ半世紀で満杯になる見通しで、小池百合子知事は1月、「有料化の意義や効果を提示しながら、資源循環に資する施策をともに進めていければ」と区側に呼びかけた。/23区長で作る特別区長会は、他自治体の事例を参考に指定ごみ袋の料金を1リットル当たり1円にすれば、排出量は約1割減ると試算した。葛飾区の青木克徳区長は2月の記者会見で「一つの手段として非常に効果的。検討を積極的に進めるべきだ」と述べた。(以下略)(ヘッダー写真「集積所でごみを回収する作業員たち」(3月17日、東京都新宿区で))(読売新聞・2026/03/23)

戦いは「玉砕」、戦死者は「軍神」。

【春秋】現実を覆い隠す言葉とは 83年前、1943年5月29日の夜。北太平洋のアッツ島で米軍に包囲された日本軍の守備隊は最後の突撃に出て全滅した。大本営はこれを「全員玉砕せるものと認む」と発表した。これが、太平洋戦争で大本営が「玉砕」の言葉を使った始まりだった。敗勢の現実を覆い隠しながら、終戦まで幾度も使われた▼玉砕とは、玉が美しく砕けるように名誉や忠義を重んじ、潔く死ぬこと。中国の故事が由来である▼画家の藤田嗣治は軍の依頼でこの戦闘を描いた。敵味方が入り乱れ、泥と血の中に折り重なる陰惨な絵「アッツ島玉砕」だ。この年の9月に国民総力決戦美術展で公開されると熱狂的な支持を集めた。観客は絵の前のさい銭箱に小銭を投じ、傍らに直立する藤田はお辞儀を返したという▼戦いは「玉砕」、戦死者は「軍神」。事実を美化した言葉が報道や絵、文学、歌とあらゆるジャンルのメディアに広がり、追悼とあだ討ちのムードを生み出す。民衆は「一億玉砕」に染まった▼言葉の力が現実を塗り替えてしまうのは、戦時中に限った話ではないだろう。今年4月、政府は殺傷能力のある武器の輸出解禁に踏み切った。武器輸出は「防衛装備品の移転」と、刃を隠すように言い換えられ、首相は「平和国家の基本理念は堅持する」と語った。この国の形は今、大きく変わりつつある▼玉砕の戦争画に熱狂し、列をなした人々は私自身の姿かもしれない。(西日本新聞・2026/05/29)

 この「アッツ島玉砕」を何度か見た記憶があります。戦時中、従軍画家として「戦争画」を描いた画家はたくさんいました。しかし、この「アッツ島玉砕」は、戦地に赴いて描いたものではなく、画家の想像から生まれた作品でした。「これくらいの絵なら、想像でいくらでも描ける」と画家はどこかで語っていました。

 戦後、日本からフランスへの移住を決めて、再び故国には戻らなかった。

 何冊かの戦時画家の画集を見ているうちに、キーボードを叩くのが嫌になりました。

 一例として、ある時期まで、ぼくは宮本三郎さん(1905~1974)は好きな画家の一人としてよく見ていましたが、この戦争画との関連で、その後はほとんど見ることがなくなりました。他に小磯良平氏(1903~1988)、中村研一(1895~1976)、向井潤吉(1901~1995)の諸氏。同じように、戦時中の行動(画業)を伏せれば、それぞれに優れた画家として戦後社会に伍していた人々です。文学畑でも錚々たる面々が「戦時をくぐり戦後を生きられた」人として、ぼくは記憶に留めています。国家の側に立ち、戦争を支持するという意味はどういうもん岡、それを篤と考えてしまうんですね。この問題も、どこかで、元気なうちに丁寧にたどってみたいと思っています。

 作家や評論家においても同じような経過をたどり、その人たちの作品は積極的に見たり読んだりできなくなりました。もちろん、ぼく自身の偏見であり狭量なのですが、なかなかに、戦時中の発言や行動、あるいは作品を不問に付して、その芸術性を語ることはぼくにはできなかった。藤田氏の展覧会には数回足を運んだことがあります。想像のなかでこの「地獄図」を描いたことを藤田さんは隠さなかったどころか、それを誇りにさえしていた節があります。この絵の前で、ぼくは自身の感情を始末できないのです。

 一つの証言のような発言が残されています。画家の野見山暁治さんが語っている。「なかでも藤田嗣治の絵は一段と迫力があった。凍てついた島で玉砕した日本兵と、死んだアメリカ兵との共に青白い顔。死体の動かないその手の先に生えているかぼそい草々。あるいは南方での、哀れな現地女のうずくまった姿態と、それを救うために近づいている逆光の日本兵。ところがおかしなことに、この絵の迫力は、本人のそうした姿勢とはウラハラに、戦争がすべてを奪って死の世界へ引きずり込むようなまさしく反戦的な雰囲気を醸し出していた」(「四百字のデッサン」)

◎ 野見山暁治(のみやま-ぎょうじ)1920-2023= 昭和後期-平成時代の洋画家。大正9年12月17日生まれ。昭和23年自由美術家協会展で協会賞。27年フランスにわたり,椎名其二(そのじ)の影響をうける。33年「岩上の人」が安井賞。39年帰国。47-56年母校東京芸大の教授。平成4年芸術選奨。12年文化功労者。心象風景を独特の有機的形態でえがく。戦没画学生慰霊美術館「無言館」の開設・運営につくしたとして信濃デッサン館館主窪島誠一郎とともに17年菊池寛賞。26年文化勲章。福岡県出身。随筆に「四百字のデッサン」(昭和53年日本エッセイスト・クラブ賞)など。(デジタル版日本人名大事典+Plus) (*野見山暁治「四百字のデッサン」河出書房、1978刊)

◎ 藤田嗣治(ふじたつぐはる)[生]1886.11.27. 東京,東京 没]1968.1.29. スイス,チューリヒ=フランス国籍の洋画家。のちに軍医総監になった藤田嗣章のニ男。1905年東京美術学校に入学し黒田清輝,和田英作に学ぶ。1910年に同校を卒業,1913年渡仏。パブロ・ピカソ,アメデオ・モジリアニらを知り,エコール・ド・パリの一員として認められ 1917年に個展を開催。1919年サロン・ドートンヌに出品した 6点全部が入選し同会会員に推され,精妙な陶器の肌を思わせる白い絵具のマチエールと,的確なデッサン力をもった流麗な線描による表現は高く評価された。一方,国内では 1922年以降帝展(→官展)に出品し,1924年帝展審査員,1934年二科会会員となり,1941年帝国芸術院(→日本美術院)会員になるが 1955年に辞任。その間 1929,1933年に帰国したものの三たび渡仏。1940年戦争のため帰国し,第2次世界大戦中は多くの戦争記録画を描いた。1949年日本画壇と決別して渡仏,1955年にフランス国籍を取得し,1959年にはカトリックの洗礼を受けてレオナール・フジタ Léonard Foujita(正式には Léonard Tsuguharu Foujita)となった。1966年ランスのノートル・ダム・ド・ラ・ペ礼拝堂(フジタ礼拝堂)の建物を設計し,キリスト伝の壁画,ステンドグラスを描いたが,まもなく病没。主要作品に『パリ風景』(1918,東京国立近代美術館),『五人の裸婦』(1923,同),『舞踏会の前』(1925,大原美術館),『ドルドーニュの家』(1940,アーティゾン美術館),『私の夢』(1947,新潟県立近代美術館)などがある。(ブリタニカ国際大百科事典)(この稿、未完)

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手を空にのばせば我も五月の木

 もう五月も終わり近くです。「いろいろなことがあり皐月末」(無骨)、ですね。春は曙(あけぼの)がことのほか趣があって、「夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、 ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし」と書くのは清少納言(康保3年頃〈966年頃〉 – 万寿2年頃〈1025年頃〉)。千年の後の今はどうか。春も夏もあったものかは。降れば土砂降り、晴れれば日照り、昼と夜の境もないくらいに、煌々と灯りがともり、そのエネルギーがまるで限界がないほどに乱用される始末。まさに天変地異野人際のうち続く世界にぼくたちは住んでいます。住んでいるというのではなく、それこそ、身を粉に出んばかりに「齷齪・偓促(あくせく)」しているんですね。

 「齷」は「あく・こせつ(く)」、こせこせするという。「齪」は「さく・せく・しゅく・つつし(む)です。「偓促」の「偓」は「あく・かか(わる)」で、物事にこだわる、こせこせするの意。「促」は「そく・うなが(す)」で、その意は「せかせる」「せわしい」という。日がな一日、何もしないで息だけをしているつもりでも、何かに急き立てられ、こせこせしている自分を見て、可哀想になります。身の置き所はどこにあるのか。

 少し前に「ハナミズキ」という歌(一青窈さんの作詞作曲)を紹介したことがあります。「空を押し上げて 手を伸ばす君 五月のこと」このイントロ部分が妙に聞きたくなって、自分でも驚いている。

 きっかけはプロ野球チームの監督起こした娘への暴行事件を知ったこと。その報道を知った瞬間に、この曲がぼくの中に流れたのでした。今では全く興味を失ったプロ野球ですが、この「家庭内暴力」には驚きました。それをとやかく論じる資格がぼくにあるとは思いません。でも、と思う。つくづく思うのです。京都南丹市の児童殺害事件は「本当のお父さんでもないのに」と息子に詰(はじ)られたて「カッとなって」(つまりは「キレた」挙句)の殺害だったとされます。今回は有名なプロ野球チームの監督が「娘に盾突かれて(悪態をつかれて)」、カッとなって暴行に奔ったというのです。いかなる理由があれ、「暴力はいけない」と世の訳知りたちは言います。「そうかい?」とぼくは思う。いかなることがあっても戦争はダメだ、と言われる。なにを言ってるんだと思う。「正当防衛」というものが認められなければ人間社会は終わる。単に強いものだけがノサバルことによって、です。

 他人の家庭のことはぼくにはわからない。だからそれをとやかく言えた義理ではないと思っています。「いま父から暴力を受けている」「どうしたらいいか、教えて、チャッピー」と、「18歳の長女が対話型の生成人工知能(AI)『チャットGPT』に相談し、その答えに沿って児童相談所へ通報、警察が動いた」と報じられていました。ぼくも驚いた一人だったかもしれません。とっさの瞬間に、「チャッピー」に尋ねるという習慣が出来上がっているのでしょうか。母親や、妹もいたと思うのですが、とにかく「チャッピー」だったとするなら、多くの家庭では「スマホの中のカウンセラー」「スマホこそが友達」、それが救いの神のようになっているんですかね。

【梵語】チャッピーのお言葉 長女への暴行容疑で逮捕、釈放、監督辞任と、立て続けに目を引くニュース速報が流れた。プロ野球巨人の阿部慎之助監督である。同じか、それ以上に多くの人を驚かせたのは、18歳の長女が対話型の生成人工知能(AI)「チャットGPT」に相談し、その答えに沿って児童相談所へ通報、警察が動いたことではないか▼まだ分からないこともあり、今回の件はいったん置くとして、若者らが「チャッピー」と呼ぶAIが、話し相手として相当に浸透しているのは間違いない▼民間の調査で、小中生の約半分は「死にたい」「消えたい」気持ちの相談先にAIを選んでいた。18歳から29歳に「AIを人間に例えたら」と問うたところ、社会人は「カウンセラー」、学生は「友達」との答えが最多だったという▼AIは蓄積した対話のデータを基に、利用者に合った即答を示すため、自分を理解してくれていると感じやすいらしい▼ただ、その心地よさに依存し、生身の人を避けるといった弊害も言われる。米国ではAIに没頭して誘導され、自死や親の殺害に至ったとされる事件が続く▼環境学者の枝広淳子さんは、簡単に結論を出さず「わからなさの中にとどまり続ける能力」が、人間の成長や新たな発想につながると説く。確かにチャッピーにはないだろう。(京都新聞・2026/05/27)

 緊急避難的に児童相談所に、当の本人から連絡が入ったら、当然のように「警察」につながるのは規則があるからでしょう。まして、「暴行の進行形」だった場合はなおさらに緊急に連絡がつけられるのは、児相の果たすべき義務の履行だったでしょう。問題は、どうして「チャッピーに」助けを求めたのかという点にあるのかもしれません。ぼくはスマホを持たないし、パソコンを使って駄文を作っているだけの人間です。そのパソコンにも最近は、あの手この手を駆使して「AI」が登場し、「いつでも、どんなことでも相談に乗りますぜ」と、しきりに誘いを掛けたりします。詳細は調べていないので無理解のままですが「Geminiに相談」とうバナーがいつの間にかアドレスバーに張り付いている。「チャットを開始」とか何とか。以前にも書いたと思いますが、いずれAIが今以上にパソコンに入り込んでしまうと、(ぼくにとって)極めて不都合になります。そうなれば、ぼくはパソコン使用そのものを止めることを決めています。たぶん、今はもう「カウントダウン」に入っている段階です。

 要するに、ことほど左様に、まるで勝手にパソコンが操作されているのではないかと思うことがしばしばです。京都新聞の【梵語】の結論は陳腐である以上に、何を言ってるんですかという半端なものだったとぼくには思われました。「環境学者の枝広淳子さんは、簡単に結論を出さず「わからなさの中にとどまり続ける能力」が、人間の成長や新たな発想につながると説く」と、いかにも専門家そのものの「卓説」を紹介している。それはその通りで、「急(せ)いては事を仕損じる」ということもある。でも、この暴力進行形の渦中にある人間(長女)からすれば、「簡単に結論を出さす」「わからなさのなかにとどまり続ける能力」ってどんな能力ですか?、と聞き返したくなります。まさか、「殴られ続けなさい」というのではないでしょ。だったら、その能力はいかにして育つのでしょうか。育てられるのでしょうか。

 「怒りと怒り」がぶつかっている、まさに「情念」の争いです。そんな緊急時に悠長なことは言っておられません。ぼくはいつだって、「握っている拳を開け」といってきました。拳を全開したままでは、人間は怒れないのだ。これは哲学や道徳の問題ではなく、生理学の問題です。口を開いたままで「i:」という発音をしてみようと想定してごらん、きっとそれは「e:」という発音に近くなり、唇は閉じられそうになるはず。必要な行動がとれる体勢というものがあるのです。「腹を立てたままで、怒っている自分とは和解はできない」んですね。ぼくは自分でも呆れるほど「短気(quick temper)」です。あるいは「瞬間湯沸かし(instant water heater)」と同定されても仕方がない人間と、欠点の強さを自覚しています。そんなぼくでも、「握った拳を開く」ことぐらいはできそうで、その訓練をかなりしてきたと思う。「怒りの情念からの解放」、これこそが、ぼくには何よりも大切な生きる術(すべ)でしたから。

 この監督にはいくつもの不幸(不運)が重なっていました。チームが負け続けていたこと(4連敗中)。選手が思うように働いてくれない運の悪さ。翌日からは「両リーグの交流戦」だから、心機一転の「家庭内飲酒」でしたが、これもよくなかった。そしてその悶々の中での「娘たちの喧嘩」が隣で発生していた。拳を開けない監督は「カーッとなって」どなったら、予想外に、娘から「逆襲」を受けた。(敬遠のサインで)打者を塁に出せと指示したのに、あろうことか相手バッターに「ホームラン」を打たれてしまったという場面。酒が入っていたし、「高めに外せ」と言っていただろうと、キャッチャーに文句を言ったら、逆に言い返された(反抗された)。事の顛末は、終わってみれば「お粗末くん」の限りです。

 怒りに襲われたままにしておくと、「辞める必要のなかった監督を投げ出す羽目になる」という教訓は残りました。「握っている腰を開こう」、そして「五月の青空を見上げ」ようか。「君と好きな人が 百年続きますように」(「ハナミズキ)」

(余話ながら 「チャッピー」は今のところは純然たる辞書(「答えてくれる」電子辞書)、つまりは「TOOL」でしょう。しかし、AIのもう一面が「AGENT」、行為の主体であるという実態です。むしろ、こちらの方がはるかにすごい勢いで開発されています。一般の家庭にも入る時期は遠くないでしょう。今回の「DV」は、父親対長女の「情念同士」の戦いでしたが、やがて、そこにAIが加勢する時期が来るかもしれません)

(*表題句は飯田晴さん。昭和29年(1954)千葉生まれ、千葉県八千代市在住)

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教育は、不当な支配に服することなく

 「教育の中立性」を犯しているという廉(かど)で、個別の学校を批判・非難し、措置命令を出し、あるいは認可取り消しにまで発展することはこれまでになかったこと。今回の事案に限って、文科省・文科大臣は何を勘違いしたのでしょうか。「沖縄平和学習」という名目で修学旅行を沖縄に選んでいる学校をいくつも知っているし、中には沖縄出身の教師の引率で毎年のように出かけている都下の中学校の恒例行事もよく話に聞いていました。今回特に問題になったのは、修学旅行の「平和学習の地」が辺野古に建設中の基地周辺だったこと、あろうことか、その平和学習の最中に乗船していたボートが転覆して、不幸にも2名がなくなったこと(内、1名は高校生)、加えて、平和学習の機会を提供した団体が無許可で船を運航していたこと、並びにそこは基地建設反対運動主体(根拠地)でもあったことなどなど、さまざな問題点が一気に明らかになったのでした。いったい、なが問題なのか、十分に理解・解明されないままで、政治判断が下されたということに、小さくない驚きを感じてしまいます。

 (有体に言うなら、事故死を勿怪の幸いとして、苦々しい「基地建設反対運動」団体を潰したいという、政権与党の圧力に「不倫文科大臣」が屈したという図ではないか。これを「奇貨(「利用すれば思わぬ利益を得られそうな事柄・機会」デジタル大辞泉)として、最大限に悪用したのだ。こういえば、不謹慎の誹りを受けるでしょうが、「よくぞ犠牲者が出たものだ」と言いたげでもあると、ぼくは思っている。D高校とその「平和学習」が不当な支配を受けたのだ。戦争のためだけに使われる、無駄な工事を批判することが「政治的中立」を犯すという、笑止千万をどうしますか)

 今次の事故で、いったい何が問題だったか。あるいは問題とすべきだったか。これまでにも明らかにされた部分はあるし、さらに問題の詳細な検討を必要とするものもあるでしょう。この段階で、何よりも、文科大臣が「同校の辺野古での学習が政治的活動を禁じる教育基本法14条2項違反だと断じ、学校法人同志社などに指導通知を発出したと発言した」点にあるのは否定できません。これと似たような「政治活動」とみなされる教育を実践している学校は、これ以外にもいくらもあるし、件の私立高校は、これまでにも辺野古での平和学習をプログラムに取り込んでいました。にもかかわらず、今回の事案だけを取り上げる根拠は何だったのでしょうか。

 「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」という教育基本法制定の趣旨は、前川喜平氏が指摘されている(「本音のコラム」)ように、「この条項は本来教育者自身の自律のための規範である」というべきで、今次の事件(事故)をもって法律違反の判断を下すこと自体、政治的に大きな問題を含んでいるとしなければなりません。教育基本法制定(昭和22年)以来初めての「適用」であるというのですから、なおさら、どうして? という疑念は残ります。法制定以来八十年、この条文の適用がなかったのはなぜでしょうか。あるいは今回はじめて「適用された理由」は何だったのでしょうか。

 (そもそも、憲法や教育基本法などは、国家権力が個別の国民や学校・教師を訴えることは想定していません。誤解されるのを粗油地でいうなら、政治権力の側の不作為や作為に憲法違反や教育基本法違反の恐れがあることを想定して、そうならないための「防衛線」を張るという性質のものです。時雄首相や防衛大臣が憲法九条を改正して、自衛隊を国軍にするのだという憲法改正を口にすること自体、ある意味では「憲法遵守義務」違反に当たるでしょう。「第九十九條 天皇又は攝政及び國務大臣、國會議員、裁判󠄁官その他の公󠄁務員は、この憲󠄁法を尊󠄁重し擁護する義務を負ふ。」(日本国憲法)

◎ チャールズ・D. ラミス(Charles Douglas Lummis)(1936 - )= 米国の日本研究者。元・津田塾大学教授。サンフランシスコ生まれ。1958年海兵隊入隊、’60年占領軍として来日。除隊後、奈良に生活しはじめ、さらに斉藤靖子との出会いが日本理解を深めた。のちに京都や東京、アメリカで日本研究を進める。カリフォルニア大学サンタクロース校、西ワシントン州立大学、フェアヘーブン大に勤め、’75年娘の誕生で、日本に腰を落ち着ける決心し、津田準大学教授に就く。’69年以来「AMPO:Japan-Asia Quarterly Review」の編集・発行に関与。’71年カリフォルニア大学バークレー校で博士号取得。主著に「イデオロギーとしての英会話」(’76年)、「内なる外国―「菊と刀」再考」(’81年)など。(20世紀西洋人名事典)

【本音のコラム】文科相の教育基本法違反 前川喜平(現代教育行政研究会代表) 22日の記者会見で松本洋平文部科学相は、同志社国際高校の研修旅行中に辺野古沖で起きた事故に関し、同校の辺野古での学習が政治的活動を禁じる教育基本法14条2項違反だと断じ、学校法人同志社などに指導通知を発出したと発言した。しかし、この条項は本来教育者自身の自律のための規範である。▼むしろこの大臣発言と指導通知こそ、教育に対する不当な支配を禁じる教育基本法16条1項違反だと考えるべきだ。政治学習や平和学習の取り組みを抑え込むために、不幸な事故を政治利用したのだと言ってよい。▼そもそも文科省が同志社に「現地調査」を行ったのが変だった。学校管理下の児童生徒の死亡事故は毎年数十件起きているが、通常文科省は直接の調査は行わない。磐越道で起きた北越高校の部活遠征中の事故でも「現地調査」は行っていない。同志社を狙い撃ちしたのは、事故が辺野古で起きたからだ。背後には政権の政治的な意図が働いていると見るべきだ。▼政治学習や平和学習は、教育基本法が教育の目的とする「平和で民主的な国家及び社会の形成者」の育成に不可欠の学習だ。そこには現実の政治への批判が当然含まれる。その批判を封じるために政権が持ち出すのが「政治的中立性」という言葉なのだ。そんな合法性を装った不当な支配にひるんではいけない。(東京新聞・2026/05/24)
【斜面】辺野古の海 美しいエメラルドグリーンの海が印象的だった。沖縄本島の北部、辺野古を取材で訪ねたのは文化部記者だった2005年春。沖合に宜野湾市の米軍普天間飛行場を移設する計画に反対する住民らの座り込みは、既に8年を過ぎていた◆那覇防衛施設局(当時)が建てた海上のやぐらの上での座り込みも続いていた。参加した浦添市出身の大学生の話が忘れられない。施設局の作業船で部品の交換に来た高齢の作業員が、小声で話しかけてきた。「あなたはウチナーンチュ(沖縄人)か」◆同郷と知って、作業員はこう話した。持病があるが息子の結納金のために働いている―。移設に携わる人も反対する人もウチナーンチュだ。大学生は涙が止まらなかった。計画が持ち上がった1997年以来、地元は国策に引き裂かれてきた。そして今年3月、重大事故が起きた◆辺野古沖で平和学習中の小型船が転覆し、京都の高校2年の女子生徒と船長が亡くなった。船は抗議活動に使われていたものだ。運航団体も、学校側も安全管理があまりにおろそかだった。実態解明を徹底した上で厳しく責任が問われなくてはならない◆一方で、なぜ抗議活動が30年近くに及んでいるのか。移設を巡り沖縄は繰り返し「ノー」と意思表示し、7年前の県民投票は反対が賛成を圧倒した。それでも政府は応えない。沖縄の民意が無視され続けるのはなぜなのか。本土の私たちが問われるべき、この事故のもう一つの核心である。(信濃毎日新聞・2026/05/27

(*ヘッダー写真:沖縄テレビ放送・2026/05/06)(https://news.yahoo.co.jp/articles/33c31e97dce5da5f24e0e6a76e94dc94d096a919

(⁂文科省・同志社国際高校に教育基本法違反の見解)(https://www.qab.co.jp/news/20260525294484.html)                                (⁂辺野古の事故から1ヵ月 遺族が伝える「note」)(https://www.qab.co.jp/news/20260416290581.html

【近口木舌】歴史を捻じ曲げてきたのは 「サイタサイタ サクラガ サイタ」「ヘイタイサン ススメ ススメ」。教科書でこう学び、兵隊に憧れた子どもたちの命は、沖縄戦で使い捨てにされた▼この体験から殉国美談にあらがった元学徒たち。中山きくさん(享年94)は、2007年の「集団自決」(強制集団死)を巡る教科書検定意見の撤回を求める県民大会で共同代表となった。「元全学徒の会」もたびたび問題を訴えてきた▼文部科学省が政治的中立に反すると同志社国際高校を指導した。しかし、政治的意図で沖縄戦の史実をねじ曲げたのは文科省ではないか。1982年の教科書検定で住民虐殺の記述を全面削除した。2007年の検定意見も官邸主導▼「沖縄の苦悩を全く顧みない、歴史認識を欠いた心ない行為を繰り返してきた」。沖縄を切り離した「屈辱の日」を「主権回復の日」として政府が祝った13年前の4月28日、中山さんが発した言葉を思い返す▼第32軍が首里を放棄し、南部撤退したのは81年前のきょう。住民の命を再びないがしろにしてはならぬという訴えを無駄にはしまい。歴史の実相をゆがめず伝えていく意を強くしている。(琉球新報・2026/05/27)

 これまでにも同高校は、平和学習のコースとして辺野古基地建設問題を扱い、同地に学習の機会を設定していました。今回のような「死亡事故」が起こらなかったのは、幸いなことでしたし、だから文科省も問題視しなかった(問題にできなかった)というべきなのではないでしょうか。文科省の判断によると、これまでも、同校は「教育の政治的中立を犯していた」のは事実だったのだから、なぜ、今回だけ、それを問題にし、立ち入り調査(現地調査)までしたのか。理由は明白でしょう。「文部科学省が政治的中立に反すると同志社国際高校を指導した。しかし、政治的意図で沖縄戦の史実をねじ曲げたのは文科省ではないか。1982年の教科書検定で住民虐殺の記述を全面削除した」(「金口木舌」)のは事実でしょう。恣意的に今回の「是正措置」を出した文科省こそが、「不当な支配」を犯したというべきではないかと思う。文科省の「勧告」に類する措置は「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり…」(教育基本法第十六条)とある、法の趣旨にあからさまに違反しているのではないか。(亡くなられた方に心からの哀悼の意を称します)

(政治教育)第十四条 良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。
2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

(教育行政)第十六条 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。
2 国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため、教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない。
3 地方公共団体は、その地域における教育の振興を図るため、その実情に応じた教育に関する施策を策定し、実施しなければならない。
4 国及び地方公共団体は、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう、必要な財政上の措置を講じなければならない。(教育基本法)

 死亡事故が起きてしまったことに関しては、詳細にその原因究明を果たし、再発の防止を何よりも図らなければならないのは言うまでもない。当然、その責任の所在を明らかにすることは避けられません。取り返しのつかない結果を招いたのですから、それを不問に付すことはできない。まずはそれだけの問題解決を図ったうえで、「政治的中立性」違反を理由にする文科省(政権の干渉)の「不当な支配」にこそ、ぼくたちは注意を向けるべきでしょう。さらに「(教育行政の名による)偏向教育」を重ねようとする政治支配が学校教育を一層抑圧する方向に歩を進めることは疑えないのです。ただでさえ委縮している学校教育が、さらにあらぬ方向に曲げられる恐れを感じるがゆえに、この「不当な支配」問題を深くとらえなおす必要がありそうです。(左図は下掲の西日本新聞による)

参考資料 「辺野古学習に「政治的な偏り」 文科省が教育基本法違反と初認定 同志社に是正指導 沖縄県名護市辺野古沖で船2隻が転覆し、同志社国際高(京都)の女子生徒ら2人が死亡した事故で、文部科学省は22日、米軍普天間飛行場の辺野古移設への抗議船に生徒を乗せ、特定の見方に偏った教育をしたのは政治的活動を禁じる教育基本法に反するとして、高校を運営する学校法人同志社(同)に是正を指導した。安全管理も「著しく不適切」だと指摘した。文科省によると、政治的中立性を巡り同法違反を認定するのは初めて。/国が個別の教育内容に関して中立性を欠いたとの見解を示したことに、専門家から学校現場の萎縮を招きかねないとの懸念も出ている。/一方、船が事業登録していなかったとして内閣府沖縄総合事務局は22日、海上運送法違反容疑で死亡した金井創船長(71)を刑事告発した。/文科省は、辺野古移設の学習で、生徒を乗せる船が抗議船だと複数の教員が認識していたことや、生徒に多面的見解を十分に提示しなかったのは問題があると判断。「特定の見方・考え方に偏った取り扱いだった」と認定した。事前下見をせず、船に教員が同乗しなかった点は安全上の重大な判断ミスだとした。(↷)

 法人への指導通知では、安全対策の強化や辺野古学習の是正に加え、遺族や生徒への丁寧な説明も求めた。文科省は近く全国の学校を対象に、教育活動の実施状況が適切かどうかを調査する。松本洋平文科相は22日の閣議後記者会見で「ガバナンスに問題があり、法人や学校の責任は極めて重い」と語った。/学校法人同志社はウェブサイトで「心よりおわび申し上げる。極めて重大な責任を痛感している」と謝罪し、同志社国際高も「重く受け止める」とするコメントを公表した。高校を所管する京都府の西脇隆俊知事は、助成金の減額を示唆した。/文科省は4月24日に学校法人に聞き取り調査を実施し、京都府と連携して安全管理体制や経緯を確認していた。/事故は3月16日に発生。「ヘリ基地反対協議会」が運航する2隻のうち金井船長の「不屈」が転覆。救助に向かったとされる「平和丸」も転覆し、この船に乗っていた武石知華さん(17)が死亡した(以下略)」(西日本新聞・2026/05/23)

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若葉して手のひらほどの山の寺

 表題句は漱石作。同じく「若葉」の季語では「荒滝や満山の若葉皆震ふ」とも詠んでいます。「草枕」「二百十日」などでも示されたように、作家には山や緑や草などに寄せる深い愛情・親和があったと思われます。にもかかわらず、その「緑」に関して、彼には驚くような逸話がたくさんありました。その一つ。正岡子規と出会った頃(大学予備門の入学試験で出会った)、二人で東京近郊(早稲田辺り)を歩いていた。明治二十年代だったか。季節は今時分だったでしょう。早稲田田んぼなどと称されたように鶴巻町近くにはたくさんの田には稲が伸び始めていた。漱石は子規に「この緑は何だ?」と尋ねたという。漱石は江戸っ子だった(から知らなかったのか)。子規は「これは稲(の苗)、お米になるやつだ」と教えたようだが、それを知らなかった漱石に驚嘆したと、書いている。

 とにかく、百年前の初夏もまた、鮮やかな緑、明るい緑で都市近郊も満たされていたに違いありません。生きとし生きるものには格好の季節到来といえるかもしれません。小学校唱歌「若葉」が発表されたのは昭和17年2月。作詞松永みやお(まつなが・みやお)。(1902~1988)、作曲平岡均之(ひらおか・きんし)(1901-1976)。まさに、この国が戦争にかかりきりになっていた時期でした。この唱歌が登場した背景に、戦争が色濃く刻印されていたといえば、笑われるでしょうか。興ざめするので、これ以上は詮索しません。

 (でも、余談としてちょっとだけ触れる。 「鳥居をつつみ わら屋をかくし」「田はたをうずめ 野山をおおい」と豊かな緑を謳っているのでしょう。でも「かくす」「つつむ」「うずめる」「おおう」という一連の言葉が妙に気になりませんか。この両者には、戦時中の「唱歌」で、戦争の色が滲(にじ)でものもありました、当たり前ですが)

 しかし、「戦時中に、こんなに長閑な」といわれるような歌はたくさん作られていました。歌は、応用が利くというか、勇ましいばかりが効果を発揮するものではないでしょう。ぼくはよく「言葉が旗になる」「歌が旗になる」といいます。一致団結の呪(まじな)いみたいな、ある種の麻薬のような効き目が「言葉」や「歌」にはあります。「この指とまれ」という類ですね。あからさまな「戦意高揚」でなくても、日本のよさ、故郷の美しさを謳いあげることは、心を一つにする抜群の効果があるのではないでしょうか。この若葉は、たぶん「緑のシェルター」に擬せられたんですね。

(⁂ 「若葉」東京放送児童合唱団)https://www.youtube.com/watch?v=gLuKxJs-SWE&list=RDgLuKxJs-SWE&start_radio=1)     (⁂ 「若葉」フォレスタ)https://www.youtube.com/watch?v=am69fKnGz1s&list=RDam69fKnGz1s&start_radio=1

「若葉」(初等科音楽・二)

あざやかなみどりよ
あかるいみどりよ
鳥居をつつみ
わら屋をかくし
かおる かおる
若葉がかおる


さわやかなみどりよ
ゆたかなみどりよ
田はたをうずめ
野山をおおい
そよぐ そよぐ
若葉がそよぐ

 つまらない思い出話をしましょうか。大学の3年か4年生の時(1966-7年ころ )、学内は大荒れで、ほとんど授業もできない日々が続きました。そんな中で、学部当局は大きな講堂に学生を集め、闘争(授業ボイコット)の収拾(授業再開)を図ろうとしました。その手段として、学生担当の教員が壇上に立って、大学の校歌を謳おうではないかと、アカペラで、自らが歌い出したことがあります。ぼくも一人の学生として講堂内にいましたが、歌う気がなかった。結局、ほとんどの学生は「歌うことを拒否」して、学部当局の愚かな集会作戦は失敗に終わった。その時に、「校歌」を謳えば心は一つになると、無考えに突出した教師の無様さ・無能さに、ぼくは慨嘆したものでした。まったく「効果」はなかった。その瞬間にも、「こんな大学に入るなんて、いったいお前はどうしていたんだ」という慙愧の念が湧きだしました)

 国歌斉唱という掛け声で、起立して歌う・歌わせることで「国民(集団)の心を一つに」できるという、アナクロニズムが透けて見えます。「国旗損壊罪」とか言っていますね。各々がた(政治家諸君)、あなた方が大事に思っているふりをしている「国旗」とか「国歌」に照らして恥ずかしくない政治をしているんですかと、ぼくは逆に、投げ返してやりたいと思う。国歌損壊罪の中には「お子様ランチの日章旗」は含まないと、政権与党は、まじめに法案原案(前段階)の中に書いているという、ビックりするような、隠しようのないグロテスクさです。そんなこんなの趣旨や「時代背景」を十分に考量しても、なお「若葉」は、さわやかないい歌ということになるでしょうか。

 (政治と政治家の愚劣さを示す一例。京都の私立高校生が修学旅行で沖縄に出かけ、辺野古の海岸で乗船した小舟が転覆し、高校生と船長の2人が死亡した事件がありました。それについて現文科大臣は「高校側は教育基本法違反である」と、その是正(政治的中立性)を求めたという報道がありました。教育基本法を犯しているのは「文科大臣」その人であって、「政治的中立性」に著しく反していますよ、あの不倫事件は。この手の非道徳人間が文科大臣とは、これいかに。ここでも「バカは死ななきゃなおらない」を謳わなければ、ね)

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 話題は急展開します。本日の高知新聞コラム「小社会」です。こういう職人が活躍しているというのを知ると、当方まで嬉しくなりますね。「高知市であった4月の市で40代のお兄さんが、カシの丸太を座って見つめていた。日高村の製材業の3代目。『2年待った。久しく出んかったのよカシが』」「一本一本の木の個性と向きあうのが大事だと、兄さんは語る。『めんどくさい仕事です』」こんな言葉を聴くのは何年ぶりでしょうか。京都にいたころ、小・中学校の同級生には「製材」が家業の人が何人もいました。ぼくはそんな友人の家に行って、日がな製材用の鋸(のこぎり)が回って、木材が製材される様子を見ていて飽きなかったし、どこかで家を建てていると、これも飽きずに眺めるのが大好きでした。つまりは「木材好き」だったんですね。時には「大工さん」になることを夢見ていたこともありました。

 コラム氏の結びには全く同感を覚えるばかりです。「一本一本の木の個性と向きあうのが大事だと、兄さんは語る。『めんどくさい仕事です』。侵攻、グローバリズム、果てなき物価高騰と、錯乱する時世に、ただ静かに、生かす手を考え、木目を読んでいる人がいる。なぜだか心洗われる」ぼくは、ここに出ているような、職人が木材を見つめる眼差しに、教師が子どもを凝視する姿を早い段階から感じ取っていました。「一本一本の個性と向き合う」とは、なんという大事な、しかも優しい心使いであり、視線であることでしょうか。唱歌「若葉」にも同じような視線や心遣いが感じられるでしょうか。

【小社会】静かに木を読む シイ、ホオノキ、アスナロ、モモザクラ、ミズメザクラ…。木の水分が多い初夏5月。季節外れの原木市ではあるのだが、それでもラインアップは面白い。◆中を割ってみないと分からない、「ばくち」の世界。だから木にまつわる仕事人は勝負勘が大事らしい。とはいえ、日々の作業は実に繊細。◆高知市であった4月の市で40代のお兄さんが、カシの丸太を座って見つめていた。日高村の製材業の3代目。「2年待った。久しく出んかったのよカシが」。本をめくるように木をなぞる。競りが始まると、「虫がいるね」と指摘した。よく見ると針先のごとき穴が。これも駆け引きだ。程よく安く落札し、兄さんの「よしっ」という、心の声が聞こえてきそうだ。◆業界は長年、テンションの上がる話題がない。昨今の米、イスラエルの空爆に端を発する中東の混迷はことさら深刻だ。「ナフサ不足で、木材の結束バンドすらないんだから」◆さて買ったカシは―。梅雨明けまで丸太で干し、盤にしてさらに干し、「一回ねじくれさせて」から、サイズを落として材にする。最後は何に化ける? 「船の櫂(かい)とか」。へー、と思わず声が出た。◆一本一本の木の個性と向きあうのが大事だと、兄さんは語る。「めんどくさい仕事です」。侵攻、グローバリズム、果てなき物価高騰と、錯乱する時世に、ただ静かに、生かす手を考え、木目を読んでいる人がいる。なぜだか心洗われる。(高知新聞・2026/05/26)

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