明易き絶滅鳥類図鑑かな(矢島渚男)

 余りにも美しい景色に思われましたので、写真を使わせてもらいました。「お見事!」と、図らずも声を上げてしましました。(くどいようですが、本当に素晴らしい写真だったとぼくには思われたので、新聞社に電話をかけて、写真を撮影された方に「いい写真を見られたことのお礼を伝えてください」と頼んだほど)一方では、乱獲や理屈をつけて害鳥退治などと称して、ついには絶滅、そして貴重な卵を育て、雛を孵(かえ)し、一人前のコウノトリ(学名はCiconia ciconia)に育てる。それを天然記念物に指定し、大事に保護して、大いに繁殖が進み、…。

 またまた、増えすぎたといって乱獲、絶滅。こんな愚かしい、悪魔的な愚行のくり返しをしてきたのが人間だったかもしれません。人口減少も、それによく似た足跡をたどってきたと思う。絶滅にいたる道は戦争ですよ。産んで育てて、殺して絶滅寸前。考えるまでもなく、人間という種族は残酷でもありますね。その一員であることをぼくたち自身は忘れてならないでしょう。コウノトリの神秘的美しさは、本来、人間種族にも備わってるんでしょうがね。(キリスト教の一派に、人類の誕生から破滅までのくり返しの歴史、おそらく数百回を数えるのだという説を唱えるものがあるほどに、人間の愚かしさには極まりないのですね)

 いすみにコウノトリ飛来 1年半ぶり、2羽確認は初めて いすみ市に5月、国の特別天然記念物コウノトリ2羽が飛来した。23日は田植え後の水田に一緒に入り、餌を探すなどの姿が見られた。離れた位置から住民らが静かに見守っていた。市によると、市内飛来は約1年半ぶり。一度に2羽が確認されたのは、市の把握する2014年以降で初めて。
 市農林課などによると、1羽は個体識別の足環(あしわ)の情報から、25年4月に茨城県行方市の人工巣塔で生まれ、同6月に巣立った雄。もう1羽は足環が付いておらず、性別も不明。5月上旬から場所を変えて同じ個体とみられる2羽が目撃されている。
 いすみ市は自然と共生する里づくりを掲げ、有機農業などの取り組みを推進している。担当者は「貴重な野生生物が飛来してくれるのは喜ばしいこと。2羽が雄雌のペアかは分からないけれど、このまま居着いてくれたら」と期待を示した。
 同課によると、14~24年の飛来は全て1羽。前回は24年11~12月ごろに確認された。(橋本ひとみ)(千葉日報・2026/05/24)(ヘッダー写真も)

こう‐の‐とりこふ‥【鸛】〘 名詞 ① コウノトリ科の鳥。全長一一〇センチメートル、翼開張二メートルに達する。体は純白で翼の大部分は光沢ある黒色。カエル、魚などを主食とし、マツその他の高木の樹頂に営巣。古来「松上の鶴」と表現されるようにツルとしばしば混同されるが、あしが赤く、頭頂部は赤くないことで区別できる。鸛鶴(こうづる)ともいう。アジア東部に分布し、日本ではかつては各地で繁殖していたが、明治以降に激減し、いまは冬季に大陸から渡来するのみ。特別天然記念物。ヨーロッパ産の亜種はシュバシコウといい、子を守る愛情の深い鳥とされ、また、人間の赤ん坊を運んでくるという伝説がある。鴻(こう)。〔書言字考節用集(1717)〕② コウノトリ科の鳥の総称。脚と頸が長く、比較的頭と嘴の大きな、大形の鳥。水辺や草原にすみ、小動物を主食とする。アフリカ、アジアの熱帯に最も多く、世界に一七種を産する。日本にはコウノトリのほか、稀にナベコウが渡来(精選版)日本国語大辞典)

鴻巣(こうのす)の地名の由来と鴻神社 「こうのす」という地名は、古代に武蔵国造(むさしのくにのみやつこ)である笠原直使主(かさはらのあたいおみ)が現在の鴻巣市笠原のあたりに居住したとされ、また、一時この近辺に国府関連の施設があり、荒川や元荒川などを利用した水運も盛んだったと推測されることから、「国府の洲 こくふのす」が「こうのす」となり、後に「こうのとり」の伝説から「鴻巣」の字をあてるようになったと思われます。
 国府のことを「こう」と呼ぶのは、他の地名(国府台[こうのだい]、国府津[こうづ]など)からも類推され、国府のお宮を国府宮(こうのみや)と呼ぶのは、愛知県稲沢市にある尾張大国霊神社、別名国府宮(こうのみや)など、全国でも例があります。
 このことからこうのとりのお宮「鴻の宮」は「国府の宮(こうのみや)」であったのではないでしょうか。※笠原直使主(かさはらのあたいおみ)6世紀に活躍した豪族で行田市の埼玉古墳群の中の稲荷山古墳にまつられています。そこから出土した大和朝廷から拝領したとされる金象眼銘の鉄剣は国宝に指定されています。鴻神社は氷川社・雷電社・熊野社をはじめ、多くの神々をまつる鴻巣総鎮守で社殿の脇にそびえる大いちょうの下、四季折々に様々な祭りが行われます。(鴻巣総鎮守 鴻神社)(https://www.koujinja.or.jp/legend/

 兵庫県豊岡といえば、今では「コウノトリの里」としてよく知られています。時々、ぼくはこのサイトに寄り道して、しばし見惚れていることがあります。佐渡の鴇(とき)と双璧をなす、鳥の町でもあります。今もおられるかどうか、数年前に、この施設にロシア人の女性が働いていました。彼女は熱心に鳥の世話をし、その心優しさに打たれたことがありました。ある日の夕食、子どもと一笑に夕飯を食べようとして、「お母さん、今日はどんな料理なの」と子どもが尋ねたところ、彼女はもじもじして堪えづらそうんしていましたが、買ってきたたものを見ると、なんと「焼き鳥」でした。「こんばんは、ヤキトリがおかずです」と言った、その時の彼女の表情が忘れられません。(豊岡市H.P.:https://www.city.toyooka.lg.jp/

*表題句は矢島渚男さん作(1934~ )。長野県丸子町まれ。県内高校教師などを務めた。ぼくは、この俳人の全貌を全く知らないままで生きて言いました。大学時代には作家の大江健三郎さんと同期だったという。句中の「明け易き」は「明易(あけやす)」、「明け易し」で、夏の季語。「短夜(みじかよ)」に同じか。

そばがらをこぼす枕の明け易き(山口青邨)                                                                             
・みしか夜のにわかにあけるけしき哉(子規) 
・短夜の寺ただ白き花ばかり(飯田龍太)などなど。 

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馬鹿は死ななきゃ治らない

 3日前の読売新聞「社説」を読んで、咄嗟に「虚報(Fake)」だと受け止めました。あるいは「4月1日」だったのかとカレンダーを見直したほどでしたよ。「ナフサ供給問題 企業や家計の不安を直視せよ」と、この現首相応援団長新聞が政府(監督)に注文を付けた格好だ。ポテチのカルビーがナフサ不足を想定して白黒袋に代替すると報じた際に、政権党の幹部(名前は知ってっています)は「売名行為だ」といった、こういう嫌な表現を直ちに使える政治家って、どういう奴なんでしょう。この読売の「虚報」記事が出た瞬間に「それは読売の売名行為だ」といったという報道がなかったのだから、それは「虚報」でも何でもない、当たり前の政治・政権批判報道だったことがわかる。読売は宗旨を変えたのかどうか、まさかね。

(ヘッダー写真は「大政翼賛会の発会式を伝える1940年10月16日発行の読売ニュース」「読売新聞オンライン 検証 戦争責任」(https://www.yomiuri.co.jp/sengo/war-responsibility/chapter2/chapter2-6.html

 そし昨日の産経新聞「主張」にも、「ナフサの供給 政府は不安解消に全力を」と指摘。読売と「結託」してか、「相談」してか、同趣旨の批判記事を出した。宗旨替えをしたのかどうか。「目詰まり」を起こしているとして「企業からの相談を受け、政府はその解消に努めているが、影響は続いている。供給不安の解消には、業界団体と連携するなどして、より正確に実態を把握することが重要になる」と政権応援団が神輿に担ぎ上げた「虚言症首相」を詰(なじ)っているようにも読めました。おそらく業界団体が官庁に向かって「不安」や「本音」を伝えてきたので、驚いた各省庁官僚たちは、実際のところを政府に上申した結果、そこに両新聞も加わって「政府よ、しっかりせよ」と狼煙を挙げた、それが産經の「主張」であり、読売の「社説」だったと思う。潮目が変わったのか、変わるのか。

 こんな状況で、政権は続けられるんですか。アメリカからも「円安」をどうにかしろと叱責され、なけなしの外貨「十兆円余」を溝(どぶ)に捨てたも同然の「為替介入」だったが、数日持たず元の木阿弥。国債金利は十年物で2.8%前後をを推移している。日本売りが始まったとみていいでしょう。物価高騰はさらに続き、石油危機は先が見通せない。とにかく一時間でも早く首相は辞して、疑惑弁明会見を開いて、そして議員も辞めるべきですね。この時期、「政府機関紙」の役割を果たしてきた二新聞が、おそらく「(非難や批判の)お鉢(危険)が回ってくる・きた」と、自己防衛を始めたのでしょう。どこまで行っても、「御身かわいや」ではないですか。「救国(非常事態)内閣」(この表現は大嫌いですが)を組閣すべき時ではないでしょうか。国会議員の有象無象は「丸坊主」になって、汗をかけよ、と言いたいね。

 首相自身の言動そのものが「売名行為(self-promotion)」でしかないこと、加えて彼女が言い触らしている「目詰まり(clogged)」を起こしている、それは「ご本人のこと」なんでしょ、といっておきます。目が見えないままで「首相でござい」とは笑止千万。あなた程度なら、いかにダメ政党でも、自✖党には掃いて捨てるほどいるでしょうよ。だから、そこを退いてほしい、多くの国民が迷惑しているんですよ。

(⁂~昭和石松伝~馬鹿は死ななきゃなおらない・木村友衛)(https://www.youtube.com/watch?v=tWhANx99gjI

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「徒然に日乗」(1102~1108)

◎2026年05月24日(日)応援後方(広報)部隊が嘘つき政府(高市)を叱責するの図。読売と産経が以下のような社説を書いていた。❶「ホルムズ海峡の封鎖が長期化していることで、ナフサの供給に不安が広がっている。/ナフサは、プラスチックや印刷用インキなど、さまざまな素材の原料になる。供給が不安定になっていることで、幅広い製品に影響が出始めている。/高市早苗首相は、ナフサ由来の化学製品の供給について「年を越えて供給を継続できる」と繰り返し表明している。それでも供給不安が生じている理由について、政府は企業が必要量以上に発注したり、原料は足りているのに出荷量を減らしたりして流通段階の目詰まりが生じているためだとみている。/企業からの相談を受け、政府はその解消に努めているが、影響は続いている。供給不安の解消には、業界団体と連携するなどして、より正確に実態を把握することが重要になる」(「主張」産経新聞・2026/05/24)❷一昨日の記事を遅まきながら。「(略)カルビーが「ポテトチップス」などの包装を25日以降、カラー印刷から白黒刷りに変更すると発表したのは、危機対応の象徴だ。/原油だけでなくナフサも十分に確保されていると言うなら、その実態を具体的に説明することが必要になる。政府の見解が国民の生活実感とかけ離れれば、かえって不安を招き、買い占めや買いだめが起きかねない。/政府が複雑な流通網の分析を深め、企業の不安に寄り添った情報を発信していくことが大切だ。医療など命にかかわる分野への優先供給なども課題になる。企業情報を多く持つ金融機関は、不足する製品の融通を支援してほしい。/政府は景気への配慮に傾く中で、ナフサが足りていると強調し、ガソリンなどの節約要請についても慎重な姿勢を続けてきた。/だが、ガソリンなどの節約が必要だとの認識を広げれば、危機対応の重要性への理解が深まり、ナフサの代替策を探る動きも本格化しよう。政府は、エネルギーの節約に向けて、段階的に節約を要請する手法を検討すべきだ。(読売新聞【社説】2026/05/22

 これを素直に読めば、現内閣はどこを向いても政治をしてないということ(自分の地位維持のためだけしか考えていないという意味)を、総理大臣の「手先」「犬」「政権与党の機関紙」であることを隠さない両紙が、あからさまに「事実」を書けば、こうなるという記事を書いただけ。「腐った政府」にくっついていた「腐った新聞」が「正直にナフサがないのだから、ナフサはないと言え」と国民の面前で首相を詰(なじ)っている。「お前の失政のために、我らが迷惑(批判され、購読数減)を蒙るのがわからんのか」とでも言いたそう。この国は「破綻」したも同然だ。間もなく、新聞印刷でも「白黒」に切り替わる事態が生まれると思う。それを、自民党の某幹部は「売名行為」というだろうか。言うがいい、言えるなら。誰のための「議席」だと考えているんだか。(1108)

◎2026年05月23日(土)早朝午前2時前に、寝室の窓の下で啼き声が聞こえる。横になりながら、窓を開けたら、赤虎が入ってきた。灯りを点けてみると、一か月ほど帰ってこなかった「COO(クー)」だった。帰ることができて安心したのか、しばらくは鳴声を上げ続けていた。これで二度目。午後によく猫の体を調べてみたら、「マダニ」が何匹か食い込んでいた。早速「フロントライン」を滴(したた)らせる。そして注意深く「マダニ」をはがして処分した。かなり体力的に弱っている風にも見える。とにかく無事で何より。この時間帯(午前2時前)から、起き出してしまった。▼21日に行われた「党首討論会」の録画を見たが、とてもすべてを見ることができなかった。酷いというほかに言葉がない。ようするに、この国を破綻させるためだけに「首相」を務めて、その椅子にしがみついていたいだけなんだということが分かった。そんな「首相」に諂(へつら)うことしかしない野党党首ども。経済財政破綻は目前の一座の猿芝居をしている暇があるのかね。危機意識ゼロ、緊張感ゼロ、国がダッチロールを繰り返しているのに。(1107)

◎2026年05月22日(金)朝から雨。まるで梅雨入りのような天気具合。しかしまだ入梅は先のよう。▼昼頃に茂原まで買い物に。▼家の周りは、それこそ「草茫々」、木々の枝は伸び放題。これを選定したり、除草したりする作業がたっぷり残っている。落ち葉の始末、雨樋(どい)の掃除等々。気長に、無理をしないで、マイペースでするしかないだろう。肩こりのようだが、右肩付近がやけに痛いのが気になる。(1106)

◎2026年05月21日(木)夜来の雨が続く。終日降り続いていた。気温も急激に下がり、まるで3月に逆戻り。明日もさらに寒くなるという予報。▼午後何時ころだったか、二日ほど帰宅しなった子猫(カノン)が家に帰ってきた。かなり雨に濡れていたが、ケガもなかったようだ。家にいる同じキジトラで、一歳年上の子(♀)がいじめる(弄ぶ)のだ。相性が合わないのだろう。何とか、うまくいくといいのだが。(1105)

◎2026年05月20日(水)早朝5時半ころに「ペットボトル・カン」の回収場まで専用袋を持参。▼午後になっても室温は29度を超えている。各地では猛暑日の連続である。さらに暑くなるのだから、老骨には堪える。やがて「梅雨入り」だろうが、本格的熱夏の露払いみたいなもの。▼一番小さな猫が昨日から帰ってこない。一つ違いの猫にいじめられて、家に帰れなくなったのだ。ちょっとした油断で、このところ盛んに「いじめていた」ようだ。何とか、帰ってくることを祈っている。猫にも「相性」があることに、当然とはいえ、驚くのだ。(1104)

◎2026年05月19日(火)好天が続く。しかし、この週末からはやや天気が崩れるという。そろそろ「梅雨入り」が近いのだろうか。本日も各地で猛暑が襲って、所によっては35℃超えを記録している。本格的な暑さがもうやってきたようだ。▼卒業生のS.N.さんからメール。新しい中学校で奮闘を続けられているとの由。大いに子どもたちと飛び跳ねてほしいと思う。▼「日経平均60,550.59 -265.36 NYダウ49,686.12 +159.95 ドル円159.11-13 +0.19円安 NY原油108.10 -0.56 長期金利2.790 +0.050」(日経新聞・2026/05/19)(1103)

◎2026年05月18日(月)昼前に茂原まで買い物に。おそらく、気温は街中では30℃を超えていたかもしれない、それほど暑かった。5月半ばでのこの高温では、先が思いやられる。全国で35℃を超えたところもあったという。京都行を決断しなければならないのだが、この暑さが続くようだと、残念だけれども、断念するほかないようだ。▼「ドル円158.73-75 +0.29円安 長期金利2.735+0.035」(日経新聞・2026/05/18)(1102)

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人間性破壊の特異点が生じているかも

⁂「週のはじめに愚考する」(120)~ 「AI はツール(tool)ではなく、行為主体(agent)である」という 駄文を二日前に綴ったたばかり。人間自身が問題(事態)を判断するのではなく、それを「AI」という人工物に委ねられているという原理は普遍性を持っています。駄文を綴った際に、ドラえもんや鉄腕アトムは「善意のロボット」として生み出されているので、残酷なことや悲惨な結末を産むことがないのは予測できたと書きました。どちらも、人間性の及ばないところにその力を発揮し、戦争や自然災害などの災厄を免れることができる選択をする、その方途を明示するように「善意のロボット」は働いていたのではなかったか、それが駄文の趣旨でした。

 本日の西日本新聞のコラム「春秋」は、熊本大学の学生の一人が「AIはのび太にとってのドラえもん」と指摘していたと書かれていた。我が意を得たというのか、「善意の助っと」は、誰にとっても歓迎される存在ですから、たとえ漫画と雖も、大いに読者や視聴者から歓迎されるのは当然だったでしょう。「のび太君は事あるごとにドラえもんを頼り、無理難題を丸投げする。ドラえもんは『困ったやつだなあ』と嘆息しながら『ひみつ道具』を取り出し、解決の手助けを試みる」そこには人間と人型ロボットの間の「友情」というものが明らかに感じられていたでしょう。

 (ヘッダー写真は「藤子・F・不二雄大全集 ドラえもん (20) コミック – 2012/9/25」)

【新生面】AIとドラえもん 「AIは、のび太にとってのドラえもん」。熊本大でジャーナリズム論を学んでいる学生の一人が、今の若者たちと生成人工知能(AI)の関係をこのように解説してくれた▼勉強のこと、友達とのこと、やらかしてしまった大失敗のこと…。のび太君は事あるごとにドラえもんを頼り、無理難題を丸投げする。ドラえもんは「困ったやつだなあ」と嘆息しながら「ひみつ道具」を取り出し、解決の手助けを試みる▼けれど、なかなか成功しない。うまくいったように見えても、すぐに「ひみつ道具のおかげ」であることが露呈し、さらなる窮地に陥る、というのがお決まりのストーリーだ▼今の若者たちは生成AIとどんな関係を築いているのだろう。内閣府の調査によれば、生成AIを使っている人の23%、10代女性では52%が「悩み相談」を目的に挙げている。人間関係などへの助言を「信頼している」との回答は全体で38%、10代女性では63%に上った▼昼夜を問わず困り事に対応し、秘密も守ってくれる。生成AIは確かに便利で心強い存在だ。ただ、心地よい関係に依存しすぎると、生身の人と話をするのが面倒になってしまいそう。生成AIの助言を参考にしながら、人まねではない、後悔しない決断をできるかも気になる▼生成AIは全ての世代の人々にとって必須の道具になっていくに違いない。とはいえ、それと引き換えに人として大切な何かを失っては元も子もない。ひょっとしたら、のび太君とドラえもんはそう伝えているのかも。(西日本新聞・2026/05/24)

 鉄腕アトムにしてもそうでした。人間社会、ひいては人類の危機に、果敢に挑戦する「平和のヒーロー」という印象がとても強かったと思う。その人型ロボットのエネルギー源が「核物質(ウラン)」であったのと比べて、今日の人型ロボットは「レアメタル」だという違いはあるでしょう。その違いは、決定的なものだったかどうか、ぼくには断定はできませんが、無奇物(鉱物)から有機物(動体)を生じるという点ではいささかの差異もないと思います。

 ドラえもん(1969年登場)も鉄腕アトム(1951年誕生)も、同時代の存在として、ぼくはよく理解し、歩調をそろえて、並走していたとは言い難く、あまり優れた読者・視聴者ではなかったことを白状しておきます。今日においても、ぼくは一度として携帯もスマホも所持したことはなく、寿命が尽きるまでに一度だけでいいから「バーコード」を読み取ってみたいという、まるでおサルさんのような希望を持っている人間です。適例かどうか、にわかに判別はできませんが、小学生が戦争ゲームで敵側にミサイルや核爆弾を発射する、そんな考えたくないような未来社会が、ぼくたちの生活圏で「口を開いて」始まっているというようにも考えられます。

 一人の人間の中に、より多くの善意に基づく要素と、反対に悪意に向かいがちな傾向とがあって、確かに、そのような二種類の人間がいると、ぼくたちは考えたくなります。人間の作るロボットですから、その二種類の傾向(要素)の強弱はきっと作品(ロボット)に反映されるでしょうし、最初から意図をもって作られれば、はっきりとした「殺意」や「嫌悪」を示す行動をとるロボットも生まれてくるでしょう。ドラえもんや鉄腕アトムの「作者」たちは「人間愛」(人類愛)「闘争ではなく友愛」により強い親和性を持っていた人だったから、それを鑑賞する側も安心しておられたのではなかっかと思う。

「生成AIは全ての世代の人々にとって必須の道具になっていくに違いない。とはいえ、それと引き換えに人として大切な何かを失っては元も子もない。ひょっとしたら、のび太君とドラえもんはそう伝えているのかも」(「春秋」)というコラム氏の指摘は間違ってはいないでしょう。しかし、今、ぼくたちの社会見に見られる「AI技術搭載品」は、あくまでも「道具(tool)」であって、それ以上でも以下でもないから、事は面倒ではないとも言えます。「機械に頼るのではなく、最終的には自分で考え判断する力を持たなくちゃだめだよ」と、コラム氏は、アトムやドラえもんになり代わって言われたのかもしれません。。

 今日の課題となっているような、「人工知能」以降の開発課題、問題発掘等、それを考えるには、この駄文はふさわしくない。要は生成AIの人間化を進めるのは、そこに「道徳性」、あるいは「責任性」というものを想定しなければならないのでしょうが、まだまだ現状では十分ではない。ある人に言わせると、人工知能は、2029年にAIに凌駕されると言われている。(この先を論じると際限がなくなりそうですので、今回はここまでに)

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 (蛇足 携帯電話が話題になりだした時期(1980年代後半)、持ち運びができる電話ということで、とても受け入れられたことをぼくは記憶している。もちろん、その段階で、ぼくには不要な機器だという判断があったし、それが今に至っても続いているのです。簡単に言うと、あくまでも通信(通話)の道具(手段)であるという認識でした。機械(道具)は便利で効率が高いから普及するのでしょう。洗濯板で汚れを落としていた時期から、一転して電気洗濯機が作られるとたちまちのうちに普及しました。なによりも重労働からの解放が認められたからでしょう。自動車もそうでした。

 しかし、スマートフォンが流通するようになった段階では、明らかにベクトルは変わってきました。通信の手段ではなく、それを超越した発展可能性を持っていることがわかっていたからでした。自動車がスマートフォンを搭載するとどうなるか、たぶん開発者は、それを予想しながら未来図を描いていたと思う。自動運転はもちろんのこと、空を飛行する車も考えられていた。それ以上に、スマホに乗せられる「AI」の進化によって、人間自身が人工知能に動かされる、命令されるなどという人間の受動性が明らかになり始めた段階で、事態は局面(フェーズ)を変えたのでしょう。 

 これからもぼくはスマホは持たないでしょうから、シンギュラリティ―(singularity)問題はぼくには起こりません。それが社会の大きなテーマになる頃には、ぼくはとっくに消滅しています。

 人型ロボットをこよなく愛する人型人間が生まれていることは現代社会のまぎれもない現象です。もはや「AI」なしの生活が考えられなくなっているという事実はいたるところに見られます。人間行動のかなりな部分が、生成AIにそそのかされて、あるいは導かれて行われているという傾向も否定できないでしょう。それは人間性の進歩というか、人間性の伸長という問題ではなく、その反対に人間性の略奪、人間能力の抑止・抑圧に働くことは、一面では否定できないように思われます。「鉄腕アトム」や「ドラえもん」に熱を挙げていた、素朴な人間および人間性にぼくたちは郷愁を覚えるはずでしょうが、やがて、その時機はもう過ぎ去ってしまったという悔しさを覚えることになるはずです。

 極小の「ナノボット」が人間に移植される時代が来ると期待されているのでしょうか。人間の知性と人工知能が仲良くできればいいけれど、うまくいかないことの蓋然性は高いという主張もあります。ここまでくると、ぼくの興味も理解力も超えてしまいますので、その隘路(あいろ)には踏み入らないいつもりです。人間がロボットに額ずく時代、そんな環境には住みたくない、というより、今だって十分に「人間のロボット化」が進んでいるし、人間でなくなった「衝動(の塊)」が、さまざまな問題行動をとっているからです。衝動という表現を「本能」と言い換えてもいいでしょう。人間性を破壊する「本能」というものもあるというのは矛盾した考えですが、自分で自分を殺すのもまた人間ですから、ぼくたちの中にはすでに、人間性を破壊する「シンギュラリティ(特異点)」が動き出しているんだという認識に似たようなものは、ぼくにはあります。

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◎ 技術的特異点(ぎじゅつてきとくいてん)technological singularity = 人工知能に代表される技術 technologyのもつ知能が,自己再生産によって指数関数的に高度化するという収穫加速の法則に基づいて人間の知能を抜き去り,超知能が出現する時点をさす。アメリカ合衆国のコンピュータ科学者であり発明家のレイモンド・カーツワイルが提唱した 2045年頃に技術的特異点が出現するという説から,そもそも,そのようなことはありえないという説まで,幅広い意見がある。1980年代に数学者で SF作家のバーナー・ビンジが数学に由来する特異点という概念で技術の未来について論じ始め,1993年には “Whole Earth Review”誌で “Technical Singularity”という表現を使った。(↷)

 その後,カーツワイルが 2005年に公刊した書籍『シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき』The Singularity Is Near: When Humans Transcend Biologyによって世界に広まった。近いうちに技術的特異点がやってくると考える人たちは,出現後の人類のあり方について議論を展開した。そのうちの一つに,マインドアップローディングという操作により,人間が自分の意識を脳からコンピュータに移し,超知能のなかに統合することで不老不死を得られるのか,という議論があった。この議論から,マインドアップローディングされたあとも同じ自分であるという意識を持続できるかといった議論や,テクノロジー社会に生まれたわれわれはすでに人工物と融合したサイボーグの一種なのではないか,といった議論も派生した。(ブリタニカ国際大百科事典)

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Enjoying the feast on the eve of collapse.

  過去最多の6党参加「党首討論」は駆け足質疑に終始…導入時には想定外だった「1強多弱」で制度にきしみが
 
 今国会で初めて開かれた20日の党首討論では、過去最多の野党6党首が高市早苗首相と論戦を交わした。ただ、多党化の影響でそれぞれの持ち時間は3~12分にとどまる駆け足の質疑。二大政党のリーダー同士が政権担当能力を競い合う場という、制度導入当初の意味合いは薄れているのが実情だ。(近藤統義、川田篤志)
◆玉木代表は対決色を封印、小川代表は…
 「ガソリンの暫定税率廃止を一緒にやってきた仲間だ。重く受け止める」
 国民民主党の玉木雄一郎代表からガソリン価格を抑制する補助金政策の「出口戦略」を問われ、首相は与党議員への答弁のような前向きな姿勢を示した。
 玉木氏も首相の答弁に「大きな方向性は合致している」と賛同したり、19日の日韓首脳会談を「素晴らしい外交成果だ」と持ち上げたりするなど、対決色を封印した。
 対照的だったのが、首相と中道改革連合の小川淳也代表のやりとり。中東情勢の緊迫化を受けた2026年度補正予算案の検討指示の遅れを追及する小川氏に対し、首相は「早くから対応の可能性もあると腹に留めていた」と反論。国会審議で補正予算の編成を否定したことを指摘されても、「私の表現ぶりが『現時点では』『今すぐ直ちに』『今日の時点では』と変わっていったのはお気付きだと思う」と突っぱねた。
◆45分を6分割…最長でも持ち時間は
 一方、両党首が「表面的なやりとりにとどまってしまう」(玉木氏)、「議論の深まりは不十分」(小川氏)と持ち時間の短さを嘆いたことは共通している。
 党首討論は与野党の申し合わせに基づき、1回当たり45分を議席数に応じて割り振る仕組みだが、2月の衆院選で「衆院または参院で所属議員10人以上」という参加要件を満たす野党が6党まで拡大。細分化した野党の勢力差も大きくないため、最長の国民民主で12分しか与えられなかった。
 英国議会のクエスチョンタイム(QT)をモデルに、日本の国会で党首討論が始まったのは2000年。英国に倣って、政権交代可能な二大政党が次の国政選挙をにらみ、骨太の政策論議を展開する場とうたわれ、当初は自民党と民主党の党首が対峙(たいじ)し、一定の役割を果たしていた。
 導入時には想定していなかった与野党の「1強多弱」で、制度にきしみが生じている面はある。
 持ち時間が9分だった立憲民主党の水岡俊一代表は記者団に「多党時代なので時間を延ばす対応があるべきだ」と訴えた。(東京新聞・2026/05/21)

 「過去最多の6党参加」「党首討論」と各紙は報道していましたが、ぼくに言わせれば、間違いなしに「過去最低の(6党参加の)党首討論」でした。幾つか理由はありますが、まじめに考えることすら腹立たしいし、反吐が出る。「党首討論」と看板を掲げていたが、質問項目は事前通知。そして答弁も事前に提示されていたのではないですか。国会の代表質問と質疑に倣ったか。「馴れ合い(Collusion)」という、おそろしい八百長。<Collusion>にはいくつもの含意がありますが、「共謀・結託・馴れ合い・内通・内応」等々、間違いなしに国を破産させる営みでしたね。これを「討論」というのですか。質す内容も、質された問いの答えも、お互いが事前に知りながら、無駄な芝居をやること自体が、不真面目に過ぎますよ。

 首相は直前まで韓国遊山。事前に質問に対する答弁はできているのですから、それを読み上げだけだから、ばかばかしいにもほどがあります。「過去最低の6党」に割り当てられた持ち時間は話にならないものでした。3分や5分で何を質し、何を引き出すつもりだったのでしょうか。見るに堪えず、聞くに堪えず。ここまでひどいとは?、いや、いや、思った通りの有象無象でしたね。ぼくはもっと愚劣だと見込んでいますからね。とにかく、一日も早い辞職(退陣)を願うばかり。酷さ比べをするつもりはないけれど、これほど首相の座を汚し続ける国会議員がいたでしょうか。に言の欠陥が見え透いているにもかかわらず、それにお追従する「党首」も、まことにお似合いの不出来ぞろい。恥ずかしい限りですね。

 さらに、最も肝心なことは現首相には大きな「疑惑」がいくつもかけられていて、それに対してまともに、一度として反論もしなければ、説明をもしない、にもかかわらず、それを問い質さないというのは、事前に「約束」ができていたのではないか。「J 党総裁選挙」「衆議院議員選挙」のいずれにも首相の腹心が他候補を中傷誹謗する動画を民間人を介して依頼し、それを選挙期間中ネットを通じて拡散させていたと報じられた。その真偽についてすら反応しないのは、「三十六計、逃げるにしかず」というやつでしょう。検察も警察も動かないんですか。ならば、ぼくが告発しても、と考えているくらいですよ。やり方が、姑息の上に、汚い。それに対して一片の「釈明」もしない、あるいは、だれも求めないのはどうしてか。その釈明会見を求めない野党とは何ですか。この首相はあらぬことを国会で答弁して「中国に喧嘩を売った状態」で、そこからいろいろな不利益を蒙っている。いわば。自らの誤った答弁で国益を大きく損なっているのに、双方がそれに一切言及しないのはどうしてか。

 ぼくはかなり前から、今日の国会には野党という勢力は存在しない、ほとんどが「与党」だといい続けてきました。「与野党」というのは悪い冗談。質疑応答を笑顔を交えて、話し合うという弛緩状態にこそ、国会の今日の実態があったと思う。はっきりとさせなければいけない。この首相は「首相の任」に堪えられないことは明々白々です。総理大臣の正当性(legitimacy)が明らかに疑われているのに、それになぜ目をつむるのか、ぼくには国辱ものというほかに言葉がない。

 つまり、国民はまるで問題にされていないというのです。間違いなしに「国難」が始まっているのに、この不祥事ともいうべき「党首討論」のでたらめさ。討論会開始直前、総理は破顔一笑で「二日酔いで」とふざけていた。首相失格の御仁を前にして、各党首は「おべんちゃら」「愛想」の羅列と合唱。日本国議会、ここに極まれり、でした。一刻も早く、首相を筆頭に、各位退任してください。経済財政破綻も始まっているし、日本投げ売りの火ぶたも切られました。今次の国会党首討論会。一言するなら「国難を前に、それを娯楽の材料にしているのだ(They are using national crisis as material for entertainment.)」国会政党の党首たちは「破綻」前夜の宴を楽しんでいるのだ。(Enjoying the feast on the eve of collapse.)彼らの酔態というか、醜態というべきか、見てはならないものを見せつけられた。当方には、そんなに出鱈目(でたらめ)な生き方をしてきたつもりはないのですがね。とんだ災難でした、終点直前で、さ。

 (こんな為体・テイタラクを見るために長く生きているのではないのに、「多辱の花粉」は向こうから当方に降りかかってくるんだ)

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(⁂ Patti Page – “It’s a Sin to Tell a Lie” https://www.youtube.com/watch?v=5Mye4fFrazE&list=RD5Mye4fFrazE&start_radio=1


[Verse 1]
Be sure it's true when you say, "I love you"
It's a sin to tell a lie
Millions of hearts have been broken
Just because these words were spoken
I love you, yes, I do, I love you
If you break my heart I'll die
So be sure that it's true when you say, "I love you"
It's a sin to tell a lie

[Instrumental Break]

[Verse 2]
I love you, yes, I do, I love you
If you break my heart I'll die
So be sure that it's true when you say, "I love you"
It's a sin to tell a lie

[Outro]
It's a sin to tell a lie

("It's a Sin to Tell a Lie" is a 1936 popular song written by Billy Mayhew.)
* マーケットの状況 日経平均 63,339.07 +1654.93  NYダウ 50,579.70 +294.04  ドル円 159.17-19 +0.15円安  NY原油 97.00 +0.65  長期金利 2.760 ±0.000 (日経新聞・2026/05/22)

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AIはツールではなく、行為主体である

【小社会】AI面接 いまの学生の就職活動は、5月末までに内定を得るのが一つの目安だそうだ。その通りの動きだろう。来春の卒業予定者の内定率が4月末時点で、既に70%を大きく超えていることが先日、民間調査で明らかになった。◆ちょうどわが子も就活中。早期化に伴い、学生もより多くの企業に挑戦するようになっているという。売り手市場ゆえだが、はたから見ていると、それを可能にする理由が他にもあるのに気付く。人工知能(AI)の普及。◆学生側は志望企業に自己PRなどを記入した「エントリーシート」を提出する。それを素早く、簡単に作文してくれる便利なAIがある。加えて、企業側もAIを使ってさばけるようになった。◆特に大企業ともなると、応募者は毎年、数千人に上る。AIが書類選考し、最初の面接も「AI面接官」という事例が増えているらしい。「聞き忘れもなく、(人より)公平な評価ができる」。導入企業の人事担当者の感想が以前、本紙に載っていた。◆ただし、最終面接は人が担当。個性や持ち味を加味し、最後は人の責任で選ぶ。それでも、わが子から「あすはAI面接」と聞くと、機械に選別されるようで複雑な気分になる。◆今月は内定を得る学生が一段と増えそうだ。AIで応募書類を作り、AIに評価されて社会に出る。時代の変化を理解しつつも釈然としないのはアナログ世代だからだろうか。それこそAIに尋ねてみたい。(高知新聞・2026/05/22)

 昨日はアメリカのある大学では、試験中に「AI」装着の機器などを駆使してカンニングをする学生が多すぎるので、これまでの慣習(試験監督者を試験中には置かなかった)を改め、不正防止のために試験監督を設けるという「ルール」を導入したという問題に関して愚考を述べました(「人間性が『AI』に蚕食される時代です」)。同じようなAI利用問題は、現段階では民事裁判に限定されているが、「AI機器」を用いているというし、医療では「AI診察」を導入しているという具合に、あらゆる部門で人工知能(生成AI)使用の現実があり、その是非をめぐって喧(かまびす)しい議論が戦わされています。

 本日は、すでにかなりの企業が採用している「AI面接」を高知新聞のコラム「小社会」が取り上げていました。「来春の卒業予定者の内定率が4月末時点で、既に70%を大きく超えていることが先日、民間調査で明らかになった」という。今も昔も、この社会における大学(他国もそうでしょうが)は、創設当初から完全な「就職予備門(Job hunting preparatory school)」でしたから、この事態そのものにぼくは驚きませんが、大学教育の「空洞化」はますますひどくなっているのだという実感を強くします。まだ在職中、いわゆる企業と大学との間に結ばれた「就職協定」なるものがあって、学生の会社訪問は4年生の6月を俟って開始・解禁するという約束だったが、そんなものはあって、ないも同然。当時でも3年生の春から就職活動(就活)が始まっていました。ぼくは一回だけでしたが、この「就職協定」遵守を申し入れるために経団連だったかに赴いたことがりました。規則や協定は破るためにあるというのが、この社会の風潮でしょうか。

 その企業における「AI面接」の採用問題です。幾つかの実例を見ましたが、人間がやるのと基本は同じであるのは当然で、AIだから、特別の趣向があるわけでもないでしょう。民減がやっていた面接をAIが代わりにするというだけのこと。これまではたくさんの応募者を「分単位」で区切り、あるいは集団面接で捌(さば)くなど、いろいろと苦労しながら、企業は人材を選別・確保してきました。この「AI面接」の利点は、何時でも何処でも学生が面接日時を設定できる(らしい)、限られた面接時間でも、上限はかなり長くなっている、結果もネットを通して報告されるなど、従来よりも面接処理方法が、企業にも学生にも「効率的」「機能的」になったとされています。

 何のことはない、これまで企業人が行っていた面接をAIが行うのですから、極端に言えば、いささかも変わらないではないかということでしょう。これを少し別の表現でいうなら、「企業人のAI化」が進んでしまって、逆に、これからは「AIの人間(擬人)化」が進行しているということです。このAI面接を導入して何年にもなる企業も数多く見られますので、これまでの人間面接者とは「特段の差異」はなさそうだということのようです。詰まりは、こんなことは「機械化」できる仕事だったということですね。これはAI利用方法の問題です。

 話が横道にそれます。もう何年も、毎日のように新聞コラムを読んでいて、時々、これは人間(記者)ではなく「AI」が書いたのだろうと思いたくなるものが、かなり増えてきました。具体例を提示しましょうか。このコラムは「AI記者」が書きましたと、言いたくなるものが本日もありました。それをとやかく言う筋合いは、ぼくにはない。人間が書いているものとばかり、読む方が勝手に思い込んでいるだけで、実は、こんなことは早くからやられていたのかもしれません。といってしまえば、叱られそうですが、実際はどうでしょうか。人間かAIか、よくわからないという事態が、静かに進行していると考えれば、驚きもしませんけれど、別の角度から見れば、ゾッとしますよね。

 適例ではありませんが、ぼくは大学入学試験で「マークシート」が導入される際の騒動を思い起こしています。これまで通りに人間がやるのとは違って、機械化にかけるための処方が求められますから、入試問題そのものの性質が変わるという意見があった。でも、これまでもほぼすべてが〇✖(選択)式の問題でしたから、何の差し障りもなく移行し、その便利さから抜け出せなくて、今もマークシートは有力な入試問題の対策の主流にあります。繰り返します、人間の仕事を機械(AI)が肩代わりしているのです。スコップを使って穴を掘っていたのは、今では重機を用いて短時間で効率よく大仲を掘るのに似ています。便利・効率化が何よりという人間の欲求が生み出した機械化による効果です。

 それと同じようには論じられないのが「人工知能」「生成AI」、そして「AGI(汎用人工知能)」「ASI(人工超知能)」の開発と普及の問題です。人間は長い時間をかけて機械・機器と共生してきました。その歴史にはいくつかの「画期(innovation)」があったのです。一例では、アルビン・トフラー氏(Alvin Toffler(1928~2016)という文明史家が説いた「第三の波」「未来の衝撃」などにおける技術革新の切り開く社会像の提示などがありました。

 今日では、歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)(1976~ )氏に代表的に見られるAI革命の未知の部分(実はこれこそがAI革命の核心であるのです)を鋭く突く何冊かの著作で、AIは便利な面(道具性・効率性)ばかりが強調されるけれども、実は、これまでに誰も経験したことのない未知の世界を生み出す力を有しているという指摘です。「トランプのような者はこれまでにもいたけれど、AIは一度も存在しなかった」という指摘には多くの示唆(暗示)が含まれています。ぼくたちはこれまでに経験してこなかった、人類史上の危険な淵に差し掛かっているともいわれます。

 AIはツールではなく、「行為主体」であるということ <AI is an agent of action.>(ハラリ)

 「AI革命」は始まったばかりという印象をぼくは持ちます。「功罪相半ばする」するという受け止め方が多くあるようですが、どうでしょうか。長距離を歩くことは重労働に類することでしたが、自動車や飛行機の搭乗を、それを驚異的に革新してくれました。今、その自動車や飛行機といった機械(agent)が、自らの意志で何事かを企むとしたらどうでしょうか。ぼくの直感からすれば、「パンドラの箱」が、「AI」という画期的な「発明」によって開け放たれた状態であるとも思われます。箱の中には「希望」は、たぶん残されていないかもしれないのです。ロボットやクレーンのような機械仕掛けの「働き手」だけが「AI」の道ではないでしょう。つまり、この社会で問題にされているのは、今までは主として「ツール」としての「AI」の側面であって、それは「AI」そのものの本質を無視していることにほかなりません。詳しくは述べられませんが、「AI」それ自体が「行為主体(agent)」であるという問題に直面するとどうなるか。この社会でもその問題はすでに発生しているのですが。

 早い話が、鉄腕アトムやドラえもんが、ぼくたちの日常生活で、家族の一員として、あるいは隣人のように、友人のように存在して活動する場面を想像できるでしょうか。彼等は「善意のロボット」だから、よかったものの、もしこれがそうでなかったら、ぼくたちはどうするのでしょうか。手に負えない、始末に困る「人型ロボット」がまさに、各所で誕生しかかっているのですね。<AI is an agent of action.>という意味は、そういうことも指すでしょうね。(未完)

●参考資料 *ユヴァル・ノア・ハラリが情報の未来をアップデートhttps://www.youtube.com/watch?v=Q6ePTCg1mSs

◎ 鉄腕アトム(てつわんあとむ)= 漫画家、手塚治虫(てづかおさむ)の代表作。21世紀を舞台に少年ロボットであるアトムが活躍するSFヒーロー漫画。1951~1952年(昭和26~27)に月刊誌「少年」(光文社)に連載された『アトム大使』を前身に、以後『鉄腕アトム』の名前で雑誌やテレビなどに登場し人気を博した。日本では1963年にテレビアニメ化され、その後、世界20か国以上で放映されている。/主人公アトムは、2003年4月7日に科学省長官・天馬(てんま)博士によって、交通事故で死んだひとり息子にそっくりのロボットとして作り出された。後にロボットサーカスに売られるが、新しい科学省長官であるお茶の水博士に救われ、原子融合システムによる10万馬力(のちに100万馬力になる)と七つの威力を使って悪に立ち向かっていく(日本大百科全書ニッポニカ)。

◎ ドラえもん(どらえもん)=漫画家、藤子不二雄(ふじこふじお)の代表作。主人公は22世紀につくられたネコ型ロボット「ドラえもん」。誕生日は2112年9月3日。野比(のび)のび太の孫の孫にあたるセワシの依頼で、タイムマシンに乗って20世紀ののび太のもとにやってくる。その派遣理由は、先祖にあたるのび太のドジにより、膨大な借金が残り子孫が大迷惑しているため、のび太の運命を変えるためである。そのほかの登場人物はのび太、その両親、同級生のしずか、ジャイアン、スネ夫、それにドラえもんの妹ドラミなど。/小学館の学習雑誌『よいこ』『幼稚園』『小学一年生』~『小学四年生』の6誌に1970年(昭和45)1月号より同時連載され人気を得る。1973年より連載が全学年別学習雑誌に拡大。この年、日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。1974年より単行本『ドラえもん』が刊行され、翌年100万部を突破。1977年には「ドラえもん」を中心にして『コロコロコミック』が創刊された。(同上)

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人間性が「AI」に蚕食される時代です

【筆洗】米国の名門、プリンストン大学が1893年から続けてきた「ルール」を見直すそうだ。ルールとは試験中、監督官は試験会場から退出すること▼「見張り番」がいなければ、学生のカンニングが予想されるが、それでも、学生に任せるというのが当時の判断で、不正があれば目撃した学生が大学に知らせるという仕組みだった▼学生の名誉を重んじたルールだったが、今回、それを改め、監督官を配置することにした最大の理由はやはりカンニングの横行である。電子機器やAIなどを使用した最近の不正行為は巧妙で近くにいる学生も気づけず、ズルに走る学生が増えてしまったという。名誉も伝統ももはや歯止めにはならぬのか▼こちらの試験不正にもため息が出る。近畿大学の入試を巡る替え玉受験に驚かれた方は多いだろう。塾講師だった人物が教え子に成り済まし、入試の合否にかかわる英検2級の試験を受けていた▼替え玉発覚を逃れるためか、入試の出願時、大学にはこの人物と教え子の顔を合成したような写真が提出されていたという。結局、不正は発覚し、合格は取り消されたが、こんな手まで使うとは▼不正をしてでも「サクラサク」を手にしたい。そんな了見違いに今は最新技術なども手を貸してしまう。巧妙化する試験不正に対してはズルを見抜く高度な「見張り番」に立っていてもらう必要がありそうだ。(東京新聞・2026/05/21)

 もう三十年ほどになるでしょうか。まだ勤め人をしていた学校で、「大学(の役割)は終わりました」という意味のことを常々語っていました。まるで自分の首を絞めるような、あるいは天に唾するような振る舞いだったと当時も思っていました。幾つかの理由がありました。もちろん、一方的に学生の側に問題があるとはとらえていなかったので、なかなかに評判は悪かったと思う。なによりも、普段の授業(当時は(今も)「講義」といっていたと思う)が壊れていたということ。一クラスに300人も500人も学生がいるような、そんなところでまともな「授業」ができるはずもないという、ぼくの常識が破裂したのでした。もちろん、学生に責任があるというのではなく、あくまでも経営責任が問われるべき筋のものだったから、ぼくは機会あるごとに、是正を図ることを理事会に提案していたが、「梨(なし)の礫(つぶて)」どころか、かえって「嘲笑の的」になっていました。(左写真は、某大学の「大教室」です。正しくは「劇場」ですね。「授業」ではな、何かしらのパーフォーマンスの場です)

 その当時、年間授業回数は30回が定められていたが、前期後期併せて、20回を超えればなかなか真面目な教員だという評判が立ったほど。とにかく「休講」が著しく多かったことにぼくは学生時代も、教師の末端に位置するようになってからも、驚き続けていました。普段の授業では教室が閑散としているのに、(定期)試験になると「超満員」というのも、呆れてものが言えないほどの酷さでしたね。大学入学早々に、最も驚いたのは授業出席を「代筆」「代返」などで済ませる学生が数多くいたこと、とんでもないところに来たものだという、ぼくの驚愕はその後も一貫して続きましたよ。状況を変えるための苦労もしないわけではありませんでしたが、あまりにも数が多すぎて、それこそ「多勢に無勢」で、ついには、ぼくだけは堕落の道に入らないようにと、一人で心掛けようという、半端な仕儀に至ったのでした。頼まれても「代筆」「代返」は受け付けない、もちろんぼくからも頼まない。それも友人関係は続きましたよ。教師になってからは、なんとか授業を休まないように、それがぼくのささやかな覚悟みたいなものでした。

 教師紛(まが)いを四十年超も続けたのは返す返すもぼくの優柔不断というか、怠慢だったと思います。でも、その怠慢な勤務の中で一貫していたのは、当たり前の正解は一つというような「試験(テスト)」をしない、暗記したものを再生するような、そんな記憶力本位のテストはまずしないということでした。ある課題を出して、それに関してレポートを教室で書いてもらう、そのことを徹底しました。与えられた課題について「レポートを書く」、時間切れになった時は、後日追加のレポートを受け付けるということを伝えていました。なかなかにうまくは運ばなかったが、その段階における自分の「持ち合わせの知識」が材料(元手)でしたから、それなりの「レポート」が出てきたと思います。半期(十五回の授業)だけで4~5回は「教場レポート」を書いてもらった。読む方は大変で、レポートの枚数はB5用紙で万単位でしたから、それこそ「評価」の提出時期は寝るいとまもなかった。ぼくは、これを「夏の祭典」「春の祭典」(ストラヴィンスキー)と自虐的に楽しんだ(苦しんだ)ものでした。

 やはり三十年ほど前になるでしょうか、ある雑誌に依頼されて「大学 冬の時代」というタイトルで拙論を書いたことがあります。幾つかのデータを使った陳腐なものでしたが、この先「日本の大学に、再び春はやってこない」というぼくの予測みたいなものでした。18歳人口が急激に減るという物理的な原因もあったでしょうが、要するに「大学の義務(強制)教育化」現象が発生していたというのが、ぼくがもっとも重く見た理由でした。大学進学の明確な理由も動機もないのに「みんなが行くから」という強制された意識が学生に蔓延していたと思う。そんな大量の学生を前にして教員たちは「君たちは大人」というだけで、さぼる口実を作っていたにすぎなかったが、強いられた進学者意識と、授業は余技(余事)で、研究者意識に身をやつした教員、この両者の絶妙な友愛精神で「大学は解体」状況に向かっていたのでしょう。何人かの友人たちと共著で「大学解体新書」のようなものを出版した時期でもありました。(大学を特別扱いするのではなく、強制されて学ぶなら、小・中・高といっしょじゃないですかというだけの話でした)

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 さて、「米国の名門、プリンストン大学が1893年から続けてきた『ルール』を見直すそうだ」というコラム「筆洗」の扱う問題にたどり着いたでしょうか。一世紀以上も続いた「ルール」、たぶん、この大学に限らず。欧米の制度を模倣したに過ぎなかった日本の大学でも、同じような「学生像」「大学像」を持っていたはずです。それが「幻想」であったとしても、「真理の殿堂(Temple of Truth)」とか「学問の府(Institute of learning)」などと、何処を叩けば、そんな「誇り(埃)」が出るかと思われた大学では、「麗しい錯覚」が幅を利かせたていたのでしょう。でも、ここにきて、「万事休す」となった感があります。従来型の教育(授業)が通用しない時代に入っているということ。

 教育(学校教育も含めて)で最も大切な事柄は「自制心」「自己管理」などという当たり前に過ぎる「感情」を自らの裡に育てることに助力するというのです。いつでもいうことですが、算数の計算問題が適切な教材になるのは、子どもが「自らを注意深い」人間にするのに役立つからです。他人より成績がいいことを評価するするなら、それは「自制心」や「注意深さ」を養いための試練(練習)ではなく、他人に勝つための競争心を植え付けるだけ。カンニングをしてでも、いい点数(成績)を取りたいというのは欲望(衝動)(情念)であって、それは怒りなどと同じように極めて強い支配力を発揮します。米国の「名問大学」が、今頃になって「試験には試験監督を」というのは、いかにも「時代遅れ」ではないでしょうか。カンニングなどという「ズル」は、はるか以前にも(いつだって)見られていても、当局は目をつむっていたのだと思う。そこが「名門」の看板の欺瞞(看板倒れ)だったかもしれない。でも、「AI」機器などの異常な進化に直面して、綺麗ごとを言っておられないということだったと思う。

 「電子機器やAIなどを使用した最近の不正行為は巧妙で近くにいる学生も気づけず、ズルに走る学生が増えてしまったという。名誉も伝統ももはや歯止めにはならぬのか」というコラム氏の書きぶりも、ぼくは腑に落ちません。ズルがいつでも通用する制度や仕組みを放置していた結果の騒ぎだったでしょう。広く、アメリカ社会の混沌や頽廃状況を見れば、名門大学だけは「カヤの外」というのはあるはずもないことだったでしょう。 

 「こちらの試験不正にもため息が出る。近畿大学の入試を巡る替え玉受験に驚かれた方は多いだろう」という日本の不正事件です。これに論評を加えることはしません。予備校(トライ?)の講師が受験生本人に「内緒」でできる悪だくみでもないでしょう。事件の発覚は「受験生の親が写真がおかしい」というのでわかったという。親をほめるべきか、本人をとっちめるべきか、あるいは予備校の教師を責めるべきか。この手の有象無象が「学生」をしているのが大学なんだよ、といえば張り倒されるかもしれないですね。

 (蛇足 18歳人口の急減も大学を直撃しています。「大学冬の時代」端緒でした。それ以上に深刻なのは「自分で学びたい」とか「自分で考える力」を育てたいと思わない学生が大学では瀰漫している事態です。これを毎日のように見ていて(経験して)、「大学は終わりましたね(The role of universities is over.)」と、ぼくはいろいろな場で言っただけでした、三十年ほども前に。小中高の教育が機能不全を起こしたがために、大学教育機能は頓挫したのですが、今度は逆に、大学が安易に卒業証書(diploma)を出すがために、それ以下の学校教育も堕落したんですね。ぼくは、幸か不幸か、そのすべての頽廃・堕落の現場を経験してきました、教師としても、児童・生徒・学生としても)(大学生が「試験でカンニングを」するというのを咎(とが)めたところで、それはなくなるんでしょうか。もちろん、大学生に限らずに言えるでしょうが、「試験にカンニング」は「コーヒーにミルク」みたいなもので、まあ相性がいいというのかもしれません。それを認めるのではなく、そんな小さな(?)不正は認めないのを当たり前の態度として学校は持つべきだと思う。でもそんなことに気を取られている隙に、「AI」は人間のいくつかの能力を無効化してしまい、その代替として「人工知能」が場を占めるということが発生しているんですよ。つまり、人間性の「AI」による「蚕食」(「蚕が桑の葉を食うように、他の領域を片端からだんだんと侵していくこと」デジタル大辞泉)が始まっている時代だという、そんな認識は持つべきですね)

*参考資料 「2025年にプリンストン大学の学生を対象に実施された調査では、約30%の学生が不正行為を認めた。同調査では、不正行為の増加にもかかわらず、「名誉委員会に呼び出された事例に大きな増加は見られなかった」としている。/試験・進級委員会を含むプリンストン大学の運営側は、4月に全会一致で試験監督の導入を決めた。これは、1893年に同大学の名誉制度が導入されて以来、最大の変更となる。当時その制度は、まさに試験監督を廃止するために導入された。学生は今後も名誉規範を守り、試験中に違反していないことを誓約するよう求められる。/プリンストン大学のほかにも、学生によるAI利用を受けて大きな変更を進める学校がある。2024年には、デューク大学が入試の一環としてエッセイに数値評価を付けることをやめた。デューク大学の学部入学担当事務局長であるChristoph Guttentag氏は、エッセイはかつて志願者をより深く理解する手段だったが、AIの台頭によって、大学側はもはやエッセイが受験者本人を正確に反映しているとはみなせなくなったと指摘した。同大学は引き続き、カリキュラムの難易度や課外活動、試験の成績など、ほかの項目には数値評価を付けている」(CENT Japan「名門プリンストン大学が133年守り続けた伝統を廃止、AIカンニング横行で」2026年05月18日 09時50分

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プリンストン大学(プリンストンだいがく、英語: Princeton University)は、ニュージャージー州プリンストンに本部を置くアメリカ合衆国の私立大学。1746年創立。/アイビー・リーグの一校に数えられる名門校で、特に物理学・数学の分野で歴史的な研究が数多く行われている。/多額の寄付とその投資運用によって長く財政的に安定しており、2023年時点の大学基金額は340億ドル(約5兆3000億円)に達する。/2019年12月時点で2人のアメリカ合衆国大統領、68人のノーベル賞受賞者、15人のフィールズ賞受賞者、5人のアーベル賞受賞者、13人のチューリング賞受賞者、209人のローズ奨学生、126人のマーシャル奨学生(英語版)を輩出している。/2024年時点の学部合格率は4.0%、1年間の学費(教材費・生活費など含まず)は約5万9000ドル(約920万円)と発表されている。(以下略)(Wikipedia)

◎ 大学冬の時代(だいがくふゆのじだい)= 若年人口減少に伴って大学経営環境が厳しくなる時代を比喩的に表現した言葉。18歳人口の減少期を目前にひかえた1980年代末頃から大学関係者やマスメディア等で使用され始め,普及した。しかし18歳人口のピークであった1992年を過ぎても進学者数の増加は止まらず,進学率も上昇し続けた。大学数も増え,1992年以降の10年間で150校近い大学が新設されている。冬の時代との予測とは裏腹に,1990年代は高度経済成長期に次ぐ戦後第2の大学拡大期となった。しかし2000年前後より進学者数の増加が頭打ちとなり,それに伴い定員充足率が悪化する大学が私立大学を中心に増加してきた。さらに2010年頃からは進学率の伸びも止まり,微減傾向を見せ始めている。学生募集を停止する大学もいくつか現れてきた。このように,大学冬の時代は21世紀に入って本格的に到来しつつある。(大学事典)

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