
【夕歩道】「今年の十大リスク」という年初の外電記事を思い出した。米国の著名な国際政治学者イアン・ブレマー氏らが毎年発表しているもので、2025年の第1のリスクは「Gゼロの国際社会」だと。
サミットは50年前、日米欧6カ国で始まり、翌年からカナダも入ってG7に。その後、ロシアを迎えて一時G8となったが、14年の一方的なクリミア併合を許さず、ロシアを除外して再びG7に。
「G6+1」と心配された第1次トランプ政権期を経て、返り咲きの今回は初日で早退に及び、G7としての首脳宣言も首脳声明もなし。なるほど「Gゼロ」か。ほくそ笑んでいるのは誰だろう。(中日新聞・2025/06/18)
「G7」という互いに「脛に傷もつ」諸国会議は、何ら得るところなく終わった。いや成果はあった、「G7」は無用のお飾り(張り子)だという現実を自他に明らかにしたから。アメリカ第一を標榜するのは「自分を再び偉大に」と狼煙を上げ続けているT大統領ご本人。「イスラエルvsイラン戦争」の行方を左右するのは自分だけだと自らの政治力を誇示。実はこの戦争「表向き当事国」、実際には米・露の代理戦争の顛末は誰でも知っている。つまるところ、世界は「無法者G2」が取り仕切っていると錯覚しているのだ。その「自分はG1」と自認しているそれぞれが、自分こそが「第一だ」と自惚れなのか、錯乱なのか、世界のすべてを尻目に「世界の富(領地)」の山分けを狙っているのだが、その実、「自分こそ一番」という、歴史的錯誤を膨らませているのが実態だろう。大も小もなく、世界がこんなに複雑に絡み合い、互いが身動き取れない関係を結んでいる現在、はたして「覇権主義」を貫徹しても成算はあるのだろうか。一難去ってまた一難だな。

国威を発揚するという「原始自己主義」は、何時までも残るだろうが、それだけで世界諸国は動くとは考えられない。一国覇権主義は成り立つはずもないけれど、集団的覇権主義もなおさら見込みはないと知るべきだろう。国家という怪奇な存在が世界各地を徘徊しだしてどれくらいの時間が流れたか。そして今、国家は「幻想」であり、「虚構」だというリアリズムがはっきりと芽生えてきたのだ。国という、ひたすら図体のデカさだけを他に誇示するような「見せ掛け」国家主義はもはや通用しないのが現実。剥き出しの自己顕示だけで、何事かが動くなどということはあり得ないのだ。一時の「強権」は、遂には終わりのない「混沌」に突き進むほかないのだと知らねばなるまい。歴史を知り、歴史から学べば、誰だって(どの国だって)謙虚にならなければならないんだがな。

世界の各地で噴火が起こり、それに煽られて新たな火種が燃え出そうとしている、そんな不穏な情勢にあって、ほんの数日間、どこかで集まって「宴会」をしながら「世界平和」を語るなどという呑気さがたまらなく愚かに思われる。まるで、問題山積の学校の「級長会」みたいなもので、任期終了となれば、お次と交代。その程度のものなら、お気業な会議などない方がましだし、要らぬ気遣いをしなくて済むから、ぼくたちも気は楽だ。死に物狂いの「戦争終結」活動も、終わってみれば、またぞろ「あの戦争が懐かしい」という馬鹿さが首をもたげてくる、それが政治家になりたがる連中の「国家は自分」だと錯誤する大きな理由のひとつだ。「朕は国家なり(L’État, c’est moi.)」という認知機能崩壊の政治家が多すぎる。ある種の人々にとって、「国家は獲物」であると同時に「それは魔物なんだ」ということ。(ぼくは、年来久しくの「アナーキー」です)

社説:G7サミット 米頼みで空洞化、直視を
国際社会が築き上げてきた秩序に背を向けるトランプ米大統領の身勝手さが、目に余る。
開幕した先進7カ国首脳会議(G7サミット)で、2期目に入って初めて出席したトランプ氏が、初日で切り上げて帰国した。
サミット2日目は、イスラエルとイランとの交戦で緊迫化する中東情勢が優先課題だっただけに、議論を避けたと見られても仕方あるまい。トランプ氏は停戦への働きかけより、先制攻撃をしたイスラエルを支える言動が際立つ。ウクライナのゼレンスキー大統領との首脳会談も見送りになった。
日米首脳会談は開かれたが、関税交渉で合意に至らなかった。
深まる米国との溝を踏まえ、議長国のカナダはG7の共通目標を示す「首脳宣言」は見送り、個別課題ごとに共同声明を作る方針という。G7を先導してきた大国のトップ不在では、事実上、会議自体が空洞化するに等しい。
発足から半世紀を迎えたG7サミットは、世界の分断を象徴する事態に向き合わねばならない。(以下略)(京都新聞・2025/06/18)
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