あめあめふれふれ 母さんが…

【談話室】▼▽音声だけで複雑な事柄を正確に、分かりやすく伝えるのは難しい。ラジオの天気予報を中心に活躍する気象予報士伊藤みゆきさんは自著「備え力がつく! 天気予報の見方聴き方」に、そんな苦労の一端を綴(つづ)っている。▼▽一般に浸透していない事象の場合は特に工夫が必要だ。かつて、表現が難しい例として、積乱雲が列を作り、猛烈な雨が続く状況があった。伊藤さんは「長いしっぽのような雨雲が〇〇にかかり続けている」などの言い回しで、雨がやまない状況の説明に努めていたという。▼▽2014年の広島県での集中豪雨で注目されたこの気象現象は、今や「線状降水帯」の名称と共に広く認知されている。伊藤さんの実感では、地域と雨雲の延びる方向を示すだけでリスナーに届くようになったと。警戒を周知する機会が増えていることの裏返しでもあろう。▼▽気象庁は線状降水帯の発生可能性を12~6時間前に伝える「半日前予測」について、府県単位で発表する運用を始めた。ただ、予測精度が高まり、伝える側が意を尽くしても、それが生かされなければ意味がない。情報を避難行動につなげたい。他ならぬ自分や家族の命だ。(山形新聞・2024/05/30)(ヘッダー写真:https://abema.tv/video/episode/89-42_s0_p351483

 今も毎晩聴いています、「ラジオ深夜便」。通常は夜11時過ぎから朝5時まで。でも、その間、殆どは眠ってしまっているから、この番組はぼくの「子守唄」になっています。番組開始以来、もう三十数年。小さな携帯ラジオをイヤフォンで聴く。猫といっしょに住みだしてからは、早ければ早朝3時頃、遅くとも5時前には起床していますから、この間、ラジオは付けたまま。伊藤みゆきさんという気象予報士は、この「ラジオ深夜便」前後の番組で、夜の10時からと、朝の5時からのそれぞれの番組の天気予報を担当されていたので、知っていました。十年ほども聴き続けていたでしょうか。(今年の三月からは番組を変わられた)(ラジオを聞く・聴くというのは、ぼくには想像力の試験のようで、いろいろな意味で「スリル」があります)

 ぼくはラジオが好きでした。小学生の頃から、テレビが普及するまではラジオばかり聴いて育った。やがて、テレビも見なくなり、もっぱらラジオの「ながら族」になって、三十年です。伊藤みゆきさんのおかげかどうかわかりませんが、毎日の天気(気象)がとても気になります。勤め人時代も、きっと天気予報を確認してから出かけていたものです。「音声だけで複雑な事柄を正確に、分かりやすく伝えるのは難しい」と伊藤さんは言われていますが、聴取側から見れば、ラジオはとても都合がいい。顔や衣装などという余計なもの(失礼)に煩わされないで「予報」を聴くことができるからです。そこへ行くと、テレビは不要なものまで見えてしまうので「予報」(音声)に集中できないという嫌いがあります。(これは、ほとんど毎日のように経験しています。食事時だけ、テレビをつけていますが、その時の気象予報士の挙措や服装が気になる。あるいは容貌までもが)(伊藤さんの写真を見たのは、本日が初めて。事前に見知っていれば、また聴く時の様子がずいぶんと違っていたかも知れない。つまりは見ないほうがいい、ということ。想像力が萎えることがあるからね)

 台風第1号が劣島南側に沿って北上しています。現在(31日未明)、温帯低気圧に変化しましたが、激しい雨は各地に降り続いています。当地も昨夜から雨が続いている。これからもっと激しくなるのか、大いに気になります。数日前の予想進路ではもっと劣島に接近しているようでしたが、今は劣島南海上を進んでいるようで、少しは安心しています。(その分、伊豆諸島方面は警戒を要するでしょう)いつもながら「線状降水帯」の発生状況や発生地域が気がかりです。もう二十年ほども前になるでしょうか。大学において「自然科学を学ぶ」というテーマの担当授業で、参加学生といっしょに「積乱雲の発生状況」の頻度や原因等について調べたことがあります。まだ「局地的集中豪雨」などという表現をしていたと思う。海水温度が高くなり大量の水蒸気が発生し、…と、それなりに大量降雨のメカニズムと原因などについて、今で言う「線状降水帯」の発生状況を詳しく調べたことが思い出されます。

● 線状降水帯(せんじょうこうすいたい)= 次々と発生・発達した雨雲,おもに積乱雲が列をなして通過または停滞し,数時間にわたってほぼ同じ場所に強い雨を降らせる,長さ 50~300km程度,幅 20~50km程度の線状をなす降水域。線状降水帯の発生は大雨による災害発生の危険を意味し,気象庁が発表する防災気象情報「顕著な大雨に関する気象情報」において,大雨の予測の半日程度前から,5段階のうち 4以上相当の警戒レベルの補足情報として,線状降水帯の語が使用される。一つの積乱雲の寿命は 30分から 1時間程度といわれ,線状降水帯における積乱雲群の発生メカニズムは未解明な部分が少なくないが,前線が横たわる地域に暖かく湿った空気が局地的に長時間流入し続けることで積乱雲が次々とつくられ,上空の風などの影響で線状に並ぶことが原因の一つとされている。(ブリタニカ国際大百科事典)

 昨日は、かなり溜まっていた「燃やせるゴミ」を焼却しました。今日の大雨を想定していたからです。梅雨前線と台風1号の並走で、思わない集中豪雨がもたらされるかも知れないと考えてのこと。東海地方で「線状降水帯」発生が報道され、その状況が心配されています。沖縄地方はすでに梅雨入りしたが、それでも例年よりも十日以上は遅いと言う。他地域でもいずれは梅雨の時候を迎えますが、6月に入ってからだと言う。それでも、これまで以上に「線状降水帯」の発生が恐れられるのは、一向に低下しない海面温度の高さのせいでしょう。

上昇率:
日本近海における、2023年までのおよそ100年間にわたる海域平均海面水温(年平均)の上昇率は、+1.28℃/100年です。 この上昇率は、世界全体で平均した海面水温の上昇率(+0.61℃/100年)よりも大きく、日本の気温の上昇率(+1.35℃/100年)と同程度の値です。
海域別の海面水温(年平均)の上昇率は、日本の気温の上昇率と比較すると、黄海、東シナ海、日本海南西部、四国・東海沖で同程度、日本海北東部、三陸沖、関東の東、関東の南、沖縄の東、先島諸島周辺では小さく、日本海中部、釧路沖では大きくなっています。
十年規模変動:
日本近海の海面水温には十年規模の変動が見られます。全海域平均水温では、近年は2000年ごろに極大、2010年ごろに極小となった後、上昇しています。      (気象庁:令和6年3月5日 気象庁発表)

 突然、あらぬ方向に転換します。

 唱歌「あめふり」、北原白秋作詞・中山晋平作曲。大正十五年発表。今でもこの歌が歌われているのでしょうか。登校時には晴れていたのに、下校時には雨が降っている。「きっと母さんが迎えに来てくれる」そんな情景当たり前に描かれています。だから、ある子どもにとっては「雨降り」は「ぴっち ぴっち ちゃっぷ ちゃっぷ ランランラン」となるのですね。百年前の、どこの地域か知らない「雨の慕情」(故・八代亜紀さん)と言った風情です。百年経過すると、人も景色もすっかり変わります。家族のあり方も、いや人間の心持ちまで大きく変わってしまうものですね。(この唱歌、小さな子どもが歌うのではなく、むしろ「老人施設」などで盛んに合唱されているそうです。とても切ない気もしますね。(「あめふり」https://www.youtube.com/watch?v=p6zELBM6vCA&ab_channel=JHappiness

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 地球は小さくも大きくもならないにも関わらず、至るところで「(人為に起因する)自然災害」が発生し、そのたびに「地球は収奪されている」「地球は傷つけられてきた」と思わせられます。そして、同じくその都度、何時だって、誰だって「明日は我が身」と思えばこそ、いささかなりとも被害の少なくなるための手立てを施し、いずれはかかる災害の発生を予防する技術なり科学なりが進展することを願わずにはいられません。

 今日は「皐月晦日」です。明日からは「水無月」「風待月」に入ります。「アメニモ カゼニモ」負けないで、悪い政治にも、激しい物価高にも負けないで、なんとかいのちを全(まっと)うしたいですね。

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空襲警報発令中!!!(悪夢)

マッチポンプ=《〈和〉match+pomp〈オランダ〉》自分で問題やもめごとを起こしておいてから収拾を持ちかけ、何らかの報酬を受け取ろうとすること。また、その人。マッチで火を付けてポンプで消火するという二役を一人でこなす意。(デジタル大辞泉)

 「北朝鮮から弾道ミサイル(可能性あるもの)発射」というのは政府(その大本の情報源は韓国・米国)です。北朝鮮は「軍事偵察衛星」(「衛星ロケット」「人工衛星」)を発射する・したと言う。この二つの報道は「同じもの」を指しているのか、それとも違うものを指して言っているのか。すれ違いが生じるのは、いつものことで、それぞれに「根拠」がある事柄なのでしょう。詳細は省くが、政府発表を読んでいると、いかにも「日本を標的」にして「ミサイルを発射」したかのごとくに聞こえるし、実際そうなんだろうという筋書きで、莫大すぎる軍事費を手当して、それへの対処・対策がが採られようとしている(様子が透けて見える)。目標地点は「沖縄」で、だからこそ、迎え撃つ「ミサイル網」が配備されているのだと言わぬばかりです。この総計数十兆円に及ぶ軍事予算の膨張は、間もなく、東海の小さな国の息の根を止めることになるのは不可避。緊急事態は、ここ(軍備増強)にこそあるのだ。

 このとき、マッチを擦って火を点け、ポンプを使って消火作業をするのは誰でしょうか。一体、誰が誰に「報酬」をせびる・強請(ゆす)るのでしょうか。まさか「北朝鮮」ではあるまいし、もちろん「韓国」でも「米国」でもないでしょう。「一人二役」の張本人は? とすると、残るは? 世間では昔から、「火の元騒ぐ」というではないか。

 ぼくが「悪夢」というのは、「満州侵略戦争」の導火線になった「1931年9月18日の柳条湖事件(それ以前の謀議・謀略も含む)」の再現を目論んでいるのは誰か、ということと密接に関係する。さまざまな理屈を捏造して「積極的平和主義」の看板作りのための「集団的自衛権」を標榜して、「国防専一」の国是を一挙に覆してきた政治の暴走を目の当たりにすれば、「悪夢の再発」と他人行儀にではなく、決然たる覚醒を自らに課すほかないと思うばかりです。

 マッチポンプの「顛末」はどのようになるのでしょうか。言葉だけで空想するなら、いかにも「ボヤ」程度で収まりそうにもみえますが、相手は「ミサイル」です。当方も配備は万端、かなりのミサイルが、今か今かと待ち構えていると誇らしげだ。そうなると困るどころの騒ぎではありません。「嘘から出た実(まこと)」となるのか、ならないのか。「嘘のつもりであったものが、結果的に、はからずも真実となること」(デジタル大辞泉)。そして、ここでまた智慧のない話だけれど、イソップ童話の「オオカミ少年」という悪夢を想起してしまいます。「何度も狼が来たとうそをついたために本当に狼が来たときには信用してもらえなかった少年の話からいう」(同上)と。「嘘から出た実」とは「狼少年」とは似て、まったく非なる「火遊び」だったということになりませんか。その「火遊び」はボヤどころか、「ことは戦争・集団殺戮」に直結する事柄です。嘘の入りこまない、どこまで行っても「外交」に腰を据えた「平和思想」に発する姿勢を失いたくない。そのことを切願するものです。

 (最も困るのは、「戦争」に対する免疫(想像力)のないバカ(歴史知らず)どもがこの小さな島国の要衝・要路を占めていることです。今からでも遅くはない。ウクライナを見よ、ガザを見よ。そしてこの島国の悍(おぞ)ましい「戦争の歴史」を学び直してほしいと、これまた無理を承知で願うばかりです)

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防衛省 北朝鮮から弾道ミサイル可能性あるもの発射/防衛省は先ほど、北朝鮮から弾道ミサイルの可能性があるものが発射されたと発表しました。22:46 政府はJアラートで沖縄県を対象に情報発信/政府は、Jアラート=全国瞬時警報システムで、27日午後10時46分沖縄県を対象に情報を発信し「北朝鮮からミサイルが発射されたものとみられます。建物の中や地下に避難して下さい」と伝えました。/北朝鮮は6月4日までの間に「人工衛星」を打ち上げると日本に通報していて、防衛省が情報の確認を進めています。                                                                                                                           22:56 エムネット「沖縄県の方向に発射 建物の中または地下に避難を」/政府は、エムネット=緊急情報ネットワークシステムで27日午後10時46分に情報を発信し、「北朝鮮からミサイルが沖縄県の方向に発射されたものとみられます。建物の中、または地下に避難して下さい。続報が入り次第、お知らせします」と伝えました。韓国軍の合同参謀本部 飛翔体を発射発表 韓国軍の合同参謀本部は、北朝鮮が南方向に向けて飛翔体を発射したと27日午後10時56分に発表しました。                                                                                                                         緊急参集チームのメンバー 総理大臣官邸に/政府は、総理大臣官邸に設置している北朝鮮情勢に関する官邸対策室で情報を集約するとともに、緊急参集チームのメンバーを総理大臣官邸に集め、今後の対応を協議することにしています。                                                                                                                                                            国土交通省 航空機に注意呼びかけ/北朝鮮から弾道ミサイルの可能性があるものが発射されたという情報を受け、国土交通省は現在、日本周辺の空域を飛行している航空機に情報を伝えるとともに、注意を呼びかけています。/また、航空機に被害がないか確認を進めています。                                                                                                                                                     宮古島の空自宮古島分屯基地 特段の変化は確認できず/落下物などがあった場合に備えて沖縄県の先島諸島などには防衛大臣の破壊措置命令にもとづき自衛隊の迎撃ミサイル「PAC3」が展開しています。/このうち、宮古島の航空自衛隊宮古島分屯基地ではJアラート=全国瞬時警報システムで「北朝鮮からミサイルが発射されたとみられる」という情報が伝えられたあと、NHKの設置したカメラからは、特段の変化は確認できません。(以下略)(NHK・2024年5月28日 0時11分)(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240527/k10014462781000.html
 Jアラート 北朝鮮からミサイル避難呼びかけも解除 失敗か 政府は27日夜、Jアラート=全国瞬時警報システムで、北朝鮮からミサイルが発射されたとみられると伝えました。その後、日本には飛来しないとみられるとして沖縄県を対象に出していた避難の呼びかけを解除しました。/政府は、27日午後10時46分にJアラートで、沖縄県を対象に情報を発信し、「北朝鮮からミサイルが発射されたものとみられます。建物の中や地下に避難して下さい」と伝えました。およそ17分後の午後11時3分にJアラートで再び情報を発信し、「先ほどのミサイルは我が国には飛来しないものとみられます。避難の呼びかけを解除します」と伝えました。政府関係者によりますと、北朝鮮から発射されたものはレーダーから消えたということで、人工衛星の打ち上げに失敗したとみられるということです。北朝鮮は6月4日までの間に「人工衛星」を打ち上げると27日、日本に通報していて、防衛省が情報収集と分析を進めています。
政府関係者によりますとレーダーから消えたということで、人工衛星の打ち上げに失敗したとみられるということです。
 政府は、27日午後10時46分にJアラートで、沖縄県を対象に情報を発信し、「北朝鮮からミサイルが発射されたものとみられます。建物の中や地下に避難して下さい」と伝えました。/およそ17分後の午後11時3分にJアラートで再び情報を発信し、「先ほどのミサイルは我が国には飛来しないものとみられます。避難の呼びかけを解除します」と伝えました。/政府関係者によりますと、北朝鮮から発射されたものはレーダーから消えたということで、人工衛星の打ち上げに失敗したとみられるということです。/北朝鮮は6月4日までの間に「人工衛星」を打ち上げると27日、日本に通報していて、防衛省が情報収集と分析を進めています。(以下略)(NHK・2024年5月28日 0時11分)

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ひとつの音に世界を聴く

 「音」と「言葉」について 今、手元に「音、沈黙と測りあえるほどに」という本があります。初版は1971年ですから、ぼくはまだ三十前でした。その本を読んで、こんな「音楽家」がいるのかと驚嘆したことを忘れません。その当時、ベートーベンやモーツアルトを聴き始めたばかりだったぼくには、「たけみつとおる」という存在がなにものか、まったくの無知だった。しかし,そのエッセーを読み出して、「こんな文章を書くのだ、この人は」と震撼させられたと言ってもいいほどでした。その後、武満さんの作品の一、二を聴きました。まったく歯が立たなかった。音の組み合わせが音楽だという根本が揺すられたからでした。(右写真・小澤征爾さん)

 ただただ学んだのは「音と言葉」「言葉と音楽」というものの関わりだったと言えます。その詳細は省きますが、これがエッセンスかも知れないと思われる部分を以下に引用します。そして、この武満さんの指摘は、言うまでもなく「言葉と表現」という主題のもっとも素朴かつ中核となる事実を示しているとぼくは教えられたのです。ぼくの記憶では彼の文章を「書き写した」ように覚えている。

 私の場合、ある音楽的発想が、方向性をもった一つの運動として始まるとき、いつでも、言葉が重要なきっかけになります。また、音楽的な表現行為を始めるに際して、当然のことながら周囲の多くの状況から影響を受けます。東西にまたがって分布している昔からの音楽、文学、絵画、日常生活に起こる事件のすべてが、ぼくの音楽と密接な関わりをもっています。それらの事象のすべてが喚起的な現実としてぼくに働きかけてきますが、それらはすぐには音楽的プランとして、置きかえることは不可能です。しかし、喚起的にぼくに働きかけてくる現実が、まず、ひとつの言葉の状態として、ぼくの内部に漠然とながら、確かな重さをもって現われてきます。ぼくはその現れてきたひとつの言葉の状態をもっと確かな言葉に変えていこうと努力します。その漠然とした言葉の状態をやや詳しく説明すると、その言葉はブキッシュな、すなわち指示的な機能としての言葉ではなく、もっと多義的な曖昧さを残した、より言葉の発生の起源に近い状態にあるといえます。ぼくは、そうした言葉に、いっそう確実な意味を探ろうとします。それがぼくが音楽していくうえで一番最初の動機になるのです。(武満徹「『音』と『言葉』と」『武満徹 エッセイ選 言葉の海へ』所収。ちくま学芸文庫版。2008年)(左写真・小澤さんと武満さん) 

 音楽を考えるとき、いつも長い時間をかけて言葉(文脈)にならない言葉をノートに書き連ねることをするというのが武満流でした。「なぜそんな努力をするかというと、自分の内部に言葉を獲得したときはじめて、自己の内部に『他』への自覚が生まれてくるからです。そしてついに、音楽を書き始める時点では、自分も『他』として、客観視するようになります。…すなわち、この他者とは、具体的な聴衆、鑑賞者あるいは読者ではなく、ヴィクトル・ユーゴーが指摘している、『自己の内部にこそ求めなければならない外部にあるもの』ではないかとぼくは認識しています」というのです。

 一つの楽曲や楽想が生まれそうになるとき、それは単なる「音」「連続音」「音楽」としてではなく、生活のあらゆる領域の事象(出来事)に絡まって湧いてくると言う。そして「喚起的にぼくに働きかけてくる現実が、まず、ひとつの言葉の状態として、ぼくの内部に漠然とながら、確かな重さをもって現われてきます。ぼくはその現れてきたひとつの言葉の状態をもっと確かな言葉に変えていこうと努力します」

 さらに、音楽家のような芸術家は科学者や哲学者のように、限定的に言葉を捉えてはいないともいわれる。その意味は次のようなことだと指摘されます。

 「自然科学の進歩につれて、言葉の指示的な意味、機能はますます限定されて、そのためにわれわれのヴォキャブラリー、語彙は際限なくふくらんできました。そして詩人が信じている言葉と意味の食い違う部分、すなわち暗示の入り込むような部分とか、言葉と意味の食い違いが生む空白とか眩暈(めまい)、詩人がそこにこそ詩人の現実を定着しようと望んでいる部分は、今日では急速に失われつつあるように思えます」(同上)

 もっと具体的にいえば、「言葉が言葉自身の肉体をもちえない」「われわれが言葉を肉化していない」「肉体にしていない」、そんな事態が進行しているのです。「言葉の記号化」状況に対する不信の念の表明です。「言葉はその生成において、最も根源的であるのに、何故か事物の皮相な部分しか捉えようとしていない」、このように、この時代や社会の言葉に関わる問題のありかを武満さんは穿(うが)つ。言葉とは「一定の意味と内容を入れる器」なんかではないといわれているのです。言葉は記号ではないし、道具ではない。まして、それは「もの・モノ」ではないのです。言葉を肉化する、言葉自身が肉体を持つとは、どのようなことを指しているのか。

 さらに武満さんは画家の宇佐見圭司さんとの会話から得た話を書いています。画家は赤やピンクといった色彩のサンプル帖を頭にもっているが、「あるときそれを超えて、色彩自体の自発を発見し、色彩に肉体を与えたい」という指摘に暗示を得たというのです。(左写真・武満さんと小澤さん)

 「言葉の場合も同じで、単なる指示的な機能、すなわち星は月ではないという、単に名づけて区別する機能としてのみ言葉を捉えてはならない」と思ったそうです。「言葉」を「音」と置き換えたらどうなるか。いよいよ音楽家の本筋に話にエッセイはすすみます。ここではそれには触れません。

 赤とか白という色彩は、現実にはそれが使われている状況ではかぎりなく多様であるに違いない。観念のなかでの赤や白ではなく、いわば肉体化された色彩、それはまた、ぼくたちの使う言葉にも当てはまらないだろうか。だれが使っても同じ内容や意味をさすなら、それはどんなに便利だろうと、ぼくたちは考えます。でも、実際にはその反対で、使われる言葉は同じでも、使う人によって大なり小なりその意味や内容(ニュアンス)は異なる。だからこそ、言葉を尽くして語る必要があるというのでしょう。

 (追記 どういうきっかけだったか、十日ほど前に武満さんのことを綴ろうとしていくつかの材料を準備していました。彼が亡くなって、やがて三十年にもなるのかと、そぞろ懐かしさに絆(ほだ)されたというほかありませんでした。あるいは、つい先般、亡くなられた小澤征爾さんのことも気になっていたからかも知れません。武満作品の多くを初演したのは小澤さんでした。ことに「ノベンバー・ステップス」は圧巻だったなあ、そんなことも記憶に残っていたからだったでしょう(正直に告白すれば、今もって、ぼくはこの曲がよく聴き取れません)。いろいろなことが溜まり溜まって「武満徹」に、もう一度遭いたいと願っていたのです)

 《 NHK 名曲アルバム 武満徹 「小さな空」:https://www.youtube.com/watch?v=gy-ttU5WxVA&ab_channel

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 「ぼくは北海道の原野を歩いていたのですが、自分が都会の舗道の敷石にとどまっていることをふいに知らされます。
 都会は末梢神経こそ肥大させたかもしれないのですが、四〇キロも見渡せる原野の知覚のようなものをもたらさない。このときぼくは、音は沈黙と測りあえるほどに深いものでなければならないと知ったのです。
 その数日後、ぼくは宮内庁で雅楽を聴くことになりました。驚きました。ふつう、音の振幅は横に流されやすいのですが、ここではそれが垂直に動いている。雅楽はいっさいの可測的な時間を阻み、定量的な試みのいっさいを拒んでいたのです。
 これは何だろうか、これが日本なのだろうかと思いましたが、問題はヨーロッパの音楽からすればそれが雑音であるということです。雑音でなければ異質な主張です。そうだとすると、ぼくという日本人がつくる音楽は、これを異質な雑音からちょっとだけ解き放って、もっと異様であるはずの今日の世界性のなかに、ちょっとした音の生け花のように組み上げられるかどうかということなのです。
 このとき、日本という文化があまり人称にこだわらないということがヒントになりました。そう、人称なんていらないのです。音が鳴るたびに「私は」「僕は」と言わないように音を並べたい。
 そうなのです、ぼくは発音する音楽をつくりたいのです。吃りだったからそんなことを言っていると思われるかもしれませんが、それもありますが、それよりも、どんな石にも樹にも、波にも草にも発音させたいのです。ぼくはそれを耳を澄まして聴きたいだけなのです。ぼくの音楽があるのではなく、音楽のようなぼくがそこにいれば、それでいいのです」(武満著「音、沈黙と…」)

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●武満徹【たけみつとおる】作曲家。東京出身。第2次大戦後,清瀬保二〔1900-1981〕に短期間師事した以外,作曲は独学。1950年に処女作を発表し,翌1951年湯浅譲二らと〈実験工房〉を結成。早坂文雄に捧げられた《弦楽のためのレクイエム》は初演(1957年)の2年後来日したストラビンスキーに絶賛され,批評界に冷遇されていた武満の名をにわかに高める。ピアノと管弦楽のための《弧(アーク)》(1963年−1966年),クーセビツキー音楽財団の委嘱による17弦楽器のための《地平線のドーリア》(1966年)などの初期傑作を経て,ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団委嘱の《ノベンバー・ステップス》(1967年)でその名を一躍高めた。その後の代表作に,三面の琵琶(びわ)のための《旅》(1973年),管弦楽曲《カトレーン》(1975年),室内楽曲《ウォーター・ウェイズ》(1978年),雅楽《秋庭歌一具》(1973年,1979年),《バイオリン協奏曲・遠い呼び声の彼方へ!》(1980年),管弦楽曲《ジェモー》(1986年)などがあり,映画音楽でも画期的な仕事を残す。また,〈今日の音楽Music Today〉の企画で内外の現代音楽を紹介し,海外の音楽家との交流にも力を注いだ。《音,沈黙と測りあえるほどに》(1971年)などの著作にも明晰(めいせき)な批評眼が光る。 (1930〜1996 東京)(百科事典マイペディア)(右写真・表紙デザインは宇佐美圭司さん)

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「したたか」ではなく「禁じ手」だ

【小社会】したたか これも里の5月の光景だろう。「テッペンカケタカ」―。ホトトギスのさえずりが聞こえるようになった。昼間の歌もよいが、真夜中の響きも渋い。◆日本人が古くから親しんできた鳥で、万葉集などにも詠まれている。ただし習性はかなりしたたかなようだ。ウグイスを欺いて托卵(たくらん)し、ひなも育ててもらう。ひなはウグイスより先にふ化して、ウグイスの卵を巣の外へ。結果、親ウグイスの給餌を独占する。◆初夏、托卵のために日本にやって来る渡り鳥でもある。さすがに印象がよくないと判断したのだろう。かつて岡山県が県の鳥に指定したが、キジに差し替えた逸話まである。◆ウグイスには托卵は迷惑だとしても、あくまで自然界の定め。生物たちにはむしろ、こちらの方が驚きかもしれない。ニジマスからキングサーモンを繰り返し産ませることに、東京海洋大の研究チームが成功した。◆キングサーモンは一生に一度しか産卵しないが、生殖幹細胞をニジマスに移植すると、ニジマスがサーモンの卵や精子を毎年作るようになるらしい。トビがタカを生むということか。◆魚を効率的に養殖できる画期的な技術ではある。本紙に「地球環境の急変で苦しい状態にある魚を守るためにも重要な技術だ」との意見も載っていた。ただ、自然界のルールを超えて進む科学技術には複雑な思いもする。ホトトギスの思いはきっとこうだろう。「人間のしたたかさには負けるよ」(高知新聞・2024/05/27)(左上写真・生まれたばかりのニジマスに生殖幹細胞を移植する様子)(東京海洋大提供)

 (ヘッダー写真は和歌山県東牟婁郡串本町の紀伊大島にあるクロマグロの飼育生けす)(写真提供:近畿大学)https://project.nikkeibp.co.jp/mirakoto/atcl/food/h_vol91/

 「知らぬが仏ばかりなり」という。あるいは〈Ignorance is bliss.〉とでもいうか。知れば腹も立つが、知らないのだから、まるで仏のように穏やかでいられるというのだろう。もちろん、自分自身を「仏」に擬(なぞら)えるのは適切ではないし、まして、今どき「養殖」魚介類だ、「遺伝子組み換え」食品だと目くじらたてていては夜も日も明けないでしょう。野菜や果物は、それこそ、どれだけの品物(品種・種苗)が遺伝子組換えで生産されているか。クローン技術に関してはあまり話題にならないのは、それが採用されなくなったからではなく、その逆に至るところでクローン技術の応用が日常茶飯事になったからでしょう。

 ニジマスからキングサーモンを無尽蔵に、このニュースにぼくは驚かなかった。他の領域や分野で当たり前に行われていたことがニジマスに採用されただけという「陳腐さ」さえ感じました。早速、「ふるさと納税」の「返礼品」になっている始末。毎日の暮らしに欠かせない調味料や食材などの、その殆どが遺伝子工学の応用によって大量生産されています。厳密に「食の安全性」確保などということは、現実には不可能だというほかありません。飼育飼料や肥料はいうまでもなく、消毒薬や殺虫剤などの大量使用については、ほとんどが黙認されている状況です。そんなこと言ったって、「養殖」は大昔から行われてきたのだから、いまさら非難がましいことは言うべきではないという理屈が幅を利かせているのかも知れない。

 このような「生産技術」の応用は、この島だけの問題ではなく、世界規模で拡大・拡散している。それゆえに、一国や一地域が厳しい規制を敷いたところで、他国や他地域にはその効力が及ばないし、まして今や貿易や通商圏は世界の隅々にまで広げられています。一例として原発問題を考えてみます。ある地域に設置されている原子力発電所に「事故」が起こったとき、それがどんなに厳しい基準で認められていたとしても、それとは無関係に、被害は一地域を超えて、拡散し、永続します。遺伝子操作や遺伝子工学には厳格な指針が設けられているので、食料としても安心ですと、政府や当局がお墨付きを与えたところで、事故や被害者が発生すれば、だれもそれを止めることはできない。「これは危険です」と宣言して何かを始める人間はいないでしょう。「危険かどうか、それ不明だ」けれど、まず始めてみよう。権威の太鼓判ももらっているし、いつでもどこでも相撲取りか行司かがわからない人間がことを裁いているのです。あるいは「マッチポンプ」と言うべきか。

 ぼくは、これまでに十分すぎるほど「危険な食材」を摂取してきました。一品だけなら、しかも少量なら大丈夫と言われつつ、積年の弊害が一体どこに、どんな形で発生するか、起こってみなければわからないのです。時間が経てば、因果関係も曖昧にされる。ことは「キングサーモン」だけではない。それに代表される、営利主義と利権が絡まって、食の安全性が危殆に瀕しているのであり、それが多方面に広がれば、またまた「公害」の発生ということになります。農業が、気候や地勢に規制された「カルチャー(文化)」だった時代、それが今や、地域差や気候帯の差異を超越した「工業(文明・civilization)」に変貌しているのです。漁業も例外ではありません。漁獲を確保するために船を遠くまで運ぶ必要はなく、もはや陸地に設けられた工場内で「新たな漁業」が進められています。ニジマスからキングサーモンへと誇らかに謳う技術の進化は「高級なサケ類の養殖の効率化や、希少種の保護にもつながると期待される」「短期間で安定的な養殖が可能になる」、この「利点」(かどうかは疑わしい)は誰のものでしょうか。

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 (以下、参考資料)                                                              ● ニジマス代理親がサケ出産 東京海洋大、生殖細胞移植で成功 東京海洋大の研究チームが、一生に一度しか産卵しないキングサーモンの「生殖幹細胞」をニジマスに移植し、成長したニジマスからキングサーモンを繰り返し産ませることに成功した。高級なサケ類の養殖の効率化や、希少種の保護にもつながると期待される。/キングサーモンの精巣から、卵や精子に分化する生殖幹細胞を取り出し、生まれたばかりのニジマスに移植。ニジマスは1~2年で成熟すると、キングサーモンの遺伝子を持つ卵や精子を毎年作るようになった。/キングサーモンは成熟に3~7年かかり、産卵や放精は一生に一度だ。小型のニジマスを代理親にすれば毎年繁殖できるため、短期間で安定的な養殖が可能になる。(東京新聞・2024/05/25)(共同通信)

● 遺伝子操作 (いでんしそうさ)gene manipulation/広義には,生物の遺伝子およびその組合せを人為的に変化させること。最も古い形は,植物の栽培と動物の家畜化である。これは,自然集団から有用な形質を持つ個体または集団を選ぶことであったが,それによって集団の遺伝子構成が変化しただけでなく,育種が可能になり,以後の人為交雑への道が開けたのである。現代に至って,放射線や種々の化学物質が突然変異を誘起することが明らかになり,これらの変異原を用いた突然変異育種も行われるようになった。/遺伝子の実体がDNAであることが判明してからは,DNAを媒介にした分子育種も部分的には可能になっている。これが狭義の遺伝子操作で,遺伝子工学gene engineeringと同義である。この場合,DNAの供与体と受容体が同一種でなくともよく,いわゆる分子雑種が容易に形成できる。遺伝子操作は本来は無方向的である突然変異に方向性を与える技術であるとも言える。今のところは細菌や下等菌類が受容体として用いられているが,高等生物への応用も試みられつつある。しかし,それによって生じる生物が人間社会を含めた,生態系としての自然に与える影響が不明なので,この技術の応用には十分な注意を払う必要がある。(改訂新版世界大百科事典)

● 遺伝子工学【いでんしこうがく】=遺伝子操作技術を用いる生物学の1部門。主として組換えDNAとDNAクローニングの手法が用いられる。組換えDNAは1970年代に入ってDNA分子の塩基配列を切断する制限酵素(エンドヌクレアーゼ)が発見,単離されるとともに急速に発展した。1974年米国の研究者らは,エンドヌクレアーゼを用いてカエルのリボソームDNAとあるバクテリアの細胞質内遺伝子のDNAを切断し,両方のDNA断片をつないで〈組換えDNA〉を作り,これを大腸菌に感染させたところ,両者のDNAを細胞質にもった大腸菌ができた。また,1977年には化学的に合成した哺乳(ほにゅう)類のホルモンの遺伝子を大腸菌の細胞質遺伝因子に結合させ,大腸菌内でタンパク質合成を行わせ,ホルモンの生産に成功した。こうした遺伝子操作実験の成功から,遺伝性疾患の患者の遺伝子を組み換えて治療に役立てたり,高等生物のDNAを細菌内で増殖させ,自然では得がたい物質を多量に産生させることが可能になった。特定の遺伝子DNAのみを取り出して大腸菌内で増殖させると,単一のDNAを大量に得ることができる。これがDNAクローニングで,生物学・医学で広く応用されている。遺伝子工学には有害生物を生みだす潜在的な危険性があり,1973年米国のライフ・サイエンス部会はこの種の研究の自己規制と安全確認までの研究の一時停止を提唱したが,その後,遺伝子工学の研究,開発は全世界的に進展している。(百科事典マイペディア)

● 養殖【ようしょく】(aquiculture・raising culture)= 水産生物を飼養して,人工的に繁殖させること。水産生物の繁殖を自然の環境内で,技術的あるいは法令,規則などにより助長し,数量の増加を行うことは増殖と呼び,また漁獲された水産生物を区画された水面に飼養し,市場価格の上昇時に販売することは蓄養と呼んで区別する。養殖は内水面養殖(淡水)と海面養殖に大別。前者には池中養殖(コイ,ニジマス,アユ,ウグイ,ウナギ,キンギョ,各種熱帯魚,スッポン,ウシガエル),水田養殖(コイ,ドジョウ),粗放な溜池(ためいけ),干潟池,河川での養殖(コイ,ボラ,フナ)がある。後者には陸上の養殖池や廃止塩田を用いた池中養殖(クロダイ,ボラ,スズキ,クルマエビ),海面を堤防や網で仕切った区画養殖(ブリ,マダイ,トラフグ),筏(いかだ)や縄を用いた垂下式養殖(カキ,アコヤガイ,ホヤ,ワカメ,カイメン),網やそだ【ひび】建による養殖(ノリ,カキ),干潟や浅海面を利用した地撒(じまき)式養殖(カキ,アサリ,ハマグリ,サルボオ,ホタテガイ)がある。池中養殖では流水式,半流水式もある。ふつう,産卵,稚魚または幼生の育成,食用魚介の養成などは別々の場所で行われることが多く,成長は放養密度,投餌量,水温など環境条件により影響される。養殖業は日本において最も発達している。(百科事典マイペディア)

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 「商魂たくましい」といって感心していていいのかどうか。「山梨県水産技術センターが長年かけて開発した山梨県オリジナルの魚です」この「技術の勝利」と言ってみたくなるような成果は、決して第一次産業の分野に留まらないでしょう。いずれ、来たるべき日には「山梨県オリジナルのヒト」が生まれる・生み出されるに違いない。ニホンウナギの減少(少子化)は「養殖ウナギ」に取って代わられてくるでしょう。その更新はもう始まっています。この「少子化」阻止の決め手となる技術が、どこかで誰かが密かに(いや、堂々とか)実験室で行われていないとは言えないのではないですか。「こんな時代だから、それもしょうがない」とでも言っておきますか。山梨オリジナルの「富士の介」がニジマス✖キングサーモンから誕生するというのは「吉報」だとする向きがあります。そして「富士の介(デザイナーベビー)」は、魚であるとは限らなくなる時代にぼくたちは突入しているのでしょう。

【天に選ばれし、名水の地 富士吉田】
富士の麓の富士山湧水かけ流しで伸び伸び育ちました。
【富士の介とは・・・】
◆マス類で最高級とされるキングサーモンと山梨県で生産量ナンバーワンのニジマスを交配し誕生!
◇山梨県水産技術センターが長年かけて開発した山梨県オリジナルの魚です。
【美味しさの秘密】
◆【富士の介】はきめ細かい身質、ほどよくのった上質な脂、豊かなうま味が特徴の美味しい魚です。
◇キングサーモンの鮮やかな赤身でありながら、サーモン独特の臭みを感じない魚です。
◆うま味成分が、ニジマスに比べて約1.6倍!
【注意事項/その他】※沖縄(本島除く)および離島へのお届けはできません。
(山梨県養殖漁業協同組合:https://www.nashiyousyoku.net/fujinosuke.html#gsc.tab=0)

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石垣りん、「勇敢」を生きた人

 好き嫌いで他人を判断するのはあまり褒められたことではないけれども、好みというか相性というものは誰にも捨てきれないで残ります。あからまな「好悪」の感情を隠さないのは大人気ないという気もする。でも、「大人気(おとなげ)」があるというのはどういうことかを考えたら、ぼくはやはり「おとなげない」側に身を寄せてしまう自分を否定できません。分別、訳知りをして「大人気(おとなげ)あり」と言うなら、時には「無分別」を貫き通したいという衝動に駆られてしまうからです。

 まるでたあい(たわい)ないことを言っていますが、誰かを好きになるエネルギーと嫌いになるエネルギーの出どころはいっしょです。「愛憎半ばする」という表現は、この事情を示しているようです。「好き(愛する)」という情念があってこそ、それは反転して「憎む」という激しい感情にもなるのです。好きだけでも、嫌いだけでもない、人間の情念はひとつ。好き嫌いは背中合わせ。「嫌い 嫌いも 好きの内 ♫」

 まあ、これまでたくさんの「先人」(「先覚」「先生」)を見たり聞いたりしてきました。ぼくには「詩の心」は皆無ですが、他人の書いた詩は、割合に読む方です。数ある詩人の中で、といいたいところですが、あまり熱心に読んできたのではありませんから、こんなことを言うのは「烏滸(おこ)がましい」と自分でもわかります。そうではあっても、数少ない「詩」読書の経験から、おそらく、もっとも好きな「詩と詩人」は石垣りんさんでしょう。理由ははっきりしています。

 石垣さんは「子曰、賜也、女以予爲多學而識之者與、對曰然、非與、曰、非也、予一以貫之」(「論語 衛霊公」)に符合する生き方をした人だと、ぼくは直観している。難しいことは言わないつもりです。誰かが石垣さんに「あなたはたくさんのことを学んで、それで智者(詩人)になられたのか」と尋ねたら、「いいえ、私はたった一つのことを大事にしてきただけ」と応じるでしょう。「自分のふるさとをどんなときにも大切に思う」気持ちと行動(それが彼女の思想だった)を持って生きられたという意味です。 

 「日本語を大事にする」、そんなことは詩人なら当たり前じゃないかと誰もが反発するかもしれない。本当にそうかと見ると、残念だけれど、決してそうではない「詩人」が腐るほどいるような時代や社会じゃないですかと、彼女は諭されたかも知れません。(註:「吾道一以貫之」(「論語 里仁」)に同じ。「一つの姿勢・態度で人生を生きてきた」と、孔子は述べる。この「姿勢・態度」こそ、孔子の思想だったと言えるでしょう。石垣さんにも、同じことが言えそうですね)

 いくつかの彼女の「片言隻句」と捉えられそうな言葉(それは、石垣さんの「肺腑の言」でもあった)を「折々のことば」から借りました。そのどれ一つとして「言葉の海」の広さ深さ、つまりは「豊かさ」をぼくたちに感じさせてくれないものはないでしょう。「詩が書ける」というのは、石垣さんにとっては「至福至幸」だったと、多くのところで語られているし、第一、彼女の詩そのものが、ぼくたちにその事実を示してくれています。「エラクならなければならないのは、ずいぶん面倒でつまらないことだ」というのは、一貫して失わなかった生活の姿勢(思想)です。ぼくが石垣さんに惹かれるもっとも大切なところは「感情が経験よってに裏打ちされている」からです(その逆もある)。感情だけでも、経験だけでもないところに石垣さんの「詩魂」が宿っていると思う。これはなかなか稀有なことじゃないでしょうか。

 「貧乏」にいささかの怯(ひる)みも見せなかった彼女は、権力の横暴にも、世の理不尽にも、いつも同じ、毅然とした姿勢を隠さなかった、崩さなかった人として、静かな佇まいのうちに「勇気」「勇敢」を生きる人として、ぼくは、いつでも敬意を抱き続けてきました。

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【斜面】石垣りん再び 没後20年を迎えても、その言葉は色あせていない。昨年刊行された詩人の石垣りんさんのエッセー集「朝のあかり」(中公文庫)がじわじわと版を重ねて7刷計3万1千部になっている。生前に発表された随筆を独自に編み直したものだ◆「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」「表札」などの優れた生活詩を生み出した。その裏にあった壮絶な人生が随筆から垣間見える。「私は家族というものの親愛、その美しさが、時に一人の人間を食いつぶす修羅を思いえがく」(「夜の海」)◆14歳で事務員として銀行に就職。父ら家族を養うために、男女の待遇差が歴然の職場で41年間、定年まで働いた。生涯独身。退職の送別会後に上司が言った。「君は半人前だ。どうしてかというと、結婚しなかったから。子を生まなかったから」。男女雇用機会均等法のはるか前の話◆現行の均等法は直接の差別はもちろん、制度などの運用で不利益を与える間接差別も禁じている。先ごろ賠償を命じる判決も出た。けれど女性を取り巻く厳しい雇用環境や家庭のしがらみに目を凝らした石垣さんの言葉は、今も多くの人の心に響く◆定年を前に、石垣さんは川のほとりの1DKのマンションで1人暮らしを始めた。働き続けた先にようやく手に入れた自分の城。どんな人生を送るとしても、自由な精神の息づく場所を残しておこう。暮らしを基点に人間存在を見つめた詩人にして働く女性の先達に、時を越えて励まされる。(信濃毎日新聞・2024/05/26)

● いしがき‐りん【石垣りん】[1920〜2004]詩人。東京の生まれ。高等小学校卒業後、銀行に勤務のかたわら詩作を続ける。作品に「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」など。「表札など」でH氏賞、「石垣りん詩集」で田村俊子賞、「略歴」で地球賞受賞。(デジタル大辞泉)

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「徒然に日乗」(572~578)

◯2024/05/26(日)午前中に買い物。細々したものを買う。毎日のように出かけているが、夕食の準備はかみさんがするので、彼女は別口で出かける。二人揃って家を開けることができないので、無駄なことだが、二人がそれぞれの買い物をすることになる。▶台風一号が発生しているが、影響はどうなのだろうか。今日も一日、快晴が続いたが、来週は天気が崩れるという予報が出ている。台風の影響だろうか。(578)

◯2024/05/25(土)お昼前に土気駅へ。卒業生のF君を迎えに。隣駅の誉田に父方の祖母が介護施設に入居していて、このところ毎年のようにお見舞いと称して出かけている、そのついでに拙宅に来ることになった。もう何度目だろうか。8月6日に、祖母上は百歳になると言う。なかなかの高齢であるが、しっかりとして暮らしているらしい。健康で長生きという見本のよう。夕方四時半ころまで雑談。今年で教員七年目だとか。色々問題がある教育界だが、無理をしないで歩いてほしいと願うばかり。力がある人だから、それをどのように活用できるか、なんとか続けられるうちに、地下に根っこが張るようになるといいうのだが。それを期待している。(577)

◯2024/05/24(金)午前中に買い出し。昨日とほぼ同じようなもので、本日は茂原まで。▶蒸し暑い一日だった。沖縄地方はすでに梅雨入りだと言うけれど、平年より10日ほどは遅いと言う。南の海上に台風一号が発生。これも例年より遅いと言う。天候が不順なのか順調なのか。ある地域では、田植えに支障が出るほど、雨量が少ないと言う。あるいは冬季の降雪量が僅かで、水不足が深刻だと言われている。今年の新米が出回る前には「米不足」「米価の高騰」が心配されている。▶自然界も人間界も、互いに影響し合いながら、悪い方向に流れていることは間違いのないところ。(576)

◯2024/05/23(木)午前中に猫缶などの買い出しで、土気(とけ)まで。かなり長く猫に与えている缶詰だ。いくつかの子は流石に厭きてきたか、なかなか食が進まない様子。いろいろな種類を試してみたが、うまく合うのがまだ見つかっていない。それこそ、それぞれ好き嫌いがあって、みんな同じというわけには行かないという当たり前の事柄に行き着いているのだ。▶帰宅後、しばらく休んでから、自宅前の空き地の除草。かなり刈り取ったものが溜まったので、償却したいのだが、量が多いのと、風がでてくるととても、刈り取った場所での償却は難しそうなので、裏庭の焼却炉にまで運ぶしかないか。やや思案中のところ。(575)

◯2024/05/22(水)曇り空。雨は落ちてこないが、雨模様の様子。午前中に簡単に買い物。帰宅後は終日、家の中に。本日、庭作業はお休み。▶ほぼ毎月やっている猫のダニ駆除薬(フロントライン)、ほとんどが気づいていて、なかなか付けさせてくれない。マダニやノミなどがいる草原などに入り込むのだから、面倒でも欠かせない作業だが、それぞれの猫に点けるのに一苦労している。昨日から点けだしたが、半分を過ぎたところで、残りは逃げ回っている始末。あっという間に一ヶ月が経つが、これから更にマダニなどが繁殖する季節に入るので、なんとか始末を付けてしまいたい。たくさんいるし、名前入りの首輪を外してしまうのが多いので、識別するのに苦労している。月に一度の「戦い」のようだ。(574)

◯2024/05/21(火)終日快晴。いたずらに高温ではなく、凌ぎやすい日だった。午前中に、自宅前の空き地の除草作業。しばらくしなかったせいもあり、葛の蔦が生い茂り、刈払機に絡まりつく。小一時間ほどして、後は休憩と言うか、シャワーを浴びて、作業を終わる。無理をしないにもほどがあると、自分ながらに思わないでもない。▶その後は自宅内にて読書など。スマホやパソコンばかりいじっていると、長い時間の読書ができなくなると言われるが、そうかも知れないと実感している。機器類をいじらなくても、長時間の読書は無理な段階(年齢)に入っているのだろう。(573)

◯2024/05/20(月)昨夜来の雨が午前中まで続く。午後からは一転して日が差してきた。昼前に買い物。睡眠不足が溜まっている気がする。以前のように眠る時間が確保できていないのと、外の作業がやや多くなったせいもあって、結果的には疲労が少しずつ蓄積しているということか。かみさんの生活習慣が全く変わらないのも癪の種。どうかすると零時を過ぎても平気だ。すべてが、自分中心〈それを認めないのが問題だが〉、少しでも直そうという姿勢が全く見られないのは、誠に不愉快、とつい気が立ってくる。頑固という点では、ぼくは完敗だ。(572)

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蜂群崩壊症候群(CCD)とは

 週のはじめに愚考する (第弐拾壱)~ 今はあまり聞かれなくなった語に「ビオトープ(バイオトープ)」があります。三十年ほど以前には、それこそ至るところに「ビオトープ」が創出され、まるで流行り現象のように持て囃されていたものでした。〈biotope〉は、元来がドイツで作られた「概念(ことば)」で、Biotop[= bio+topos]、「いのち+場所」を表し、いくつかの生物群が集まって生息しやすいように設計された偽自然空間を指していました。「生物空間」「生物生息空間」と称された。なんのことはない、これまで長い間、人間がいろいろな生物群集と共生(symbiosis)・共棲(cohabitation)していた場所そのものが「生物空間(biological space)」だったのです。わざわざ「ビオトープ」などとして作り出さなければならなくなったのは、それだけ、「生物生息空間」が人間中心(利己)主義の災いを被った結果、罪滅ぼしのように、生物想いの人間たちによって「ある種の生き物だけが生きられる場」として提供され出した、それがこの社会における「ビオトープ」の始まりだった気がします。

 ぼくは自然観察者でもなく、特定の生物に肩入れしている昆虫オタク(愛好家)でもありません。日常的に暮らしている生活空間が改変され、都市(一極集中)化され、人工的に装飾されていくことを指を加えて眺めているだけの、つまらぬ人間です。「赤とんぼ」が絶滅危惧種になりそうだとか、なぜか「ミツバチ」が住処(巣箱)に戻らないで、大量に、しかも忽然と姿を消したとか、そんなニュースを見るにつけ、聞くにつけ、人間の子どもも、おそらく集団で消えるか、あるいは住みづらい環境(社会空間)を嫌って、この世にやってこなくなったのだなどと、まるで戯(たわ)けたことを言ったり書いたりしてその日を送っているものです。

 本日は、二題の「生物物語」の機微に少しでも触れたくなったのです。(以下、最後部に引用した新聞記事から)「ハッチョウトンボ」、ぼくはどれくらい前か、おそらく数十年になるでしょうが、この2センチそこそこの小さなトンボを見ることがありました。あまりにも小さかったので、今でも強い印象を持っていた。それが、全国各地で、まるで揺り籠(ビオトープ)に囲われるがごとくにしてようやく生息しているという状況に、なにかしら涙が出てくる思いがしました。それこそ、全国の至るところでは「お宝」発見と大騒ぎするばかりの珍重種になっているのを知り、深い溜め息をついている。人間というのは罪作りなもので、滅多矢鱈に殺戮し、挙句の果てには「人工交配」、「人工飼育」などと称して、その貴重な「生物種」を「天然記念物」と称して、それこそ「囲い者」にしてしまうのです。さしずめ、人間で言うなら「人間国宝」という扱いですね。愚かしいこと限りなし、です。

 また、「ミツバチ」の危機的状況についても、かなり早い段階から危惧されていたことを知っています。これもまた、ある「除草剤」「殺虫剤」の大量散布に起因しているのではないかと心配されてきた。ネオニコ(ネオナチではありません)による被害です。「タバコの葉などに含まれるニコチンに似た構造・作用を持つ殺虫剤の総称。神経伝達系のアセチルコリン受容体と結合し情報伝達を阻害する。稲につくカメムシ・アブラムシ、柑橘類につくガなどの駆除に使用される。有機リン系農薬と比較して人体に対する毒性は低いとされるが、受粉を媒介するミツバチへの影響などが問題視されている」(デジタル大辞泉)ほとんどの農薬類に含まれている毒性のある「薬剤」です。目下、小生の家では可能な限りで、この手の薬剤を使わないことにしています。(どうしても使わざるを得ないときもあるが、必要最小限に。そうはいっても難しいですね)

 この問題に関してはいろいろな情報があります。詳細はそれらに譲るとして、今も絶滅が危惧されているにも関わらず、ミツバチの生態を毀損する刺激毒物を放置しているのはどういうことか、その理由を知りたいと思っている。諸外国では危険・有害のために発売禁止されている消毒剤や殺虫剤が今尚堂々と劣島の量販店の店頭に並んでいます。禁止された地域からの横流しではないかと思われるほど、大量に販売されてもいる。「政官財」という刹那政治・経済・商業偏重主義者のトリオが「今こそ、金こそ、自分こそ」を生きる目標に大暴走しているのに、好き好んで多くの衆庶も惑わされている、そんな末法図がぼくにはみえてきます。(こんな文句をたれているぼく自身、その「惑わされ組」の一員たるを逃れられていないのです)

 「私たちが毎日食べている野菜や果物の多くは、ミツバチの授粉のおかげで実ります。「世界の食糧の9割をまかなう100種類の作物のうち、70種以上はミツバチが受粉を媒介している」という報告も(2011年・国連環境計画報告書)。私たちが食べている食糧の約1/3が、ハチなどの生物の受粉によってつくられているといいます。アインシュタインは、「ミツバチが絶滅したら4年後には人類も滅びているだろう」と警鐘を鳴らしたとか。4年後という数字はともかく、万一ミツバチが絶滅すれば食糧不足で人類もまた滅亡する可能性がないとは言い切れません。ミツバチによって受粉されなければ、その野菜や果物は命をつなぐことができず、地上から姿を消していくことになるのですから」(「ミツバチからのメッセージ」:https://www.muji.net/lab/living/140903.html)(この記事は十年前に書かれたもの。その後各地・各国でさまざまな規制がかけられてきましたが、この小島だけはいささかの変化もなくネオニコは放置されたままです。空中や水中に恐ろしくなるほど散布拡散され続けています)(生態系の各部分が汚染され、破壊されている)

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 鮮やかな赤 ハッチョウトンボ 総社・ヒイゴ池湿地で飛び始める 体長2センチほどと「世界最小級のトンボ」として知られるハッチョウトンボが、総社市福井のヒイゴ池湿地で飛び始めた。雄は全身が鮮やかな赤色を帯び、周囲の緑色と美しいコントラストを見せる。/湿地の保護に取り組む市民団体・北の吉備路保全協会によると、今季は17日に初確認された。6月をピークに8月中旬まで観察できそうという。雄は約1ヘクタールの湿地内で葉や花に止まって茶褐色をした雌を待つが、別の雄が近づくと縄張りを争って飛び回る。/開発の影響で生息地が減り、岡山県のレッドデータブックでは準絶滅危惧種に指定される。湿地内では絶滅危惧Ⅱ類のランの一種・トキソウも見頃を迎えており、萱原潤会長(71)は「足を運び、小さな命の営みをそっと見守ってほしい」と呼びかける。(山陽新聞・2024/05/24)

【大観小観】▼春から夏にかけての今の季節が、蜜蜂が最も活躍する時季。花から花へ飛び回る蜜蜂の姿を見かけることが多いと思う。蜜蜂は一匹の女王蜂、一匹の雄蜂以外、全員が雌蜂で「働き蜂」である。本当によく働く▼ところが、近年、世界中で蜜蜂の数が減っている。温暖化による気候変動が原因だ。蜜蜂は気候の変化に敏感で、森林や草原が減少して蜜源(花)が減ると生きていけない。花粉が栄養源、巣の材料だからだ▼最近、ブラジルのオレンジやコーヒー豆の不作、長野県のリンゴの不作が伝えられたが、これも蜜蜂が減ったことが原因。蜜蜂が花粉を媒介することで、多くの植物が受粉して生育する。世界で食用にされる野菜や果物百種のうち70種以上が、蜜蜂の媒介によっている。蜜蜂は私たちの生活を支えているのだ▼人類は古くから養蜂業を営んできた。蜂蜜の採取以外、蜜蜂の農家への貸し出しも重要な仕事。本県にも松阪市に全国有数の養蜂業・水谷養蜂場があるが、蜜蜂の生育維持に苦しんでいるという。「蜜蜂がいなくなったら人類は4年で滅亡する」とアインシュタインは警告した。危機は迫っている。(伊勢新聞・2024/05/25)

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ほうぐんほうかい‐しょうこうぐん〔ホウグンホウクワイシヤウコウグン〕【蜂群崩壊症候群】= 飼育されているミツバチが突然、大量に姿を消す現象。巣箱には孵 (ふ) 化 (か) した幼虫や食料が残され、女王バチと羽化直後の働きバチがわずかに残っている場合が多い。巣箱の周囲では死骸は発見されない。2006年に米国で問題化し、欧州などでも同様の事例が報告されているが、原因は解明されていない。CCD(colony collapse disorder)。コロニー崩壊症候群。[補説]日本でも同時期に養蜂場でミツバチが大量死する事例が相次いで発生しているが、巣箱の周辺でミツバチの死骸が発見され、死亡が確認されていることから、蜂群崩壊症候群とは異なる現象と考えられる。日本での大量死の原因として、ミツバチに寄生するダニやネオニコチノイド系殺虫剤の影響が有力視されている。(デジタル大辞泉)

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