選挙を「競馬並み」に貶めるのは誰だ

 全国の新聞は軒並み「競馬新聞」になっているようです。これもまた選挙の季節の風物詩というのでしょうか。同じ選挙報道(だとご当人たちがが思っているなら)でも、他に報じようがありそうではないですか。自民・公明過半数割れ、国民・参政党は伸びると、新聞もテレビも喧(かまびす)しいこと限りなし、です。それぞれの党派が主張するものの中に聞き捨てならないものがあるようにぼくには思われますが、その点には触れず、当たり障りのない意見ばかりを寄せ集めて報道している。◎、▲、〇、✖等を候補者につけることが報道の主眼というのは、情けない話です。

 ある政党の党首の第一声は「外国人は徒党を組んで悪いことをするから、この国の治安が乱れる。我が党は日本社会の治安を守る(外国人を入れない)」と、何よりも「日本人ファースト」「人種差別」「排外主義(xenophobia)」を盛んに売り込んでいたのだが、メディアはそこにはまったく触れない。別の党も「外国人が日本の不動産を買い漁っている。価格が上がって日本人は買えない、実に怪しからんことだぞ。我が党は、これを明確に規制する」との大音声。民衆を煽り、その単純大仰な排他主義の扇動に乗せられるのだから、選挙民も尻軽というほかないね。

 この社会がバブル絶頂のころ、N.Y.のエンパイアステートビルを買い取ったのは日本の特異な経済人だったH.Y.氏だった。米国の音楽・映画などの大企業を買収し、わが世の春を世界に誇示していたのは「世界のSO✖✖」でしたね。オーストラリアやスペインで広大な土地を買い漁って、「シルバーコロンビア計画」と大宣伝して、「隠退組の移住計画」をでっちあげた役所がありました。ぼくの知り合いも、浮かれ話に乗って移住しました(その後はよく知りません)日本の「老人村づくり(ゲートシティ)」は大きな批判・非難を受け、計画段階で萎(しぼ)んでしまったようです。

 成金会社がパリ市中のマンションやアパートを買い漁ったのも同じようなな時期。当時、当該国では日本批判がどのように起こったか、詳細は知りませんけれど、「ジャパンマネー」の評判は悪かったのは確か。そして「失われた三十年」の後、今は「外国人叩き」が選挙の争点になっているのです。「移民は認めない」と怪しい政策を振りかざしては「安い労働力」としてしか見てこなかった、その「排外主義」「日本人ファースト」が、ここにきて急激に持て囃されているというのですから、阿保草と言うしかありません。「斜陽国」の見苦しい遠吠えですか、気弱な「内弁慶」なんでしょうね。(左図は、それぞれの年度の企業の時価総額ランキング・btrax:https://blog.btrax.com/jp/jp-innovation/

 外国人観光客が溢れるほど来るのは、日本が貧しい・安い国になったからであり、その原因や理由は「政治の貧困」にあるということがどうして問われないのでしょうか。「輸出産業は自動車一本足打法」と揶揄されているうちはまだよかったが、米国の高い関税賦課で、そのなけなし・虎の子の稼ぎ手も、今や風前の灯火です。どうして、メディアはこの国の現状と将来の方向を示さ(示せ)ないのでしょうか。「極右」が大声をあげて「外国人排撃」を言っている、それでいいのかと、なぜ批判しないのですか。批判しない(できない)のは、「極右」に片足を突っ込んでいるからだと言えば、どうでしょう。本命・対抗・穴馬などと知った風なことを言いますが、ぼくはまったくの競馬音痴です。競馬新聞の幹部連が知り合いで、何かと教えられたものでしたが、ついぞ馬券は買うこことがありませんでした。今では「AI予想」が流行中とか。並みいる選挙予想紙も、「何人に聴きました」とかなんとか言っているけれど、その実は「AI」で予想を立てているに違いないのです。それならば、何百億という税金を使うことを止めて、選挙予想はすべてAIで、ということにしたらどうでしょう。政治そのものも「AI」で、だよね。

  「ダークホース(黒馬)」と目されている政党党首は、次の衆議院選挙では「政権(与党)入りを目指す」と言っている。いよいよ「極右」の本格登場となるかどうか。近隣諸国をはじめ、アジアの国々は、右翼勢力の擡頭(選挙結果次第では)をどう見るのでしょうか。

🔴 極右 = 極端に右翼的な思想。またはその思想を信奉する人。明確な定義はないが、自分が属する民族は崇高な文明と歴史を有しており、他民族より絶対的に優れていると信じる人々を指すケースが多い。周辺民族を嫌悪するなどレイシズム(人種差別)と結び付きやすい。民族精神や愛国心に究極の価値を置く。考えに従わなかったり、疑問視したりする人を「外国の手先」「非国民」とみて攻撃対象にする。戦前日本の軍国主義やドイツのナチズムは、これに当たると理解される。(共同通信用語解説)

~~~~~~~~~~~~~~~~

  「マリヤが、たとい夫の子でない子を生んでも、マリヤに輝く誇りがあったら、それは聖母子になるのでございます。
 私には、古い道徳を平気で無視して、よい子を得たという満足があるのでございます。
 あなたは、その後もやはり、ギロチンギロチンと言って、紳士やお嬢さんたちとお酒を飲んで、デカダン生活とやらをお続けになっていらっしゃるのでしょう。でも、私は、それをやめよ、とは申しませぬ。それもまた、あなたの最後の闘争の形式なのでしょうから。
 お酒をやめて、ご病気をなおして、永生きをなさって立派なお仕事を、などそんな白々しいおざなりみたいなことは、もう私は言いたくないのでございます。「立派なお仕事」などよりも、いのちを捨てる気で、所謂悪徳生活をしとおす事のほうが、のちの世の人たちからかえって御礼を言われるようになるかも知れません。
 犠牲者。道徳の過渡期かときの犠牲者。あなたも、私も、きっとそれなのでございましょう。
 革命は、いったい、どこで行われているのでしょう。すくなくとも、私たちの身のまわりにいては、古い道徳はやっぱりそのまま、みじんも変らず、私たちの行く手をさえぎっています。海の表面の波は何やら騒いでいても、その底の海水は、革命どころか、みじろぎもせず、狸寝入たぬきねいりで寝そべっているんですもの」(太宰治「斜陽」新潮文庫版)

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 自公で過半数割れの可能性 1週間前より与党に厳しい情勢に 国民・参政が躍進の可能性 JNN中盤情勢【参議院選挙2025】 今月20日に投開票が行われる参議院議員選挙について、JNNが中盤情勢を分析した結果、自公で参議院の過半数を割り込む可能性があることがわかりました。1週間前より与党に厳しい情勢となっています。/今月3日に公示された参議院議員選挙について、JNNではおとといときのう(12~13日)インターネット調査を行い、取材を加味して中盤の情勢を分析しました。/それによりますと、自民党と公明党はいずれも議席を減らし、非改選を合わせて過半数となる50議席を割り込む可能性があることがわかりました。/カギを握る32の「1人区」のうち自民党が優勢なのは8選挙区にとどまり、1週間前より与党に厳しい情勢となっています。(以下略)(TBSテレビ・2025/07/14)(右図表はNHK:2025年7月14日更新)

「ダークホース」は、カリフォルニアの名門ワイナリー「E.&J.ガロ・ワイナリー」のプレミアムワイン。
土地の気候・土壌(テロワール)にこだわらない品種選びなど、独創的な考え方でつくられる濃厚な味わいが特長です。
商品名には「常識破りで予想外なことに挑戦し続けたい」というつくり手の意思が込められており、パッケージにも「ダークホース」の顔をイメージしたアイコンをあしらっています。
ダークホース・レッド・ブレンドは、カリフォルニアの400を超えるブドウ農家から、最適な熟度に達した優良品質のブドウのみを選定してブレンドしています。/黒い果実やカラメルのような香り、しっかりとしたタンニン。
甘さを感じさせる濃縮した果実味が広がり、多品種ブレンドならではの、飲み始めから終わりまで、時の経過で変化する味わいが堪能できる濃い旨の代表格と言えるワインに仕上がっています。(https://www.miraido-onlineshop.com/item/1-dh-big-red-os/)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

名利に使はれて、静かなる暇無く、…

 「嘘にはうんざりだ」「騙されない秘訣を」と、明晰な知性を総動員して「フェイクニュースの見分け方」というベストセラー新書を書かれた著者が、何年間かにわたって、見事に「詐欺」に遭っていたという現実をぼくは知っています。いわば、経験者語るということだったでしょうか。著者はフリーのジャーナリスト(元A新聞記者。中途退社したのも、要するに、その新聞社の「嘘」が見抜けなかったからなのだが)で、にもかかわらずというべきか、福島原発事故の「顛末」を一貫して追跡し続けて、素晴らしい仕事をしている方です。どんなに用心深い人でも、きっと「詐欺」「虚報(言)」の罠にかかるのですから、素人は「騙されるもの」と腹をくくって生きていく時代です。「私は騙されたことがない」と言い切れる人は、「生きていない」ということでしょう、赤子を見よ。生きていれば、きっと騙される。もちろん騙されやすい人の方が騙す人よりも多いから、世に「騙し」は成り立つのでしょう。物を買って損をしたという経験のある人の大半は、騙されたことなるでしょう。「騙す」のも、「騙される」のも人間であればこそ。人間は騙す動物であり、同時に「騙される生物」でもあります。

 ぼくはスマホなるものを持ったことがない人間です。だから、「騙される」危険性はそれを所有している人よりも、いくらかは少ないでしょうが、それも比較の問題であって、何も余計な機器類(騙しの道具)を持たない人でも「詐欺」や「フェイク」に、ころりとひねられることが絶無とは言えません。「どうして騙してやろうか」と無い知恵を絞っている人間に、現在社会の通行手形ともいうべき「スマホ」は「鬼に△△」であり、「▼▼に刃物」というべきでしょう。それは騙しの道具であると同時に、騙される道具でもある。「便利な道具(useful tools)」を持った無防備の時代((defenseless era))か。ちろんスマホばかりではない。ぼくは頑ななデスクトップ型パソコン派ですし、毎日、それなりにネットニュースやYouTubeを見る。そこにはデマや偽情報が、まるで「夢洲」のゴミの如くに蓄積され、拡散され、果てしなく再生産されているのが手に取るようにわかります。そんな出鱈目が金になる時代。ネット上に溢れている数ある番組の中で、ぼくはわずかの番組しか見ないようになっています。

 騙す人より、騙される人に、というか、人間には騙され(てい)たいという一種の感情(本能)があるのかもしれません。「君を死ぬほど愛している」と彼氏から言われて舞い上がり、挙句の果てには捨てられた(その反対もある、彼女に騙され捨てられたという男も実に多い)。そんな時、多くの人は言うでしょうか、「どうせ私を だますなら だまし続けて 欲しかった 」(「女心の歌」)と。その結果は悲惨なものになることもしばしばです。「俺を騙したな」と、遅まきの覚醒に至って、兇状に及ぶのもよく見る悲劇です。これは嘘か真か、見極めることはおそらく困難だと思っていた方がいいのではないでしょうか。深い森の中で迷ったら「歩き回るな」「直進しなさい」とデカルトは言った。悪足搔きはしない方がいい。情報の杜(もり)や海で遭難したらどうする。救助を待つか、諦めるか。肝腎要(かんじんかなめ)の行動は、それが情報であろうがなかろうが、のこのこ、手ぶらで触らない、近づかないことです。それが何より。下手にスマホなどを持っているからこそ、深みへと連れて行かれるんですよね。

【産経抄】虚実の見極めを、SNSと参院選 「馬がものを言った」という噂が、江戸の町に広まった。元禄6(1693)年、徳川5代将軍綱吉の時代である。当時の文書いわく「馬のもの言うことには、そろりころりという煩いが流行(はや)る」。コレラ流行の予言とみられる。▼世の中の不安をあおる流言を、お上は聞き捨てにできなかったらしい。仁科邦男著『「生類憐(あわれ)みの令」の真実』によれば、調べを受けた町民は35万人を超えた。噂を流したかどで縄目にかかったのは筑紫団右衛門という浪人で、死罪になっている。▼首筋にひやりとしたものを覚える現代人は多かろう。根拠のない情報や、人を陥れるための悪意に満ちた噓が、瞬く間に広まる電脳空間の暗部である。舌戦が過熱する参院選でも、SNS上で候補者本人になりすました偽のアカウントが確認されるなど、騒動が絶えないと聞く。▼本来は、選挙と有権者の距離を縮める利器だろう。若者との親和性は強く、投票率の向上にも役立つに違いない。他方、自身の好みに偏った情報や主張だけが目に触れるフィルターバブルの罠(わな)もある。過激なもの言いや虚実ないまぜの情報も、隣人としてすました顔をしている。▼見聞きしたものをうのみにし、クリック一つで広めてしまうことが一番危ない。情報社会に生きる一人一人が、真偽を確かめる努力を忘れたくないものである。馬が合うはずの選挙とSNSを「混ぜるな危険」の仲にしてしまってはもったいない。▼ものを言う馬は、梅干しを煎じて飲めばコレラにならないとも語ったとか。八百屋惣右衛門という者が、仕入れた梅干しを高値で売るために団右衛門と一計を案じ、でっち上げた話だった。情報の上っ面に踊らされると憂き目に遭う。現代に通じる教えだろう。(産経新聞・2025/07/13)

 蛇足 飽きもしないで「日乗(日記)」を続けて二年余が過ぎました。毎日書く内容にほとんど意味がないのは、自分の生活は、実に取るに足りないもの(無意味)で成り立っているということの証明(確認)であり、ひいては、それがぼくという人間の「空っぽさ」の証明でもあると、何ともお恥ずかしい限りでした。「今日は何をしたか」と思い出すのも困難な、老いの日々を過ごしている。まさに「よしなしごと(trivial matters)」ばかりでぼくの日常(ordinary)は出来上がっているし、それに不満や不平を覚えるのではない。そう考えると、長い人生もまた『とるに足りないことばかり』と思えてくるのですから、ぼくのようなふしだらな人間でも、それなりに考え込んでしまう。そんな「とるに足りない事柄」にいのちを擦り減らすというのも、また「人間の状況・条件」ですね。「日々、これ事(異)もなし」と知るだけが、駄文を書いて得る報酬でもあるんでしょうか)

 「名利に使はれて、静かなる暇無く、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。/ 財(たから)多ければ、身を守るに貧(まど)し。害を買い、累(わずら)ひを招く媒(なかだち)なり。身の後には、金(こがね)をして北斗を拄(ささ)ふとも、人の為にぞ煩(わづら)はるべき。愚かなる人の、目を喜ばしむる楽しみ、また、あぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉(きんぎょく)の飾りも、心有らん人は、うたて、愚かなりとぞ見るべき。金(こがね)は山に捨て、玉は淵に投ぐべし。利に惑ふは、勝(すぐ)れて愚かなる人なり」(「徒然草 第三十八段」)

*「金をして北斗を拄ふ」とは、白楽天の「勧酒」にある「身後堆金拄北斗」、「身後金を堆(うずたか)くして北斗を拄ふとも…」による。死んだ後に北斗星を支えるくらいの莫大な金玉を遺したところで、そんなものは、「不如生前一樽酒」、生きているうちのひとたるの酒の値打ちもないじゃないか」に倣う。兼好さんの思想でしたね)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

「徒然に日乗」(787~793)

〇2025/07/13(日)曇り空が続き、気温も25℃を少し超えたような塩梅だった。午後も遅くになって雨が降り出し、今も降り続いている。(ただ今、夜9時過ぎ。室温28℃、湿度77%)これは梅雨前線の影響ではなく、南海上に発生した熱帯低気圧(台風5号に代わる見込み)によるものらしい、明日には房総半島に接近する、そのための先触れの降雨だろうと思う。幸いなことに風速は強くなく、最大でも30㍍以内、大きな影響があるとは思わないし、そう願っている▶午後何時ころだったか、横浜の娘から電話。「今京都・清水寺にいる」「明日は万博に行く予定」という。おりしも京都は祇園祭の季節(宵山だったか)、混雑しているかと思いきや、そうでもないという。とにかく「熱中症」に気を付けて、無理をしないようと伝えておいた▶参議院選挙も投票日(20日)が近付いている。事前の予想もいろいろと報道されているが、自民党・公明党の与党が過半数割れ確実と報じられているし、「極右」政党が大きく勢力を伸ばすと予想されている▶日米関税交渉の決着はどうなる(つく)のか、方向も結末も予測不能だと思われる▶中国の習近平主席が健康不安から失脚したらしいとの報道が出ている。Bricks(7月7日)への出席を取りやめたり、動向報道が中断されていたり。健康不安説や内部(軍事委員会)闘争説も出ていたところ。胡錦涛氏の画策が糸を引いているとの情報も。対米、対中関係の今後に留意せざるを得ない。(793)

〇2025/07/12(土)午前中に茂原まで買い物に。夏休み前だったが、やや混雑していた。帰宅後は少し仮眠をとる。睡眠不足と体の疲れが残っているようで、いくら休んでも気力・体力が戻らない感じ。▶気温は低く、梅雨前線の影響が顕著だった。気温は25度未満だったと思う。なお、南海上に熱低が発生しており、明日には台風5号に発達するとの報道。2019年の台風19号の記憶が離れなくなっている。(792)

〇2025/07/11(金)昨日に続いて、気温は高くなく、凌ぎやすい一日。時には雷鳴もとどろき、短時間、少雨もあったようだ。雷の発生がわかると、直ちに停電に備える習性がついている。PCの電源を切り、用心をすることにしている。雷鳴の轟は短時間。直ちに現状復旧、PCの前に座る▶本日は終日、自宅に籠っていた。疲れが抜けきらず、このところ、少し仮眠をとることが続いている。ほんの短時間だけ、除草作業をしてみたが、器械の調子も今一つで、直ちに中止。このところ、庭作業もしばらくは中断状態。(791)

〇2025/07/10(木)前線の関係で、昨日より10℃以上も低い、むしろ肌寒い一日だった。ただ今、夜9時。室温25.4℃、湿度71%。明日は一転して晴天らしい。南方海上に熱低(台風5号になりそう)が発生、大荒れの天候が続くか▶参議院選挙では特に「排外主義」「日本人ファースト」が叫ばれて、異様な事態を迎えそう。この「右翼ブーム」が一過性のものか、永続して政治勢力として存在するようになるのか、少なからず注目されるだろう。ある種の世界の政治現象の劣島における発現としてみるとどうなるのか、今少し検討を要する課題ではある▶日米関税問題がどうなるのか、更に展望が見えてこない。これまでも指摘しているように、急いでアメリカに懇願も媚諂(こびへつら)いもせず、相手の出方を見る必要があるだろう。この国も、対米関係においては今ある形や姿を変えるきっかけにもなりかねない問題なのだから。(790)

〇2025/07/09(水)灼熱の予感。このところ全く雨の気配すらないが、別の土地では驚異的な豪雨が襲っているという異常さ。この十日ほどは雨が一滴も降っていないかもしれない、それほどの高温多湿な天気が続いている。さすがに、これまでの疲れ(何をしたわけでもないのに、ただ息をしているだけで熱中症になりそう)のためか、体が重く、疲れが激しい▶昼前にあすみが丘へ、猫缶を買うために出かける。帰路、自宅の横を素通りして緑ヶ丘に生き、業務用スーパーで「麦茶500㎖」×24本を購入。とにかく、庭仕事をしないでいても水分補給は欠かせない。一日当たり、2㍑は摂取するだろうか▶参議院選挙の状況をほんの少しばかり見る。大半はネット上で探すが、目に留まる情報は皆無秩序・虚偽情報氾濫状態。日一日と情報の質が酷くなるのが手に取るようにわかるのだ。物凄い、手に負えない事態になってしまったと思う。これを、いろいろな面で立て直すのは容易ではないとおもう。間違いなしに、落ちるところまで落(堕)ちるのだろうか▶対米関税交渉の先行きも展望は開けていない。(789)

〇2025/07/08(火)朝から酷暑の予感。猫たちは外で過ごす時間が多くなる。朝4時起きしたが、その時には、いくつもの猫たちは外で休んでいた▶朝から睡魔が襲って、何もできない状態。朝ご飯抜きにして仮眠をとる。睡眠不足ばかりではなく、体力の消耗が激しいと感じる。本格的に眠ってしまったようだ▶ほとんど終日自宅内にとどまり、ひたすら休息をとることにした▶昨日、日本への関税が25%であるとの報道があった。細かいことは抜きにして、従来の日米関係を基本的には考えなおす必要が出てきた段階に入ったと思う。「25%の関税を少しでも下げてほしい」という懇願外交ではなく、「アメリカの輸出品にも25%の関税を」と提案したらどうか。そのさきにはさまざまな変容が生まれるだろうから、それに惑わされずにていねいに進路を探るべきだろう。恐らく、この先にも<TACO>である人間と、まともに付き合うことはできないと思う。日米安全保障条約を再考すべき好機ではないか。(788)

〇2025/07/07(月)本日も朝から酷暑の様相。昼前に少し仮眠をとる▶午前中に買い物で茂原まで。ついでに昨日の出前の寿司樽を勢寿しまで返却に行く▶かなり疲れが残っていると思う。あまりにも暑いこともあって、日差しが弱くなるまで外には出なかった。ほんの少時感、除草作業をする。「ナイロンコード」を使用した刈払い機の試用のつもり。十分ばかり作業をしただけで汗が噴き出してきた。作業終了後、シャワーを浴びて、汗を流す。まだまだ酷暑が続く予感がする▶鹿児島吐噶喇列島近辺の群発地震域がさらに「拡大・膨張」したかと思われるほど。おそらく能登半島地震と同じようなメカニズム(隆起と陥没)が地下で働いているのではないかと疑っている。ただ今、午後9時40分。室温29.9℃。湿度75%。(787) 

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

「汝、気概はありやなしや」

【小社会】なめられてたまるか 政治評論家の故岩見隆夫さんに「なめられてたまるか」と題した随想がある。1990年代後半。貿易摩擦に伴う米国のジャパン・バッシング(日本たたき)がパッシング(素通り)に転じた、とささやかれていた。❖時のクリントン大統領が、異例の9日間にも及ぶ日程で訪中した。日本はまさに素通り。岩見さんは、米国の真意を探っているようには見えない外交当局を「お粗末」と断じる。❖米中交渉では、貿易赤字の削減を迫る米国側に中国の首相がこう切り返していた。「中国にあるあなた方の工場を全部撤収すれば、中国貿易は間違いなく黒字になる。しかし、米国内の物価は上がりますよ」。岩見さんは「なめられてたまるか」の気概と書く。むろん、中国の覇権主義が今ほどあらわではない時代だが。❖参院選で、石破首相が発言した「なめられてたまるか」が波紋を広げている。トランプ米政権との関税交渉を巡り「同盟国であっても正々堂々言わなければ」。強い指導者を演じ、劣勢を脱したい焦りともされる。❖反応はさまざまのようだ。どう翻訳されてトランプ氏に伝わるか。「交渉のハードルが上がった」という心配も。かたや「国内に言わず米国に言え」という声にもうなずくところがある。❖土佐弁でいえば「なめたらいかんぜよ!」か。現首相に限らず、言うべきことを言えているかは日米関係の宿題とも思える。たんかを切る必要はないにしても。(高知新聞・2025/07/13)

◎ 週の初めに愚考する(七拾八)~ 「なめる」とか「なめられる」とか、あまり美しい物言いではありません。けれども、已むに已まれず言い放つ、そんな「啖呵」にも聞こえてきます。この場合、時の総理大臣が、並みいる野党(実は、その大半は与党の補完、二軍・三軍)に向かって吠えたともとれるし、身内(自民党・公明党)の、よからぬ姦計(謀反)をたくらんでいる連中に向けた「捨て台詞」的放言でもあったでしょう。でも、実際のところは、いかにも無謀・無礼限りない米国大統領に投げつけた、喧嘩も辞さない投げ科白(せりふ)だと受け取られたのですから、当人としては「してやったり」だったかもしれない。そして、この暴言が米国にどのように伝わり、大統領の耳に届くかが思い図られます。あるいは、日米現行体制にひびが入るかもしれないが、ぼくには願ったり叶ったりですね。

石破総理「なめられてたまるか」日米関税交渉めぐり|TBS NEWS DIG(https://www.youtube.com/watch?v=ypaHv9OXAK4

 「これは国益をかけた戦いです(This is a battle for national interests.)」「なめられてたまるか(I can’t stand being looked down upon)」「わたしたちはたとえ同盟国であっても正々堂々言わなければならない(We must speak up, even to our allies)」「守るべきものは守っていかなければならない(What needs to be protected must be protected)」

 その言やよし。図体のでかさに似合わない虚弱体質としては精いっぱい、虚勢を張ったというべきです。「なめられてたまるか」というのは総理の万感の思いを、処方に向かって吐露した一言であって、なにも米国向けであると取る必要もないのです。それは本音なのかというなら、今は亡き、岩見隆夫氏の指摘するように、ある種の「気概(spirit)」だったと思う。もちろん、そんなことを言って、却って総理には「危害」になると思われもしますが、乾坤一擲、イチかバチかで発した肺腑の言だったんじゃないですか。そしてこのような「捨て台詞」を言わしめたのが、なにあろう千葉県は船橋の一場(選挙演説会場)だったことを、ぼくはある種の感慨を持ってみていました。さもあらん、千葉県に来ると「(やくざ並みの)血が騒ぐ」のでしょう。詳しくは言わないが、房総半島は「暴走半島」で、これまでにもたくさんの「やくざ」の出入りがありました。中でもぼくがが好きなのは「平手造酒(ひらてみき)」(本名は平田三鬼)。彼を謡った流行歌「大利根月夜」も大好き人間。「利根の流れをながれ月」と詠むのは藤田まさとさん。M大出の作詞家。長津さん(H大出)にも惹きつけられていた時代があります。この両氏は「やくざ歌」コンビでした。

◉平手造酒 (ひらて-みき)=講談・浪曲の「天保水滸伝(すいこでん)」の登場人物。江戸時代後期の剣術家。千葉周作の門下。酒がもとで破門され,胸の病におかされながら下総(しもうさ)で博徒の親分笹川繁蔵の用心棒となる。天保15年飯岡(いいおか)助五郎一家との大利根河原(おおとねがわら)の決闘で奮戦,重症を負って死ぬ。平田深喜(みき)という実在人物がモデル。(デジタル版日本人名大辞典+Plus)(*田端義夫「大利根月夜」https://www.youtube.com/watch?v=NmNLXy7jtn8&list=RDNmNLXy7jtn8&start_radio=1

大利根月夜 作詞:藤田まさと 作曲:長津義司
歌唱:田端義夫 制作:滝野細道(昭和14年)
(一)
あれを御覧と 指差す方(かた)に
利根の流れを ながれ月
昔笑うて ながめた月も
今日は 今日は涙の 顔で見る
(二)
愚痴じゃなけれど 世が世であれば
殿のまねきの 月見酒
男平手(ひらて)と もてはやされて
今じゃ 今じゃ浮世を 三度笠
(三)
もとをただせば 侍育ち
腕は自慢の 千葉仕込み
何が不足で 大利根ぐらし
故郷(くに)じゃ 故郷じゃ妹が 待つものを

 コラム「小社会」氏が挙げられている岩見隆夫氏(元毎日新聞社記者)「なめられてたまるか」は、時の朱鎔基氏(中国首相)がアメリカ大統領クリントン氏に対してなげつけた「気概」だったというのはその通りで、1998年6月段階の米中関係を如実に表している場面だったと思う。変われば変わるもの、今ではアメリカ大統領が「なめられてたまるか」と言い放ちながらも、「なめられている」始末。問題は日本の総理が、この当時の中国首相の「科白」を知っていたかどうか、知らなかっただろうという可能性は強いが、よしや、それでも止むに止まれぬ「気概」を吐いたとアメリカにではなく、国内向けと受け取られればしめたもの。どんな表現にせよ、「言うべきことを言う」のは外交の大前提。I 総理の悲劇は党内基盤が極めて薄弱だし、そのことは諸外国の首脳にも知られている。だからこその「やけくそ(desperation)」的放言だったと思う。もちろん、それは計算の上でのこと。選挙の情勢は極めて劣勢だと報じられている。その通りかもしれないが、彼一人が責任を負うべき筋ではない、歴代の自民党政治そのものが国民を、それこそ「なめてきた」ツケがここにきて露見しているだけ。 

 彼が自民党総裁に選ばれたとき(2024年9月)、「じたばたするな」「梃子でも動かなければ三年(任期)は持つ」とぼくは断じました。実際その通りで、下手に動けば、揚げ足を取られる。もちろん、二世議員でもある彼を、ぼくは評価していない。確かに一言居士(しゃべるだけ)ではあるが、勇気がない、腰が据わらない、惰弱壮士だから、という理由によって。選挙は一種の「討ち入り」のようなものですから、彼が平手造酒になれるかどうかはともかく、啖呵の一つや二つを口にしてもおかしくはありません。問題は筆者にもある、…。こんなところに「大利根月夜」が出てくるのですから、ぼくには根っからの「やくざ」の気性があるんだと痛感している。「男平手ともてはやされて」「今じゃ憂き世を三度笠」というのは、いかにも落魄著しい、老残の身に利根の川風が冷たいんですね。

 日米の同盟関係を揺るがしてでも、これまでの隷属外交による属国意識を蹴飛ばす好機だと思うが、どうだろう。とても無理だということは確信しています。そしていま、にもかかわらず「日本人ファースト」を叫ぶというちぐはぐぶり。「弱きを挫(くじ)き、強きを助ける」という卑怯千万。要するに、この時代の政治家は、おしなべて「内弁慶(brave at home)」なんですな。

 蛇足 本音を言うなら、現総理は「泣いてたまるか」(TBSテレビドラマ、 1966~1969)と叫びたかったんだ。主人公役の渥美さんの演技は秀逸だった。「男はつらいよ」なんか、比べることもできないほどの素晴らしさでしたと、ぼくは評価していた。人間、時には「泣いてたまるか」と意地を張るんだね。強情であることは大事ですよ。それこそ「人間の沽券(こけん)にかかわるんだ。「なめられて…」より、はるかに弱い人間の本性(ほんしょう)が出ていますね。

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

「学歴」で「市長」に選んだ、か

 どんな選挙であれ、候補者の「学歴」を基準に候補者を選ぶことは皆無ではないとしても、まず本筋ではないでしょう。だから、いい加減な「学歴」を書いていいというつもりはありません。恐らく、この社会のさまざまな「議員」さん、いったい何万人おられるかわかりませんが、「学歴」詐称を問われるべき人はそれなりにいるのではないでしょうか。入社応募の際には「卒業証書」(「成績証明書」もあるか)の提示(出)を求める企業はあるでしょうから、それなりに書面上は「体裁」を整えることが条件となります。また、時に教員免許状を所持しないで教員を名乗る(教職についている)人もあり、詐称や偽称が判明すれば解職されるでしょう。「人間(じんかん)、イタルトコロ虚偽アリ」、つまりこの社会には嘘と偽りが充満しているということです。「嘘も方便」と言い、「


(ふもうごかい)」(「妄語」とは仏教語でいう「嘘」で、それはいかんぜよという戒律)という。つまりはどっちを取るか、時と所を選んでということでしょうか。「嘘」も時宜を選びなさいと、ね。

【新生面】学歴詐称 公職選挙法235条は、当選を得るため虚偽の経歴を公にした候補者は2年以下の拘禁刑または30万円以下の罰金に処すると定めている(虚偽事項の公表罪)▼公職に立候補する際に学歴は問われない。問われるのは、うそやごまかしのない「ありのままの自分」で選挙を戦うかどうかだ。当然だろう。経歴を粉飾する不誠実な人物には、地域のこれからを託したくない▼静岡県伊東市の田久保真紀市長が、近く辞職して出直し選に立候補する意向を表明した。5月の市長選で初当選したばかり。大学を除籍となっていたのに市の広報誌などで卒業と紹介されていたことなどが問題視され、市議会が全会一致で辞職勧告決議を可決していた▼市長選の際に報道各社が配布、回収した経歴調査票に大学卒と記載していた、との指摘もある。経歴報道は基本的に自己申告に基づいており、よほどの疑義や情報がない限り厳密な真偽確認はされないケースが多いようだ。田久保氏が“卒業証書”を持っていたことも混乱に拍車をかけた▼不明な点もあるが、田久保氏は社会に出る前に身に付けておくべき何かが“未履修”だったのかも。出直し選には費用もかかる。市民の失望と怒りは想像に難くない。引き続き支援する市民もいるのだろうが▼一方、参院選には選挙区350人、比例代表172人の522人が立候補している。公示日の翌日、本紙に載った候補者一覧をにらみながら夢想した。経歴とともに、「正直さ」などのレベルも数値で分かるといいのに。(熊本日日新聞・2025/07/12)

 公職選挙法の「虚偽事項公表罪」に問われれば「2年以下の拘禁または30万円以下の罰金」とあります。問題の所在は、学歴を詐称・偽称してまで「当選」したいという候補者の問題ですが、「学歴」を重視して候補者を有権者は選んでいないと思われますから、この「学歴詐称」という、候補者の「姑息な過ち」を伊東市民はどう判断するか、というところに、問題の落としどころがあるのではないですか。「いいじゃないか、それでも」ということになれば、市長継続だろうし、それは許せないとなれば「市長再選挙」になる、余計な金が使われるけれど。(伊東市の担当者に電話取材をしたところ、選挙費用としてはおおよそ3000万円弱を予定しているという)彼女が再選されれば、五月の市長選ってなんだったん?

 と、ここまで来て、それでは「都知事」の場合はどうなのか。知事選挙に一度ならず、三度までも当選しており、選挙の都度「学歴詐称」が問われていました。この女性知事、「生来の嘘つき」と評判はされて、これまでも危ない橋を渡ってきた人です。伊藤市長はまず最初に、同様(詐称・K池氏にすれば些少か)の疑惑を尻目に、堂々と世間を闊歩している都知事に指南を仰ぐべきだったと思う。日本の首都の代表が「学歴詐称」を問題視されても、言葉巧みに問題の行方をくらます、尻尾をつかませない、その政治力は天性・天稟のもの。そして重要なのは、いくら「学歴詐称」を追及されたところで、三度までも「都知事」に選出されているのです。選挙民の信任が篤(あつ)いということ。一体、選挙って何なの?

 この国には「仏の顔も三度」という諺(ことわざ)がある。「(「仏の顔も三度撫ずれば腹立つ」の略 ) どんなに温和な人であっても、無法なことをたびたびされればしまいには怒る」(精選版日本国語大辞典)「都知事」選の場合、「仏」は誰でしょうか。恐らく「有権者」です。候補者は有権者を甘く、あるいは虫けらのように見なして、「当選すれば、それまで」と高を括っている・いたか。有権者を尊敬していない(見きびっている)ことだけは事実ですね。でも、仏である「有権者」は何度撫でられようと、痛くも痒くもないどころか、心地いいと感じているのかもしれません。あろうことか、その知事には、有象無象、贔屓筋(政財官界)が腐るほどいるのです。伊藤市長に足りないのは「厚かましさ」「開き直り」「弱音を吐かぬ」、そのような「政治家」であるべき三条件が著しく欠けていた? ぼくは伊藤市民ではないから、詳しくは分からないけれど、市議を一期だったか勤められていたようですから、詐称はお手の物だったろう。なかなかの「猛者」と見受けました。

 現段階で、この問題の帰趨は判然とはしないが、「出直し選挙」の公算は大と見られている。その先例には兵庫県知事選がありますから、ぜひ、それを参考に「二馬力」で再選を目指されればいかがですか。ぼくは現職市長を応援する義理もなければ趣味もありません。(伊東市からは「固定資産税」を徴収されているが)自らの履歴を偽称して、発覚するまで「しらばくれる」という醜状はなんとも認めがたい。だから当該選挙の有権者なら、「ぜひお辞めください」と声を上げるでしょう。でも、また同じような輩が出てくるかもしれないと思うと、学歴なんかどうでもいいじゃん、と思ってしまうのですよ。何大学を出ていようが出ていなかろうが、大した美点でも汚点でもない、まあ、洋服についた滲(し)みみたいなもの、それで本体(それを着ている人)が損なわれるはずもないでしょうに、その程度に思っている。

 今回の騒動が起こりだした際、ひとりの支持者がいみじくも語られていました、「あなたを学歴で選んだのではないから」、だから「どうこうしてほしい」とは言われなかったが、言わず語らずで、ぼくにはその支持者(女性)の意とするところは分かった気がしました。「あなたの人柄を認めて投票したんですから、再出馬したらどうか」という趣旨だったと思いますが、「それにしてもツマラン間違いを犯したものね」と言いたげでありました。何度でも繰り返します。「人間は間違いを犯す出来損ない」「性懲りもない輩」ですから、取り返しのつかない間違いもあるかもしれない、でも取り返せないと決めつけることはできないのもまた、人間の弱さの表れではないでしょうか。

 都知事や伊東市長の「詐称」疑惑を必要以上に重く見るのではありません。(もちろん、「学歴詐称」を認めれば、選挙に出ることは憚られるでしょうね、それでも出るかしら)学歴詐称を厳しく問うなら、諸々の教育機関の資格そのものも問われてきます。ことは面倒ですから、ほどほどに、と思う。つまり、自らの「学歴」に必要以上に重きを置かないことですよ。他人の学歴がその人をどれほど語るか、そんなことより、直に当人を見れば済むこと。ぼくは大学は出たけれど、何よりも「そんな悪場所に入るべきではなかった」という負い目を持っています。だから、ぼくの学歴は「高卒」、そうしたいと考えている。でも最終学歴を問われれば、嘘を付くわけにもいかない。しかし、言いたくない(書きたくない)気持ちが根強くありますから、履歴書を書く必要に遭遇しないようにしてきました。

 「公職に立候補する際に学歴は問われない」のは当然ですね。「学歴が仕事をする」のではありませんから。「公職」とは「公的な性格をもつ職の総称。重要な公務員の職。国会議員、地方公共団体の議会の議員および長の職、農業委員会や境域委員会などの委員の職をも含む」(精選版日本国語大辞典)元総理大臣だった田中角栄氏は、自ら「高等小学校卒」と公言しておられたが、最終学歴は「中央工学校卒」だった。その当時(1936年)、同校は認可公認されていなかった)

 これまでも、何度も何度も「学歴」の記載を履歴書に求めないという企業が出ては消え、消えては出ました。不要だと、どうして決められないのでしょうか。細かいことは省きますが、あらゆる職が「公職」に近づくことを願いますね。年齢・性別・学歴・国籍等は一切不問、そんな時代はもう、すぐそばまで来ているのですが、そうなればなったで、「揺り戻し」「逆転現象」などが発生します。困った集団ですね、人間社会は。

 「経歴とともに、『正直さ』などのレベルも数値で分かるといいのに」(「新生面」)とコラムは冗談めかして(と思う)述べられている。数字や文字に語らせるから、さまざまな問題が生じているのに。嘘・偽りは「模範」「手本」の口や手から出てくるんですよ。「人を見る」ということを、ぼくたちはもっと重要視しないとだめですね。「『人を見る』人」を見ることこそが問われているのですからね。

 それにしてもだ、この社会の「首長」には得体のしれない「怪物」「怪人」「怪盗」「怪漢」が多すぎるのはどうしてか。いちいち挙げればきりもなくなるから、それはしないが、きっと選挙民は「怪しい」人間が好きなのでしょうか。とするなら、選挙(投票)は民主主義の、ある種の「隘路」(「ここは何処の細道じゃ」)ですね。「百年河清を俟つ」ても、「怪しい」は消えることはなさそうですから。今では使われなくなった警句でしょうが、「怪我と弁当は自分持ち」というのがありました。民主主義に払うべき「怪我と弁当」は高くつきますし、際限がないのが空恐ろしい。「民主主義とは、地平線に向かって歩を進めること」

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

「日本人ファースト」は野蛮・蒙昧だ

 「塀の中の懲りない面々」という著書が多くの人に読まれたことがありました。塀の中の体験者でもあった安倍譲二さん(元ヤクザ)の自伝的作品。1986年刊、文藝春秋社。いわゆる累犯者の刑務所暮らしのさまざまを扱ったものでしたが、何度でも同じ過ちを犯す、いろいろな累犯者がいることは間違いのない事実です。この語は、本来は同一人物の累犯のことを指すのが本当でしょうが、時代や社会が違っても、人間たちは同じ間違いや過ちを繰り返すという意味では人類(人間たち)もまた「懲りない面々」であり、塀の中であると否とに関わらず、歴史的には、実に困った人たちの困った行状の繰り返しであるというべきでしょうか。ここでいう「懲りない面々」の「繰り返される過ち」とは何かというと、特に今選挙運動の真っ盛りにある参議院選におけるいくつもの「政党」の看板主張ともなっている「排外主義(xenophobia)」、「自民族中心主義(ethnocentrism)」というドグマであり、独善です。直言するなら「ファシズム」でもあります。それはまた、ある種の「愛国主義(jingoism)」に重なります。もちろん、これは今日、世界規模で起こっている現象で、まるで季節風(モンスーン)のように、時を定めて吹き荒れることが屡々でした。「自民族」を第一に、「他民族」を第二に扱うというのはどういうことか、ぼくにはよく分からない心情であり、姿勢ですな。(ヘッダー写真は日経ビジネス「『日本人ファースト』が破壊する日本人が住みやすい環境」by 松浦・2025/07/04)(https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00562/070200099/

【筆洗】差別を憎む人には少し残念な実験結果がある。自分とは異なる人種の顔写真を見たとき、脳はどんな反応をするかをカナダの大学が調べたそうだ▼顔写真を見ると恐怖や不安など否定的な感情と関係する扁桃(へんとう)体という部分が活発化することが分かった。普段、差別や偏見を嫌う人の脳内でもやはり同じ反応が出る。人間は自分と異なる人たちを見ると、無意識のうちに警戒し、攻撃的にもなる「仕組み」を持っているようである▼無論、脳にはこうした反応を抑制する機能も備わっているというからホッとする。だが、普段はコントロールされているはずの偏見や差別が解放されてしまうこともあるという。研究者によると選挙もその引き金になりやすい▼移民対策を訴えたトランプ大統領が最初に出馬した米大統領選、移民規制が争点になった英国の欧州連合離脱を巡る国民投票。いずれの場合も差別による憎悪犯罪の発生率が急上昇した▼選挙中、排外的で差別的な言葉が公然と語られるうち、差別はいけないという社会常識のタガが緩み、結果、抑制されていた悪感情を爆発させる人も出てきてしまう▼外国人規制問題が争点にもなっている参院選が心配である。冷静な論戦なら構わない。なれど、外国人をひとくくりに攻撃するような心ない発言は厳に慎むべきである。差別は許さぬ。その当たり前のタガだけは外したくない。(東京新聞・2025/07/10)

 「移民対策を訴えたトランプ大統領が最初に出馬した米大統領選、移民規制が争点になった英国の欧州連合離脱を巡る国民投票。いずれの場合も差別による憎悪犯罪の発生率が急上昇した」(「筆洗」)し、今なお、その傾向は強化されて広まっているのです。欧米に遭って、それはは単なる季節風にとどまらずに、政治権力を握ってもいる。平時は蓋をされていたマンホールが、一端集中豪雨に街中が襲われると、突然土中から雨(他民族排除)が溢れ出し、遂にはマンホール(政治的抑制力)そのもの突き破るような暴れ方をする。「選挙中、排外的で差別的な言葉が公然と語られるうち、差別はいけないという社会常識のタガが緩み、結果、抑制されていた悪感情を爆発させる人も出てきてしまう」(同前)のは不思議でも何でもない。今般の参議院議員選挙で、驚くほど「排外主義」や「移民排斥」につながるような言動が政党(候補者)の間に浸透してきたし、その主張に丸ごと捉えられて、「外国人出て行け」紛いの怒号を絞り出す、 この社会の、醜悪な老若男女の出現・振る舞いを見ると、おいおい、よせよ、なんとも「懲りない面々だな」と言いたくなります。

 同じ人間が繰り返す過ちや犯罪行為ではなく、先祖代々の歴史的継承(遺伝的・genetic)ともいうべき「懲りない」なんですな。父祖からの伝統、あるいは前々世代からの受け継ぎが、ここにきて爆発しているのです。いくつかの政党の候補者や代表の演説を聞いていて、聞くに耐えないのは言うまでもなく、何を喚(わめ)こうが反撃できない悪口雑言の的を外国籍の人たちに縛って、集票争いに参戦・狂奔しているからでしょう。実に困った、恥辱しらずの面々と言いたいところですね。このような兇状の持ち主はこの国の歴史を一切無視しているのであって、これまでの歴史において、海外在住の「同胞(日本人)」が排斥され、犯罪人扱いされたこと、拘束されて自由を奪われた経緯があることをすっかり失念しているのです。いい気なものだと、ぼくは呆れるばかりだし、このような排外主義は、やがて、身内同士で排除し合うことになるに決まっています。なぜここにきて、「排外主義」が嵩じているのか。国力の衰えが、裏目に出るんですね。

 その理由は何か。端的に言うなら、この国が「落ち目の三度笠」だからでしょう。給料は上がらない、物価はただただ高騰する、生活は苦しい、世界の参等国以下に成り下がった、それらの怒りのはけ口が見つからない。そんな閉塞状況を打破するのに選挙があった。こんなにこの国が落ち目であり続けるのは誰のせいか。政治が悪いとは、政治家自身は言わない。「天に唾する」ことがわかっているからでしょう。外国人、とりわけ不法移民がこの国の弱体化を齎していると、まるで根拠のないいいがかりに飛びつく、そんな選挙民を観ていると、「懲りない面々」は健在どころか、狂喜し乱舞している醜状が見えてきます。百年前の歴史をはっきりと想起している。国内が振るわないと、外敵を捏造し、憂さを晴らす、暴走する。それが選挙の投票に向かうように、政党党首たちは煽りに煽るし、選挙民は煽られるに任せる。時あたかも酷暑・灼熱地獄の日々ですからなおさら、煽られれば燃え上がる・茹で上がる。という次第で、思わない地殻変動が選挙に現れるという予測が頻(しき)りです。  (左図:毎日新聞2025/07/07)

 熱を下げろ、目を覚ませ、まさしく「極右」がこの国の明日の政治を動かそうとしているのだ。フランス・ドイツ・イタリアの過激な排外主義政党を、この島国のメディアは「極右(extreme right)」と誹謗し、蛇蝎視していました。ところが、わがことになると、かかる「名称」は一切見られないどころか、新勢力現れるとか、希望の星の如くにおべっかを使っているほど。それもまた「懲りない面々」ではないでしょうか。満州事変から続く十五年戦争時代のメディアでは「極右」という言葉は禁句だった。「皇国」「報国」一色に染まっていましたね。いまでも、「極右」政党をまるで「救国勢力」の如くもちあげ、そのに尻馬に載っています。「大政翼賛会」よろしく、あるいは「各種報国会」よろしく、前方を支援する銃後の備え役に徹している。もうすでに「救国諸勢力」は選挙後の大同団結を約束しているのではないですか。「自民族中心主義」「他民族排撃」勢力の背後に、一つの亡霊が漂っているように、ぼくには見えます。「美しい国 日本」を標榜(詐称)していた元総理の「果たせなかった野望」を、この「懲りない面々」は担っているつもりになっているのでしょうか。

~~~~~~~~~~

 参院選「日本人ファースト」連呼におびえる人々 「外国人が優遇されてるなんてあり得ない」…リアルを語る 参院選では一部政党の排外主義的な主張が、街頭で、交流サイト(SNS)で毎日のように飛び交っている。これに不安を感じているのは日本で暮らす外国人たちだ。日本人と同じく納税義務があるものの選挙権はなく、「外国人が優遇されている」状況にもない。「デマのような情報が、表立って言われるようになったのは怖い」。同じ日本社会の一員を排除する政治がまかり通っていいのか。(森田真奈子、池尾伸一)外国人が牛耳ってる…あり得ない/参院選が公示された3日、神奈川県内の公共施設で働く40代の在日コリアン女性は、職場のテレビで「日本人ファースト」を訴える参政党の街頭演説を目にし、思った。「ついにここまで来たかと恐ろしかった」/8日、排外主義を扇動する動きに反対を表明した在日外国人を支援する団体の代表者ら=東京・永田町で、須藤英治撮影/韓国籍の名で生活し「外国人」と見られるだけに、「問題を起こさないように」と時に居心地の悪さも感じてきた。職場で電話に出て名乗ると、「公的機関は外国人が牛耳ってる」と言われたこともある。実際には外国籍だと国家公務員になれず、地方公務員にはなれても管理職になれない。「『優遇されてる』なんてあり得ない。それを信じる人が増えているのは怖い」(以下略)(東京新聞・2025/07/09)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/419185

 自民族中心主義は、次の段階では「自民族内分断・差別」に至るでしょう。いわゆる「優生思想(主義)・eugenicism)」に必ず行きつくはずです。今だって、その傾向は現れています。「社会的弱者」の排除はいつだってみられるからです。悍(おぞ)ましいというだけでは足りない、差別政治の「愚行」「蛮行」はすでに始まっています。少し考えてみれば、方々に認められる「民族主義」「日本人ファースト」は「野蛮・未開」であることは一目瞭然あって、その反対に、「多民族共生(multi-ethnic coexistence)」こそが「文明」の取るべき進路だということがわかるんですよ。

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

悪いのは「王様」、私たちは騙された

【天風録】○番目の悪者 10年余り前に刊行された寓話(ぐうわ)絵本「二番目の悪者」が描く世界は、ネット時代の選挙を予見していたかのようで空恐ろしい。舞台は動物が暮らす国である▲国王が亡くなり次の王を国民が選ぶことに。金色のたてがみをなびかせる自信家のライオンはわれこそ次の王だと張り切っている。だが国民の人望があついのは、心優しい銀色のライオン。王座を狙う金のライオンはライバルをおとしめようと卑劣な策に出る。デマを流したのだ▲ほかの動物はいぶかしみながらも真偽を確かめず拡散し…。結果、どうなったか。一番の悪者は金のライオンだとして、二番目の悪者は誰なのか▲参院選のさなか、ネットには真偽不明の情報や、事実をゆがめる編集を施した切り取り動画が飛び交う。それを引用した投稿もしばしば見かけるようになった。主張を異にする政党の支持者が繰り広げる非難の応酬も▲共同通信の調査では、選挙でSNSなどの情報を重んじる有権者が4割近くいる。昨年の首長選では、SNSで広まった情報が結果を左右したともいわれる。どう活用するか、有権者も問われている。図らずも「○番目の悪者」になってしまわぬよう、気を引き締めなくては。(中國新聞・2025/07/10)

 2014年刊行された「二番目の悪者」(小さい書房刊)、著者は林木林(はやしきりん)さん。社会風刺のきいた絵本ということでしたが、ぼくには少し理屈が勝ちすぎていると思われ、風刺というよりは教訓めいていると感じられた。それはともかく、「火のない所に煙は立たぬ」というように、いかなる噂も「本当らしさ」の欠片(かけら)を持っているとみられがちです。この世の中に存在するのは「嘘」と「本当」の二つであって、その見極めこそが大事なのだというのが相場です。そうであれば事は簡単、ではありませんが、いずれ「嘘」は「嘘」、「本当」は「本当」として誰彼にも明らかになるでしょうから。

 でも、世の中はそういう具合にはなっていないようです。例えば、真っ白と真っ黒なら、誰にも見分けがつくでしょうが、白に近い黒、黒に近い白と、実に微妙なグラデーションがあります。別の事例を出してみます。どなたかが、窃盗や殺人の容疑で逮捕され、裁判にかけられたとします。簡単に有罪・無罪であると判断されることもありますけれど、多くは真偽定かならず、有罪無罪をめぐって長期間にわたって争うのが大抵でしょう。嘘か真かをめぐって、何十年にもわたる争いが絶えないというのは、それだけ明白に「嘘」、単純に「本当」とは決められないことがあまりにも多いからです。

~~~~

~~~~~~ 

 何が正しいか、自分でよく見極めること、そんな風に多くの人はいとも簡単に真偽の判断を自分に委ねなさいという。そんなことができるんでしょうか。そして、その多くは人任せが実際であって、はたしてそんなとでいいのかと大きな疑問を抱きます。「それはデマです」と言えば言うほど、そうでないことを信じたがっている人は「デモではありません、本当のことです」と意固地になるでしょう。今の時代や社会は「狂信状態」に陥っているようにも見受けられてきます。「本当はそれが正しいのがだ、君には判らない」などというようになると、もはやことは一筋縄ではいきませんね。正当かどうかも怪しい新出来集団が、ものすごい勢いで、参院選挙では躍進しているというようなことを知らされると、そこまで来たか、この国も、とぼくは思ってしまう。メディアも、きっとそれを「歓迎している」のでしょうね。阿保草。

 昨年の兵庫県知事選挙はその代表例となりました。真偽織り交ぜた噂話が一瞬の間に、SNSなどが武器となって拡散された。「現知事は苛(いじ)められている」「知事は可哀そうだ」などとまことしやかに呟かれ、その言説に飛びついた多くの人(大半は「善意」のかたまりのような人間ですね)が選挙の結果をひっくり返しました。当選すれば、それが正義だとなるのかどうか。再選された知事の、選挙期間中やその後の行状は、いろいろな調査報道や第三者委員会などの報告によって、公選法違反や公益通報者保護法違反など、多くの法規を逸脱していたことが指摘され、やがて公権力の手に委ねられようとしている。それでも「S知事は正しい」と、「君も私も」主張する、その根拠は何処にあるか。誰もそれを示し得ないのではないでしょうか。ぼくの判断ではS知事は司直によっていくつかの法律違反行為を取り調べられるはずです。もちろん、これは、兵庫県外に住んでいる人間の、S知事の言動を、多くはネット上で見てきたものの判断です。そうならないことは断じてないとぼくは判断しているが、驚天動地(無実ではなく、無罪)は起こるかもしれない。

 これは仮定の話です、と断ったうえで。再選された現知事が失職したなら、先の選挙でS知事に投票した有権者の行為はどうなるのでしょうか。今でもS知事は正しい、間違っているのは公権力だと主張するのですか。それとも何が正しいか自分は分からなかったが、多くの人が彼は間違っていないと言った、その発言に従ったまでだから、私は悪くない、そういうでしょうか。いや、自分は十分に真偽を見極めることをしなかったから、結果としては自分は間違っていたと、自らの非を認めるのでしょうか。この知事選挙をめぐって、あるいはその起因となった公益通報者保護法問題にかかわって、すでに数人の犠牲者が出ています。

 何が正しいか、きちんと見極めよう、事の真偽を自分で確かめなさいと人は言う。言うは易く、行うは難し。「この国は神の国だ」「必ず神風が吹く」と信じなければ、信じたふりをしなければ官憲に捕まる時代をこの社会は経験してきました。誰が判断できるのか、判断を誰かに委ねて事の正否を誤ったこともあります。この候補者の言っていることは正しい、あの候補者の主張は間違いだと、黒白が明らかであれば、事の判断は困難ではありません。でも、「日本人ファースト」「外国人は犯罪を犯す」と、何の根拠もなしに言い捨てられ、その主張に賛成するのも、一つの、怪しい態度です。でも、それは間違っていると同意しないというのも一つの選択でしょう。この時、誰が判定者になるのでしょうか。金色のライオンは「王様」の地位を得る。やがて、「新王様」による政治(統治)が進められてゆくにつれ、国の衰退はひどくなるばかり。

 その時、彼(金色のライオン)を選んだ人たちは「二番目の悪者」だったといってどうなるものでもないでしょうに。選挙が不正に行われたとするなら、少なくともよく知らないで投票した人もまた「悪者」になるのではないでしょうか。悪者とか善人などという分け隔ては、この際には正しいとは思われません。嘘を付く人はよくないとはいえますが、嘘つきは「悪者」だと断定はできないでしょう。どう見ても明日は晴れそうなのに、「明日は雨だ」と断言すれば、結果から判断して、それは嘘だったことになりますが、嘘を付いた人は「悪者」と断じられないからです。

~~~~~~~~~~~~~

 自らの利益を得るめに他人を貶めるのは犯罪です。結果的には他者を傷つける(名誉棄損など)行為は犯罪です。だから、嘘も噂も伝聞も、その根拠や真偽を確かめもしないで真に受ければ、過ちを犯すことになるでしょうし、結果としては他者を傷つけることになります。いま参議院議員選挙の「嘘つき合戦」酣(たけなわ)です。ぼくは、申し訳ないが、政治家は須(すべか)らく、大なり小なり嘘つきだと経験から学んだ。許されない嘘が多すぎますね。子どもの付く嘘や、他愛ない嘘は許せるし、政治家や総理大臣の付く嘘とはその性質も程度も異なるでしょう。だから「政治家は一番目の悪者」と、ぼくは言うのではない。本当の悪者には「一番目」も「二番目」もない、悪者だけがいるのです。噂話や虚言を信じる人は「悪者」ではなく「愚か者」であります。投票の際には、せいぜい「愚か者に」ならないように心したいと思っている。

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII