【産経抄】教員の仕事の本質を忘れるな 新聞記者は毎日、答案を書き、採点されているようなものだ。入社間もないころデスクから言われた。取材成果が原稿になる。何も書かなければ零点。さぼればすぐにばれる。デスクが原稿をチェックするが、採点は最終的に読者からの励ましや叱責に表れる。▼他人の評価は気にしないと豪語する同僚もいるが、小欄は非常に気になる。先ごろ、岐阜県美濃市立の小学校で低学年の通知表が廃止されることが報じられていた。1、2年生について、◎○△と3段階の学習評価などが行われている通知表をなくす。自信や意欲を失わせないようにするのがねらいだという。▼代わりに、保護者との個別の懇談で学習や生活状況を伝え、年度末に修了証とともに1年を通した所見を渡す。通知表廃止の取り組みは以前からあったが、全国的に広がってはいない。通知表をなくした学校の例でも、提出物のコメントなどを通し、子供の学習状況を保護者にこまめに伝える工夫が問われる。▼廃止に対し、保護者から「競争心がわいた方がいい」「かえって意欲を削(そ)ぐ」と反対もあるようだ。専門家から「何ができ、苦手か、子供の学びを評価し、改善につなげるのは教員の仕事の根幹」との指摘がある。▼そうした教員の仕事の本質をどう支えるか、もっと議論を深める機会としてほしい。教員の処遇改善や長時間労働是正に向けた教員給与特別措置法(給特法)改正案などが衆院本会議で可決され、参院で審議される。▼学校現場では通知表を例にしても、教員の負担軽減として、子供の状況を記す所見欄をなくそうという意見さえある。働き方改革は必要としても、仕事の根幹を軽んじては、教職への信頼は得られず、人気回復には遠い。(產經新聞・2025/05/19)
「教育」や「学校教育」については、誰だって一家言を持っています。ほとんどが学校教育の経験者だから。これは「家庭教育」についても言えましょう。その際、「家庭教育の本質」とか、「教員の仕事の本質」と言って、大方がなるほどと納得する「教育観」があるでしょうかね。恐らく、議論百出が相場で、それこそが当たり前だとぼくは言いたい。同じ教員仲間においてもさまざまな議論があるので、たった一つの「本質」があれば見せてほしいと思うほど。「本当の教育」とよく言われるけれど、本当ですかと、ぼくは逆に質問したくなる。「本当って?」とね。本当も嘘も、現に行われているのが「教育」です。それをもととして、物事を考えるほかに手がかりはないでしょう。
小1の通知表を廃止、「自己肯定感が下がる」との意見受け…岐阜・美濃市「評価に縛られず伸び伸びと」 岐阜県美濃市の全5小学校が、今春入学した1年生の通知表を廃止する。市教育委員会への取材でわかった。通知表の扱いは校長に決定権があり、昨年12月の校長会で決まった。/市内の小学校では、教科ごとに「◎」「○」「△」の3段階評価の通知表を学期末に児童に配布している。市教委によると、昨年11月の総合教育会議で「児童が丸の数だけをカウントして比較することで、自己肯定感が下がるのでは」などの意見が出されていた。/今年度の1年生には、通知表の代わりに、文章にした総合所見を書いた修了証を手渡す。保護者には4月の参観日などを利用して説明した。/5校は来年度には2年生でも廃止し、3年生から通知表を配布する方針。/市教委の芝田純也・教育振興課長は「低学年の児童は丸の数に縛られることなく、自分の良さを感じながら伸び伸びと成長してほしいとの思いを込めた取り組みで、市教委としても後押しをしていきたい」と話している。(読売新聞・2025/05/03)
この通知表廃止問題。詳しくは触れませんが、学校教育開始以来、さまざまな工夫や試みがなされてきました。まして、戦前・戦中とは一線を画した敗戦後の学校教育では、それなりの先例となったいくつもの実践もあります。賛成か反対かではなく、いろいろなことをやってみるというところに問題の核心があるのでしょう。通知表をなくすれば「子どもは勉強しない」という意見があるのは当然だとしても、なくしたってやる子はやる。厳罰を加えるからと、法規制を強化しても、飲酒運転はなくならない。通知表がなくても、する子はする、する必要があるものはする、そういうものです。それをなくしたらこうなるという「対案の正当性」を主張する向きが少ないのは、この社会の「全体主義」のしからしむるところでしょう。物事には両面があるということ。「是非善悪」という二面性は、どこにもついてくる。
ぼくは、昔から、五段階評価や点数評価ばかりに傾く人間観察(評価)に賛成はしなかった。そんなもので「自分の賢愚」が計られてたまるかという思いがあったからです。今だって変わらない。要するに教師が目の前の子どもをどう見る・観るかという一点に尽きます。まさか、家庭において「五段階評価」で判定して、その内容を子どもに示す親はいないでしょう(「いない」と確信はできないが)。そんな馬鹿なことはしなくても、この子はどういう子か、何が足りないか、どれだけ成長したかなどなど、いやになるほどわかるはずであって、それが親子の証明でもあるのです。それとそっくり同じとは言わないけれど、教師と子どもだって、その付き合いが密であれば、数値や評価を記録するようなことは百害あって一利なしとなりませんか。昔から「評点」ではなく「評言」で、と主張してきました。「通知表」って、子どもや親に向けて出される「ラブレター」みたいなもの。言葉(文字)で伝えるべきですよ。好きな人に「五段階評価」を送るのは興覚めだな。
通知表があってもなくても、その功罪はなんとでもいえます。あればあったで、なければないで、甲論乙駁で、たった一つの成果などあろうはずもないでしょう。それが学校教育の百数十年の歴史の中で、ほとんどが「通知表」オンリーになってきたのには理由があります。その方法は子どもを管理しやすい道具になっていたからであり、あるいは教師の権威維持の武器になっていたかもしれない。そして、よそがそうならうちだってという「横並び主義」が横行していたからだというだけのこと。通知表に代わる方法を考えてやってみようという「校長」がほとんどいなかったからでしょう。
よくよく考えてほしいのは、この社会に張り巡らされて「評価」依存状態・至上主義です。学校教師だって「人事評価」に縛られているではないか。それがあるから頑張るし、それがなければ一所懸命にやらないというのは本当なのかどうか、教師自身が知っていませんか。人事考課とか人事評価などと勿体ぶった言い方をしていますが、何のことはない、鼻さきに人参をぶら下げて競争させているだけのことだと、ぼくは思っていますね。言いたいことはたくさんあるけれど、言っても無駄だから言わないだけのこと。
❍✖であれ、五段階評価であれ、全員が「5」だったり「◎」だったりすること(その反対も)はないというところから壊さなければ。教育はコンクール(コンテスト)じゃないし、かけっこ(競争)なんかではないというところから、よーいドン! それぞれが、いろいろな方向に向かうのは悪いことではないでしょう。少子化というのは、新しい実験をするにもいい機会じゃないですか。学校教育の点数主義(hierarchy)と、この社会の著しい退勢(a decline)とはまったく無関係ではないんですよ。
◎ 通知表をやめた小学校 常識に挑んだ校長が本当に変えたかったこと 学年末。先生から手渡された通知表を手に、喜びの声をあげたり、こっそりとランドセルに隠したり。そんな子どもたちの姿が、各地の小学校の教室で見られる季節だ。でも、神奈川県の茅ケ崎市立香川小学校には、3年前から通知表がない。なぜなのか。国分一哉校長に聞いた。
――香川小学校では、2019年度を最後に通知表を廃止しました。初めて聞いたとき、そんなことができるのかと驚きました。
「実は、通知表を出すか出さないかは、校長の判断で決められます。驚かれることが少なくありませんが、廃止したのは私たちの学校が初めてではありません。教育関係者の間では、長野県伊那市の小学校は通知表がないことが知られています」
――通知表を廃止したいという思いは以前からあったのですか。
「必ずしも、そういうわけではありませんでした。きっかけは、20年度の教育指導要領の改訂でした。評価の観点が4観点から3観点に変わり、内容も大きく変わったので、それまでの通知表が使えなくなる。それにどう対応するか、18年度から教員たちと話し合いを始めました。ただそれは通知表を渡すことが前提の議論でした」(以下略)(朝日新聞・2023/03/25)
ヘッダー写真について:「何のための通知表? 9教科全て「1」を届ける学校 【不登校の子、家族に渦巻く感情】 不登校の子どもたちにとって、通知表には何の意味があるのでしょう。私にはまるで分かりません。/この冬休み、中学生のルキの担任が自宅に通知表を持ってきてくれました。それに先立ち、私のスマートフォンに電話がありました。/「今からご自宅に伺っていいですか? ルキさんはいますか? 通知表を渡したいので」/私は頭の中で「通知表はいらないんだけど…。でも面倒くさいことを言って担任を困らせるのもなぁ」と考え、「よろしくお願いします」と返答しました。/そして、ルキが受け取った通知表は、9教科全ての評価が「1」でした。道徳や総合的な学習の時間の記述はなし。全体的な所見も白紙でした。つまり、「最低評価」以外のメッセージは何もありません。/担任は、何のために通知表をわざわざ持参したのか…。毎度のことながら頭が重くなります。受け取って中を開いた子にも保護者にも何のプラスもない。逆に不快感ばかりが募ります。/通知表を出すかどうかの判断や、その形式や内容は学校ごとに決められるそうですね。だったら、不登校の子どもたちにとって有益な通知表は何か、先生方に真剣に考えてもらいたいと思います(以下略)(西日本新聞・2023/01/12)(https://www.nishinippon.co.jp/item/1038754/ )
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「徒然に日常」(750 ~756)
〇2025/05/18(日) 快晴の一日。お昼前には猫缶購入のためにあすみが丘へ。このホームセンターが入る店には「カスミ」というスーパーマーケットがある。どういうわけだか、十時前に開店していて、たくさんの客が入っていた。いつもと逆に、そこで買い物を済ませた後で、ホームセンターに移り、いつも通りの缶詰を購入した。同じ缶詰がかなり長期間続いているので、別の商品をも考えていたが、なかなか適当なものが見当たらなかった▶帰宅後に、ほんの少時間だけ、溜めておいた枝や草などを燃やした。雨が落ち始めていたが、それ以上はひどくはならなかった。予報では明日も雨模様だという。なんだか梅雨入りの気配である。(756)
〇2025/05/17(土) 昨夜来の雨が朝も続いている。このところの晴天に煽(あお)られて、数日間連続で庭作業を行なったが、眩暈(めまい)がして、少し疲れが残っている気もする。血圧が高いのだろうか。幸いに、雨天のためもあって、本日は少し休養に当てることにして、昼頃までベッドの上で横になっていた▶午後の遅い時間に鎌倉のAさんから電話あり。もっとも初期の頃の卒業生の一人。たしか別の大学を卒業されて、教員免許取得のために勤め先の大学に来られたと記憶している。今月の23日に拙宅に伺いたいということだった。いつものように、茂原まで来てもらい、そこで、会食の予定。その後に拙宅に寄っていただくことにした。何年ぶりの再会だろうか。(755)
〇2025/05/16(金) 午前中いっぱいは晴天、午後からは曇天となったが、雨は降らなかった▶お昼過ぎに買い物で茂原へ。毎日のように買い物に出かけるが、買うものはほぼ決まっている。このところは食パン(朝食用)、牛乳(1㍑×2)(猫用)、さらに夕食用に乾麺(蕎麦)、これらを切らすことなく補充するために出かける。加えて、肉や魚も。以前は毎日のように肴類を買っていたが、飲酒を止めてからはそれほど口に淹れなくなった。加えて、生ものをそれほど食べなくなったこともある。それは肉類も同じ。というわけで、かみさんとは大違いで、野菜類も含めて、冷蔵庫に保存するようなことはまずしない。その時に食べる物を買うようにしている▶午後から、庭作業。主として裏庭の除草とゴミの焼却。3年ほど前に切り取って保管していた竹類(十数本)が腐食していたので、すべてを小さく折って燃やした。このところの晴天続きで、よく燃えるが、まだ相当量が残っている。週末は雨らしいので、今日はできるだけ多くを焼却炉に入れることにした。蓋と燃やし口に扉をつけたので、かなりの量を一度に焼却できるのが嬉しい。また、何か所かに除草した草類を溜めてあるのが、適当な肥料になるので、それらを分量も確かめながら、植木の根元に蒔いてやることにしている。幸いなことに、この庭土の中に多くのミミズが活動しているので、さらに肥料(堆肥)化が進むのである▶九州地方が「梅雨入り」だという。沖縄より先に、極めて珍しい現象。沖縄よりも本州寄りに「梅雨前線」が形成され、そこに居座る格好になっているからだ。数日もしないうちに沖縄の梅雨入りも始まるという。やがて当地も梅雨に見舞われるだろうが、それまでに何とかして、屋根の落ち葉類を始末しておきたい。除草作業は全体の半分を超えたところか。まだまだ仕事(作業)が残っている。「今日16日(金)は全国のトップを切って九州南部の梅雨入りが発表されました。来週にかけて梅雨前線は本州の南の海上に停滞しやすくなる見込みです」(ウエザーニュース・2025/05/16)(754)
〇2025/05/15(木) 終日好天。本日も庭作業。主として裏庭の除草作業と、これまでに溜めておいた草木の焼却。焼却炉を手直しして、少し焼却できる分量も増えたようなので、かなり多くの枝葉や草を燃やすことができた。この際、裏庭法面(かなりの角度と高さがある)の除草もやっておきたいと想定。相当、草が勢い良く伸びているし、斜面にもできれば、階段をつける予定を以前から持っているので、今回は、そこまで作業が進められるかどうか▶物価高、米高騰が一向に収束する気配がない。日々の報道によれば、関係するところがそれぞれに画策・連携して、結果的にはコメ高騰を生み出していることが判明しているのだが、それをはっきりと報道するマスメディアがないのが不思議▶兵庫県知事問題と言っておく。S某がさまざまな圧政をしている問題で、特に公益通報者保護法の趣旨を恣意的に歪めて、通報者探しを、法令違反にもかかわらず敢行した違法行為を頑として認めないという愚挙にあきれるばかり。なにがこの支離滅裂な知事を生み出しているのだろうか。再選された選挙では明らかな公職選挙法に違反する行為も見られたし、それを告発されているが、当局の意向が明らかでないのはどういうことか。自己流の「第三者委員会」に諮問し、恣意的に出させた結論をようやく公開。この問題については、稿を改めて考えてみたい。(753)
〇2025/05/14(水) 終日好天。午前9時ころから庭作業。裏庭の除草、昨日大まかに修理をしておいた焼却炉で、これまでの作業で溜まっていた除草類や剪定した枝葉などを燃やした。ずいぶんたくさんの分量があり、この後も引き続きこの焼却作業をしなければならない▶9月の誕生日には免許更新の期日が決められている。後期高齢者用の新更新制度が始められて三度目か。75歳からの「認知機能検査」と「高齢者講習(実車を含む)」の2本立て。前回もやった茂原市内の自動車教習所に予約した。期日は6月20日(金)9時から(決定)。千葉に越してきてすぐに、必要に迫られて免許を取得。以来、53年目になるか▶午後の早い段階だったか、電話があり、受話器を取ったら、「今使われている携帯電話は間もなく(数時間簿に)使えなくなる」という音声が流れた。瞬間に電話を切った。誰のところへ、誰からの電話か一切なくて、音声が流れてきたのだ。新手の詐欺手法かもしれないが、携帯を持たない人間に対して、どういう魂胆なのだろうか。(752)
〇2025/05/13(火) 皐月も半ば。荒れた庭でさえも、さまざまな花が咲き出し、咲き終わる、ある種の「ページェント」の酣(たけなわ)。気温も適度の暖かさであり、風もない。時間が経過して、少しガタツキが出ていた「簡易焼却炉」の修理を始めた。当地への移住早々に、石屋さんに頼んで、大谷石を揃えてもらった。一片がかなり重く、50㌔はありそうなのを十数個積み立て、組み立てて、簡単な焼却炉を作ったのだ。その後、地震その他で、罅(ひび)が入ったり傾きが出ていたりしていたので、少し手直しの必要があった。組み合わせた石同士の隙間にはモルタルを流し、少しは補強したつもり。焼却炉の近くの木や草が伸び放題だったので、少大雑把だったが除草と枝の剪定をして、さらに、修理と補強に取り掛かる。なかなか大仕事だったが、何とか形は整ったようだ。あとは、天板と扉を、今あるステンレスが炎症熱のために相当に傷んでいるので、できれば、この際取り変えたい。高温にさらされるので、なるべく耐熱用のステンレスが、核いこともあって、好都合だ。修理・修繕の第一段階が終了。(751)
〇2025/05/12(月) 本日も晴天。昼前に買い物で、茂原まで。駐車場は満杯に近く、とても混雑していた。帰路にある「100均」でゴミ袋を。いろいろなサイズのものを使っているので、大助かり。20枚入りが百円とは、安いのか高いのか。生活をする万事に、費用が掛かる時代なのだと痛感する。さらに帰宅途中のH.C.で猫のドライフードも。店に入るたびにこれまでの商品の新規格品が出ている。当然のように、値段は少し高騰しているようだ▶本日の庭作業は中止。いささか疲労が残っているようだったので、念には念を入れての休養。(750)
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