大学は誰が何をする場所か

 「閉じ込め」の制度

  いまやこの社会おける大学という教育制度は根本的にその性格を変えてしまったようです。いわば伝統的な大学観の命脈は夙に尽きたのだとぼくには思われるのです。その理由はさまざまですけれども、従来容認されてきた「知の伝達(伝播)」がほとんど機能不全に陥ってしまったといいたい。もちろんこのような指摘は誰もがすることで、数十年以前から声高に叫ばれていたことでもあります。その大半は大学の外部からでしたが。

 しかるに大学が教育制度としての体裁を維持し続けるかぎりでは、自己の内部に蓄積される矛盾や錯誤を自覚することははなはだ困難であり、それゆえに大学それ自身(大学を構成する教職員・学生はいうまでもなく、大学にあいかわらずなにがしかの幻想を抱くすべての存在を含む)は変化に対してきわめて鈍感であり、ときには外部からくる変化への要請に心ならずも抵抗しさえするわけです。自分のことは自分が一番よくわかっているのだから、というわけです。ますます大学はその性格を変えられていきます。

 大学の教師の仕事とはどのようなものだったのでしょうか

 言葉による、それも社会の他の部門ではあまり見られない独特の言葉を用いて行われる「知」の伝達、それが大学教師の仕事ということになっていましたが、大学という制度内で行われるこの仕事はまったく時代遅れになった。完全に過去のものになってしまったのです。表面的には過去の遺物として教授の学生に対するある種の「権力」関係―教える教師対教わる学生が共同で産み出す秩序の幻影はかろうじて残存していますが、形だけで内実はまったく空虚です。学生は教師にいささかの権威も認めていない。認める素振りすら見せていないのです。これは悲劇なのか喜劇なのか。その意味では、大学は劇場に似ています。劇場こそが大学だというべきかも知れません。―このようにいって演劇を貶めるつもりはありません。

 そこに現出するのは見せかけの世界であり、社会から切断された時間と空間が支配する世界でしょう。教師は自分の語ることばが威厳をもって学生に届いていると信じている、信じたいと願っている。まるで悪い冗談みたいな話ですが、まぎれもない事実です。その証拠に試験制度を挙げてみましょう。教師が語ったことがどれだけ正確に学生に伝わったかを検査することがその要諦になっているのが試験というものです。ほとんどの試験は何も見ないで、ということは記憶に頼ってという意味ですが、行われます。そこで価値ありとされるのは「知」の内容なんかではない。「知」の水準はまったく問題外です。話されたことの再現(記憶力)の程度を検査すること、これが大学(にかぎらず)教育の核心部分をなしてきたのです。経験を伴わない、経験に裏づけられない記号の支配する「私見」の横行(強制)ではないでしょうか。

 大学教育が機能しなくなった一番の原因は「知」そのものの一般化です。専門・特殊な知識そのものが広く社会に開かれたという状況(知のインフレーション)が進行し、その結果、大学がもっとも価値あるものとしていた学術価値の効力が失われることになったからです。当たり前に通用していた専門性をもった「知」はもはやおいそれとは通用しない、大学を除いては。だから、無意味とさえ思われる試験制度がいまもなお持続しているのです。

 大学の教師に(かぎらず)なにがしかの権威があったとされるのは、彼・彼女が扱う「知」に一種の権威が認められていたからです。多くの教師は自らが持っていると錯覚していた権威を「知」が有する権威と混同していただけなのです。しかるに「知」そのものの効力が失われた以上、必然的に教師の権威(もともと定かではなかった)も失墜して当然であるにもかかわらず、その自覚が働かないままに形骸ばかりを後生大事に守ろうとしてきたのです。では、「知」の権威が失われたのはなぜかという問は大学の教師から発せられはしませんでした。「知」の伝達や伝播が有効性を保てなくなったとき、大学教師に残されたのは権威ぶった風を装うほかないことになります。

 ある時期までは、入学試験が過度に激しくなったのもこのことと無関係ではないとぼくは思います。つまりそこで用いられる原理は「検査」「ふるい分け」ということです。与えられた「知」に価値があるかどうかより、それをいかに真面目(を装って)に受け入れたか否かを「検査」することに意味があるというわけです。能力主義とか競争原理といった今につづく現象は、前もって「能力」を限定した上での「検査」に由来するものでした。能力=学力は高いけれども、判断力はいたって弱いという奇妙な存在が絶え間なく生産されて今日に及んだという次第です。政治家や官僚も例外なく、大学出の印を顕著に有しています。

 大学は社会から排除された(者を収容する)境界、それも社会にとって必要とされた装置なのです。もし、大学が社会に不必要は存在ならこんなに長く続かなかったはずです。そして大学が排除された(する)境界であるなら、教師も学生も社会から排除されていることになります。大学(学校)とは学生にとって「モラトリアム」の時・空間であるとしばしばいわれます。正確にいえば、学生時代とは社会からの排除(隔離)の期間だということです。一定の期間をかぎって排除されていればいるほど、その期間が過ぎれば社会にわれ先に同化しようとします。もうたくさんだ、自分一個の始末は自分でするよ、といわぬばかりにときには過剰に同化します。社会に同化するためにこそ排除されているのだということができるのです。(ある精神科医は大学は「膨大な金を使った失業対策事業」だといったことがあります。その意味は?)

 教室の風景は「詞章記誦ノ末ニ趨リ空理虚談ノ途ニ陷リ其論高尚ニ似タリト雖トモ之ヲ身ニ行ヒ事ニ施スコト能ハサルモノ少カラス」(「学制・前文」)という先祖返りに見られます。一方では、その極北にある実用・実学主義の目に余る趨勢です。英語(会話)の過度の重用は何を示しているのか。実用と非実用の奇妙な同居?同床異夢というのかしら。

 春三月に卒業、四月には入学や進級、このユカシイ年中行事はどこかに吹き飛ばされ、いまだに「学校(授業)再開」は完全には果たされていません。「授業のない学校」はどんな組織・制度なのか。「一斉休校」の必然性はなかったと、ぼくは今でも考えています。(オンライン授業などといいますが、それで、何がどこまでできるのか。それで足りるのなら、「放送学校」ですね。それも可ですかな)

 さまざまな困難を抱えている大学制度、ひいては学校制度が存在理由を示すのはどこにおいてなのでしょうか。

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ことばの「旗」には…

 自分のなかに他人がいる、またその反対に他者のうちに自己が反映されている、このような事情は長い歴史の経過をたどってきた民族集団には程度の差はあっても認められることでしょう。そしてその集団の構成員に対する規制や束縛が強ければ、それだけこの傾向は濃厚になるともいえそうです。それは単純に否定されるべきことではありません。他者を思いやる情が深いほうが薄情よりいいに決まっているからです。また、自分がうちひしがれているときに、他者がいたわってくれることはまことにありがたいことだから。

 孟子にも「無惻隠之心、非人也」]の言葉がありました。他人の立場に立て、とはしばしばいわれることです。相手の身になって考えろ、とも。このような言い草が以前より頻繁になったかどうかぼくにはわかりませんが、もしそうなら、それだけ自他の分離がすすんだ証拠であるといえかもしれません。自他不分離があいまいなままに終わるとどういうことになるか。自分が何者であるか、他人は自分にとってどのような存在かがわからなくなるのだろうと思います。自己の発見ははっきりした他者との出逢いによるんですね。

 《しかし「ひとは誰でも」というふうに「みんな」という多数派の言葉に身をよせて物言う術というのは、ほんとうはずいぶんあやしげなんです。子どもたちが何か欲しいとき、「みんなもってるよ」という。だけど、その「みんな」というのは、まずたいていはクラスで二、三人くらいだといいます。「みんな」「人は誰でも」といった言葉でいうと、いかにもそのように、またそのようでなければならないみたいにおもえるというふうな物言う術にたいして、へんだという留保をのこしておかないと、「私」と、「人は誰でも」「みんな」とが、だんだん見分けもつかなくなっちゃいます。そうでなくても、言霊のさきわう国柄だから、言葉にたいしてよくよく「私」をむきあわせてゆくことができないと、言葉がすぐ旗になっちゃうのです》(長田弘「一人ひとりの側から」)(長田・1939-2015)

 「みんなが」をかざして物言う術はすでに小さな子どもにも修得されています。これも親や周囲の教育のたまもので、「みんな」がしていることができなければ恥ずかしいでしょ、とのべつ諭された結果です。始末に悪いのは「みんな」をもちだせば、理屈の上では返す言葉がないという事態です。これはなにも子どもの場合にかぎらなくて、「この印籠がみえないのか」と啖呵を切る助さんや格さんみたいなもので、「みんな」「誰でも」といわれれば、二の句がつげないような気分にさせられます。一陣の疾風(竜巻)みたいなもので、息をつめてやりすごしほかなくなります。

 全員一致などとは考えられないのに、多数決もかぎりなく全員一致に近づけたがる風潮が蔓延しています。クラスの二、三人が「みんな」であるような状況はいたるところで発生しています。異論や反論は許さない。それは多数に対する反抗であり、不服従だと受けとられるから。だから、あの人の意見はおかしいなあと思って異見を述べても、ほかの人の聞くところとならない。これが重なると、だんだんと口を閉ざしてしまよう。その結果、またもや全員一致とされてしまうのです。まことにあやういデモクラシーだといわざるをえません。異見・異論を認めることは、多数派を形成したと見なしている人びとが犯すかも知れない過ちを防ぐことがあるんです。

 「わたしはあなたの意見には賛成しない、でも言っていることは理解できる」というようなケースはきわめてまれではないでしょうか。はなから人の意見を認めようとしないのはいかにもまずいことですけれど、自分とちがう意見を出す人とは親密な関係になれないと思い込む人がいることもたしかです。「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」というのは、その人が気に入らなければ、その人に関わりのあることはすべて気に入らぬということのようです。ぼくたちの日常生活においては「袈裟が憎けりゃ、坊主まで憎い」といってもよいような、理屈に合わないことがたくさんありそうです。

 相手を認めるというのはどういうことか。好き嫌いで判断することもあるでしょう。でも、好き嫌いをいえば、いったん好きになったらいつまでも好きだ、ということにはなりませんね。情念という動揺つねならぬフィルターをとおしてものを眺めれば、写し出される像はいつもちがって見えるものです。《じぶんとはちがう、だけれども、そこにそういう人がいると知るだけで、おのずと気が開けてゆくということがあります》(同上)

 「こんなことを考える人がいる」という驚きは、自分のものの見方を広げてくれるはずです。自分では思いもよらなかった考えがあるものだという経験は、わたしの視野をたしかに拡大するんです。そのような人や意見に出逢えないのは不運というよりは、不幸の部類にはいるとぼくは考えてきました。「わたし」と「あなた」は別々の「私人」ですが、それが「私たち」となると、「共有・公共」の空間をつくります。それを共同体(community)といっていい。「あなた」を追放・排除するのは、この「共有・公共」空間を壊すことです。「私とあなた」で形成していた「共同体」を破壊することなんです。いじめや虐待、DVなど、あるいは「自粛しないなら」と相手を「脅迫する」のも同じことです。共通の言語をも壊すことになります。

 「国難突破」のため「心をひとつに」という「旗」を振っている愚かしい輩がいます。できるわけはないし、あってはならないですよ。軽薄そのものの「ことば」です。ときには言葉が「旗」に、それが「武器」にもなる、ぼくたちはしばしば経験しているでしょう。「ことばの旗」には猛毒があるのです。その手にじゃない、その旗には摑まらないね。感染しないように、よくよく注意したい。

 「外出は自粛しよう」と「みんな」がいう。「みんな我慢して、自粛しているのに」「どうしてお前だけで遊びに出ているんだ」と、ある市の公園の砂場で「カッターの刃が二十枚。県外ナンバーの車に疵をつける。まるで「鬼滅の刃」(別話の番外編)だったのか。「病院に来ないでくれ」「観光に来ないでくれ」「店に来ないでくれ?」だと。本音か、希望か、それとも、心外ですが、か。「排外」ならぬ「排人」ですね。この風潮・空気こそが「国難」だとぼくは考えるのだ。「旗によりなさんな」、とんでもない怪我をするから。「旗を振れ、振らないと罰則だぞ」という国難だ。「国破れて山河あり」「城春にして草木ふかし」なんだね。

 「STAY at HOME」という掛け声が「旗」になっている。この旗を立てた奴は罪作りだと、ぼくには思われます。言葉が旗に、「この指とまれ」と掲げて、例外が出ると踏みつぶす。「同調圧力」とも「過同調」とも言います。今の状況は、それが張り詰めています。まもなく「破裂」ですね。「軍旗、はためく下に」(結城昌治原作・深作欣二監督、丹波哲郎・左幸子主演。1972年)(「敵前逃亡」の汚名を着せられた「亡夫」の名誉回復を願った妻の物語)、庶民は集え、か。

 だれもが「汚名」を着せられる危険性と隣り合わせ。「着せる」のは「国」であり、「会社」であり、「隣人」であり、…。いまもなお、「汚名着せ」が蔓延中ですね。

 「緊急事態宣言」の再延長だって。根拠も示さず、ほとんど無意味です。というより、暴力ですね。(外に目を向けると、あちこちで休業中止、営業再開。外出は可能と。それを見るにつけ、こちとらも「経済活動を」と「再延長」を「中止」したくてウズウズ。まもなく「宣言解除」ですよ。それも根拠なし。空気で「延長」、空気で「解除」だと。「だれが旗を振っているのやら」

 ぼくはこのことについてはものを言いたくない。最要路に立つ人物が「サイボーグ【cyborg】」であることは明白であるにもかかわらず、それを取り巻き(官僚や政治家どもだけではない、マスゴミもツルンデきた)が悪用して(傀儡〔カイライ〕にして)、食い潰そうとしてきた。相当に食い潰されたと思われます。ために、この島社会はボロボロになりました、身も心も。その正体、それは永田町に置いてはいけない「ロボット〔cybernetic organism〕」でした。

#うちで治そう #4日間はうちで

 PCR検査の相談目安変更へ 「37.5度」削除も検討

 新型コロナウイルスに感染したかどうかのPCR検査の必要性を判断する相談センターへの相談の目安について、政府の専門家会議は、重症化しやすい人は風邪の症状が「2日程度」続いた場合としていた日数をなくし、すぐ相談しやすくなるよう目安を変更する方針を固めた。「37・5度以上」が4日以上としていた発熱の目安も削除することを検討している。

読売新聞(5/5)

 専門家会議が2月17日にまとめた目安では、軽症者が医療機関に殺到して医療崩壊するのを防ぐといった狙いから、風邪の症状や37・5度以上の発熱が4日以上続いた場合に帰国者・接触者相談センターに相談することとされた。高齢者や基礎疾患がある人ら重症化しやすい人についても、2日程度続いた場合だった。

 しかし、軽症と判断されて自宅で待機していた感染者が亡くなったり、検査を受けられない人が相次いだりして厳しく批判されたことから、見直しを議論。厚生労働省が専門家の意見をまとめ、連休明けにも公表する方針を決めた。

 見直し案によると、重症化しやすい人や妊婦らは発熱があればすぐに相談していいほか、人によって平熱は異なると批判されていた発熱の目安「37・5度」も削ることを検討している。また、息苦しさや強いだるさ(倦怠(けんたい)感)に加え、高熱が出た場合もすぐに相談できると明記する。

 厚労省によると、いまの目安を決めた2月はインフルエンザの流行時期で、症状の区別が付きにくかったが、インフルの流行期を過ぎたこと、新型コロナウイルスは軽症と思われていても急に重症化するといった特性がわかってきたことなどから、見直すことにしたという。(5/5(火) 21:15配信朝日新聞デジタル)

 この程度の「人命尊重」レヴェルですよ。ウイルスの特性がわかってきたから、変更(見直し)することにしたという。嘘だね。見苦しい「自己弁護・弁解」ですね。

 一人一人の症状に応接することをはなから拒否していたし、「具合が悪くなっても医者にクルナ」と、東京都医師会の馬鹿どもも言っていた。「専門家有志」なるものどもも、「#家にいよう」などとかいう虫唾の走る「悪誘導」をしていました。詳しく載せるのは胸糞が悪いのでやめておきます。要するに「いのち」を塵芥のようにしか見ていなかったという明証だ。「犬死」ばかりは断固としてしませんように。(「コロナ専門家有志の会「#うちで治そう」ひっそり撤回に批判の声」 https://news.goo.ne.jp/article/jisin/nation/jisin-https_jisin.jp_p_1855075.html)

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 師の教えたこと (コラム「南風」) 

 年をとったせいか、卒業した大学の恩師の一言を最近よく思い出すようになった。恩師は「学者や専門家と称する人たちの言うことは信じてはいけない」と教えてくれた。

 学者が学者を信じるなという率直な発言を今でも鮮明に思い出す。理由として「お金もうけを研究している経済学の教師に金持ちがいないこと」を例としてあげた。恩師は続けて「学者は過去のことについては詳しいが未来のことは知らない」と話していた。つまり、未来のことについては学者もそうでない一般の人もそんなに違いはないということである。

 この見識はなかなか薀蓄(うんちく)があるように思われる。金融のプロたちが犯した最近のリーマンに象徴される国際金融危機。原因については比較的所得の低い人たちに貸し出す住宅向けのサブプライムローンの焦げ付きが危機の発端と説明されているが、危機を事前に予測した人は注目を浴びなかった。

 世界最高のシンクタンクと称される日本の官僚組織が運営する日本国家は、近隣アジアの興隆をよそ目にしながら、長期のスランプに陥っている。これは、官僚が立てた政策が必ずしも適切でなかったことを示していないか。

 また、大学の先生方が登場するテレビ討論を見ていると、個々の論者によって発言が異なり、結論が一致しない場合が多い。つまり、どなたが正しいかは、時間がたってみないと分からないということだ。/ このような論旨を展開すると、行く着く先は他人を信じるなということかと言われそうであるが、決してそうは思わない。学者や専門家は情報の宝庫であり、参考にすべき意見の持ち主である場合が多い。

 恩師は「うのみにしないで、自身で考えろ」と言いたかったのだろうと解釈している。(照屋健吉、沖縄テレビ開発社長)(琉球新報・2009年10月15日)

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 「天声人語」を愛読していたころの「痕跡」(あるいは「前科」)として

 亡くなった多田富雄さんが読売新聞に連載していた「落葉隻語」は、ライバル紙ながら楽しみだった。今度一冊にまとまったのを読み(青土社刊)、また色々と教わった。近ごろの日本人の「過剰な無菌志向」を案じて、こう書いている▼「子供がたまに発熱したり下痢したりするのは、黴菌(ばいきん)との戦い方を習得しているからである。…成長の時期にここで戦い方を学習しないと、雑菌に対する抵抗力が弱くなり、逆にアレルギーを起こしやすい体質になる」と。そして「免疫学者の私が言うのだ。信じていい」

 しかし、無菌志向はますます高じているようだ。たとえば子の遊ぶ砂場も、砂には抗菌加工をし、抗菌用の備長炭を敷いたのが人気だと小紙の記事にあった。ショッピングセンターの有料施設だが、犬猫のふんもなく安心なのだという。

 東京の声欄では高校生がそれを嘆いていた。「過剰に気にすると、鳥のふんも不潔と気になるだろう」という、その感覚に一票を投じたい。生きとし生けるもの、「汚さ」なしに命をつなぐことはできないのだから▼ある元大学教授は小紙に、「そのうち犬や猫にも触れなくなってしまうのではないか」と感想を寄せていた。加えて「危ない」やら「騒がしい」やらで近年、遊ぶ場所はとみにインドア化していると聞く。幼い日常がやせ細ってはいないか心配になる。

 五感を働かせてのびのび遊ぶ経験は将来、親が思う以上に生きる力を生むそうだ。過保護で芽を摘むことなかれ。多田さんの一節を、子育て全般への貴重な教訓と読む。(朝日新聞・10/06/11)

 疫学の碩学だった多田さん。ご存命でおられたなら、現下の万般の事態・状況をなんと見たでしょうか。何度かお声を聴いたことがありました。ホントに「寡黙の巨人」であったと感じられたことでした。

*多田富雄(1943-2010)=免疫学者・文筆家。茨城県出身。千葉大学医学部卒業。同大学医学部教授,東京大学医学部教授,国際免疫学会連合会長などを務めた。東京大学名誉教授。1971年にリンパ球の一種で免疫反応を調整するサプレッサー(suppressorは〈抑制するもの〉の意)T細胞を発見した。文筆家としても知られ,著書の《免疫の意味論》で大仏次郎賞,《独酌余滴(どくしゃくよてき)》で日本エッセイスト・クラブ賞,《寡黙なる巨人》で小林秀雄賞を受賞している。能の創作も手掛けている。1984年に文化功労者。(百科事典マイペディアの解説)

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 専門家にもさまざまな分野の人士があります。泥棒の専門家、詐欺の専門家、悪質商法の専門家、藪医の専門家、稀に見る医療の専門家、(絶滅種になった)政治の専門家などなど。「その道の専門家」はいまでは「絶滅危惧種」となったのでしょうか。一面では残念なことでもあるし、他面では「素人の時代」到来と歓迎される向きもあります。

 「玄人はだし」という世間語もありました。《玄人もはだしで逃げだすほどである意》素人が技芸や学問などに専門家が驚くほどすぐれていること。「玄人跣の腕前」》(デジタル大辞泉)(ほんとにそんな意味ですか)かかる人間蔑視の藪以下医者連中の蔓延状況にあっても、ぼくたちは安易に「専門家」に身も心もあずけますか。(志の高い医者もきっといることをぼくは疑わない。まだぼくが出会っていないだけです)若いころは、一端(いっぱし)によく聞かれました。「専門は何ですか」と。いつでも答えは決まっていました。「ナンニモセンモン」なんだと。ぼくは、アマチュア、好事家、ディレッタント(dilettante)で十分すぎるほど。この道一筋は、生き方の流儀には副わないね。

 さてさて、自分の足で歩こう。自分によく注意を払おう。

不器用な人間ほど一流に…

 ちょうど十年前の事でした。「十年一昔」というか「十年一日」といいますか。「ショック」は地球規模で発生していました。(ぼくがまだ新聞を少しはていねいに読んでいた時期の記録でもあります。まるで「十年一昔」ですね)そして、今日。苦難は地球規模です。出口は見えません。

 21世紀の徒弟制度は

 世界のトヨタの大規模リコールは、一自動車メーカーを超えて日本の製造業全体が直面する問題と映ります。日本のものづくりは盤石なのでしょうか。

 トヨタ自動車の世界への貢献には計り知れないものがあります。

 一九〇八年、フォードが開始したベルトコンベヤーによる分業と流れ作業の大量生産方式は、二十世紀の車社会を出現させました。続くGM(ゼネラル・モーターズ)のモデルチェンジと大型高級化販売戦略は車を誰もが欲しがる憧(あこが)れの商品に躍進させました。

 ◆ものづくりは日本の命

 これに対して、トヨタの編み出したカンバン方式は部品在庫一掃の革新的な生産方式でした。ジャスト・イン・タイムとも呼ばれる、この究極のコスト削減策は自動車の生産現場ばかりか、あらゆる企業に導入されていくことになり、グローバル時代をけん引する方式となったともいえます。

 もちろんその徹底したコスト削減と効率化が意味をもち輝くのは高品質に支えられることが絶対条件です。ものづくりへの信用と信頼があってのコスト削減です。

 トヨタのリコール問題は品質問題だけに還元できない側面をもつようですが、一企業だけの問題として見過ごせないのは、市場原理に染まった日本の社会そのものが、ものづくりの心や働くことの問いかけを忘れてしまったのではないかとの疑問がよぎるからです。 

 そんな時代への反省からでしょう。社員教育に徒弟制度を取り入れている横浜市都筑区の小さな木工会社が全国的な話題と注目を集めています。

 注文家具をつくる有限会社「秋山木工」で、家具職人の秋山利輝さん(66)が代表。「技能五輪全国大会」の金メダリストなどの一流の職人が次々と育っています。

◆不器用人間が一流になる

 徒弟制度は江戸時代から二百五十年の歴史と伝統をもちますが、秋山木工の制度は、秋山代表の体験から生み出された独自のシステムです。さまざまな工夫のなかの最大の特長は面接の徹底でしょう。入社希望の若者本人ばかりか、秋山代表の、若者の実家を訪ねての両親への長時間面談が加わります。(右は秋山代表)

 厳しいスパルタ教育に耐えるには本人の決意と覚悟のほかに両親の見守りと励ましが絶対に必要だからです。修業が生半可でないことはやがてわかってきます。

 毎年三月、二~十人の新入社員が採用されます。倍率は十倍前後、北海道から沖縄まで、高卒に一流国立大学の卒業生も交じります。丁稚(でっち)としての四年の研修と職人としての四年の修業の計八年が職人養成の全行程です。

 入社時は男も女も丸刈り。最初の四年は寮生活で、休みは盆と正月の十日間。この間、親の面会も恋愛も許されません。毎朝五時前の起床、近所の掃除とマラソン、平均睡眠時間三~四時間のハードな日々とあっては脱落者が出ても不思議ではありません。むしろ耐え抜く若者が多いことの方に、頼もしさとこの国の未来への希望を感じさせます。

 奈良県明日香村の最も貧しい家に生まれ、中学二年まで名前も書けなかった秋山代表を積極人間に変えたのは徒弟制度下での必死の修業でした。下積み時代の苦労は、将来、壁を乗り越えるための投資、それが信念ともなりました。

 著書の「丁稚のすすめ」(幻冬舎)には体験から得た数々の持論が披露されています。

 「職人は技術より人間性」「不器用な人間ほど一流になれる」「褒めるよりも叱(しか)って伸ばす」

 器用な人間は謙虚な心を忘れ傲慢(ごうまん)になり、結局は謙虚にひたむきにやり続ける不器用人間が大成することになったりするからです。

 秋山木工からはこの三十年で五十人の職人が巣立ちました。一人前にした職人を八年で退職させるのは企業経営の点からは損失ですが、世界に通用する職人を一人でも多く世に送り出すとのこれまでの人生への恩返しの実践です。

 それに弟子たちが他社や海外で腕を磨き、自分と同じように職人を育ててくれることを期待しています。そうすれば職人魂が次々に引き継がれ、日本のすばらしい技術と文化が伝えられ生き残っていくことにもなるからです。/若者たちに愛され尊敬される献身的な親方の存在。そこに徒弟制度が二十一世紀に生き残れるかどうかのカギがあるようです。

 ◆仕事や幸福を見つめる

 マネーゲームにも似た倫理なき資本主義には空(むな)しさが漂います。かつての西洋が資本主義発展のなかにプロテスタンティズムの倫理を見たように日本にもそれぞれがその仕事に励むことによって救いが得られるとの教えや考えがありました。仕事や幸福についてあらためて見つめ直す時期です。(東京新聞・10/02/14)

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 教える、育てる。この営みにはさまざまな方法がありました。その典型例が「徒弟」という制度でありました。ある時期までは学校教育の教えの方法と並行して存在していましたが、いつの頃からか、徒弟制は捨てられてしまいました。あまりにも古くさいという理由だったでしょうか。それとも、そのような時間がかかりムダが多い方法は、効率や経済性を追求する時代の精神(風潮)とは相容れないということだったか。

 そのような古色蒼然とした教え、育てる方法が復権しているというよりは、必要とされるところでは営々と維持されてきたのです。人が育つ、それもみずからの生き方を的にすえて育つためには、けっして捨ててはならない人生の流儀だったと思われるのです。

 上の記事に紹介されている秋山さんの著書から。

 《「仕事が早い」という言葉があります。/ 多くの場合、これは賞め言葉として使われています。いろいろなことを短時間に、起用にこなす人間は、企業にとっては使いやすく、貴重な人材なのかもしれません。即戦力を求める企業が増えたいまの時代では、重宝されるでしょう。/私の会社にも、仕事の早い、〝器用な〟丁稚がいます。/ しかし、私の会社では、〝器用な〟ことは評価されません。/ 仕事が早くできることは大切なことです。お客様から注文を受けたら、納期は必ず守らなければいけませんから、時間感覚があることは重要です。/ ですが、仕事が早い、器用、というだけでは、将来通用しなくなります。(中略)

 器用な人間は、何でもすぐにできてしまうので、「何かを学びたい」「教えてもらいたい」という謙虚な心を忘れがちです。また、「できる」ことが当たり前なので、何かを達成したときの感動も少ないことが多いようです。その結果、伸びしろに限界が出てきます。/ また、器用な子は、小さい頃から賞められた経験が多いので、失敗して怒られることに慣れていません。打たれ弱いので、根を上げて早い段階であきらめてしまいます。(中略)/ ですから、私は器用な人間は徹底的に訓練します。

 「自分が器用だからと言って、威張るな!傲慢になるな!」「謙虚な心を忘れるな!」》(https://www.akiyamamokkou.net/)

 これでも器用に生きる方を選びますか。きっと、器用なひとは不器用な人間を嫌い抜きますね。「ドジ」「間抜け」「のろま」などと口を極めて罵る。これは一面では「不器用」だったぼくの実感でもあります。

 その理由はなんですか。きっと、相手の気持ちを読みすぎる自分の卑しさを嫌悪するのを、まったく隠そうとしない、不器用な人間をうらやましく思うからではないでしょうか。「あいつは、卑屈じゃないなあ」という裏返しの羨望の念からだと思いますね。

 器用な人は「隣が見える」「隣を見てしまう」から、気が移るんですね。「なんで、こんなしんどいことをせなあかんねん」と理屈に走ります。と、これは他面では「器用人間」だったぼくの告白です。でも、不器用者をまったく悪者扱いするのが世間なんですね。どうしてなんですか。

●ぶ‐きよう【不器用/無器用】 1 手先が器用でないこと。また、そのさま。ぶきっちょ。「―な手つき」2 物事の処理のへたなこと。また、そのさま。「―でお世辞一3 道理にはずれていること。卑劣なこと。また、そのさま。「女の道をそむいた―な魂ここにある」〈浄・国性爺後日〉(デジタル大辞泉)

*https://president.jp/articles/-/34031

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頭はいいけど利口ではない

 頭がいいってのは、なんだよ。足したり割ったりを覚えるだけではないか。それで人生を渡っていけると思うのかよ。会社に入ったって大事なのは計算ではない。人間関係でみんな苦労するんだ。会社をクビになっても生きていけるけど、家族と心が通わない、友人もいない、そんな人生になんの意味があるんだ。足し算引き算は学校で習うけど、人との付き合い方は親から学ぶものなんだよ。

 今の大企業の経営者も、頭はいいけど利口ではないのばかりですよ。計算はうまいけど、人の気持ちが読めない。だから間違うんだ。コマセを撒かないで魚を釣ろうってやつばっかりなんだよ。意味は自分で考えてくれよな。俺は解説したくない。俺はそこまで言いたくないよ。(岡野雅行・松浦元男『技術で生きる』)

(こませ= 釣りで、撒(ま)き餌。また、それに用いる小魚など)(大辞林)

 岡野雅行さんのものです。墨田区の小さな町工場の代表社員(社長)。幼少時の遊び場は向島(墨東)だった。彼はどのようなことを言っているのか。また、学校教育をどのようなものとしてとらえているのか。

 教える、教えすぎる教師はくさるほどいる。でも、子どもにむかって真剣に質問する教師は驚くほど少ない。おおくの教師は自分では「質問している」とおもっているだけ。そのじつ、自分が作った「正解」をかくして「これはなんですか?」と聞く場合がほとんどです。答えを知っていながら(知らないふりをして)、子どもに「質問する」というのは子どもをみくびっている証拠です。そこには真剣さがみられない。

 そんなことばかり強制されると、出された問題には「正解はひとつ」で、それを「知っているのは先生だけ」だという日常生活ではありえない「神話」を子どもは信じこまされるようになる。どんな問題にも「正解はひとつ」などということはありえないのに、です。この不思議なからくりは教師の側の事情による。「正解はひとつ」ときめれば、採点はかんたんだし、それに対して文句をいう生徒がでないという安心感が生まれます。一種の権威主義から、さらにはご都合主義からの手抜きです。

「頭はいいけど利口ではない」のを作るのが学校なのでしょうか。「意味は自分で考えてくれよな。俺はそこまで言いたくないよ」

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 お化けの寅って知ってるかい

 その昔、東京は下町、墨田、足立、江東あたりの金型(かながた)が地場産業の町工場地帯では腕が勝負の職人は、安定もなければ束縛もないという勝手気ままな生業(なりわい)だったんだ。つまりあっちふらふら、こっちふらふら。往々にして極楽トンボでよかったんだよね。雨が降ったら仕事を休み、夕日を拝む前から酒を飲み赤ら顔。そのまま深酒をして翌日体調が悪けりゃまた、仕事は休み。さーて、次はいつでてくるやら…。

 こんなぐうたらはこのあたりじゃ、普通の男たちで、勝手気ままな輩(やから)のことをお化けの寅といったんだ。

 なぜ、お化けの寅かって?

 寅は一日千里を走るといわれるだろ。今度はどこに出てくるのかわからないような渡世人だから寅といわれたのさ。

 寅は不真面目のようだが、この不真面目なのが実はいいんだな。

 どうしてって、不真面目な男は真面目になれるだろ。

 だけど、真面目は不真面目にはなれないんだよね。これ性根(しょうね)の問題だから。 世間では不真面目というと聞こえは悪いが、寅は世間体など気にすることなく、自由きままに人生を愉しむ術を知っていたんだよね。

 さて、似て非なるものが不真面目と莫迦(ばか)。

 利口は莫迦になれるが莫迦は死ななきゃ直らない。

 職人ってのは腕に覚えさえあれば、自由気ままに生きることができる勝手気ままのものだったんだよね。(岡野雅行『あしたの発想学』リヨン社刊2003年)

 1933年東京墨田区に生まれる。45年に向島更生国民学校卒業後、家業の金型工場を手伝う。72年父から家業をお受け継ぎ(実際には「乗っ取り」でした、岡野工業株式会社に。携帯用の小型電池「リチウムイオン電池」、世界最細(直径60ミクロン)の「痛くない注射針」などの製作にあたる。

 岡野さんに代表される最少学歴保持者でかつ職人さんをつぶさに見てみれば、いったい学校教育は人間を賢くしているのか、あるいは弱くてどうしようもない人間を作りだしているのか、実に不思議とも奇妙とも思える感情が湧いてきます。

 「勉強は大嫌いだった。その代わり、誰よりも遊んだよ」というのは岡野さん。こんなセリフを吐きたくても吐けないように仕立てられたのはだれでしょうか。埼玉県につくられた「ものつくり大学」が物議(政治家への賄賂(贈与)事件)をかもした時期でしたか、そこに呼ばれていった岡野さんは「五年や一〇年で職人は育ちません」と言い切ったそう。彼がしょっちゅう通っているある天麩羅屋の職人は「お客の前で揚げるのに十五年以上かかるという」それ以上をめざすなら、十五年では足りない、そんな世界が存在してきたし、いまもなおあるのです。

 4年で職人をつくる大学とは、いかにも罪作りではないですか。

 学歴を積み重ねるという意味はどこにあるのでしょうか。教えられることになれてしまうと、自分の足で立って歩くことができなくなるのではないかと心底から心配になります。ぼくはこの「小卒」の大先輩に「魅せられて」歩いてきました。

 「魅せられて」(ジュディ・オング・https://judyongg.com/) ジュディの唄はすごいですよ。「女は海 好きな男の腕の中でも 違う男の夢を見る」(阿木燿子詩、やっぱり)だと。(この部分は、岡野さんとはまったく関係ありません。駄文の中身とも)

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峰火 三月に連なり

 天声人語 高千穂製作所の誕生は約90年前、大正半ばである。八百万(やおよろず)の神々が宿る高千穂の峰。海外に通じる製品を作らんと、商標は世界の高天原(たかまがはら)、ギリシャ神話の聖地から拝借した。オリンパスの名は、こうして生まれる▼高貴な社名と、先人の理想を裏切る失態である。企業買収に絡む不自然な散財。巨額を動かした目的は、バブル期から引きずる含み損の穴埋めだった。粉飾決算は上場廃止に値する不名誉だ▼真相に迫る英国人社長を切った前会長兼社長、副社長、常勤監査役らこそ、不正に手を染めた面々だとか。自浄能力のない日本の経営陣と、独り乗り込んで悪を暴く外国人。単純明快な筋立てが悲しい▼内視鏡のトップメーカーである。それが財テクの古傷を見過ごし、いや、見て見ぬふりで20年も放置し、切るに切れぬ病巣にした。手術には外国製のメスを要したが、それは一本で十分だった。この情けない展開、ことは企業統治の緩さに関わり、日本の企業や市場全体が疑われかねない▼大王製紙の前会長が子会社の金を使い込んだ件では、同族経営の甘さが言われた。オリンパスで問われるべきは、サラリーマン役員の無責任と保身だろう。不正を抱えたまま出世できる気楽な稼業である▼顕微鏡と体温計に始まる同社は、戦後間もなく世界初の胃カメラを世に出した。内視鏡の先駆として、数えきれぬ人命を救ってきた開発陣が気の毒でならない。誇り高き光学企業が、技術ではなく不正経理でつまずく不条理を何としよう。(朝日新聞・11/11/09)

 「高貴な社名」と「腐敗した幹部」というのは悪い冗談か。(あるいは「自社・あさひ」のことを指していうのか)ぼくもこれまでになんどかカメラを飲まされましたが、飲み心地はけっしてよくありませんでした。ここでも公私を弁えない「公器の私物化」がまかり通っていたのです。なぜこうなるのか。理由は単純です。仕事力ではなく、下卑た政治力を命綱に出世の階段をよじ登ることが使命(名誉・権力)だと悲しい錯覚をのさばらせた結果です。(ぼくは大枚をはたいて、「OM-1」を購った、その瞬間をよく覚えています。こんな醜態を見せつけられて、なんだかそのカメラが汚れているような、レンズにカビが生えているような、なんともいいようのない味気なさ、口惜しさを覚えました)

 社会に生きてあるというのは、わが身一個のよくするところではないという当然の摂理を忘れれば、あとは怖いモノはないというだけの話です。こんな会社は市場から退場をと行かないらしいのは、どうしてだろうか。どんなものにも、お手本があるんですね。いい見本だけではなく、悪い見本こそ、「お手本」になって、鏡の役割を果たしています。「ああすりゃ、いいんだな」原発を爆発させた会社もまだ生き延びている、でかい顔して。いや、生き延びさせる政治が存在しているだけのことです。その時、政治は「延命装置」になっており、政治自体が「生き延びる」ために「原発」を嘘でも稼働させているにすぎない。「カネヅル」は死んでも話さないぞ。

 人よりも豊かな暮らし、人よりも大きな権力、人よりも多いゼニカネをという、卑しすぎる「独尊」懇望がこの時代に蔓延しているのを悲観するのではない。悲観する必要もない。ぼくにはだれにも邪魔されたくない「私」があり、それは絶対的な「他者」なしでは成りたたないという厳粛な日常を壊されたくないだけです。唯我独尊という姿勢は「傍若無人」と紙一重でもなければ、兄弟でもない。ここにも都合のよい「はきちがえ」が横行している。

 自己本位の、勝手な振る舞いを正当化するのは、いかんともしがたい「罪咎」であるぞ。

 「この世で、自分ほど偉いものはいないとうぬぼれること。釈迦が生まれたときに七歩歩き、一方で天を指し、他方で地を指して唱えたという言葉と伝えられる」(デジタル大辞泉)このように「うぬぼれ」をもったり、「他人を貶める」のはまちいであるということです。並み居る辞書群の、なんという軽薄な「解説」「説明」か。新聞やテレビに盛る「知識人並み」だね。これで「仏教」が語れるのかな。お釈迦さんが「うぬぼれ」たっていうの。ご冗談を。

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 河北抄 詩人の故中桐雅夫さんに『会社の人事』という詩がある。<「絶対、次期支店次長ですよ、あなたは」/顔色をうかがいながらおべっかを使う/いわれた方は相好をくずして/「まあ、一杯やりたまえ」と杯をさす>▼一般企業の多くは異動の季節まで間があるが、プロ野球は来季の人事をめぐるストーブリーグの真っ最中だ。とりわけ話題をさらっているのが、巨人軍のお家騒動である。▼清武英利球団代表(61)が上司である渡辺恒雄球団会長(85)を批判。コーチ人事を一方的にひっくり返したとして「不当な鶴の一声で、巨人軍を私物化するような行為は許せない」と訴えた。▼清武さんに同情的な声が多いが、しょせんはコップの中の争い。プロ野球の印象が悪くなっただけ、と冷ややかな見方もある。▼詩の後段が悲しい。(略) (河北新報・11/11/15)

 「震災」発生の年に露出・顕現した、この島社会の、もっとちいさな島(コップ)に生じた「内輪もめ」と「我が物顔」事件、いや事件ですらない。日常一般の「平凡な」一齣だ。(情けないこと、この上ない)書類を書いたり電話を掛ける、あるいはメールのやり取り、昼飯を食う、それと少しもかわらない「日常茶飯事」です。それを、これ(このざま)を見よと、鼻先に突きつけられるのはたまらない。今も進行している劣島「政治劣化過程」も、まるで毎日の「歯磨き」習慣や「通勤」風景と同日の談で、そんな劣化政治に「一喜一憂」じゃない、「喜怒哀楽」でもない、そう「あるがまま」と受け流し、「バカにつける薬はない」と留飲を下げるのでもない。ぼくは自分の足で歩く、多くの人に助けられながら。ぼくも君も「唯我」であると認め合う、そんな世(天上天下)に生きたいですね。

 中桐雅夫さん(1913~1983)の詩を。ある時期までサラリーマン(新聞社)でした。これは没落した「寸志」か「小志」の挽歌ですね。

「絶対、次期支店次長ですよ、あなたは」/ 顔色をうかがいながらおべっかを使う、

いわれた方は相好をくずして、/ 「まあ、一杯やりたまえ」と杯をさす。

「あの課長、人の使い方を知らんな」/「部長昇進はむりだという話だよ」

日本中、会社ばかりだから、/ 飲み屋の話も人事のことばかり。

やがて別れてみんなひとりになる、/ 早春の夜風がみんなの頬をなでていく、

酔いがさめてきて寂しくなる、/ 煙草の空箱や小石をけとばしてみる。

子供のころには見る夢があったのに/ 会社にはいるまでは小さい理想もあったのに。

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 ぼくも会社勤めのころには、似たような「日常」「茶飯事」をくりかえしていました。「支店次長」や「部長」になろうと思ったことは一度もないし(プライバシーが奪われたくなかった)、「不正を抱えたまま出世できる気楽な稼業である」と感じたこともありませんでした。ぼくには飯のタネでしたが、それはなかなかしんどいことでした。「君は部長になりたくないのか」と何度か(部長に)言われたことがありましたが、「ぼくはそんなにバカに見えますか」というのが常でした。(部長どもには悪いことを言ったと思う)ぼくのモットー(そんな大層なものではないのですが)は単純でした、「そこにいて、そこにいない」「一員でありながら、一員であることを拒否」するような見過ぎ世過ぎであり、明け暮れでした。まあ、クロコ(黒子・黒衣)(ホクロでもワニでも、なくはないか)みたいな存在にあこがれていましたね。「私的」「私物」「私事」「私権」を大切にしたいだけでした。

 「クニ」を私物化し、「含み損の穴埋め」「粉飾決算」のやりたい放題、島のあちこちに横並び、なんとも末期(末法)症状であり、「薬石効なし」の島のただ今です。「君はソーリになりたくないのか」「ぼくはそんにバカに見えますか」という問答が、どこかでやられているのでしょうか。「クニ」なんかいらないね、「郷里」があれば。(おい、そんなこと言っていいのか)まずは、町内会からですよ。

 「あさひ」もしずみましたな。のぼるのだろうか。「まいにち」のまいにちはどうなっているか。「まいにち」が「あさひ」とは、厚かましいものだ。

 「国破れて 山河あり」もまた、一抹の寂しさと、ここからだよ、という風情もありますね。「草木深し」がことのほかいいね。このささやかな島波の「安禄山」では、これからも無益な戦いは続くのでしょうね。ぼくは傍観じゃなく、懐手でもなく、自分の足で歩く。衆生は「トホ」に限るねえ。

 五月五日だ。「柱のキズだ」「鯉のぼりだ」ぞ。「粽(ちまき)」を食べな。そして聞いてくれ。「子どもたちよ、学校に頼るな」「教師を当てにしてはだめですよ」「教師を友とせよ」いいですか。どこまでも「トホ」に限りますよ。「徒歩」であり、「杜甫」でもあります。(でも、これを読む「子ども」は一人もいない。なに構うものか。要は「こころざし」ですよ、「意気」」なんだ)