【北斗星】米価を下げるため随意契約で放出された政府備蓄米が、5キロ当たり税抜き2千円程度で大都市を中心に店頭販売され、争奪戦になっている。今後販売する店舗や数量が拡大する中、狙い通り米価全体を下げられるかが焦点だろう▼備蓄米は不作などへの備えだったが、価格高騰を受け流通に支障がある場合も放出できるようになった。子ども食堂やフードバンクへの無償提供にも使われている▼本県には江戸後期に民間による「備蓄米」の仕組みがあった。1829年に生活困窮者救済のため、久保田(現秋田市)の商人・那波三郎右衛門祐生らが「感恩講」を設立。秋田藩の賛意を得て、資金を集めて年貢の徴収権を認められた知行地(農地)を買い入れ、そこから毎年生じる年貢を備蓄、運用し救済事業を展開した▼平時から生活困窮者にコメを提供し、33年の天保の大飢饉(ききん)では延べ43万人に配ったという。民間福祉事業の先駆けという現代の評価もある。久保田をきっかけに感恩講は県内各地に設立された。現在も児童保育などの事業に取り組む▼今回の米価高騰を巡っては、この半年間でひとり親家庭の88%が経済的事情などからコメを買えない経験をしたという東京の民間団体の調査結果がある。「子どもの体重が減った」との声も多く上がっているといい、切実な状況が伝わってくる▼価格高騰はコメだけにとどまらない。長引く物価高に対し、収入の伸びがないといった困窮している家庭への支援が急務だ。(秋田魁新報・2025/06/08)
任意に集めた最近のコメ小売り店の風景(下の写真)。久しく見られなかった異様な光景ですが、どうしてこんな事態が生じたのか。来る日も来る日も「コメ不足」と煽るばかりのマスメディア。本当に「コメが足りない」のでしょうか。余っているんじゃないですか。ふざけた流通絡繰(からく)りによって引き起こされた「米騒動」と言ってしまうにはあまりにも癪ですね。一体全体、この社会の「主食の確保」において何が起こっているのか、熟知している集団がいるにもかかわらず、誰もその理由を明らかにしないのはなぜだろうか。
毎年およそ700万トン余の米が生産され、いくつかの流通経路を介して、そのほとんどが市場に回される。万が一の凶作・災害などに供える「備蓄米」(4年を限度に確保)は別途政府によって確保される。昨年産の米収穫量のどれくらいが、実際に市場に出(し)たのか出(さ)なかったのか、現段階では限られた数値しか示されないが、大きな災害や不作・凶作があったわけでもないのに、どうしてかかる事態が生み出されたか。関係者の多くは、口を噤(つぐ)んでいる。そして、問題は今や、別次元に移され、ひたすら新米農水大臣の政治的パフォーマンスによる「政府備蓄米」の「廉価放出」一色に塗りつぶされている。下手な芝居は止めてくれないか。
「消費者は仏様」と持ち上げられた(その実は、虚仮にされているのだ)みたいで、古米・古古米・古古古米の放出に狂喜乱舞しかねない大騒ぎ、要するに、そのような下手な芝居を庶民に演じさせなければならないほど「政治不在」という廻り舞台の裏の裏(楽屋)が見えているのにもかかわらず、「安かろう、不味かろう」の国民総出の猿芝居、いやとんだ茶番劇(farce)も、間もなく「大団円」(カタルシス)が訪れようとしています。
中国前漢時代の故事に「舐糠及米(しこうきゅまい)」、「糠を舐りて米に及ぶ(ぬかをねぶりてこめにおよぶ)」という教訓が残されています。「《「史記」呉王濞伝から》糠をなめ尽くせば、やがては米にまで手をつける。被害が徐々に拡大することのたとえ」(デジタル大辞泉)この国は古来「瑞穂の邦」「豊葦原瑞穂国」などと美称されてきました。その美称に似合わない悪辣・無礼な手合いが「米会計」を占有してきた歴史があります。時として、その昔の「苛斂誅求」を極めた圧政家・悪代官の遺伝子が騒ぐのでしょうか。あるものをないと称して、私腹を肥やすのは誰の手口だったか。また「米食った犬が叩かれずに糠食った犬が叩かれる」という政治家稼業に直伝の「哲学」「処世訓」も健在でした。「大悪が罪を逃れ、小悪が罰せられる」というのは、どこにでもある現象でしょうか。
同じような譬えです。猫には申し訳ありませんが、ここは庶民の身代わりとして、出番を設けました。「皿嘗めた猫が科を負う」という。これもまたいつだって、尻拭(しりぬぐ)いをさせられる、つまりは弱者が割を食うという話です。お皿に載っていた旨そうな魚は誰か(頭の黒い猫)が疾(と)うに食べてしまった後で、のこのこやってきて「皿を舐めた猫」が罰せられたというのですよ。人が好い、いや、猫が好いんですかね。
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「徒然に日乗」(771~777)
〇2025/06/08(日)朝方から少し雨が降っていたが、昼前にはすっかり晴れあがった。「梅雨入り」直前の好天だったか▶昼前に買い物、茂原まで。▶午後からは、天候回復もあり、庭作業。昨日までに選定したさまざまな枝や雑草などの焼却に取り掛かる。相当な分量に達しているが、「梅雨到来」までには大方を焼却しておきたい。植え込みや生垣の剪定等も残っているので、少なくとも燃やせる時間を見つけては減らすつもり。(777)
〇2025/06/07(土)昨日に続き快晴。午前中2時間午後2時間と庭作業に4時間を費やした。何年ぶりだろう。陽射しはあったが、日陰を選んで作業をした。その成果の第一は、夏蜜柑の木の大々的な剪定だ。相当に枝葉が伸びて、日当たりも悪かったので、思い切り剪定し、ほぼ丸坊主に近くした。これで次年度の実成(みなり)は悪くなることは確実だ。一昨日の檸檬の剪定に続く、柑橘類の整備。残りは、これまた異常に高くなった「柚子(ゆず)」一本、今後の宿題である。さらにかなり太く背も高くなった孟宗竹を計6本ほど伐採した。その始末が大事(おおごと)で、枝落としや太い幹の切断に息を切らした。屋根にかかっているスギやヒノキ、竹の枝落としもまだかなり残っているが、梅雨入りまでには間に合わなかった。落とされた枝葉の燃焼にも時間を使った。相当な量が溜まっているが、時間をかけて始末して行くつもり。予報では来週の火曜(10日)辺りが「梅雨入り」らしい。たくさんの積み残しが出たことになる。(776)
〇2025/06/06(金)朝から快晴の一日。予報では今週末か次週早々には「梅雨入り」などと報じられているが▶前回は少し多めに缶詰を購入したので、本日は10日以上の間が空いての購入。前回と同じ量を買った、約1万7千円強。これで、どれほど持つか。品を変えては食が落ちることのないように気を使っているつもり▶庭作業は本日もお休み。来週には雨が続くようなので、週末には少しは残りの作業を終わらせたいもの。(775)
〇2025/06/05(木)久しぶりの快晴。午後に庭作業。枝が伸び放題になっている木々を剪定した。前庭にある桜三本の手入れ。剪定済みの枝類を焼却するつもりだったが、昨日の降雨でまだ乾燥しきっていなかったので、少し時間をおく。陽射しが強くしかも湿気が高いので、体力を一気に奪われる。どうやら「梅雨入り」もまじか。今はその前哨だと思うほどに、じめじめむしむしだった▶高騰しているコメ問題。相変わらず絡繰り一杯の「備蓄米」騒動だ。ここにきて、備蓄米放出によって、今まで市場に出回らなかった通常米がスーパーなどの棚に出てきたという。文字通り、消費者を虚仮にした「茶番劇」そのもの。(774)
〇2025/06/04(水)雨がやんで、少しばかり陽射しが出てきた。しかし、案の定とても蒸し暑い。まるで梅雨時のような天気具合。午前中に買い物、茂原まで。午後からはずっと家の中ですることもなく時間をやり過ごしている。庭に出て何本か、気になる植木の枝下ろしをと思っていたが、湿気むんむんで、とてもその気にはならなかった。(773)
〇2025/06/03(火)昨夜からの雨が続いている。午前6時半にいつも通りに「生ごみ出し」。本日は終日自宅内に▶長嶋茂雄氏が逝去との報道。89歳だった。その昔(中学時代)は、熱心なプロ野球ファンだった。もちろん巨人。中でも長嶋さん。彼に関する最初の記憶は、立教大学時代の神宮球場で最終学年の最後の試合(1958年秋)で、8号本塁打を打ち、連盟記録を作った試合をラジオ中継で聞いていたのだ。それ以来すっかり魅せられ続けた。あらゆるエネルギーを野球に注いできた人。入団三年目で、彼はドジャーズ入団を決意し、球団に申し出たが、球団はもちろん許可しなかったという逸話が残っている。仮にそうなっていたら、その後の日本のプロ野球の様子はずっと変わっていたはずだし、大谷翔平君なども生まれていなかっただろうと思う。日本プロ野球の礎をなした人であり、MLBへの日本人選手登用(移籍)の道を開いた人だったと思う。「不世出」というべき存在だったというべきか。野球においては超一流だったが、さてそれ以外ではどうだったか。彼に素晴らしい「人間像」を望むのもどうかと思う。野球は超一流だったし、その反動はあったのではなかったか。「一将功なり万骨枯る」(適切ではないが)という表現があるが。それを問うべきだと小生は考えているのではない。(772)
〇2025/06/02(月)久しぶりの晴天。午前中に買い物、茂原まで。帰路にH.C.で猫のドライフードと蚊取り線香を購入。蚊取り線香は、外に出ると蚊が飛び交っているし、家の中にも入ってくる。常にどこかの戸をあけておいて、猫の出入り用にしているから。湿気の多い林や竹藪もあり、蚊の多さに驚かされ、悩まされているのだ▶午後の何時間かを外作業に。檸檬(レモン)の木と梅の木の剪定。さらに三、四本の南天(ナンテン)も思い切り刈り込む。紅葉や桜も剪定したかったのだが、午後三時過ぎに横浜から娘と孫が遊びに来た。本日は孫の学校では「代休」だとのことで、しばらくお茶を飲みながら話す。五時過ぎに帰路に。途中、アクアラインの「海ほたる」に寄ってみるとのことだった。(771)
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