表紙を変え装丁を変え、旧套墨守だ

 「問題(表現の自由の尊重)」の重大さから、ぼくの性分には合わないが、何度でも、いうべきことを言う、書くべきことは書く。    (ヘッダー写真は「新聞労連が採択した参政党への抗議文の一部」)

 政治家や政党が記者会見を開くのは、当然の理由があるから。第一義として、自分や自分たちの主張を訴えたいからで、それ以外の理由はあってなきがごとし。ところが、最近の状況を見ていると、新聞・言論人という批判者、気に入らない記事を書くものを、会見の場から排除する、言い方を変えれば「気にいるやつら」ばかりしか認めないという、目に余る風潮が方々で見られます。唾棄すべき風潮である。なぜか。第一に、「●✖記者会(クラブ)」という同好会のような仲良しサークルが「会見」を主宰し、万般を取り仕切っているからというもの。第二に、会見への参加条件を主催者側が勝手に決め、時にはその条件を変えてでも、気に入らない記者を排除したいということ、第三に、以前にはそれほど見られなかった「フリー記者」の出現が、書きたいこと、聞きたいことを、誰彼に忖度しないで報じるということに対する恐れと軽侮、嫌悪の情を主催者たちが恣にし、それがゆえに、選り好みによって記者の排除をしている等々。

 今回は、新興政党(その実、個々の面々の大半が旧態依然とした保守や右翼教条に今風の関心を持っている人々。例えば「日本人ファースト」という排外主義の暴力性に惹かれるアンポンタンたち)が、ある新聞社の一記者を執拗にマークして、結局は会見場から理屈にもならない理屈で追い出したという暴挙でした。ほとんどの新聞やテレビ報道は触れないが、問題の政党は「極右」「国家主義」の色合いが濃く、「ファシストに右に倣え」で、社会の現体制を壊すこと、新たな「国家」を生み出したいという手合いでした。いかなる思想や心情を持っていても構わない、けれど、極端な排外主義を具体的に政治活動として推進したらどうなるか。あるいは「スパイ防止はぜひ成し遂げたい」というに至っては、思想や表現の自由そのものを否定することを意味する。ぼく個人としては「参✖党」は好まないし、デモクラシーの政治を進めるには百害あって一利なしだと思っている。好き嫌いで言うならそうですが、だからと言って、この党の存在を抹殺したいとは考えていない。残念なことだが、どんな政党であれ、選挙を通して党勢拡大が測られるなら、それは認めるほかないでしょう。

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*上掲2枚(左右)の写真は梅村みずほ氏。「梅村 みずほ (うめむら みずほ、1978年 (昭和53年9月10日 – ) は、日本の政治家、元フリーアナウンサー、タレント。参政党所属の参議院議員(2期)。/立命館大学文学部卒業後、JTB勤務や「桜 みずほ」名義でのタレント活動を経て、2019年に日本維新の会公認で参議院議員に初当選した。2022年には日本維新の会代表選挙に立候補した。国会では法務委員などに所属。2023年、名古屋入国者収容施設でのウィシュマ・サンダマリア死亡問題に関する発言(*)が問題視され、法務委員会を解任、維新から6か月の党員資格停止処分を受けた。2025年、維新が実施した参院選大阪選挙区の予備選挙で落選し、公認を得られなかったことから同年4月に離党。同年6月末に参政党へ入党し、比例代表候補として参院選に立候補した。/母親がエホバの証人に入信したことで家庭崩壊を経験し、宗教2世問題問題の救済を訴えている」

*ウィシュマさん死亡事件を巡る発言 2023年5月12日、出入国管理及び難民認定法改正案の審議で梅村は、出入国在留管理局に収容中の女性が亡くなったウィシュマさん死亡事件を例に挙げ、「資料と映像を総合的に見ると、よかれと思った支援者の一言が、ウィシュマさんに『病気になれば仮釈放してもらえる』という淡い期待を抱かせ、医師から詐病の可能性を指摘される状況へつながったおそれも否定できない」との持論を主張。「支援者の助言は、かえって収容者にとって見なければよかった夢、すがってはいけない『わら』になる可能性もある」とも述べ、議場からは発言を問題視する声が上がり一時騒然となった(Wikipedia)

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 今回の一件は、以下に「カナコロ」の報じているところによれば、事の性質からして、黙認も関心もよくない問題であることを指摘しておきます。「彼らは気に入らない記者を排除し、自分たちに従う者を許可して質問させる。権力の側は権力を振りかざし、思うままに世の中をつくり変えてしまう。ファシズムの第一歩だ」と、件(くだん)の記者は述べられている。悲しいかな、同じ会場に「そうだ、その通り」と当該記者を支援する人々がいなかった。

 「大袈裟な」と言う莫れ。小石が落ち始めてから大きな地滑りは起る。「沢や井戸の水が濁る。地面にひび割れができる。斜面から水がふき出す。家や擁壁に亀裂が入る。家や擁壁、樹木や電柱が傾く」(国土交通省)現に今、この国の政界という地域に大きな亀裂は走りつつある、その一萌芽が、この「旧套墨守(きゅうとうぼくしゅ)」を党是に、新しい衣装を羽織っている「参✖党」の言辞にはっきりと認められます。核武装やスパイ防止法制定、果ては徴兵制まで口に出しているのは、彼らや彼女らの専売ではなく、そういう旧体制への復帰(旧慣復古)を求める「大衆」が少なからずいるからでしょう。この党だけではなく、その横に列している「大衆迎合政党」の歴々もまた、古い外套を脱ぎ捨て新しい衣装を着てい入るが、心身は古色蒼然としたまま。「国家主義」「ポピュリズム」「排他主義」という古い生地で仕立て上げられたまやかしの着衣に惑わされてはならないでしょう。。

 それはともかく、会見場から排除された記者は語ります。「今、私や私たちが直面しているのは権力による言論統制だ」「私は参院選の公示日から今朝まで参政党を批判する記事を17本書いてきた。記事で書かれたように参政党はうそつきの差別排外主義で極右だと会見の場で言われたくなかったのだ」いかにも気に障る、看過できない存在に映っていたことかと思う。この新出来政党の中にはウルトラ右翼もどき人たちもいて(嘗ては街宣車に載っていたかもしれない)、刺青を隠さないままの強面ぶりをは発揮して、暴力によってでも、「反対・批判」を許さない意図を感じます。「なぜヘイトを止めなければいけないか。ヘイトの先に戦争があるからだ。80年前、アジアの人たちを人とも思わず侵略、殺戮(さつりく)した挙げ句、私たちの社会は破滅を迎えた。お先棒を担いだのがわれわれメディアだ」と、I記者は続けられるが、残念ながら、事態は、事メディアについていえば、80年前に逆戻りしている。「大政翼賛」への復帰に。政党・政治家の幾割かはもっと前に戻りたがっている。

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 この社会の最大のメディアを自認しているY新聞社が率先して「政局」に加担して現総理を辞めさせたがっています。それに迎合するかのように、M新聞もまた尻馬に載っている。「政権党のコップの争い」という事実を報じるのではなく、自らがコップの中に入って、身を粉にして、ある派閥の意向に加担している、悲しさを通り越して、笑ってしまう、噴飯ものの喜劇を白昼堂々と演じているのが現実です。デモクラシーを求める勢力にとって「前門の狼」も相手にせねばならぬが、「後門の虎」にも対峙しなければならない事態にあります。一人、「カナコロ」の心意気にぼくは動かされています。当該記者の孤立も排除も許さない、勇気あるメディアの奮闘を願いつつ、その隊列の末端に加わるつもりで、さらに駄文を書く。

 (現首相の「去就」というより、彼が今、取り続けるべき態度に関しては、昨年9月の総裁選出に際して、ぼくは消極的応援のつもりで駄文を草しました。今もそれは変わっていない。「自分から辞めるというな」「ジタバタするな」「やるべきをやるだけ」、とね。

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時代の正体 極右政党に抗う 参政党が神奈川新聞記者排除 「党の危険性明らかに」 新聞労連大会で訴え 極右政党の参政党(神谷宗幣代表)が批判報道を続ける神奈川新聞記者を定例会見から排除した問題で、同社の石橋学記者が24日、新聞労連の定期大会に登壇し、「党の横暴さや危険性がより明らかになった。これは極右と闘う報道の始まりだ。共に闘っていこう」と連帯を呼びかけた。/石橋記者は党が22日に参院議員会館で開いた会見に出席しようとしたが、党は「事前登録が必要」とうその説明をし退場させた。党の会見案内文に事前登録の要件はなく、登録せずに出席した他社の記者もいた。/石橋記者は「彼らは気に入らない記者を排除し、自分たちに従う者を許可して質問させる。権力の側は権力を振りかざし、思うままに世の中をつくり変えてしまう。ファシズムの第一歩だ」と党の危険性を指摘。/排除問題を知った琉球新報の記者が「あなたのような記者を孤立させてはいけない」と記事を翌23日に掲載したことや沖縄タイムスや朝日新聞なども報道したことに「連帯の大切さを感じた」と感謝を口にした。/今回の参院選で、党は全国全ての選挙区に候補者を擁立した。石橋記者は「『日本人ファースト』というヘイトスピーチが全国にばらまかれ、怖くて震えている外国ルーツのマイノリティーが各地にいる。メディアはそういう人たちの盾にならなければならない」と訴えた。(松島 佳子) (⇙)


ヘイトの先に戦争がある 石橋学記者の発言要旨は次の通り。/今、私や私たちが直面しているのは権力による言論統制だ。私は記者会見に出て参政党を批判する記事を書くつもりだった。その機会が奪われ、参政党がいかに批判される存在であるかを市民が知る権利も奪われた。この横暴をそのままにしておくのか、到底認められないと権力の座から退場させるのか、大きな岐路に立っている。/私は参院選の公示日から今朝まで参政党を批判する記事を17本書いてきた。記事で書かれたように参政党はうそつきの差別排外主義で極右だと会見の場で言われたくなかったのだ。「事前登録が必要」といううその理由を持ち出し、「取材させるかさせないかは私たちが決められる」と思い上がったことまで言い、本性をあらわにしてきた。/連帯の大切さを感じている。会見場で押し問答になっている私に加勢する記者は現れなかった。ファシズムの第一歩だと思った。権力者は権力をふりかざして記者を選別、分断し、都合の悪い言論を封じ込め、思うままに世の中をつくり変えてしまう。その始まりを見た気がした。(⇙)

しかし希望はある。事態を聞きつけた琉球新報がすかさず記事にしてくれた。これを許したら何が起こるかを、さすが沖縄の記者はよく知っている。「あなたのような記者を孤立させてはいけない」とも言ってくれた。本土との温度差に自身が孤立感を抱いているからこそ共闘してくれたのだ。その後も沖縄タイムス、朝日新聞、共同通信、東京新聞、TBSなどが取材をしてくれている。/何より連帯が必要なのは、参政党の候補者によりヘイトスピーチが全国にまき散らされたからだ。「日本人ファースト」の合唱に、声を潜め恐怖で震えているマイノリティーがあなたのまち、あなたの隣にいる。/なぜヘイトを止めなければいけないか。ヘイトの先に戦争があるからだ。80年前、アジアの人たちを人とも思わず侵略、殺戮(さつりく)した挙げ句、私たちの社会は破滅を迎えた。お先棒を担いだのがわれわれメディアだ。戦後はその反省を出発点にして今があるはずだ。/今こそその反省を力に、歴史も顧みない極右に立ち向かわなければならない。全国の報道機関でスクラムを組みマイノリティーの盾になる。記者の排除で参政党の危険性はより明らかになった。極右と闘う報道の始まりだ。共に闘っていこう。(神奈川新聞 | 2025年7月24日(木) 文中にある2枚の写真も)

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なぜ新聞はプレーヤーになりたいのか

 どうでもいいことですから、取り上げる必要もないのですが、大手メディアの幕切れ(臨終)直前の悪足搔きが過ぎると思ったので、ここに敢えて、でしゃばった新聞報道に対して、一矢を報いたくなった。参議院選挙の「大負け」の責任を廻って首相の退陣論が出てくるのは当然だし、まとも(正常)な感覚の持ち主なら、直ちに「自ら職を辞する」というでしょう。そうでないのは、もちろん、口説の徒ではあっても、まともな感覚の持ち主ではないからです。歴代総理経験者三人との会談を終えて、現総理は「私の進退については一切話には出なかった(註 嘘でしょ)」「一部新聞報道が出ているが、私はそんなことを言った事実はない」とわざわざ会見を開いて自分の「現在地」を話したにもかかわらず、「退陣」報道が号外も含めてデカデカと出た。その報道の骨子は「状況判断からすれば、さもありなん」と思われますが、肝心の首相本人への取材が一切なされていないにもかかわらず、「首相は辞める」と(憶測・希望的観測で)報じている不始末です。(ヘッダー写真は日テレNEWS NNN・2025/07/23)(https://news.ntv.co.jp/category/politics/253afd8e862741a69642109c4788d4b9

 いつも言うことですが、新聞社にも権力への距離に遠近はある。首相に近い関係を持っている社があれば、一日も早く辞めろと言わぬばかりの姿勢をあからさまにしている新聞社もあります。それはあっても構わないが、問題は、辞めさせたい一心で、新聞が「プレーヤーの一人」になって、政局に加担してまで、世論をミスリードしているという悍(おぞ)ましさです。「見上げたもんだよ、屋根屋の褌(ふんどし)」という、見苦しい一面を見せつけられているのです。新聞(オールドメディア)が終わったと世論は一致して判断する時代、「確かにな」と思わせる勇み足(誤報)、「禁じ手」ではなかったか。現状で、やがて現職総理は確実に辞めるでしょう。今日か明後日かの違いはあっても、遠からず辞任と見られるのは確実です。だからと言って、直接取材もしないで、人心を惑わせるような憶測記事を臆面もなく天下に晒すのは、新聞自身の社会的役割を否定している、自殺行為であると断言しておきたい。恥ずかしい限り。

 同じ穴の狢(むじな)だからというわけでもないでしょうが、テレビも盛んに「辞めろコール」を送り、退陣催促の「狼煙(のろし)」を挙げている。酷暑の加減で脳細胞がイカレタとしか言いようがないほどに「冷静さ」が微塵もないのは、情けないし、放送(報道)機関の限界をはるかに踏み越えていると思う。常に悪口雑言の限りで非難する近隣国の国営新聞・放送(権力の御用機関化した)に近似しているのはどんな事情からか。

 当たり前ですが、結果的には、いつか(遠からず)現総理は辞める、今日かもしれない、明日かもしれぬ。。それを一秒でも早く実現させたい、特ダネを取りたいと「嘘(裏を取らない)報道」を垂れ流していいわけもない。繰り返します、実に恥ずかしい限りです。希望的観測や憶測で記事を書く、番組を放送するというのは、報道の自由度最底辺国のすることですかね。(読売だけを非難しているのではない、「毎日」も似たような憶測記事を出している。両社は「励まし合って、誤報じゃなかった」ことを念じている風情だから、更に見苦しい。もっというなら、「わが社は、時の総理を辞めさせたのだ」と自らの力を誇示したいのだろう。まるで権力者たちの「提灯持ち」「お先棒担ぎ」ではないですか。

 日米関税交渉も急転直下の終了(馴れ合い)を迎えたが、その内容が判明すると、実際はさらに米国の言いなりに成り下がりますという「合意(決意)表明」だったと言えます。日本がますます崩壊する事態を促す要因になるでしょう。交渉相手国の大統領は「醜聞問題」で足元に火が付いた、その火元を消せるなら、どんなでたらめも辞さないという、大統領にとって決死の判断だったと思う。ぼくにとっては見たくも聞きたくもない、ヤクザな情報だと思うし、何とも言いようのない頽廃の極みのようで、実に嫌な時代にぼくたちは生きているのだ。

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 エプスティーン元被告の捜査資料にトランプ氏の名前と米紙報道 ホワイトハウスは強く反発 米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは23日、性犯罪者として登録されていた資産家ジェフリー・エプスティーン元被告(故人)に関する司法省が保有する資料に、ドナルド・トランプ大統領の名前が出てくると、政府関係者の話として報じた。ホワイトハウスは強く反発している。一方、フロリダ州の連邦地裁は同日、司法省から出されていた、元被告の捜査に関する大陪審の資料の公開請求を退けた。/ウォール・ストリートによると、エプスティーン元被告の関連資料には、著名人ら数百人の名前に交じって、トランプ氏の名前も複数個所で出てくるという。/元被告の関連資料に名前が出てくることは、不正行為を犯したことの証拠にはならない。トランプ氏はこれまで、元被告の事件に絡み、不正行為に問われたことはない。/同紙によると、パム・ボンディ司法長官は2月、ホワイトハウスでの定例ブリーフィングで、元被告の関連ファイルには元被告と交流のあった多くの人に関する伝聞情報が含まれており、トランプ氏の名前も出てくると伝えていた。(写真「2000年2月に撮影された写真。左からトランプ氏、この5年後に同氏と結婚したメラニア氏、故エプスティーン元被告、マックスウェル受刑者」(以下略)(BBC・2025/07/24)(https://www.bbc.com/japanese/articles/c79q22gj1p8o

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ぼくは政治家程の「悪」は働かない

 どんな人でも、きっと誰かに「騙される」だろうし、逆に他人を「騙す」ことがあります。「今までに騙したことも、騙されたこともない」と断言できる人はいないし、仮にそう言い切れる人なら、直ちに「自分を騙す」ことになる。まるで、「嘘と坊主の頭はゆったことがない」という人みたいですね。「《「嘘を言う」と「頭を結(ゆ)う」を掛けた洒落
しゃれ
》これまで嘘をついたことがない」(デジタル大辞泉)意図して嘘をつく時もあれば、心ならずも、結果的には嘘をついたことになる、そんな場合が、生きていればしょっちゅうあるでしょう。ぼくも見事に騙されたこともあれば、騙してやろうと意識していなくて嘘をついたこともあると思う。思う、などと曖昧な言い方をしていますが、嘘をつきたくなかったが、心ならずも…、そんな意味です。

 今日、この社会で蔓延・流行中の「詐欺電話」も、不便な山中の「老人と猫たちホーム」にさえ何度もかかってきました。「2時間後に、使用中のこの電話が止まる」と言われて、「どうぞ、お好きなように」と電話を切ったこともある。怪しい会社(人物)からもかなりあります。しかし、「ぼくはあなたと話す暇はないので、悪しからず」と切る。再度かかってきたためしはない。拙宅は固定電話ですから、あまりややこしい話にはならないし、誰からかかって来たか、番号表示などはしていないので、ドキドキもハラハラもない、実に味気ない応答で終わっています。騙されたことは何度もあり、今思い出しても忌々しい気分になる。具体的に語ると差し障りがあるから話しませんが、ごく親しくしていた人間にものの見事に騙されたこともある。人間が未熟だった(他人を見る目がなかった)と済ましてはいるが、情けないことに「上辺(見かけ)」に騙されたのだったと思う。

【三山春秋】▼知人の携帯電話に高知県警の警察官を名乗る男から電話がかかってきたそうだ。番号の末尾は警察と同じ「0110」。男は「資金洗浄の捜査をしていてあなたが浮上した。話を聞きたい」と切り出した▼名前も住所も把握されていて気味が悪かったと知人は振り返る。「こちらまで来てほしい」との出頭要請も。身に覚えがないため、改めて警察署と部署、名前を聞き「折り返し連絡します」と早々に電話を切ったという▼遠方の警察をかたるのは無料通信アプリ「ライン」のビデオ通話へ誘導する手口なのだとか。「来られないなら、ラインでも構わない」と譲歩して安心させる。顔を見せて話すから、つい信用してしまうらしい▼画面上では名前を明記した警察手帳や逮捕状が示される。動揺しても不思議ではない。大概は無実を証明しようと必死になり、質問には正直に答えてしまうのだという。銀行名、預金残高、タンス預金額…。個人情報は筒抜けである▼本県でも被害が後を絶たない。手口は多様化、巧妙化していて、防止策を啓発してもすぐに新手が現れる。出口の見えぬ状況がもどかしい▼対策に限界がある以上、警戒心を最大の防御策とするしかない。はなから人を疑うのは本意ではないかもしれないが、仕方あるまい。怪しい電話はためらわず切る。特殊詐欺を防ぐ鉄則である。冒頭の知人の対応も参考にしてみてはどうだろう。(上毛新聞・2025/07/24)

 騙すより、騙される方がいい、とは言いませんけれど、現実の世界は「狐と狸」が住んでいるのですから、所詮は「騙し」「騙され」の攻防でもあります。「警察詐欺」とは言いますが、実際に警察が騙す話かもしれないではないですか。このところ、立て続けに発生している「有罪➡無罪」判決をみれば、誰もが納得するでしょう。警察や検察は権力を笠に着て、とんでもない「冤罪(えんざい)」を拵(こしら)えてきましたし、今もなお「権力(濫用)犯罪」は終わっていないでしょう。だから、世に騒がれる「詐欺」などというのは可愛いものというのではない。ぼくに言わせれば、「詐欺が詐欺を疑っている」という、ばかばかしいジョークのようにも思えてきます。「警察署からのお知らせ。警察を騙(かた)った詐欺が流行中。くれぐれも気を付けてください」と。

 それ以上に目に余るのは「政治家」の嘘で塗り固められた言辞でしょう。終わったばかりの参議院選挙でも、政治家的天性の資質はいかんなく破棄され、見事に「騙された有権者続出」ではなかったでしょうか。政権与党の大敗を理由に退陣を迫られている首相もまた、「嘘をつき通す」のに汗水垂らしています。これはここでいうべきではないでしょうが、日米関税交渉が急転直下の「妥結」というのも、いかにも嘘くさい。ここでもまた「売国」が日米双方で行われた形跡がありますが、どちらも「嘘を通している」のですから。石✖首相もまた「売国の徒」であって、(T大統領はもちろん)石✖首相も自らの地位維持のために国益を甚(いた)く損なったのです。事程左様に、国家規模の嘘なら許されて、日常茶飯事の「詐欺行為」は立派な犯罪とばかりに非難囂々(ひなんごうごう)では、事の大小が逆転していないか。

 小さな詐欺など許してやれ、というのではありません。小さいながらも「詐欺は詐欺」なら、大きい詐欺はもっともっと厳しく罰してくれなければ、均衡も公平も保たれないでしょうに。しかるに、政治権力には、いかな警察・検察権力も腰が引けているのも、歴史と伝統に基づくというのですから、開いた口がふさがりません。

 「手口は多様化、巧妙化していて、防止策を啓発してもすぐに新手が現れる。出口の見えぬ状況がもどかしい」と、コラム氏は思案投げ首の体ですが、この「警句」、何やら政治(家)の詐欺行為に向けて投げられているようにも見えてきますが。彼や彼女は税金を浪費して、「詐欺政治延命法」を案出しているのです。政治献金、裏金その他、数え上げれば切りのないほど有権者を騙し、国民を騙(かた)る危機的事態は、国も地方も選ぶところはありません。国政選挙にかかる国税は左右の図表通りです。これを民主主義に要する負担(授業料)だと思えば「安い」という人もいるでしょう。そうだろうかと思う気持ちがぼくにはある。何も学ぼうとしない輩に払うには、あまりにも高価すぎる授業料ではないか。何十年も前の「選挙法」を旧態依然として、いつまで墨守しているつもりでしょうが、そこにも見えざる政治家の顔が隠されているのです。詳しくは言わないが、現状で利益を得ている人が多いということの証明です。

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「ささる」は人によりけり

【夕歩道】最近の言葉はよく“刺さる”ほうがよいらしい。「いいお話だった。胸に刺さった」と喜々としている若者を見たことがある。刺さって痛くないのかなあ。刺されどころが悪いと死んでしまうよ。▲20日投開票の参院選では、党代表や候補者らがキャッチコピーを拡声器で振りまいた。聴衆の胸に刺されとばかりに-。参政党が唱えたのは「日本人ファースト」、新たに14議席の大幅増だった。▲店で笑顔の女性店員さんや、街ですれ違ったおとなしげなお兄さん。肌の色が違うあの人たちの胸に変な形で「日本人ファースト」が深く刺さっていないか気にかかる。心から赤い血が流れるよ。(中日新聞・2025/07/22)

 「刺さる」って、どういうことですか。そんなことを訊くようでは話にならないね、と笑われそう。ぼくには「刺さる」という経験、あるいは「刺さった」という経験はないかもしれない。第一、「刺さる」(の語意・語感)がよくわからないのですから、経験したとは言えないし、経験したかもしれませんが、要するに、あってもその程度の経験だったということ。刺激的な言葉だから、掴まえられるんですね。それはまさしく、キャッチコピーの世界。この世は、まさにキャッチワードを求め、それらにキャッチされることを求める人で充満しているのでしょうか。納得するとか、胸に落ちるとか、腑に落ちるなどなど、よく似たような言葉は、わが身で受け止める風情がありそうですね。そこへ行くと、「刺さる」は受け身で、「矢」や「刃物」が向こうからやってきて、突き刺されるという感じがしますが、どうでしょう。

 「左上」のキャッチの著者はどなたか知りませんが、「自分に大事なこ」と、「自分に大切な人」を考え続けていれば、「いい人生が送れる気がする」と言われている。大事なのは「いい人生」の方ではないですかと逆に尋ねてみたい。人によって「いい人生」は万別、さまざまな人生に「よさ」「悪さ」があるのであって、それを定義することも強制することもできないと思う。だから、ぼくにとって「いい言葉」という方が、とても重要に思われます。高校生の頃だったか、三島由紀夫さんの「箴言」に出会ってとても感激したし、それは今もなお、それこそぼくの胸に刺さっている。「誰もが非凡を目指して平凡になるのだ」という表現だったと記憶している。当然その逆のことも、また三島さんが言いたかったことだし、自分はそうしてきた(平凡に徹して非凡になった)という意味に思えてきた瞬間、三島さんが詰まらない人物になった気がしました。

 右のキャッチは美輪明宏さんのものらしい。ぼくの実感ではまるで美輪さんが言いそうでもない言葉に思えてきますから、美輪さんという人の幅というか、深さというものが測られるのかもわかりません。悪心を起こしたとき、それを胡麻化さないこと、そうすれば、「自分は悪い人間だ」という自己意識が働くというのです。悪いことをしても「自分は善人だ」と偽り続けていれば、自分を見失うのでしょう。

 朝日新聞の朝刊に「折々の言葉」という連載が長く続いています。新聞購読をしていませんから、ごくたまにネットでそれを探す程度ですが、時には「刺さる」「刺さりすぎる」言葉があります。つまり「刺さる」というのは、おそらく「言葉」のことでしょう。ここ何代かの、元総理大臣たちのことばでは、はいつだっていささかも「刺さらなかった」のは、自分の言葉という、肝心要のものがなかった、誰かから言わされていたからだろうと思う。おしなべて政治家の「ことば」は嘘くさいし、刺激的であるほど、無内容なものと思われる。

 「刺さる」というのは刺したい」方が(受けを狙って)、狙った通りになるということでもあるなら、その効果はあまり長持ちはしないし、人はまた、次の「刺さるキャッチコピー」を求めることになるでしょう。コピーを振りまくのは政治家であったり、コピーライターであったりするのは時代の風潮かもしれません。本来、「ことば」は、ある人が誰かに渡す(話す・伝える・訴える・呼び掛ける)もの。その誰か(対象)とは、具体的に想定されている時もあれば、不特定多数の場合もあります。それは「歌」に似ていると言えるのではないでしょうか。世間に流通する「歌」はほとんどが不特定多数を対象に、売れること・受けることを狙ってだけに作られ、だから、大当たり(大刺さり)したりしなかったりすることががあるのでしょう。

 「日本人ファースト」という表句(標語)は、ぼくに言わせれば「毒矢(poison Arrow)」でしたね。その毒矢に当たった人は驚くほど多かった。わざわざ「当たるため」に出向いた人もいたほど。きっと甘い蜜の味がしたのでしょうが、その密の下には毒が忍ばされていたんですよ。幸いなことだったか、それは猛毒ではなかったらしくて、症状も軽症で終わる人も多数出てくるはずです。でも、芯から毒に浸かっている人も一定数はいるのですから、この後はなかなかに厄介な問題が続くと思う。つまりは「中毒症状」です。

 この居住世界が窮屈になることだけは御免蒙りたい。「日本」とか「日本人」などと、さも確信ありげに叫んでもろくなことにはならないでしょう。何事も「純粋」はあまり美しくないものだとぼくは考えています。少しは不純の要素がある方が強いし、美しいとぼくは受け止める。「日本人が一番」、「日本は最高」などと胸のうちに収めて置く限り危害はありません。でもこれ見よがしに叫び出したら、その国や国民は「正気(sanity)ではない」と他者に知らせていることになるばかり。家族同士、隣同士であっても、本当に仲よくするのは難しいのであって、それは人間同士が理解し合い寛容の心持で付き合うのがどんなに難しいかを示しています。それだけ、人という存在は「情念」(「感情」)が暴力的、排他的になることがあるからで「親しき中にも礼儀あり」、それが最も困難な関係かもしれませんね。

 上に触れた「折々の言葉」から二つばかり。「左上」の引用は<Alone Together>。「ふたりぼっち」と言いたくなるでしょうが、そうではなく「孤独な人が隣あって」と理解している。ジャズ喫茶という空間は「わたしとあなた(I and you=we)」で生み出す公共の場、つまりは、個々人が自分の判断で動くという、まさしく、それはデモクラシーの基本とまで言われています。血縁でも地縁でも社縁でも学縁でも、ましては腐れ縁でもない、個人個人の隣り合い、それをぼくも大切にしたい。

 そして「右」のキャッチはコンビニのトイレの壁の「メッセージ」でした。「晴れた日ばかりでは花は咲かない」、まるで人生のある一面を射抜くような言葉(キャッチ・コピー)ではないでしょうか。雨のち晴れ、晴れのち雪など、雪のち嵐などなど、いつだって「単一(single・mono)」でも「純粋(unmixed)」でもないというところ、それは一本の花が咲くにも「複雑な仕組み(作用)(寒暖・雨風など)」が必要だというのでしょうか。<constant sunshine・no flowres>そういうことなら、「刺さる言葉」は何処にもでもありますね。「刺さりたい」なら、感覚を鈍麻させていてはダメ。とはいうものの、「鈍感」でも惹きつけられる言葉はあるにはある、でも、それは詐欺師(con man)、人誑(ひとたら)し(People-pleaser)の常套語であることがほとんどではないですか。

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目下、社会は「メルトダウン」状態だ

【有明抄】ご冗談を… 世の中は冗談みたいなことがしばしば現実になる。「空港を大統領の名前に」「大統領の誕生日を祝日に」「新紙幣の肖像画に大統領を」「地下鉄も大統領の名前に」…。いま米下院では、こうした法案が次々に提出されているという◆自国第一主義を掲げる大統領はよほど、ほめられたい方であるらしい。結局「自国第一」とは「自国民」のことではなく、「自国の権力を握ったオレ」が一番ということなのだろう。それは「自分さえよければ」と言っているようなものである◆物価高や移民政策への不満を背景に、選挙で与党が敗れ、自国第一を掲げる極端な新興政党が躍進する。そんな遠い欧米の国ぐにで続いた出来事が、いつのまにか足元まで迫っている。若い世代を中心に、不満のはけ口を求める生活の厳しさを思う◆スマホから垣間見るキラキラした世界と、自分の生活とのギャップ。「既成政治は腐敗に満ちている」とSNSはささやく。そんな政治のことばを検索するうち、似通った「おすすめ」が次々に表示され、「自分だけ」の価値観に染まっていく◆こうして分断が進む時代に、与党は「希望」を示せなかった。それでも石破首相は続投を表明した。国民から再び「不信任」を突きつけられながら、「国難を乗り切るため」という。世の中は冗談みたいなことがしばしば現実になる。(桑)(佐賀新聞・2025/07/22)

(ヘッダー写真は朝日新聞:街頭演説を聞く有権者=2025年7月3日午前10時50分、兵庫県内、伊藤進之介撮影)

 例えは穏当を欠きますけれど、目下の我が国に生じている諸現象は一連の連鎖状態の中で「メルトダウン」シンドロームにあるといっても過言ではないでしょう。福島原発の原子炉事故はいろいろな危険物質を原子炉建屋の内外に拡散し、いまなお、その最終処理段階が見えない状態にあります。時に「メルトダウン」が「チャイナシンドローム」と呼称されるのは、アメリカで発生した原発事故は、原子炉格納庫の隔壁を突き破り、地表・地下を貫通し、やがては中国にまで被害が至ることを象徴した表現でした。現下の地球規模の政治・経済などの不安定要因がどこにあるか、その起点を含めて、単純には言えないことですが、欧米の一国で発生した政治経済の「メルトダウン」がまさにチャイナシンドローム現象を生み出し、あらゆる方面に地球規模で生じていいるのです。

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● メルトダウン(meltdown)= 原子炉で燃料溶融が起こり、燃料集合体の溶融物が炉心の下部へ落ちていく状態。大量に溶融した場合、圧力容器や格納容器を貫通する場合もある。→チャイナシンドローム(デジタル大辞泉)

● 炉心溶融(読み)ロシンヨウユウ(その他表記)meltdown= 原子炉の炉心が高温になり,融点をこえて溶融すること。出力の異常な上昇か炉心の冷却不能時に起こりうる。炉心溶融が起こると,高温の溶融物質が冷却材と接触して蒸気爆発を生じたり,構造材を溶かしながら原子炉容器の下部に流下する。一定量以上の溶融燃料が 1ヵ所に集まると,臨界条件に達して制御不能な核分裂連鎖反応が起こる再臨界事故を起こす危険性がある。さらに,燃料要素内に封じ込められている放射性物質を原子炉容器と一次冷却系統に拡散させ,外部へ放出するおそれがある。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 政治(家)のメルトダウンは、政治にかかわるあらゆる部門の不具合や異常をもたらす。我が国における「赤字国債(1200兆円余)の発行は、その後に続くゼロ金利を齎し、異様な円安状態を来しました。国債の増発は限界を知らない規模で膨らみ、それがまたあらゆる経済指標の大幅な振幅拡大現象を将来してます。金融汚染は市場経済の万般にいたり、その始末をつけようにも解決の糸口が見えません。本来は政治の舵取りがまっとうに行われていれば、こんなに極端な経済・金融のメルトダウンを経験しなくてもよかったのでしょうが、現実には見るも無残な「政治(家)溶融が生じている。この傾向は、さらに激しく続くことは参議院選挙の結果を見ても明らかです。

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(上写真・候補者たちの最後の訴えを聞く有権者ら=2025年7月19日午後7時28分、東京都港区、藤原伸雄撮影)(朝日新聞・2025/07/20)

 新興政党のいくつかは、どう考えても「極右」であり「右翼」でしょう。それが悪いというのでも、それを排除すべきだというのでもないのは当然です。しかし、それらは「スパイ防止法」を錦の御旗に「国家ファシズム」を標榜しているのです。治安維持法さえもが口にされる。排外主義は民族浄化を予想させますが、今どき、このようなアナクロニズムが大手を振って闊歩しているのですから、これはいつの時代かと驚く、嘆くのは当然だとぼくには思われてきます。「極右」擡頭を、まるで歓迎しているかのような大方のメディアは、そのことで何を得るのでしょうか。メルトダウン状態は、遂には人心にまで及んでいることをぼくは忘れないでいたい。嘘でも暴力でも何でもいい、心を揺すられる政党や政治家に出会えて感激し、挙句に泪する「善人なる庶民」の救いがたい軽薄さ(frivolity)は、まるで付和雷同の徒、烏合の衆。ぼくんは唾棄すべき事態だと言いたくなる。

 こんな暴力的勢力が権力を掌握すると、「日本人ファースト」は「日本ファースト」の露払いが役割であって、いずれ国家本体に国民(個人)は緊縛されることになるのです。(あり得ないこととぼくは確信しているが)精神の自由すら奪われている、現下の状況を顧みる余裕すら失っている庶民(ぼくも、その中にいることは事実)に何が起こっているのでしょうか。政権与党は惨敗だとマスコミは喧(かまびす)しいが、何のことはない、補完勢力が穴埋めをするだけの話で、実に「保守(右翼)陣営」の帳尻はあっているのです。男尊女卑の観念を回復させ、夫婦別姓導入を拒絶する「家族国家主義者」たちは、一国繁栄を希求する「村落共同体的国家」を期待しています。そこには「異邦人」や「多国籍者」の存在は容認されないことは明確にされている。まるで、江戸(鎖国)時代の「政治形態」にこそ、この国のよさ(順風美俗)を発見しているのではないでしょうか。

 このところ、ぼくの壊れかけている脳髄の奥から「権藤成卿(ごんどうせいきょう)」という魂魄の叫び声が頻りにしている。自覚の有無にかかわらず、「日本人ファースト」「日本ファースト」を呼号する人々はおそらく、権藤さんの主張と、どこかで相応え合っているはずです。いずれ機会を見て、権藤さんのものの見方を駄弁るつもり。ぼくに言わせれば、それは間違いない、ある種の「亡霊」であるのですが、この社会には幾多の亡霊(山本七平さんもその一人)が地上・地下を彷徨(さまよ)っているんですね。時代(人々の意識)は前に進むのではなく、時間をさかのぼり、後ろに下がる。

● 権藤成卿(ごんどうせいきょう)(ごんどうせいけい)(1868―1937)= 農本主義の理論家。本名善次郎。慶応(けいおう)4年2月28日生まれ。久留米(くるめ)藩主の侍講であった父から、家伝の制度典例学を学び、二松学舎(にしょうがくしゃ)中退後、中国、朝鮮などを視察し、独学で独特の学識を蓄積した。1902年(明治35)上京、黒龍会(こくりゅうかい)に関係し、韓国併合や日満蒙(もう)を結ぶ「東亜連邦」を構想。内田良平(うちだりょうへい)らと『東亜月報』を発刊。1918年(大正7)老壮会に参加、1920年6月自治学会を創立、人民の自然的自治のうえに政治が施行される農本自治主義こそ日本本来の姿であると説いた。『自治民範』(1927・平凡社)などの著書がある。1932年(昭和7)血盟団事件に連座して逮捕されたが、不起訴。昭和12年7月9日死去。(日本大百科全書ニッポニカ)

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Majority voting is not the best method.

【夕歩道】❖自宅と隣接するごみ集積所の場所を変えてほしい。20年近く悪臭などに悩んできた男性が町内会に要望したが、総会では「1対86」で否決された。男性は町内会の住民らを相手に裁判を起こし-。◆千葉市であったこの興味深い出来事を6月末に朝日新聞が伝え、熟読した。千葉地裁は、被告となった住民らに、この集積所へのごみ捨てを禁じた。「男性に一方的な負担を押しつけてきた」と。◆多数決が正義ではなく、害を受ける人の声こそ尊重せねば、と判決は諭すかのよう。世論が割れる選択的夫婦別姓も同じか。自分の姓を名乗れず「一方的な負担」に悩む人々の声に耳を傾けたい。(中日新聞・2025/07/19)

 この問題(「ゴミ出し」と「町内会」)は、至る所で見られます。今回は当地の隣にある地区で生じた問題。「生ごみ」集積所を自宅前に置かれて迷惑、少しは「当方の迷惑を考えてほしい」という素朴な意見に対して、町内会では多数決をもって現状維持を決めたことで、当事者が訴えていた裁判。事の経緯は省略します。自宅前の「集積所」を何とかしてほしいという一住民の意向(希望)は、町内会で審議され、「1対86」で否決。さらに場所の移転をも問われたが埒が明かず裁判へ。判決は訴えた側の勝訴。集積所の設置は「受忍限度を超えたもの」として、住民たちの集積所利用を禁じた。どこにもある問題で、この社会のいたるところで、驚くほど「エゴイズム」が闊歩している状況を示しています。その昔、暇に飽かせて、この問題について調べてみたことがあります。

 問題はこれに限らず、町内会加入、未加入者の集積所使用禁止。あるいは集積所利用に、年間2万千円納入を命じた判決もある。また、町内行事に不参加だったものにゴミ集積所使用禁止、回覧板巡覧禁止。その他、数えきれないほどの問題(混乱)(内乱)が見られます。長く裁判で争うケースも目につく。問題の所在はどこにあるのか。この問題で、多くの行政は腰が引けていると思う。ぼくも当地に越してきた当座、自治会(町内会)加入を求められ、最初は気軽に加入するつもりだったが、町内区域にある神社の除草など勤労奉仕の義務化、氏子料(7千円超)の負担などなど、いくつかの条件を認めるように促されました。それでも加入するつもりだったが、新規参加の先住民への挨拶金(十数万円の要求)などがあったので、直ちに加入を断った。

 その段階で知ったのだが、ごみ集積所は拙宅から1㌔以上も離れていた(自治会館敷地内)。やがて、拙宅付近の住民が行政と掛け合って、現在地(拙宅から100㍍ほど離れている)に常設され、ぼくはそれを利用している。ビン・カン類も(前記)町内会集会所に置かれていたし、町内会未加入者には使わせないということだったらしい。これもまた行政に掛け合って、現在地(近所のTさん宅駐車場内)に設けられ、ぼくはそれを使っている。千葉市の事案で、当事者だった男性が状況改善を求めたが無視された、その町内会の議決が凄いものでした、1対86。圧倒的少数者に置かれた男性の「1」が無意味だったかと言うとそうではなかった。逆に言うと「1」が正しければ(合理性があれば)、それは3にも30にも50にもなるでしょう。これはデモクラシーの好例です。100対0ではなく、99対1の「1」が大事です。その1には50や60になる可能性(正当性)が含まれていることがあるからです。(小数意見が大多数を救うことはいくらもあります。集団において、少数意見こそ不可欠)

 20年耐えた自宅前のごみ集積所 町内会に移設求めた訴えに裁判所は 自宅と隣接するごみ集積所の場所を変えて欲しい――。長年、悪臭やごみの飛散などに苦しんできた住民が町内会にそう要望したが、総会で1対86で否決された。住民は同じ町内会の住民らを相手に、集積所へのごみ捨ての差し止めを求める裁判を起こした。裁判所はどう判断したのか。/原告は千葉市内に住む80代男性。2003年6月に今も暮らす一戸建てのマイホームを建てた。土地購入時には集積所との間には小さな緑地帯があったが、道路の拡張工事で男性が住み始める頃には、集積所は自宅に隣接した場所に移った。以来、20年以上その状態が続いてきた。
当番制で掃除するはずが 集積所には、ほぼ毎日ごみが捨てられる。利用者が1週間ごとの当番制で掃除をすることになっているが、特に夏場には悪臭があるほか、カラスや猫が荒らしたり、収集後にごみが捨てられたりすることもあった。当番が掃除をしないこともあり、そうした時は男性が片付けや掃除をした。/15年春、この集積所に近くの別の集積所を統合する話が持ち上がった。男性は状況がさらに悪化するとして拒否し、逆に近くの別の地点を示した上で自宅隣の集積所の移設を求めた。
 だが、話は進まず、男性は町内会の臨時総会に移設を諮ったが、賛成1、反対86(委任状を含む)で否決された。
 男性はさらに19年から複数回にわたり、改めてごみ集積所の移設を要望したが、町内会は応じなかった。
 23年9月、男性は集積所を利用する20人以上を被告として、千葉地裁に提訴した。/訴訟で男性側は、20年以上にわたって集積所の悪臭、景観の悪化、ルール違反や不法投棄などへの対処を強いられており、「被害は甚大で極めて不公平だ」と訴えた。(朝日新聞・2025/05/10)(https://www.asahi.com/articles/AST5732L5T57UDCB005M.html)
 町内会(ちょうないかい)= 住民の自治組織であり,同時に行政機構の最末端組織としても機能する地域団体。起源は,古く律令時代の里制度,あるいは江戸時代の五人組制度に求めることができる。もともとは単なる隣保組織にすぎなかったが,第2次世界大戦参戦直前の 1940年,内務省訓令により区域内全戸の加入が義務づけられ,行政機構の下部組織として制度化された。しかし,戦後の 47年5月政令 15号によって廃止され,その後 52年の政令失効とともに再び各地で復活しているものの,一部有力者の運営にまかせた旧来の体質に対する批判は増加しており,公共住宅団地などでは,これに代るものとして自治会の結成をみるにいたっている。(ブリタニカ国際大百科事典)

 参議院選挙の結果が出たようです。「自分一人が投票してもしなくても、何も変わらないではないか」と「棄権」を正当化する人がいます。それも一つの意見表明。だから、どんなことがあっても「棄権は非」とぼくは言わない。行くもよし、行かぬもよし、それが選挙です。投票率100%とは、いかにも嘘くさい。もし、ごみ集積所問題のように、自分が当事者になったら、どうでしょうか。あるいは隣人だったらどうでしょうか。自分には無関係と言い続けるのも一つの態度、でも当事者になったら、大声で騒ぎ出すけれど、誰も同情もしてくれない、それが「自分の居住している地域」だと気が付くと、どうなるのでしょうか、自分の気持ちは。86人の中に入っていれば、災いは襲ってこないとタカをくくり無関心を装うのでしょうか。ぼくは大概の場合、「少数者の側」に身を置いてきました。「差別する側」にではなく、「差別される側に」にこそ。若いころ、誰もが差別しなくなったら、たった一人で差別するぞ、そんなバカみたいなことを広言もしていた。

 「明日は我が身」という俚諺があります。「よくないことが、いつ自分自身にふりかかってくるかわからないということ。[類語]昨日は人の身今日は我が身・今日は人の上明日は我が身の上」(デジタル大辞泉)

 今でもなお、紅灯の巷で「村(町)八分」が生きて、機能しています。つまりはハイカラを装っている、その正体は極めて功利的かつ利己的な人間集合体だという意味です。ぼくの中にも残存している「村八分根性(集団による制裁)」の古い体質を抉(えぐ)り出す手を緩めてはならないでしょう。ぼくは「村八分」制を全否定はしません。いやできないのです。この社会に古くから続く「村八分」という「制裁法」は、他の地域で認められる「魔女裁判」ではなかったでしょうから。でも、事を荒げての「村八分」もないものだろうという気が強くするのも確かです。民主主義は死ぬ(殺す)わけにはいかないとぼくが考えるのは、それを否定すれば、自分を殺し、他人を殺すことに加担することになるからです。

 名ぜりふ劇場 民主主義は最悪の政治形態といわれてきた。他に試みられたあらゆる形態を除けば チャーチルの名言
 チャーチルは勇猛な政治家でしたが、戦争の回顧録でノーベル文学賞を与あたえられるほど表現の才に恵まれた人でもありました。民主主義はいろいろ厄介な問題があるが、これに勝る政治のかたちはない、というこの言葉。なるほどと思おもわせます。
 公平な議論を進める手順の面倒さ。少数派の意見を大切にする心くばり。多数派が何ごとも数の力で押し通す危険。皆みなさんのクラスの話合いや討論でも意見をまとめきれず、議長役は大変でしょう。でもそうした「苦労」が民主主義の土台をつくるのです。劇場支配人・玉木研二(毎日新聞客員編集委員)(毎日新聞・202/12/21)(https://mainichi.jp/maisho/articles/20201221/kei/00s/00s/011000c)

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「徒然に日乗」(795~ 801)

〇2025/07/20(日)本日も快晴。猛暑日は確実だ。▶朝食を済ませた後、9時ころにかみさんと参議院選挙の投票に。(都合がつかなかったこともあって、今回も期日前投票はしなかった)近くの中学校体育館まで。投票率は前回並みか。それにしても50%近辺だから、いかにも政治は無関心層にはさらに嫌われているに違いない。その理由は言う必要もないくらい、政治家が政治を遊び気分(不真面目)で行っており、完全に有権者や国民を舐め切ってきたためであろう。この政治アパシーはこれからもしばらく続くと思う。「極右」が議席を占め、それなりの政治動向のカギを握る事態が生まれても、この政治無関心は続くだろう。それはまことに危険な兆候だが、時の流れを堰き止めることは困難だと思う。「団四の権力」もまた死滅寸前の、虫の息。誰が息の根を止めてしまうことになったのだろうか。ぼくの愚公するところ、それは「自死(Suicide)」だった▶帰宅後、しばらくは仮眠。とてもではないが、外の作業ができるはずもない酷熱状態。無理をしないに限ると、ずる休みを決めこんでいる▶「梅雨」らしくなかった「梅雨明け」宣言後も、相変わらず熱中症危険アラートが鳴り続ける気温状態が続くだろう。ただ今午後8時。室温30.3℃、湿度69%。今夜も熱帯夜か。猫は正直で、あまりに蒸し暑いと屋外で夜を過ごすのだ。数日間帰らなかった子が本日昼頃に戻る。どこで何をしていたのだろうか。(801)

〇2025/07/19(土)朝から猛暑の予感。ゴミ出しで、6時半に集積所まで持って行ったが、すでに付近からは刈払い機のエンジン音が響いてくる。隣のIさんは、自宅に入る町道沿いの樹木の枝を払っておられた。当方も負けずに出陣と一瞬は思ったが、疲れが残っていて、朝食後は横になったまま眠ってしまった。午後一時も過ぎてから目を覚ます始末。それ以来、何をするでもなく、時間を無駄に過ごしていた▶昨日から、また一人帰ってこない子(♀)がいる。この子は以前には三日も帰らなかったことがあったし、以来、しばしば一日、二日家を空けることも。事もなく無事に帰ってくることを俟つ・祈るばかり。(800)

〇2025/07/18(金)本日は快晴の一日。それでも、各地では強いあめが降っている地域もあるという報道も。ようやくというのか、関東地方も「梅雨明け」と気象庁。一体、どんな「梅雨」だったかを考えれば、これまでも梅雨の様相とは一変しているのが明らか。作物は高温障害に災いされたり、多量降雨に成長を阻まれたり。これまでの「長閑な四季折々」は薬にしたくも見られなくなったようだ。九時ころから仮眠。昼過ぎまで寝てしまった。睡眠不足には少しの補充にはなったろうか。つくづく、酷暑灼熱下では動かないで静かに過ごすに限ると実感している。二、三日は頭痛がしていたが、今のところ、それは解消したよう。猫たちも高温酷暑には身のやり場がないらしく、夜も外に出て暑さをしのぐものが多くなった。出るもの、帰るものが入り乱れて、それに付き合わされている当方の睡眠時間は削られてゆく▶参議院選挙報道をネットで見る。一昔前なら、「政変」含みの選挙と言ったところだが、そんなものですらない「茶番」が演じられているし、「参●党」一点に報道は集中しているのが、奇怪だし、不気味ですらある。要するに、メディの多くは「不真面目」「不誠実」というほかない為体(ていたらく)。結果はすでに明らかなようだが、いい方向に政治が向かう気遣いがないのは、当節の時代状況としては、致し方ないのかもしれない。この国の凋落が、選挙情勢にも及んでいるし、少なからず既存政党のかなりな部分に「少子高齢化」の波がかぶさっているのが大きいと思う。(799)

〇2025/07/17(木)本日も終日自宅内で時間を過ごす。かみさんは相変わらずの「活動集会」に。真面目で精が出るのは感心するが、それに反してだんだんに「愚か者」に変貌しつつあると思われて、いささか情けなくなる。他人のことを言えた義理ではないが、驚くほど「不勉強」だと言いたくなるほど、無駄な時間を過ごしていると思う。同時に、自らの身体について、その健康に関して、驚くほど「無関心」なのはなぜかと考えてしまう。痛いとか痒いとは言うが、それを防ぐためにどうしたらいいかというところにほとんど智慧が働いていない。たまたま治れば、それまでのこと。けろっと、痛さや痒さを忘れてしまう。再発させないためになどとは一切考えないのだ。果たして、6年前の術後の抗がん剤服用に帰因するのだろうか。もちろんそれもあるし、高齢による衰えもあって、だんだんと、諸事に怪しくなって、驚くような反応が出るのだ。「気の強さ」が、ここにきて彼女の性格の意固地さを助長させていると思う。(798)

〇2025/07/16(水)昨夜来の雨が続いている。本日は「ビン・カン」回収日で、早朝5時ころ、降雨の合間を縫って、回収所に持参。ペットボトルはすべてではなかった。小物は次回(来月)に回すつもり。昼前に茂原まで買い物。雨は降ったりやんだり、時には強く降ったり。夕方五時頃にはすっかり晴天に変った。大量の雨が降ったところが何か所もあった▶参議院選挙情報をいくつかのメディアを通して調べる。現在の政治情勢を(表面上は)大きく変える結果がほぼ確実視される。実態は、「気味の悪い「呉越同舟」だ。その結果を踏まえて、さて、どういう「野合」「馴れ合い」政治が展開されるか。(797)

〇2025/07/15(火)昨日と打って変わって、かなり強い雨が降り続いた。低気圧が西日本から登場してきた、その余波だったろう。それでも、あまり激しい雨風ではなかったのはさいわいだった。他地域では「線状降水帯」に襲われたところが何か所もあったようだ。台風シーズン到来を感じさせる一日だったと思う▶早朝5時ころに近所のコンビニで牛乳を購入。その後、午前中に猫缶購入のためにあすみが丘へ。いつも通りの商品を購入してきた。帰宅後、少し仮眠した後で、近所のHCで、猫のドライフードを購入しに▶参議院選挙報道などをネット番組で見る。今ではほとんど見るべき番組がなくなったので、気分手的にはすっきりしている。それにしても、有権者の煽られ方、靡き方が異様な感じを抱かせるのは、定見や思想がないからこそ、大半の有権者は投げかけられた「疑似餌」に食いつくのだと思う。何度も何度も犯してきた間違いを、それぞれは初めてのように経験しているのだろうか。(796)

〇2025/07/14(月)台風5号の影響で風雨が強まるかと思っていたが、その影響はあまりなかったので一安心。ただ今、午後9時半過ぎ。室温27.8℃、湿度81%。明日は、台風ではなく低気圧の影響で各地では線状降水帯が発生との予報。当地でもそれなりの雨量が予想されている。酷暑続きの後には、雨天状態が続く。その後はまた猛暑の復活で、「梅雨明け」宣言?が出されそう▶終日自宅に。午前中は仮眠をとる。視力の衰えを痛感。できる限り疲れを取るようにはしているが、読書やパソコンを止めるわけにはいかない分、目薬に依存する頻度が多くなっている。(795)

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