無関心が冤罪を許してきた

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 老弁護士の勇気 『死刑台からの生還』 

 死刑囚として最高裁で刑が確定したあと、それが無実の罪だったとして釈放された事件に、免田事件、財田川事件、松川事件、島田事件などがある。

 この本は香川県の山村で発生した、「財田川事件」をテーマにしたものである。

 死刑を宣告されたものが、一転して無罪になる。ドラマチックである。そのとき、主人公はマスコミで、あたかも英雄のようにあつかわれる。(左上写真は矢野弁護士)

が、しかし、無実のものが死刑を宣告されたときのほうが、はるかにドラマチックであるはずである。このとき、マスコミは彼がいかに残忍非道な男か、これでもかこれでもかとばかり書きたてる。彼の無実を主張する新聞はない。

 それから三十数年たって、おなじ新聞が彼がいかに無実だったか、を報道する。

 もちろん、これから彼が当たり前の市民生活をするためには、彼がどのようにして罪におとしいれられたかが書かれたほうがいいし、このような人権蹂躙が黙殺されていいわけがない。それでもなにか割り切れない気持が残る。

 冤罪事件は珍しくない。しかし、冤罪は本来ならばけっしてあってはならないものである。当事者にしてみれば、彼の存在の全否定である。彼がどれほど真実を主張しても誰も耳をかさない。そして、極刑が宣告される。想像するだけでも恐ろしい。カフカ的状況である。

 ところが、冤罪事件にたいして、たいがいのひとは無関心である。というのは、警察に捕まるほどだから、彼はどこか怪しいところがあるのだろう。まじめに暮らしている自分にはまったく縁のない世界だ、との思いこみがある。

 だからこそ、濡衣を着せられたものはつねに孤立し、孤立させられている間隙を縫うように、つぎつぎ冤罪がつくりだされてきた。

 ひとびとの無関心が冤罪を許してきた、といってもいい。

 「財田川事件」は、ひとりの死刑囚の逮捕から釈放されるまで、その三十数年を書いた記録である。法廷での弁護士と検事との白熱のやりとおりを中心に据えた。法廷ドキュメントを書きたかったからだが、すべて実際にあった応酬である。

 それによって、無実が証明され、無罪になっていく道筋と被告の青春を奪った権力の暗闇を照射したかった。谷口繁義さんの無罪を信じて、たったひとり、敢然とたたかった、いまは亡き矢野伊吉弁護士の勇気を、自分なりに顕彰したかった。(鎌田慧『時代を刻む精神』所収。七つ森書館刊。2003・初出の原題は「老弁護士の勇気」)この『死刑台からの生還』の初版は立風書房(1983)から出版されました。現在は岩波現代文庫に入っています。(蛇足です 鎌田さんには大変にお世話になってきました。この数年は行き来は絶えていますが、いったいどれほどの教えを受けたことか、と深く感謝しているのです)

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(関連記事)北山六郎氏が死去-財田川事件の弁護団長=財田川事件や甲山事件で弁護団長を務めた弁護士で元日弁連会長の北山六郎(きたやま・ろくろう)氏が4日に心不全のため神戸市灘区の病院で死去していたことが7日、分かった。85歳。京都府出身。(中略)/ 東大卒。神戸弁護士会(現兵庫県弁護士会)に弁護士登録。日弁連人権擁護委員長を務め、1986年に東京、大阪以外の弁護士会から初の日弁連会長に就任した。/ 死刑囚が無罪となった香川県の「財田川事件」再審や、長期裁判の末に無罪が確定した兵庫県の「甲山事件」差し戻し審などの弁護団長のほか、日本尊厳死協会の理事長、会長も務めた。(四国新聞・2008/01/08)

〇 財田川事件(さいたがわじけん)=1950年(昭和25)2月28日、香川県三豊(みとよ)郡財田村(現、三豊市財田町)で発生した強盗殺人事件。当時19歳であった谷口繁義(たにぐちしげよし)が別件逮捕され、長期間の勾留(こうりゅう)の末に自白し、強盗殺人罪で死刑が確定した。しかし、その後再審が認められ、戦後2件目の死刑囚再審無罪事件となった。[江川紹子](日本大百科全書(ニッポニカ)の解説)

飯塚事件 1992年2月、福岡県飯塚市で小学1年の女児2人が登校中に行方不明となり、翌日、約20キロ離れた同県甘木市(現・朝倉市)の山中で遺体が見つかった。女児と同じ校区に住み、当時無職だった久間三千年元死刑囚が94年9月に死体遺棄容疑で逮捕され、その後、殺人と略取誘拐の罪でも起訴された。久間元死刑囚は捜査段階から一貫して無罪を主張。福岡地裁は99年9月、状況証拠を積み上げて有罪と認定して死刑を言い渡し、2006年9月に最高裁で確定した。再審請求準備中の08年10月に死刑が執行され、元死刑囚の妻が09年10月に再審を請求していた。(2014年04月01日 朝日新聞朝刊)

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 死刑(制度)に反対する理由はいくつかある。そのなかでももっとも有力(決定的)なのは「無実(無罪ではない)の人」を有罪にする「冤罪」の危険性です。「死刑台からの生還」はそれを如実に表しています。「飯塚事件」(新聞記事を出しておきました)はすでに「被告」の「死刑執行」がなされたのですが、いまでは「冤罪」であったことが強く疑われています。

 裁判制度にもさまざまな課題や問題点が指摘されています。2009年に施行された「裁判員裁判制度」。ぼくは初年度だったかに、その「候補者」に指名されたことがあります。担当事件はは当時居住していた地方で発生した「殺人放火」事件でした。そのときは避けられない所要のために辞退しました。いまでも、この制度は裁判制度にはなじまないものがあると強く考えています。また、今春は「検察庁法」の改正問題で許しがたい憲法違反が内閣によって引き起こされています。警察・検察を含め、かなり根本的な部分に問題をはらんでいるといわざるを得ない状況にあります。「人が人を裁く」ための「陥穽(おとしあな)」はどこにあるのか。

 そのような課題山積の渦に見舞われているのが裁判制度であり、死刑(制度)問題だとぼくには思われます。「死刑の是非」、それを問うことも大事です。しかし、「冤罪」が皆無でないこの島社会の「制度」について、はたして何もしないでこの制度を温存しておいていいのかという思いがいっそう募ります。

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 求めるのは死刑ではなく、…

 やりきれない事件や事故が続発しています。「凶悪」な事件の犯人には極刑が当然という感情は当然でしょうが、それでもなお、「死刑を望まない」という犯罪被害者もおられます。極めて少数かもしれませんが、おられます。どうして「そうなのか」と問いたくなるのもわかる気がします。ぼくも何人かの「犯罪被害者」にお会いしてきました。すべての方が「極刑を望んだか」といえば、そうではなかった。以下は、当事者の一人でもある原田正治さんの軌跡の一端を紹介することにします。(お会いする機会を得ないままで今日に至っています)

 ひとりの人間の内部には魔性と仏性が併存しているのです。その意味では、人生はおのれとの闘いにつきるといっていいでしょう。わが内なる悪心をいかにしてなだめるか。一面では「人権」は木の葉一枚の重さに如かずともいえますが、それはまた、人の人たる所以でもあるのです。なんどでも、気を取り直して生き続けるばかりです。(「飯塚事件」を扱った右の東京新聞は18/12/29付け)

 ついてくる犬よおまへも宿なしか(山頭火)

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 償い 死刑でも癒やされぬ心

 「遺族が加害者に求めるのは刑でも罰でもない。償いなんです」。6月18日、京都市の同志社大学。裁判員制度が始まったのを機に人を罰する意味を考えようというシンポジウムに招かれた愛知県春日井市の原田正治さん(62)は、学生たちに語りかけた。

 1983年1月、運送会社に勤めていた弟=当時(30)=のトラックが京都府内で河原に転落した。当初は事故死と判断されたが、翌年5月、弟に2000万円の保険金をかけて殺害したとして、勤務先の社長と同僚が逮捕された。/社長は母親に「(弟に)貸した金を返してほしい」とうそをついて数百万円をだまし取ってもいた。

 原田さんは怒りが収まらず、法廷で「極刑しかない」と訴えた。社長は共犯者とほかにも2人を殺していた。一、二審とも判決は死刑。社長は上告した。

 ある日、拘置中の社長から手紙が届いた。それまでにも100通を超す手紙が来て読まずに破り捨てていたが、たまたま読んだこの手紙に「(弟の)墓参りに代理の者を行かせてほしい」と書いてあった。

 会って怒りをぶつけてやると意を決し、拘置所に向かった。社長は面会室に姿を現すと感謝し、両手をついて「ごめんなさい」と謝罪した。憎しみは消えなかったが、話すうちに「もう一度面会したい。ずっと謝罪を続けてほしい」と思うようになった。上告は棄却され、最高裁で死刑確定後も3回面会した。2001年には法務大臣に死刑の執行停止も求めた。

 「生きて罪を償うことを切にお望みくださった正治様には、ご期待にこたえることができなくて申し訳ありません」。同年末に死刑になった社長は、原田さんに遺書を残していた。

 原田さんは遺族が極刑を望むのは間違っていないと考える。死刑の廃止論者でもない。ただ「社長が死刑になり、怒りをぶつける対象を失った」と感じた。

 被害者と加害者の距離を縮め、本当の癒やしを考えたい-。原田さんは07年に「OCEAN 被害者と加害者との出会いを考える会」をつくった。

 シンポではこう訴えた。「被害者の感情にもいろいろある。裁判官や裁判員は『遺族が望むのは厳罰』と型にはめて裁くのだけはやめてほしい」(原田正治さんのブログです。http://may23174.blog.fc2.com/

   ■    ■

 福岡市のエステ店で04年5月、石材会社を営む息子=当時(44)=を中国人留学生に殺害された佐藤泰彦さん(74)=長崎県長与町=は、中国で捕まった男の死刑回避を求め、中国の裁判所に嘆願書を出した。当初は死刑を望んでいたが、男の初公判が1カ月後に迫った時、妻と「優しかった息子は死刑を望むだろうか」と話し合った。悩んだ末の結論が「死刑になっても息子は帰らない。彼が死刑になれば、彼の両親も悲しむ」だった。判決は死刑を回避した。男は十数年後に社会に戻る可能性がある。佐藤さんにとっての償いは、男の「親孝行」という。(西日本新聞・09/07/08)

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 死刑(制度)問題、いったい何十年ぼくは考えつづけてきたか。簡単に割り切れないし、割り切るべきではないと悩んできました。「人を殺すのはよくない」という命題は、誰に対しても、どんな場合にも妥当する(すべき)はずだとも考えてきました。「死刑」はまぎれもない殺人です。それを「国家」が行う場合は許されるというのは是認できないし、だから、…。  いかなる理由で、「死刑廃止」の国が増加してきているのでしょう。

 「死刑になっても息子は帰らない。彼が死刑になれば、彼の両親も悲しむ」

 「遺族が加害者に求めるのは刑でも罰でもない。償いなんです」

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● 「私たちアムネスティ・インターナショナルは、死刑を人権の問題と考えています。そして、「生きる」という最も基本的な人間の権利を根本から否定する刑罰が、死刑だと考えています。

アムネスティは、1977年に「死刑廃止のためのストックホルム宣言」を発表し、「死刑は生きる権利の侵害であり、究極的に残虐で非人道的かつ品 位を傷つける刑罰である」として、あらゆる死刑に例外なく反対する姿勢を明確にし、死刑のない世界の実現に向かって活動してきました。

こうしたアムネスティの活動は、死刑廃止への世界的な潮流につながり、1991年には国連の死刑廃止国際条約(自由権規約第二選択議定書)が発効しました。それから20年あまり経った今日、死刑廃止国は世界の3分の2以上の140カ国になっています。」(https://www.amnesty.or.jp/human-rights/topic/death_penalty/)

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溝に捨てたほうがまだしも…

経産省は協議会に業務を769億円で委託。協議会は業務の大部分を大手広告会社の電通に749億円で再委託している。(朝日・20/06/02)

サービスデザイン推進協議会の事務所が入るビル=東京都中央区
サービスデザイン推進協議会の事務所が入るビル=東京都中央区

 リモートワーク中と貼り紙 「20億円中抜き」指摘団体

 経済産業省から持続化給付金の手続き業務を受託した「サービスデザイン推進協議会」をめぐり、実態がよくわからないという懸念が広がっている。

 野党議員7人が1日、協議会側から話を聞こうと事務所を訪れたが、職員は対応せずやり取りはなかった。事務所は東京・築地のビルの2階に入っている。議員によると明かりはついておらず、壁には「現在リモートワーク中です」と書かれた貼り紙があったという。連絡先としてはメールアドレスが記載されていた。

 議員側は5月29日に、経産省中小企業庁を通じて訪問に応じるよう要請していた。1日朝になって中企庁から「リモートワークのため職員はいない」と返答があったという。(上の東京新聞は20/06/01付け)

 経産省は協議会に業務を769億円で委託。協議会は業務の大部分を大手広告会社の電通に749億円で再委託している。野党議員らは「中抜き」によって税金の無駄遣いにつながったのではないかと問題視している。(同上・朝日)

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NBC(N(核):Nuclear、B(生物):Biological、C(化学):Chemical)兵器に対処するために開発された装輪式の化学防護装甲車両です。
NBC偵察車が配備されるまでは化学剤・核・放射性物質の対処には「化学防護車」、生物系物質汚染は「生物偵察車」と状況に応じて装備を使い分けなければなりませんでした。そこで合理化をはかるため「化学防護車の防護・機動性 + 生物偵察車の機能」をあわせ持ったNBC偵察車が開発されることになります。
 
開発は2005年から始まり2010年度予算で1両約7億円で3両調達されました。翌年2011年からは化学科隊員の教育・訓練を行う大宮駐屯地の化学学校、同駐屯地所在部隊のCRF:中央即応集団(現:陸上総隊)隷下の中央特殊武器防護隊に配備されます。現在では第3特殊武器防護隊(千僧駐屯地)、第6特殊武器防護隊(神町駐屯地)など、各師団化学科部隊へ配備が進められています。(https://rikuzi-chousadan.com/soubihin/kagaku/nbc.html

 政官財の悪徳厚顔の輩どもが、税金を好き放題に費消している。不足が生じてくると、増税という小槌を振るう。許しがたい法外の振舞いに目を丸くし耳を疑うだけでは生ぬるいのです。「ワセクロ」という団体も明らかにしていますが、国家政管の悪者及び業腹取り巻きがいかに不埒な税金泥棒をしているかに、呆れるばかりではだめで、怒るのも覚悟がいるのです。アメリカの悪政権の手下に据えられ身動きが取れない事態をこの島社会は「日米安保」の名において、七十五年以上も続けている。安保条約はアメリカのためのものであり、それに必要とされる金はすべて本邦が負担させられている。

 まるでこの島は「アメリカの属州」「アメリカの海外領土」だ。まるでGuamなみで、そのむかし「大宮島」と名付けられ本邦の領土だったが、いまはどうだ。米の世界防衛戦略の拠点である。(今年の三月だったかに、都心の真上を民間飛行機が飛ぶのはどうしてかという、素朴な懸念が生じたことがありますが、その飛行も、今は日常になりました。理由は横田基地にかかわる米軍の制空権にかかわるから、というのが実相です。(https://www.youtube.com/watch?v=119nvHd1oEw

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 この半島は「アメリカの50番目の州」と長い間ぼくはみなしていましたが、それは間違っていた。敗戦後(1945年以降)の「占領」状態(occupied)が持続していたのであり、この島のPMは宗主国のコマ使いでした。なけなしの金を「納税義務」の名に、無体にも収奪されている「一人の民衆(人民)」は謀反を起こそうとしているのです。復興税で「戦車」を買わされる。ブルーインパルスは「オレが命じた」という屑野防衛大臣、いざさらば、だ。あらゆる税金が、どぶに捨てられるならまだしも、もっとも悪辣無道の使われ方をしているのです。国家及び、その取り巻きによって。取り巻きには「名の痴れた」企業群があります。人生をかけて腐った企業に入るための下請けが、さまざまな段階の学校教育がすることなんですか。

 際限なく収奪される劣島。いったいどこまで奪われるのでしょうか。アメリカに収奪され、あろうことか島の悪政治家・官僚とその取り巻きの腐敗連。まるで江戸時代の痴方「悪代官」顔負けの悪行・悪逆ぶり、ぼくは卒倒寸前で、息を殺しています。もう何十年、この苦しい「身の置き場所」探しを続けていることか。 

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 あなたをなぐさめてあげられるから

 入江杏(あん)さん著『この悲しみの意味を知ることができるなら 世田谷事件・喪失と再生の物語』春秋社刊。07年12月)

 《10年に近い海外生活ののち帰国した2000年12月31日未明、「世田谷一家殺人事件」に遭遇し、妹一家を失う。その後、犯罪被害からの回復・自助とグリーフケア(家族・友人など大切な人を亡くして大きな悲嘆に襲われている人に対するサポート)に取り組みながら、絵本創作と読み聞かせ活動に従事している〈ミシュカの森〉主宰。著書『ずっとつながってるよ こぐまのミシュカのおはなし』(絵本、くもん出版)。》(同書の著者紹介より)

 入江さんの語られる物語に『スーホの白い馬』がでてくる。お読みになった方もおれるでしょう。スーホという名の羊飼いの少年に一頭の白い馬がいた。その白馬は大きく成長し、国中でいちばん速く駆ける馬になった。しかし、殿様が主宰する大会で優勝したために、スーホは殿様に取り上げられてしまった。スーホのもとへ逃げ帰ってきた白い馬は身体中に矢を受け、傷ついていた。そして、とうとうスーホのもとで死んでしまったのです。

 悲しさにうちひしがれたスーホの夢のなかに現れた白い馬は、彼に語るのだった。

 「そんなに悲しまないで。わたしの骨や皮、筋や毛を使って、楽器をこしらえてほしい。

 そうすれば、いつでもあなたのそばにいて、あなたをなぐさめてあげられるから」

 夢で告げられたとおりに、スーホは楽器を作りました。それが馬頭琴です。スーホが奏でる馬頭琴は広いモンゴルの草原に鳴りわたり、たくさんの人びとのこころをなぐさめたのでした。

 「なんのために生きているのだろう、なぜ生き残ったのだろうと自問していた。そんな私に、にいな(妹の長女)が遺してくれたもの。それが悲しくも美しい再生の物語だったことに、不思議な符号を感じざるを得ない。

 この再生の物語は道しるべなのだろうか?私のグリーフケア(悲嘆の克服)の途上に与えられた道しるべ」(同上)

   亡くなる少し前ににいなちゃんが遺したのが「スーホの白い馬」の詩画だったという。

 この『スーホの白い馬』の引用のあとに『ツェねずみ』の話がでてきます。

 「私も何度も『まどってください!』と叫びたくなることがあった」

 「夢や情熱、挑戦する勇気、自分を信じて進んでいこうとする誇り。まどってほしいものは、形のあるものではなく、形のないものだった」

 やがて、意を決して、入江さんはもう一歩と前に進み出られたのです。

 「誰にまどってもらわなくてもいい。それ以上に、自分の中にまどってほしいと願うツェねずみがいることがたまらなく嫌だった」

 「私はツェねずみにはならない、そう誓った。心にあいた穴を埋めるのは自分自身だ、自分で自分の人生の意味をもう一度見出さなければ。私の人生の創り手は私以外の誰でもないのだから」

  一瞬にして妹一家四人を奪われた姉の悲しみと嘆き。「この悲しみの意味を知ることができるなら」事件から二十年が過ぎました。この言い知れない凄惨で悲惨な事件によってでしたが、ぼくは入江さんと遭遇することになりました。一夕、さまざまな話を伺いながら、人生における「理不尽」というものを考えさせられてきました。報道で「世田谷」と耳にし、目にするたびに、入江さんの様子を思うのが習性のようになってしまいました。

 いくつもの未解決の事件。「悲嘆の克服」ということがだれにも起こりうるのでしょうか。

 『スーホの白い馬』にはいくつかのエピソードのような話が、ぼくにもあります。それはともかく、子どもがまだ小学校の低学年の頃、教科書に出ていた「物語」をノートに「書き写す」というばかばかしい宿題に夜を徹していたことがありました。ぼくはその教師の「愚行」に憤りを覚えたのでした。いまでも、その「憤り」の心持を覚えています。またはこれがどこかで触れたように思いますが、この「物語」の挿絵はぼくの友人の父が書かれたものでした。赤羽末吉さん。独特の太い線と鮮やかな色彩で、物語に欠かせない要素となっています。また、「馬頭琴」には、先入観からか、静かな音色であるにもかかわらず、ぼくの心はいつとはなしに波立ってしまうのです。

 二十年を経過した事件の解決はいつになるのでしょうか。この事件などもきっかけになり、「時効廃止」という新たな展開があったのでしたが(それからも十年が過ぎました)。

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●殺人などの時効廃止が27日成立、即日施行 殺人など凶悪犯罪の公訴時効の廃止や延長を盛り込んだ改正刑事訴訟法が27日、衆院本会議で賛成多数で成立し、政府の持ち回り閣議を経て、異例の即日施行となった。時効が未完成の過去の事件にも適用される。時効廃止を待ち望んでいた被害者遺族らは、一様にスピード審理による即日施行を歓迎した。(日経新聞・2010/4/27付)

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自分の心を粉飾するな、祈れ

 渡部良三著『歌集 小さな抵抗 殺戮を拒んだ日本兵』(岩波現代文庫、11年11月刊)

 一九四四年春、大学一年生で招集され、ただちに中国大陸に移された渡部良三さん。「新兵として、戦闘時における度胸をつけるため」と称して、中国共産党第八路軍(八路・ハチロまたはパロといった)を捕虜として捕縛されていた五名の中国人を、新兵四八人に虐殺(刺突・しとつ)させた。だが、たった一人の新兵が命令を拒否した。まさしく「敵前抗命」(銃殺刑に相当する)であった。以後、彼は要注意人物として、徹底した差別とリンチ(私刑)を受けつづけることになる。

 この「歌集」は内容といい、思想、姿勢に至るまで、異様というほかないものだといいたい。横暴傍若、抗すべくもない権力に「身を賭して」まつろわなかった一学徒兵の魂が残さなければならなかった記録だとぼくには思われました。「小さな抵抗」と渡部さんはいわれますが、帝国軍隊には看過しえない存在だった。

 《 一九四四年春私は学徒兵として、大中華民国河北省深県東巍家橋鎮(現在の中国)という小さな屯に派遣された。駐屯部隊の一兵として教育訓練の日々を送っていた。鉛色の空が時に雲を薄くして日が射すかと思わせるような、すっきりしない日和の朝食の刻であった。内務班と呼ばれる兵等の居室で、折畳み式の細長い座卓を並べ、一五名の兵に担当分隊長一人、分隊付上等兵(分隊長の補佐、班付ともいう。自衛隊における士長)一人計一七名が朝食を摂っていた。いただきますという兵等の声が響いて幾許かの時間が経った時である。ばん! と食卓を叩き付けるような音と共に班付が立上がった。兵等は驚き一斉に班付の顔に視線を当てた。兵営内は朝食時間の静寂を刻んでいた。班付が口を開いた 》(渡部良三『歌集 小さな抵抗 殺戮を拒んだ日本兵』初出は94年シャローム図書より刊行)

 《「飯を食い乍らでよいから聞け。分隊長殿に代って伝達する。今日は教官殿の御配慮によりパロの捕虜を殺させてやる。演習で刺突(しとつ)してきた藁人形とは訳が違うから、教官殿の訓示をよく聞き、おたおたしないで刺し殺せ!おどおどして分隊長に恥をかかせたりしない様にな。いいか…」

  驚愕と戸惑いと共に、どうにかならないかという漠然たる観念の堂々めぐりの中で、最も重要な位置を占めていたのは、この殺人演習を拒否すべきかであった。小さい頃から、自分の命も他人のそれと同等に置けない人間は、神の教えに背く者だと躾られてきたことに思いを致せば、当然、聖書の〝汝殺す勿れ〟をあげる迄もなく、答えは拒否の一事しかないのに、自分がどうしたたらよいのかなどと考える事自体異状であった。故郷を後にする時、山形の小さな旅館で、何時間かを過したあの日、父から与えられた言葉「…お前はこれから戦争に征くが、私の知っている限り日本の軍隊はお前のその冷めた眼を容れる事はないだろう。…今別れて戦地に行ってしまえば、父親として何もしてやれない。一言の助言もできない。それが切ない。しかし良三、どうか神に向って眼を開いていて呉れ」

 「最近内村鑑三先生の聖書の研究を読んでいたら、こう言う事が書かれていました。〝事に当たり自分が判断に苦しむ事になったら、自分の心を粉飾するな、一切の虚飾を排して唯只管に祈れ。神は必ず天からみ声を聞かせてくれる〟と。だから心を粉飾することなく祈りに依って神様のみ声を聞くべく努めなさい。お前の言葉でよいのだ。言葉など拙くてもよい」》(同上)

 「殺す勿れ」そのみおしえをしかと踏み御旨に寄らむ惑うことなく  

 天皇はいかな理(わり)もてたれたもう人殺すことかくもたやすく 

 「捕虜殺し拒める奴はいずれなる」週番士官は興のあり気に 

 「渡部二等兵一歩前へ!」の号令に週番士官確かめ終えつ

《 私は戦場から生還し五〇年近い年月を経た時に故あって、有名な歴史学者でかつて大学教授だった方と…戦場における色々な行動について議論したことがありました。その方は「戦場において英雄的行動は期待効果が薄い(中略)虐殺拒否をする前に何故徴兵拒否をしなかったのか」と多分に批難をこめたと思われる調子の質問を受けました。

 この一言をきいた時、世の人々は虐殺拒否を英雄的行動と認(み)るのかと、むしろ愕然としました。当時反体制の立場に立つことによってうける迫害はこの平和の時代に在ってはとうてい想像出来ない恐怖であったが、その立場に立つ事が、英雄的などと誰が念頭におき、行動するでしょうか。    

 兵役拒否をしようと…、海外逃亡をしようとも、日本人である限りその歴史(的)責任から逃れることは出来ません。謂うなれば「天皇の赤子」(せきし)と持ち上げられ、天皇の名において侵略し戦争し略奪し強姦し火付けし無差別殺人をした将兵とどれだけのちがいがあろうか。外の目には五十歩百歩と映るでしょう 》

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●〈鳴りとよむ大いなる者の声きこゆ 「虐殺こばめ生命を賭よ」〉―― アジア太平洋戦争末期,中国戦線で中国人捕虜虐殺の軍命を拒否した陸軍二等兵の著者は,戦場の日常と軍隊の実像を約700首の歌に詠み,密かに日本に持ち帰った.この歌集こそ戦争とは何かを描く現代史の証言であり,キリスト者による希有な抗いの記録である.(同書解説=今野日出晴)

■編集部からのメッセージ 本書は,日本陸軍の兵士として中国戦線を二年間従軍しながら,人を殺すことを拒み続けた一人のキリスト者が,兵士として戦場の日々を詠んだ約700首,戦場に行く以前と復員後に詠んだ歌も含めると924首が収録された歌集です.戦地の厳しい監視のなかで密かに詠まれ,記された短歌を巧みに祖国に持ち帰った著者は,国家公務員を定年退職後に本格的に歌集の編集に従事して敗戦後約50年も経ってから歌集として刊行しました(シャローム出版,1994年).

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 渡部(わたべ)さんの書を、ぼくは戦慄を覚えながら読んだ。その当時の心境をいまでも鮮烈に記憶にとどめています。この歌集本が出版されるについても、つらい体験が裏打ちされていました。「人を殺さない」という一念が、一兵士をどんなに残酷は国家の仕打ち(虐待)に耐えさせたか。民が困っているから、急場しのぎに「給付金」などとお為ごかしをするのも国家の姿ですが、死なないように「殺す一歩手前のいたぶり」「寸止めの殺害」を犯し、いのちを「蹂躙する」のも国家です。それを「人民の同士討ち」でやらせるという無体・卑怯千万の振舞い。「美しい国」などというのはありえないし、それを「国家の本性」などと糊塗するのは虚人の本性でしょう。人民のいのちを歯牙にもかけていない、それこそが「国体の本義」なんだぞ。

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A man is arrested after driving …

A tanker truck drives toward thousands of protesters on a Minnesota highway on Sunday.Credit...Eric Miller/Reuters 
 
A tanker truck barreled through thousands of protesters  in Minneapolis on Sunday afternoon, coming to a stop as the crowd parted to avoid getting hit.The Minnesota Department of Public Safety said that no one had been struck by the truck, although some protesters told local media that they had seen people with injuries. The police said the driver was “inciting” the peaceful protesters, and that he had been arrested and treated at a hospital for non-life threatening injuries(N.Y.T. Published May 31, 2020 Updated June 1, 2020)
A crowd protests in Times Square on Sunday, in New York.Credit...Chang W. Lee/The New York Times

Could protesting spread coronavirus? Officials are worried.
Mass protests that have brought thousands of people out of their homes and onto the streets in cities across America are raising the specter of new coronavirus outbreaks, prompting political leaders, physicians and public health experts to warn that the crowds could cause a surge in cases.
 More than 100,000 Americans have already died of Covid-19, the disease caused by the new coronavirus. People of color have been particularly hard hit, with rates of hospitalizations and deaths among black Americans far exceeding those of whites(Same as above)

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 全米の数十か所で黒人暴行死への「抗議活動」が発生しています。多くの都市では「夜間外出禁止令」も出されています。警察とデモ隊の衝突も生じています。さらには、軍隊の派遣も進められています。暴力の連鎖というべきなのか、あるいは…。デモ隊に突進するタンクローリー。運転手はデモ隊に引きずり出されたが、けが人はいなかったという。抗議する側の多くはマスクをしておらず、コロナ感染の危険性が憂慮されている。

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 米中西部ミネソタ州ミネアポリス近郊で黒人男性が白人警官から首を圧迫され死亡した事件への抗議活動は5月31日、全米数十の都市に広がり、各地で暴徒化したデモ隊と警察が衝突した。ホワイトハウス前で撮影(2020年06月01日 ロイター/Jim Bourg)

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 地下深くに貯蔵されている火山のマグマ(magma)のように、何かのきっかけがあれば、いつでもそれは大噴火する。噴火すれば、沈静化させることはできない。この場合のマグマはつねに生み出されている「差別と偏見」だろう。あからさまな人種差別に多くの人は耐え忍んでいるのだ。いちいち抗議していても「拉致は開かない」と考えているのか。あるいは「今に見ていろ」と腹を決めているのか。直接自分は差別されていなくても「差別の理不尽さ」に怒りを覚える人はいくらでもいます。ぼくは現下の「権力が行使した一連の暴力沙汰」を対岸の火事とは見ない。この島においても、いつでも「権力の暴走」は起こりうるし、それが暴力を伴うのは必然でもあると思う。なぜかかる事態が起こるのか。まずは、政治の問題だ。「香港も燃えて」います。

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