指導力不足というレッテルの効用?

 理不尽な教育行政を強引に実施した「都」知事。任期が終われば、また別の場面で悪さをするのかもしれない。「悪」の種は尽きない。己の力を誇示するために何でも使うのだ。でも乱され続けた学校の「現場」は一朝一夕では回復不能な事態に陥ってしまいます。そのために人生を狂わされてしまう教員も続出します。ぼくの友人も、その不誠実な行政の犠牲者になった。(蛇足 石川一夫さんも同時受賞されましたが、この直後にぼくは二度ばかり石川さんにお会いし、ゆっくりとお話を伺うことができました。いずれ機会を見つけて、その際の話をふくめて記述してみます。)記事の掲載は中日新聞。

 家庭科の履修内容は、社会科に匹敵するほどに、政府の姿勢が色濃く反映されます。市議会で私を批判したある議員は、「家庭科は料理・裁縫・家事・育児だ」と言い、「家庭科の時間に、全く別な裁判の事例とか・・・かけ離れた教材を使っているということが通常の家庭科から逸脱している」(01年3月16日、多摩市議会)(根津公子『希望は生徒』影書房)

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 君が代不起立で停職6カ月処分 東京都教委

 東京都教委は31日、卒業式で君が代斉唱時に不起立だったなどとして、都立養護学校の根津公子教諭(57)を停職6カ月の処分にした。同教諭は昨春に9回目の処分(停職6カ月)を受けており、免職の可能性も取りざたされていた。同教諭は処分を不服として都人事委員会に審査請求する。

 都教委によると同教諭は24日の卒業式で、校長の命令に反して君が代斉唱時に座り続けた。昨年10月には、君が代に反対するトレーナーを校内で着用し、校長の指示に反して着続けたという。(朝日新聞・08-03-31)  

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 《 私が初めて処分を受けたのは一九九四年三月、八王子市立石川中学校での九三年度卒 業式でのことで。「卒業式では『日の丸』を揚げない」とした職員会議の決定と、また「校長先生、『日の丸』を揚げないで!」という多くの生徒たちの声を無視して、卒業 式の朝、校長が揚げた「日の丸」を、私が下ろしたことによって処分を受けたのです》 (根津公子・同上)

 卒業式の直前(三月十四日)に校長と話し合う。それ以前の職員会議で「『日の丸』を揚げない」という案は否決(十九対二、保留二)されていました、が校長は「職務の遂行」を主張して、卒業式当時の「掲揚」をしようとしていました(もちろん、そのように教育委員会から強硬にに促されていた)。

 式の開始前にポールに「日の丸」を揚げる。生徒から「根津先生、降ろして」「先生、降ろそうよ」といわれ、「正しいことは一人でも勇気をもってやりなさい」と日頃から子どもに言っている手前、「降ろすしかないね」と行動に出た。

 校長はふたたび、旗を掲げようとする。「大勢の生徒が校長に抗議するなか、それでも校長は「日の丸」を揚げました。その時点で駆けつけた教頭は「揚がった国旗を撮らなくちゃ」と写真に収め、「校長さん、揚げた証拠写真は撮りましたから、もう行きましょうよ」と促した。ふたたび、生徒に乞われて根津は旗を降ろす。

  抗議に出かけた子どもたちとの話し合い?

 Aさん「校長先生には心がないんですか」

 校長、知らんぷり。

 Aさん「なぜ揚げるんですか」

 校長「指導要領にあるからだ。法律で決まっているからだ」

 教頭「だれが扇動したんだね、だれが」

 Aさん「扇動なんてされていない。扇動されて動くようなことはしない」

 Aさん「校長先生はいくら勉強ができても、人の心は持っていないんだ。校長先生が揚げなければ私たちは校長先生を尊敬できたけれど、これじゃできない。校長先生は、生徒に尊敬されたくないんですか」

 校長は答えず、生徒の顔も見ない。机の引き出しの録音テープを確認するばかり。

  Aさん「校長先生は教育委員会がそんなに怖いんですか」

 校長「ああ、怖いよ」

 Aさん「臆病なのか」

 校長「ああ、臆病だよ」(うすら笑いを浮かべて)

 Aさん「じゃあ、校長先生はバカだね。生徒がこんなに訴えているのに、校長先生はずっとへらへらしている。涙も流さない」

 すでに卒業式の開始時刻が過ぎていた。

 「学校長、祝いのことば」(これは秀逸でした)

 「卒業生に二つのことを希望します。その一つは、相手のことを考えて行動してほしい。みんなで決めたことは守りましょう。自分本位ではなく…。他の人のことはどうでもいい、こういう人は反発されます」

 その後、三月二十五日、八王子市教育研究所で事情聴取を受ける。新年度の四月八日、都教委笹塚分室で事情聴取。

 都教委の質問「教育公務員としてあってはならない行為であり、信用を著しく失墜するものである。このことについて、今後どのように責任をとっていくつもりですか」

 根津「教育公務員としてしなくてはならない行為を私はしました。生徒の信用を失墜したのは校長で、私は生徒の信用を得ています。…今まで通り、真理と民主主義を子どもたちと一緒に追求して行きたいと思います」

 処分は四月二十五日に下される。「減給十分の一、一ヶ月」

 翌年三月十八日の卒業式でも、校長は「卒業式では『日の丸・君が代』を実施しない」という職員会議の決定を無視して実施する。

 翌日、担任をしていたクラスの子どもの保護者に宛て「職員会議の決定を踏みにじった校長先生の行為を私は決して忘れはしない」によって八王子市教委から「訓告」の処分。

 九五年度卒業式(九六年三月)前日。何人かの生徒が校長に「『僕たちの卒業式だから校長先生の勝手で「日の丸」を揚げないでほしい』と要請したが、「『君たちの卒業式ではない。日本国の卒業式だ』と言われる。この後、校長は「『日の丸』は揚げない」と。

 九八年三月、授業中に配布したプリントが問題視された。市議会では根津を現場から外すように要請する発言(「指導力に問題がある」「一刻も早く異動させてほしい」「直接、授業に参加できないような形をとっていただきたい」)、これを受けたかのように市教委は「学習指導要領を逸脱している」として、訓告処分(八月)を下す。都教委は「処分するに至らず」としたにもかかわらず。十月には校長の職務命令が出される。  「自作プリントはすべて、少なくとも使用の二日前までに校長に見せ、許可を得る。家庭科の指導内容が把握できるよう、年間指導計画と単元毎の計画を提出する。随時、授業(学活・道徳を含む)を参観させろ」というものだった。「指導力不足教員」のレッテルが貼られるのは時間の問題でした。

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 元教諭の停職処分取り消し 君が代不起立、東京高裁(日経新聞・2020年3月26日 9:54)
東京都立学校の卒業式で、君が代斉唱の際に起立しなかったとして、2009年に停職6カ月の懲戒処分を受けた元教諭の女性2人が処分取り消しを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は26日までに、1人だけ処分を取り消した一審東京地裁判決を変更し、もう1人の処分も取り消した。賠償請求は一審同様に退けた。/ 一審判決は、2人のうち1人については、過去に懲戒処分の対象となった行為も踏まえたもので、相当だとして、処分取り消しを認めなかった。高裁の小川秀樹裁判長は、停職6カ月は免職に次ぐ重い処分で、慎重な検討が必要だと指摘。「積極的な式典の妨害行為ではなく、起立しなかったという消極的行為だ」とした上で、過去の行為は既に処分されていることも踏まえて「今回の処分は妥当性を欠き、裁量権を逸脱したもので違法だ」とした。/控訴審で処分取り消しとなった元教諭の根津公子さん(69)は記者会見し「信じられない、うれしい判決だ」と話した。〔共同〕

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言論の自由が社会の基本

監督・撮影・編集: 土井敏邦  編集協力: らくだスタジオ・森内康弘  デザイン: 野田雅也  製作: 『«私»を生きる』制作実行委員会  配給・宣伝: 浦安ドキュメンタリーオフィス、スリーピン  日本/2010年/日本語/カラー/デジタル/138分 (この記録は一見の価値があります。ぼくがいう「非教育あるいは反教育」というものが、堂々と、しかし実に忌々しくも学校教育の現場で罷り通っているか、にもかかわらず「個を突き出してゆく」存在の気高さともいうべきものが胸にこたえるのです。抗うという生き方、不服従という姿勢、それが持っている意味を教えてくれる)

 明治に教育制度が創設されて以来、この列島にみられる教師たちの苦闘・苦悶には同情を禁じえないのですが、その何割かはみずから招いた部分が少なからずあると思われる部分もありそうです。でもその多くは、教育を管理し、みずからの手に掌握しようとする「小悪役人」たちの陰謀にあるのではなかったか。不幸なことに、学校教育の歴史は明るいものではありませんでした。いまは、わずかでも明るさがもたらされているのでしょうか。

 さらにいえば、まともに子どもに向き合い、彼や彼女のうちに「批判精神」を育てようとすると、きっと大きな壁に突き当たる、蹴飛ばされる。いわゆる「バカの壁」です。この「壁」は壊されることはあっても、無尽蔵です。まるで不死鳥のごとく、雨後の竹の子のごとく蘇り、一段と高みに立って、瀕死の教師たちを貶(さげす)み罵(ののし)る、そんな風景が連綿とつづいています。教育を管理の対象にしかしない過去官僚たちの生息。

 でも、考えてみてほしい。現状のおかしさに「異議」を唱えれば、現状を采配している輩の抵抗を受ける、これは当然のことで、「異物」を容認するほど、現状肯定派・現状追認派の度量は広くないからです。

 おかしいことはおかしいというちからを失えば、何者かの軍門に下るほかありません。ぼくは幼いころ(今も幼いが)、おのずから「服従」とは美しくないという、まあ一種の美学を学んだ。自分で決めて(判断して)、行動する。脚気はいい時も悪い時もありました。間違えは潔く認める(格好よく言えば)。反対に「不服従」の難しさというか、ちょっと「あかんかな」と思いながら、従わないことが多くありました。そこから、素直よりは正直を重く見たいという生活態度をつくろうとしてきたんですね。「私」を生きる、それもがんじがらめの組織の中では、自分がはじき出される道しか残されていないのに、その道を歩こうとされた三人の教師。ぼくは万感の思いで「敬意」を表するのはその部分です。貴重な存在です。

 芦田恵之助さんじゃないけれど、易行道(いぎょうどう)ではなく、難行同(なんぎょうどう)をとる。(この記録映像ではっきりとわかりますが、その「道」はたった一人ではないのですね。そこに大きな救いがあるのでしょう)かかる抗う人生を生きる教師は、この三人に見られるように、いつどこにでも存在します。その存在を消そうとする勢力との戦い・闘いが、実は教師の、もう一つの仕事でもあるのです。手には武器はないし、法律も味方してくれない、ひたすら「アカンものは、アカンのや」という抗いの精神だけです。でも、悲壮感を持つ必要はない。援軍はすぐにはみえないけど、五万といるのだから。この「いいね!」はアイコンなんかじゃやないんだ。心身ぐるみでの援軍、それが救いです。

(今回は土肥さんに登場願いますが、残るお二人にもいつかは、と考えているのです)

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《 私は一九七二年に大学を卒業し、商社に勤めました。商社は利潤のためなら手段を選ばないというところもあり、私の考えとは違うと感じました。利潤追求を第一とせず、また将来の日本にとって大切なものを、と考えて、教員の道を選びました。

 教員を経験してみると、自分と関わった子どもはすべて幸せになってほしいと感じます。子どもの中には、勉強の得意な子、あるいは勉強は苦手だけど運動が得意な子など、色々なタイプがいます。

 色々な性質の子どもが幸せになるためには、平和な社会でなければなりません。同時に、一人一人の違いが権利として尊重される、基本的人権の尊重も必要です。

 こうした社会は、民主主義があってこそ成立するものです。その民主主義を活性化させ、支えるためには、一人一人が自由に発言できる言論の自由が大前提であると考えています。言論の自由が社会の基本であり、それがない組織は必ず衰退していきます。

 かつては、教員の間でも活発に意見のやりとりがありました。私の経験でも、生徒の進級問題などをめぐって、夜八時ぐらいまで職員会議で議論したこともあります。

 ところが、二〇〇六年、都教委は、職員会議で教員の意向を確認するために挙手や採決をしてはいけないという通知を出したのです。それ以前に、二〇〇三年に、入学式や卒業式での「日の丸・君が代」の厳格化を求める、いわゆる「一〇・二三通達」を都教委が出したころから、教員の間で自由に意見を言い合う雰囲気がなくなっていきました。挙手採決の禁止は、その流れにさらに追い打ちをかけるようなものでした。私は、こうした流れは非常に危険だと思いました。

  そして、実際に、都教委による様々な言論弾圧がなされるようになりました。都立高校の教員による研究会で、かつて都教委と違う考え方の論文を発表した教員が報告をしようとしたところ、都教委の意向によって交代させられたり、ある学校の文化祭で生徒がつくった掲示物に対して、「考え方が一方的だ」として、都教委が校長連絡会に注意を促したり、などです。

 都教委は、学校に対する権限と責任は、教員ではなく、校長にあるとしています。ところが、私自身が校長として自ら責任をもって職務命令を出しても、それが都教委の意に反していると、都教委は厳しく指導してきます。こうしたことが認められてしまうと、教育現場に行政がどんどん入ってきてしまう。教育に言論の自由がなくなったら、とても危険ですし、子どもたちが幸せな社会は築けないと思ったのです。そのことについて問題提起をする意味でも、都教委に公開討論を求め、さらにその後は訴訟も起こしました》

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 このように率直かつ静かに語るのは土肥信雄(どひのぶお)さん。

 東京都立三鷹高校の元校長。現在、法政大学、立正大学非常勤講師。一九四八年生まれ。東京大学農学部を卒業後、商社勤務を経て、教員に。著書に『学校から言論の自由がなくなる』(岩波ブックレット、共著)、『それは、密告からはじまった』(七ツ森書房)など。(『世界』12年5月号所収の、対談「学校を死なせないために 子どもを中心に再出発しよう!」より。対談の相手は、誰あろう、尾木ママです)

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 「荒廃の極」といっていい状況にまで教育現場を「毀損した」というほかない都知事が辞めて、国会議員になり、新党を旗揚げするそうです。大衆迎合主義者であると同時に、大衆を軽侮するという不誠実この上ない「知事」に圧倒的多数が支持するという奇天烈な状況は、島の大都会で今なお進行中です。

 ぼくはつくづく考え込んでいるのです。どうしてかしこいい選挙民が育たないのか、と。

 この土肥さんの発言がなされた当時、大衆(国民・都民)を愚弄しきった「I都知事」の言動に対して、愚かにも従順を装ってしっぽを振るような都教委や多くの管理職者たちを眺めていて胸糞が悪くなるのをどうすることもできませんでした。「一将巧なり、万骨枯る」という言い草がありますが、巧もまた枯れるのが運命です。なんでまた、誰も彼も「権勢」を誇ろうとするんですか。「お前にはわからんよ」という声(罵り)が聞こえてきます。「バカの壁」はどこにでも存在します。

 土肥さんの発言と行動にいささかの衒いも偏りもないのに、「小悪役人」たちは押しつぶそうとする。今でいうところの「忖度」だろうか。でも、違うようです。彼らも「I知事」を尊敬などしていなかったのです。要は「わが身可愛さ」というわけでしょう。利己主義者が蔓延しているのです。職階を武器に無理強いする、これが暴力でなくて、なにが暴力かと、果敢に挑戦を止めない元校長の生き方に、自らを重ねてみます。

 裁判の経過等の詳細については次のURLで。(https://readyfor.jp/projects/dohikouchou-saibankiroku)

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単純さを支える思想を

 一家4人を殺害し、強盗殺人罪などで死刑が確定した元専門学校生魏巍死刑囚の刑執行について、記者会見する森法相=19年12月26日午前、法務省 写真提供:共同通信社(本文とは直接の関係はありません)(虚言癖大臣が「死刑執行」に署名するのですね。「機械的に」署名し、さっさっとやっちゃえばいい、といった大臣もいました。

 死刑反対も初め信念以外なんもないから、「そんなことしたら犯罪が増える。やられてからでは遅いんや」とか、「あんた自分の恋人が殺されても死刑反対か」とか、「子どもを誘拐して殺すような、そんなひどいやつに対しても許せとゆうんか」とか、「強姦殺人だけは人がなんと言おうと許せん。お上に頼むのかと言われようと死刑にでもなんにでもしてやっつけなかったら女はいつでもやられっぱなしや」というような圧倒的な声の前で、わたしの単純素朴な死刑反対ではぜんぜん歯が立たへん、まるで説得力がないわけや。信念というのは自分に対してはつよいけど、それだけやから、なんちゅうか、おもろないねんな。

 米子の街に一人で立ってからやっと二十年もたつんやけど、初めの十年というのは、運動いうんは、わたしにとってしんどいばっかりでいつも逃げ出したい感じやった。おまじないみたいに、それも白眼むいて非暴力非暴力って唱えてるみたいな。そやから、運動っていうかんじではないんやけど。

 いつか鶴見さんが恥はこってりかきなさいって、だれかに言うてはって、・・・。街で一人で立ってるといろんなこと言われるんですよ。「そんな、なんも知らんでようそんなことするなあ、もっと勉強せなアカンわ」とか、もろに「バカじゃないの」って言われたこともある。そんなときは、鶴見さんの「恥はこってりかきなさい」っていうことばを思い出すんや。でも、まあ、それでもなんとかやめないで、ちょっとずつでも動きつづけてたら、少しずつ世の中が見えるようになってきて、少しは理屈もわかるようになってきた。

 あの、わたしいま、『非暴力直接行動』という機関誌を毎月出しているんやけど、その一四二号に「なんで死刑廃止か」っていう文章を書いたんです。わたしなりにだいぶいろいろ言えるようになったというわけやけど・・・。しかし、でも、やっぱりこの文章が、死刑はいるんだと思ってる人に説得力があるとは思えない。

 鶴見さんの書かれた『家の神』(淡交社)っていうほんのなかに、ペーター・キュルテンていう人が出てきますね。その人は一二歳のときに二人の少年を川におぼれさして殺してから四十八歳でギロチンによって殺されるまでのあいだに、実に殺人を十二件、殺人未遂が十七件、放火二十三件やった人なんです。ギロチンになる前に彼を調べた心理学者がいるんやけど、その心理学者に記録係として女の人がいつもいっしょにきてたんですね。ペーター・キュルテンはその女の人の白いうなじを見ると、やっぱりいまでも殺したいっていう衝動がどうしても自分のなかにあるっていうことを隠さずに語ってるんです。付随筋として手が動いてしまうとゆうんです。もし万一保釈されて外に出られたとしたら、またやっぱりやってしまうだろうって。

 ペーター・キュルテンみたいな人はめったにいるわけはないんやけど、そういう事件に対したとき、きっと呼びおこされるのが死刑制度っていうことなんだと思うんです。こういう現実がある以上、死刑はやむをえないんじゃないか。死刑制度はそういう犯罪を未然に抑止する力があるっていうふうになかば信じられている。だから、いったん死刑制度に反対やと言いながら、この種の具体的なそのときどきの事件を目の当たりしたら、たとえば、「死刑制度には反対なんやけど、やっぱりこの人たちは爆弾で人を八人も殺しているし、ちょっと署名はでけへん」とか、「そりゃ死刑がないほうがええかもわかれへんけど、何の罪もない女子学生を誘拐して殺された家族の気持ちを思ったら、ちょっとね」という現象が出てくると思うんですね。

 それから、「死刑制度についてあんまり勉強してないから、まだちょっとよう言わん」という人にもちょくちょく出会うんやけども、わたしの場合、非暴力にしても戦争反対にしても死刑反対にしても、いろいろよく考えて、よく勉強して、その上で得た結論ではないんですね。戦争にしても死刑にしても、国家がわたしらにしかけてくるもんなわけでしょ。これに対して自分のとる態度っていうのは、まず基本的に反対っていう以外にないと思うねん。

 いまいろいろ世の中で問題になってるたいがいのことは…原発だって新空港だって何だって、国家や大企業がしかけてきてるわけやから、…。だから、まず反対といってから考えたって遅くはない。

 反対、反対ばっかり言わんと、代案を出さなあかんとよう言われるけど、代案がなくても、仮に、もし死刑をなくしたら犯罪が増えるとしても、反対は反対だというのがわたしの根本なんです。

 でも運動をつくってゆくときに、この「反対は反対や」ていう単純さを支える思想っていうか、そういうもんがわたしは欲しいと思うんですね。(水田ふう・鶴見俊輔対談「死刑反対をめぐって」鶴見俊輔座談『社会とは何だろう』所収。晶文社刊。1996年)

*水田ふう=個人通信「風」発行人。一九四七年、鳥取県米子市生まれ。たった一人でベトナム反戦ビラを米子市街でまく。その後「米子ベ平連」を組織。原発反対運動にもコミットしている。向井 孝と共著で『エェジャナイカ、花のゲリラ戦記』径書房刊、1989年)など。(写真右が水田さん)

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 十年ほど前だったか、鎌田慧さんの紹介で水田ふうさんに連絡を取ったことがありました。ゆっくりとお話を伺うことができたらと願ったからです。残念ながら、ご本人だったと思いますが、「ただいま、病臥中」とのことで、断念しました。その後、機会をみつけてと考えながら、とうとうそのままにしてしまいました。詳細は不明ですが、今年(20年)の2月に亡くなられたという報道がありました。特異な運動を、パートナーの向井孝さんと続けられていました。ぼくが興味を持ったのは、上に紹介した「死刑反対」運動の姿勢・態度(アナーキ―そのもののような)でした。今後も学び続けていく必要があると考えているのです。

 「もし死刑をなくしたら犯罪が増えるとしても、反対は反対だというのがわたしの根本なんです」

安倍首相と法相が オウム死刑執行前夜の“乾杯”に批判噴出:日刊ゲンダイデジタル・2018/07/07 15:00(死刑前夜に酒宴(片山さつき議員のツイッターから))「正気なのか――。オウム真理教の教祖・麻原彰晃死刑囚ら7人の死刑が執行される前日の5日夜、安倍首相が、執行を命令した上川陽子法相らと共に赤ら顔で乾杯していたことが発覚した。ネット上で批判が噴出している。安倍首相は同日夜、東京・赤坂の議員宿舎で開かれた自民党議員との懇親会に出席。上川法相や岸田文雄政調会長ら40人超と親睦を深めた」昨年の同会は、房総半島を風水害が襲った当夜でした。拙宅も停電、断水、さらには道路陥没と「いい目」に遭いました。心底から、人命を「舐め切っている」塵どもだ。オウムだから構わない、そうじゃないからダメというのも嘘ですね。

 「殺人はよくない」というのに、なにか理屈がいりますか。説明がうまいから(説得されたから)、「死刑はダメ」というのはまずいんじゃないですか。ダメなものはダメ、これで何か不足があるのかどうか。水田さんの「(死刑などは)国家がわたしらにしかけてくるもんなわけでしょ。これに対して自分のとる態度っていうのは、まず基本的に反対っていう以外にないと思うねん」という単純明快な思想。これは立派な思想だと、ぼくは考えています。今の法務大臣、いったいどれだけ嘘やごまかしで権力にまとわりついていることか、そいつが「君の死刑を執行する」とは、とても認められません。もちろん、誰が法務大臣であっても、だめですよ。

*ペーター・キュルテン(Peter Kürten, 1883年5月26日-1932年7月2日)はドイツの連続殺人犯。デュッセルドルフの吸血鬼 (ドイツ語: Der Vampir von Düsseldorf) という異名を持つ。強姦、暴行、殺人を行い、1929年1月から11月までのデュッセルドルフの凶行で有名。名前を英語読みし、ピーター・キュルテン(ピーター・カーテン)とも言われる。近代シリアルキラーの原点の一つとして語られる。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 )

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弁護士が何の役に立つというのだ?

 《 弁護士というものは、いったい何の役に立つのだろう。「この弁護士には才能がある」と人が言うとき、それは何を意味しているのだろうか。役割をうまく果たすこと、素晴らしい文句をつむぎだし、聞いている人の胸に気高い感情を呼び起こし、自分の真心、良心、豊かな感受性を再確認させて心地よい感情を味わわせることなのだろうか。弁護士は弁論が終わると賞賛を浴びながら法廷のベンチに戻る。〈そのとき弁護士は、彼が弁護している人間のために、実際には何をしたというのだろう。〉仕事を終えた弁護士はこんなふうに言いたくなる。あらゆる手は尽くした、結果がどう出ようがもう自分には関係ない、勝って賞賛を受けるとき以外は、と。そこに罠がある。その罠は巧妙で、弁護士はその罠にあっさりとかかってしまう。彼の良心は痛まない、求刑するのではなく、裁くのでもない。決めるわけでもない、いつも法廷の柵のいいほうの側にいる弁護士の良心は 》(ロベール・バダンテール 『死刑執行』藤真利子訳、新潮社。1996)

 ミッテラン大統領の時代に法務大臣として「死刑廃止」(1981)をなしとげたバダンテール氏。原著は1973年刊。殺人事件の犯人とされ、陪審員の評決では無罪とされたが、「情状酌量の余地なし(多数決)」と死刑を宣告された依頼人。「ボンタンが死刑を宣告されるのを防げなかった。弁護士が何の役に立つというのだ?」と、彼は「死刑制度」に決着をつける覚悟を固めるようになります。

「罪人はいない。告発されたものがいるだけだ」(同上)この言葉は、いろいろに理解することができます。裁判制度を考える手がかりとして吟味してみなければならないでしょう。

 国家試験のなかでも合格するのが最も困難なものの一つが司法試験。そこから弁護士や検事や判事が生み出されます。十年ほど前だったかの「司法制度改革」によって、弁護士制度も粗製栽培(養成)の被害を免れませんでした。何人もの弁護士が友人にいますが、さて、弁護士とは、と考えるとなかなか答えを出すのはむずかしそうです。さらに、この島では刑事事件より民事事件を扱う弁護士が圧倒的に多く、おそらく八割を超えているかもしれません。なぜ?

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〇弁護士=当事者その他の関係人の依頼または官公署の委嘱によって、訴訟に関する行為その他一般の法律事務を行うことを職務とする者。一定の資格を持ち、日本弁護士連合会に備えた弁護士名簿に登録されなければならない。(大辞泉)

〇三百代言= 代言人の資格がなくて他人の訴訟や談判などを扱った者。もぐりの代言人。また、弁護士をののしっていう語。 相手を巧みに言いくるめる弁舌。詭弁 (きべん) 。また、それを用いる者。(同上)

〇弁護士記章=ひまわりに天秤ばかり(ひまわりは「自由と正義」、天秤ばかりは「公平と平等」を示すとされる。

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  形のきれはしから              Robert Graves , In Broken Images
 
 彼はすばやい。はっきりした形にたよって、考えてゆくから
 私はのろい。形のきれはしをたどって、考えてゆくから。
 
 彼はにぶくなる。はっきりした形を信じているから。
 私はするどくなる。形のきれはしを信じていないから。
 
 形を信じるゆえに、彼は形によりかかる。
 形をそのまま受けいれない私は、形に我が身をあずけない。
    
   事実にうらぎられるとき、彼は感覚をうたがう。
   事実にうらぎられるとき、私は感覚を受けいれる。
 
 彼ははっきりした形をかかえて、すばやく、そしてにぶくありつづける。
 私は形のきれはしにかこまれて、ゆっくり、そしてするどくありつづける。
 
 彼は、理解のあたらしい混乱のなかに。
 私は、混乱のあたらしい理解のなかに。

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マスク姿のしぐれていくか

 天声人語 私鉄駅のエスカレーターに親子連れがいた。母の尻ポケットからのぞく異物を男児は見逃さなかった。「なんでチャンネル持ってきたの?」。お母さんは「もうやだ。なんでなの」と、リモコンを同伴した己を責めた。誰にでもある「うっかり」の多くは笑い話で済む▼だがそれは、不注意ではなく長い闘いの兆しかもしれない。冷蔵庫に何度も空の食器が入っている――。群馬県議会議員の大沢幸一さん(66)は6年前、妻正子さん(60)の異変を確信した。若年性アルツハイマー病だった▼過日、横浜市であった認知症ケアのシンポジウムで、大沢さんにお会いした。生命倫理学会の公開行事だ。「共倒れにならないよう、妻には笑い薬を与えています」という壇上の発言が心に残った▼寝る前、おどける夫に笑ってくれれば、妻も自分も安眠できる。反応で症状の進行もわかる。そして、怒らない、ダメと言わない、押しつけないの三原則を自らに課す。最愛の人の尊厳、誰が傷つけられようか▼認知症は人格が崩れ、やがては抜け殻になると思われがちだ。しかし、シンポを企画した内科医の箕岡真子さんは語る。「抜け殻論を乗り越え、患者ではなく一人の生活者として接したい。以前とは違うけれど、その人は感じ、欲し、つながっていたいのです」▼人格は失われず、隠されていくと考えたい。情緒はむしろ研ぎ澄まされるとも聞いた。介護の技術に倫理や共感の視点を採り入れることで、本人と家族の「人生の質」を少しでも保てないか。高齢化が問う、重い宿題である。(朝日新聞・09/11/18)

上掲のコラム氏、マスクのことを言っています。昨年12月7日付です。「先見の明」か?

 何度も言いますけれども、ぼくは宅配新聞を読まない。テレビも見ない。じゃあ、日々の出来事を知らないで生きているのか、と問われそうですが、「はいそうです」といっておきます。そんなものを知らないでも困らないのだから。だがしかし、ネットを見る習慣がついているので、なんとなくニュース(新聞というか、伝聞というか)が見えて(聞こえて)くる。それは仕方がないのですが、最近はやたらにテレビと同じもの(内容)がネットに出だしているので、嫌な気分に襲われます。ネットと同時配信(背信)などといわれて、余計なことはしてほしくないと、気分がすこぶる斜めになっています。

 十数年前までは新聞の「コラム」をよく集め・読みました。全国数十の新聞の「コラム」をあつめていたこともあります。「おれの方がいい文章を書くね」とかなんとかいって。  

 ここに出したのも、その一つ。「天声人語」についてもどこかで触れておきました。六百三字の脚本であったり、短編であったり。出来不出来がはなはだしいが、とりあえず、二題。一本目は「笑い話」かと思いきや、「深刻話」に暗転。身につまされてしまいました。十年以上前のものですが、ぼくはそのころもすでに「老人性痴ほう症」に関心を、いや自分のこととして気にしていたのです。歳を取れば、記憶力は衰える。だから「セサミン」だか何だかを飲めと、おのれの金儲け(商売)のために忠告する輩が暗躍明躍(迷惑)する。

 「人生の質」(Quality of Life)とかいうのですが、人それぞれでいいのではないですか。これぞ「人生の質」などというものがあるものか。質にも「是非善悪」があるのは当然で、それを無理に「落とさない」「保つ」というから話は面倒になり、ひたすら医者や薬屋を儲けさせることになる、儲けのあるところには「蛆虫」がたかる、そっちの方が重病だ。若い時に早く走れたのに、歳とってすっかり遅くなったと、そんなのは当たり前です。歳を重ねるというのはスローになることですから。無駄な抵抗はしないこと。

 記憶はなくならない、たっぷりと残っているのです。記憶を呼び起こす部分が故障しただけ。「想起」という思い出し方はいろいろな説があります。ひと言でいう(ことはできないが)なら、「連想」(association)です。結びつけ。( ぼくは若い頃は心理学なんども齧りました。今は刃こぼれが半端時じゃない )この機能が故障しているのですね。名前を思い出せないなどというのは、その典型です。連想の手がかりが失われているから、手がかりの手がかりの、…と際限なく求めるのが面倒だから、記憶にないということになります。どこかで述べるつもりですが、「忘れる」かもしれません。どんなにばかばかしい行動でも、きっと「連想」があります。多くの人にはわからないだけ。赤ちゃんのサインや犬猫の行動が意味するものも、よくつきあっている人には「連想」が働く。プロですね。この人は「何を考えているか」「Youは何しに島にやって来たか」、ゆっくりと連想を働かせること。早わかり(したがる)は禁物です。

 天声人語 ちゃぶ台返し、と聞いて昭和の人気野球漫画「巨人の星」を思い出す方もおられよう。わが世代には懐かしい主人公・星(ほし)飛雄馬(ひゅうま)の父親の「得意技」とされた。ところが原作にはその場面はないという▼一度だけ、主人公を張り倒したはずみでちゃぶ台が転ぶ。テレビアニメで毎週絵が流れ、「常習犯伝説」になったらしいと、前に同僚が書いていた。さて、漫画はともかく、本物の巨人である。「ちゃぶ台返し」がお家騒動の引き金になったようだ▼球団会長の渡辺恒雄(わたなべ・つねお)氏(85)が「鶴の一声」でコーチ人事を覆した、のだという。「一声」には慣れていると思われた身内からの反旗である。渡辺氏は反論の談話を出し、外からは理非は見えにくいが、ごたごたに辟易(へきえき)のファンは多かろう▼しょせんは内輪もめともいえ、世間に訴えた清武英利球団代表には、喝采とともに疑問視する声も飛ぶ。他球団ならここまで話題になるまい。名門に加え、君臨する渡辺氏の個性ゆえである▼大リーグの名門ヤンキースの大スターだったディマジオは言ったそうだ。「(球場で)自分を見るのが最初で最後の人がいる。その人のためにプレーしている」と。テレビのない時代、日々最高のものを見せようと張りつめるプロ魂は気高くさえある▼日本の選手にも同じ魂があろう。そんな選手の一途さにくらべ、澱(よど)んだような内紛劇は見るにつらい。いまや巨人は昭和の栄光から遠い。平成の巨人に「ナベツネ伝説」だけが残るようでは、ファンは寂しい。(朝日・11/11/13)(いまは「ちゃぶ台」にも希少価値があります)

 ぼくは「告発」にも、それに対する「反論」にも興味はありません。野球もテレビも見ないし、新聞も読まない。しかし、野球を食い物にしたり、新聞を自分の日記帳かなにかと錯覚しているのはいかにも許せないし、その醜態は見苦しい。夫婦喧嘩を新聞やテレビで見せられた日にはどうしようといたたまれなくなる。野球に生涯を賭け、新聞人としての矜持を失うまいと日々取材に努め、社会の木鐸(死語になりました)たらんと呻吟しつつ仕事に励んでいる多くの人を知っているからこそ、こんな茶番(ちゃぶ台返しではない)を見せつけられるのははなはだ不愉快になるのです。不愉快はぼく一個の問題ですが、公器のはきちがえだけはゴメン被りたいと思うばかりです。 要は、ちっとは公私の別を弁えてくれませんか、というばかり。ぼくは「寂しくない」、応援団じゃないからね。

 野球も商売ですから、営業妨害はしない。中高校生時代はいっぱしの野球少年でしたが、今ではその記憶すらいまいましいものになりました。(集団競技が性に合わなかったはずなのに)不幸にして、今は「人集まって」が目の敵にされているのですが。

 下の写真 座席(椅子)の間隔が空けられ、マスクを着用して入学式に臨む新入生=2日、四街道市立旭小。「コロナ」にもですが、「学校」にも、うんと気をつけてね。(千葉日報・20/06/03)

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幕切れは突然やって来た(承前)

 《 幕切れは突然やって来た。95年、4回目の面会で拘置所側が「これで最後に」と通告したのだ。彼も言った。「これまでありがとうございました。これが最後です」。そんなことを言うなよ。思わず口をついた。

 原田さんは法務省に死刑の執行停止を求めた。「納得するまで彼と会わせてほしい」

 しかし、01年12月27日、死刑は執行された。

 2日前のクリスマスの日記に彼はこう記した。「今日は3件目のご命日に当たる。取り返しの付かない、惨いことをして貴い命を奪ったことをおわびし、最善を尽くして罪のつぐないをさせて頂くことを誓った」

 教会での通夜。棺に納まった彼を見た原田さんは、たったひとり取り残された気がした 》(同前)

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原田さん写真

 高村法務大臣殿


 名古屋拘置所在監死刑囚 長谷川敏彦
 右の者について、一被害者遺族の立場から上申します。
               被害者遺族・原田正治
 東西文化の交わる愛知県・名古屋市、その名古屋市から南に伸びる知多半島の入り口に私どもの住む東浦町があります。
 思い起こせば十八年前の昭和五十八年一月二十四日未明、事故、いや事件は起きました。   

 場所は京都府相楽郡木津町、私の弟原田明男は長谷川敏彦君(当時は竹内敏彦)経営の運送トラック運転手として雇われていました。この日、関西方面へ仕事で出掛ける途中での出来事です。交通事故に見せかけた保険金搾取の為に私の弟・原田明男は長谷川敏彦君・井田正道君(平成十年執行)・森川健太郎君等の手によって無惨にも殺害されました。その後、長谷川君においては、平成五年の秋、最高裁にて死刑の確定判決を受け現在名古屋拘置所に収監されています。井田君においては二審においてやはり死刑判決を受け、残念ながら死刑執行を受けています。尚、森川君については有期刑を受けています。全世界を見渡せば、死刑と云うものの存在を考え直すと云う時期に来ているのではないでしょうか?
 被害者遺族として彼等に対し望み要求要望する事は決して死刑執行ではなく謝罪、償いだと考えます。生きる存在があるからこそ、そこに謝罪、償う意識が生まれるのではないかと考えています。そして以前には名古屋拘置所の温情ある取り計らいにて接見の場を与えられてはいましたが、現在においてはその事すらなくなりました。
 現在、名古屋拘置所においても、今後、接見交流の場さえ無くなる可能性の者もおります。接見交流の場が与えられると云う事は少なくとも、加害者が被害者に対し謝罪し、償いをする意識を増幅できる場だと思っています。世界の中でも有数の水準を持つ我国日本の権威ある判断に対し反論すべき事ではありませんが、死刑を執行すると云うことの意味を深く再考頂きたく、ここに上申致します。
 私、一被害者遺族としまして加害者に対し必ずしも死刑を望むものではありません。
 加害者を死刑にする事によって、本当に被害者が救われるものなのでしょうか…

 死刑によって何も解決しない、そして何一つ得られるものがないと思っています。
 加害者に確定判決が下ると接見できなくなる現状があるという事、ご存知かと存知上げます。つきましては、加害者・被害者との接見、また、確定囚との接見交流のできる場を希望しております。このような理由から、死刑、接見交流について上申します。

 愛知県知多郡東浦町○○○○
  原田正治 印
  平成十三年四月十八日

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 一番悪いのは、長谷川君や共犯者です。だけどそれだけじゃない。今の社会には「排除の構造」があり、いったん事件が起きると被害者も加害者も社会から排除されてしまう。そういう意味では加害者側の家族や親族も被害者だと思うのです。
 被害者も排除されるというのは理解されにくいかもしれませんね。実際に、親族が殺された人が職を失うこともあります。「殺される理由があったんじゃないか」などと言われたりして居づらくなるのです。悲しんでいれば「いいかげんに気持ちを切り替えろ」と言われるし、笑っていれば「もう忘れたのか」と言われる。被害者も孤立させられるのです。
 だけど死刑制度を支持する人は、「悪いことをしたんだから死刑でいい」「被害者の気持ちを考えれば死刑しかない」と言います。それで被害者の苦しみも解決すると思っている。僕が違うことを感じたり、死刑廃止の運動をすると、「被害者のくせして」「被害者なのに」と非難する人も多いです。被害者はひたすら加害者を憎み続け、死刑を支持し、執行されたら気持ちを切り替えなければいけないのでしょうか。
 僕を非難する人に問いたい。「じゃああなたは僕が困っている時に手を差し伸べてくれましたか」「被害者の気持ちがわかるなら、その人たちのためにできることを考え、奔走しているんですか」と。
 今、いろいろなところで話をさせてもらいます。すると死刑制度を支持しながら、ほとんど知識のない人が少なくありません。最低限の知識と、被害者が置かれている状況や気持ちをある程度は知ったうえで議論してほしいと思います。(2004年11月19日インタビュー)(https://www.jinken.ne.jp/other/harada/harada2_b.html

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 犯罪事件が発生し、警察が捜査・取り調べの結果、容疑者が逮捕される。その段階から被害者や被害者遺族は事件の埒外に放置されます。裁判がいつ開かれるか、法廷の状況、結審の顛末も、事実上、関係者とは無関係に進められていきます。いまでは被害者が裁判に出る(法廷で意見を述べるなど)という段階(被害者参加制度)が踏まれるようになりましたが、実際は「被告」の身柄は国家が拘束してしまいます。「法務大臣あての嘆願書」がいかに扱われたかを見れば、国家が裁くという姿勢は、「被害者・遺族」とは無関係であるという一貫した姿勢をあからさまに見せつけています。「国家が定めた法律に反した犯罪者」を裁くのは権力の行使であり、そこに何の問題があるものか、それが一貫した権力の姿勢です。「権力に盾ついたから、処罰するのだ」というのです。

 「被害者遺族として彼等に対し望み要求要望する事は決して死刑執行ではなく謝罪、償いだと考えます。生きる存在があるからこそ、そこに謝罪、償う意識が生まれるのではないかと考えています」

 極刑を望む被害者・遺族がいることは事実です。しかし、そうではない人もおられます。刑の執行は、もちろん被害者・遺族には知らされません。それを後に知った時、「生きる支えを奪われたように感じた」と語る人もおられました。国家権力の「都合」で裁判は展開されるのです。問題の所在はどこか、簡単ではありませんが、考えつづけなければならないことだけは確かです。

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 余話として 上に示した大山寛人君。彼は著書のタイトル通り『僕の父は母を殺した』という、過酷な人生を歩まされてこられました。詳細は省きますが、この著者ができるきっかけになった出会いがありました。編集者も同席されていました。ぼくの友人だったジャーナリストが大山君の状況を取材していた過程で生じた出会いだったのです。加害者と被害者というとらえ方をして「遺族」を語るとき、大山君は「加害者であり被害者である遺族」という、稀有の立場に置かれたのでした。

 死刑の問題は、「殺されたから、殺して何が悪い」という「道徳感情の」発露を、国家が「法の裁きという名の肩代わり」によって権力を行使する、それで一件落着です。それが「死刑執行」です。私人間の争いから、一瞬のうちに「国家に対する謀反」だから、国家が死刑に処するという状況に転換されていきます。ここに、どうしても納得のいかない深い闇が現れます。「勧善懲悪」という秩序の維持であるなら、なぜ、いくたの脱法者(政治家に多いのはどうしたことか)を国家権力は裁かないのか。それはいかにも恣意であり私意でありすぎます。後を絶たない「冤罪」はどうか。よしんば、法の裁きを認めるとして、どうしてそれは死刑なのか。「国家権力よ、勝手に殺さないでくれ!」という叫びが聞こえますか。