古くて、新しい「偏見と差別」の問題

国連人権勧告を日本政府が受け入れるよう訴え行進する田中宏さん(中央)ら=2019年12月7日、東京・渋谷、筆者(市川速水)撮影 差別なき社会へ 「民族主義者」田中宏の闘い(2019年12月29日) ぼくは若いころに田中さんに出会い、「偏見と差別」問題の核心を教えられた気がしました。八十を過ぎて、なお健在な姿に大いに励まされています。(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019122800007.html

 在日学生差別、入部させず 日大弁論部が活動停止

 日本大学法学部(東京都千代田区)の公認サークル「弁論部」で今春、入部希望者の女子学生(21)が在日韓国人であることを上級生らが問題にし、結果として入部を断っていたことが分かった。大学本部は調査の結果、国籍・民族差別があったと認定。同部は先月末から活動を停止している。

 この女子学生は韓国籍の在日3世で、今春入学。民族差別で入部を断られたとして、先月上旬、同大本部に母親と申し立てをしていた。

 大学が委嘱した弁護士らによる調査などによると、同部幹部の3、4年生3人が女子学生の受け入れを検討する際、「外国人だから付き合い方が分からない。不安だ」「過激な宗教にかかわっていたら怖い」などと議論していた。

 報告を受けた人権侵害防止委員会(委員長=島方洸一副総長)は「重大な国籍・民族差別事件」と認め、先月末、法学部に再発防止などを要請。弁論部アドバイザー(顧問)の2教授と部員3人は女子学生に対し「心痛をおかけしました」と謝罪した。また、同部は当面の活動を自粛する、との届けを出した。

 しかし一方で、3人は関係者の話し合いの場でも「在日であることを理由に断ったわけではない。差別のつもりはなかった」と主張しており、女子学生側は謝罪を受け入れていない。

 女子学生は4月下旬、サークル勧誘期間中に同部の説明会に出席したが、翌日、4年生部員に呼ばれ入部を断られた。希望していた司法試験対策の研究室と「両立は難しい」。さらに「髪(の色)が明るい」という理由だった。ところが、先月上旬になって同部の友人から「先輩たちは『在日韓国人だと文化的に合わない』と言っていた」と聞き、申し立てをした。(石川智也)(朝日新聞・08/07/19 )

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 「在日だから不安」と日大弁論部が入部拒否 大学側が学生に謝罪

 日本大学の在日韓国人3世の女子学生が、「在日だから不安だ」などの理由から法学部公認の弁論部への入部を拒否されたとして、大学側が女子学生側に謝罪していたことが16日、分かった。弁論部は6月下旬に活動を自粛した。

 学部によると、女子学生は今年4月、日大法学部に入学し、弁論部の新入生向けの説明会に参加。女子学生が「自分は在日韓国人だ」と説明すると、説明会後、同サークルの幹部3人が集まり、「在日だから不安だ」「外国人は文化の違いがあり、なじめるかどうか分からない」などと話し合った上で、入部を断ったという。

 女子学生に対しては「司法試験の研究室に入っているため、学業が忙しくなるだろう。部活動がおろそかになる可能性がある」などと説明。その後、6月初旬に別の部員を介して、「在日」が理由の一つだった可能性があることが分かり、女子学生の母親が、同大の人権救済委員会に訴えた。

 3人は「在日だから入会を断ったわけではない」などと弁明したが、大学側は「女子学生を傷つけた」として謝罪。3人も「迷惑をかけた」と女子学生を含む関係者に謝罪した。

 日大の坂田桂三法学部長の話「(弁論部の幹部には)女子学生に対する差別意識はなかったと思うが、傷つけてしまったので学部長名で謝罪した」(産経新聞・08/07/16)

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 (産経記事によると、大学当局者の)「女子学生に対する差別意識はなかったと思う」という説明(弁明)はどういうことでしょうか。「差別意識がなかった」けれども「傷つけたので」謝罪したというのです。差別するつもりはなかったが、傷つけてしまったとは、ようするに「差別行為」そのものだったということにしかならないでしょう。

 「大学本部は調査の結果、国籍・民族差別があったと認定」とは別の記事(朝日)です。一体、大学はこの事件に対していかなる立場にみずからを位置づけようとするのか。部員には差別意識があったから、入部を断ったのであり、そのために当該学生は傷つけられたのだと、なぜはっきりと認めないのか。このような問題が生じる際、もっとも許しがたいのは「当局」の姿勢です。じつは「差別意識」に満たされているのに、「差別は許されない」という態度を表明しますが、また問題が生じるのです。同じことの繰り返し。「従軍慰安婦」問題や「徴用工」問題に関して、目下日韓で問題化されていますが、どこまで行くのでしょうか。終わりがないような気がします。個人や企業や国家は、同じ言い訳。弁解で問題を糊塗しますね。

 偏見と差別について、もっとも質の悪い(自覚がないだけに)のは「自分では偏見などもっていない」と盲信(妄言)しているのに、結果として、あからさまに「差別的な行動」を取ってしまうことです。「偏見」と「差別」は、一面では「姿勢(態度)」と「行動(言動)」と考えてもいいようにぼくには思われます。仮にそれを認めるとすれば、おそらく以下の四種類の(行動)類型が認められそうです。(あくまでも仮説にすぎません」

①偏見を持っているから、当然のように差別的言動をとる

②偏見を持っているが、必ずしも差別的言動をとるとはかぎらない

③偏見を持っていない(と信じている)のに、ときとして差別的言動をとる

④偏見も差別も持っていないから、問題行動をとることはない

 もっとも願わしいのは④でしょう。でもそのような立場の人はきわめてまれだと、ぼくなどには思われます。確信犯とでも言っていいのは①です。「差別結構、文句あるか」という明白な差別主義者です。ぼくは今でもそうですが、かのうなかぎり、②にまで自分を育てたいと念願してきました。今でもそうです。

 上に紹介した今回の事例は、何番目だったのでしょうか。それぞれの当事者は、ていねいに自己の立場を明らかにしてみる必要があります。「自分は差別していない、みんなと同じようにふるまっただけ」という弁解が特によく聞かれます。自分は悪くない、世間が言うとおりにしたのだから、というわけです。「世間」という全体」が「差別的偏見」を持っていることは、残念ですが、往々にしてあることです。(これがもっとも厄介な段階ではないか)

 歴史から学ぶというのは、どのようなことを指しているのでしょうか。「過ちの感覚」(自分がまちがったという記憶を腹中に収めておく)を研ぎ澄ます、それが同じ過ちを繰り返さない(予防する)方法とならないでしょうか。自分にはあずかり知らない「過去の間違い」を、自分自身が侵さないために歴史を学ぶのではありませんか。

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人間が差別を考える

 私が超える

 私はかつて「『差別』の中の起点と視点」というエッセー(平凡社『「在日」のはざまで』所収)に「朝鮮人の主たる命題は、決して差別の論難者的位地位を保持することではない」と書いたことがあります。自らの拠ってきたる歴史の正統性だけを振りかざすのではなく、少なくとも心ある日本人との対話を閉ざすようなことがあってはならない。それが私の素朴な提起でした。こういう私の論点、視座はその後ますます強硬にこそなれ、いまもって少しも揺らいでいません。

 日本人からの差別によって私たちは不幸だという言い分は、私たちの抱える内実との問題とはへだたっている。日本人から被る心ない仕打ちはもちろん向き合うべき問題であるが、よしんば日本人の総懺悔を取りつけたところで、朝鮮人自身の問題は問題として残るのです。私たちは、同族同士でいがみ合って、籠絡し合い、向き合えば歯を剥くようなことを延々やってきた。この実態、この状態こそ同族自らが作りだしている自らの不幸である。日本人の仕打ちなどこれを超える不幸では絶対ないですよ。それは自分で自分を省みるという創造的意識、しなやかな自己省察の核とでもいうべきものが、少なくともいままであったとは思えない。だれかが意見を言うと、「おまえら部外者が何をぬかしやがる」と言う。ことあるごとに朝鮮人の正統性を振りかざす。何かいわれると「日本が悪いんだ、おまえらのせいだ」と。「日帝三十六年」という言葉をぶつけると、相手はもう口をつぐまざるを得ないんです》

 (ヘッダー写真:【特集・人権新時代】西日本新聞・2023/04/23)

 ほっとけ、うるさい

 湊川高校のことでいうと、社会科の教師で認容されて、三年目に朝鮮語の科目を公立高校では全国で初めて正規の授業にしたんですよ。せっかく朝鮮人教員が来たんだから朝鮮語を始めようということになったんですけど、授業にならない学校でしたからね。それはすさまじい学校で。「なんで朝鮮語やらんならんねん」みたいなことで、毎日、体を張ったような授業だった。/ それで何年かやっているうちに、「あの朝鮮人教員、根性あるぜ」みたいなことになってきたんですが、もう名前を出してもいいけど、青木という一見おとなしい生徒、学校と隣り合っている地区の部落の青年でしたが、この生徒は四年間通して腰掛けに横向いて坐って朝鮮語の授業にそっぽを向いている。いくら声をかけても、振り向くこともない。まったくもって無気力の塊みたいな生徒で、ほんまかなわん子やった。何か言うと決まって「ほっとけ、うるさい」とつっぱねる。/ 四年生の卒業年度の三学期はロングホームルームがずうっと続くのよ。そのなかで「湊川に来てどうだったか」という話し合いを延々やるものだから、この生徒もおもいのほか心をうごかしたようにみえた。

 あまりほめられたことじゃないけど、私は期末が来ると、試験範囲をプリントしてあげるんですよ。期末考査の前の最後の授業を終えて廊下へ出ると、青木君が「先生、プリントくれや」とついてくる。前の授業でプリントを配っておったんですが、あの子は何かその日はいなかったんだな。/ そ知らぬ顔をして職員室へ行って引き戸をガラーッと開けた。またも「プリントくれや」と言う。私はぶっきらぼうに「ほっとけ!」と言い放ってそのまま職員室に入ってしまった。青木君はおこったねえ。もう引き戸を蹴破らんばかりに「この先公、殺したら!」「生徒がプリントくれって言うのに、『ほっとけ』とは何じゃーっ」といきり立った。私も向き直って言い放った。「待て、おまえは四年間、『ほっとけ』をわしに何百回言ってきたんじゃ」(笑)。「おれがたったいっぺん言ったら、そんなに気が立つのか」。青木君、へなへなとその場にへたり込んでわんわん泣きだした。「あのな、なんでも『ほっとけ、うるさい』と言っていたのではな、もう人と人の関係はないも同じだ。

 『ほっとけ、うるさい』も三回目、四回目には別の言葉で言うようになれや」「朝鮮語の授業はただ朝鮮語を押しつけているのではない。ひと言の朝鮮語にはどれほどの日本語を私は重ねて伝えてきたか、思いだして欲しいのだ。朝鮮語は役に立たないというけど、日本人がもっとも遠ざけているものに〝朝鮮〟があることを思えば、部落の問題だって同じような憂き目にあっていることが感じられてくるはずだ」と延々二時間余りも話し込んだ。そのあと青木君は、まるで煮抜きの殻がむけるように、ころっと変わった。このゴンタたちとの、今ではもうしっかりした社会人だけど、行き来はいまもつづいています。「超える」というのはそういうことだと思う。つまり青木君が「ほっとけ」という言葉を言わなくなることが部落を超えることだ。逆にいえば、私は私で彼と向き合うことで超える。超えるというのは、そういう思いをもった人の、不断につづく一種の持続力だ》

 人をいじめた心の傷

藤田 いま小学校で、「僕はひとをいじめたことがある」という話をすることがあるんです。「実は小学生のころ、在日韓国人の金成大(ソンデー)を『朝鮮人!』といじめたと言うと、子どもたち、しーんとなる。それでいまから二十年近く前に小学校の同窓会に出たら、彼が「きょうは藤田、言いたいことがある」(笑)。「うわーっ、ごめん」って謝った。謝ったからといって受け入れてくれたかどうかわからん。

 ところが、ある年の同窓会が終わって新幹線で帰ると言ったら、ソンデーがタクシーに乗って「藤田、送ったる」って言うんです。それで京都駅に行くまでの間、じーっと私の右手を握るんです。今年、亡くなったんですけど。私、子どもたちに言うんです。「人をいじめると心に傷が残る、いじめられた人に傷は残るけど、いじめた人間の心にも傷が残るんよ」と。

 子どもたちは絶対忘れない。

藤田 もう一人、いじめた人がいる。中学一年のときだったかな、教室で一切しゃべらない女の子がいたんです。友だちが「おい、藤田、あいつ泣きよるやろか」言うから、「そら泣きよるやろ」言うたら、「泣かしてみい」。それで私は高畑さんの腕をぎゅーっとひねったんです。彼女「うわっー」泣かはった。「泣きよった!」言うて笑うた。それがずうっと忘れられない。

 彼女は同窓会にいつも欠席なんです。ところがある年、「出席」って返事が来た。「これで謝れる」と思ったら、その朝、娘さんから「母は体調を崩しましたので、きょうは欠席します」と言ってきた。だけど、いったん「出席」と返事を下さったんだから、来年は会えると思ったら、翌年、娘さんから「母は亡くなりました」。

 「結局、僕、高畑さんには謝ることができないままにいるんや。キムソンデーには謝ることができた。けど、高畑さんには謝れんかった」と言うと、子どもたちがしっかり聞いてくれる。そのとき思う。ああ、子どもたちが心を開いて、人をいじめるとはどういうことなのか感じとってくれてるなあと。小学校二年生の女の子が「藤田さんは人をいじめると心に傷が残ると言いましたが、本当にそうだと思います」と言ってくれて…。

 藤田先生な、解放運動、人権運動に関わったおかげをこうむってますがな。

藤田 ほんまにそうです。

 そうでなかったら、ピッカピカのかっこういい大学教授で終わったかもしれんな(笑)》

(『論座』〇四年一月号、朝日新聞社)(金時鐘『わが生と詩』所収、岩波書店。〇四年)

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(金時鐘・キムシジョン=一九二九年朝鮮・元山市うまれ。詩人。一九四八年の済州島四・三事件を経て来日。一九五三年に詩誌『ヂンダレ』を創刊。日本語による詩作を中心に、批評などの執筆と講演活動を続ける。著書・共著書に『さらされるものとさらすもの』『「在日」のはざまで』『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか』。詩集に『地平線』『新潟』『猪飼野詩集』『光州事件』『原野の詩』『化石の夏』など。

 藤田敬一・フジタケイイチ=一九三九年京都市生まれ。元岐阜大学教授。月刊誌『こぺる』編集人。学生時代、被差別部落に出掛けて部落問題を学ぶ。中国近代史の教育と研究に携わりつつ、部落問題解決のための取り組みに関わってきた。著書・共著書に『同和はこわい考』『被差別の陰の貌』『「部落民」とは何か』『部落史を読む』など)(前掲『論座』の「紹介」から)

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 「差別」の問題を何十年にわたって考えつづけてきました。ぼくのなかに「差別感情」や「偏見の根っこ」が巣くっていることを隠さないで生きてきたし、だからこそ、「偏見と差別」に齷齪しながら歩いてきたともいえるでしょう。この問題は、考えるだけでは足りない。「私は差別しない」「ぼくには偏見がない」というのは構わないが、残念ながら、ぼくたちの深部に、あるいは遺伝子として「差別する細胞」が存在しているに違いないのです。「いじめ」や「排除」がどんなものであるか、その歴史や意味を知らないいたいけな子どもも立派な差別主義者になることがあります。

 金時鐘さんについてはいうまでもなく、藤田さんからもぼくは大事なことをたくさん学んできました。

 「差別する側に立っている者に、被差別の体験や思いがわかるはずがない」としたら、人間の「個」的な体験、その体験にまつわる思いというのは、伝達不可能になりはしませんか。そうだとすると、いったい人間の「共感」というものはどういうことになるの でしょうか。(中略)

 大切なことは、おたがいに、差異のあることをふまえつつ、重なりあう部分をもとめ、 ギャップ、ズレを少しでも小さくしていく努力だと思うのです」(藤田敬一)

 この問題にかぎらず、人権問題、差別問題に直面して、「差別された者の痛みがおまえにわかるか」「おまえはどうなんだ」という問いかけに正対しながら(ぼくは何度この「ことば」を投げつけられてきたか)、共感するという姿勢を崩さずに、くりかえし対話の試みがなされる必要があることを痛感します。そう、何度でも。これはぼくのささやかな、失敗交じりの経験からの「思い」であり、「願い」でもあるのです。

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正当な武力行使とは言えない

Atlanta Police Chief Resigns After Officer Shoots and Kills Black Man The police chief stepped down less than 24 hours after a police officer shot and killed Rayshard Brooks at a Wendy’s drive-through. The officer was fired.Video appeared to show Mr. Brooks firing a Taser at an officer. Mayor Keisha Lance Bottoms said she did not consider that a justification for shooting him. Sunday, June 14, 2020(NYT)

Family of Atlanta Shooting Victim Disputes Police Account
The Wendy’s where Mr. Brooks was shot has been set on fire by protesters. Here’s the latest.Live41m ago
Protesters confronted police officers outside the Wendy’s restaurant in Atlanta where Rayshard Brooks was shot and killed in the parking lot. Joshua Rashaad McFadden for The New York Times
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米南部ジョージア州アトランタ市で6月12日、黒人男性のレイシャード・ブルックスさんが警察官ともみ合いになり、射殺された。市長は「正当な武力行使とは言えない」と批判し、アトランタ市警のエリカ・シールズ署長の辞任を発表した。
 
ジョージ・フロイドさん死亡事件を受けてBlack Lives Matter(黒人の命は大切だ、黒人の命を守れ)デモが広がる中、警官の対応を非難する声が更に高まっている。(HUFFPOST 2020年06月14日 10時38分)

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 警視庁渋谷署前で再び抗議デモ 職務質問でクルド人男性がけが(20/6/6:毎日新聞)

クルド人男性に対する職務質問を巡り、警視庁の警察官の対応に抗議するデモの参加者ら=東京都渋谷区で2020年6月6日午後3時33分撮影

 《 東京都渋谷区の路上で5月、在日クルド人男性が警視庁の警察官から職務質問を受けた際に首にけがをさせられたとして、抗議するデモが6日、渋谷署周辺であった。外国人を含む数百人が「暴力反対」などと書いたプラカードを掲げた。

 クルド人男性は5月22日午後、車を運転中にパトカーに停車を指示され、職務質問を受けた。正当な理由がないのに地面に倒され、体を押さえつけられたなどと訴えている。同乗の知人が様子を撮影した動画をツイッターに投稿した。デモは警察の対応を非難する人たちが呼び掛け、同月30日にも行われていた。

 一方、警視庁の説明によると、男性はパトカーを速度を上げて追い越し、ウインカーを出さずに車線変更したため、署員が追尾して停車させた。運転免許証の提示を求めたが拒否されて急発進したため、再び追いかけて停車させたとしている。男性は車から降りたが、署員は交通量も多く危険な状況などと判断。その場に座らせようと体を押さえたといい、男性に注意したうえで、帰宅させた。 同庁は「職務質問は適切で、違法な行為があったとは考えていない」としている》

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(「不審者」と目されるひとへの対応について、日米両国にあからさまな違いがあるように思われます。一方は「正当な武力行使とは言えない」といい、他方は「違法行為があったとは考えていない」(「間違ってはいない」と、いかにも独善的ですね)という。かかる彼我の差はどこから生まれるのか。事件の顛末については、今はコメントしません。どちらも、権力を持った側の明確な非違行為だったと思うばかりです)

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忘れられた囚人たち

 「いつの新聞を開いてみても、世界のどこかで誰かが、意見や信仰を政府から認めてもらえないために、投獄され、拷問を受け、処刑されているという記事を目にする……そして読者は、うんざりするような無力感をおぼえる。しかし、人権侵害に対するその嫌悪感を、世界中の人びとがひとつの行動へとつなげることができれば、必ず何らかの効果をもたらすことができるにちがいない….」(ベネンソン『忘れられた囚人たち』より)

「1961年のある朝、英国の弁護士ピーター・ベネンソン(1921-2005)は、一片の新聞記事に目を奪われました。それは、当時軍事政権下にあったポルトガルで、学生二人がカフェで「自由のために!」と乾杯したために逮捕され、7年の刑を受けた、という記事でした。 

 記事は当時、東側、西側そして第三世界の各国で、意見の違いのために獄中にあった人びと6人を取り上げました。軍や警察、国家権力によって自由を奪われ、人びとの記憶から消されてしまう人びと。だがそうした人びとを忘れずに、声を上げ続けていく世界規模の市民運動があれば…..記事は読者たちにそう呼びかけたのです」(アムネスティ・インター・ジャパン)

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Peter Benenson, 83; Founded Amnesty International in 1961(Los Angeles Times)

By MYRNA OLIVERFEB. 27, 200512 AM TIMES STAFF WRITER

Peter Benenson, the British lawyer who founded the human rights organization Amnesty International with his stated goal “to condemn persecution regardless of where it occurs or what are the ideas suppressed,” has died. He was 83.

Benenson died Friday night at John Radcliffe Hospital in Oxford, England, of pneumonia, Amnesty International USA spokesperson Wende Gozan said Saturday. Benenson had been in ill health for several years.

With a social conscience developed in early childhood, he laid the foundation for Amnesty International in 1961 after becoming incensed over an article he read about the imprisonment of two students in Portugal. The youths were sentenced to seven years after their arrest at a Lisbon cafe for drinking a toast to liberation from then-dictator Antonio Salazar.

Benenson set off for the Portuguese Embassy in London to protest, but suddenly decided to get off the subway at Trafalgar Square and went inside the church of St. Martin-in-the-Fields to think.

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● アムネスティ・インターナショナル=各国の政治犯,思想犯など,人権侵害に苦しめられている「良心の囚人」を,イデオロギーにとらわれず国際的に救援することを目的とする組織。政治犯救済国際委員会ともいう。 1961年 10月,ロンドンで発足。本部はロンドン。 56ヵ国に支部があり,5300以上のグループが加盟している。初代議長の S.マクブライドが 74年に個人としてノーベル平和賞を受賞,77年には組織として同賞を与えられた。日本支部は 70年1月に猪俣浩三らによって設立され,73年には関西グループも発足。 2000年には外務省と法務省から社団法人として認可され,国連との協議資格をもつ日本で初の非政府組織 NGOとなった。日本に政治亡命保護法を制定させる運動や在日外国人の権利拡大運動などを行なっている。(ブリタニカ国際大百科事典)

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音楽の教員だからこそ、弾けない

←(東京新聞・2019/3/30)

 いつも讃美歌の流れる教会に生まれ育ち、好きな音楽を教える仕事に憧れた私は、公立小学校の音楽教員になりましたが、当時は「君が代」強制で仕事を辞める心配をするときが来るなど思いもしませんでした。

 きっかけは、1999年の国旗国歌法制定後に初めて迎えた国立市の勤務校の卒業式で、主役である子どもたちに説明なく掲揚された「日の丸」でした。「決して強制はされない」と授業で話した私は、このとき、ピースリボンに似た手作りの「リボン」着用により再度それを伝えようとして、訓告処分を受けました。翌年の卒業式から「君が代」伴奏を拒否して現在までつづいています。2004年、不当な命令や移動、処分などに現れた「日の丸・君が代」の強制を思想・良心・信教・教育の自由を侵すものとし、都と市を相手に提訴しました。(佐藤美和子『私として生きるための自由 「君が代」強制に抵抗して』『信徒の友』2016 2 日本キリスト教団出版局)

「いずれかの国が人道的な労働条件を採用しないことは、自国における労働条件の改善を希望する他の国の障害となる」(ILO憲章)「1946年、ILOは新たに設立された国際連合と協定を結んだ最初の専門機関となり、創立50周年にあたる1969年にはノーベル平和賞を受賞しました」

 前に紹介した根津公子・土肥信雄両氏とともに、『私を生きる』(土井邦弘監督作品)に登場する佐藤さん。およそ二十年にわたる「君が代強制」闘争と裁判は、方法や形態を変えて、いまなお続いています。劣島のあちこちで、行政側による学校教育への不当な支配や介入に発する事案や裁判がくりかえされてきました。ことに東京と大阪においては行政の違反行為が目に余ります。学校教育を我が物顔で差配し、服従しない教員を現場から追放するための非法、抑圧のかぎりをつくしているのだと、ぼくには思われます。

 日の丸・君が代問題の発端は広島県で起こりました。卒業式直前に「日の丸・君が代」をめぐる校長と所属教員との対立が県立世羅高校で生じ、校長が自死するに至った事件でした。(1999年2月28日)その事件を契機にして、「国旗・国歌」法が制定された。詳細は省きますが、それ以前には「国旗・国歌」は法的には認定されていなかった。いわば、長年の慣習によって「日の丸・君が代」がそれである、とされていたといえます。

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 《 キリスト者の音楽教師、佐藤美和子さん(東京都公立小学校教員)が「日の丸」の強制に際してリボンを着けたことに対する処分と、「君が代」の伴奏強要・報復の不当性を訴えた「ピースリボン」裁判で、東京高裁(濱野惺裁判長)は6月28日、控訴を棄却する判決を言い渡した。佐藤さんは、昨年7月26日の地裁判決を受け、「教育の裁判に対して子ども不在の判決は許せない」と控訴していた。控訴人と弁護団は、即日声明を発表し、上告する意向を明らかにした。

 「主文。本件控訴をいずれも棄却する」。満席となった傍聴席に目もくれず退席する裁判官。こわばった表情のまま、佐藤さんはしばらく立ち上がることができなかった。

 判決の理由にはこう記されている。「式典に職務の遂行として参加する以上自己の良心に反することにはならないとして、自らの考え方を表に出すことなく学校の式典に参加することは十分可能」「仮に……卒業式に参加せず、そのことを理由に不利益な処分がされたとすれば、そのときはじめて、当該処分の効力とその者の思想及び良心の自由、信教の自由との関係を検討すべき」。さらに、「国旗の意義については、当該児童生徒が、その後の長い人生を通じて自由かつ独立した人格として成長、発展を遂げ、円熟していく過程の中で、自ら考えてその位置付けをすべき問題」「教育的、後見的配慮が必要であるとまではいい難い」。

 弁護団は、教育現場の実態、「自ら考えてその位置付け」をすることができない状態に陥っていることを無視した不当な事実認定だと指摘。弁護士の中川明さんは、「思想・信条と外部的行為は切り離せるとした判決は、是認し難い法律家の思考方法」と批判。「教師が内心を隠して『世情』に合わせるようにふるまうことを、司法が期待するというのはとんでもない」と怒りをあらわにした。(以下略)》(註 2007年8月最高裁へ上告、11月に上告を棄却された)

●キーワード=ピースリボン裁判=2000年の国立市立国立第2小学校の卒業式で、子どもたちに「日の丸が掲揚されても決して強制はされず、自由です」と伝えるため「ピースリボン」をつけた教員が、「職務専念義務違反」として文書訓告処分を受けたことに対し、原告の思想・良心・信教・教育の自由などを不当に制約するものとして、都や市に損害賠償を求めた裁判。裁判では同時に「君が代」伴奏の強要と弾かないことへの報復の不法性についても争われている。(2007.7.14 キリスト新聞)

 「生活綴方教師」たちの何人かを別の稿で紹介しましたが、戦前戦後・一貫して「行政に逆らう教員」は徹底して「いじめ」に会い、行政によって人生を踏みにじられてきました。文部省や地方教育行政官僚の業務は「組合つぶし」であり、「まつろわない教員排除」でした。それはなさけないことですが、いまもなお継続中です。「子ども」不在の教育行政、今春の「九月入学」問題にもはしなくも表れています。無責任だし、教育に興味のない輩がいっぱしの口を利くのだ。これからもまだまだ、「闘争」「裁判」は起こり続けるでしょう。かくして非教育、反教育の状況は永続するほかないのでしょう。

 国歌の伴奏を弾けばいい、国歌を歌えばばいいじゃないかという意見があるのは当然だし、だからそれを拒否することもあり得ます。なぜ、一つの態度に強制するのか。ひとそれぞれに、さまざまな背景や理由を以て生きている。その事情を一切無視して、日の丸・君が代を強制する根拠はどこにあるのか。「職務命令」の妥当性如何が問われているのです。

 《自分の国を、自分がここに住みなれた故になつかしい郷土として感じる習慣が中心になるように、私たちはなぜ変われないのか。/ 君が代を千年以上も前の詠み人知らずの歌として認め、明治以前の千年のあいだ、別のさまざまの抑揚でうたいつがれてのこっためずらしい歌と感じる道は、どうして今もとざされているのか。別の調子でこの歌をうたうことに、学校はどうして罰をあたえるのか。

 別の形の郷土の歌をいくつもつくり、それらの中から、君が代とならんでうたわれるような歌をえらぶという方向を(そのためにさらに一千年かかるとしても)、どうしてえらぶことができないのか。/ 他の国の国歌がうたわれる時、他の国の国旗がかかげられる時、それに対して敬意を表することは望ましい。だが、国家にたいしてうたがいをもち、今の民族国家のもたらす少数民族圧迫をこえる道を、きりひらく一歩が、一九四五年の日本国敗戦をいとぐちにあらわれたことを、政府も学校もどうしてふたたびかくすのだろうか。そういううたがいが、のこる。そのうたがいは、日本の経済の規模が大きくなって私たちの生活水準があがっていることとひきかえに、消えてなくなるのだろうか》(鶴見俊輔『歴史の話』既出) 

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(同姓同名)

 「君が代」を「公務員だから弾くべき」と言われるなら、日ごろ、子どもたちに「思い切り自分らしさを表現していい」と語ってきた音楽の教員だからこそ、弾けないと答えるでしょう。仮に私が嫌々弾いたなら、その姿に子どもたちは、心から思うことでも曲げて従う方がよいこともある、と学ぶことでしょう。心と体を切り離す強制を、決して行ってはいけないこと。誰にでも自分の考えや行動を選び取る自由があること。「君が代」を弾かない姿を通してそれを伝えることが、強制に苦しめられた公務員である私の役目と思っています。(佐藤・同上)

 多言語社会の方向を進んでいるこの島で、それぞれの事情を委細構わず、「日の丸・君が代」を強制するという大愚は即刻止める必要があるとぼくは考えています。出身国・民族・人種の違いを一切無視して、「歌と旗」の下に「全員一致」を強いるのは狂気に似ています。

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a man who is nothing but a man

 朝日大野球部が活動停止 ホームレス襲撃で部員逮捕(時事ドットコム・2020年04月25日10時56分)
 
 朝日大(岐阜県瑞穂市)は、岐阜市内の路上で3月にホームレスの男性が襲撃され死亡した事件で、硬式野球部員2人が岐阜県警に逮捕されたことを認め、同部を無期限の活動停止とした。同大学が25日までに発表した。藤田明宏監督は大友克之学長に辞任届を提出し、受理された。/ 朝日大によると、県警からの照会はないが、藤田監督や保護者などから情報を集めて部員2人の逮捕を確認。24日付で調査委員会を設置し、懲戒処分を検討する。「亡くなられた男性のご冥福をお祈り申し上げます」と書面で談話を出した。

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 1776年、アメリカ独立宣言(Declaration of Independence)(ジェファーソンの起草)。

《われわれは、つぎの事柄を自明の真理と考える。すべての人々は、平等に創られたものである。すべての人々には、彼らの創造主によって、一定の譲渡すべからざる権利があたえられている。これらの中には、生命、自由および幸福追求の権利がある》

 その後の約百年間、アメリカでは奴隷制がつづきました。それが廃止されたのは南北戦争終了時のこと(1866年、リンカーン大統領時代)。しかし、なおも黒人差別は残り、公民権(civil rights)法が成立したのは、さらに百年後の1964年でした(M.L.キング牧師)。 

 また、男中心社会を根拠とした〈人権〉論に対してフェミニズム(feminism)運動がもっともはげしくおこったのもアメリカでした。このフェミニズム(女権拡張運動)に対して異議を唱え、ウーマニズム(womanism)という言葉を使ったのは黒人作家のAlice Walker(1944-)。今もなお、人種差別が全米の抗議運動の根底をなしています。アメリカはもとより、世界の各地において。差別の重層構造、あるいは差別の万世一系という、抜きがたい偏見と、そこから生み出される排除という暴力が渦まいているのです。アメリカの大統領候補者だった人が「黒人差別はアメリカの文化」といったことがあるほどです。「現大統領」も同じような racist remarks を多発しています。この島にも「ヘイトスピーチ」は「花盛り」です。

 1789年8月、フランス人権宣言。(Déclaration des droits de l‘homme et du citoyen) (第1条:人は出生および生存において自由および平等の権利を有する。第4条:自由とは他の者を害しないすべてのことをなしうることをいう。各人の自然的権利の行使は…)

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 “It seems that a man who is nothing but a man has lost the very qualities which make it possible for others to treat him as a fellow man.”A human being has rights only if he is other than a human being. And if he is to be other than a human being, he must in addition become an other human being. Then “the others”can treat him as their fellow human being. What makes human beings alike is the fact that every human being carries within him the figure of the other. The likeness that they have in common follows from the difference of each from each. (J.-F. Lyotard:The other’s rights)

 フランスの思想家、リオタール(1924-1998)の「人権」に関する講演の最初の部分です。ハナ・アーレントの『全体主義の起源』から引用して、「人間の権利」というものを述べようとしています。(この部分はすでに二度ばかり、別のところで掲載しています)初めの部分をを読んでください。「他者がその人を自分の仲間と認めるようになる、そのような特質を持っていない人間はただの人間でしかない」「人間は、人間以上(other than a human being)になるときだけ、人間なんです」(以下は、別稿で)アーレントがいっていた「人間である」だけでは、仲間として認められないのです。

 「ただの猫」「ただの犬」は「ぼくの猫」「わたしの犬」なんかではない。名前を持ち、素性も知れている「猫以上」「犬以上」の存在なんだというのでしょう。だれからも可愛がられる犬や猫は、種としての犬・猫ではだめなのだということではないか。それとまったくおなじことが「ただの人間」にも当てはめられるのです。「君は何人だ」「あなたは何人種なんですか」と。「ホームレス(homeless」という呼び方は、「人間以上の人間」ではない、「ただの人間」であるという証明ではありませんか。

 われわれは「人権」を天与(天賦)のものとみなすように教えられてきました。どんな人にも生まれながらに「与えられている」し、「だれも奪うことができない」権利、という具合に。「人間が人間として当然に持っている権利。基本的人権。」(大辞林)「人が生まれながらにしてもち,国家権力によっても侵されることのない基本的な諸権利。基本権または単に人権とも」(マイペディア)「自然権」「基本権」さらには、「当然の権利」と口をそろえて、無前提の(無条件の)所与された権利としています。

 いずれの辞書も当然のことですが、同じような説明をしています。なぜでしょうか。だが、われわれの現実生活においてはけっしてそのように「人権」は考えられていない。

 次の言葉を聞かれたことがありますか。Amnesty。ギリシャ語のAmnestos(アムネストス)から由来した言葉。もともとの意味は?(*アムネスティ(amnesty)はギリシア語で「忘れ去る」ことを意味するamnēstiaに由来する欧州諸言語で用いられる語で、 罪人とされた人を許して釈放する、すなわち大赦を意味する)(Wikipedia)

 「話す能力」があるということと「話す権利」をもつということは同じではない。なぜならその権利が奪われることがいつでも起こりえるからです。権利というものは与えられるものじゃなく、勝ち取るもの。「人権は自然権」だといったところで、だれにでも保証されていません。なぜなら、それは自然権なんかではないからです。

 上の引用でリオタールは「the figure of the other」といっています。ぼくたちはいつでも「他者の姿」を持ちながら生きているのです。自らのうちなる「他者の姿」こそ、「人権」を認められうる存在なのです。その姿を消す(消える)というのは、そのひとの「人権」そのものが喪失されることを意味する。

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