
◎ 週の初めに愚考する(九拾肆)~ 天気予報通りに、朝5時半時過ぎから、かなり強い勢いで雨が降り出しました。パソコンを使っている室内は気温が15℃、湿度は63%です。肌寒さを感じるほどで、油断すると風邪を引きそうです。いつも通りに早く起きて、猫たちに食事を与え、外にいる猫にも与え、さてこれからと各紙の「コラム」を読みだしているのです。よほどのニュースでもない限り、何時も各紙のコラムを順繰りに読んでいきます。まったく、興が湧かない日もあれば、どういう風の吹き回しか、いくつも読み応えのあるコラムに出会うこともあります。本日はまさに、そんな日でしたね。だから「雨が降ってきた」ということでしょうか。

(朝5時に、当日の「コラム」が揚げられている新聞は、せいぜいが一紙か二紙。いろいろと「お家の事情」もあるのでしょう。それにしてもフットワークが重いですね、。各社はネット時代の「とばくち」にも立っていないと思う。加えて、ネットのモニター(画面)には、まったくの無秩序状態そのままに、さまざまな「宣伝・広告」が「神出鬼没」と言うのか、「乱暴狼藉」と言うべきか、出鱈目の限りで出放題・出し放題です。日に日を次いで乱脈・乱雑、実に酷くなっています。「広告・宣伝」カットのアプリもお手上げ。さらに最近ではショート動画などに、AI(sora)を使った偽造動画が溢れ出しています。さりげなく流しているものを含めれば、数限りなく、粗悪品が入り混じっているという出鱈目さです。この「無秩序(disorder/confusion/chaos)」を、いったい誰が責任をもって整理・規制するのでしょうか。このいいかげんな状況が続くようなら、今後、ぼくはパソコンを一切使わないことにしようと決めています)
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ぼくは自分では「ノンポリ」だと自認はしているのですが、この国の現状政治に不満がありすぎるのか、いやもっと根本には「政治家」に対する嫌悪すら感じているのでしょうか、ほぼ「政治」の話にかかりきりになっている自分に、何とも言えない驚きと共に、強い「嫌悪感」をもってしまいます。昨夜は米国・ニューヨーク市長に34歳のイスラム教徒で移民者のマンダニ氏が選出されたという報道について、どういう事態が生じているのかという関心をもって、現地(から)の報道を見ていました。移民に対する嫌悪・排除の姿勢を隠さない現大統領の扇動に乗って「移民排斥」「人種差別」「アメリカ第一」を主張する向きがアメリカでも主流だとみられて来ましたが、ここにきて、どうも「潮目」が替わった、こんなひどい大統領の為すがままでいいのかどうかという、選挙民の覚醒が今回のアメリカ第一の市長選挙で生じたのだと、そんな意見が多数でした。「新市長」の存在そのものが、明白なアンチ D.T. となっている。アメリカの政治の現状は、まるで中世の「魔女狩り(witch hunt)」ーーもちろんアメリカには「中世」はないのですから、「移民排除」を「魔女狩り」と位置付けることはできないーーそんな時代錯誤の政治風潮が流れていましたが、この「狂った季節」もようやく曲がり角に来たという感慨を、ぼくは持ちました。

「インド出身の政治学者マフムード・マムダニ教授と映画監督ミラ・ナイル氏を両親に持ち、アフリカのウガンダで生まれ、7歳からニューヨークで育ったマムダニ氏は、民主社会主義者を自称する。選挙戦では、「手が届くこと(affordable)」を中心メッセージに掲げた。そして、高額所得者や企業に新たな税金をかけ、それを原資に社会プログラムを拡充すると公約した。/数カ月前まではほぼ無名のニューヨーク州議会議員だったが、インターネットで選挙運動が盛り上がり、夏の民主党予備選で勝利した。/マムダニ氏の選挙運動は、ドナルド・トランプ大統領を含め、全米から大きな注目を集めてきた。トランプ氏は投票前の数日間、マムダニ氏を共産主義者と呼び、同氏が勝利した場合はニューヨークへの連邦補助金を差し止めると脅した。/トランプ氏は4日夜、共和党候補が敗北したのは連邦政府の一部閉鎖と、自分の名前が投票用紙になかったせいだと、ソーシャルメディアへの投稿で非難した」(BBC NEWS JAPAN・2025/11/05)(https://www.bbc.com/japanese/articles/c4gkwxnvynxo)
翻って、本邦はどうか、と振り返れば、ここはまさに「中世」への逆流現象のような動きが顕著に見られます。それを仮に「バックラッシュ」と評したらどうでしょうか。「1 はね返り。後戻り。揺り戻し。反動。2 政治的・思想的な激しい反発、反感。3 歯車の間のすきま」(デジタル大辞泉)「揺り戻し」とか「反動」という以上は、その「対象」「目標」があるはず。共産主義に対して、いわれなき拒否反応を示す、アメリカ大統領を頭目とする「政治勢力」は「保守反動」と呼ばれます。「共産主義の何が悪い」「社会主義でなぜいけないのか」と言う、まともな自己主張の前で、「保守反動」は何を、どうするのか、そんな問題が起きてきます。「リベラル」に対する「反動」がやたらに目につきますね。「リベラルのどこがアカンちゅうねん」と、言論をもって、腰を据えてま向かう必要があるでしょう。

◎ 「backlash」は「反動」「跳ね返り」や「反発」「反感」という意味の英単語である。ロープなどの物理的な反動だけでなく、政治的・社会的な出来事に対する強い反対も含んでいる。特に近年はSNSの発達やマイノリティの権利向上、人権意識の高まりなどで、後者の意味で使われる場面が増えている。この場合、「reaction(反発)」「counteraction(反動)」「resent(憤慨する)」などに近いニュアンスとなる。機械工学などの分野では「がたつき・きしみ」「緩み・遊び」という意味で使用される。品詞は名詞である。不可算名詞として扱われることが多いが、具体的な事例を説明する場合などは可算名詞として扱われる。(実用日本語表現辞典)

我が社会でも、「男女共同参画」社会、「性別役割分業」の否定、「LBGTQ」の権利の主張、「ジェンダー制度」の是正、「高齢者世代」へ攻撃との排除、「生活保護受給者」への不寛容などなど、あらゆる方面における「政治的平等」の達成、「格差温存」の廃止や是正などが進めば進むほど、実は「バックラッシュ(反動)」が生じるのでしょう。その反動の立場・政治的主張には十分な根拠がないことがしばしばです。「外国人排除」などはその典型。外国人が増えれば「犯罪」が増加するなどと言うのは、俗耳には入りやすいだけに、容易に政治マターとして主張されやすいともいえます。これらの問題の多くは「人権問題」に数えられますし、そのような「人権擁護」「人権尊重」の態度(姿勢)に、なぜだか、快く思わない人々が腐るほどいるということですが、ぼくにはよく理解できない、そんな人々がまき散らす「無知」が蔓延しているのだと思う。適切な表現ではないでしょうが、「明日は我が身」と想像すらできない人が多すぎるということですね。
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以下の【日報抄】の記事を読んでください。ぼくはサンドウィッチマンは知っていますが、この「番組」は見たことはない。コラム氏は言われます。「言葉や表情にわざとらしさがない。果てしなく沈んでいきかねない話題にも淡々とユーモアをまぶした言葉で応じ、笑顔を引き出す。見る側は泣きながら笑ってしまう▼言葉の力を思う」と。何でもない言葉が、思わぬ力を示すことがあります。いつも心することです、言葉は人を励ますこともあれば、傷つけることもある。同じ言葉一つ、使い方を誤れば本来の意味を損ねて、聞く人を悲しませ、苦しませもするのです。ぼくはしばしば「君はホットカーペットみたいだ」と言われたことがあります。もちろん過分の言辞だと受け止めましたが、そのような温かさを失わない「ことば」や「態度」で人と交わりなさいよという、ありがたい忠告だったと、今でも思っている。寒ければ寒いほど、「炬燵(こたつ)」や「ホットカーペット」があれば、ありがたいですね。さらに言うなら、「囲炉裏(いろり)の熾火(おきび)」のような柔らかい暖気(warm air)をなくさないようにしたいですね。
【日報抄】不定期放送なので、視聴するのはいつもたまたま。なのに吸い寄せられるように見ている。NHKのテレビ番組「病院ラジオ」は、お笑いコンビのサンドウィッチマンが各地の病院を訪ねる企画だ。闘病している患者やその家族らの話に耳を傾ける▼好感度を測るビデオリサーチ社のイメージ調査男性部門で、このコンビが大谷翔平選手らを抑えて14連覇していることに納得がいく。深刻で切実な事情を抱える人と向き合うときの距離感に敬服する。東日本大震災の被災地でもそうだった▼言葉や表情にわざとらしさがない。果てしなく沈んでいきかねない話題にも淡々とユーモアをまぶした言葉で応じ、笑顔を引き出す。見る側は泣きながら笑ってしまう▼言葉の力を思う。その影響力にたじろいだのは先日、新潟市で開かれた公的扶助研究全国セミナーでのこと。生活保護受給家庭で育った20代女性が、精神疾患のある母親との2人暮らしを語った▼幼少期からあらゆる辛抱を重ねて母を支えてきたという。ある夜、パニック障害で救急搬送された病院に付き添った。そこで言われた。「もっとお母さんの面倒見てあげなよ」。無理解が胸を刺した。自分の存在を否定された気がした▼かといえば、こんな日も。役所で平静を失った母親が大声を出した。職員が女性にささやいた。「大丈夫だよ。みんな分かってるから。大変だったね」。温かかった。「言葉は人を殺しもするし、人を明るく照らして救いもする」。女性はそう語っていた。(新潟日報・2025/11/09)

深く考えたことはありませんが、なぜかしら何となく好きな言葉がいくつもあります。「惻隠の情(心)」とか「憐憫の情」もそれらの一つです。特に「惻隠の情」については、若い頃に「孟子」に出会って以来、よく考えもしないうちに心にこびりついてしまいました。「中国,儒教の主張の一つ。孟子によれば,人の身体に四つの手足があるように,心のなかにも惻隠(そくいん)(あわれみいたむ心),羞悪(しゆうお)(悪を恥じ憎む心),辞譲(譲りあう心),是非(よしあしを見わける心)の四つが本来的に備わっていて,これら四つの芽生え(四端)を,それぞれ仁,義,礼,智という完全な徳へとたいせつに育てあげねばならないという(《孟子》公孫丑上篇)。朱熹は仁義礼智を〈性〉(本性)とし,〈四端〉とはそれらが〈情〉として外に現れ出た〈緒〉(端緒,いとぐち)だと解釈する(《孟子集注(しつちゆう)》)。…」(世界大百科事典・旧版)
社会の中から、このような「心」「情」というものが失せるとなると、ひとえに他者との競争に走るほかないでしょう。弱肉強食(law of the jungle)、優劣(quality)をめぐる他者との争闘です。今時の社会に、最も欠けているのが、「熾火(おきび)」のような柔らかい暖かさですね。器械に必要な「グリース(grease)」、つまりは潤滑油のようなものです。いまはこの「熾(お)き」はほとんど見られなくなりました。(おき【燠・熾】 赤くおこった炭火。おきび」デジタル大辞泉)

(「子曰、「人皆有不忍人之心。先王有不忍人之心、斯有不忍人之政矣。以不忍人之心、行不忍人之政、治天下可運之掌上。所以謂人皆有不忍人之心者、今人乍見孺子將入於井、皆有怵惕惻隱之心。非所以內交於孺子之父母也、非所以要譽於鄉黨朋友也、非惡其聲而然也。由是觀之、無惻隱之心、非人也。無羞惡之心、非人也。無辭讓之心、非人也。無是非之心、非人也。惻隱之心、仁之端也。羞惡之心、義之端也。辭讓之心、禮之端也。是非之心、智之端也。人之有是四端也、猶其有四體也。有是四端而自謂不能者、自賊者也。謂其君不能者、賊其君者也。凡有四端於我者、知皆擴而充之矣、若火之始然、泉之始達。苟能充之、足以保四海。苟不充之、不足以事父母。」「『孟子』35公孫丑上」)
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