スポーツの実践はひとつの人権である

【斜面】道を照らす火 ミラノ・コルティナ五輪があす未明、幕を閉じる。大会とともに、IOCのコベントリー会長の開会あいさつを振り返りたい。国の別なくたたえ合う選手を見ると、「私たちがどんな人間になりたいのかを思い出します」と語っている◆その通りの光景を何度も見た。フィギュアペアの逆転劇の後で、スノーボードの若者たちの輪の中で。ロシア侵攻から4年となるウクライナ選手団を開会式で先導したロシア人スタッフもそうだ。選手たちはロシア語で話しかけ、彼女は涙したと伝わる◆厳しい現実はある。ロシアは国として参加を拒まれた。一転、パラリンピックでは認められ、ウクライナや地元イタリアが猛反発している。ガザにはイスラエルが居座り、同選手団には開会式でブーイングも起きた。「五輪休戦」の国連決議は守られず、世界で戦闘が続いている◆「人と人のぬくもり、心のこもった触れ合いこそが国境を越える」。28年前の長野五輪の後、本紙に載った看護師の投稿だ。競技で負傷した選手を搬送した際、痛みと寒さに震える彼女に自分の上着をかけ、抱きしめた。その青い瞳から涙があふれたと◆過酷な現実があるからこそ、理想を掲げる意味がある。五輪は国家が競い、争う場ではないはずだ。「あなた(選手)の炎が希望の火をともし、私たちみなの道を照らしますように」と、コベントリー会長はあいさつを結んでいる。選手たちが私たちの胸にともした温かな感情を信じたい。(信濃毎日新聞・2026/02/22)

⁂「週のはじめに愚考する」(107)~ 夏の大会も含めて、ぼくはこの何十年、各国で開かれてきた「五輪」大会のほとんどを見ていません。理由は単純、まさか戦争でもあるまいし、背中に「国旗」を背負って、「勝ち負け」を戦うなんて(そんな選手ばかりではないことを信じています)、とてもではないけれど、スポーツ(運動)精神に悖(もと)るじゃありませんか、そんな個人的な嫌悪感からです。どの国がメダルをいくつ取ったか、まるで「戦果」の競争をしているみたいで、とてもではないけれど、「スポーツ観戦」の気分にはなれないんですな。駄文をつづる際、ぼくはこれまでほとんど「五輪」という語を使い、「オリンピック」という語を避けてきました。その理由は素朴なもので、五輪マーク(シンボル)である「五つの輪」に忠実でありたいと思っていたからです。

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 カースティ・コベントリーは、国際オリンピック委員会(IOC)の会長に選出された初の女性であり、初のアフリカ人である。/ジンバブエ出身のコベントリーは、同国選手で史上最多メダル獲得数を誇り、これまでに同国が獲得した8つのオリンピックメダルのうち7つを獲得。アフリカ大陸においても最多メダル数となる。2018年9月から同国の青年・スポーツ・芸術・レクリエーション大臣を務めている。/コベントリーは2013年にIOCアスリート委員会のメンバーに選出され、2021年にIOC個人委員として再選された。

 世界トップクラスの背泳ぎとメドレーの選手のひとりである彼女は、アテネ2004オリンピックの200m背泳ぎで金メダル、100m背泳ぎで銀メダル、200mメドレーで銅メダルと、3つのメダルを獲得。北京2008では200m背泳ぎで連覇を達成し、さらに銀メダル3個を手にした。/競泳長水路の世界選手権でも3度優勝し、2005年には100m背泳ぎと200m背泳ぎで優勝。2009年には得意種目の200m背泳ぎも制覇した。また、2008年のFINA世界水泳選手権(25m)では金メダルを4個を獲得している。/コベントリーは、5度目のオリンピック出場となったリオ2016オリンピックを最後に競泳選手を引退した。(IOC)(https://www.olympics.com/ja/athletes/kirsty-leigh-coventry

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 よく知られているように、五つの輪は五大陸、「アジア・アフリカ・ヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニア」を示しています。「ミラノ・コルティナ五輪があす未明、幕を閉じる。大会とともに、IOCのコベントリー会長の開会あいさつを振り返りたい。国の別なくたたえ合う選手を見ると、『私たちがどんな人間になりたいのかを思い出します』と語っている」とコラム氏は書かれている。ぼくはこの会長挨拶を知らない。新しく就任された女性の会長であることは知っていました。その新会長が言われる「過酷な現実があるからこそ、理想を掲げる意味がある。五輪は国家が競い、争う場ではないはずだ」とされるう、その精神はどこから来るのだろうか。

 過酷な現実を忘れるつかの間の「桃源郷(Shangri-La)」、それが五輪であるとでもいうのでしょうか。あるいは、この一瞬だけの「理想郷(Utopia)」なのだと、現実逃避を謳歌しようというのですか。そうかもしれませんね、現に五輪の歴史を見ると、そう思ってしまう。国同士が「国威」や「国家の名誉」(そんなものがあるんですか)をかけて記録や勝負を競うのだと、誰もは思わないでしょうが、現実には、各国対抗メダル争奪戦になっていないでしょうか。それでいいじゃないかという人がたくさんいるでしょう。そういう人に、ぼくは与(くみ)しないいし、反対もしない。ただ、素朴なままで「スポーツ精神」というものを少しは考えてみたい。

 「五輪」が「五大陸」を表し、「国の別なくたたえ合う選手を見る」ことで、あるべき世界の姿、そこに生きる人間の姿勢を見るとIOC会長は語られたという。五大陸が「平和共存」する中での「五輪競技」の意味を考えるとき、この「シャングリラ」に戦争や殺戮が持ち込まれていることをどう見るのか。同じ大陸内の隣国同士が「戦火を交えている」ことに、五輪大会はなすすべを知らない。「ロシアとウクライナ」、あるいは「アメリカとベネズエラ」は、互いに殺戮をし、侵略(強烈な内政干渉)をやめないままで、「五輪」を開くことの意味は、どこにあるのか、「イスラエルとパレスティナ」もまた然り。「国の別なくたたえ合う選手」の姿は美しいでしょう。それも、しかし大会期間中だけであったとするなら、虚しさが先に立とうというもの。

 「オリンピック」という呼称を「五輪」と読み替えたのは、元読売新聞運動部記者だった川本信正さんでした。新聞社を辞したのち、スポーツ評論の分野で大きな仕事をした人であり、IOCの委員も務めた。とても辛辣で、厳しい指摘をスポーツ界に向けておられた。ぼくはそこから、たくさんのことを学んだ。たぶん、読売新聞が、今のように、こんなに腐りきっていない時代の稀有な運動部記者だったと思う。「五輪」誕生のいきさつは簡単でした。新聞社の編集だったか校正だったか担当部署の人から「オリンピックでは、見出しには長すぎる、何とかならないか」と頼まれていた。戦前の話です。当時、菊池寛が宮本武蔵の「五輪書」の連載を、ある雑誌にしていた。それを読んで、川本さんは「あっ、これだ」と思い付いたというのです。

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 《この五輪という言葉、今でこそ国語辞典にも「(五輪旗を用いるからいう)オリンピックの俗称」(広辞苑第6版)と出てきますが、実はオリンピックの訳語として使われるようになったのは、オリンピックの歴史から見ればそれほど昔のことではありません。今回は五輪がオリンピックの意味で使われるようになった経緯に迫ってみます。/まず五輪の漢字から連想されるのが中国での表記。漢字なので中国語に由来するのではないかと思われがちですが、実は無関係です。中国でオリンピックは発音に似た音をあてており「奥林匹克運動会」が正式表記で、前回の夏の北京五輪の際は「奥運」という略称も見られました。同じ漢字圏でも日本と中国では表記が異なります。         

発案したのは新聞記者 では、なぜ日本では五輪と表記するようになったのでしょうか。「当て字・当て読み 漢字表現辞典」(三省堂)のオリンピックの項目には「『五輪』はゴリンと読まれ、戦前に日本で新聞記者がスペースを節約するために造り出したもの」とあります。この記者というのが読売新聞記者だった川本信正氏(1907~96年)です(左上写真)。運動部記者としてオリンピック報道に携わり、32年のロサンゼルス五輪陸上男子100メートルで活躍した吉岡隆徳選手を「暁の超特急」と名付けたことでも知られています。戦後はスポーツ評論家として活動し、日本オリンピック委員会(JOC)委員も務めました。/川本氏は40年夏季五輪の東京招致(38年に返上)決定を巡る取材をしていた36年、オリンピックは6文字で新聞の見出しには長い、略せないかという相談を紙面の編集を担当する整理部から受けました。「国際運動」「国際運競」などと考えるなか、五つの輪がオリンピックのシンボルマークだから「五輪大会」はどうかと思いついたといいます。「『文芸春秋』に菊池寛さんが、宮本武蔵の『五輪書』のことを書いたんです。私、それを読んでいまして、あっ、これだと思ったんです。(中略)なるほどマークだし、五輪が、オリンピックのオリンと語呂が合うと言うんですね》(昭和史探訪3「戦火に消された『東京オリンピック』」)(以下略)(日本経済新聞・2012/07/12)(https://www.nikkei.com/article/DGXNASDB18001_Y2A710C1000000/)

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 「五輪」という語には多様な意味があり、仏教でも「五輪」は重要な概念として用いられています。面倒は避けますが、この「五大陸の平和な共存」を、本当に重んじるなら、現行の五輪方式をいくばくかは改革をする必要があるでしょう。大雑把に、その1、2を上げてみます。第一に、戦争や紛争が地球上で起こっている間は、残念ですが、「五輪大会」は中止にしたらどうか。前例はありますよ。それに、各競技における、各種レベルの競技大会は、大小を問わず、実にたくさん今でも開かれていますから、同じような競い合いを五輪大会でやる意味は薄いと思う。「五輪」を尊重するなら、戦争を仕掛けている国の「選手」の参加を拒絶するのではなく、国そのものの責任を問題にすべきだし、そのためには、戦争当事国の責任を今以上に問うべきでしょう。第二に、開催時に五大陸で紛争がないとして、大会期間中はそれぞれの大陸国(参加者)が連合して、競技を進めるのはどうだろうか。競技の記録や勝ち負けは選手のものではあっても、同じ大陸内の選手同士がもっと親交・親睦を深める工夫を凝らすべきだと思う。

 五輪精神の最大の意義は、国家意識を限りなく消すこと、薄めることにあるのではないでしょうか。はじめはは選手同士が戦っているのだが、それがいつの間にか国同士の争いに変わって行く、奇怪な現象をなくすための知恵を働かせる必要があるでしょう。その第一歩として、「国旗」「国家」を五輪会場に持ち込まないことですね。国旗や国歌が、今の社会にどんな価値や意味を持っているのか、あるいは、その国の国旗や国歌を見聞きして、耐えられない思いをする人々もいるでしょうに。「旗のもとに」、という言葉にぼくはある種の嫌悪を覚えるのです。湾岸戦争時の軍事的参加をアメリカから求められた際、アメリカの政府高官は<Show the Flag>と激しく日本政府を詰問したといいます。「国旗を掲げよ」というのでした。今、この国の首相は「国を強くする」「日本列島を強く豊かに」と叫声(嬌声ではないと思う」を上げて、自他を鼓舞している。なんという野蛮で無粋なことだろうかと思う。限りない「精神の頽廃(spiritual decadence)」ですね。

 (言いたいことはまだまだありますが、さしあたり、ぼくが「五輪」に関心が持てないわずかな理由を述べてみました)(マラソンを観戦することは好きですが、もしぼくが参加している選手だったとして、「五輪マラソン」と「ながら(居住地)マラソン」で走ることに、どれほどの差があるかという気持ちになるでしょうね)(各国内の組織委員会、例えば、JOCなどのような組織の関係者は、スポーツ経験者に限るというのはどうでしょう。政治家や業界の有象無象がスポーツを食い物にしている、実に醜悪な事案が多すぎますからね。各国にも似たような事情があるんですか)(「がんばれ!ニッポン!」(JOC)という旗が存在している限り、生きている限り、ぼくは五輪を見ないでしょう》

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*参考資料 

 オリンピック憲章(Olympic Charter 1996年版) (財)日本オリンピック委員会

1 近代オリンピズムの生みの親はピエール・ド・クーベルタンであった。氏の提案にもとづいて、1894年6月、パリ国際アスレチック会議が開催された。国際オリンピック委員会(IOC)が発足したのは1894年6月23日であった。1994年8月の第12回総会はオリンピック百周年に当たり、「Congress of Unity」をテーマにパリで開催された。                                               2 オリンピズムは、肉体と意志と知性の資質を高揚させ、均衡のとれた全人のなかにこれを結合させることを目ざす人生哲学である。オリンピズムが求めるのは、文化や教育とスポーツを一体にし、努力のうちに見出されるよろこび、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などをもとにした生き方の創造である。                                         3 オリンピズムの目標は、あらゆる場でスポーツを人間の調和のとれた発育に役立てることにある。またその目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励することにある。この趣意において、オリンピック・ムーブメントは単独または他組織の協力により、その行使し得る手段の範囲内で平和を推進する活動に従事する。                                         4 IOCが率いるオリンピック・ムーブメントは、近代オリンピズムにその端を発している。                                   5 オリンピック・ムーブメントは、最高機関IOCのもとで、各種組織、競技者、その他の人たちを統括する。彼らは、オリンピック憲章によって導かれることに同意した人々である。オリンピック・ムーブメントに帰属するための基準は、IOCによって承認される。スポーツの組織および管理は、IOCが承認する独立のスポーツ団体により監督されなければならない。                                6 オリンピック・ムーブメントの目的は、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある。                                                                       7 オリンピック・ムーブメントの活動は、結び合う5つの輪に象徴されるとおり普遍且つ恒久であり、五大陸にまたがるものである。その頂点に立つのが世界中の競技者を一堂にあつめて開催される偉大なスポーツの祭典、オリンピック競技大会である。                                       8 スポーツの実践はひとつの人権である。何人もその求めるところに従ってスポーツを行う可能性を持たなければならない。                                     9 オリンピック憲章は、IOCが採択した基本原則、規則および細則を成文化したものであり、オリンピック・ムーブメントの組織および運営を統括し、オリンピック競技大会開催のための諸条件を規定するものである。

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青い瓦斯燈境内を 出れば本郷切通し

 うねる幹にピンクの花 矢掛・観照寺、臥龍梅見頃 矢掛町横谷の観照寺で、うねるように伸びた幹が竜のように見えることから「臥龍梅(がりゅうばい)」と名付けられた紅梅が見頃を迎えた。黒い幹にピンクの花が映え、参拝客らに春の訪れを告げている。22日には恒例の「梅まつり」が開かれる。
 臥龍梅(高さ約3メートル、枝張り約4メートル)は本堂前にあり、樹齢230年以上とされる。見る角度によっては曲がりくねった幹がハート形にも見える。同寺によると、今年は1月下旬からほころび始めた。寒さが和らぐとともに花が徐々に咲き、今月いっぱいは楽しめるという。境内や寺周辺のしだれ梅など約50本も順次開花する見込み。
 写真を撮りに訪れた里庄町新庄の田辺毅さん(89)は「年によって異なる花の様子を見るのが楽しい」と話していた。
 梅まつりは午前10時から。うどんや焼き芋の販売、梅の種飛ばし大会(午後1時から)などがある。問い合わせは同寺(0866-82-1049)。(浪速祐彦)(山陽新聞・2026/02/20)(ヘッダー写真も)

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 「桜伐る馬鹿 梅伐らぬ馬鹿」という。ぼくも何度か指摘されたことがあります。これは「ことわざ」なんでしょうか。小さいころから、桜よりももっと親しくしていたのが梅でした。「梅干し」などの食用品ではなく、梅の木から落ちたものや木になっているものをもいで食べていたのはまだ小学校に入る前。梅で有名なところでは京都の北野天神、ぼくは京都に来た当座はその天神さんのすぐそばに一時住んでいました、堀川中立売。その天神さんの前まで伸びていた嵐電(京福電鉄)の終点は「北野白梅町」でした。ここも、御所と並んで、ぼくの小学生時代のつかの間の「遊び場」だった。その後に移住したのが嵯峨。そして、嵯峨野。嵐電の乗降駅は「車折(くるまざき)」だったし、高校は「常盤」(常盤御前・義経のは母でもある人の墓のあるところ。仁和寺の西隣でした)大学に入学して、およそ10年住んだ本郷(旧帝国大学赤門前・江戸期の加賀屋敷跡地)の家の近くには「湯島天神」があり、季節を問わずにしばしば通ったものです(徒歩5分ほど)。

 「学問の神様」と崇(あが)められた菅原道真を祭った東・西の神社(天満宮)のそばに住んでいて、盛んに遊んだにもかかわらず、「学問」への関心も涌かず、能力も皆目育たなかったのは、なぜだったろうか。「湯島通れば思い出す お蔦(つた)主税(ちから)の心意気」という俗謡を、ぼくは盛んに能登半島の田舎で歌っていたことを覚えています。(「湯島の白梅」小畑実・藤原亮子歌 泉鏡花原作の映画の主題歌でした)まだ就学前に、こんな歌を高唱していたのですから、その成長度合いがわかろうというもの。学校では断じて教えないことを好んで、しかも独学していた幼児は、そのまま成長して、きわめて「反・非学問的」になったのは不思議でもなんでもなかったでしょう。以下に「湯島の白梅」の歌詞を出しておきます。佐伯孝夫さん(1902~1980)の作。佐伯さんは特に作曲家の吉田正さんと組んで数限りない作品を残された。

 この「湯島の白梅」に描かれた風景や情景は、明治のもっともさかんな時期、明治三十年代を彷彿とさせます。その時期、この本郷近辺にはたくさんの知名の人々がいました。ぼくの好みでいうなら、樋口一葉、啄木、漱石・子規・鴎外・柳田国男・島崎藤村…。それこそ、東京が文明の都市として栄える端緒になっていた気もします。まるで「古い江戸」と「新しい東京」のアマルガムのような雰囲気があったと思う。ぼくが本郷に住みだしたのは1964年、その10月には東京五輪が開かれています。小学校に上がる前から歌っていたこの「歌詞」には、江戸末・明治・大正・昭和がそれぞれに織り込まれていて、まさしく、歴史を感じたのでした。漱石や鴎外の小説の人物が、歩いているという、不思議な心持ちになることもありました。

 ぼくはミーちゃんハーちゃんではありますが、何でもかんでも歌謡曲が好きというのではありません。そこに「歴史」が感じられるものでなければ、それほど好まない。惚れた晴れた、噛んだ噛まれた、捨てないで化けて出るよ、などというのは、まったく性には会いません。歌謡曲でとても好きなのは「長崎物語」、これについてはどこかで触れています。「湯島の白梅」には、男女の恋だとか相田とかいうものが主張でしょうが、その背景には「明治」「大勝」「粗油和」がありありと移されています。こういうのは大好きでっでね。(*「湯島の白梅」https://www.youtube.com/watch?v=Bkh9dcX_lBo&list=RDBkh9dcX_lBo&start_radio=1&rv=9sv5GFiWBlI

 (このYouTubeで歌っている人がどなたか、ぼくは知らない。とにかく60年前に、田舎者が、方々を彷徨していた当時をありありと思い出して、いろいろと想いはあらぬ方向に流れていきます)(中国嫌いの人が聞いたらどう思われるか。日本の演歌の淵源は、おそらく中・韓経由ですな)(左の写真は湯島「女坂」。この「女坂」の裾に何軒かの飲み屋があり、しばしば通ったものでした。ぼくの浮浪者・不良青年の時代のことでした。上野池之端にも怪しげなバーがあり、ぼくには異質の世界を教えられました。顎鬚や脛毛たくさんの「ホステス」さんにかわいがられたものでした)

(一)【女】
湯島通れば 想い出す
お蔦主税の 心意気
知るや白梅 玉垣に
残る二人の 影法師

(二)【男】
忘れられよか 筒井筒(つついづつ)
岸の柳の 縁むすび
かたい契りを 義理ゆえに
水に流すも 江戸育ち

(三)【男女】
青い瓦斯燈(がすとう) 境内(けいだい)を
出れば本郷 切通(きりどお)し
あかぬ別れの 中空(なかぞら)に
鐘は墨絵の 上野山

作詞:佐伯孝夫    
作曲:清水保雄
歌唱:小畑実/藤原亮子
制作:滝野細道(JASRAC No.090-0153-1)

 北野天神の梅の開花時期の様子はぼくの記憶からはすっかり消えています。でも、湯島天神の白梅(➡)は、盛りの時期に足を運んでいるのですが、その哀れな姿に驚愕したものでした。その当時(今から60年も前のこと)、すっかり老木と化し、自動車の排ガス等の影響もあって、梅花も、申し訳程度についているような具合で、この先、長くないだろうという気分になったことでした。もう何十年も足を向けたことがありませんから、今の様子がわからないのは、かえって幸いかもしれません。「学問の神様」といわれて、今でも受験期には、それこそ各地から天神詣りに千客万来です。(「行きはよいよい帰りは恐い♪」)ぼくは、そんな趣味はなかったから、「神頼み」はしませんでしたが、おふくろは、京都の車崎神社で(ぼくの受験の)「合格祈願」の「お百度参り」をしてくれていたと、かなり後になって聞いたことがあります。親のすること、という意味でぼくは深く感心させられたのでした、ありがたいことでした。

 おふくろが植木や花いじりが好きで、梅の種類も実物で教えてもらった記憶がぼくには残っています。梅について語れば、それこそ、桜同様、あるいはそれ以上に面倒なことになるでしょう。梅・桜ともに、その品種は数百はあります。もちろん、梅は中国からが定説で、一方の桜は「亜細亜原産」だとされます。(昨日は「梅は咲いたか 桜はまだかいな」という端唄に触れています)拙宅にも一本の老木があります。辛うじて、春の花だよりを告げてくれていますけれど、さて、どれくらい生きるか、ぼくと競争のような、衰えようでもあります。その下の土の中から、可愛い苗木が顔を出しています。しっかりと後継ぎは育っているんですね。

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「…材は粘りがあって硬く,細工物に利用される。 天然記念物のウメの多くは,幹が横倒れとなったものから再発根して,新しく幹枝を伸ばし大株に生育した臥竜梅(がりゆうばい)が多く,1株が梅林のように茂る。宮崎県の月知(げつち)梅座論梅,山口県の余田(よた)臥竜梅,鹿児島県藤川天神の臥竜梅が国の天然記念物に指定され,樹齢も何百年という木が残っている」(世界大百科事典・旧版)(上の写真参照)

◎ ウメ(梅)【ウメ】= 中国原産のバラ科の落葉小高木で,九州には野生があるという。初春,葉に先だって香り高く咲く花は万葉以来愛されてきた。葉は楕円形〜卵形,花は前年の枝の葉腋に1〜3個ついてほとんど柄がなく,径2〜2.5cm,白色〜紅色,花弁は5枚が基本である。庭木,盆栽,切花として観賞する花梅(はなうめ)の品種は,おもに江戸時代に作られ,現在でも300以上がある。大別して,原種に近い野梅(やばい)性,花のつく小枝とがくが緑色をした緑萼(りょくがく)あるいは青軸(あおじく)性,古枝の髄まで赤い紅梅性,アンズと交雑して作られたアンズ性,秋〜冬に小枝が紫紅色になり大輪の花が咲く豊後(ぶんご)性のほか,枝のしだれる枝垂(しだれ)性などの系統がある。果実を収穫する目的で栽培されるものは実梅(みうめ)といわれ,〈白加賀〉〈小梅〉が全国的に有名。おもな産地は和歌山,群馬,長野など。同一品種だけでは実りが悪いので,数品種混植する必要がある。収穫は6月中旬ころからで,果実は梅干,梅酒,梅酢などにされる。昔は未熟な実をふすべた烏梅(うばい)/(からすうめ)や青梅の果肉をはいで乾燥した剥梅(むきうめ)として,媒染剤や薬用にもされた。未熟果はアミグダリンを含み,生食すると有毒である。(百科事典マイペディア)

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 本日は、この先に「冬季五輪」や「国会開会」の話題に触れようとしていたのですが、すっかり関心がなくなってしまい、ここでやめておきます。大したことを言えるはずもなく、「冬季五輪がいよいよ閉幕」と聞いて、うれしくなったというだけのこと。どうしてスノボーやフィギュアスケートなどで「日の丸」なんですか、実にばかばかしいと、ぼくは思うばかり。まやかし中継にも、「お涙頂戴」あり、「日本凄い」あり、こんな競技会がなんで「国威発揚」に一役買わされるというのか。そのメディアの報道ぶりの下品で醜悪な態度がしばらくとはいえ、見せつけられないと知っただけで、ぼくは大喜びでした。なにしろ「ラジオ深夜便」さえも、おちおち聞いていられなかったのですから。

 (いうまでもありませんが、ぼくはスポーツ競技そのものをとやかく言いたいのではありません。それぞれがスポーツ精神に基づいて敢闘・健闘することに否やはありませんから。それを国と絡める必要がどうしてあるんですか、といささか腑に落ちないだけです。「日の丸」を背負って、フィギュアー(ペア)がついに逆転勝ちで「金メダル」というのでしょうが、ぼくはそんなところに日の丸も国歌もいらないと考える人間です)

 加えて、国会が始まり「所信表明」があちこちで流れてきました。聞くともなく聞いていて、虫唾(むしず)が走った。「胃酸過多のため、胃から口に出てくる深い酸っぱい液」です。反吐が出る前に、「演説」は見るのをやめましたよ。この嘘つき宰相(マッチョらしい)の鸚鵡返し「演説」を、誰か止めないのでしょうか。馬鹿の一つ覚えのように「責任ある積極財政」を唱えるが、その実態は、「インフレ増税」任せで「名目GDP」総額を大きく見せるだけのまやかし政治。あの内容浅薄、いや空虚な演説で、議場は「拍手喝采」というのは、どう見ても「極右の国家主義、全体主義」の発現ではないですか。地に落ちた「国会議員」、地獄に落ちた「日本国民」ですな。ぼくも地獄落ちの一人ですけれど、無理ではあっても、一蓮托生だけはご免被るね。

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ママ、戦争止めてくるわ。付いてきて

【潮流】#ママ戦争止めてくるわ 先日、90代半ばの被爆者と会って体験を聞く中で、あの日から80年を経た現在の心境に話が及んだ。「今の社会の空気が、戦争の前とどこか似ている。怖いです」◆私たちの日常が、今すぐ戦争と直結するとは想像しにくい。でも、戦時一色の日々を肌身で知る女学生当時の記憶と、今の社会の空気が重なる実感があるのなら、杞憂(きゆう)とは片付けたくない。◆その言葉がいつになく心に引っかかったのは、日本の針路を問う衆院選の終盤だったからだと思う。ほぼ同時にX(旧ツイッター)などで、戦争反対の思いを1票に託すよう呼びかける「#ママ戦争止めてくるわ」が流れ始めた。◆エッセイスト清(きよし)繭子さんの投稿が爆発的に拡散。歌手・俳優の小泉今日子さんが所属事務所のアカウントで反応したことから「キョンキョンも!」と話題を呼んだ。一方で「中国に言うべきこと」などの反発も多い。◆実際、「戦争しよう」と意図している候補者はいなかっただろう。でも、ここで日清戦争から130年余にわたる日本の戦争の歴史から学びたい。戦争は往々にして、他国に対する「何するものぞ」という強硬論と、国家権力への批判を許さない世相が過熱した先にある。今の社会の空気は、どの段階にあるか。◆かつてママたちは、かっぽう着姿の「国防婦人会」として戦争遂行の一翼を担った。もし戦争になれば、「止めてくる」と言っていたのに進んで、あるいはあらがいきれず協力に転じるママは必ずいるだろう。報道機関も例外ではない。◆加速が付くほど止められなくなるのが戦争。その影が実像として見え始めるはるか前から、警鐘を鳴らし続けていこう。(中國新聞・2026/02/19)

 皮肉でもなんでもなく、「#ママ戦争止めてくるわ」が今回の衆議院選挙で火の手を上げだしていた「T旋風」に、いわば油を注いだ感がありました。「戦争?ばかばかしい」とみなしている人が圧倒的多数だったと思うけれど、「戦争への道を進んでいる」と考える有権者も少なからずいました。細かい分析はしませんが、いつの時代でも圧倒的多数は、声なき声を飲み込んでいるのです。「本当に戦争になる」と信じ込んでいる人などいるはずもないでしょう。まして、自分が戦争の犠牲になるなんて、どこの国の話、って。

 いつも言うことですが、「戦争? いったいどことするん?」ということです。相手もいないのに「戦争」が話題になるというのも不思議な話。もちろん、多くの有権者は「敵は中国」とみているかもしれません。しかし、「なぜ中国なのか」ということに関しては、あるいは浅慮は働いているかもしれませんけれど、遠望していっているものはほとんどいないでしょう。「相手がデカすぎる」というのが第一の理由ですが、日本経済の基盤となっている隣国と、わざわざ戦う愚か者はいないでしょう。ぼくはそう考えるが、いや、どこにだって「愚か者はいる」とも言えます。

 【衆院選】「#ママ戦争止めてくるわ」SNSで広がった共感 国内の「トレンド1位」にも、投稿者が反響振り返る 「ママ、戦争止めてくるわ」。自民党が圧勝した衆院選の終盤、2人の子どもを育てる清繭子さん=東京都=がX(旧ツイッター)に投稿したつぶやきが、大きな反響を呼んだ。ママの部分を「パパも」「独身男子も」「子どもいないけどおばちゃんも」と変え、ハッシュタグ(検索目印)を付けた投稿が相次ぎ、「#ママ戦争止めてくるわ」が一時、国内の「トレンド1位」になった。清さんは「一市民の私が子どもにかけた言葉を、みんなが希望のある言葉にしてくれた」と語る。
 日常の中で、自然と出た言葉だった。
 5日夕、下の子を保育園に迎えに行きながら、その足で期日前投票をしようと思い立った。横でゲームに興じる小学生の上の子に、関西弁で声をかけた。「ママ、戦争止めてくるわ。付いてきて」
(中略)
 投開票日の8日夜、清さんはXにこう投稿した。
 ≪みんなの声があったかすぎて、冷笑も侮蔑も聞こえなかった 私には声があることがわかったから 私だけの声じゃないってわかったから 一人つぶやいた時より、今のほうが 戦争止められる気がしてます 胸がずっと温かいままなんです みんながくれた希望です 明日からもずっと #ママ戦争止めてくるわ≫(神奈川新聞・2026/02/14)(ヘッダー写真も

 今日のこの国の形を作ったのは、明治維新や第一次世界大戦後ということも考えられますが、何よりも「満州事変」の歴史の中で、だったとぼくは考えている。いわば、今ある「政・官・財」の強固なトリオを生み出したの対中国侵略戦争においてだったといえる。詳しくは言いませんけれど、対中戦争のさなかに「満州の地」で作られた「産・官・軍」(これは「政官財」の一つのヴァリエーション)は、対英米戦争に敗れて、迎えた「敗戦後日本」の土台となっていたことは明らかです。

 今回の選挙キャンペーンで盛んに唱えられた「日本劣島を、強く豊かに」は、この満州事変で唱導された「王道楽土」「五族協和」を謳った「満州帝国」の成立に重なるのではないか。しかし、この「十五年戦争」の悪夢ような「戦争体験」を、「日本列島を、強く豊かに」と叫んでいる人たちは持っていない。だから頭の中で「帝国再建」を描いているし、それ故に、空想は限りなく拡大するのでしょう。

 首相や政治家たちだけではなく、その呪文の魔力にしてやられた「あまたの有権者」も、「夢(悪夢)よ、もう一度」という思いを描いていたはずです。描いたというより、描かされたというべきでしょうか。そこには個々人の主体性(判断)なんて微塵もなかったでしょう。そんなものです、とシニカルになるつもりはありません。この情勢、流行こそが「ファシズム」の温床だということです。ほとんどの人は「自分はファシズムに加担している」とは夢にも思わない。それがファシズムです。だから、「#ママ戦争止めてくるわ」もまた、時には「ファシズム」の寝床を準備する「培養液」に早変わりすることもあるのです。

 国の将来を嘆いているのでもなければ、憂えているのでもありません。極めて残念ですが、デモクラシーからファシズムは生み出されるという「歴史の法則」に欺くことは、残念ながら、いかなる国も国民もできないという「現実」を熟視するばかりです。「#ママ戦争止めてくるわ」と幼い子どもに呼びかけた、母親の「一声」に多くの大人たちが飛びついたという「風靡(ふうび)」にも、ぼくはいささか寒心に堪えないと、正直に白状しておきます。それを受け取って「「#パパ戦争始めてくるわ」というおっさんたちもいないとも限りません。つまり、「絶対に、ほんまの戦争(殺し殺され合い)はない」と腹に決めておいて、ある種の「シミュレーション」をしているような気がするのです。「机上戦」というか「練習ごっこ」のような雰囲気を感じるのは、自分だけは「戦場に行かない」という奇妙な「独り決め」「期待」があるからでしょう。

 自衛隊は国軍にする」と首相一味は張り切っています。軍もそれ相応に増強する(国家予算の三割近くが「国防予算」というのは、戦時体制そのものでしょう。これもまた「満州事変」に倣っているのか)とくれば、不足するのは軍人だと、誰だって気が付く。だから「徴兵制」を敷くのか、いやそれは無理だから「外人部隊(傭兵)」となるのか。こんなあほくさい国の軍隊に入る外国人はいるでしょうか。どこまで行っても、「戦争」は夢、しかも「悪夢」だと気が付かないはずはないんですがね。

 「#サナエ 中国叩いてくるわ」という勇ましい、いや忌まわしい「ママ」がいると、そこにはきっと、 「#ママ戦争止めてくるわ」と、わが子の命を守る側に徹底して寄り添うママもいる。「靖国」への参拝が「戦争肯定」の踏み絵になるような、そんな不吉な時代や社会は「平和を希求・懇望する」人にはふさわしくないのではないでしょうか。「#ジイサン戦争の火種を消してくるわ」(これが、ぼくの「鼓腹撃壌」なんだ。一人の平和・生活をかき乱す輩には、渾身の力を持って、毅然として反旗を翻すよ)

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梅は咲いたか 桜はまだかいな

 茨城県は千葉の隣県。これまでに何度も足を運んだものです。茨城新聞のコラム「いばらき春秋」には、もう何年も目を通していますが、この駄文の中で言及することはほとんどなかった。あったとしても、1回か2回? なぜかと、時々考えますが、答えは明らかです。他紙の「コラム」に比べて、実に奥ゆかしいというか、おとなしい。あるいは控えめ。それは貴重な特質で、目立ちがりの多い新聞では珍しいですね。なかなかに稀有なことと思っています。目立たないというか、出しゃばらないというか。ただし、このコラムはひたすら「土地(郷土)」にこだわる傾向があるようです。「お国自慢」というのではないでしょうが、地域に根差し、地域に誇りを持っているように見受けられるのは、とてもうれしいことかもしれないし、地域新聞なら当たり前といわれるでしょう。その誇りの一つ(代表)が「偕楽園」(☚)でしょうか。記憶はかすかですが、ぼくも訪れことがあります。梅の時期ではなかったことは確か。

 その昔(奈良・平安時代)は、理由があるのでしょうが、梅のほうが桜よりも愛(め)でられていたようで、だからというのではありませんけれど、あえて言うなら、ぼくは質素な佇(たたず)まいの梅に惹かれます。もちろん、桜は好きですが、染井吉野(ソメイヨシノ)だけはご免被るという感覚では一貫しているし、この劣島の桜といえば「染井吉野」がほとんどとくれば、自ずから「桜」よりも「梅」となります。「梅は咲いたか 桜はまだかいな」という、いわば江戸の俗曲が歌いつがれて、ぼくのような野蛮人の耳にも入ってきました。よく覚えています。少々「色気」が濃厚ですが。「しょんがいな節」として知られているものです。こんな「俗曲」(小唄・端唄)など、学校では絶対に教えてくれません。だから、ぼくはすべて「独学(self-study)」でありました。

”梅は 咲いたか桜はまだかいな 柳やなよなよ風しだい
山吹や浮気で 色ばっかりしょんがいな
あさりとれたか蛤やまだかいな 鮑くよくよ片想いさざえは悋気で 角ばっかりしょんがいな
柳橋から小船を急がせ舟はゆらゆら波しだい 舟から上がって土手八丁吉原へご案内”

 (ここで三味線伴奏で実際の演奏をかけてもいいのですが、いかがでしょう。昨日は「讃美歌(慈しみ深き、友なるイエスは(What a friend we have in Jesus)」でしたから、この変調・転調ぶりはなかなかのものですね)

【いばらき春秋】先週の雪景色がうそのようだ。日本三名園の一つ、偕楽園の梅は既に全体の5割弱が咲き進み、烈公梅のほか遅咲きの白加賀の開花を公式ホームページが伝えている▼季節は駆け足で進んでいるが、永田町はどうか。異例の通常国会冒頭解散から26日後、第2次高市内閣がようやく発足した。首相は衆院の4分の3を占める圧倒的な数の力を獲得したが、国民はまだ何の果実も得ていない▼昨夏の参院選後も自民は石破前首相の進退を巡る党内政局に明け暮れ、2カ月半もの政治空白が生まれた。例年なら予算審議がヤマ場に入る時期、国会の停滞は明らかだ▼選挙速報を見ながら、新沼謙治さんの「津軽恋女」が脳裏をよぎった。「こな雪、つぶ雪、わた雪、ざらめ雪…」。野党に積もった粉雪が高市旋風で舞い上がり、一転して与党に積もったか。しかし巨大与党の土台を支えるのは、実体のない淡い期待感でしかない(茨城新聞・2026/02/19)

 「水戸」を語ればきりがありませんので、本日はやめておきます。「水戸学」などという「国粋学」(尊王攘夷派の聖書・聖典となりました)のお手本のような歴史・皇国史観の本拠でもありました。茨城新聞はおとなしく、郷土に根差した新聞だといったばかりですが、どっこい、本日はなかなかに厳しい「政権」批判の色を帯びているので、ぼくは刮目(かつもく)したというわけです。「エッ、そんなことを書くんですか」と、ね。「第2次高市内閣がようやく発足した。首相は衆院の4分の3を占める圧倒的な数の力を獲得したが、国民はまだ何の果実も得ていない」というのは、その通りですね。多くの新聞は「高市、ヨイショ」に血道をあげているようですが、このコラムはどうですか。「例年なら予算審議がヤマ場に入る時期、国会の停滞は明らかだ」と断定されています。お説ごもっともと言っておきます。

 とはいえ、先行き見えないながらも、首相や内閣・官邸は、逆上(のぼ)せ上って「意気軒高」です。当然といえば当然。国会議席の7割超、自民に「入りたがり(「隠れ自民」)」を加えれば、9割を超える勢いですから、絶対多数。やれないことはないし、かならずやるでしょう。そして、失敗を、…。ぼくが解せないのは「日本劣島を強く 豊かに」というキャッチの中身は何ですか、言葉だけが走っているんですわ。なにを「強く豊かに」するというのでしょうか。この女性の脳みその中には「国」「国家」は入っているけれど、「国民」「個々人」「人間」が入っていないのは明らか。

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◎水戸偕楽園千波
せんば
湖の西北の高台にある。徳川斉昭が開設した公園。斉昭は天保五年(一八三四)植物係長尾景徳に命じ、飢饉と軍旅の用にあてるため常葉
ときわ
神崎
かみさき
に多数の梅樹を植えさせた。のちこの梅林をもとに公園造成計画が進み、同一〇年に斉昭自撰自筆で設立の趣旨を記した「偕楽園記」が完成、同一二年四月造園工事着工、同一三年七月開園した。(日本歴史地名大系)

◎徳川斉昭【とくがわなりあき】= 幕末の常陸(ひたち)水戸藩主。治紀の三子。号は景山(けいざん)。諡号(しごう)烈公。会沢正志斎,藤田東湖らに擁され,1829年襲封。藩校弘道館設立,海防政策実施など藩政改革を推進したが,1844年幕府より謹慎を命じられた。斉昭失脚後は藩内に天狗派(改革派)と保守派の対立による動揺が広まった。1849年藩政関与が許される。強硬な攘夷論者で,1853年のペリー来航にあたり幕府海防参与となったが,井伊直弼と対立。安政の大獄で幽居の身となりそのまま病死。(百科事典マイペディア)

◎ 水戸学【みとがく】= 江戸時代,水戸藩で形成された尊王論を中核とする思想体系。前期・後期に分けて捉える考え方が一般的であるが,狭義には後期だけを水戸学とする。前期は朱子学を基盤とし,2代藩主徳川光圀の起こした《大日本史》編纂(へんさん)事業を通じて大義名分論として展開した。後期は9代徳川斉昭の藩政改革を契機に実践的政治理論に再編され,幕末の錯綜した政治情勢下で反幕・尊王攘夷勢力に強く影響したものの,幕藩体制維持から踏み出し得なかった。代表的学者に前期の安積澹泊(あさかたんぱく),栗山潜鋒,後期の藤田幽谷・藤田東湖父子,会沢正志斎などがある。(百科事典マイペディア)

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 まさかとは思いますが、この首相は「水戸学」の信奉者ではないでしょうね。「(広く水戸学と称されるものは)歴史尊重と国体観の高揚と尊王賤覇(せんぱ)の思想などに特色がある。…、18世紀後半の異国船の接近にみられる西洋諸国の進出と幕藩制の動揺による内憂外患に対する危機意識が、独得の学風形成の根底にあったことは否めない」(日本大百科全書ニッポニカ)と述べられているように、どうやら、この国の権力亡者たちの多くは、国史尊重(その国史の内容は怪しげなものです)、尊王攘夷(「天皇制」尊重かつ外国人排斥)に特化し得るもので、多く「極右(far-right)」と呼称されている立場に重なります。

 もしあるとして、その信条・思想の内容のいちいちは、実は荒唐無稽であったり、首尾一貫性に欠けているのが通常で、中でも「親米右翼」という言葉自体が、矛盾齟齬をきたしているのに、それには全く頓着しないというのですから、思想や教条、つまりは「政見」の真贋が問われるべきでしょう。また、首相自身は「旧統一教会」との親密なかかわりも指摘されています。それを一切無視しているのはなぜか。このカルト集団は「反日・反共」であるのに、なぜ、その集団と親密なかかわりを持つのか、闇(やみ)だらけですな。

 にもかかわらず、そのような「ごちゃまぜの「日本主義」を振りかざして、この国を牛耳ろうとしているのですから、先が思いやられます。ここで、ぼくは「日本浪漫派」という少し前の「極右」の主義主張を思い出しています。これはまったくぼくの勝手な思い付きでしかありません。(右は「旧統一教会と関わりが深い『世界日報』に掲載された高市氏の記事」)(東京新聞・2026/01/16)

◎ 日本浪漫派(にほんろうまんは)= 文芸雑誌。1935年(昭和10)3月から38年3月まで刊行。全29冊。『コギト』誌上に掲載された『「日本浪曼派」広告』によると、創刊当初の同人は、神保光太郎(じんぼこうたろう)、亀井勝一郎(かついちろう)、中島栄次郎、中谷孝雄(なかたにたかお)、緒方隆士(おがたりゅうし)、保田与重郎(やすだよじゅうろう)ら6人であるが、その後、伊東静雄、伊藤佐喜雄(さきお)、芳賀檀(はがまゆみ)、太宰治(だざいおさむ)、檀(だん)一雄、山岸外史(がいし)、緑川貢(みつぐ)らが加わり、終刊近くには50人を超える。保田執筆になる「広告」は、「平俗低徊(ていかい)の文学」としての自然主義的な身辺雑記の写実小説を痛烈に批判し、文学の運動を否定するために進んで文学の運動を開始するといい、それは「卑近」に対する「高邁(こうまい)」の、「流行」に対する「不易」の、「従俗」に対する「本道」の主張で、そのために「真理と誠実の侍女として存在するイロニー」を用いねばならぬとした。保田の「反進歩主義文学論」(1935)と亀井の「生けるユダ(シェストフ論)」(1935)がこの派の志向を示し、小説に、太宰『道化の華』(1935)、緑川『娼婦(しょうふ)』(1935)、檀『衰運』(1935)、伊藤『花宴』(1935~37)その他がある。保田に代表される古代憧憬(しょうけい)は、退廃した、西洋模倣の日本的近代に対する根源的批判を含んでいたが、戦時体制の深化と俗流の日本主義の台頭により、漸次「戦場の美学」へと変質する。復刻版(1971)がある。

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われらの弱きを 知りて憐(あわれ)む

【春秋】「空の水道」は気まぐれ 頼り過ぎずに節水を 40日40夜の雨による洪水から人や動物が箱舟で逃れる「ノアの箱舟」。英国では昨年末から40日以上雨が続き、旧約聖書の物語のようだとニュースが伝えていた▼降らないのも困りものだ。日本各地では水不足が深刻化している。昨秋から続く記録的少雨でダムは蓄えを減らした。筑後川流域の降水量は1975年以降で最少に。福岡県朝倉市の江川ダムでは、かつて水没した集落の痕跡が姿を現した▼先週末の発表によれば、筑後川水系主要6ダムの貯水率は15%に低下。蛇口から出る水量を減らす減圧給水や川からの取水制限を強めているが、まとまった雨がなければ夜間断水の可能性もある▼列島の上空には「空の水道」が集中している、と気象エッセイスト倉嶋厚さんは書いている。台風や梅雨前線、温帯低気圧、冬の雪雲など四季を通じて水をもたらす気象現象を「空の水道」と呼んだ。ただ狭い国土ゆえ、その「配管」は実に不安定でずれることが多い▼地下の水道管や下水道といったインフラの老朽化が近年は深刻だが、空の配管に手は入れられない。倉嶋さんは、気まぐれな水道に頼り過ぎず、大雨の日こそ水不足を、日照りの日こそ水害対策を考える必要があると提案した▼あすは二十四節気の雨水(うすい)。暦の上では雪が雨へ変わる頃。向こう1カ月の予報では、雨には期待できないようだ。水道を5秒止めれば1リットルの節水になる。日々の心がけを。(西日本新聞・2026/02/18)

 各地で水不足が言われています。それでいて、いたるところで今冬は何年ぶりかの豪雪に襲われ、各地で雪害の犠牲者も多く出ています。また、真冬であるにもかかわらず、これまた方々で熊出没情報が飛び交いました。天変地異とは大げさなといわれそうですが、何百年かの後に、「あの時代」は、地球・人類・生物たちの分かれ道だったといわれそうな、そんな大きな地殻・地上変動は自然界(人間界もその一部です)は地球上のいたるところで生じているのではないでしょうか。古今亭志ん生さんの「まくら」に「後悔を先に立たせて後から見れば、杖を突いたり転んだり」というのがありました。うまいことをいうものだと、ぼくは感心した。その通りで、いかに「慧眼(けいがん)」の持ち主でも十年先はおろか、一年先も見通すことはできません。

 (ヘッダー写真は「現在の「イエスの方舟」の聖書勉強会=映画「方舟にのって~イエスの方舟45年目の真実~」より )(*「慈しみ深き」森山良子・歌:https://www.youtube.com/watch?v=491lIVCYwF8&list=RD491lIVCYwF8&start_radio=1

 コラム「春秋」氏が触れておられるとおり、明日は「二十四節季」でいう「雨水(うすい)」(2月19日〜3月4日頃)です。これまでの降雪が降雨に変わる境目といいます。また、この期間を「七十二候」では「初候(2月19日〜2月23日頃)土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)冷たい雪が暖かい春の雨に代わり、大地に潤いをあたえる頃。寒さもゆるみ、眠っていた動物も目覚めます」、ついで「次候(2月24日〜2月28日頃)霞始靆(かすみはじめてたなびく)霧やもやのため、遠くの山や景色がほのかに現れては消え、山野の情景に趣が加わる頃。春に出る霧を霞(かすみ)と呼び、夜の霞は朧(おぼろ)と呼ばれます」、そして「末候(2月29日〜3月4日頃)草木萠動(そうもくめばえいずる)足もとや庭木の先にほんのりと薄緑に色づく芽が見られる頃。やわらかい春の日差しの中、草木が芽吹き、新しい命が生まれます」(「暦生活」)と、往時の人々の季節の迎え方を示しています。

 何事もなければ、月日はそのように進みゆくでしょうが、まるで「地獄の沙汰」「阿修羅のごとく」のような娑婆でありますから、自然も何も、元通りの秩序を維持することができなくなっているのが、悲しいけれど、ぼくたちの現実です。極端な表現を使うとすれば、「木の葉が沈んで、石ころが浮かぶ」かのような時代社会の荒廃の限りです。コラムに誘われて、ぼくは、久しぶりに「ノアの箱(方)舟」ならぬ、「イエスの方舟」の記憶を呼び覚まされました。あの社会的騒動から、もう半世紀近くが経過したことになります。「イエスの方舟」騒動。昔の出来事ではありましたが、それはただ今、現実の深刻な問題でもあるのでしょう。曰く「信仰の自由」「信教の自由」という問題です。

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 「イエスの方舟とは、主宰者の千石剛賢(せんごく たけよし、1923年7月12日 – 2001年12月11日)が開催していた聖書勉強会が母体となった集団である。千石は、1923年(大正12年)に兵庫県加西市の富裕な農家に生まれ、1943年(昭和18年)、20歳で海軍に入隊。終戦後は自営業である刃物工場の経営に失敗し、てきや、レストラン支配人など職を転々としながら教会に通い始める。常に何かに飢え、何かに怒っていた。20代は喧嘩に明け暮れる毎日だった。自分自身の気の短い性格に、いつかは傷害事件を起こしたりして最後は死刑になるのではないかとおびえていた。夫人と再婚後[2]の1952年、大阪で聖書研究会に参加する。1960年にはその研究会会員10名とで東京都国分寺市に移動して「極東キリスト集会」を主宰し共同生活に入る。これが「イエスの方舟」の起源である(略)」

 「イエスの方舟に対するマスコミ報道は、『婦人公論』がバッシングの口火を切り、産経新聞が「邪教」キャンペーンを繰り広げ、それに対して『サンデー毎日』が「魔女狩り」として反論した構図である。山口昌男は、マスコミ報道が「聖なる怪物」型の神話に則っており、「奇異なるものを見て、自らの存在感を内から外から脅かす力が何であるかを知り、あわよくば、この怪物が退治されるのを見ることによって安堵の胸を撫で下ろしたいという見世物に対する読者の期待を満たした」と分析している。/なお、イエスの方舟に対する異常なバッシングとその反省から、マスコミはオウム真理教が問題を起こした際に批判を躊躇するようになり、結果として被害を拡大させるに至ったとも言われる。反対にサンデー毎日は、元信者の発言を掲載するなど、オウム真理教に関しては当初から批判的報道を行った。」(Wikipedia)

 当時、ぼくはこの事件をまじかで知り、かなり熱心にその「軌跡」を調べたことがありました。結論から言うなら、マスコミの無責任な過剰報道がもたらした社会的騒擾(大山鳴動、鼠一匹も出ず)だったと思う。記事の内容が売れればいい、騒がれればいいという無責任報道姿勢は、事実を哉医局して好き放題にでっち上げ報道をする。この性癖・悪習はメディアに頑強に根付いて、「習い性」になっています。

 マスコミというか、マスメディアの多くは(新聞も含めて)、「売らんかな主義」に毒されている。売れればいいという無責任で短絡的な報道は報道の名に値しないのは言うまでもありません。この姿勢は体質となってマスメディアを毒してきたし、今やその毒は身体や精神までも犯し始めています。まさに「病膏肓(やまいこうこう)に入(い)る」状況にあるでしょう。過去には、新聞は「満州事変」等の戦争報道で販路を拡張し、売り上げを伸ばしました。社会的事件を必要以上に、いわば「針小棒大に」報じるという「癖」は已みがたい習癖になってしまいました。選挙報道もしかりで、ひたすら「大騒ぎ」を演出するだけで、事実は二の次、それで事足れりとしているのでしょう。その「イエスの方舟」が一昨年に映画として公開されました。以下がその関連記事です。

 〈「イエスの方舟」騒ぎは何だったのか かつて消えた女性たちにカメラが迫る◆映画「方舟にのって」公開 1980年冬、東京・国分寺市で暮らしていた若い女性たちが2年にわたり失踪していると報じられた。女性たちが集まっていたのは聖書研究会「イエスの方舟」。中心人物の千石剛賢氏に「娘を返せ」と迫る家族の声を受け、報道は過熱。しかし、女性たちがメディアと対峙(たいじ)し、「ハーレム」と非難された千石氏が出頭後、不起訴となって、騒ぎは沈静化した。

 「おっちゃん」と慕われた千石氏は2001年に死去したが「イエスの方舟」は今も福岡県で健在。女性たちがクラブ「シオンの娘」を経営しながら共同生活を送る。騒ぎは何だったのか。現在の姿をカメラで捉え、過去を振り返るドキュメンタリー映画「方舟にのって~イエスの方舟45年目の真実~」が6日公開された。佐井大紀監督に制作の経緯を聞いた。(時事通信社 松尾圭介)(以下略)(時事通信社・2024/07/10)https://www.jiji.com/jc/v8?id=202407hakobune)〉

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 もう何年前になるでしょうか。ある時、誘われて福岡の中州にあった「イエスの方舟 シオンの娘」というクラブに行ったことがありました。世にいう「飲み屋」でした。そこには「おっちゃん(千石イエスさん)」亡き後」もなお、固い信仰に生きる多くの信者たちがおられた。事件報道から何年ぶりかで、ぼくは彼女たちの信仰の一面を見た思いがしました。やがて、その店は閉鎖され(2019年)、今でも同じ福岡古賀市で、それまでと同じように営業と信仰生活を営んでおられるという。なかなかに見極めは困難ですが、ぼくたちの側に「真贋」に対する感受性と深い考察がなければ、再び三度、「イエスの方舟」問題は、いつでも興味の対象、商売のネタにされるでしょう。ために「方舟」は、広大無辺の海の中で難破することを繰り返すでしょう。現下の政治問題でもある「(旧)統一教会」の帰趨はどうなるのでしょうか。「カルト教団」であろうが暴力団であろうが、選挙に資するなら、つるんじゃえというという、空恐ろしい「宗教政治」がまかり通っています。「信教の自由」を悪用した政治に手を染めて、この国はどこへ向かっていくのでしょうか。

慈しみ深(ふか)き 友なるイエスは
罪 咎(とが) 憂(うれ)いを 取り去り給(たも)う
心の嘆きを包まず述べて
などかは降(おろ)さぬ 負(お)える重荷を

慈しみ深き 友なるイエスは
われらの弱きを 知りて憐(あわれ)む
悩み悲しみに 沈める時も
祈りに応(こた)えて 慰め給わん

慈しみ深き 友なるイエスは
変わらぬ愛もて 導き給う
世の友われらを 棄(す)て去る時も
祈りに応えて 労(いたわ)り給わん(讃美歌312)

(讃美歌312番 「いつくしみ深き」秋本悠希・歌)(https://www.youtube.com/watch?v=Cvixv0uYn1k&list=RDCvixv0uYn1k&start_radio=1&t=66s)
日本国憲法第20条
第1項 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
第2項 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
第3項 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

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春は名のみの風の寒さや

【小社会】春の使者 山に餌がたっぷりあるのだろうか。例年なら、庭に来て野菜を食い散らかすヒヨドリが、ことしは姿を見せない。年によっては早々になくなるナンテンの実でさえ、手つかずだ。◆いつもとの違いは気になるが、春の足音は次第に大きくなっている。あちこちで梅が満開になり、菜の花もちらほら咲き始めた。気温が高かった一昨日の夜は、自宅近く水路から「キュルル、キュルル」との声が。ヤマアカガエルも繁殖のため目覚めたらしい。◆本格的な春が待ち遠しいが、ことしはその前に水不足を解消したいものだ。高知市の給水制限も続いている。昔から「春に三日の晴れなし」といわれる。早くそんな天候になってほしい。◆気がかりといえばもう一つ。花粉症の季節が到来した。既に目のかゆみや鼻水と格闘中の方も多いだろう。こちらは来ない年はなく、毎年、大襲来するからかなわない。◆本紙でも恒例の「花粉予報」の掲載が始まった。飛散量はまだ少ないが、日本気象協会の予測では四国のスギ花粉の飛散ピークは3月上旬~中旬。ことしは「西日本では広い範囲で(前年より)減少する」というが、量はあくまで「平年並み」なので対策を怠らないように。◆〈大男杉の花粉に泣きながら〉藤原わかな。いまや国民病でもある花粉症。それこそ雨が「三日の晴れ」なく降れば一石二鳥だろうか。いや、雨の後は大量飛散するとも聞く。悩ましい春の使者である。(高知新聞・2026/02/17)

 昨夜来の小雨が続いている。夜明けとともに、気温はうんと低く、雨が雪に変わりそうな気配がします(午前7時過ぎ)。少し前にも当地では5センチほども積もるような降雪があったばかり。いつものことながら、山間の辺鄙(へんぴ)な場所に住んでいるので、少しの天候異変で、車がつかえなくなることがあります。最短のコンビニまで約3.5キロ。車が行き交う狭い県道を、それも急坂を歩くとなると「命がけ」です。決して大げさではありません。劣島各地では、今どきに「渇水状態」が続くと心配されている方々もいる。あれだけ大雪が降ったにもかかわらず、水不足に見舞われそうだと、多くの人々が気をもんでいます。いろいろな意味で、「気候変動」が影響を各方面に及ぼしていると見たくなります。まだ学生のころカーソンという海洋生物学者の書いた「沈黙の春」という本を読んで衝撃を受けた。それは「農薬(DDT)」による薬害がもたらす災厄でしたが、今日も、かかる事態はいささかも変わらないままであることに、大いなる不安を抱きます。

 そして、本日は隣国中国に見られる年中行事、「春節」の初日。いわば「旧暦」による新年第一日(元旦)に当たります。「春節」は来月3月3日まで続く。この社会では、今ではすっかり廃(すた)れてしまいましたが、「春節」に合わせた行事は近年まで残されていました。ぼくがまだ小さかった頃、いくつかの行事に参加したり、眺めたりした記憶が残っています。劣島各所に存在する「中華街」などは、今もこの「春節」に派手な行事を催しているところがあります。ということですが、もう如月(きさらぎ)も半分を過ぎました。日々之新也というように、あっという間の光陰の進み行きではあります。時間が過ぎるのか、自分の心身が時を刻んでいるのか、ぼくにはよくわかりませんけれど、年を重ねること、それ自体もまた「日々之新也」であります。

 本日の高知新聞「小社会」は「春の使者」と題して、この季節のさまざまな現象の行き交いを書かれています。やはり高知方面でも「給水制限は続いている」とありまる。当方はほんの一日か二日の「断水」の経験を思い出してはウンザリしています。当地では2019年だったか、台風の直撃を受けて「停電・断水」を味わったことを鮮明に覚えている。わずか二日ほどだったか、原始生活に引き戻されたようで、変な気分になりもしました。コラムはさらに、「気がかりといえばもう一つ」と「花粉の飛散」を挙げておられる。拙宅は、周囲を杉と檜の人工林で囲まれています。今では家の屋根に覆いかぶさるようにそれらの木々の枝葉が伸びている。早くから枝落としをと思いつつ、ついに、それもしないままでたっぷりの檜と杉の花粉の洗礼を受ける羽目になっている。

 その昔は、「花粉症」などには無関係だったが、四十過ぎてから、人並みに、毎年のように眼鼻の異常な症状に悩まされてきました。どうしてという気もしますが、ある時期までは、ぼくにも杉や檜の「花粉」に対する免疫(immunity)があったものと思われます。それが時間の経過とともにすっかり免疫力も消えてしまい(都会生活も長くなり)、それこそ、人並み以上に苦しめられる有様です。耳鼻科にかかったところで、対処療法、いずれはそれも有効でなくなるのも目に見えています。「いまや国民病でもある花粉症。それこそ雨が『三日の晴れ』なく降れば一石二鳥だろうか」、この記事を読んでいて、やがて来る「春一番」を思ってみる。昔から「灯台下暗し」といいますから、杉や檜の真下に住んでいる身で、よもや「花粉」も直下には落ちてくるまいと思いたいけれど、家の周りだけではなく、周囲にある小高い森や林は「花粉大量製造工場」のようで、それこそ、どこまでも風に吹かれて飛んでくるのですから、やり切れません。当地では花粉の飛散は始まっています。つまらない駄文を書くばかりに目の疲労が進み、加えて花粉症のために数少ない目が痛む、対処療法ではあるのですが、仕方なく目薬を何種類か使い分けています。(右はウェザーニュース・2026/02/15)(https://weathernews.jp/news/202602/150196/

 「花粉飛散量は、前年と比べると東日本と北日本で上回る地域が多い一方、西日本では前年並か、前年を下回る地域が多くなる予想です。/飛散量が少なかった甲信や北陸、東北北部、北海道では、前年比で2倍以上の地域が多く、秋田県では6倍を超える見込みです。/一方、西日本では飛散量が前年並か前年を下回る地域が多くなり、2025年に記録的な大量飛散となった九州北部では、半分程度に減少する地域もあるとみています。/全国平均では、前年比で1.18倍の飛散量となる予想です」(ウェザーニュース・同前)

 「花粉飛来・飛散」以上に、今、東海の小島を直撃しそうなのが、「海外マーケット(市場)」の厳しい寒風です。まさに、要路にある人々には、一瞬の油断も手抜かりも許されない「舵取り」ですが、はた目にも、要人たちのふるまいはいかにも怪しくも危なげです。ぼくには何の資産もなく、金融マーケットの反応に一喜一憂する理由もないはずですが、この国が極端に世界の注目を浴びている今、ちょっとした判断ミス、間違ったサインが国家及び国民にとって「致命的過誤」となるのは避けられないから、必要以上に「円安・長期金利上昇・物価高」という指標に関心が向いてしまうのです。今、米国のドルが落ち目傾向にありますから、あまり「円安」は目立たないだけで、実際のところは、さてどうでしょうか。

 明日から国会が始まり、次年度122兆円超の新年度予算審議が始まります。この時期にふさわしくない、放漫財政(前内閣からの引き継ぎ)であるというほかありません。加えて、首相の訪米時には米から軍事費の過大な支出要求を突き付けられ、しっぽを振って飲むはずです。その額、単年度最大で「30兆円超」です。この大半を赤字国債発行か、増税(消費税)によるものとすれば、たちどころに金融危機は勃発するでしょうし、国家財政は破綻する、そんな心配を老いぼれの身で心配してみても始まりませんが、そうならないことを祈りつつ、そうなるだろうという「予見」を否定できない、モドカシサを始末できないでいます。まさに「春は名のみの 風の寒さや」ですね。

(場違いですか ➡)(*「『早春賦 』作詞:吉丸一昌/作曲:中田 章:1913(大正2年)」(https://www.youtube.com/watch?v=aUjhaEdmZFg&list=RDaUjhaEdmZFg&start_radio=1

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 「日本市場、国内景気低迷で円・株安、債券高-超長期債は財政出動警戒 17日の日本市場では、昨日発表された実質国内総生産(GDP)速報値が予想を下回り今後の経済政策に注目が集まる中、円は売られやすい展開となりそうだ。景気先行きに対する警戒感から株価は下落、債券は中短期債を中心に買われやすい一方、超長期債には拡張財政への不安感が重しとなりそうだ。/16日は米国やアジアの一部の市場が休場で手掛かりが乏しく、GDPを受けた高市政権の経済政策に注目が集まりやすい。日本銀行の植田和男総裁は昨日との高市早苗首相との会談について、一般的な意見交換と述べるにとどまった。金融市場での利上げの織り込みは若干低下し、4月までの利上げ確率は現在67%程度となっている。/これを受けて外為市場市場では円が軟調で、きょうもその流れが続きそうだ。また株式市場でも先週までの大幅な上昇の反動もあり、上値の重い展開が想定される。(↷)

(↻)債券市場でも、中短期債から10年債を中心に買いが優勢となりそうだ。きょうは5年債入札への注目が集まる。GDPが弱めだったことで高市首相が拡張的な財政政策を強化する可能性が意識されており、超長期債は上値が抑えられやすい。きょうはシンガポールや香港などアジアの主要市場が休場で、値動きが乏しくなる可能性もありそうだ。/(注:表中の終値は米国時間終値。円相場は対米ドル、前営業日比は円の対ドル変化率。米10年金利の前営業日比は変化幅(単位:%ポイント)。日経平均の前営業日比はシカゴ・マーカンタイル取引所清算値と大阪取引所清算値との比較。シカゴ取引所が休場の場合は大阪取引所の前日清算値と最終取引値の比較。金は1トロイオンス当たりのドル建て価格)(Bloomberg・2026年2月17日)(https://www.bloomberg.com/jp/news/articles/2026-02-16/TADF7TKJH6V400?srnd=jp-homepage

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