「一人の日本人」と「日本人の一人」と

【日報抄】紙面を読んでいると、どきりとする言葉に出合うことがある。「ニュースは、人間を数字にするから」。俳優でモデルの長井短(みじか)さんが書評の中で記していた▼社会の中で起きた出来事を報じるとき、その規模や信ぴょう性を裏付ける意味でデータは不可欠だ。しかしデータはあくまで数字に過ぎない。例えば「事故で○○人が死亡した」と報道されたとする。命を落とした一人一人にはそれぞれの人生があったはずだが、数字だけでは命の重みが十分には伝わらない▼長井さんが紹介していたのは「〈ガザ〉を生きる」という本だった。絶えず外部からの攻撃にさらされてきた人々による手記が収められている。文面からは「天井のない監獄」と呼ばれるガザの惨状や、かの地で暮らす人々の息遣いが伝わってくる▼ある女性は落ち込んだときの慰めにと、クマのぬいぐるみをたくさんベッドに置いていた。けれど、その家は破壊され、友人を何人も亡くした。人間の存在が切り刻まれていると訴え、叫ぶように記した。「私はただの数字じゃない。夢も感情もある人間だ」▼ガザ当局によると、2023年の戦闘開始以来の死者はことし1月時点で7万人を超えた。ロシアのウクライナ侵攻では、米国の研究所が両軍の死傷者の合計を最大180万人と推計した▼途方もない数字の裏には同じ数の人格と生きざまがある。だが日々のニュースではなかなか伝えきれない。もう一度、前述の女性の言葉をかみしめる。「私はただの数字じゃない」(新潟日報・2026/02/16)

 「人間を数字で語るな」というなら、川崎洋さんの「存在」がよく知られています。それを引用した長崎新聞のコラム「水や空」には、こうありました。「名前の一つ一つに存在の重みが宿る」と。そうも言えるし、もっと軽妙に考えてもいいのではないかと、ぼくなどは考えたりしています。名前があろうがなかろうが、「自分は自分」という心持をいかにしたら持てるか、そういう問題のような気がします。面倒なことは言いません。「名こそ惜しけれ」といわれてきました。「命を惜しむな」という前口上があっての言いぐさです。それは鎌倉武士の「覚悟」だったかもしれませんが、今風に言うなら、「嘘はつくな」「己の名を辱めるな」ということでしょう。「名」とは自分を表す「象徴」です。だから、「自分の心に恥ずかしいことはするなよ」という、自己(への)啓示ですよ。

 なかなか面倒なことで、「名実ともに」とか「名より実を」などともいいますから、要は自分自身の身の丈に合った覚悟を問われて生きているということ。「虚名」を上げると伊野は論外のことであり、ぼくたちは名は体を表し、精神を表すという具合に生きていたいんですよ。何をしたから値打ちがあり、何をしなかったから価値が下がるというものでもないでしょう。「名は体を表す」とは「名はそのもの実体を表している。名と実は相応ずる」(デジタル大辞泉)のです。

 しばらく前に、ぼくはある中学校の入試問題に出された「詩」について疑問を感じるという趣旨の愚見を書きました。その要点は「わたしはばんごうになりたくない」というこどもの発言を土足で踏みにじっている気がしたということでした。(ヘッダー写真:「がれきが散乱する中、わずかな食料を口にする2歳のアルマちゃん(パレスチナ、2025年3月22日撮影)」(UNICEF)

 世間の大方は、なかなかやるではないか、「さすがだな」、この学校はというものだった。そうだろうかという大きな反発心がぼくに生じたから、「それはおかしいではないか」という疑問の提示でした。いのちを消される恐怖に怯えながら発した「肺腑の言(あしに おなまえかいて、ママ)」を出汁(だし)にして「成績」「点数」を競わせる、まるでガザの日常の真反対にいて、その現実を愚弄しているように思われた。子どもの感受性や受け止める力を「試す」という大人のこころない仕業でしょ。「ガザの地獄」を知るのは「入試問題」のおかげだというのは、驚くべき退廃だし、それに異を唱えない「(学校・教育)道徳」の敗北ではないでしょうか。学校優等生とは、いかにも残酷な試練を超えてきたんだと思うね。

 (参考資料として:毎日新聞(2026/02/16)= https://mainichi.jp/articles/20260216/ddm/041/100/062000c

【水や空」名前の重み 詩人の川崎洋さんに「存在」という一編がある。〈「魚」と言うな/シビレエイと言えブリと言え/…「花」と言うな/すずらんと言え鬼ゆりと言え〉。名前の一つ一つに存在の重みが宿る。「魚」「花」と、ひとくくりにはできない。そんな意味だと察する▲詩はこう結ばれる。〈「二人死亡」と言うな/太郎と花子が死んだ と言え〉。名前の、存在の重みを忘るるなかれ。「二人」と束ねることなかれ。詩人の願いだろう▲思い当たることがある。東日本大震災が起きたあと、死亡が判明した人の数多くの氏名が連日、紙面を埋めた。一つ一つの名前に詰まった何年、何十年かの歳月を思って、心が痛んだのを覚えている▲では、公表する側はどうかといえば、多分に迷いがあるらしい。災害時に亡くなった人の氏名の公表について、まとまった方針を国が示すように多くの自治体が求めていることが、共同通信の調査で分かった▲本県を含む多くが「遺族の同意を得て公表」だが、非公表とした県もある。「遺族」とはどの範囲なのかもあいまいで、自治体の一存による公表をためらう向きが強い▲7月はとりわけ豪雨被害が案じられる。太郎に花子と、まずはその名を公表する事態にならないよう、用心に用心を重ねる時季でもある。名前の重みを確かめたい。(徹)(長崎新聞・2023/02/04)

 「ニュースは、人間を数字にするから」(長井短)、「『魚』というな/シビレエイと言えぶりと言え…」(川崎洋)。そして、「人間というな」という語が続きそうな勢いですね。「あなた」と言え、「君と呼べ」と。それが「名前」「固有性」「独自・個別」というものでしょう。ぼくはかなり以前から「日本人の一人」ではなく、「一人の日本人」という表現をあえてしてきました。その意味は「日本人という固まり(塊)」の一部ではなく、いろいろな個々人がいて、初めて「日本人」という集合が成り立つという気分が強くあったからです。「いろいろ(多彩)な日本人」、それが本当のところではないですか、と。ぼくは固まりの一部ではないといったところで、結局は「日本人」という集合(抽象)の中に閉じ込められるのかもしれません。でも、「日本人はこうあるべし」というような「型枠日本人」を体現してたまるかという、気分というか気概だけは失いたくなかった。(右は川崎さんの作)

 「私はただの数字じゃない。夢も感情もある人間だ」という叫びは誰彼にもあるでしょう。一時、「社会の歯車になりたくない」というようなことが盛んに言われたこともありました。あえて「集団の中に自分を閉じ込める」必要もありません。それで思い出すのは、「らしく」というへんてこな言葉に、ぼくは長い間悩まされていたという事実です。小学校の5年生の担任(男性教師)が教室の黒板の上の壁に「らしく」と墨書した額をかざしていた。その三文字の意味が理解できなくて、それこそ相当に時間がたってから教師が何を言いたかったかがわかった気がしたのでした。今でいうなら「ジェンダー」ですね。「男らしく」「女らしく」「子どもらしく」「京都人らしく」「茨城県人らしく」「日本人らしく」…、気がついてみれば、まるで狂気に侵された物言いのように思われたのでした。個々人を固まりに閉じ込めるような強制力が働くでしょう。そんなものは蹴飛ばせ、という反発心だけが早くから芽生えたといってもいい。要するに「らしく」の強制力の中で、「自分」は溶解していくばかりだということに抗っていたというのでしょう。

 「「二人死亡」と言うな/太郎と花子が死んだ と言え」ぼくが一貫して学校の「習性」(「強制性」)を嫌いぬいたのは、「人間(ひとり)」を固有性で捉えない、捉えたくない「文法(約束)」に一矢報いたかったからです。個人でも固有性でもなく「数字」「番号」「点数」「成績」でしか表そうとはしない、その暴力に抗い続けていた。もちろん、そのような「不良」は学校に「自分」の居場所はなかったろうが、それでもぼくは、黙ってそこに居続けて(影や空気になっていたのではない)、いくつかの学校を終わった。ぼくの得た知恵(といえるかどうか』というものは、「そこにいて、そこにいない(ような)(心、そこにあらず)」存在になるということでした。その逆また真です。「そこにいなくて、そこにいる(ような)」存在に憧れていましたし、今でもその気持ちはいささかも変わらない。まあ、ありていに言うなら「学校の餌食になる(Become a victim of school)」ことは断じて認められなかったんですね。「目立たぬように はしゃがぬように」「似合わぬことは無理をせず」「ねたまぬように あせらぬように」「飾った世界に流されず」(河島英五・「時代おくれ」)というようなものでしたでしょうね。「そういう男に」ではなく「そういうおれに おれはなりたい」と、ね。

 「自分らしく」がわかれば、ぼくは苦労しません。そんなことではなく、当たり前に生きること、できるだけ嘘をつかない、困っている人がいれば、なんとか力になりたいという、それこそ、そんな細(ささ)やかな想いを失わないで生きていきたいと切願しているのです。 

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「徒然に日乗」(1004~1010)

◎2026年2月15日(日)終日自宅に。気温は低くなないが、日がかげると肌寒さを感じるのは、今どきの気候だからだろうか。(1010)

◎2026年2月14日(土)朝から日差しは強く、気温も上がっていたが、午後からは一転曇り空。気温はそれなりに高いので、雪の心配はなさそうだが、降雨があるかもしれない。そんな陽気の中を買い物のために茂原まで出向く。毎度のことだが、自分で買い物をしていながら、支払金額が高いのに、我ながら驚く。「インフレ増税」がすっかり定着してしまった。いずれその「つけ」が必ず回ってくるだろう。(1009)

◎2026年2月13日(金)終日自宅に。かみさんは知人の葬儀のために佐倉まで出かけた。午後、「中道」の党首選挙の報道を見る。予想通りにO氏が当選。「君はどうして総理大臣になれないのか」というドキュメントでも知られるように、早くからのホープだった人。しかるに、彼の履歴を一瞥すると、いかにも落ち着きがないと感じてしまう。挙措といい発言といい、常に落ち着きがないのだ。いわば「無定見」とぼくは見る。人によっては「機敏」と取るかもしれないが、とにかく、軽挙妄動に映るのはどうしたことか。「弱小政党所属」だからだろうか。一時的にしろ、政権の座にあったのに。それはともかく、まったく肌合いの異なる、成り立ちの異なる二つの政党が一党になることは、一人一人の「党員」の内面の問題に根差すことになるから、想定をはるかに超えて困難な作業だと思う。彼(新代表)にそんな力量があるとは思えない。つまりは、早晩この「中道」は分裂するだろうと、今から予見しておく。もちろん、国政の現状に鑑みて、そうならないことを強く願うが、果たしてどうか。(1008)

◎2026年2月12日(木)一時の寒波が収まって、ようやくに春の兆しが見えてきた。珍しく雨がぱらつき、異様に低かった湿度もなんとか、30%などという値が現れるようになった。(拙宅の湿度表示は、20%を切ると数値が消える仕掛け)。それでもなお、各地に住宅火災や山火事が頻発しているのが気になる。▶市原のホームセンターまで猫の「おやつ」を買いに出かける。いつも買うものだが、やや安いと思われるので、すこし遠出になるが、ここまでやってくる。同じ敷地にあるスーパーはいつも混雑しているのは、値段が安く、量が多く、加えて品数がそろっているからだろうか。自宅からは、片道10数キロはある。▶帰宅後、「中道」の代表選の中継を見た。異なる政党が一緒になるのだから、なかなかに大変で、はたして一つの政党としてまとまるのだろうかと、大いに気になる。そうはいっても「野党第一党」だから、それなりの存在感を示さなければ、この国はますますあらぬ方向に引っ張られてしまう恐れがある。健闘を期待している。小さな塊ではなく、さらに正体が大きくなることが求められていると思う。「一党多弱」などと、権力の側から揶揄されている場合ではないはず。▶株価は58000円超を付けた。率直に指摘すれば、「アベノミクス」の二番煎じでしかない、放漫財政による株高操作だといっていい、円安は一時的な上下(変動)はあるだろうが、いずれ、近いうちに株の大暴落、円安のさらなら亢進、長期金利の上昇という、大変なクラッシュが来るに違いない。つまりは、極端な「日本売り」だ。(1007)

◎2026年2月11日(水)「建国記念の日」だという。これを祝う政治的集会がどこでどれほど行われたのか知るところがないが、変われば変わるというか、あるいは驚異的な「選挙大勝」、あるいは「大敗」に肝をつぶしているのだろうか。「国の誕生」などという神話に浸るムードはなくなったように思われる。それにしても、国民一人一人に焦点を当てるのではなく、国、国家という抽象概念に驚くほど重点を置く政治がこれからも進められようとしている。果たして、そんな時期であるのかどうか、それこそが問われるべきだと思う。▶この国の運命を決するような契機になるはずもない選挙結果だったが、果たして米国一辺倒の追従政治でいいかどうか、それこそが問いただされる必要があろう。それがなければ、この国の将来は真っ暗だと、ぼくには思われる。(1006)

◎2026年2月10日(火)十数年ぶりの降雪もようやく溶けて、車で出かけることができるようになった。昼前に茂原まで買い物。相も変わらず物価は高いまま。いよいよ「インフレ増税」の政府方針が明らかになったと思われる。円安・インフレ・金利上昇という三要素はいよいよ収まる気配を見せていない。政治がまるで空中分解している気分に襲われている。(1005)

◎2026/02/09(月)作夜来の降雪もようやくおさまったが、およそ15㌢の積雪量だった。午前中は日差しも出たので、あるいは車が動かせるかと、やや時間をおいてお昼ごろに付近を走行してみた。日陰では凍っていた部分もあったが、ほぼ滞りなく走行できた。▶昨夜は選挙報道を一切見ないで就寝。もちろん、例の「ラジオ深夜便」も選挙速報に乗っ取られていたし。全体の結果を知ったのは朝の四時だった。驚くべき選挙結果だったが、ぼくの従来の想定で見るなら、共産党が政権を取ったのではないから、まあ、これまで通りのものに、やや微調整を加える程度かとも言えそうで、もちろん「憲法改正」や「スパイ防止法」などの国家の権力の強化を求めるような政策変更は大いに論議して決めてほしいと願うばかり。そして、ここでもう一度、二大政党制をとるなら、つまりは「小選挙区制」を維持するなら、選挙方法のいくつかの変更(改正)を議論しなければならないだろう。それはともかく、もう少し、政治に対する信義や道義というものを政治家自身に堅持してもらわねば話にならぬ。無理は承知の上で。▶想像するに、この国は新しい「茨の道」を進み始めたことがだれの目にも明らかになる選挙結果だった、「ネオナチズム」(新ファシズム)という邪道、滅びの道を、である。(1004)

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春一番来し顔なればまとまらず

【小社会】春一番 「春一番」と聞くと、50代としてはキャンディーズのヒット曲が思い浮かぶ。〈♪もうすぐ春ですね〉。春の使者という語感さえあるが、語源をたどるとそんな生易しい風ではないようだ。◆幕末の早春。いまの長崎県壱岐の漁船群が五島列島沖で猛烈な南風を受け沈没した。命を失った漁師は53人。地元ではこの風を春一番と呼び、死者の供養と教訓を語り伝えた(倉嶋厚監修「風と雲のことば辞典」)。◆きょう15日は1963年、新聞が初めてこの言葉を使った「春一番名付けの日」だそうだ。四国地方では立春から春分までに日本海で低気圧が発達し、初めて南寄りの強風(秒速10メートル以上)が吹いて気温が高くなる現象とされる。〈春一番大地ひと皮剥(む)いてゆく〉内山照久。◆暦の上では立春の時候に行われた衆院選は、「高市旋風」が春一番のように吹き荒れた。吹き飛ばされた中道改革連合。多くのベテランも期待の若手も失い、更地のようになった新党の代表に小川淳也氏が選ばれた。◆タカ派色が強い高市政権に対し、穏健な勢力の結集を掲げた狙いは間違いとは思わない。ただ、有権者はそっぽを向いた。更地からじっくり理念や政策を練り直す必要もあるのだろう。健全な民主主義を考えれば巨大与党のチェック機能、対抗軸の再生には重い責任がある。◆〈♪風が吹いて暖かさを 運んで来ました〉。野党第1党がひと皮剥け、芽吹くことはあるのかどうか。(高知新聞・2026/02/15)(「春一番の意外なルーツ」(月刊SORA」:https://weathernews.jp/soramagazine/201703/05/)

⁂「週のはじめに愚考する」(壱百陸)~ 表題句は伊藤白湖作。当地でもまだ『春一番』は吹きませんが、その気配は感じている。表題に掲げた「春一番来し顔なれば」はどんな句か。これを面白く解説された方(俳人)がいます。それを借用。〈…句の「まとまらず」は卓抜な表現だ。思わず、膝を打った。「ひどい風ですねえ」と入ってきた人。強い風のなかを歩いてきたので、髪は大いに乱れ、しかめっ面にして吐く息もいささか荒い。コンタクトを使っている人だったら、おまけに涙さえ流しているだろう。そんな人の顔つきを一瞬のうちに「まとまらず」と活写して、句が見事に「まとまっ」た。なるほど、人間の顔は時にまとまっていたり、まとまっていなかったりする。江戸っ子風に言うと「うめえもんだ」の一語に尽きる。こういう句に突き当たることがあるから、俳句読みは止められない。『今はじめる人のための俳句歳時記・春』(1997・角川mini文庫)所載。 (「増殖する俳句歳時記」清水哲夫)

 俳句とはいかにも融通無碍(ゆうづうむげ)な芸であるか、この一句でも納得するのですよ、ぼくは。どんな場面や景色でも詠むことができなければ、そんなのは俳句ではないという気もします。俳諧とか排風とは「こっけい・おかしさ・戯れ」と辞書にある通り、まじめな俳諧というのは語義矛盾していると思います。「排風(蕉門)」もしかり。滑稽や可笑しさを含まないものを「俳句」とは言わない。川柳は、だから俳句の異母兄弟姉妹でもあるでしょう。「春一番に打たれた顔」は、なんだか「まとまっていない」というのも、取り方は色々ですが、「可笑しいね」と言っておきます。いつだって「春一番」に遭ったような顔つきの人もいますしね。

 今年の「立春」は2月4日、「春分の日」は3月20日ですから、一か月半という、それなりに長い期間、各地で各人はそれぞれの洗礼を受けることでしょう。各地・各所で、いろいろな「春一番」が吹き荒れる季節到来です。(時には「春二番」春三番」ということもあります)今冬、最も早くかつ激しく吹いた「風狂」、それが「春一番」だったかどうか怪しいが、都内千代田区永田町から始まって、劣島を狂風・暴風に巻き込んだ、季節外れの「冬一番」がありました。瞬間風速はどれくらいあったか、それがために中小政党は木っ端微塵に蹴散らされた。むろん、公職選挙法も、それこそどこ吹く風で、清き一票を行使できない人もたくさん出ました。また「公選法違反」すれすれを、時の首相たちが率先して実践するという呆れたボーイズやガールズたちも出る始末でした。その後始末もできないうちに、つぎの「大嵐」がやってきそうです(2月18日国会開会)。(この狂った解散劇を生み出し演出したのが、「D通」でした。この会社は満州事変以来、この国に巣くって、梁や根太を食い荒らしてきたことはよく知られている。金になるなら何でもする。国などそうなっても構わないという、恐ろしげな会社です)

 自分で勝手に一人決めしている「国論を二分する」大問題、第一に「憲法改正」です。開会の冒頭で、「憲法改正宣告」をするかもしれません。議席の3分の2あれば、何んでもできるという、国会は実(げ)に恐ろしいところ。この「早苗風」という爆風(スランプ)は前後の見境がないのですから、各党、準備もなかなか大変だと思われます。「日本国憲法」は死滅する寸前です。それもまた国運ですから、死ぬならどうぞ、という気分です。第9条の改正(改変)、自衛隊は「立派な軍隊」、国家危急存亡の暁には「国軍」として敵退治に乗り出す、その準備(憲法に自衛隊の存在を明記)だけはしておこうというのですから、「反対する輩」がいるはずもなかろうという気構えでしょうか。それについて、防衛費は今のままではとても駄目、GDPの5%とアメリカの「言い値」になるのは目に見えています。「名目GDPは630兆円(24年度)」ですから、優に30兆円を超える防衛費で、いったいどこと一線を交えるつもりでしょうか。まさか、中国が相手にするとでも考えているんですかと、ぼくは野暮な質問をしたいね。そして「核保有」の国策導入。核実験はどこでするんですか。原発立地の地域は腐るほどあるとでもいうのか。その昔「日本劣島不沈空母」と言ってのけた総理がいましたが、奈良の宰相は「核兵器」で劣島を覆いつくすとでもいうのかしら。

 それに加えて、「狂乱物価の嵐の後」の予兆が強まっています。つまりは「インフレ増税」という、何もしない(不作為)で税収が増える旨味を逃すものかという、醜悪な暴政による「暴風」です。円安・国債暴落・長期金利上昇という三悪(日本売り)。その他、永田町を震源とする暴風雨、あるいは地震(地殻変動)は、未曽有の国難をもたらす虞(おそれ)なしとはしないのです。(ここで、疑問を一つ。『春一番』の写真は、なぜか女性ばかりです。どうして? 男の髪が「乱れに乱れる」ことが、まずないからでしょうか。)

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 「春一番(仲春)【解説】壱岐で春に入り最初に吹く南風をいう。この風の吹き通らぬ間は、漁夫たちは海上を恐れる。(宮本常一)」

 「季節が冬から春へと変わる時期に、初めて吹く暖かい南よりの強い風のことを言います。具体的には、2月4日ごろの立春(りっしゅん)から3月21日ごろの春分(しゅんぶん)までの間に、日本海で低気圧が発達し、初めて南よりの毎秒8メートル以上の風が吹き、気温が上がる現象のことです。この強い南風は、竜巻などの突風(とっぷう)を伴うこともあり、注意が必要です」(気象庁「」はれるんライブラリー)

◎ 春一番(はるいちばん)= その年の立春から春分までの間に最初に吹く強い南寄りの風のこと。通常は日本海で低気圧が発達することによって生じる風であるため,海難事故,融雪洪水,なだれ,日本海側の地方ではフェーン現象で大火などを引き起こすことがある。気象庁の定義は,(1) 立春から春分までの間であること,(2) 日本海に低気圧があること,(3) 強い南寄りの風(風向は東南東から西南西まで,風速 8m/s以上)が吹くこと,(4) 気温が上昇すること,である。石川県能登地方や三重県志摩地方から西の各地で昔から使われている。長崎県郷ノ浦町では安政6(1859)年2月13日(新暦 3月17日)に長崎県五島沖に出漁した漁師 53人全員が,春の強い突風で遭難した。これ以後,郷ノ浦の元居地区では,春の初めの強い南風を「春一」または「春一番」と呼ぶようになったといわれている。一般に広く普及したのは 1960年代前半で,1963年からは一般新聞紙面の天気図欄に掲載されるようになった。(ブリタニカ国際大百科事典)(左上と右下の写真は、いずれも長崎郷ノ浦町にある「海難記念」のものです)

 今日の季語となっている「春一番」には、大きな悲劇が発端となっていたのは上に引いた事典の通りです。今から二百年近く前に起こった壱岐の漁師たちの海難事故でした。海での時化(しけ)による事件・事故には枚挙にいとまなしですが、この海難事故は規模といい、季節といい、未曽有の出来事として、長く記憶に留められてきたのでした。ヘッダー写真に掲げた所以(ゆえん)です。それから見れば、1963年以降に新聞で使われ出した「春一番」はおとなしいもの、そうはいっても油断大敵で、時には、山火事や住宅火災による大きな被害をもたらすことはありますが、それは『春一番』の季節に限らないこと。今日の「気候変動」の影響によって、従来通りに「春一番」がそれなりの範囲で発生するかどうか、発生しておとなしく終わるかどうか、ぼくにはわかりません。場合によっては「春二番」「春三番」と続くことがある。

 ぼくの実感では、千代田区永田町では、著しい「気候変動」の災厄が生じている気がします。嘘八百の首相が、圧倒的に有権者の支持を得、世界大で「名宰相」と持ち上げられている、この奇怪な現象は、禍々(まがまが)しい災難の予兆と、ぼくは見ています。政界では、しばしば「与野党」などと称して、いかにも対峙・対立しているかの幻想を抱かせますけれど、何のことはない、皆さん、きわめて近しい「友人・知人。いやひょとすると、兄弟姉妹かもしれないというほどに近しいのですよ。だから、ごく少数の政治家を除いて、その気心は知れています。それぞれの政治家の政治的・正統的軌跡を一目すれば、やっぱり、ということに頷かれるでしょう。「昨日の友は、今日の敵」であって、その逆またしかり。要するに「みんな仲間」なんだ。

・春一番過ぎし凪なり壱岐対馬(龍頭美紀子)
・月丸し春一番のあとに出て(阿波野青畝)
・雨雲を掃き朝翔けの春二番(佐藤鬼房)
・春二番一番よりも激しかり(牧野寥々)

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君はどうして総理大臣になりたいのか

 巧言令色(こうげんれいしょく)と巧偽拙誠(こうぎせっせい)と 

 我ながらウンザリしています。「今日もそれ(政治問題)か」、という呆れる思いがぼくにはある。つまり、「政治向きからは離れたらどうか」というささやき声がしきりにするのです。しかし、そこはそれ、コラムを「出汁(だし)」に、わが衰え著しい脳細胞を、無駄とは知りながら、刺激することを旨として雑文書きなぐりを始めた以上、各紙「コラム」の勢いに流されるのは、一面では仕方がない。加えて、「鼓腹撃壌」を決め込み、「帝力なんぞ我に有らんや」と、権力(政治)にソッポ(外方)を向けて、自分の日常に没頭(埋没)していたいのはやまやまだけれど、若い時の政治的無関心にぼくは痛く懲りたこともあって、それもできないので、否応なし(詮方なし)に、昨日も今日も、この国の衰弱著しい「政(まつりごと)」に悪態をつく羽目になっているのです。それも今少しの辛抱さ、と思いつつ、です。

 熟年結婚をしたが、誰も彼もが賛意を(祝意)を示さないままに、いきなり嵐(衆議院選挙)に襲われ、家もろともに吹き飛ばされ、一つになったと思っていた「家の子郎党」は雲散霧消し、結婚の当事者(共同代表)は表舞台から消えてしまいました。残された一方の郎党もまた、「兵(つわもの)どもの夢の跡」と、まさしくぺんぺん草も生えないような荒れ地に放置されたまま。そしてようやく、家屋敷の瓦解を避けようと、きわめて少数の奇特な家人(サバイバー)たちが「家再建」に乗り出そうとした。その顛末を房総半島の山中に「陸沈(滅亡寸前の身)」しつつ、おおよそのふるまいを見てきました。ありていに言うなら、まさに「四分五裂」の為体(ていたらく)、驚くべき醜態を晒(さら)してしまいました。「これが政党なのか」と、怨嗟や叱責、あるいは罵詈雑言がが、内からも外野からも飛び交っています。結果、昨日、わずか、残党「49人」で(赤穂浪士より2人も多いのを奇化とするか)、討ち入りならぬ「討ち死に」を避けるべく立ち上がろうとしたのです。ここまで落ちて、党や党員の「死に体」は明らかであるにも関わらず、それでもなお、 「死からの復活(Resurrection from the Dead)」を願う政治家たちの「覚悟やいかに」と、ぼくはそう思っている。選挙制度の仕業、圧倒的多数の「氏に票」を出したのだから、「小選挙区制」の弊を、自らの勝ち点にできなかったのは、理由があるにせよ、普段から、のうのうと油断していたということ。そう納得すれば、浮かぶ瀬もあるぜよ。

 そして敗残の兵(つわもの)たちの総大将に、香川の「パーマ屋の息子」が名乗りを上げました。O氏。1971年生まれ。彼が役所をやめ、議員になりたてのころから、ぼくはなぜだか(偶然にも)、彼の挙措をよく見ていました。とにかく、なかなかの自己顕示欲の達者な人物と見えたからでした。そして、「新代表」に決定・選出されたのを機に、改めてOさんの「軌跡」を振り返り見ることにしました。そして、ぼくは一驚を禁じえませんでした。詳細は避けますが、実に「変わり身の早い男」と記録されているではないですか。移り変わりが激しい、その解釈をぼく流に読むと、そうなるのです。それをよく受け止めれば、彼は「機敏(つまりは風見鶏)」でありもすれば、いやどっこい、皮肉にみるなら「右顧左眄(うこさべん)」「物干し竿(ものほしそう)」に映りましょう。率直に言うなら、どうやら彼には「筋金(die-hard)」というか「背骨(backbone)」がなさそうなのです。まるで「軟体動物」のごとく、です。だから、「奈良の女」と相似形だと思った次第でした。

 実にはっきりと物事はいうけれど、まさに、「朝令暮改」「言語明瞭、態度流行」を絵にかいたような御仁でしょう。ご本人は断じてそれを認めないのは、当然です。あくまでもぼく個人の偏った印象ですよ。原発問題しかり、「集団的自衛権」しかり、憲法改正問題しかり。つまり、大向こうを唸らせる結構な発言はするが、指摘されても撤回はしないで、訂正・修正は厭わない(弁解・言い訳の名人)という、ぼくはこれを「無定見(inconstancy)」と見たのです。それは時には「不誠実(inconstancy)」に重なると思う。要するに、人でも物でも、みる目がないという、大きな欠陥を隠し持っているというか。でも世間の人はそうは見ないで、彼の表層を見るだけ。だから、何度も当選を重ねる。政治家の典型です、ね。それ故に、いつだって「表層雪崩(ひょうそうなだれ)」が起きるのでしょう。

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【有明抄】君は総理大臣になれるのか コロナ禍の2020年に話題になった映画がある。題名は「なぜ君は総理大臣になれないのか」。主人公は官僚を辞め、衆院議員に挑戦する一人の青年。初出馬からの17年間を追ったドキュメンタリーだ◆総理大臣になるには政権与党の党首に就くのが王道。だが、この青年は2003年、野党の民主党から香川1区に初めて立候補。地盤、看板、かばんの「3バン」なしで奮闘したものの落選した。2度目の挑戦で比例復活で初当選。民主党が政権を奪取した09年の総選挙では初めて小選挙区で勝利した◆彼はその後も保守王国と呼ばれる香川で比例復活を含めて当選を続け、今回の衆院選で8選を果たした。そしてきのう、野党第1党である「中道」の新代表に選ばれた。小川淳也氏(54)である。自民党が記録的勝利を収める中、小選挙区で勝利した中道の候補7人のうちの1人だ◆健全な民主主義の実現には多様な声を国政に届ける野党の存在が欠かせない。ただ、民主党から中道に至るまでの野党の離合集散は複雑で主義、主張が分かりにくくなっている◆小川氏は初出馬から23年を経て、総理大臣になれる位置まで来た。ただし、中道が政権をとればの条件付き。政権交代はおろか、中道は再び離合集散を繰り返すのではと冷めた見方もある。まずは党再建へ新代表のお手並み拝見。(義)(佐賀新聞・2026/02/14)

【新生面】火中の栗 2017年秋の衆院選を前に希望の党をつくった小池百合子東京都知事の「排除」発言が忘れられない。当時、民進党からの移籍組を「全員受け入れる気はさらさらない」と突き放した▼民進党の前原誠司代表の側近だったのが、きのう中道改革連合の新代表に就いた小川淳也さん。彼を取り上げたドキュメンタリー映画は、逆風にさらされて自民党候補に敗れた香川1区の戦いを描写した▼対照的に、移籍を拒んだ枝野幸男代表率いる立憲民主党は躍進。映画の中で、今後の政治スタンスを聞かれた小川さんは支持者に「前原さんほど右ではない。枝野さんほど左ではない。保守派とリベラル左派の間、まさに『中道』のど真ん中を行きたい」と答えた▼8年余り前のやりとりだ。長く敵同士だった公明党と立憲民主党が中道という名の新党で今回、衆院選に臨むとは思ってもいなかったろう。まして議席数を49まで減らす惨敗を喫するとは▼党の立て直しが急務だ。高市早苗政権を監視する役割も求められる。小川さんは代表選後、国民生活の安定と将来見通しに全力を尽くすと決意を語った。ただ迫力がもう一つの印象だった。対峙[たいじ]しなければならないのは戦後最多の316議席に膨らんだ自民党である▼党首の知名度も分が悪い。相手は愛用品やファッションをまねる「サナ活」という言葉が生まれるほどの人気者。ドキュメンタリー映画のタイトルは『なぜ君は総理大臣になれないのか』だったが、存在感を示さなければ、道は開けてこないかも。(熊本日日新・2026/02/14)

 (言わなくてもいいことですが。映画の画面に「家族」が総出で父親・夫の応援をする風景が見られます。ぼくは、このような「微笑ましさ(を装ったかもしれない)」らしい姿勢には反吐が出る。もちろん、ぼく個人の意見ですが、子どもやかみさん(妻)は「別人格」ではないかと思う。家人が父や夫を応援したいといっても、このような風潮をぼくは忌み嫌いますね。要するに、「公・私」混同(取り違え)と受け取られるからです) 

 (「火中の栗を拾う」というに語には、いくつかの解釈があります。多くは「① 他人のために、自らの身・安全をいとわずに危険を侵す」と捉えられます。②は「《猿におだてられた猫が、いろりの中の栗を拾って大やけどをしたという、ラ‐フォンテーヌの寓話(ぐうわ)から》自分の利益にならないのに、他人のために危険を冒す(愚か者?)たとえ」デジタル大辞泉)(あえていうなら、ぼくは②のほうに身を置くもの)

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 代表選出後の記者会見で、ある記者から「アメリカの大きな政治的不祥事でもあるエプスタイン事件(文書)」について質問され、「なに、エプスタイン? 不勉強にして知りません」と言ってのけたことに、ぼくはゾッとした。そこにはいくつもの問題があると思ったからです。「善意の人」「正直な男」と受け取れば、どうということもないでしょうが、今アメリカ政界の、大統領を巻き込んだ不祥事(それも人身売買や人権侵害に該当する事件の当事者だった人間にかかわる)そんな深刻な問題を「知りません」と実にあっさりしたもの。この何年も、いや何十年も、米国で問題になり続けているのに、関心を示さないのはどういうことか。ぼくには解せないという以上に、彼には不感症の虞(おそれ)が多分にあると、大いにこころが痛むし寒々しい思いがします。(左写真は「(左から)2000年2月に一緒に撮影されたトランプ氏、この5年後に結婚したメラニア現大統領夫人、故エプスティーン元被告、マックスウェル受刑者」BBC・2025/07/22)

 「君はどうして総理大臣になれないのか」(大島新監督作品・2020年公開)、このようなドキュメントを作った監督の人間観察眼の鋭さを指摘すべきでしょうか。ぼくはそうは見なかった。見栄えはいいし、格好のいいことも口にする。それだけではないかというつもりはありませんけれど、「無定見」は拭(ぬぐ)い切れません。それは「しっかりした考え方や意見を持っていないこと。確固とした見識がないこと。また、そのさま」デジタル大辞泉)ということです。見栄えはいいし、耳当たりのいい言葉がポンポン出てくる。つまり「巧言令色」(口八丁)であり、そうではあってもなお、「巧偽ハ拙誠に如かず」ということであります。あくまでもぼくの印象。

 記者会見で、もう一つ奇異に感じたこの人の特質、それは聞かれた質問に答えるのではなく、自分の見識(内容空疎)をひけらかしたくなるということ。その態度によって、その人は「賢い」のではなく、「賢ぶっている」だけという印象を、ぼくは強く持ちます。「表向きの見栄えはいいけど、裏はゴミダメ」そんなことはまさか、あり得ないでしょうが、その疑いはある。にわか勉強家・学校優等生の一大特質。その臭気は「奈良の女」にも滲み出ています。「巧言令色」の「巧言」とは「心のこもらぬ飾り言葉」であり「令色」とは「表情を愛想よく飾る」ことです。「君子豹変 小人革面」(「易」)「小人は面を革(あらた)む。順にして以て君に從ふなり」、要するに、顔色を変えて従うふりをするということです。(作り笑いの得意な面々、政治家にはごまんといる)

 偉そうな批判をしていますが、彼(Oさん)がどんな「政治家の先輩たちに近づき、そして離れたか」、それを知るだけで、驚くはずです。まるで見境がないといってもいい。彼の感性はじゅぶんに鋭いか、ぼくはそれも疑っています。それはそれとして、二つの政党が「政略結婚」、それも「熟年結婚」を、表向きでは、しました。一方の党の前の相手は「我が世の春」を謳歌し出しているというのに、離縁された古女房(政党)は、結婚・離婚を繰り返した末に、たまたま似た者同士が集まりつくっだ「烏合の衆・政党」とマッチングアプリで出会ったが、それぞれの身の振り方を考えるいとまもなく、「出会いがしら婚」をしたような具合でした。それもつかの間、この無謀な、思い付き「結婚」は跡取り息子・娘たちたちに相続を委ねて、新しい段階に進んだというのでしょう。

 それぞれの「連れ子(義理の兄弟姉妹)」は多数であり、それぞれの親類縁者を入れれば、天文学的数字になります。うまくいくはずもないものを、無理にでも一緒にするということは土台、無茶で無理な話。1+1=マイナ100超。この難問に果たして「正解」はあるか。そして、その上に、願わくば「奈良の女」と「香川の男」が、よもや手を組むことはいでしょうね、とぼくはこの国の行く末を案じつつ、勝手次第にくっついたり離れたりしたら、残された一億の国民は路頭に迷うということを肝に銘じてほしい、と山中、密(ひそか)に念じるのみ、です。(左写真「老いらくの恋」ならぬ「末期の合体」は粉々に砕けてしましました)(折しも、本日は「聖バレンタインデー」だそうです)

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国が「正しさ」を強要する時代…

【産経抄】賢しらぶる「声」に惑うなかれ、高市首相は民意への答えを 何年か前、小紙ウェブサイト「産経ニュース」で音声によるインタビューの連載を担当した。▼取材相手の話を収録し、ネット上で届ける企画だった。簡単なようで、そうでもない。録(と)った音声を取材後に聞き直したところ、雑音だらけで慌てた覚えがある。周りにいる人の声から洗い場の水音まで、あらゆる物音が入っていた。音響の専門家によれば、マイクを置いた位置がよくなかったという。▼「話す人のそばに置かないと、周りの音も拾いますから。人の耳と一緒なんです」と。指摘の通りで、マイクは取材相手と当方の真ん中にあった。音の出どころが周りにいくつもあると、耳と同じくマイクも迷うものらしい。政治の中心に身を置く人も、これに似た境涯だろうか。現代は「危機の時代」といわれる。一国の指導者に迷っている時間はない。▼衆院選が終わり、空前の大勝を収めた高市早苗首相と自民党に対して百論が飛び交う。「数の力で異論を抑え込んではならぬ」との声もある。賛否を伴う政策を進めるにはしかし、議論した上で多数決で決めねばならない。それが民主主義である。圧倒的な「直近の民意」で政治的な力を得た政権が、賢(さか)しらぶる声の一々に足踏みしては選挙が意味を失う。▼「国論を二分」する政治課題を、背負って立つ資格が自分にあるか。高市首相は選挙でそう問いかけ、有権者は決めきれぬ政治との決別を選んだ。強靱(きょうじん)な安保政策を推し進め、インテリジェンス(情報収集)機能を高め、憲法改正を。なすべきことに形を与えるのが示された民意への最も誠実な答えに思える。▼一時期もてはやされた「聞く力」も、声という声をあまねく拾う耳だけでは前に進めない。高市氏の耳は、どうだろう。(産経新聞・2026/02/13)

  「現代は『危機の時代』といわれる」「圧倒的な『直近の民意』で政治的な力を得た政権が、賢(さか)しらぶる声の一々に足踏みしては選挙が意味を失う」「強靱(きょうじん)な安保政策を推し進め、インテリジェンス(情報収集)機能を高め、憲法改正を。なすべきことに形を与えるのが示された民意への最も誠実な答えに思える」(【産経抄】)ここでコラム氏がお得意の辛辣な表現を使っています。「賢(さか)しら」とは「利口そうに振る舞うこと。物知りぶること。また、そのさま。かしこだて。「—をする」「—に口を出す」(デジタル大辞泉)偉そうに批判する連中の「怒声」や「うめき声」などには一顧だにするなという応援団の力強い励ましです。しゅそゆにとっては「百人力」ですか。 

 「歴史的大勝の高市早苗首相は『国旗損壊罪』の制定を目指す▼40年ほど前、海邦国体の会場で日の丸が燃やされた時は刑法の器物損壊罪を適用した。政治への反論を表現の自由として尊重するならば、新たな法制化は必要だろうか」「国が過剰に『正しさ』を強要する時代は息苦しかろう。ここは『オールドメディア』たる新聞の踏ん張りどころ。『働いて働いて』の高市首相ではないが、沖縄戦という軸に立って書いて書いて書き続けるしかない」(【金口木舌】⇩)(左は赤瀬川源平さんの「偽札」の絵です)

 二つのコラムは、首相の「選挙に大勝」をめぐって、まるで方向(ベクトル)の違う意見を出しています。首相自身の評価をめぐって、いわば「国論は二分」されているともいえそうです。もちろん、ぼくは「沖縄派」であることを隠さない。

【金口目舌】現代美術家、照屋勇賢さんの作品「さかさまの日の丸」は、「正しいと正しくない」「常と常ならず」の感覚を静かに揺さぶる。正しさって何だっけ▼衆院選やミラノ・コルティナ冬季五輪で日の丸の旗を目にする機会が増えた。選挙戦では「正しい」という言葉も聞いた。歴史的大勝の高市早苗首相は「国旗損壊罪」の制定を目指す▼40年ほど前、海邦国体の会場で日の丸が燃やされた時は刑法の器物損壊罪を適用した。政治への反論を表現の自由として尊重するならば、新たな法制化は必要だろうか。何年も前から「保守層へのヨイショ」とも指摘される▼雪の五輪会場の日の丸を見ながら、作家の故赤瀬川原平さんなら今をどう料理するか考えた。約60年前、アートで作った「模型千円札」が罪に問われた。裁判も含め、本物と偽物の間で展開された芸術行為は「正しさ」「常識」を揺さぶり、挑発した▼国が過剰に「正しさ」を強要する時代は息苦しかろう。ここは「オールドメディア」たる新聞の踏ん張りどころ。「働いて働いて」の高市首相ではないが、沖縄戦という軸に立って書いて書いて書き続けるしかない。(琉球新報・2026/02/13)

 「国論」とはどういうものですか?「国民一般の論・意見。世論。『—を二分する』」(デジタル大辞泉)「国論が二分されている問題」にも果敢に挑戦して、前に進めると首相は「解散」の「大義」をかたっている。まるで「後出しじゃんけん」みたいなもので、これもやる、あれもやる、みんな国論が二分されているものだ、と。選挙の結果に関して、ぼくは何も言わない。それが多くの有権者の選択(判断)だったのですから、それをとやかく言うことはしません。しかし、有権者の多くの判断が「正しくない」「誤っていた」ということはいつだってありえるのだし、その圧倒的多数の判断が間違った方向に進む情勢(国情)を「ファシズム(fascism)」というのでしょう。それは否定できません。

 ただ今現在の、この国の政治的雰囲気は間違いなしに「ファシズム」であるとぼくは考えています。「極右の国家主義的、全体主義的政治形態。初めはイタリアのムッソリーニの政治運動の呼称であったが、広義にはドイツのナチズムやスペインその他の同様の政治運動をさす。自由主義・共産主義に反対し、独裁的な指導者や暴力による政治の謳歌などを特徴とする」(同前)少なくとも、この辞書に言うところの「自由主義・共産主義に反対し、独裁的な指導者や暴力による政治の謳歌などを特徴とする」という部分(政治的傾向)は、まさしくそうであるといえるでしょう。個々の有権者の資質や判断がどうであろうと、けいっか的に「圧倒的多数の民意」が一党に寄せられたのですから、それを「千載一遇」の好機と捉えない政治家はいないでしょう。(「ファシズム」についてものをいうとすれば、おそらくたくさんの言葉を尽くさなければ無理でしょう。しかし、ここは論文を書く場でもありませんので、辞書を引いて、役目済ましをしておきます。いずれ、否応なく、語るべき時が来るでしょうから、その時に譲ります)

 本日は、二つの新聞のコラムを引用しました。まさに「右」と「左」に分裂しているかのような印象を受けます。だから、「あなたはどちらの立場に立ちますか」と問われれば、「ぼくは【産経抄】にくみします」、「いいえ、私は金口木舌派です」と、国や権力者に対する「立場」は分かれますからあるもんだに関して両社の意見を聞けば、たぶん「文壇」されることは避けられないでしょうね。問題はその先です。みんながまとまっていれば、政治は簡単でしょうが、はっきりと意見が割れるとき、政治や政治家の出番があると思うのですが、この国も「多数決」が物事を決める手段となるのは、その通りでしょうが、問答無用で「多数決」となるなら、それこそがファシズムの特質がそこに見いだされることになるでしょう。

 ファシズムはどこからやってくるのでしょうか。あの山超えて野を超えて、いや海のかなたの異国から。そう思いたいのでしょうが、違います。「私の心の内」「あなたの胸の中」、そこからやってkるのですよ。だからよほどでない限り、ほとんどはそれと気が付かないのですね。もちろん、首相自身も。自分はファシストだとは夢にも思っていないでしょう。気が付いたら、手遅れというか、ファシズムは気分的には完成してしまっている。この国も現状はどのあたりですか。

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◎ ファシズム= 狭義にはイタリアでムッソリーニの指導下にあったファシスト党の,広義には20世紀の全体主義的・国家主義的独裁の運動理念,支配形態。イタリア語ではファシズモfascismo。語源は古代ローマの儀式用の束桿を意味するfasces,転じて〈結束〉〈団体〉の意。第1次世界大戦後の資本主義の一般的危機と,それから起きた社会的・経済的混乱や社会主義革命の危機の切迫感から,その存立基盤に不安を感じた中間層が,カリスマ的指導者に率いられて起こした大衆運動。議会政治や言論・出版・結社等の自由をすべて否定し,反革命運動を推進した。またすべての悪の根元は社会主義・共産主義・ユダヤ人等にあるとし,偏狭な民族主義や排外主義を唱え,しばしば対外侵略政策をとった。ドイツのナチズム(ナチス)や日本の天皇制ファシズムもその例である。ただし,ファシズムを最広義に,〈共同体〉(その大小,出自,体制の相違を問わない)統合の極限的な原理ないし手法と解すれば,これを歴史的事象として清算することはできず,再出現の可能性は常にあると考えなければならない。その政治的・経済的・社会的側面のみならず,思想や文化にわたる機制の解明が必要とされるゆえんである。(百科事典マイペディア)

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大衆は「洞が峠」を決め込んだのか

【新生面】時代遅れ感 小沢さんに岡田さん、枝野さんや安住さん…みんないなくなった。1990年代以降、旧民主党から立憲民主党まで屋台骨を支え、政権交代を実現し、その後も野党の顔だったのに。寂しくなるけれど、有権者の厳しい審判である▼立民と公明党が結成した中道改革連合は、衆院で公示前議席の3分の2以上を失った。突然の解散と「高市旋風」に急場しのぎの新党はなすすべなし。失礼ながら野田佳彦、斉藤鉄夫両共同代表は刷新感、期待感、躍動感いずれも乏しく映った▼辞任表明した野田氏は「何となく2人には時代遅れ感が付きまとった」と表現。さて、どこが時代遅れだったのか。選挙目当ての合流、右でも左でもない「中道」の分かりにくさ、組織票頼みの戦術-。どれも「何となく」当てはまる▼きのうの議員総会では、党の分裂を求めるような厳しい意見は出なかった。まずは一体感、連帯感を大事にするらしい。ベテランの重しが減り、新陳代謝は進むのかどうか。あす選出される新代表の手腕が問われる▼これまでの国政選挙を振り返れば、旧民主党時代から政権批判の「風」頼みだった。逆風に吹き飛ばされたのも当然ではなかったか。ただ、次の選挙までは時間がある。腰を据えて政策を練り直し、訴え続けたら党勢の回復感も出てくるだろう▼河島英五さんが歌った『時代おくれ』の一節を、中道の皆さんに聴かせたい。〈人の心を見つめつづける/時代おくれの男になりたい〉。有権者の心に響く政治の価値は時代を問わない。(熊本日日新聞・2026/02/12)

 風見鶏(weathercock・weathervane)とかポピュリズム(populism)などと称され、政治の世界ではあまり褒められもしない「風潮」「風読み」ということが言われてきました。今の時代はネット万能だから、選挙もまたSNSにたけていなければなどといい、それに反して昔風の「演説」や「握手作戦」は時代遅れなどと批判されます。確かにそういう面はありますが、だから、そんなのは「時代遅れ」と見下していいのですか、そんな疑問を(同調したくない姿勢)をぼくはいつも堅持しようとしてきたように思います。もちろん、付和雷同というか大勢順応という「圧力」にいつも抗していたかというと、どうですかね。「体制」や「大勢」に媚びを売るようなことは皆無だったといえないのは、考えてみれば当然です。 (ヘッダー写真は読売新聞・2026/02/07「衆院選の選挙戦最終日を迎え、演説会場に集まる有権者たち(7日、東京都内で)=松本拓也撮影」)

 今次の衆院選の風景を一言でいうことはやさしくはありませんが、この社会(あるいは国)全体が、あるいは「すべてが風見鶏になりたがっている」という傾向をはっきりと見せたのではないかと思う。政治家(候補者)も有権者も、ともに「風見鶏」になり、ポピュリスト(右へ倣え主義)になったということです。ポピュリズムの反対に位置するのは何でしょうか。時代の風潮や圧力に動かされない、いわば「首尾一貫性(coherence)」という姿勢だったかもしれません。俗に「今泣いたカラスがもう笑う」というように、周囲の空気に動かされやすいという特徴が、いつでも見て取れます。ということは、大勝利を得た勢力は、今度は大惨敗を喫するということを示しているでしょう。いかなる政治権力も永遠には続かなという意味です。国会議席の7割以上を一勢力が占めるというのは、よほど強烈な右旋風が吹いたという話ですが、この風のもたらす弊害は、予測はできませんが、計り知れないものがあるだろうとだけ言っておきます。

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 京都と大阪の境に八幡(やわた)という地区があり、そこに「洞が峠」が位置しています。この地名は歴史上の逸話でとても有名になりました。その主役は「筒井順慶」です。由来は下に示した「辞書」にある通りです。軽挙妄動しないで、事の次第を見極めて道(方向)を選ぶというものです。政略といえますが、今日の政治家の比ではないでしょう。右するか左するかで「全滅」の恐れが付いて回るのですから、実に深い読み(戦略)が求められます。この「洞ヶ峠」を今次の選挙に当てはめてみようと考えているのではありません。けれども、この順慶の態度をこそ政治家の名をかたるものは持つべきだという気もします。目先の利害にとらわれるのではなく、少なくとも「国民」「国家」の安寧や安全に心する政治家の務めということが言いたのですが、これは「ないものねだり」というもので、今では「言っても詮方なし」と、ぼくは疾(と)うに諦めています。

◎つつい‐じゅんけい【筒井順慶】= 戦国・安土桃山時代の武将。幼名藤勝。興福寺衆徒で大和国(奈良県)の筒井城主。永祿二年(一五五九)東大寺大仏殿を焼いて攻めこんだ松永久秀に筒井城を追われ、久秀の失脚後、織田信長の下で大和を管領。信長没後、山崎の戦で洞ケ峠に陣し、天下の形勢を見きわめて、豊臣秀吉の勝利直後に追従したといわれ、世に「洞ケ峠の故事」の潤色で名高い。唯識論に通じ和歌、茶道をよくした。天文一八~天正一二年(一五四九‐八四)(精選版日本国語大辞典)

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outdated=out of date; obsolete.(no longer produced or used); out of date.the disposal of old and obsolete machinery)outdated equipment
cutting-edge=① the edge of a tool's blade. tools with cutting edges should be kept sharp ② the latest or most advanced stage in the development of something.researchers at the cutting edge of molecular biology ③ at the latest or most advanced stage of development; innovative or pioneering. cutting-edge technology 
populism= a political approach that strives to appeal to ordinary people who feel that their concerns are disregarded by established elite groups.the question is whether he will tone down his fiery populism now that he has joined the political establishment(Google翻訳)

 いくつもの新聞コラムに、選挙で大惨敗を喫した「中道」なる新出来政党に対して、その戦術も戦略も「時代遅れ」だという指摘が書かれていました。この語はしばしば多用されますが、果たしていかなる意味か、ぼくは常に立ち止まって考えてしまうのです。「時代遅れ」は御用済み、過去の遺物扱いにされますが、その程度のものですかと、反問したくなる。河島英五さんに「時代おくれ」という曲があります。よく流行したものでしょう。「時代おくれ」が「時代に受け入れられた」というのも皮肉ではありますが、それだけ「時代おくれ」は多くの人に好まれているという証拠でもあります「新しがりや」に見られない、頑固さというのか骨があるというのか、筋が通っているといえるように思う。。

 コラム「新生面」の筆者は「河島英五さんが歌った『時代おくれ』の一節を、中道の皆さんに聴かせたい。〈人の心を見つめつづける/時代おくれの男になりたい〉」と。それは無理でしょうね。河島さんは早逝されましたが(1952~2001)、どうやら早熟の質でもあったようです。「酒と泪と男と女」の歌詞は高校生のころに書かれたとか言われています。それと、やはり彼には「男尊女卑」の要素が少なからずあったから、この作品は受け入れられたのだとぼくには思われます。

 「時代遅れ」とはどういうことですか。「令和」の時代に「昭和」から抜けきれない、明治の御代に刀にちょんまげということのようですが、それもぼくにはすべてを否定するような行きがかりは認められないんですな。芭蕉という俳聖は「不易と流行(constancy & trend)という心持を俳句の神髄と捉えていました。「蕉風俳諧の理念の一。新しみを求めて変化していく流行性が実は俳諧の不易の本質であり、不易と流行とは根元において結合すべきであるとするもの」(デジタル大辞泉)というのらしい。なかなかに含蓄のある表現です。単に「いつの時代にも不易(変わらない価値)」と「時代はいつだって変転極まりないという事柄(流行)」を別物としてとらえるのではなく、それを二つにして一つと捉えた点に芭蕉の真意があるのでしょう。解釈はさまざまですが、ぼくは勝手に「変わるものの中にも変わらないものがある(その反対もあり)」と受け取っています。この先の読解は、それぞれがすればいいことです。

 変わるもの(流行)と変わらないもの(不易)がそろって一つだという意味は、それぞれが別々に成り立つというのではないからです。ぼくはいつでも「病気と健康」に関して、健康の中にも病気(の部分)があり、病気の中にも健康(の部分)があるとくり返し駄弁ってきました。「戦争と平和」についても同じです。どちらか一方しか見ないのは誤りであるということを指摘したいだけです。どんな物事にも「歴史」があります。その歴史の中身には「過去」もあれば「現在」もあり、「未来」までもが共存しているのです。現在とは「過去と未来」を含めた、ただ今の瞬間です。それを「永遠」と言い換えて誤解されないでしょうか。つまるところ、「現在(永遠)」は「時の鑑(Mirror of Time)」だということです。

 上で述べた「洞ヶ峠」とは筒井順慶という、武断と知性のアマルガムがなした「深慮遠謀」の「出処進退」ということです。今日の有権者はもちろん、政治家までも、残念ながら「深慮遠謀」という「時の鏡」を持っていないのです。「深慮遠謀」の対になるのが「軽慮浅謀」でしょう。我が社会の政治家や有権者による共同作業の「政治」という営みは、悲しいかな「軽慮浅謀」でしかないのですから、いつだって「朝令暮改」の積み重ねになるのでしょうな。あるいは「賽の河原の石積み」のごとし、です。政治家は「偽謀偽計」を図り、有権者はいとも簡単に、軽々しくその「罠(わな)」にかかるんですね。(いうまでもなく、ぼくも「罠」にかかる一人です)はっきり言うなら、「思慮分別」に欠けるということです、政治家(候補者)も有権者も。困った風潮はいつまで続くか。

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過去は過去、これからの方が大事さ

【春秋】それはあんまりではないか それはあんまりではないか。急転直下の衆院選のさなか、選挙情勢を伝える記事の隣に載った小さなニュースに、目を疑った▼核なき世界を訴え続けて、ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は昨年11月、衆院、参院の国会議員計713人にアンケートを送った。発効から5年を迎え、いまだ日本が署名・批准をしていない核兵器禁止条約について問う内容だった▼条約参加の是非など八つの設問は、選択肢に○を付ける形式。回答が届いたのは全体のわずか2割で、回答ゼロ人の政党もあった。参政党、日本保守党、そして自民党である▼解散も総選挙もまだ決まっていない時期に、衆参300人の自民議員は誰一人として答えなかった。5年前のアンケートには45人が回答していた。今回、党本部は「議員個人の判断」と説明している。回答不要とのお触れもなしにゼロだったならば、被爆者の切実な願いを無視するような冷淡さが際立つ▼米科学誌は先日、人類滅亡までの残り時間を示す「終末時計」の針が、過去最短の残り85秒になったと発表した。ロシア、中国、米国の権威主義的な振る舞いが核使用のリスクを高め、針は4秒進んだ▼非核三原則の見直しを否定しないこの国のリーダー。大転換を図る安全保障政策の先行きが気にかかる。唯一の戦争被爆国が、まさか針を進める勢力に加わることなど、ないと信じたいが。(西日本新聞・2026/02/11)

 「回答不要とのお触れもなしにゼロだったならば、被爆者の切実な願いを無視するような冷淡さが際立つ」と、【春秋】氏は怒りを表します。まさしくその通りだと、小生も同感するものです。しかし、です。今どきの政治家(だけではありません)は「まだそんなことにこだわっているのか」「未来を見なければ」と、一丁前の口を開きます。右に出してある「折々のことば」、詩人の金時鐘(キムシジョン)さんの言。彼は「在日問題」をまさに体現するかのように、戦後日本社会で生きてこられた。ぼくは多くを彼から学ぶことに必死でした。「どうか関わることなく変わってしまう日本の国になりませんように」という「在日」の根底からの希望というか切願を述べておられます。「戦争、もう済んだことじゃないか」と、一言のもとに歴史を踏みにじることがまるで時代の要請(流行)であるかのように、捨てられもしないのに、いとも簡単に過去をかなぐり捨てたつもりになる。過去を無視することは「自分の半身」を殺すことになるのに、それにさえも気が付かないのです。犬猫の類だって、過去の「失敗」「恐怖」は忘れはしないのに、です。

◎金時鐘【きんじしょう(キム・シジョン)】(1929 ~ )=在日朝鮮人の詩人。元山生れ。師範学校卒業。1948年の済州島四・三蜂起に関わった。1949年渡日,在日朝鮮人の政治・文化活動に参加した。兵庫県立湊川高校教員となり,日本の公立学校で初めて正規科目として朝鮮語を教え,大阪文学学校理事長なども務めた。主著に詩集《地平線》(1955年),《日本風土記》(1957年),《新潟》(1970年),《猪飼野詩集》(1978年),《光州詩片》(1983年),《原野の詩》(1991年),《化石の夏》(1998年),エッセー《さらされるものとさらすものと》(1975年),《クレメンタインの歌》(1980年),《〈在日〉のはざまで》(1986年。毎日出版文化賞受賞),《草むらの時》(1997年),《わが生と詩》(2004年),金石範との共著《なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか》(2001年)などがある。(百科事典マイペディア)

 過去は過去と、いいことも悪いこともすべて忘却の淵に叩き込んで、「善隣友好」ということがあり得ますか。知らなければならない、自分の半身の痛み(記憶)を、惨めな思いになるからと、あえて削除しているのが、今風の「国民性」でしょうか。曰く「自虐史観」という。嫌韓とか媚中などという怪しげな単語を生み出しては「自分は歴史に興味がない」「歴史に無知」ということを強調しているに過ぎないと思う。ぼくは在職中「在日韓国・朝鮮人(在日コリアン)」問題に関して集中的に若い人と、およそ二十年近く学んできました。たくさんの在日コリアンの友人もいました。もちろん、この近くて遠い両国の歴をを学ぼうとする在日日本人の学生もたくさんいましたよ。その当時から、「韓国」「朝鮮」「中国」にことさらの嫌悪感を抱く若者も少なからずいた事実は、ぼくの意識を強く刺激した。「自分は歴史に対して無知です」という、自己評価をなぜしないのかとよく考えたものです。結論は出ていませんが、要するに「朝鮮半島」「中国大陸」に対して、あるいはDNAの中に刻まれている「贖罪」の染色体が、直感的に(逆噴射というべきか)彼や彼女をしてそうさせているのではないかと考えるようになりました。

 「朝鮮半島を植民地化」し、「中国大陸を侵略」したという歴史事実は消せません。消せないから、忘却するのです。忘れようとしても忘れられない、だから忘却した「ふり」をする、自らの無知をいいことに開き直る、これがこの国のとってきた「近隣外交」の一貫した姿勢だったと思われます。なぜそうなのか、それは対米従属を選択した際の、避けられない運命でもあったでしょう。つまりはアメリカのアジア政治の連鎖(反共)にこの島国が繰り込まれ、いたずらに仲良くするのではないぞという、それは、ある種の「日米安保」主従体制の核心でもあったでしょう。でもその「前提」は今や破綻しているのです。対中国敵視観に染められた、国の選択に唯々諾々と従うことを「国民の大多数」は選択した、選択させられた。それが今次の衆議院選挙の結果に表れています。叫ばれている「強い国」という幻想ですな。つまるところ、「新たなファシズム」の第一歩を記したということ。左に「折々のことば」として、ある僧侶の発言を引用しました。

 曰く「人生は、手遅れのくり返しです」と。上に引用した詩人の発言に重なるようにぼくには思われた。「あのときはわからなかったけど今だったらわかるということ」、そんなことは人生にはしばしばだと気がつくのは、若い時ではないというところに、ある意味では人生の残酷さがあります。「みんながそうだと思っている」から、自分もそれに従ったまで(付和雷同・過同調)というのは、何に対しても責任を引き受けないという覚悟のような言葉であり姿勢です。これは誰にだってあることでしょう。あってはいけない人にもある。たとえば政治家、教師などなど。しかし、「手遅れは取り返しがつかない」と、ぼくは思いません。「気がつく」ということが、取り返しがつく端緒となるからです。

 それにしても残酷な仕打ちをするもんですね、政治家たちは。「非核三原則の見直しを否定しないこの国のリーダー。大転換を図る安全保障政策の先行きが気にかかる。唯一の戦争被爆国が、まさか(終末時計の)針を進める勢力に加わることなど、ないと信じたいが」とコラム氏は疑念を隠しません。今回の選挙報道を見ていて、ぼくが痛感したのは、選挙の結果が確定するまでの間こそ、メディアは大騒ぎをするが、その後はいつも通りに「すべて(歴史)を忘れたふり」をするのでしょう。核保有発言も統一教会とのかかわりも、政治と金の汚れた政治姿勢も、一切合切問われないまま、そして、何よりも衆議院解散は憲法違反の疑いありなのにもかかわらず、誰も何も異議を唱えないまま「解散権は私的乱用」された、この政治信義に悖る政治偽装をいささかも問わないままに、問われないままに、この国では、静かに深くファシズムは潜行していきます。

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