子曰、三軍可奪帥也、匹夫不可奪志也、

 今ではほとんど目にすることがなくなりましたが、「匹夫」、あるいは「匹婦」、いずれも「ひっぷ」と読み、身分の卑しい男、あるいは女のことを言う。「身分」が卑しいとされるのであって、その「心持(人間性)」が卑しいのではないことを銘記すべき。どんな人間でも「匹夫下郎」「匹夫匹婦」として生まれることはない。集団(社会)のなかでの「制約」(「身分制」などの仕組み)によって、その「尊卑」「聖賤」が生じる(作られる)のだ。「春秋沙伝」に、次も言がある。 「匹夫罪なし璧(たま)を懐(いだ)いて罪あり」も、ほぼ同じことを言おうとしているでしょう。(《「春秋左伝」桓公一〇年から》「凡人は、本来のままならば、罪を犯すことはないのに、身分不相応な財宝を手にしたために罪悪を犯し、災いを招くようになる」)人は動物として生まれるし、凡人として生まれる。そこにはいささかのさいはない。しかし、何者として生まれ、どこで生まれるかのよって、生来の「属性」が決められるのが人間社会の仕来りなんですね。

 (ヘッダー写真は高知新聞・2026/02/08)(https://www.kochinews.co.jp/article/detail/959396

 「匹(疋)(ひき)」は、生き物を数える単位として使われます。男一匹、一匹狼などというように。あるいは「匹敵」「匹儔(ちゅう)」などというように。もともとは生き物を数える単位だったのが、やがて人間もその仲間に入れられ、しかも身分の卑しいものをさして用いられだした。「匹夫」「匹婦」はその典型でしょう。この表現を知ったのはいつ頃だったか。「論語」の中に出てきた「匹夫不可奪志也」(匹夫もその志を奪うべからず)が言葉遣いの最初だったと記憶している。「どんなに身分の卑しいものでも、その志は奪えない」のだと読んでいた。後に、この「匹夫」は一人の男という意味に理解されていたことを知ります。「論語」では「子罕第九」にでる、その前には「子曰、三軍可奪帥也」という言葉がある。「先生が言われた。三軍(という大軍)の総帥(大将)を奪い取ることはできても、たった一人の男の志を奪うことはできない」、と。もちろん、この言葉がどんな場面で出てきたかはよくわかりませんが、戦いの中での話として語られたでしょう。

 国家間に戦争が生じ、多くの軍隊が投入される。やがて軍が滅ぼされることはあっても、その軍隊の一人一人(兵士)の「志」を奪うことはできないのだ、奪ってはいけないのだと孔子は言ったはずです。捕虜には何をしてもかまわないということはない、いまでいうなら「人権」を剝奪・蹂躙することは許されないということであるかもしれません。「匹夫不可奪志也」は、いわば政治の要諦であるといいたいのです。民衆の一人に対して施してやるとかやらないとか、民衆の一人として「恵んでください」と卑屈になる必要は毛頭ないのであって、それこそ「一寸の虫にも五分の魂」です。しばしば、政治家は「だれ一人取り残しません」と叫びます。選挙に勝つための方便、それが本当のところでしょうが、よく考えるまでもなく「だれからも、その志を奪うことはしません」ということではないでしょうか。(憲法にあるから)「人権を大事に」、あるいは「平和を希求する」のではなく、当たり前の「匹夫(一人の人間)」として、相見互いではないかという姿勢や態度をこそ、無理を承知で、ぼくは政治家に求め続けてきました。

 それにしても「須(すべか)らく、政治家は性根が汚いものになっている」と、ぼくは考えてきました。もちろん、何よりも観念的にそう考えるのですが、数少ない政治家との付き合いに照らしてもそう考え根拠はあると思っています。まず、平気で嘘をつく。前言を簡単に翻す。どうあっても政治家を信用できないのは、その多くはここから来る。「そんなことは言っていません」「それは誤解です」などと、自らの発言を翻したり、ごまかしたりするのは巧みだけれど、決して潔く「謝罪する」ことができない、それが政治家の資格だと錯覚しているのではないですかね。「嘘」が政治の手法となるというのはどういうことですか。まさしく「詐欺師」ではないでしょうか。

【卓上四季】勝ったばくち 予想をはるかに超える自民党の勝ちぶりだった。衆院選で得た議席は単独でも3分の2を上回る。地滑り的な勝利、歴史的な大勝といった表現がぴったりなのだろう▼高市早苗首相が放ったイチかバチかの一手は恐ろしいほどに大当たりした。<まつりごと迷路の前で打つばくち>。本紙「どうしん川柳」欄には解散からこのかた、ピリリと辛い五七五が載り続けた▼人気が旋風を巻き起こした。ご本人は最高の気分かもしれない。けれど賭けに付き合わされた側、しかも北国の住人としては後味の悪さが拭えない。<厳冬期庶民の痛み知らぬ人>。雪や氷に阻まれて、投票を諦めた方がいたかもしれない▼<値上がりで納豆もやし並ぶ膳><物価高存立危機のわが財布>。悲鳴にも似た庶民の切実な思いである。大胆、決断、挑戦。高市氏はきのうの会見で歯切れの良いフレーズを繰り返した。でも苦しさを増す家計への目配りは十分だったか▼「国論を二分する政策」の中身も気がかりでならない。<嵐呼ぶ女が鳴らす陣太鼓>。強さを前面に出すタカ派の姿勢はどんな未来をもたらすのか。対立をあおることなく、対話を重んじる姿勢こそが必要だ。それは内政、外交を問わない▼民意は「白紙委任」したわけではない。どんな課題であっても、数の力を頼みに突き進むのは遠慮願いたい。(北海道新聞・2026/02/10)

 なぜ今解散なんですかと、ぼくには理解できないような、「変な選挙」は終わりました。結果は見ての通り。さっそく勝者からは「勝てば官軍、負ければ賊軍」といわんばかりの姿勢が芬々(ふんぷん)としてくる。「どうだ、みたか」とね。匹夫下郎の一人として、「不可奪志」という気分はぼくの中に彷彿しています。一人一人の人間が消えて、国だの国家だのがあまりにも目立ちすぎますよ。一人の人間を踏み潰しておいて、国を守るとはどういうことか。「勝てば官軍、負ければ賊軍」とは「力は正義なり」(「Might is right.」ととらえられる。実際にそういう事例は歴史の中に腐るほど見出されます。「勝たねばならぬ、何事も」ということでしょうか。選挙に勝つというのは、勝手放題にふるまう権利を得たと錯覚するものがほとんどでしょうが、勘違いもはなはだしい。いう必要もないことが、最も粗末にされてきました。

 ここで、もう一度「三軍可奪帥也、匹夫不可奪志也」を出しておきます。仮に選挙戦を制したものを「三軍の帥(すい)」になぞらえるなら、そんなものはいつだって取り換えることはできます。しかし、その権力者だって「一寸の虫」を踏み潰して「五分の魂」を葬ることはできるでしょうが、してはいけないということです。たったそれだけが「政治哲学の核心」だと、ぼくは言いたいのです。政治道義の本質というべきものを失ったままで、どれだけ権勢をふるおうが、それは「邪悪」「邪道」であり「人倫に悖(もと)る(contrary to human morality)」ということ。今回の無意味かつ不要不急な選挙は「大掛かりな芝居」のようでもありました。ネット時代にふさわしい鳴り物入りで、作・演出は「D通」だったか。主演は「奈良の女」こと「S.T.」、助演は「中道」その他。もちろん、有権者も重要な役割を演じさせられました。「枯れ木も山の賑わい」とは言わないし、言えませんが。もちろん、ぼくも、ほんの一瞬でしたが、端役の端役で舞台の袖(そで)を通りました。「戦い済んで、日は暮れず」、むしろ、これからが本番ではないでしょうか。その時、やはりぼくは「善政」の夢物語(神話)である「鼓腹撃壌」の一老百姓であることを自覚・自認しているのです。これはまた「デモクラシー」でしょうね。見果てぬ夢、という意味では。

【天風録】圧勝がもたらすもの 選挙報道では大げさな表現を慎む。本紙もこの半世紀、衆院選で「歴史的な圧勝」としたのは小泉政権の2005年郵政選挙とその4年後。当時の民主党が308議席で政権も奪った選挙である▲政権交代の後、川柳が本紙に載る。〈圧勝が自民の二の舞いつい想(おも)う〉。熱狂的な小泉旋風が吹いたのに利益誘導の政治から自民党は脱せず、再び野党に転落する。数は、権力もおごりも生む。句の直感通り、政権に就いた民主も転げ落ちていった▲さて今回、どんな句が詠まれるのだろう。高市早苗首相の巻き起こした旋風で、自民が戦後最多の316議席を得た。ただ、「歴史的」の評価は急ぐまい。「国論を二分する政策」とやらも、選挙戦では具体像が判然としなかった▲口幅ったいようだが、野党第1党の中道改革連合にぴったりかもしれない。公示前の議席の3割以下にとどまる「歴史的な惨敗」だろう。政界の勢力図は思いも寄らぬ姿に塗り変わった▲「高市丸」は順風満帆で再び動き出す。よもや非核三原則の見直しなど、右に進む「面舵(おもかじ)、いっぱい」の号令をかけるつもりだろうか。熟議なくして応諾の「ようそろ」もなし。そろりそろりが、よろしかろう。(中國新聞・2026.02/10)

◎ 鼓腹撃壌(こふくげきじょう)= 堯の御世も数十年、平和に治まっていた。堯はあまりの平和さに、天下が本当に治まっているか、自分が天子で民は満足しているか、かえって不安になった。そこで、目立たぬように変装して家を出て自分の耳目で確かめようとした。ふと気がつくと子供たちが、堯を賛美する歌を歌っていた。これを聴いた堯は、子供たちは大人に歌わされているのではないかと疑って真に受けず、立ち去った。ふと傍らに目をやると、老百姓が腹を叩き、地を踏み鳴らしながら(鼓腹撃壌)楽しげに歌っている。 原文書き下し文現代語訳日出而作日入而息鑿井而飲耕田而食帝力何有於我哉 日出でて作(な)し、日入りて息(いこ)ふ。井を鑿ちて飲み、田を耕して食らふ。帝力何ぞ我に有らんや。 日の出と共に働きに出て、日の入と共に休みに帰る。水を飲みたければ井戸を掘って飲み、飯を食いたければ田畑を耕して食う。帝の力がどうして私に関わりがあるというのだろうか。 この歌を聴いて堯は世の中が平和に治まっていることを悟った、とされる(『十八史略』)。(Wikipedia)

◎ 堯(ぎょう)= 古代中国の伝説上の聖王。五帝の一。暦を作り、無為の治をなした。後を継いだ舜(しゅん)とともに後世理想の天子とされ、その政治は「尭舜の治」と称される。陶唐氏。(同前)

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「はっきり話して、何も言うな」

【小社会】チャーチルの名言 皮肉屋だった英国の宰相チャーチルによく知られる名言がある。「民主主義は最悪の政治形態と言っていい」。もちろん、これには続きがある。「ただし、これまで歴史上、試されてきたそれ以外のあらゆる政治形態を除けば」 民主主義は面倒で時間がかかっても、最もましだという意味だろう。少数意見も聞いて議論を尽くし、多数決で結論を出す。確かに面倒で効率は悪い。だが、為政者が楽をしようと手続きを省略すれば独裁政治になる。面倒な手続きにこそ価値がある、と。 雪の中で衆院選が終わった。「国論を二分する政策転換」の審判を仰ぐとした高市自民党が圧勝。首相が国民の信任を得たことになる一方で、奇妙な選挙だった印象も拭えない。 首相は全国の遊説で「国論を二分する」テーマはほとんど語らなかったという。安全保障関連3文書の前倒し改定では、防衛力強化の詳細や防衛費の規模感、財源の説明はせず。非核三原則の見直しも聞こえてこなかった。 2年に限るという飲食料品の消費税ゼロも、選挙中は触れていない。首相は期間中、唯一のテレビの討論番組もけがの治療を理由に欠席した。やはり英国の有力紙は皮肉を込め、日本で「選挙に勝つ方法」をこう論評したと伝わる。「はっきり話して、何も言うな」 今後の国会で首相が面倒な手続きをいとわないことを願う。民が権力を監視する民主主義もまたスタートラインに立つ。(高知新聞・2026/02/09)

 何年ぶりだろうか。10㌢も降れば「大雪」になるような地域で、たぶんそれ以上は積もった。当地に越してきて以来、二度目の大雪だったが、今回のほうがよく降った。この近辺は坂道が多くて、一両日は車に乗れないだろう、そんな道路事情もあり、まるで閉じ込められたような状態(感覚)である。

 昨日の選挙結果は見ての通り(ぼくは午前4時に起きて、初めて結果を知った)、まるで「天変地異(catastrophe)」のごとくであり、起こるべくして起こった「当然の結果」とも見える。それに関しては何かを言うことはしない。本日付の高知新聞【小社会】の記述に委ねることにする。小生の感想は、「一歩前進、二歩後退」、交代しながら「登り坂を手押し車で登り続ける」、そんなバトンタッチのようにも思われる、それが民主主義。だから、交代のさなかで、バトンがうまく渡されないと、車が坂道を転がり落ちることもあるだろう。ここが頂上だと気を緩めた瞬間に、押手もろとも、反転するようなこともある。

 選挙の結果は結果として認めつつ、この国・社会の前途にはいくつものバリアーが厳然と控えている現実に身が凍る。この国だけが世界に存在するのではなく、他国とつながりながらの「共存」であるから、独善的な選択も行動もできないのは道理だが、今日、あらゆる地域で、当たり前の「道義(moral)」が失われて政治(家)が暴走している事例に事欠かない。この国も例外ではないどころか、その先頭に立つ恐れもある。コラム氏の言うとおりに「民が権力を監視する民主主義もまたスタートラインに立つ」のは国民の義務としても当然の事実だが、はたしてそれは可能なのだろうか。そんな面倒で時間のかかる政治はもう結構、有権者も権力者も、とにかく、強い国家にするために「果断な政治力」を望んだのだ。なにはともあれ即断即決で「この国を強くする」というアッピールが全面的に支持されたとみるのは明白だからだ。「はっきり話して、何も言うな」とは「由らしむべし知らしむべからず」という意味だ。

 「由らしむべし、知らしむべからず(Let them do it, but don’t let them know)」の真意は「《「論語」泰伯から》人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい。転じて、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない」(デジタル大辞泉)と受け取るのが「(今回の)解散の動機」に符合するだろう。この国及び社会は、否応なく、新しい段階(「New Fascism」「Neonazismus」)に入ったのである。「(為政者たるもの)はっきり話して,何も言うな」という新しい政治の始まりだ。「自由からの闘争」は今を盛りに繰り広げられた。

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「徒然に日乗」(997~1003)

◎2026/02/08(日)昨夜来の降雪はさらに降り続き、昼頃の段階ではおよそ15㌢ほどは積もっただろうか。各地も大変な降雪で、予想通りに衆議院選挙の有権者の出足は低調。引き換えて「期日前投票」は相当に効率を示している。この時期にすべきではなった「解散」、首相の決断は大きく非難されるべきだろう。▶降雪のために、普通タイヤをつけているので、拙宅の2台の車は、明日も動かせないかもしれない。記憶では、当地に越してきた直後以来だから、十数年ぶりの大雪だ。(1003)


◎2026/02/07(土)午前中から雪が舞いだした。午後も降り続き、かなりの降雪量になった。一旦は止んだが、夕方からは本格的に降り続いた。明日の昼頃まで降るそうだ。(1002)


◎2026/02/06(金)午前中に元同僚のWさん(政治学者)に電話。退職以来、十数年ぶりの声を聴く。この間、大きな病気をして長期入院までしたという。幸いに快癒して、自宅に帰還したが、体力の衰え、特に筋肉が衰えて、自分の足で歩行することが困難だといわれていた。何十年もの間、随分と付き合っていただき、多く学ぶことができたことを感謝すると伝えた。数日前には柏市在住の I さん(経済学者)から電話があった、その流れでWさんに連絡した次第。▶アメリカ発。「トランプ米大統領は5日のソーシャルメディアへの投稿で、8日に投開票される日本の衆院選について、高市早苗首相と、自民党、日本維新の会の連立政権を『完全かつ全面的に支持する』と表明した。3月19日にホワイトハウスで高市氏と日米首脳会談を実施する意向も明らかにした。/日本の国政選挙を巡り、他国の首脳が特定の候補者や政党への支持を表明するのは極めて異例だ」(毎日新聞・2026/02/06)これはまぎれもなく「内政干渉」、なぜ新聞はそれを指摘しないのか。邪推だけれど、「日本側が支援を申し入れた」に違いないと、言っておく。「佐藤啓官房副長官は、トランプ氏の投稿に関し『政府としてコメントすることは差し控える』と述べるにとどめた」(同上)邪推は外れていないと確信している。▶その稀有の選挙戦も最終版。ネット選挙そのものが公職選挙法の法理を嘲笑(あざわら)うような実態が、圧倒的な選挙結果を予想している。そのアシストをしているのがメディアだというべきだろう。あらゆる場面で「フェイクファシズム」が勃興、ある経済学者の言によると「新しいナチズム」が今この劣島を席巻しつつあるのだ。ネット世界の走行は自由自在、いささかの規制もないままで無法地帯となっている。無能で自我意識だけの存在が、あらゆる障壁を取り外して圧倒的有権者の危険な支持を得ているのである。(1001)


◎2026/02/05(木)午前9時に「給湯器」取り換え工事の業者が来る。正月の半ば以降、お湯のない生活を続けてきたが、本日で終わり。工事時間は2時間弱だった。とにかく無事に終了し、お湯も出るように、以前の快適(?)生活に戻ることができた。▶衆議院選挙の獲得議席予測に、わけのわからないマジック(人為的加工)が加えられているとしか思われない。SNSを中心に異常なネット広告が出回っている。おそらく政権党はネット広告を全面的に買収したのではないとさえ疑われる。自民単独で300議席超過、という予測が出揃うとはどういうことだろうか。それにしても、メディアの政権に対するよいしょは想像を絶する醜悪さだ。政権与党に「bribery」されたのだろうか。(1000)


◎2026/02/04(水)本日は「立春」。快適な陽気だった。久しぶりだったが、数日後あたりからまた、「大荒れ」「寒波」の再来だそう。衆議院選挙だが、はたして無事に投票できるのだろうか。▶SNS時代の選挙だが、たぶん、これまでには見られなかった歴史的改変が選挙運動を含めて、行われているのだ。現行法律ではけっしてカヴァーできない「選挙運動」が行われているのだと思う。(999)

◎2026/02/03(火)猫の缶詰を求めて隣町の市原にまで出かけた。これまで購入していた商品はもう数年続いている。このところ猫たちは飽きてきていたので、別の品物を探す必要があったのだ。まだ、これがいいというものは見つけられないが、少しずつ変えていこうと考えている。▶帰宅後、ネット番組を見ていたら、各紙の選挙結果の予想が、轡(くつわ)を揃えて「自民、圧倒的に勝利」というような予測を流しだしているのは、なぜだろうか。きわめて「意図的な配慮」ではないだろうか。驚くべき「退廃」が進んでいるに違いな。気になるのは「旧統一教会」が極めて深いところまで自民党に食い込んでいるということだ。旧統一教会の「教条」が反共保守であるのだから、そこに並んでいるスローガンが自民党の綱領と重なっているからだ。▶選挙の結果は、ぼくの想定とは異なる事態を引き起こすだろうと確信している。(998)


◎2025/02/02(月)例年、年始に戴いた「年賀状」に対する返信を「立春」に合わせて出すことにしている。本年は2月4日が「立春」だから、その準備をしているところ。枚数は徐々に少なくなり、多かった時の7分の1ほどで、約70枚程度。その宛て名書きをしようと、使っている机の上を整理し「キーボード」を移動したら、その瞬間、「アッ」と思った。紛失したと思っていた自動車免許証がそこにあったのだ。なんということか。方々に迷惑をかけて探してもらったのに、自宅のパソコンのそばにあった。やれやれ。夕方4時直前に警察に出向くつもりでいたが、野暮用がなくなってほっとした。十分に気をつけなければと、改めて自らに言い聞かせた。▶夕方のネット番組を見ていたら、「消費税増税で12%に」説が政権内で進んでいるという。なんという「破廉恥」なことか。それが事実なら、即刻首相は止めるべきだろう。消費税はゼロを二年間の時限で断行すると、ましてそれは「私の悲願である」とまで宣告していたのに。このところ「ゼロ%、2年間」を封印したかのように思われていたが、その裏では、とんでもない悪事を企んでいたのだろうか。加えて、どうやら「核保有」も目論んでいるらしい。防衛予算のGDP比5%もどうやら、アメリカと約束したか、しそうな雲行き。要するに「亡国の徒」であり「売国奴」であるということだ。(997)

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Talk in your sleep after fallen asleep

⁂「週のはじめに愚考する」(壱百 伍)~ 昨日(7日)の昼前から、当地で降り出した雪は、間断なく続き、8日の朝を迎えた。午前3時に起床したが、家の前庭は真っ白で、周囲の木々が綿帽子をかぶっているような景色が一面に広がっています。県道からは少し離れていますが、普段は走行車の音が聞こえますが、本朝は全く聞こえてこない。当地ではおそらく十年ぶりくらいの降雪ではなかったか。この分ではしばらく(2~3日)車を動かすことができないようです。標高百メートルほどの高台に拙宅はあるため、四囲すべてが緩やかな坂道です。これまでの経験からして、おそらく車を動かすのは無理。

 そして、本日は「衆議院議員選挙」の投開票日です。だんだんと選挙(投票)が意味を失っていくような事態になっています。理由はいくつかあります。まず第一に、普段は書くべきことを書かない、伝えるべきニュースを伝えないことに一貫した姿勢を見せる新聞(テレビも)は、なぜだか「選挙中に狂う」のです。だれも頼みもしないのに(だろうと思う)、「獲得議席」予測を繰り返し報道する。競馬の予想を「レース」一か月前からしているようなもので、どこにその意味があるのか、教えてほしい。今回も、著しい「予想合戦」で、やがては、示し合わせたように、ほぼ同じ予想に落ちつくのです。何のための事前予測なのか、ぼくはいまだにその意味が理解できない。要するに「有権者が投票する参考」というかもしれませんが、それ以上に「誘導尋問」になっていると思う。書くべきこと、報じなければいけないニュースを断念してまで、「大々的予想」に狂奔するメディアの「選挙つぶし」、「お祭り騒ぎ」、つまりは、粗朶り切っていないこの社会の「民主主義つぶし」に怒りを覚えます。

 報じなければいけないニュースのいくつかの典型は現総理の「軽率発言」「偽情報の垂れ流し」でした。余りにもありすぎて、すべてに触れられない。たった一つだけを出すなら「(外為特会の)円安ホクホク」でしたろう。放言や湿原をして「弁解する」のが常のことですが、その弁解がなっていない。間違った発言であれば取り消して謝罪すべきだけれど、「(発言内容に)一部報道機関で誤解があるようです」と実にいやな弁解をしています。そもそも「誤解を許す発言」はあってはならないし、まして、「誤解があるようです」と、受け取る側の問題であってと、のうのうと二枚舌を使う醜態は止めてもらいたい。ぼくは早い段階から、この首相は、経済も外交も含めて、基礎知識は皆無であり、そもそも根本の「政治思想」がないことを口を極めて指摘してきました。そこ(首相、いや国会議員)にいてはいけない人、とまで書きました。

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「夕歩道」週末の夕方の話題としてはやや硬いと思うが、どうかお許しを。みずほ銀行のエコノミストが今月2日発表したリポートが、大きな話題になっている。高市早苗首相を「公開説教」した、として。
 リポートは「高市演説を受けて~危うい現状認識~」と題して、首相が選挙の応援で行った演説を分析。円安で「ホクホク状態」と述べた首相の発想を「前時代的」などと厳しく指摘する内容だ。
 メガバンクの肩書を背負う人が衆院選の最中にそんな意見を表明したのは、よほど問題だと感じたためか。その賛否はさておいて、権力者にもはっきりと直言できるこの国の自由、末永く守ろう。(中日新聞・2026/02/07)
(Talk in your sleep after fallen asleep.by Satosi)

 ところが、です。昨日付の中日新聞のコラム「夕歩道」では、新聞コラムとしては最低レベル、といいたい「駄文」を書いています。みずほ銀行のレポートは、新聞が書くべきことを書かないから、首相箕限り宣言文を発表したまでで、新聞がそれについ、何か抗弁の揶揄もする場面ではないはずです。にもかかわらず、コラム氏は「(「公開説教」の)その賛否はさておいて、権力者にもはっきりと直言できるこの国の自由、末永く守ろう」と、いう必要のない「御託」を添えているのです。「《「御託宣」の略》自分勝手なことを、もったいぶってくどくど言うこと。偉そうに言いたてること。また、その言葉」(デジタル大辞泉)新聞自身が首相発言の「虚偽」であることを指摘しないで、他人の言葉に身を隠して「いうべきことが言える自由」を評価している。どうして新聞は書かないのか。書けないのか。首相発言の「ふざけすぎ」を受け取れないばかりか、それを出しに「コラム」でごまかす、その根性は曲がっていますな。

 次いで、ぼくはこの何十年も見ていませんが、「開票特番」とかいうテレビ番組。これも狂っているとしか言いようがない(と思う。何十年も前の記憶で言うのですから、現在はなくなっている風景かもしれない。そうであるなら以下の駄文は取り消し)。開票が始まった直後に、各地で「当確」が出る(打たれる)。ということはかなり早い段階から「当落判明」をつかんでいるのでしょうから、それを報じればいいではないですか。公示後三日目にして「全議席の当落判明」という号外でも、さ。あるいは有権者全員に参加を求めるのではなく、有権者の抽出で、投票をすればいいのではありませんか。この方法は新聞テレビはお得意でしょ。選挙を食い物にし、笑いものにし、揚げ句には「民主主義」を踏みつけているという自覚も反省もないのが大半のメディアです。

 きりがないので、ここらで終わり。その前にコラム「海潮音」を引用しておきます。元伊藤忠の社長・会長だった丹羽宇一郎さん(1939~2025)。つまらぬ解説は無用でしょう。ある国と「戦火を交えたい」という首相が画策する国の、今の状況です。奈良の女を支持するのもいいけれど、核保有や徴兵制を、この女宰相は目論んでいるのだと、多くの支持者はなぜ考えないんですか。「自分だけは戦場に行かない」「今は兵隊が戦争する時代ではない」と、まるで虚しい希望的感想を勝手に抱いている。再び、「日米戦争」が起こるだろうと邪推している。今でも「植民地化」にされ、今も「被占領国」扱いをされている、そんな国情・国勢にいささかも変更を加えないで「(鬼畜と嫌っていた)米」に甘んじておれるんですか、右側の面々は。(元大統領夫妻を「サル」に見立てて喜んでいる現米国大統領。それが批判・避難されると「職員が誤って投稿した」弁解する。やることなすこと、「そっくりさん(clone)」ばかりです。フェイクが世界を滅ぼすでしょう。他者を尊敬できない人間に擦り寄って頭をなでてもらいたいらしい。「ジャップ(Jap)」という囁きが聞こえないのかしら

【海潮音】昨年12月に死去した元中国大使の丹羽宇一郎氏は近著『Z世代は戦後初めて銃をとる世代になるかもしれない』で次のように書いた。〈平和とはバラ色の世界ではなく、緊張と忍耐、妥協と譲歩、望まぬ話し合いの連続を強いられる、そういううんざりする不愉快な努力を休まず続けていく世界です〉◆世界を見渡すと、戦火の種火はそこら中にくすぶる。米軍によるベネズエラ大統領拘束に見るように、国際協調よりも自国最優先が是とされる風潮が幅を利かせる◆日本の防衛費は年々増え続けている。日本被団協のノーベル平和賞受賞で日本が果たすべき役割を改めて自覚し、戦後80年に当たって不戦の誓いを新たにしたというのに◆かつて故田中角栄元首相が憂慮した「戦争を知らない世代が政治の中心」の時代。強気な外交発言がもてはやされるのも「日本が戦争に巻き込まれるわけがない」という楽観が根底にあるように思う◆「平和ぼけ」批判も結構だが、戦争が起きないよう立ち回る“不愉快な努力”をやめてはならない。丹羽氏は〈未来の日本を導く人の精神の強さとは、夜郎自大でもない、自己欺瞞(ぎまん)に満ちた精神力でもない、平和な未来を築くための忍耐力〉とも説いた。具眼の士の遺言であろう。選択の日の朝が来た。(井)(日本海新聞・2026/02/08)

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Desperate efforts to maintain power

 以下の記事は昨日の東京新聞のものです。世の中はフェイクで満ち溢れ、汚染されつくしています。何らかの意図をもって偽造された、無数の写真・新聞記事、テレビ報道、ネット情報等々。中には堂々と虚偽発言を長々と演説して拡散している党首もいる。聞くに堪えないのが本当のところ。しかし、有権者自身が見るもの聞くものの真贋は二の次、三の次、ひたすら「押し一方」の、候補者への加担の仕方で、まさに気が動転し、正気を失っているというばかり。そんな事例には、これまでの選挙でもぼくたちは経験済みですが、この終わりのない「偽造・偽悪選挙」は、この社会の行方を、はっきりと決めるでしょし、あるいは世界の動向までも決定するかもしれません。今日、現下にそのいくばくかが演じられているのです。これを書いている今もなお、さらに本物が話している「演説」を熱心に聞きほれている風を装った「偽動画」が、あるいは SNS や YouTube 動画で流されている。もはや収拾の付けようのない「国政選挙混乱の図」、「敗戦後八十年の果て」なのでしょうか。

 何しろ、根拠も大義もない「衆議院解散」から始まった「混乱」ですから、その結果にいささかも驚かないものの、いずれは国家破綻の瞬間を迎えるはず。投開票直後の「2月9日(火曜日)」は日本発の「金融破綻」の第一歩、それも壊滅的な第一歩を記(しる)すことになるかもしれません。「選挙の結果」よりも、それがもたらすであろう、はるかに恐ろしい事態をぼくたちは迎えることになるのでしょうか。

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 党首があんなことまで…フェイクなの? 野放しのAIニセ動画が選挙を荒らしても「誰も責任を取らない」実態

 8日投開票の衆院選で、人工知能(AI)で作られた政党代表や有権者の偽動画がインターネット上に拡散している。AIによる偽動画は著作権や肖像権を侵害する恐れがあるが、公職選挙法には規定がなく、選挙期間中も野放し状態。専門家は「無責任なメッセージが投票行動に与える影響を考えて」と警鐘を鳴らす。(梶山佑)                                          

再生17万回「いい使い方」と賛辞も 「少数精鋭? 現実は無名」 「そのけんか買ってやるよ 上等」/1月31日、れいわ新選組と中道改革連合の各代表がラップバトルを演じる動画がユーチューブに投稿された。表情や声色は本人そっくり。「改変または合成されたコンテンツ」との注意書きが画面の端に表示されている。今月3日時点で再生回数は5万6000回超。/政治家の不祥事を伝えるニュース風の偽動画。関東地方の男性が生成AIで制作し投稿した。/「議席を取るためなら平気でうそもつく党に票を投じるやつはアホや」/白髪交じりの女性が中道改革連合を批判する動画は、衆院選公示前日の1月26日に投稿された。今月3日時点で17万回近く再生され、「おっしゃる通り」「いいaiの使い方」と称賛のコメントが並ぶ。投稿者は「生成AIを活用した演出表現です」と説明している。

◆「無料ソフトで10~30分ほどでできる」 浜松市浜名区の萩原毅(つよし)さん(72)は50年近く企業などの広報動画に携わってきた経験を生かし、1年ほど前から政治系の動画制作を始めた。先月末にも「高市政権の継続」「選挙に行こう!」という文字とともに、実在しない若い男女が拳を掲げるAI動画を制作し、自身の交流サイト(SNS)に投稿した。/制作には有料の動画生成ソフトを使い、「若い2人」「にこやかにほほ笑む」などの指示を入力し、静止画を生成する。「手を振って」などと注文を重ねて動画に変換し、別の編集ソフトで文字を加える。かかる時間は最短30分。フォロワー数は伸びず、収益はないが、「自分の顔を出さなくても、意見を世の中に伝えることができる」と語る。/関東地方の30代男性は政治家の不祥事を伝えるニュース風のAI動画を投稿する。15秒程度の動画なら無料ソフトで10~30分ほどでできる。/「世論に訴えたいことを素早く可視化できる」と利点を感じるが「実際の映像と見分けがつきにくく、本当のニュースだと受け止める視聴者がいるかもしれない」とも話す。投稿する時はAIであることを明記しているという。

◆「表現の自由が優先されやすい」/公人である政治家や架空の有権者のAI動画は現状、規制対象になりにくい。ITと法律の問題に詳しいニッセイ基礎研究所(東京)の松沢登研究理事は「明らかに事実と反する内容でない限り、正当な批評の範囲内として表現の自由が優先されやすい」と話す。/ 欧州連合(EU)は2024年、偽情報の拡散防止などを目的に、AI開発企業などに高額な制裁金を科すことができるAI規制法を成立させた。日本でも2025年にAI法が成立したが罰則規定はない。松沢さんは「日本は規制が追いついていない。虚偽情報の流布を抑止できるよう、実効性のある法制度を設計するべきだ」と語る。

◆「今回衆院選ではさらに跋扈」名古屋大大学院の山本竜大教授(政治コミュニケーション論)は「AIが普及し、今回の衆院選ではネット上の不確かな情報がさらに跋扈(ばっこ)したようにみえる」と分析する。/世論がゆがめられ、有権者が誤った選択をすることもあり得るが「そうしたコンテンツは責任を取ってくれない」と強調。「まずは一人一人が情報の発信元を確認し、自分の判断を客観視してほしい」と注意を呼びかけている。(東京新聞・2026/02/06)

As an aside)The desperate drive to maintain power has produced a variety of abnormal phenomena in this national election. First of all, I strongly condemn and curse the current prime minister herself for openly and unashamedly spreading a litany of lies in front of voters.
She has also remained silent on various other “suspicions” concerning herself, instead spewing a barrage of “false information.” She’s also used huge amounts of money to launch public relations activities that take over election advertising platforms, likely spreading information of uncertain veracity and even obvious falsehoods.
As soon as she came to power, she “revealed her true identity,” but I believe none of these are based on any solid evidence. In short, she’s hell-bent on “maintaining power.” To achieve this, she’s willing to “shake hands with the devil,” or even “sleep with the demon.”・・・And the nation’s economic collapse is sure to come.(Satoshi YAMANO)

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季節外れの「阿波踊り」の乱痴気

 「大吉は凶に還る」といい、「身に過ぎた果報は災いの基」という ~ マスコミ・メディアはなぜか、異常に「選挙(報道)好き」です。その理由はぼくにはよくわからないけれど、まあ一種の「日銭稼ぎ(拡販)」の趣があったかもしれません。「支那事変」などという変な呼称の「日中戦争」が勃発する前後から、報道は一気に「中国憎し」という「国情」を醸成し、一気に「国(民)風」を吹かせたものでした。従順素朴な国民はこぞって「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」の「聖戦」に雪崩を打って心身ともに参戦させられた。この21世紀も四半分も過ぎた今、再び(ぼくは初めての経験ですが)、「暴支膺懲」や「暴戻(ぼうれい)支那」などという「悪罵」と「嫌悪」を日々の報道から知ることになろうとは思いませんでした。「ようちょう」とは「征伐して懲らしめる」の意です。「ぼうれい」とは「非道・無道の行い、その様子」です。なぜだか「中国憎し」なんですな。

 現首相の片言隻句(へんげんせっく)も聞き漏らすまいとするのは当然でしょうが、この奈良産の御仁、とても無思慮で思い付きを口にするという「得意芸」を持っている。その結果、取り巻きはいらぬ世話をする羽目になります。いちいちを指摘しませんが、要するに無能で目立ちたがり屋、それはそれで個人の傾向、あるいは気性なら大けがも、被害が及ぶ範囲は限られますが、あろうことか「一国の総理」となると、簡単にはすまされません。だから取り巻きはいろいろな思いをこめて「ごまかし」「目くらまし」に走るのです。つまりは「同じ穴の狢」ということ。美しくはないけれど「目くそ鼻くそ」の類です。「わが身可愛さ解散」が始まっても「無思慮発言」「知ったかぶり発言」はやまない。「自分が一番」という重病に罹患している人間の抜きがたい性癖というか、しかるに、その害は広範囲に及び、あろうことか、山中の住人にまで累が及ぶと、一人の国民であるぼくは愚考している。

 マスコミは「選挙」を拡販戦争の武器としているのです。だから大げさに、あの手この手を使って、権力の片棒を担ぎ、覚えをめでたくしたいと願い、それを読む・見る読者は、その根拠薄弱な情報にいともたやすく流され、乗せられる。挙句の果てに「欲しがりません勝つまでは」とバカの見本を示す羽目になる。「勝ってくるとぞ勇ましく」「八紘一宇の大偉業」とあらぬ戦いの片棒を担がされ、ついには殺戮戦に投じられて、露営の露と消えても「国士」などと誇張されて、一巻の終わりです。つまり、「選挙気一家の予測」というのは報道の名に値はしませんし、それがなければ新聞ではないと問いただされることもないにもかかわらず、何党が圧勝とか、どの党が惨敗とか、おそらく、陰では新聞と政党が結託して、いわば、権力闘争、であるとぼくは見ています。堕落の極みですね、道義を失った政府も政治家も、それにぶら下がっているメディアも、そんな腐敗メディアにあおられ踊らされる国民大衆も含めて、どいつもこいつも「歴史拒否」の輩(やから)・親族(うから)の徒ではないですか。

 現下の選挙戦さなかの巷巷の「風景」「景色」は、この「暴支膺懲」時代の昔日の「現実」に重なり、それを遠くから近くから「演出」「企図」しているのが、消滅寸前のマスメディアだと、ぼくは思っている。ここで「乾坤一擲」といい、「起死回生」と、沈没寸前の泥舟(新聞社)を救い、ためには権力のほしいままなる記事写真を連日連載することに何の不思議もありません。その国民を動かしているメディアを動かしている「奥の院」では、目下、連日にわたり「茶番劇」が演じられている。以下、ご覧ください。

 (あえて、小生の「心持」を言うならば、どうしても「春望」によらざるを得ません。「国破れて山河廃る 都鄙(とひ)春にして草木枯れる」)

 <官房副長官、文春報道論評せず 教団関係者あいさつ状巡り 佐藤啓官房副長官は5日の記者会見で、高市早苗首相の事務所が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の関係者にあいさつ状を送った疑いがあると報じた週刊文春電子版への論評を避けた。「個々の政治活動に関する個別の記事一つ一つについて、政府としてコメントするのは差し控える」と述べた> (共同通信・2026年02月05日 12時30分) 

<首相欠席「木原氏が判断」 NHK討論、手の治療優先 政府高官は4日、高市早苗首相(自民党総裁)が手の治療を理由に1日のNHK討論番組を欠席したのは、木原稔官房長官の判断だったと記者団に説明した。首相は衆院選の遊説先での握手などで関節リウマチの持病が悪化したため、治療を優先させたとした。 欠席を巡っては、インターネット上などで野党との討論を避けたかったのではないかとの批判が出ており、反論する狙いとみられる。 政府高官によると、首相は出演の意向を示していたが、木原氏が1日朝、専門の医務官による治療を受けさせるため出演をキャンセル。代わりに出演した田村憲久政調会長代行にも木原氏が事前に依頼していたという> (共同通信・2026年02月04日 20時31分) 

<首相の台湾発言、論評せず 官房長官「仮定の質問」 木原稔官房長官は3日の記者会見で、台湾有事の際に自衛隊が米軍と共同で邦人救出作戦を行う可能性を示唆した高市早苗首相の発言について、政府としての論評を避けた。発言が政府見解と合致するのかどうか問われ「台湾有事は仮定の質問だ。答えは差し控える」と述べた。 台湾問題について「対話により平和的に解決されることを期待するというのが一貫した立場だ」と説明。海外に渡航、滞在する邦人の保護に関し「政府の最も重要な責務の一つであり、全力を尽くすのは言うまでもない」と語った。 首相は1月26日の民放番組で、台湾有事が起きた場合に「台湾にいる日本人や米国人を救いに行かなければいけない」と発言した>(共同通信・2026年02月03日 11時57分)

 「操り人形(仏・マリオネット・marionnette)(英・ぱぺっと・puppet)」は「糸でつるして操る人形。また、それを使う人形劇。操り人形」(デジタル大辞泉)のこと。ただいま現在の「政治茶番・永田町物語」で、「わが党は衆議院議員選挙、かく戦えり」と題して、なんとも騒々しく、かつ寒々とした内容を羅列し、連日連夜の「茶番劇」が繰り広げられております。一方では連日急襲する大寒波のもたらす豪雪で、いやも応もなく、雪害に抗して日夜奮闘、選挙どころではない地方もあります。くわえて、この如月の大事な時期に、受験生(特に「選挙投票権」を有する若人)はおちおち受験勉強に打ち込むことができないままで時間が差し迫ってきます。そして、「時の人」というか、正確には「時の操り人形」は、勝手に物も言えず、会いたい人にもも会えず、ひたすら取り巻き連の操る糸の動きのままにふるまうことしかできないでいる、何んとも可哀そうというか、憐れを催すというべきか、この人形劇団の面々は、それこそ「人形」のやらかした諸悪・諸虚偽を取り繕うのに懸命の努力を重ねている。それが「せいじ」だという。(ヘッダー写真は「鳴門市阿波おどり2025」)(https://www.youtube.com/watch?v=uhpjoSZSI_k

 もともと、こうなることは以前から「知る人ぞ知る」、とてもではないけれど「宰相の玉」などではあり得ないのに、取り巻き連中多勢は我欲に目が眩(くら)み、いらぬ欲をかいてというべきか、「阿波の鳴門のおつる」という小娘ならいざ知らず、「悠久の都、奈良の大年増」の二枚舌、三枚下に誑(たぶら)かされて、果ては一番座ってはいけない椅子に座らせたまではよかったが、イザ本番という段になり、「お里が知れた」のでした。ぼくの常用の辞書では「言葉遣いやしぐさによって、その人の生まれや育ちがわかる。よくない意でいう」(デジタル大辞泉)とあります。こんなはずではなかったと、本にも知人・友人も「場違い」に気が付いたが遅かった。やることなすこと、すべてが「裏目」に出る始末。いえば言うほど、嘘が重なり、それを取り繕うためにまた嘘をつく。どこかで見た芝居だと思ったら、なんと彼女の師とされる、故元首相そっくりだと気が付く。嘘つきで、わがままで、横柄で、さらに傍若無人と来た日には、なす手がないというわけで。急遽、考案したのが「古傷の再利用」でありました。「仮病」は元首相の「十八番(おはこ)」でしたよ。腕をくじいたと言い出し、いや右手を怪我したといい、指の関節が曲がったといい、リュウマチがひどくなったと、猫の目のように言い訳が反転・回転。何のことはない「テレビ党首討論」を避けたいがための嘘八百だった。「嘘にまみれた人」が好きなのが国民ノック、つまりは「人がいい国民」。はっきり言うと「馬鹿」ですな。

◎傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)= 浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。世話物。10段。近松半二(はんじ)、八民(やたみ)平七、吉田兵蔵、竹田文吉、竹本三郎兵衛合作。1768年(明和5)6月、大坂・竹本座初演。「契情(けいせい)~」とも書く。近松門左衛門作の浄瑠璃『夕霧阿波鳴渡(ゆうぎりあわのなると)』に基づき、阿波徳島玉木家の御家騒動に、夕霧伊左衛門の情話と阿波の十郎兵衛の巷説(こうせつ)を取り入れた作。八段目「巡礼歌の段」が有名で、今日でも多く上演される。旧主玉木家への忠義のため、盗賊となった十郎兵衛の女房お弓が、偶然訪ねてきた巡礼娘お鶴(つる)を、わが子と知りながら、難儀をかけるのを恐れ、母親と名のらずに別れる話。歌舞伎(かぶき)では、この場を後世の改作により、どんどろ大師前の場面で演じることが多く、俗に「どんどろ」とよぶ。(日本大百科全書ニッポニカ)

 こんな人間に国を預けるわけにはいかないと、あちこちから声が上がってきた。噂が噂を呼んでいるが、巨額の軍資金を投入して、自己保身を図るために、この「衆議院選挙」を(SNSを筆頭に)買収したともいわれています。その「座」を死守するのに「死に物狂い(Desperate)」になった結果、初めに触れたったように、実は彼女は、端(はな)から「マリオネット」だったというわけです。心身のつくりは見せかけで、本体は「からくり」でしたというのです。

 「傾城阿波の鳴門」のお弓さんじゃないけれど、早苗姫はなかなかしぶといアマであって、転んでもただでは起きない性分。「父様の名は…。母様の名は」というが早いか。操りの糸を断ち切って、自分から動こうとするのでしたが、憐れにも元は作り物の人形。ついに今は亡き師匠の元へと沈んでいくのでした。S.A. もS.T.も、ともに「権力欲」「名誉欲」という情動の なすが儘に動かされていた「操り人形・マリオネット」だった。そんな「人形」に「思考力」「判断力」をわしづかみにされた有権者は、だれが糸牽く「操り人形」だったのだろうか)(S.A.は数々の疑惑について「嘘」は口から出まかせについたが、真相は語らなかった。たぶん、S.T.も同様で、カルト教団との関係をはじめとする疑惑を自らの口で語ることはないでしょう。(口は災いの元)という意味を知っているのでしょうか)(そろそろ、ここらで「悪態の突き収め」と、暇な爺さんは判断しています)

 (*BOØWY / Marionette)(https://www.youtube.com/watch?v=0lswvbPCCbE&list=RD0lswvbPCCbE&start_radio=1

  政治をゆがめる関係を示す新たな疑惑が相次ぐのに、口をつぐんだままなのか。

 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)が国政選で自民党を組織的に支援したとする内部文書が、日韓のメディアで明らかになった。
 本部の韓鶴子総裁への報告をまとめた「TM特別報告」で、韓国政界への工作を巡る捜査で押収されたとされる。
 見過ごせないのは、2021年の衆院選後、教団の徳野英治元会長が「私たちが応援した国会議員は自民党だけで290人に上る」と伝えたとする記載だ。
 双方のつながりは、22年に銃撃された安倍晋三元首相の事件を機に問題となった。教団への多額献金で家庭崩壊した恨みが向けられたとされる。自民は所属国会議員に自己申告を求め、半数近い180人に接点があったとして「関係を絶つ」と宣言した。
 その接点は、教団関連会合への出席や祝電が中心とされ、選挙支援を受けたのはボランティアを含め19人としたが、内部文書はこれを覆す緊密ぶりを示すものだ。
公示前のテレビ討論会で、野党側から追及された高市早苗首相は「出所不明の文書」とし、「明らかに誤り」と主張した。
 だが、徳野氏は自ら報告した内容が含まれていると認めている。「誇張があった」とも言うが、元会員だとした記載を自民前議員が認めるなど裏付ける証言もある。虚偽の一言で片付けて、多くの国民が納得するだろうか。
 さらに高市氏本人も、代表を務める自民支部が19年に開いた政治資金パーティーで、教団関連団体が計4万円の券を購入していた疑いが週刊文春で報じられた。
 これまで高市氏は、金銭のやりとりを含めて教団側との接点を否定し、党調査結果にも名前はなかった。報道が事実なら食い違う。
 だが高市氏は1週間近く何ら言及していない。注目されたテレビ討論番組もけが治療を理由に欠席した。そもそも国会での「追及逃れ解散」との批判も根強い。自分の言葉で明確に説明すべきだ。
 改めて自民のずさんな調査が浮き彫りになっている。選挙時の推薦確認書を教団側と交わし、憲法改正や安全保障体制の強化、同性婚合法化への慎重姿勢などを約束した議員も複数判明している。政策への影響は現在にも及んでいるとの指摘もある。
 野党の一部にもあった接点を含め、第三者の調査で全容の解明が欠かせない。(京都新聞・2026/02/04)

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想像力に恵まれない思考力の低劣さ

【海潮音】日本はどうして核兵器を持たないのですか? 被爆者に質問した学生服姿の男の子は続けた。ウクライナだって核兵器さえ持っていればロシアに攻められずに済んだ。ユーチューブで○○先生は核兵器を持つべきだと言っているし、自分もそう思う◆じゃあ、君は世界中の国がみんな核兵器を持てばいいと言っているのかい? 被爆者は逆に問いかけたが、男の子は心変わりすることなく去っていった-。昨年8月6日、広島市の平和記念式典後の被爆証言を聞く集まりで、被爆2世の柴田杉子さん(63)=鳥取市=が間近に見た押し問答の顛末(てんまつ)である。先週末、核兵器禁止智頭町実行委員会の講演会で紹介していた◆高市政権で安全保障政策を担当する官邸筋が「私は核を持つべきだと思っている。最終的に頼れるのは自分たちでしょう」と発言した政界話とは訳が違う。若年層がネット情報を通して核抑止論に傾斜する現実に驚きを覚える◆「核抑止論に関しては若い人と言葉でやりとりしても負けるんですよね。論理的にきちんと自分が説明できるようになりたい」。柴田さんは知識の乏しさを自戒し、改めて誓っていた◆唯一の戦争被爆国として核の脅威にどう立ち向かうか。衆院選の争点でもある。わが事として考えを持つ必要がある。(深)(日本海新聞・2026/02/05)

 「金を持っている奴が勝ちですよ、この世の中は」と思う人は少なくありません。まるで、「人生は土俵のない相撲の勝ち負け」と錯覚している人はいつの時代にも存在してきました。でもその「思考力」「想像力」のなさが極めて顕著になってくるのが「社会」や「国」が左前になってきたときでしょう。「倒産まじかの会社」みたいなもので、嘘つき合戦が盛んになります。本当のところを探られたくないから、「やられる前にやってしまえ」という勇ましく聞こえる「先制力」「不意打ち」に頼りたがるのでしょうか。コラム「海潮音」氏が問おうとしているのは何ですか。「唯一の戦争被爆国として核の脅威にどう立ち向かうか。(略)わが事として考えを持つ必要がある」と極めて一般論の披歴で終わっているのはどうしてでしょう。こんなことしか口にできないのは、怠慢ではないですか。歴史の事実と違うとまでは言いませんが、「唯一の戦争被爆国」という「古手形」を使い過ぎていないでしょうか。使ってはいけないといいたいのではありません。時と所を選ばなければ、とそれを指摘したいだけ。犬や猫を相手に「唯一の戦争被爆ですから」と、どんなに力説したところで何になるんですか。説法もまた、人を見て、ですよ。木石に通じる説法は、果たしてあるか。

 「日本はどうして核兵器を持たないのですか?」と聞き返すのは、何も学生服姿の男の子だけではないでしょう。この国の為政者(総理大臣や閣僚経験者をはじめとして)、の大半は「核保有すべきである」と思いもし、発言もする。現に、首相補佐官の一人は「核を保有すべき」と発言したというし、その発言は今もって取り消されもしなければ、否定もされていません。総理大臣をはじめとして、内閣閣僚はすべて「発言を受け入れている(内閣の、いわば総意」でしょ)とみなされるし、「その通り」としか言えないでしょう。加えて、政府高官(とは誰のことか、どうして新聞テレビは「実名」を伏せるのですか)から直接聞いた情報であるにもかかわらず、「A」氏はと、名前と肩書をなぜ言付けないのですか。報道の「5W1H」とかいうのがあるらしいが、その基本要素を欠いているのは情報報道の倫理に悖(もと)ります。「名前を伏せる(匿名)」意味はどこにありますねん。「由(よ)らしむべし、知らしむべからず」といささかでも考えているなら、新聞記者を辞めるるべし。「* 由よらしむべし知しらしむべからず= 《「論語」泰伯から》人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい。転じて、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない」(デジタル大辞泉)「転じて、そんな政治は悪性であるというべし」と、自称編纂者は解説しなければ。筆者注)

 核兵器を持っているから、攻撃されない、というのは空想だし、無根拠の空論です。核兵器で攻撃されたら、やり返されることはないと、多くの人は単に希望を述べているだけで、「やられたらやり返せ(If someone does something to you, do it again)」という実例を見ないだけの話です。人間の善意も深いけれど、その広さや深さは「悪意」には遠く及ばないと、ぼくは考えるものです。それこそ、広島長崎の「原爆投下」を思えば頷(うなづ)けるでしょう。当時の米国為政者は「日本人は人間の姿をしているサル」とみなしていたし、今だって根っこの部分にはその「蔑視(contempt)」がある。つまり、相手は野良猫だから殺していいという「感情」が、ある種の人間にはあるということです。

 「高市政権で安全保障政策を担当する官邸筋が『私は核を持つべきだと思っている。最終的に頼れるのは自分たちでしょう』と発言した政界話とは訳が違う。若年層がネット情報を通して核抑止論に傾斜する現実に驚きを覚える」という部分に、ぼくは違和感を強く覚えます。核の専門家を自任しているらしい「官邸筋」はいかなる論拠(合理性)に基づいて「核を保有すべき」といったのか。学生服姿の男の子は「「ネット情報による核抑止論」だから駄目なのだというのは、ぼくには不可解です。AであろうがBであろうが、「核保有」はいかなる理由があろうが間違いであると、どうして言えないのか。「核抑止論に関しては若い人と言葉でやりとりしても負けるんですよね。論理的にきちんと自分が説明できるようになりたい」と被爆者は語られたという。つまりは、論争で勝ちたい、負けたくないようにといわれているとするなら、無駄です。「君が言うのは理屈で、理屈なら負けないぞ」といってどうなるんですか。論争に勝とうが負けようが、「核保有の有無・是非」について宗旨替えするのでしょうか。もしそうなら、もっと危ないですね。「論破」は問題のすり替えです。

 政府高官(官邸筋)や学生服姿の男の子に欠けているのは「核攻撃・核被爆への想像力」です。(ここで、大江健三郎さんの「核時代の想像力」という著作のこと思い出しました。学生時代に熟読したものです)被爆すれば、被爆当事者はもちろん、その子孫にまで被爆の累(後遺症)が及ぶ。「戦後八十年」の記憶すら持てないチャラい総理大臣や政府高官たちが、どうして歴史の中で「公正」「誠実」を貫けるでしょうか。ぼくたちに決定的に欠けているのは「想像力」です。この時代、我々に欠けているのは、あらゆることに豊かに反応するだろう、そんな想像力だと思う。軍備を強固に整え、敵の攻撃に備えるというのはバカの理屈で、ガリバーのような強敵に小人国はいかにして対峙し得るかという問題の設定自体が間違っています。大相撲の横綱に向かっていく少年みたいなもので、論外ではないですか。その程度ならわかるというのか。「自衛隊」=「軍隊」をどれだけ増強したところで、まずどこと戦うのかが明らかなんですか。能天気な政治家の口癖は「極東情勢」は極めて厳しいという。ぼくは「そうなんですか」と思うばかりです。「厳しさ」に向かうのは武力しかないという浅はかな思考回路がくるっている。

 コラム「海潮音」の内容に誘われて、なんだか遠くまで来てしまいました。十七世紀の「オランダ風説書」が脳裏に浮かんでいます。つまり、今日の「核保有論」や軍備増強の根拠になっているのは「風説の流布」の類だと、ぼくは断言したい誘惑に駆られています。少子高齢化の大波に洗われ、加速化する衰退の坂道を転げ落ちる現状は、誰の目にも明らかな、極東のこの小国が身にそわない、「身分不相応な「核保有」や「軍備増強」を急くのは何のためですかと問いたい。あまりの軍事増強費用の巨額に、この国は「金融破綻」さえ起こしかけていると、世界各国の話題になっているこの時期、「有能」でなくてもいい、ごく平凡な正邪・善悪の区別のつく為政者が出てほしい。嘘をつきとおし、自らの責任を部下に押し付けるような「宰相」は、女であれ男であれ、今のこの国には不要ですよ。「くさいの、くさいの飛んでけ~」 次は、いつ、どの場面で「急病」になるんですか?

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 「半年のうちに世相は変った。醜しこの御楯みたてといでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋やみやとなる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌いはいにぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ」「人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない」「戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱ぜいじゃくであり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。」(坂口安吾「堕落論」ちくま文庫版)

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