想像力に恵まれない思考力の低劣さ

【海潮音】日本はどうして核兵器を持たないのですか? 被爆者に質問した学生服姿の男の子は続けた。ウクライナだって核兵器さえ持っていればロシアに攻められずに済んだ。ユーチューブで○○先生は核兵器を持つべきだと言っているし、自分もそう思う◆じゃあ、君は世界中の国がみんな核兵器を持てばいいと言っているのかい? 被爆者は逆に問いかけたが、男の子は心変わりすることなく去っていった-。昨年8月6日、広島市の平和記念式典後の被爆証言を聞く集まりで、被爆2世の柴田杉子さん(63)=鳥取市=が間近に見た押し問答の顛末(てんまつ)である。先週末、核兵器禁止智頭町実行委員会の講演会で紹介していた◆高市政権で安全保障政策を担当する官邸筋が「私は核を持つべきだと思っている。最終的に頼れるのは自分たちでしょう」と発言した政界話とは訳が違う。若年層がネット情報を通して核抑止論に傾斜する現実に驚きを覚える◆「核抑止論に関しては若い人と言葉でやりとりしても負けるんですよね。論理的にきちんと自分が説明できるようになりたい」。柴田さんは知識の乏しさを自戒し、改めて誓っていた◆唯一の戦争被爆国として核の脅威にどう立ち向かうか。衆院選の争点でもある。わが事として考えを持つ必要がある。(深)(日本海新聞・2026/02/05)

 「金を持っている奴が勝ちですよ、この世の中は」と思う人は少なくありません。まるで、「人生は土俵のない相撲の勝ち負け」と錯覚している人はいつの時代にも存在してきました。でもその「思考力」「想像力」のなさが極めて顕著になってくるのが「社会」や「国」が左前になってきたときでしょう。「倒産まじかの会社」みたいなもので、嘘つき合戦が盛んになります。本当のところを探られたくないから、「やられる前にやってしまえ」という勇ましく聞こえる「先制力」「不意打ち」に頼りたがるのでしょうか。コラム「海潮音」氏が問おうとしているのは何ですか。「唯一の戦争被爆国として核の脅威にどう立ち向かうか。(略)わが事として考えを持つ必要がある」と極めて一般論の披歴で終わっているのはどうしてでしょう。こんなことしか口にできないのは、怠慢ではないですか。歴史の事実と違うとまでは言いませんが、「唯一の戦争被爆国」という「古手形」を使い過ぎていないでしょうか。使ってはいけないといいたいのではありません。時と所を選ばなければ、とそれを指摘したいだけ。犬や猫を相手に「唯一の戦争被爆ですから」と、どんなに力説したところで何になるんですか。説法もまた、人を見て、ですよ。木石に通じる説法は、果たしてあるか。

 「日本はどうして核兵器を持たないのですか?」と聞き返すのは、何も学生服姿の男の子だけではないでしょう。この国の為政者(総理大臣や閣僚経験者をはじめとして)、の大半は「核保有すべきである」と思いもし、発言もする。現に、首相補佐官の一人は「核を保有すべき」と発言したというし、その発言は今もって取り消されもしなければ、否定もされていません。総理大臣をはじめとして、内閣閣僚はすべて「発言を受け入れている(内閣の、いわば総意」でしょ)とみなされるし、「その通り」としか言えないでしょう。加えて、政府高官(とは誰のことか、どうして新聞テレビは「実名」を伏せるのですか)から直接聞いた情報であるにもかかわらず、「A」氏はと、名前と肩書をなぜ言付けないのですか。報道の「5W1H」とかいうのがあるらしいが、その基本要素を欠いているのは情報報道の倫理に悖(もと)ります。「名前を伏せる(匿名)」意味はどこにありますねん。「由(よ)らしむべし、知らしむべからず」といささかでも考えているなら、新聞記者を辞めるるべし。「* 由よらしむべし知しらしむべからず= 《「論語」泰伯から》人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい。転じて、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない」(デジタル大辞泉)「転じて、そんな政治は悪性であるというべし」と、自称編纂者は解説しなければ。筆者注)

 核兵器を持っているから、攻撃されない、というのは空想だし、無根拠の空論です。核兵器で攻撃されたら、やり返されることはないと、多くの人は単に希望を述べているだけで、「やられたらやり返せ(If someone does something to you, do it again)」という実例を見ないだけの話です。人間の善意も深いけれど、その広さや深さは「悪意」には遠く及ばないと、ぼくは考えるものです。それこそ、広島長崎の「原爆投下」を思えば頷(うなづ)けるでしょう。当時の米国為政者は「日本人は人間の姿をしているサル」とみなしていたし、今だって根っこの部分にはその「蔑視(contempt)」がある。つまり、相手は野良猫だから殺していいという「感情」が、ある種の人間にはあるということです。

 「高市政権で安全保障政策を担当する官邸筋が『私は核を持つべきだと思っている。最終的に頼れるのは自分たちでしょう』と発言した政界話とは訳が違う。若年層がネット情報を通して核抑止論に傾斜する現実に驚きを覚える」という部分に、ぼくは違和感を強く覚えます。核の専門家を自任しているらしい「官邸筋」はいかなる論拠(合理性)に基づいて「核を保有すべき」といったのか。学生服姿の男の子は「「ネット情報による核抑止論」だから駄目なのだというのは、ぼくには不可解です。AであろうがBであろうが、「核保有」はいかなる理由があろうが間違いであると、どうして言えないのか。「核抑止論に関しては若い人と言葉でやりとりしても負けるんですよね。論理的にきちんと自分が説明できるようになりたい」と被爆者は語られたという。つまりは、論争で勝ちたい、負けたくないようにといわれているとするなら、無駄です。「君が言うのは理屈で、理屈なら負けないぞ」といってどうなるんですか。論争に勝とうが負けようが、「核保有の有無・是非」について宗旨替えするのでしょうか。もしそうなら、もっと危ないですね。「論破」は問題のすり替えです。

 政府高官(官邸筋)や学生服姿の男の子に欠けているのは「核攻撃・核被爆への想像力」です。(ここで、大江健三郎さんの「核時代の想像力」という著作のこと思い出しました。学生時代に熟読したものです)被爆すれば、被爆当事者はもちろん、その子孫にまで被爆の累(後遺症)が及ぶ。「戦後八十年」の記憶すら持てないチャラい総理大臣や政府高官たちが、どうして歴史の中で「公正」「誠実」を貫けるでしょうか。ぼくたちに決定的に欠けているのは「想像力」です。この時代、我々に欠けているのは、あらゆることに豊かに反応するだろう、そんな想像力だと思う。軍備を強固に整え、敵の攻撃に備えるというのはバカの理屈で、ガリバーのような強敵に小人国はいかにして対峙し得るかという問題の設定自体が間違っています。大相撲の横綱に向かっていく少年みたいなもので、論外ではないですか。その程度ならわかるというのか。「自衛隊」=「軍隊」をどれだけ増強したところで、まずどこと戦うのかが明らかなんですか。能天気な政治家の口癖は「極東情勢」は極めて厳しいという。ぼくは「そうなんですか」と思うばかりです。「厳しさ」に向かうのは武力しかないという浅はかな思考回路がくるっている。

 コラム「海潮音」の内容に誘われて、なんだか遠くまで来てしまいました。十七世紀の「オランダ風説書」が脳裏に浮かんでいます。つまり、今日の「核保有論」や軍備増強の根拠になっているのは「風説の流布」の類だと、ぼくは断言したい誘惑に駆られています。少子高齢化の大波に洗われ、加速化する衰退の坂道を転げ落ちる現状は、誰の目にも明らかな、極東のこの小国が身にそわない、「身分不相応な「核保有」や「軍備増強」を急くのは何のためですかと問いたい。あまりの軍事増強費用の巨額に、この国は「金融破綻」さえ起こしかけていると、世界各国の話題になっているこの時期、「有能」でなくてもいい、ごく平凡な正邪・善悪の区別のつく為政者が出てほしい。嘘をつきとおし、自らの責任を部下に押し付けるような「宰相」は、女であれ男であれ、今のこの国には不要ですよ。「くさいの、くさいの飛んでけ~」 次は、いつ、どの場面で「急病」になるんですか?

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 「半年のうちに世相は変った。醜しこの御楯みたてといでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋やみやとなる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌いはいにぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ」「人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない」「戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱ぜいじゃくであり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。」(坂口安吾「堕落論」ちくま文庫版)

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立春にはげまされたる心かな

【国原譜】
 きょうは立春。自宅近くの蝋梅(ろうばい)が満開で、白梅もちらほら。まだ厳しい寒さと豪雪の一方で、春は一歩ずつ近づいている。▲過日の本欄(1月13日付)で、高市早苗首相が大相撲・初場所の千秋楽で優勝力士に内閣総理大臣杯授与のため、土俵に上がるかどうか注目、などと書いた。▲衆院選の応援で福岡市を訪れた高市氏は街灯演説で、「土俵の女人禁制」という伝統を尊重し、自身は「これからも土俵に上がらない」と明言したという。▲さてそれでは、伝統的価値観とは何か、である。先に筆者は県内にある修験道のメッカ、大峰山の女人禁制にも触れたが、これに関連する明治時代初期の法令がある。▲1872年5月の「太政官布告」第98号は記す。「神社佛閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス」。この法令によって、女性の大相撲観戦もできるようになったという。▲江戸時代には許されなかった女性の相撲観戦は明治の世になって可能になった。女人禁制も「規範」の一つとすれば、時代によって変わると言えそうだ。それが前進か後退かは分からないにしても。(北)(奈良新聞・2026/02/04)

 本日は2月4日。「立春の日」という。その昔は「春が立つ」、つまりは新春でした。老耄(ろうもう)著しいぼくは、かなり昔から、ぼくの「正月」はこの人思い込んできました。それはさておき、奈良新聞。現首相の地元紙であり、いわば首相支持派の「故郷応援団長」という趣で、盛んに八百長・提灯記事を書いておられる。その多くは面白くもない維記事多数という印象(失礼を謝します)。本日の「国原譜」を一読、再読。いくばくかの感想がわきました。大相撲の優勝力士に内閣総理大臣杯を渡すのが常だそうですが、土俵は女人禁制で、現首相(女人)は「ダメ」とされたが、首相自身も「女人禁制」という「伝統を墨守する」のだから、「これからも土俵に上がらない」といったとされる。つまり彼女はこれからも総理を勤めるという腹積もりがむき出しにされているということに、ぼくは「ど厚かましい」という気がする。「まあクサい自惚ればかりが臭うなり」、一日も早く辞任してほしいというのは、ぼくの、ささやかな、かつ断固たる切願です。神社仏閣の「女人禁制」もまた、大和国の香しい伝統だからと総理が言う。ならば「靖国神社」だってそうでしょ、とならないのは、どうしてでしょうか。

 「江戸時代には許されなかった女性の相撲観戦は明治の世になって可能になった。女人禁制も『規範』の一つとすれば、時代によって変わると言えそうだ。それが前進か後退かは分からないにしても」(コラム「国原譜」)と記者氏は書くが、「土俵は女人禁制」とは、一種の規範だとされるが、ぼくにはよくわからない。つまりは女性差別が「規範」だという意味なのですか。もちろん、時代とともに「社会規範」「倫理」が変わるのは当然で、その悪しき「慣習(規範)」を打破していくところに意味があるのではないかとぼくは愚考するもの。つまらないことかどうか、あえて解釈は入れないが、首相は「みなさのN+K」の党首討論番組を直前に「ドタキャンした」とされ、それが話題になっている。つまり、出演すると都合が悪い」ので、嘘をかましてキャンセル、つまりは「敵前逃亡」を図ったというのです。その通りですね。この「嘘(の代償)」は高くつくのではありませんか。都合が悪ければ、迷わず嘘をつくというのも、一つの狡猾(狡さ)という才能だ。この「才能」ばかりは水準は高そうです。

 いくつかの報道によると、番組報道の三日前から、「キャンセル」が仕組まれていたとありました。DH(代理)をだれにするかと思案した結果、大谷翔平ではなく、政調会長にお役が回ったが、あいにく先約があるので「会長周辺」の T 氏(元厚労大臣)に決められ、その通りになった。生半可な知識をひけらかして「演説」をぶったはいいが、その「口から出まかせ発言」で、せっかくの円高傾向が元の木阿弥。彼女は「円安がいいのか、円高がいいのか」がわからないといった。「そんなんわからんって、嘘やろ」と、大した度胸だが、区の空っぽ宰相の現行の果てが、ひたすら末恐ろしくなる。一円下がって、日本経済は大損をし、一円下がって日本国民は生活苦に襲われる。円安は日本の価値、つまりは円の価値を著しく棄損するのだ。首相就任以来、何十兆円の棄損が発生しているのに、です。あろうこと、当然のことで、政権党の税制調査会では、早くから「消費税(食料品分)」を2年間はゼロ税率として(目くらまし期間で、時間稼ぎ)、その後に消費税を12%に増税する議論が進んでいるのだ。食料品8%をゼロにして5兆円の欠損が出るけれど、その後に12%に増税をすれば、その欠けた部分は穴埋めできるので、首相は「赤字国債なしで税率はゼロにする」とまで広言した。ところが、その発言は、このところ封じ込んで選挙応援演説を進めているのは、なぜか。秘密裏の経過や内容が公然化されるのを、関係者が嫌ったからだ。首相は誰かの傀儡(かいらい)であるという証拠でしょう。

 これと同じ構図が、内閣の一員である「高官(元自衛官)」の「核保有発言」で、この発言に関しても首相は「黙認」しているというほかない態度を貫いている。検討しているという事実を総理は認めているのだ。憲法改正やスパイ防止法をぜひやらせてくれと、機会あるごとに懇願してきたのに、選挙期間中には一切内容を触れず、「私に対する信任投票」だから、どうぞ清き一票をと、「大統領気分」の演説に明け暮れている。口にするのも嫌なことだが、この人間には「総理大臣」の資格は皆無。つまりは誰かの「傀儡」にうってつけの無能人物だということです。「だれか」とは言うもはばかるので、内緒(明日にでも口外するかもしれません)。経済知識・感度という首相になる人物には不可欠の「知識」「能力」が欠けているし、学習も嫌い、その「振り」は得意ですが。外交問題は見ての通り。中国に何ひとつ反論できないのは、自らの「不明」「愚かさ」のゆえだったが、この先、どうするつもりでしょうか。総理大臣も「女人禁制」というのではありませんが、こんな手合いが「首相でござい」と言っているようでは、本人も有権者も、ともどもに女人禁制を求めているとしか思われないんじゃないですか。「世界の笑われ者」ですが、それもいいか。

 そして、そんな愚かな宰相率いる連立政権が300議席を占める勢いとかいう、とんでもない「調査」報道をしているメディアもまた、「オウンゴール」を蹴りこんでいるとみる。「権力」にひれ伏す、身の毛もよだつ「醜悪」な報道姿勢です。何度でもいいますが、ぼくは選挙結果に言及はしないし、「中道」を支持しているとも言わないのは、そういう気持ちがないからです。すでに期日前投票は済ませました。誰に・どこに投じたかは言う必要もありませんが、腐敗や堕落、あるいは嘘八百を常套(上等)手段とする政治家や政党には投票しませんでした。今では、マーケット(市場)こそが、唯一の総理大臣や政権党への厳しい判断力を維持しているといえそうです。もちろん、日本発の金融ショックを恐れる、海外のマーケットの判断、ですがね。それによって、この政権は、遠からず潰れる(かもしれません)。

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*「梅は咲いたか」 藤本二三吉藤本二三吉【端唄 レコード】(https://www.youtube.com/watch?v=FM0tlI-kR0s)                               *立春に励まされたる心かな(国弘賢治)

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苛斂誅求を事とせぬ政治家の蝟集・蠢動

【海潮音】「以前は4千円程度で済んだ週末の買い物が5千~6千円になった感覚」。今衆院選の取材で聞いた市民の声だ。近年、米子で最もにぎわう場所の一つがディスカウント店。毎年2万点を超える食品の値上げがあり、物価高騰に対する有権者の関心は高い◆物価高騰の主因は円安の進行だろう。2022年春にアメリカが利上げを始め、ゼロ金利政策を続ける日本との金利差が開くと、徐々に円安が進んだ。昨年11月時点で実質賃金は11カ月連続で減少し、庶民の家計は苦しくなるばかり◆一方で自民党は派閥裏金事件に関係した前議員を多数公認。連立与党である日本維新の会の一部議員は高額な国民健康保険料の支払いを逃れる脱法的行為が問題となるなど、政治倫理を疑いたくなる行為が横行している◆18歳の有権者からは「公約の比較や検討に十分な時間がとれずもどかしい」との声が上がった。戦後最短の真冬の選挙は受験期に重なり、真摯(しんし)な投票意欲をそいでいる。衆院解散は首相の専権事項とされるが、近年政局利用され過ぎていないか◆選挙は民主主義の根幹を成す制度だが、選挙だけでは健全な民主主義は保てない。そこに有権者の政治的関心と批判精神がなければならない。有権者は各党の政策を吟味する責任がある。(岡)(日本海新聞・2026/02/03)

 昨日あたりから、選挙結果の予測(というのも変だが)が出始めました。大方は現政権与党、特に自民党の伸びは著しく、単独で300議席超もあるという。そうなんですか? 呆れるというか、この程度の政治的見識の有権者が圧倒的多数を占めているのだから、そんな思いに駆られる。長年続いた「悪政」に慣れ切って、まるで「ムチ」を食らっているうちにだんだんと快感を覚えるようになってきたらしい。まさしく「マゾ」だな。もちろん、選挙直前に「合体」した政党がそれなりに多数の議席を占めるという希望的観測も流されたが、まあ、それはあり得ない話、1+1=1(以下かもしれぬ)、このことはぼくのような木偶の坊でも予測はたっていました。もっと言うなら、永田町の政治家は「政治結社・永田組連合」と称してもいいほどに「一連托生」であり、昨日の敵は今日の友、その反対も大いに可。(左は朝日新聞・2026/02/02)

 つまりは「一の子郎党」。離合集散、あるいは「合従連衡」などといって、くっついたり離れたり。まさしく同類であり同胞でもあるのです。現在の政権与党が大多数を占めれば政治はよくなるという期待や思惑があっての、「選挙予測」を垂れ流すのだろうかと、ぼくはいぶかしく思う。この国は、はっきり言って「根太から腐っている」のです。白アリ・黒あり、いろいろありますという具合で、そこらじゅうを腐らせまくっている。女性宰相も見た目だけで、DNAは腐敗菌をたっぷりうちに持つ既成悪徳政治家に寸分の変わりはないのです。「円安ホクホク」とあらぬことを吠えて、せっかくの円高努力(数兆円も投入したらしい)も元の木阿弥。やがて、アメリカから突き付けられる「請求書(軍事費)」は二十兆円を超えるといわれている。いったい、どこと一戦を交えるつもりか。敵を想定しないで武器の購入で米国を利しているだけとも思われる。これこそ「売国の徒」ではないでしょうか。

 「戦争のできる国」にというのが宿願だというのだから、こんな腐った政治家がのさばる国だからこそ、という「想い」もありますけれど、歯ぎしりも腕まくりも「詮方なし」ですな。不謹慎だが、後は野となれ山となれ。頼みは「自然災害」ばかりなりと口走れば、叩かれるだろうけれど、まだ「天災」のほうが諦めもつき、気分の切り替えも早いだろうと思っています。いつも言うことですが、ぼくは善人ではないけれど、政治家ほどの悪は、まずなしませんから。

 (一見不用意な発言に見えて、実はその裏で「たんまり儲けている」のではないですかと、言いたくないことも口にしたくなる。要するに「為替相場」を弄(もてあそ)んでいるのです)(「火遊びは止めろ!(Stop playing with fire!)」)

外為特会「ほくほく」は本当か 高市首相発言、火消し追われる政府内 高市早苗首相(自民党総裁)の「円安で助かっているのは外為特会(外国為替資金特別会計)。今は、ほくほく状態」との発言を受け、政府が火消しに追われている。週明け2日の東京外国為替市場では、「円安を容認する発言」との受け止めが広がり、一時1ドル=155円台半ばまで円が下落した。政府・日銀が円安食い止めに必死なのにもかかわらず、首相自ら円売りを誘発する軽率な発言をしたことに、政府内では戸惑いの声が広がっている。(以下略)(毎日新聞・2026/02/02)

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 (昨日は、ルーティンの駄文以上に捏造したかった主題がありました(「売国奴云々」)ので、そちらを優先させました。一日遅れの「徒然に日乗」(990~996)です)

◎2026/02/01(日)自民党と旧統一教会との闇夜の付き合いのような、暗黒関係がいくつかのネットメディアを通して明らかにされつつある。このような腐敗した関係を自民党の側から(その張本人は、銃弾に倒れた元総理だった)持ち掛け、あろうことかあの手この手で統一教会を利用していたつもりで、結果的にはカルト集団の手ごまにされていたことが明らかとなっている。仮に、公表されている文書(報告書)の内容が虚偽・誤報であるなら、それこそ「カルト集団」関係者を名誉棄損で訴えるべきだろう。ここまで腐って、何が「政治」かという憤怒の想いが爆発寸前である。情けないことおびただしいというのはこのことだ。右も左も「売国奴」、それがこの国の政治と政治家のレベルだと思っている。(996)


◎2026/01/31(土)睦月も最終日。終日自宅に留まる。運転免許証が見つからず、来週初めに警察に紛失届けを出すことになるだろう。県の陸運局で申請すると一日で終わるが、条件としては「マイナンバー」を作成が義務付けられる、ぼくは作りたくないままでいるので、仕方なく、出来上がるまでに3週間はかかるだろうが、所轄警察で申請することに。このところ、やたらに「忘れ物」が多くなっている。かみさんのことは言えないのだ。(995)


◎2026/01/30(金)午前9時半に車検のために車を工場に入れる。仕上がりは午後5時半の予定。代用者を借りて、その車で、いったん帰宅し、改めて長柄役場に行く。「期日前投票」を済ませた。「本人確認はしません」ということで、申請通りの住所等を書かせて投票は認められる。本日は「最高裁判事」の審査は不可。改めて「投票場に足を運ぶことになる。この投票の際、身分証明を確認するのかと、運転免許証を準備していたけれど、用をなさなかった。その足で一階に降りて、高齢者健康保険料を支払う。第7期分(37600円なり)。それをを済ませて、役場館内を横切って「ながら温泉」(社会福祉協議会の担当)に入浴。貴重品をロッカーに入れて、浴室へ。入浴人数は5人か。▶久しぶりに入浴し、帰宅して、雑用に向かう。その途中で、「免許証」がなくなっているのに気が付く。直ちに「ながら温泉」に電話。時刻は5時半直前だったか。担当者が確認してくれたが、見つからなかった。役場館内のどこかで落としたのだろうか。その後、しばらくして、ロッカーに「貴重品」を入れたことを思い出したが、その段階では「温泉」の電話がつながらなかった。▶午後6時直前に自動車の車検検査が終了したとの連絡を受ける。▶一日がかりの検査だったが、まだ十分に乗れる車(十年越え)だから、しばらくは丁寧に使っていく。▶衆議院選挙に入って3日目。その間に「金融におけるタカイチショック」が起きてしまった。アメリカにそそのかされて、共同で「レートチェック」が実施された模様で、そこに端を発した「金融ショック」の第一段階も知れないが、世界同時金融ショックの発生可能性が日本発で起こったのだ。159円から152円台に円高を進めた、「為替介入」があったことのだろうか。にもかかわらず「責任ある積極財政」を連呼している、この鈍感首相。メディアも足並みをそろえて、これまでの「消費税ゼロ」の主張を封印。(994)


◎2026/01/29(木)以前から行ってみたいと思いながら、いまだに出かけたことがなかった。その「ながら温泉」にかみさんが出かけた。年末に湯沸かし器が故障しかけたが、何とか持ち直し、今月の半ばころまでお湯が出ていたが、それもつい1週間ほど前に完全にエンコ。取り換え工事の契約は済ませたが、工事日は2月5日の予定。まだ一週以上時間がある。「ながら温泉」は町の福祉協議会が開いている格安料金のお湯。町民は200円、それ以外は500円。二人で出かけることも出きないので、本日はかみさん。「ゆっくりと入ってきた、とてもいい温泉だった」と、夕方帰宅後にいう。明日はかみさん用の車の車検日。朝一(9時半)で自動車工場に出してたっぷり夕方までかかる作業。その間に、ぼくもゆっくりと温泉に入ってくるつもり。泉質は「ナトリウム-炭酸水素塩泉 アルカリ性」とあるが、温泉と銘打っているのはどうしてか、それも調べてみたい。(993)


◎2026/01/28(水)午後3時過ぎに自宅に一本の電話があった。(こちらは茂原警察署の◎◎です。岡村さんのお宅ですか?」「茂原のスーパーから届けられたものですが、財布が届いています。念のためにお尋ねしますが、いくら入っていましたか?」「二十万円ぐらいです」「わかりました、それではさっそく落とし物(忘れ物)を引き取りに来てください。警察署は午後4時で閉まりますので」この電話を聞いた途端は、「警察署を騙る詐欺電話か」と瞬間思ったが、それ以上に、買い物をして生産する段に、財布は買い物のレジの上において、買い物を終わって、お釣りを受け取って帰ってきたと、思い出した。急いで受け取りに出かけ、無事に財布は手元に戻ってきたのだし、これを届けてくれたスーパーのスタッフ(ぼくのレジを受け付けてくれた女性)にお礼を言いに店まで出かけた。明後日、一台の車の「車検」を受けるので、その費用を口座から降ろしたものを財布に入れていたので、普段以上に大枚が入っていたのだ。普段からかみさんに対して文句を言っているが「他人のことは言えない」と深く反省した次第。(992)


◎2026/01/27(火)終日自宅に。ここ数日のような寒さではなかった。それにしても乾燥レベルは異常に高く、方々でまた火災や山火事が続発していることが気になる。▶本日、衆議院選挙が公示。これまでの最短の選挙期間で、来月8日に投開票となる。結果は予測の限りではないが、これまでと大きく変わる気づかいはないと考えている。離合集散、合従連衡で、だれとだれ、どことどこが連立しようと、政治の質も中身もほとんど変わらないと、ぼくは諦観しているのだ。(991)


◎2026/01/26(月)記載内容が行方不明」パソコンのOSを変えるためにデーター等をあちこちに移動させて保管しておくのだが、この「日乗」も例外ではない。本日分も確かに記録したのだが、どこへ行ったか分からなくなった。あるいは文字化けが至る文書で発声して、なかなか開けない状態が続く。そこに紛れたのかもしれない。(990)

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➀苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)= 税金などをきびしく取り立てること。むごい取り立て。苛斂。(精選版日本国語大辞典) ②蝟集(いしゅう)= [名](スル)《「蝟」はハリネズミの意》ハリネズミの毛のように、一時に1か所に、多くのものが寄り集まること。(デジタル大辞泉)➂蠢動(しゅんどう) 虫などがうごめくこと。また、物がもぞもぞ動くこと。 つまらないもの、力のないものなどが騒ぎ動くこと。(デジタル大辞泉)

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売国奴・国賊・漢奸・TRAITOR

➀売国=「私利などのために、敵国に通じて、自国の不利になることをすること」(デジタル大辞泉) (「史記 蘇秦伝」 「人、蘇秦を毀(そし)る者有り。曰く、左右して國を賣る、反覆の臣なり。將(まさ)に亂を作(な)さんとすと」・字通) ➁売国奴=「売国の行為をする者をののしっていう語」(精選版日本国語大辞典) ③国賊=国の利益を害する者。国家に害を与える者。(デジタル大辞泉) ➃漢奸(かんかん)= ( 漢人の奸なる者の意。中国、清の時代に、漢人で満州人に通じた者をいったところから ) 中国で、敵側に通ずる者。とくに、第二次大戦で、日本に協力した者。自国に不利な言動をする者。売国奴。〔増補改訂新聞語辞典(1936)〕(精選版日本国語大辞典)

 先般、元首相を銃撃したとして起訴されたY被告に対する判決が奈良地裁で下されました。「無期懲役」。銃撃した理由は明らかでしたが、果たして、裁判は「事件」をよく裁き得たでしょうか。

 「主文 被告人を無期懲役に処する。未決勾留日数中800日をその刑に算入する。(中略)22年7月8日午前11時31分頃、不特定若しくは多数の者の用に供される場所である奈良市西大寺複合施設東側路上において、安倍晋三元首相(当時67歳)に対し、殺意をもって、2回にわたり、至近距離から、所携の手製2銃身パイプ銃で、それぞれ金属性弾丸数発を発射し、その左上腕等に命中させ、よって、同日午後5時3分頃、奈良県内の病院において、同人を左上腕部射創による左右鎖骨下動脈損傷に基づく失血により死亡させて殺害し…(以下略)」(判決文)

 奈良地裁裁判(判決)については短くコメントをしたことがあります。裁判は十分に「事件」を裁いたかどうか、ぼくには大いに疑問が残りました。事件の構図が極めて矮小化され、裁かれるべき「政治と宗教」の問題には一指も触れていないのは、現行裁判制度の問題なのかどうか。裁かれるべきは、権力者が自らの利害のために「カルト集団」に、ある意味では魂を売った、その政治野心そのものだったというべきではなかったか。

 (自らの政権維持のための「自党議員」の議席数確保のためだったろう)それはともかく、この韓国発「カルト教団」と日本の政治権力との癒着、その実は日本の政治家を、カルト教団側は「まるで赤子の手を捻るように」、いとも軽々と教団の手ごまにされていたということでした。教団の野望は「植民地」侵略を行った日本を(韓国の)支配下におこうというものでした。その手先になるべく、やすやすと元首相たちは飼いならされ、篭絡されたのだった。今回、韓国の検察が押収した「カルト教団文書(TM報告書)」に、日本の政治家が、まるで物欲しさのあまりに教団の指図のままに動かされているさまが、(真偽を取り混ぜつつ)続出しているという驚愕すべき有様(内容)でした。相手を利用しようとして、まんまなと相手の術中に嵌(はま)ったという構図が透けて見える。

 このようなカルト教団と離れがたく結びついている政治家が、この国の政治中枢に跳梁跋扈していたということに、ぼくたちは目を見張らなければならないのですが、あろうことか、教団応戦(支配)(唾をつけた)政治家が首相を務め、その周囲にも要職を占めている教団子飼い政治家がいるという事実であり、そのあからさまな「癒着」の構図を、国民をなめ切っているのか、政治家自身がまず認めないのです。選挙後も含めて、この問題の展開次第では、あるいは権力構造が変わるかもしれない。その意味は、あらゆる手段を使って、この教団との関係を批判する勢力(政治家を含めて)を政治的にも妨害することは目に見えています。2~3日前に、現首相は神奈川県下で、教団シンパ政治家 Y 氏の応援演説に立っていました。彼は教団との深い交際を咎(とが)められて閣僚辞任したのでした。その内通議員候補者を首相が応援するという絵柄は、現首相自身も根の深いところで、カルト集団とつながっている政治家だということであろうし、教団の意向を無視できない状況に置かれていることを示しているのではなかったでしょうか。

 この国の政治家は、大なり小なり「売国奴」の資質を有して、それを発揮していたということです。これには与党も野党もない。野党から与党に渡り歩いた政治家が、元カルト教団の信者だったし、合同結婚で連れ合いを見出したと表明しています。こんな政治家、腐敗しきった政治家どもを狂喜しつつ支持するという有権者の愚かさ加減も相当なものです。「病膏肓に入る」というのはこのざまを指して言う。堕ち切っているというべきでしょう。

 これは「信仰の自由」とは別個の問題として、反社会的集団との癒着問題として見るべき必要があるでしょう。売国の徒や国賊と称されても仕方のない政治家に議席を与えつづけていいのですか。(未完)

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旧統一教会文書、安倍元首相に500回言及 元幹部「5回会った」 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の内部文書とされる「TM特別報告書」を毎日新聞は入手し、政治家に関する記述を中心に翻訳して内容を分析した。当時の教団幹部が安倍晋三元首相と首相在任中も含め、少なくとも「5回会った」と報告するなど、安倍氏に関する言及が約500回と突出していた。自民党議員に関する記述が多数あり、これまでに明らかになっていない教団側との接触があった可能性が浮かぶ。
検察が押収、教団総裁への内部報告か
 TMは教団で「真(まこと)のお母様」(True Mother)と呼ばれる韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁を指す。約3200ページの報告書は大半が韓国語で記され、教団幹部らが2016~23年、教団の関連行事や日本の政治情勢などについて総裁に報告する体裁を取っている。
 韓国検察は25年10月、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)前大統領側に金品を贈ったとして、総裁らを政治資金法違反などの罪で起訴。捜査の過程で報告書の存在が発覚した。(↷)


(↺)教団はホームページで、報告書について「検察側が押収したものの一部と思われる」と説明。作成者は元世界本部長のユン・ヨンホ被告=請託禁止法違反罪などで公判中=とみられ、日本の幹部らの報告に基づいて作成した「内部向け資料」としている。
 教団元会長の徳野英治氏は毎日新聞の取材に書面で回答し、「報告書に私の報告が含まれているのは事実だ」と認めた。政治家との具体的なやりとりに関する質問には「報告書の中に登場する第三者にご迷惑をおかけしたくない」などとして「コメントは控えさせていただく」とした。
 一方、教団の広報渉外局は政治家の記述について「事実関係を超えて表現が誇張されている、文脈が脚色されている、あるいは事実として確認できない内容が含まれている可能性を否定できない」とし、教団内に調査委員会を設置したことを明らかにした。(後略)(毎日新聞・2026/01/23)(写真はヘッダーも含めて、毎日新聞より)(https://mainichi.jp/articles/20260122/k00/00m/010/209000c

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 「2022年7月に安倍晋三元首相が殺害された後、統一教会と自民党との関係が一気にクローズアップされました。山上徹也被告の母親が、家族を犠牲にして計1億円超の献金をした信者だったからです。山上被告は、安倍氏が教団の大会にビデオメッセージを送っていたことを知り、絶望したといいます。/自民党は急いで、統一教会と自民党国会議員との関係を調査しました。安倍氏が殺害された2カ月後の2022年9月には、所属議員と統一教会との関わりについて調査した結果を公表しました。/ところが、自民党の調査は議員からの自己申告に頼っており、極めて不十分でした。379人中、半数近い179人が統一教会との接点を認めたものの、具体的にどのような関係性があったのかは明らかになりませんでした。名前を公表した議員も、「関与の度合いが強い」121人だけです。/結局、自民党は統一教会との関係について、「党としての組織的な関係はない」との見解を示しました。/しかし、自民党の調査では安倍氏と統一教会との関係について調べていません(後略)」(2026年1月22日・Tokyo Investigative Newsroom Tansa:https://tansajp.org/investigativejournal/13097/

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この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の… 

【滴一滴】鱸は多いが,、鈴木は少ない 昨年末に購入した卓上カレンダーの1月分に、こんなフレーズが載っている。<巫女(みこ)の友達が多い>。そういえば、元日に初詣に出かけた神社の境内で見た5、6人の巫女たちも学生アルバイトだったのだろう。懸命に参拝客に対応する姿が初々しかった。 カレンダーは、島根県とゆかりの深いアニメ『秘密結社 鷹(たか)の爪』のキャラクターが県の「自虐ネタ」を披露する人気商品で2011年にスタート。「日本で47番目に有名な県」を皮切りに、よくぞここまで自虐ネタが続くものだと感心していたが、さすがに尽きたようだ。 25年版は松江南高校の生徒がアイデア出しに協力。26年版は20歳前後の島根大生と一緒に制作したという。なるほど、<巫女の友達が多い>のも等身大の感想なのだろう。 続く2月は<鱸(スズキ)は多いが、鈴木さんは少ない>。日本海に面した島根は釣り好きにとって天国だ。一方、島根で多い名字は(1)田中(2)山本(3)佐々木-の順で、日本で「佐藤」に次いで多い「鈴木」は20位以下。「確かに身近に鈴木さんはいないな」と思う人も多いのでは。 ふと読み返すと、巫女にせよ、鈴木さんの少なさにせよ、もはや自虐ではなく島根の特色になっているのに気付く。「自虐探し=魅力探し」とも言える。ちなみに12月は<日本の未来を先取り中(高齢化)>。お年寄りと一緒に若者も笑顔で暮らせるアイデアを、学生に聞いてみたい。(健)(山陰中央新報・2026/01/31)

⁂「週のはじめに愚考する」(壱百肆)~ あれよあれよという間に、睦月(むつき)は過ぎ、如月(きさらぎ)が始まりました。劣島の日本海側一帯は、北は北海道から南は福岡あたりまで、まれにみる大寒波に見舞われ、豪雪に家並みも埋もれんばかりの荒天が続きます。くわえて、この厳寒の砌(みぎり)、不要・普及の「衆議院選挙」が降ってわき、いたずらに人心を惑乱させているようです。

 とりたてて旅行好きな人間ではありませんが、通過した・足を踏み入れただけを含めて、かなりの道府県を歩いた気がしています。そのほとんどは「日帰り」か「一泊」で終わる雑事によるものでしたが。中国地方ではなぜだか岡山が好きで、しばしば足を運びました。「備前」「備中」「美作」と、旧国名も「美称」といっていいでしょう。そこへ行くと「山陰地方」という通称も、なぜだか明るくは響かないのが不思議ですね。2月の「暦」を改めていたところ、この「島根県自虐カレンダー」に遭遇しました。自虐とは言いますけれど、それはひそかな「自慢」「自負」の表れでもあるでしょう。何年前でしたか、知事自身が「スタバはないけど、砂場はある」などと、実に誇らしげに語っておられた。

 出雲と聞けば「黄泉の国(冥界・冥府)」を連想します。「ヨミノクニ」とは「死者の赴くところ」を意味します。「黄泉国 (よみのくに)死者の住むとされる地下の国。〈ヨモツクニ〉とも呼ぶ。〈ヨミ〉は〈ヤミ(闇)〉や〈ヤマ(山)〉と類義の語。また〈黄泉〉は漢語で〈黄〉は土の色を表し〈地下にある泉〉の意で死者の国をいう。《古事記》によると,伊邪那岐(いざなき)命は死んだ伊邪那美(いざなみ)命を呼びもどそうとして黄泉国へと赴くが,〈視るな〉の禁を犯してイザナミを視ると肉体は腐乱し蛆(うじ)がたかっている。驚いたイザナキはイザナミの追行をかわして黄泉比良坂(よもつひらさか)まで逃げもどり,そこを〈千引石(ちびきのいわ)〉でふさいでやっと地上に生還する。かくてイザナミを黄泉津大神(よもつおおかみ)といい,その黄泉比良坂は出雲国の伊賦夜坂(いふやざか)だという。また《出雲国風土記》には〈黄泉の穴〉〈黄泉の坂〉と伝える場所が記されている。(後略)(改訂新版世界大百科事典)宣長さんでよく読んだことを思い出しています。「黄泉の国から帰還する」は「蘇(よみがえ)る・甦(よみがえ)る」ですね。

 島根には何人か、卒業生(後輩)が住んでおられる。一人は、もう60歳を超えただろという御仁で、生物学の研究者でした。近年ははがきの交換も途絶えていますが、ことあるごとに見聞きする「八頭」という地区の住人です。テレビは見ませんが、朝ドラ「ばけばけ」が放映中のようで、主人公の小泉八雲もまた、この「自虐カレンダー」以上に島根の盛り立て役に大忙しです。その八雲さんは島根には二年と居られなかったのですね。そんな短期滞在者をとても大事に受け入れているのも「人情」というか「風儀(気風)」を感じます。森鴎外は津和野の人でした。

 「自虐」は「マゾ(マゾヒズム)」といわれます。「自分で自分をいじめ苦しめること」という傾向は誰彼にも多少はあるでしょうが、この「自虐」を逆手に取るのは、生半可な姿勢や覚悟ではできないと思う。ぼくが尊敬する大学者だった仏文学者は、桁外れの「謙遜家」でした。その謙遜ぶりを見ていて、彼は、端倪すべからざる「自尊」の人であったと、ぼくは教えられました。謙遜とは嗜(たしな)みでもあるでしょう。その心は「慎(つつし)み(modesty)」「節度(moderation)」です。いま売り出し中の「中道」に当たるかもしれません。それはともかく、「自虐」傾向の強さ弱さは「自負」「自恃(じじ)」の強弱に重なります。たぶん、島根に底なしの誇りを持っておられる方々は「自恃精神」の旺盛・横溢する方でもあると見受けます。「自分を頼みとする」精神からは、他者に寄りかかろうとする依存の気分が僅少か皆無ということです。

 右の写真にある自虐一面「広島の 人でも 島根と鳥取 間違える」はいかにも「悲しいことや」といいたそうでいて、その実「広島」に戦いを挑んでいるとも読めます。「そんな区別もつかんのか」と、ね。「住めば都」という語感がこれほど様になっている地域はないのではないですか。もともと、「島根は都だった」という歴史(神話)的実証(表現)に根拠を有するんですから。かなり前から、ぼくは「少子化の第一原因」は無計画な「都市化」だと思ってきました。文明が起こり盛んになり、そして費(ついえ)るのは「都市化」の加速度的肥大化によるのです。「世界の四大文明」の消滅は、すべてがこの現象に起因しているとされます。「ふと読み返すと、巫女にせよ、鈴木さんの少なさにせよ、もはや自虐ではなく島根の特色になっているのに気付く。『自虐探し=魅力探し』とも言える」(コラム「滴一滴」)とあるように、まさにその通りと膝を打ちます。

 「自分を自分でいじめる」という、ある種の「達観」がなければ、きっと人間は行き詰るはずです。これは人間に限らず、「今こそ、わが世の春」と浮かれている「大都会」は、その「自虐精神の欠如」のゆえに崩壊するでしょう。「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる ことも なしと思へば」と、無限大の自己肥大を詠った道長(966~1028)の運命はどうだったでしょう。我が世の春の実態は「権力闘争」に明け暮れる日々に忙殺される「寧日いとまなし」の慌ただしさ。「スタバに行くのは異世界旅行」と自らを虐げ(るふりを装い)、「夢の国より黄泉の国が身近」と誇ることができるのは、この劣島では「島根」だけではないかという、湧き出るような矜持(きょうじ)を感じないでしょうか。

(この「自虐カレンダー」政策は東京の企業が請け負っているようです。「鷹の爪」という集団ご一行です。【https://xn--u9j429qiq1a.jp/】)

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自然・文化・文明の鼎立とその帰趨

【三山春秋】▼生成人工知能(AI)が目覚ましい進化を遂げ、急速に暮らしやビジネスに浸透するようになった。最近は動画生成や作曲もでき、人間の映像は表情や動きまで本物と見まがうほどである▼便利さゆえに仕事を奪われるのではないかとの懸念が尽きない。事務作業や窓口業務といったマニュアル通りに進められる作業、データの処理や分析などAIの得意な分野では代替が進みつつある▼創作物もしかり。既存作品から盗用の恐れがあり、AIを使った作品募集を禁止するコンテストは少なくない。上毛新聞社は小学生から高校生までを対象に俳句や詩、短歌を募集しているが、AI作品は受け付けていない▼「かえりみちくさのにおいでいっぱいだ」(前橋細井小3年・角田櫂世(かいせ))。ジュニア俳壇の2025年優秀作品である。寄せられた作品は学校生活や登下校の情景、家族や友人との関わり、自身の内面と向き合ったものなど多彩で、どれもみずみずしい感性に満ちている▼記者の仕事もAIには務まらないものの一つだろう。「足で稼ぐ」と言われるように、靴のかかとを擦り減らして人と会い、社会の裏にある喜びや悲しみをすくい上げる▼各地の新聞社は蓄積された情報とAI技術を組み合わせ、地域活性化に向けた研究や生成AIサービスの提供に乗り出している。新聞とAIはどう共存していくのか。われわれの姿勢もまた問われている。(上毛新聞・2026/01/31)

 「わたしはAI(人工知能)は好きではありません」という人が、スマホは自分の快適な日常生活に不可欠のアイテムととらえていたり、パソコンがなければ仕事ができないというとき、「あなたは頑固な人ですね」というのだろうか。それとも「知らぬが仏」とでも評判を立てるのか。「知れば腹も立つが、知らないから仏のように平静でいられる。また、本人だけが知らないで平然としているのを、あざけっていう語」と辞書(デジタル大辞泉)にはあります。

 ぼくは、このところ、とても憂鬱な日々を送っているのですが、その理由は「Windows11」を使っている限り、否応なしに日々新たにたくさんの「AI(汎用・仕込み)のアプリ」が頼みもしないのにインストールされているからです。油断すると、あっという間にぼくのパソコンはAIに拉致されてしまう、いや、もうすでに占拠されているのです。きわめて限られた世界ですけれど、パソコンやスマホは、あるいは「AI開発」の戦場であったり、実験室でもあるのです。だから、パソコンソフトの何%にAIが使われてしまえば、「ぼくはパソコン利用」を断念すると、少し前に断言しました。もう、その時期は過ぎているのかもしれませんから、この駄文濫作も締め切りが来ていると考えてもいます。

 ネットのニュースや動画を見ていても、音声はほとんどがAI(依拠型)であり、時には映像もそうだと思われます。それに気が付くと、ぼく自身は興ざめするというより、だんだんと「人間不要の時代」の端緒の到来を痛感するのです。AIが進化すればするほど、人間は歴史の後景へと遠のき、やがては消えてもだれもなんとも思わない、そんな時代や社会が目前に来ているともいえます。ここの領域においてそうだという以上に、この先何年かの後に、今からは想像できないような<No man’s land(無人地帯)>が出現しているに違いありません。人類は退化してしまうのではなく、退化することが進歩だとみなされる、そんな価値観に支配される文明が生まれるはずです。今日だって、その片鱗が見えるでしょう。生活の万般に「自動化」が導入されると、これまでも「人間のはたらき(Human activity)」「人間の領分(Human territory)」とされていたものは極度に細分化・微小化されていき、その過程そのものが進化だと受け入れられるともいえるでしょう。

 本日の「三山春秋」氏が指摘されている、そのほとんどは、実は「知らぬが仏」であるという、誠に皮肉な事態を示していませんか。「かえりみちくさのにおいでいっぱいだ」という作品がAI制作ではないという証拠はどこにあるのでしょうか。「AI作品は受け付けていない」という規則は確かでしょうけれど、それにもかかわらず「AIの要素」が入っていない作品をいかにして見つけるか。ここまで来ているんですね、「AI」侵略・浸食は。いい悪いの話ではなく、いやも応もなく、ぼくたちは「現代の英雄」である「生成AI」抜きには社会生活が成り立たないというところに来ている。機械化・技術化を総称して「科学化」とよべるなら、もはや時代は「新たな科学化」の時代を開いているのです。それを、これまで通り「進化(evolution)」「進歩(progress)」と呼べるでしょうし、人間が作り出してきた歴史観は、この「進歩史観」に著しく支配されてきたのも事実です。これをある文明史家の言い分に倣うなら「第四の波(the Fourth Wave)」とでもいえるのでしょうか。

◎ 第三の波(だいさんのなみ)The Third Wave= アルビン・トフラーが提唱した概念および著書(1980)。現代文明が,第一の波(農業革命),第二の波(産業革命)に続く第三の波(情報革命)のうねりのなかにあるという考え。第三の波が押し寄せる社会では,情報革命の結果,電子情報機器を装備したエレクトロニック・コテージが在宅勤務を可能にし,家族と地域社会の役割を再活性化する。また,生産過程への消費者の直接参加が可能になり,生産と消費が同時に行なわれるとするプロシューマーが復活して経済構造が変動する。第三の波の文明は,第二の波の文明の規格化,専門化,同時化,集中化,極大化,集権化の原則を脱し,プラクトピアと呼ばれる社会に到達する。(→情報化,情報社会)(ブリタニカ国際大百科事典)

 「歴史の地層(Strata of History)」などといいます。過ぎ去った過去は歴史の「舞台」からは消えてなくなりますが、舞台の袖というか、花道の先というか、あるいは舞台の底部というか、きっとそこにとどまって次の舞台の準備となり、下支えとなっているに違いないのです。江戸時代という「古層」の上に大正・昭和・平成時代(元号を使っているのは天皇制の約束だから)というそれぞれの「地層」が重なります。「明治は遠くなりました」というのは、令和いう層の下のその下の層にとどまって、表からは見えませんが、現代社会というものをいい面でも悪い面でも支えている。その昔、明治時代の中頃だったか、鉄道敷設が社会問題となったときに反対を唱えた人々がいました。それを「社会党」ではなく、「車界党(人力車の働き手集団)」とか言ったそうでしたが、新たな交通手段が登場して、否応なく「現役を退場」することを強いられた。しかし、それは歴史の舞台からは消滅したのではなく、今もなお、方々で「人力車」は活動しています。

 したがって、茄(なすび)の蔓(つる)に胡瓜(きゅうり)はならないのは道理で、今日の「AI技術」もまた、歴史の産物であるというところに視点を据えると、この先の展望が見えてくるかもしれません。あらゆるものを飲み込んで歴史は動いています。飲み込まれるものは前世紀の遺物ばかりではなく人間たちも、その運命(歴史の舞台からの退場)を避けられません。現段階で、「AI」のもたらす「進化の内容」の全体像を見通すことはぼくにはできませんが、好き嫌いとは別次元で、人間社会に必要とされるものは残り続けるでしょうし、不要なものは退場するでしょう。この科学技術といわれる「文明」の時間の単位は少なくとも百年単位です。何世紀経過しようが、必要なものは残る、農業という「第一次産業」は人類の生存には不可欠の要素です。これこそが、実は「文化」だと僕は考えています。ついには科学化されつくせない領域で、人間の生活の方法そのものに重なる部分です。このような長い時間(歴史)感覚で見なければ、ぼくたちは、自らの将来(行く末)を見誤るのですね。ここにおける課題は「自然」と「文化」と「文明」という三つの層からなる「地層」の質と量の問題になるはずです。(この問題については、いずれ別の視点で述べたてみたい)

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