【金口目舌】日本列等を豊かに 埼玉県の川口市長選挙は外国人政策が争点だ。外国人との共生、在留資格厳格化を巡って論戦が交わされている。市民60万人のうち在留外国人は約5万人。その中の2千人に満たないトルコ出身の少数民族クルド人への排外的な言動がやまない▼選挙を巡る興味深い記事が東京新聞にあった。交流サイト上のクルド人に関する最近の投稿の発信地は東京が約30%、埼玉が約7%。県外が多いのだ。川口市に絞ればさらに限られよう▼大阪大大学院の辻大介教授がかつて同様の調査をした。ネット利用者全体のうち、「中国と韓国への排外的態度」をとるなどの「ネット右翼」層に該当するのは2007年で1・3%、14年は1・8%に過ぎなかった▼県出身者が営む神奈川県の建設会社を思い起こす。社長が言うには東南アジアからの技能実習生は給料の大半を母国へ送るそう。「彼らがいとこや弟、奥さんを呼んでいいかと言ってくる」。それがうれしいと言う▼とげとげしい言葉は実習生を傷つけ、異国への愛着を踏みにじる。母国の家族にも見せたくなる国、小さくとも厚みある友好が国の豊かさではないか。(琉球新報・2026/01/29)
つい先日、飛んでもない「猥褻(わいせつ)事件」の責任追及を受けて辞職した「知事」に代わって、新たな福井県知事に就任した某氏の選挙期間中の発言が物議をかもしました。このような「化石発言」を誇らしげに口にする政治家が、今もなお「生き生きと生息している」ことに驚くようでが、「君は日本人を辞めたほうがいい」と批判・非難されそうですね。この国は、ただいま現在、「化石(地質)時代」にあるんでしょうか。年齢が若とか年を取っているというのは、賢さや知恵のあるなしには関係はなさそうです。
「『私は移民政策には反対です。理由はまず日本は単一民族国家です 』」 25日に投開票された福井県知事選で初当選した石田嵩人氏(35)が選挙期間中にこうした発言をする動画をSNSに投稿しており、批判されている。石田氏は、当選から一夜明けた26日、『この発言については訂正したい』と述べた。 政治家による『日本は単一民族』という発言は、これまでも繰り返され、アイヌ民族や朝鮮半島をはじめ海外にルーツがある人たちの存在を否定し、差別、排除するものだとして、その度に批判されてきた。2019年には、アイヌを「先住民族」と明記したアイヌ施策推進法が施行された。 昨年6月時点で、日本には400万人近くの外国籍住民がいて、人口の約3%を占める。このうち在留資格で最も多いのは永住者で、かつて日本国民だった朝鮮半島・台湾出身者ら特別永住者を含めると3割を超える。 日本国籍者でも、国際カップルの子どもや国籍取得者など、多様なルーツの日本人は増えている。国立社会保障・人口問題研究所の是川夕さんの推計では、こうした「移民的背景」がある人と外国籍住民を合わせると、20代前半ですでに1割を占め、2040年には30代前半で17%を超す見込みだ。(↷)
(↺)石田氏は26日の記者会見で発言についての見解を問われ、『移民や外国人労働者を無秩序に受け入れてしまうと問題が生じてしまうという文脈で申し上げた。単一民族という言葉自体がひとり歩きしている』『完全単一民族ではないので、そこはしっかりと訂正させていただきたい』などと答えた。 だが、国士舘大の鈴木江理子教授は『アイヌ民族やダブルなどの日本国籍者を含め、現に日本にいる多様な背景を持つ人たちの存在を否定することと、外国人の受け入れは別の問題だ』と指摘する。 石田氏が、『日本人ファースト』を掲げて昨年の参院選で躍進した参政党の支援を受けていたことにも、鈴木教授は注目する。『地方の選挙においても、当選するためには、移民や外国人に厳しい態度を示した方が有利だ、という風潮が広がっていくことを懸念している』と言う。(以下略)(朝日新聞・2026/01/27)
自らの無知をさらして、間違いを指摘されると、「間違っていました」とはまず認めない、誤らない、いうにこと欠いて「単一民族という言葉自体がひとり歩きしている」と二重の間違いを犯すことになっても、平然としている。恥ずかしいし、醜悪ですよ。不勉強を恥じないどころか、それを誇示するんでしょうか。、頭の上にハエが止まっている、それに気が付かない。けっして「言葉自体」は独り歩きしないし、「私は無知でした」という現実は訂正もされない(無知のまま)のだ。こんな往生際の悪い政治家(まがい)は、至る所で跳梁跋扈しているし、何よりも現首相はその代表格であり「典型」です。嘘をついて、「それは嘘だ」と批判されると、「そんなことは言っていない」とごまかし、「そんなつもりで話したのではない」と自己弁護し、挙句に「言葉尻をとらえられた」と負け惜しみを言う始末。品性下劣で、醜悪この上ない人品だというべきでしょう。
【春秋】きょうは人口調査記念日 日本の総人口は1億2300万人。明治政府が戸籍調査を実施し、初めて人口を数えたのは1872年のこと。当時の人口は3300万人だった。150年余りで4倍近くになった▼明治初期から今の世を見れば、人の数だけでなく、身近に暮らす外国人の多さにも驚くだろう。在留外国人は今や400万人に達する。近年は政情が不安定なネパールからの来日が急増し、福岡市では中国人を上回る数になった▼<優秀な人なのだろう親元を離れ異国のレジに立つ人>。以前、まちの変化を映す読者の一首が本紙に載っていた。あちこちで当たり前に見かける光景に温かい親心がのぞく。ただ、受け入れてきた国の姿勢は転換しつつある▼政府は先日、新たな外国人政策を打ち出した。日本語教育の充実を掲げながらも、永住や国籍取得の要件は厳しくする。税の未納チェックや不動産取得ルールの見直しなど「共生」よりも「管理」に重心を移し、「秩序」を最優先している▼外国人政策は昨年の参院選で争点に急浮上し、ネット上には根拠のない言説が飛び交った。今回の衆院選でも、各党が公約に盛り込んでいる▼日本人の人口はこの16年、ずっと減り続けている。その流れは止まりそうにない。規制や選別を過剰に重ねるうちに、気付けば外国人から選ばれない国にならないか。先の短歌を読み直す。レジに立つ人の姿を思い浮かべ、論戦に耳を傾けたい。(西日本新聞・2026/01/29)
現下の選挙中にも、各党・各候補者は「外国人政策」なるものを掲げています。その場しのぎであり、歴史の事実を一切顧慮しないものであるというほかありません。おそらく「世界における孤立」を望んでいるからこそ、「外国人は来るな」「外国人は出ていけ」というばかりです。「共生(symbiosis)」ということばがこれほど不似合いな国民(性)は珍しいと、その「国民の一員」であるぼくでさえ面食らうのです。訂正します、「国民の一員」というのは正しい表現ではない、「一人の国民」と表現を改めます。ぼくはこれまでにも「日本の中の外国人」問題については多弁を弄しています。おそらく「生来の主題」となっているからです。ぼくは自分の立場を「在日日本人」と広言してきました。それを詰(なじ)られたこともあるし、批判されたこともありますが、事実ですから、訂正はしなかった。それと同じレベル(水準)で、「在日外国人」ということに問題があろうはずもない。事実を事実として指摘しているだけのこと。多くの政党の面々は、その「外国人」に、きっと等級をつけるのでしょう。「いい外国人」と「悪い外国人」などと。これも現首相初め、多くの政治家は使い分けるのです。「いい日本人」もいれば「悪い日本人」もいるのも現実です。また「いい、悪い」はある種の価値判断ですから、ある人には「いい」であっても別の人には「悪い」ということも、ある時は「いい」であっても、違うときには「悪い」ともなり得ますから、いつだって、自分にとっては相対的な事柄です。固定してとらえることの誤り、あるいは危険性を忘れたくありません。「外国人は犯罪を犯す存在」というような、醜い固定観念(偏見)。
(☚表は京都新聞・「外国人政策、対立軸鮮明」2026/01/27)(https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1644551 )
「名誉白人(honorary white)」という呼称というか「カテゴリー(階級分け)」は今でも使われているのでしょうか。もともとは「アパルトヘイト(apartheid)政策」をとっていた南アフリカで起こっていた歴史があります。
◎ 名誉白人 = 南アフリカ共和国で1948年から1994年まで実施されていたアパルトヘイト(アフリカーンス語で「分離」の意味)制度の下では、外国人を含めて、有色人種は総じて差別的な扱いを受けてきた。ただし印僑やカラードは議会の議席など、黒人には認められない一定の権利が認められ、有色人種の中でも待遇の違いがあった。/日本国籍を有する者は、1961年1月19日から、経済上の都合から「名誉白人」扱いとされていた。これは欧米諸国がアパルトヘイトを続ける南アフリカとの経済関係を人道的理由により縮小する一方で、日本は1980年代後半から南アフリカ共和国の最大の貿易相手国になっていたからである。国際的に孤立していた南アフリカと数少ない国交を持っていた中華民国(台湾)籍の者は白人として扱われた。また、香港からの華僑と華人も名誉白人と扱われた。ただしこれらの扱いはあくまで国策上の法的措置であり、決して非白人を人種・民族的に思い遣ってのことではなく、民間における差別感情や、それにともなう差別行為が無かったわけではない。(以下略)(Wikipedia)
歴史の視野を少し長く長くとってみる。一例として「水(H2O」という化学式(表記)、そこにあっては水は純水(混じりけなし)でしょう。しかし、現実の世界(ぼくたちの生活範囲)では、純粋な水など存在しないのが「普通」です。人種や民族こそ、「不純(混血)」であり、混血であることが「普通」でしょう。この島に「純粋日本人」が最初からいたわけではないし、日本という国号が唱えられて以来(定説は「大化の改新」以降)、その地に住んでいる人間を「日本人」と呼んだだけのこと。そのもとは誰であり、どこから来たかは、明らかにはできないことでしょう。恐竜がいた時代、まだ「人間」は存在しなかった。「原日本人とは誰のことか」と問われても、今では答えるすべもないでしょう。そんな中で確かなことは。縄文人や弥生人たちも繰り返し「混血」「雑婚」を繰り返し、いつの日にか「純(原)日本人」と呼ぶように・呼ばれるようになっただけの話です。
それだって怪しい限りで、この「日本劣島」と称される島に住み着いた人間たちが「日本人」であったという事実から、すべては出発しているのです。今日、少子高齢化時代といわれて、毎年の人口減少(自然減)は約百万人前後です。このままで推移していくと50年後には5千万人が減少する計算です。画期的な人口増加政策(例えば、五人子政策の導入)を強制しない限り、やがてこの国は百年も持たないで滅んでしまう傾向にあります。「外国人はいらない」「単一民族国家だ」「名誉外国人だけを受け入れる」などという、お風呂の中でオナラをするような間の抜けたことを言っていて、政治家が務まるのですから、もはや命脈は尽きているといいたくなります。もちろん、拙者もその例外ではなく、間もなくぼくは消え去るのみです。後顧の憂いを残してか、残さないでか言わないが。(国内で取られようとしている外国籍の人々に対する政策は、海外に移住している「日本人」にも、当該国でその規制を受けているはずです。
注1(「自国」をよく知るためには「他国」という視点が不可欠ですね)注2(政治、政治家に「政治道徳・政治道義」が欠けていれば、もはや政治ではなく、「リヴァイアサン 」(英: Leviathan)の地になるほかない。政治的不毛、統治の不在状態を意味します)注3(世界の政治家は、どれもこれもがトランプ似だというのではありませんが、「アメリカファースト」といい、「日本人ファースト」という、その姿は、だれであっても、ぼくには見苦しくも浅ましい限りに映ります。なんで、「自分が一番」「私が最初」などといわねばならないのか。こんなダウbンを何年も綴り続けていながら、その都度に、ぼくは「学校教育の醜さ」を考えてしまう。他者を敬い、自他の人格を尊重するというのは、ある種の言葉遊びでしかないような、それでいて、現実に繰り広げられているのは「同級生」との成績競争。くだらないといってのければ済む話ではないのが、残念ですね。1ミリとか1点の差が絶対だと、なぜ言えるんですかね。)
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。(日本国憲法「前文」より)
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* 余話ながら(As an aside) 十数年前、半世紀近く勤めた職場(学校)を退職する際に、同僚たちから「『名誉教授』の称号を授けるから、申請書を出せ」といわれました。「そんなものはぼくには不要です」と断ったら、ちょっとした騒ぎになりました。どうしても「受けてくれ」という懇願だったか、執拗に薦められました。職場(全員一致)で決めたことだからと、強引に説得してきましたが、「あなたたちに推薦されること自体、ぼくには心外です」と(大人げなく)返事を返し、最後には「いらないというぼくの意思を踏みにじらないでほしい。権利(人権)の侵害に当たる」と勝手な理屈をつけて、その後はだんまりを決め込んだ。「名誉白人」と呼ばれて嬉しいのでしょうか。「白より黄色(論より証拠)」というではないですか。「名誉の白」があるなら、「不名誉の白」もある。それが人間の住む世界の実情ですよ)
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