それにつけても金の欲しさよ

◉ 週の初めに愚考する(拾參)~ 能登半島の地震に肝を潰したのが新年一月朔日(ついたち)。それから三ヶ月。昨日もネットで珠洲市内からの現況報道を見た。時間が止まっている。ほとんど人がいない。車もめったに通らない。水も電気も、もちろんガスも通じていないだろう。「復旧」「復興」という掛け声は遠くには聞こえるが、倒壊家屋の集中する街中はしんと静まり返っている。地震発生当時、おそらく、限界集落の「再生」は、政治行政からは望まれないのではないかと、不穏当な声を上げたが、それは現実になりつつある。能登は「我が家郷」といったが、郷里を出たのは七十年以上も前。だから、ぼくには無関係、そういうのではない。孜々(しし)として務め、営々として築いてきた人々の生活や文化、人間のこころの結びつきが一瞬にして破壊されかけ、その後の人災によって完膚なきまでに壊されている。その元凶は地震だったが、それ以上に「政治・行政」の心ない仕打ちが止めを刺そうとしているのだ。近年発生した、どこの災害地よりも「復興」の槌音が響かないのは、「臨界集落」は「限界集落」と同じことなのだからという、上からの判断からか。「能登は我が身」なのに、だ。

 この国は、骨の髄まで腐敗し、堕落していると言う他ない。執行される予算(税金)の二割・三割方が、政治家や行政側の意図的収奪に消去・浪費されていると言う。悍(おぞ)ましいとはこのことだろう。他者からすれば、笑うべきことだが、まるで「大海の一滴」にもならぬ「貧者の一灯」を灯し続けてきた。そうぼくにさせるのは、それこそ小さな意地みたいなもの。今回の「被災」に際しても、細(ささ)やかな「一灯」を灯したいと念じた。資産家や大金持ちから見れば「取るに足りない、雀の涙」だろうが、我が老夫婦の生活には致命的になるかも知れぬ出費です。あえて恥を曝せば、年収の約二割、一月地震発生以来、百万円を下らない義捐金を、能登の被災地(輪島・七尾、その他)に送付した。これからも、可能な限り続けるつもり。もちろん、「寄付」「義捐金」は、地震の被災地へのものばかりではない。シングルママや困窮家庭への寄付やその他を合わせて、泣きたくなるような少額だが、それでもぼくにとっては年収の一割は下らない、文字通りの「寸志」を送り続けている。もう少しとは思うものに、ままならない。その日暮らしの年金生活者の悲哀だ。それでも、続けたいのは「明日は我が身の上」「相身互い身」ということだからかも知れぬ。

 それはそれで、老人に許される、一種の精神の「ヴォランティア」だと愚考している。今秋まで生き延びられれば八十になろうという老骨・老残の痩せ我慢。「腐る程の横領・脱税」で私腹を肥やした「老害政治家」が次期総選挙不出馬を表明した際、引退の要因は「高齢によるのですか?」との記者の質問に「(選挙に年齢制限はあるか)お前もその歳来るんだよ」「馬鹿野郎」と口汚く罵った。問いを発した記者も、その場にいあわせた記者連中も一言も発しなかった。なぜ手元のパソコンかスマホをぶつけなかったのか、あるいは、履いている靴を「悪態の主」に投げつけなかったのか、「馬鹿野郎」。この為体(ていたらく)で、いったいどこに向かって、この島は漂流して行くのだろうか。

 かかる輩が、こんな愚劣な者たちが「政治を弄び」「社会を壟断(ろうだん)している」と痛感し、身震いしている。嘘八百というが、嘘が背広を着て闊歩しているのが実際だろう。「嘘も方便」ではなく「嘘が方便」というのだろうが、こんな愚連隊や半グレの如き政治屋を選び続ける「民衆(選挙民)」の愚昧さもなさけないこと。自らの足元を掘り崩されていることに気が付かないのだ。悲しいかな「一蓮托生」というほかないが、とはいえ、ぼくだけは死んでも、それは御免被りたいのだ。この残骸の山のような「荒廃した社会」の後始末は、一体誰がするのだろう。(弥生晦日)

 〈85歳の二階俊博氏「お前もその歳来るんだよ。バカヤロウ」次の衆院選に不出馬表明…“年齢が理由ではない”と質問記者に強調〉(2024年3月25日)(https://www.youtube.com/watch?v=Wg-p81cYigM&ab_channel=MBSNEWS

・猫を追うより皿を引け
・嘘は日本の宝
・嘘も追従も世渡り
・泥棒の逆恨み・欲に欲がつく
・それにつけても金の欲しさよ
・皿嘗めた猫が科を負う

(誰に言うのではなく、自嘲の種に)

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悪夢のようなヒエラルキー社会

【産經抄】宝塚ファンの夢とパワハラ 桜が満開を迎えた春、紅華歌劇音楽学校の2次試験会場で、大勢の受験生たちを見た教員がつぶやく。「合格したら悪夢のようなヒエラルキー社会の始まりなのにな」。宝塚歌劇団をモデルとし、アニメ化もされた斉木久美子さんの人気漫画『かげきしょうじょ!!』の一場面である。▼そのシーズンゼロ巻に収録された斉木さんと宝塚の元トップスター、凰稀(おうき)かなめさんの対談で、凰稀さんは読んだ感想を語っている。「こういう学校だったら凄(すご)く楽しかっただろうな」。作品でも厳しい上下関係や規律が描かれているが、現実はそんな生易しいものではなかったということか。▼宝塚歌劇団の宙(そら)組劇団員の女性が急死した問題で、親会社の阪急阪神ホールディングスは28日、上級生らによるパワーハラスメントを認め、補償する内容で合意書を締結したと発表した。歌劇団側は当初、パワハラやいじめを認めていなかった。▼合意書に盛り込まれたパワハラ行為は、ヘアアイロンを額に当ててやけどを負わせたり、人格否定の言葉を浴びせたりするなど悪質なものである。これらについて、29日の小紙(東京版)で元タカラジェンヌが証言していた。「心当たりがあるし、歌劇団ではずっと当たり前だった」 ▼異常な実態を長年放置し、なかったことにしようとした歌劇団の責任は重い。宝塚の舞台に憧れ、血のにじむ努力を重ねた末に待ち受けるのがパワハラでは救われない。劇団側の適切な指導・矯正がないまま、それが「伝統」だと思い込み慣習的にパワハラを続けた上級生もふびんである。▼「宝塚は夢の世界ですからね。やっぱり」。前掲の対談で凰稀さんは語っていた。劇団を支えるたくさんのファンの夢を壊してはならない。(↖️写真:記者会見で頭を下げる(左から)宝塚歌劇団の村上浩爾理事長、阪急阪神HDの嶋田泰夫社長ら=大阪府豊中市(恵守乾撮影))(産經新聞・2024/03/30)

 毎年、大学などの合格発表シーズンになると、必ず報道される「学校」がある。「宝塚音楽学校」だ。ぼくにはまったく興味のない場面ですが、それにしても不思議だなあ、けったいやなあと、随分長い間、違和感を抱き続けてきたことでした。第一、入学式や卒業式はどんなところにもあるものですから、全く珍しくもなんともない風景でしょう。それなのに、あゝそれなのに、です。ある種の「特別視」「特別待遇」がそこにあるのでしょうが、奇妙ですね。その学校で大事件やオメデタが起こった直後だったら、ニュース性はある、だから報道したいとなるのはわかりはしますが、来る年も来る年も「タカラヅカ」だけは、となるとどんな意味があるんじゃと訝しく思うのは、ぼくには当たり前の感情ですね。

 もちろん、当人や家族・縁者には目出度かろうが、他人には関係のない話、それなのに、と言いたくなるのは理屈があっているとも思う。そんなことにいちいち「いちゃもん」をつける気はないのですが、春の殺風景であることには変わりはないでしょう。「娘が合格したのだ、全国民に知らせなければ」などと思われてもいないでしょうに。報道陣が先走ってと言うか、余計な切開をしているに過ぎないのだ。しかも、「死にまで追い込むいじめ」の存在を、メディア人は知っていたのに、ですよ。まさしく、「ジャニーズ」そのものです。その虐待が「「麗しく伝統」だと言うにおいては、ぼくは言葉も何も失ってしまう。

 それとも、今年は特別の春なんでしょうか。歌劇団の一メンバーが仲間(集団)内で酷いいじめを受けていたし、それを苦にして自死したと言うのに、その結果につきものの原因が杳(よう)として知れない、知らされない状態が続いていました。誰が悪いとの犯人探しではなく、「阪急」という、いわゆる大会社、メディア風に言えば、「名門」による、人命軽視の典型事例として、ぼくたちは記憶にとどめておく必要があるでしょう。「宝塚音学校」や「歌劇団」という世に例の少ない学校(場所)における事件だったから、と言うべきではないでしょう。男性優位を絵に描いたような集団における「集団内いじめ」、それは卑劣を極めたものですね。

 これはぼくの経験談であり、持論です。「いじめ」はどこにでも起こる。起こさないための「努力」「対策」は重要ですが、いじめをなくすことは不可能です。ではどうするか、それこそが肝心要の「いじめ問題の要諦」でしょう。あるいは、誤解を恐れないで言うなら、それはまるで「劣島における地震」の発生と同じような、きわめて蓋然性の高い確率で「いじめ」は起こる。起こることを前提に集団に入るしか方法はないのでしょう。それさえも嫌なら、「不登校」「登校拒否」しかありません。さらに言うなら「登校拒否」どころか、「学校拒否」へと進むべきじゃないですか。ぼくの、修学・就学期間中の感覚は「学校拒否」だったと思う。だから、「教師みたいなもの」になったのかも知れないと、時には考えることがありました。「試験」はしない、「成績」はつけるが、基本は学生による「自己評価」だった。式などには一度だって出たことはない(強制的に「出された」ことは何度かある)。その他、当たり前に通用している学校の価値とみなされるもののことごとくをぼくは否定し、虚仮にしていた。だから、よくぞ「教員まがい」が続いたものだと今さらのように痛感する。(⏪️写真は日刊スポーツ・2024年3月27日12時46分」

 「君子危うきに近寄らず」と言います。取り立てて「君子」に限定しなくてもいいでしょう。心ある人間ならば、「(君子は)身をつつしむ者であるから、危険な所にははじめから近づくことをしない。※洒落本・魂胆総勘定(1754)下「古き書にも、君子はあやうきにのぞまずといへば、連なくして夜道をゆくべからず」(精選版日本国語大辞典)と、心せよと語っています。危険だとどうして知りうるか、そんなことは少し調べればわかろうというもの。「大評判」が立つというのは、第一に怪しいものの正体が隠されていると知るべきだろう。ぼくは小学生の頃(京都に住んでいました)、宝塚歌劇団には親しみました。テレビの出始めで、松竹新喜劇と宝塚、その程度が番組として組まれていましたから、いながらにして、ある種の「贔屓(ひいき)」になっていた。もちろん、当時は「危険地帯だ」ということは知りもしなかった。「ものすごく長閑(のどか)でした」と、OGの方々は交々に懐かしんでおられました。

 やがて上京して、何かと世間の状況を知るにつけ、怪しい、けったいやというか、危険に溢れている場所が巷には氾濫していることを知りました。その典型は「学校」だと、大学生になっていっそう確信するようになりました。教師は信じるに足りない。学校という看板は身につけるな、集団に揉まれたり塗れたりするなという教えは、徐々に自己訓練で身につけていきました。危険地帯に好んで近寄らない。世の中では「安全地帯」と言われているところこそ「危険だ」と、志ん生という落語家にも教えられました。

 大学生の頃(昭和四十年代)、まだ都電が走っていました。車道の中に「停留所」があり、それが「安全地帯」と称されていました。志ん生さんは「おい、気をつけろ、安全地帯だから」と盛んに笑わせていたのを懐かしく思い出します。よく安全地帯に車が衝突したり、人身事故を起こしていました。ぼくは六年間ほどは都電通学していましたから、「安全」は「危険」だと、身をもって経験してました。「39番(厩橋線)」という厩橋から高田馬場・小滝橋までだったか、それを利用していた。この電車の運転手に「賠償さん」という方がおられ、時々話しかけたりしました。寅さんの妹役の父上。もう六十年前後になりますね。何度も書いていますが、ぼくは何に限らず「式」が嫌いでした。入学式・卒業式はいうまでもなく、結婚式やお葬式などなど、可能な限りはサボるようにしていました。なぜだろうか。理由は単純。「内容空虚」「形式オンリー」だからです。

 「仰げば尊し 我が師の恩」、いったいどこの国の話という感覚でしたね。つまり、「形式」が死ぬほど嫌いだったというわけ。入学式や卒業式に、誰の口からも出る言葉は「おめでとう」、ほんとにそうかという疑いばかりが膨らんで、とても我が性には合わなかった。つまりは「嘘」ですね。「いまこそわかれめ いざさらば」、これだけは許せますが。数日前の新聞記事に「宝塚 合格発表」の報道がありました。かなり以前、週刊誌報道の定番が出身校別大学合格者名報道。ぼくは何度も抗議したことがあります。実に愚劣で、週刊誌のする仕事としても最悪とは言わなかったが、そぐわないと、さかんに抗議の電話をかけたことがあります。週刊誌側からすれば、なんともよく売れるから、ということだった。(🔼写真はアムネスティ・インターナショナ:https://www.amnesty.or.jp/about_us/who_we_are/)                                               

 「桜が満開を迎えた春、紅華歌劇音楽学校の2次試験会場で、大勢の受験生たちを見た教員がつぶやく。『合格したら悪夢のようなヒエラルキー社会の始まりなのにな』。宝塚歌劇団をモデルとし、アニメ化もされた斉木久美子さんの人気漫画『かげきしょうじょ!!』の一場面である」 こんな教師がいたとしたら、脅威だし、恐怖ですね。でも、つぶやかないだけで、どこの学校でも存在しているのかも。教師の真似事をしていた当時、「学校がとても好きでした」という学生に肝を潰し・潰され続けていました。宝塚は「地獄」だったかどうか、人それぞれの感情の問題でしょうが、「学校が好き」という人の気が知れませんでした。好きは嫌いの裏返しだと、ぼくは考えることにしていました。

 宝塚音楽学校、40人合格 氏名や出身地の公表中止 宝塚歌劇団(兵庫県宝塚市)の俳優養成機関「宝塚音楽学校」は27日、今春入学する第112期生の合格者40人を発表した。受験者数は480人で倍率は12倍。例年公表していた合格者の氏名や出身都道府県などは、今年は個人情報保護の観点から取りやめとした。/宝塚歌劇団を巡っては、昨年9月に女性俳優が急死。上級生らのパワーハラスメントなどが原因の自殺だと主張する遺族側が、謝罪と補償を求めて歌劇団側と交渉を続けている。新型コロナウイルスの影響で昨年まで中止されていた合格者の受験番号の学内掲示は、今年も「総合的判断」から見送られ、同校のホームページで公表。入学式は4月19日の予定。(⏩️写真)(笑顔で入学説明会に向かう、宝塚音楽学校の合格者=27日午前、兵庫県宝塚市)(東京新聞・2024/03/27)

 「宝塚」を目の敵にするのではありません。縁あって入学し、在籍した、その人が「死の選択」をせざるを得なかったという言いようのない悲劇。その悲劇に後ろ足で砂をかけるような仕打ちを平然としてきた当局や同窓生たち。その心境はどういうものだったか、ぼくなどには分かるはずもない。歌劇団の現理事長は「(いじめの)証拠をお見せいただきたい」と、遺族に向かって宣った。どこをどう押せば、このような「科白(せりふ)」が出るのでしょうか。どこまで行っても「白を切り通せる人間」が、組織を守る人として、重宝されるのでしょうか。組織を守ることは大事だが、命を守ることは、それとは比べられない重さを持っているのに。しばしば「人権」が叫ばれる。あるいはその反対に「特権」の横暴が非難されてもいます。多くの人間は手にする武器を持たないがゆえに「人権」を盾にするのです。「特権」と言うよりも、ぼくは「暴力」という表現を使いたいのですが、その暴力が平然として「人間のいのち」を踏み潰そうとする、いわば最後の一歩手前の「砦」となるのが「人権(human right)」というのもでしょう。(⏪️ある大学の「仮装行列」かな)

 人権が叫ばれる社会は暴力が支配している社会であるという事実を証明しているのです。まだまだ、「人権」「権利」が叫ばれ続けなければならなし、いつ果てるとも知れない「戦い」でもあるのでしょう。そして、ここまで来てもやはり、ぼくは「君子危うきに近づよらず」と言いたいな。「わたしの人権」は、誰か他人がが守ってくれるものではないんでね。学校が危ないとオムなら、近づかないこと、それに尽きる。

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自然がいい。手入れは控えめに

 青空に映える黄色とピンク 菜の花と桜、ハナモモ見頃 高知県香南市の西川花公園 春の彩り、山里に―。香南市香我美町中西川の西川花公園で、菜の花と桜、ハナモモがそろって見頃を迎えた。青空に映えるまばゆい黄色とピンクの花々が、訪れた人たちを優しく包んでいる。/約2ヘクタールに100万本の菜の花と、ソメイヨシノ、ハナモモ合わせて620本が並ぶ。11年前から住民らが休耕田を整備し草刈りや種まきを続けており、この時季に「西川花祭り」を開いている。/園内を散策するカップル(香南市の西川花公園) ぐずついた天気が続いていたが、27日は春本番のぽかぽか陽気に。誘われるように桜とハナモモが一気に鮮やかさを増したという。/春色に染まった園内はカメラを手にしたカップルや親子連れでにぎわい、菜の花を前に弁当を広げるグループも。「コントラストが最高やね」「久しぶりの晴れにうきうきしゆう」と顔をほころばせた。祭りは4月3日まで。(浜田悠伽)(高知新聞・2024.03.28 08:38)(ヘッダー写真は「源平しだれ桃・奈良市霊巌寺」:https://yamatoji.nara-kankou.or.jp/023flower_spot/ryosenji/tpsld0jpwg/

 十年前の今頃、現在地に移住してきたとき、近在の家や畑の周りに、今を盛りに咲いている木々がふんだんにありました。通りすがりに見ただけで、桜と見間違えるほどでした。桜とほぼ同時期に咲く植物で、車を降りでよく見ると、それは「ハナモモ」でした。その大半が「枝垂れ」だった。なんと家の庭にも、枯木になりかけていましたが、一本の枝垂れがあった。毎年、驚くほどたくさんの花を咲かせてくれるし、その後には、梅のような、こぶりの実をつける。食用にはならないが、鳥たちの好物のようです。また、もう三十年も四十年も前になります。毎年のようにスキーに出かけていた時季。群馬や長野のスキー場に行くときには、大抵は山梨あたりを通ることにしていた。あるところを過ぎると、そこは、文字通りの「桃源郷」だった。見事に咲いている桃の花を見るのは、初めてだったので、とても驚いたことでした。もちろん、食用の桃の木で、一本ずつ受粉させる作業もしばしば見物した。(◀🔼と▶🔽の写真は上久喜(高知)の花桃:https://niyodoblue.jp/spot/detail.php?id=150)丹精(丹誠)(古くは「たんぜい」とも)を込めて、そんな言葉を教えられた気がしました。花や木を相手にするというのは、いいですね。嘘や偽りは無用と言うか、通用しませんから。

● たんせい=1(丹誠)飾りけや偽りのない心。まごころ。誠意。丹心。赤心。「—を尽くす」「—を込める」 2心を込めて物事をすること。「母の—になる手料理」「—して盆栽を育てる」(デジタル大辞泉)

 今、拙宅のハナモモの老木も咲きだしています。枝垂れは、何の木にしても風情があって、ぼくにはとても好ましいものになっている。本当は、もう少し土を入れ変えして、手入れをすれば、さらに元気になるのだがと思いながら、毎年そのままで見過ごしている。このすぐ後には、遅ればせながら桜も咲き出すことでしょう。庭には、本数は一人前にありますが、育ちが悪い(正確には、育て方が悪い)せいで、「爛漫」とはいかないようですが、それでも時期が来れば咲くのですから、まずは感謝すべきだと思っている。ある辞書には「シダレハナモモ」は「花を楽しむ目的で栽培される桃の園芸品種の総称。実は小さい」(デジタル大辞泉)とありますから、「花も実も」というのは欲張りということになるでしょう。なんにかぎらず、花を咲かせたり、実をつけたりすること、いわゆる「開花」「結実」とは、その植物の本来の素質をそのままに表現する(顕現させる)わけで、西洋ではこれをして「文化」(culture)と称していた。

 促成栽培は「intensive culture」というそうです。開花や結実を早めるための、人間の働きかけ(手入れ)(手かけ)でしょう。「the culture of the vine」は「ブドウ栽培」を指します。このように、自然のままに放置しておけば、食用にはならないものや観賞用には不向きなものを、人間の生活に資する工夫をすること、それが「文化」というものの発端だったでしょう。耕作とか、栽培がそれに当たります。やがて、その作用は人間自身や人間生活全般に及ぶことになる。「道徳教育」は「moral culture」といい(ここでは、教育とは文化のことと理解されます)、「native cultures」は「土着文化」と認められることになります(ここでは、文化は生活そのものと捉えられています)。いずれにしても「土」「土地」「環境」からの影響を避けることは出来ないもので、大雑把に言うと、田舎の文化と都会の文化などと、ぼくたちは当たり前に区分けしていますけれど、そのどちらにもある「生活の仕方」、それこそが「文化」というものの内容だった。やがて、この「都会の文化」が科学・技術の力を得て、環境や土地の限界を超えることになり、ある種の普遍性・一般性を得るようになります。それを広くは「文明」(「都会化」「都市化」、もともとは「都会に住むこと」を表していた)(civilization)と称するようになりました。

 一本のモモやサクラの木をみて、そこに、人間の働きが大なり小なり干渉していることをつよく考えさせられるのです。もともと、農業や漁業、あるいは林業なども含めた第一次産業なるものの展開こそが、もっとも素朴な意味での「文化行動」「自然環境との協働」だったわけです。自然(天然)への働きかけがあまりにも露骨になれば、そこに大きな問題が発生してきます。このことは何度も繰り返し述べてきました。「人間教育」は、まさに文化の一典型でありますが、育てる、教えることがあまりにも強くなれば、そこに大きな弊害が生まれるでしょう。育てるのは「素質」であって、そこを見誤るところから、教育による「人間性」の破壊や棄損が生まれ、一人の人間(素材)をだめにしてしまうのです。

 植物の世話に関して、よく「手入れ」するといいます。あるいは「目をかける」とも。あまりにも手入れが過ぎたり、目をかけ過ぎると、進む・伸びるべき方向から逸れるのは避けられないのです。茄子(なすび)の幹からトマトは生じないし、胡瓜(胡瓜)の蔓(つる)に豆をならせることはできない相談。でも、そのできない相談を、やってしまおうというのが、「教育」「飼育」「養育」「保育」などとという言葉に含まれるようになっていませんでしょうか。体罰や暴力は論外であるにしても、それに近いことは学校の内外で正当化されています。リンゴの成長が遅いからと、無理矢理に肥料をやったり、水をかければ、おそらくリンゴの木は枯れてしまう。植物や野菜の場合は、弊害は顕著でありますけれど、人間の場合はどうでしょう。ぼくが植木や草花、つまりは季節の花木が好きだというのも、そこに「自然性の発現」を見るからです。だから、「盆栽」はだめですね、ぼくは見るに忍びない。

 これも三十年ほども前になります。かみさんが友人から「欅(けやき)」の小物仕立てをもらってきた。背丈10センチほどの鉢植えだった。ぼくはそれを見て、即座に土に戻しました(直播ならぬ直植え)。何年もしないうちに、狭い庭には不釣り合いなほどに成長し、隣家の屋根にも枝が被(かぶ)さり、落ち葉を降らした。隣家からの苦情もあって、泣く泣く、植木屋さんに、別の土地への植え替えを依頼したことがありました。要するに、「自然」「ナチュラル」がいいということです。手入れも程々に、そしていずれは枯れてしまう。この劣島に樹齢千年を超える桜の木が方々にあるようです。ぼくはそれを鑑賞したいとは思わない。たくさんの添え木や支えを立てているのです。まるで満身創痍、介護状態。たくさんの管やチューブ、機器を付けられている重篤患者のようで、まるで見るに忍びない、呑気に鑑賞などできるものですか。

 右と左は、千葉県は四街道市にある福星寺(ふくしょうじ)の「枝垂桜」です。なにかと謂れがあるのですが、それは措く。ぼくは数年前までは何度か、出かけていました。いつ行っても見物人はほとんどいなかった。やがて、市が宣伝に力を入れ出したのか、見物人が増え始めた。同時に「添え木」の数も増えた。樹齢は三百年だったか四百年だったか、役所に届けを出したわけではないから、まあ大まかですね。家康ゆかりの桜だとかなんだとか、虫に苛まれて倒木寸前の姿を見ることが辛くて、この数年ほど、ぼくは行かなくなりました。親木の横に、立派な子どもが成長しています。代替わりしつつあるのでしょうね。桜に限らず、樹木にも寿命はあり、親から子へと生命は継承されていきます。行政が乗り出して色気を見せ始めて、まず駐車場に困っているようです。ぼくが行きだした頃は、駐車場もなく、狭い道の奥まった場所に件(くだん)の桜があった。近所の人に聞くと、町内会で、この桜を守ってきたと言う。それでよかったのではないしょうか。観光客を呼び込もうという、その魂胆が桜の衰えを早めているのではないですかね。

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 本日は「嵐」の予兆がありありです。暴風雨にさらされて、元気の出るサクラやハナモモもあれば、場合によては倒れかねない老木もありそうです。何にしても「自然」「ナチュラル」がいいのではないですか。「世の中は三日見ぬ間にサクラかな」

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さまざまのこと思い出す桜かな

【水や空】開花宣言 「世の中」が忙しく変化を続けるのは現代に限った話ではないらしい。季節だけが変わらず巡ってくる。〈何ごとも移りのみゆく世の中に/花は昔の春にかはらず〉と詠んだ良寛さんは「散る桜/残る桜も散る桜」の句も広く知られる江戸時代の僧侶▲今年は昨年より5日遅く、平年より3日遅れの“お待たせ桜”となった。長崎地方気象台が昨日、ソメイヨシノの開花を宣言した▲ここ数年の「移りゆく世」を何より実感しているのは、当の桜の花自身かもしれない…とあらためて思う。いつもの春と変わりなく咲いているのに、周りで眺める人の気配が年ごとに大きく違っていたはずだから▲「桜はきっと来年も咲きます」-東京都知事の“自粛号令”は今も忘れられない。新型コロナウイルスの流行が始まったのは2020年の春だった。密を戒める「お花見NG」は翌年も、その次の年も続いた▲5類移行…コロナ感染症の法律上の扱いが「フツーの流行性の風邪」になって初めての桜の季節だ。これも良寛の一首。〈いざ子ども/山べにゆかむ桜見に明日とも言はば散りもこそせめ〉-ほら行こう、「あした」なんて言ってるうちに花が散ってしまうよ▲大はしゃぎで子どもたちを急きたてる様子が見える気がする。さあ、令和の私たちもお花見の相談だ。(智)(長崎新聞・2024/03/27)

 これまでに、一体何度「散る桜残る桜も…」を耳にしたことでしょう。その大半は「法事」の場においてでした。お坊さんの「説経」あるいは「説教」の中に出てきた。ある種の「訓話」「訓戒」として、今は亡き人の御冥福を祈る時ですけれど、今を生きている私たちもまた、いずれの日にか、「散る桜」、命を落とす運命にあるのです。くれぐれも精進を怠らないように、とでも言った風情だった。人生の無情を教えるためだったか、あるいは「生者必衰・必滅」「会者定離」の運命を免れないということだったでしょうか。何を当たり前のことを、そんな思いで聞いていたものでした。我ながら、罰当たりだと思う。

 この「辛気臭い」訓話よりも、もっと早くに、ぼくは知っていた。「世の中は三日見ぬ間に桜かな」という俳句(と言うか、狂歌と言うか)、しかもそれを間違えて「世の中は三日見ぬ間の桜かな」と覚えていたものでした。よく考えれば、「三日見ない間に散る桜」よりも、「もうこんなに桜が咲いたんだ、三日見ない間に」と驚くほうが、花に出会う喜びが大きかったことが分かるでしょう。数日前はあんなに硬(かた)い蕾(つぼみ)だったのに、もう、こんなに咲いたのか、と。信濃の人、大島蓼太作。不勉強で、詳しくは知りませんけれど、芭蕉再評価では大きな仕事をした人として知られる。子規に言わせれば「俗臭芬芬」だそうで、わびもさびも大いに欠けるところがあるという評価だったでしょう。はたして子規には「俗臭」は皆無だったはずもないのに。いずれにしても「三日見ぬ間に(の)桜かな」ですから。この桜花というの曲者は、まるで明智光秀のようじゃありませんか。

 コラム氏の言う通り、今年は開花宣言が二転三転、人間の仕業(しわざ)というのは、なんとも可笑しいですね。咲き乱れる前に、少し足踏みした様子でした。長崎は今日も雨だった、と雨に濡れた桜を思い浮かべています。ぼくは、このコラム「水や空」はもっとも好きな常設欄で、もう何年も読み続けています。長崎が好きだということも影響しているのは確かですが、その長崎県の有力紙(長崎新聞)については、ある時期から、複雑な受け止め方をしてきました。いずれ、詳しくは触れるつもりですが、学校における「いじめ自殺」事件の報道を廻るこの新聞社の姿勢、あるいは立場が実に偏向していると判断させられたのでした。県庁にベッタリと言うべき。不思議なもので、一つの報道に係る会社の方針が間違っていたから、その新聞(会社)全体を忌避するかと言うと、実際にはそうならないのも世の常でしょう。(🔼写真は文藝春秋)

 どう考えても長崎新聞の「いじめ自殺」事件の報道ぶりは間違っている、偏向していたとぼくは思うし、その姿勢を改めない限り、この新聞の報道に大きな疑問を持たざるを得ないということです。でも、どうしても納得ができないとぼくが判断するのは、一つの事件に関わる報道内容とその姿勢に歪みがあるということであって、それが果たして「コラム」にまで表れているかと言えば、どうもそうではないとぼくには読めるので、いまだに、この「水や空」を愛読しているのです。「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」とは思わないし、言えないと思うのです。人間の全体が腐るということは、まずありえませんね。(この事案についてはいずれ、稿を改めて)

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● りょうかん リャウクヮン【良寛】= 江戸後期の禅僧。歌人。越後国(新潟県)出雲崎の人。俗名山本栄蔵。号は大愚。諸国を行脚し各地に漂泊転住、寛政九年(一七九七)故郷の国上山五合庵に身を落ち着ける。書にすぐれ詩にも通じた。生涯著述は行なわなかったが、弟子貞心尼の編んだ歌集「蓮(はちす)の露」などがある。宝暦八~天保二年(一七五八‐一八三一)(精選版日本国語大辞典)

 引用されている良寛さんの作品はいいですね。彼の号は「大愚」、若い頃から、この「大愚」という生き方に強く憧れてきました。良寛さんは、生涯寺を持たず、各地を放浪。故郷に帰り、国上山中「五合庵」に隠棲。独自の境地をいくつもの領域で示されたのだった。                                                            〈何ごとも移りのみゆく世の中に 花は昔の春にかはらず〉〈いざ子ども 山べにゆかむ桜見に明日とも言はば散りもこそせめ〉

● 大島蓼太(おおしま-りょうた)(1718-1787)= 江戸時代中期の俳人。享保(きょうほう)3年生まれ。雪中庵2代桜井吏登(りとう)に入門,延享4年雪中庵3代をつぐ。松尾芭蕉ゆかりの地を吟行した。俳書をおおく編集し,門人は3000人をこえた。天明7年9月7日死去。70歳。信濃(しなの)(長野県)出身。本姓は吉川。名は陽喬。通称は平助。別号に宜来,老鳥,豊来など。編著に「芭蕉句解」(▶写真)「雪おろし」など。【格言など】世の中は三日見ぬ間に桜かな(「蓼太句集」)(デジタル版日本人名大辞典+Plus)                                                           ● おおしま‐りょうた〔おほしまレウタ〕【大島蓼太】[1718~1787]= 江戸中期の俳人。本名は吉川陽喬。信濃の人。別号、雪中庵。桜井吏登に師事。江戸俳壇の実力者で、芭蕉への復帰を唱え、東西に吟行し、門人の数三千といわれた。編著「雪おろし」「蓼太句集」など。(デジタル大辞泉)

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 海星生徒自殺 「突然死」追認報道 長崎県は「積極的」否定 2017年4月、長崎市の私立海星高2年の男子生徒=当時(16)=が自殺した問題で、学校側が遺族に「突然死」とするよう提案したことを長崎県が追認したとする一部報道について、県は18日に会見を開き、「学校の立場を積極的に正しいと追認したとは思わない」との見解を明らかにした。/男子生徒の自殺を巡っては、学校側が設置した第三者委員会が「同級生のいじめが主要因」と結論付けたが、学校側は受け入れていない。/県によると、学校側が遺族に「転校」も提案しており、当時の県の担当者は「転校」は事実に反するため適切ではないと指導。また担当者は「ケースによっては『突然死』ということはあるかもしれない」という趣旨の発言もしたという。会見した県幹部は「『転校はおかしい』と強調するあまり、『突然死』という表現を少し軽んじてしまったのではないか」と述べた。/県は「担当者の発言が適切ではなく誤解を与えた。ご遺族にお詫び申し上げる」としている。(長崎新聞・2020/11/19)(◀写真「男子生徒」が縊死した「現場の桜」で手を合わせるご両親。▶写真は石川陽一著「いじめの聖域」文藝春秋社刊(いずれも文藝春秋)。なお、3月24日の「シンポ」には石川さんも参加されました)

 以下は余談、おまけです。桜好き人間の「アキレス腱」のような趣を教えてくれる「綱」「糸」のような作用をし続けてきたのが安吾さんの小説でした。桜は目出度いばかりか、と。題して「桜の森の満開の下」です。今ではすっかり疎遠になってしまいましたが、時々「演劇」鑑賞に誘われて出かけていたことがあった。その中の一つ「東京演劇アンサンブル」の演物(だしもの)が、この作品だったのです。桜にまつわる逸話の代表として、今なおぼくはその影響下にあり、桜を見る姿勢の、一種の歯止めにさえなっているのです。浮かれるなよ、とね。

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 「桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集って酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう(このところ小生の蛇足)という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。(以下略)」(坂口安吾「桜の森の満開の下」(「坂口安吾全集5」ちくま文庫、筑摩書房 1990(平成2)年4月24日第1刷発行)

・さまざまのこと思い出す桜かな(芭蕉)(桜を詠いこんだ句は無限にあります。ぼくは、この句が何よりと、桜に面会して来ました。

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「客を待たせないので効率がいい」

【国原譜】久しぶりに高齢の母を連れて外食した。そのファミリーレストランの注文はタッチパネルで、母はおろおろしている。「私らは来てくれなくていいということかねえ」。▼タッチパネルどころか、最近は自分のスマホでQRコードを読み取り、注文するスタイルも増えてきた。ほとんどの人がスマホを持っているという前提なのだろう。▼「客を待たせないので効率がいい」「飲食業の人手不足を解消できる」など、注文のデジタル化には長所があるのは理解できる。が、母のように戸惑う高齢者もいるのでは。▼超高齢者時代を迎えているが、デジタル化など社会が効率化するにつれて、高齢者にとっては厳しい世の中になってきているのではないだろうか。▼スーパーやコンビニが近くになく、自動車も使えないため買い物が困難な「買い物弱者」(65歳以上)の割合は、県は31.6%にも達している(農林水産省推計)。▼弱者を切り捨てることのない高齢化対策は、喫緊の大きな課題である。効率を重視するデジタルの冷たさではなく、人間味のある温かさが求められている。(栄)(奈良新聞・2024/03/27)

 「ファミリーレストラン」(ファミレス)なる名称の飲食店が出来たのはいつのことだったか。かれこれ、半世紀も前になるでしょう。子ども(双子)が生まれた頃、近所に開店したというので家族で出かけたことがあります。それ以来、数えるほども入ったことがないのは、ぼくの性分だから。それはそれ。根っから、このような業態の食べ物屋は好まないのです。誰がどこで作ったのかわからない、そんなものを口に入れることが、ぼくには実に憚(はば)かられる。いつだったか、同じ時期だったと思うが、家族を含め数人で店に入ったら、「何人ですか」と訊かれた。もう、それでだめ。「見れば分かるでしょ」と、ぼくいったが、また訊く。我慢して席についたら「注文」を取りに来た。品物を依頼したら、「復唱」か「確認」か、同じことを訊かれた。「これでいいですね?」まるで「知能検査所だな」四十年以上も前の経験ですから、今ではもっと「効率化」「非人間化」は進化しているでしょう。出かける気が起こらない、ぼくには。

 そんなこんなの「マニュアル」が幅を利かせる時代に、ぼくにはまったく不釣り合いで、何によらず、「人間関係」を除去することで成り立つ、食べ物商売(だけではありませんね)は敬遠してきた次第。今では「スマホなしは、お断り」とか、「八十以上は来店禁止」とか。まあ、そんな言いがかりをつけているのが多いのではないでしょうか。他人に優しくないのは「アウト」なんですよ。回り回って、自分にその差別が戻ってくるんですのにね。

 それよりももっと早い時期、学生の頃でした。大学近くの繁華街(「なんとか馬場」と呼ばれていた)で「回転寿司」なる店ができた。ぼくは誘われたが行かなかったと思う。寿司が手頃、いや格安で食べられるのだからという「計算」「合理主義」は、ぼくにはあまりない。回転している皿を取るという姿が嫌だったし、それが食べ物なのだからなおさらでした。今どき、生じている「店内事故」をぼくはとっくに予想していたんですな。吉野屋という「牛丼屋」さんにも、たった一度だけ入ったことがある。三十歳前頃だったでしょう。その当時、中島みゆきさんに「イカレ」ていて、「夜明け間際の吉野家では」(「狼になりたい」1979年リリース」と歌い出す気怠(けだる)さに誘われて、それを確かめに行ったと言うだけ。その当時のぼくは実証主義者だった。「狼達」が眠っているのを確かめに行ったのです。もちろん、出かけたのは夜明け間際ではなかったし、歌詞にある「吉野家」でもなかったが。この店に入ったのは、巡検みたいな、この一回だけだった。狼達やシティ・ガールはいなかった。新宿でしたが。

夜明け間際の吉野家では                                                                                                                                              化粧のはげかけたシティ・ガールと                                                                                                                                               ベィビィ・ファースの狼たちが                                                                                                                                                   肘をついて眠る

 「超高齢者時代を迎えているが、デジタル化など社会が効率化するにつれて、高齢者にとっては厳しい世の中になってきているのではないだろうか。▼スーパーやコンビニが近くになく、自動車も使えないため買い物が困難な「買い物弱者」(65歳以上)の割合は、県は31.6%にも達している(農林水産省推計)。▼弱者を切り捨てることのない高齢化対策は、喫緊の大きな課題である。効率を重視するデジタルの冷たさではなく、人間味のある温かさが求められている」(コラム「国原譜」)

 ぼくが書くと「悪口」になると取られますから、正直言うなら、あまりいいたくもないのです。この記事(コラム)を書いた記者は、何年記者をされているのか。「超高齢時代」はこの数年になって言われたことではない。効率化と高齢者を単純に結びつけるのは、褒められないね。「買い物弱者」とおっしゃるが、それは政治や貧困の問題であって、高齢者や店側の問題ではないはず。「弱者を切り捨てることのない高齢化対策は、喫緊の大きな課題である」と、ぼくなどでも、もう何年も前から叫んでいる。もちろん「弱者」(老人ばかりではない)は政治や行政の貧困によって生み出されていることにこそ、焦点を定めるべき。劣島を「薄利」で走り回っている「トク四◯というような業者をこそ、応援していほしいね。

 「効率を重視するデジタルの冷たさではなく、人間味のある温かさが求められている」と宣うことの怠(だる)さや鈍感さをどうしますか。そんな文句も言いたくなる新聞などのメディアの退廃をこそ、ぼくは「事態を放置しているのだ」とさえ言いたいのです。記者の母親にまで矛先を向けることはないでしょうけれども、「私らは来てくれなくていいということかねえ」という、その「僻(ひが)み根性」こそ、高齢者が冷遇視される理由にもなっているんじゃないですか。何歳の母上かはわからないが、そんなとこに行くことはないですよといえば、お叱りを受けるでしょうか。

 テレビは見ないが、ネットのYouTube番組で、行列のできる「町中華」「うどんそば」といった番組をたまに見ることがある。まず、ほとんどチェーン店は出てこない(ぼくは見たことがない・見ないようにしている)。なぜだろうかと考えれば、人間が働いている場所(店)に、腹をすかした人間が食べにくるからという、何の変哲もない事実い気がつくはず。店の人と客との「付き合い」「人間関係」がぼくには面白い。「店主・店員が気持ちのいい人たち」「美味しく作ってくださる」、「やすい・早い・うまい」、「ごちそうさま」、こんな当たり前の付き合いが壊し、壊されることを称して、近代化とか効率化というのでしょうかね。

 ならば、今から、あるいは、これから生じるのは「ルネサンス」(食芸復興)(商(あきな)い復興)(人間関係復興)というものでしょう。効率化や合理化に金を払うのではない、作る人(職人)の心意気に対して、ぼくたちは「お勘定(感情)」を、まっとうな対価として、お渡しするんですね。ぼくはそう考えている。(こう言ったからと、「ファミレス」を否定するのではない。「どうぞ、お出かけください、行きたい方は」、です。ぼくは行かないけれど)

 「客を待たせないので効率がいい」~ 誰にとって「効率がいい」というのでしょうか。あくまでも店側にとって、の話だということを忘れないようにしたい。「効率」は、当たり前に生きる分には、なかなか面倒で、あえて言うなら、じつに「不効率」なんですね。人生が「効率」一点張りになって、どこが面白いんでしょうか。業務の効率化と、猫も杓子も騒ぎますけれど、生きることは効率化にはそぐわないんですよ。

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菜種梅雨念仏の膝つめあはせ(信子)

【あぶくま抄】ひとりが強い 吉本隆明―。この4文字に自らの青春を重ねるのは、団塊の世代か。国家や言葉の成り立ちからファッションまで、縦横無尽に論じた。戦後最大の思想家とも、知の巨人とも評される。今年は生誕100年に当たる▼長女で漫画家のハルノ宵子さんが出版した「隆明だもの」が注目を集めている。生前の思い出をコミカルにつづった。小学生の時、学校での募金に協力したところ、冷ややかな反応を示された。後に気付いた。集団でお金を集める同調圧力を、「よし」としなかったのだと▼吉本さんは、お隣・山形県米沢市の旧米沢高工に学んだ。戦時中、仲間に誘われるまま、上杉神社へ戦勝祈願に出向いた。浮かない感じを覚えたが、断れない。立ち止まれず、好戦的な雰囲気に吞[の]まれてしまったと悔いたようだ。痛恨の念は思索の原点となる。東京下町の小さな窓から、孤独に世界を読み解く。自立の思想と言われた▼SNSは真偽不明な情報を取り込み、発信者が分からぬまま論評を繰り返す。時に「いいね」の同調を求めることも。自ら考え、立っていられるか。今こそ巨人は存在感を増している。〈群れるな。ひとりが一番強い〉。戦後最大の金句の一つだろう。(福島民報・2024/03/24)

 「菜種梅雨(なたねづゆ)」ということば(季語)があります。「菜の花の咲く3月下旬から4月にかけて、連日降りつづく寒々とした小雨。《 春》」(デジタル大辞泉)と解説されています。まさにそのようにして、昨夜来のそぼ降る雨に見とれていると、「あぶくま抄」が目に入り、そしてさまざまな連想が飛び交い出しました。「隆明さんかあ」という声が漏れ出したのに驚いています。取り立てていうほどの「縁もゆかりもない」と言ってもいいほどの、終生、吉本さんの一読者に留まり続けたものですけれど、そこから得たものはなんだったのか、そんなに簡単に綴れるようなものではなさそうです。「ささい」な振る舞い、「当たり前」の思想と言うか、姿勢や態度、要するに、そんな吉本さんの「佇(たたず)まい」に、ぼくは安心するものを得られたのではないかと思うのです。ぼくは「姿勢」や「態度」、つまるところは、一人の人間が自他に隠さない「佇まい」、それをその人の「思想」と見ているのです。借り物ではなく、頭(仕入れた知識)にあるものでもなく、身体を使って表現される、それが思想だと考えている。

 この駄文集における綴方の題材・対象として、ここまででも、吉本さんはかなり頻度が高かった気がします。しかも、思想(哲学)や文学などという小難しいものではなく、当たり前の教育論、それも体験的教育論として、ぼくは隆明さんに教えられたのでした。ぼくの友人のT君は文筆家であり、吉本研究者でもありましたが、彼の書く隆明論は「知の巨人」礼賛であり、「戦後最大の思想家」の巨大さの確認そのもので、ぼくは何冊かいただいた友人のご著書を、最後まで読み通せなかった。それに反して、隆明さん自身が「恩師の面影」として描かれていた「呑兵衛先生」は、そんな教師になりたいものだとぼくに思わせてくれました。また数学者の遠山さんとの邂逅と別れを綴った文は、何物にも代えがたい、二人の交際・交流の中にこそ「存在する教育」「関係という教育」そういったものが示されていたと思いました。その他、知の巨人ではない、平凡な「生徒」、平凡な「父親」、平凡な「おとうちゃん」、それぞれに描かれたエッセーの中に見られる「日常」にもまた、吉本隆明さんの本領(別乾坤)があったのだと、そのことを知るだけで、ぼくは救われるのです。

 以下に、二つばかり短文を引用しておきました。中森明夫さんの視点・指摘がいいですね。「お寿司の出前を頼んでくれたんですが、奥さんに『おとうちゃん、ほら、お茶』と声をかけられ『ほいほい』と台所に立ってお茶をいれてくれたんです。吉本さんのそういう身軽さ、態度を深く尊敬したことを覚えてます」 またかなり前、西伊豆の海で溺死しかかったニュースが出ました。驚きました。その時の「カッパの川流れね!」という妻和子さんの形容は、妻にして言える評価、それは秀逸でしたね。娘にたちに対して「何か善いことをしているときは、ちょっと悪いことをしている、と思うくらいがちょうどいいんだぜ」というその絶妙のバランスある警句。「群れるな。ひとりが一番強い」、これには個人の経験であったとしても、普遍性があると思った。「知の巨人」も老いる。日常に齷齪(あくせく)する平凡人も老いる。生老病死には「特権」という飾りも嘘もないと、当たり前のこととして、隆明さんも、やはり示された。

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 戦後の思想、文学、文化に多大なる影響を与えた"知の巨星"吉本隆明氏が3月16日、肺炎のため死去した。今年1月に風邪をこじらせて入院し、闘病を続けていた。87歳だった。/ 吉本氏は詩作、評論といったジャンルにとらわれず、幅広い活動をしてきた。/ 60年代に入ると、『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』などを発表し、学生運動における理論的柱として、カリスマ的支持を集めるようになった。/ 文芸評論家の故・花田清輝氏との芸術論争、故・丸山眞男氏や柄谷行人氏との対立は、論壇を超え社会的事件にもなった。/ 80年代に入ると音楽やアート、アニメなどのサブカルチャーに強い関心を持った。『マス・イメージ論』などを発表し、YMOの坂本龍一氏、コムデギャルソンの川久保玲氏などとの交流を深めた。/ そのころの吉本氏を、作家の中森明夫氏はこう語る。/「84年に、吉本さんと作家の高橋源一郎さんとの対談で、編集者として自宅にお邪魔したことがあります。その時、お寿司の出前を頼んでくれたんですが、奥さんに『おとうちゃん、ほら、お茶』と声をかけられ『ほいほい』と台所に立ってお茶をいれてくれたんです。吉本さんのそういう身軽さ、態度を深く尊敬したことを覚えてます」/ 晩年のこんなエピソードがある。/ある編集者が、自分の手掛けた本の帯に載せる文章を依頼するために、吉本氏の自宅を訪ねた。/「何のコネもなく突然訪ねたんですが、玄関先まであげてくれて、とても丁重に対応してくれました。偉ぶったところが少しもなく、謙虚で少年のような人でした。目が悪くて、拡大鏡を使って文字を追っているとのことでしたが、数か月後に届いた帯の文章は、本を最後まで丁寧に読んでくれたことがわかるものでした」(編集者)(週刊朝日・2012年3月30日号)
  戦後最大の思想家と言われた吉本隆明とその妻で俳人の和子には、2人の娘がいる。長女は漫画家のハルノ宵子、次女は数々の文学賞に輝く作家吉本ばなな。本書は、『吉本隆明全集』の月報に掲載されたハルノ宵子の文章をまとめたもので、晩年の吉本隆明とその家族の肖像が、ときに辛辣(しんらつ)に、ときにユーモラスに生々しい筆致で綴(つづ)られている。/1996年、西伊豆の海で父隆明が溺れて死にかけた「事件」は、吉本家の歴史の中でも、“戦前・戦後”のようなランドマークになっている。著者が妹と合流しICUに行くと、父はもう気管の管も抜かれ、翌日には意識は戻った。このときの妻和子の第一声が「カッパの川流れね!」であったという。思わず笑ってしまうところだ。この事件を境に、急速に老いを深める父親を、娘は支える。思想家の父と、俳人の母という2人の表現者のいる家庭は、「家の中に虎が2匹いる」ような緊張感があった。その緊張感の真ん中で、ハルノ宵子は、微妙なバランスで自身の姿を隠しながら、猫のように鋭い観察眼を光らせ、ときに爪を研いでいたのである。/偉大な父親と、繊細で完璧主義者の母親から生まれた娘たちは、どう生きればよいのだろう。その葛藤が行間から滲(にじ)み出ている。巻末の姉妹対談の中でばななが「ものを書こうとか絵を描こうとかって、本当に楽しい家庭に育った人は思うはずないだろう」と述べている。吉本家とはまさに、「薄氷を踏むような“家族”だった」のだ。/随所に、吉本隆明の根底にあった思想が顔を出す。「何か善いことをしているときは、ちょっと悪いことをしている、と思うくらいがちょうどいいんだぜ」という父の言葉から娘たちは「群れるな。ひとりが一番強い」という思想を受け継いだのである。吉本隆明は幾多の思想の果実を残したが、その中心にあった自立の思想は、2人の娘の中に見事に身体化している。=朝日新聞2024年3月9日掲載◇晶文社・1870円。5刷・1万500部。昨年12月刊。「思想界の巨人の病苦にとらわれた姿が衝撃的という声がある一方、暗い印象を与えない書きぶりが評価されている」と担当者。〈平川克美(ひらかわかつみ)文筆家〉

 「人は竪、猫は横に親和して住んでいる気がする――。幼いころから生活のなかに猫がいて、野良猫・飼い猫の区別もゆるく日々をともに過ごし、その生も死も幾多見つめてきた思想家は、この生きものに何を思ったのか。詩人の直観と、思想する眼差しと、ともに暮らすものへの愛情によって紡ぎ出すことば。猫を、そして暮らしの伴侶を愛するすべての人に。(「なぜ、猫とつき合うのか」(講談社学術文庫)(巻末エッセイ=吉本ばなな、挿画=ハルノ宵子)

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