
【あぶくま抄】ひとりが強い 吉本隆明―。この4文字に自らの青春を重ねるのは、団塊の世代か。国家や言葉の成り立ちからファッションまで、縦横無尽に論じた。戦後最大の思想家とも、知の巨人とも評される。今年は生誕100年に当たる▼長女で漫画家のハルノ宵子さんが出版した「隆明だもの」が注目を集めている。生前の思い出をコミカルにつづった。小学生の時、学校での募金に協力したところ、冷ややかな反応を示された。後に気付いた。集団でお金を集める同調圧力を、「よし」としなかったのだと▼吉本さんは、お隣・山形県米沢市の旧米沢高工に学んだ。戦時中、仲間に誘われるまま、上杉神社へ戦勝祈願に出向いた。浮かない感じを覚えたが、断れない。立ち止まれず、好戦的な雰囲気に吞[の]まれてしまったと悔いたようだ。痛恨の念は思索の原点となる。東京下町の小さな窓から、孤独に世界を読み解く。自立の思想と言われた▼SNSは真偽不明な情報を取り込み、発信者が分からぬまま論評を繰り返す。時に「いいね」の同調を求めることも。自ら考え、立っていられるか。今こそ巨人は存在感を増している。〈群れるな。ひとりが一番強い〉。戦後最大の金句の一つだろう。(福島民報・2024/03/24)

「菜種梅雨(なたねづゆ)」ということば(季語)があります。「菜の花の咲く3月下旬から4月にかけて、連日降りつづく寒々とした小雨。《季 春》」(デジタル大辞泉)と解説されています。まさにそのようにして、昨夜来のそぼ降る雨に見とれていると、「あぶくま抄」が目に入り、そしてさまざまな連想が飛び交い出しました。「隆明さんかあ」という声が漏れ出したのに驚いています。取り立てていうほどの「縁もゆかりもない」と言ってもいいほどの、終生、吉本さんの一読者に留まり続けたものですけれど、そこから得たものはなんだったのか、そんなに簡単に綴れるようなものではなさそうです。「ささい」な振る舞い、「当たり前」の思想と言うか、姿勢や態度、要するに、そんな吉本さんの「佇(たたず)まい」に、ぼくは安心するものを得られたのではないかと思うのです。ぼくは「姿勢」や「態度」、つまるところは、一人の人間が自他に隠さない「佇まい」、それをその人の「思想」と見ているのです。借り物ではなく、頭(仕入れた知識)にあるものでもなく、身体を使って表現される、それが思想だと考えている。

この駄文集における綴方の題材・対象として、ここまででも、吉本さんはかなり頻度が高かった気がします。しかも、思想(哲学)や文学などという小難しいものではなく、当たり前の教育論、それも体験的教育論として、ぼくは隆明さんに教えられたのでした。ぼくの友人のT君は文筆家であり、吉本研究者でもありましたが、彼の書く隆明論は「知の巨人」礼賛であり、「戦後最大の思想家」の巨大さの確認そのもので、ぼくは何冊かいただいた友人のご著書を、最後まで読み通せなかった。それに反して、隆明さん自身が「恩師の面影」として描かれていた「呑兵衛先生」は、そんな教師になりたいものだとぼくに思わせてくれました。また数学者の遠山さんとの邂逅と別れを綴った文は、何物にも代えがたい、二人の交際・交流の中にこそ「存在する教育」「関係という教育」そういったものが示されていたと思いました。その他、知の巨人ではない、平凡な「生徒」、平凡な「父親」、平凡な「おとうちゃん」、それぞれに描かれたエッセーの中に見られる「日常」にもまた、吉本隆明さんの本領(別乾坤)があったのだと、そのことを知るだけで、ぼくは救われるのです。

以下に、二つばかり短文を引用しておきました。中森明夫さんの視点・指摘がいいですね。「お寿司の出前を頼んでくれたんですが、奥さんに『おとうちゃん、ほら、お茶』と声をかけられ『ほいほい』と台所に立ってお茶をいれてくれたんです。吉本さんのそういう身軽さ、態度を深く尊敬したことを覚えてます」 またかなり前、西伊豆の海で溺死しかかったニュースが出ました。驚きました。その時の「カッパの川流れね!」という妻和子さんの形容は、妻にして言える評価、それは秀逸でしたね。娘にたちに対して「何か善いことをしているときは、ちょっと悪いことをしている、と思うくらいがちょうどいいんだぜ」というその絶妙のバランスある警句。「群れるな。ひとりが一番強い」、これには個人の経験であったとしても、普遍性があると思った。「知の巨人」も老いる。日常に齷齪(あくせく)する平凡人も老いる。生老病死には「特権」という飾りも嘘もないと、当たり前のこととして、隆明さんも、やはり示された。
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戦後の思想、文学、文化に多大なる影響を与えた"知の巨星"吉本隆明氏が3月16日、肺炎のため死去した。今年1月に風邪をこじらせて入院し、闘病を続けていた。87歳だった。/ 吉本氏は詩作、評論といったジャンルにとらわれず、幅広い活動をしてきた。/ 60年代に入ると、『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』などを発表し、学生運動における理論的柱として、カリスマ的支持を集めるようになった。/ 文芸評論家の故・花田清輝氏との芸術論争、故・丸山眞男氏や柄谷行人氏との対立は、論壇を超え社会的事件にもなった。/ 80年代に入ると音楽やアート、アニメなどのサブカルチャーに強い関心を持った。『マス・イメージ論』などを発表し、YMOの坂本龍一氏、コムデギャルソンの川久保玲氏などとの交流を深めた。/ そのころの吉本氏を、作家の中森明夫氏はこう語る。/「84年に、吉本さんと作家の高橋源一郎さんとの対談で、編集者として自宅にお邪魔したことがあります。その時、お寿司の出前を頼んでくれたんですが、奥さんに『おとうちゃん、ほら、お茶』と声をかけられ『ほいほい』と台所に立ってお茶をいれてくれたんです。吉本さんのそういう身軽さ、態度を深く尊敬したことを覚えてます」/ 晩年のこんなエピソードがある。/ある編集者が、自分の手掛けた本の帯に載せる文章を依頼するために、吉本氏の自宅を訪ねた。/「何のコネもなく突然訪ねたんですが、玄関先まであげてくれて、とても丁重に対応してくれました。偉ぶったところが少しもなく、謙虚で少年のような人でした。目が悪くて、拡大鏡を使って文字を追っているとのことでしたが、数か月後に届いた帯の文章は、本を最後まで丁寧に読んでくれたことがわかるものでした」(編集者)(週刊朝日・2012年3月30日号)

戦後最大の思想家と言われた吉本隆明とその妻で俳人の和子には、2人の娘がいる。長女は漫画家のハルノ宵子、次女は数々の文学賞に輝く作家吉本ばなな。本書は、『吉本隆明全集』の月報に掲載されたハルノ宵子の文章をまとめたもので、晩年の吉本隆明とその家族の肖像が、ときに辛辣(しんらつ)に、ときにユーモラスに生々しい筆致で綴(つづ)られている。/1996年、西伊豆の海で父隆明が溺れて死にかけた「事件」は、吉本家の歴史の中でも、“戦前・戦後”のようなランドマークになっている。著者が妹と合流しICUに行くと、父はもう気管の管も抜かれ、翌日には意識は戻った。このときの妻和子の第一声が「カッパの川流れね!」であったという。思わず笑ってしまうところだ。この事件を境に、急速に老いを深める父親を、娘は支える。思想家の父と、俳人の母という2人の表現者のいる家庭は、「家の中に虎が2匹いる」ような緊張感があった。その緊張感の真ん中で、ハルノ宵子は、微妙なバランスで自身の姿を隠しながら、猫のように鋭い観察眼を光らせ、ときに爪を研いでいたのである。/偉大な父親と、繊細で完璧主義者の母親から生まれた娘たちは、どう生きればよいのだろう。その葛藤が行間から滲(にじ)み出ている。巻末の姉妹対談の中でばななが「ものを書こうとか絵を描こうとかって、本当に楽しい家庭に育った人は思うはずないだろう」と述べている。吉本家とはまさに、「薄氷を踏むような“家族”だった」のだ。/随所に、吉本隆明の根底にあった思想が顔を出す。「何か善いことをしているときは、ちょっと悪いことをしている、と思うくらいがちょうどいいんだぜ」という父の言葉から娘たちは「群れるな。ひとりが一番強い」という思想を受け継いだのである。吉本隆明は幾多の思想の果実を残したが、その中心にあった自立の思想は、2人の娘の中に見事に身体化している。=朝日新聞2024年3月9日掲載◇晶文社・1870円。5刷・1万500部。昨年12月刊。「思想界の巨人の病苦にとらわれた姿が衝撃的という声がある一方、暗い印象を与えない書きぶりが評価されている」と担当者。〈平川克美(ひらかわかつみ)文筆家〉

「人は竪、猫は横に親和して住んでいる気がする――。幼いころから生活のなかに猫がいて、野良猫・飼い猫の区別もゆるく日々をともに過ごし、その生も死も幾多見つめてきた思想家は、この生きものに何を思ったのか。詩人の直観と、思想する眼差しと、ともに暮らすものへの愛情によって紡ぎ出すことば。猫を、そして暮らしの伴侶を愛するすべての人に。(「なぜ、猫とつき合うのか」(講談社学術文庫)(巻末エッセイ=吉本ばなな、挿画=ハルノ宵子)
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