「治る風邪も治らないだろ」

 もう、新学期の授業は始まっただろうか。だれにも、いくつになっても忘れられない「記憶」というものがある。ぼくにもある。しかし、あっても不思議ではないのに、すっかり消えてしまっているものもある。小・中・高時代に接した数えられない教師たちとの関係と言うか、その教師たちのいろいろな場面における印象というものについて、ぼくには思い出されるような「印象」がまったくない。ある意味では寂しいことであり、別の意味では、学校や教師というものに対するぼくの接し方が如実に表れているとも言えて、それはそれで、仕方がなかったというほかない。もちろん、個々の教師との関わりに関しては、記憶は皆無ではないが、それはまるで白いワイシャツに付いたシミのようなもの。着る分にはなんの支障・影響もなかったす。

 季節柄、本日は「教師の面影」二題について、です。

 まずは「雷鳴抄」。この筆者の筆力なのか、それともこういう場面に及んで、読む側の想像力がたくましくなるからなのか、いずれにしてもなかなかの「記憶と記録」だったと思う。「恩師の手」が伸びてきて、「殴られて当然だと、観念する」とある。奇妙ですね、「早退の理由が嘘である」ことがお見通しだったというのかも知れませんが、だから「殴られても当然だと観念する」というのは、ぼくには腑に落ちない。その教師は四六時中、暴力を振るっていたのでしょうか。生徒(コラム氏)の期待や予想に反して、「そんなに首元を開けていたら、治る風邪も治らないだろ」といったという「科白(せりふ)」と仕草に、ぼくは教師の人柄・人間性を感じたのです。「いい教師だったろうな」と思う。言葉や仕草が、人間関係の成り立ちにはどんなに大事かということを教えています。

 「近寄りがたい存在だった」というのはコラム筆者の感情で、だからこそ、教師の科白と仕草に、二度と「嘘」がつけなくなったのでしょう。まるで「親(厳父)のような」教師ではなかったか。四十年以上も過ぎた今、「恩師と呼ばせていただきたい」と、かつての生徒の一人は告白するのです。余勝手ですね、そんな恩師がいて。

 ぼくも、このコラム氏と同じように「桜の祝福に包まれた新入生には、すてきな先生との出会いがあることを祈る」と、心から「祈念」の気持ちを贈りたいですね。残念ですが、ぼくには「すてきな先生」はいなかった。一人もいなかった。その理由は明らかです。「学校に信を置くな」「教師に近づきすぎるな」という、まるで「掟」のような自縄の感情で学校に相対していたからでした。要するに「恩師」という誇らしげな存在は、ぼくにはいなかったということ。そのほとんどは「反面教師」というものでした。「すてきな先生」たちではなかったが、それはぼくの至らなさのゆえで、とにかく、教えられたことは確かだった。

【雷鳴抄】恩師の手 平年よりやや遅い桜が、県内各地の入学式に花を添えている。桜の祝福に包まれた新入生には、すてきな先生との出会いがあることを祈る。大人になって振り返ると、恩師と呼ぶべき人がいたことに気づくものだ▼1980年代、県南の男子高に通った。自由な校風で、校則に縛られることはなかった。それに乗じて、服装の着こなし、頭髪も乱れ気味になっていく▼さらに、成績が振るわなかったからか、友人関係の問題か思い出せないが、早退することが、ままあった。職員室をのぞき、担任に報告する。「熱っぽくて…。早退させてください」▼何度目だったか。職員室の一角で、いつものせりふを伝えると、担任の手のひらが、顔に近づいてきた。殴られて当然だと、観念する。早退の理由が毎回同じで、稚拙過ぎた▼担任は、学生服の襟元のボタン二つとカラーのフックを止めてくれた。「そんなに首元を開けていたら、治る風邪も治らないだろ」。真っすぐに向けられた鋭い眼光には、怒りでなく、思いやりがあった。その後、二度と早退はしなかった▼すでに鬼籍に入ったその担任は、教壇に立つ前に広島の海軍兵学校に在籍していたと聞く。小柄ながらも常に背筋が伸び、固く口を結び、決然としていた。近寄りがたい存在のままだったが、恩師と呼ばせていただきたい。(下野新聞・2024/04/09)

 次は「天風録」の教師について。輪島高校の校長先生について、ぼくも報道で知っていました。「学びを止めるな」。ぼくはこの校長先生のブログは見たことはないが、むしろ、この校長が「お手本にしてきた先人」に引き寄せられます。「焼け野原となった戦後、チョーク1本で子どもらに語りかけ、希望の光を示した。動かぬ北極星のような存在だったらしい」、そんな教師がいたという事実にこそ、ぼくは心を奪われる。この「先人の思い出」は本当だろうかと、疑いの目を持ちながら、この文章(コラム)を読みました。ぼくは「戦時中の学校・教室」は未経験でしたから、一夜にして「軍国主義から平和主義へ」と豹変した教師たちを見ることはなかった。それでも、戦時中の「居丈高な姿勢」を頑なに堅持していた教師は多かった。だから「教師に信を置くな」という戒めが生まれたのかも知れなかった。

 コラム氏が書かれている「動かぬ北極星」のような教師が、戦中派だったかどうかわからないが、その教師が「チョーク1本で子どもらに語りかけ、希望の光を示した」のは、彼(男性だったと思う)自身の体験に根ざしていたことは間違いがないのです。「北極星」は「(Polaris=恒星」と呼ぶ。「太陽と同様、自ら熱と光を出し、天球上の相互の位置をほとんど変えない星」(デジタル大辞泉)いつでも「そこにいる」という教師は、どんなに頼もしかったことでしょう。それに反して、ぼく(生徒)たちはいつだって、恒星の周りを動き回っている存在ですから、さしずめ「惑星(planet)」とも言えるでしょう。長い教育(相互作用)の間に、惑星はいつしか恒星になることがあるのでしょうか。

 この輪島高校の「校長先生」はミュージシャンでもあって、生徒たちに向けて、歌でメッセージを伝えておられる。「どんな時でも学びを止めるな」と。これは震災直後の学校だったから、尚更という思いも募ります。もちろん、学ぶのは学校ばかりではない、生きている限りは「学ぶのを止めるな」というべきでしょう。彼は、いわゆる「熱い先生」なのかも知れません。ぼくには苦手なタイプですけれど、それはそれ。要するに、目に見えて「なにかを与える」というのではなく、それとなしに、互いに伝わるものがある関係が、ぼくには大切なのだという気がするのです。改めて、「動かぬ北極星」のような教師、それはどんな教師だったのでしょうか。

【天風録】学びを止めるな 手帳を開き、きょうが元日から100日目に当たると気付いた。ということは、能登半島地震からも100日を数える。明くる年に期待を込め、求めた日記帳が、心ならずも被災日記に転じてしまった人々の胸中を察する▲腹をくくった人もいる。最大震度7の揺れが襲った石川県輪島市に立つ県立輪島高の平野敏校長である。被災から3日目にブログを再開し、こう書いた。〈学ぶことを止めてはならない/それを生徒たちに伝えたい〉▲お手本にしてきた先人がいるという。焼け野原となった戦後、チョーク1本で子どもらに語りかけ、希望の光を示した。動かぬ北極星のような存在だったらしい▲♪負けない事・投げ出さない事・逃げ出さない事…。大学受験に向かう生徒たちの前で平野校長はギターをかき鳴らし、お気に入りの曲「それが大事」を歌った。そんな熱さに、ほだされるのだろう。一肌脱ぐブログ読者が絶えず、閲覧総数も既に200万アクセスを超えている▲非常時だからこそ開けた視界、腹に落ちた先達の言葉もあるようだ。校長ブログは、授かった学びの種の宝庫といえる。中でも、〈どんな時でも学びを止めるな〉の警句は一番光って見える。(中國新聞・2024/04/09)

 これまでも、いつだって「✖✖の一つ覚え」のごとくにいい続けてきたし思い続けてきたこと、それは「人と人との関係(付き合い)の中に生まれるのが教育」だというものでした。学校在学中だけ、教室だけで終わるのは「教育」に似て非なるものという確信がぼくにはあります。学校を出た後も、有形無形の関係が続くなら、そこからなにかが生まれているはずです。長い付き合い(関係)そのものではなく、その関係から生み出されるであろう「相互交流」、あるいはその関係そのものが醸し出す雰囲気、実は、それこそが「教育」なのだとぼくは思い続けてきた。あるいは「父子の関係」「夫婦の関係」に擬(なぞら)えて言えることなのかも知れません。こういうことを「薫陶(くんとう)(cultivation)」というのかも知れない。「[名](スル)《香をたいて薫りを染み込ませ、土をこねて形を整えながら陶器を作り上げる意から》徳の力で人を感化し、教育すること」(デジタル大辞泉)「教育は文化です」と、これも来る日も来る日もいい続けてきました。

 本日、「二つのコラム」に珍しく引き込まれたのは、付かず離れずの「関係」から醸(かも)されるものこそが「教育作用」なのだというぼくの思いが、そこには秘められていると実感したからでした。新しい人たちへ。「学校に懐(ナツ)くな、人に親しんでください」、人に対する少しばかりの「尊敬の念」を失わないように。長く交われる「親友」、喧嘩ができる友だちが、学校の中から、学校にいる間に生まれるといいね。「サチアレ!」

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東京(6287人)・島根(99人)

 もう何十年も前から想定されていた事態が着実に、しかも急速に進行しています。「少子・高齢化」という言葉だけが先行(独り歩き)し、その実態は容易に実感されてもこなかったから、密かに破綻する状況の把握には、人心も行政施策も追いついていかなかったのです。ぼくが当地(長柄町)に越してきたのは今から十年前。2014年度3月末の町人口は7586人。本年3月末人口は6288人。十年で1300人の減少です。年間平均で130人の減少になる。減少速度はさらに加速します。おそらく、このような人口動態は何処も同じようまもので、それほどに危機的状態に現状があるのです。それを嘆くのでもなく、かといって、ぼく自身が町長にでもなって、人口減少に歯止めをかけるために打って出ようというのでもありません。(ぼくは静岡県の「川勝某」ではない)(ヘッダー写真:https://news.livedoor.com/article/detail/22257227/

※ 三十年以上も前のこと。卒業論文に「ハーメルンの笛吹き男(Rattenfänger von Hameln)」を手がかりに「少子化」問題を書こうとした学生がいました。問題の深刻さはまだ知られていない時期でした。ぼくはその趣旨に大変感心して、いっしょに文献を読んだことを、今更のように思い出します。(彼は卒業後、H大学の職員になり、やがて退職し、今は別の仕事をされています。埼玉在住)「ハーメルンに伝わる伝説。見知らぬ男が町に現れ、笛を吹いてネズミを集め退治するが、住民がが約束の報酬を支払わないことに怒り、町中のの子供を集めて連れ去る。1284年に実際に起こった、子供130人の行方不明事件がもとになっている」(デジタル大辞泉)

 詳細は参考文献(⏪️)に譲りますが、この社会は、子どもをどこへ連れて行ってしまったのか、政治的陰謀・奸計が「子供の出生」や「子育て・教育」の領域に働いたことは事実だったと思う。八百年も前のドイツの地方小都市での出来事なのではなく、歴史のある展開場面で、きっと生じてきたのではないでしょうか。今日でも、この小さな国の何処かで笛吹男が「怪しい音色」を奏でて子どもたちを早い段階で拐(かどわ)かしているように思えてなりません。「子ども家庭庁」などという名称事態がまやかしですね。

 歴史の流れから見るなら、あらゆるところで生じている「都市化」現象が「少子化」の主因であって、それが終わらない限り、一層人口減少は加速化する他ないでしょう。加えて、高齢化が問題をさらに大きく深くしています。これも必然の進みゆきですから、政治的な方策を打ち出すことは困難です。ではどうするか。「高齢者は集団自決を」という狂った殺人鬼のような発想は許せないとして、ぼくに良い知恵があるのではない。にもかかわらずはっきりいえることは、地域(町や村を含めて)もまた、「生病老死」を避けられないということです。今住んでいる地域の最高人口数は、三十年前のおよそで9000人でした。(年平均で100人の減少を続けていることになります)

 大まかに言うと、この島社会における都会の居住人口は八割ほどでしょうか。その分、周辺地域の人口減少が引き起こされていくのです。加えて生産年齢人口の減少も将来の見通しを暗くしている。ところが、見方を変えるとどんなことが言えるか、そういう問題になるはずです。日本の都道府県でもっとも人口が少ないのが鳥取県(55.9万人・令和4年3月末)、ついで島根県(66.5万人)です。人口密度で見るなら、欧州の平均的かつ適正な人口密度(北欧諸国)に符合するというのです。(人口密度・鳥取は153人、島根は99人)いかに「都市集中」「一極集中」が異常で激しいかがわかろうというもの。人口問題の殆どは、この「一極集中」「都市集住」によって引き起こされているとも言えます。

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 昨日の高知新聞に同じ問題の両面、つまりは「過去と未来」が活写されていました(下掲)。まずは未来が閉ざされているという話題です。かつては百人以上が住んでいた地区、今ではたったの四人。それが久しぶりに「出身者の交流会」が開かれたというニュースです。ぼくは暇人ですから、時々「限界集落の現実」ルポ(動画)を見ることがあります。夫婦二人だけ、あるいはたった一人での集落生活の「明け暮れ」です。それを見ていて痛感するのは、地域も人間と同じ、生まれて老い、病気をして死ぬ(生・老・病・死)ということ。これをして仏教では人間の避けられない運命(四苦)とされます。ならば、人間の作る「集団」「社会」もその大小を問わず、この「四苦」から解放されることはないのでしょう。(左図は中國新聞・2022/08/25)今年見た、あるいは昨年見た「限界集落」の高齢者の多くは、もはやこの世にはいないかも知れません。集落消滅です。これは必然であって、悲しむに当たらない。

 それを思えば、時間の長短はあるにせよ、いずれは、どこでの地域(町や村)でも「生老病死」を繰り返すのでしょう。2つ目の記事は「小学校入学式」「新一年生は二人」「在校生は七人」というものです。これは高知県の田舎だけの話ではありません。大都会の真ん中でも、その周辺地区でも生じている現象です。ぼくのところの孫娘は四月に中学生になりましたが、新一年生は三十人はいないと言う。横浜は青葉区の話です。少子化は、いたるところで、集団全体に新鮮は血液を送り込む「社会(都市)の心臓を直撃」しているのです。それ故に、紛れもなく、都市部の心臓は「人工心臓」だということです。

 大家族の時代から、時間をかけて「核家族(nuclear family)」へと「核分裂(nuclear fission)」が起こってきました。その核分裂は更に進んで、今ではひとり親家族の増大であり、結婚しない人による「家族以前」時代の到来、一人居住者の増大時代でもある。「人間の感覚」がいろいろな理由や原因で不調をきたしている、それが「現代社会」であり、「現代国家」だとも言えます。さらに、食糧不足や戦争の勃発で、いよいよ「核分裂」はその動きを止められないままでいるのす。⏩️の写真は「世界一美しいコンビニ:徳島県那賀町木頭地区。人口1000人の村に現れた「世界一美しいコンビニ。」ここは子供の未来を育む場所。この場所で人と人、人と地域を結び、みんなの笑顔を紡いでいくために未来コンビニは誕生しました」(https://mirai-cvs.jp/

 歴史を百年単位から千年単位、あるいは万年単位に据え直してみれば、「栄枯盛衰」「生者必滅」「会者定離」です。抹香臭いことを言うようですが、「諸行無常(impermanence)」は真理であって、それを超えて、あるいは外れて人間社会は永続できないと納得すれば、一人ひとりの生涯の過ごし方に、現状とは別個の視点がみえてくるのではないでしょう。今日の地方自治体で、人口増は沖縄県のみです。それもきわめて微小です。残りの自治体は、すべて減少に転じています。もちろん、そんな中でも画期的な人口増政策に成功している自治体はありますが、なんのことはない、きわめて希少・貴重な人口の「取り合い合戦」で他地区に勝ったと言うだけ、全体数はそれでも減少し続けているのです。(いずれ、もう少し具体的な問題指摘や評価に関して卑見を述べようと思います。今言えることは、まず「都市住民」になることをできるだけ止めるべきだという点。「市民(civic・civil)」ではなく「村民・町民(villagers)」になりませんかという、都市らの脱出の勧めです。

 それと同じことを別の表現で表すと、「文明(civilization)」ではなく「文化(culture)」に即して生きようということです。土(地)から足を離さないで、ということでもあるでしょう。それは「自然」に即するということになります。その昔は田舎生活(土地に根ざす暮らし)は野蛮と避難され、都会の言葉(標準語・共通語)を話せないのを「野暮」「田舎者」と揶揄していました。時代が変われば、攻守ところを変えるんですね。今では「田舎こそが文化生活」の満喫できる場であり、「都市文明生活は悲惨」とさえ言われるようにもなっている。言葉の真っ当な意味で、「土に帰る」「自然に帰る(return to nature)」のです。

 ※(人口密度比較:東京(6287人)・島根(99人)総務省・2022年8月9日公表)(人口密度とは「一般に1平方キロメートル当たり人口数」)(どのように知恵を絞っても、「人工減少」という道は下り坂なんですね。ひたすら降りるばかりです。一旦登り詰めたら、後は降りるしかない。まさに登山と下山です。三百年後は、あるいは、この島社会は存在しなくなっているかも。人為によって、あるいは自然現象によって)

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 4人の集落で交流会 仁淀川町大見槍で30人がにぎやかに交流 高知県 住民4人だけが暮らす仁淀川町別枝の大見槍(おおみやり)地区で7日、出身者が交流を深める「大見槍会」が5年ぶりに開かれた。70代を中心に県内外から集まった約30人が再会を喜び合い、思い出話に花を咲かせた。/同地区は大渡ダム南岸の山あいに位置する。かつてはミツマタ栽培が盛んな地域で、100人以上が暮らしていたが、栽培の衰退とともに人口が減っていった。/会は、地区出身の西村啓子さん(75)=佐川町=が「年に一度は笑い声が絶えないにぎやかな地元にしたい」と企画。2015年から始まり、コロナ禍を経て今回が6回目となった。/会場は、かつて小学校の遠足場所だった、見晴らしの良い神社跡地。兵庫県や埼玉県などから出身者が駆け付け、「懐かしい。久しぶり」「おばちゃんになったね」と手を握り合った。/物故者に黙とうをささげた後は、皿鉢料理を囲んで「かんぱーい」。古里の春の山々を眺めながら、近況報告や昔話をしてなごやかに過ごした。/地区で暮らす西森正志さん(73)は「ずっとこの日を待っていた。みんな地元を大事に思って、いつも帰ってきてくれてうれしい」。中学校を卒業後に就職で関西に出た西森正男さん(79)=大阪市=は「久しぶりに同級生らと会うと、釣りをしたり、けんかしたりした少年時代の記憶がよみがえってくる。今でもつながりを持てていることに感謝。一生の仲間です」と目を細めていた。(乙井康弘)(右上写真「出身者らが再会を喜び合い、思い出話に花を咲かせた「大見槍会」)(仁淀川町別枝)(高知新聞・2024/04/08)

 わくわくの学校生活スタート! 元気に「はいっ」 高知県内小中高で入学式 高知県内ほとんどの公立小中高校で8日、入学式が行われた。黒潮町の田ノ口小学校では2年ぶりの実施。名前を呼ばれた新1年生2人が、体育館に「はいっ」と元気いっぱいの声を響かせ、わくわくの学校生活をスタートさせた。/同校の新1年生は、松本兼芯君(6)と矢野奨馬君(6)。在校生7人と教職員らが迎え入れた。/入学式に、兼芯君は兄で5年の貫汰君(10)、奨馬君は姉で6年の愛梨さん(11)にそれぞれ手を引かれて入場。東卓志校長(61)の「あいさつをしっかり、みんなと仲良く、命を大切に。この三つの約束を守って、元気に学校へ来てください」の言葉を神妙な面持ちで聞いていた。(⤵️)

 (⤴️)教室に移った2人は担任から、真新しい教科書や町教委がプレゼントした国語辞典を手渡され、笑顔で「重ーい」。両親と一緒にランドセルに収めて背負い心地を確かめると、また「重ーい」と苦笑い。新たな学校生活に向け、兼芯君は「縄跳びを頑張りたい」、奨馬君は「ブランコで遊ぶのが楽しみ」と期待に胸を膨らませていた。/今春の県内の公立小学校の新入生は約4730人。(富尾和方)(右上写真「在校生と記念写真に収まる(前列中央左から)松本兼芯君と矢野奨馬君(黒潮町下田の口の田ノ口小=新田祐也撮影)(⏪️写真「両親と一緒に桜の下を歩く新1年生(黒潮町下田の口の田ノ口小=新田祐也撮影)」(高知新聞・同上)

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藪の外でも若竹育つ  

 わが庭の裏にある竹林からも「筍(タケノコ)」の囁きや呟きが聞こえています。「だんだん伸びてるよー」早いもので、三月初めには、もう猪(イノシシ)が土掘り(筍の新芽を探す)をしていて、あちこちに大きな穴が掘られていました。冬場の食糧不足を補充するために、方々の土を掘り起こしては木の根を探す。つまりは「根堀り葉掘り」と、じつに旺盛な食餌漁りで、驚くべき執心ぶりなんです。筍の時季をもっとも知っているのが、当地では猪というわけ。それに負けてなるものかと、竹取の翁が掘った「朝掘り筍」が「道の駅」の店頭に並んでいます。「筍」と書いて「たけのこ」「たけのかわ」「しゅん」「じゅん」と読ませる。

・乙訓に住みて筍やはらかし(稲田桃村) 
・嵯峨を出る筍売や遅桜(大谷句佛)                                                     
・京都より筍着きて日は高し( 素十)

 「筍の親勝(まさ)り」と言われる。驚くほど成長が早く、あっという間に親の背丈に追いつく、追い越すので、かく言われます。竹にまつわる話は無数にありますけれど、それは脇において。いよいよ筍の季節です。桜があり、菜の花があり、躑躅(ツツジ)があり、筍がある、誠に「春」だと実感します。上に掲げた「筍・京都三句」、小学生の頃はしばしばタケノコ掘りに誘われて出かけたものです。「北嵯峨」と言われる筍の産地、さらには乙訓(おとくに)郡大山崎(秀吉が光秀を討った地区)(隣町の長岡に姉が住んでいる)。今では京都随一の名産地ではないでしょうか。何度か、彼の地から、贈ってもらったり購入したりしたことがありますが、それはそれは高価だった。松茸でも筍でも、高い値段にはきりがないようですね。特に京都産というのは驚くべき高値で流通しています。「暴利を貪る」というのかしら。

 わが荒れ庭の三方は、にわかに出来た「竹藪」で、元は杉と檜の植林地。いくらでも、地中から筍が湧いてくるようで、家の前の空き地にも竹の侵入が始まっています。三年もすれば、それなりの「竹藪」になる勢い。毎年、自宅庭で掘って、ほんの数回食するだけで、既に食傷気味になる。朝掘って、すぐに茹でて、夕飯に食べる。たまには知り合いに贈ることもありますが、送料を含めると、スーパーなどで買ったほうが遥かに経済的で、美味しく頂ける。時季はきわめて短く、掘るのをサボると、あっという間に大成長。日に数十センチは優に伸びる。その成長力は「竹取物語」にもあるとおり。

 竹林・竹藪にまつわる「諺(ことわざ)」を、二つ三つ。意、おのずから通じますでしょ。(⏪️は昨日来てくれた娘が撮った裏庭での写真。右から孫さん〔明日から中学生〕・中はかみさん・左は拙者。苗木から育てた「桜」がそれなりに咲いてくれました。これ以上に画像を拡大すると「アラ(老残)」が目立つので)

①「子を棄つる藪はあれど身を棄つる藪はなし」 ②「藪の外でも若竹育つ」 ③「藪医者の病人選び」 

 ①は「諦めなければ、なんとかなるさ」と言うのかも。②は土さえあれば、成長するのが若さの印ということ。③は「出来ない人ほど、あれこれ弁解する」と。そして、老人からの「贈る諺(ことわざ)」です、「風に櫛(くしけずり)り雨に沐(かみあら)う」(「櫛風沐雨」=雨風に打たれて鍛えられたらどうか)、そして「朝題目(あさだいもく)に宵念仏(よいねんぶつ)」(朝は「南無妙法蓮華経」=法華の題目で、夜は「南無阿彌陀佛」=真宗の念仏と、いかにもどっちつかず、ご都合主義だということ)

 若い人よ、「出る杭は打たれる」のがオチだから、出しゃばるなと「世の訳知り」は言うでしょう。いいんだよ、「喬木は風に折らる」ともいって、「右に習え」ではつまらんじゃないかと言いたい。「喬木(きょうぼく)」というのは「高木」に同じ。育っても灌木(かんぼく)でにとどまるものもある、それ(灌木=低木)は素質だから、何も構うことも気にすることもない。「倚り掛かるな」「寄らば大樹の陰」なんて、美しくないよ。「ただひとり有るのみこそよけれ」という境地も、なかなか捨てたものではない。「捨てる神あれば、拾う神あり」ともいいますよ。

 (誰が謳っていたかしら、「世界で一つだけの花」。なんでわざわざ謳わなければならないのかね。どんな花だって、必ず「世界でたった一つ」さ、人間だって同じで、それこそが「個人」であり「個性」なんだと。我家に生まれた娘たちは「一卵性双子のベイビー」でしたが、最初から性格はまったく違う。ぼくたちが困ってしまうほど違う。それぞれが独立した「一つの個(子)」でしょ。他人とは違う、だからこそ、「私」も「あなた」も存在するところに意味があるんだ)

【有明抄】タケノコと新人の成長 先月下旬、職場の歓送迎会に参加した。多人数が集まるのは5年ぶり。和気あいあいと杯を交わし、会話を楽しむのはやはりいい。コロナ禍を経たからこそ、マスクなしで語らえるありがたさを実感する◆一方で“卒業”する人の慰労や新入社員を歓迎する場が少なかったこの4年を改めて残念に思う。筆者は特に、新人と顔を合わせる機会が少ないため、若手の顔と名前が一致しにくい。記事の末尾にある氏名で仕事ぶりを見るが、20代の成長は早い。まるでタケノコのよう、と感じる◆タケノコの成長が早いのは理由がある。多くの樹木は成長点が茎の先端にあるが、タケノコはそれぞれの節の上部に成長点があり、節ごとに伸びるからだ。子どもの頃、父と行ったタケノコ掘りで地面の小さな盛り上がりを見逃すと、1週間後には1メートルくらいに成長していた。早く大きくならないと、イノシシなどに食べられてしまうことも急成長の理由といわれる◆さて、新社会人のほとんどはきょうから2週目。誰もがタケノコのように成長できるわけではない。まずはじっくり根を張って、10年後に花を咲かせるのもいい。失敗と克服が成長の記録となる◆一人一人が大切な存在。新人の皆さん、無我夢中の中にも出合った一つ一つの仕事を大切にしていけばそれぞれの成長点がきっと見えてくる。(義)(佐賀新聞・2024/04/08)

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「徒然に日乗」(523~529)

◯2024/04/07(日)朝から雨模様。九時頃、横浜の娘から電話。「午後にそちらに行く」と。子ども(孫)は明日だったかが入学式(中学生)という。いつも正月に来ていたが、今年は能登半島地震のために中止。一時頃、到着。一緒に食事をして、雑談。車で横浜から来るのだが、本日は混雑していなかったと言う。中学生になって、さてどういう経験をするか。とにかく、無理をしない、他人と競わない、そんな余裕を失わない生活を送ってほしいと念じる。午後四時半ころに帰宅した。(七時半ころに、無事帰宅したと電話あり)▼このところ、養老孟司氏の講演をネットで視聴している。特段、批判はないが、教えられるところは大である。個性は身体、それぞれが違うのは当たり前。感覚と理性の関わり。小林秀雄さんの「信じることと考えること」に同根。「自分流に信じ(感じ)、他者と同じように(共通に)考える」ことの問題の指摘には同感・共感。(529)

◯2024/04/06(土)ほぼ一日中雨模様。そのためもあり、終日自宅内に。▼裏金問題議員への処分が決まり、自民党内は大騒ぎ。これを「政局」というのも腹立たしい。約言すれば、公金横領であり脱税そのもの。総理はひたすら自らの任期延長にしか興味がなく、底に行って集中していのちを削っているという薄汚さ。政治家の「矜持」が微塵も見られないのは先刻承知。最大派閥が元首相の指図で、この社会の政治の方向を歪めていた実態が明らかであったにも関わらず、検察は一切動かなかった。大捜査網を敷いたのは、いかなる深慮遠望があったからなのか。検察当局と政治権力との取引もまた隠れない事実であったと思う。(528)

◯2024/04/05(金)雨模様。気温も低め。昼過ぎに猫の「おやつ」を買いに土気へ。缶詰とドライフードと、その他のおやつの三点セット。何かしら、雑用も生まれて、気持ちに余裕がないのは残念至極。▼二日前、台湾では大きな地震が発生したと言う。マグチュード7.7、能登半島地震は7.6とか。とにかく、極東の至る所で大小地震が群発しているという感覚を持つ。ことにこの劣島では頻繁に生じているのが、不気味そのもの。「備えあっても憂いあり」▼少し敷地内を出れば、あちこちに桜の花が満開である。誰に知られた桜木ではないが、この「無名の桜」に、わがこころが応えているようで、われながら、天候に関係なく、嬉しくなるのだ。どこで咲こうと「花に変わりがあるじゃなし」ということ。(527)

◯2024/04/04(木)午前中に買い物。ついでに夕食の分も買ってくるとかみさんに伝えて出かけた。帰宅後、しばらくして気が付くと、かみさんが出かけていた。前日、小物を買いたいと言っていたから、てっきりそうだと思っていたら、それだけではなく、夕食の食材をきっちり買ってきた。この所、立て続けにあらかじめ、夕食分は買ってきたと知らせておくのだが、自分で買ってくることが続いている。「忘れていた」というのは、本当だろうが、この「直前記憶の消失」は、どういうことか、大いに考えさせられている。▼損保会社から「火災保険更新」の連絡が入る。五年一括で三十五万円ほどだと言う。書庫や車庫分は加算されていない。それにしても、この火災・地震保険料の値上げも半端なものではなさそうだ。(526)

◯2024/04/03(水)「花時の雨」、こんな言葉があるようで、見頃を迎えた桜花の前に、しずこころなく、雨の降るらん、である。▼午前8時58分、台湾東部で地震発生。かなり大きなものだったようだ。多くの死者が出ているし、倒壊建物も多数発生。被害の広がらないのを祈るばかり。詳細はわからず。▼午前中に、過日受けた車の車検証とステーッカーが出来たとの連絡があり、受け取りに行く。少しばかり乗ってみたが、きわめて良好という感じ。おそらくまだまだ乗車は可能と見た。当方の健康次第だが、少しは遠くにまで乗り出してみたい。その後に買い物。何も大きなものを購入したわけでもないのに、計三千数百円。肝をつぶすほどの物価高騰。インフレの昂進は、別口の増税であることを当局は考えているのだろう、インフレ昂進を願っているのだ。▼午後になっても雨脚は衰えない。気温の上下動が著しい。体調を崩さぬようにしたい。▼五時ころだったか、Tくんに電話。出かけている間に電話をもらった。先日の「シンポ」の報告、加えて後日談を二、三受けた。また、自由学園のS氏が学園長に就任されるとの知らせを受けた。何をすることが任務か、それを忘れないように精進してもらいたいもの。(525)

◯2024/04/02(火)朝、八時頃、東京電力の下請け会社が来訪。「自宅前町道側の植木が電線にかぶさっているので、その部分や、その周囲の枝や竹を伐採したい」「何時間か車が通れないので、了承を」とのこと。午後四時ころだったか、終了したという。どれくらい整理されたか確かめたが、ほとんど伐採前と変わりがないほどだったので、これが仕事かと呆れた。▼長く放置していた敷地の東側の隣地の枝や竹の整理を漸くにして片付けた。それをすべて償却したので、かなり時間がかかった。ほんの少しばかりの労働で、相当に疲れたのには、自分でも驚いた。体力劣化いちじるし。(524)

◯2024/04/01(月)今朝方からかなりの雨が降り出していた。午前中いっぱい降り続いていたようだ。風も強く吹いている。昨日は夏日となり、一気に桜が開花した模様だったが、今日の冷え込みで、咲き出すのをためらった桜も多かったろう。▼いつも通り、午前中に買い物。▼夜は、いくつかのユーチューブ番組を見る。一つは能登半島からのライブ配信。輪島や珠洲市から。画面で見る限り、ほとんど地震直後から手つかずのままの状態。まったく片付けられていない様子、その理由はなんだろうか。限界集落は崩壊・消滅集落一歩手前、そんなところに将来の投資をするのは無駄。もっとうまい「金」の使い道があるという判断が、政治や行政の側に働いているのは確か。つまり、輪島や珠洲の住民は「棄民」の憂き目にあっているのだ。▼さらに観たのは、BBCのアザー記者による旧ジャニーズ事務所社長の東山某へのインタビュー。社名は変えたが、まったくの不遜な姿勢は旧態依然。このタレントの厚顔無恥ばかりが目についた。これがトップタレントで経営の代表だという、この事務所が終わっていることを誰の眼にも明らかにした会見だった。恥ずかしい限り。酷(ひど)すぎますね。(523)

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今を知り 過去を学んで 明日を読む

◉ 週の初めに愚考する(拾四)~ 面白いと言うべきか、当然の成り行き(現象)と言うべきか。もはや旧聞に属するが、中國新聞の以下の記事には大いに考えさせられた。【地方紙年頭社説を読む】問題は「社説」(「論説」)の存在の可否自体を直撃している。以前からぼくは「社説は盲腸だ」「単なる大言壮語」「後出しジャンケン」「対岸の火事視」「自分のことは棚に上げ」などと、無責任に茶化し揶揄すような気持ちを隠さなかったが、ここまで来ると、「盲腸」どころではない。そもそも、それはあってはならぬもの、存在価値はどこにもないとは言い過ぎだが、現に「社説」のない新聞もあるほど。となれば、新聞そのものの値打ちが問われることにもなろう。もちろん、新聞記事(「社説」)は予想でも願望でもないはずで、まして、「年頭社説」なら尚更その感は強い。一月元日の紙面は前日には大方が作られている。その後に、何が起ころうが、掌握しきれないのは当たり前だが、「内外情勢を見渡し、張った論陣は新年早々、震災で問い直された。『羅針盤』に、油断や死角はなかったか」と問う中國新聞の指摘・批判は一考に値する。

 ジャーナリズム・メディアの著しい劣化が指弾されて久しい。「報道と論評」からなるその役割機能に言及されることが多いが、むしろ、内容そのもの以前に「姿勢」が問われているのだ。「羅針盤」がその使命を果たしていると思われないことしばしばであり、「報道」の方向や姿勢が著しくお座なりになっていないか。素人の偏見や誤解を承知で言うなら、地方紙は「町内会報」で十分という気もしている。(その関連で言うと、いわゆる「全国紙(大手紙)」は、せいぜい県報(市報)ぐらいが関の山だ)「天下国家を語る」のは野暮とは言わないが、あまりにも荷が勝ちすぎる。「書くだけ」のことなら、書かぬがいい。地方紙の「社説」に求められるものは多様だろうが、何よりも地域に根ざした「(他にない)感覚と理知」だと愚考している。その一例だが、百五十年前、「自由民権は土佐の山間から」と「論陣」を張った一新聞は、直ちに権力の弾圧を受け廃刊に至るが(高知自由新聞・明治十五年七月十四日)、だからこそ、「論陣(土佐人の「感覚と理知」に拠る)」の使命は存(ながら)えたとも受け止められよう。

 いま「国会議員」の退廃堕落が空前の規模(深さと広がり)に達していることに鑑み、各地区選挙民の「選挙・投票意識」をこそ問い糾さなければならない。「政治資金パーティ」という虚偽看板による「裏金」搾取を許す選挙民体質が全体に蔓衍しているからこそ、国家存亡の事態を迎えているのだ。それでありながら、巨悪盟主国との付き合いを断ち切れないまま、現政権及び政権党はその命令を諾々と受け入れている。全体の危機は、各地域に存廃の危機をもたらさないはずはない。まさに「運命共同体」なのだから。とするなら、「地方紙」の役割はおのずから明らかにされるのではないか。「選良」がその任に耐えずして、過ちに過ちを重ねており、しかもそれを、地域において等閑視するようでは、社会に「民主主義(デモクラシー)」の機運は生まれないし、ましてや健全な社会(人権の尊重される時代状況)の創出は絵空事(画餅)となろう。「羅針盤」の機能不全の主因は何処にあるか、毀損箇所は奈辺にありや、それが見つかるとして、はたして、回復・修繕は可能かどうか、改めて質されなければならないだろう。(satoshai yamano・2024/04/07)

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元日の震災 「羅針盤」問い直す【地方紙年頭社説を読む】 元日の夕べに大地震に見舞われた今年、3日付の新聞は、元日付紙面とは天と地のような開きを見せた。年頭社説も例外ではない。内外情勢を見渡し、張った論陣は新年早々、震災で問い直された。「羅針盤」に、油断や死角はなかったか―。新年紙面を交換した地方紙各紙の年頭社説を読んでみる」「ジャーナリズムの両輪は報道と論評だと、元通信社記者で創価大教授だった故新井直之さんがかつて論じていた。/〈いま伝えなければならないことを、いま、伝える。いま言わなければならないことを、いま、言う〉。前段が報道、後段が論評である。/いまは各紙とも被災地の実態に目を凝らし、耳を澄ます、時々刻々の報道が先行している。今回の震災を踏まえ、いずれ論評の「羅針盤」を点検する必要もあるだろう。(以下略)(ヘッダー写真も)(中國新聞・2024/01/18)(https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/412816)(⏪️写真は中國新聞ヒロシマ平和メディアセンター・2023/01/12)

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【明窓】明窓・4月6日は新聞をヨム日 当欄を担当する論説委員になって丸12年が過ぎた。生まれたばかりの赤ちゃんが小学6年生になる歳月。手がけたコラムは500本を超えた。▽ただ上には上がいる。先日の本紙「新刊」コーナーで紹介したが、神戸新聞の1面コラム「正平調(せいへいちょう)」の執筆を通算16年間務めた林芳樹さんが手がけたのは1927本。同じ「コラム書き」ながら、とても足元にも及ばない。▽論を説かず、情けを語り、光の当たらない一隅を照らし続ける。林さんはそう心がけていたという。新聞の1面コラムは読者の喜怒哀楽に寄り添い、頭ではなく心に訴えかけるのが真骨頂。「情けを語る」とは言い得て妙だ。▽ただし「論を説く」のも文字通り、論説委員の役割。新聞社の考えを表す論説(社説)も担うが、コラムに比べお堅いせいか読者の覚えは芳しくない。小説家丸谷才一氏は新聞社の女性論説委員と政府の攻防を描いた長編作品『女ざかり』(1993年刊行)の中で<新聞の論説は読まれることまことにすくなく、一説によると全国の論説委員を合計した数しか読者がいない>と揶揄(やゆ)していた。▽他紙の仲間と顔を合わせると必ず話に出るのが「どうすれば論説を大勢に読んでもらえるか」。写真を付けるなど試行錯誤しているが、要は読み応えだろう。本紙では3面左上にある。試しに目を向け、頭で感じてほしい。きょう4月6日は語呂合わせで「新聞をヨ(4)ム(6)日」。(健)(⏫️写真は本紙3面に掲載している「論説」記事の一部)(山陰中央新報・2024/04/06)

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 「<ぎろんの森>過去を学んで 明日を読む 春の新聞週間」がきょうから始まりました。新聞社などが加盟する日本新聞協会の行事で、進学や就職の機会をとらえて新聞購読を呼びかけています。初日を4月6日としたのは「新聞をヨム日」の語呂合わせ。少し宣伝になりますがお知り合いに新聞購読の輪を広げていただければ、私たちの励みとなります。/新聞週間は秋にもあり、秋は1948年、春は2003年に始まりました。秋は毎年、新聞の在り方を示す標語を皆さんから募集、発表しています。23年度の代表標語は「今を知り 過去を学んで 明日を読む」でした。/東京新聞では春と秋の新聞週間を前に毎年2回「新聞報道のあり方委員会」を開き、識者の委員に本紙の報道について検証していただいています。詳しくはこの朝刊の8、9面をお読みいただきたいのですが、報道、論説に携わる私たちには自らを振り返る貴重な機会となっています。(⤵️

 (⤴️)新聞週間が始まったのは戦後間もない時期でした。当時の代表標語には二度と戦争の惨禍を繰り返さない決意があふれています。例えば第1回の1948年度は「あなたは自由を守れ、新聞はあなたを守る」=写真、同年10月1日の東京新聞1面、第2回の49年度は「自由な新聞と独裁者は共存しない」という具合。当時の紙面には戦中、真実を伝えず、戦争に協力したことへの痛切な反省を感じます。/新聞協会の一員である東京新聞は今年9月、創刊140周年を迎えます。東京新聞は国民新聞と都新聞の戦時合併で戦中の42年に生まれましたが、140年の年月は前身の「今日新聞」以来、積み重ねてきた歴史でもあります。/東京新聞の社説は戦後日本の平和国家としての歩みをとても大切に考え、少しでも戦争に近づく動きがあれば警鐘を鳴らし続けています。それは本紙を含む新聞が、かつて戦争に協力した歴史への痛切な反省にほかなりません。/私たちの新聞が読者の皆さんにとって標語のように「今を知り 過去を学んで 明日を読む」指針たり得ているのか。深く考える1週間にしたいと思います。(と(東京新聞・2024/04/06)

IIIIIIIIIIIIIIII

余話として 新聞各紙の購読者数は激減しています。一市民として、現状と将来への不安と危惧を隠せない。ぼくは新聞購読をやめて二十年以上にもる。理由は単純。新聞が面白くなくなったのだ。「書くべきことを書き、言うべきことを言う」、当たり前の姿勢が著しく歪んでしまったと、ぼくには写ったし読めたのです。わざわざ偏向している(とぼくが判断した)新聞を読むことはあるまい。おのずから、その代替として「ネットニュース」に軸足を移しました。そこには既存の新聞以上に「偏向」「フェイク」「御用記事」などが溢れていました。状況は悪化の一途をたどっているとぼくには思われる。

 ではどうするか、「報道」のない社会、「メディア不存在」の政府は、物言わぬ集団の屍(しかばね)をもたらすしかないと思うばかりです。そこは、悪辣非道な権力保持者の独壇場であります。清濁合わせ存在する時代社会の現実と将来を見誤らないためにも、ぼくたちは、かしこい「読者」であり、かしこい「有権者」であるための義務を放棄・忘却してはならないでしょう。その「ささやかな義務意識」を喚起してこその「新聞(ネット版を含めて)」ではないだろうかと思う。ネット時代だからなおのこと、「報道」「メディア」の甦生を衷心から懇望している)

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春らんまんとランドセルと

 春らんまん 花盛り 山陰両県、桜の名所 一斉に見頃 山陰両県の桜の名所が一斉に見頃を迎えた。各地のスポットは5日、友人同士で散策を楽しむ人やレジャーシートを広げ、会話を弾ませながら花見を楽しむ人でにぎわった。△松江市八束町波入の大塚山公園では、雨続きで閉じたままだったつぼみが次々と開いた。樹齢60年を超える木は枝がしなるほどに多くの花をつけ、風に揺れた。松江観光協会八束町支部によると、今週末に満開を迎えそうという。△公園には真新しいランドセルと少し大きな制服を着た子どもたちの姿があった。まもなく市立義務教育学校八束学園の1年生になる柏木環那さん(6)は「桜がきれいだった。勉強が楽しみ」と胸を躍らせていた。(森みずき)(ヘッダー写真も)(山陰中央新報・2024/04/06)

 「桜がきれいだった。勉強が楽しみ」という一年生の言葉に偽りがあろうはずもない。「勉強が楽しみ」ということを経験できる人は幸せだし、多くの子どもたちはそう願っています。自分で何かをすることは喜びでもあり楽しみでもありますが、「勉強」だけはなかなか楽しくならないのは「無理やりさせられるから」ではないでしょうか。「勉強」という感じは、いかにも窮屈という感じがしませんか。「勉」は「つとめる」と読むのですが、さらに言うなら「はげむ」「はげます」と読めます。それに「強」がつくと、「しいる」「つよめる」「つとめる」「したたか」という働きがあります。なんとも「堅苦しい」「強制的な」という雰囲気が拭えないですね。

 「不思議」と言うべきか、「誰もがそうだ」と言えるのか、ぼくには小学校入学の記憶がないし、卒業の記憶もない。それなら「中学校は?」と自問するに、入学式も卒業式も見事に消えています。高校の入学式の日は覚えている。それは自宅からおふくろといっしょに自転車に乗って出かけたからです。鮮烈な印象となって残っている。だが、入学式の中身は覚えていない。もちろん、高校の卒業式も。第一、そこに自分は参加したのかすら怪しいのです。大学については、言うまでもありません。

 いろいろなところに「入学」「入社」された方々にお祝いのことばを送るのに躊躇するわけでない。でも、本当に目出度いか、と訊かれると無責任にも「おめでとう」とは言わない、言えないのです。教師まがいの仕事を四十数年もしてきて、よほどのへそ曲がりだったと自覚はしています。ただの一度も「入学おめでとう」「卒業おめでとう」とは口から出さなかった。実感がなかったのです。「大学は高校までとは違い、本当の学問をする場」だの、「社会へ出たら荒波が云々」など、毒にもならぬ、つまらないことを話す以上に、自分をしっかりと掴むことですよ、そればかりを言っていたように思います。ぼくは現実に存在している「学校」を否定はしません。いろいろな点で、存在価値があると経験したからです。でも、どうしても言っておきたいのは「学校に身を預けないこと」「学校や教師に倚(よ)りかからないこと」ですよ。学校の成績を上げることは、自分の大事な部分を壊さないではなし得ないと、ぼくは心底学んだと思う。その意味では、ぼくにとって「学校の意味」や「教師の価値」はあった。屑みたいな人間が教師の仮面を被っているという、実に驚愕すべき(少し大げさだ)現実に、ぼくはつねに不審の念を隠さなかった。

 ぼくにもいる、たった一人の孫(女性・横浜在住)が中学生になると言う。美しい花でも送ろうと思い、メッセージを添えておきました。彼女は小学校をどのように経験したか。おかしいことはおかしい、間違いは間違いとはっきり言えるような人になってほしいと心底から念じている。そして、これもつねに言うことですが、「いい人とは?」と訊かれれば、「(できる範囲で)困っている人の役に立てるような人」と、迷わず言えて、それを実行できる人。これも彼女に話してきた。

 「A子 さま
新しい学校になれるには少しは時間がかかるかも。
無理をしないでゆっくり生活するといいですね。
自分のしたいことを見つけるのにあまり役に立たない
のが学校。長く付き合える友だちがいるのも学校。
あなたの年上の友人(と勝手に思っている) ◯✖より

 「倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ」と茨木のり子さんは言った。彼女がそのように断言できたのは、戦時中、実に明白に彼女は「倚りかかった」からです。何にか、戦争する側の「命令」に、在学していた女学校の「価値観」に。彼女は、驚くことに「学校優等生」だった。取り返しのつかない過ちだったと、後に気がつく。「ながく生きて 心底學んだのはそれ(倚りかからず)ぐらい」というが、並大抵では、人間はそうはならない。「戦争が間違っている」「戦争に加担する学校も間違っている」と、戦後も数年経って、はっきり彼女は気がついた。(⏪️写真は「倚りかからず」を自覚した後。⏩️写真は「優等生(倚りかかっていた)時代」)

 学校は「世間の価値観(優劣とか貧富とか上下とか)」を植え付ける場所。つまり「不平等」「差別」があって当然で、だから、「差別されないようにする」ために勉強するんですよ、というのでしょ。「自分のしたいことを見つけるのにあまり役に立たないのが学校」だ。でも、「長く付き合える友だちがいる(みつかる)のも学校」と、この簡単なことを、ぼくは本当に経験から学んだのです。多くの「あたらしいひとたち」にも、同じことを伝えたいし、「行きたくなくなったら、いつだって行かなくていいよ」とも言っておきたいですね。

 そして、「長く付き合える友だちがいるのも学校」だと。誰にとっても「学校は諸刃(もろは)の剣(つるぎ)」です。「両方に刃のついた剣は、相手を切ろうとして振り上げると、まず自分を傷つけるところから) 相手に打撃を与えると同時に、こちらもそれなりの打撃を被るおそれのあることのたとえ。また、役に立つものも使い方によっては、危険なものになりうることのたとえ」(精選版日本国語大辞典)

 他人を傷つけるとは、自分を傷つけることと同じなんだ。自分が安全(無傷)なままで、他人を傷つけるというのは、あり得ないのだが、その事実に気がつく人がきわめて少ないんですね。他人を傷つけると、自分もきっと傷を負っているんですね。そのことに自覚が働かないのは、どこかが壊れている証拠です。とても可愛そうなこと。学校は治外法権の租界地ではないし、無理が通るような裏社会でも、階級社会でもない。学校は紛れもない、一つの社会です。「新しい人、負けないで!」(でも、時には、いや、いつだって「負け」てもいいさ。「負けるが勝ち」、自分を失わないなら、ね)

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consideration for others

【斜面】レンズをのぞく笑顔が見える 一人で杯を傾けていた晩酌に付き合ってくれる親切な者が現れた。拾われて1年半前から暮らす猫だ。真正面に座って、まあるい瞳でのぞき込んでくる。こちらものぞき返す。たぶん言いたいことも同じ。「そこで何をしているの?」◆ようやく信頼したのか、近寄るように。姿勢を変えずにあくびをし、目を閉じた。ちょっとそのまま―。スマホのカメラを立ち上げ、カシャ。あー、動いちゃった…。どうもシャッターチャンスに恵まれない。スマホの中は彼女の画像でいっぱいである◆本紙1面「こと映え」を見るたび、いい場面をうまく切り取るなぁと感心している。掲載を始めて今月で5年だ。すべて切り取って、とってある。最近では3日付の「平穏無事」が特に心に残った。こたつと窓の間でくつろぐ犬と猫が、穏やかな日常のぬくもりをよく伝えている◆写真と言葉の組み合わせの妙を楽しみながら、レンズを向ける人の笑顔も想像する。物理学者の寺田寅彦は飼い始めた子猫が「私自身の内部生活にもなんらかのかすかな光のようなものを投げ込んだ」と書いていた。そばにいる無垢な存在はみなそうだ◆投稿のためにLINEに登録している人は現在約7700人。今も増えている。新聞は世情を映して暗いニュースが絶えないけれど、当欄の左側にともった柔らかな明かりに、めくる手も軽くなる気がする。4月6日は「新聞をヨム日」。支えてくれる投稿者の皆さんと愛らしい命に感謝。(信濃毎日新聞・2024/04/06)

 「花時の雨」というらしい。昨夜来、小降り続き。もう小一時間ほど、この「こと映え」の写真を見ています。猫好きが多いし、犬好きもまた。あまり人のことは言えぬが、ぼくのところにも数だけは誰にも引けを足らないほどいます。すべてが、今風に言うなら「保護猫」です。かれこれ、二十人(と言ってしまう)。学校なら「一クラス」編成です。もちろん、全員に名前があります。「ものあれば名あり」ですから。しばしば訊かれます、「猫が好きですか?」好きだと言えばそうだが、好きだから「二十も」というのはどうでしょう。嫌いなら、こんな酔狂なことはしませんから、好きであるに違いないし、連れ合いが嫌いだったり、猫アレルギーなら、こうはならなかった。

 そもそもの始まりは。連れ合いが、当地に越してきて、野良猫に餌をやりだしたから。困った仕儀になったと思ったが、もうだめ。気がつけば、大所帯。(ここまで書いてきて、玄関前で「喧嘩騒ぎ」、我が家の♂と隣家の♂が「一触触発」です。とるものもとりあえずず、いや、ゴルフクラブ(一番アイアン)一本を持って、飛び出す。「喧嘩両成敗」というわけ。怪我でもされたら、大事。動物病院はいつも無保険。目玉が飛び出るほどの治療費がかかります。ぼくは、いつ何時でも「飛び出す」体制で、真夜中であろうが、大雨であろうが、「鳴き声」が聞こえたら、ゴルフクラブを手に。本来は防犯用のゴルフクラブが十本ほど常備されている)

 じつは、隣家(約三十メートルほど離れている)にはたくさんの猫がいる。ほぼ野良猫状態。たまに「ドライフード」を与えているようだが、しょっちゅう我が家に入り込む。つねに食料があるからだ。隣家では、多い時には二十はいたと思う。年に何度もお産をするから、数は増えるが、いろいろな理由で育ちきらないで亡くなる。子猫が我が家の敷地で、これまでに数匹亡くなっている。もちろん手術もしないし、病気にも罹患する。おそらく、拙宅の猫も、発端はすべて隣家からだろうと考えている。仲間はずれにあって、流れてきたかも。隣家はよくわからない男性の独居状態ですから、こうしてほしいと、なかなか注文が出せないままで来てしまったと思う。少なくとも、ぼくのところにいる猫はすべて「避妊」「去勢」手術は施した。隣家の猫たちのこの先をどうするか、思案中です。それはともかく。

 猫の気持ち、などという。分かる人が多いのですね。ぼくにはわからないほうが多い。喧嘩をせず、病気をせず、超高齢にもならずに、そんな勝手なことを願っています。我が家を訪ねたいという奇特な人には「猫がたくさんいますよ」と、説明している。猫アレルギーが出る人なら気の毒ですから。ぼく一人で住んでいた頃は、いつでも五人も十人もが泊りがけで来た。ぼくは「宿屋飯盛」を自認していました。それはそれで結構でしたが、猫と同居するようになってからは、泊りがけはなくなった。いいことなのでしょうかね。この「こと映え」を見ていると、本当に「人間というのは根は優しいのだ」と思いこんでしまいそう。それは錯覚で、びっくりするほど「凶悪」なのもいるのです。(犬に関しては別稿で書きたいですね)

 コロナ禍で、ペットを買う・飼う人が増えたと言われます。他国では「ペットショップ」廃業という法律ができている時代です。この国では、漸くその端緒についたばかり。ペットショップやブリーダーという商売人の内情を知れば知るほど、なんとかして「ペット」「愛玩」視するような「動物のペット化」は止めてもらいたいと真剣に考えている。好きだから「飼う」、飽きたから「捨てる」というのは、犬や猫の「人間化か」と錯覚してしまう。好きでいっしょになり、嫌いで別れる、生まれた子どもはどうするのかという、悍(おぞ)ましい問題の収束する気遣いがない事態を前にして、ぼくたちは解決策を打ち出せないままでいる。

 ぼくのところには、年中、保護猫問題に関する署名や募金の依頼が飛び込んでくる。同時に「ひとり親家庭」や「食事に恵まれない子ども」への援助や寄付の依頼も絶えないのですが、この二つの問題の根っこは、まったく同じだと痛感しています。「人間の勝手(human selfishness)」です。他者(生き物)への、いささかの思いが持てないのは、なぜだろうと、ぼくは老いてなお考え続けています。

 「こと映え」のような企画が増えることは望ましいことですけれど、それが関心を呼べば呼ぶほど、忘れ去られている「いのち」があることに思いが及ぶのです。信毎新聞にも、声を大にして呼びかけたいですね。物事には必ず「裏と表」があります。「自慢のペット大集合」は大人気を集めるでしょう。でも、その脇に、多くの犠牲者(ペットになれなかった動物たち)がいることを、ぼくたちは忘れたふりをしていんじゃないですか。(わが老夫婦は、猫たちに囲まれて「破産寸前」です。身の程知らず、かな)

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