誰にもわからぬ「こころのうち」が

【有明抄】4人に1人の記憶 車にはねられたのか、けがをした猫が道路に横たわっていた。見つけた女性が動物病院に運び、治療後、自宅に引き取った。つけた名前は「つう」。「いつか恩返ししてね」と、昔ばなし「鶴の恩返し」になぞらえて◆あるときから、つうは不思議な行動を始めた。毎朝、枕元で飼い主を起こす。目を覚ますまで前足で髪の毛を引っかくのである。必ず時間は決まっていた。午前5時46分より前。つうが飼い主と被災した阪神大震災の発生時刻である◆名前通りの恩返しだと、メディアは美談に仕立てた。しかし当時、被災者のケアに当たった神戸の精神科医中井久夫さんの見方は違っていた。同じ時刻に目が覚めてしまう自身の体験から、ひと以上に繊細なペットたちの深い「心の傷」を読み取った◆災害後、多くのひとがストレスによる不調を訴える。うち75%は自然に回復するという。ただ、心の傷も身体のけがと同じで、かすり傷から致命傷までさまざまである。か弱い生き物のように、4人に1人は治りにくい傷を抱えて生きる◆それは明日もきっと平穏な日が訪れるという、この世界に対する「信頼」を失うことでもある。熊本地震の「本震」から8年。もう、なのか。まだ、なのか。忘れられない思いを置き去りにして、私たちは「復興」という美談を急ぎすぎているのかもしれない。(桑)(佐賀新聞・2024/04/16)

 まえがき ドイツ(ミュンヘン)で生まれ、後にアメリカに移住した音楽学者のアルフレッド・アインシュタイン(⏩️写真)(1880~1952)(だったと思う)が、「死ぬというのはモーツアルトが聴けなくなることだ」と言った(と記憶しています)。逆に言うと、彼にとって生きているのは、モーツアルトといっしょにあることだったと、若い頃にとても驚き、かつその音楽への傾倒ぶりに打たれたことがありました。音楽が好きだけれど、死ぬほど好きだけれど、どこまで行っても「音楽は音楽だ」という想いがぼくにはあった。彼の「顰(ひそみ・ひん)」に倣って、「ぼくにとって死ぬというのは、もはや桜が見られないことだ」と気障(きざ)なことをいっていたものです。いまだって、その気分は強い。実際に、この後、何回桜の花を見られるかということがしきりに考えられたりします。

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 その「桜前線」も東北方面まで北上し、今年の桜花も、拙宅近辺ではあらかた消えつつあります。とは言っても、桜木が枯れない限りは、いつでも眼にすることはできるのです。同じ存在でも、華やかなときもあれば、そうでないときもあります。山もあれば谷もあるということ。でも、それもこれも「同じ桜」に変わりはないと思えば、なんだって、ぼくには愛おしくなる。能登半島における被災各地の桜の見事な開花模様が当地の新聞テレビなどで報じられています。それを見ているだけで、そぞろ胸にこみ上げてくるものがある。

 残念なことに、ぼくには能登における桜の思い出はほぼ皆無ですけれど、たった一つ、おそらく小学二年生頃に描いた「校庭の桜」が強く印象づけられている。いろいろな桜の花の色を見るにつけ、花の色の原点となったものと言っても過言ではありません。鮮やかな桃色、それが桜の花の色でした。染井吉野だったろう。確かにクレヨンで思い切りピンクと白を使った記憶もある。そのクレヨンは京都の親父から送ってきたものだった。絵の構図も頭の中ではしっかりと、色付けされて残されている。右の写真の右側に植えられていた桜を写生したと記憶しています。もう七十年も前の小学校の校庭の場面です。(右は「熊木小学校(現七尾私立中島小学校)」小学三年生頃まで在学、このあたりはきわめて記憶は曖昧で、そのままにしている)

 一月朔日の能登半島地震のことが忘れられない。ぼく自身が「被災」したように、なおも心が痛みます。本日の「有明抄」の中にある「つう」という鶴ではなく、猫。保護主と同じように「阪神大震災」の被害に遭遇したのだたと言う。いわゆる「PTSD(posttraumatic stress disorder)」(心的外傷後ストレス障害)という言葉をこの社会に定着させたのは中井久夫さんだった。地震発生当時、神戸大の医学部の教授(臨床医)だった中井さんの活動は、この「PTSD」問題に関しても深く記憶されていいでしょう。この「つう」のことを中井さんはどこかで書かれておられたかも知れませんが、ぼくは覚えていない。でも「同じ時刻に目が覚めてしまう(中井さん)自身の体験から、ひと以上に繊細なペットたちの深い『心の傷』を読み取った」という中井さん、これは、忘れがたい「認識」だと、ぼくには思われてならないのです。

 「ペット」が負った「深い傷」という指摘に、ぼくはいつでも立ち止まらざるを得ない。この駄文収録にも繰り返し書いていますが、我が家にはたくさんの「保護猫たち」がいる。その大半はこの敷地内やその近くの林などで生まれた猫たちであり、ここに書かれているほどの「深い傷」は負っていないかもわからない。しかし、我が家にたどり着くまでにどんな経験をしたかも知れない「親」から生まれただろうことは想像できる。いまなお詳しいことはわからないままです。最近やってくるようになった、家の中には入らないが食餌だけを取りに来る子がいる。二ヶ月以上にもなるでしょうか。このところ、敷地内の建物の何処かで寝ているようです。(車庫やその横の物置にしている空間などには寝る場所は、いくつか作ってある。時々布団や毛布類は天日干しをしている)

 この子も、どこで生まれてどうしてここに来ているのか、ぼくにはわからない。なかなか警戒していて、とても触らせはしない。でもやがては「手術」もしなければならないだろう。そんな猫たちと暮らしていて、とても「ペット」だ「愛玩動物」だなどと、一人前の「飼い主(owner)(patron)」になりきれない自分がいつもいるのです。誤解されるかもしれないけれど、ぼくはいつだって「猫と暮らす」、そういう思いが強いのです。ひとクラス(二十人)分ほどの猫たちと暮らすのは、なかなか大変だし、一つ一つの性格が違うことが時間とともにはっきりしてくる。もの好きだと自分でも思うが、「猫と暮らせば この世は春だ」というのではありませんけれど、いろいろなことが分かってくる気がするのは確かです。いつでも分相応に、できる範囲で、それを心掛けて生きています。けっして、「猫を買う」「猫を飼う」ではない。もちろん「猫を被る」ではさらさらない。

● PTSD「恐ろしいことが起こると、多くの人に長く続く影響が生じます。一部の人では、この影響があまりに長引き、かつ強いために衰弱をもたらし、精神障害となります。一般に、PTSDの原因となる可能性の高い出来事は、恐怖、無力感、戦慄の感情を引き起こす出来事です。戦闘、性的暴行、自然災害や人災がPTSDの原因としてよくみられます。しかし、身体的な暴力や自動車事故など、圧倒的で生命が脅かされると感じるあらゆる体験が原因になる可能性があります。/このような出来事は、直接的に経験される場合(重傷を負ったり、死の脅威にさらされたりしたなど)もあれば、間接的に経験される場合(他人が重傷を負ったり、殺されたり、死の脅威にさらされたりするのを目撃した;または近親者や友人に外傷的出来事が生じたことを知った)もあります。外傷的出来事を1回経験した場合もあれば、よくみられるように、複数回経験した場合もあります。/同じ外傷的出来事なのに、なぜある人では症状が生じず、他の人では生涯続くPTSDの原因になる場合があるのかについては分かっていません。また、同じ外傷的出来事を長年にわたり何度も目撃したり、経験したりしていてもPTSDを発症しなかったのに、その後見かけ上似たような出来事を経験した後に発症する人がいる理由についても分かっていません」(MSDマニュアル・家庭版)(https://www.msdmanuals.com/ja-jp/home

 「災害後、多くのひとがストレスによる不調を訴える。うち75%は自然に回復するという。ただ、心の傷も身体のけがと同じで、かすり傷から致命傷までさまざまである。か弱い生き物のように、4人に1人は治りにくい傷を抱えて生きる」

 しかし、治ったと思われる人だって、何かの拍子に「傷跡が疼く」ことが起こる。いつだって、どこまでも「心的外傷」は完治しないと、ぼくは考えている。ぼくにも「よくないこと」(「いいこと」も含めて)、さまざまな「心的外傷」といいたくなるようなものはあります。それを口外はしないし、秘密にしているつもりもありませんが、長く生きるというのは、「よくないこと」(「いいことも」も含めて)を、否応なく経験することなんですね。あるいは「辛いこと」「楽しいこと」と言い換えてもいいでしょう。その混合が、すなわち「人生」「生きること」なのだと、ぼくは体験から学んだ。もう一つ、誰にもあるでしょうが、ぼくには「ここに捨てられているのはぼくだ」という惻隠・惻切の感情がある、それもかなり強くある。捨てられている「猫」であれ「犬」であれ、あるいは、地震や事故の被害者であっても、辛い目にあっている「それは自分だ」という想いがきっと生まれているのです。

 「熊本地震の「本震」から8年(註、2016年4月14日~16日)。もう、なのか。まだ、なのか。忘れられない思いを置き去りにして、私たちは『復興』という美談を急ぎすぎているのかもしれない」

 もちろん、このように言われる課題(社会的健忘症)があることは事実でしょう。悲惨な出来事に、自分は無関係であると思いきれる人はいるでしょうし、それはそれ。でも、どこでどんな悲劇が起ころうが、悲惨な目に遭ったのは「自分かもしれぬ」と思う人もいるだろうし、「あの人は自分の代わりに苦しんでいる」「犠牲になったのだ」と考えてしまう人もいるのです。「納得のできない戦争の犠牲者」が日々生み出されている。遠く離れた地にいて、何も出来ないままに手を拱(こまね)いているしかない、そんな日常をぼくたちは送っている。何ができるか、何をすべきか、その方法も見つからないのが当たり前になっている。

 赤の他人の不幸や悲劇に同情することはあっても、三日もすれば、それも忘却の彼方に消えるでしょう。でも、自分の親しい人の不幸だったらどうか。親が重篤な病気で床に臥せっているのを知ると、ぼくたちは、どうする、どう思うでしょうか。「父は病気である」という事実は、「自分は病気ではない(健康である)」という「事実の意味」を変えるのではないでしょうか。「健康」であるというのは、偶然ではなく、「恩恵」であるとまで考えることがあるかも知れない。ウクライナや中東で「戦争の犠牲」を強いられる人々の存在を知るのは、「自分が生きている(無事である)」という事実の意味を再把握することに繋がることにならないとも限りません。これはぼくに起こる、ある種の「反応」です。のんべんだらりと(無為に)生きるのも人生の一コマ。他人の不幸を想い、のんべんだらりとではない「生活」に目覚めるのも人生の一コマ。

 「忘れられない思いを置き去りにして、私たちは『復興』という美談を急ぎすぎているのかもしれない」というのも、あるいは、一つの社会的な「PTSD」の症状だといえるなら、置き去りに出来ない思いを胸に、自分にできる範囲の「復興への参加」を心がけようとするのも、別種の「PTSD」の顕れだと、ぼく自身は勝手に考えて、それを密かに心がけようとしているのです。(⏪️中井久夫さん)

● 中井久夫【なかいひさお】= 奈良県に生まれ兵庫県宝塚市,伊丹市で育つ。1951年,京都大学法学部に入学するがその後医学部に転じ,1959年卒業。ウイルス研究から東京大学付属病院勤務中に精神医学に転向した。1975年,名古屋市大助教授。1980年,神戸大教授。1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)に際し,いちはやく被災者のこころのケアの必要を提唱,兵庫県こころのケアセンター初代所長に就任する。統合失調症の権威。PTSD(心的外傷後ストレス障害)の研究にも取り組む。東日本大震災に際しても精神医学者としてケアの必要を訴えている。現代ギリシア詩の翻訳やエッセイの執筆でも知られる文章家でもある。著作に《分裂病と人類》,《治療文化論》など。他に《中井久夫著作集》全6卷がある。2013年文化功労者。(1934―2022)(マイペディア)

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何が何でもやらねばならぬ

 万博はどんなことをしてでも開幕する。とにかく形はどうあれ、幕を明けることだけが目的、中身はいらない、それが主催者の本音(real intention)。その「ごみの山」にはとてつもない利権が「轉がっている」「埋まっている」からだ。私的企業の「カジノ」のために公共インフラ(道路や上下水道、鉄道、高速道など)を税金で、とは行かない。だから、(亜米利加に強いられた「カジノ(賭場)」を実現するための前座事業を)国家事業という名目に、そこに「万博開幕」を持ち出し、その実質(内容)はゼロ(空虚・浅薄)でも、開くことにすれば、それを「公共事業」という名目で、好き放題に税金が使えるという算段。だから、「東京五輪」並に、たとえ「無観客でも、開くでえ。文句あんのか」と、招致した側は舐(な)めた態度を取っているのだろう。どんなにごまかそうと、嘘をつこうと、開幕まで漕ぎつければ、それでいいだけ(後は野となれ山となれ)。「騙る(かた)に墜ちた」とは、このようなことを言うんやろね。

 政治も行政も最低・最悪になってしまった。それを嘆いても始まらないのであって、選挙の際には、「一矢も」「二矢も」報いてやらねばならないだろう。年々、着実に沈んでいく埋立地に「楼閣」ならぬ「賭博場」を、それもアメリカの元大統領の「脅迫」で作るという、でたらめな構想自体が水物・際物。関西空港は「飛行場」という上モノを予定して埋め立てた。それでも想定以上に沈下していると言う。

 大阪中の生ゴミを投棄して作った「ゴミの島」、それを「夢洲」と命名するところが、いかにもエセ詐欺師という胡散臭さが芬々と漂う(その先鞭は東京都・「夢の島」だった)。メタンガス発生が止まらない埋立地に「空想定3000万人」の入場者を呼び、取らぬ狸の皮算用とは、大阪商人も墜ちたもの。でも、これは大阪に限らないことで、大阪に負けじと京都や奈良、あるいは和歌山・兵庫などなど、公共事業という名前でエゲツナイ計画が目白押しで、公金の私的流用を、いわば「マネーロンダリング」しているのだ。大阪に毒されたのだが、その停留には「維新悪漢」たちが暗躍しているのだ。「今さえ、上辺さえ、自分さえ」いい思いをすれば、後は野となれ山となれという、悍(おぞ)ましい人生どもの「総花会場」、それが「大阪万博」という「砂糖の山」に蝟集し、蠢動する魑魅魍魎というものの実態ではないでしょうか。「公共事業」とは、別名「人心破壊計画」でもあることを忘れないようにしたい。

 今日では「追い剥ぎ(robbers)」や「山賊(bandits)」も、白昼堂々と都会地で悪行狼藉を働くのだ。なんのことはない、今の時代、山も町も泥棒たちの住処になったというばかり。東西南北、この小島のいたるところに「公金泥棒」が屯(たむろ)していたのだし、あろうことか、それを贔屓(ひいき)にしてきた民衆・人民たちがごまんといたというのも事実。「金のなる木(フチベニベンケイ)」という植物がある。万博にしろ五輪にしろ、その手のイベントは、ある特定の集団にとってはこの上ない「金のなる木」だというのでしょう。

 面倒だから出しませんが、戦後に限って「五輪招致」「各種万博招致」に費やしたエネルギーは裏も表も含めて膨大なものがあったし、それを埋め合わせて余りある「余得」、いや「報酬(実り)」があるということでしょう。何事もまずは計画です。公共事業ということにすれば、小さく初めて(産んで)大きく育てるという「山賊方式」というのか、「盗人システム」というのか、とにかく「税金」のぶんどり・山分け合戦でした。ぼくはこの国が、こんなに金塗(まみ)れ、公共事業依存症になった理由や原因のいくつかは知っているつもりですが、それをここで暴く気も起こらない。いわゆる「政・官・財」というべきか「官民一体」というべきか、そのコンビやトリオが悪知恵を働かせて、金まみれの醜態を演じるという「悪政」は留まるところを知らないのです。愚行の軌跡からは「死屍累々」というべき、「怨嗟」「怨念」の声明(しょうみょう)が聞こえる。正官民の歴々は、人民(民衆)を惑わす「お題目」を声高に唱えて、無知の民衆を虚仮にしながら、ある方向に誘導し、気がつけば後戻りできないところにまで引っ張ってきて、放り投げる。やがて、「こんなにひどいことだったか」と、民衆は気がついても「後の祭り」、この繰り返しだった。

 五輪や万博などは、ダム建設や高速道路、飛行場建設と選ぶところのない「公金収奪」「税金横領」が堂々と、しかも法網に捉えられる患いなしに可能になる年中行事なんです。この小さな島に一体にどれだけの「公共事業」がばら撒かれて来たことか。どうしてこんな「犯罪行為」が営々と続けられてきたか。その事情は複雑ではないと思う。要は「砂糖に群がる」シロアリが絶えないからでしょう。ひょっとして、多くの歴々は「自分もその一味ではなかったか」と胸に手を置くといいですね。いささかの思い当たるフシ(節)もないという御仁も、実は、応援団だったということに気がつくはずだ。「公約と選挙」「候補者と選挙民」の、不実・不純極まる関係を如実に示している、その代表・典型は「現都知事小池某」ではないか。効き目のない膏薬(公約)をベタベタ貼り付ける。しかし、ひとたび当選すればそんな膏薬・絆創膏はゴミ箱行き。そして選挙民もまったく忘却の彼方。これの繰り返しが「自らの墓穴」をともどもに掘っていることになる、それに気が付いても取り返しのつかない「後の祭り」なのさ。

  (以下は「『五輪中毒』の日本 招致・開催に費やした期間は戦後延べ59年間 症状深刻、処方箋は…」)(東京新聞・2022/01/29:https://www.tokyo-np.co.jp/article/156673

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【少社会】万博まで1年 巨大なカプセルにモデルが入る。ジェットバスのように泡が噴き出し、全身を洗う。1970年の大阪万博で1日に数回、実演された「人間洗濯機」は人気だったが、実用化されずじまいだった▲いや、“挑戦”は終わっていない。今や80代となった当時の設計者が若い技術者と組み、大阪・関西万博で再び人間洗濯機を展示するよう準備を進めているらしい▲時を隔てて再び夢を追う人は、大阪万博の頃には20代だった。この人に限らず、当時のスタッフは若手が主流だったという▲その万博を彩った、例えば建築家の黒川紀章さんは開幕時に35歳。美術家の横尾忠則さんは33歳。コシノジュンコさんは30歳…▲「万博の歴史」(小学館クリエイティブ、平野暁臣(あきおみ)さん著)によれば、未知の万博にベテランの経験値は用をなさず、〈若い情熱や探究心が最良のエンジンだった〉。それから55年後の博覧会のエンジンはさて、何だろう。大阪・関西万博の開幕日までちょうど1年になった▲経費は膨らみ、準備は遅れて…と、いい話はあまり見聞きしないが、子どもや若い世代が明るい未来をのぞく場であることは古今、変わらない。人間洗濯機の技術者は、いつか介護の分野で実用化されることを望んでいるという。その夢を若い人につなげ、託す好機になるといい。(徹)(長崎新聞・2024/04/13)(ヘッダー写真はMBS NEWS・2024/02/11)

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 今は亡き村田英雄という歌手が歌ったド演歌「王将」(「餃子」屋さんではない)、作曲はぼくの大好きな船村徹さん、作詞は大嫌いな西條八十さん(昭和36年発表。その三年後が「東京五輪」でした)。今から考えれば、どんな手を使っても、どんなに批判されても、とにかく「開催に漕ぎつけるで」「死んでもやるんや」と、特攻まがいの、死物狂いに「初志貫徹」の趣を隠さない汚れきった面々の「悪戦苦闘」ぶりを、坂田三吉に擬して、堂々と謳っていたと判じられていくるのです。歌詞の全部を出すまでもなく、その一部をつなぎ合わせて。「吹けば飛ぶよな将棋の駒」とは「地位」「名誉」「富」などという浮世の芥溜(ごみだめ)に落ちているような代物・鍍金物ではないでしょうか。「俺の投資(闘志)がまた燃える」って、メタンガスの溜まり場なんですから、君たちの足元は、さ。

「吹けば飛ぶよな将棋の駒に」「賭けた命を笑わば笑え」
「あの手この手の思案を胸に」「何が何でも勝たねばならぬ」
「空に灯がつく通天閣に」「俺の闘志がまた燃える」

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「徒然に日乗」(530~536)

◯2024/04/14(日)予報によると、この先、一週間以上は好天がつづくと言う。気温も高い。午前中に裏庭の草取り。気持ちいいくらいに伸びている。今年は第1回目。おそらく年に四回ほどはしなければいけない作業だ。久しぶりだったので、なかなか骨が折れる。二時間もやれば、疲労が募る。少しずつ、ゆっくりすれば、いつかはきれいになる。でも、最初に除草したところにはもう新しい草が生え始めるのだ。▼二十四年目の「愛車」に載って少しドライブ。このところかみさんの車にばかり乗るので、せっかく新品に変えたバッテリーには可愛そう。これからは意識的に乗るつもり。近所の桜を見たり、そろそろ田植えが近い田んぼを見て回る。おおよその見当だが、今年も更に「休耕田」が増えていきそうな気配。▼(536)ドライブから帰ると、玄関前で猫が盛んに何かをしている。虫などを弄んでいるのかと近づいてみると、スネークだった。体調は50センチほどか。よく見ると、どうも「ヤマカガシ」のよう。生きてはいなかったから、咥えて持ってきたのかも知れない。危うく家の中に持ち込まれるところだった。林や竹藪の中にはかなりの種類のスネークがいると思われる。これまでにも何匹か家に持ってきたことがある。最近は、それらは庭には出なくなったようだが、当方が気付かないだけかもしれない。用心するに越したことはない。これが「自然環境」というものの実際(のほんの一部)だ。(536)

◯2024/04/13(土)朝6時半ころに「生ゴミ」を出す。前回は雨天だったので、出しそびれていたもの。朝から好天で、久しぶりの暖かい日であった。いつも通りに「駄文録」を書き終わってから、溜まっていた燃やせるゴミや段ボール類を償却した。また、しばらく放置しておいた庭の草類がかなり伸びているので、そろそろ除草作業に取り掛かるべく、ほんの少しばかり取り除きはじめる。明日からは、天気がいい限りは除草作業をするつもり。運動不足が著しいので、体力の衰えが激しいのを痛感する。少しばかりは、ストレッチを初め出しているが、どれだけ効果があるか。小さな猫が家に来て以来、ちょうど伊知念。この間、夫婦で家を開けることは一切なくなった。これからは、散歩ぐらいは、一人でできるだろうか。(535)

◯2024/04/12(金)快晴でも、温度は低く肌寒い一日だった。午後に買い物。牛乳など。▼庭の草がうんと伸びている。そろそろ草刈りをする時期になった。例年より少し早めに、庭や家周りの掃除などをしたい。落ち葉類が酷く、屋根や樋にうず高く溜まっているので、水捌(みずは)けが著しく悪い。面倒な作業だが、ゆっくりと進めたい。▼夜九時半すぎにYさんから電話。聞くからに憔悴している風が思われた。それも彼の性分だから、何を言っても始まらないと諦めている。奇妙な人物だと思う。(534)

◯2024/04/11(木)昼前に猫のドライフードを購入しに近所のHCへ。その間、かみさんは美容院に行っていたので、彼女の帰宅後の午後四時過ぎに買い物。いつも通りに牛乳など。久しぶりに天気になったが、気温は思ったほどは上がらなかった。それでも、凌ぎやすい一日。車で近間を走れば、まだ桜は見頃を保っている。車を走らせながら見ただけだったが、茂原公園や豊田川両岸などの桜並木はなかなかのものだった。(533)

◯2024/04/10(水)快晴は何日ぶりだろうか。本日は終日自宅内に。三時ころか、保険会社の代表が来宅。火災保険と地震保険の継続切り替えの書類を持参。5年分一括で32万数千円。保険料の高騰も目立つ。書庫と車庫も合わせてとも考えていたが、今回(現時点で)は見送り。さらに考えることにする。(532)

◯2024/04/09(火)午後もしばらく雨は降っていたが、予報よりは激しくならなかった。それにしても「花に雨」とはいかにも非情か。今年の桜も、この近辺では、もう花時は終了したよう。各地の花見もさまざまな人間模様を見せていた。▼四時頃に買い物。夕食は魚屋の「握り寿司」にした。最近、カツオのいいのが入荷しているようで、楽しみが増えた。勝浦からのもので、今年はできるだけ堪能したい。以前だと、初鰹から戻り鰹まで、ほぼ一年中、楽しみにしながら呑めたことが嘘のよう。もう十年、一滴も呑まなく鳴って、酒なしで鰹を食べている。自分でも奇妙な気がしている▼季節時か、猫の争いが絶えない。大事には至らないで助かっているけれど、いつでも可能な限りで、「仲裁」に走る。怪我でもされては大変だ。家の猫たちは手術をしているが、「相手」はたぶん未手術。だから、それ程に激しい喧嘩にはならないだろうが、油断はできない。猫は夜行性でもあるので、なかなか見張りが大変。(531)

◯2024/04/08(月)午後、小物を買いに100円ショップに。時々出かけるが、なかなかの品物揃いで、とても助かっている。植木用のビニールタイ、台所の三角コーナ水切り、単4の電池など。本年二月に亡くなられた「DAISO」の創業者の発想がとても面白く、その哲学をゆっくりと読み、学んでみたいと思っている。「きっと潰れるはず」というのが商売の原点だと言われていた。広島出身の医者の息子。医者にはならなかったが、商才には凄いものがあったという話になる。(530)

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人間の生活をなんと心得てるねん

〈週のはじめに愚考する〉(第拾五)~ 能登半島地震の復旧・復興作業がはかばかしくない状況がさまざまな角度から報道されています。地震発生当初から、このことは指摘されていました。端的に言うなら、輪島市や珠洲市などは少子高齢化が顕著であって、そんなところに「無駄な財政支出」は出来ないというもので、この政治的選択・差別化は今もなお、強く残り続けていると思われる。さきごろ、財務省の一審議会が「将来の需要減少や維持管理コストも念頭に置き、住民の意向を踏まえ、十分な検討が必要だ」と報告した。「住民の意向」とは「だれの意向」なんですか。

 また、そこで強調されている「無駄な財政支出」とはどういうことを指すのか。来春の開催が危ぶまれている「大阪万博」は、おそらく国家的財政浪費の代表格だと見られますが、それを知りつつ、無駄な投資を強引に継続させている理由はなんでしょうか。(「万博開催」は露払いで、その後の「カジノ」こそ本丸。これを実現するためにはいかなる批判にも耳を貸さない。たった半年間の万博のために一兆円物金が「溝に(似たようなものだが、あるいは誰かの懐に)」捨てられるとして、誰が責任を取りますねん)この問題は、稿を改めて綴る予定)計画そのものが、莫大な詐欺行為であり、公金横領であり、税金収奪であり、利権に群がる有象無象への「公金のバラマキ」ではないでしょうか。「カジノの本体」はスポーツ賭博で話題になった日本人野球選手の通訳だった人が陥った「マネーロンダリング」の巣窟だし、この企業を強引に大阪夢洲に誘致させられたのは故元総理だった、強いたのは亜米利加元大統領Tだった)(ヘッダー写真は北國新聞・2024/01/03)

 「財政審提言」を受けて、石川県知事は「復興計画を検討している時に冷や水をかけられたような気持ちだ。気分が悪い」と述べた。一応は知事として文句を言った風には見えますが、「その心」はどうか。「気分が悪い」で済ませていいんですか。ぼくは当初から、隣県・富山出身知事の言動には(当選時から)不信感しか持てなかった。今なお東京在住で、被災地の住民にいかなる顔向けができるのかと言いたい。問題の核心は「少子・高齢化」であり、都市圏への人口集中政策の弊害にあるにもかかわらず、これを長く放置するばかりか、なおそれを推進している政府行政の責任(罪)をこそ問うべきだと考えている。もちろん、都市圏への人口集中と言っても、それぞれの都市圏域においても、更により中心部への一極集中が加速されているのだ。(国内における大都市圏の「ドーナツ化現象」は各都市圏内における「ドーナツ化現象」に重なる)

 「住めば都」という表現があります。その意味は「どんな所でも、住み慣れるとそこが居心地よく思われてくるということ」(デジタル大辞泉)とされてきましたが、今は違う。住むならさまざまな利便性が高いところ(都市圏の中心部)にこそ、ということ。これがいくつもの大きな問題・弊害を生み出しいる。「少子化」はその典型。人混み・混雑・雑踏の中で「子どもを産み、かつ育てたい」と願うのは、きわめて酔狂な人。一極集中がもたらす現象にはさまざまな位相がある。今、この時代に求められている「人間生活回復・再生」の方向は、少なくとも「一極集中」を避けること、都市化ではなく地方分散をこそ探求すべきだと思う。「生ゴミで埋め立て地」「ガス爆発の危険性」、そんなところにまで「都市化」の風波を立てることは断じてあるまい。

 「家の片付けが進んでない地域に、将来の議論をしようと言っても難しい」と役人根性丸出しの某氏は吐き捨てた。「片付けをしない・進めない」のは誰だろう。地震の災厄を好機と捉えているのではないか。はっきりと指摘したいのは、都市化加速への「財政出動の策動」こそが、一層の「少子化」をもたらし、限界集落や消滅集落を生む素因になっているということ。それでいいのだという「発想」が変わらない限り、この小国は「消滅への道」をひたすらたどる他ないだろう。いたずらに「市町村合併」を強制し、大きいことはいいことだと吹聴した結果、この社会は方々で地盤沈下を起こした。その上に各種の災害(自然及び人的災害)が、この流れを加速させてきたとも言える。想像を絶する「地盤隆起」「地盤沈下」を前にして、道路の復旧や下水道の復興・新設が「無駄そのもの」としか見られない輩が、実はこの社会の相対的「地盤沈下」を生み出している元凶だと、ぼくはいいたい。

 都市にではなく、田舎にこそ、人間の住処・家郷があるということを、地震などの自然災害を一大転換期と捉え、そこから新たな「生活」「文化」の誕生を得るべき機会とすべきだ。「奇貨可居(きかかきょ)」あるいは「奇貨居(お)くべし」である。

 「住めば都」とは、「住むなら都(便利はところ)に限る」というのではなく、「住んだ地、そこが都(生活の拠点)」ということだ。「都」とは、そこに「私の生活がある」ことを指す。都会とか田舎、中央と地方、便利と不便などというのは、「人間らしさ」を育てる場所選びの尺度として、今一度測り直さねばなるまい。一人の人間の生活環境として、既存(できあがってしまった)「社会(仕組み・組織・制度)」に自分の歩調(生活)合わせるというのは、驚くべき貧しさの象徴だと思う。自己喪失への確実な道です。土から離れて暮らすのは、人間らしい生活(人生)にはふさわしくない。「文明(ワットとビット)(更にはマイクロチップ)」よりは「文化(カルチャー・耕作、栽培)」の中にこそ、人間らしく生きるための土壌・基盤があるのではないですか。

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 財政審提言「気分悪い」 被災地復興で石川知事 石川県の馳浩知事は11日の記者会見で、財務相の諮問機関である財政制度等審議会分科会の能登半島地震からの復旧・復興に関する提言に不快感を示した。無駄な財政支出は避けたいとの立場を示した内容に「復興計画を検討している時に冷や水をかけられたような気持ちだ。気分が悪い」と述べた。/財政審分科会は9日の提言で、被災地の多くが人口減少局面にあることを踏まえ「住民の意向を踏まえつつ、集約的なまちづくりやインフラ整備の在り方も含めて、十分な検討が必要だ」としていた。/石川県は、被災地の現状復旧にとどまらない「創造的復興」に向けた計画を5月中に取りまとめるとしている。(共同通信・2024/04/12)

 能登地震の復興「需要減少や維持コストも念頭」 財政審分科会 財務省は9日、財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の分科会を開き、能登半島地震の被災地の復旧・復興は「将来の需要減少や維持管理コストも念頭に置き、住民の意向を踏まえ、十分な検討が必要だ」と訴えた。「被災地の多くが人口減少局面にある」ことを理由に挙げ「過去の災害の事例も教訓に集約的なまちづくり」を提言した。/復興が本格化する中、無駄な財政支出は避けたいとの立場を明確にした。分科会終了後に増田寛也会長代理(日本郵政社長)が記者会見し「家の片付けが進んでない地域に、将来の議論をしようと言っても難しい」と指摘。被災状況の地域差や住民の考えを理解した上での復興が重要だとした。(共同通信・2024/4/9)

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他人には見えて 自分には見えない

【滴一滴】虹に出合うと 「世界なぞなぞ大事典」(大修館書店)で見つけた問題だ。ラトビアでは「弓のように曲がっているが弓ではなく、花のように咲くが花ではない」、ロシアの少数民族では「ちょっと見には近くにあるが、狩ろうとすると追い付けない」▼お分かりだろうか。答えは「虹」である。アイスランドでは「黄色、赤、緑、青と気高いしま模様をつけられた」と形容される。国や地域に違いはあれど、いずれの表現も確かにそうだなと興味深い▼さて、春たけなわとなり、虹に出合う機会は増えるだろうか。1年を約5日ごとに区切り、気象の動きや動植物の変化を知らせる暦・七十二候によると、あす14日からは「虹始見(にじはじめてあらわる)」である。日の光が強まり、雨の上がった後に虹が現れやすい頃とされる▼虹はたまたま見かけることが多いが、見つけるには、こつがあるそうだ。雨がやんで急に晴れてきた時などが狙い目。太陽に背を向けて空を見回すと、見つかりやすいという▼ふと見上げた空に、鮮やかなアーチが架かっていると、ちょっと得した気分になる。1度だけ出合ったことのある二重の虹の美しさも忘れ難い▼ハワイのことわざに「ノーレイン、ノーレインボー」がある。嫌なことの後には、きっといいことがあるとの意味だ。虹には見る人を勇気づけてくれる力もある。(山陽新聞・2024/04/13)

 中国の前漢末に成ったとされる史書「戦国策(魏策・景閔王)」に「白虹日を貫く(はっこうひをつらぬく)」とあります。「白い虹が太陽を貫いてかかる。白い虹を兵の、太陽を君主の象徴と解釈することによって、兵乱が起こり、君主に危害を加える予兆とされた」(デジタル大辞泉)。つまりは下剋上であり、クーデターでもあるのでしょう。この時代では、とんと「白紅」などは見なくなって久しい。多くは霧や霧雨(小糠雨)の時に見られるといいます。今や、この世は末法、さすれば「白紅」の出でざらんことをひたすら願う、そんな心境に襲われたりします。

 白紅はおろか、ありきたりの「虹」すら見ることがありません。理由の第一は、外出することが極端に減ったからであり、雨模様や雨降りの時は、まず家にこもっているからでもあります。うんと見る機会が稀になった「虹」ですけれど、それををみると、さまざまなことを思い出します。いつどこで見たか、その記憶は曖昧ですが、京都にいた頃、小学生だったと思いますが、虹の出どころを追いかけて、とんでもなく遠くまで山道を登っていったことがありました。無知は怖いもので、それこそ、低いとはいえ、獣道を登り続けて、いつしか、虹の姿が消えていた、そんな記憶が今なお鮮明に残っているのです。虹が立つと、その在処を求めてひたすら追いかけたものでした。小さいぼくは「科学者」「冒険家」になりかけていたのでしょうか。

 その後、大人になってから、「虹の足」という吉野弘さんの詩に出会い、我が意を得たという思いに浸ったことが何度もありました。実際に榛名山に登ったこともありました。もちろん「虹」には出会いませんでしたし、「虹の足」にも無縁ではありましたが。「そんなこともあるのだろう 他人には見えて 自分には見えない幸福の中で 格別驚きもせず 幸福にいきていることが ー 。」言われようとすることは、なんとなく伝わってくるのですが、「なるほど、そういうことか、幸福とは」と、ぼくには分かったとは言えない、一種の余韻(疑問)が残っているので、この詩を覚えているのだろうと思うのです。吉野さんの娘(奈々子)さんが、この詩について書かれていいます。

 「父はある時仕事で群馬県の方に行きました。その時、実際に見た風景からこの詩が生まれました。詩中に書かれているように、虹が七色の光の弧を描いてするするっと田圃に「降りた」のだそうです。そういう情景を初めて観た父は興奮し、感動しました。その様子を、家に戻ってから私たち家族にも話をしてくれました。虹が降りてくる虹に足がある虹の中に家や田圃がある・・・そんな状況ってなかなか巡り逢えないものですよね。私たちは、ついつい人の幸せにばかり目が行くものです。でも、本当は「自分も幸せの中にいる」と気づくことが、大切なんだと思います。父の詩ってそういう「教訓」めいたところがあるなと思うんですけど、押しつけがましくは書かない(笑)そこが父の目論見。。。(笑)」(註 引用文は一文一行ですが、すべて改行しました(山)「吉野弘の部屋」:https://ameblo.jp/nanako-fukurou/entry-12695928131.html

 「他人には見えて 自分には見えない幸福」とは、まるで「虹のようなもの」とするなら、その通りでしょうが、「あの人は自分が幸福であるのが見えない(わからない)」と、どうして「他人」にはわかる・言えるのでしょうか。「他人には(虹は)見えて、(虹の中にある)自分には、それ(虹)が見えない」というのでしょう。不思議とも奇妙とも思えます。

 ここでいう「幸福」「不幸」とは感覚的なもの・個人的なものではないでしょうか。だから、他人から見れば幸福(不幸)に見えても、当人は「不幸(幸福)」と感じているかも知れないではないか、ぼくにはそんなふうに思われるのです。奈々子さんは「私たちは、ついつい人の幸せにばかり目が行くものです。でも、本当は『自分も幸せの中にいる』と気づくことが、大切なんだと思います」と解されています。そうなのでしょう。でも、どうして他人がわざわざ…、とぼくには腑に落ちないのです。「隣の芝生は青い」といいます。自分のところのものは雑草に覆われて、しかも枯れてもいる、それなのに…、と「隣の芝生の青さを羨む」のでしょう。

 この戒めは「何でも他人のものはよく見えるものである。隣の花は赤い。隣の糂粏味噌 (じんだみそ) 」(デジタル大辞泉)とされて、自分の「足りなさ(短所)」の自覚より、他人の「豊かさ(長所)」を羨望するという具合に受け取られている。物事を比較して大きいとか小さいとか、おそらく勘違い(僻目・ひがめ)がそこには避けられないのです。「虹の足」はそれとは別個の次元ですね。自分の感覚ではなく、他人が「君は幸福云々」を言う。どうして、そんなことが言えるのか。「虹の足」にある、「おーい、 君の家が虹の中にあるぞオ」というくだりは、「君は幸福の真ん中にいるんだぞ」と、吉野さんは言いたかったのかどうか、ぼくにはよくわからないところです。「虹の足」と「幸福」を重ねるところが、ぼくにはわからない。でも、こういう感覚は、ぼくの側の問題であって、「幸福のど真ん中」あるといったところで、取り立ててなんということもないのかも知れません。「素晴らしい」とされる詩には、きっと曖昧さがあるものだが、この「虹の足」には曖昧なところがあるのではない、「幸福」というものを他人がとやかく言える代物なんですか、そうではないだろう、それだけが言いただけなんです。 

● 虹(にじ)rainbow= 降雨の前後,空中にかかる円弧状の大気光象。太陽光が空中に浮遊する水滴によって屈折,反射させられるときにでき,太陽を背にして,観測者の前方で雨が降っているときに現れる。その視半径の角度 40~42°に主虹が,角度 50~54°に副虹が現れる。主虹のスペクトルは外側から赤,橙,黄,緑,青,藍,紫の順。副虹のスペクトルはその逆であるが,輝きは主虹よりかなり弱い。月の光によってできる虹もあるが,太陽に比べ月の光はかなり弱いため,まれにしか見ることができない。(ブリタニカ国際大百科事典)

● 吉野弘(よしのひろし)(1926―2014)= 詩人。山形県酒田市生まれ。酒田市立商業を卒業、石油会社に勤める。1952年(昭和27)『詩学』に載った『I was born』で注目される。これを機に『櫂(かい)』に参加。1957年、第一詩集『消息』を刊行。以後『幻(まぼろし)・方法』(1959)、『感傷旅行』(1971)、『陽(ひ)を浴びて』(1983)、『夢焼け』(1992)などの詩集を出した。詩はやさしい文体で日常のなかの生の不条理、またそれへの愛を歌ってナイーブ。機智(機知)にも富む。エッセイ集『詩への通路』(1980)や詩画集『生命は』(1996)などの著書もある。1971年(昭和46)『感傷旅行』で読売文学賞、1990年(平成2)『自然渋滞』(1989)で詩歌文学館賞を受賞。(ニッポニカ)

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 以下に挙げた句作品の「虹」は「口福」とは趣が違いますね。なぜでしょうか。以外に思われますが、多くの俳句に詠いこまれる「虹」の印象は、決して明るいものではないんですね。

・いづくにも虹のかけらを拾ひ得ず(山口誓子)
・お遍路が一列に行く虹の中(渥美清)
・つつましき年金暮らし今朝の虹(松尾墨丈)
・山景色荒涼として虹の下(飯田蛇笏)

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どっちに転んでも、「玉山崩る」だ

 小池都知事、強まる3選出馬 有力候補者なく、野党模索 任期満了に伴う東京都知事選は7日で投開票まで3カ月となった。小池百合子知事は去就を明らかにしていないが、3選を目指して出馬するとの見方が強まっている。小池氏が都政継続の意向をにじませ、国政復帰の好機と捉えられた今月の衆院補欠選挙への出馬を事実上見送ったためだ。いまだ有力候補者の名乗りはなく、野党は共闘候補の選定を急いでいる。/かねて国政復帰の臆測が絶えない小池氏。3月に入り、永田町や都議会周辺では「衆院東京15区補選に電撃出馬して自民党入りし、今秋の総裁選を目指すのでは」とささやかれ始めた。小池氏と自民関係者が会談したとの情報もたびたび出回った。/出るのか、出ないのか―。3月28日の都議会定例会最終日。都は4人いる副知事の1人について、任期を1年以上残したまま交代させる人事案を提出し、同意を得た。副知事人事は特に知事の意向が色濃く反映される。知事が退任すればそろって辞職するケースが多く、任期満了を控えた時期の交代に「3期目に出るということ」(都政関係者)との受け止めが広がった。(共同通信・2024年04月06日 15時37分)

 (ヘッダー写真はNEWSポストセブン:https://www.news-postseven.com/archives/20200615_1570050.html?DETAIL)(写真はピン留めしてあります)

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 この女性政治家に格別な興味があるというわけではないし、彼女を口汚く罵りたくなる怒りもありません。第一、ぼくはただの一度だって選挙で、彼女の名前を書く機会を持たなかった人間です。今から思えば、偶然だったと思われますが、彼女がまだ二十代だった頃、しばしばテレビで顔を見る機会があったし、当時としても「才気煥発」を強く印象付けられたという記憶があります。彼女の周りには、つねに年上の男性たちがいて、彼女を支えていたと言うか、いや、実際はうまく彼女の手球にとられていたと言うか、その辺の「人心掌握術」は並外れていたかも知れません。テレビ界の「売れっ子」から、やがて「政界」に転身します。その「遊弋(ゆうよく)術」に、さらに磨きがかかったのは言うまでもありません。

 その「政界遍歴」は群を抜いていました。それは「親譲り」だったかどうか、ぼくには知る由もありません。ともかく、人心(男心)惑乱術(trick of deceiving people)は「芸術の域」に達していたと、いつだったが彼女の蠱惑(こわく)に、危うく引っかかり、危機一髪で難を逃れた人(新聞記者)から話を聞いたことがあります。とにかく、自分の利になることにはマメだったと言う。男性遍歴というのではないでしょうが、永田町における政治家経験談には事欠かない女性でした。その彼女は関西出身で、なんと「カイロ大学卒業」と自己紹介してきました。そして、あろうことか、何度もこの「学歴詐称(Misrepresentation of educational background)」という地雷に触れる危険地帯に身を置きながら、いままで奇跡的に政治的延命を果たしてきた。(詳細は省く)「学歴詐称」に関して、それは事実であろうという推認を、ぼくは強く持っている。だから、どうしたいというのではありません。

 今般、元側近(ブレーン)とされる方が「告発」に及びました。「私は学歴詐称疑惑の“隠蔽工作”に手を貸してしまった」と、月刊誌に手記を掲載された。一読して、さて、「女帝」は出うでるか、出口があるか、そんな「危惧」をぼくは抱きました。個人の「犯罪行為(学籍詐称)」に留まるなら、どうぞ、ご随意に、と言うばかりです。しかし、学歴を詐称しただけではなく、疑惑をかけられた段階で「私文書偽造」「同行使」なる罪が加わり、他国の権威をも騙(かた)ったとなれば、ことは簡単に終わりそうにもありません。さらに、この女性を、この小国の首都知事に、二度までも選んだという選挙民の問題、選挙の正当性への疑惑、さらには国務大臣就任などといった廉で、国政及び地方行政の信頼を失墜させたということであるなら、はたしていかなる方向に問題は漂流することになるのでしょうか。「希代の詐欺師」なら、いくらもいるかも知れませんが、あるいは「一国の総理大臣」にまで擬せられようというに至っては、まさしく「国辱」「亡国」の沙汰と言うべきではないでしょうか。

 何十年も前から、彼女の胡散臭さが噂されていました。しかし、どこまでも噂でとどまっていたのかどうか、大いにぼくは疑わしいと考えてきました。あるいは「ジャニーズ(性加害)」問題と同根、「宝塚(暴力支配)」問題と同類だと言うべきではなかったか。何度も名指しで「学歴詐称」を公表されたにも関わらず、この人の性格からして、それはあり得ないとぼくは確信したのは、そのようないくつもの記事・報道などに、「現東京都知事は、ただの一度も、その件に関しては「名誉毀損」などで告発しようとしたことがなかったということです。「金持ち喧嘩せず」という言い方がありますが、「才女(詐欺師)喧嘩せず」で済まされてきたのでしょうが、事ここに至って、さて、次の一手があるのでしょうか。(⏩️「泉と池」コンビ華やかな時代)

 彼女の政界のパトロンたちは、すべてが年年齢を取りすぎました。救いの手を差し伸べる「騎士」はいるのでしょうか。日本史上にはたくさんの悪党・悪名たちがいました。それらに匹敵する現代版「悪名」は誰かと考えても、「これだ」といい切れる存在は見当たりません。適切ではないとは思いますけれど、ぼくはこの現都知事は「松永弾正」もどきだと勝手に擬(なぞら)えています。名代の悪党かどうかは意見の分かれるところでしょうが、「下剋上時代の典型」とされ、しかも「梟雄(きょうゆう」なる冠が被せられているのです。それゆえに、さしずめ「政界下剋上」を地で行こうとしてきた、彼女は、それにもっとも似つかわしいのではないかなどと、イヤーな夢を見ているのです。

 「女帝よ、いざ神妙にしろ」と、幕が降りるのでしょうか。それとも、転んでもただでは起きないとばかり、政界には脛に傷持つ輩が戦々恐々として、「タオル投入」の時を固唾をのんで見守っているのでしょうか。あるいは「これが本物の卒業証書だ」とドンデン返しが起こるのか。(つまり、まだまだ、幕は降りないというのです)ぼくには「もう詰んでいる」と見える。(別の時期には、ご当人は「カイロ・アメリカン大学卒」とも自称されている。よほど「大学」好きとお見受けします)(写真下左はカイロ・アメリカン大学、同下右はカイロ大学)

 この知事が窮地にあることは間違いありません。進退窮まるというところかも知れない。「虎口を逃れて竜穴に入る」の類ではないでしょうか。「カイロ大学卒業」が証明ができないなら、はっきりと「白状」すべきでしょう。それでも、都民は「許してやる」となるかも知れない、恥ずかしい限りですが。(彼女個人の名誉問題である以上に、国や地方自治の権威(正当性)に直結する問題です)

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● 松永久秀 (まつなが-ひさひで)1510-1577= 戦国-織豊時代の武将。永正(えいしょう)7年生まれ。三好長慶(ながよし)の家老として権勢をふるい,信貴山(しぎさん)城,多聞城にあって大和(奈良県)を支配。長慶死後,将軍足利義輝(よしてる)を殺す。三好三人衆と対立し,彼らとの戦いの際,東大寺大仏殿は焼失。永禄(えいろく)11年織田信長に降伏して大和を安堵(あんど)されたが,のち信長にそむき,天正(てんしょう)5年10月10日信貴山城に火をはなって自害した。68歳。弾正少弼(だんじょうのしょうひつ),山城守。(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

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内容が伝わらず、誤解を招いた

【卓上四季】軍靴の響きが… 一昨年の夏に亡くなった精神科医の中井久夫さんはエッセーの名手であり、教養豊かな文明史家でもあった。戦後60年の節目に発表した論考「戦争と平和 ある観察」も鋭い指摘が多い▼<人類がまだ埋葬していないものの代表は戦争である。その亡霊は白昼横行しているように見える>。この冒頭に続き、世界史を踏まえた警告が記される。<戦争を知る者が引退するか世を去った時に次の戦争が始まる><今、戦争をわずかでも知る世代は死滅するか現役から引退しつつある>▼戦後80年が迫るいま、戦場の苛烈さ、戦災の悲惨さを肌で知る世代はさらに減った。その状況と関係しているのか。自衛隊を巡って見過ごせない動きが相次ぐ▼幹部を含む自衛官が靖国神社を集団参拝していたことが1月に判明した。戦前に旧日本軍が所管し、戦没者を奉って軍国主義を支えた。東京裁判のA級戦犯も合祀(ごうし)する▼今度は埼玉県の陸自普通科連隊が公式X(旧ツイッター)の投稿で「大東亜戦争」という言葉を使った。「大東亜共栄圏の確立」を図る東条英機内閣が閣議決定し、侵略戦争の正当化に用いられた。靖国参拝を含め、戦前への回帰を憂慮せざるを得ない▼かつて防衛省の担当記者だったとき、陸上幕僚監部に属する幹部が自戒する言葉を聞いた。「(旧軍の)過ちを忘れてはならない」。いまはどうだろう。軍靴の響きが増してはいないか。(北海道新聞・2024/04/11)
 <社説>「大東亜戦争」投稿 自衛隊の歴史観を憂う 
 陸上自衛隊の部隊がX(旧ツイッター)への投稿で、アジアへの侵略戦争を正当化する文脈で使われることが多い「大東亜戦争」という表現を用いた=写真。陸海の隊員が靖国神社に集団参拝したことも明らかになっている。過去の戦争を美化する歴史観が自衛隊内で広がっていないか憂慮する。
 陸自大宮駐屯地(さいたま市)の第32普通科連隊は5日、日米が戦った硫黄島(東京都小笠原村)の戦没者追悼式への参加をXの公式アカウントに投稿した際「大東亜戦争最大の激戦地」と記した。この表現は8日に削除した。
 日本は1941年12月の開戦直後、アジアの解放を名分に「大東亜戦争」と呼ぶことを閣議決定した。戦後「大東亜戦争」の呼称は連合国軍総司令部(GHQ)に禁じられ、現在は日本政府も一般に公文書では使用していない。
 代わって「太平洋戦争」の表現が定着したのは、破滅的な敗戦につながったアジアへの侵略と植民地支配を戦後、幅広い日本国民が反省したからにほかならない。
 同様に自衛隊も現行憲法の下、旧軍と制度的に断絶する形で発足した。にもかかわらず、陸自部隊が公式アカウントで一時的とはいえ「聖戦思想」を疑われかねない投稿をしたことは深刻である。
 懸念はこれにとどまらない。海自司令官と幹部候補生学校卒業生らが昨年5月に、陸自幹部ら22人が今年1月に、靖国神社を参拝した。もちろん隊員にも信教の自由はあり、防衛省は私的参拝と結論付けて問題視はしていない。
 しかし、参拝が強制でなくてもA級戦犯を合祀(ごうし)し、先の戦争を正当化する神社に自衛隊員が集団参拝した事実は残る。内外から歴史観を疑問視され、憲法が定める政教分離にも抵触しかねない。
 内閣府による最新の世論調査では、自衛隊に「良い印象を持っている」は90.8%に及ぶ。文民統制の下、防衛と災害救援、国際貢献を積み重ねてきた結果だ。
 一連の言動は自衛隊が築き上げてきた信頼を自ら損なうことになりかねない。防衛省・自衛隊は疑念を招く言動は慎むよう隊員への指導・教育を徹底すべきである。(東京新聞・2024/04/10)
 埼玉の陸自連隊、公式Xから「大東亜戦争」表現削除「誤解招いた」 陸幕「適切な表現で」 
 陸上自衛隊第32普通科連隊(さいたま市)が、公式X(旧ツイッター)で「大東亜戦争」の表現を使っていたことが明らかになり、連隊は8日午後、該当する投稿から「大東亜戦争最大の激戦地」などの表現を削除した。/当初の投稿は5日で「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島において開催された日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式に参加しました」などと記されていた。
 防衛省陸上幕僚監部によると、連隊は激戦地だったことを表現するために当時の呼称を使用。削除理由を「本来伝えたい内容が伝わらず、誤解を招いた」と説明している。
陸幕は取材に「交流サイト(SNS)の発信は適切な表現で行うようあらためて指導していく」とコメントした。(東京新聞・2024/04/08)
 「激戦地」以外の意図なし
 連隊の大東亜戦争投稿で防衛相木原稔防衛相は9日の閣議後記者会見で、陸上自衛隊第32普通科連隊(さいたま市)が、公式X(旧ツイッター)で「大東亜戦争」の表現を使っていた問題に関し「硫黄島における日米合同の戦没者慰霊行事を紹介する際、激戦地だった状況を表現するために当時の呼称を用いた。その他の意図は何らなかったとの報告を部隊から受けている」と述べた。/投稿は5日にあり、連隊は8日になって「大東亜戦争最大の激戦地」などの表現を削除した。/木原氏は「現在、一般に政府として公文書で使用していない用語であることを踏まえ、修正した」と説明した。(中日新聞/2024/04/09)
 靖国参拝に公用車利用の陸自幹部処分、信教の自由萎縮させる通達廃止を
 靖国神社を参拝する際に公用車を利用したとして陸上自衛隊の幹部が処分された。防衛省の内部調査によって同省が定める公用車の利用基準に照らし、適切ではないとみなされたためだ。一方で、参拝は「私的な行為」で、同省事務次官通達が禁止する部隊参拝にはあたらないと判断した。
より規律が重んじられる自衛隊にあって、違反が認められた場合に厳正な処分を下すことは当然だ。ただ、今回の処分はあくまで公用車利用に関する違反が認められたものであって、自衛隊員による靖国神社参拝の是非とは別の議論である。
今回の参拝を巡っては、極東国際軍事裁判(東京裁判)のいわゆるA級戦犯が合祀されている靖国神社である点をことさらに強調し、批判する向きがある。
憲法20条は、信教の自由を保障している。自衛隊員といえども一国民として神社仏閣などを自由に参拝する権利がある。個人であろうが集団であろうが、私的に靖国神社を参拝することに何ら問題はない。むしろ国を守る自衛隊員が、過去に国を守るため尊い命をささげた戦没者の追悼施設を訪れることは自然な行為ではないか。
昭和49年に出された事務次官通達は、隊員個人の信教の自由を尊重するとともに、自衛隊が組織として宗教的活動に関わっていると疑念を抱かれないよう、宗教施設への部隊参拝や隊員への参加の強制を厳に慎むよう定めている。
ただ、今年と同様の靖国参拝は過去にも行われていたとみられ、全国の部隊が靖国以外の宗教施設を集団で参拝している例もあるという。通達は半世紀前に出されたものであり、すでに形骸化しているとの指摘がある。
防衛省は、参拝に際して公用車の利用や玉串料の公費支出の禁止を通達に追記することを検討するが、今回の事案で明らかなように、私的か公的かの線引きは難しい。もちろん隊員への参拝の強制はあってはならないが、自由意思による参拝をも萎縮させるような通達はむしろ廃止すべきではないか。(小沢慶太)(産經新聞・2024/01/26)

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 以下に掲げた「諺(ことわざ)もどき」に、軍備拡張も含めてこの間の一連の「(政府の意図を汲んだ)自衛隊の挙動」に遭遇して抱いたぼくの、あれこれの心情の幾ばくが盛られていると思う。いろいろな感想や異見が方々で生まれていますが、この先に待っているであろう「過誤」を経験しないためにも、老骨に鞭打つ時が来ている。

 自衛隊(政権も含めて)はもちろん「戦争」を待望しているとは思わないし、どこと戦うという具体計画があるとは思われません。この小さな島国の「帰趨」を握るのは「亜米利加」という宗主国です。江戸幕府への忠義・忠誠を誓う「参勤交代」よろしく、「お前と二人」で「愚か者」が出かけて、盟主から何を命じられてくるのか。この「政府」が、「われわれは自らの足で立つ」という自立・独立の気概を内外に示すことは、軍事力増強では間に合わない思想を持っているのです。夢よ再び、「大東亜共栄圏」と狂喜・乱舞するなかれ。 

「下駄も阿弥陀も同じ木の切れ」
「一葉落ちて天下の秋を知る」
「危ない橋も一度は渡れ」

「曲がらねば世が渡られぬ」
「移り変わるは浮き世の習い」

「月日変われば気も変わる」
「月に叢雲、花に風」
「埋もれ木に花咲く」
「危ないことは怪我のうち」
「一事が万事」

 「本来伝えたい内容が伝わらず、誤解を招いた」といってくださるな。十分に「伝えた」「伝わった」から撤回したんだ。「してやったり」と、陸自患部(幹部)はほくそ笑んでいるのだ。頻発する政治的「失言」「差別発言」の疑似撤回に同じ。撤回しても「(指摘した)事実」は残るのだから、それで所期の目的は達成したと満足しているはず。次は、「さらに一歩進んで…」「五族平和を」「王道楽土」などなど、引きも切らずに待機している、前代の「遺産(legacy)」たち。間違いなく、そこを狙っているんですな。

 周囲を海に囲まれた劣島を、どこ(敵)から、どう守ろうというのか知らんが、いろいろな点で、「戦争は間尺に合わない」のが真理です。もっと別の「平和」への道を模索したらどうか。「積極的平和主義(武力に依存する)」はまやかしであって、「友好的平和(外交交渉に依拠)」でしか、この小国はやって行かれないと悟るべきですね。

● 大東亜戦争(だいとうあせんそう)= 太平洋戦争に対する当時の日本指導者層による呼称。太平洋戦争開始直後の1941年(昭和16)12月12日、政府が「今次の対米英戦は、支那(しな)事変をも含め大東亜戦争と呼称す」としたことから生まれた。太平洋戦争という呼称がアメリカ側からみた呼称であるのに対し、中国を中心とする東ジアを主戦場とする日本の戦争目的により合致してはいるが、「大東亜」解放の「聖戦」とした日本側の宣伝臭が含まれているため、戦後はあまり使用されていない。(日本大百科全書ニッポニカ)(⏪️⏩️は写真は「ミヤコワスレ」)

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