
【有明抄】4人に1人の記憶 車にはねられたのか、けがをした猫が道路に横たわっていた。見つけた女性が動物病院に運び、治療後、自宅に引き取った。つけた名前は「つう」。「いつか恩返ししてね」と、昔ばなし「鶴の恩返し」になぞらえて◆あるときから、つうは不思議な行動を始めた。毎朝、枕元で飼い主を起こす。目を覚ますまで前足で髪の毛を引っかくのである。必ず時間は決まっていた。午前5時46分より前。つうが飼い主と被災した阪神大震災の発生時刻である◆名前通りの恩返しだと、メディアは美談に仕立てた。しかし当時、被災者のケアに当たった神戸の精神科医中井久夫さんの見方は違っていた。同じ時刻に目が覚めてしまう自身の体験から、ひと以上に繊細なペットたちの深い「心の傷」を読み取った◆災害後、多くのひとがストレスによる不調を訴える。うち75%は自然に回復するという。ただ、心の傷も身体のけがと同じで、かすり傷から致命傷までさまざまである。か弱い生き物のように、4人に1人は治りにくい傷を抱えて生きる◆それは明日もきっと平穏な日が訪れるという、この世界に対する「信頼」を失うことでもある。熊本地震の「本震」から8年。もう、なのか。まだ、なのか。忘れられない思いを置き去りにして、私たちは「復興」という美談を急ぎすぎているのかもしれない。(桑)(佐賀新聞・2024/04/16)

まえがき ドイツ(ミュンヘン)で生まれ、後にアメリカに移住した音楽学者のアルフレッド・アインシュタイン(⏩️写真)(1880~1952)(だったと思う)が、「死ぬというのはモーツアルトが聴けなくなることだ」と言った(と記憶しています)。逆に言うと、彼にとって生きているのは、モーツアルトといっしょにあることだったと、若い頃にとても驚き、かつその音楽への傾倒ぶりに打たれたことがありました。音楽が好きだけれど、死ぬほど好きだけれど、どこまで行っても「音楽は音楽だ」という想いがぼくにはあった。彼の「顰(ひそみ・ひん)」に倣って、「ぼくにとって死ぬというのは、もはや桜が見られないことだ」と気障(きざ)なことをいっていたものです。いまだって、その気分は強い。実際に、この後、何回桜の花を見られるかということがしきりに考えられたりします。
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その「桜前線」も東北方面まで北上し、今年の桜花も、拙宅近辺ではあらかた消えつつあります。とは言っても、桜木が枯れない限りは、いつでも眼にすることはできるのです。同じ存在でも、華やかなときもあれば、そうでないときもあります。山もあれば谷もあるということ。でも、それもこれも「同じ桜」に変わりはないと思えば、なんだって、ぼくには愛おしくなる。能登半島における被災各地の桜の見事な開花模様が当地の新聞テレビなどで報じられています。それを見ているだけで、そぞろ胸にこみ上げてくるものがある。

残念なことに、ぼくには能登における桜の思い出はほぼ皆無ですけれど、たった一つ、おそらく小学二年生頃に描いた「校庭の桜」が強く印象づけられている。いろいろな桜の花の色を見るにつけ、花の色の原点となったものと言っても過言ではありません。鮮やかな桃色、それが桜の花の色でした。染井吉野だったろう。確かにクレヨンで思い切りピンクと白を使った記憶もある。そのクレヨンは京都の親父から送ってきたものだった。絵の構図も頭の中ではしっかりと、色付けされて残されている。右の写真の右側に植えられていた桜を写生したと記憶しています。もう七十年も前の小学校の校庭の場面です。(右は「熊木小学校(現七尾私立中島小学校)」小学三年生頃まで在学、このあたりはきわめて記憶は曖昧で、そのままにしている)
一月朔日の能登半島地震のことが忘れられない。ぼく自身が「被災」したように、なおも心が痛みます。本日の「有明抄」の中にある「つう」という鶴ではなく、猫。保護主と同じように「阪神大震災」の被害に遭遇したのだたと言う。いわゆる「PTSD(posttraumatic stress disorder)」(心的外傷後ストレス障害)という言葉をこの社会に定着させたのは中井久夫さんだった。地震発生当時、神戸大の医学部の教授(臨床医)だった中井さんの活動は、この「PTSD」問題に関しても深く記憶されていいでしょう。この「つう」のことを中井さんはどこかで書かれておられたかも知れませんが、ぼくは覚えていない。でも「同じ時刻に目が覚めてしまう(中井さん)自身の体験から、ひと以上に繊細なペットたちの深い『心の傷』を読み取った」という中井さん、これは、忘れがたい「認識」だと、ぼくには思われてならないのです。

「ペット」が負った「深い傷」という指摘に、ぼくはいつでも立ち止まらざるを得ない。この駄文収録にも繰り返し書いていますが、我が家にはたくさんの「保護猫たち」がいる。その大半はこの敷地内やその近くの林などで生まれた猫たちであり、ここに書かれているほどの「深い傷」は負っていないかもわからない。しかし、我が家にたどり着くまでにどんな経験をしたかも知れない「親」から生まれただろうことは想像できる。いまなお詳しいことはわからないままです。最近やってくるようになった、家の中には入らないが食餌だけを取りに来る子がいる。二ヶ月以上にもなるでしょうか。このところ、敷地内の建物の何処かで寝ているようです。(車庫やその横の物置にしている空間などには寝る場所は、いくつか作ってある。時々布団や毛布類は天日干しをしている)
この子も、どこで生まれてどうしてここに来ているのか、ぼくにはわからない。なかなか警戒していて、とても触らせはしない。でもやがては「手術」もしなければならないだろう。そんな猫たちと暮らしていて、とても「ペット」だ「愛玩動物」だなどと、一人前の「飼い主(owner)(patron)」になりきれない自分がいつもいるのです。誤解されるかもしれないけれど、ぼくはいつだって「猫と暮らす」、そういう思いが強いのです。ひとクラス(二十人)分ほどの猫たちと暮らすのは、なかなか大変だし、一つ一つの性格が違うことが時間とともにはっきりしてくる。もの好きだと自分でも思うが、「猫と暮らせば この世は春だ」というのではありませんけれど、いろいろなことが分かってくる気がするのは確かです。いつでも分相応に、できる範囲で、それを心掛けて生きています。けっして、「猫を買う」「猫を飼う」ではない。もちろん「猫を被る」ではさらさらない。

● PTSD「恐ろしいことが起こると、多くの人に長く続く影響が生じます。一部の人では、この影響があまりに長引き、かつ強いために衰弱をもたらし、精神障害となります。一般に、PTSDの原因となる可能性の高い出来事は、恐怖、無力感、戦慄の感情を引き起こす出来事です。戦闘、性的暴行、自然災害や人災がPTSDの原因としてよくみられます。しかし、身体的な暴力や自動車事故など、圧倒的で生命が脅かされると感じるあらゆる体験が原因になる可能性があります。/このような出来事は、直接的に経験される場合(重傷を負ったり、死の脅威にさらされたりしたなど)もあれば、間接的に経験される場合(他人が重傷を負ったり、殺されたり、死の脅威にさらされたりするのを目撃した;または近親者や友人に外傷的出来事が生じたことを知った)もあります。外傷的出来事を1回経験した場合もあれば、よくみられるように、複数回経験した場合もあります。/同じ外傷的出来事なのに、なぜある人では症状が生じず、他の人では生涯続くPTSDの原因になる場合があるのかについては分かっていません。また、同じ外傷的出来事を長年にわたり何度も目撃したり、経験したりしていてもPTSDを発症しなかったのに、その後見かけ上似たような出来事を経験した後に発症する人がいる理由についても分かっていません」(MSDマニュアル・家庭版)(https://www.msdmanuals.com/ja-jp/home)

「災害後、多くのひとがストレスによる不調を訴える。うち75%は自然に回復するという。ただ、心の傷も身体のけがと同じで、かすり傷から致命傷までさまざまである。か弱い生き物のように、4人に1人は治りにくい傷を抱えて生きる」
しかし、治ったと思われる人だって、何かの拍子に「傷跡が疼く」ことが起こる。いつだって、どこまでも「心的外傷」は完治しないと、ぼくは考えている。ぼくにも「よくないこと」(「いいこと」も含めて)、さまざまな「心的外傷」といいたくなるようなものはあります。それを口外はしないし、秘密にしているつもりもありませんが、長く生きるというのは、「よくないこと」(「いいことも」も含めて)を、否応なく経験することなんですね。あるいは「辛いこと」「楽しいこと」と言い換えてもいいでしょう。その混合が、すなわち「人生」「生きること」なのだと、ぼくは体験から学んだ。もう一つ、誰にもあるでしょうが、ぼくには「ここに捨てられているのはぼくだ」という惻隠・惻切の感情がある、それもかなり強くある。捨てられている「猫」であれ「犬」であれ、あるいは、地震や事故の被害者であっても、辛い目にあっている「それは自分だ」という想いがきっと生まれているのです。

「熊本地震の「本震」から8年(註、2016年4月14日~16日)。もう、なのか。まだ、なのか。忘れられない思いを置き去りにして、私たちは『復興』という美談を急ぎすぎているのかもしれない」
もちろん、このように言われる課題(社会的健忘症)があることは事実でしょう。悲惨な出来事に、自分は無関係であると思いきれる人はいるでしょうし、それはそれ。でも、どこでどんな悲劇が起ころうが、悲惨な目に遭ったのは「自分かもしれぬ」と思う人もいるだろうし、「あの人は自分の代わりに苦しんでいる」「犠牲になったのだ」と考えてしまう人もいるのです。「納得のできない戦争の犠牲者」が日々生み出されている。遠く離れた地にいて、何も出来ないままに手を拱(こまね)いているしかない、そんな日常をぼくたちは送っている。何ができるか、何をすべきか、その方法も見つからないのが当たり前になっている。
赤の他人の不幸や悲劇に同情することはあっても、三日もすれば、それも忘却の彼方に消えるでしょう。でも、自分の親しい人の不幸だったらどうか。親が重篤な病気で床に臥せっているのを知ると、ぼくたちは、どうする、どう思うでしょうか。「父は病気である」という事実は、「自分は病気ではない(健康である)」という「事実の意味」を変えるのではないでしょうか。「健康」であるというのは、偶然ではなく、「恩恵」であるとまで考えることがあるかも知れない。ウクライナや中東で「戦争の犠牲」を強いられる人々の存在を知るのは、「自分が生きている(無事である)」という事実の意味を再把握することに繋がることにならないとも限りません。これはぼくに起こる、ある種の「反応」です。のんべんだらりと(無為に)生きるのも人生の一コマ。他人の不幸を想い、のんべんだらりとではない「生活」に目覚めるのも人生の一コマ。

「忘れられない思いを置き去りにして、私たちは『復興』という美談を急ぎすぎているのかもしれない」というのも、あるいは、一つの社会的な「PTSD」の症状だといえるなら、置き去りに出来ない思いを胸に、自分にできる範囲の「復興への参加」を心がけようとするのも、別種の「PTSD」の顕れだと、ぼく自身は勝手に考えて、それを密かに心がけようとしているのです。(⏪️中井久夫さん)
● 中井久夫【なかいひさお】= 奈良県に生まれ兵庫県宝塚市,伊丹市で育つ。1951年,京都大学法学部に入学するがその後医学部に転じ,1959年卒業。ウイルス研究から東京大学付属病院勤務中に精神医学に転向した。1975年,名古屋市大助教授。1980年,神戸大教授。1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)に際し,いちはやく被災者のこころのケアの必要を提唱,兵庫県こころのケアセンター初代所長に就任する。統合失調症の権威。PTSD(心的外傷後ストレス障害)の研究にも取り組む。東日本大震災に際しても精神医学者としてケアの必要を訴えている。現代ギリシア詩の翻訳やエッセイの執筆でも知られる文章家でもある。著作に《分裂病と人類》,《治療文化論》など。他に《中井久夫著作集》全6卷がある。2013年文化功労者。(1934―2022)(マイペディア)
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