〔「トラウマ」神話論 〕…メディアが犯罪を報道するとき、〈子ども時代〉の経験とその後の行動には当然因果関係があるとする姿勢なのである。幼児期とその後の育ち損ないとのあいだには因果関係があると、深く信じられているので、恐るべき〈子ども時代〉以外の影響が、ほとんど無視されているのだ。/ この種の因果論的な推測には数多くの例があるが、なかでも『シュピーゲル』誌の法廷ルポルタージュが目を引く。若い母親ギゼラ・ホーフマンは、一歳半になる息子トビアスを蹴って、生命にかかわるほどの重症を負わせ、その傷がもとで息子は死んだ。そのルポは、きわめて印象深い。つまり、「〈子ども時代〉が人生を決める」というテーゼが、これ見よがしに宣伝されているのだ。ギゼラ・ホーフマンは息子が苦しんでいるのを見ても、医者を呼ばず、途方に暮れた彼女が電話した夫も、なにもしなかった。赤ん坊が死ぬと、両親は死体をゴミ袋に入れて、ゴミ収集車に「処分」してもらう。それから二人はマスコミの前で涙さながらに、まことしやかな誘拐話を訴える。二人が犯行を認めたのは、数日後、話にほころびが出たからである。
ドイツ中の人が、この誘拐話に鼻面をひきまわされ、真相がわかるとショックをうけた。なぜこんなむごいことが起きたのか。なぜこの若い母親は、自分の赤ん坊が苦しみながら、死んでいくのを傍観し、助けを呼ぶこともできなかったのか。この『シュピーゲル』のレポーター、ギゼラ・フリードリクセンには答がわかっている。彼女の報告は、若い母親の「悲惨な〈子ども時代〉」のせいにしているのだ。暴君でアル中の父親も、ひねくれ者で自分勝手で疲れはてた母親も、娘のギゼラを十分には支えられなかった。自分自身が愛情と保護に憧れていたギゼラには、自分の赤ん坊に必要な注意を注ぐことができなかった。つまりは、ギゼラ・ホーフマンがもっとましな〈子ども時代〉を送っていたら、小さなトビアスは生きていただろう、というわけである。(ウルズラ・ヌーバー『〈傷つきやすい子ども〉という神話』丘沢静也訳、岩波現代文庫版。2005年。単行本は1997年08月刊)(ヘッダー写真:NPO法人 Bridge for Smile:https://www.b4s.jp/ )
この社会に生きていると、おぞましい事件や事故を見聞することは日常茶飯事に類します。異常なあるいは異様な事件・事故に対して「日常茶飯」というのはいささか穏当を欠きますが、現実には、事件や事故の記録や報道は日々大量生産され、日々大量消費されている、それが当たり前の風景になっているのです。事件や事故の一報を目にし耳にするが、その衝撃は瞬時に消えて、新たな事件や事故に応接するという慌ただしさで、やがて、ぼくたちは事件や事故の「一回性」に慣れてしまうのでしょう。しかし、それぞれの「事件」「事故」の個別性・固有性、あるは一回限りの出来事性を知れば知るほど、ぼくたちは人間、あるいは人間性の深部で何が行われているのか、ほとんど驚愕すべき事柄ではあるのですが、それに意識が及ぶこともなく、時間は過ぎていくのでしょう。
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(NPO法人B4Sは、〈親を頼れない子どもたちが、社会へ羽ばたく時に直面する 「安心の格差」と「希望の格差」を乗り越え、 未来へ向かう勇気を持てるような支援をカタチにする 〉ことを活動の目的にした任意団体。小生も、このNPO法人のささやかな支援者の一人です〉
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「トビアス殺害事件」とそっくりな、痛ましい出来事は、もちろんこの社会に限ったことではなく、至るところで、有り触れた日常の「一コマ」のように生じています。ぼくはめったにテレビは見ないし、新聞もごく一部分(しかもネット)にしか目を通さないので、その一部分で触れられる範囲でしか、このような「子ども時代」神話論のような「お説」には出会わない。類似の事件は溢れていますし、この社会ではとにかく、「事件」や「事故」をいともやすやすと消費してしまうのです。まさしく「消費社会(consumer society)」ではあるのです。消費に多忙な社会に住む人間は、いろいろな事柄について神経鈍麻を避けられないのではないでしょうか。
ぼくがヌーバーのこの本(翻訳、原題は「Der Mythos vom fruhen Trauma」)を読んだのはもう二十年近くも前になります。この社会でも、同種の事件が起こったとして、それがどのように扱われているか、その詳細を知ることがほとんどできてはいません。でも、記事の出来・不出来はともかくとして、その多くは「シュピーゲル」の記者の描くような仕儀になっているのは想像に固くはない。「〈子ども時代〉が人生を決める」というのは、いかにも受け入れやすい判断・断定(見立て)でしょう。生まれ・育ちが人生を左右するというのは当たり前ですけれど、どんな「子ども時代」を過ごしたか、それが後の人生(の幸不幸・成功失敗)を決定してしまうというのは、しかし、どういうことなのか、それをじっくりと捉え直す必要がありそうです。(右はE.プレスリーの死を伝える現地の新聞)
「氏より育ち」という俚諺があります。解説は不要でしょう。「家柄や身分よりも、育った環境やしつけのほうが人間の形成に強い影響を与えるということ」(デジタル大辞泉)と解説されます。しかし、よく考えてみれば「氏」も「育ち」も、つまりは家柄や身分というものであれ、それもまた一つの偽りのない環境ではあるのですから、「氏も育ちも(いっしょ)」と言うべきなのではないかと、ぼくなどは愚考しています。このヌーバーの本の中でのもっと興味ある部分は以下のような問題に触れていたことでした。
ヌーバーはミュンヘンのテレビ局でフリーのジャーナリストとして働いた後、大学で心理学を学び、以降は心理学関係の雑誌の編集に関わり、執筆活動を展開しています。上に紹介した著書の冒頭に、きわめて印象的な記録を書いています。
一九三五年一月八日、ミシシッピ州チュペロで繊維工場の女工だったグラディスは双子の男児を出産した。しかし飲んだくれの夫とともに極貧の生活に追われ、喜びに浸るどころではなかった。彼女の同僚たちは出産祝いをお金でもっていっても、飲兵衛の酒代になるだろうからと、二枚の毛布を送った。/ それから三十年後、元同僚だった女性がグラディスの家に行ったときの様子をジャーナリストのアドラーに話したことから、一大センセーションが起こった。毛布を抱えて家に入った彼女はその場の様子をじつに鮮明に覚えていて、事細かに話した。/ みじめな家具調度、出産でぐったりした母親、その隣に赤ん坊が一人、そしてテーブルの上のあのボール紙の靴箱。靴箱に近づいたとき不吉な予感がした。そして予感が的中したとき、彼女はなんと驚いたことか。もう一人の赤ん坊は死んでいたのだ。死んでボール紙の靴箱のなかに転がっていた。グラディスの話によると、もともと生きてはいなかった。ジェシー・ギャロンは死産だった。双子の片方であるエルヴィス・アーロンは、対照的に、はちきれんばかりに元気な赤ん坊だった。…/ エルヴィスの人生は幸せにはじまったが、長くはつづかず、悲劇的な結末を迎える。一九七七年、四十二歳のときに心臓発作で死んだが、その前からすでに何年にもわたって過食症と麻薬中毒で、みずから組織的に生命を破壊してしまっていた。世界中のロックン・ローラーファンは、偶像の死を悲しんだ。エルヴィス・プレスリーは死んだ。/ もしも、双子の弟が死んでいなかったら、もしも彼が適切なセラピーを早い段階で受けていたなら、…彼は「幼児期トラウマ」を克服できていたかどうか。それはだれにもわからない。「子どもの頃の経験がその後の人生に大きく影響することを、つまり〈子ども時代〉の力を、われわれはみんな、程度の差はあれ信じているのではないだろうか」(ヌーバー・同上)(左はプレスリーの「生家」とされるもの)
● プレスリー(Elvis Presley)生没年:1935-77= アメリカの大衆音楽が生んだ戦後最大のスター。南部黒人音楽の中心地メンフィスで貧しい白人労働者家庭に育ち,黒人のリズム・アンド・ブルースをまねて歌ったのが,ロックンロールの創始者の一人としての栄光につながった。1954年に初めてのレコード《ザッツ・オールライト・ママ》を録音した。それがきっかけで広く認められ,56年に《ハートブレーク・ホテルHeartbreak Hotel》の大ヒットを放ち,ロックンロールのブームを世界中に巻き起こした。その後も《冷たくしないで》《ラブ・ミー・テンダー(やさしく愛して)》などの大ヒットを連発。58年から60年までの兵役による活動中断後は映画出演が多くなり,歌手としても幅広い層を狙った保守的な行き方へと転換した。すでに映画界へは1956年《やさしく愛して》でデビューしていたが,60年代にはドン・シーゲル監督による《燃える平原児》(1961)のほか,ヒット曲をからめた《ブルー・ハワイ》《ガール!ガール!ガール!》《ラスベガス万歳》など多くに出演した。これらの多くは明るく健康な好青年が,恋と冒険に活躍する単純なストーリーで,興行的には成功したものの,しだいに衝撃力が弱まった観があった。しかし,68年以降,テレビの特別番組や,ラスベガス・インターナショナル・ホテルのショーで成功を収め,同じショーを記録した映画《エルビス・オン・ステージElvis On Stage》(1970),ホノルル公演の世界宇宙中継など華やかな活動で王者復活の話題をまいた。しかし過酷なスター生活のなかで健康をむしばまれ,42歳で死去した。(改訂新版世界大百科事典)
プレスリーの評伝などを読むと、いかにも「貧困」「虐待」「不衛生」などと言うべき否定的な育児環境がいやになるほど描かれます。それだけひどい環境で生まれ育ったにも関わらず、プレスリーは「ロックの王」になり、大成功を勝ち得たかちとったというのでしょうか。いや、輝かしい人生を歩こうとしていたさなかに、「病魔」に襲撃されて、不幸な生涯を閉じたと言いたいのでしょうか。親は子どもにとって、どういう存在か、改めて問うまでもないことのようですけれど、「親はなくとも子は育つ」というくらいですから、一定の年齢(人によって相違はあろう)になって自立してしまえば、「子ども時代」ははるかな光景に退いてしまう。貧しかったから不幸になり、裕福だったから幸福に生きられたと、まるで「自然現象」のように「人生」を説明することは可能であっても、それだけの話し、高いところから低いところに流れるのは水に限るというわけ。逆境というのを「苦労の絶えない生活・人生」を指すとするなら、それもまた、人それぞれの感じ方受け止め方があるでしょう。他人から見れば「順境」であっても、当の本人にはそうは受け止められないということはいくらもある。
ここまで来ると、「成功した人生」「人生の成功」、その中身こそが問題になるのではないでしょうか。何を成功とするか、一定の尺度や目盛りがあるはずもないのです。いくら貯めても、求め続ける「守銭奴」はいる一方で、「食うに困らなければ」という倹約家もいる。問われるのは「生き方の中身」であり、その姿勢や態度こそが、生きる値打ちや評価を決めるとも言えそうです。社会の評価も大事だけれど、腐敗堕落した社会から評価される事自体、死ぬほど恥ずかしいと感じている人もいます。「親はなくとも子は育つ」というのが常識の教えるところなら、ぼくはそれに対して「親はあっても子は育つ」と相対峙する方途を選んでほしいと、結婚前の、あるいは結婚早々の若い人に言いかけてきました。そして親になりたての人には特に、声を大にして言ってきたのでした。子どもは親の持ち物ではないし、親は子どもの飾り物ではない。どこかで、なるべくなら高校生くらいの段階で相互不可侵」の関係ができることが望ましいと、常々考えて来ました。
あまり好きではない言葉の代表格は何でしょうか。そんな事を考えたことはあまりあませんが、しばしば耳にすることが多く、聞きたくないなあと感じさせられた言葉に「親ガチャ」や「毒親」 があります。もちろん、子どもの側から捉えられた「拒否したい親像」の種々相の一、二でしょう。「ガチャ」にコインを入れても何がでてくるかはわからない、品物は選べないということから、子どもだって「親」を選ぶことはできないのだという、一種の「賭博」か何かのように親子関係を言い当てようとしたのでしょうか。また、「毒親」という言葉がいつ頃から使われ出したのか、ともなく常用する辞典には「俗に、子供に悪い影響のある親。児童虐待に該当するする行為で子供を傷つけたり、過干渉・束縛・抑圧・依存などによって子供の自立をさまたげたりする親」(デジタル大辞泉)とありますから、かなり昔から通用していたのでしょう。
どちらも、子どもにとって、だから反対に「どんな親の子」であり、「どの家で生まれるか」、それが一大事ということを指すのでしょう。(小さい声でしか言えませんが、親からすれば「こんな子を生んだつもりはない」「子どもは選べない」と言いたいこともあるでしょう)今流行りの「世襲」ですが、職業や仕事を受け継ぐということはいつの時代にもあったし、古いことはいいことだという風潮も残っているでしょう。でも、それは極めて限られた場合にしか当てはまらない。「老舗」とは「しにす(仕似す/ 為似す) 」で、似せてものごとをすすめる、そこから「家業を継ぐ」に至ります。仕事や技能は似せてできるでしょうが、生きることは、どうか。できそうに思わないではありませんが、それぞれの選択や判断で生きる他ないのです。
「二世・三世」政治家の弊害が著しく指摘されますが、それもこれも「政治家個人」の無能・無知の故であり、はたまた精進の足りなさのゆえであって、とまでは言えるでしょう。だから、どこで生まれようが、みんないっしょと言うつもりはないのです。頑張れば、努力すれば、誰だって成功する、そんな寝言は通用しないことは今も昔も変わらない。ぼくは学校教師の口癖となっている「誰だって、やればできる」を認めたことは一度もない。問題は、「誰だって」にあるのではなく、「できる」に存すると考えてきました。子どもと付きあうには、もっと繊細な心持ちがいるんじゃないですか。学校(暗闇)時代、「計算」ができる、「暗記」ができるというつまらない「成績」に問題をすり替えてほしくないと思うばかりでした。
教育にかかわるさまざまな問題が身のまわりに満ちあふれています。問題行動、発達障害、いじめ、児童虐待、…。それらに対して「教育者」「有識者」と目される人びとはたくさんの発言をしています。そのどれもが間違いであるというのではないし、みんな正しいというのでもありません。「人を見て法を説け」と言われるように、「人それぞれ」をまず認めなければ始まらないでしょうし、さらに言うなら「機に因りて法を説け」ということでもあるでしょう。こうすれば、ああすればというのは「談義説法は出家の生計」ですよ、とぼくなら言い捨てますね。どんなにありがたいお経や説法も、結局は坊主の生活のためというのです。教師は、どうでしょうか。まして親たるものは、「一般的なお説」でお茶を濁していいんですかと注文したいね。何事も「できる範囲で」、そして「無理をしないで」子どもの歩く道を汚さない、掃除位はしておいてほしい、それが肝要です。
「この『シュピーゲル』のレポーター、ギゼラ・フリードリクセンには答がわかっている。彼女の報告は、若い母親の『悲惨な〈子ども時代〉」のせいにしているのだ。暴君でアル中の父親も、ひねくれ者で自分勝手で疲れはてた母親も、娘のギゼラを十分には支えられなかった。自分自身が愛情と保護に憧れていたギゼラには、自分の赤ん坊に必要な注意を注ぐことができなかった。つまりは、ギゼラ・ホーフマンがもっとましな〈子ども時代〉を送っていたら、小さなトビアスは生きていただろう、というわけである」(「〈傷つきやすい子ども〉という神話」)(新聞のレポーターと「子殺しの毒親」が「ギゼラ」とは紛らわしい)
(注 ウルズラ・ヌーバーはプレスリーの貧苦と成功、そして幸せの最中での急逝に関して「もしも、双子の弟が死んでいなかったら、もしも彼が適切なセラピーを早い段階で受けていたなら、…彼は『幼児期トラウマ』を克服できていたかどうか。それはだれにもわからない」と書く。そして「子どもの頃の経験がその後の人生に大きく影響することを、つまり〈子ども時代〉の力を、われわれはみんな、程度の差はあれ信じているのではないだろうか」とも書いています。生まれ育った環境が、順境であれ、逆境であれ、いずれにしても「子ども時代が人生を決める」という神話を、大なり小なり多くの人は信じているのかどうか。そうだとも思われますが、ぼくには答えはわからない、「子ども時代」が人生の決定打だとは必ずしも言えないと思うけれど、確かにあの「子ども時代」があったからこそ、あんなに成功した「人生」を送ったのだと見られる人もいるのは確かです。
(蛇足 上の写真、右から三番目「魂の殺害 虐待された子どもの心理学」の翻訳者は長年の酒飲み友だちだった。元気だろうか。一別以来、もう何年になるか。写真左端の「魂の殺害者」の翻訳者(大先輩、ご健在ですか)と三人で、中央線だったかの「呑み屋」(高円寺?)でゆっくり談話に及び、美味しいお酒を飲んだことを思い出します)
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