私流のやり方があるんじゃけん

 ◉ 「老い」について、「コラム」二題 乳幼児が育つ環境はさまざまです。しかし、よりよく健全に育つにはそれなりの条件の備わった環境や背景(家庭や地域社会を含めて)が必要であることは言うまでもないでしょう。保育園・幼稚園や学校も、その大事な育児環境の中核になるものです。これと同じように、人が老いてくると「病気」にもなり、心身の健康を損ねることになりがちです。その際、老人医療や老人ケアの制度や仕組みが十分に備わっているかといえば、残念ながら、学校・教育制度ほどにはお金も人もかけていないのが実情です。不安をいっぱいにしながら、多くの老人(ぼくも、もちろん入っている)は、仕方何に歳を取っていかざるを得ないのだと言ったら、罰当たり目と、嘲笑・非難の矢をあびるでしょうか。

 (ヘッダー写真・老施協「映像作品から学ぶ介護の世界 」:https://roushikyo-digital.com/news/4421/)

 自分自身が「後期高齢者」だという理解・認識が不十分だという感覚はあるものの、いつ何時病気になったり、大怪我をするかも知れない、いわば「危険水域」に入っているのをつくづく知らされてもいるし、信友直子さんの監督された記録映画のように、我が家は「老老夫婦」でありますから、どちらかが健康を損ねたら、それこそ「一大事」と覚悟・準備(心構え)はしています。子ども教育(学校教育)に「絶対」とか「確実性」というものが存在しないように、「老人介護」にも「伝家の宝刀」「奥義」があるとは思われないのです。いずれの場合も、「人それぞれ」です。教育関係も介護関係も、当事者のどちらか一方が主導権を握るものでもなく、いかなる「関係」が、両者の間に生まれるか、それが決め手になりうると、当たり前のこととしてぼくは考えている。

 「天風録」に書かれている「私流のやり方があるんじゃけん」「洗濯の仕方を教えてくださいや」というのは、その典型ではないでしょうか。この「私流」というのは「生き方」と捉えてもいいでしょう。「お母さんが一番不安なんじゃけんの」と、包み込むような父(夫)の言葉が胸に刺さります。こういう言葉は、普段からの関係があって初めて出てくることを考えると、ぼくは途端に自分が不甲斐なく、不親切であることを恥じ入るばかりです。もちろん、かみさんが「認知症」になるのか、いや「お前のほうがなるのじゃ」と、今のところは先陣争いをしているつもりもありませんが、どちらであれ、そうなった場合には、長年の付き合いから作られてきた「夫婦の関係」が試される、そんな予感・直感がしきりにする、その場になってジタバタしても始まらない、その長年の関係の「延長」を歩く他にはないのですから。

 「家族だけで解決しようとするのは無理がある。介護保険サービスや近所の人の声かけで救われ、母らしい生き方を支えた。社会の準備はできているだろうか」という件(くだり)で、はたと考え込んでしまうのです。子育てにもそっくり同じ雰囲気があるでしょう。その狭い枠を超えられる気安さが、残念だけれど、欠けているのが現実です。さらに、街中によく見かけた「ケアハウス」「介護施設」「デイサービス」の看板が徐々に減っている。それは一時的なものなのか、それも、…。「待機児童」の問題が、そのまま「大気老人」に被さっています。「裏金作りに現(うつつ)を抜かす」政治家に何が期待できよう。悔しいけれど、できる範囲でしかできないことを知悉しつつ、それでも、ぼくは「無理をしない」「自分たちのペースで」を、今でも心がけている。今のところは、その歩調や歩幅を変える必要もないとも想っている。

【天風録】社会の準備 呉市出身で映画監督の信友直子さんの実家にヘルパーが来た初日の出来事だ。「私流のやり方があるんじゃけん」。洗濯機前で通せんぼする認知症の母。ヘルパーは「洗濯の仕方を教えてくださいや。水道代の節約になるんじゃってね」と切り返す。完璧な主婦だった母は笑い、受け入れた▲ドキュメンタリー映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」の信友さんがかつて本紙連載につづった。介護した父はどの言動も尊重した。「お母さんが一番不安なんじゃけんの」▲介護現場の取材で得た学びと重なった。介護福祉士がお年寄りの経歴や趣味を深く尋ね、介助や接し方に生かしていた。目からうろこだった。その人らしさまで奪われるわけではないのだと▲認知症になる人の政府推計が9年ぶりに公表された。2040年に584万人と、変わらない傾向を思い知る。一歩手前の軽度認知障害を含めると、65歳以上のおよそ3人に1人に上る▲「ぼけますから…」にもう一つ大事なことを教わった。家族だけで解決しようとするのは無理がある。介護保険サービスや近所の人の声かけで救われ、母らしい生き方を支えた。社会の準備はできているだろうか。(中國新聞・2024/05/14)

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 中村桂子さん、1936年生れだそうです。現在八十八歳。たくさんの仕事をされた方で、その触りの部分だけをぼくは学んできたような塩梅です。そんな不勉強な人間ではあっても、この駄文集録の何処かに、中村さんに触れながら、人間も含まれる「生物」の姿や歴史を考えてきた気がしています。「老いを愛づる」というタイトルに、中村さんの意図が現れているように感じます。老いは経験するものであって、愛づる・憎む・嫌うものではないと、ぼくたちは思いがちです。まして、望んだわけでもないのに「ぼけますから、…」という境遇に生きているような人には「愛づる」などということは無縁だと、どうしても考えてしまいます。だが、それはは誤りではないかと、ぼくは立ち止まらされたのです。

 「私流のやり方があるんじゃけん」という強い意志の言葉に、それは端的に示されているでしょう。「認知症」を患われる、全ての方がそうではないだろうという思い込みこそ、ぼく(たち)が落ち込んでいる「隘路」「袋小路」であり、それが「老いの問題」を必要以上に、針小棒大に、そして理解困難にさせているのではないかという、深い自省の念もある。

 庭の草取り、こんなことにも人それぞれの姿勢や態度が出るのが面白くもあり、身につまされもする。中村さんは「年齢を重ねるうち、雑草は『また生えてくるんだから』とか、葉っぱも『明日も落ちてくるんだから』と考えが変わってきた」といわれる、環境との付き合い方の軌跡がぼくには面白く受け止められたのです。環境には有害そのものの、強烈な『除草剤」は論外で、生えてくるのを邪魔しない程度に、せっせと除草する、それぐらいのペースをぼくは崩したくない。体力は確実に落ちている、それは隠せない。「体力が衰えるのは年を取ること」だから、と受け入れるのが大事であって、老齢や弱体化に抵抗しないこと、それこそが中村さんの言われる「老いを愛づる」態度(思想)につながるのかもしれません。

 これ以上は無駄に流れる駄文を綴るより、以下に中村さんのお話をうかがえる格好の「対談」が残されていますので、問題を考えるヒントや材料は、その「対談」に譲ります。

 (※ 「生きものは弱いから生きのびる|生命誌研究・中村桂子 × YAMAP 春山慶彦」:https://www.youtube.com/watch?v=NvqTRrxVlB4&ab_channel

【有明抄】やらなければと義務感にさいなまれながらも、現実から目をそらしたくなるのが、庭の草取りである。生命誌研究者の中村桂子さんは、それが若いころから苦にならず、徹底的にやらなければ気が済まなかった◆年齢を重ねるうち、雑草は「また生えてくるんだから」とか、葉っぱも「明日も落ちてくるんだから」と考えが変わってきた。以前は100%取り除いていたところを97%ぐらいで済ます。たった3%でもこの差は大きい。多少、草が残っていても、「体力が落ちた」などと嘆いてはいけない。「これでいいのだ」が大事だと(『老いを愛づる』)◆哺乳類は生まれてからの心拍数が20億回ぐらいに達すると止まってしまうらしい。それが寿命である。人間は50歳前後で20億回を迎えるが、例外的に長生きをする。進化の過程で老いた人のいる社会が安心でき、繁栄すると学んだからなのだとか。それは「ほどほど」を許容する居心地のよさだったかもしれない◆誰もが介護の世話にならず、できる限り自立した暮らしがしたいと願う。そのためには1日9000歩を目標にすればいいという研究もある。頑張ってそれ以上歩いても効果は変わらないそうである。キリのいい1万歩には届かなくても、いくらか気持ちは楽になる◆無理はしないけれど、あきらめもしない。これでいいのだ。(桑)(佐賀新聞・2024/05/14)

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悪魔のトリル(Il trillo del diavolo)

【水や空】所変われば…? 〈住民の意思に基づいて、その地域を運営する〉仕組みが「地方自治」だ。だから、他県の自治体の意思決定に外野が口を挟むのはルール違反だ、と承知している。それにしても▲「原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場選定に向けた文献調査」-。文字で書くだけでもそれなりの長さだ。島が賛否に割れ、地域の分断までささやかれた対馬の記憶はまだ鮮明▲所変われば…とは言うけれど。佐賀県玄海町の核ごみ処分場論議は、地元の経済団体の請願提出から町議会の議論を経た町長の文献調査受け入れ表明まで「右から左に」を絵に描いたようにすいすいと話が進んだ▲ただ、玄海町への最終処分場立地はどこかの時点で「NG」に直面しそうな先行きがはっきりしている。同町は国の「科学的特性マップ」で適地に色分けされていないし、佐賀県知事は既に反対の意向を強く表明している▲だとすると、これから同町で調査が動き出したとしてもそれが真に“選定に向けた”ものと呼べるかどうかは疑わしい。「適地が見つかる呼び水に」と町長。うちは不適地なのだから安心してゴーサイン…それでは「調査のための調査」だが▲それでもいいと考える誰かがいて、話の筋道を歪(ゆが)めている気がしてならない。口出しが過ぎるだろうか。(智)(長崎新聞・2024/05/14)

なんという陰険、姑息な政治・行政か~このコラムを読んで、さらに深く傷ついた。(智)氏とそっくりの見立てをぼくは持っていたからだ。いずれ、経産省の役人と政治家、そして原発(会社)売人がつるんで「悪魔の知恵」をいつも通りに働かせ、目端の利くかも知れぬ地域行政家に「唾をひっかけた」としか思えなかったのだ。玄海原発については、ある事情(問題)があって、十年以上も前に調べたことがある。何よりも目についたのは「九電」という何処も同じ電力会社の悪どさと、それに群がる白蟻どもに振る舞われる「原発利権手形の濫発」ぶりだった。なりふり構わぬ九電(を表に出した悪魔の(トリルならぬ)「トリオ」)の札片(さつびら)攻勢に、呼応した村や町や市や県のステークホルダーが、それこそ「金に目が眩む」という図を見せつけられた気がした。砂漠に御殿ではなく、生ゴミ埋め立て地に賭博場でもなく、狭隘かつ美観を誇る山海区域に「原発建設」を進めた。この玄海町は、今や「原発(投下)資本」なくして町政が廻らなくなっている(各立地も同じだ)。原発漬けの典型だろう(まるで「ギャンブル依存症」)。その上での「最終処分場」への受け入れポーズの表明だった。

 「同町は国の「科学的特性マップ」で適地に色分けされていないし、佐賀県知事は既に反対の意向を強く表明している」「だとすると、これから同町で調査が動き出したとしてもそれが真に“選定に向けた”ものと呼べるかどうかは疑わしい」「『適地が見つかる呼び水に』と町長。うちは不適地なのだから安心してゴーサイン…それでは『調査のための調査』だが」― ここに今回の政治行政の暗闇(でもなんでもなく、当然の筋書きだと、脚本家は北叟笑むか)があからさまに見て取れる。「国策民営」、それはあらゆる大型公共事業計画において採用される、国家権力の目眩まし、国民愚弄政治の常套手段であり公金横領システムの通常の駆動でもあろう。ここは「原発(関連施設)立地には不適地(科学的特性マップというらしい)」と断言されたにも関わらず、とにかく「手を上げろ(Hands up!)」六ケ所村は二進も三進も行かない。このままでは、原発推進派お先真っ暗だと、いかに暗愚な人民でも気がつく、だから、とにかく「手を上げろ!」「いくらでも金はつける」と脅迫されたかに思われる。

 故郷を売り飛ばし社会を売り投げ国を売り捨てる、そんな悍(おぞ)ましい輩どもが結託した「政治」「行政」がどんなにこの社会に暗雲・不審・不道徳をもたらしているか。「魚心あれば水心」という。元来は「魚、心あれば、水、心あり」だった。それにしても、ずいぶんと汚染された魚と水ではないか。否も応もなく、我々は、かくも危険な「汚染水」を飲まされ続けているのだ。

 (提案;永田町と霞が関の地下五百メートルの場所に「原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場」を!オンカロン〔右写真〕よろしく、だ)

 (提案2;学校から「悪魔のドリル」を排除せよ。原発トリオに負けず劣らず、日本の学校の子どもたちは苦しめられている、そう「悪魔のドリル」に。ドリルでパソコンを壊した、どこかの政治家じゃないけれど、どんどん「ドリル」を子どもたちが使うべきだ)

 (* 蛇足 大抵のドリルは「穴あけ工具の一。丸棒状の鋼材に螺旋 (らせん) 状の切り刃と逃げ溝をつけ、これを回転させて使用。ツイストドリル。ねじれ錐 (きり)」であるり、ドリルのもう一つの解説は「 知識・技能を習得するための反復練習。また、反復練習による指導法」(いずれも、デジタル大辞泉)だという。ぼくから見れば、教師が子どもの頭蓋骨(のなかの脳細胞)に「螺旋状の切り刃」で穴を開けているようにも見える。実に残酷な光景であり、慄然たる「学習法」です。これでやられると生涯回復不能となる率が高いのは実験済み)

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*悪魔のトリル=イタリアの作曲家ジュゼッペ・タルティーニのヴァイオリンと通奏低音のためのソナタト短調(1745以後)の通称。《Il trillo del diavolo》。名称はタルティーニが夢の中で悪魔が弾いた曲から着想を得たことに由来する。*トリル(trill)= 装飾音の一。ある音とその2度上または下の音とを急速に反復させるもの。顫音(せんおん)。(デジタル大辞泉)               ◉Tartini Violin Sonata in G minor ”Devil’s Trill Sonata”:https://www.youtube.com/watch?v=z7rxl5KsPjs&ab_channel=LaStravaganza)(ぼくは久しぶりに「悪魔のトリル」を聴きました。底が深い(不快)と言うか、底が知れないと言うか。その囁きは、まさに夢の中の声のように響く。「原発よ止まれ!」「原発よ去れ!」)

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三界流転、それが「自分」です

【明窓】「三千の世界」 単純作業である「ナンバリング」という動作。一つ一つの物や事柄に通しで番号を打つことである。その所作自体は何ということはない。だが、続けてみると、実に興味深い。▷印刷物や商品のパッケージに刻印されたナンバーに、しみじみとした気持ちになることがある。スポーツで記録を打ち立てる人、連載小説を書く人や電化製品を組み立てる人、数字の裏にある関係者のさまざまな苦労を思う。▷本紙1面で2015年11月1日から続く『慈しみの心』も先月、「No・3000」の文字を打つことができた。仏教学の世界的権威である松江市出身の中村元博士(1912~99年)の業績を受け継ぐ前田專學氏に始まり、中村元東方研究所専任研究員の服部育郎氏につながる4人の筆者と、毎日読んだり切り抜いたりしてくださる読者あってのこと。▷「三千」は数学的には千の3倍だが、仏教の世界観では千の3乗、すなわち10億を表す、と『広辞苑』に記されている。つまり、われわれが住む世界の全体、あるいは一人の仏が教化する範囲を指すという。膨大で想像がつかないが、それだけ暮らしの中で教えられることが多かったということであり、味わい深い数字だ。▷本欄にある、きょうの言葉「身は是(こ)れ我(が)ならずと知らば…」は、服部氏の解説をよく読んでみると、まさに昨今の政治資金の〝裏金化〟をいさめるのにうってつけの言葉かもしれない。(万)(山陰中央新報・2024/05/11)

 この駄文集録でも何度か触れていますね、「菜根譚」(洪自誠著)に。著者もどのようにこの島に伝わったか、詳細はわからない。正体不明が、かえって評判を呼んだか。まあ一種の「人生訓」と言ってもいいでしょう。「人咬能得菜根、則百事可做(人能く菜根を咬みえば、則ち百事なすべし)」(汪信民)に依拠する。菜根、すなわち「野菜の根。大根やいもの類」、あるいは「粗末な食事。粗食」(デジタル大辞泉)をよく噛んで食べると、「万事に都合よく行く」らしい。純粋な宗教本でもなく、道徳書でもない。ぼくは、これまでにも何度か読んできましたが、分かっちゃいるけど、そんな類のことがたくさんありました。つまりは「自分」に手こずってきたということです。「自分」は何時でも「自分」と、誰もが想いたいでしょう。しかし決してそうじゃないこともまた、嫌になるほど経験している、「自分」に泣かされているのですね。

● さいこんたん【菜根譚】= 中国の雑学書。2巻。明の洪応明著。成立年未詳。警句ふうの短文357条からなる語録で、仕官中の保身の術や退官後の山林閑居の楽しみを、儒教・仏教・道教の思想をまじえた立場で述べたもの。中国より日本で愛好された。(デジタル大辞泉)

 「身は是れ我ならずと知らば」、これこそが「自分」だというのは、実は「そうじゃないのだ」と知っていれば、さらに「自分」はつねに「自分ではない」と自覚していれば、「煩悩がどうしてこの流転する自分に取り付くものか」というのですが、そもそも、「知る」主体は「自分」なんですから、あまりあてにはならない。要するに、煩悩に襲われるている「自分」などというものは頼りにはならないのであって、確固不変などという「自分」があるという錯覚に過ぎないのだ。「自分が」「私の」という存在の土台そのものがあってないようなものなのですね。英語の例文に「彼は昔の彼ならず(he’s not what he used to be)」というのがありました。さらには「朝起きてみたら有名になっていた(I woke up famous.)」等とも言います。当人であれ、他人であれ、とにかく、つねに「流転」しているのが実際で、「いつでも自分は自分」と言いたいけれど、生物学的にも、一瞬も同じ状態に留まることがなく、生成・流転・変転・変容しているのです。

 「自分は自分ではない」というコラムの趣旨はそれとして、ぼくに興味があるのは「3000」「三千」、あるいは「三千世界」、そこから出てくる「三界」などという仏教の言葉(思想)の方です。「明窓」コラム氏も書いておられるように、「三千」と言うのはなんとも桁外れの値です。このような仏教の示す大袈裟な思想は、ぼくには最も馴染みがわかないところ。それだけ、自分という「流転極まりない小宇宙」にとらわれる気持ち(執念)が強すぎるからでしょう。これではとても信仰心は育たないと、とっくに諦めています。「三千世界」の気の遠くなるような埓のない大きさ、それは西方浄土への辿り着ける気のしない距離の長さ、そんな天文学を超越するスケールを「仏」に感じてしまう、「ほんまかいな」と、ね。もちろん、これもまた、一つの「宇宙論」であることに変わりはないのです。

 ぼくは志ん生でしか聴かなかったが「三枚起請」という落語にも、この「三千世界」が出てきます。今では漫画にもなっているようですね。人権問題上、差し障りがありますので、詳しくは綴れません。「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」と吉原だったか品川だったかの花魁が口にします。(この川柳のような、都々逸のようなものの作者は高杉晋作だとも言われている)三千世界を短縮して「三界」、「さんがい」と読む。これも俗に「女三界に家なし」と囃されてきました。この「三界」は「過去・現在・未来」を差すとされ、女性はどこにいても安住する場がないと決めつけられていたのでした。このような「通俗倫理」がこの社会で、徹底的に女性の地位を縛り付け、貶めてきたのは歴史の示すところ。そこまでくると「仏教も罪を働いたもの」と言いたくもなります。そして、このような罪や汚れ、欲や妬みに一切煩わされない、自由の境地こそが「仏界」だと、いい気なものだなと誹りたくなるのは、ぼくという「変転する自分」の罰当たりなところですな。

● さんぜん‐だいせんせかい【三千大千世界】〘名〙 仏語。宇宙についての単位ともいえるもので、大千世界の別称。全宇宙は無数の三千大千世界からなるとする。仏教では、須弥山(しゅみせん)を中軸に、日・月・四大州・四大海・六欲天などを含めた広大な範囲を一世界とし、これの千倍を小千世界、小千世界の千倍を中千世界、中千世界の千倍を大千世界という。大千世界はその中に、小・中・大の三種の千世界を含んでいるから、三千大世界ともいう。転じて、ありとあらゆる世界・すべての世界の意、また、より軽く「世の中」「世間」の意でも用いられた。三千大世界。三千世界。三千界。三界。三千。一大三千大千世界。一大三千界。(精選版日本国語大辞典)
● 三界 (さんがい)= 仏教思想における世界の空間的構造。またその構造をもつ世界。サンスクリットでトリ・ダートゥtri-dhātu。三界とは欲界kāma-dhātu,色界rūpa-dhātu,無色界ārūpa-dhātuの三つの界をいう。色とは物質のことである。界と訳されるサンスクリットdhātu-はもともと〈層stratum〉を意味する。三界のうち最下の層は欲界で,欲望にとらわれた生物のすむ領域である。これは地獄(の生物),餓鬼,畜生,人間,天(神のこと)の5種の生物の居住空間(五趣)からなる(五趣に阿修羅を加えたものを六道(ろくどう)という)。欲界の上に色界がある。これは欲望は超克したが,物質的束縛はいまだ受ける(つまり肉体をもつ)生物のすむ領域である。禅定の深さによって,大きくは4段階(四禅天(しぜんてん))に分けられ,細かくは17(《俱舎論》)または18(《雑集論》巻六)の段階に分けられ,上の段階ほど修行の進んだものがすむ。色界の上に無色界がある。(⤵️)
(⤴️)五蘊(ごうん)(色,受,想,行,識)のうち色をもたず,受,想,行,識という精神的要素のみからなる生物,欲望と物質のいずれをも超克した生物のすむ領域で,禅定の深さによって4段階に分けられる。この4段階の最高処〈非想非非想処天〉を〈有頂(うちよう)天〉という。漢訳法華経では色界の最高処〈色究竟天〉が〈有頂天〉とされている。現在でも使われる〈おんな三界に家なし〉や〈有頂天になる〉という表現はこれらに由来する。なお,三界を超越したところに仏界がある。(改訂新版世界大百科事典)
● おんな【女】 は 三界(さんがい)に家(いえ)なし(「三界」は仏語で、欲界、色界、無色界、すなわち、全世界の意) 女は、幼少のときは親に従い、嫁に行っては夫に従い、老いては子に従わなければならないものであるから、この広い世界で、どこにも安住できるところがない。女に家なし。女に定まる家なし。女に三つの家なし。〔譬喩尽(1786)〕

 「仏教の世界観」と言われても、なんとでも解せる、空漠とした「世界」の主張だと、ぼくはいつでも痛感しています。さしあたりの問題は「三千世界」のことではなく、連載「慈しみの心」が3000回続いたというコラム氏の感嘆に刺激されて湧いてきた「疑問」の始末に困ったという話。「『三千』は数学的には千の3倍だが、仏教の世界観では千の3乗、すなわち10億を表す、と『広辞苑』に記されている」という件(くだり)に、ぼくは違和感を持ってしまう。ここでは「広辞苑」も「仏教の世界観」も揺るぎない「権威」とされているのですが、その「権威」そのものが、この世では「仏説(仏教思想)」によって「無安」「無宿」「流転」「火宅」、生々流転、留まるところを知らずとされているのですから、大いなる違和感を持つのは不思議でもなんでもないという感想を抱くのです。

 「本欄にある、きょうの言葉…は、服部氏の解説をよく読んでみると、まさに昨今の政治資金の〝裏金化〟をいさめるのにうってつけの言葉かもしれない」(「明窓」)というのは、いかにも取ってつけた解釈ではないですか。文句をいうのでありません。どこからこんな迷「解説」が出てくるんでしょうかという、大きな疑問を隠しきれませんということ。「脱税」や「横領」を諌めるのに「三千世界」もないものでしょうよ。

 加えて、何かが「3000回」続いたことに深い感慨があるのは、当事者・関係者として当然でしょう。しかし、それだって、どうということもないではないかと言うばかりです。「3千」が仏教村では「10億」を表すと言って、それが連載3000回とどう繋がるんですかと尋ねたい。イチローだか誰だか、プロ野球で3000本ヒットを打ったが、それは「仏教の世界」では「10億本になる」、「どうだ驚いたか、とてつもない本数だろう」と言って、どうなるもんでもないでしょうに。ここまで言うと、一種の、嫌味か、いや腹立ち紛れになっていますな。(本音は、つまらない「お説」を語らないでください、そう言いたいだけ)

 確からしい「自分」があると思えばこそ、生きていられるという気もしますが、その「自分」にいつだってぼくは騙されているのですから、「騙す」方か、「騙される」方か、いったいどちらが「自分」なんだと言いたくもなるが、そもそも「自分」があるというのが錯覚で、自分は雲なんだと割り切ってしまえば、「自分とは?」などという疑念も湧く余地がないんでしょうがね。「行雲流水」ってなんだろう。「雲烟過眼(うんえんかがん)」とも言いますから、なんとも仏教哲学は面倒この上ありませんね。なにはともあれ、格好つけすぎ、大袈裟にすぎるね。

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眼前に主がいない「母の日」です

 昨日(五月十二日)は「母の日」だった、と言われて気がついた。ぼくには「母」と呼ぶべきは二人いたが、二人(実母と義母)ともに、かなり前に亡くなっている。存命中でも、「母の日」にふさわしい何事もなし得なかったのは、不肖の息子として返す返すも申し訳ないことと想っている。ある時期から、おふくろが元気な内に、自分の幼児期や幼少期の様子を聞いておきたいと思うように成った。自分の今ある状態の根っこがどうなっていたのか、それが知りたかったのだ。自分でも不思議な気分がしていたが。

 親父とはもちろん、よく話をしたという記憶はない。おふくろとも、そうだった。高校を卒業してから家を出たので、以来、帰省する(それもわずか数日間)ときにも、改まって親子の対話に励んだという思い出もない。それがどうだというのではなく、親子という関係が、実に淡白だったということに、我ながらいささか怪訝の念を持っていたのです。生活においては、ほとんど干渉されなかった。学校の「成績」に関しても、進学者就職についても何一つ指摘も小言も言われなかった。それはぼくにとってはよくもあり悪くもあったと、今でも思っている。父親は七十九歳で亡くなった。実にあっけなかったと思われた。「尿毒症」症状で入院し、数日を経ずして「脳梗塞」を起こし、数日間の昏睡のままで息を引き取った。おふくろは、その後,たった一人で三十年近く元気で暮らしていたが、あるとき、姉が訪ねたら、台所で倒れていた。脳卒中状態だった。即入院したが、医者は今夜一晩が「山」場だと宣告した。その後、医療施設に入り、当初はあった認知能力も徐々に衰えが進み、やがて意識が戻らないままの状態で、入院してから五年の後だったかに亡くなった。

 この間、姉たちからは「母親といっしょに」と言われていた。長く住んだ京都の地を離れるのはどうかと考えもしたが、それでも何時でも「引き取る」つもりでいた。そのために、静岡県は伊豆の山中に広い土地(700坪ほど)を購入し、彼女の好きな植木や花づくりができる環境をと、準備してもいた。その土地は未だに未利用のままで所有している。

 おふくろが亡くなる何年も前に、かみさんの母が亡くなっている。数えで九十歳だったと思う。義母とは、かなり長くいっしょに暮らした。ぼくは、かみさんとでも何時だって、波も風も立たない状態で、長く穏やかに暮らせない人間だったから、義母にも不愉快な思いをさせたことは否定できない。詳しいことは言わないが、彼女はまだ二十五歳前で夫を兵隊に取られ、フィリピンで戦死されている。その後、独り身で子ども三人を育て上げた。大変な苦労もあったかも知れない。長く一人で生活を営んでいたものが、娘婿とはいえ他人。互いに他人行儀が何時までも残っていたと思う。それでも、なんとか波風も立たないようにして暮らせたのだから、と自らを少しは慰めてもいる。彼女は緊急入院先の大学病院において、医療ミスで命をなくしたきらいがないでもなかったが、だから、もう少しの長生きをという悔いも残ったが、とてもぼくはよくしてもらったと感謝している。

 「孝行のしたい時分に親は無し」と言われてきた。〈You never miss the water till the well runs dry.〉「水が枯れるまではそのありがたみがわからない」ということもある。汲めどもつきせぬ「愛情の井戸」とでもいうのでしょうか。小さい頃や多感な少年の頃には、その「慈しみ」は十分に受け止められなかったと、ぼくは今更のように思い残しています。

 大学に入ってから、ぼくは柳田國男という民俗学者に惹きつけられてきました。本当によく読んできました。その柳田さんは文学青年でもありましたが、帝国大学を出て、当時の農商務省に入り、本邦ににおける「農政学」の開拓者になろうとしたと言われています。その後、官僚として仕事をしつつ、全国を驚異的な速度と持続力で歩き回り、この劣島の「民間伝承」(地方研究)に超人的な働きを示された。後にそれが「民俗学(Folklore)」と称される、もう一つの歴史研究になりました。その柳田さんが「民俗学に興味を抱いたのは、生家が小さかったからだ」ということを繰り返された。兵庫県の辻川という地区で、それこそ、両親、長男夫妻、子どもが、柳田さんを含めて五人も六人も。四畳半がわずか三部屋という狭さの中で、さまざまな「軋轢」が重なった。それに加えて、「嫁と姑」関係が拗(こじ)れたこともあって、六歳だった時に、國男少年は「嫂(あによめ)の入水自殺」を見ることになる。(右下写真は、柳田さんの復元された「生家」)

 このような不幸や不運は、一人柳田さんを襲ったばかりではなかったでしょう。この社会の「家制度」には多くの課題があったのは事実だったし、大家族制度は、第一次産業時代の労働者の確保には不可欠だった。その長い歴史の果てに、今日の「核分裂した家族」問題、「ひとり親家族」の厳しさ、「高齢者の要介護施設入居」問題が、ぼくたちの行く手を遮っているようにもみえてきます。これまでも一度として考えなかったわけではないのですが、「母の日」に遭遇して、考えただけでは足りない大きな課題が自分自身の足元にも及んでいることを知らされています。政治や行政の出る幕は、いくらだってある。出る幕はあるけれども、今の状況を見るにつけ、最後まで「自己防衛」と言うか、自分でやれるところまでやる、「後は野となれ山となれ」という自暴・自爆くらいしか、残されてはいないようにも思われます。

 つくづく、時代は悪くなりましたもんねえ、そんな感慨を抱くばかりです。

【斜面】多幸症と思えるように 認知症とは強い幸福感に包まれた状態になること、つまり多幸症なんだ―。認知症の母親との日常をユーモラスに描いた「ペコロスの母に会いに行く」で知られる漫画家の岡野雄一さんは、介護体験を通じてそんなことを思ったという◆酒癖の悪かった夫が既に故人であることを認識していながら「さっきまで会いに来とった」とうれしそうに話す。入所した施設を生まれ故郷と思い、スタッフを幼なじみの名前で呼ぶ。つらかったことは都合よく忘れて、いい思い出ばかりが残っていく◆人生の重荷がほどけていくような母親の姿に「忘れることは悪いことじゃない」と実感した―と、自著に記している。徘徊(はいかい)したり家事ができなくなったりでいら立ったこともある。それでも住み慣れた地域で近所や施設の人たちの力を借りながら、最後まで親の人生と向き合えた◆認知症や軽度認知障害の高齢者はこれから増えていく見通しだ。36年後には2・8人に1人がどちらかに該当するようになると、政府が推計していた。介護サービスの充実や予防・治療体制の強化が急務だとするニュースが、不安な気持ちを駆り立てる◆親と離れて暮らす人が多く、岡野さんのようにいかないのが現実だ。自分に症状が現れたらどうなるか、将来を気にする人も少なくない。年を取れば認知症になるのは当たり前だと、地域で理解と助け合いの輪を広げられないか。むやみに怖がらず、誰もが多幸症と思えるようでありたい。(信濃毎日新聞・2024/05/11)
● 多幸症(たこうしょう)= 感情ないし気分の障害であり、上機嫌ともいう。客観的状況にそぐわない空虚で無内容な爽快(そうかい)な気分状態である。あらゆることに楽天的で、苦にせず、その背景には、人格の水準低下が想定される。老年痴呆(ちほう)、前頭葉の障害、進行麻痺(まひ)などの脳器質性障害や、アルコール、モルヒネなどの中毒性精神障害の場合に出現する。一般には、そう病の気分の高揚は爽快気分として区別される。前頭葉の障害で、無意味なことばの駄洒落(だじゃれ)や、冗談を好むことがあり、これをモリアmoriaまたは、ふざけ症という。発揚は気分の高揚と自己価値の病的高まりをいう。(日本百科全書)
 「5月の第2日曜日は「母の日」。/誰もが知っている行事ですが、母の日を祝う習慣はどのようにして生まれたかご存じでしたか?その起源には諸説ありますが、よく知られているのは「100年ほど前のアメリカ・ウェストヴァージニア州で、アンナ・ジャービスという女性が亡き母を追悼するため、1908年5月10日にグラフトンの教会で白いカーネーションを配ったのが始まり」という話です。/この風習は1910年、ウェストヴァージニア州の知事が5月第2日曜日を母の日にすると宣言し、やがてアメリカ全土に広まっていき、1914年には5月の第2日曜日が「母の日」と制定されました。ちなみに、日本で初めて母の日のイベントが行われたのは明治末期頃。1915年(大正4年)には教会で お祝いの行事が催されるようになり、徐々に民間に広まっていったと伝えられています」(https://www.hibiyakadan.com/mother/column/about/)

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「徒然に日乗」(558 ~ 564)

◯2024/05/12(日)終雨が降ったり、日が差したり。終日、好天というのではなかった。午後4時ころに急いで買い物。帰宅後に、京都の手島氏(製材所経営)から電話。拙宅へは十八日(日曜)午後に、夫婦揃って訪ねたいとのこと。銚子からの帰途に寄りたいというのだ。総武本線で銚子から成東まで、そこで乗り換え(東金線)大網までのコースをと伝えた。首尾よく運ぶことを願っている。(564)

◯2024/05/11(土)快晴の一日とは行かなかった。午前中は刈り取った草類、木の葉など、かなりの量があったが、焼却炉で燃やす。昨日は体調不良に陥ったが、おそらくは「熱中症」の初期状態だったかも知れない。(これもまた寄る年波のせいであろう)昨晩は早めに寝たので、少しは楽になった。睡眠もよく取らないと、と想いながら、かなり寝が足りないままで日を送っているような気もする。(563)

◯2024/05/10(金)午前中に車庫の掃除。ついでにあまり乗らないままで置いてある自分用の車のエンジンをかけたままにしておく(ぼくと同じ高齢車)。変えたばかりのバッテリーを気遣うばかり。(一ヶ月少し前に十回目だったか、車検を受けたばかり)車庫内は猫によって散らかし放題。外から入った枯れ葉なども相当なもので、シャッターを締め切ると猫が入れない(ここで寝る子もいるのだ)ので、少しは開けたまま。余計に枯れ葉などが紛れ込むというわけ。▶色々と外の掃除をやっていると目に見えて疲れがでてきて、お昼ころに中断。少し疲労(熱もあるよう)が溜まっているのか。おそらくこのところの庭仕事続き(高温の中での作業)だったので、あるいは「熱中症気味」なのかも知れぬ。少し横になって、休んでいた。▶昼過ぎに京都から電話。京都の手島君から。昨晩に続いて。今月中に当地(拙宅)を訪れたいとのよし。ご夫妻でということだった。日程が決まった段階で、連絡をもらうことにした。(562)

◯2024/05/09(木)昼過ぎに京都から電話。梅ヶ畑の手島四郎氏から。高校の同級生(昭和三十八年三月卒)いろいろと近辺・近時情報を伝えてくれた。Mさんが亡くなったという。数年前にかみさんに先立たれ、それからの生活はどうだったのか。手島氏当人も脳内血管が切れたとかで意識を失って倒れたと言う。幸いに大事に至らず後遺症も残らなかったと言う。互いにそれなりの高齢だ、元気なうちに会いたいということだった。言われるまでもなく、ゆっくりと久闊を叙す機会を持ちたいと念願している。(561)

◯2024/05/08(水)好天が続きそうでありながら、天気が崩れる要素もあって、不安定だ。終日自宅内に。▶このところ、少し疲れが残ったままで、睡眠不足を痛感する。夜の10時には寝るようにはしているが、一定せず、起床時間も、早ければ三時前、平均では午前四時ころになっている。5~6時間、ゆっくりと眠れないのは、年齢のせいではなく、猫たちによる「安眠妨害」によるだろう。今のままでは、疲労をなくすためには不十分だと感じる。(560)

◯2024/05/07(火)昼前に買い物。連休明けだが、街中には普段通りの風景がある。物価の高いのが少しも収束していないどころか、むしろさらに高騰しているような塩梅。たんなる物価高ではなく、GDPは振るわず、円安も収まらず、加えて物価高だから、いよいよスタグフレーション(「《stagnation(停滞)とinflation(インフレーション)との合成語》景気の停滞にもかかわらず、一般物価水準が継続的に上昇している状態。」)かと、素人ながら心配になるのだ。それにしても、政治も行政も国税を湯水のごとくに濫費している。まさにここは「泥棒天国(thief heaven・thief’s paradise)」だ。(559)

◯2024/05/06(月)昼過ぎだったか、福岡から電話。牧君からで、7月23日頃に伺ってもいいかというお尋ね。主旨はA.ビナード氏を同行したいというのだ。当方に予定はなにもないから、日程等が決まった段階で教えて下されと、電話を切った。終日自宅内に。庭の草取りもなかなか捗(はかど)らない。(558)

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存在となりて痴呆の妻がいる

◎ 週のはじめに愚考する(第十九)~長崎新聞のコラム 「水や空」に教えられました。内藤定一さん(香川県の人)の存在。凄い人がいるものだと、驚愕したと言っていい。歌人の名前は初めて聴く。奇特な方々の「ブログ」などに内藤さんのことが触れられていたので、それをお借りする。〈悪意にも知恵にも無縁の妻と来て干潟に下りし鳥を見ている〉

 こういう「夫婦」、いや病んでいる「妻」をそのままに受け入れることができている「夫」がいたのだと、ぼくは静かなる驚愕を覚えた。慄然とさせられたと、言うべきか。言うまでもなく、夫たる人の心中は察して余りあると言うばかりですが。それなりに、これまでの生活環境で、何人かの「認知症」罹患者を身内・身近に見てきた。もちろん、その心持ちは複雑だったが、きっと「明日は我が身」というある種の不可避の恐れと、「自分は大丈夫」という根拠の薄い強がりとが、つねに綯(な)い交(ま)ぜ)になっていたのだ。

 コラム氏は語られる。「認知症の人と家族の現実は決して生易しくはない。それでも、少し前向きに捉えようとする心得がさりげなく詠まれ、社会全体、できる限りこうありたいとも思わせる」と。もちろん、その受け止め方にぼくは両手を上げて賛意を示すものだが、何よりも自分自身が「こうありたい」と激しく願うのだ。

 房総半島中央部の辺鄙な場に移住することを決めたのは、(もちろん自分も含めた)老人たちの、ささやかな「茶飲み場」「老人街の喫茶店」「語り間(あい)隊」、名称はともかく、そのような拠り所ができる(作れる)といいなあという、肩ひじを張らない、ちょっとした遊び心もあった。いくつかの理由でその試みは中断(断念)し、今は「猫の溜まり場」になっている。この地に来た当座、高血圧症か何かで近所の内科医に診てもらったら、いろいろな検査を試みた結果、その数値を覗きながら「あなたは確実に認知症になる」と、腹が立つくらいに断固たる太鼓判を押された。「私が保証します」と宣言するが如くだった。この医者は、まるで「偏差値(数値)」で人を判断する輩だと思った。その日以来、ぼくはその医者(クリニック)には一度も行っていない。医者自身が、「認知症」を心底嫌っている(侮蔑している)という低意(そこい・ていい)があからさまだった。

 いろいろなことが、真偽定かならないままで、この老人病の諸症状に対して言及・解説されている。(近年は「若年性」と言って、早くも三十代から、特有の症状が認められる)そのどれもが、元気を挫(くじ)くようなものばかり。「専門家」も含めて、言いたい放題という状況に嫌な気分が拭えない。その昔、ぼくは「長谷川式検査法」を調べたことがある。その検査法の立案作成者自身が「認知症に罹患」したと報じられた。医者の不養生ではなく、高齢者の避けられない定めのようなものを痛感した。(それが「病気」なら、おそらく治療ができ、やがて治せるのだろう)だからこそ、内藤定一さんの「妻との付き合い」「二人の(言葉にできない)間合い・距離」に、ぼくは衝撃を受けたのだ。そういう「現実を生きる」ことは、どれだけ困難であっても可能なのだと、激しく揺すられた。偽りのない、〈ほんもののやさしさ〉とは、どういうことなのか、できるなら、そんな「やさしさ」をぼくも身につけたい。

● はせがわしき‐にんちしょうスケール〔はせがはシキニンチシヤウ‐〕【長谷川式認知症スケール】= 認知機能検査の一。1974年、精神科医の長谷川和夫(1929‐2021)が認知症の可能性、および症状の進行具合を簡易的に調べる問診項目として考察。1991年に質問内容や採点基準が見直され、改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)がつくられ、2004年に現名称に改称された。年齢・時間・場所・計算・品物の記憶など、九つの質問項目からなる。長谷川式スケール。(デジタル大辞泉)

【水や空】認知症が増える未来 歌人の内藤定一(さだいち)さんは定年後、妻に添い続けた。〈悪意にも知恵にも無縁の妻と来て干潟に下りし鳥を見ている〉。妻は徘徊(はいかい)を繰り返すが、夫はむしろ妻を進んで連れ出し、一緒に干潟を眺めたらしい▲認知症の人と家族の現実は決して生易しくはない。それでも、少し前向きに捉えようとする心得がさりげなく詠まれ、社会全体、できる限りこうありたいとも思わせる▲認知症の高齢者の数は増え続け、2060年には645万人に達すると、政府が推計を発表した。高齢者のほぼ6人に1人を占める。その数は9年前の推計よりもぐんと減った。喫煙や食事といった生活習慣が見直されたためとみられる▲生活を見詰め直して「予防」につなげる。介護サービスを充実させる。認知症の人が社会参加し、皆で見守る。増加が避けられないとすれば、上昇カーブを緩やかにする工夫が要る。一般市民が買い物を手助けするといった、サポートの仕組みをつくる知恵も要る▲認知症という言葉が一般的ではなかった頃の、内藤さんの歌をもう一首。〈ほんもののやさしさだけしか通じない妻の痴呆に励まされつつ〉▲優しさを敏感に察知する妻に信頼されていることが励みだ、と詠んでいる。家族に限るまい。社会もまた〈ほんもののやさしさ〉で遇する時代が来ている。(徹)(長崎新聞・2024/05/11)

理解出来ぬことをそれとは言えぬまま時に孤独な顔をする妻
苦しとは言えぬ苦しみも分け合いし過去を忘れて静かなる妻
くつくつと鍋の煮物はよく煮えて過去の倖せが音立てている
存在となりて痴呆の妻がいる風が渡って行く草原に
めし粒の食い込んでいるタワシあり一気に思い流せしあとに
過去もない明日も思わぬ妻となり言葉のいらぬ国で居眠る

「第四歌集『スロー・グッバイ』アルツハイマーの奥様との19年間を詠まれた歌600首」
(心に響く詩歌(歌集)-内藤定一さんの歌集)
(https://kamenoashioto.blog.fc2.com/blog-entry-129.html)

 「絵画愛好家であり、また歌人としても知られ、5年半前に90年の生涯を終えられた内藤 定一さんによる絵画と短歌展が長年、住まわれた仲多度郡多度津町で開催されます。/内藤さんは国鉄OBで、勤務していた多度津工場で絵画サークル結成を手始めに、その後、職域を越えて愛好家の仲間たちとグループすてっぷを結成。いずれも中心メンバーとして風景をメインにスケッチや写生で描かれ、作品発表を数多くこなされた一方、歌人としても数多くの短歌を詠まれ、19年間、アルツハイマーを患った奥様を介護しつつ、その生活から成された心境を短歌にしたためた歌集「スロー・グッバイ」を著しました」(「内藤 定一氏|絵と短歌を嗜んだ生涯」・23:36 2019/05/27)

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橘かおる朝風に高く泳ぐや鯉のぼり

 米寿控え 880匹のこいのぼり 備前の石崎さん設置 18日まで 色鮮やかなこいのぼり880匹が備前市北部の大空を舞い、地域に元気を届けている。米寿を控えた石崎弘文さん(86)=同市=が「88」の数字にちなんで同市吉永町多麻に設置した。18日までの予定。/ 赤、青、緑、紫など15~70センチのこいのぼりを50メートルのロープ6本に取り付けて掲げた。4月初めから1カ月近くかけて仕上げた。風が吹くとまとまった群れのように一方向を向いてたなびき、圧巻だ。/ 知人から120匹ほど譲り受けたのをきっかけに始め、4年目。こいのぼりは口を大きく開けて舞うことから当初は「マスクいらずで、新型コロナウイルスの収束を願った」と振り返る。その後は年々買い足し、今年は880匹を目指した。/ 石崎さんは「作業は大変だが、眺めていると気持ちがいいでしょう。『でえれーもんがあるぞ』と口コミで広めてください」と笑顔を見せ「元気なうちは続けますよ。名前(ひろふみ)の語呂合わせで1623匹に挑戦しますから」と次なる目標を語る)(ヘッダー写真も:https://www.sanyonews.jp/article/1550040?rct=senior)(山陽新聞・2024年05月08日)

 鯉のぼりについて、ぼくには強烈な思い出があります。どこかで少し触れましたが、今考えても爽快無比だったと嬉しくなる。おそらく、ぼくが中学生になった頃か、まだ小学生だったか、時期は曖昧になったが、ある日、おふくろがリヤカーで、かなり長い竹竿と鯉のぼりのセットを自宅まで運んできたのだ。どこで手に入れたのか忘れました。おそらく、当時はそんなものも「古道具屋」で扱っていたのでしょうか。桐タンスや冷蔵庫(氷を入れて冷やす)などを、彼女は一人で買ってきた。小さな一枚の写真が残っています。戦前の「モガ(モダンガール)」そのものに作り上げたおふくろの写真です。大正七年生まれだった彼女は、若い頃はかなりの「モダン」だったろうし、世間体を気にしない行動派でもあった。どうして親父と知りあったか、一度も聞いたことはなかった。それはともかく、貧乏生活の中で、世間並みに、三人の男の子のいる中、せめて「鯉のぼり」でも上げてやりたいじゃないかという「親の気持ち」が態度や行動になって現れたと思っている。

 家には三人の男がいた。ぼくは真ん中、兄と弟。狭い庭の片隅に竹竿を立て鯉のぼりを挙げたのでした。勢いよく「鯉」は高空で泳いだかどうか、記憶にはない。はるか北の方角に「愛宕山」が聳(そび)えていた。どこからか、長くて重い竹竿をリヤカーで運んで来るという、おふくろの大胆な行動力があまりにも印象深かったから、鯉が泳いだかどうかの記憶は消えている。今から六十五年も前のことです。本年、その兄は八十七歳。弟は七十六歳。(二人の姉も、一人は八十五歳。もう一人は八十三歳)(それぞれに、最晩年を迎えているんですね)

 数日前の「子どもの日」、といって少子化の激しいこの社会では「子どもの日」の「主役は不在」ではないですかと、綴りました。その代わりというのでもなく、昔も昔、大昔の「男の子」がえらい派手に、わがことを祝うかのような「鯉のぼり」上げに熱中している姿が方々で見られるのは、新たな一現象として、ぼくは楽しんでいるのです。(ただ、一言すべきは「子どもの日」と言い条、それは「男の子ども」限定であるのはどうなんですか。奇妙じゃないかと指摘しておきたい。「子ども」から「女性」は外されているからです。すべての「子」を含めて「子どもの日」でなければ。もちろん、その中には昔の、昔々の、更には大昔の「子ども」が入るのは当然です)

 (右上写真は「青空の中 ゆったり 神流・こいのぼり800匹」「春風を受けた約800匹のこいのぼりが神流町万場の神流川上空をゆったりと泳いでいる。こいのぼりによる町おこしを目指した恒例行事。川の両岸を結ぶワイヤロープにつながったこいのぼりは体長6~12メートルある。町の有志団体『かたる会』が主体となって約150人がかりで掲揚した。8日まで。29~5日は『かんな鯉のぼり祭り』が開かれ、家族向けイベントなどが楽しめる」上毛新聞・2016/04/28)(https://kitakan-navi.jp/archives/8832

 こんな行事は全国各地で行われています。長く生きてきた自分たちへの「お祝い」として、老人たちが喜んで鯉のぼり(あるいは、3月の「雛祭り」の「雛人形」も)に狂喜しているのです。都会に住んでいると、年寄は邪魔者扱いされ、田舎にいると、忘れられた存在にされかねません。長崎の五島市の「鯉のぼり」はそれこそ、全島あげての協働遊戯。「平均年齢82歳、14世帯18人が暮らす五島市富江町の琴石地区」「過疎化が進む地域に足を運んでもらおうと、地区の老人会会長をつとめる近藤洋市さんの呼びかけで、13年前から毎年この時期に鯉のぼりをあげています」「ちょっと寂しい気もしますけどね。せっかくの催しで、みんな楽しみにしてるんですけどね」「きれい、きれい!毎年やけどな、よかった~。無事上がって」「13年続いた山あいで泳ぐ鯉のぼり 高齢化で今年が最後『毎年、足を運んでくれてよかった』」長崎県五島市琴石地区:長崎放送・2024年4月17日)(https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1119350?display=1)(https://www.youtube.com/watch?v=ZbT830R62yg&ab_channel

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 唱歌「鯉のぼり」は二種類あります。もちろん、ぼくは「甍の波(いらかのなみ)」の方を選ぶ。作曲は弘田龍太郎さん(高知県安芸市出身)の手になるとされている。作詞は、おそらく多くの人の共同制作によったのでしょう、「不詳」と記録されています。大正二(1913)年の「尋常小学唱歌 第五学年用」が初出。(https://www.youtube.com/watch?v=ORO9_KMVy44&ab_channel)(もう一つの「鯉のぼり(屋根より高い)」については別稿で触れたい)

鯉のぼり

甍(いらか)の波と 雲の波
重なる波の 中空(なかぞら)を
橘(たちばな)かおる 朝風に
高く泳ぐや 鯉のぼり

開ける広き 其の口に
舟をも呑(の)まん 様見えて
ゆたかに振(ふる)う 尾鰭(おひれ)には
物に動ぜぬ姿あり

百瀬(ももせ)の滝を 登りなば
忽(たちま)ち竜に なりぬべき
わが身に似よや 男子(おのこご)と
空に躍るや 鯉のぼり 
(*橘(タチバナ)ー 日本固有の柑橘類)

 今の世に望むべくもない快い、清々しい行為も、その理由を質せば、何気ない草花の香りに引き寄せられるわが心の寛さ深さに、いささかの淀みや濁りのあるせいかも知れないと気づく。まことに遅まきながらの「浮世ぐらし」の悟りのようです。「児戯に類する」とは侮蔑の表現ではなく、むしろ、だれかれにある「幼心」への誘(いさな)いであり、それを果たし得た時の喜びの確認、それが年老いての「児戯」の効用でもあると、ぼくは勝手に思っている。まことに憂きことばかりのこの「浮世」、いや「憂世」だからこそ、児戯に浸る瞬時がぼくたち老人にも不可欠であると感じ入った次第です。

 「ゆたかに振う 尾鰭には 物に動ぜぬ姿あり」、そう願いたいですな。鯉のぼりに肖(あやか)りたいものです。

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